「ATOM」と一致するもの

DJ20周年の年、2014年は素晴らしい年でした。感謝の気持ちをこの10曲に(順不同) 2014/12/16

まだまだ続くDJ道!21年目もどーぞよろしくお願い致します!!

>>DJ FUMI Schedule
2014
[12月]
12/20 DJ FUMI 20th ANNIVERSARY SPECIAL "en21" x "皆殺し" @福岡 今泉 BlackOut
12/31-01/01 "VQ Count down NYE party" @Nimbin (Australia_Nimbin)
2015
[01月]
01/02 "3rd Eye Productions presents "Indigo Evolution New Years Festival" @2hrs from Byron Bay
01/04 "Buddah Bar with Dachanbo" @Buddha Bar (Australia_Byron Bay)
01/16 "Dosen't Matter" @New Guernica (Australia_Melbourne)
01/23-26 "Rainbow Serpent 2015" @Lexton (Australia_Victoria)
[01/24 05:30-07:00 Saturday Morning on the Sunset Stage]
01/31 "MACHINE" @MY AEON (Australia_Melbourne)

[2月]
02/13-16 "EARTH FREQUENCY FESTIVAL" @Ivory's Rock (Australia_QLD)
[Friday Night]
02/21 "Vitamin Q" @AVALON (Australia_Gold Coast)

[3月]
03/06-09 "Maitreya Festival 2015" @TBA (Australia)
[Saturday Night]
03/21 "RESPONSE" @東京
03/28 "TBA" @北海道

 

 

Satomimagae - ele-king

 紙エレキングのvol.15の原稿のために片岡義男の『歌謡曲が聴こえる』を読んだら、戦後の流行歌には、どこから聴いても、とにかく日々を懸命に生きている人びとが自らの心情を重ねやすい叙情の断片があるというようなことが書かれていた。その叙情とは、苦労であり、夢であり、かなわぬ夢であり、当時の人びとの夢とは、都会であり田園であり恋であるという話を読んで、なるほどーと思いながら、他方では(今週末の衆院選挙を控えての、この盛り下がっている感じとは別の話)、もう正直なところ、苦労を受け入れるほどの元気もないよなーというのが、時代のモードのひとつとして音楽に反映されて久しいことを知っている自分がいる。気持ちが萎えたというよりも、来るべき時代に向けてエネルギーを蓄えているのだろう。その兆しのひとつが、スリーフォード・モッズかもしれないし。

 グルーパーの新作『ルインズ』がなぜ「E王」じゃないんだよ~、橋元~(泣)。『A | A』以来の、彼女の新機軸によるマスターピースでしょう。ピアノの弾き語りであり、リズ・ハリスの歌モノ・アルバムとも呼べる1枚、それは「美しい沈黙」とでも言いたくなる感動的な作品ですよ。
 グルーパーは、メインストリームのポップではないけれど、欧米や日本に根強いファンを持っている。『ルインズ』もあれよあれよと在庫切れになったそうだ。彼女にしては聴きやすいアルバムなので当然と言えるが、それにしても、眩しいアメリカの裏側に広がる、もうひとつのアメリカから聴こえる鬱々とした沈んだ歌声に、人はいかなる心情を重ねているのだろう。それは最低の生活と思われているものにおけるシェルターとして機能しているかもしれないし、オルタナティヴな人生論にリンクしているかもしれないし、あらたな突破口かもしれない。何せよ、彼女の歌にすり切れた心を落ち着かせる力があるのはたしかだ。『ルインズ』は、自分に元気がないときに聴くとものすごく入って来る。

 畠山地平のレーベルからリリースされたサトミマガエの『ココ』は、もっともグルーパーの領域に近い日本人女性シンガーの作品だと言える。ドローンをやっているわけではないし、そもそも声質が違うし、歌としての輪郭はリズ・ハリスよりはっきりしているので、もちろん別モノなんだけれど、サトミマガエにもグルーパーに象徴される「沈黙」(「廃墟」と言ってもいい)を感じる。
 とはいえ、彼女の声はリズ・ハリスのようなウィスパーではない。UAにも似たハスキーな声だ。歌い方は、一時期の七尾旅人にも似ているのかな。押しつけがましさはないけれど、力強さがあって、なかなか魅力的な歌声だ。さりげない歌メロもとても綺麗で、余韻があって、透明なギターのアルペジオがそれを引き立てている。そこへきて、畠山地平がミキシングを担当しているので、音響的なユニークさ、アンビエント的なセンスも注がれている。ただただ聴いているだけでも、とろけそうな音楽。憂鬱でありながら、心地よく感じられる音楽と言うか、それは、いたって静かな音楽であるがゆえに、このタフなご時世のなかで突破口を探しているように響いている。エネルギーを蓄えながら。グルーパーのファンは、注目して良いでしょう。

Objekt - ele-king

 ネオ・ナチと記念写真を撮っていた女性閣僚2人はそのままで、お金が絡んだ女性大臣は2人とも辞任。女性たちの積極登用がたどった結末は、日本人はお金が絡まないと真剣にならないということをさらけ出しただけだった。なんというか、品がない。お金より大事なものがこの国にはない。少なくとも国政レベルでは。そもそも国政というのは自由か平等かという問いの前で揺れるものなのに、日本人が選挙のたびに選んでいたものは「強い」につくか「弱い」につくかということだけだったとしか思えない。それもきっと「強い」には「お金」があったからで、流れに乗るという感覚さえじつは一度もなかったのかもしれない。スコットランドだって大きな譲歩を引き出したというのに、それぐらいの面白味を感じようとしたこともなかった。それとも流れがあるとしたら「日本人の判官贔屓」が稲田朋美のゴス・ロリでネオ・ナチという美学には勝てなくなってきたということか。

 2011年にセルフ・レーベルから2枚のEP『#1』『#2』でいきなりUKガラージのホープに躍り出たT・J・ハーツもデビュー・アルバムは〈パン〉からとなった。勢いがあるといえばそれまでだけど、ちょっと前まで〈パン〉がジョセフ・ハマーやキース・フラートン・ウィットマンといった実験音楽を主体とするレーベルだったことがウソのように思えてくる。〈パン〉に限らず実験音楽からテクノに乗り換えてくる流れは快楽主義に対する距離感が無邪気ではなく、どこか奥歯にモノが挟まったような感触も残ってしまうけれど、オブジェクトはスタートからフロア志向だったせいか、〈パン〉へのエントリーにはヒートシックやリー・ギャンブルとは正反対の意味が感じられる。それはかつてジェフ・ミルズが快楽主義に埋没せず、どれだけ「困難さ」をダンス・ミュージックにもたらすことができるかとした課題をトレースするもので、結果的にそれが次のタームを呼び寄せた(どころかトランスまでジェフ・ミルズに染まってしまうほどポテンシャルにあふれていた)ことを思うと、UKガラージがテクノへと回帰するベクトルのなかで大きな差異を作り出していくことは期待できる。実際、2014年はキンク(Kink)やヤング・マルコ、あるいはマトム(Matom)やアワント3(Awanto 3)などのデビュー・アルバムを僕も古くからのテクノ・ファンとして楽しむことは楽しんだけれど、慣れ親しんだ風景に浸っている以上の動機はなく、もはやテクノも大半は『ALWAYS』と同じだからである。エンペラー・マシーンのカムバック・アルバムにも僕はノスタルジーしか発動させられなかった。

 デリック・カーターとともにインダストリアル・ボディ・ミュージックのインパクトをブラック・ミュージックに反映させた先駆者としてのジェフ・ミルズはいつどこのタイミングでダンス・ミュージックの文脈から呼び戻されてもおかしくない存在である。シフティッド(Shifted)やルーシー(Lucy)、あるいは今年の台風の目となったエックマン「エントロピー」やドラムン・ベースのフェリックス・Kにさえ、その影響はこだまし、〈パン〉に限らず、ここ数年はとくにその気運が強かったと思える。オブジェクトがメロディというよりもジャズのアドリブのような音を断片的に撒き散らすことが多いのも、そうした印象を強める要因にはなっているだろう。オブジェクト自体はダブステップやベース・ミュージックに囚われることなく、この3年間でゆっくりとハード・エレクトロに舵を切っている。それこそデビューはSBTRKTとのスプリット・シングルだったものが、2014年にはドップラーエフェクトとタッグを組むほどデトロイトナイズされ、現在はベルリンを活動のベースとしているせいか、『フラットランド』に横溢している感触は90年代初頭にベルリンとデトロイトが結びついたモーメントを洗練させたように聴こえる部分が多い。サイバー・エレクトロとでも呼びたくなる“ドグマ(Dogma)”、それこそジェフ・ミルズを〈ラスター・ノートン〉がリミックスしたような“ワン・フォール・スウープ(One Fall Swoop)”、あるいは2拍子で突っ走る“ストレイズ(Strays)”など、イギリスではじまったレイヴ・カルチャーが持っていた猥雑さをムダのない機能主義へと向かわせたベルリンのストイシズムが基調には横たわっている。そして、アンディ・ストットに匹敵するデザイン感覚が発揮されていることも強調しておきたい。

 不思議だったのは『フラットランド』というタイトルである。これだけ豊富なリズム感を有しながら、どうして「平坦」だというのか。それは、しかし、リズムのことを指しているのではなく、ヴィクトリア朝を風刺した19世紀の中編小説に由来するらしく、詳しくはわからないけれど、ある種の視野の狭さを考察したものらしい。ジェフ・ミルズがいつしか宇宙人視点でしかものを見なくなっているように、少なくともオブジェクトは現在の音楽状況なのか、ダンス・カルチャーを見て「視野が狭い」と思うことがあるということだろう。〈ハッセル・オーディオ〉からのリリースもあるオブジェクトがデビュー・アルバムは〈パン〉を選んだ理由もそれに連動していたにちがいない。〈キーサウンド〉や〈テクトニック〉からシングル・リリースを重ねてきたビニースもアルバムは流れに乗って〈パン〉からとなるのだろうか?

interview with 16FLIP - ele-king

直感的な感性を持つアーティストのひとつの特徴として、彼らは曲というものを自分とはべつに存在するひとつの生き物と見なし、その存在の証人となることができる、ということが挙げられる。究極的には音楽作りという行為自体の外側に立ち、音楽が生まれるプロセスの神秘に魅入られ、そしてそのプロセスの中に吸い込まれていくことができるのである。
──ジョー・ヘンリー
(ミシェル・ンデゲオチェロ『ウェザー』ライナーノーツより)

 僕はいま、16FLIPの直感力とヒップホップへの一途な情熱と求道的な姿勢が無性に気になっている。直感力に関していえば、この、東京のヒップホップ・シーンを代表するひとりであるビートメイカーのリズム、グルーヴ、サンプリング・センスにたいして使われる“黒い”という形容詞以上の“何か”をそこにあるのではないかと感じている。

 長年ヒップホップを徹底的に掘り下げてきた音楽家が、だからこそ何かを突き破りつつある、その過程をいま聴いているのかもしれない。けれども、直感はその人間の経験と知識から生み出されるもので、他人がそれを完璧に理解し、共有するなど無理な話だ。自分の耳だけを信じて、彼の音楽を聴いていればいいとも思うが、どうしても気になる。だから、話を訊いてみることにした。

 きっかけのひとつは1年ほど前の出来事だ。2013年10月某日、とある渋谷のクラブでDJした16FLIPは、ドクター・ドレとスヌープの“ナッシン・バット・ア・G・サング”とギャングスターの“ロイヤリティ”を何気なくスピンした。これまで何十回、もしかしたら百回以上は聴いたであろうこの2曲のクラシックが、まったく別の輝きを放って耳に飛び込んできたことに僕は震えた。
 90年代のUSヒップホップの音響やリズムが、2013年の耳を通して新鮮な感覚を呼び起こしただけではなかった。この感覚は何だろうか? そのときたしかに、「16FLIPにしか聴こえていない音とグルーヴ」を感じて、その後あらためて16FLIPのビートに関心を抱くようになった。


06-13
16FLIP

DOGEAR RECORDS

Hip Hop

Tower HMV Amazon

 ISSUGIや5LACKやMONJUをはじめ、BES、KID FRESINO、JUSWANNA、SICK TEAMといった数多くのラッパーやグループへのトラック提供で知られるこのビートメイカーは今年、2006年から2013年までに制作したトラックを収めたセカンド『06-13』と3枚のミックスCD(『OL'TIME KILLIN' vol.1』『OL'TIME KILLIN' vol.2』『SKARFACE MIX』)を発表している。すべてのトラックを手がけたISSUGIのサード・アルバム『EARR』のインストのアナログ盤『EARR : FLIPSTRUMENTAL-2LP-』のリリースも予定されている。
 まったくもって派手な宣伝や露出はないものの、16FLIPの音楽と存在は街にじわじわと浸透しつづけている。ファンの彼に対するまなざしは本当に熱い。すごいことだ。

 取材は今年の5月後半におこなった。ここでの僕の望みはふたつ。16FLIPのファンはより深く彼のことを知る手がかりにしてもらえればうれしい。そして、16FLIPを知らない人はこのインタヴューをきっかけに彼の音楽に耳を傾けてくれたならばありがたい。


リー・ペリーとかマックス・ロメオとか、レゲエの人たちが、わけのわからない年代で区切って作品を出したりするじゃないですか。“86-92”みたいな感じで。

最初にトラックを作ったのはいつで、きっかけはなんだったかという話から訊かせてもらえますか。

16FLIP:友だちのDJの家にMPCがあったんですよね。中3か高1ぐらいですね。で、そいつがいないときとかに遊びで作っていて、MPCを自分もほしいなって。それがきっかけだと思いますね。たぶん、自分で作るのがいちばん新鮮に感じてたと思うんすよね。そういう経験がなかったから。だから、やりだしたのかもしれない。でも、作らない時期もかなりありましたね。ちょこちょこ作ってたんですけど、あんまり上手く行かねぇなって。で、MONJUの作品を出すかってなったときに、またちゃんとやりだした感じだと思います。オレのトラックで、MONJUで1曲録ったら、わりとしっくりくるっていうことになって(笑)。それが、『103LAB.EP』(2006年)の“THINK”っていう曲なんです。その曲のトラック違いのやつがあって、それを最初に作ったんです。そこから、『103LAB.EP』を作る流れになったような気がします。

16FLIP名義で最初に世に出たトラックは、JUSWANNAのEP『湾岸SEAWEED』(2006年)に入ってる“東京Discovery”と“ブストゲスノエズ”なんですよね。

16FLIP:そうなんすよ。仙人掌の家に遊びに行ったときにメシア(THE フライ)も遊びに来たりしてて、そのときにトラックを作ったような気がしますね。レコーディング・スタジオに連れていってもらってミックスしてもらって、スタジオで爆音で聴いてたのを思いだすっす。いま思うと参加するチャンスをくれたことに本当に感謝してます。

『06-13』は、2006年から2013年までの作品を集めたアルバムですよね。2007年からにすることもできたわけだし、ベスト的な作品にすることもできたわけですよね。どうしてこの期間に絞ったんですか?

16FLIP:ベスト的なことを書いてくれている人も多いんですけど、自分はベストを出してるっていう気持ちはなくて。リー・ペリーとかマックス・ロメオとか、レゲエの人たちが、わけのわからない年代で区切って作品を出したりするじゃないですか。“86-92”みたいな感じで。そういう気分で出したつもりなんです。アルバムの題名を付けるのも好きなんですけど、題名は最終的にあってもなくてもいいかなって思ってる自分もいるんですよ。2006年に作ったトラックは一曲ぐらいしかないと思うんですけど。

それはどれですか?

16FLIP:たぶん、“Oitachi”だけですね。

選曲の基準みたいなものはあったんですか?

16FLIP:基準はいつも直感なんですよね。「いまはこの曲だな」みたいな感じですね。だから、1ヶ月とか2ヶ月経ったら違う曲を選ぶと思うし、1年かけて十何曲選びましたとかじゃなくて、「出すか」って決めて、パッパッパッパッパッみたいな感じで選びましたね。

ほとんどが2分以内、長くても3分ぐらいのトラックばかりですよね。サンプリング一発で、いい意味で遊びの感覚にあふれた作品集だなって感じました。ダブ的というか、ノリだけじゃないけど、ノリを大事にしてる感じがすごく伝わってくるというか。

16FLIP:そうっすね。最近、前よりもDJとして呼んでもらえる機会が増えて、それが作るときにいろいろ活かされてるなって自分では思うんですよね。DJ的感覚で一枚のものをまとめたいっていう気持ちがすごいありましたね。だから、自分の曲でDJやってる感じっすね。

“NEWDAY”も入ってますよね。仙人掌くんにインタヴューさせてもらったときに、「自分が客演した曲のなかで印象に残っている曲は?」って訊いたら、真っ先に挙げてきたのがこの曲だったんですよ。

ISSUGI feat.仙人掌“NEWDAY”

16FLIP:それはあがるっすね。(仙人掌と)こないだ話したんすけど、まじでいままで何曲フィーチャリングしたかすぐには把握できないくらいあるよねって言ってたんですよね。基本的になにをサンプリングしてトラックを作ったとか、あんまり憶えていないんですけど、“NEWDAY”に関してはまじでわかんなくて。そういう系のトラックなんですよね。いまはもう作れないだろうし、オレはトラックに関しても2度と作れないものが好きなんですよね。

まさに直感というか、瞬間の閃きの人なんですね。

16FLIP:しかも、その直感がそのときで消えちゃったらそれでべつにいいと思ってますね。

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いけるときは、たぶん10分ぐらいでいけますね。時間かけてもいいものができるっていうのは、オレのトラックにはないんですよ。

YouTubeにトラックを作っているときの映像がアップされてるじゃないですか。いつもああやってひとりで作ってるんですか?

16FLIP:だいたいそうっすね。あとは友だちの家とか大阪とか行ったりしたときもたまにトラック作ったりしてるんですよね。DJやりに行ったときとかに。

Making beat with 16FLIP/ "Smokytown callin" comingsoon

へぇぇ。それは、MPCを持ってくんですか?

16FLIP:いや、大阪に〈Fedup〉っていう、いつも行ったときお世話になってるお店があって自分たちのCDとかも置いてもらったりしていて。その横が〈Fedup〉のスタジオになっていてMPCとかもあって、遊びに行ったら使わせてくれるんすよね。C-L-CとかDJ K FLASHとかが「いいネタあったで」みたいな感じで教えてくれるから、「おお、ヤベェ! じゃあ、作ろう」って、作ったりしてますね。『II BARRET』にも大阪で作ったトラックが入ってますね。“No more ballad”のトラックです。

他にも〈Fedup〉で作ったトラックはたくさんある?

16FLIP:ありますね。大阪で10曲以上は作ってるんで、それをまとめてCDを出そうと思ってます。MPCがあればどこでも作れますね。ニューヨークに行ったときも、スクラッチ・ナイスの家で一週間に10曲ぐらい作って楽しかったっすね。

早くて1曲何分とかで作れちゃいますか?

16FLIP:いけるときは、たぶん10分ぐらいでいけますね。時間かけてもいいものができるっていうのは、オレのトラックにはないんですよ。そういう作り方は自分に合ってないですね。だから、できたトラックに手も加えないっすね。

ほんと潔いですよね。そういえば、遅ればせながら、16FLIP VS SEEDA『ROOTS & BUDS』(SEEDA『花と雨』を16FLIPが全曲リミックスした作品。2007年発表)を聴きました。評判だけはまわりの友だちから聞いてて。でも、あの作品は手に入りにくいし、中古でも高値じゃないですか。いや、とにかく、あのクラシックを完璧に16FLIPの世界に塗り替えているのに驚いたし、すごくかっこよかったです。あの作品はどういう経緯で作ったんですか?

16FLIP:当時、ナインス・ワンダーがナズの『ゴッズ・サン』(2002年)をリミックスしたアルバム(『ゴッズ・ステップサン』(2003年))を聴いて、それがかっこいいと思ったんですよね。トラックメイカーがラッパーのアカペラを使ってリミックス・アルバムを作って名を上げるハシリ的な感じだったと思うんですよ。それ以前もそういうのはあったかもしれないけど、ナインス・ワンダーはそこらへんのやり方がなんかかっこよくて。その後PUGが面白いこと考えてきたんです。『花と雨』が出たときに〈HARVEST SHOP〉で買うと特典でアカペラのCDRがついてきたんですけど、ちょうどMONJUの『BLACK DE.EP』(2008年)を出すのが決まってた時期で、「その前に一発カマしたほうがいい」みたいなことを言ってて。それで、もちろんSEEDAくんにも許可をもらって作ったんですよね。16FLIPを知らない人もSEEDAくんのリミックス盤だからってことで聴いてくれた人もたくさんいたと思うし、SEEDAくんには感謝してますね。

いまだに聴けていない人が多いのももったいないし、いま再発しても大きな反響があるんじゃないかと思ったぐらいです、ほんとに。

16FLIP:まじっすか!? それはありがたいです。

はい。さっきも話に出ましたけど、最近はDJもよくやってますよね。手前味噌ですけど、僕が16FLIPくんにミックスCD(『OL'TIME KILLIN' vol.1』『OL'TIME KILLIN' vol.2』。〈ディスクユニオン〉限定販売)の制作を依頼したのも、こうやってインタヴューさせてもらってるのも、そもそもは去年の10月に16FLIPくんのDJに打ちのめされたのがきっかけだったんです。あのとき、ドクター・ドレとスヌープの“ナッシン・バット・ア・G・サング”と、ギャングスターの“ロイヤリティ”をかけたじゃないですか。

16FLIP:はい、かけましたね。

Dr.Dre feat. Snoop Doggy Dogg“Nuthin But a 'G' Thang”

Gang Starr feat. K-CI & JOJO“Royalty”

自分はあの2曲をこれまでさんざん聴いてきたんですけど、あんなふうに聴こえたことがなかったというか、まだ上手く言葉にできないんですけど、「16FLIPだけに聴こえてる音とグルーヴがあるんだな」って実感したんですよ。

16FLIP:それ、すげぇうれしいっす。かける人によって、同じ曲でも違って聴かせられるのがDJのおもしろいところだし、ライヴDJが同じインストかけるにしても、かける人によって感じ方とか威力がそれぞれ違うんですよね。そいつの醸すものがそのまんま出るんですよね。だから、ライヴも関係性が高いほうがいいと思いますね。

関係性というのは、ライヴの出演者同士の?

16FLIP:出演者同士のではなくて、MCとライヴDJの場合っすね。人間の関係性もグルーヴだと思うんですよ。

ああ、なるほど。そのDJのあとに話したときに、16FLIPくんが、「ヒップホップだけで、ヒップホップをあまり聴かない音楽好きの人をヤバイと言わせたい」みたいなことを言ってて、それが16FLIPの音楽をまさに言い表していると感じたんですよね。

16FLIP:やっぱり自分は、ヒップホップがいちばんカッコいいと思ってるから。まあもちろん……

比べることじゃないけど……


自分の音楽がヤバイっていうよりも、自分の音楽を通したときに、「ヒップホップってヤバイな」ってならないとダメだとオレは思っていて。

16FLIP:そう、比べるものじゃないですけど、たとえばレゲエだったらレゲエがいちばんヤバイと思ってる人の音楽が聴きたいってことですね。自分にとってヒップホップは他には代えられないものだから。自分の音楽がヤバイっていうよりも、自分の音楽を通したときに、「ヒップホップってヤバイな」ってならないとダメだとオレは思っていて。自分がいろんな人のヒップホップを通して、ヒップホップの良さを知ったんで。そういう感じですね。

16FLIPの音楽、ビート、トラックは、たとえばいまアメリカで売れている主流のヒップホップの派手さや煌びやかさとは真逆にあるわけじゃないですか。もちろん、アメリカにもそういうヒップホップはたくさんあって、ロック・マルシアーノやエヴィデンスのような人は主流や流行と関係ないところでずっと音楽を続けてきたと思うんですね。16FLIPもまさにそうだと思うんです。自分たちが主流や流行とは違う音楽をやっていることに迷いや不安を感じたことはなかったですか?

16FLIP:それはまじにないっすね(キッパリ)。

ははははは。

16FLIP:そういうことを自分で考えたこともなかったですね。派手だとか、アンダーグラウンドだとか、そういうことを考えてないからっていうのもあると思います。流行のヒップホップのなかにもヤバイものはあるし、逆に、自分たちと同じスタイルというか、近いテイストでもダメなものは絶対あるから。どういうのが良くて、どういうのがダメかっていう基準が自分のなかにあるんです。たぶんそうなんすよね。だから、変わんないのかもしれないですね。

その話で思い出したんですけど、2年前ぐらいの〈WENOD〉のウェブ・サイトのインタヴューで印象に残ってる発言があるんですよ。DJプレミアについて、「ブレる事を知らない人の音からでるパワーってすごくて」(https://blog.wenod.com/?eid=206126)って語ってるじゃないですか。いままさに16FLIPの音も円熟……というのは早い気がしますけど、そういう段階に入りつつあるのかなって感じるんです。

16FLIP:ピート・ロックでも、J・ディラでも、ティンバランドでもいいんですけど、ずっと続けているヤツの重みがオレは好きなんですよね。

僕が16FLIPくんに清々しさを感じるのは、サンプリング・ネタの曲やミュージシャンやレコードに頓着しないところなんですよね。

16FLIP:そうっすね。オレ、ぜんぜんそういうの気にしないっすね。

トラックメイカーやビートメイカーやDJのなかには、マニア気質の人たちもいるじゃないですか。16FLIPくんはまったく正反対でしょ。

16FLIP:同じネタでトラックを作っても、違う人間がやったら、絶対に違うものになるし、同じものは作れないじゃないですか。だから、誰々の曲を使ってるとか、オレはまったくどうでもいいんですよ。そういうとこには興味がないんですよね。

だから、『06-13』でも他の人は避けそうなソウルやファンクの大ネタをためらいなくドッカ~ンと使ってるじゃないですか?(笑)

16FLIP:はい、ドッカ~ンっすね。だからオレ、レアかどうかとかって、すごく嫌いなんですよ。そんなの音楽の価値に関係ないんですよね。自分の良いか悪いかしか判断基準にならないんです。たとえば、5万円のレコードがあっても、オレが良いと思わなかったらDJでかけないし、逆に2円で買ったレコードでもヤバかったらかけますね。どんなネタを使っても、オレが作ったらオレの作り方になるし、DJでも、オレがかけたらオレのかけ方になるっていうのがわかってるんですよね。

それを僕は去年の10月の16FLIPのDJに感じたんでしょうね。

16FLIP:そう感じてもらえたことがすげぇうれしいんですよね。それは自分にとって重要なことです。オレも人のDJのそういうところを感じてるし、それこそ“ロイヤリティ”を聴いて、「ああ、懐かしいね」で終わっちゃう人もいるかもしれないけど、オレにとっては永遠にヤバイ曲なんですよ。いつ聴いても良いんですよ。だから、その曲が有名だろうが、初めて聴く曲だろうが、関係ない。きっとそういうことなんですよね。

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ワンループにこだわってるわけではないんですけど、最初はMPCのパッドが16個だったから、16FLIPにしたんですよ。

ところで、16FLIPっていう名前は何に由来しているんですか? 16は16小節からきているのかなと思ったんですけど。そうだとしたら、16FLIPのワンループの美学へのこだわりを考えると、的を射ているなって。

16FLIP:ああ、たしかに。ワンループにこだわってるわけではないんですけど、最初はMPCのパッドが16個だったから、16FLIPにしたんですよ。自分にいちばん合ってるのは、そういうシンプルな名前だなと思って。いまとなってはなんでもいいかなって思いますね。けっきょく名前とかって、やってるヤツ次第でかっこよくも感じられるし、ダサくも感じられるから。あとはスケボーをやってたから、単純にFLIPっていう言葉が好きだったと思うんですよね。で、ヒップホップのトラックの作り方のなかにも、FLIPっていう言葉があったから、そのふたつを掛けたのかもしれないですね。ひっくり返すっていう意味もあるし。

ISSUGIのファースト『THURSDAY』(2009年)に提供した“GOOD EVENING”ってインタルードはスケボーの音で作られてますよね。ほんとに美しくて瑞々しいインタルードですよね、あれは。

16FLIP:(スケボーの音を)入れてましたね。

あのころから5年経ったわけじゃないですか。年齢とともに遊び方も変わったり、生活の変化もあったり、環境も少なからず変わったと思うんですけど、そういう変化は音に反映されたりしてますか?

16FLIP:う~ん……、環境はどんどん変わっていってると思いますけど、トラックを作ることに対しては、とくに変わってない感じなんすよね。もちろん聴いてる音楽もその時々で違いますし、生活の変化も音楽に影響してるとは思うんですけど。ただ、音楽に対して、昔より柔軟になったっていうか、理屈っぽさがさらになくなってきてるかもしれない。

へええ、16FLIPくんが自分のことをそう考えていたとはちょっと驚きです。音楽に関して理屈っぽく考えていたとこもあったんですか?

16FLIP:いや、なんて言えばいいんすかね、そういう理屈とか関係ない自分でさえ、ちょっと理屈っぽかったのかなって思っちゃうときはあったかもしれないっすね。

自分に理屈っぽさを感じたのはどういうところに? ヒップホップに対してストイック過ぎるとか?

16FLIP:いや、そういう部分じゃないんです。なんていうんだろう、昔はいまよりも硬かったっすね、グルーヴが。いまのほうがよりスムースになっていってると思うんですよ。そういう感じですかね。なんか、オレ、動物的になっていくのがすげぇいいと勝手に思ってて。

ああ、なるほど。16FLIPくんが言うその言葉には説得力がありますよね。ただ一方で、こんなこと訊くのも無粋ですけど、一般的には、年齢を重ねると、たとえば家族のことだったり、お金のことだったり、若いころとは違った不安や焦りも生まれたりするだろうし、頭が固くなってしまうというのも一面ではあると思うんですよ。そういうことは感じたりしませんか?

16FLIP:でも、そういうことがあったとしても、音楽には及ばないというか、音楽には影響しないですね。生活の変化は音楽に影響はしてるんですけど、ヘンな音楽を作って、自分が空しい思いをするとしたら作んないほうがいいって思ってますね。余計な考えとかはいらないっすね。うまく説明できないんですけど、そうっすね、自分は自分の音楽がどんどん変化していくのがおもしろいし、それを楽しんでるんですよね。音楽は自分のやりたいことを100%出すのがいいと思いますね。それが前提ですね。

16FLIPくんの音楽に対するストイックな姿勢に接すると背筋が伸びる思いがしますよ。

16FLIP:ほんとっすか?

いや、ほんとに正直な気持ちです。オレとかやっぱだらしない人間だから(笑)。

16FLIP:そうすか?

ははは。

16FLIP:いやー。

やっぱり人間、いろんな欲もあるじゃないですか。

16FLIP:そうっすね。たしかに。

16FLIPくんほどの人気があれば、一獲千金……じゃないですけど、もっとギラギラしてても不思議じゃないと思うんですよ。

16FLIP:一獲千金(笑)。ヘンなことしてヒップホップで一獲千金できると思ってないですからね。

はははは。

16FLIP:もしもですけど、一獲千金する方法があるとすれば、たぶん自分のやり方を貫くことだと思ってますね。自分を貫かなかったら、一獲千金どころか、泥の舟に乗ってるようなものだと思うんですよ。音楽を長く続けるコツは、自分のスタイルを持って続けることだと思うんで。絶対。なんかヘンなことをやったら、自分の寿命を縮めるだけだと思うし、実際そうだと思うんすよね。だって、それでうまく行く人とかあまり見たことないし(笑)。そういう気持ちって人に伝わるじゃないですか。

そうですね。音から伝わりますね。

16FLIP:わかるっすもんね。「あ、こいつ変わったな」みたいになっちゃうと思うんすよ。


俺のなかではラッパーやDJが“B-BOY”じゃなくなったときに、がっかりするっていうか、悲しくなりますね。「ヒップホップを捨てたなあ」みたいなときが。

リスナーもそこは厳しく見てますよね。僕は、ファンやリスナーは薄情な一面もあると思っていて、自分が好きなミュージシャンやラッパーやDJのスタイルが変化したら、見捨てるときはあっさり見捨てたりもするじゃないですか。

16FLIP:俺のなかではラッパーやDJが“B-BOY”じゃなくなったときに、がっかりするっていうか、悲しくなりますね。「ヒップホップを捨てたなあ」みたいなときが。そうなっちゃったときに、自分のなかでは完全に終わると思ってます。

たとえば、メソッドマンにしろ、ナズにしろ、あれだけポップなフィールドでも活躍して、ポップな曲も作って、カネも得ているけれど、いつまでもヒップホップしていて、カッコいいですよね。

16FLIP:カッコいい人はいますね。オレ、スヌープやっぱり好きですね。あと自分は、誰々の“この1曲”が好きっていうよりは、“その人”の作るものが好きだっていう感じなんですよ。だから、ミックスを聴いてくれる人とかも入ってる曲をそうやって聴いてもらえたら、うれしいっすね。

“人間を聴いてる”という感じですかね。

16FLIP:そうっすね。あと、他の人が聴かなくなっても、自分が好きだったら聴いていればいいし、そういうもんだと思うんですよ、音楽って。

16FLIPにとって、ヒップホップって何でしょう?

16FLIP:最終的には、曲を作ることが、自分のヒップホップを表現する行為と同じことだと思ってますね。DJにしても、ラッパーにしても、そうなんですよね。「自分のヒップホップはこういうもんだ」と思ってるものが出ちゃう、ただそれだけだと思ってます。

実は今日、16FLIPくんに会う前にECDさんにインタヴューしてきたんですよ。本人はどう考えているかはわからないけれど、ECDは相変わらず、いまの16FLIPくんの言う意味での“B-BOY”なんだなってすごく感じて。

16FLIP:そうっすね。それはすげぇ思います。

1960年生まれだから、今年で54歳ですよね。

16FLIP:まじでリスペクトですね。

16FLIPくんは自分の音楽家としての未来を考えたりしますか?

16FLIP:自分もそれぐらいの歳までバリバリ音楽を続けて、54になってもニュー・アルバム出したいっすね。自分が54になったときは、いまよりヤバイと思ってますね。長く続ける存在が日本にたくさんいたほうがいいと思うんですよね。年取ってやらなくなっちゃうってことは、ヒップホップが根付いていないってことじゃないですか。その歳になっても音楽をやってるほうが自然だと思うし。若いヤツの音楽ももちろん好きだけど、50代とかオッサンしか出せないヤバさは絶対ありますからね。アレサ・フランクリンとかアンジー・ストーンの音楽にしてもやっぱ演奏とかまじでヤバイし、渋いじゃないですか。そういう人たちしか出せないもんがあると思うんですよ。
 だから、オレが38ぐらいになって、アルバム出したとするじゃないですか。そのときに、はじめて『EARR』とかを聴くヤツがいてもいいと思うし、いつだって何を聴くヤツがいてもいいと思う。自分だって、いまはもう死んでいるヤツの昔の音楽をガンガン聴いてるわけじゃないですか。だからみんな、もっと好き勝手やればいいのにっていっつも思ってますね。もっと好き勝手やったほうがかっこいいものができるし。いまヤバくて、10年後もヤバイのが絶対いいっすね。そういう耳で自分は音楽を聴いてますね。自分がヤバイって思うものは、いまだけヤバイものじゃなくて、永遠にヤバイんです。

BEEF / MOSDEF (16FLIP REMIX)


アイタル・テックとパズルの世界へ! - ele-king

 東京で最先端なサウンドを最高な環境で体験できるパーティ、〈サウンドグラム〉。ディスタル、ループス・ハウント、そしてテセラなどなど、ユニークかつリリースのたびに注目を集める面々ばかりです。会場に持ち込まれるサウンドシステムもこのパーティの魅力のひとつで、低音で揺れるフロア、そこで聴くアンセムは一生記憶に残ることでしょう。4月のテセラ、最高でしたよ。
 今週末、サウンドグラムが大阪と東京で開催されます。今回は光が乱反射するようなエレクトロニカからフットワークまでを手掛けるアイタル・テックと、あらゆるベース・ミュージックを知りつくしているパズルが登場! 
 本当に何が新しいのかを現場で体感して考えてみませんか? 踊りまくりたい方も大歓迎です。今週末は〈サウンドグラム〉へ! 

■SOUNDGRAM TOKYO/OSAKA
ITAL TEK & PUZZLE Japan Tour

大阪公演
日時:10月11日(土) OPEN/START 22:00
会場:TRIANGLE
料金:ADV 2000yen+1D DOOR 2500yen+1D
出演:
Ryuei Kotoge (Daytripper Records), D.J.Fulltono (Booty Tune), CLOCK HAZARD TAKEOVER 3HOUR, CHELSEA JP (GRIME.JP), madmaid (irregular), utinaruteikoku (irregular), DISTEST, ZZZ, Saeki Seinosuke, KEITA KAWAKAMI, D.J.Kaoru Nakano, PPR aka Paperkraft, SHAKA­ITCHI, DJ AEONMALL, HSC, JaQwa, PortaL

東京公演
日時:10月12日(日曜祝日前) OPEN/START 23:00
会場:TOKYO GLAD & LOUNGE NEO
料金:ADV 3000yen DOOR 3500yen
出演:
Submerse (Project: Mooncircle, UK), 19­t Takeover (TECHNOMAN Utabi SKYFISH Cow'P Amjik), HABANERO POSSE, Mike Rhino (UK), D.J.Kuroki Kouichi VS Gonbuto, Chicago vs Detroit, D.J. APRIL, DJ DON, FRUITY, tesco suicide, Mismi, Nishikawacchi, JaQwa, PortaL HATEGRAPHICS (VJ), knzdp (VJ), XVIDEOS (VJ), GENOME (VJ), Shinjuku DUUSRAA (FOOD), zeroya (FOOD), Broad Axe Sound System (SOUNDSYSTEM)

*各公演にItal TekとPuzzeleは出演

ITAL TEK (Planet-Mu/Civil Music, UK)

イギリスのブライトンを拠点に活動する様々なジャンルをまたぐUKならではのエレクトロニックアーティスト。2007年にPlanet­MuのレーベルオーナーであるMike ParadinasがMyspaceにアップされていた楽曲を聴いて気に入ったのが始まりで「Blood Line EP」をリリース。翌年2008年には1stフルアルバム「cYCLiCAL」をリリース。IDMとDubstepの融合を見せたItal Tekならではの作品となった。2009年には自身のレーベルAtomic River Recordsを設立し、その後も順調に多くのリリースとライブ活動を行いジワジワとその名をイギリス国内から欧州へ、そして世界へと知らしめていく。2012年にリリースをした3rdアルバム「Nebula Dance」では自身の解釈世界観のフットワーク・サウンドで展開させ、多くのリスナーを驚かせた。2013年にはCivil Musicより3rdアルバムをアップデートさせたEPをリリース。同年のミニアルバムではフットワーク/ジャングル/エレクトロニカ/アンビエントと独自のスタイルを一歩前進させることなる。そして今年2014年にリリースされたCivil Musicからの2nd EPではよりディープでハイブリッドなサウンドとなり、デビューから現在までブレることの無い確固たるサウンドを披露し、Planet­Muの主要アーティストとして活動している。

PUZZLE (Leisure System, GER)

15年以上に及ぶDJと作曲の経験を持ち、現在はベルリンの世界的に有名なクラブ「Berghain」で行われている「Leisure System」のレジデントとして活動。またLeisure System Recordsの経営と並行して、世界最大級のクラブやSonar、Dimentiions、Arma 17、Redbull Music Academy、Nitsa等のフェスティバルでプレイしている。2012年にはObjektとAsiaツアーを行い、過去にはClark、Rustie、Jimmy Edgar、Machinedrum、Kuedo、Joy O、Blawanやその他多くのアーティストと同じステージで競演。 常に遊び心に富んだジャンルレスなMIXでフロアを狂喜に導く。


 70年代生まれの私たちにとって、女子小学生の遊びといえば、リカちゃん人形をはじめとする着せ替え人形が定番でした。しかし現代の女児たちは、着せ替え遊びにあまり関心がなさそうです。長女が4~5歳の頃に夫からリカちゃん人形を買い与えられたとき、高いドレスをねだられないようにあわてて古着をリメイクしてリアルクローズな人形服をこしらえ、今後のリクエストに応えるべく裁縫材料を購入したものです。しかし彼女がリカちゃんで遊んだのはほんの一時期。落書きされた哀れなリカちゃんは、ビニールケースの中に無造作に突っ込まれたままです。

「もう着せ替え人形では遊ばないの?」
「友だち誰も遊んでないしー。みんな『アイカツ!』とかゲームとかのほうが好きだしー」

 たしかに娯楽が山ほどある現代において、服を着せたり脱がせたりするだけの遊びは退屈にちがいありません。というか、自分自身もなんでそんな退屈な作業をしていたのか、よくわからなくなってきました。狭い家で地味なお下がりを着るしかなかった当時の庶民女児の一人として、リカちゃんになにがしかの夢を託していたのでしょうか。一方、リカちゃんのドレスとさして変わらない値段でひらひらワンピースを買ってもらえるファストファッション時代の現代女児は、わざわざ着せ替え人形で夢を見る必要はなさそうです。事実、リカちゃん人形の売上は、ピーク時に比べて半分以下に下がっていると聞きました(ITmediaニュース)。

 そんな我が家に、なぜかやってきたのが、「起業家バービー」と「大統領バービー」。


左が「起業家バービー」、右が「大統領バービー」

私が「仕事つらい……」と愚痴っていたら、夫が「起業すれば?」と誕生日プレゼントとして注文してくれたのです。

  「起業家バービー(Entrepreneur Barbie)」は、今年6月にマテル社から発売された、バービーがいろいろな職業に挑戦する「Barbie I Can Be…」シリーズの最新作。髪色と肌の色が異なる4種類のラインナップで、アクセサリー小物はスマホにタブレット端末、ブリーフケースと、「おうちサロン」レベルではなさそうな本格的なキャリアウーマン風です。

 「Barbie I Can Be…」シリーズではこのほか、コンピュータ・エンジニア、歯科医、獣医、パイロット、ライフガード、レーサー、サッカー選手、スキー選手、女子アナ、北極レスキュー隊などに扮したバービーが発売されています。「大統領バービー」(U.S.A. President Barbie)もその一つ。ガチャピンにひけをとらないチャレンジぶりですが、同シリーズに限らずバービーの職業人としての歴史は意外にも長く、1960年代の時点で宇宙飛行士、会社役員、地理教師に、1970年代にはダウンヒル・スキーヤー、外科医にもなっています。フェミニズムがカルト思想扱いされている日本に住んでいる身からすると、うらやましいほどのポリティカルコレクトネス。

 そんなバービーですが、本国ではときに厳しいバッシングにさらされてきたのも事実。いわく、バービーで遊んでいた少女ほど、自分の身体イメージに自信が持てず、小学生の頃からダイエットに励む傾向にある。人種偏見を助長する。ジェンダーに対する固定的なイメージを植え付ける。「ご心配なくお母さんお父さん。バービーで遊んでもあなたの娘さんは拒食症になったり人種差別をしたり生涯年収が減ったりはしませんよ」──そんな保護者へのメッセージが、起業家バービーには込められていそうです。起業家バービーの発売に合わせて、公式サイトで実在の女性起業家10名をフィーチャーするBarbie Celebrates Women Entrepreneurs特設ページを設けているのも、フェミニズムを標準装備している保護者へのアピールの一つなのでしょう。またバービーオフィシャルのTumblr「THE BARBIE PROJECT」でも、少女手作りのバービーハウスやお手製メキシコ民族風衣装などのクリエイティヴな遊びの数々が紹介され、娘の知的発達を阻害したくない親心をくすぐってくれます。

 ところが、今年3月にオレゴン州立大学の研究者らが発表した調査は、こうした試みに水を差すようなものでした。バービーで遊ぶ女の子は、男の子よりも将来の職業の選択肢を少なくとらえており、それは従来のバービーで遊ぶ子もお医者さんバービーで遊ぶ子も変わらなかったそうです。職業の選択肢の数が男の子と変わらなかった女の子は、『トイ・ストーリー』のミセス・ポテトヘッドで遊んでいたグループだけ。


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ジェンダーフリーを推進する
じゃがいも「ミセス・ポテトヘッド」

 女子がセクシーであるべしという価値観を内面化してしまうと、必然的に職業の選択肢が減ってしまうということなのでしょうか。ごつくなったり忙しすぎて髭が生えそうな仕事は避けたいでしょうし……。それでも、建前ではあってもコンピュータ・エンジニアが女の子の職業として提示される環境は、率直に言ってうらやましいなと感じています。私は子どもの頃プログラミングや数学が大好きでしたが、女の自分がそれらを活かした道に進めるなんて夢にも思いませんでした。ロールモデルの代わりに与えられたのは、「女がそんなことに興味を持っても何にもならないのに」という、やはり性別ゆえに大学進学を諦めざるをえなかった母親の複雑そうな顔だけ。大人になってみて、女向けとされる仕事は若さや容姿が必須でキャリアを積みづらい職も少なくないことを実感しました。このことが男女間の格差を生んでいる一因であるようにも思われます。ロールモデル、超重要。

 ともあれ、バービーを一目見た長女は、執拗にねだりはじめました。

「リカちゃんでぜんぜん遊んでないじゃない。バービーならいいの?」
「バービーは背が高くてかっこいいからいいの。化粧が濃いのはちょっとイヤだけど。リカちゃんは……かわいい系かな」
「ピンクはもう嫌いになったって言ってなかったっけ。この人たち、どピンクですけど」
「(パステル)ピンクは子どもっぽいもん。でもこのピンクはかっこいいと思う」

 そういえばバービーたちのチェリーピンク×黒の取り合わせ、長女の最近のファッションに似ています。黒ジャージ下にチェリーピンクのトップスという、私からすると不思議なコーディネートは、「強そう」という理由でお気に入りらしい。

 彼女は2体のバービーを両手に持ち、着せ替えはせず(そもそも着替えは付いていないのですが)それぞれの声をアテレコしてごっこ遊びをはじめました。完全に起業家と大統領になりきっています。すごい、ロールモデルになっている。私は子どもの頃、リカちゃんをロールモデルとしてとらえたことはありませんでした。正直、どんな人なのかすらよくわかっていなかったのです。しかしリカちゃんだって時代に合わせた展開をしているはず。調べてみると……


リカちゃん
おしゃべりスマートハウス
ゆったりさん

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 リカちゃんハウスがスマートハウスになっていました。そっち方面に進化していたのか。小物類も、洗濯乾燥機、ルンバ風のロボット掃除機、電動自動車と、最新家電事情を反映しています。しかしこれ、女児は喜ぶのでしょうか。電動自転車で双子の送り迎えもラクラク! 太陽光発電なら電気代もオトクだし、洗濯乾燥機とルンバがあれば夫が非協力的でもどうにかなるワ~って、それ家事育児と仕事を一人で担うお母さんの願望なのでは? よくよくスマートハウスの商品写真を見てみると、台所でお菓子作りをしているお母さん&リカちゃんに、ダイニング・テーブルで新聞を読んでいるお父さんと、家は最新型でもジェンダー観は昭和のままです。写真まんがでは、リカちゃんのドジっ子ぶりも昭和風。あらたにおともだちに加わったキャラの将来の夢は、「ヘアスタイリスト」「トップモデル」「アイドル」「トリマー」「へアメイクアップアーティスト」と、ファッション系で占められています。夢に何を選ぼうが自由とはいえ、偏りすぎというか、リアル女児の夢ももう少しばらけているように思います。これでは起業家リカちゃんや大統領リカちゃんはもちろん、SEリカちゃんも地方議員リカちゃんも生まれそうにありません。家電をきわめてカツマーリカちゃんになれば、意識高いバービー勢に対抗できるかもしれませんが……。

 とはいえ、かの小保方さんがなぜあの論文とあのノートであの地位まで上り詰めたのか、と考えたときに、6歳児ですら嫌がるパステルピンクを積極的に取り入れ、昭和のドジっ子のような実験ノートの取り方をし、理詰めではなくうるうるの瞳で訴えるといった「リカちゃん好きの女児のまま大人になった感」が、大きく介在しているであろうことを思わずにはいられないのです。エライおじさんたちの判断力を奪うほどのピュアな女児力(プリンセス細胞!)。科学の世界だから問題になっただけで、文化系業界や実業界ならあのまま成功し続けただろう、とも感じます。日本の女の子が好きな道で成功するには、リカちゃんをロールモデルにするのが結果正解なのかも。そんなことをぐるぐる考えていたら、ごっこ遊び継続中の娘からこんな声が。

「私ね、29歳で大統領って言ったけど……あれはウソなの」
「実は私も、社長じゃないの」

 虚言癖バービーになっていました。まあそうですよね。身の回りに女性社長も、女性大統領もいないもの。『OECDジェンダー白書――今こそ男女格差解消に向けた取り組みを!』によれば、日本は子育てをしながら働く女性の、男性との給与格差が先進国で最大(男性の39%)なのだそうです。残業ができないために出産前までの職種に戻ることが難しく、パートタイム派遣に就いている私も、格差を構成する母たちの一人。そんな日本の母たちの姿を見ている女児が、人形だけでアメリカンドリームを抱けるはずもなく。やっぱり自分が起業するしかない……のかも。

Atom™ & Marc Behrens - ele-king

 90年代のエクスペな音楽状況を振り返ると、当時それなりに知られていたにも関わらず、いまではほとんど忘れ去れているシュトック、ハウゼン&ウォークマンというユニットを思いだしてしまう。

 彼らはモンドでラウンジな60年代のレコードのサンプリングによるコラージュ・アート、そのサウンド版といった趣のアナーキーなユニットだった(リーダーのマット・ワンドはユニット結成以前、デレク・ベイリーのカンパニーで活動していたらしい)。デビュー・アルバムは91年リリース(2001年解散)。ユニット名の元ネタは、いうまでもなく有名な某プロデューサー・チーム、そして、あの超有名現代音楽家との掛け合わせというヒトをくったもの。もともとはジャンク&ノイズ&スカムな音楽といえる彼らの音楽性だが、95年にリリースされたネコちゃんジャケのアルバム『ヘアボールズ』が、小山田圭吾や緒川たまきによって紹介されたこともあって、一気に「中期渋谷系基本アイテム」化した雰囲気もあった(実際はどうか知りません・笑)。つづく96年リリース『オーガン・トランスプランツ Vol. 1』もモンド/ラウンジな傑作。そう、90年代中期は「グランジからラウンジ」だったのだ。

 このアトム™とマーク・ベーレンス『Bauteile』を聴いたとき真っ先に思い出したのは、シュトック、ハウゼン&ウォークマンだった。テクノからヒップホップ、ガレージ・ロックからアンビエント、フリージャズから電子音楽/音響まで圧倒的な情報量が接続されていくコラージュの技法に、90年代型のサウンド・コラージュ作品の2010年代版という印象を聴き取ったからか。それゆえアフター・モンド・ミュージックを感じたからか。

 90年代。モンド・ミュージックの時代。サンプリングによるサウンド・コラージュの時代。少しだけそんな時代を振り返ってみると、異論はあるかもしれないが、95年あたりからこのシュトック、ハウゼン&ウォークマンを巻き込むカタチで起きていたムーヴメントがいわゆる「モンド・ミュージック」ブームである。「モンド・ブーム」は、60年代~70年代の知られざる音楽たち(モダンなムード・ミュージック、奇天烈な電子音楽、ソフトロック、サイケロックなどなど)を発掘すること(DJ的な行為・およびその真似事という名の単なるリスナー)と、それをサンプリングして楽曲に取り込むこと(音楽家的な行為)の二つからはさみこむことで成立していた。その価値観の中心は、80年代までの「名盤ガイド」には掲載されないような音楽を積極的に再評価すること。それが折からのDJブーム、サンプリング・ブームと並走するかたちで人気・支持を得たものであった。

 もちろん、これは日本独自のものではなくて、たとえば米国『リ・サーチ』誌などの先駆的な例があってのこと。とはいえ日本でのモンド需要は日本ならではの特殊性もあって、90年代初頭に60年代~70年代のフリーソウルやソフトロック、サントラ・ブームなど「名盤ガイドに掲載されていない」レコを発掘し、元ネタとして自作に取り込む「渋谷系」というムーヴメントからシームレスにつながるかたちで存在していた点だ。90年代中盤頃、渋谷系ムーヴメントは、お洒落悪趣味路線(ザックリ書けばデス渋谷系や雑誌『クイック・ジャパン』など)へとシフトしつつあり、90年代中期のユースカルチャーの空気とモンド的センスは結びつきやすかった。結果、スムーズに渋谷系→モンド系へと移行ができたのではないかと思う。たとえば95年刊行の『モンド・ミュージック』にこんな内容の記事があった。「モンド・ミュージック」のメジャーからのアイコンとでもいうべきビーチボーイズ=ブライアン・ウィルソン=『スマイル』をめぐるテキスト内で、フリッパーズ・ギターのファンと思える男女が、レコ屋で“ゴッド・オンリー・ノウズ“がかかった瞬間に「コレ誰ですか!」と店員に詰め寄ったという描写がなされているのだ。

 90年代中期(97年くらいまで)で、「世界同時渋谷系化」などといわれたり、ピチカート・ファイヴやコーネリアスが高い人気を得たのも、その音楽的な力量は当然として、このようなレコードを選ぶ/聴く、「目(耳)利き」的なセンスが、世界/ニッポンの音楽的潮流とリンクしていたからのように思えるのだ。60年代~70年代の誰も知らないセンスのいいレコを、90年代的なセンスで編集するようにセレクトすること。それが日本の渋谷系からモンド・ミュージック・ブームで共有されていた空気だった。ちなみにモンド・ミュージックは、その後期(99年あたり)においてシカゴ音響派にもつながり、キー人物はジム・オルークとなる。結果、日本では渋谷系→モンド・ミュージック→シカゴ音響派とつながっていく。そもそもニッポンにおいて「モンド」と「音響派」はそう遠くない起源を持っているのだ。

 今回取り上げる、アトム™とマーク・ベーレンスの『Bauteile』を聴いたとき、即座に浮かんだのが以上のようなキーワードだった。シュトック、ハウゼン&ウォークマン。モンド・ミュージック。90年代。ポップのいかがわしさと、人工的なリゾート感。サンプリング・コラージュ。音響派。00年代的エレクトロニカ。もちろん、『Bauteile』はそれらとは違う。そもそも時代が違う。だが音楽のコラージュ、過去の音楽のリサイクル的なコラージュ感、そして何より、ポップ感に近いものを感じてしまったのだ。ほとんどサンプリングを用いない自分音源によるテン年代のシュトック、ハウゼン&ウォークマン?(アトムとマークが80年代からやりとりをしていた音源が素材だという。また、多少なりともレコ音源などのサンプリングはあるように思える。終盤に出てくるサックスなど)。

 ちなみにアトム™は、テクノからラウンジ、エレクトロニカからアンビエント、ラテンからモンドまで、20世紀のポップの記憶をエレクトロニクス・ミュージックに圧縮するような曲を作りつづける多作なアーティストだ。モンド・ブーム時にはリサ・カーボンのアルバムをリリースした(名盤)。そしてときおり挿入される硬質なノイズは、マーク・ベーレンスのものか。ベーレンスはアトムとは正反対といっていい作風のサウンド・アーティストで、インスタレーション作品なども制作している。昨年ポルトガルの美術館から刀根康尚の素材を用いた音響作品『イレギュラー・キャラクターズ』をリリースしており、刀根的なグリッチ音とマーク・ベーレンスの物質的な音がぶつかり合う傑作であった。そして『Bauteile』にも似たような音の質感が感じられた。

 CDを再生すると、冒頭はまず低音の持続。そして微かなノイズとカタカタと鳴る音、声(の痕跡のような音)などが折り重なる。やがて弦の音やアコーディオンがサウンド・ロゴのように鳴り響く。そこから4分後くらいにはビートが鳴りはじめ(すぐに消えていく)、エレクトロ、ヒップホップ、エレポップ、テクノ、ハウス、ガレージロック、フリージャズ、ノイズ、アンビエントなどが次から次へと音の坩堝のようにコラージュ/エディットされていくのである。その圧倒的な情報量には耳もクラクラしてしまう。

 この本作のコラージュ感は、サンプリングによるコラージュというよりも、PC内でのデジタル・エディットだからこそできる過剰な情報量が圧縮されている点が大きな特徴だろう。90年代のシュトック、ハウゼン&ウォークマンが、レコード「サンプリング」のコラージュ・アートとしたら、テン年代の『Bauteile』は、過剰な情報の「コピー&ペースト」のコラージュ・アートだ。そして現在「コピー&ペーストなコラージュ・サウンド」は進化の只中にある。彼らよりも若い世代のワンオートリックス・ポイント・ネヴァーなども「コピー&ペーストなコラージュ・サウンド」を生み出している。その意味でワンオートリックス・ポイント・ネヴァーはデジタル時代のシュトック、ハウゼン&ウォークマンである。

 いまという時代は、異なる世代が20世紀大衆音楽の記憶をコピー&ペーストするコラージュ・ミュージックを制作している時代とはいえないか。そして、この『Bauteile』には、モンドから音響派までの音楽的な変化が圧縮されている。それは20世紀の大衆音楽の記憶だ。さらに重要なことは、この「コピー&ペースト・コラージュ・アート」は歴史を無化するものという点である。となると、これは20世紀を真に忘却するための儀式なのではないか、とわたしなどは思ってしまうのである……。

Eccy - ele-king

ども、Eccyです。今年もあっという間に終わってしまいましたねー。
結局リリース出来ませんでした(泣)。が、しかし! 何か最近気合いも入ってきたしモチベーションも上がってきたので、来年はリリースすると思われます! いやします! しよう! する! 出来るかな? いやしなきゃ! するでごわす!するなっしー! するめいか! するーざふぁいやー! ちゃかかーん! ということで、2013年のベストアルバムトップ10を書きました。載せたいのもっといっぱいあったけど悩みに悩んで絞りました。ではわたくし、2014年はもっと頑張ります! みなさんよいお年を!(紅白あまちゃん特集楽しみっすね)

https://twitter.com/_Eccy_
https://soundcloud.com/eccyprodukt
https://yusukekiyono.tumblr.com/

10 Best Albums Of 2013


1
Oneohtrix Point Never - R Plus Seven (Warp)

2
Jon Hopkins - Immunity (Domino)

3
Bonobo - The North Borders (Ninja Tune)

4
Danny Brown - Old (Fool's Gold)

5
Atoms For Peace - AMOK (XL)

6
相対性理論 - TOWN AGE (みらいレコーズ)

7
Sky Ferreira - Night Time, My Time (Capitol)

8
Zomby - With Love (4AD)

9
Pusha T - My Name Is My Name (GOOD)

10
Quasimoto - Yessir, Whatever (Stones Throw)

Ord - ele-king

 ストーリーを覚えていない映画の記憶が、いや、そもそもまったく観たことすらない映画の記憶が、なぜかフラッシュ・バックのようによみがえる。映像すら霞むようなスクリーンの眩い光が瞬間、脳裏に再生する。しかし、その瞬間の映像には音はない。サイレント=イメージ。だが、それはその抽象性ゆえ、どこか音楽のようでもある......。

 京都〈シュラインドットジェイピー〉の最新作ord『w』を聴きながら、そんな記憶が想起されていく。優しく牧歌的で、儚く幻想的で、そして澄んだ空気のように清潔な音。その質感が生み出す記憶。その記憶=音の向こうにある静寂。さまざまな音楽フォームを見事に昇華したポップで瀟洒なエレクトロニカ/エレクトロニクス・ミュージックでありながら、同時に、サイレンス/サイレントな世界を希求する音楽に思えたのだ。

 そんな空想じみた結論らしきものへと先に急ぐ前に、アルバムについて簡単な説明をしておこう。ordは甲田達也とMihoyoのユニットだ。甲田は〈涼音堂茶舗〉から作品をリリースしていたheprcamの元メンバーである。彼らのアルバム『COHCOX』は涼音堂茶舗を知る人ならば記憶に残っているだろう。heprcamはドラマー/パーカッショニストの青木淳一とのデュオだが、ordはヴォーカリストMihoyoとのユニットである。ここにおいては「声」が、00年代以降のエレクトロニカのサウンド・フォームのなかで見事にエディットされている。たとえばプレフューズ73のヴォーカル・チョップとボーカロイドが00年代のエレクトロニクス・ミュージックにおける「声」の扱いという意味で、ふたつの解答を用意しているように、本作もまた声とエレクトロニクスの交錯を、とても繊細な手法で実現しているように思えたのだ(ちなみに、声とエレクトロニクスという意味ではATOM TMの最新作『HD』のエディットも重要であろう)。

 とはいえ、ヴォーカル・トラックは主に3曲であり、全8曲のトラックはヴァリエーションに富んでいる。アルバム1曲め"Koko"は、レコードのスクラッチ・ノイズに、ミニマルなサティのようなピアノのフレーズとフランス語による会話(映画からのサンプリング?)が重なっていくトラックだ。この瀟洒なトラックにおいては、ピアノと言葉のミニマルな反復が時折、絶妙にグリッチし、まるで壊れた記憶のような音像が生み出されていく。2曲めはMihoyoによるボーカル曲"Eriel"だ。メロディに対してトラックは極めてミニマルである。だがそのミニマルなトラックの隙間から、鳴っていない弦の音が聴こえてくるような不思議な感覚を味わうことができる。続く1分20秒ほどのギターをメインとした"Moyo"を経て、テープ反転の音からノイズが鳴り響くエレクトロニカ・シューゲイズ"Kugeuka"に。アコースティックからノイズへの世界の反転=暗転。そして、クリッキーなビート、そこに突如クラシカルなピアノ、ジャズのブラシワークのようなリズムなどがエディット/交錯する"Irena"へ。シンセウェイブ的なアンビエント・トラック"2006"を経て、ヴォーカル/ヴォイストラックであり、本アルバムの代表曲といってもいい"Msimu"に行き着く。独特のリズムとMihoyoのボーカルとサウンドが微細にエディットされ、聴き手の聴覚を軽やかに刺激する見事なトラックに仕上がっている。ラスト"Lala"においては、ギターのミニマルなフレーズに、微かな環境音がレイヤーされ、00年代初頭のフォークトロニカ(例えば、2002年に〈カーパーク〉からリリースされたグレッグ・デイヴィス『アルボール』など)が現在の音響的精度で再生したような曲でアルバムは静かに幕を閉じる。同時にこのラスト・トラックの響きは、冒頭"KoKo"のピアノの響きへと繋がっていくだろう。

 そう、あらゆる時間が円環するように、このアルバムもまた最初の時間へと円環するのだ。2000年代のエレクトロニカを最良の音楽性がいち枚の作品に内包されているかのようなアルバムである。だが、ゴッタ煮的な騒がしさは全くない。アルバムの音は、ひとつのトーンできちんと統一され、音楽は記憶の残像のように展開する(糸魚健一の丁寧なマスタリングも、作品の本質を引き出しているように思える)。

 ここでアートワークを見てみよう。写真もまた甲田達也自身の作品だという。表面は、白地に宙を舞う鳥の瞬間を捉えており、対する裏面は黒のイメージ。ケースを開くと、青い空に強烈な光を放つ太陽の写真イメージ。「朝」と「夜」が、「昼」の瞬間の光を挟み込んでいるのだ。強烈な光の記憶。その記憶がもたらすサイレンスな朝と夜。その無音の記憶。その無音に向けての音楽。このアルバムは実にバリエーションに満ちた音楽を収録しながらも、ある種の静寂さのアトモスフィアを生成している。いわば本作は、エレクトロニクス/ポップによって、そんなサイレント/サイレンスの世界を繋いでいるように思えるのである。それはとても繊細な創作だと思う。

 なぜ、人が不意に映画のワン・カットを想起するとき、そこには音はないのか。映像と音響の乖離。だが、その瞬間の記憶に音をつけることはできるだろう。本作は、エレクトロニクス/ポップによって、そんなサイレント/サイレンスの世界を繋いでいるように思えた。それはとても繊細な創作であり、また同時に「聴くこと」が「無音の記憶のトレース」であることをも想起できる仕事のようにも思える。

 それにしても、〈シュラインドットジェイピー〉から相次いでリリースされる作品は、どれも日本の電子音楽の最先端を語る上で欠かせない重要な作品ばかりだ。近作A.N.R.i.『All Noises Regenerates Interaction』もエレクトロニカとミュージック・コンクレートを極めてポップな質感で実現した傑作であった。本作もまた、日本の電子音楽の最良のカタチを、密やかに、優雅に、セカイの耳に向けてプレゼンテーションしているように思えた。

やけのはら - ele-king

 ある季節を通り過ぎた後、ラッパーはどのように歳を取っていけばいいのか? そういった意味で、ここ数年におけるECDやイルリメの活動は、人工的なシンセ・ポップ『(((さらうんど)))』からsoakubeatsの挑発的なヒップホップ・ノワール『Never Pay 4 Music』まで、極端に言えばそれだけのふり幅のなかで今なお新しい表情を見せている。
 それはしかし、年齢的に、ある程度は対象化して考えることができる。が、それがやけのはらや七尾旅人となれば、話は違う。自分よりも少し早く生まれ、その分だけ早く音楽を愛し、その力を信じ、いまでいうスモール・ポップの時代が到来するのを牽制するかのように、盟友 Dorianとともにアンセムを次々とドロップ。いずれも七尾旅人との共演である"Rollin' Rollin'"や"Shooting Star"といった刹那のロマンティシズムは、移りゆく時代をインディペンデントで生きようとする人びとにとって、代えがたい道連れになったことだろう。
 ブッシュマインドとの共作、ゼロ年代屈指のドリーミー・ラップ"Day Dream"をひとつの到達点として、やけのはらは新しい季節に真夏の太陽を呼び込んだ。それが『This Night Is Still Young』だったし、"Good Morning Baby"だった。そこからすれば、本作『Sunny New Life』から聴こえる新しい言葉たち――太陽、キラメキ、リラックス、幸せ、未来、夢、光、希望、大事なもの――も、決して消費社会のパロディではないことがわかる(そういえば、やけのはらが連載を持つ『ポパイ』の最新号もハワイ特集だった)。彼は、リラックスしつつも前向きさを求めている。純粋に、意図的に、あるいはアンビヴァレントに――。
 そう、その前向きさは両義的だ。この『Sunny New Life』というアルバムには、前作で迎え入れた太陽が、水平線の向こうに落ちるのを見送るような、開放感と隣り合わせのメランコリーがある。落とし前としての、後日談。夏は終わった。仮にそれが、人が大人になることのメタファーで、"Shooting Star"や"Rollin' Rollin'"の輝きを忘れるこさえ意味するなら、そこが最初、微妙にしっくりこなかったのだが、先日公開された編集長によるインタビューを読み、腑に落ちた。ずばり、「人が大人になること」は本作の裏テーマであるらしい、と。

 今回は、新しさとか生活とか、統一したテーマで作りました。そして、「年を取っていく」とか「暮らしていく」とか、「大人になる」とか――「暮らしていく」っていうのは時間が経過していくから当然年を取るわけで。そこが裏テーマだったんですけど、それは誰にも指摘されてないですね。「大人になりましょう」っていうのを言ってるんです。interview with Yakenohara - ドリーミー・ラップ再び

 やけのはらは、だが、世間との距離を感じたままに大人になっていくことの違和感を捨てきれていない......ようにも見える。例えば、SAKANAの"ロンリーメロディ"ほどには――。キミドリの"自己嫌悪"の先に彼が求めたのは、人生の緩やかな肯定感、少なくともそこに漂う迷いや不安の払拭であり、そのムードはVIDEOTAPEMUSICの『7 泊8日』から転用されている2曲のリエディット、メロウ・アンセム"Blow In The Wind"(ceroの高城晶平が参加)と、平賀さち枝がふわふわのコーラスを添える"D.A.I.S.Y."(原曲は同作収録の"Slumber Party Girl's Diary")に顕著だ。
 悪戯にシリアスなわけではない。だが、『7泊8日』の持っていた企画性、そのデフォルメされた小旅行感は少しだけダウナーに、言葉の前向きさとは裏腹に、どこか神妙で切実なトーンに上塗りされている。トラックのサンプリングは軽量化され、隙間には言葉が詰め込まれる。もちろんやけのはらは、歌とラップの区別を曖昧にしたフロウをさらに滑らかに研磨し、アルバム全般に渡って軽快さを忘れない。
 それに、BETA PANAMAによるスティール・ギター、VIDEOTAPEMUSICによるレトロスペクティヴなサンプリング・アートとピアニカ、キセルの辻村兄弟、シーンのキーマンである MC.sirafuのスティール・パン、トランペット......などなど、さまざまなメンバーが本作の醸す脱力感の演出にひと役買っている。
 だが、"Shooting Star"や"Good Morning Baby"の頃の無根拠であるがゆえの前向きさは、もうないのかもしれない。それを嘆いていてはいけないのだろう。事実上のリード・トラックである Dorianとのアーバン・ソウル"City Lights"が象徴的で、PAN PACIFIC PLAYAからはお馴染みLUVRAWがトークボックスで参加しているが、好色さは抑えられ、都市生活者の夜をメランコリックに彩っている。そこには人生と対峙するやけのはらがいる。

 SAKANAのクラシック"ロンリーメロディ"へのアンサー・ソングとなったピアニカ・ポップ"Sunny New Days"や、やけのはらの社会意識が顕在化し、快速東京の福田哲丸も参加しているハードロック・ベースの"Justice against Justice"、SUIKA のMCである ATOMの未発表曲をカヴァーする形となったトロピカルな"IMAGE part 2"など、言及すべき曲は多いと思う。
 が、本作をやけのはらの「幸福論」として聴くなら、あるいは、快楽にノイズや混沌が伴っているか、という点で言えば、エンディングの"Where Have You Been All Your Life?"に尽きるだろう。ここでやけのはらは、リスナーに向けて直接的なコミュニケーションを試みる。瞬発的な祝福ではなく、聴き手の精神の近くまで丁寧に歩み寄っていく。できる限り言葉を尽くし、どこまでも優しく、サイケデリックに――。

 それは、より多くの人に言葉を届けるための、やけのはらの賭けであり、勇気だ。実際的な連帯ではなく、もっと緩やかな気分の繋がり。あえて言うなら、その言葉たちに、どこか余白が少ないように思えたことだけが心残りだ。それは、リスナーの想像力を信頼しきれていないことの裏返しとも言えやしないか。筆者が言うのではあまりにおこがましいかもしれない......だが、自分が育てたリスナーの耳をもっと信頼してくれてもいい。
 インタヴューでは、年齢が30を超えた、ということが何度か言及されている。そういえば、七尾旅人の"サーカスナイト"も、魔法が解けていく歌だった。ある輝かしい季節を、過去時制のなかに置いてくること。やけのはらは、アンチ・アンチエイジングとして、それを素直に受け入れようとしている。そろそろ大人になってもいい頃だ、と。そこには、3.11の影さえもがチラつく――。だが、その場所で語られる宙ぶらりんの夢があってもいいのではないか。何の根拠も出典も裏付けもいらない。誰に置いていかれても、僕らにはまだ音楽がある。

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