Home > Reviews > Album Reviews > EP-4 [fn.ψ]- OBLIQUES
世界の事象すべてをマクロ/ミクロにスキャンするようなアンビエント・サウンドがここにある。EP-4 [fn.ψ] (ファンクション サイ)のファースト・アルバム『OBLIQUES』の1曲め“Panmagic”を耳にしたとき、思わずそんなことを感じてしまった。
聖性と変化。冷気と熱。柔らかさと硬質さ。時間と空間。重力と無重力。これらの世界の事象の両極を往復する立体的かつ多層的にレイヤーされたサウンドが鳴り響いている。『OBLIQUES』の試聴はこちらのサイトからできる。アルバムの一部だけだが、まずは聴いて頂きたい。
結論へと先を急ぐ前に本作『OBLIQUES』の概略を簡単に記しておきたい。リリース・レーベルは80年代の伝説的(いや「事件的」とでも称するべきか)アヴァン・ファンク・ユニットEP-4の佐藤薫が新たにスタートしたレーベル〈φonon〉(フォノン)である。〈φonon〉は、80年代にEP-4『Multilevel Holarchy』、佐藤理『OBJECTLESS』などをリリースしていた佐藤薫主宰のレーベル〈SKATING PEARS〉のサブレーベルという位置づけであり、今後もノイズやアンビエントなどエクスペリメンタル音楽のリリースが予定されているという。2010年の佐藤薫復帰以降では、2012年のEP-4再始動に匹敵する大きなアクションではないかとも思う。
今回のレーベル・ファースト・リリースでは、EP-4 [fn.ψ] と同時にRadio Ensembles Aiidaの新作『From ASIA (Radio Of The Day #2)』も同時に発売された。こちらはBCLラジオを複数台使用して受信した音を用いて聖性と神聖と現実を交錯させるアーティストA.Mizukiによる音響シャーマンとでもいうべき作品である。2017年に『IN A ROOM -Radio of the Day #1-』がリリースされている(このアルバムのライナーは佐藤薫が執筆していた)。独特の霞んだサウンドがもたらす意識感覚は唯一無二だ。『OBLIQUES』と『From ASIA (Radio Of The Day #2)』ともにある種、音響の「儀式性」といった側面では共通するムードがある。ぜひとも聴いて頂きたいアルバムである。
さて、EP-4 [fn.ψ] に戻ろう。EP-4 [fn.ψ] は、佐藤薫とEP-4の別働隊でPARAの活動でも知られる家口成樹とのユニットである。2015年に結成され、これまでも京都、大阪、東京などでライヴ活動を展開し、その独自の音響空間によって聴き手に静かな衝撃を与えてきた。本作『OBLIQUES』は、待望の初CD作品である。これでわれわれリスナーは「録音芸術作品」としてのEP-4 [fn.ψ] のアンビエント/アンビエンスな音響世界を聴き込むができるというわけだ(ちなみにEP-4関係の新譜としては佐藤薫とBANANA-UGによるEP-4 unit3『À Artaud』から約5年ぶりのCDリリースとなる)。
収録されている音源は2016年6月11日に大阪で行われたライヴ録音がベースとなっている。アルバムは9トラックに分かれているが、ベーシックはライヴ録音なので基本的にはひとつの演奏/音響として繋がってはいる。「基本的には」というのは、その音響は持続の中にあって複雑な立体性と多層性を獲得し、次第に変化を遂げており、いわゆる単一の音響が生成変化を続けるドローン音楽のライヴ演奏とは一線を画する。ドローンとノイズ、環境音と電子音、それらの音が多層的に組み合わされ、持続と変化が生まれているのだ。
それはひとつの流れでもあり、複数の時間の結合でもある。音と音はシームレスに繋がっているのだが、しかし音は変化し続ける。いわば地上から空へ、小さな水の結晶から成層圏へ、サウンドはミスト/清流のように生成変化を遂げていく。
その音に耳を澄ましていると、さまざまな変化が巻き起こっているのも分かってくる。人間と世界の音を媒介にした関係性を考察/感覚するサウンドスケープとでもいうべきか。世界に状況/情報をすべてスキャニングし、記憶を再生成するアンビエント。それは複雑であり、動的であり、しかしスタティックでもある。
2曲め“Enantiomorphs”では、細やかなミスト・サウンドを発しながらも、その音響空間は次第に壮大になる。3曲め“Sonic Agglomeration”では儀式的な音がレイヤーされ、細やかな音のエレメント/モジュールが滑らかに、胆に大きなウェイヴを描く。4曲め“Pluralism”では音の打撃か鼓動を思わせるキック音が響きもする。だがそれもすぐに消え去り、5曲め“Pogo Beans”では環境音と持続音が波のように曲線を描く。ここまでの流れはまるで儀式のごとき厳粛さがある。
続く6曲め“Hyperbola”以降は、それまでの粒子的電子音の清流から一変し、不穏なインダストリアル・アンビエントとでも形容したい都市のサウンドへと変化を遂げる。マテリアルな7曲め“Diagonal”、都市空間の監視カメラのような8曲め“Flyby Observations”を経て、最終曲“Plural (outro)”ではインダストリアルな反復音と“Pluralism”でも鳴り響いていたキックの音が再び鳴り響く。なんとも不穏なムードだ。透明な成層圏から再びこの地上へと戻ってきた感覚を聴き手にもたらす。
マクロとミクロ。ミニマムとマキシム。フィクションとリアル。上昇と落下。この『OBLIQUES』を聴いているあいだは、その両極を往復しながら世界を、生物を、有機体を、無機物を、音を、音楽を、それら全体のアンビエンスを「感覚」で認識することになる。
「感覚」とは多層的な情報を、高速で処理しながら人の心身に対して作用するように事象を圧縮・変化させるものだ。変化の過程、その受信としての「感覚」。変化の過程を受信し、感覚するとき、それは耳と脳を通して心にも効いてくる。「音楽を聴く」とは、「感覚」を拓き、「感覚」を受け入れ、「感覚」を新たに生成する行為ではないか。それはこの世界そのものを新しい感覚で再認識することも意味する。世界を斜めから見る/聴くこと。
EP-4 [fn.ψ] の高密度にしてアトモスフィアなノイズとアンビエントは、そんな世界への「感覚」を拓く。感覚の生成によるサウンドスケープの交錯/融合。それこそがEP-4 [fn.ψ] 『OBLIQUES』の音響世界の本質に思えてならない。
デンシノオト