「Low」と一致するもの

Tyler, The Creator - ele-king

 2017年に行われた最後の来日公演から8年、タイラー・ザ・クリエイターが東京に降り立った。今回はお台場・有明アリーナで二夜連続(9月9日、10日)という大舞台。かつて恵比寿リキッドルームでの一夜限りの公演を観た人なら、その規模の違いはまさに天と地ほどだと実感するだろう。タイラーは紛れもなく人気者であり、世界で最も優れ、最も影響力を持つラッパーのひとりだ。そして本人も認めるように、タイラー自身は疲れを覚えている。
 OFWGKTA(Odd Future Wolfgang Kill Them All)がまだTumblrを拠点にし、その思想と広告戦略がまさにそこに刻まれていたローファイなデジタル時代から彼らを追いかけてきた私だが、残念ながらこれまで一度もタイラーをステージで観ることは叶わなかった。YouTubeを通じて彼と一緒にステージダイブをする自分を想像したり、彼の最初の3枚のアルバムに合わせて跳ね回る自分を思い描くしかなかった。そして有明アリーナをほぼ満員にした二夜の観客の8割は、おそらく私と同じ状況だったに違いない。
 オープニングを任されたのはバンドのParis Texas。タイラーの熱量とフロウをなぞるように、観客を温める役割を見事に果たしてみせた。彼らの演奏の前後には、二公演目にして最後となる日本公演を待ちわびる熱気がホールを満たし、人びとは席を探しながら廊下を駆け抜けていた。その光景に自然と頬が緩む。日々のメディア過剰時代にあっても、こうした切実な「待ち遠しさ」や「胸の高鳴り」がまだ健在であることに、私は心から安堵する。

 照明が落ち、巨大スクリーンが一斉に光を放つと、新作『Don’t Tap the Glass』の映像が流れはじめ、観客の熱気は一気に高まった。そしてそのまま、タイラーは“Big Poe”でアリーナ全体を揺らしにかかった。残念ながら私は三階席に追いやられてしまったが、周囲の観客の一部は、これがダンス・ミュージックであることを忘れてしまったかのように静かで、その分アリーナのフロアは熱狂的に応えていた。
 ステージに現れたタイラーは真っ赤なレザーパンツに白いTシャツ、そして赤のレザージャケットという装い。観客の多くが30歳未満であることを考えると、この色彩の組み合わせがマイケル・ジャクソンの『Bad』や『Thriller』を想起させるものだと気づいた人は少なかったのではないだろうか。タイラーが披露した数々のムーンウォークを見れば、その内輪的なジョークは明らかだったはずだ。
 『Don’t Tap the Glass』の鮮やかな色彩から、次の曲群では『Chromakopia』の緑を基調とした演出へと移行した。だが、ここで違和感を覚えた。タイラーの責任ではないが、ヴィジュアル・チームはスクリーンの光演出に偏りすぎており、ステージ上のタイラー自身は闇に包まれてしまっていたのだ。曲がひとつふたつと続くあいだも、彼の姿がほとんど見えない時間があり、観客としては落ち着かない体験となった。

 音楽自体は素晴らしく、タイラーは純粋なポジティヴ・エナジーの塊として、心を込めてラップを届けてくれた。もっと多くのラッパーがこうした愛情をもってパフォーマンスをすれば、と願わずにはいられなかった。しかし、それでもなお舞台演出には混乱の影が残った。これまでの公演映像を見返してきた私は、今年7月までのツアーでもタイラーが『Chromakopia』のプロモーションに集中し、仮面、アフリカ風のヘアスタイル、そして緑のスーツを纏っていたことを知っている。だが、新作『Don’t Tap the Glass』が突如リリースされたことで、そうした演出はすべて覆され、東京の観客はその世界観を体験できなかった。過去の公演映像で見た華麗な舞台美術を心から楽しみにしていたが、有明アリーナの舞台装置は巨大スクリーンがあるだけで、それ以上は何もなかった。この特別な東京公演における演出の物足りなさは、まさに痛手だった。仕事を休んでまで足を運んだ観客にとってはなおさらだ。
 それでも、知っている曲では声の限りに歌い、馴染みのない曲では耳を傾け続け、一度も座ることはなかった。だがタイラーは座った。三度も。そしてそのうち一度は、床に仰向けに寝そべってしまったのだった。

 “Take Your Mask off”で彼が吐き出した深い心の傷——それはたしかに私の胸にも響いた。本物の誠実さがそこにあった。だが同時に、彼は何度も「暑い」とこぼした。真っ赤なレザージャケットを着たまま、一度も脱がずに。さらに彼は、「しばらく日本には戻ってこないだろう」と、観客の心を射抜くような言葉を投げかけた。思い返せば、前回の東京公演は2017年、ほぼ10年近く前のことだ。そして彼は繰り返し「疲れた」とも語った。私は3〜4時間にわたる長丁場のステージをこなすバンドを見てきたが、この日のタイラーの公演はわずか1時間20分だった。

 もちろん私はライヴを楽しんだ。謎めいた存在であるタイラーを間近に感じられたことは大きな昂揚をもたらした。しかし、ステージ上で「疲れている」と訴える姿には苛立ちも覚えた。時差ボケ、過剰に熱狂的なファン、日々絶え間なく求められる発言、仲間に囲まれない孤独——そうした重荷を背負う彼に共感しないわけではない。だがそれは、毎朝4時に起き、夜8時まで働きづめだった父の労働や、複数の子どもを出産し、7〜9時間立ち仕事をしてから家に帰って夕食を用意した母の姿から聞こえる、「疲れた」と同じではない。
 彼はたしかに観客に感謝していた。しかし、舞台演出の乏しさや、人気曲を断片的に繋いだメドレー形式——それぞれが一節で切られてしまう構成には、「完全なパッケージ」を体験できなかった物足りなさが残った。
 もし今回の東京公演を観た人がいるなら、ぜひ7月にニューヨーク・ブルックリンのバークレイズ・センターで行われたパフォーマンスを観て比較してほしい。


8 long years since his last show in Japan in 2017, Tyler the Creator touched down in Tokyo for 2 nights at the Ariake Arena in Odaiba (Sept 9th and 10th). Unlike his one show at Liquid Room in Ebisu before, packing two dates at Ariake are like day and night. Tyler is hands down popular, one of the best and one of the most influential rappers around the world. And by his own admission, Tyler is tired.
Despite following OFWGKTA from their Tumblr days when literally their ethos and advertising was prominent there (the good old low-fi digital days), I have unfortunately never seen him on stage. Only through YouTube was I able to imagine myself stage diving with him or bouncing to his first 3 albums. And I am sure 80 percent of the audience over the 2 almost sold out nights were in the same boat.
Tyler brought the band Paris, Texas to warm up the crowd and they didn`t fail in their mission to make as best an impression as possible emulating Tyler`s energy and flow. Before and after they took the stage, the anticipation for Tyler for this second and last show in Japan, was very palpable with people running in the hallways anxious to find their seats. This energy brought a smile to my face. Despite daily media oversaturation, I`m glad that anticipation and excitement are still alive.

Once the lights came down, the jumbo screens lit up and images from the new release “Don`t Tap the Glass” appeared gassing everyone up and just like that Tyler started the arena moving to “Big Poe.” Unfortunately relegated to the third floor, it did seem some audience members near me forgot it was dance music but the floor didn`t.
Tyler was out from the beginning dressed totally in red leather pants, white T and a red leather jacket. With a significant segment of the audience under 30, I fear they didn`t get the Michael Jackson reference with the color coordination reflecting “Bad” and “Thriller.” The inside joke should have been obvious with many of the moon walk dance moves Tyler pulled off.
From the bright colors of “Don`t Tap the Glass” the stage changed with the next songs to the green of “Chromakopia” and it`s here where I felt things became a bit off-kilter. I don`t blame Tyler for this but his visual team focused too much on creating nice lights for the jumbo screens while Tyler on stage was almost surrounded in darkness. For more than one song. It was disorientating.
The good music flowed and Tyler, just a ball of pure positive energy, rapped with the heart and love I wish more rappers did. But still there was bits of disorientation. Having watched earlier shows, even up til July of this year, Tyler had focused largely on promoting and performing “Chromakopia” and wore the outfit and hairstyle that he created for it on stage. Mask, African hairstyle and green suit. With “Don`t Tap the Glass” suddenly released though, it seems he threw all of that under the bus so Tokyo audiences didn`t get to experience any of it. Having also seen video of past years of great performances, I REALLY looked forward to a gorgeous set design. The Ariake Area set design unfortunately were literally just jumbo screens and nothing more. The lack of effort for such special show for Tokyo hit me bad. Like I look time off of work to see this show.
I sang my heart out at songs I knew and listened intently to songs I wasn`t so familiar with and I never sat down. But Tyler did. Three times to be exact. Once even lying flat on the ground.

Yes, he was spitting out deep emotional trauma with “Take Your Mask Off” and I fell that. It hit me. All that sincerity. But more than once he complained that it was hot despite wearing a leather jacket he never took off. He sent out arrows to pierce everyone`s heart saying he wouldn`t be back any time soon (keep in mind he hasn't been to Tokyo since 2017 - that`s almost a decade) and complained that he was tired. I`ve seen bands play 3 to 4 hour shows and Tyler`s show was just an hour and 20 minutes.
I enjoyed all of the concert. Being close to the enigma that is Tyler left me high but Tyler complaining on stage about being tired irked me. Though I have empathy for anyone combatting jet lag or having obsessive fans or tons of people asking your opinion every day or the loneliness of not having a crew around to mentally protect you, it still isn`t the same as my father who woke up at 4am to drive to work and stay til 8pm 5 times a week. Or my mother who gave birth to several children and then went back to work standing on her feet for 7 to 9 hours before going back home to cook dinner. I understand he was grateful for everyone coming to the show but with the set design, medleys of his most popular songs - each song cut down to one verse, it felt like we didn`t get the full package.
For anyone who saw the show, I encourage you to watch his performance in New York City this July at Barclays to compare.

interview with Jacques Greene & Nosaj Thing (Verses GT) - ele-king

 こういう音楽には抗えない。フロアで聴いたら最高に気持ちいいだろうダンス・チューンがもつ恍惚感。部屋で落ち着いて耳を傾けたい繊細なエレクトロニカの音響性。それらがみごとに共存しているのがヴァーシーズ・GTのファースト・アルバムだ。
 かたや〈Lucky Me〉をホームにハウス・トラックを投下しつづけてきたプロデューサー。かたやLAビート・シーン出身、陰影に富んだテクスチャーを探求してきたアーティスト。ジャック・グリーンとノサッジ・シングによるコラボレイション・アルバム第一作は、それぞれ異なる道を歩んできたエレクトロニック・ミュージシャン同士のいい部分が絶妙なあんばいで溶けあっている。
 正直に告白すると、初めて聴いたときは上モノのシンセがジャック・グリーンで、少しこもったような音の響きがノサッジ・シング、ビートのパターンはふたりの協議によるものだろうと想像していた。じっさいは、自分のやりそうなことを相手がやったり、逆に相手のやりそうなことを自分がやったりしていたそうなので、下記で語られているように、そんなに簡単には切りわけられないプロセスを経ているのだろう。
 個人的に耳を奪われたのはUKガラージ~ダブステップのビートが躍動するいくつかの曲たちだ。00年代後半、まさにそうした音楽がいちばん力をもっていた時代にキャリアをスタートさせた彼らではあるが、不思議なことに “Unknown” や “Found” といった曲からは懐古趣味よりもむしろ現代性のほうが感じられる。ひとつの突出したビートが流行るのではなく、過去のさまざまなスタイルが入り乱れるパンデミック以降のダンス・シーンの動きに、彼らもまた呼応しているということなのかもしれない。
 幸運なことにわれわれは、そんなふたりの晴れ姿を11月、〈MUTEK〉のプログラムで体験することができる。ギグにそなえ、まずはこのアルバムを聴きこんでおこうではないか。

じっさいにおなじ場所でいっしょに作業していると、学びのスピードもぜんぜんちがうんだ。(ノサッジ・シング)

ジャック・グリーンさんは現在モントリオール在住で、ノサッジ・シングさんがLA在住……で合っていますか?

ジャック・グリーン(Jacques Greene、以下JG):ああ、ぼくはモントリオール。

ノサッジ・シング(Nosaj Thing、以下NT):ぼくはもともとLAなんだけどいまは東京に住んでるんだ。

強力なコラボレイションですので、まずはそもそもおふたりがいつ、どこで出会い、どういう流れでこのプロジェクトをはじめることになったのか、経緯を教えてください。ノサッジ・シングさんの2022年作が〈LuckyMe〉から出たのがきっかけですか?

NT:いや、最初に会ったのは2009年なんだ。その前から、シックストゥー(Sixtoo)という名前で活動している共通の友人がいて、彼をサポートしてライヴのオープニングをやったのが、たしか2007年か2008年くらいかな。その彼が、「いつかモントリオールでショーをやろう」と言ってくれて、2009年に、フィル[訳注:ジャック・グリーンの本名]と一緒にモントリオールで、ルニスとマシーンドラムと一緒にパーティでプレイしたんだ。

JG:ぼくたちは互いの音楽が好きだったし、友だちとして仲よくしていて、似たようなシーンにいたんだけど、音楽をいっしょにつくりはじめたのはたぶん2018年か2019年くらいで、かなりカジュアルな感じだったと思う。その時点では、基本的にはただの友だちという感じで、ロサンゼルスにぼくが行ったときに、フォーを一緒に食べたり(笑)、車でちょっと出かけたりして、なんとなくしゃべったり遊んだりしていた。何年かそんな感じが続いていて、ロサンゼルスに1日余裕があるときなんかは、「ジェイソン[*訳注:ノサッジ・シングの本名]、飯でも食べに行って、ビートでもつくる?」みたいな感じで連絡していた。
 でも、ちゃんとしたプロジェクトをやろうとか、そういう話ではなかったんだ。ロサンゼルスって、ジェイソンみたいにいろんなひととコラボレイションするのが自然なカルチャーだと思うんだけど、ぼくはこれまでずっとひとりで作業するスタイルだった。でもパンデミックのあとくらいから、「だれかといっしょにおなじ空間で音楽をつくりたい」という思いが強くなっていた。そこから、ちょっと曲をつくってみる感じだったのが、「もう少しちゃんとしたかたちにしてみようか」という流れになった。

互いにグラフィック作品や映画をシェアしたり、彼のスタジオでもぼくのスタジオでも、開いた本のページを撮影してリファレンスとして使ったりしていた。(ノサッジ・シング)

おふたりは2010年前後に、かたやUKの〈Night Slugs〉から、かたやLAビート・シーンから登場してきたわけですが、そのころから互いの音楽は聴いたり意識したりしていたのでしょうか。

NT:たしか初めて彼のことを知ったのは、モントリオールで会う1年か2年くらい前だったと思う。そのときは彼がまだべつの名前でやっていたころだった。当時、ぼくはロサンゼルスにいたけど、モントリオールでもしっかりしたシーンができあがっていたから、ちゃんとチェックしていた。

JG:もちろん意識していたよ。そして、こうやって今回のような形で一緒にやれるのが面白いと思う。そもそもぼくたちのいたシーンは、たとえばハドソン・モホークからフライング・ロータス、あるいはジェイムズ・ブレイクに至るまで、みんなほかのジャンルやシーンからなにかをとりいれるという感覚がすごく自然にあったと思う。ノサッジ・シングの音楽にも、たとえばテンポはゆっくりの曲が多いけれど、ダンス・ミュージック──たとえばモーリッツ・フォン・オズワルドのような影響を感じる瞬間があって、ドラムマシンや独特な音色がヒップホップの枠を超えて、明らかにエレクトロニック寄りの質感になっているところがあると思う。
 逆にぼくはジャック・グリーンというプロジェクトをはじめたときから、ダンス・ミュージックに現代的なR&Bの要素を強くとりいれていた。「もしティンバランドがテクノをつくったら?」みたいなイメージで、そっち側からの音をどんどん引用していたんだ。そうやって互いがべつのシーンやジャンルを横断して、混ざり合っていくような化学反応が、いまの自分たちの音をつくっていると思う。

ジャック・グリーンさんのコメントで「このプロジェクトは50/50の関係」とありましたが、制作はどのように進められたのでしょうか? 直接会って作業することが大事だったそうですが。

JG:「50/50の関係」と言ったのは、たんに作業の分量が半分ずつというよりは、互いがすべての決定にちゃんと意見を出しあって、最終的な判断もいっしょにしていく、という意味なんだ。じっさい、曲づくりのなかで「だれがどこを何パーセントやった」なんていうのは、まったく気にしていなかった。どの曲もまずふたりで直接会って、おなじ場所でスタートさせていたから。どのスタジオにいても、ぼくたちはそれぞれのラップトップを同時に立ちあげて、そこにいくつかの機材を組みあわせて使っていた。つまり、「バンドとして」ラップトップ・ミュージックをつくろうとしていたんだ。最初は、たとえばジェイソンがハイハットやパーカッションのグルーヴをつくっていて、ぼくはキーボードでコードを探していたりして、そのあとジェイソンがべつの機材に移ったり……そういうふうに、互いが自然と呼応しながら進めていくような感じだった。リモートでファイルをやりとりしながら音楽をつくるやり方もあって、じっさいそうやって仕上げた曲もたくさんあるんだけど、そのやり方だと、ときどきこんな問題が起こる──だれかからファイルを受けとって、「これを送り返すからには、もっと大きく変えないと」「ちゃんと手を入れたと思ってもらえるようにしないと」などと思って、無理にべつの方向にもっていってしまう。でも、曲がほんとうに必要としているのはそういうことじゃない場合もある。むしろ、「このアイディアいいな。ちょっとした工夫を加えればさらに面白くなるかも」というくらいで充分だったりする。今回のやり方では、そういう意味でも余計なエゴが入らなかったと思う。

NT:フィルが言ったとおりで、今回の作品のほとんどは直接顔を合わせて作曲を進めていった。共同作業をするうえで、それはほんとうにたいせつなことだと思う。いっしょに音楽をつくる、アートをつくるということは、互いと深く会話するということだから。相手と対話したり、自分自身と対話したりすることなんだ。だからおなじ空間にいることが自分たちにとっては不可欠だったと思うし、じっさいにおなじ場所でいっしょに作業していると、学びのスピードもぜんぜんちがうんだ。

今回のコラボレイションの過程で、相手が出してきたアイディアやサウンドで、いちばん予想外で驚いたものはなんでしたか?

JG:「すごく意外だった」というよりは、その結果がかなり予想外だったという感じなんだけど、今回のアルバムから出した最新シングル “Ground” という曲が、まさにそういう体験だった。あの曲の制作でとても面白いと思ったのは、ふたりの役割が入れかわったような瞬間があったことなんだ。ジェイソンのラップトップには、すごくきれいに録音されたヴォーカル素材が入っていて、それを彼がその場でライヴ的にチョップしたり、ループさせたりしながら自由に加工していた。そのまわりにぼくがスペクトラルで幽玄的なコードを重ねていったんだけど、互いにことばを交わすこともなく、自然とそうなっていった。ぼくの耳には、ジェイソンがまるで自分がやりそうなことをしていて、逆にぼくがジェイソンっぽいことをしているように感じられて、まさに役割が逆転していたんだ(笑)。さらに面白かったのは、ジェイソンのヴォーカルのチョップの仕方で、通常のループみたいに繰り返すんじゃなくて、つねに進化しつづけていくようなアプローチだったこと。ぱっと聴くとループしているように感じるけど、じつはずっと変化している。それがほんとうにすばらしくて、「なんだこれ、最高じゃないか!」って思ったよ。

NT:ぼくがフィルと作業していて面白かったのは、互いに交代で作業することが多かったところかな。たとえばぼくがメインのラップトップで録音していて、フィルがキーボードやドラムマシンを触っていたり、その逆だったり。ふだんひとりで録音しているときは、自分が「これは残したい」と思う部分に自然と手が伸びるんだけど、フィルと一緒にやっていると「えっ、それを残すの?」と驚かされることが多くて、そこがとても新鮮だった。
 以前『Continua』の制作を手伝ってくれた友人にもおなじようなことを言われたことがあるんだ。「ジェイソンが “なにをやろうとしてるか” を探っている途中の過程で出てくる音が、いちばん面白いんだよ」って。つまりシンセで音色を探したり、まだ意図的に演奏していない状態で出てくる「未完成の音」にこそ魅力があるということ。今回フィルと作業していて、その感覚がすごくよくわかった。

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「踊れる」ような瞬間も、「クラブ向けの武器」というより、どちらかといえば「過去のダンスフロアの亡霊たち」が漂っているような(笑)、そういう回想的でやや距離のある感覚があると思う。(ジャック・グリーン)

おふたりそれぞれにとって、このヴァーシーズGTというプロジェクトと、自身のソロ活動とでいちばん異なっている点を教えてください。

JG:ぼくにとっては、精神面のアプローチがそのまま音楽的な結果につながっていると思う。自分のソロ作品には、どこか落ち着きのないエネルギーとか、レイヤーの多さがあって、それはたぶん、ひとりで作業していると「もうひとつなにか加えないと」って無意識に思ってしまうからなんだと思う。たとえばひとつメロディを書いて、「これだけだと物足りないかもしれない」と感じて、さらにカウンターメロディを重ねたりして、結果として曲が複雑になりすぎてしまうことがある。それは、ちょっとした不安や自信のなさから来ている部分もあると思う。その点、ジェイソン──ノサッジ・シングはミニマリズムの美学を持っているし、ふたりで作業することで「ひとつひとつの音にちゃんと居場所を与える」という意識がすごく強くなった。「リスナーがその瞬間になにを聴いているか」が明確になるように、音を詰めこみすぎないように意識していたんだ。結果的に、ミニマルでありながらもひとつひとつの音に自信を持ってスペースを与えるような音楽になったと思う。そういうことは自分のソロ作品ではあまりできていないことでもあるし、このプロジェクトの大きな魅力になっていると思っている。

NT:先ほども触れたことだけど、自分にとってソロ制作とは「自分自身との対話」なんだ。毎回の作品をとおして、自分が次になにを目指すべきか、どこに進むべきかを探っている。最近ずっと考えているのは「大きく方向転換すること(Hard left)」なんだけど、自分のなかで「これはこれまでとはちがう」と思えるようなサウンドを見つけたい、そういう挑戦をつねにしていたいと思っている。ただ、フィルとのコラボレイションでは、そこがまったく異なっていて、いちばん面白かったのはじつは、スタジオの外で交わした会話のほうだったかもしれない。そういったやりとりが “突破口” になっていて、その後スタジオに入ると、もうことばを交わさなくても音が自然と出てくる。フィルが言っていたみたいに、“フロー状態” に入れていたと思う。それにたんに音楽的な刺激を与えあうだけじゃなくて、視覚的な面──たとえば互いにグラフィック作品や映画をシェアしたり、彼のスタジオでもぼくのスタジオでも、開いた本のページを撮影してリファレンスとして使ったりしていた。共通のメモもつくっていて、そこには気になったことばやフレーズをどんどん記録していって、曲のタイトルもそういうやりとりのなかから自然に決まっていった。まさに「リサーチを一緒にしていた」という感じだったね。

こうしたふたりのコラボレイションの場合は、ふたりの息がぴったりうまく合って一体化するような瞬間も、逆に、それぞれの個性を押し殺さず、自分を主張する場面も、どちらもたいせつなのではないかと想像します。もしこのアルバムを「友」と「敵(対立)」の要素に分けるとしたら、それぞれ何パーセントくらいだと思いますか?

JG:面白い質問だね。たぶん、さっき言った「50/50」の意味が、まさにそういうことなんだと思う。あるとき制作中に、ジェイソンが東京にいたから物理的に離れていたときがあって、彼からなにかトラックの変更案みたいなものが送られてきたことがあったんだ。それを聴いたとき、最初は反射的に「いや、そこはちがうんじゃないか」って思ってしまった。でも、すぐに返信する前に、もう何回かちゃんと聴きなおしてみたら、「ああ、これはジャック・グリーンじゃなくて、ノサッジ・シングとしての方向性なんだな」って気づいたんだ。だったら、それでいいんじゃないかって思った。アルバム全体が自分ひとりのヴィジョンだけで進んでいるわけじゃなくて、ふたりのものなんだから、「これは彼のパートなんだ」って素直に認めることができた。だから、いわゆる「対立」というより、自分のなかでの葛藤というか、「自分だったらこうはしない」という気持ちとの向きあいがあったんだと思う。でも、そもそもそれこそがコラボレイションの醍醐味でもあるはずで、ぜんぶ自分のやりたいとおりにしてしまったら、それはひとりでやってるのと変わらないからね(笑)。その一方で、完璧に流れに乗ってつくれた曲もいくつかあって、たとえば “Unknown” とか “Found” とか “Intention” みたいな、ループが多めで内省的なトラックたちは、ほとんど一気に一回のセッションでつくりあげたものなんだ。そのあとは少し整えただけで、最初から最後まで疑いなく進められた。そういうのは完全に “フローステート” だったと思う。でも、他の曲ではやっぱり「対立」とまでは言わないけど、互いに、自分だったら選ばない方向に相手が舵を切る瞬間があって、そこにどうスペースを譲りあうか、という内面的なやりとりがあったと思う。

NT:そうだね、自分はそういうふうに考えたことはなかったけど……でも、コロナ禍がはじまってからは、自分にとって大きな転換点だった。フィルも言ってくれていたけど、ぼくはLAでセッション・ワークやほかのひととのコラボレイションを増やすようになって、プロデューサーとしても、聴く側としてもすごく成長できたと思っている。たとえば、とても尊敬しているプロデューサーのデイヴ・シーテック(Dave Sitek)というひとがいるんだけど、彼はいつも、機材の使い方を細かく教えたりはせずに、ただ「これセットしてあるから、自由にやってみて」というスタンスなんだ。ぼくもそれとおなじようなアプローチを心がけていて、たとえば、自分のスタジオに Pulsar や Perkons というドラムマシンを置いてあるんだけど、ぼくはそれをセットするだけで、自由にフィルに使ってもらいたい。フィルがそれを触ると、自分では絶対に思いつかないような音が生まれたりするから。彼なら絶対に自分なりのやり方でいいものを出してくれるという信頼があるから、安心して任せられる。そういう「セットして、あとはなにが出てくるか見てみよう」っていう瞬間が、いちばん面白くて、いちばん予想外で、興奮する時間だったりするんだ。

この作品は音楽という領域を超えたものであり、今後どう展開していくか、自分自身とても楽しみにしているんだ。これはまだほんのはじまりにすぎないからね。(ノサッジ・シング)

個人的には “Unknown” や “Found” といったUKガラージ~ダブステップのビートの曲がとくに印象に残ります。00年代終わりころに登場してきたおふたりは、いまこのビートと向きあってみてどういう感慨を抱きましたか? なつかしさ? 新鮮さ?

JG:自分としては「新鮮さ」のほうが強かったと思う。2009年にそのまま出せたような曲をつくろうという意識は、正直まったくなかった。あの時代のサウンドには、たしかに安心感というか、落ち着く場所みたいな側面もあるんだけど、それ以上に「いまこのかたちでなにか新しいことができないか」というインスピレイションを感じていた。レトロなものをつくるつもりはいっさいなかったし、あの形式のなかで、いまの自分たちなりの表現を探すということを意識していたと思う。

NT:ぼくも具体的に「あの時代」みたいなことは考えてなかったと思う。当時の作品を聴き返したり、特定のリファレンスを意識したりということも、とくになかった。むしろ、ああいうリズムは自然に出てきたものだったんだと思う。意識というより、身体から自然に出てきたビートだったという感じかな(笑)。

このアルバムには明確にダンスのビートがありつつも、きめ細やかに練りあげられたテクスチャーや音響のおかげで、どこか遠くからダンスフロアを眺めているような感覚もあります。ここには、15年くらいキャリアを重ねてきた現在のおふたりの気分が反映されているのでしょうか?

JG:まさにそうだと思う。すごく美しくて的確な表現だね。ぼくはいまでもクラブに足を運ぶようにはしていて、じっさいちゃんと音に入りこんで楽しんでいる。むかしより頻度は減ったかもしれないけど、それでもダンスフロアに身を投じて、音楽ファンとしての感覚を保ちつづけるというのは、すごく大事なことだと思う。ただ、このアルバムにかんして言えば、いわゆる「フロア向けのレコード」ではないと思っている。もちろんダンスの文脈は含まれているし、DJの耳にも響くとは思うけど、それは「クラブで使えるツール」というよりも、たとえばギグの帰り道に車のなかで聴くような、そういうシーンに寄り添う作品なんじゃないかと思っているんだ。じっさい、今回のアルバムの大部分はロサンゼルスのジェイソンのスタジオで制作したんだけど、ロサンゼルスは完全に「車の街(車社会)」なんだよね。ぼくも滞在中はレンタカーで移動していて、日中はスタジオで作業して、夜になると宿に戻るために運転するんだけど、そのドライヴで、その日につくった曲をMP3で書きだして、深夜11時半くらいの静かな道を走りながら聴くと、「ああ、この音楽はこういうふうに響くんだ」って、しっくりくる瞬間があるんだ。このアルバムに収録されている「踊れる」ような瞬間も、「クラブ向けの武器(club weapons)」というより、どちらかといえば「過去のダンスフロアの亡霊たち(ghosts of dance floor in the past)」が漂っているような(笑)、そういう回想的でやや距離のある感覚があると思う。

NT:たしかに曲によってはダンス・レコードとして機能する瞬間もあると思う。でも、最初から「クラブのための作品」としてイメージしていたわけではなかったんだ。ダンス的な要素もある一方で、アンビエントな要素や、テンポを落とした、ほとんど「歌」に近いような構成のトラックもあって、曲としての構造をもったものも多いし、自分のなかでは、どちらかというと映画みたいに流れていく作品──ひとつの映像作品のように聞こえるような構成を思い描いていた。それから、今回のプロジェクトでは、ザヴィエル・テラやテレンス・テイとのコラボレイションも大きな要素で、テレンスはクリエイティヴ・ディレクションを、ザヴィエルはミュージック・ヴィデオの演出やフォトグラフィを担当してくれている。だから、この作品は音楽という領域を超えたものであり、今後どう展開していくか、自分自身とても楽しみにしているんだ。これはまだほんのはじまりにすぎないからね。

この作品には、「現実世界と向き合うこと」や「他者とのつながり」というテーマが、自然と流れている。(ジャック・グリーン)

今回、最初に発表されたふたりの共作2曲、“Too Close” と “RB3” をアルバムに収録しなかったのは、ダンス・ミュージックのカルチャーにおいてシングルとアルバムはべつもの、との考えにもとづいてでしょうか?

JG:いや、そういう考えにもとづいていたわけではないかな。“Too Close” と “RB3” は、自分たちがいっしょに作業するなかで、それぞれちがった方向性の極にある曲のように感じていて、言ってみれば「設計図」みたいな役割を果たしていたというか……。いや、「設計図」というと未完成みたいに聞こえるかもしれないけど、どちらもちゃんと完成された曲だと思っているし、誇りに思っている。ただ、あの2曲は「自分たちのコラボレイションとは、どういうものだろう?」というのを探っていた時期のものなんだと思う。“Too Close” は、ぼくたちがいっしょに音楽をつくりはじめて数年経ったくらいのころにできたもので、スタジオで一気に仕上がった最初の曲のひとつだった。「これはいけるかも」と直感的に感じたし、ふたりにとって最初にリリースするのにふさわしいトラックだったんだ。でもそれは、どちらか一方の世界というより、ぼくの音とノサッジ・シングの音がそのまま並んでいて、それぞれの「色」がはっきりと分かれていた気がする。そこが面白さでもあったんだけどね。それにたいして “RB3” は、まったくべつの感触があった。「ジャック・グリーンっぽい音+ノサッジ・シングっぽい音」ではなく、ふたりが混ざりあって、まったく新しいなにかが生まれはじめている感じがあった。そこからさらに一歩踏み込んで、その流れを押し進めた結果、アルバムに収録された曲たちができていった。今回アルバムを「Verses GT」という名前で出したのも、それがたんなるフィーチャリングや連名コラボレイションではなく、ひとつのユニットとしての表現になっているからで、だからこそ収録する曲もそこにしっかり合うものだけにしたかったんだ。じっさい、アルバムのためにたくさんの曲を書いたし、今後出すかもしれない曲もあれば、出さないままのものもあると思う。でもこのアルバムに収めた10曲については、余分なものを削ぎ落として、ひとつの物語としてまとまるようにした。ちょうどアナログ盤のA面とB面に5曲ずつ収められる構成で、しっかりセレクションをして完成させた作品なんだ。

ロンドン、LA、モントリオール、パリ、東京の5か所でじっさいにふたりで会ってレコーディングしたのですよね。それぞれの都市の雰囲気から影響は受けましたか? たとえばパリのモーターベース・スタジオは少し特別だったのではないでしょうか。

JG:それぞれの街からは間違いなく影響を受けたと思う。さっきも話したけど、ロサンゼルスでは、街の「車社会」という環境自体が、自分の音楽のつくり方に直に影響していたし。
 モーターベース・スタジオはほんとうにすばらしかった。朝から新しいトラックをいくつかレコーディングして、午後には、ほぼ完成していた2~3曲を仕上げる作業に集中できたんだけど、その「最後の5%」というのがじつはいちばん難しい部分だったりするんだよ。でも、あの空間にいることで「ぼくたちはプロとして音楽をつくっているんだ」という感覚がもてて(笑)、スタジオの部屋から受けとったエネルギーを曲に還元するみたいな相互作用があったと思う。結果としてたんなる音の仕上げ以上に、曲に魂みたいなものが加わった感覚があったし、気持ちの面でもすごく熱くなれた気がする。あと、ロンドンでは、前日にUKでやったDJセットに直接インスパイアされて、そのまま1曲を仕上げたんだ。あの街の空気も、しっかり音に入っていたと思う。

通訳:ジェイソンさんは印象的だった土地はありましたか?

NT:東京でのレコーディングが、ちょっと大変だったけどワクワクする状況だったね。たしか、タイソンの曲(“Angels”)を最終的に仕上げたのが恵比寿のNOAHスタジオだったんだ。知ってるかい? 都内にいくつもあるよね。あのときは小さな部屋を予約して、そこで絶対に曲を完成させなきゃいけなかった。ぼく自身NOAHに入るのはあれが初めてだったんだけど、なんか面白かったな。これはまたべつの日の話なんだけど、夜、ちょうどフィルが東京に到着した当日にアルバムの最終盤を納品しなくちゃいけないことに気づいたんだ。だから、フィルは空港からぼくの家に直行するハメになった。ぼくたちはたしか「あと1~2日くらい余裕がある」と思いこんでたんだけど、時差の影響もあって、よくよく確認してみたら「えっ、提出期限、今夜じゃん」ってなって(笑)。

JG:ぼくはちょうど成田空港に着いたところで、スマホ見たらレーベルからのメッセージが入っていたから、すぐジェイソンに「やばい、今夜0時(東京時間)までにマスターをエンジニアに送らないといけない」って連絡したんだ。午後4時くらいのことだよ。

NT:でもそのときぼくは、引っ越したばっかりだったからネットがまだ通っていなかったんだ。だからスマホをラップトップにテザリングしたんだけど、通信が不安定だから、窓際にスマホを置いて、なんとかアップロードして提出した。まさに任務って感じだったよ(笑)。
 でも、ちゃんと間に合ったし、あれはあれで最高だった。で、そのあと……なにしたんだっけ? たしか、ちょっとした打ち上げみたいなことをしたんだよね?

JG:そう、鯖の味噌煮を食べにいったよ。あと12時半くらいに、近所のドンキに行って、ちょっといい日本酒を1本買って、乾杯した(笑)。

NT:あれは楽しかったな。いまでもはっきり覚えてるよ。

ヴォーカル入りの3曲の歌詞については、ゲスト・ヴォーカルの3人それぞれに任せたのでしょうか? なにかディレクションはしましたか?

JG:基本的には、それぞれのヴォーカリストに自由に任せたよ。こちらから具体的なことばや歌詞を渡すようなことはしなかったけど、アルバム全体のムードについては、ある程度こちらの考えを共有するようにはしていた。とくにクーチカとは、そのあたりの意識をしっかり合わせた感じだった。アルバム全体がいわゆるコンセプト・アルバムというわけではないけれど、この作品には、「現実世界と向き合うこと」や「他者とのつながり」というテーマが、自然と流れている。自分たちがどう生きていくか──そういう問いにたいする姿勢というか、日常のなかにあるものや、他者をちゃんと見つめ、感謝するというような、ある種の選びとる感覚があるんだ。だからクーチカには「デジタルに覆われたいまの世界のなかで、リアルなだれかとつながりたい」という感覚を伝えた。彼女はそこから「だれかと永遠にいっしょにいたいという気持ち」みたいな方向に展開してくれて、その感情を歌詞に落としこんでくれたんだ。
 ジョージ・ライリーのケースはちょっと逆で、歌詞が録音されたあとにじっくり話す機会があって、「あの歌詞にはどういう意味があるの?」と尋ねたら、彼女はすごく素敵なインスピレイション源を共有してくれた。ちょうどそのとき彼女はベル・フックスの本を読んでいたり、「聖テレジアの法悦」という有名な大理石彫刻をじっさいに観に行った直後だったらしい。「聖テレジアの法悦」は、布が風に舞うような質感で、聖テレジアが恍惚の表情を浮かべている作品だよ。彼女の歌詞は、そういう本やアートとの出会いを通じて生まれたものだったんだ。

ちょうどそのとき彼女はベル・フックスの本を読んでいたり、「聖テレジアの法悦」という有名な大理石彫刻をじっさいに観に行った直後だったらしい。(ジャック・グリーン)

今回のアルバムでいちばん気に入っている曲とその理由を、おふたりそれぞれ教えてください。

NT:1曲だけ? 何曲かあげたいんだけど。気に入っている曲は変わったりするけど、やっぱり “Found” は特別な1曲だと思う。あの曲はたしか、ほぼ完成するまで20分もかかっていなかったんじゃないかな。ふたりとも完全に集中していて、めちゃくちゃテンションが上がっていた。フィルも言っていたけど、トラックをつくっているあいだは互いにほとんど話さなかったんだよ。でも気づいたらループではなくて、いつの間にか1曲丸ごとできていて……時間の感覚が完全になくなっていた。あのときの興奮はいまでもおぼえてるよ。鳥肌が立って、ゾクッとした。最高の瞬間だった。もうひとつはタイソンの曲(“Angels”)かな。しばらく聴いていなかったんだけど、さっきあらためて聴いたら「うわ、これ自分たちでつくったんだよな」って、あらためて感動した。すごく美しいトラックだと思う。

JG:たしかに “Found” は特別な1曲だよね。まさに “フローステート” で生まれた曲で、制作中もほんとうに気持ちがよかった。完成したトラックとしても気に入ってるし、なにより聴くたびに「ああ、音楽ってこういうふうにつくれるんだな」って思える。もちろんジェイソンとのコラボレイションという文脈でも面白い曲なんだけど、それ以上に音楽をつくるという行為そのものが純粋に楽しくて、この曲にはその感覚がそのまま残っている気がする。音楽活動を長くやっていると「もっと楽になるだろう」と思う一方で、逆に難しくなることもある。「もう言いたいことは言いきったんじゃないか」とか、「リスナーは自分になにを求めてるんだろう」とか、「どれくらい売らなきゃいけないんだろう」とか、頭のなかがそういう思考でいっぱいになってしまうことがあるんだよね。今回のアルバムの多くは、そういったものにたいする “アンチ” でもあるんだけど、“Found” はとくに、そうした雑念を完全に振り払って、ただ「音をつくる」という純粋な喜びだけがある。だからこそ、とても満たされる曲なんだ。
 それからもう1曲、アルバムの最後に入っている “Vision and Television” も個人的にすごく気に入ってるんだ。パリのモーターベース・スタジオで録ったんだけど、大量の機材があるスタジオで、あそこに入った瞬間、「あ、CS-70がある!」と感動した。スタジオのエンジニアもすごく親切で、「使ってみる?」ってすぐにセッティングしてくれた。CS-70 は昔のシンセで、とてもレアな機材なんだけど、MIDI もついていないから、ジェイソンが直接手で弾いて音を探っていくしかなかった。ぼくはちょっとエンジニア的な役回りで、録音をはじめた。ジェイソンがいくつかコードを弾いていくうちに、すごくシンプルで、でもはかなくて、浮遊感のある響きが見つかって、ふたりで「あ、これだ」って思った。あの曲は2分ちょっとのアンビエント的な小品だけど、聴くたびに自分の意識が少しだけ変わるような、不思議な力を持っているんだ。

11月の MUTEK で来日されますね。最後に、当日の意気込みと、ファンへのメッセージをお願いします。

JG:今回の MUTEK は、ぼくたちふたりにとって特別なショウになると思っているよ。MUTEK はもともとモントリオール発祥のフェスティヴァルで、そこはぼくが生まれ育った場所でもあるからね。去年、モントリオールで MUTEK の25周年が開催されたんだけど、そのときにぼくとジェイソンで初めてのライヴをやったんだ。あれがぼくたちの初ステージだった。そして今年は MUTEK JAPAN の10周年にあたる年で、しかもぼくたちにとって今回のツアーの最終公演になる。だから、できるだけリハーサルを重ねて、万全の状態で臨みたいと思っているよ。このプロジェクトの美しい締めくくりになるような、そんなステージにしたい。ぼくにとっての「出発点」であるモントリオールと、いまジェイソンが住んでいる「現在地」である東京が、MUTEK という文脈のなかでつながるというのはすごく象徴的だと思う。そういう意味でも、このステージが実現するのはほんとうに感慨深いし、最後のショウとしての熱量をしっかり詰めこめたらと思ってる。ほんとうに楽しみにしてるよ!

Nobukazu Takemura - ele-king

 竹村延和のニュー・アルバム、『意味のたま(knot of meanings)』が9月26日に〈Thrill Jockey〉からリリースされる。オリジナル・アルバムとしては2014年の『Zeitraum』以来、じつに11年半ぶりとなる(〈Thrill Jockey〉からは22年ぶり)。これまで録りためていた膨大な楽曲群から竹村本人が厳選した曲で構成されており、作曲からプログラミング、演奏、レコーディング、編集まで、すべて竹村がひとりでおこなっているという(ゲスト・ヴォーカリストとして日本人シンガーの doro も参加)。日本盤にはボーナス・トラックが追加され、歌詞を掲載したブックレットも同梱される。
 なお先行配信中の “深海の虹 パート2(deep sea's rainbow part2)” は、もともとは短編アニメ「深海の虹」(鋤柄真希子監督、スキマキ・アニメーション制作、2019年)のサウンドトラックとして制作されたもので、アルバムにはエディットされたヴァージョンが収録される。長年にわたり「Child’s View(子どもの視点)」から創作活動をつづけてきた彼の、最新の成果を堪能したい。

竹村延和(Nobukazu Takemura)
『意味のたま』(knot of meanings)

企画番号:THRILL-JP 62 / HEADZ 271(原盤番号:Thrill 639)

価格(CD):2,300円+税(定価:2,530円)
発売日:2025年9月26日(金) ※ 全世界同時発売
フォーマット:CD / Digital
バーコード:4582561406072

01. 明滅する火花(an ephemeral radiant) 4:19
02. サヴォナローラのまなざし(savonarola's insight) 3:40
03. 眼球生物(ocular creature) 319
04. ネリと森のはなし(neri)  4:06
05. 残像と予兆(afterglow apprehension) 4:04
06. ガルフ(the gulf) 4:17
07. 覆われた文法(veiled grammar) 3:38
08. 模倣の渦(evade the swirling mimicry) 4:34
09. 未規定の生物(the elusive beings) 5:02
10. ラダー・オブ・ミーニング(ladder of meaning) 3:03
11. 鉄の階梯(iron staircase) 4:16
12. シーピング・ルミナス(luminous seeping through the crevices)  3:15
13. インスケイプ(inscape) 4:45
14. 憧憬と霞(a subdued longing and gentle ache) 3:34
15. べスリア(in bethulia) 3:44
16. 深海の虹 パート1(deep sea's rainbow part1) 2:26
17.      パート2(          part2) 3:42
18.      パート3(          part3) 4:09
19. 東の十字路(Kreuzung im Osten) 5:57

total time:76:59

※ track 19…日本盤のみのボーナス・トラック

Peterparker69 - ele-king

あれがあーでこーだったね ‘22に問う どうしたらいいって ──“Hey Phone (feat. Yojiro Noda)”

 2022年ごろの日々に改めて問いたいことは僕にもたくさんある。気づいたらあれから3年以上が経ってしまったし、その間に見るものすべてが目まぐるしく移り変わっていった。JeterとY ohtrixpointneverによるデュオ・Peterparker69が “Hey Phone (feat. Yojiro Noda)” で「どうしたらいい?」と問いかけた3年ほど前の景色は、たとえば以下の動画でアーカイヴされているような、青々しさに満ちたパンデミック渦中の出来事だろうと思う。

 Peterparker69も拠点としていたコレクティヴ〈CHAVURL〉主催のプロム・パーティー〈chavprom2016〉、2022年6月9日。自分もDJとして見切れているこの動画をいま振り返ると、直視しきれない気恥ずかしさこそあれど、たしかに「どうしたらいい?」とつい訊ねてみたくなるポジティヴなエネルギーに満ちていると感じる。このように「隔離への反発」という形で自然発生した、未完成で荒々しく初期衝動的なムーヴメントは一枚岩ではなかったからこそ暫定的に「ハイパーポップ」という箱に振り分けられ、そのまま発展を遂げていった。

 あれから3年。満を持してリリースされたPeterparker69の1stアルバム『yo,』には、タイトル通りラフな挨拶のような軽快さを伴う10曲が収録されている。内容への期待は高まりハードルは上がる一方だったが、彼らはそうした圧にも「yo,」と軽やかに答えてみせた。

 いわゆる「ハイパー」的なムーヴメントを草創期より観測し続けている音楽ライター・namahoge氏によるFNMNLでのインタヴュー記事では、EP「deadpool」のリリースから本作に至るまでの約2年半の変遷について言及されている。文中ではヨーロッパ・ツアーを経て体感した、街全体でレイヴやダンスという概念を自然と共有するような空気感に当てられたことを機とするモードの変化を経た上で原点回帰に至ったことなどが明かされており、gabby start、Tennyson、トゥ・シェルといった若いアーティストたちのラフな態度に背中を押されたことなども語られている。一貫して自然体のままスケールしていくことを目指しているように見える彼らでも、やはり一度は壁に突き当たっていたのだろう(ここ数年、合間合間にふたりと顔を合わせる機会は何度もあったけれど、そうした葛藤までは汲み取れなかった)。

 そんなバック・ストーリーとともにアルバムを聴いてみると、まずTr.1 “music” の視界が一気に開けるような展開にハッとさせられる。ピッチ・ベンドされたJeterのヴォーカル、エレクトロニカ的な質感のハイハットやスネアといったリズム・パーツなどに基づく音像は、2020年代の新しいポップスの雛形のように思える。同曲はアルバムの入口にふさわしい雰囲気を漂わせているが、後に続く “Omatcha”、“skyskysky (feat.Tennyson)” などの楽曲と接続されている感覚は薄い。「アルバム=シームレスな表現」というなんとなくの固定観念は意図的に崩されており、ミックステープ的ともいえるしプレイリストやサジェスト的な雰囲気も感じさせる。

 Tr.4 “Hey Phone (feat.野田洋次郎)” は、Peterparker69が2022年の初作 “Flight To Mumbai” に続き生み出した新たなアンセムと断言してもいいはずだ。前述のインタヴューでも言及されているように、意図せず出来上がった王道のJ-POP的な構成が光る。余談だけれど、この曲をDJでかけている様子をInstagramのストーリーズでシェアするたびに、この手の音楽を聴いていないであろう古い友人たちから「これ、なんて曲?」と訊かれる。そんなことはいままで一切なかったから、やはりこの曲には形容できないマジックを感じてしまう。MVのグロテスクさに面食らった人も少なくないだろうけれど、いい曲はいい曲だ。2020年代のこうしたキッチュな毒気はメインストリームやお茶の間にも確実に回ってきている。

 歌詞の切なさが気になるフューチャー・ガラージ調の “cu”、共作相手のトゥ・シェルがリリース間際にどさくさ紛れでダニエル・ロパティン本人を(Peterparker69自身も知らずのうちに)参加させたという “Magic Power”、UKの盟友・Rosierを迎えたメロディック・ラップの “Monkey See”、未来のゴスペルのような質感のコーラスが光る “new year, still here”、昨年シングル・カットされていた “@location” と続き、最後は真意をなかなか見せないPeterparker69が斜め上の角度から本音を垣間見せた? ようなバラード “love it” でサッと身を引くように終わりを迎える。

 本作『yo,』は全体を通してガラージのリズム・ワークを巧みに分解するようなリズム感が印象的で、これはビートメイカーを担うY ohtrixpointneverのシグネチャー的なサウンドと言える。が、それに対してヴォーカルを担うJeterは、自身の声にさまざまな角度からピッチ・ベンドなどの加工を施し、歌声を「ちょうどいい」サンプル・パックのように扱っている。Peterparker69は単なるラッパーとプロデューサーの関係ではなく、お互いが気の合う部分を都度融合させ、一部は一心同体、その他大半は個であるという、付かず離れずな独特のバランスで成立しているユニットなのだろう。サウンド的にはジャム・シティ『Jam City Presents EFM』などを彷彿とさせる雰囲気もあるけれど、クラブ/レイヴに一時接近したかと思えばサッと身を引いてポップスに軸足を戻すという動きは、クラブ・カルチャーの中心地で育ったジャム・シティにはない、彼ら固有の無国籍な感性から発生しているように思える。

 サウンド・デザインについ興味を惹かれがちだが、本作の魅力はリリックにもある。相変わらず飄々としながらも、そこには葛藤を経て立ち返ったポジティヴさがありありと描写されていて、Jeterによるマンブル・ラップ的なヴォーカルはサブリミナルのように聴き手をエンパワメントしてくれる。

このlifeへ 僕はたいてい変さ、このlifeへ 雑になってごめん、 ──“new year, still here”

あの疾走感とかテンション いつか消えてしまうのか、question
てな思いを、括弧で囲う ──“cu”

 と、歌詞をしっかり眺めなければ伝わってこないこうしたメッセージは、等身大でもファンタジックでもなく、個人的な体験に依存せず、私たちが暮らしを続けるなかで出会うさまざまな出来事へと置換できる。そういえば、本作『yo,』はCD盤が全国展開されている。案外、レコード屋でCDを手にとって、家で歌詞カードを眺めながらじっくり聴き入るのもいいかもしれない。そう考えている間に、彼らはワールド・ツアーへと出掛けてしまった。きっとこの体験を機に、また斜め上から新しいポップスの形を提示してくれるだろうと期待している──また、何年かは待つことになるかもしれないけれど。

Jeff Mills - ele-king

 いまや伝説となった30年前、1995年10月28日、新宿リキッドルームにおけるジェフ・ミルズのDJ。それをライヴ録音したミックスCD『Live at the Liquid Room, Tokyo』はピッチフォークで「比類なき、テクノのバイブル」として10点評価されたように、ミックスCDのマスターピースとして広く知られている。
 2025年11月15日、ミニマル30周期における「Live at Liquid Room」ふたたび。大阪ではDJ NOBUが共演。

「3時間に及ぶプレイで起こったことは、
僕たち全員が想像していたものを遥かに超えていた。
それは単にテクノ・カルチャーの礎を築く以上に、
おそらく史上最高のDJセットだったかもしれない」
——ジェフ・ミルズ

【東京公演】
日時:11月15日(土) Open 23:30 Start 24:00 Close 05:00
会場:LIQUIDROOM https://www.liquidroom.net
東京都渋谷区東3-16-6
出演者:Jeff Mills
上映:Jeff Mills - Live at Liquid Room
料金:¥7,000 + 1ドリンクオーダー
前売り:https://eplus.jp/sf/detail/4398840001-P0030001
pre-order:2025年9月14日(日)10:00 - 9月28日(日)23:59
一般発売:2025年10月4日(土) 10:00~
※ご入場の際、ドリンクチャージとして700円頂きます。
※本公演は深夜公演につき20歳未満の方のご入場はお断り致します。本人及び年齢確認のため、ご入場時に顔写真付きの身分証明書(免許書/パスポート/住民基本台帳カード/マイナンバーカード/在留カード/特別永住者証明書/社員証/学生証)をご提示いただきます。ご提示いただけない場合はいかなる理由でもご入場いただけませんのであらかじめご了承ください。

☆ Jeff Mills Live at Liquid Room 30周年エキシビション
11月13日(木)~11月15日(土)
30周年を記念した展示と物販イベントをLIQUIDROOM2階KATAにて開催予定
*詳細は後日発表

<Jeff Mills - Live at Liquid Room 30 Year Anniversary トレーラー>

INFO:https://www.liquidroom.net

30年周期の気高き夜のために──「Live at Liquid Room」に捧ぐ

 もう夜の10時も過ぎた。行こう。ぼくは渋谷駅から山手線に乗って新宿駅を降りた。東口から地上に出て、新宿リキッドルームへと急いだ。1995年10月28日、その夜がとんでもないことになるのは、あらかじめわかっていた。ジェフ・ミルズのDJを初めて聴いたのは、1994年のまだ夏が来る前のことだった。場所はブリクストンのVOXというヴェニューで、LOSTというパーティだった。セカンド・ルームではジミー・コーティとアレックス・パターソンがアンビエントを流していたが、そこには誰もいなかった。すべてのオーディエンスはデトロイトからやって来たDJで踊るため、フロアにいるのだ。フロア、スピーカーの上、それから夜が明ける頃には天上にぶら下がっている人もいた。ぼくがそこで体験したのは、娯楽としてのDJでも、アートとしてのDJでもなかった。精神的(ルビ:スピリチュアル)なジェットコースター、脳みそが吹っ飛ぶ認識の破局と再生――あれは、そのくらいの言葉で言わないと気が済まないのだ。精神の地殻変動をうながし、そして事実、ほとんどのオーディエンスの意識のなかにまで侵入するDJをぼくはそのときはじめて聴いた。

 新宿リキッドルームでもそうだった。不朽の名ミックスCDとなった『Live at Liquid Room, Tokyo』をいま聴いても、あのときの感覚を思い出すことができる。ミルズ自身のトラック、シカゴのゲットー・ハウス、ヨーロッパのミニマル、こうしたものを使って繰り広げられるテクノが臨界点を目指す。未来の美学へようこそ。あれから30年、ふたたび「Live at Liquid Room」が実現することが、いまは嬉しくてたまらない。(野田努)


1995年、デトロイト・テクノの巨匠Jeff Millsが新宿リキッドルームで行った圧巻のDJプレイがミックスCD「Jeff Mills - Live at Liquid Room, Tokyo」として1996年に発表された。
今回、テクノのミックスCDとして金字塔となったその時のDJセットを収めたフィルムが発見され、新たに撮り下ろしたインタビューも交えた映像作品が本邦初公開となる。ターンテーブル2台を用いたオール・ヴァイナルでの高速セットは必見。ハードコア~ミニマル期の伝説的なプレイを堪能できる貴重な機会となる。
イベントから30周年を記念して、東京、大阪のみならず、ロンドン、香港、パリ、アムステルダム、ベルリン、ダブリンなどの都市を巡るワールドツアーが開催される。ここ日本では特別に、Jeff Millsが今ではプレイしていないアナログとオープンリールを使用した当時のセットを披露する。
伝説のミックスCD「Live at Liquid Room」の再発と30周年エキシビションの同時開催も決定。
さらに大阪公演では、自身が主宰するアンダーグラウンドパーティFUTURE TERRORから活躍の場を世界に広げるDJ NobuがJeff Millsとの日本初共演を果たす。

【大阪公演】
日時:11月14日(金)Open 22:00 Close 05:00
会場:JOULE https://club-joule.com/ja/
大阪府大阪市中央区西心斎橋2丁目11-7南炭屋町ビル
出演者:Jeff Mills, DJ Nobu, DJ Compufunk
上映:Jeff Mills - Live at Liquid Room
Food:tamutamucafe
料金:¥6,000(当日)/ ¥5,000(前売り)/ ¥3,000(23歳以下)
前売り:*準備中
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。
年齢確認のため、顔写真付きの公的身分証明書をご持参ください。

主催:Axis Records / LIQUIDROOM / JOULE

Jeff Mills

1963年アメリカ、デトロイト市生まれ。
現在のエレクトロニック・ミュージックの原点ともいえるジャンル“デトロイト・テクノ”のパイオニア的存在。
マイアミとパリを拠点に1992年に自ら設立したレコードレーベル<Axis(アクシス)>を中心に数多くの作品を発表。またDJとして年間100回近いイベントを世界中で行っている。
ジェフ・ミルズの代表曲のひとつである「The Bells」は、アナログレコードで発表された作品にも関わらず、これまで世界で50万枚以上のセールスを記録するテクノ・ミュージックの記念碑的作品となっている。

エレクトロニック・ミュージック・シーンのリーダーでありながら、クラシックやジャズなど様々なジャンルの音楽界に革新を起こす存在としても世界の注目を浴びている。2005年初演、ミルズの代表曲をクラシック化したオーケストラ作品Blue Potentialを始め、日本人で初めてスペースシャトルに宇宙飛行士として搭乗した、日本科学未来館元館長の毛利衛氏との対話から生まれた作品「Where Light Ends」や、ミルズがクラシック用に書き下ろした作品「Planets」が日本でも公演されている。音楽のみならず近代アートのコラボレーションも積極的に行っており、パリ、ポンピドゥーセンターやルーブル美術館内でのアートインスタレーション、シネマイベントなど数多く手掛けている。
最近では、アフロビートの先駆者、トニー・アレンとの共演から始まったインプロビゼーションプロジェクトのTomorrow Comes The Harvest はキーボード、タブラ、フルートなど多彩なミュージシャンとともに精力的に全世界をツアー中である。
このような活動が評価され、2017年にはフランス政府よりオフィシエの称号を元フランス文化大臣のジャック・ ラングより授与された。
またコロナ禍中には、若手テクノアーチスト発掘支援のためThe Escape Velocity (エスケープ・ベロシティ)というデジタル配信レーベルを設立。60作品をリリースし、若手アーチストにコミュニケーションと発表の場を与えるのに貢献した。

www.axisrecords.com
https://twitter.com/JeffMillsJapan
https://www.facebook.com/JeffMills
https://www.instagram.com/jeff_mills_official/
https://linktr.ee/jeffmills

CD、カセットテープ情報

【CD】
国内仕様盤(日本語ライナーノーツ付き)数量限定
発売日:2025/11/14
価格:税抜価格 3,000円(税込価格3,300円)
販売店舗:U/M/A/A Store他一部店舗
特典:後日発表
予約リンク:*準備中
発売元:ユーマ株式会社

interview with Kassa Overall - ele-king

 ジャズとヒップホップの出逢い──こう言ってしまえば簡単だが、これまでの両者の融合や邂逅や衝突とはまったく次元が異るような作品だ。グラミー賞にノミネートされ、ドリス・デューク・アーティスト賞も受賞しているカッサ・オーヴァーオールのニュー・アルバム『CREAM』のことである。これまでもジャズにヒップホップの要素を落としこんできた彼だが、新作では、1枚まるごとヒップホップ・アーティストのカヴァー集となっている。レコーディングはすべて一発録りで、ビギーことノトーリアス・B.I.G.、ウータン・クラン、ドクター・ドレー、ア・トライブ・コールド・クエスト、アウトキャストらの曲がジャズに生まれ変わっているのだ。
 彼の発言を読むとよく分かるのが、遡れば、ジャズとヒップホップは共通の祖先を持っているということ。そして、それらをこじゃれたジャジー・ヒップホップでも、Nujabeseを筆頭とするような系譜とも違う仕方で共存させることができるのだ、ということである。本作は、ジャズをサンプリングしたヒップホップでもないし、ヒップホップのループ感を持ち込んだジャズというわけでもない。ラッパーをフィーチャーしているわけでもないし、耳馴染みが良いスムース・ジャズとも決定的に違う。
 カッサは、例えばビギーのリズムはビバップを代表するマックス・ローチのドラム・ソロから生まれ、そのドラム・ソロ自体は西アフリカのドラム・オーケストラにおけるジャンベ奏者のリズムを源としている、と言う。つまり西アフリカからラッパーに至る一貫した流れがあるのだ、と主張する。なるほど、マックス・ローチがハイチのリズム・マスター=チローロに師事したのは有名な話だ。逝去したラッパーのECDはアフロ・キューバンやラテンのリズムをトラックに使用していたが、チャーリー・パーカーと並ぶビバップの立役者であるディジー・ガレスピーは早くからアフロ・キューバン・ジャズに取り組んでいた。理論的にはカッサのいうことはもっともである。
 だが、理屈でねじ伏せられるからと言って、それが実践にまで及ぶとは限らない。だからこそ、その理屈・理論を実際に作品を通してカッサは証明したかったのではないだろうか。そして、見事に結果を出してみせた。『CREAM』はコラージュやエディットを大胆に施していた前作から一転、編集もオーヴァーダブも一切なしのアルバムに仕上がっている。ジャズ黄金期の空気とヒップホップが染みついた身体から繰り出される未踏のサウンドは、両者の未来を明るく照らし出すだろう。

たんに「ヒップホップとジャズが融合した」アルバムにはしたくなかった。「ヒップホップとジャズの融合」って若干ダサい感じになることがあるからね……中級ホテルのエレベーターで流れている、有名曲のインスト・カヴァー的な(笑)。

アルバム、素晴らしかったです。いま、あなたと同じことをやっているミュージシャンやアルバムは思いつきません。誰かいると思いますか? いたら教えて下さい。

カッサ・オーヴァーオール(Kassa Overall、以下KO):ありがとう! じつは、この新作のライナーノーツを執筆したダン・チャーナスとも同じ話をしたんだよね。ダンはJ・ディラの伝記『Dilla Time: The Life and Afterlife of J Dilla, the Hip-Hop Producer Who Reinvented Rhythm』の著者。「きみが今回やったようなことをすでに実現していたアルバムって他にある?」って聞かれて、正直なところ思い浮かばなかった。たとえば、ジャズをサンプリングしたヒップホップ作品だとか、ヒップホップのようなジャズ作品はある。ヒップホップのブーンバップが聴こえたり、同じコード進行の繰り返しがあったり、ラッパーをフィーチャーしていたり。でも、(『CREAM』のようなアルバムは)他に思い浮かばないなぁ……。俺としては、このアルバムをたんに「ヒップホップとジャズが融合した」アルバムにはしたくなかった。「ヒップホップとジャズの融合」って若干ダサい感じになることがあるからね……中級ホテルのエレベーターで流れている、有名曲のインスト・カヴァー的な(笑)。

アルバムのコンセプトやテーマ、タイトルの由来について教えてください。

KO:仲間たちと一緒に考え、俺たちの活動の本質が伝わるようなタイトルを100個くらい書き出したよ。新作では90年代にも60年代にも戻れるし、一周して未来にも行けるような、「音楽のタイム・トラベル」的なアルバムを目指した。だから、その時空を超えて旅するような概念を表したアルバム・タイトル案をたくさん考えたけど、これが難しくてね。そして、あるとき「CREAM(クリーム)って、抽象的でいいかも?」と思いついた。ウータン・クランの90年代的な要素(=収録曲 “C.R.E.A.M”)も掛けているけど、「cream」っていう言葉自体が、俺たちの目指す60年代の〈ブルーノート〉レコード的なサウンドの質感を表している気がして。それに、「クリーム」って固体ではなく、流動的だよね。その、クリーミーな感じが音楽的にピッタリだと思ったんだ。言葉では説明しづらいけど、たとえ理由がわからなくても聞き心地の良いタイトルのひとつだね。
 このアルバムを制作したきっかけは、グラミー賞公式ホームページのGrammy.com用にグラミー賞にノミネートされた曲から1曲選び、自分たちらしくカヴァーする動画製作を依頼されたことだった。(ディガブル・プラネッツの)“Cool Like Dat” でもよかったけど、最終的には(スヌープ・ドッグ&ファレルの)“Drop It Like It’s Hot” で制作したんだ。これがきっかけで、新しいコードを見つけたり、リズムをチョップアップ(切り刻んだり)して、新たな音楽的要素を足していく試みがマジで楽しくてね(笑)。その後ツアーに出ることになり、試しにステージで演奏したところ、会場が狂ったように沸いた(笑)。オーディエンスに大好評だったからさらに何曲か追加して、ライヴで3~4曲カヴァーするようになると、どこで買えるかよく訊かれるようになった。「(商品として)そもそも存在しないから、買えないよ」と答えていたけどね(笑)。観客から何度も聞かれるってことは、ある種の「チート・コード[編注:PCゲームなどにおける、制作者が意図していない裏技]」みたいなものだよね。新作をオーディエンスが気に入ってくれるかは未知数だけど、レコーディング前に実際にステージ上で演奏できれば、観客側の反応はわかるから。

あなたは『Go Get Ice Cream and Listen to Jazz』の頃から、ジャズのパフォーマンスとヒップホップのプロダクションが合体したアルバムを作っていました。本作はこの路線を突き詰め、アップグレードした結果と言えるのでしょうか? それとも、もっと根本的な変化/進化があったと思いますか?

KO:今回は、これまでとは正反対のアプローチを取った。つまり、ヒップホップ楽曲を起点にアレンジを加え、編集もオーヴァーダブも一切ナシのジャズ・アルバムを制作したんだ。スタジオにミュージシャン全員が集まり、一発録りする手法でね。素材としてヒップホップの曲を使用したけど、ルディ・ヴァン・ゲルダーやマイルス・デイヴィス、アーマッド・ジャマル、ユセフ・ラティーフらを研究し、そのエネルギーに呼応する作品を目指したんだ。

ヒップホップが存在しない世界を俺は知らない。それが社会に深く根付いた時代のはじまりを、俺は生まれたときから体感し、完全に自分の音楽だと感じてきた。

ジャズとヒップホップを組み合わせるのは、ジャンルの折衷であると同時に、ジェネレーションを超える掛け算でもありますよね。ジャズとの出逢い、ヒップホップとの出逢い、それぞれの音楽から初めに受けたインパクトがどのようなもので、いまの自分にどのような影響を与えたのか教えてください。

KO:実家のリヴィング・ルームでレコード・プレーヤーから流れていた音楽に遡るね。俺がかろうじて自分でレコードをかけられるようになったばかりの幼少の頃、(マイルス・デイヴィスの)『Kind of Blue』を聴いたことをいまでも覚えている。ヒップホップより前に、最初に聴いたのは両親のレコード・コレクション……例えば、ボブ・ディランやジミ・ヘンドリックス、それからボブ・マーリーなどのレゲエものだった。幼い頃からボブ・マーリーの歌詞は歌えたね。それから、うちの母が東洋思想に傾倒していたから、タブラ作品や瞑想(メディテーション)用の音楽も聴いていた。
 ヒップホップものとの出会いは、DJジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンスの『Rock the House』(87年)。ウィル・スミスは、テレビ番組(=『The Fresh Prince of Bel Air』)に出演する前、そして俳優として大ブレイクを果たすまで(の80年代後半頃)は、ヒップホップ界で確固たる地位を築き、ある種の尊敬を集めていた。いまではあの知名度ゆえに嘲笑の的になりがちだけど、俳優として大ブレイクする前は大好きなラッパーのひとりだった。とくに幼少の頃は、他のヒップホップものより聴きやすかったし。他には、パブリック・エネミーの “Fight the Power” やDJクイックを聴いていた。4歳上のうちの兄貴が大ファンだったDJクイックのアルバムを88年頃に父にせがんだのを覚えているよ。俺は82年10月生まれだから、当時は5、6歳だった。DJクイックの作品を聴いていい年齢じゃないよな(苦笑)。アルバムのオープニング・ナンバーのタイトルが “Sweet Black Pxxxx” で[編注:同曲収録のアルバムは『Quik Is the Name』で、1991年のリリース]、テープには(未成年者には相応しくない作品を保護者に伝える)「Parental Advisory」のロゴが入っていたしね(笑)。兄貴に渡す前にうちの親父がテープを通して聴き、俺たちを呼んでこう言ったんだ。「このアルバム、聴いたよ。正直、お前たちに渡すべきじゃないし、子どもが聴くような内容じゃないね。でも、父さんは芸術と自由な表現を信じている。このテープは渡すけど、これはあくまで “芸術作品” ってことを理解してくれ。DJクイックが表現しているのは彼の現実で、オマエたちも真似しろってことじゃない。これはあくまで芸術としての作品。誰でも自分を表現する権利はあるんだ」
 ジャズとヒップホップから受けた影響に関しては、本が一冊書けるくらいだね。まず、ヒップホップについて話そう。俺が誕生した82年の時点でヒップホップは世界を席巻していた。つまり、ヒップホップが存在しない世界を俺は知らない。それが社会に深く根付いた時代のはじまりを、俺は生まれたときから体感し、完全に自分の音楽だと感じてきた。俺がヒップホップを「自分のもの」としているワケじゃないけど、自分はヒップホップを体現しているように感じていた。ヒップホップを嫌ったり、笑い草(ジョーク)にしている奴は、俺のことを笑い草(ジョーク)として扱っているのと同じ。それほど俺にとってヒップホップは重要な存在。ヒップホップを聴いて育った俺は、ヒップホップにある種の正義感のようなものを感じていた。なぜなら、その題材の多くを見ると、疑問の余地のある見解や意見、決断や行動といった複雑な内容が数多く含まれてたから。俺にとって、ヒップホップとは、「順応したり、沈黙することを求めてくるこの世界で必死に生き延びようとする人間の姿を表現している」とつねに感じてきた。ヒップホップの「破壊的」な要素には、ある種の正義感があった。そこには神聖な要素が宿っているように思えたんだ。
 そして今日、それこそが「クリエイティヴィティ(創造性)の美」だと俺は理解している。クリエイティヴィティを単純に「絶対的にポジティヴなクリエイティヴィティ(創造性)のみがいいもので、ネガティヴな作品はすべて悪い」とふたつに分けてしまったら、結局そこで辿り着くのは題材がひとつ(=神様)に絞られるゴスペル音楽のようなものしか残らない。ひとつの題材以外は「間違い」になると、それはマインド・コントロールの領域に陥るようなもので、非常に危険かもしれない。だから、俺はクリエイティヴィティこそが強力だと理解していると同時に、それが当然とは思わないようにしている。というのも、俺の口から発せられる言葉や自分が表現する作品やエネルギーには力があることを知っているから。俺としては、自分自身と他者を正しい方向へ導くためにクリエイティヴィティを使うことに努めている。
 だから、ジャズとヒップホップは俺にとっては同じものなんだ。このふたつは生まれた時代が違うだけで、根底にある精神は同じ。今年の初めの一ヶ月間、俺は皆に「スピリット(精気、精神)が戻ってくる!」って言い続けた。この「スピリット(精気、精神)」っていうのは……ジョン・コルトレーンや2パック、ニーナ・シモン、アリス・コルトレーンといったアーティスト勢を鼓舞したエネルギーのこと。いまこそ、あのエネルギーが戻ってきて、新たな何かを生み出すときがやってきた! と感じているんだ。

1曲のなかに込められた情報量がとても多く、非常に多彩だと感じましたが、これは意図的でしょうか? ジャズもカリプソもクレツマーもボサノヴァの要素もある。こんなアルバム、聴いたことがない!

KO:ありがとう。意図的な部分はいくつかあるね。たとえば、最初のレコーディング・セッションで演奏したア・トライブ・コールド・クエストの “Check the Rhime” でヒップホップのビートを刻んだけど、あの曲以外では、ヒップホップのビートではあえて演奏しないように心がけた。このアルバムにヒップホップのビートが見当たらないのは、原曲がそもそもヒップホップものだから、根本的に(ヒップホップ以外の)別の領域へ辿り着くことを目指したんだ。ヒップホップのビートなんてグルーヴを乗せていけば自動的にカッコよくなるから、簡単すぎるだろ(笑)? 俺としては「もう少しアブストラクトな感じ(=抽象的)にして、リスナーには注意深く聴いて欲しい」と思って。グルーヴに関しては、ただ自分がこれまで受けてきた音楽的インスピレーションから生まれただけ。ひとりの音楽ファンとしての感覚から「ああ、あれを思い出すな!」だとか「これにこれを足したらすごくカッコよくなるかも!」っていうふうにインスピレーションが湧いてくる。そういったアイディアが浮かんだら、いろいろ試してみたんだ。

以前は一度できた曲をライヴで披露してみて、機能しなかったらそこをまた改善したりすることをやっていましたよね。つまり、曲を作る過程でパフォーマンスしていたと思いますが、その方法は今回もやっているのですか? いずれにせよ、その理由も教えてください。

KO:うん。今回もやった。この手法は大好きだけど、楽曲によって違う形で生まれるから全曲ライヴで披露したわけじゃないよ。ライヴ・パフォーマンスから生まれた曲もあれば、スタジオでできあがった曲もある。曲次第だね。今回、ライヴで披露していた楽曲の3、4曲がスタジオに入った途端に驚くほどスムーズかつ簡単にできあがったから、そこからさらに6曲も書いた。スタジオ・レコーディングは2回に分けておこなった。
 だから、ライヴでの観客も音楽制作の過程の一部だね。自分の頭のなかで楽曲案があっても、それを他の誰かと共有したとき、初めてその楽曲案を体験できる気がする。たとえば、それが文章表現の場合でも、自分の考えを世の中に……あるいはたったひとりの相手に発信したときでも、自分の口から出た言葉を聞いた相手の顔を見たとき、相手の反応やエネルギーが伝わってくるよね。観客の前で演奏することは後々役に立つことがあるから、自分の考えに固執しすぎちゃいけない。しっかり(観客の反応にも)注意を払わなきゃいけないよね。

ビギーのリズムはマックス・ローチのドラム・ソロから生まれ、そのドラム・ソロ自体は西アフリカのドラム・オーケストラにおけるジャンベ奏者のリズムを源としている。つまり西アフリカからラッパーに至る一貫した流れがあるんだ。

資料にもあるので、繰り返しになって申し訳ないのですが、ジャズとヒップホップの共通点と相違点を、両方のジャンルにも疎い人に分かりやすく説明するとどうなるでしょうか?

KO:重要なのは、ビートの取り方に関してより「流動的な」タイミングを受け入れることだろうね。もし厳密に固定され……例えば4つ打ちの「ドン・ドン・ドン・ドン」といったリズムが好きなら、難しいかもしれない。あからさまじゃないかもしれないけど、注意深く何度も聴き続けると、リズムの一貫性が聞こえはじめると思う。それは、高層ビルを見る感じではなく、風に揺れる木を見るような感覚だよ。
 「ジャズ」に関して言えば、聴き続けると、次々と新たな発見があり、一生聴き続けられるレコードもある。人生が深まるにつれ、そのアルバムを体験する能力も成長するからね。こういったアルバムは普遍的で時代を超越しているから、赤ん坊からティーンネイジャー、大人、そして老人までのあらゆる層にも訴える何かがある。時代を超えた不滅の栄養素が1枚の作品にたくさん詰まっている。もし複雑に感じても、聴き続ければやがて何かが聞こえはじめるんだ。

共通点についてはいかがでしょうか?

KO:ニック・ペイトン(=トランペット奏者のニコラス・ペイトン)はジャズとヒップホップの共通点について「アフリカン・リズムのDNA」と説明していたね。とくにヒップホップとジャズを注意深く聴くと、それがわかると思う。いまのヒップホップには様々な種類があるけど、たとえばブーンバップについて話すなら……たとえばDJプレミア、ドクター・ドレ、ピート・ロックといったプロデューサーたちが手がけたヒップホップの場合、同じ「リズム言語」が使われている。ちなみに、ラキムはジョン・コルトレーンからフレージングを学んだと語っているね。それから、偉大なサックス奏者のドナルド・ハリソンは、ビギーがマックス・ローチのドラミングに触発されたらしいと話していた。ビギーのリズムはマックス・ローチのドラム・ソロから生まれ、そのドラム・ソロ自体は西アフリカのドラム・オーケストラにおけるジャンベ奏者のリズムを源としている。つまり西アフリカからラッパーに至る一貫した流れがあるんだ。彼らは同じ役割を果たす同一の「リズム言語」を扱っていて、この一貫した流れは極めて明確。ただ、「ジャズ」と呼ばれる黒人音楽には、和声や特定のリズム要素においてやや複雑さが加わる場合が多い。でも、ヒップホップにも複雑さは存在し、ジャズにも簡潔さは存在するから、楽曲によりけりで一律には言えないんだよね。

ヒップホップとジャズの相違点は?

KO:すべてに当てはまる普遍的な答えはないけど、ヒップホップにおいて重要な要素のひとつは、ラッパーがうまくビートに乗れる一貫したリズム・ポケットがあること。一方、ジャズでは、非常に安定したリズムを保ちつつも、抽象的な領域に入り込み、曲のハーモニック・リズムそのものを体感する余地がある。ドラムはより旋律的な役割を担うラッパーに近い存在で、ベーシストは安定したリズムを保つ役割を担う。 ジャズを演奏する際、俺は「一貫したリズム」は好まない。というのも、俺が求めているのはフラクタル、つまり変容するタイミング(ビートの取り方)だから。現代のジャズ・ミュージシャンの多くはその概念すら理解していなかったりする。一貫していないリズムで演奏しはじめると、彼らは居心地悪そうだったりするね。

ジャンルとは暫定的なものであり絶対的なものではない、という信念のようなものが、過去のあなたの発言からはうかがえます。ジャンルが具材だとすると、それが原型をとどめないほどに溶解したスープのようなものを作りたかったのでしょうか?

KO:「溶解したスープ」というのは、スムージーのように「融合された」ものを連想するよね? 『Go Get Ice Cream and Listen to Jazz』、『Animals』、『I Think I'm Good』などの過去作品で俺が「融合」ではなく「コラージュ」という比喩を多用したのは理由がある。「コラージュ」はひとつひとつの存在したパーツを組み合わせることで新たな絵を生み出すから、俺の「コラージュ」はミネストローネ・スープのように具材の個性がそのまま残っているんだ。ひと口食べれば人参や豆、鶏肉、麺だとわかるように(笑)。でも、この新作のアプローチは少し異なる。コラージュというよりは、むしろ溶解したスープに近い。このジャズ・アルバムを制作するためにヒップホップ曲から借用した構成要素が、もはや原型をとどめていないからね。

とりあげた曲に何か基準はありますか? これらの曲に共通点があるとしたらなんでしょう?

KO:厳密な基準はないけど、自分の想い出やノスタルジアを呼び起こし、感情的なインスピレーションを与えてくれる楽曲を選んだ。だから、大半は子どもの頃に聴いていた曲や、初めて聴いたときや自分に与えた影響を覚えている曲ばかりだね。

“Someday My Prince Will Come” や “Take Five” といったジャズのスタンダード・ナンバーを素材としてとりあげた理由を教えてください。

KO:ヒップホップ曲を聴き、その曲にむしろ「絶対に合わないだろう」って質感を想像してジャズ・スタンダード曲を探したんだ。たとえばジュヴィナイルの “Back That Azz Up” はパーティ系クラブ・アンセムだから、「原曲とはまったく違う世界観の美しい曲に変えたらどうだろう」って考えた。そこで思いついたのが “Someday My Prince Will Come” のイントロだった。最初は笑える冗談みたいな感じで曲を作りはじめた。美しい愛のメロディが流れて聴いている人が、「ん……? これ、もしかしたら “Back That Azz Up”!?」って気づく瞬間が笑えると思ってさ(笑)!

カッサ・オーヴァーオール来日情報

2025 10.8 wed., 10.9 thu., 10.10 fri.
BLU NOTE TOKYO
[1st] Open5:00pm Start6:00pm [2nd] Open7:45pm Start8:30pm

メンバー:
カッサ・オーヴァーオール(ヴォーカル、ドラムス、エレクトロニクス)
ベンジ・アロンセ(コンガ、エレクトロニクス)
エミリオ・モデスト(サックス)
マット・ウォン(キーボード)
ジェレマイア・カラブ・エドワーズ(ベース)

https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/kassa-overall/

Zoh Amba - ele-king

 ゾー・アンバを意識したのはずいぶん遅い。昨年の紙エレキングで書いたように、Beingsなるプロジェクトで出した『There Is a Garden』からで、ぼくなんかよりも若々しい感性をもったリスナーは、2022年、彼女がジョン・ゾーンのレーベルでデビューしたときからチェックしているのだろう。Beingsから聴いたのもアンバのリスナーとしては非正統的かもしれない。これはスティーヴ・ガン(説明は不要だろう)、シャハザード・イスマイリー(マーク・リボーのバンドで知られる)、ジム・ホワイト(ダーティ・スリー)らと組んだバンドなのだ。
 Beingsの『There Is a Garden』は、ギャラクシー500めいた陶酔のギター・サウンドにヴィブラートの効いたアンバの悲鳴にも近いサックスが叩きつけられる、端的に言えばポスト・パンク的にササクレだったジャズ・アルバムだった(彼女は歌ってもいるし、ギターを弾いてもいる)。いっぱつで引き込まれる音楽とはまさにこれで、ことにアンバの表情豊かなサックスには心揺さぶられ、それからである、このずば抜けて魅力的なアーティストを聴くようになったのは。

 だいたい、グラミーなどと騒がれているプレイヤーの多くがジュリアード音楽院卒だったりしている今日の「ジャズ」という括りのなか、テネシー州の山村の、決して平穏とは言えなかった家庭に生まれ、森のなか独学によってサックスの練習をしたアンバに物語が生まれ、それがひとり歩きしてしまうのも無理からぬことだろう。これは21世紀の話である。12歳だった彼女がサックスを手にしたのは、吹奏楽の授業でチャーリー・パーカーの映像を見たことがきっかだった。それから彼女はYouTubeで、ジョン・コルトレーン、コールマン・ホーキンス、レスター・ヤングの演奏を繰り返し聴き、そして偉大なる幽霊、アルバート・アイラーを心の師と決めた。音楽学校に進学もしたが馴染めず中退している。スピリチュアルなフリー・ジャズに突進するアンバにとってのジャズとは、制度のなかで学ぶモノではなかった。そもそも、10代にしてドイツのフリー・ジャズマン、ペーター・ブロッツマン(彼女にとってのもうひとりの師)に手紙を送るような若者を、教室の椅子に縛り付けることなど昔もいまも不可能なのだ。

 Discogsを見ると彼女には、わずかこの3年ですでに10枚以上のアルバムがある。そのなかにはキューバ出身の打楽器奏者、フランシスコ・メラとの共作も含まれている。主にエレクトロニック・ミュージックとフリー・ジャズで知られるオスロのレーベル〈スモールタウン・スーパーサウンド〉(ブロッツマンの2000年代の作品を同レーベルは出している)からリリースされた本作『Sun』は、ザ・サン・クァルテット——ドラマーのミゲル・マーセル・ラッセル、ピアニストのレックス・コルテン、ベーシストのキャロライン・モートン——としては初のアルバムで、冒頭から〝震え〟をもって賛歌を奏でると、そして現在25歳のサックス奏者の膨大なエネルギーが爆発する。
 アンバの感情の強度は並大抵のものではない。「女版アイラー」とは彼女に付いた安直なレッテルではあるが、この荒々しくも切なくもあるエネルギーの激流があふれ出ると、あながち間違いではないように思えてしまう。クァルテットは、後期コルトレーンのスピリチュアル・ジャズの心のもっとも奥深いところから吐き出すような、あのすさまじい〝説明しようのないうねり〟を招来している。“Champa Flower”という曲ではアメリカの民謡(フォーク)に根ざしたギターを弾き、“At Noon”ではセレナーデを奏でるが、アルバムはまたしても震えるような精神のざわめきへと流れるように向かう。
 アンバは自ら本作をこう解説している。「この音楽があなたの心の奥深くまで届き、そこからもっとも美しい喜びと愛、好奇心の庭を咲かせてくれることを願っている。(略)私の心はいまも、ピーター・ブロッツマンがこの宇宙に投げかけた深い光のなかに座している。私は毎朝、彼の霊を聴いている。この音楽は、絶えず変化しながら太陽の彼方を目指そうとする魂の反映にすぎない」

 たびたび言われていることだが、フリー・ジャズというジャンル用語は、ある時期から「フリー・ジャズという形式の音楽」という、「過去の音楽」なのに「現代音楽」などという矛盾と似たようなジャンル用語になっている。この音楽が、1960年代のように伝統や慣習を脅かすような強烈さを持ち得ているかと言えば、わからない。坂田明のような、なおもその〝炎〟を宿しながら比類なき境地に達しているサックス奏者もいる。そうだ、ぼくはこのアルバムのジャケットを見て、なんだかアリ・アップみたいだと思った。こんなにはつらつとした生命感を感じるアートワークが過去のフリー・ジャズ/スピリチュアル・ジャズにあったのかどうかも、ぼくにはわからない。わかっているのは、自分がこの先も彼女の音楽を聴き続けるということ。奔放にほとばしるゾー・アンバの物語は、まだはじまったばかりなのだ。


MC Yallah & Debmaster - ele-king

 日本や世界各地のクラブ・シーンを席巻しているエモ寄りのメロディック・ラップの氾濫からひととき解放されるかのように、ヤラ・ガウデンシア・ムビデ( Yallah Gaudencia Mbidde)、すなわちMCヤラー(MC Yallah)のセルフタイトル新作『Gaudencia』は、Nyege Nyege のサブレーベル〈Hakuna Kulala〉からフランス人プロデューサーのデブマスター(Debmaster)との共作として登場した。これはすでに熱気を帯びた夏にさらにスパイスを振りまく、革新の清新な空気であり、意識を覚醒させるバンガーの数々だ。2023年のブレイク作『Yallah Beibe』が放った生々しいエネルギーと昂揚を継承しつつ、今回のヤラーとデブマスターはさらにいっおう音響的一貫性を獲得している。まるで宿命に導かれた音響的な結婚のごとく、互いが互いを突き動かし、より高みへと刺し合うようにして。
 ケニアに生まれ、ウガンダで育った背景は、言語の仕組みを自在に連結するためのコードをヤラに授けた。彼女はルガンダ語、ルオ語、スワヒリ語、そして時折の英語を切り替えながら、それぞれの言語がもつ力を最大限に引き出し、すべてを猛烈な韻律のなかで機能させている。
 これはマムブル・ラップでも、2分間に40語しか吐き出さないエモ的な歌唱でもない。これはバトルラップ・スタイルだ。週末のニューヨークのバスケットコートに持ち込まれるような、あるいはあらゆるコンテストに投じられるようなものだ。英語を母語とする私にとって、ラッパーの言葉を理解できないことに多少の寂しさはある。だが“Omulinji”のようなトラックでは、そのもどかしさはメロディとフロウに慰められ、魅了される。優れたラッパーは、外部の聴衆が渡れる旋律の橋を築くのだと、そこには単純に示されている。

 アルバムのテンポは冒頭から狂騒的で、ハイプを積み上げていく。冒頭曲“Higher”のシンセサイザーの響きからして、その昂ぶる予感が全身に伝わってくる。トラックメイカーとしてのデブマスター(Debmaster )の手腕は、必要な余白と緊張感を残し、MCヤラにマシンガンのようなケイデンスを浴びせるだけの空間を与えている。そして続く“Kujagana”では夏らしいバウンス感を解放し、どこの都市でも通じるメロディを響かせる。地下鉄のなかで自然と口ずさめるような、記憶に残る旋律だ。
 1曲目以降、このアルバムの大部分はディープでスローなリズムに身を委ねている。現代アフリカのスロービートやアフロビーツと、西洋で人気のグルーヴィなエレクトロニクスとのあいだに心地よく収まり、クラブで多用されるガバの硬質な音を相殺するかのようだ。

 ヤラーにとりわけ惹かれるのは、そのラップのフロウ、歌唱、パフォーマンス・スタイルはもちろんだが、全体的な美学において、セクシュアリティを最優先にしていない点にもある。だいたいこのご時世、裸同然の格好をせず、言葉を発する前から腰をくねらせたりしない女性ラッパーがバズったりすることは困難だろう。実力派のDoechii(https://www.ele-<https://www.ele-/>http://king.net/review/album/011615/)でさえも、注目を集めるため、真っ裸になってヴィデオを制作したほどである。しかし、『Gaudencia』におけるヤラーは、ゲストなしでアルバム全体を牽引する女王の風格を見せつける。13曲すべてにおいてゲストも客演プロデューサーも存在しない。サウンドは一貫しており、メッセージは純粋無垢で、そのゆえに圧倒的な磁力を放っている。そして率直に言えば、リリックを完全に理解できなくとも、ヤラの才能はジェイ・Z級だ。
 願わくは、ヤラーがアメリカのしばしば言語的排外主義に陥りがちなラップ・カルチャーを突破してほしい。現実にはそれが起こるとは思えないが、それでもなお願わずにはいられない。


In a welcome break from the plethora of emo-driven melodic rap taking over the club scenes here in Japan and in many parts of the world, Yallah Gaudencia Mbidde aka MC Yallah`s new self titled work “Gaudencia” with Debmaster on the the Nyege Nyege`s sub-label HAKUNA KULALA, is the fresh air of innovation and mind-awakening bangers necessary to bring spice to an already hot summer.
In a continuation of the raw energy and excitement around her breakthrough 2023 “Yallah Beibe,” Yallah and Debmaster go even further into sonic coherence showing that they were meant to each other, an ordained sonic marriage by fate, each half needling each other toward greater excellence.
Being Kenyan, raised in Uganda showered Yallah with the codes necessary to interconnect with the inner-workings of number languages. Yallah toggles between Luganda, Luo, Kiswahili, and brief moments of English accessing the greatest parts of each language and making them all work in rapid fire cadences.
This isn`t mumble rap or 40 words in a 2 minute emo-sing song, this is battle rap style. The type one would take to the basketball court in New York City on the weekend or any contest. For myself as a native English speaker, there is a little sadness in not being able to understand anything a rapper is saying. But in a track like “Omulinji," my mental frustrations are put to rest with melodies and flows that mesmerize, showing simply the best rappers build melodic bridges outsiders can cross.
The pace of the album from the beginning is manic, hype building. You can feel the anticipation from the opening synths in opening “Higher.” Debmaster`s craft as a track maker leaves space and just enough tension giving MC Yallah tons of air to fire machine gun style cadences. And then allows summer bounce vibes in the following “Kujagana,” easily translatable in any city with melodies, memorable and hummable on any subway.
Beyond the first track, the majority of the album grooves in deep slow rhythms fitting comfortably between modern African slow beat or afrobeats and groove heavy electronics popular in the Western world to offset much of the gabber music played in clubs.
What particulary attracts me to Yallah is her rap flow, singing, performance style or overall aesthetic, not prioritizing sexuality first. It`s difficult now to find viral female rappers that aren`t near naked or gyrating before they even say a word. Even equally as talented Doechii has made video(s) completely butt naked to attract attention. In “Gaudencia” Yallah shows queen status carrying the whole album without any guests. 13 tracks without any guests or even guest producers. The sound is consistent and the message is pure, and by being so, incredibly magnetic. And truth be told, Yallah is Jay Z level talented, even without understanding fully her lyrical content.
It would be my hope that Yallah could break through the often linguistically xenophobic rap culture of America. I don`t see that happening but it is still a hope.

Chip Wickham - ele-king

 ブライトン出身のサックス奏者、チップ・ウィッカムは、モダン・ジャズを基盤としつつ、クラブ・ミュージックとも接点をもちながらスピリチュアルなサウンドを探求してきた音楽家だ(昨年はフジロックで来日)。そんな彼が、ロンドンとはまた異なる角度からジャズを盛り上げてきたマンチェスターのレーベル〈ゴンドワナ〉に合流したのが前作『Cloud 10』。これにつづく通算5枚目のニュー・アルバム、『The Eternal Now』が9月5日にリリースされる。
 また、これにあわせ、単独来日公演も決定していて、11月15日(土)@大阪 Umeda Shangri-la、11月16日(日)@東京 Shibuya Club Quattroの2都市を巡回。新作リリース直後という絶好のタイミングでのライヴ、見逃す手はありません。


【リリース詳細】
アーティスト:CHIP WICKHAM / チップ・ウィッカム
タイトル:The Eternal Now / ジ・エターナル・ナウ
フォーマット:CD/DIGITAL
発売日:2025.9.5
価格:¥2,750(税抜¥2,500)
品番:PCD-25494
レーベル:P-VINE

【Pre-order/Download/Streaming】
https://p-vine.lnk.to/00FYw3

【Track List】
1.Drifting
2.Nara Black
3.The Eternal Now
4.Lost Souls
5.No Turning Back
6.The Road Less Travelled
7.Falling Deep
8.Ikigai
9.Outside
10.Solar Opposites*
*Bonus track for Japanese edition

【来日公演】
2025/11/15(土) 大阪 Umeda Shangri-la
2025/11/16(日) 東京 Shibuya Club Quattro
企画/制作:SMASH

https://smash-jpn.com/live/?id=4500

【Chip Wickham(チップ・ウィッカム)】
UK/ブライトン出身のサックス、フルート奏者。マンチェスターでジャズを学びそのキャリアをスタートさせると、2000年代UKのジャズ、ソウル、トリップホップ、ファンクシーンに関わり、The Pharcyde、THE NEW MASTERSOUNDS、Nightmares On Waxといったアーティストの活動に参加、さらにMatthew Halsall率いるGondwana Orchestraに加わるなどUKを中心にスペインや中東など活動の幅を拡げていく。2017年に初のリーダーアルバム『La Sombra』をスペインのジャズ・クロスオーヴァー系レーベルとして名高い“Lovemonk”からリリース、さらに同じく“Lovemonk”から2nd『Shamal Wind』(2018)、3rd『Blue To Red』(2020)と立て続けに発表しヨーロッパのジャズシーンで存在感を高めていくようになる。2022年にはGoGo Penguinなど先鋭的なジャズ・ミュージシャンを多数輩出したUKの新世代ジャズシーンを担う“Gondwana Records”から4枚目のアルバムとなる『Cloud 10』、翌2023年にはEP『LOVE & LIFE』を発表し、そのモダンでソウルフルなスピリチュアル・ジャズサウンドでUK/ヨーロッパではもちろんのこ、2024年にはFUJI ROCK FESTIVAL '24で円熟のパフォーマンスを披露し日本国内でも高い評価を得ている。2025年9月に最新アルバム『The Eternal Now』(Gondwana Records)をリリース予定。

https://www.instagram.com/chipwickham/
https://chipwickham.com/

TESTSET - ele-king

 いや~、TESTSETのライヴに魅了されてしまって、ずっと待っていたんです。たのむよ、まりん。喋ってくれ~と会場で叫ぶオーディエンスと同じ気持ちで。それはMETAFIVEを継承するバンドではないです。TESTSETはいま、一匹の珍獣(いや、猛獣、いや、生命体)として動き出しているのです。
 で、TESTSET、満を持してのセカンド・アルバム『ALL HAZE』は、10月22日(水)にリリースされる。で、当然のこと、紙エレキングの秋号は、彼らを巻頭にフィーチャーしております。乞うご期待。

TESTSETの2年振り2ndアルバム『ALL HAZE』10月22日にリリース決定。本日より予約開始。

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