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目下、ロンドンにおいてもっとも熱いシーンはラップかもしれないが、しかしそのカオスから生まれるふつふつとした蒸気とはあたかも対岸で鳴っているのが、『We Out Here』に収録されたココロコの“Abusey Junction”だ。それはもがいてもがいてなんとか生きようとするDaveが流している涙のすぐそばにある音であり、切ないチルアウトである。ココロコから漂う静寂さは、ニューエイジのそれとは完璧なまでに180度違っている。ここは森ではない。川のせせらぎはなく、聞こえるのは騒音であり、見えるのは山ではなくビル。土ではなくコンクリート。飲める水は水道水。いつ気が触れてもおかしくないようなこの都市における肝の据わった叙情詩を、南ロンドンの7人組は演奏する。彼ら/彼女らの待望のデビューEPは、今年のまあ5枚のうちの1枚にははいるだろう。
ココロコのサウンドを特徴付けているのはオスカー・ジェロームのギターだ。詩的でエモーショナルな彼の演奏は、打楽器奏者のオノメとドラマーのアヨのふたるからなる、いたってチルなアフロ・ビートと有機的に絡んでいる。そして大らかさと優しさは、リーダーのシーラによるブラス音やコーラスによって彩られる。多文化的であり、男女人種混合のコミュニティである彼らを現代の英国の理想的音楽の具現化というのはたやすいが、ここには、70年代ルーツ・レゲエの最高の瞬間さえも彷彿させる強さがあることも忘れないでおきたい。チルアウト感覚はこのバンドの武器だが、シャバカ・ハッチングばりの炎も、フェラ・クティの勇敢さもあるのだ。つまりこの音楽は骨抜きではないし、明るい未来を渇望している。4曲入りのデビューEP「Kokoroko」、素晴らしい、アルバムが待ち遠しい。
ココロコの力強い静寂とは打って変わって、〈The Vinyl facto〉からリリースされた『Untitled 』はとげとげしく、ささくれだったUKジャズとUKヒップホップとの邂逅のショーケースである。『We Out Here』のパンク・ヴァージョンというのは言い過ぎだが、ポストパンク的な展開とは言えるだろう。コンピレーションのテーマは画家のジャン・ミッシャル・バスキアということだが、いまのロンドンのアクチュアルなシーンのレポートとしても機能している。
UKジャズも若々しいシーンだが、こちらの若さは、ニヒリズムをもって活力を発している。衝突ないしは攻撃性がここにはあるのだ。アルバムを聴いて思い出すのは、最初期の〈ラフトレード〉のコンピレーションだ(女性が活躍している点も似いている)。あれがロックやパンクというスタイルに疑問を投げかけたように、本作は、ヒップホップやジャズに疑問を投げかけ、あらたな異種混合に挑んでいる。
シャバカ・ハッチングがラッパーのコジェイ・ラディカルと組んだ曲、“No Gangster”が目玉ではある。これこそUKジャズのネクストだろう。じつのところ、ぼくはこの曲のためだけにアルバムを買った(まあ、ジャケのデザインが格好良かったというのも大きいが)。また、コンピにはマーラ、ジョー・アーモン・ジョーンズ、ヌビア・ガルシアといった「おや」と思わせる引きのあるメンバーによる曲もある。曲もたしかに悪くない。が、しかし、このアルバムを活気あるものにしているのは、まだキャリアの浅いと思われる人たちのトラックだ。まるでザ・スリッツのヒップホップ・ヴァージョンといえる“Broadcast By Chocolate”、=CoN+KwAkE=なる人物の変態ヒップホップ、Lord TuskによるPiLを彷彿させるパンク・ジャズ、Maxwell Owinによるウェイトレス・ジャズ(とでも形容したくなるサウンド)……。
うん、たしかに面白いことが起きているようだ。90年代初頭、ベイビー・フィイスが全盛だった時代にパブリック・エナミーがいたことを思い出すがいい。
※原稿とは関係ないけど、参院選の渡辺てる子、彼女の演説は素晴らしい。
野田努