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サウス・ロンドンのジャズ・シーンにおける最重要人物のひとりであるドラマーのモーゼス・ボイド。2019年はソロや自身のプロジェクトのアルバムこそなかったが、いろいろな作品で彼の演奏を聴くことができた。アシュリー・ヘンリーの『ビューティフル・ヴァイナル・ハンター』、ジョー・アーモン・ジョーンズの『ターン・トゥ・クリアー・ヴュー』、テオン・クロスの『ファイヤー』などがそうで、こうしたジャズ・アルバム以外にもビヨンセが監修を務めた『ライオン・キング』のサントラに、共同プロデューサーのひとりとして参加していた。この中で彼が手掛けた “マイ・パワー” という曲は、南アフリカのゴムの第一人者であるDJラグと一緒にやっているのだが、そもそもモーゼスとラグは2018年に “ドラミング” という曲で共演しており、“マイ・パワー” はそのトラックにビヨンセのヴォーカルを乗せたものだった。ビヨンセもモーゼスやDJラグ、それからゴムにも関心を寄せていることの表れだったと言えるが、モーゼスがジャズだけでなく幅広いネットワークを持っていることも示している。そんなモーゼス・ボイドのニュー・アルバムが登場した。
『ダーク・マター』はモーゼス・ボイドの個人名義としては初めてのソロ・アルバムとなる。ただし、既にモーゼスはさまざまな活動や客演で知られる存在となっており、これまでにサックス奏者のビンカー・ゴールディングと組んだビンカー&モーゼスでは、『デム・ワンズ』(2015年)、『ジャーニー・トゥ・ザ・マウンテン・オブ・フォーエヴァー』(2017年)、『アライヴ・イン・ザ・イースト?』(2018年)と3枚のアルバムをリリースし、モーゼス・ボイド・エクソダス名義で『ディスプレイスド・ディアスポラ』(2018年)もリリースしている。エクソダスはビンカー・ゴールディングのほかにテオン・クロス、ディラン・ジョーンズ、アーティー・ザイツが参加するバンドで、『ディスプレイスド・ディアスポラ』はそもそも2015年に録音された作品だったので、『ダーク・マター』は正真正銘の現在のモーゼスの姿を見ることができるアルバムだ。
参加メンバーはナサニエル・クロス(トロンボーン)、テオン・クロス(チューバ)の兄弟に、ヌビア・ガルシア(テナー・サックス)、ビンカー・ゴールディング(テナー・サックス)、ジョー・アーモン・ジョーンズ(ピアノ、キーボード、シンセ)、アーティー・ザイツ(ギター)など旧知の仲間が中心で、特にナサニエルはいくつかの曲でアレンジャーを務めるなど重要な役割を担っている。モーゼスはドミニカとジャマイカ移民の両親を持ち、ヌビアやクロス兄弟などアフリカンやカリビアンの2世、3世が多く活動するサウス・ロンドンをベースとしている。『ダーク・マター』に参加した顔ぶれは、ジョー・アーモン・ジョーンズのような白人ミュージシャンも参加しているわけだが、カラード・ピープルの比重が非常に高い。アフリカ音楽やカリブ音楽などがモーゼスの音楽性の立脚点のひとつであることを、参加ミュージシャンは如実に語ってくれる。シンガーではトム・ミッシュとの共演で知られる女性シンガー・ソングライターのポッピー・アジュダー、ジョー・アーモン・ジョーンズやダニー・ブラウンのアルバムにも参加していたナイジェリア出身のオボンジェイヤーことスティーヴン・ウモー、南アフリカ出身でDJのディオン・モンティと組んで作品もリリースするノンク・フィリ、さらにロンドンのブラック・エクスペリメンタルの急先鋒であるクライン(彼女のルーツはナイジェリアである)も参加するなど、モーゼスの幅広い人脈が伺えるものとなっている。そして、モーゼスにとっては師匠的な存在となるトゥモローズ・ウォリアーズ主宰者のギャリー・クロスビーが、本職のベーシストではなくヴォイスという形で2曲に参加している。
『ディスプレイスド・ディアスポラ』は自身のルーツに立ち返ったもので、アフロ・キューバン色の濃いジャズ演奏を主体としていたが、『ダーク・マター』はモーゼスのドラム演奏と共にプログラミングやビートメイキングもふんだんに取り入れ、生演奏とエレクトロニクスを融合したスタイルとなっている。こうしたスタイルが現在のモーゼス本来の姿であり、DJラグやリトル・シムズと共演するなどジャズの枠にとどまらない幅広さを生み出す源となっている。ディープで神秘的なイントロダクションを持つ “ストレンジャー・ザン・フィクション” は、ジャズのタイプでいくとスピリチュアル・ジャズになるのだろうが、ダブステップ調のビート・プログラミングを生ドラムに交えている。テオン・クロスのチューバをはじめとした重厚なブラス・アンサンブルが交わり、モーゼスも客演したことがあるサンズ・オブ・ケメットの演奏に近いジャズ・ミーツ・ベース・ミュージックといった趣だ。“BTB” はアフロビートとジャズ・ファンクの中間的な演奏で、ジョー・アーモン・ジョーンズも参加するエズラ・コレクティヴの作品と同じ匂いを持つ。トニー・アレンのアフロビートの薫陶を受けたモーゼスらしい楽曲である。“Y.O.Y.O.” もアーティー・ザイツのギターを交えてアフロ色の強い演奏を繰り広げる。アップ・テンポの疾走感のあるビートを持ち、クラブ・サウンドとジャズが結びついたストリート・サウンドを展開するところは、ニュー・グラフィック・アンサンブルやカマール・ウィリアムズあたりと共通する。
ポッピー・アジュダーが歌う “シェイズ・オブ・ユー” は、アルバムの中でもクラブ・サウンドの比重が強い。往年の4ヒーローやバグズ・イン・ジ・アティックなど、ウェスト・ロンドンのブロークンビーツに近い曲だろう。オボンジェイヤーがダミ声で歌う “ダンシング・イン・ザ・ダーク” は、タイトル通りにダークな雰囲気の漂うダブとジャズのミクスチャー的な作品。オボンジェイヤーの個性やアブストラクトなムードも含めて、ブリストル・サウンドあたりとの共通項が見出せるかもしれない。“オンリー・ユー” はクラインのヴォーカルとボイドのドラム&エレクトロニスによる作品。ダークで陶酔的なグルーヴが繰り返して訪れるミニマルなトラックで、両者の持ち味が見事にひとつとなっている。“2・ファー・ゴーン” はジョーのメランコリックなピアノとUKガラージ的なビートが結びつき、ノンク・フィリが歌うブロークンビーツ調の “ノンモズ・ディセント” と共に、ジャズとクラブ・サウンドがクロスする南ロンドンらしさを感じさせる作品となっている。“ワッツ・ナウ?” は瞑想的なギターやフルートをフィーチャーしたコズミック・ジャズだが、ここでのモーゼスのドラムもダブステップのビートを咀嚼したものとなっている。即興演奏が主体となるジャズと、プログラミングやエレクトロニクスを主体とするクラブ・サウンドを、ポスト・プロダクションを通してひとつに結び付けることは、ジョー・アーモン・ジョーンズやカマール・ウィリアムズなど南ロンドンのミュージシャンがいろいろやっていることだが、モーゼス・ボイドはドラマーだけあって、ビート面でのセンスや嗅覚が並外れて優れていることを改めて示したアルバムだ。
小川充