![]() Tom Rogerson with Brian Eno Finding Shore Dead Oceans / ホステス |
00年代を代表するバンドのひとつにバトルズがある。彼らが圧倒的だったのは、グライムやダブステップのようなエレクトロニック・ミュージックが大きな衝撃を与えていた時代に、ロックやバンドといったフォーマットが為しうる最大限のことを実践していたからだが、それは彼らより後に来る世代から次々と選択肢を剥奪していく行為でもあった。バトルズ以降に可能なロック・バンドとはいったいどのようなものなのか――そんなポスト・バトルズの時代に一筋の光を差し込ませていたのがスリー・トラップド・タイガーズである。バトルズという存在をしっかりと見定めたうえで、改めてテクノやIDM、ドラムンベースなどからの影響を大胆にロックやバンドの文脈へと落とし込んでいくその様は、当時ひとつの希望として映っていたのではないだろうか。
そのTTTのキイボーディストにしてヴォーカリストでもあったトム・ロジャーソンが、彼らのことを推薦していたブライアン・イーノとアルバムを作っているという情報が流れたのが2016年の早春。かつてのタイヨンダイと同じようにロックやバンドという枠組みから離れた彼が、アンビエントのゴッドファーザーと手を組んだら、いったいどんなサウンドが生み出されるのか――その答えが2017年末にリリースされたこの『Finding Shore』である。
そもそもふたりが初めて出会ったのはトイレだったそうなので、そこから一気にデュシャンまで線を引っ張りたくなるけれど、それより少し前のサティや印象派からそれより後のケイジやライヒまで、このアルバムにはクラシック音楽の大いなる遺産の断片が随所に散りばめられている。基本的にはロジャーソンのルーツたるピアノを大きくフィーチャーした作品と言えるが、ジャズの即興性や電子音楽の音響性、ピアノの打楽器的な側面も当然のように踏まえられており、ドローンやノイズといった手法も惜しみなく導入されている。そこにアンビエントの創始者たるイーノ当人まで関与しているのだから、このアルバムそれ自体がちょっとした音楽史になっているわけだけれど、とはいえ教科書的な堅苦しさとは無縁で、すべてのトラックがポップ・ミュージックとして気楽に聞き流せる作りにもなっている。極私的には2017年のベストな作品のひとつだと思う。
このようにいろんな意味で味わい深い逸品を送り届けてくれたトム・ロジャーソンが、自身の音楽的経歴やイーノとの出会い、ピアノという楽器の持つ可能性や即興の重要性について、大いに語ってくれた。
とにかくトイレの前だった。で、顔を見たらブライアン(・イーノ)だったから、挨拶しちゃおうかな、と思って、したんだ(笑)。そして一緒にレコードを作るに至ったんだから、なかなかすごい展開だよね。
■あなたはロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックでクラシック音楽を学んだそうですが、セルフタイトルの最初のソロ・アルバム(2005年)もトム・チャレンジャーとの共作(2010年)も、ジャズやエレクトロニックな即興音楽だったということで、まずはあなたのなかでのジャズとクラシックの位置付けから教えてもらえますか?
トム・ロジャーソン(Tom Rogerson、以下TR):ああ、まず、僕はそもそもピアノの即興演奏を子供の頃からやっていたんだよ。そこからどう展開したかというと……、本格的にピアノを学ぶようになる前から自己流で弾いていて、そのきっかけは姉がやっていたからで、自宅にピアノがあって両親ともに弾いていたから見様見真似で……という感じだったんだが、10歳か11歳の頃に、自分が即興で弾いたものを書き留めて残しておきたいと思うようになってね。つまりは、自分で曲を作るということに興味が向いていったんだ。当時から20世紀の現代音楽の作曲家をよく聴いていたので、それを真似るようにして作曲らしきことをやり始めたんだ。その後15歳ぐらいになると、僕がピアノの即興をやれるということで、学校の友だちから「ジャズやってみたら? 即興ばっかりやってるから、きみ、きっとジャズいけると思うよ」と勧められた。その友だちとはいまだに付き合いがあるんだけど……とにかく、それがジャズとの出会い……そして、そいつを含めた何人かでジャズのバンドを組んだのが16歳のときだった。大学卒業後にニューヨーク・シティに3年住んで、最初のレコードを作ったのはそのタイミングだった。ただ、――これは強調しておきたいんだけど、いま話に出たふたつのアルバムは大々的にリリースされたわけじゃない。作りはしたものの、変な話、ほとんど公になっていないんだ。だから、僕の最初のレコードはジャズだったと言うと……、いや、ジャズといってもラフな即興演奏でしかなかったんだけど……、でもサックスが入っていたからジャズってことになるのかな(笑)。
■(笑)。
TR:とにかく、CDにはしたものの、今でもその9割は僕の手元に残ってる。自宅に。売る努力もしなかったし。こう言うとなんか変だけど、たぶんビビってたんだと思う。作りはしたものの聴いてもらう勇気がなくて、宣伝したくなかった、みたいな。
■そうだったんですね。
TR:でも、その後にやったバンドは知られてると思う。スリー・トラップト・タイガーズ(Three Trapped Tigers、以下TTT)ていうんだけど。
■はい、もちろん。
TR:あれはレコードが出回っているはずだ。
■ロック・バンドですよね。
TR:うん、ロック・バンド。不思議なインストの……エレクトロニック・ロック・ミュージック、かな。
■友だちに勧められるまでジャズには親しんでいなかった?
TR:ぜんぜん。僕の背景は、そこに至るまで完全にクラシックだった。16歳ぐらいまでは。なのに即興で演奏していたというのがおもしろいところで、もちろん、それがジャズに通じるということも意識していなかったんだけど、いざジャズをやり始めてからの適応力はすごくあったと思う。後にジャズのランゲイジを……アメリカのブルーズを踏まえたジャズのランゲイジを学ぶようになってからも覚えは早かったんじゃないかな。割とスムースにいろんなジャズのバンドでライヴをやる機会に恵まれるようになったよ。ただ、それが自分の母語だと感じたことはなくて、やっぱりアメリカで形成された言葉だな、と。英国やヨーロッパにも独自の素晴らしいジャズ・ミュージックはあるから、そっちのほうが究極的には僕にはピンとくるように思う。ある意味、こんなに時間をかけて……いま、僕は35歳なんだけど、最初から自分がやっていたものに戻ってきたという……、6歳ぐらいからひとりでやっていたこと、あれが僕のやりたいことだったんだと気がついた、というわけさ(笑)。ジャズがやりたいんでも、ロックをやりたいんでもなくて、やりたいことを僕は最初からやっていたんだ、とね。いちばん近いのはキース・ジャレットかな。彼はアメリカの人だけどね。英国人ピアニストならキース・ティペット。ふたりともすごく個性的なピアニストで即興能力が高い。もっとも、僕がやっていることはそのどちらともまた違うんだけどね。ブライアン・イーノとのアルバムではエレクトロニクスを導入しているし……
■とにかく、一巡して自分の居場所を見つけた、という感じのようですね。
TR:そう、そういうこと! だから今回のアルバムは『Finding Shore』というタイトルなんだ。
■なるほどぉ!
TR:家に帰ってきた、という感じ。あちこちを訪ねて、いろんなジャンルの音楽を経験して、どれも最高に楽しかったけど、気がついたら子どもの頃にやっていた音楽の岸辺にまた辿り着いていた。
■おもしろいですね。ジャズの岸辺で最初に聴いたのはどんなアーティストでしたか?
TR:友だちから聴かされたのはアート・ブレイキーの『Moanin'』だったと思う。あれは……50年代か60年代か〔註:1958年録音〕……〈ブルーノート〉の名作アルバムのひとつだよね。僕らのバンドが覚えた最初の曲もそれだったんだ。他にも〈ブルーノート〉の作品に一時期かなり入れ込んで、ホレス・シルヴァーとか、デューク・エリントンとか……デューク・エリントンの〈ブルーノート〉のアルバムで、えぇと……なんてタイトルだったかな、「マネー・ジャングル」とか、そんな名前のやつ〔註:『Money Jungle』は1963年に〈ユナイテッド・アーティスツ〉からリリースされたアルバム〕。そこから始まって放射線状に広がってマイルス・デイヴィス、チャーリー・ミンガス、コルトレーンなどなどをひと通り。ニューヨーク・シティで暮らすようになったのは2003年なんだけど、その頃にはジャズにもそうとう詳しくなっていたつもりだ。というわけで、最初に自分で演奏してみたのはハードバップの名曲で、あれはいまプレイしてもものすごく楽しいし、聴くのも楽しい。
■最初からそう思いました?
TR:思ったよ。
■お友だちはきっと、ピアノで即興がやれる仲間がなかなか見つからなくて苦労していたんじゃ(笑)?
TR:そうだろうね。何しろ小さな町だし、彼も最初はロックが好きでレッド・ゼップリンなんかをカヴァーしてたんだけど、そこからジャズに目覚めたルークは……そいつ、ルークっていうんだけど、ものすごく熱い男で、ドラマーで、じつはいまでもロンドンでバンドをやってるし、あいつにはジョアンナって姉妹がいて彼女はいまアメリカでシンガーとして活動してる。当時からずっと一緒に音楽の旅をしてきた地元の仲間が生き残って続けているんだから、不思議なものだよ。とはいえ、あの頃やっていたこととはだいぶかけ離れている。あの経験で僕は新たな音楽のランゲイジを身につけることができて、クラシック一辺倒だった僕の世界が広がったのは間違いないけど……、こんな言い方は変に聞こえるだろうけど、ピアノと本気で向き合ったのは21歳くらいになってから、なんだ。
■へえ……
TR:ずっと弾いていたけど、さっきも言ったように10代の頃からコンポーザー志向で、しかもクラシックの……現代音楽のコンポーザーを目指していたから、ピアノというのは……とくにジャズをやっている間は趣味というか、弾いていて楽しいだけのもの、という存在だった。ライヴをやる、そして人前で即興をやる。それまでは即興といってもひとりでやって楽しんでいただけなのが、ライヴで人前でやることで評価を得たというか、自分にはそういう能力があるんだって実感できたんだ。つまり、ジャズが僕に与えてくれたのは、ライヴにおける自信、あとは鍛錬……とくにニューヨークに行ってからは周りにビックリするほど才能のある若い子がいっぱいいて、競争がハンパなく厳しかったから、そのなかでなんとか生き延びていこう、自分を評価してもらおう、と技術もだけど個性も磨いていけたのはとても自分のためになったと思う。感謝してるよ。その後、ジャズは諦めてしまうんだけどね。最初のジャズのレコードを作った後で、22歳の頃、ジャズには見切りをつけたんだ。
あちこち旅して回って最後には出発した場所に戻っていくという感じを出したかったのかもしれない。ぐるっと長い環状線を歩いて、出発点に戻ってきたときに、最初とはまったく違う新しい視点で同じ場所を眺められるようになっている……、旅をしてきたおかげで、ね。
■そこでTTTが始まるんですか?
TR:ニューヨークからロンドンに戻って、その頃にはもう、ジャズは音的に僕の求めるものじゃないと考えるようになって、聴くのも英国のエレクトロニック・ミュージックが多くなっていた。ロックも一部聴いてはいたけど、ほとんど電子音楽だったな。ロンドンに帰ってまず旧交を温めたのが昔からの音楽仲間で、そいつらがいたインディーズのシーンの連中と知り合って僕もバンドでピアノやキイボードを弾いたり、一時期は一緒に暮らしたりもしていたんだ。そのときのルームメイトが僕を入れて4人で、ミュージシャンが3人とレコード会社に勤めてるやつが1人。だからもう、毎晩のようにどこかで誰かの関連するライヴがあって、出かけて行っては出演したり観覧したり……それがすごく楽しくてね。バンドでやる楽しさも味わったし、お客さんも若いから一緒に楽しめる雰囲気が僕には新鮮だった。ほら、ずっとクラシックとジャズをやってたから、どうしてもお客さんは年齢層が高い上に、ごく限られた層の人しか来ない、ある意味エリート主義なところがある……って、これも後から客観的に気づいたことなんだけど、とにかく僕らがわりと実験的な即興を入れた風変わりで複雑なロックをやっても300人くらい入る会場が若いお客さんでソールドアウトになる様子を見ているうちに、こういうのもありなんだと自信を深めていったんだ。ジャズもクラシックも演奏の場はあるけれど、それほど波及力があるようには思えなかった。個人的な音楽の嗜好もどんどんロック寄り、電子音楽寄りになっていた時期なので、じゃあ自分でもバンドをやってみようか、と。発想としては、ライヴでやる電子音楽。エイフェックス・トゥイン、オウテカ辺りを僕は最初アメリカで耳にして、「こういうのをライヴでやったらカッコいいだろうな」と思っていたんだ。そういえば、アメリカのクラシックのグループ〔註:アラーム・ウィル・サウンドか〕がエイフェックス・トゥインのアルバムを丸ごとライヴでやったんだよな。あれは素晴らしかった。ただ僕の考えでは、それを踏まえて即興を展開するというもので、たとえばドラムもただ機械的に叩くんじゃなくて即興で対応してほしかった。となると、ものすごく難しい仕事だよね。ありがたいことに、アダム・ベッツ〔註:TTTのドラマー〕という適任者と出会うことができて、始動したのが2005年……2006年だったかな。その前に僕はギタリストのマット(・カルヴァート)〔註:TTTのギタリスト〕とふたりで完全フリー即興のライヴをやっていたから、そこからの発展形としてすべてが整ったのが2007年。そしてTTTを名乗って最初のアルバムを出したのが2009年……いや、2008年か。音楽仲間と暮らしていて、そこにレコード会社の人間もいたから人脈は豊富だった。結局、僕らのためにレーベルをスタートするという友だちと組んだんだけど、知り合いが多かったからあっという間に注目が集まった。その時点で僕らがやっていた音楽って、かなり変わってたと思う。バトルズが解散した直後で……バトルズって覚えてるかな、ライヴ電子音楽をやっていたバンドで……
■はい。彼らの『Mirrored』が出てから10年になりますね〔注:この取材は昨年おこなわれた〕。
TR:ああ、10年前か。だからまあ、ああいうライヴでやる実験的な電子音楽がおもしろかった時期ではあって、ワクワク感があったんだ。僕らのバンドもエネルギー満載、怒りあり、ユーモアあり……僕は25歳くらいで、(TTTは)人生のあの時期にやるのにふさわしいバンドだったんだと思う。じっさい、僕もいろいろと腹の立つことがあって(笑)、エネルギーを持て余していたから(笑)。ピアノで美しい叙情的な演奏ばかりしている気分じゃなかったんだろう。ツアーらしきこともやって、ほんとうに楽しかった。10年の間にソフトウェアが様変わりして、いまや電子音楽をライヴでやるなんてごく当たり前のことになっているから、若い人はピンとこない話かもしれないけどね。いまはどこへ行ってもそういうライヴを観られるし。次から次へと、みんなが便乗してきてさ。TTTのドラマーはいま、ゴールディとスクエアプッシャーのドラマーをやってるよ〔註:つまりショバリーダー・ワンのドラマー、カンパニー・レイザーの正体はアダム・ベッツだったということ〕。
■へえ。
TR:あいつ、あのスタイルのドラミングの世界的なエキスパートになって、当初の僕らが必死になって真似しようとしてたバンドでプレイしているという……
■(笑)。
TR:でも、 僕も喜んでる。そもそもうまいやつだったけど、あのバンドでの経験がなかったら、いまの活躍はなかったと思うんで、見ていてワクワクするよ。現状、あの分野のパイオニアとしてのしかるべき評価をあいつはまだ得ていないと思う。そのうちそうなるだろうけどね。理由はさておき、あいつより有名になっているドラマーは他にいるけどさ。あいつのソロ作にも、完全にイッちゃってるすごいのがあるから、ぜひチェックしてみてよ。TTTと同じレーベルから出てるから〔註:『Colossal Squid』〕。あいつもいつか日本で活動できるといいんだけど。
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ピアノ自体が体現するものは19世紀であり、それが人気だった時代なんだよね。〔……〕ピアノで新しいことをやろうと思うなら、やり方を工夫する必要がある。社会的にも政治的にも歴史的にもさまざまな背景を背負った、侵食された楽器なんだから。
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■クラシックの海を航海するうちにジャズの島に辿り着き、また海に出てロックの島に寄り、気がついたら出航した岸辺に戻っていて、そのトイレでブライアン・イーノに出会った。
TR:ははは、正確にはトイレの外で、だけどね。僕は彼女を待ってたんだよ。もちろん、彼女は女子トイレに入ってて(笑)、出てくるのを待ってたらブライアンが通りかかった。トイレに行こうとしてたのかどうかはわからない。とにかくトイレの前だった。で、顔を見たらブライアンだったから、挨拶しちゃおうかな、と思って、したんだ(笑)。そして一緒にレコードを作るに至ったんだから、なかなかすごい展開だよね。当然だけど、まさかこんなことになるなんて、そのときは思ってなかった。ただ「ハロー」って声をかけただけで……なんて言ってるうちにこの話がとんでもなく美化されてしまうと困るのでいまのうちに言っておくと、彼と僕は同じ町の出身なんだよ。イングランド東部の、海に近いほんとうに小さな町の、ね。だから、いつかブライアン・イーノに会うことがあれば、それが話のきっかけになるとはずっと思ってた。彼は地元の有名人で、僕も音楽的にずいぶん影響されていたからね。もちろん大きな影響を与えてくれた音楽家は他にも大勢いるけど、そういう人たちと話す機会がもしあっても「あなたに影響されました。ありがとう」くらいしか言えないのに対して、ブライアンには「すごく影響されました。しかも僕もウッドブリッジ出身なんです」と言えるぞ、と(笑)。同郷っていうのは興味を惹くだろ? たとえそれっきりもう会うことがなくても、その場ではその話題だけで5分は盛り上がれるんじゃないか、と思ってた。じっさい、僕らはその場で5分は喋ったし、連絡先を交換してその後もつきあいが続いたんだ。僕がTTTの話をしたらライヴを観に来てくれたから、メンバーにも紹介した。僕らのライヴには何度も足を運んでくれて、バンドとの共演もしたし、彼がキュレイトしたフェスティヴァルに僕らを呼んでくれて、そこで一緒にセッションしたこともある。いつか個人的に彼と組んでやってみたいと、ずっと思っていたのが今回実現したんだよ。
■出会ったのは何年ですか?
TR:2012年だな。
■そうでしたか。じつはこの雑誌が2012年の終わりにブライアンにインタヴューしているんですが〔註:紙版『ele-king vol.8』。『AMBIENT definitive 1958-2013』にも再録〕、そのときに注目しているバンドを挙げてもらったらTTTの名前が出てきたんですって。
TR:それってたぶん、ノルウェーで彼がキュレイトしていたフェスティヴァルに僕らを出してくれたすぐ後じゃないかな。あのときの演奏は僕ら史上有数の出来だったんだ。
■ブライアンからの影響、もしくはブライアンの音楽の初体験はなんでしたか?
TR:これがすごく単純なんだけど、U2の『Rattle and Hum』のビデオなんだ。意外に思うんじゃない? 僕が5~6歳の頃、兄がU2に夢中で、うちに初めてのビデオプレイヤーが来たとき、わが家で初めて観たVHSのテープはU2の『Rattle and Hum』だった。『The Joshua Tree』のツアーを網羅したやつ。ほとんどモノクロで、半ばでいきなり画面が真っ赤になる、あのシーンに圧倒されて。こうして話しているだけでも鳥肌が立つくらいなんだけど……とにかく、その真っ赤な画面に“Where the Streets Have No Name”のイントロが流れてくる。『The Joshua Tree』の1曲目だ。美しいVX7の音。ブライアン・イーノが録音した音だ。あのレコードは彼がプロデュースしたんだからね。それがほんとうに印象的で、赤い画面に彼らのシルエットが浮かび上がり、ステージに上がってきた彼らが位置につくとラリー・マレンが叩き始める……いや、タタン! と鳴らして、そこでストップするんだ。そこであのアイコニックなジ・エッジのギターリフが鳴り始めるんだ。ティリリリリ~♪ で、ドラムがタタンタタンタタン、ドゥドゥドゥドゥ、タンッ! ときて、いきなりスタジアムが明るくなる。スタジアム全体が明るくなって、ヘリコプターからの映像に切り替わり、そこがアメリカンフットボールのスタジアムで、8万人だかでビッシリ埋まっているのがわかるんだ。もう最高。そしてバンドは“Where the Streets Have No Name”の演奏に突入、と……、その影にブライアン・イーノがいたことは当時は知らなかったけど、あのなんとも劇的な瞬間はずっと印象に残っていて、大好きだった。僕の兄は7歳、いや8歳年上なんだけど、U2が好きだったからブライアンが関わっていることも知っていて、「このブライアン・イーノって人はウッドブリッジ出身なんだぜ」と教えてくれて、以来僕も「『The Unforgettable Fire』や『The Joshua Tree』や『Achtung Baby』はこの町から生まれたんだ!」ぐらいに思っていた。ブライアンにはロジャーっていう弟がいて……、ブライアンのお母さんは2005年頃に亡くなっているんだけど、彼女がずっとウッドブリッジ在住だったからイーノ家の男の子ふたりもあの町の育ちで、ロジャーに至っては4×4の車のナンバープレイトに「ENO」って書いてあった。「R15ENO」とか、そんな感じだったと思う。
■へえ……(笑)。
TR:子どもの頃、「ENO」って書いてあるナンバープレイトの車とすれ違うと大騒ぎしたもんだよ。
■すごいですね。小さい町と言いながら、ずいぶん音楽的な町だったんじゃないかと思えてきました。
TR:考えるとすごいよね。ブライアンは運転しないから、そんなナンバープレイトはおろか、そもそも車を持ったことがないらしいけど(笑)。
■そうですか、U2が最初だったんですか。よく知られている彼のアンビエント的なものではなくて。
TR:アンビエント・ミュージックを初めて知ったのは16歳のときで、アメリカのバング・オン・ア・キャンというクラシックのグループだった。『Music for Airports』のカヴァーをアコースティックでやっていたんだ。ロイヤル・アルバート・ホールのBBCプロムス〔註:プロムナード・コンサート〕で、生楽器で演奏していた。まだ僕もクラシックに入れ込んでいた時期で、(BBCの)ラジオ3を熱心に聴いていたら、そのプロムスが流れてきて、僕がピアノでやっていたインプロっぽいことと少し似ているという意味でも驚いたし、刺戟的だった。その後、あんな感じの音楽を書いてみようと努力した記憶もある。『Music for Airports』のピアノの旋律はロバート・ワイアットが弾いていたはずだけど、いまだに僕には印象的で参考にしたくなるんだよね。そこからスティーヴ・ライヒにも興味を持ったし、ロンドンの音楽仲間……さっき話したインディーズのシーンの連中に教えられてデイヴィッド・ボウイとかトーキング・ヘッズとか、ブライアンが手がけてきたいろんな音楽のおもしろいコラボレイションを知ったんだ。デイヴィッド・バーンもそうだし、ロバート・フリップとか、ジョン・ハッセルとか、すごいのがたくさんあった。そうこうするうちに、僕も立派なブライアンおたくさ。
■(笑)。
TR:そうなったのは20代になってからだけそね。その前の、8歳と16歳でじつは彼の音楽に遭遇していた、ということ。
■今回、作業はどう進めたんですか? じっさいにブライアンと同席して一緒にやった?
TR:そうだよ。ロンドンにある彼のスタジオで、アップライト・ピアノが1台と、彼が試してみたいと言っていたモーグ・ピアノというやつを、いい機会だから使ってみようということで持ち込んで、彼は僕と背中合わせに近い形で座って……お互い直角ぐらいの位置かな、手を伸ばせば届く距離だよ。その状態で僕はピアノを弾き、彼はデスクトップ・コンピュータをいじりながら音を作ったりミックスしたりしていた。僕が弾くピアノの音を彼が録って……ピアノからのMIDIシグナルを彼がコンピュータに録音して、その後、加工していったんだ。たしか作業は15日間。すごい量の音楽を録音したよ。
■すみません、もう予定の30分を過ぎているんですが、まだ大丈夫ですか? あと10分でもいただけたら嬉しいんですが。
TR:ぜんぜん大丈夫だよ。僕はいつまでだって喋っていられる。
■(笑)。ありがとうございます。助かります。えぇと、ブライアンが試してみたかったというのはモーグ・ピアノ、でいいですか?
TR:うん。モーグ・ピアノ・バー、かな、正確には。
■有名なプリペアド・ピアノではなく。
TR:そう。モーグっていうあの楽器の会社が2003年……だったと思うけど、に作ったやつで、ピアノの上に設置してアコースティック・ピアノをデジタル・ピアノに転じるという……。でもプリパレイションはまったく絡んでいない。弦には触れないんだ。鍵盤に触れるだけで。なんか、不思議なセンサーだけで技術的にはじつは極めて基本的なものらしくて、2003年に製造したものの評判はいまいちで、数もあんまり作られなかったらしいよ。たまたまブライアンが1台持っていたんだけど……。
■彼はうまく使いこなしていました?
TR:と、思う。なかなかクールな機材だった。うまく機能しないというか、ピアニストからすると不安定で使いづらい。単純な仕組みなのに気分屋で、当てにならないから使い勝手はよくないね。
ケータイに記録しておこう、なんて思った途端に本質から外れて台なしだ。体験することの価値、その場にいることの価値、その瞬間にそのミュージシャンがやっていたことは瞬時に消えて二度と戻らないという刹那の価値。
■アルバムの構成ですが、最初のほうに美しいピアノのメロディが印象的な曲が続き、終盤に向けて実験性の高い曲が出てくるようですね。これは流れを考えて意識的にそうしたんでしょうか?
TR:スタジオで15日間作業して、毎日何時間もやっていたから……基本すべて即興で、終わったところで編集というか、音量調整したりすることはあっても、ほとんどはその場で僕が演奏したものそのままなんだ。で、すべて曲が揃ったところでアルバムに仕立てるのは僕に任された仕事だった。だから、ぜんぶ持ち帰って必死でやったよ。要は曲選びってことだけど、ふたりで好きなようにやった結果だから、ものすごく幅広い音世界が網羅されていて、下手したらちょっとゴチャゴチャした印象のアルバムになってしまうんじゃないかと僕は懸念した。ありとあらゆることをやっていて、おもしろいけどとっ散らかってしまうんじゃないか、と。そこで一体感を持たせるために追求したのは、ブライアンの音楽言語である彼の音世界……これはつねにけっこうな一貫性があって、オルガンだろうがベルだろうが徹底しているんだけど、僕の側の音世界は僕の感覚によるメロディでありハーモニーなので、それを彼の世界と擦り合わせて全体としての説得力を持たせなければ……と、まあ、それが音の整合性なわけだけど、他に曲を並べたときに自然な曲線が描かれるような……しかるべきところで頂点に達して、ストーリーを感じさせながら聴き手を旅に誘うような、どこかへ連れ出してしまうような……、いや、違うかもしれないな……、おかしな話だけど、あちこち旅して回って最後には出発した場所に戻っていくという感じを出したかったのかもしれない。ぐるっと長い環状線を歩いて、出発点に戻ってきたときに、最初とはまったく違う新しい視点で同じ場所を眺められるようになっている……、旅をしてきたおかげで、ね。まあ、そんなことをそこまで意識して曲順を決めたわけではないけれど、後から考えるとそんな感じがする。おっしゃる通り、穏やかに、ピアノ重視な始まりから段々とエレクトロニックになっていく中盤、そしてけっこういろんなことをやった上で最後にまた穏やかなエンディングに辿り着く、という感じかな。
■穏やかな岸辺、ですね。タイトルが示すように。
TR:そういうことだね。
■ピアノはとくにクラシックの分野では昔から主要なメロディ楽器でしたが、発明された当初は非常に馴染みのない、いまでいうデジタルな感触の響きと受け止められたのでは? と質問者は言っているのですが、どうでしょう、意味はわかりますか?
TR:あぁ、もちろん! わかるよ。その通りだと思う。いい指摘だ。まず、ピアノが音楽に与えたインパクトは驚くほどラディカルなものだったはずだ。ああいう形でスケールを鳴らせる楽器が登場したんだから。バッハもピアノでは作曲していない。彼が使ったのはキイボード……クラビコードもしくはハープシコードだ。バッハの音楽は非常に音数が多い。タンタンタンタンタンタン……♪ と、ぎっしり音で埋まっている。考えてみるとそれはアルペジオだろう。モーツァルトやハイドンですら、あるいはスカルラッティあたりの音楽もティラリラティラリラ……♪ と延々と繰り返すことをやっているが、あれだってつまりはアルペジオさ(笑)。おもしろいよね。ショパンだって、ショパンというとみんな叙情的なメロディで有名だと思っているだろうけど、彼の音楽には音の連なりがものすごく多い。いわば16分音符だ。古いエテュードなんか、ティラリラリラ……♪ って(笑)、あれをピアノが支えたことは驚くべき音盤を……音世界を得たことになる。うん、そのジャーナリストの指摘はまったくその通りだと思う。現代におけるシンセサイザーのように、音的にいろんなことを可能にしてくれたはずだ。とくにペダルを使うと巨大な音を鳴り響かせることができるし、サステインも効くし、それ自体がオーケストラだという印象を与えたんじゃないかな。それが一般の人の居間にふつうに置かれるようになり……、いまのピアノの興味深い点は、ピアニストとしては逆にそれが古代の技術であることを意識すべきだということ。もちろん、いまもって優れた楽器であり、インターフェイスが機能していることは後のキイボードもシンセサイザーもピアノのそれを模していることからも明らかだけれど、ピアノ自体が体現するものは19世紀であり、それが人気だった時代なんだよね。エレクトリック・ギターが50年代から60年代、70年代あたりの新しさを象徴しているのと同じだ。いま、エレクトリック・ギターを弾きながら新たな文化を創造している感覚を味わうのは難しい。ジミ・ヘンドリックスがしたように。ね? ピアノにも同じことが言えると僕は思う。ピアノで新しいことをやろうと思うなら、やり方を工夫する必要がある。社会的にも政治的にも歴史的にもさまざまな背景を背負った、侵食された楽器なんだから。そう考えると、これだけピアノ音楽が溢れている現状は興味深い。ここ数年のピアノ音楽は……、こちらの状況で話しているけれどもおそらく日本もそうだろう、日本は昔からピアノに親しみがあるから。
■ヤマハの国ですから。
TR:あはは、そうだった。間違いなく最高のピアノを造っている。シンセサイザーも最高だと僕は思うが……、まあ、それはいいとして、ヨーロッパではピアノ音楽の人気の高まりがこの数年顕著でね。たぶんそれは時代を超えて人間に共鳴する馴染み深い音……アコースティックな音をいままた人びとが求め始めていることの証なんじゃないだろうか。デジタル・ライフを象徴するソーシャル・メディア的な、刺戟の多い複雑な混乱した世の中からの逃避、というか。それがいま、より静かな(stiller)ピアノ音楽の再評価という形で表出しているんじゃないか、と僕は思うんだけど、どうだろう。だとしたら、その嗜好は僕にもよくわかる。ただ、僕のレコードがやっていることはそれとは違う。僕のレコードは相変わらず……、なんて言うんだろう、僕のレコードにはデジタルが存在しているから……、なんだろうなあ、べつにラディカルなことをやって驚かせてやろうとか、そんなつもりはぜんぜんないけれど、なんかちょっと他とは違うことをやりたかったんだよね。自分なりの出口を模索した結果、というのかな。ピアノで何ができるのか、と考えた結果、こういう突破口を見つけた、と。TTTについて話したときに言ったように、僕はつねに電子音楽をライヴでやる手法に興味を持って探求してきた。どうすればライヴで優れた電子音楽を披露できるのか。電子音楽はそもそもライヴなものではなかった。シーケンサーやサンプラーやドラムマシーンといった機械を操作して動かすわけだけど、そこに人間という要素が入り込んできて電子音楽を演奏しようとしたら……あるいは電子音楽的なスタイルやサウンドや技術で演奏しようとしたらどうなるか、というのが僕のかねてからの関心事で、ドラムマシーンのように完璧なプレイができるドラマーなんていないし、完璧じゃないがゆえに人間を補おうとしてAIだなんだって洗練された技術が追い求められるのは、それはそれでけっこうなことだが、だったら人間にしかできないことってなんなんだろう、と思うよね。
■不完全であること、ですよね。
TR:そうだよね。だから僕らのレコードではそれを許容することにしたんだ。
■このレコードもいずれライヴで演奏することを想定して作っていたんですか?
TR:もちろん! 当然だよ。というか、もうやってる。このアルバムはライヴ映えしそうだ。もう少しするとビデオが公開されるから、それを観れば具体的にどうライヴで展開しているかわかるだろう。
■そうなんですね。
TR:あと2週間くらい、かな。さっきも言ったようにレコードは即興演奏を文字通り記録(record)したものだけど、曲のもとになっているコンセプトの多くは永遠に拡大可能なんで、どんどん発展させて演奏することができるんだ。コンサートでは、たとえば最初の曲で最初の音を弾いたら、記憶しているその曲を数分弾き進め、どこかの時点でさらなる即興に転じる。あとはどうなるかわからない。もとが即興なんだから、1音1音完全に再現したところで無意味だ。その日のその瞬間にしか生まれえなかった曲なんだから、その精神を再現するという意味でライヴこそが僕にとっては生命線なんだ。レコーディング以上にライヴは興味深い。一度作った曲を世界へ持ち出して、行く先々で、みんなが観ている前で、さらに発展させてみせる。それがライヴの醍醐味。もちろん、そうかけ離れたものにはならないよ。でも、毎晩やるたびに曲が変わるという楽しみや、お客さんに彼らだけの経験をしてもらえるという喜び。曲単位ではなく、一晩ごとにそのときしか存在しない何かを体験するという、まさにそれこそが即興だよ。デジタル文化においては、撮った写真がぜんぶそのまま永久に保存されるけれど、即興は瞬時のものだけにものすごく集中力を要するし、その場にいなければ味わえないという、いまの文化に逆行するとても価値のある体験だと思うんだよね。ケータイに記録しておこう、なんて思った途端に本質から外れて台なしだ。体験することの価値、その場にいることの価値、その瞬間にそのミュージシャンがやっていたことは瞬時に消えて二度と戻らないという刹那の価値。やってる側もだけど、お客さんも思い切り集中しないと体感できないだろうね。
■長らくありがとうございました。日本でもライヴを聴けますように。
TR:ああ、ぜひそうしたい。僕はまだ日本に行ったことがなくて、TTTもある程度ファンが日本にいたようだけど機会がなかったから……うん、日本に行けたら楽しいだろうな。音楽的に日本のカルチャーはすごく進んでいる印象がある。遠くから見ている印象だけど、なんだかすごくおもしろそうだ。とにかく、話を聞いてくれてありがとう。









