「S」と一致するもの

万人のための豊かさへ 新たな方向性を描く

『資本主義リアリズム』で広く知られる思想家/批評家、マーク・フィッシャーの人気を決定づけたブログ「K-PUNK」からのベスト・セレクション・シリーズ、ついに完結!

第三弾は、60年代のアメリカ~イタリアのカウンター・カルチャーを再訪し、私たちが「資本主義リアリズム」からもっとも解放された瞬間を分析する、未完の「アシッド・コミュニズム」ほか、「高級化する左翼」を厳しく批判し英国内で激しい論争を呼んだ「ヴァインパイア城からの脱出」をはじめ、「未来への可能性」をめぐる彼の舌鋒鋭いエッセイ/論考を収録。

互いのエネルギーを枯渇させるような吸血行為をやめ、「階級意識と社会主義・フェミニズム的な意識形成、それからサイケデリックな意識との収斂」のもとに再び集結せよ、そう呼びかけようとしたこのフィッシャーの最後の仕事は、まさしく今こそ読む価値のあるものに思われる。 ──訳者あとがきより

四六判/272頁

いちどは無効化された夢の力を取り戻すために──。マーク・フィッシャー『K-PUNK』全三巻刊行のお知らせ

目次

日本語版編者序文

第五部 
私たちは未来を創造しなければならない:インタヴュー

これからも、物ごとは変わることができる──ローワン・ウィルソンによる『レディ・ステディ・ブック』のためのインタヴュー(二〇一〇年)
資本主義リアリズム──リチャード・ケープスによるインタヴュー(二〇一一年)
今、目先にあるもの──『オキュパイド・タイムズ』(二〇一二年)によるインタヴュー
ポスト資本主義のヴィジョンが必要だ──アンチキャピタリスト・イニシアティヴによるインタヴュー(二〇一二年)
「未来を創造しなければならない」──マーク・フィッシャーとの未公開インタヴュー(二〇一二年)
憑在論、ノスタルジア、失われた未来──ヴァレリオ・マヌッチ、ヴァレリオ・マッティオリによる『ネロ』誌のためのインタヴュー (二〇一四年)

第六部
私たちは、あなたを楽しませるためにここにいるのではない:思索

一年後……
スピノザ、k-punk、ニューロパンク
なぜ不合意(ディセンサス)なのか?
新コメント・ポリシー
コメント・ポリシー(最新版)
慢性的な気力喪失
オイディプスをサイバースペースで生かす方法
われら教条主義者(ドグマティスト)
『ロンドンライト』にあふれた街
No Future 2012(ニック・キルロイによせて)
嘲笑は恐るるに足らず(ちょっとしたお返し)
灰色のアジトを突破せよ
実在抽象(リアル・アブストラクション)──現代世界への理論の応用
いや、仕事なんてしたことない……
新自由主義時代における英国の恐怖と貧困
ヴァンパイア城からの脱出
なんの役にも立たない

第七部
アシッド・コミュニズム

アシッド・コミュニズム(未完の序編)

カウンターフューチャーへの遡行──『K-PUNK』後書き

索引

[著者]
マーク・フィッシャー(Mark Fisher)
1968年生まれ。ハル大学で哲学の学士課程、ウォーリック大学で博士課程修了。ゴールドスミス大学で教鞭をとりながら自身のブログ「K-PUNK」で音楽論、文化論、社会批評を展開する一方、『ガーディアン』や『ワイアー』などに寄稿。2009年に『資本主義リアリズム』を、2014年に『わが人生の幽霊たち』を、2016年に『奇妙なものとぞっとするもの』を上梓。2017年1月、48歳のときに自殺。邦訳にはほかに講義録『ポスト資本主義の欲望』、ブログからの選集第一弾『K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ』および第二弾『K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治』がある。

[訳者]
セバスチャン・ブロイ(Sebastian Breu)
1986年、南ドイツ・バイエルン生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学(表象文化論)を卒業後、ベルリン・フンボルト大学音楽・メディア学研究科で専任講師、同科のラボ「Signallabor」のキュレーターを務める。研究領域は科学思想史、メディア技術論。チェルフィッチュ(『現在地』『地面と床』)、サエボーグ(『House of L』『I WAS MADE FOR LOVING YOU』)など様々な上演作品のドラマトゥルクを担う。第一JLPP翻訳コンクール(ドイツ語部門)最優秀賞。共訳にマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』。

河南瑠莉(かわなみ・るり)
1990年、東京生まれ。ベルリン在住。早稲田大学政治経済学学部を卒業後、ベルリン・フンボルト大学(ドイツ)の修士・博士課程で文化科学を学ぶ。現在はベルリン自由大学の美術史研究科で専任講師を務める。近代思想史、美術史を専門領域とし、なかでもイメージ論、視覚芸術とジェンダー論/身体論、加速主義やエスノフューチャリズムについて幅広く論じている。共訳にマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』。

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Rema - ele-king

「あんにー、うちらの地元はクジラ獲ってすぐ食べるからなー」

 大学生のとき、和歌山から通っていた友だちがそう言っていて、妙に印象に残っている。確か「岬」だっただろうか、中上健次の小説を読んでいても鯨が出てきて、読んだときはちゃんとした知識がなくわかっていなかったのだが、どうやら紀伊半島の太地町周辺では捕鯨文化が根づいているらしい。それまで捕鯨については、親の話やTVなどで見聞きするだけで、もちろんそこに複雑な問題が絡んでいることは知っていたものの、身近な友だちが実家では鯨を獲ってすぐ食べているのに驚いた。人は、頭では複雑さを理解しているつもりでも、それを目の当たりにするとたじろいでしまう。

 和歌山出身のMIKADO『Re:Born Tape』を繰り返し聴いていると──今年の国内ヒップホップで最も重要な作品のひとつだ──、“Syachi” という曲で「本当の話ここらへんじゃみんな食べる鯨」というリリックが出てきて、和歌山の友だちのことを思い出した。野暮を承知で説明すると、「Syachi=シャチ」は鯨と同様に和歌山の地に名残が深く、多くの数で群れるが一頭ずつも知能が優れた、海の中においては敵がいない存在である。その強さと賢さの象徴であるシャチを、ラッパーとしての自分(と仲間たち)に重ね合わせているのがMIKADOというわけだ。ちなみにシャチは、音を言語のように使い分け高度なコミュニケーションを展開し、母親がリーダーシップをとりながら群れを形成する。銃撃によって父親を亡くしたことで母親しかおらず、ラッパーとして言語を巧みに操りながらラップ・ゲームを勝ち抜こうとしているMIKADOは、まさしくシャチのような存在なのだ。自身の置かれた状況を、地元を象徴する文化に重ね、「いつも隣仲間たち/だけど1人ずつのシャチ/群れてるけどださいのなし」と抜群の脚韻でラップするこの曲は、7やTOFUといった才能(=仲間たち)を次々と輩出する和歌山シーンの顔・MIKADOの鋭さを凝縮したような曲である。そして「Syachi」を聴いていると、捕鯨文化を享受する一方で、獲物とされる生き物の強さやたくましさに対する畏敬の念も同時に伝わってきて、ますます文化というものの複雑さを感じ考え込んでしまう。

 さて、前置きが長くなったが、本稿の主役はレマの『HEIS』だ。2023年に “Calm Down” がセレーナ・ゴメスとの共演によって全米アフロビーツ・ソングスチャート58週連続1位&ストリーミングで10億回再生を記録し、目下バーナ・ボーイ、ダヴィド、ウィズキッドのアフロビーツBIG3を〈BIG4〉へ書き換えようとしている、ナイジェリア出身のスターのセカンド・アルバムである。私とレマの出会いは “Dumebi” (2019、EP「Rema」収録)という曲で、何かでMVを観たのがきっかけだった。随所でカラフルな色使いが映えていて、音源のアートワークもアニメ調のトーンだったこともあり、なんとなくデビュー当初のリル・ヨッティみたいだと思った記憶がある。ゆえに、アフロビーツ云々というよりも、軽快なラップ・ソングとして聴いていた。その後も曲単位では聴いたり聴かなかったりを繰り返しながら、はっきりとレマのアーティスト性について認識したのは、昨年11月にロンドンのO2アリーナにておこなわれたショウ──の、ニュース記事であった。そこでは、レマのステージでの演出や振る舞いを観た観客が、悪魔崇拝主義者ではないか、あるいはイルミナティの一員ではないかなどと騒ぎ、一部で炎上しているという内容が記されていた。なるほど、そんなことになっているのかと思いライヴ映像を観てみると、確かにややサタニックなムードではある。冒頭から妖しく光る馬に乗り仮面をかぶってステージに登場した彼は、その後 “Addicted” を披露する際にはバンド・サウンドに乗りながら巨大なコウモリの上でパフォーマンスを見せていた。どこかアイアン・メイデンのステージ・セットみたいだと思い、個人的には嫌いな世界観ではないので、やはりトラヴィス・スコットやプレイボーイ・カーティのような耽美~ホラー感覚を取り入れるラッパーの存在に近い匂いをかぎ取り、現行のヒップホップに影響を受けているのだ、と解釈した。

 しかし、その後レマの口から、ライヴ演出について反論が語られることになる。馬もコウモリも、彼の出身であるナイジェリア・ベニンシティの文化にルーツがあったらしい。仮面は、16世紀のベニン王国の文化的象徴であるイディア女王にインスパイアされたもので、しかも女王の有名な彫刻を含むアフリカの芸術作品をイギリスが買い占め続けていることに対する異議申し立てでもあったようだ。ローカル性がメインストリームの文脈に持ち込まれることの怖さが露呈した出来事だった。それに、レマを聴いてライヴ映像まで観たにもかかわらず、単なるアメリカのヒップホップの文脈になぞらえて解釈するしかなかった自分の安易さを恥じた。

 という事件が起きてからのアルバムということもあり、『HEIS』は、レマの怒りと反骨精神が詰まったハイカロリーでこってりした作品になっている。オルタナティヴR&Bの優雅さと感傷すらも垣間見えた前作『Rave & Roses』と比較し、今作はとにかく燃えたぎっていて暑苦しい。トラップやダンスホール、エレクトロニック・ミュージックとアフロビーツ、さらにはアラブやインド音楽のようなメロディまでもが混在した音楽性を彼は「アフロレイヴ」と呼ぶが、そういった雑多なサウンドの融合を実現しているのは、ヴォーカルの力が大きいのではないか。不気味さと野性味を両立したバリトン・ヴォイスはさらに磨きがかかっており、背景に流れる様々な歴史的文脈を包括するような雄大さも備えている。しかも、そこでは英語はほとんど使われず、母国語が貫かれている。“Benin Boys” では同じくナイジェリアのスターであるシャリポピと共演し、ベニン文化を賞賛する。さらにサウンドを磨き上げている助っ人は、Producer XにLondonなど、これまでもレマ作品を担ってきたナイジェリア人、あるいはナイジェリア系イギリス人のプロデューサーたち。ルーツをかなり意識して作り上げたアルバムということがわかるだろう。

 ただ、軸足は故郷の文化に根ざしているものの、やはりレマの射程とする領域は途方もなく広範に渡っているのも確かだ。“VILLAIN” ではラナ・デル・レイの “A&W” をギミック的にサンプリングし甘美で退廃的なアメリカを引用しながら、目の前の金と女性の話に終始する。“OZEBA” ではがなり立て不安感を煽るプレイボーイ・カーティのような低音ヴォイスをぶん回しながら、性急なクドゥロのビートを乗りこなす。全編に渡って下部を支えるのはアフリカの地/血を感じさせるパーカッシヴなドラムであり、ヴォーカル表現や表層的な味付けにおいては頻繁にアメリカの断片が配される。ルーツを起点にしながらもジャンプする跳躍力こそが、本作におけるレマの独自性だろう。そして、そのジャンプの過程においては、つねにヒリヒリした殺気が発されている。

 もともと教会でゴスペルを歌い、ラップにも関心を持った彼は、14歳の頃には子どもたちにラップを教えるリーダーとして地域で人気を得たそうだ。その後ドレイクの影響を受け、自身の作る曲に歌を取り入れていったという。レマの『HEIS』は、そういった彼の音楽的背景が如実に表れていると同時に、ローカル・カルチャーとアメリカのポップ・ミュージックのミックス、それが世界規模での認知を獲得する中で生じる摩擦がありありと表現されている。これこそがリアルであり、いまのポップ・ミュージックが抱える複雑さそのものなのだ。

 そして私は『HEIS』を聴く度に、「あんにー、うちらの地元はクジラ獲ってすぐ食べるからなー」というあの方言を、「あんにー(=あのね)」というぶっきらぼうに放り出されたような一言を、思い出している。MIKADOを聴き、その耳でレマも聴く。どこかで、それらはゆるやかにつながっている。

誰かと日本映画の話をしてみたい──

これまで音楽映画やゾンビ映画、ホラー映画、アメコミ映画などのジャンルを扱い、好評を得てきた「ele-king cine series」が、満を持して「日本映画」を特集します!

■表紙・巻頭
『Cloud クラウド』
黒沢清ロングインタビュー「今、この社会で映画を撮ること」(真魚八重子)
論考「信じるに足る、とはどういうことか?」(佐々木敦)

■現代の日本映画 10人の監督
現代の日本映画にとって欠かせない監督10人を批評し本質に迫る。
【執筆)
吉田伊知郎/加藤よしき/森直人/児玉美月/岡本敦史/タダーヲ/朝倉加葉子/伏見瞬/三田格/水越真紀
【コラム】
「バブルが崩壊して始まった日本映画の話」(三田格)

■今、どのように映画を語るのか
愛の技法、動物化、反射のレッスン(荻野洋一)
クィア表象から読み解く日本映画(木津毅)
ゴジラ映画に描かれ続ける「時代の要請」(三田格)
このアニメ、この作家2024(岡本敦史)
二〇二〇年代のドキュメンタリー映画から紐解く社会問題(タダーヲ)

■草野なつかインタビュー「自分のやり方で映画を取り続けるために」(月永理絵)
英国映画協会(BFI)が発表した、「1925年から2019年までの優れた日本映画」の中で“2019年の一本”に選ばれた『王国(あるいはその家について)』をで国際的な評価を得るなど、世界から注目される映画監督のこれまでとこれからを訊く。
■巻末放談
中原昌也・三田格
「そんなことより、日本映画の話をしましょうよ」

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Senyawa - ele-king

 サウンドは物語を創造し、物語はサウンドを創造する。物語は本質的に音響的だ。進化の始まりにおいて、テクノロジーを持たない人類は、土の影響から直接、地球上でもっとも壮大ないくつもの物語を創造した。インターネット・ミームや陰謀論、拒食症やビタミンD不足を秘めたK-POPスターへの依存に縛られ、ほとんどの人間が太陽や月を見つめることを拒否しているいま、自然界と人間との間の溝は広がり、信念に基づく音楽でのストーリーテリングは脇役に追いやられている。
 インドネシアのデュオ、Senyawaが、2010年に最初の作品をリリースしてから、東京で何度か見かけたことがある。すでにインドネシアでは高い評価を得ていた彼らの音楽は、次なるものを求める日本人DJや音楽愛好家にも大いに受け入れられていたが、ヴォーカルのRully Shabaraと自家製楽器を操るWukir Suryadiという、あまりにもベーシックなデュオの背後にあるパワーをどう解釈すればいいのか完全に理解していたわけではなかった。私が最後にSenyawaのライヴを見たのは、代官山ユニットでのニューイヤーズ・カウントダウン・ライヴだった。ヴォーカリストと楽器奏者だけが中央に立つ広いステージは、ステージがそのエネルギーを処理しきれなくなるほど催眠術のようなパルスに完全に包まれていた。彼らの磁力だ。彼らの特異なライヴ・パフォーマンスは、静かな方に傾きがちな初期のレコーディングと対照的に、ヘヴィなのだ。しかし、それは大きく変わりはじめている。
 大きな話題となった『Alkisah 』(2021年)以来の最新作『Vajranala 』(2024年)は、彼らの集合的なサウンドが、運動性のあるフォーク・ソングから、より多人数のオーケストラへと拡大し、大きな進化を遂げている。
 ある物語がサウンドにインスピレーションを与えることもあれば、その逆もある。Senyawaの場合、どちらが先かはわからない。というのも、彼らがそれぞれのプロジェクトに取り入れる哲学的、神話的なテーマは、最終的に彼らが選ぶ音楽へのアプローチと密接に結びついているからだ。『Vajranala』では 、権力、権力の知識、知識の力という選ばれたテーマが、SlayerやSunn O))) と同じように、部屋を満たすようなよりドラスティックな音のアプローチを要求していることは間違いない。Senyawaの最近のリリースはどれも、ヘヴィ・メタルの新しいヴァージョンのように感じられ、ハードなクラッシュダウン・ビートのパワーとハーモニーと不協和音の海は、紛れもなく美しい。『Vajranala』という タイトルが、「vajra」を「thunderbolt」、「anala」を「flame」と訳しているのは間違いではない。このLPを聴いても、インドネシア語で歌われていることを(言葉の重要性にもかかわらず)口頭では理解できないファンが大半だろうが、間接的に理解できるほど、音楽にはアイデアが十分に込められている。そのようなスピリチュアルなチャージが、彼らから引き出されるのだ。

 これまでの録音とは異なり、『Vajranala』は 語られることなくともコンセプト・レコーディングのように感じられる。しかし、このアルバムにコンセプト・アルバムというレッテルを貼るのは恐れ多い。ときには人びとが、深い音楽の録音と同じことを目的とした書籍の価値を分けて考えていることに唖然とする。400ページの大著と同じように、私はこのようなアルバムにも敬意を払うような表現ができればいいと思う。

 『Vajranala』は 救世主的だ。彼らのライナーノートに記されているように、ここにはインドネシア、ジャワ島中部のブロジョルダン寺院(パウォン寺院)を取り巻く神話への熱烈な情熱と献身的な働きかけがある。神話を表現方法として取り入れることは、いまの時代ではユニークなことと言えるが、Senyawaはさらに進んで、インドネシアにヴァジュラナラ・モニュメント(『Vajranala』のジャケットをチェック)を建設した。火を放ち、高さ3.5メートル、幅2.8メートルもあると言われているが、信仰の信憑性を重視するそれを私には冗談だとは思えない。サン・ラーやラメルジーが自分たちの音楽を信じ、自分たちの作品が自分たちの生活のなかに重要な意味を与えていたということを思い出す。

 Senyawaは信念を貫いて生きている。彼らの音楽は真空のなかに存在するのではなく、彼らの環境、地域の歴史、個人的な歴史、そして強烈なイマジネーションから、彼ら自身とその周囲から紡ぎ出されたアイデアと物語から生まれる。すべてのサウンドとヴォーカルには、それらが由来し、引用された本の1ページがあるように感じる。この作品はから、レコード店とも図書館とも繋がりを見つけることができる。
 活気のある埃っぽいレコード店でこのレコードを発見し、壁沿いにあるレコードプレーヤーでほんの少し聴き、窓拭きで得た小遣いで即座に購入し、レコードをリュックに放り込み、夏の昼下がり、両親が仕事に行っているあいだに急いで家に帰り、家族のレコードプレーヤーにこのレコードをかける。10代の若き日の自分がSenyawaの生み出すダイナミクスの大きさに惚れ込んだとしたら、いったいどんな反応をしただろうか。それを思うと私は胸が痛む。これは過去にも、レコードやCDで何度も経験したことだが、こんにちの哀れな音楽クリエイターの経済では、私のこの文章それ自体が神話のようなもの。いまの時代、この神話のような存在を体験する子供はいないだろう。だとしたらとても残念なことだ。Senyawaは新しい世代にとって、このような象徴的な地位に値する。
 そのような磁力を、彼らは引き出しているのだ。


Some sounds create stories and some stories create sounds. Some stories are inherently sonorific. In the beginning of evolution, humans without technology created the greatest stories on earth based directly from earthen influence. Now as most humans refuse to stare into the sun or the moon bound by addiction to internet memes, conspiracy theories and kpop stars secretly anorexia and deficient in vitamin D, the chasm between the natural world and human beings widens and storytelling in music based on belief is relegated to a side note status.

I`ve seen the Indonesian duo Senyawa a few times in Tokyo ever since they released their first music in 2010. Already well regarded in Indonesia, their music was greatly embraced by local Japanese djs and music aficionados looking for the next thing and not knowing fully what to make of the power behind a duo so basic in their set up, Rully Shabara on vocals and Wukir Suryadi on homemade instruments . The last time I saw Senyawa live was at Daikanyama Unit for a New Years Countdown concert. The massive stage where only a vocalist and a instrumentalist stood center became so fully enveloped by hypnotic pulses to the point the stage couldn`t handle the energy they created. Such is the magnetic charge they elicit. In comparision, their singular distinctive live performances are heavy when contrasted to several of their early recordings which tended to lean on the quiet side. That though is starting to change greatly.

Vajranala (2024) , their newest release since the highly publicized Alkisah (2021) is a large evolution as their collective sound has expanded from kinetic folk songs to now more of a multi- member orchestra.

Some stories inspire sounds and vice versa. With Senyawa, I am unsure which comes first as the philosophic and mythical themes they embrace for each project are tightly intertwined with the approach to music they ultimately choose. With Vajranala there is no doubt that the chosen theme of power, the knowledge of power and the power of knowledge demands a more drastic sonic approach that fills a room in the same way maybe Slayer or Sunn O would. Each recent release by Senyawa feels like more like a new version of heavy metal, unmistakenable in the power of hard crushing downbeats and the beauty of oceans of harmonies and dissonance. It is by no mistake that the title Vajranala translates to `thunderbolt` for `vajra` and `flame` for `anala.` The majority of fans will not understand anything verbally (despite the importance of the words) sung in Bahasa Indonesian listening to this LP but the ideas are tucked sufficiently in the music enough to be understood indirectly. Such is the spiritual charge they elicit.

Unlike previous recordings, Vajranala feels like a concept recording even without being told. But I fear labeling this a concept album as that idea can be quite cliche and can produce more groans than excitement. I wish we could adopt wording that would give albums like these more respect in the same vain as 400 page books are. It dumbfounds me that the general public separates the value of deep musical recordings from books which aim to do the same thing.

Vajranala is messianic. Dually fervently passionate and a devotion work toward the mythology surrounding Brojonalan temple (Pawon Temple) of Central Java, Indonesia notated in their album notes. Embracing mythology as a form of expression is unique in today`s age but Senyawa go way way further having constructed the Vajranala Monument (check the cover of Vajranala) in Indonesia, a real shrine-like object “in the form of a stone relief that is placed on the ground where it was created, serving as an artifact for the future.” Said to emit fire and stand 3.5 meters tall and 2.8 meters wide, there is no underlying joke detected in the focus on belief authenticity. Only Sun Ra and Rammellzee come to mind believing so much in their music that their work becomes a significant outpouring into their lives.

Senyawa live in a commitment to belief. Their music doesn`t exist in a vacuum but usher out from ideas and stories they have woven from themselves and around themselves from their environment, their regional history, their personal history and their intense imagination. It feels that for every sound and vocal utterance there is a page in a book from which they are derived and taken from. I should be able to find this record in both a record store and library. It pains me to think how my younger teenage self would have reacted having discovered this in a vibrant, dusty record store, listened to only a brief snippet on the record player along the walls, instantly bought it with the allowance I got from washing windows, thrown the record in my backpack, raced home to put this on my family record player in the afternoon during summer while my parents would be at work and ultimately fall in love with the shear size of the dynamics Senyawa create. This happened to me many times with past records and cds but with today`s pathetic musical creator economy, my own paragraph is itself a myth. No child in today`s age will ever experience this now mythic existence and that is such a grand shame. Senyawa deserve this kind of iconic status with new generations.

Such is the magnetic charge they elicit.

CAN - ele-king

 CANのライヴ・シリーズのなかで、ファンからもっともリクエストの多かったのが、今回第6弾として発売される『ライヴ・イン・キール 1977』だという。ロスコ・ジーが加入し『Saw Delight』リリース、しかしメディアからの評価は低調に終わった時期の、ある意味では下降線をたどっていった時期のライヴになるが、ファンというのは、その当時もっとも光のあたらなかったものにこそ光を当てたいものなのだ。ひょっとしたら、ここにはまだ発見されていない輝きがあるかもしれない。この長らく待たれていたライヴ作品が、ついに11月22日に発売される。

 『LIVE IN KEELE 1977』は、後期CANを象徴するダイナミックなドキュメンタリーである。1977年3月に収録されたこの公演では、イルミン・シュミット、ヤキ・リーベツァイト、ミヒャエル・カローリ、ホルガー・シューカイというコアメンバーに、ロスコ・ジー(Traffic)がベースとして参加。彼の加入により、ホルガー・シューカイはベースから解放され、「サンプリング&サウンドエフェクト」をプレイすることが可能になり、ここでは異世界的な音やサンプルを披露している。
 1977年はCANにとって困難な時期と言われる。彼らの8作目のスタジオアルバム『Saw Delight』は酷評され、後に評価が著しく改善されたものの、リリース当時のレビューは非常に厳しいものだったからだ。
 しかしながら、ジャーナリストで放送ライター、作家のジェニファー・ルーシー・アランは、「ファンたちは知っています。様々なファン・ミーティングやこれまで出版されてきた書籍の双方で、'76-'77年がCANのライブの最良の時期だと一致しているのです(キール公演も含む)。そして、このショーのいくつかのトラックは、長年にわたりファンメイドの『ベスト・オブ』ライヴ・ブートレグに収録されてきました。(この作品を聞くと)彼らが正しいことがわかります。」と語っている。
 オリジナルのライナー・ノーツは、ジャーナリストであり作家のジェニファー・ルーシー・アランが執筆している。

このシリーズは、結成メンバーのイルミン・シュミットとプロデューサー/エンジニアのルネ・ティナーが監修し、貴重なアーカイブ音源を現代の技術と繊細な作業により最高のクオリティで見事に復元している。

CAN は1968年にケルンのアンダーグラウンド・シーンに初めて登場し、初期の素材はほとんど残されていないかわりに、ファン・ベースが拡大した1972年以降は、ヨーロッパ(特にドイツ、フランス、UK)で精力的にツアーを行い、伝説が広がるにつれ、多くのブートレッガーが集まってきたのだ。『CAN:ライヴ・シリーズ』は、それらの音源の中から最高のものを厳選し、イルミン・シュミットとルネ・ティナ―による監修で、21世紀の技術を駆使して、重要な歴史的記録を最高の品質でお届けするプロジェクトである。



■商品概要
アーティスト:CAN (CAN)
タイトル:ライヴ・イン・キール 1977 (LIVE IN KEELE 1977)
発売日:2024年11月22日(金)
品番:TRCP-311 / JAN: 4571260594906
定価:2,500円(税抜)
紙ジャケット仕様
ジャーナリスト/作家/放送キャスターのジェニファー・ルーシー・アランによるオリジナル・ライナーノーツ 
及びその日本語訳付

Tracklist
1 Keele 77 Eins
2 Keele 77 Zwei
3 Keele 77 Drei
4 Keele 77 Vier
5 Keele 77 Fünf


■この発表に併せて本日先行リリースされる楽曲音源
「Keele 77 Eins」 Apple Music | Spotify

■Pre-Order
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CAN は1968年にケルンのアンダーグラウンド・シーンに初めて登場し、初期の素材はほとんど残されていないかわりに、ファン・ベースが拡大した1972年以降は、ヨーロッパ(特にドイツ、フランス、UK)で精力的にツアーを行い、伝説が広がるにつれ、多くのブートレッガーが集まってきたのだ。『CAN:ライヴ・シリーズ』は、それらの音源の中から最高のものを厳選し、イルミン・シュミットとルネ・ティナ―による監修で、21世紀の技術を駆使して、重要な歴史的記録を最高の品質でお届けするプロジェクトである。

本ライヴ・シリーズは、英誌Uncutのリイシュー・オブ・ザ・イヤーで1位、MOJOで2位を獲得したライヴ盤『ライヴ・イン・シュトゥットガルト 1975』(LIVE IN STUTTGART 1975)『ライヴ・イン・ブライトン 1975』(LIVE IN BRIGHTON 1975)、そして『ライヴ・イン・クックスハーフェン1976』(LIVE IN CUXHAVEN 1976)、そして今年2月にリリースし、高い評価を得て今も大きな話題となっているダモ・鈴木がヴォーカル参加の『ライヴ・イン・パリ1973』(LIVE IN PARIS 1973)、そして、今年5月31日にリリースされた『ライヴ・イン・アストン 1977』(LIVE IN ASTON 1977)の5作がこれまでに発売されている。

■プロフィール
CANはドイツのケルンで結成、1969年にデビュー・アルバムを発売。20世紀のコンテンポラリーな音楽現象を全部一緒にしたらどうなるのか。現代音楽家の巨匠シュトックハウゼンの元で学んだイルミン・シュミットとホルガー・シューカイ、そしてジャズ・ドラマーのヤキ・リーベツァイト、ロック・ギタリストのミヒャエル・カローリの4人が中心となって創り出された革新的な作品の数々は、その後に起こったパンク、オルタナティヴ、エレクトロニックといったほぼ全ての音楽ムーヴメントに今なお大きな影響を与え続けている。ダモ鈴木は、ヴォーカリストとしてバンドの黄金期に大いに貢献した。2020年に全カタログの再発を行い大きな反響を呼んだ。2021年5月、ライヴ盤シリーズ第一弾『ライヴ・イン・シュトゥットガルト 1975』を発売。同年12月、シリーズ第二弾『ライヴ・イン・ブライトン 1975』を発売。2022年10月、シリーズ第三弾『ライヴ・イン・クックスハーフェン 1976』を発売。2024年2月、ダモ鈴木 逝去。同月、ダモ鈴木が在籍していた黄金期のライヴ盤『ライヴ・イン・パリ 1973』を、続いて『ライヴ・イン・アストン 1977』を5月に、そして本作『ライヴ・イン・キール 1977』を11月22日に発売。

www.mute.com
http://www.spoonrecords.com/
http://www.irminschmidt.com/
http://www.gormenghastopera.com

Cybotron - ele-king

 昨年、28年ぶりにサイボトロンを再始動させたホアン・アトキンス。現在モーリッツ・フォン・オズワルドの甥、ローレンス・フォン・オズワルドがメンバーに加わっているこのエレクトロ・グループは、最近とくにイギリスで再評価が著しい。
 そんな追い風のなか、新たなEPのリリースがアナウンスされている。「Parallel Shift(平行移動)」と題されたそれは11月1日に〈Tresor〉から発売、ストリーミングにて表題曲が先行配信中だ。昨年の「Maintain The Golden Ratio」同様、今回もディフォレスト・ブラウン・ジュニアがプレスリリースを担当している。パイオニアによる堂々たるエレクトロ・サウンドを堪能すべし。

Cybotron
Parallel Shift

Tresor
November 1st 2024

A. Parallel Shift
B. Earth

interview with Still House Plants - ele-king

 スティル・ハウス・プランツのインタヴューの終盤で、ヴォーカリストのジェス・ヒッキー=カレンバックは、バンド・メイトのギタリスト、フィンレイ・クラークとドラマーのデイヴィッド・ケネディと一緒に演奏する過程で完全に「裏から表にひっくり返された」と語っている。彼女はその独特のスタイル——深みのある声、生々しさ、警戒心が解かれてしまうほどのエモさ——をどのようにして確立したかについて話しているのだが、同時にバンドの根本的な曲というものに対する脱構築についても説明している。

 ギター、ドラムスとヴォーカルというミニマルなセット・アップで演奏するロンドンを拠点とするこのトリオは、絶えず変化し続ける音楽を作っている。2020年のアルバム『Fast Edit』では、彼らはローファイの電話のメモ音やリハーサル・テープをスタジオ録音に一緒に組み込むことで、曲の創作過程のさまざまな段階を聴いているかのような感覚を演出した。今年の初めにリリースされた後続アルバム『If I don’t make it, I love u』はより物憂げで、2018年のバンドの名を冠したデビューEPでも明らかだったスロウコアの影響が前景に映し出されている。だが、それでも十分にスリリングかつ予測不可能で、彼ら独自のロジックのもとにピンと張りつめたり緩めたりと自在に紡がれる曲で溢れている。

 クラーク、ヒッキー=カレンバックとケネディは、2013年にグラスゴー芸術大学で出会い、初期の録音がグラスゴーのカセットに特化したレーベル〈GLARC〉よりリリースされている。2016年にはロンドンの〈Cafe Oto〉で行ったギグで、同会場のアーキヴィスト、アビ―・トマスの耳に留まり、トマスが彼らの音楽をリリースするために〈BISON〉レーベルを立ち上げた。同会場は重要なサポーターとなり、2019年にはバンドを3日間のレジデント・キュレーターに迎え、一時的に開設されたプロジェクト・スペース・スタジオを、リハーサルや新しい作品に取り組むために彼らに提供した。(ツアー中以外の時間には、ヒッキー=カレンバックが〈Cafe Oto〉のバー・カウンターのなかで働いているのを目にすることができる)

 日本でのデビュー公演では、スティル・ハウス・プランツはgoatと共演するが、これは理に適っている。双方とも、名目上はロック系のインストゥルメンテーションを採用しながら、
エレクトロニック・ミュージックの手法とロジックに深く通じているからだ。2020年のTone Glowでのインタヴューでヒッキー=カレンバックは、自身の初期の音楽作りの記憶について、「6、7歳の頃にすごく酷いドラムン・ベースのトラックを父親のPCで一緒に作った」と話しており、スティル・ハウス・プランツも曲をカット&ペーストのアプローチで創造し再編集しているが、これはDAWのソフトウェアをいじったことのある人には馴染み深いものだろう。

 ズームを通じての対談でも、メンバー3人はライヴと同じような心の通い合った雰囲気を見せている。誰も会話を独占しようとせず、互いの話を注意深く聞き合い、前の話者の話を引き継ぐように次の話者が話し出す。なお、以下の会話は、長さと質を考慮し、編集されている。

私たちはこれから自分たちがやることを知っているし、揺らぎのようなものがあることもわかっている。

あなたたちのバンドの歴史においてかなり重要な役割を果たした〈Cafe Oto〉についてお話を伺いたいのですが、読者のなかにはその場所に馴染みのない人もいるかもしれません。そこへ行ったことのない人に説明するとしたら?

ジェス・ヒッキー・カレンバック(以下、ジェス):そこは小さな会場だけどじつに多様なプログラムを展開していて、歴史的には、たしかフリー・ジャズ寄りのところからはじまっている。現在はあらゆる種類の実験的な音楽、バンド系やノイズ、パフォーマンス寄りのものにも門戸を広げている。私たちが最初に関わりを持ったのは、2019年に彼らがジャーウッド財団——若いアーティストを支援する団体——と組んでいるときで、私たちをノミネートしてくれた。当時はまだ会場のひとつとして出会ったという感じだった。

デイヴィッド・ケネディ(以下、デイヴィッド):それ以前にも演奏はしたことがあったんじゃないかな?

ジェス:そうだね、もしかするとそれより前に1〜2回演奏していたかも。ただその頃は
まだ距離を感じていて、ひとつの会場としか思っていなかった。でもその後に「ああ、彼らは本心から若いアーティストたちを支援したいのだ」とわかって……いや、それほど若くはなかったけど、新しいアクトをね。

デイヴィッド:ある時点で、彼らはフリー・ジャズ・スペース、あるいは実験音楽の場というイメージを払拭したいという声に押されたこともあったみたいだ。クモの巣をとりのぞかないと、という感じで。だけど、そういったことを定義するのは誰なのだろう?

ジェス:その通り! その実験音楽、あるいは変わった音楽の定義という考えを変える必要があったのだと思う。そしてそれがどういう意味を持つのかを決めるのはひとりの人間ではないはず。

フィンレイ・クラーク(以下、フィン):僕は〈Cafe Oto〉に対しては本当に温かい気持ちを持っている。僕たちが音楽をはじめた頃にものすごく手厚いサポートをしてくれた。僕たちもいまではかなり多くの場所で演奏しているけど、彼らが毎年積み上げてきたものに驚きを隠せない。もちろん美味しいごはんやお茶、そして日本酒なんかも含めてね……。

私の〈Cafe Oto〉での体験からいうと、とにかく観客の熱中ぶりがすごいと感じました。あのような場所での演奏は、例えばフェスなどの出演時に比べてパフォーマンスに違いがでてくるものでしょうか?

ジェス:最近、イギリスのフェス〈End of the Road〉に出たんだけど、キャンピング・フェスティヴァルみたいな感じの場だった。前に都会でのフェスには出たことがあったけど、今回のは、伝統的なウェリントン・ブーツ着用で赤ちゃん連れも多い、イギリスらしいタイプのフェス。それでもみんなが集中してくれていたように感じた。みんなが本当に熱心に聴きたいと思ってくれていると感じられる場所で演奏できるのは、ただラッキーなだけなのかもしれないけど。

デイヴィッド:ティルザ(https://www.ele-king.net/review/album/009532/)のツアーのサポートとしてロンドンのブリクストン・エレクトリックという会場で演奏したんだけど、たぶん2000人ぐらいのキャパで、ステージがかなり大きくて高いところにあり、「ああ、こんな環境ではどうやって(音楽が)伝わるんだろう」と思った。だけど、演奏後にうまく行った感触があり、結局何も変える必要はないことがわかった——つまり、僕たちはどこででも演奏できるということを教えてくれたんだよね(笑)。

ジェス:そうそう。私たちは多くを必要としないの。皆が近くで寄り添いあって、すべてをシンプルに保つ必要があるだけ。そしてそれは、どこででもできることでもある。とても心強い感覚だよね。

フィン、何か追加で言おうとしていたのではないですか?

フィン:そう。言おうと思ったのは、フェスと〈Cafe Oto〉にはそう大きな違いはないということ。というのも、僕はあまり観客の方を見ずに、ジェスとデイヴィッドの音を聴くことに集中しているし、自分のなかに閉じこもっているから。そして自分の右側、つまり観客席で何が起きているのかには左右されない感じなんだ。

デイヴィッド:(顔をしかめながら)ウゥ……参った……。

大丈夫? 何かあった?

デイヴィッド:うーん。首が痛くなってしまったから、枕を変えないと。

フィン:ああ、それなら何て言うんだっけ? 僕が使っているのは低反発枕ではなくて
パンダのロゴがあるやつなんだけど。

デイヴィッド:あ、それ見たことあるかも。

フィン:すごくいいんだよ。

ジェス:ピロー・トークだね? 私は極薄のが好き。極・極薄のやつ。ほとんど何も中身がないぐらいの。

フィン:昔は僕もそっち派だったんだけど、いまではしっかりと首をサポートするタイプ。

ジェス:でも、あまり枕を高くすると首にはよくない気がするよ。知らんけど。とにかく、私が言いたかったのは、重要なのはサウンドチェックをきっちりやること。それがすべてを左右する気がする。でも全体的に私たちはうまくやれていると思う。もちろん、上手くいかないとき、例えば正しいサウンドになっていないとかだとつまらないけど。もうひとつは、私たちがステージ上で三角形のセット・アップで演奏しているのがよいのかもしれない。このセット・アップのおかげで、常に互いをサポートしあうことができるし。

多くの曲が、けっこう構造的になってきている気はする。すべてではないけど、多くの曲で自分が次にどう演奏するのかわかっていることが多いから。

あなたたちの音楽は、非常にオープンエンデッド(途中で変更可能な)である感じを受けますが、もちろん、はじまりと終わりの地点はあるわけで、制約もありますよね? ただ、完全に従順というわけではないと。

デイヴィッド:多くの曲が、けっこう構造的になってきている気はする。すべてではないけど、多くの曲で自分が次にどう演奏するのかわかっていることが多いから。

それに反発したいと感じることはありますか?

デイヴィッド:それはあると思う。物事を変えたいという気持ちがあるのを自分たちでわかっているから、皆でそれも念頭に置くようにしている。それは通常、パフォーマンスの前に起こることが多い。このセットは半分にして、後半をトップに持ってこようとか、入る曲を変更しようとか。そういう感じでトランジションなんかにも取り組むんだ。

ジェス:長いあいだ演奏して作業を続けるうちに、実際のレコーディングで面白いことが起きたりもする。そういう時に曲が本当に固まってくるんだと思う。いま、レコード(『If I don’t make it, I love u』) からの曲をたくさん演奏しているから、物事の瀬戸際や曲の境界線なんかがよくわかるようになった。私たちにとって曲の変化というのは、ムードとかそういうもののことが多いのと、もうひとつは、その隣に何が配置されるかということ。曲から別の曲に移るときのやり方を探すということかな。そのことにすごく興味を覚える。私たちは、セットにある種のDJセットのような曲と曲が混ざり合うようなフロー(流れ)があることを好むの。 そうやってツアーとともに、曲が変化していくんだと思う。でも、私はヴォーカルだから、デイヴィッドとはかなり違う時間を過ごしているのかも。私の方がすぐ簡単に思いついたことができるから。私がやっていることにも一貫性はあるけれど、違う表現をするためのスペースが多くある気がする。

フィン:うん。君が言っていることはよくわかるよ。ドラムのパートがしっかりしていると、とんでもなく自由な形も可能になる。そして構造にも自由度を与えられると思う。あるとき、俳優のイアン・マッケランのモノローグ(独白劇)を観たことがあるんだけど、台詞をしっかり覚えていると、ものすごく自然に言葉を届けることができると彼が言っていたのを思い出した。自分のパートを本当によく把握していると、少なくとも僕は、まるでその場で音楽を作っているように見えるらしい。自分がやっていることを正確に把握することによる自由があって、それが自発的なものであるという印象を与えるようだ。

ジェス:そのことで面白いのは、私たちの音楽は誰もが何か特殊な即興演奏だと思いこんでいる節があるということ。当然揺らぎもあれば、変化するところもあるから、聴いた人が「すごい! これは基本的に100%が即興だ」と思うらしいのね。どうしてだろう? もしかすると、完全に即興である方が都合よく理解しやすいのかもしれない。発作的なことや、奇妙に思える変更もあるから。でも、私にとっては基本的にこういう……ドロップとかがあることなんかは非常にタイトに感じる(笑)。ある意味、これをどうやって即興しているというの? という感じ。でも同時にすべてが真実でもあるような気もしてくる。私たちはこれから自分たちがやることを知っているし、揺らぎのようなものがあることもわかっている。曲のはじめと終わりやトランジションにも練習して対処する。そして、セットのなかの曲を一枚岩に仕上げるの(笑)。

デイヴィッド:ジェス、それはいい指摘だね。曲をレコーディングしたときって、曲が完全にできあがったと思いがちだけど、僕はとくに新しい曲については、ライヴで演奏しているうちに初めて強化される要素があると思う。これまでにも、ライヴで、曲をあるやり方で演奏した後で「あれ?  なんか全然よくなかったな」と感じて、突然次のセットで違うドラム・パートを入れたり、別の曲と繋げたりしたこともある。つまり、とくに新しめの曲については、ライヴ演奏を通じてどんどん形成され続けていくものなんだと思う。

ジェス:私もそう思う。曲全体の構造は変わらないにしても、いろいろ切り刻んだり、別の曲と繋げたりして新しい曲になっていく。いまもちょうど曲を書いているところだし、新しい曲の演奏もしている。それらは変化しているし、まだ固まる前だから、たぶんツアー中にも変化し続けるのではないかな。

フィン:とにかくステージで曲を試すのが一番良い方法だよね。いつも思っていたんだけど、ステージでやると直感的に善し悪しが判断しやすいと感じる。

その直感は、バンドをやっている何年かのあいだに向上したと思いますか?

フィン:そうだなぁ……質問への答えとしては迷惑な回答かもしれないけど、イエスでもあり、ノーでもある。実際、注意深く聴くことを覚えたし、自分のアーティスティックな判断を信じることを学んだ。自分に耳を傾けて直感を信じることができるようになるには、長い時間が必要だ。いまの方がより多くの問いかけをするようにもなった。20代前半の頃は、いまよりも自信があったと同時にナイーヴなところもあったけど、現在ではより慎重になり、自分自身の声を聴いて直感を知ることができるようになっている。だから、僕にとっては両方あるな。

ジェス:私はその逆で、自信がなくなり、前よりもっとうっとうしい。冗談だけど。

デイヴィッド:直感について考えるのは面白いよね。少なくとも曲作りでは、ただ成長することと楽器を心地よく使いこなせるようになることとの関連性についても考えてしまう。

ジェス:長くかかったからね。私たちが音楽をはじめたとき、デイヴィッドはしばらくドラムを叩いていなかったし、たぶんみんなも同じだったと思う。とにかくお互いのことを学ぶ時間だったともいえる。つまり、それぞれの演奏方法がそれだけ違っていたということ。例えば、フィンはギターを弾いてきて明らかに楽器のことを熟知していたけど、私たちふたりの反応を考えて演奏方法を模索していた。そうしたことに対応するのは、本当に長い時間がかかるものだから。

デイヴィッド:本当にそう。実際、僕がドラムを心底楽しいと感じたのは、ここ1年半ぐらいになってからのことだし。

フィン:僕もそれについて考えていた。君はすごくよくドラムの練習をするでしょ。僕はギターではあまり練習しないけど、家でよくピアノの練習をするんだ。それが僕の練習方法なんだけど。ギターに関しては……じつは上手すぎるギターの音があまり好きではないんだよね(笑)。ロバート・フリップという名前だったっけ? あの完璧なテクニシャン。それは僕にはあまり関係ない。少しルーズな方が好きだから、あえて練習し過ぎないようにしているともいえる。

ジェス:でもフィン、あなたはたくさん演奏しているじゃない。それはイアン・マッケランについて語ったこととは逆だよね! 私たちはたくさん演奏するから、あなたもしているということだよ。

フィン:僕が言いたかったのは、スケールなんかは練習しないということだよ。

ジェス:それは必要ないよ。

フィン:例えば、さっきのイアン・マッケランのところで出てきた、彼が言う台詞を覚えることと、楽器を練習することは別の意味な気がする。僕は、パートやセットを覚えることの方が多いね。そう、キース・リチャーズについて考えてみると、彼は基本的にはおびただしいほどギターを弾いている。まったく別のことだよね。

デイヴィッド:僕も以前、ドラムで同じようなことをしていたよ。ドラムは嫌いだ、ドラム文化も嫌いだと言いまくっていた。ドラムをどう演奏するかについても、本当に目に見えない地雷原のような危険もある。フィルインを叩く人をみていられないとか、そんな感じになって。練習ばかりしていると、自分もそういうドラマーになってしまうのではないかと思った。でも、またある別の時点では、「僕には十分個性もあるし、自分の直感を信じよう」と楽器と向き合い練習を重ねて、実際にいい演奏ができるようになったりするんだ(笑)。

ジェス、あなた自身の楽器——つまりあなたの声——との関係はどのように変わってきていますか? あなたはバンドをはじめた当初よりもだいぶ低い声で歌っていますよね。

ジェス:自分はラッキーだったと思う。というのも、音楽を作りはじめる前には歌ったことがなかったから。歌いたいとは思っていたのに、あまり自信がなかった——自分の声がすごく小さいと感じていた。あっという間の出来事だったけど、すべてが私にとっては適切なタイミングで起こったし、私たちは物を作りはじめ、それと同時に私は自分の人としての本当の声も見つけた気がするんだ……。おかしな言い方だけど、演奏すればするほど、自分が完全に裏から表にひっくり返されたような気がする。つまり、自分が感じていることをそのまま表現できるようになったように思うし、それで声が変わったとも言える。基本的には自信の問題だったと思う。

デイヴィッド:ああ、それは大きいよね。

ジェス:そして傷つきやすくなったこともね。それはとても大きなことだった。

※スティル・ハウス・プランツは9月21日(土)に、恵比寿リキッドルームにてライヴ公演!
2024.09.21SAT
MODE AT LIQUIDROOM
https://mode.exchange/
https://www.liquidroom.net/schedule/mode_20240921

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by James Hadfield

Towards the end of a conversation with Still House Plants, vocalist Jess Hickie-Kallenbach speaks of being “turned inside-out” in the course of playing together with her bandmates, guitarist Finlay Clark and drummer David Kennedy. She’s talking about how she developed her inimitable style – deep-voiced, raw, disarmingly emotive – but she could equally be describing the band’s radical deconstruction of the art of song.
Working with a minimal set-up of guitar, drums and voice, the London-based trio make music that is in a constant state of becoming. On their 2020 album, “Fast Edit,” they incorporated lo-fi phone memos and rehearsal tapes alongside studio recordings, giving the sense of hearing the songs at various stages in their creation. Follow-up “If I don’t make it, I love u,” released earlier this year, is more languid, foregrounding the slowcore influences that were evident on the group’s 2016 self-titled debut EP. Yet it’s still thrillingly unpredictable, full of songs that come unspooled and snap taut with a logic entirely unto themselves.
Clark, Hickie-Kallenbach and Kennedy first met as students at Glasgow School of Art in 2013, and their early recordings were released on Glasgow cassette label GLARC. A 2016 gig at London’s Cafe Oto caught the ears of the venue’s archivist, Abby Thomas, who started the bison label in order to release their music. The venue would become a crucial supporter, inviting the band to curate a three-day residency in 2019 and letting them use its temporary Project Space studio to rehearse and work on new material. (When she isn’t touring, Hickie-Kallenbach can be found working behind the bar at Cafe Oto.)
For their debut Japan show, Still House Plants will be sharing a bill with goat, which makes sense: both groups use nominally rock instrumentation but are deeply informed by the methods and logic of electronic music. In a 2020 interview with Tone Glow, Hickie-Kallenbach said her earliest memories of making music were producing “really bad drum ‘n’ bass” tracks on computer with her dad at the age of six or seven, and Still House Plants create and re-arrange songs with a cut-and-paste approach that will be familiar to anyone who’s messed around with DAW software.
Speaking via Zoom, the three members show the same rapport that’s on display during their live performances. Nobody dominates the conversation: they listen carefully to each other, often picking up on what someone else has said. The following conversation has been edited for length and clarity.

I was hoping to ask about Cafe Oto, since people reading this might not be familiar with the venue, but it's played quite a significant part in the band's history. How would you describe it to somebody who's not been there before?

Jess Hickie-Kallenbach: It's a small-sized venue that has very varied programming. I guess historically, maybe, it was more free jazz. Now, it's broadened out to any kind of experimental music, from band stuff to noise, more performative things. Our introduction to the place was in 2019, I guess, when they were working with Jerwood [Foundation] – a sort of funding body to help out young artists – and they nominated us. That was where we first encountered it, properly, as a venue.

David Kennedy: I suppose we'd played there before.

JHK: Yeah, we'd played there once, I think, at that point. Maybe twice. But I think it felt a bit more disconnected – it just felt like a venue. And then after that, it was like: Oh, right, they actually want to support young... well, not necessarily young, but new acts.

DK: I feel there was a bit of a push, at one point, to try and kind of shake off the cobwebs (laughs), of being this sort of free jazz space or experimental music space – but who defines what that is?

JHK: That's exactly it. I think the definition of what that is – of what experimental music, or whatever odd music, is – had to change. And [it's] not one person [who] decides what that means.

Finlay Clark: I was just going to say, I have very warm feelings towards [Cafe Oto], because they were just so supportive when we were starting out. We've played at quite a few venues now, and it just amazes me how they put it together, year after year. And delicious food, and tea! Sake and stuff…

In my experience of going to Oto, I've felt like the audience there is very engaged. Do you find playing somewhere like that, compared to at a festival or something, changes things for you in the course of the performance?

JHK: We recently played at a festival in the UK [End of the Road], which was like a camping festival. We've played at festivals before, in cities, but this was like a proper British, wellies-and-babies sort of festival. It still felt like people were paying attention. I don't know if we're just lucky, that we find places where people actually really want to listen, or engage.

DK: We were doing this support tour with Tirzah, and we were playing at this venue in London called Brixton Electric. I think it was like 2,000 people-ish, in this big, quite raised stage, and I remember thinking, "Oh, I don't know how it's going to translate in that sort of setting…” But I remember afterwards, I really got the feeling that it worked, and we didn't have to change anything – which sort of tells me that we could literally play anywhere (laughs).

JHK: Yeah, we don't need much. We kind of need to stand close together, and we need to keep everything feeling kind of simple. But that can literally happen anywhere, you know? It's quite a fortifying feeling.

Sorry, Fin, were you going to add something there?

FC: Yeah, I was going to say, the difference between a festival and Oto – in a way, not much. I don't really look out at the audience much. I'm kind of just listening to Jess and David, and just locked in, and what's happening to the right of me – which is normally where the audience is – it doesn't change [things].

DK (grimacing): Uh. Oh my God…

Are you okay there?

DK: Yeah, I need to replace my pillows, because my neck is in pain.

FC: Oh, you should get – what are they? I've got one of these... It's not memory foam, but it's got a panda [logo] on it.

DK: Oh, I've seen those.

FC: Yeah, they're really, really good.

JHK: Pillow talk, yeah? I go for super-thin. Super, super thin. Basically nothing.

FC: I used to do that, and now I'm all into neck support.

JHK: But it feels like it does worse to have your neck up high. I dunno, whatever. I was gonna say, obviously it's really nice to do a proper sound check. That's the thing that really changes everything. But I think we're pretty good at doing it all. It's obviously not fun if things are going wrong, like if the sound isn't quite right. But also, there's something about the way that we're set up, which means that we're kind of constantly supporting each other. I guess that's the good thing about being set up as a triangle.

Your music feels very open-ended, but then I guess there are start points and end points, and there are constraints, right? It's not just completely malleable.

DK: A lot of the songs, I feel, have become quite structured. Not all of them, but with a lot of them, I know exactly what I'm going to play all the time.

Do you ever feel any sort of desire to push back against that?

DK: I think I do. I suppose we do try to account for that as well, of wanting to change things up. Usually, that often happens before [the performance]. We discuss, like, “This set, we're cutting it in half, and moving the second half to the top, or maybe we'll change what songs we go into.” So it'll be, like, working on transitions and stuff.

JHK: There's something interesting that happens, when we actually record songs, after playing and working on them for a long time. I think that's when they get really cemented. I think that right now, playing quite a lot of songs from the record [“If I don’t make it, I love u”] means that we really do know the edges of things, and the boundaries of the songs. The way that they change, for us, is more like mood and stuff like that, but also what they sit next to: transitioning from one song to another, finding ways to do that. That feels interesting to us. We like a set to have a sort of flow, almost like a DJ set or something – songs blurring into each other. So that's how songs change, I guess, as we tour them. But I think, as the voice, I have a very different time to DK [David]. I can kind of do what I want much more easily. There's a consistency to what I do, but also there's room for different kinds of expressing.

FC: Yeah, I totally hear what you're saying. Having a drum part that's pretty solid gives you a ground to kind of free-form, sometimes, over the top. Also, I think there's freedom in structure. I remember I saw Ian McKellen do a monologue, and he was talking about how when you know your lines so well, you can deliver them in a really natural way. When you know your parts really well – at least for me – I find that you can kind of give the impression that you're making it up. I think there's a freedom to knowing exactly what you're doing, because it gives the impression of spontaneity.

JHK: It's funny that thing, because I feel like the presumption about our music is that everyone assumes that it's at this particular level of improvised. Obviously, there's fluctuations – there's things that change – but people are like, "Woah, that's basically 100% improvised" as they hear it. And I wonder what that is about it. Maybe it's convenient for it to be imagined as entirely improvised, because it's jerky and has strange changes. But to me, it feels so tight, having these – essentially – drops (laughs) and stuff like that. In a way, it's like: How could that be improvised? But yeah, I think it's all kind of true at the same time. We know what we're gonna do. We know that there's going to be some kind of fluctuations. We practise the starts and ends of songs, and the transitions, and we work those all out, and we make this sort of monolith of a song that is a set (laughs).

DK: I thought that was a good point you made, Jess. When stuff is being recorded, things start to feel fully formed. I do feel like there is an element of sort of firming up the songs through playing them live, especially the newer ones. We've even had points where we played a song a certain way, and then we'd be like, "Oh, I didn't really like how that went." And all of a sudden, the next set we do it, it would have a different drum part and be connected to the end of another song, or something like that. So there is an element of – especially with newer stuff – that it forms and forms and forms through playing live.

JHK: Yeah, I think so. It might not be that the whole structure of a song changes, but we chop things up and we just stick them next to something else, and that becomes the new song. We're writing now, and we're playing some new things. They're changing, they're still solidifying, so they're probably going to change across the tour.

FC: It's definitely a good way to test out material, on stage. I've always felt that you kind of know when something works or not, quite instinctively.

Do you think that those instincts have improved over the years of doing the band?

FC: I think... it's an annoying answer, but sort of yes and no. I've learnt to listen to and trust my judgment, artistically. It takes a long time, to really be able to listen to yourself and trust your instincts. I do question things a lot more, as well. I found when I was in my early 20s, I had more confidence and sort of naivety at the same time, and that's kind of transformed into being more cautious, but also being able to listen to myself and know my instincts better. So it's kind of a bit of both, for me.

JHK: I feel the opposite. I've become less confident and more annoying. Joking.

DK: It's funny thinking about instinct, isn't it? At least in terms of songwriting stuff. I wonder how much of that comes from just growing. I'm trying to think if there's a link, as well, to just actually getting more comfortable with an instrument.

JHK: Yeah, like, it's taken you a long time. When we started making music, David hadn't played drums in a while. I guess it was probably the same for all of us. In a way, we were learning how to play with each other, which actually meant we played very differently. Obviously, Fin, you'd played guitar and you knew the instrument, but you were working out a new way of playing, and that was in response to both of us. That stuff takes a really, really long time.

DK: Yeah, it's probably only in the last year and a half, I've realised that I actually really enjoy playing drums.

FC: I've also been thinking, because you practise drums a lot – I don't practise the guitar. I sit at home and practise the piano a lot, and that's kind of where my practice goes, but guitar... I think that I don't like how guitar sounds, when it's too good (laughs). Is it Robert Fripp, is that his name? Very perfectly technical. That's not for me. I like it being a bit loose. In a way, I'm intentionally not practising it.

JHK: You play a lot, though, Fin. That's the opposite of what you said about the Ian McKellen lines! And you do play a lot, because we play a lot.

FC: What I mean is, like, I don't practise scales.

JHK: You don't need to.

FC: It's more like learning the part – the set – in reference to learning lines, the Ian McKellen lines, and practising the instrument is separate. And yeah, just thinking about Keith Richards, basically, playing copiously. I think they're separate things.

DK: I used to have a similar thing with drums. I was like: Oh, I hate drums, I hate drum culture. There's a real minefield, as well, in just how you can play drums. I can't be arsed with people doing fills, and all this sort of stuff. There's a point where I was like: If I start practising all the time, am I just going to become one of those drummers? But then there's a certain point where you're like: I have enough personality, I'm a real person who's taken a break from an instrument and come back to it as a more fully formed human. I trust in my own instincts, that I'll be able to actually engage with this instrument and practise it, and be able to actually make it good (laughs).

Jess, how has your relationship with your instrument – your voice – changed? Obviously you're singing a lot lower than you did when the band first started...

JHK: I was really lucky, I guess, because I didn't sing before we started making music. I'd always wanted to, but I wasn't very confident – I guess my voice felt really small. It happened pretty fast, but everything sort of aligned at the right moment for me, where we started making stuff, and I also started really finding my own voice as a person… It feels like the more we were playing, the more I would just be – without sounding crazy – kind of turned inside-out. I was just more able to wear what I was feeling, and that meant that my voice changed. I think it was confidence, basically.

DK: Yeah, that's a big thing.

JHK: And to be vulnerable. Big time.

Jonnine - ele-king

 オーストラリアのオルタナティヴ・ロック・バンド HTRK のメンバーでもあるジョナインの最新ソロ・アルバム『Southside Girl』が、UKの〈Modern Love〉からリリースされた。環境音とヴォーカルとベースと打楽器によるローファイ/サイケデリックなムードの楽曲をまとめたアルバムである。
 今年の〈Modern Love〉においては、デルフィーヌ・ドラ『Le Grand Passage』(傑作です)に続くエクスペリメンタルなフォーク/クラシカルな作品でもある。〈Modern Love〉にとってこれは意外な展開ではないのだ。例えば2022年のパロマ『Laila Sakini』もピアノとボーカルによるモダン・クラシカルな音楽性だったし、2023年のルーシー・レイルトン『Corner Dancer』もチェロの音響を追求した実験音楽だったのだ。重要な点はこのレーベルの「エクスペリメンタル」な音楽は単に先鋭的というだけではなく、どこか優雅さを称えていることにある。

 この『Southside Girl』は、そんな〈Modern Love〉の実験音楽方面のリリースでは、その極点(?)を示すような素晴らしい出来のアルバムである。実験と優雅、その交錯。つまり遊戯と記録。もしくは日常の中の実験と実践とでもいうべきか。いわば白昼夢のように浮遊感のある心地よいサイケデリアを展開していくのだ。もちろんゴリゴリの実験主義的な音楽でもない。むしろこれ以上ないほどにシンプルな音である。
 エクスペリメンタルでサイケデリックな音は HTRK の延長線上にある音ともいえるが、雑味を省いた本質的な音楽である。つまりシンプルな音だ。にもかかわらずとにかく豊穣な音楽なのである。なぜだろうか。「音楽と音の関係性に不用意な壁がないから」だとはひとまずはいえるだろう。音楽は音であり、音も音楽になりえる。フィールド・レコーディングは「音もまた音楽たり得る」という可能性を示す。環境音の録音が切り取られ、編集されたとき、その音が鮮烈な音楽の原型のように耳に響く。それは偶然と必然と意志によって生まれた音の音楽化だ。『Southside Girl』における環境録音もまた偶然と必然と意志によって選ばれた音がとても豊かに鳴り響いているのだ。
 同時にとてもパーソナルな音楽/音響でもある。間近にある音。記憶と生活。音と現実。その隙間にある幻のような感覚。内省的であるが暗くはない。このサイケデリックなアンビエンス感覚は HTRK のアルバムからの延長にあるといえるが、よりシンプルに、より濃厚になっているともいえる。じっと聴いているといつの間にか時間の感覚が溶け合っていくような恍惚とした感覚を得ることができた。レーベルがバンドキャンプ上でアナウンスしているように「郊外。海辺のアパート。海に行く約束。キャンディ。夜行列車」など、まさに過去の記憶が溶け合っていくような感覚を覚えるアルバムなのだ。「記憶」だけが持っている不思議な多幸感。桃源郷が「ここ」にあった。

 音楽的にみると重要なのは「ベース」と「環境音」の使い方にあると思う。一聴すれば分かるが、本作の編成にはギターがほぼ入っていない。環境音とベースと打楽器が本作の基調となっているのだ。もちろんジョナインのソロにおいてベースが重要な要素を占めるのは2023年にリリースされた前作『Maritz』の楽曲でもそうであったが、ほぼギターレスの本作は「ベースと歌声」による「二声の音楽」という可能性をさらに追求しているように思えた。加えて本作では「環境音」もアンサンブルのひとつのように扱っている。アルバム1曲目 “December 32nd” も環境音/フィールド・レコーディング作品だ。この日常の音の素朴な豊かさ。そして2曲目 “Spring's Deceit” では環境音とジョナインの美しい声が折り重なってくる。以降、3曲目 “Rococo” 以降、アルバム全編にわたりジョナインの透明で美しい歌声と環境音がセッションしているかのように折り重なる。

 本作はアルバム全11曲を通して環境音と声と打楽器とベースなどのアンサンブルをメインにしながら聴き手の意識を現実と幻の中間状態に誘うように展開する。だからこそ9曲目 “Shell Cameo” に不意に入ってくる素朴なピアノの音がとても新鮮に響くわけだ。また私がこのアルバムで特に惹かれたのは10曲目 “Sea Stuff” である。これまでひとつの演奏パートのように存在感のあった環境音が控えめになり、ベースとドラムと歌だけになる曲だ。もちろん環境音が消え去ったわけではない。微かに音が鳴ってはいる。いわば静寂になったのだ。
 そこで繰り広げられるシンプル極まりない演奏と彼女の声は不思議と、あらゆる感情が浮遊するような感覚に満ちていた。まるで日常の中に不意に訪れる空白のように。パーソナルな録音環境によって生まれた夢と幻のリアリズムとでもいうべきか。そう、このアルバムをじっと聴いていると、まるで環境音までも音楽を奏でているかのように聴こえる瞬間があるのだ。

 「記憶」というパーソナルな主題を、軽やかに展開するローファイ・サイケデリック・フォークの逸品といえる。聴き込むほどにこの日常が愛おしくなり、同時に失われた過去の記憶が結晶していく。天国を希求しつつも、この生きている世界こそが桃源郷だった。そんな感覚すら抱かせてくれるアルバムである。

Interview with Beatink. - ele-king

 9月14日の『Dub Sessions 2024』、このイベントが終わってから、主催者であるビートインクが自らの30周年を祝ってのパーティをオールナイトで行う。この疲れ知らずのインディ・レーベルで、創業以来がむしゃらに働いてきた大村大助にいたっては、その前日に名古屋での『Dub Sessions』を終えてからの東京入り。オーディオ・アクティヴでエレクトロニクスを担当していたこの男は、あれから30年以上経ったいまも、並々ならぬ気迫と持久力でレーベルをひっぱっているようだ。

 現在、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめ、〈Beggars〉傘下の〈4AD〉〈Rough Trade〉〈XL〉に〈Young〉〈Matador〉、そして〈Domino〉など多くのインディ・レーベルとライセンス契約をし、日本でのリリースを引き受けている。もっとも、そもそものその原点は〈On-U Sound〉の日本でのリリースを手がけたことにはじまり、つまり、ある意味、30年前と同じことをずっとやり続けてきたことの蓄積だったりするのだ。

 いよいよ〈BEATINK 30th Anniversary Party〉を控えたビートのスタッフ3名、大村大助、若鍋匠太、寺島茂雄に話を聞いた。


オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー

〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう! 

30周年おめでとうございます!

一同:ありがとうございます!

大村(大助)くんとぼくは、ビート設立の前からの知り合いなんです。

大村:そうですよね。

91年、渋谷のエスニック料理屋を週末だけ借りてやっていた、アンダーグラウンドなテクノ・パーティがありましたね、ぼくはよく遊びに行ってたんですが、大村くんはね、見張り番をしてたんだよね(笑)。

大村:いや、ぼくはただ単に遊びに行ってただけですよ(笑)。

え? そうだったんだ。いつも入口付近にいたから、警察が来たら知らせる見張り番だとずっと思っていました(笑)。

大村:伊藤洋一さんという、YMOのマネジャーやっていた方が、そのころジェオという会社をやっていて、そこで働いていたスタッフたちといっしょに遊びに行ってましたね。ビートが立ち上がる前の助走期間というかね、もう、とんでもないデコボコ道でしたけどね。

当時大村くんはオーディオ・アクティヴとしての活動も精力的にやっていてね、のちに新宿リキッドルームで活躍する山根(克己)さんがマネージャーみたいなことをやってたんだよね。

大村:そうです。

ビートを立ち上げる前は、レイ・ハーンもジェオで働いていて。

大村:ジェオのときに芝浦GOLDにエイドリアン・シャーウッドを呼んでますね。

ぼくもあのとき行ったんですが、あれはすごいイベントでしたね。低音がすごかった。

大村:あの頃、〈On-U〉は〈Alfa Records〉とライセンス契約していて、オーディオ・アクティヴのデモも〈Alfa Records〉で録音しているんです。だから、オーディオ・アクティヴのファースト・アルバム『AUDIO ACTIVE』は、1993年の11月に〈Alfa Records〉から出ているんですよ。でも、ファーストが出た数ヶ月後に〈Alfa Records〉は倒産するんです。「さてどうする?」ってところから、ビートの立ち上げがはじまっている。

なるほどね。自分たちでやるしかないと。

大村:そして、〈On-U〉から1994年の9月にアルバム『We Are Audio Active (Tokyo Space Cowboys)』が出るんです。ただ、その前の6月には「Free The Marijuana」という12インチ・シングルも出ているんです。

いまでも持っています。ビートインクの最高傑作ですね!

大村:マーク・スチュワートがあのシングルもアルバムもデザインをしてくれたんです。

いや、そこはマジで素晴らしいですね。あの曲のなかのトースティングは?

大村:ビム・シャーマンですね。スキップ・マクドナルドも参加している。

まさに、ここにビートインクが凝縮されている。もう、いまやっていることと変わらない(笑)。30年間、ずっとそれをやり続けているんですね! すごいよね。

大村:そういうことですね(笑)。


伝説のエイドリアン・シャーウッド@芝浦GOLD

ビート前史としては、山根さんがまだ渋谷ON AIRのブッキング・マネジメントをやっていた頃に、1992年から1993年にかけて、ダブ・シンジケート、ビム・シャーマン、ゲイリー・クレイル、マーク・スチュワート、リー・ペリーなんかの招聘をやっているでしょ。あれも当時は大きかった。

大村:ビートを会社として登記したのが、1994年の6月。そして、7月に新宿リキッドルームができてるんです。で、そのプレ・こけら落としというのがあって、それはうちがアンダーワールドとドラム・クラブを呼んだんです。

いろんなものが同時にはじまりましたよね。ぼくも1994年に独立して、エレキングをはじめた。そのくらい、1992〜94年の日本のアンダーグラウンド・シーンは熱かったですね。最初、ビートはレイの恵比寿のマンションの自宅ではじまっているけど、何人ではじまったんですか?

大村:俺とレイと、あとは井出さんという女性の方がいました。

井出さんにもお世話になりました。で、最初は〈On-U〉のディストリビューション?

大村:〈On-U〉ではじまって、やがて〈All Saints〉(※イーノ作品で知られる)もやったり……。

寺島:ちなみに、ビートのカタログナンバー〈BRC〉の1番がオーディオ・アクティヴ。2番がアフリカン・ヘッド・チャージで、3番がニュー・エイジ・ステッパーズ

(笑)いまとやっていることがまったく変わらないね!

大村:(笑)〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう! 

若鍋:よくレイさんも言いますよね。音楽をディストリビュートするというアイデア自体は、エイドリアンからもらったって。

大村:〈On-U〉からいろいろ繋がっていったんだよね。

寺島:アタリ・ティーンエイジ・ライオットもそう。

大村:〈DHR〉(※アレック・エンパイアのレーベル)も、そして〈Emissions〉(※アンドリュー・ウェザオールのレーベル)も。ほかにも、〈On-U〉のサブレーベルとして〈Puressure Sounds〉もあった。

最初は全国のレゲエ系のお店をはじめ、独自の流通網を作っていったんだよね。

大村:なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。

なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。

1994年にビートがはじまって、最初は〈On-U〉からやっていくんだけど、大きかったのって何だったですか?

大村:〈DHR〉がやっぱデカかった。

90年代は、オーディオ・アクティヴもすごくがんばってやっていたじゃないですか。リキッドルームでオーディオ・アクティヴとエイドリアンとアンドリュー・ウェザオールってあったよね? あれは良かった。あとリー・ペリーのライヴもよく憶えている。大村くんは何がいちばん思い出深い?

大村:アンダーワールドの初来日はよく憶えていますね。アタリ・ティーンエイジ・ライオットのライヴもお客さんの熱気がすごかった。湿度で天井から雨が降ってくるくらいだったし、後にも先にもあんな光景は見たことないです。

リー・ペリーと?

大村:リー・ペリーはめちゃくちゃ思い出あります。最初のON AIRでやったときは、まず空港に迎えに行ったときに、カシオトーンを頭の上に乗っけて歩いてきたんです。「ええ!? とんでもない人出てきたな……」みたいな。もう、誰がどう見てもすごい人なんですよ(笑)。

それはもう、なんか超越的というか(笑)。普通に?

大村:それが、普通にめちゃめちゃ安定してるんですよ。何もくくらないで、そのまま頭に乗っけてて。リズム・ボタンを押して、ピッコピッコ鳴らしてるんですよ(笑)。

ハハハハ。

大村:会場入りするときもそうでしたね。車から降りて、カシオトーン乗っけて、ピッコピッコって(笑)。楽屋に入ると、ガラス張りの楽屋に、ろうそくでガラス全部に隙間ないぐらい言葉とか絵とかいろいろ描きはじめて、すごい光景でしたね。

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オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー。ペリーの後方に写っているのが、大村氏。

あのときはバックのメンバーも最高だったよね。

大村:ダブ・シンジケートがバックで来て、スタイル・スコットも元気だったし。

ところで、これは大村くんの名誉のために言っておくと、オーディオ・アクティヴは当時イギリスで評価が高くて、人気だったんですよ。グラストンベリー・フェスティヴァルがいまみたいにコマーシャルになる前のいい時代に出演しているし。若鍋くんはそのころは何歳だったの?

若鍋:小学生でしたよ。94年はぼく、小学校5年生。

若鍋くんが入ったのっていつなんですか?

若鍋:ぼくは2007年です。

大村:(寺島)茂雄くんはその4年前ぐらい。だから、いまいるスタッフは〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめた後ですね。

〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめたのは?

大村:2001年。

若鍋:まずは「エレクトラグライド(エレグラ)」(※2005年まで続いた、テクノに特化したオールナイトのイベント。冒頭の写真はその第一回目)が2000年からスタートするんです。その前は、フジロックの最初の5年間ホワイト・ステージのプロデュースをビートがやっていて、そこでスクエアプッシャーやエイフェックス・ツインをブッキングしているんですね。で、その流れで、エレグラにも〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のアーティストが出演している。

大村:一回目がアンダーワールド、オービタル、リッチー・ホウティン、ルーク・スレーター、トゥー・ローン・スウォーズメン、トモヒラタ……。

若鍋:2年目がファットボーイ・スリム、エイフェックス・ツイン、ダレン・エマーソン、ローラン・ガルニエ、マウス・オン・マーズ、ハウィー・B、プラッド、バッファロー・ドーター、リチャード・マーシャル……。

大村:そういうなかで、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉からアプローチを受けて、最初はキャパ的に、ふたつのレーベルを同時にやるのは無理だろうと思ってたんだけど、悩みに悩んで、両方ともやることになりました。

寺島:〈Warp〉をやることになって、最初に出した作品がオウテカの『Confield』。

名盤じゃないですか。それは良いタイミングでしたね。

大村:そうなんですよ。ボーズ・オブ・カナダもそうだし、とんでもなくいいタイミングだった。

その二大レーベルをやったことでだいぶ状況は変わったんじゃないですか?

大村:〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやる前は、オーディオ・アクティヴ、ドライ&ヘビー、ロンパリ、日本人のアーティストが精力的に活動していましたね。「ハッパーズ」もやったし。

「ハッパーズ」! これはビートインク史における快挙のひとつだよね。8月8日をハッパの日と定めて、2000年8月8日に代々木公園でフリー・フェスティヴァルを開いた。いやー、あれはほんとうにすごかったなぁ。

大村:画期的でしたよね(笑)。そこにブルー・ハーブも出て。

寺島:オーディオ・アクティヴ、ドラヘビ、ブルー・ハーブ、クラナカ、DJ YASU。

そのメンツで、野外で、無料で、「ハッパーズ」。しかも都会のど真ん中。いや、素晴らしい。

大村:ただ、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやるようになってから、もうそっちで忙しくて、なかなか日本人のアーティストができなくなってしまったんですけどね。

それはすごく残念でした。やっぱ、オーディオ・アクティヴとビートインクの仕事との両立はできなくなっていった?

大村:できなかったですね。若いころは寝ないでやればいいって感じだったけど、それもどんどんできなくなりますからね(笑)。ビートの仕事が終わってから夜中、「スタートレック」っていう高津にあったスタジオで朝まで作業して、そしてその朝ビートに来て仕事するという生活は、もう……。

それはたしかに(笑)。ところで、第一期が90年代だとすると、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約してからが第二期と言えますよね。第二期以降のビートインクは、どういうふうに変わっていったと思いますか?

大村:発売の量自体が一気に増えたんで、まわすのが大変になりましたね。

ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。

若鍋くんと寺島さんのおふたりはなんでビートに入ったんですか?

寺島:ぼくはオーディオ・アクティヴとドライ&ヘビーがすごく好きで、さらに大好きな〈On-U〉やエイドリアン・シャーウッド、アンドリュー・ウェザオールもやっているし、プレフューズ73とかもやっていた。ここで働きたいと思って、バイトからはじめましたね。

若鍋:ぼくもバイトですね。ちょうどオーディオ・アクティヴやドラヘビが盛り上がっていた当時、ぼくは留学をしてまして、日本にいなかったんです。でも留学中に友だちから〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のことを教えられるんです。しかも、その友だちがのちに日本に留学してビートでバイトするんですよ。で、彼からある日「お前スクエアプッシャーとか大好きじゃん。いま自分がアルバイトしてるビートインクでは、日本でそれを扱っているんだよ」と言われ、最初は翻訳のバイトからはじまりました。

大村:最初に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやることになったときは、インディだし、どうやってやろうか考えましたね。それ以前は、〈Sony〉と〈TOY’S FACTORY〉という、日本のメジャーとライセンス契約していたじゃないですか。お金もたくさん使ってやっていただろうし、うちには同じことはできない、だから機転を効かせたり、スピード感で勝負するしかなかったですね。隙を突いていくような、うちだったらこういうやり方で攻めるというような。

営業をやっていた関井さんが、ボーズ・オブ・カナダの大きなパネルつくってそれを新幹線に乗って関西のお店にまで配るとか、いろいろ泥臭い戦術でやっていましたね。

若鍋:ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。

音楽産業の昔ながらの生態系が変わるのって2010年代以降じゃないですか。いろんなものがインターネットや配信などで変わってしまった。

大村:デジタルへの移行もたしかにそうでしたけど、90年代にWAVEがなくなったときはほんとうにショックがデカかったんです。うちの商品って、ほとんどWAVE頼みみたいなところがあって、だからWAVEがなくなるって聞いたときのほうが「どうなるんだろう?」ってビビりましたね。あれが最初の地殻変動でした。その後のデカいのって言ったらやっぱデジタルですね。2000年代に入ってからちょうど4〜5年くらい経って、出荷数落ちてきたなと感じたりしましたね。

30年もやっていれば、状況も変化するし、良いときもあれば悪いときもありますよ。それこそ雨、風、嵐が(笑)。

若鍋:デジタルがはじまってからは、いきなり大きな衝撃というより、その変化を徐々に体感していった感じですね。

大村:下手したら盛り下がっていることに気づかないくらい、静かに変化していったよね。ただ、日本ではフィジカルが好きな人はずっとフィジカル買うし、ヴァイナル買うのが流行れば、若い子もヴァイナル買うような感じになっているし。必ずしも、ストリーミングが喜ばれてないというか。

若鍋:ビートが創業してからいまだに変わってないのって、たぶんイベントだと思うんですよ。要はそこでしか体験できないことっていうのは、昔から変わっていない。そもそも、「ハッパーズ」じゃないですけど、ビートは「そこにそんなに力入れるんだ?」みたいなことをやってきているんです。採算度外視でも、それをやった方がお客さんに伝わるということならやる。アイデア・ベースというか、採算度外視のことをやって、でもそれが良くてリピーターになったり、アーティストのファンになってくれたりしてるのかな、みたいなことも、実感する瞬間は多々あるんです。

たとえば?

大村:ロビーやエントランスの照明にこだわったり、とにかく、雰囲気をつくりたくて。

なるほど〜。そして、ビートの第3期は、やっぱ〈Beggars〉グループとの契約だよね?

若鍋:2017年が〈Beggars〉、2019年が〈Domino〉だったと思います。

大村:〈Beggars〉は〈XL〉、〈Young〉、〈4AD〉、 〈Rough Trade〉、〈Matador〉の5レーベル。

もう、UKインディの大きなところほぼすべてじゃないですか。まさかビートがそんなことになるなんて、大村くんも夢にも思わなかったでしょ。

大村:思ってなかったですね。じつは2000年代からずっといろんな話が来ていたんです。いろいろ断っていた話はたくさんあるんですけどね。

若鍋:ただね、時代が良ければメジャーがやっていてもおかしくないようなビッグ・アーティストを、もう日本で誰もやらなくなっちゃった状況があるじゃないですか。

それはそうなんですよね。

若鍋:となると結局、マーケットがシュリンクすることを受け入れる感じになっちゃうし、そこにビートは我関せずではいられないよねっていうことで、ぼくらもちゃんとリスペクトのあるレーベルと仕事しているっていう話なんですけど、正直レーベルを取り合うような状況になったことはほとんどないんですよ。

単純に、カウンターではいられなくなってしまったと。

若鍋:海外でどういう新しいエキサイティングなことが生まれているのか? っていう考え自体が、日本においてはレフトフィールドなものになっちゃっているっていうことなんでしょうね。

海外文化の新しいもの自体が日本ではレフトフィールドになっているにではないかという感覚があるんですね。ただ、向こうのインディ・レーベルと直に仕事をしていると、良い意味で刺激を受けますよね?

若鍋:今週のチャートがまさに、1位がサブリナ・カーペンターで2位がフォンテインズD.C.で。いまはトップ・チャートも全然インディで、ブラック・カントリー・ニュー・ロードとかもトップ3位を獲ってるから、新人がトップ5とかってもうザラにあって。彼らはそれを本気で狙っているから、いいなと思います。

フォンテインズD.C.やBCNRみたいなロックは、UKでは、インディでもメインストリームとも言えるだろうし、自分たちもオリコン・チャート1位目指すぞ、と(笑)。

若鍋:物怖じはしないでおこうと思います (笑)。

ビートインクとして、紹介するのは、UKのインディ・シーンにこだわってますか?

大村:たとえばUSだと〈ROIR〉とか、〈Gold Standard Laboratories〉みたいなレーベルも扱っていたし、90年代のカーティス・マントロニックがいた〈OMW(オキシジェン・ミュージック・ワークス)〉はニューヨークのレーベルだったと思うんですけど、そこから出たアルバムの日本盤を出したりしてましたし、とくにUKにこだわってはいないです。ただ、やっぱり〈On-U〉、エイドリアンを起点に広がったところがあるので、そうなっているのかなと思いますね。

ビートインクは、海外の最高にエキサイティングな音源をいまだに日本で配給している拠点だし、海外で起きていることを伝えるメディア的な役目も果たしているわけだし、ほんとうに頑張ってほしいなと思いますね。最後に、これからの展望なんかも聞かせてもらえたらと思います。

大村:2000年代に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約して、2010年代には〈Domino〉や〈Beggars〉も来て、ずいぶん変化しているように見えるかもしれないけど、美意識がちゃんとあれば、ずっと続けていけるかな、と。

この会議室にもリー・ペリーの写真が飾ってあるぞ、と(笑)。

大村:リーに見られても恥ずかしくない生き様で続けていこう、と思います(笑)。

若鍋:時代とともに「なにがレフトフィールドなものに見えるか」みたいなことも変わっていますよね。ビートの軸は変わらないけど、マーケットが変わっていったら、それによってビートインクがやっていることは変わっていっているように見えているかもしれない。でも、じつはビートのアティチュードや信念みたいなものは変わっていないし、たぶん、それはいつの時代にも必要とされるものなんじゃないかと思います。

そして最終的には、30周年のイベントを、エイドリアン・シャーウッドを迎えてやると。さすがですね、立派に筋が通っています!

一同:なので、9月14日の30周年パーティにもぜひ足を運んでください!

Beak> - ele-king

 Beak>のようなバンドをどこに位置づければよいだろう? 彼らの音楽は過去を想起させるが、レトロではない。見かけによらず実質剛健だが、入手しやすい無印良品のようなミニマリズムでもない。それは多様な認識に火花を散らし、多くの者が直感的にぐっとくるものを備えているが、その特異な音楽はBeak>以外の何物でもなく、他の誰のサウンドにも似ていない。

 Beak>の4作目のアルバム『>>>>』が最初に登場した際、突然どこからともなく降ってきたかのごとく、ファンファーレも鳴らされず、プレヴュー・トラックもなく(“Ah Yeah”のみ、2021年にデジタル・シングルの一部としてのヴァージョンが登場したが)、我々の前に姿を現した。前作を土台にして積み上げるのではなく、バンドは2009年のデビュー作のようなジャムをベースとしてアプローチする作曲方法に回帰しようとしたが、音楽的にも、オリジナル・メンバーのマット・ウィリアムス(MXLXとしても知られる)からウィル・ヤングに代わったことでも、それ以降のバンドの方向性を描き出している。これは、作曲とレコーディングにゆるさを取り入れながらも、絶対的な正確さと細部へのこだわりに留意してミックスされたアルバムなのだ。

 ディスコグラフィーにはこのように位置づけられるとしても、Beak>自身はどのあたりにいるのだろうか?

 まずできることとしては、地理的にゆかりのある場所、つまり彼らの出身地であるイングランドのブリストルに目を向けてみることだ。一見したところ、Beak>と創設メンバーのジェフ・バロウの古い方のバンド、ポーティスヘッドとは大きな共通点はないように見えるのは、ポーティスヘッドは90年代初期のトリップ・ホップ・シーンと強く結びついているのに対し、Beak>は、ロックという一般的な宇宙の範囲内で活動しているからだ。だが両者のサウンドには共通の結合組織が存在する。Beak>が時たまジャズやファンクのビートに手を出したりするように、両バンドとも不気味でエレクトロニックな色彩を帯びたザ・シルヴァー・アップルズのサイケデリックへの借りがあるのだ。とくに、ポーティスヘッドのアルバム『Third』の“We Carry On”と、Beak>のこの新譜からの“The Seal”は、いずれも何らかの形であのニューヨークのデュオに敬意を表している。

 より広いところでいえば、イングランド南西部には、ブリストルの熱波の舗道とグロスタシャー、サマセットとセヴァーン河口ののどかな丘陵地や氾濫原の間を漂うサイケデリック・ミュージックの長い伝統がある。ムーヴィートーンのまばらで儚いフォーク、サード・アイ・ファウンデーションの閉所恐怖症的なビートが主体のパラノイア、ザ・ヘッズのリフが前面に押し出された重たいノイズ、ファズしまくりのクラウトゲイズのフライング・ソーサ―・アタックなど、すべてのバンドがBeak>の音楽も自然にその一部として溶け込める音の風景を創り出している。ウェストカントリー(イングランド西部)の空気の何かのなせる業に違いない。あるいはその地の水か。またはドラッグか。

 さらに彼らは、パート・チンプやヘイ・コロッサスなど(どちらもサマセットを拠点とする〈Wrong Speed Records〉に関係している)、クラウトロック、ハード・ロックやサイケデリアと繋がりのあるイギリスの中年バンドの緩やかな集団にくくられてもある意味納得がいく。

 だが、まだ他にも何かがある。それは、彼らの音楽を通じてうずくようなメランコリーが漂っているのにもかかわらず、それが露骨に発せられることがほとんどない点だ。バロウのヴォーカルは、もう一人のブリストルが生んだ著名な息子、ロバート・ワイアットが隣室から少しだけ悲しげな調子で紅茶がほしいと要求してくるような、感情を押し殺した、疲弊した質感の声なのだ。それはもしかすると、傷ついた心をさらけ出すことに抵抗のある古いタイプの英国人気質なのかもしれず、放置された悲しみは血管の中にあてもなく忍びこんでしまう。『>>>>』でかろうじてヴォーカルが聴こえるなかで、彼らがもっとも魂をさらけ出しているのに近いのは、オープニングの“Strawberry Line”だけだ。それは、アルバムのジャケットにブリストルの象徴であるクリフトン吊り橋の背後に、ゴジラ・サイズでレーザービーム光線の目をした巨大な死の猟犬として描かれるバロウの亡き愛犬アルフィーへの悲痛な頌歌になっている。

 アルバムに流れる微かにメランコリックな色調も、音楽を推進する艶やかでミニマルなクラウトロック的なシンセやグルーヴに、セピア色の喪失感を与えている。それは決してあからさまというわけではないが、ゴースト・ボックスや、より最近ではウォリントン・ランコーン・ニュー・タウン・ディヴェロップメント・プランのような、アナログ時代の朽ち果てたユートピアやモダニスト的なプロジェクトなどのプリズムを通して未来を見つめるアクトにも通じる色調なのだ。我々が現在直面している混沌とした未来をつかもうと手を伸ばすのではなく、バンドはどうも戦後のキニア=カルヴァート道路標識システムのクリーンで機能的な幾何学構造を音楽的に再現しようとしており、哀愁漂うフォークのメロディが雨跡の染みついた車窓に流れる灰緑色の風景のように曲の中で漂っている。BBCレイディオフォニック・ワークショップの脆くて孤独なDIYフューチャリズムが、遊び心のあるテクスチュアと空間を使った微妙なレイヤード構造になっている本作を彩る一方、“Denim”では、一貫した音色を保つことのない不安定に揺れるシンセがバロウの声と刺激的に相対している。
 
 それはつまり、彼らは過去に憑りつかれながらも、ある種の並行未来(パラレル・フューチャー)へと向かう自分たち独自の雰囲気を持つ世界を創造していることを意味する。それは、1970年代スタイルのSFかフォーク・ホラー映画のような世界かもしれない——ジェフ・バロウのサウンドトラック作品と彼の〈インヴァーダ・レーベル〉のリリース・カタログは、明らかにそのような場所で十分な時間を通過してきた。だが、それは不快なノイズに包まれた注意深く定義された領域の宇宙というよりは、ある種の、程度を抑えた“エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス”のような魅力的な別世界なのだ。


by Ian F. Martin

Where do you place a band like Beak? Their music evokes the past, but it’s not retro. It’s deceptively spartan, but it’s no off-the-shelf Muji minimalism. It sets of so many diverse sparks of recognition, yet it’s utterly singular: nothing sounds quite like Beak.

When it first appeared, Beak’s fourth album “>>>>” seemed to have dropped out of nowhere, arriving with no fanfare or preview tracks (although a version of “Ah Yeh” had appeared as part of a digital single back in 2021). Rather than building directly on its predecessor, the band tried to go back to something more like the jam-based writing approach of their 2009 debut, though it also draws on the directions the band have taken over the years since, both musically and with the replacement of original member Matt Williams (aka MXLX) with Will Young. It’s an album that incorporates looseness into its writing and recording, but is mixed with absolute precision and attention to detail.

So that places it within the Beak discography, but where are Beak themselves?

One place you can start is by placing them in their actual geographical location: Bristol, England. On the face of it, there’s not a tremendous amount in common between Beak and founding member Geoff Barrow’s older band Portishead, with the latter associated most strongly with the trip-hop scene of the early 90s and Beak operating in the general cosmos of rock. There’s connective tissue between both bands’ sounds though, with Beak occasionally flirting with jazz and funk beats, and both bands owing an eerie, electronic-tinged, psychedelic debt to The Silver Apples. In particular, Portishead’s “We Carry On” from the album “Third” and Beak’s “The Seal” from this album both pay the New York duo tribute in one form or another.

More broadly, the southwest of England has a long tradition of psychedelic music that floats between the heatwave pavements of Bristol and the pastoral hills and flood plains of Gloucestershire, Somerset and the Severn Estuary. The sparse, fragile folk of Movietone, the claustrophobic beat-driven paranoia of Third Eye Foundation, the riff-forward heavy noise of The Heads, the fuzzed-out krautgaze of Flying Saucer Attack: all of these bands create a sonic landscape into which Beak’s music feels like a natural part. There must be something in the westcountry air. Or the water. Or the drugs.

They also make a sort of sense within a loose constellation of middle-aged British bands at the nexus between krautrock, hard rock and psychedelia, including bands like Part Chimp and Hey Colossus (both connected to the Somerset-based Wrong Speed Records).

There’s something else, though, too. A melancholy that aches through in the music but rarely articulates itself in any explicit way. Barrow’s vocals have an emotionally strangled, weary sort of quality that sound like another of Bristol’s most celebrated sons, Robert Wyatt, calling plaintively for tea from the next room. Perhaps it’s that older sort of Englishness that baulks at the thought of exposing its open emotional wounds, leaving sadness to creep, unaddressed, through its veins. Where the vocals on “>>>>” are audible at all, the closest they get to baring their soul is on the opening “Strawberry Line”, a poignant ode to Barrow’s deceased dog Alfie — who appears on the album cover as an adorable, Godzilla-sized, laser-eyed hound of death, towering over Bristol’s iconic Clifton Suspension Bridge.

The faint tint of melancholy running through the album also lends a sepia sense of loss to the sleek, minimal, krautrockist synths and grooves that drive the music forward. Less explicit, perhaps, but there are tonal parallels with hauntological projects like the Ghost Box Label and more recently acts like the Warrington-Runcorn New Town Development Plan, which look to the future through the prism of now-decayed utopian, modernist projects of the analogue era. Rather than grasping the chaotic future we currently face, it’s as if the band are musically recreating the clean, functional geometry of the postwar Kinneir-Calvert signage system, with mournful folk melodies floating through the songs like green-grey landscapes drifting past rain-speckled car windows. The fragile, lonely, DIY futurism of the BBC Radiophonic Workshop colours the subtly layered production with its playful use of texture and space, while wavering, uncertain synths that won’t hold to a consistent tone on “Denim” play like an electric counterpart to Barrow’s voice;

What it adds up to is a band who are creating a world of their own with its own distinct atmosphere, haunted by the past but striving towards some sort of parallel future. It could be the world of an eerie 1970s-style science-fiction or folk-horror film — Geoff Barrow’s soundtrack work and his Invada label’s release catalogue has certainly spent enough time in those sorts of places — but it’s an inviting sort of otherworld, less Everything, Everywhere, All At Once than a carefully defined area of space within a cacophony of noise.

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