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嵐がおれの海の旅の目覚めを祝った アルチュール・ランボー
これは海で生まれた音楽である。カリブ海の岬からアフリカの岬へと往復される航路のなかで……。ことにカリブのリズム、ソカとカリプソの灼熱のリズムがアルバム前半の祝祭性をいっきにあげる。そしてエジプトの黒い大地=ケメトの子供たち(サンズ・オブ・ケメット)の新作は、『あんたらの女王は爬虫類( Your Queen Is A Reptile)』なる題名をひっさげて、アメリカの名門〈インパルス!〉からリリースされる。
UKジャズとは、雑種であることを良しとする。ジャズ警察をとっとと無視し、ジャズ・ファンと呼ばれる人たちの耳を堂々と裏切る。それはジャズ・ウォリーズ以降の大いなる道筋だ。ジョージ・オーウェルの『1984』における“党”は、現在を支配するがゆえに未来も過去もコントロールするが、ジャズ・ウォリーズはその現在を転覆したことで、未来も過去も自分たちでリライトすることに成功した。いまそのとき生まれたであろう未来──ときにそれはやかましい未来、騒々しい未来だが──の航路を旅しているのがシャバカ・ハッチングスである。もし、この現在において、本当にUKジャズなるモノが勢いづいているのだとしたら、その中心にいるのは33歳のカリブ系イギリス人のサックス奏者にほかならない。
サンズ・オブ・ケメットは、シャバカの手掛けるプロジェクトのひとつで、ふたりのドラマー(トム・スキナー+セブ・ロチフォード)とひとりのチューバ奏者(テオン・クロス)のクアルテットを基盤としている。すでに2枚のアルバムをリリースしているが、本作と併せて聴いてみるべきはセカンド・アルバム『我々が何をしにここに来たのかを忘れないために( Lest We Forget What We Came Here To Do)』だろう。
というのも、そのアルバムの最後から2番目の曲名が“アフロフューチャリズム”であるからだ。その前の曲がアフリカ系の女流SF作家の名を曲名にした“オクティヴィア・バトラーの長い夜”。曲名を知って曲が聴きたくなるアーティストは、このようにごく稀にいる。
『ユア・クイーン・イズ・ア・レプタイル』の曲名はすべてが“My Queen is ●●”となっている。●●のところに入るのは、すべてアフリカ系の女性たちの名前だ。それはアンジェラ・デイヴィスのような(元)活動家の名前から、指導者、先駆者、あるいはハッチングスの祖母の名前にまでいたる。不勉強さゆにえ知らない名前ばかりだが、すべてが実在している“女性たち”の名前だ。そう、ぼくはぼくの不勉強さゆえに知らない/見えていない名前は、オーウェルの『1984』にならって言えば、党が支配する現在が示す歴史ではそれほど重視されていない名前かもしれない。だからこそやらなければならない。ハッチングスは、党の支配に逆らって神話を創出しなければならない。
それにしてもこの音楽はいったい何なのか。カリブ海のリズム/アフロビートの壮絶なる混交、それはひとつには、この音楽が完璧にダンス・ミュージックであることを示している。地下で催される政治集会か、あるいは森の奥深いところか、そしてサックスとチューバの旋律は、ブルージーなジャズとは別のところから聴こえてくる。それはどこなのだろうか。その曲“マイ・クイーン・イズ・エイダ・イーストマン”では、かつてLVとダブステップ作品を制作している詩人のジョシュ・アイデヒンがマイクを握る。支配者たちへ宣戦布告である。そして“マイ・クイーン・イズ・マミー・フィップス・クラーク”で、ハッチングスはレゲエのサウンドシステム文化をこの名状しがたい神話的ジャズに接続させる。
コートニー・パインがUKジャズに持ち込んだ大きなものは、ジャマイカのサウンドシステム文化だった。よく知られるように、キング・タビーの実験的なダブ・ミキシングは、彼の芸術的野心によってうながされたわけではない。ダンスホールに集まった人たちをどれだけ喜ばせる/驚かせるかという(経済的に不自由な人間の)娯楽的探求心によってもたらされている。まずはそれがひとつ。
さらにもうひとつの重要点は、サウンドシステム文化とは音を電気的に増幅し、加工することだ。アコースティックを前提とするジャズ演奏において、これはある種の禁じ手だろう。しかしながらUKジャズという雑種においては、むしろこの手を使わずにはいられない。“マイ・クイーン・イズ・マミー・フィップス・クラーク”ではかつてMCレベルの名で活躍したコンゴ・ナッティがマイクを取って、この素晴らしい混交にエネルギーを注いでいる。そして、モーゼス・ボイドとエディー・ヒックスという、まさにいま旬のドラマーふたりを交えた“マイ・クイーン・イズ・ハリエット・タブマン”はさらにすさまじい情熱で大西洋を渡り、速度を上げて航路を運行する。そう、これこそポール・ギルロイが描いた航路の音楽と言えよう。
シャバカ・ハッチングスは、しかし、コートニー・パインやジョン・コルトレーンばかりを聴いてきたわけではない。彼は若い頃、スティーヴ・ベレスフォードやエヴァン・パーカーとも出会い、フリー・ミュージックについての教えも受けている。その流れでセシル・テイラーを聴き込んでいる。そうした背景が、彼の音楽をシンプルなジャマイカン・ジャズへとは向かわせないのかもしれない。“マイ・クイーン・イズ・アンナ・ジュリア・クーパー”から“マイ・クイーン・イズ・アンジェラ・デイヴィス”へと、彼らの即興性は高まっていく。
かつてはアンダーグラウンド・レジスタンスも曲の主題にした逃亡奴隷の女性リーダー/ジャマイカの国民的英雄の名を冠する“マイ・クイーン・イズ・ナニー・オブ・ザ・マルーンズ”は、過去を照らし出しながら大らかな空気を放流する、言うなればナイヤビンギのアンビエント変異体だ。続く“マイ・クイーン・イズ・ヤァ・アサンテワァ”では、ふたたびモーゼス・ボイドとエディー・ヒックスが加わり、ハッチングスは女性サックス奏者のヌビア・ガルシアと共演する。イギリスの植民地主義と闘った西アフリカの女王の名前を冠するこの曲は、彼女の抵抗を讃えているのだろう、ハッチングスとガルシアの勇ましくも美しいメロディが絡み合っている。
南アフリカの活動家の名前を冠した“マイ・クイーン・イズ・アルベルティーナ・シスル”で、アルバムはそしてまた激しさを増していく。打ち鳴らされるカウベルに導かれるかのように、アルバム前半のソカのリズムは取り戻され、最後の曲“マイ・クイーン・イズ・ドリーン・ローレンス”へと繫がっていく。1曲目でフィーチャーされたジョシュ・アイデヒンがここでもMCを務める。それはアルバムが怒りを持って締められることを意味しているのだろうか。シャバカ・ハッチングスは、感情の火の粉を降らせはするが、無駄にそれを引きずることなく、すぱっと音を止め、そしてリズムだけを走らせる。
『ユア・クイーン・イズ・ア・レプタイル』は、100%政治的なアルバムであり、アフロフューチャリズムであり、ブラック・アトランティックである。そして、USの名門ジャズ・レーベルからのリリースとなるそれは、UKジャズという雑種の気高さをこれでもかと主張する。大海原を航海しながら、党の支配や思考警察に刃向かいまくる。未来を描くために。
野田努