「!K7」と一致するもの

Moor Mother & Mental Jewelry - ele-king

 怒りのことばはおさまらない。昨年は自身のアルバムアート・アンサンブル・オブ・シカゴゾウナルイリヴァーサブル・エンタンガルマンツにと、三面六臂の活動で大躍進を遂げたフィラデルフィアの詩人=ムーア・マザーが、ノイズ・プロデューサーのメンタル・ジュウェリーとタッグを組みバンド・プロジェクトに挑戦、初のフルレングス『True Opera』をリリースしている。
 両者によるコラボは今回が初めてではなく、2017年に一度「Crime Waves」なるEPが送り出されているが、エレクトロニックなエクスペリメンタル・ミュージックだった前作とは打って変わり、今回は彼らの音楽的ルーツのひとつであるパンクにぐっと寄った、荒々しいサウンドに仕上がっている(ムーア・マザーがヴォーカルとギターを、メンタル・ジュウェリーがドラムスとベースを担当)。2020年の見逃せないリリースのひとつ、ふたりの新たな船出に注目しよう。

artist: Moor Jewelry
title: True Opera
label: Don Giovanni
release date: April 20, 2020

Tracklist:
01. True Opera
02. No Hope
03. Look Alive
04. Judgement
05. Eugenics
06. Working
07. Westmoreland County
08. Le Grand Macabre
09. Boris Godunov
10. Shadow

Jay Electronica - ele-king

 Just Blaze が手がけるトラックのインパクトも含めて、2009年を代表するクラシック・チューンとなった “Exhibit C” から、なんと10年以上の時を経てようやくリリースされた Jay Electronica のファースト・アルバム『A Written Testimony』。彼自身が完璧主義すぎるがゆえに、これほどリリースが遅くなったというのもなんとも皮肉な話であるが、ファン以上にここまで待った所属レーベル、〈Roc Nation〉の社長である Jay-Z の忍耐力もなかなかのものである。そんな鬱憤を晴らすかのように……というわけではないだろうが、なんと本作にはフィーチャリング・アーティストとしての表記など一切ないにもかかわらず、Jay-Z がほとんどの曲に参加しており、Jay Electronica 名義のアルバムでありながらも、まるでふたりのデュオ作かのような構成になっている。したがって、Jay Electronica にとってのデビュー・アルバムとは素直に言いにくいのだが、非常にレベルの高いヒップホップ作品であるのは間違いない。

 信心深いイスラム教徒としても知られる Jay Electronica であるが(ジャケットのカバーデザインにもアラビア語が用いられている)、オープニングを飾るイントロ曲 “The Overwhelming Event” では、ネーション・オブ・イスラムの最高指導者であり過激な言動で知られる活動家の Louis Farrakhan (ルイス・ファラカン)による演説の一部がそのまま収録されており、「アメリカの黒人こそが本当のイスラエルの子供である」というスピーチが展開されている。前出の “Exhibit C” でも一部でアラビア語のラインを織り交ぜて、イスラム教徒としてのスタンスを明確に示していた Jay Electronica であるが、本作ではその姿勢がより強固なものとなり、アルバムの中のひとつの大きなテーマとなっていることも、このイントロ曲から伝わってくる。そして、その勢いのまま、2曲目の “Ghost of Soulja Slim” もまた、より過激なファラカン師のスピーチでスタートするのだが、そこからの Jay-Z、Jay Electronica と続くマイクリレーが凄まじく格好良い。この曲はタイトルの通り、Jay Electronica とも同郷(ニューオリンズ出身)であり、2003年に銃殺されたラッパーの Soulja Slim をテーマにしているのだが、Jay Electronica 自らがプロデュースするサンプリングを駆使したトラックとふたりのラップの相性も完璧で、この曲での張り詰めたテンションの高さはアルバムを通して見事に貫かれている。

 アルバムの核になっている曲を幾つかあげるとすれば、まずは Travis Scott をフィーチャした “The Blinding” がその筆頭に挙がるだろう。Swizz Beatz、Hit-Boy、AraabMuzik という、3人の名だたるプロデューサーがクレジットされているこの曲は、曲の前後半でトラックが全く別のものになるという変則的な構成で、Travis Scott によるコーラスを挟みながら、Jay-Z と Jay Electronica の掛け合いが非常にスリリングに展開し、複雑に絡み合うリリックの中にふたりのタイトな関係さえも伺える。この “The Blinding” の曲中では、本作がたった40日間で作られたことにも触れられているが、おそらく数少ない例外であるのが、2010年にインターネット上にて初めて発表されていたという “Shiny Suit” だ。Pete Rock & C.L. Smooth の名曲 “I Got A Love” と全く同じサンプリングネタ(The Ambassadors “Ain’t Got The Love Of One Girl (On My Mind)”)を大胆に使用し、自らのルーツである90sヒップホップのフレイヴァを放ちながら、すでに10年前には Jay-Z と Jay Electronica のコンビネーションができ上がっていることがよくわかる。No I.D. がプロデュースを手がけ、スペイン語も交えながら、いま現在も続くアメリカという国の問題について言及する、本作中、唯一の Jay Electronica のソロ曲である “Fruits Of The Spirit” を経て、後半のピークとも言えるのが、The-Dream をフィーチャした “Ezekiel’s Wheel” だ。旧約聖書から引用された “Ezekiel's Wheel” というワードはUFOを表しているとも言われているのだが、Brian Eno と King Crimson の Robert Fripp によるアンビエント作品からのサンプリングがこの曲名とも絶妙にマッチし、プロデュースを手がけた Jay Electronica 自身のセンスの高さにも驚かされる。

 Jay-Z とのコンビネーションの良さにケチをつける気は毛頭ないが、次はぜひプロデューサーとしての Jay Electronica のバリューも最大限に活かした上で、本当の意味での彼のソロ・アルバムもぜひ聞いてみたいと思う。

Rainbow Disco Club 2020 - ele-king

 リボ核酸(RNA)、それ自身では生きられないが生き物に寄生することで生きる新型のウイルスの影響によって、ことごとくライヴおよびクラブは休止を余儀なくなされている。この状態は永遠に続くわけではないが、しばらくのあいだ(ワクチンが普及するまでは)以前のようには行動できないだろう。こうしたシビアな状況のなかで海外でも国内でも「じゃあ、いまこの条件でできることをクリエイトしよう」という前向きな動きが出て来ている。ぼくはもう歳が歳なので夜更かしはできず、RDJのライヴもNOのライヴも見逃してしまったが(NOはあとから見ました)、RDCは国内イベントなので、しかとリアルタイムで楽しませていただきました。

 Rainbow Disco Club、通称RDCは、日本がほこるDIYフェスティヴァルのひとつで、音楽もさることながら環境のクオリティをふくめ海外でも評価が高く、またele-kingでもかねてからリコメンドしているのだけれど、今年は周知のように早々と開催を断念し、配信による開催に切り替えていた。
 とはいえ、RDCにリピーターが多いのは、なんといってもあのロケーションであり、あの場のヴァイブなので、ぶっちゃけ言えば、試みは素晴らしいが実際どうなんだろうと訝ってはいた。ドネーション感覚で、というのはある。あれだけ楽しい思い出を作らせてもらったフェスに対して感謝があるし、少しでも赤字の足しになってくれればという思いもある。
 しかし、である。ぼくのように妻子がいる立場の人間が、そして土曜日の昼から家でダンス・ミュージックを浴びながらひとりでダンスするというのは、これ簡単そうに見えて難儀なことなのだ。ただでさえ自粛生活のなかで家人のストレスは上昇している。「土曜日ぐらい、家の掃除を手伝えや」というオーラが午前中の段階ですでに発せられているのである。これが日常生活のなかで“体験する”ことの難しさだろう。いきなり自分ひとりだけ非日常化するわけにはいかないし、じゃあ、家族全員で楽しめば良いという意見もあるろうが、世界はピースな家庭ばかりではないということだ。

 そんなところに長年の友人である弘石雅和からショートメールが届く。「いま瀧見さんですよ~」、時計を見るとすでに14時過ぎ。外は暴風雨で、寒い。だが、ぼくはいよいよ覚悟を決めた。コンビニでビールを買い込み、部屋を閉めて、チケットを購入しチューンイン。弘石君にメール。「パーティに間に合ったぜ!」
 こうして長い1日がはじまった。


(こんな感じの画面です。瀧見憲司には間に合ったぜ~)

 弘石雅和からメール。画面では「俺を見ろ」と言わんばかりに、すでにクラフトワークのTシャツを着て部屋のなかで踊っている(笑)。すげー、この男もうすっかり入っていやがる。最初ぼくは、DJのプレイするダンス・ミュージックを部屋で鳴らしながら(PCをDJミキサーに突っ込んでオーディオ装置で聴いてました)、ただぼんやりと座っていた。音質はかなり良かった。ちゃんとPAの方がミキシングしているのがわかる。また、当たり前かもしれないが、やはりどうしても画面を見てしまう。画面では、すべて録画だが伊豆稲取の山の中腹になるいつもの場所でDJたちがプレイしている。いつもの山、空……もっと山とか空とか写してーと思いながら椅子に座ってダンス・ミュージックを聴いていると、いつの間にだんだん気持ち良くなっていった。で、ここあたりで弘石雅和とZOOMで話すことに。


(自室でひとり踊っている弘石氏。U/M/A/A主宰、ケンイシイやジェフ・ミルズなんか出してます)

 「けっこう良いね」「いま何飲んでるの?」「俺レモンサワー」「俺ビール」といったどうでも良い話からコロナのシリアスな話、いつの間にか最近の身の上話までして、「ちょっと冷蔵庫までビール取ってくるわ」などと言ってまた音楽に集中したり、「こりゃ、ヴァーチャルなフェス空間作れるかもな」なんて言い合ったりして、どんどん時間が過ぎていった。DJがWATA IGARASHIからNOBUのあたりで、それまでの寒々しい暴風雨から一転、空から晴れ間が見えはじめ東京地方はいっきに青空。「うっひょー」「やっぱ天気って重要だね」
 やがてあたりは暗くなり、さらにパーティのテンションは上がっていく。「弘石君、この画面に出ているチャットに書き込みたいんだけど、どうすればいい?」「ツイッターのアカウントで書けますよ」「俺、ele-kingの公式アカウントしかない」そんな会話をしながら、どうしてもチャットに書き込みしたい衝動が抑えられなくなってきた。これは、クラブやライヴハウスでテンションが上がると叫んだり奇声を上げたくなるあの衝動と同じだ。いまの思いを伝えたい──我慢できずにele-kingの公式アカウントで書き込みと、「弘石君もチャット書き込めよな」と思いきり同調圧力を加える。ノリの良い彼はしっかりと書き込み、「もっと場を盛り上げようぜ」と逆に煽ってくる。「場って何だよ、場って(笑)」「この場ですよ」「ああこの場ね」……
 すっかり夜で、DJはLICAXXX。「おお、テクノだねー」「テクノだねー」……、ホントにどうでもいい会話(酔っぱらいトーク)をしつつ、我々はお互い踊り続けている。


 こんなシチュエーションもいまだけなのだろう。いや、意外とこれはこれで面白いし、パンデミックが収まっても根付く可能性だってある。そう、実際体験してみて思ったのは、それだった。いや、もちろんこれを伊豆の稲取の山の中腹の芝生の上での経験と比較してはダメです。やっぱダンス・ミュージックはダンスフロアでしょうとか、そういう話ではない。これはそれとは別モノとしての楽しさがあるということを発見したと。そう、いまこの条件のもとでもできることはある。不安は星の数ほどあれど、使い慣れたフレームがいま使えないなら新たなフレームをクリエイトすればいい。それがアートってもんだ。ブライアン・イーノがそんなようなことを言っていた。

 さて、弘石雅和はすごい男だ。夜も深まりはじめた頃、その日の夜同時にやっていた「BLOCK. FESTIVAL」に行ってみないかと誘ってきた。「ちょうどいまチャラが歌ってるんだ」という彼はすっかり家でトランスしている。(失笑しながら)「ごめん、俺は腹減った。風呂に入って、風呂でトランスさせてもらうよ」「そうか、わかったよ、いつか野外でトランスしよう」「それまで感染しないように気をつけよう」
 そんなことを言いながら弘石君と別れて、ぼくは夕食を食べて風呂に入った。それからベランダに出て外気浴をしつつ、PCの画面のなかのCYKを見た。夜の22時過ぎ。楽しい1日だった。ありがとう弘石君、そしてRDC。可能性を見せてもらいました。


(LICAXX、盛り上がりましたね~。隣にはチャットが書き込めて、みなさんと一緒にいるような気持ちになります)

 昨今のコロナ禍を受け、world’s end girlfriend が興味深い試みをスタートさせている。新たに Fatal Defect Orchestra なる名義を始動、寝ているだけでアーティストをサポートできるというアルバム『Sleep Resistance』を4月17日にリリースしているのだ。30秒程度のアンビエント・トラック全36曲が詰め込まれたトータル20分ほどのこの作品、就寝時にリピート再生しておくことで一晩で300~500円ほどの売り上げになるのだという。同作の売上はアーティストやスタッフなどのサポートに用いられるとのこと。スポティファイやアップル・ミュージックなどのストリーミング・サーヴィスに加入している方は、ぜひ実践してみよう。


https://linkco.re/xh29EU3r

world’s end girlfriend が現在の新型コロナウイルス蔓延、そしてポスト・パンデミックの時代へむけた新たな抵抗/実験のひとつとして、ストリーミングサービスだけで作品を発表する新名義 “Fatal Defect Orchestra” を始動しアルバム『Sleep Resistance』を4月17日急遽リリース。
『Sleep Resistance』はリスナーが各ストリーミングサービス上で睡眠時に今作をBGM(または最小音量による非BGM的物音)として毎晩リピート再生することにより、リスナー自身への金銭的負担はほぼなく、直接アーティストに金銭的サポートができる、という作品になっている。
美しい鼓動のごとく20分間静かに展開される今作は全トラックが約30~40秒で刻まれる、これによって1リスナーが睡眠時にアルバムをリピート再生することにより一晩で約300円~500円程度の売上が推測される。
今作の売上は新型コロナウイルス蔓延の影響によって厳しい状況に追い込まれた友人アーティストへのサポート、身近なフリーランスの演奏家、スタッフ等へのギャラ上乗せ分、また今後のレーベル存続のための資金にあてられます。

コメント:
「この作品はお金を生むことをメインの目的とした方法論の作品です。その金によって今を生き抜き、そしてまた自由に音楽作品を作り、リスナーに届け続けれるように。
この作品がどのくらい金を生むかはわかりませんが、これはこれから繰り返し訪れるであろうより厳しく新しい地獄の季節への抵抗と実験の一つです。
私は新しい闘い方を探し続けます。
皆様に美しい睡眠が訪れますように。そして共に闘い、また爆音の中で身体を寄せあい踊り笑いあいましょうね。

world’s end girlfriend / Virgin Babylon Records」


artist: Fatal Defect Orchestra
title: Sleep Resistance

Spotify: https://open.spotify.com/album/2XGxtxNKc7q2s7M84LL9qL
Apple Music: https://music.apple.com/jp/album/sleep-resistance/1505442953
その他ストリーミングリンク: https://linkco.re/xh29EU3r

新実存主義 - ele-king

 新型コロナが猛威をふるう一方でペストがはやっている。といっても後者は本、アルベール・カミュの1947年の小説をさす。『ペスト』の表題をもつこの本に言及した文章を2020年の3月以来頻繁に目にするようになった。新聞の論説、書評欄、コラム、ネットでの記事、テレビでも一週間前の日曜だったかに教科書的名著を何回かの放送で要約する教養番組で『ペスト』の回の一挙再放送があったばかり。おそらく多数の言及があるのは『ペスト』は感染症を主題にした小説の嚆矢であるとともに、戦争の災禍という不条理とそこへの反抗、それが結果した人間の行き方をも射程に入れることでいまここにある現実のかっこうの手引きたらんとする。むろん感染症をあつかったフィクションは文学の他分野から映画やドラマや舞台にもいくつも存在し、現実を下敷きにしたものもあれば、記号的道具立てにとどまる場合も象徴的な機能を担うパターンもある。多くの場合、作品は寓話的なニュアンスと現代文明への象徴性をはらみ、いかめしい顔つきなのは題材が生と死に無縁でないからだが、そのように一見して鈍重な扉でも開くと、個々の作品はそれが作品と呼ぶにあたいするものであれば、数語の見出しにはとうていおさまらない広がりをしめす空間性をもつ。あいにく私は思春期にひもといたきり、『ペスト』は再読しておらず、本稿をおこすにあたってせっかくだから読み直してみようと図書館を訪れるつもりが、私の暮らす東京の街の図書館は完全に門を閉ざしてしまった。そのようなことで『ペスト』については遠いむかしの記憶をたよりすることをお断りするが、カミュと同じくノーベル文学賞を受けた小説家の感染症がモチーフの小説でも、ル・クレジオの『隔離の島』やジョゼ・サラマーゴの『白の闇』(原書の刊行はともに1995年)よりずっとおもしろかった(憶えがある)。全体や具体的な細部をいうのではない。本を読むさなかにある読者の身体に働きかける力といえばいいだろうか、読むものを前にすすめるなにかがあった。むろん異なる条件下の比較であるから割り引いてお考えいただきたいし、いざ再読してみるとそうでもないこともままある。とまれ極限の状況下でのさまざまな来歴の登場人物からなる群像劇はロックダウンした都市が舞台の点で──島が舞台のル・クレジオの『隔離の島』ともかさなるが両者の比較は本稿の任ではない──私たちの現在を彷彿しそれを背景に倫理が迫り出すのも同断である。ただしカミュの描く倫理は哲学、宗教、政治のための普遍を意味しない、作中人物の胸のうちに去来し自問しときに対話のなかにあらわれる、いうなればフィクションのなかのキャラクターの発言や内面にすぎないが、そのようなものであっても、というより、そのようなものであったればこそ、たしかに存在するのだと、マルクス・ガブリエルなら述べるに相違ない。

 そのような論点をふくむガブリエルの、まとまった翻訳書としてははじめの本となる『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳/講談社選書メチエ)が話題になったのは2018年。最新(かどうかはおってご説明したい)の哲学的知見をふまえながらやわらかな語り口と1980年生まれの若さ、その時点ですでに大学に教授職をえた聡明さにたのみ、同書は初版発行の2、3ヶ月後、私が手にしたときにはもう5刷を数えるほどのヒットを記録していた。さらに2年後、ガブリエルがみずから築きあげた思想の体系をさす『新実存主義』(廣瀬覚訳/岩波新書)を世に問い、本稿はそれを述べるものだが、上述の『なぜ世界は存在しないのか』と昨年刊行の『「私」は脳ではない──21世紀のための精神の哲学』(姫田多佳子訳/講談社選書メチエ)とも、かさなりあう点もすくなくないので、あわせてみていきたい。
 『世界』の序にあたる「哲学を新たに考える」には新実存主義についてふれた箇所がある。それによれば新実在論(『世界』では「新しい実在論」)は「ポストモダン」以後の時代を特徴づける哲学的立場なのだという。用語だけとれば、ポストモダンは本媒体にも頻出する(自戒をこめてもうしておりますよ)ので読者にもおなじみのことばかもしれないが、ガブリエルの見立てでは、この世界にはおよそ私たちにあらわれるかぎりでの事物しか存在しないとするのであり、その背後にはひとはみずからの認識をとおして世界を(再)構成するのだという構築主義がかいまみえる。すなわち私たち人間には認識がすべてあって、それ以外には知りようもない──というこの立場は、人間よりむしろその感覚や経験の向こう側の現実の総体である「世界」についての論理を展開しようとする形而上学とまっこうから対立する。
 ちがいは世界のなかへの人間の位置づけ方にある。構築主義には人間が認識する世界しかなく、形而上学には人間と関係なく世界だけがある。とはいえこれだとふつうの人間の実感に乖離している。それゆえに新実在論の出発点になるのは「それ自体として存在しているような世界を私たちは認識しているのだと」という仮説である。
 ここで「心」が問題になる。「心」と聞くと、すわ自己啓発本かと身構えたり身を乗り出したりする読者がおられようが、新実存主義が「心」をとりあげるのはその一語で包括できる実存や現象は存在しないということである。心がもたらす現象には生物学的な物理法則が支配的な側面があれば、意識があったり自己自身を知っていたりする心の動きの側面もあり、それらをあらわすことばを心的語彙というが、「そうした語彙によって拾い上げられる一個の対象など、この世界には存在しない」。しかし一方で、人間を人間たらしめる心を自然に帰して一件落着とするわけにはいかない。ここでいう自然とは自然主義的な自然、文明や規範や神などのいない自然であり、『世界』では「宇宙」と呼ばれる「意味の場」である。私たちは森羅万象を包括するものとして「宇宙」という言い方をよくするが、新実存主義において「宇宙」は自然科学の対象領域にすぎず、レコードやギター、それによって奏でられるラヴソングや、ふやけた歌を批判する批評や、そのような歌に涙すエモーションや、『ペスト』に登場する医師や新聞記者や神父など、物質や非物質、虚構や表現や行為や想念など、あらゆる対象領域を包括する「世界」よりはずっと小さい。というより原理的に宇宙は世界にふくまれるが、ガブリエルによれば、およそ存在するものは、彼のいう「意味の場(Field Of Sense)」に現象しなければない。存在するものに先行するでも随伴するでもない意味の場、存在の影にも似た意味の場が必要なのだが、すべてを包括する世界があるとして、ではその世界はどのような意味の場に影をおとすのか。世界とて存在論では特権的ではない、意味の場から免れるわけにはいかないのだから──との理路が導く無世界観が書名にもなった「世界は存在しない」という結論なのである。このような考えが描出する世界は文字にするととりとめもないが、形而上学的な無謬の統一性がないかわりに、ポストモダンのトリックもなく、私たちの暮らす世界ほどちかいリアリティをもっている。本邦の読者がガブリエルの思想をこれだけ広くうけいれたのはおそらくそのようなバランス感覚に富む説得力による。とはいえこのことはガブリエルが穏健派であることを意味しない。哲学には古代ギリシアにはじまる大河のような歴史があり、きら星のごとき賢者たちが星の数ほどの問答のはてに遠大な知の地層をつみあげてきたが、『新実存主義』はその最上部をともに構成する幾多の知見へ批評を投げかけるのを臆さない。
 目立つのは自然主義への批判であろう。自然主義とは先にもすこし述べたが、世界から心や超越的存在をとりのぞいた、科学的な考察、自然の語彙を対象とするもので、唯物論や認識論や進化論をふくむ。いま風にいうと理系分野を中心に客観性を謳いエヴィデンスをもつ事物となるだろうか。一般的にもっとも信頼できるはずのこれらの知見へ新実存主義は意義をもうしたてるのは自然主義が心をうまくあつかえないから。その端緒には心と身体は同じか否かを考察したデカルトにはじまる心身問題がある。心身問題は二元論ないし一元論の哲学の命題のひとつとして、いまでは心と脳をあつかう心脳問題に移行しているが、非物質を相手にしない唯物論では心はせいぜいニューロンの発火がもたらす現象にすぎず、心と身体(脳)の関係について議論を深めるためのテーブルに就こうともしない。一方でテーブルの上座(がテーブルにあるかはともかく)に鎮座する心の哲学、心脳問題が主要なテーマの心の哲学におけるチャーマーズの有名な思考実験(ゾンビ論法)などでも唯物論は退けられないとガブリエルはいう。このへんのながれは説明するにもこみいってしまうので、読者は本書および『「私」は脳ではない』を手にとっておたしかめいただくとして、心と自然のちがいをみとめながら両者のギャップを自然のなかに位置づける(いうなれば心を科学=物理現象に還元する)唯物論ないし自然主義におちいらないために、ガブリエルが編み出した道具立てが「精神」である。
 彼のいう「精神」にはドイツ語の読みである「geist(ガイスト)」をあてる。「精神(ガイスト)」とは心をもつ意識の主体が自己を表現するのにもちいる心的語彙をとりまとめる不変の統一構造をさすのだという。ガブリエルは自然種と精神における言語の意味論的なふるまい──自然の法則が完全に支配する前者と、意志にかかわる後者──を比較検討し、精神と自然種を論理的に区分することで、私たち人間はたんに自然の法則に縛られた奴隷ではなないのだと論を運ぶ。いかに厭世的で過激な自然保護主義者であっても彼の描く人間観は精神に基づいており自然種には属さない、さらに人間観をたずさえた主体の行為がかたちづくる歴史や規範や制度もまた自然ではない。
 そのように人間を描く思想が新しい実存主義を名乗るのもうなずける。もっとも実存主義にはカント、ヘーゲル、ニーチェ、キルケゴール、ハイデガーからサルトルにいたる伝統がある。初期には実存主義者とみなされた冒頭のカミュもふくめ、彼らが共有する前提は「精神、つまり人間の心に制度をつくる能力があるという信念」であり、それゆえに『ペスト』における規範喪失状態(アノミー)は精神をむしばむ不条理となる。もっともガブリエルの文体はサルトルやカミュほどの文学性や韜晦さもない。とはいえ『新実存主義』の歯ごたえは一般向けの教養書の体だった『世界』や『「私」は脳』ほどやわらかくはない。お得意のたとえ話(思考実験?)も、ちょっとばかしハルキ風だった『世界』や『「私」は脳』にくらべると堅苦しいし、そもそも本書は構成からして、ガブリエルによる新実存主義を解説に4人の同業者が疑問、反論を加え、ガブリエルが再反論する体裁をとっている。本稿が述べるのは本論の概略で、新書版200ページあまりの数十ページにすぎず、それさえもうまくいっているかいささか心許ないがそれはさておき、読者にはマクリュール、テイラー、ブノワ、ケルンら4名のコメントにもお目通しいただければ、ガブリエルの思想の明晰な提言性があきらかになる。新実存主義はそのマニフェストであり、前提や行間に多くのものをふくむその体系を数語に要約するのは乱暴だが、本書の「序論」をかねるマクリュールの一文の表題「穏健な自然主義と、還元論への人間主義的抵抗」は実感に即している。これまでみてきたように新実存主義は自然主義に批判的だが、科学に弓をひこうとしているのではない。あらゆるものを科学に還元する思考法を手厳しく批判するのである。すべてを包括する形而上学的な理論の無効性を主張する新実存主義は自然とともに心や精神の存在をみとめることで唯物的人間観をくぐり抜け、『「私」は脳』の最終章にあるように、運命(決定)論をのりこえた先の人間の「自由意志」を肯定する、そこにいたるガブリエルの熱っぽい口ぶりこそ、私たちが彼をして若きオピニオンリーダーに推すゆえんであろう。その背景にはおそらく、唯物論との親和性をテコにした科学的な実証性や数学的な厳密性によるかこいこみからの出口を模索したい人間の精神の働きがある。
 つまるところ世界をあらわす包括的な概念など存在しないし人間の精神は神経系の運動に還元できないのだから、AIは心ではないし科学主義だけが現実を動かす燃料でもエンジンでもない。なのに私たちは科学者たちに盲目的な信頼を置く。むろん感染症対策のような領域では専門知が大きな比重を占めるが、それを活かす規範の考究は人文科学(ヒューマニティーズ)の役割であり、人文主義(ヒューマニズム)の恢復こそ21世紀の課題であるとのガブリエルの構想は本書をはじめとした彼の著作にも通底する。ここからデジタルプロレタリアートなどの概念をつかったGAFAらプラットフォーム企業への批判まではほんの数センチである。短評のつもりがいたずらに長くなってしまった本稿はそこにはたちいらないが、システム論、ネットワーク論の側面もあるガブリエルの思考はグローバリズムの反作用でもある新型コロナウイルスのパンデミックにおおわれた「世界」にあって、その内部にとどまり現実(リアル)にむきあった考察をうながすのである──
 というのがまさに古典的実存主義の主張であり、このことからもガブリエルが故国ドイツのお家芸である観念論の系譜につらなることがわかる。しからば新実存主義に哲学の王道の復権以上の意味はあるのか。
 私もそんなふうに考えたクチで、それもあって『世界』を手にするにも間があった。きっかけは本媒体に寄せた映画評だった。2018年初頭に公開したオーストリアの映画監督ウルリヒ・ザイドルがアフリカで娯楽としての狩猟に興じるヨーロッパ人を追ったドキュメンタリー映画『サファリ』の幕引きちかくで狩猟区の白人の経営者が「やがて人間は滅びて自然だけがのこる」的なことをつぶやく場面がある(映画自体がパッケージになってないしサブスクにもあがっていないので試写の記憶をたよりに書いています)。そのセリフに私はレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の最終節にあらわれるあの「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」の一文を想起し、そのようなことも書いたはずだが、そう書きながら私ははたしてその行き方しかないのかと悩んだ。行き方とは作品の構成以上に私の発想の脈絡──ようするに現代思想とは構造主義以降であり、存在と認識と言語と差異に焦点をあてることだという思いこみ──だったが、構造主義の登場から半世紀がすぎ世紀まであらたまった2010年代後半の私はおなかいっぱいになっていた。レヴィ=ストロースのあの一文の背後には洋の東西の融合についての考察があり、さらにその背後には執筆当時(1954~55年)欧州を席巻していた思潮への批判がある。『悲しき熱帯』で彼が「法的で形式主義の合理論」と批判したものこそ実存主義であり、実存主義の人間中心主義の批判的なのりこえをはかるという図式のなかで現代思想はブームとなり20世紀後半にポストモダンを呼び寄せた。私の満腹感はその末席を汚す、レイト20世紀少年特有のオブセッションだったかもしれないが、そんな私を尻目に、ポストモダンはなやかなりし1980年生まれのガブリエルはそもそもポストモダンなどというものはもとから存在しないと喝破し、返す刀で唯物論者が忌み嫌う人間中心主義を謳うのである。それがたんに回顧的であれば見向きもされないが、ガブリエルの新実存主義の特色は脳科学や進化生物学、量子論やひも理論以降の科学の思弁的な実証性(などということばがあるかはわからないが)や、精神医学やもろもろ心理学などが、心的語彙の統一構造としての「精神」にもたらした地殻変動をおりこんでいる点にある。すなわちポスト・ヒューマンを云々する21世紀にいかなるヒューマニティが可能かという問いであり、なにげに構想的で戦略的なガブリエルのふるまいは、俗にいう大陸哲学と分析哲学の統一を目するかにもみえる(この点についてガブリエルは本書の注で明確に否定しているのだ)が、いずれにせよ、若き哲学者のくもりなき視界が映し出す人間の描像が私たちに示唆するものは、絶望がはびこる現在、なおのことすくなくない。あたかも、人間を悲観することはない。いまここで視線を上げ前を向こう、と鼓舞するかのように。

Tony Allen & Hugh Masekela - ele-king

 シャバカ・ハッチングスとジ・アンセスターズによる新作『ウィ・アー・セント・ヒア・バイ・ヒストリー』は、人類の絶滅をテーマとしたまさに今の時期にリンクするような示唆的な作品となっているが、ジ・アンセスターズのメンバーであるンドゥドゥゾ・マカシニも同時期にリーダー・アルバムの『モーズ・オブ・コミュニケーション』を発表するなど、南アフリカ共和国のミュージシャンたちの活躍は続いている。そうした南アフリカが生んだジャズ・ミュージシャンの先人で、国際的に活躍した人物として、まずはアブドゥーラ・イブラヒムとヒュー・マセケラの名前が挙がる。デューク・エリントン、セロニアス・モンク、ルイ・アームストロングなどアメリカのジャズに影響を受けた彼らは、1950年代末にジャズ・エピッスルズというバンドを結成し、ヨハネスブルグやケープタウンを拠点に演奏活動をしていた。その後、アブドゥーラ・イブラヒムはヨーロッパ、そしてアメリカへと進出・移住して演奏活動を行なうようになるが、ヒュー・マセケラもニューヨークに音楽留学し、ハリー・ベラフォンテなどと交流を持つようになる。ヒューは正統的なジャズ・トランペット奏者を出自としながら、ロック、ポップス、ファンク、ディスコなどを早い段階で取り入れてきた先駆的存在である。1968年の “グレイジング・イン・ザ・グラス” などポップ・チャートにも入るヒット曲を出し、モントレー・ポップ・フェスティヴァルにも出演し、ザ・バーズやポール・サイモンのアルバムにも客演するなど、ジャズの枠を超える活動を行なってきた。1977年に元妻のミリアム・マケバとプロテスト・ソングの “ソウェト・ブルース” を発表し、1987年のヒット曲 “ブリング・ヒム・バック・ホーム” がネルソン・マンデラの支援アンセムとなるなど、反アパルトヘイトを貫いたことでも知られる。欧米の音楽の影響を受けつつも、祖国のアフリカ音楽を核として持ち続け、ハイ・ライフやアフロビートなどが底辺に流れているのがヒューの音楽である。

 1990年代以降は南アフリカへ戻って活動を続け、2016年に地元のミュージシャンと『ノー・ボーダーズ』を録音したのを最後に、2018年1月に78歳の生涯を終えたヒュー・マセケラだが、1970年代初頭にはフェラ・クティと出会って交流を深めていった。その中でアフリカ70のメンバーだったトニー・アレンとも親しくなり、フェラ・クティの没後も両者の関係は続いた。アフロビートの創始者で、現在もジャンルを超えて多くのミュージシャンに影響を与え続けるトニー・アレンだが、両者のコラボはずっと念願であり、いつかアルバムを一緒に作ろうと話し合っていた。そして、2010年にふたりのツアー・スケジュールがイギリスで重なったことをきっかけに、〈ワールド・サーキット〉の主宰者のニック・ゴールドが彼らのセッションをロンドンのリヴィングストン・スタジオで録音した。この録音は当時未完成のままニックのアーカイヴに保管されたのだが、2018年にヒューが亡くなった後にトニーと一緒にオリジナル・テープを発掘し、2019年夏に再びリヴィングストン・スタジオで残りの録音が完了された。そうしてできあがった『リジョイス』は、新たな録音部分についてはエズラ・コレクティヴジョー・アーモン・ジョーンズココロコのムタレ・チャシ、アコースティック・レディランドやジ・インヴィジブルのトム・ハーバートなどサウス・ロンドン勢が参加し、さらにかつてジャズ・ウォリアーズのメンバーとして鳴らしたスティーヴ・ウィリアムソンも加わっている。トニー・アレンのアフロビートはモーゼス・ボイドやエズラ・コレクティヴなど、サウス・ロンドンのミュージシャンにも多大な影響を及ぼしており、『リジョイス』ではその繋がりを見ることができるだろう。またスティーヴ・ウィリアムソンはジャズ・ウォリアーズ~トゥモローズ・ウォリアーズの繋がりで、やはりサウス・ロンドン勢にとっては大先輩にあたる。そしてルイス・モホロやクリス・マクレガーなど南アフリカ出身のミュージシャンとも共演が多く、ヒュー・マセケラと共通の音楽的言語を持っているので、今回の参加は自然な流れと言える。『リジョイス』はヒュー・マセケラとトニー・アレンの貴重なセッションに加え、新旧のロンドンのミュージシャンも巻き込んだ録音となっているのだ。

 “ロバーズ、サグズ・アンド・マガーズ(オガラジャニ)” はトニー・アレンのトライバルなドラムとヒュー・マセケラのフリューゲルホーンを軸とするシンプルな構成で、ときおりヒューのチャント風のヴォーカルが差し込まれる。ジョー・アーモン・ジョーンズがピアノ、トム・ハーバートがベースでサポートするが、いずれも最小限にとどまり、ドラムとフリューゲルホーンの引き立て役に回っている。“アバダ・ボウゴウ” に見られるように、トニーのドラムは基本ゆったりとしていて、ヒューのフリューゲルホーンも派手に立ち回ることなく、ロングトーンで奥行きのある音色を奏でている。これがアルバムの基本となるスタンスで、“アバダ・ボウゴウ” や “スロウ・ボーンズ” ではスティーヴ・ウィリアムソンのテナー・サックスも参加してどっしりと深みのある演奏を披露している。“ココナッツ・ジャム” や “ウィーヴ・ランディッド” はトニーらしいアフロビートだが、キーボードのように横でコードやメロディを奏でる楽器が入ってこないぶん、ドラムの細かな動きが際立って伝わってくる。バスドラ、スネア、タム、シンバルひとつひとつが異なった音色を持ち、それらが立体的に重なってトニーの独特のビートが生まれてくることがよくわかるだろう。“ネヴァー(ラゴス・ネヴァー・ゴナ・ビー・ザ・セイム)” はある種フェラ・クティへのトリビュート的な楽曲となっていて、ヒューのヴォーカルも踊ったり、飛び跳ねたりと体を動かすことを求めるものだ。改めてヒューとフェラ、トニーの交流がどんなものだったのかが伺える。オバマ前アメリカ大統領をイメージしたと思われる “オバマ・シャッフル・ストラット・ブルース” は、ベースが入らない代わりにキーボードがベース・ラインを奏でるが、それが独特の土着性とミニマルな感覚を生み出していて、モーリッツ・フォン・オズワルド・トリオとトニー・アレンの共演を思い浮かべるかもしれない。この曲に象徴されるが、一般的にアフロビートやアフロ・ジャズは熱く扇情的な演奏を思い浮かべがちだけれど、本作はそれと反対のクールなトーンに貫かれている。トニーによると『リジョイス』は「南アフリカとナイジェリアを繋ぐスイング・ジャズのシチューのようなもの」とのこと。トニー・アレンはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのトリビュート・アルバムを出しているが、本作もそのラインに近いものと言える。仮にマイルス・デイヴィスとフェラ・クティが共演していたら、恐らくこうしたアルバムとなっていたのでは、そう思わせるのが『リジョイス』である。

私たちのシーンを助けよう - ele-king

 COVID-19による営業自粛を受けて、全国のクラブが存続の危機に瀕している。政府の対応には絶望しかないが、すでに全国のいろんなクラブが独自にクラウドファンディングをはじめている。自分がよく遊んでいるクラブ、地元のクラブ、個人経営のアットホームなクラブ、昔世話になったクラブ……いろんなクラブがあって、いろんな愛着がある。支援したい人は決して少なくない。
 DJのA.Mochiが今のこんな状況を見て、友人のオーガナイザーから情報を集めつつ、自発的に自分のホームページ内に支援先のリンクをまとめたサイトを作りました。オンラインイベント情報もあり。ぜひチェックしてみてください。

https://amochi.jp/afpan/

Momus - ele-king

 80年代末~90年代の〈クリエイション〉レーベルからの作品で知られるモーマスが、本人のホームページによると新作『Vivid』の1曲目(Oblivion)の制作に入ったところでCOVID-19.に感染した。幸い軽症だったようだが、「寒気、熱、食欲不振、烈しい渇きを感じ、とても恐かったし、追悼モーマスという言葉すら頭をよぎった」と語っている。「ぼくのような周縁のアーティストにとっても、人類にとっても、いまはとてつもない時期です」
 1週間の療養後、制作に戻って、モーマスはそして“Working From Home and Self-Isolation”なる曲を完成させたという。

Thundercat - ele-king

 家の外の世界へ出づらい、という状況がいまもなお続いている。これからも当分続くだろう。少し前だったらサンダーキャットが歌う歌詞も「あー生きてるとたしかにそういうつらいこともあるなぁ」と、楽観的に共感したり、楽しめたりしていた。なので今回のニュー・アルバムからの先行リリース曲“Black Qualls feat. Steve Lacy & Steve Arrington”を聴いたときも、新しいアルバムはきっと前作の『Drunk』(2017)より突き抜けたハッピーでマッドな雰囲気を更新したイケイケな感じなのだろう、とそのときは思っていた。発売日、CDをゲットして一度スピーカーで流し聴きした。「なんか地味だな……」それが第一印象。日が落ちて、バスに乗って出かける用事があり、全部ヘッドホンでもう一度通して聴いてみる。今度は歌詞カードも一緒に。すると、アルバムのラストを飾る曲“It Is What It Is feat. Pedro Martins”に差し掛かったところで、泣きたい気持ちになっていた(というかちょっと泣いた)。え、このアルバム、この終わり方はめっちゃせつなくないか……ここで終わり?! Pedro Martinsの哀愁漂いまくりのギターとバスの窓からの少し肌寒い風も余計にそういう気持ちに拍車をかけていた。まるでストーリーが解決していない映画を見終わったような感覚。間違いない、サンダーキャット史上もっとも完成されたアルバムで、これからも大事にしていきたいと思える1枚だ。もう一度初めから聴いてみよう。

 最初に彼の作る音に触れたのは2010年過ぎたころあたりだろうか。今回のアルバムでも話さないわけにはいかない共同プロデューサーのフライング・ロータスがリリースしたアルバム『Cosmmogramma』(2010)での参加においてだ。ちなみにフライング・ロータスは、ヒップホップとかブレイクビーツ、といった音楽しか聴かなかった人びとにも新しい扉を開放した1人だと思っている。その『Cosmmogramma』では要所要所でベースの鬼のようなプレイや渋い演奏が聴こえ、前作『Los Angeles』(2008年、これも名盤)にはなかったファルセットで歌う男性の声も収録されていた。のちのち、どうやらサンダーキャットなる人物がかかわっているらしい、とわかってYoutubeで調べたら、ドラゴンボールのコスプレをした男性が目をハートにして、猫のトイレでうんこしているわけのわからないヴィデオがヒットした。なんだこいつは……『Cosmmogramma』のスピリチュアルでコズミックな世界観に正直少々スピっていた僕は拍子抜けした。

 そのフライロー(フライング・ロータスの愛称)はLAの2010年代のビート・ミュージックにおいてもっとも重要なレーベルのひとつ、Brainfeeder(Ras G “R.I.P.”、Samiyam、MONO/POLY、等のビート・ミュージックのヒーローが所属)を発足させた。これもサンダーキャットを語る上では欠かせない要素の一つだと思う。2011年、彼はフライローのレーベルから1stソロ・アルバム『The Golden Age of Apocalypse』(2011)を出した。フライロー経由でBrainfeederを知り、なおかつビートメイカーとして音楽を作りはじめていた自分にとって、このレーベルはとても可能性があり、新しい未来を予感をさせるものであった。そんなビート・ミューックのレーベルから出た、ベーシストのアルバム。打ち込みと生演奏のコラボというのはそれまでにもいろいろあったろうけど、どれもクールでかっこいいものという印象だったし、そこには演奏の妙、という打ち込みばかりを聞いてきた者にしてみれば少し難しい未知の領域……の、すこし語弊があるかもしれないが「なんとなくのかっこよさ」を与えていた。『The Golden Age of Apocalypse』はそういう「クールでかっこいい」がもちろん全編を通してありながらも、同時に近年の彼の作品にも通ずる「バカバカしいほどのふざけた感じ」がすでに同居していた(このころのヴィデオで言うなら「Walkin’」を見ればわかると思う)。個人的には彼に対して「猫のトイレでうんこ」という印象が正直いまでもあるが、そういうユーモア感覚は「クールでかっこいい」や「高尚なもの」とばかり勝手に思っていた音楽を聴いたり語ったりすることに対する敷居を下げ、音楽を楽しむ、という頭で聴くのではない、もっともピュアで原初的な楽しさを明示してくれた。Brainfeederが試みてきたこの約10年にわたるさまざまな実験がもたらした、ジャズとビート・ミュージックの融合、ということもたしかに大事ではあるが、いま述べたような部分もかなり大きいと思っている。それに大きく貢献した1人がサンダーキャットだった。

 そういう「すごいけどバカバカしい、とっつきやすい」というような感覚を同じBrainfeederレーベルで共有しているであろう人物は間違いなくLouis Coleだ。今回のニュー・アルバムにも“I Love Louis Cole feat. Louis Cole”(タイトルのふざけた感じが良い)で参加している。彼のBrainfeederからのソロ・アルバム『Time』(2018年、サンダーキャットも参加している)のリリースの時期あたりに出た自宅セッションを見ていただければ、なんとなくその「すさまじい演奏技術をバカバカしく、楽しいものに見せる感覚」というのはわかりやすいかもしれない。

 彼がサンダーキャットに歌唱やソングライティングの点で大きい影響を与えているような気がしてならない。前作『Drunk』でいうならば、彼がプロデュースした“Bus In The Street”なんかがそうで、この曲のファルセット感はLouis Cole自身のそれとかなり近しい。それ以前よりファルセットを披露してきたサンダーキャットだが、前述のアルバム『Time』なんかを聴くとそれがよくわかる。僕は正直『Time』を聴いたとき、この人はサンダーキャットのゴーストライターなんじゃないの? くらいのことは正直思った。それくらい親和性がある。こういう曲はそれまでのサンダーキャットにはあまりなかった作風だったので、すごい意外な曲だなこれ、とアルバムが出るもっと前(調べたところ2016年なので、約1年前)シングルがリリースされたときに感じた。Louis Coleのコンポーザーとしてのポップさは、近年のサンダーキャットの「突き抜けた感じ」の大きい要素のひとつだと思う。

 そんなLAの太陽のように明るい性格で人柄のよさそうなサンダーキャットの良さはもうひとつあって、それは意外とその反対の陰の部分である。これはBrainfeederからの2作目『Apocalypse』(2013)からじょじょに作品に滲みはじめてきた。数々のインタヴューでも彼は言及していることように、その原因は彼自身が都度抱えてきた「喪失感」にあり、今回の『It Is What It Is』でもっとも重要なファクターといえる。“Apocalypse”は、同じBrainfeeder所属だったAustin Peraltaという友人のキーボーディストが2012年に逝去したことに対するフィーリングが反映されており、彼のそれ以降の作品は「死」や「喪失感」といったテーマが通底している。それはサンダーキャットも大きくプロダクションに関わったフライング・ロータスのアルバム『You’re Dead!!』(2014)や『Drunk』の夜明け前かのようなEP「The Beyond / Where the Giants Roam」(2015)にて感じることができる。なので、当時の個人的な所感を思い出すと、「もしかしてこのままダークで落ち着いた作風へ向かうのか?」というのが正直なところであった。

 『It Is What It Is』はそう考えると、いままでのサンダーキャットの総仕上げのようになっているように思う。前半はとても前向きで楽しく、バカバカしいような歌詞の内容もあるが、後半はダークでシリアス。暗い部分はフライング・ロータスの近年の死生観からも大いに影響を受けていると思う。しかし、いままでと決定的に違うのはアルバムのラストを飾る表題曲“It Is What It Is feat. Pedro Martins”だ。僕がこの曲を聴いたときに泣きたくなったのは、「どれだけ自分ががんばっても何かや誰かを失う。それは避けられないし、そういうものだよ」というある種達観したようなメッセージにある。一見してみればこのメッセージは諦めにしか聞こえないが、これはとても前向きなものではないだろうか。たとえ時間が解決しないことだろうと、それ自体を「間違ったこと」としてとらえるのではなく「そういうものだよ」と肯定的にとらえている。そうでなければ、その「間違っている」という、正常な状態への途中段階にある自己を作品として明確に表現することは難しいように思う。自分を含めてたいていの人は、「何も起こっていなく、安全な状態」を正しいものとし、それ以外は間違っている、というバイアスが無意識のうちにかかりがちではないだろうか。誰だって、ネガティヴなことはふつう避けたい。しかし、その痛みさえも生きていることの一部であり、そこに目を向けるということの重要性をサンダーキャットは伝えているように感じてならない。もちろん、間違っている常識や習慣は存在するし、そういうのは正していかなくてはならないが、心持としてはこの考え方で生きていきたいものだ、と強く思わされる。そう思うと、前半の“Overseas feat. Zack Fox”や“Dragonball Durag”のような妙にピンプでイケイケな感じも、アルバム全体として考えたとき何か含みのあるような曲に思えてくる。本人にはきっとそんなつもりは一切ないのだろうけども。

 いままでならポジティブなヴァイヴスで世界をよくしていこう! とシンプルに思うことも可能だったが、実際はもっと複雑で現実的な問題が各地で噴出しはじめた。もちろんのことながら、彼がこのアルバムを制作していた頃はいまみたいな世界の状況ではなかった。しかし、彼がこのアルバムを通じて語り掛けてくれる、「楽しいことも、悲しいこともあるけどすべて「It Is What It Is」(そういうものだよ)」という優しい言葉にはいまの世界ではなにか救われるものがある。

R.I.P. Larry Sherman - ele-king

 シカゴ・ハウスの伝説的レーベル〈Trax〉の創始者、ラリー・シャーマンが4月10日心不全のために亡くなった。70歳だった。シカゴ・ハウス──すなわち今日我々がハウス・ミュージックと呼んでいる音楽を世界で最初にリリースし、ハウスのための専用レーベルを世界で最初に創設したという,とてつもない功績を残しながらシャーマンほど悪評に包まれた人物もまずいない。しかしそれでも初期シカゴ・ハウスの重鎮マーシャル・ジェファーソンから哀悼のツイートがされたように、彼がシカゴ・ハウスの歴史の一部であることは動かしようがないのである。
 ジェシー・サンダースによる『ハウス・ミュージック』に描かれているように、シカゴにプレス工場を持っていたシャーマンのところにサンダースとヴィンス・ローレンスがプレスの依頼をしたことがハウス・レーベル〈Trax〉の序章だった。そして86年から88年までのあいだ〈Trax〉からは初期シカゴ・ハウスの輝かしい歴史的傑作たち──ミスター・フィンガーズの“Can You Feel it”、フランキー・ナックルズの“You Love”、マーシャル・ジェファーソンの“Move Your Body”、フューチャーの“Acid Trax”などなどがリリースされている。ところがシャーマンは、プロデューサーへのロイヤリティの未払い、あるいはプレスの原材料に中古レコードを使った質の悪いレコード盤など、レーベル・オーナーとしては問題だらけだった。ライヴァルからの盗作だって余裕でやっている。もともとはジュークボックスのコレクターだったというシャーマンだが、シカゴの若い黒人たちのベッドルームで作られた音楽がやがて世界で革命を起こすなんてことまでは想像できなかったにしても、少なくともこれが人を魅了する音楽であることは理解していたのだろう。彼がいなかったら、ぼくたちが“Can You Feel it”を聴けなかった可能性だってある。ジェファーソンはツイッターで「愛を送る」と書いている。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884 885 886 887 888 889 890 891 892 893 894 895 896 897 898 899 900 901 902 903 904 905 906 907 908 909 910 911 912 913 914 915 916 917 918 919 920 921 922 923 924 925 926 927 928 929 930 931 932 933 934 935 936 937 938 939 940 941 942 943 944 945 946 947 948 949 950 951 952 953 954 955 956 957 958 959 960 961 962 963 964 965 966 967 968 969 970 971 972 973 974 975 976 977 978 979 980 981 982 983 984 985 986 987 988 989 990 991 992 993 994 995 996 997 998 999 1000 1001 1002 1003 1004 1005 1006 1007 1008 1009 1010 1011 1012 1013 1014 1015 1016 1017 1018 1019 1020 1021 1022 1023 1024 1025 1026 1027 1028 1029 1030 1031 1032 1033 1034 1035 1036 1037 1038 1039 1040 1041 1042 1043 1044 1045 1046 1047 1048 1049 1050 1051 1052 1053 1054 1055 1056 1057 1058 1059 1060 1061 1062 1063 1064 1065 1066 1067 1068 1069 1070 1071 1072 1073 1074 1075 1076 1077 1078 1079 1080 1081 1082 1083 1084 1085 1086 1087 1088 1089 1090 1091 1092 1093 1094 1095 1096 1097 1098 1099 1100 1101 1102 1103 1104 1105 1106 1107 1108 1109 1110 1111 1112 1113 1114 1115 1116 1117 1118 1119 1120 1121 1122