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ここ数年のインディ・ロック・シーンにおいて、シンセ・ポップのリヴァイヴァルが目立つ点は多くの人が認めるところである。渦中のアーティストに明確にリヴァイヴァリストとしての意識があるのかどうかについては留保が必要だが、聴こえてくる音がシンセをフィーチャーもの、あるいはエレクトロ・ポップだったりすることは間違いない。
この状況を牽引しているアーティストの多くは80年代生まれであって、ニューウェイヴの記憶など体験であるというよりは伝聞だ。よって彼らの方法や態度、また単純に音をめぐって、年長世代からのわりに厳しい評価があることも事実である。しかしアーティストばかりではなく、おそらくは彼らと同世代かそれ以下のリスナーもこの状況をよろこび、享受しているわけで、彼らの時代感覚がこれらシンセ・ポップの潮流の一部をチルウェイヴといった概念へと押し上げ、その裾野を広げ、解釈を洗練させていっている昨今である。よって当然と言えば当然だが、同じ時代の特定の音楽を参照しているように見えて、オリジナル世代に見えているものと当該アーティスト/リスナーに見えているものとは異なっているはずだ。
インクにもまた濃厚すぎるほど80年代へのまなざしがある。なぜ80年代へとひかれていくのかという「そもそも論」はここでは措くが、彼らに見えているその時代もひとつの齟齬を含んでいるかもしれない。
インクはロサンゼルスの兄弟ユニットで、ティーン・インクという名義で本作の前に1枚のシングルをリリースしている。アーティスト写真や彼らのホームページを訪ねればそのデザインのすみずみにまで80年代カルチャーへの思慕が刻み込まれていることがわかる。コスプレというレヴェルではなく、当時を実際に成人として生きたことを疑わないかのような奇妙な迫力があってしばし見入ってしまう。音も同様で、とくに前シングル「ファウンテンズ」はティアーズ・フォー・フィアーズなどを思わせる都会的なアフター・アワー・ポップ。そのシルキーでスムースな感覚は〈4AD〉からリリースとなった本シングルにも引き継がれているが、彼ら最大の特徴はほとんどのレビュワーが指摘するようにプリンスっぽさである。
『ピッチフォーク』などはほとんどプリンスの盗作として不当なまでに低い評価を下している。「インクがなにか証明するとすれば、それはだれでもプリンスのマイナーなディスコグラフィから強盗を働けるということだ......」
たしかにそっくりではあるが、では「インクを聴くならプリンスを聴けばいい」となるかといえば、そうはならない。これはパクリか否かという正統性をめぐる問題ではないのだ。もっと言えば、おそらくこの執筆者にはオリジナル世代が生きた時代やその時代の特定の音への正しい理解があるかどうかといった点でひっかかりや快く思わない点があるのだろうが、それすらも問題ではない。インクにはインクのプリンスがあり、80年代があり、いまがあり、それが彼らのなかでしっかりつなぎあわされていると感じるからこそこちらは共感するのである。あの美学的で隙間の多いファンキー・ソウルはたしかにプリンスの手つきだが、劣化したプリンスではなくてまるで別物だ。
"スウェア"を聴くとよくわかる。"スウェア"のイントロ、まばゆくけむたげなシンセのフックが素晴らしい。切なく、みずみずしく、典雅だ。この冒頭に限って聴かれる独特のリヴァーブ感とこもったような音処理には、チルウェイヴに通じる感覚があり、じつにいまらしいと感じる。インターネット時代の無限にアーカイヴィングされた情報空間にばらばらに放り出された我々の、それぞれのありかたを静かにつつみ、祝福するかようなぬくもりがある。インクがプリンスのかわりにならないように、プリンスもまたインクのかわりにはならない。個人的な感覚から言えば、本当のプリンスや本当の80年代などどちらでもよいのである。むしろ、その「本当」が実装されていないプリンスであったり80年代だったりするからこそ後続世代にとってオルタナティヴに機能するのだ。
あまりにシンプルなリフだが、"スウェア"ではその単音の音符と音符のあいだに、そして頼りなげな後打ちのビートの隙間に、レコードが回転していく時間をはっきりと感じることができるだろう。彼らには時間と間合いへの審美的なセンスも備わっている。それはこれまでも止まることなく進んできた時間であり、しかしスイッチを切れば無惨に止まってしまう再生音楽の時間でもある。回転するレコード盤の上にホログラムのように像を結んだ、よるべない音たち。そのようなよるべなさがインクのか細い、モノクロームで撮影された肢体からも漂ってくる。もともとセッション・ミュージシャンとしてスタジオからキャリアをスタートさせたという兄弟は生演奏にもこだわっていて、"ハート・クライムス"も"ミリオネアズ"も、艶やかなピアノやサックスのあしらい方が聴き所のひとつである。だがそれ以上にこうした時間感覚が、彼らをライヴ演奏に向かわせるのかもしれない。さまざまな点から見て、現在を生きて感受するものへのレスポンスがしっかりとあるユニットだと思う。
日本には2、3万人ほど、盆休みよりも7月最終週の週末に休みを必死で取る人種がいる。彼らにとって、いや僕たちにとって苗場は故郷のようなもので、日本で最大級の野外フェスティヴァルであるフジロックフェスティヴァルが開かれるその週末は、ほぼ必ずそこに「帰省する」ことになっているのだ。
僕が初めてフジロックに参加したのは2003年のことで、当時18歳の僕は大阪から12時間ほどかけて青春18切符で苗場にひとりで行った。僕なりにいろいろと調べて行ったつもりだったのだけれど、それでも認識が甘かった。眼鏡が吹っ飛んで壊れ、姉のスペイン土産だった腕時計も吹っ飛んで壊れ、両足靴擦れで流血し、ペース配分もよく分からないまま初日から雨に打たれまくり3日目の昼間には草むらで気絶していた。で......アンダーワールドとビョークを、それはたくさんの人がいる山の中で興奮して叫んで踊りながら観た。いい大人が心の底から楽しんでいる、開放されている姿をひたすら見続けた。こんな場所がこの日本にあることが10代の自分には衝撃的で、それからは絶対にここに毎年戻ってこようと誓ったのだった。
以来、毎年欠かさず僕はフジに参加している。大学生の時はテスト期間と重なっていたから、夜行で大阪まで帰って来て大学の水道で頭を洗っていた。前夜祭で踊る苗場音頭は、確実に上達していると思う。いったい何本のライヴを観たことだろう。
しかし慣れというのは恐ろしいもので、特にここ数年フジロックに大きな驚きを覚えなくなっている自分を発見しつつある。雨が降ってもそれに十分対応できる装備もあるし、ご飯は何が美味しいのか知っているからほとんど毎年同じメニューになってきている。体力の配分も掴んでいるし、テントを立てる場所も大体決まっていて、いつも利用している風呂屋の割引券まで持っている......。はじめの興奮があまりに大きかったために、なんだかもったいないことをしているような気がするのである。無理せず快適に、だらだらと......それでいいのか俺は? とふと思うときがある。18歳の僕がいまの僕のフジでのだらだらした過ごし方を見たならば、きっと文句を言うだろう。
思うにこれは僕だけでなく、ここ数年のリピーターだらけの、そして年齢層が高めになりつつあるフジロック全体に言えることではないだろうか。オーディエンスのほとんどは野外フェスティヴァルでの過ごし方を熟知していて、無理なくそれぞれの楽しみ方をしている。その光景は気持ちのいいものだが、まったく個人的にはそろそろ新しい驚きがあっていいようにも思える。
とはいえ、それは日本のフェス文化が成熟した証でもある。僕自身、フジぐらいでしか会えない知人や友人もずいぶん増えたから、彼らと会って酒を飲んだり近況を聞いたり音楽の話をしたりできるだけでも、充実した過ごし方をしていると言える。1年に3日間だけ出現する音楽好きの村のようなものだと思えばいいのだろう。子連れの姿がここ数年特に目立っているが、子どもたちが山で遊んでいるのを見ていると、あたかも親戚のようにその成長が楽しみになってくる。フジロックは日本では有数の、一種のコミュニティのようなフェスティヴァルだ。いまでは、それこそが最大の魅力だろう。

今年も基本的にそんな感じだった。ざっと見る感じほとんどのオーディエンスは慣れた様子だったからリピーターだったろうし、雨と泥にもレインコートと長靴で難なく対応していた。初対面でも機会があれば話したりもするし、酔っ払いも多い。いい大人たちの開放的な姿、それは毎年変わることはない。
ただし、今年は震災があってNGO団体からのメッセージは震災復興と脱原発が主であった。国内外問わずアーティストからのメッセージもあった。たくさんの人びとが集まる場でいまいちど我々が直面していることを共有するのは価値のあることだと思う。
今年で9回目の参加となる僕は、輪をかけてだらだらしていた。いつもなら暑さのせいでテント生活では8時には嫌でも目が覚めるのだけど、天候が優れなかった今年は連日11時ぐらいまでは寝ていた。1日目深夜は一児の父の33歳の友人の「5時からシステム7を観ようぜ!」との誘いを無視して3時過ぎには寝たし、2日目深夜は「朝まで酔っ払って踊りたい」と言う同い年の友人をほったらかして寝た。33歳は泥だらけのオレンジコートで深夜に筋金入りのパーティ・ピープルときつい雨に打たれながら踊ったらしく、26歳は酔っ払ってその辺で寝潰れて救護のひとに思い切りビンタされて起こされたらしい。あー、僕よりフジを満喫しているなあー、と思ったが、まあ僕はテントでぐっすり寝て快適だった。
彼らに比べれば僕は真面目に昼ごろからライヴを観ているほうなので、アクトについては書き出すとキリがないけれど、やはり印象に残ったものについては書いておきたい。
初日は雨がしとしとと降り続けていたが、グリフ・リースの人柄が滲み出たサイケ・ロックの温かさとロン・セクスミスの深い歌声に嬉しくなって大して気にならなかった。それに、アークティック・モンキーズの堂々たる成長にも目を剥いた。たしか数年前に観たライヴではもっと照れがあったというか、アレックス・ターナーがもっと少年ぽかったはずだ。が、ずいぶん精悍にスターらしい佇まいになっていて、あの甘い声とドライヴィンなロックンロールを真正面から鳴らしていた。CSSの超元気なライヴを観てゲラゲラ笑った後には、ウォッシュト・アウトの大人気ぶりに驚かされた。5人編成のバンドのライヴは音源のフワフワ感よりも圧倒的にアグレッシヴでその分大いに盛り上がっていたが、どこか拙さを残したもので......やっぱり僕はそこが気になって乗り切れなかったが、チルウェイヴの日本での人気の高さは分かった。続くSBTRKTは丁寧にもマスクをつけて現れ、マッシヴなビートと複雑なエレクトロニクスをあくまで洗練された手つきで鳴らして、しかも生ドラムとサンファの生のヴォーカルでソウルフルにダイナミックにフロアを揺らしていて、こちらは僕も踊りまくったのだった。フォー・テットはこの前の単独のライヴの時よりもフロアライクだったように思うのだけれど、このとき僕は酔っ払った外国人グループに絡まれてぬるいビールを飲まされていたので記憶が曖昧である。友人と「良かったなー、良かった良かった」と言っていたのは覚えているのでたぶん良かったのだろう。XXのジェイミーのDJも途中まで観ていて「おーかっこいい」と思った気がするのだけれど......。

2日目は昼過ぎまでぐだぐだしていたけど、ちゃんと観たバトルスは春に観たときよりもかなりまとまっていた。ドラムのジョンはセクシーだし。でもタイヨンダイがいない"アトラス"はちょうどひとり分パートが簡略化されていて、それはちょっと寂しかった。夏野菜カレーを食べながら観たトッド・ラングレンは相当良かった。マイクスタンドを持ってポーズを決めたり、謎の踊りを披露したりと機嫌良く、声もかなり出ていたし、何よりその洒脱で甘い歌はいまこそ再評価されているのも十分頷けるものだった。ラングレンを泣く泣く途中で切り上げて観た、マーク・リーボウと偽キューバ人たちの情熱的な演奏も素晴らしかった。そして泥を長靴で踏みしめて踊りまくったコンゴトロニクスvsロッカーズ、アフロ・ポップとロックがごちゃ混ぜになったそのパワフルさが最高だった......こういうのはまさにフジならではだ。祭には打楽器が一番だ。

3日目はハンバーガーを食べながら観たトクマルシューゴのギターのテクニックとバンドのアンサンブルの掌握ぶりに感服するところからはじまった。そしてビーチ・ハウス、これが予想以上に素晴らしかった。正直、もっとぼんやりしたライヴを想像していたのだけれど、バンドの最大の魅力、すなわちヴィクトリアの中性的な声が魅力的に響くように音のバランスが熟慮されているように感じた。ヴィクトリアが髪を振り乱しながらあの甘いメロディを歌えば、もう完全にあの『ティーン・ドリーム』の世界だ。溶けた。モグワイの轟音にいつもながら歓声を上げ、ケイクの相変わらずの哀愁とエンターテイメントを楽しんだ。しかし僕にとって、今年は何と言ってもウィルコだった。カントリーが背負う歴史の重みに新しい音を切り拓こうとする実験を乗せ、ときにパワー・ポップやアーシーなロックまでを行き来する音楽性の幅。そしてジェフ・トゥウィーディーがややかすれた声で柔らかいメロディを歌う。グレン・コッチェの多彩な音を叩くドラム! "ジーザス、エトセトラ"のブリッジのオーディエンスの合唱は、昨年の単独公演のときよりも、より熱を感じるものだった。
僕らの愛/僕らの愛/僕らにあるのはその愛だけ
僕らの愛/神の財産はその愛だけ/誰もが燃え上がる太陽
ああそうか......と僕は思った。フェスティヴァルはオーディエンスのもので、音楽はそこに集まった人びとでたしかにシェアされる。それは実際にそこに集まり、体験しなければ実感できないものだ。その美しい夜を感じるために、僕はやはり来年もあの場所に帰ることだろう。

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ザ・スリッツのライヴを見たときに、アリ・アップをのぞいて、ステージでとくに目立っていたのがキーボードを弾いてバックキング・ヴォーカルを担当していたホリー・クックだった。メンバーのなかで、ひとりだけアフリカ系の血を引いているというのもあったが、レゲエのリズムに乗ってぴゅんぴょん跳ねながら歌っている姿は、彼女がポール・クックの娘だと知らなくても自然に目に入っくる。ステージ映えのするチャーミングな女性だなーと思った。
ポール・クックというのは、いちおう説明しておくと、セックス・ピストルズのドラマーだった男である。スティーヴ・ジョーンズとともにバンドの最初の核となったひとりで、あれだけのメンバーに囲まれながら、ある意味ではもっとも安定した性格の男かもしれない。そしてその娘は、アリ・アップに新星ザ・スリッツのセカンド・シンガーとしてスカウトされ、その才能を開花させた......そう言える彼女のデビュー・アルバムだ。
ロックステディ時代の偉大なシンガー、フィリス・ディロンやラヴァーズ・レゲエの女王、ジャネット・ケイのようなアルバムを作りたかったという話だが、基本はその通りのラヴリーな作品となっている。僕はレコード店でわずか数秒試聴しただけで買うことを決めた。ジャケも良いしね。
バックの演奏も、調べてみるとロンドンのアンダーグラウンド・レゲエの力のあるジャマイカ系のミュージシャンで固めているようだ。驚いたことに、1曲ではベテランのスタイル・スコット(クリエイション・レベル~ダブ・シンジケート/ルーツ・ラディックス)が叩き、1曲ではデニス・ボーヴェル(UKダブの父親)がベースを弾いている!
ザ・スリッツの最後の作品となった『トラップト・アニマル』に収録されたラヴァーズ・ナンバーの"クライ"は、彼女の曲だったということも今回知った。このアルバムにはその別ヴァージョン(ディスコ・ミックス)が収録されている。トースティングをフィーチャーしたダブ・ヴァージョンで、間違いなくアルバムのなかのベスト・トラックである。シングル・カットした"イッツ・ソー・ディフィレント"も良い曲だ。フィリス・ディロン調の甘ったるい歌だが、トラックは引き締まったワンドロップ・ビートだ。
ホリー・クックは、声が良い。ちょっとアリ・アップっぽい歌い方をしているが、クセがなく、柔らかい声をしている。イアン・ブラウンの曲でも歌ったり、再結成したビッグ・オーディオ・ダイナマイトでも歌っているというが、このデビュー・アルバムによって彼女はもう、主役座をモノにしたのではないだろうか。新しくはないが、何回でも聴きたくアルバムだ(なにせフィリス・ディロンだから)。悪いことは言わないので、夏が終わる前に聴いたほうが良いですよ。
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サブトラクト(SBTRKT)=「引き算」という名義の意味は、以下のインタヴューを読んでいただければわかるように、匿名性にある。作者のキャラや自意識の物語としての作品ではなく、ただそこに鳴っている、聴かれることによって成立する音楽そのものが大切なのだ......という、まさに20年前のDJカルチャーの理念を彼は再度提唱しているわけだ。「素顔」を出さないこと、匿名性にこだわることは、20年前はすごく重要だった。それは「顔」で音楽を売ろうとするロック文化へのDJカルチャーからの批判だった。しかしそうした態度も、いつしか形骸化したのも事実だ。
が、ダブステップの時代では、その匿名の美徳がふたたび持ち上がっている。ブリアルはマーキュリー・プライズの候補になるまで素顔を明かさなかったし、コード9やゾンビーはいまでも顔を見せない。ジェームス・ブレイクでさえも、ジャケでは微妙に素顔をボカしている。そしてサブトラクトは、素顔を隠すためにアフリカの部族のマスクを被っている......まあ、かえって目立つようにも思うのだが......。
サブトラクトはつい先日、待望のファースト・アルバム『サブトラクト』を発表したばかりだ。彼の音楽は、2ステップ、ハウス、テクノ、ジャングルなどが折衷されたモダンなダンス・ビートとソウル・ヴォーカルに特徴づけられる。実にセンスがある人で、ベース・ミュージックの格好いいフックを巧妙に取り入れながら、ブリブリのベースを好む低音愛好家でなくてもアプローチしやすい流暢なダンス・ミュージックを作っている。本サイトでも長らく注目していたひとりだが、そのグルーヴィーな音楽は、先日のフジロックでもずいぶんと好評だったようだ。
なぜアーティストが自分の人生や生い立ちを語るのか、いつも不思議に思っていた。できあがる音楽にそれは関係ない。個人的には、自分のビートで作り出そうとしてる想像の世界の話のほうが年齢や出身地を話すより面白い。
■あなたの音楽からは、ソウルやジャズ、アフロ、ヒップホップ、デトロイト・テクノ、ドラムンベース、あるいはディープ・ハウスなど多くの影響を感じるのですが、プロダクションはどうやって学んだのですか?
サブトラクト:オタク的な答えがいいかなー。それとも......(笑)。僕の場合はただ多くのレコードを聴いたり、DJすることからきてるね。10か11歳くらいのころからいろんなジャンルのレコードを集めだして、だんだんUKハウス、ヒップホップ、R&B、UKガラージのように広がっていったんだ。初めのうちはただ好きなアーティストをコピーすることから始めた。ゴールディーとか尊敬するアーティストの技術をだんだん学んでいくうちに、そのなかでも好きな部分のエッセンスを捉えて音を再現できるようになって、それに自分のオリジナリティを組み合わせて自分流の曲を作ったんだ。
■ジャズやソウルといった音楽を背景に持つあなたが、どうしてダブステップやポスト・ダブステップのシーンと繋がったのか興味があるんですけど。どうしてですか?
サブトラクト:もともとエレクトロは自分のなかでもっとも重要な音楽のひとつなんだ。実際は昔からエレクトロの曲を作ってはいたんだけど、リリースしていなかっただけだよ。自分でも楽器を演奏するから、そういうことをやりたかった時期だったってだけで、いままたエレクトロに戻りたくなったんだ。
僕にとってダブステップは最小限の要素を含んだダンス/クラブ・ミュージックで、そこに音を足すことで方向を決めていけるものなんだ。自由が利くスペースがいっぱいあって、いろんなコンテキストも試せるしね、例えばUKガラージのように変貌することもあれば、テクノの要素を加えるだけでまったく別物にもなる。新しい音楽を作る上でアプローチが豊富に試せるのがダブステップなんだ。
■SBTRKTを名乗った理由を教えてください。
サブトラクト:SBTRKTって名前は、もともと自分で音楽を説明しなくても良いようにっていうアイデアのもとにつけたんだ。音楽が良ければ人はそれを聴いてくれる。なぜアーティストが自分の人生や生い立ちを語るのか、いつも不思議に思っていた。できあがる音楽にそれは関係ない。個人的には、自分のビートで作り出そうとしてる想像の世界の話のほうが年齢や出身地を話すより面白い。要するに自分の作り出す音楽から人としての自分の取り除くという意味でサブトラクト(引き算)なんだ。それは僕がマスクを付けることにも繋がってくるし。新しいアーティストとしてのアイデンティティなんだよね。
■それでは、あなたがマスクをする理由は......?
サブトラクト:SBTRKTの名前の由来の質問の延長線上なんだけど、ただ自分の正体を明かさずに音楽を作りたかっただけだよ。SBTRKTという存在にアイデンティティを与えることもできるし、新しいリリースやDJをするたびに違ったマスクを使ったり、プロジェクトによって変化も与えられるからね。
[[SplitPage]]このアルバムを買う理由が昔の曲だったりするのはちょっとね。過去に作った曲に頼ってることになるし。それに僕には新しいアイデアがつねにあるんだから、誰も聴いたことのないようなアルバムを作って独特なものにしたかった。
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■サブトラクトはじめてから、あなたは実に精力的に作品を発表しています。2009年から2010年のあいだに実に8枚のシングルを出しているんですよね。リミックスもかなりの数手掛けてます。また、2011年に入ってからはすでに4枚も出している。この勢いはどこから出てきたんですか?
サブトラクト:わお。数えたのかい? すごいね(笑)。音楽を作るのが好きなんだよ。ライヴやDJより好きなんだ。毎日作曲するし、いろいろなアイディアが沸くからまったく飽きない。インストだったりテクノ調にしたりだとか、ヴォーカルを混ぜたりとかね、いろいろやりたくなるんだ。アルバムはただそのアイデアのうちのひとつで、これがサブトラクトって感じのものができたよ。
■アルバムには"Wildfire"、"Sanctuary"、"Pharaohs"など、スピリチュアリティをにおわせるような曲名がありますが、これらはアルバムのテーマと関係があるのでしょう?
サブトラクト:わからないな。曲ができる前にタイトルが決まってるやつもあるしまたその逆もある。ヴォーカリストが歌詞を書くんだけど、ヴォーカリストと一緒に確立していく感じかな。"Pharaohs"はちょっと説明できないな、基本的には曲を書くときに得るインスピレーションがすべてのように感じるけどね。
■歌詞について訊きたいのですが、たとえば"Trials Of The Past(過去の試練)"や"Right Thing To Do(ただしい行い)"のような曲では何を言いたいのでしょう?
サブトラクト:(きょろきょろしながら)歌詞を書いた奴がいるんだけど見当たらないなー(注:取材場所の近くにそれらの曲のフィーチャリング・ヴォーカル、サンファがいました)。
歌詞はヴォーカリストが書くんだ、彼に訊いたほうがいいね、僕が話すべきではないかも。曲を作るときはセッションを組んで、僕が楽器を弾きながらアイデアを出してヴォーカリストが歌詞を作るんだけど、作詞はいろいろなところから降って来るような感覚で書いてると思うよ。"Wildfire"のヴィデオは曲のイメージとは違ってみんな変わってるというんだよ、ただもともとこの曲は自分にとってメランコリックな印象だからそうなったんだけど、結局サブトラクトの音楽は作曲課程のインスピレーションが主体だと感じるよ。
■アルバムの題名も『SBTRKT』にした理由を教えてください。
サブトラクト:よくわかんないよ。どういう意味にも取れるし、シンプルだからかな。1曲1曲のテーマはしっかり考えてて、とくにアルバムとしてのコンセプトであったり、タイトルはそんな重要じゃないと考えているんだ。リスナーがどう解釈するかっていうところのほうが重要だと思っている。
■リトル・ドラゴンが参加した経緯を教えてください。
サブトラクト:ファンなんだ。ファースト・アルバムから彼らのオリジナリティに惹かれたし。ライヴもすごいし。本当にオリジナリティに溢れてるバンドなんだ。去年、彼らの"Never Never"のリミックスもしたし、ロンドンでライブにも参加してるから、コネクションができたっていうのもあるね。彼らとやってることは違うから面白いんだよね。ファンも好きなようだしね。
■"Look At Stars"が収録された「Step In Shadows EP」が出たあたりから日本でもあなたの新譜は入手が難しくなるほど人気が出ていました。それで「Step In Shadows EP」や「Living Like I Do」、「Soundboy Shift 」といった既発盤の収録曲をアルバムに入れなかった理由を知りたいんですが......(注:日本盤にはボーナス・トラックとして"Look At Stars"と"Living Like I Do"を収録)。
サブトラクト:さっき話したこととも似てるんだけど、僕はたくさん曲を作るから自分にとって古い曲をアルバムに入れるのは、新しいアイデアやクリエイティヴィティが失われるようで.......。それにみんながこのアルバムを買う理由が昔の曲だったりするのはちょっとね。過去に作った曲に頼ってることになるし。それに僕には新しいアイデアがつねにあるんだから、誰も聴いたことのないようなアルバムを作って独特なものにしたかったしね。これはすべてのプロジェクトに関して言えることだけど、リピートはあまりしたくないんだ。正直、人気が出ることについて考えるよりも、アーティストとしてチャレンジすることのほうが僕にとっては重要なことなんだ。
■「Laika」のような変則ビートや「2020」のようなミニマル x ガラージのようなビートもかなり好きだったので、あの路線もまたやって欲しいなと思ってるんですけど、もうああいうダンス・トラックは興味ないですか?
サブトラクト:そんなこともないよ。DJはEPやシングルを買うから、彼らが使いやすいにインストの曲をリリースするのは理にかなってると思う。ヴォーカル入りの曲をミックスするのは手間がかかるしね。アルバムではどちらかと言うと、いくつかの曲を通じてストーリー性を持たせることを重視してて、その利点としては、制限なく自分のやりたいことができるって部分だけど、EPとかだと使い手を意識して作らなきゃだめだからね。
今後もインストのダンス・トラックは作る予定だよ。ダンス音楽を作るのは好きだし、自分にとってはこれだけしか作らないとか、そういうことではないんだよね。ライヴを意識したものを作ったり、エレクトロニックやったり、レディオヘッドやビョークみたいにつねに変化してるバンドからはインスピレーションを得るよ。
■あなたが目指しているのは、モダンなフレイヴァーを持ったソウル・アルバムといったところでしようか?
サブトラクト:いや、こちらからとくにこんな風にアルバムを作ろうということは考えなかった。自分の好きなことを共有したり、新しい音を提供してリスナーに独自の解釈してもらうっていうことが重要だね。さまざまなジャンルの垣根を越えてサブトラクトの音はサブトラクトにしかだせない。言ってみればそれがテーマかな。いろんなところから影響を受けてそれをつなげていくことで、独自のアイデンティティを作り出すっていうことがメインだね。ソウルは重要な要素としてはあるけど、それが主体であることはないかな。
■最後に、あなた自身、いまのUKのベース・ミュージック・シーンをどう見ているのか教えてください。
サブトラクト:すべてのエレクトロニック・ミュージックからつねに良い曲は出てきてるね。いまはいろんな音楽が各ジャンルから派生してて多様性もあるし、誰もついていけないような、ものすごいスピードで変化してるから、とても面白い。たくさんの要素やプロダクションスタイルもある。こういったことは世界中でも起こってるんだよ。この前キャンプビスコってフェスに参加したんだけど、araabmuzikってアーティストがmp3を使ってヒップホップ・ベースの音楽をやるんだけど、ビートをライヴで再現してて、ダブステップだってテクノだってやるし、本当に素晴らしかった。そんな風に世界中のいろんなアーティストが、違ったフォーマットを使って音楽をやってることにはつねに感銘を受けるよ。プロデューサーやDJの垣根を越えてパフォーマンスの舞台に立つことは重要だと感じるね。
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GROOVEBOY
GROOVEBOY EP3
UNKNOWN / US / 2011/7/21
»COMMENT GET MUSIC
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IFEEL STUDIO
MORGENGRUSS III
INTERNATIONAL FEEL / URY / 2011/7/22
»COMMENT GET MUSIC
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去る7/22~24日の3日間、クロアチアはペトルチャネ(Petrcane)にて開催された "Soundwave Festival Croatia 2011"に参加しました。
ペトルチャネはヨーロッパでも屈指の美しさを誇るビーチのひとつで、夏フェスの舞台としても近年急速に注目を集めはじめています。今年もSkreamやBengaなどが出演した"Outlook Festival"、Derrick Carterをヘッドライナーに迎えた"Electric Elephant"、そしてFrancois KやJoe Claussellなどを擁する"Stop Making Sense"など、複数のプロモーターが設備をシェアする形で、ここでダンスミュージックにフォーカスしたフェスティヴァルを開催しています。

これがクロアチアのペトルチャネ。美しい場所です。
今年で3年目を迎えた"Soundwave Croatia"はヘッドライナーにRoots Manuva、Little Dragon、Bonoboの3組を迎え、他にもZero 7、Floating Points,、Alexander Nut、Andreya Triana、Belleruche、Fatima、Funkineven、 Illum Sphere、Keb Darge、Smerins Anti Social Clubといったアーティストたちが出演。
真夏日となった初日、フェスの最初のハイライトとなったのは新生代の歌姫、Andreya Trianaのステージでした。同日の夜にBonoboのステージを控えていたこともあり、このステージではソロとしてアコースティック・セットを披露。ループステーションを駆使して自身の歌声をビルドアップさせていく手法でオーディエンスを湧かせながらも、その芳醇な歌声はそんなギミックさえも不要なのではと思わせるほどに、圧倒的な存在感を誇っていました。
僕は当日のヘッドライナーの直前に、メインステージにて演奏しました。
今回はヴァイオリンとチェロを迎えたトリオとして出演し、11月にUKの〈Tru Thoughts〉からリリースされるフル・アルバムからの曲を中心にしたセットを披露しました。日没のタイミングだったこともあり、大勢のオーディエンスを目前に、そしてサンセットビーチを背景に演奏するという、とても贅沢な時間を過ごしました。

アンカーソングのライヴ模様です。
そして初日のヘッドライナーを務めたのはBonobo。今年の4月のロンドン公演@KOKOでも僕はサポートを務めさせてもらったのですが、その後も長期に渡ってツアーを続けていたこともあってか、リードシンガーに先述のAndreya Trianaを迎えたバンドのアンサンブルはますます強靭なものになっていました。昨年のiTunes UKの「Electronic Music Album of the year」に選出された"Black Sands"がいかに多くの人に愛されているかを物語るように、文字通りの満員御礼となったメインステージは大盛況のうちに初日の幕を下ろしました。

素晴らしい演奏をするボノボのライヴ。
その後はFloating Points & Alexander Nuts率いる〈Eglo records〉クルーによるDJセットが、まだまだ遊び足りないオーディエンスを踊らせはじめ、会場は巨大なダンスフロアへと変貌。現在ロンドンのアンダーグラウンド・シーンでもっとも注目を集めているプロデューサーのひとりであるFloating Pointsによるオールドスクールなディスコを中心としたプレイからは、ジャズとベース・ミュージックをミックスした自身の音楽性のルーツのいち部を垣間見ることができます。いっぽう、〈Eglo records〉のオーナーであり、Rinse FMのパーソナリティも務めるAlexander Nutは、ダブステップからドラムンベースまで、深夜を回った避暑地のオーディエンスの期待に応えるプレイを披露し、サイドでMC務めていたFatimaとともに、その役割をしっかりとこなしていました。

2日目も天候に恵まれ、早い時間からビーチは多くの人で賑わっていました。またフェスティヴァルの目玉のひとつでもある、船上パーティにもたくさんの人が集まり、Illum Sphere率いるマンチェスターの人気パーティ/レーベルの〈Hoya:Hoya〉、BonoboとDJ Cheebaを擁する〈Soundcrash〉、そして先述の〈Eglo records〉などのボートに人気が集中しているようでした。いっぽう、会場ではDJ Formatの新プロジェクトThe Simonsound、Laura J Martin、Lazy Habits、Riot Jazzといったアーティストたちが各ステージを湧かせていました。

ライオット・ジャズです!

盛りあがるオーディエンス。

ボート・パーティも良いですよ。
日没後の夜21時、僕は3rdステージで今度はソロとして演奏しました。すぐ隣に立っているホテルからの苦情も考慮して、ここは他のステージと比べて音も小さく、オーディエンスにとってはちょうど良い休憩スポットとして機能しているようでした。前日よりもエレクトロニックな側面を強調したセットで臨んだんですが、開演直後から前日のライヴに居合わせたオーディエンスがどんどん集まって、メインステージにもひけをとらない盛り上がりを見せました。
2日目のメインステージのヘッドライナーを務めたのは、名門〈Peacefrog〉から3作目『Ritual Union』をリリースしたばかりのLittle Dragon。ヴォーカリストのYukimi Naganoは、同じくスウェーデン出身のクラブ・ジャズ・ユニット、Koopの作品でその個性的な歌声を披露しているほか、最近ではSBTRKTやGorillazの作品にもゲストとして迎えられる等、各方面から多大な注目を集めているシンガーのひとりです。そして彼女のメインプロジェクトでもあるこのLittle Dragonは、折衷したエレクトロニックでポップな音楽性でありながら、ライヴではインプロヴィゼーションを大幅に取り入れるなど、音源とはガラッと違ったアレンジで、新作からの曲群をたくさん披露していました。そのダイナミックでパワフルな演奏はもちろんのこと、Yukimi Naganoのちょっと不思議なステージ・パフォーマンスにオーディエンスの視線が釘付けになっているのがとても印象的でした。

ユキミ・ナガノの格好いいパフォーマンス!
3日目は残念ながら雨模様になってしまい、雨脚が強まった夕方にはメインステージの出演者を屋内のステージに移動させることに。ペトルチャネの安定した天候はここでフェスティヴァルを開催する大きな要因となっているだけに、この予想外の事態にプロモーター側も対応に追われている様子でした。僕は同日の夜のフライトでロンドンに戻ることになっていたため、残念ながらRoots Manuvaによるグランドフィナーレを見届けることはできなかったのですが、それは来年まで楽しみにとっておきたいと思います。
昔の話だが、ある女友だちから相談されたことがあった。彼女はいま言い寄られている男がいると、電話口で言った。その男のことは嫌いじゃないが、とくに好きでもないと彼女は打ち明けた。僕はそれで、彼女からいろいろとその男についての情報を仕入れた。そしてその男のレコード・コレクションについて突っ込んだところ、音楽の知識が豊富な彼女に対して男のほうのそれはあまりにも貧弱だということがわかった。「レゲエのレコードの1枚も持っていないような男とはつき合うなよ」というのがその晩の僕の結論だった。彼女はその言葉にものすごく納得した様子だった。そうね、ダブとロックステディの違いも満足にわからないような男じゃねと、彼女は言った。
故トニー・ウィルソン(〈ファクトリー〉レーベルの創設者にして映画『24アワー・パーティ・ピープル』の主人公)に有名な言葉がある。「人は僕になぜマンチェスターからは良いバンドが生まれるんだ? と訊いてくる。答えは簡単だ。マンチェスターのキッズは、他のどの都市のキッズよりも良いレコード・コレクションを持っているからだ」
僕にしてみたらこの発言は、UKの音楽シーン全体を言い当てているように思える。UKには他のどの国よりも良いレコード・コレクションを持っているキッズがいる(まあ、いまはデジタルの時代なのでレコード・コレクションではないのだが、しかしよく音楽を聴いているという点では昔と変わらない)。そうした"伝統"のなかで、とりわけUSのブラック・ミュージックとジャマイカ音楽のコレクションは、UKのポップ・ミュージックにおけるはっきりとした個性となっている。もう長いあいだそうなっている。これはもう、相変わらずの話だが、USのインディ・シーンが自国のブラック・ミュージックや距離的に近いジャマイカと繋がることはそうないが、より距離のあるUKにおいては、しかしより身近にインディ・シーンに影響を与えている。ジェームス・ブレイクにあってウォッシュト・アウトにないものは、USの主流のポップスであるR&Bからの影響である。ま、そういうわけで、トドラ・Tもまた、実にUKらしい魅力を持った作り手として僕はけっこう好きなのだ(JポップにもUSのブラック・ミュージックやジャマイカ音楽から影響されたというものがあるにあるが、おおよそ彼らの音楽には野太いベースもなければ唸るようなグルーヴもない、あるいはバカぎりぎりのファンキーさもない、見事に飼い慣らされているというか......)。
トドラ・Tを特徴づけているのは何よりもまずはレゲエだ。とにかくダンスホールであり、そしてヒップホップとR&B......というとグライムのように思われるかもしれないが、トドラ・Tの音楽はつねにポップで、そして明るい。あの陰気な国にしては珍しくドライで、あの工業都市シェフィールド出身にしてはやけにアッパーで、ときに笑える。2009年にリリースされた彼のデビュー・アルバム『スカンキー・スカンキー』は、当時は「ダンスホールにおけるマイク・スキナー」と形容されたもので、昨年来日したときにそのことを本人に言ったところ「なぜそんな風に呼ばれたのかわからない」とこぼしていたが、それはもう、そのアルバムがスカンクを捲きながらゲラゲラ笑っているような、スカンキーな内容だからに決まっている。トドラ・Tの音楽の魅力とは、つまり、聴きながら1点を見つめてしまうようなものではないのだ。
そういう意味では彼がルーツ・マヌーヴァから信頼され、また今回〈ニンジャ・・チューン〉に移籍したことも必然と言える。そして......彼のような根っからのパーティ野郎が、本当に20年ぶりのパーティの季節を迎えているUKにおいて新作を出したらどんなことになるか言うに及ばずだが......とにかくここにまた、時代が作らせたダンス・ポップのアルバムが誕生したわけだ。
『ウォッチ・ミー・ダンス』が主張しているのは、どう考えてもレイヴ・カルチャーである。ルーツ・マヌーヴァが吠えているタイトル曲の"ウォッチ・ミー・ダンス"のファンキーなグルーヴ(リミックス盤ではアンディ・ウェザオールがセイバーズ時代を彷彿させるダンス・ヴァージョンを披露)、ショーラ・アマをフィーチャーした"テイク・イット・バック"の1992年スタイルのレイヴ・ポップ......あるいは"クルーズ・コントロール"のブレイクビーツ・ハウスや"バッドマン・フルー"におけるどや顔のダンスホール・スタイル......イギリスっていう国は景気が良いときにはブリット・ポップで、景気が悪くなればそれに比例するかのようにダンス・カルチャーが燃えたぎるようである。まあ、デヴィッド・キャメロン首も保守党とはいえ、なにげに大麻好きをほのめかしているし、妻は入れ墨を入れているし......、よくわからん。
僕がもっとも好きなのはあざやかな赤色のカラー・ヴァイナルで先行リリースされた、ロイシン・マーフィーが歌っている"チェリー・ピッキング"。シンプルだがブリブリと唸るベースを前面に打ち出しながらレゲエのグルーヴを応用した、実にUKらしいキャッチーなシンセ・ポップである。ミズ・ダイナマイトが歌っている2曲----ラヴァーズ・ロック調のメロウな"ハウ・ビューティフル・イット・ウッド・ビー"とルーツ・レゲエ調の"フライ"も素晴らしい。『ウォッチ・ミー・ダンス』は確実にダンスのアルバムだが、良いレコード・コレクションに基づいた、サーヴィス満点の多彩な作品である。
ところで、冒頭に書いたエピソードだが、僕の友人は、同じようなシチュエーションで「ジミヘンを知らないような男とはつき合うなよ」と言ったそうである。もちろんこいうのはある種のたとえ話で、まあ、人それぞれ言い方があるのだろうけれど、音楽とは応援するフットボール・チームの選択と違ってある程度の「a way of life」を示すものなのだ。
なお、末筆ながら、最高に格好良かったフットボーラー、松田直樹選手のご冥福を祈りたい。
アシッド・ハウスの時代にもベテランが後からそのムーヴメントに乗り込んできたことはあった。キャバレ・ヴォルテールやコイルをはじめ、ジーザス&ザ・メリーチェインのメンバーまでもがダンスのムーヴメントへとアプローチした。それからおよそ20年後の現在、ニューヨークからマシンドラムがダブステップの"その後"にアクセスしている。
2010年の夏、トラヴィス・スチュワートはマシンドラム名義でグラスゴーの〈ラッキーミー〉からシングルを出すと、同時期にベルリンの〈ホットフラッシュ〉からセパルキュア名義(プレヴィーンとのプロジェクト)でもシングルを出している。〈ラッキーミー〉といえば、ジャックス・グリーン(Jacques Greene)という、ここ最近、耳の早いベース・ミュージック・リスナーにけっこう注目されているプロデューサーのひとりを擁するレーベルだが、マシンドラムは2010年には同レーベルからアルバムも発表している。セパルキュアとしての2枚目のシングルも2011年の初頭に〈ホットフラッシュ〉からリリースしているが、10年のキャリアを持つベテランの予期せぬ登場は、ベース・ミュージックのシーンが現在それだけの多様性を持っていることの証であり、このムーヴメントがさらにまた新しいリスナーや世代を巻き込んでいくことの予兆で、実に喜ばしいことだと僕には思える。
とはいえ、10年前のマシンドラムとはIDMとヒップホップの折衷主義的なアプローチの、当時はアブストラクト・ヒップホップと呼ばれた一群の、まあ要するにプレフューズ73のフォロワーで、そしてフォロワー以上のインパクトがあったわけではない。リリース元も〈Merck〉という、フロリダにある典型的なまでの〈ワープ〉フォロワー・レーベルだった......。
しかしながら、今年〈ワープ〉からリリースされたプレフューズ73の新作と昨年〈ラッキーミー〉から発表されたマシンドラムのどちらに興味があるのかと言われれば、僕のようなリスナーは〈ラッキーミー〉を指名するんじゃないだろうか。なにせリリース元が〈ラッキーミー〉だし、もちろんプレフューズ73のフォロワーに過ぎなかった人の音楽がベース・ミュージックとの邂逅によってどのように変容したのかも興味深い。マウント・キンビーのようなイノヴェイターが拡張した"その後"にIDMの入り込む余地が大いにあるのは事実だ。そしてマシンドラムは、実際の話、彼の器用なプログラミングと豊富な知識ないしはアンビエントのセンスによって、ベース・ミュージックに集まった多くの耳に衝撃を与えたのである。
『ルーム(s)』は〈ラッキーミー〉からの『メニー・フェイシズ』 に続いて発表されるマシンドラムの新しいアルバムで、リリース元は〈プラネット・ミュー〉。いま3度目のピークを迎えているこのレーベルからのリリースと いうこともあって、そしてもちろん内容的にも、『ルーム(s)』はさらにまた多くの耳を惹きつけるであろう作品である。ダブステップのドラム・パターンに心地よくハマっているヘッズ、それからフォー・テットやゴールド・パンダのエレクトロニック・コレクションに心酔するリスナーが同じ部屋にやって来たようなアルバムで、オープニング・トラックの"She Died There"がまさにそのことを象徴する1曲だ。これはブリアル・スタイルの2ステップのビートを用いながら、しかしミニマル・ハウスのドープなムードを絡ませることでダブステップとはどこか別の方角に動かしているという、そう、ブリアルとフォー・テットの共作の路線を行きながらそれを追い越そうとするトラックである。全体的に言えば、彼が好むところの複雑なビート・プラミングを披露してはいるものの、難しい音楽というわけではない。随所に流行のR&Bサンプルを巧みに使いながら、あくまでダブステップ以降のビートを強調するアルバム で、なんというか、彼のルックスからはなかなか思い浮かばないような、バカみたいな喩えで申し訳ないけれど「イケイケ」で「ノリノリ」な作品である。
豊富なドラム・パターンを持っているトラヴィス・スチュワートだが、『ルーム(s)』では出し惜しむことなく......というか、もう手が付けられないほどに勢いに乗っている。それは、ピアノ・ループが印象的な"Come1"のように、あくまでもエレガントに、そしてメロディアスに駆け上がっていく。"Come1"に関して言えば、お世辞抜きにクラウトロック(とくにカン)の銀河にもっとも接近したダブステップだと言えるのではないだろうか。
その他方では......チョップド・ヴォイスがはしゃぎまくっている"GBYE"や躁状態のIDM系のトラック"The Statue"のような曲は、トラヴィス・スチュワートが〈プラネット・ミュー〉というレーベルに抱いている思いのようなものが具現化した曲ではないかと思えるほど、ゼロ年代前半の〈プラネット・ミュー〉を思い出してしまうのである。まあ、しかしそういう細かいことよりも、僕が主張したいのは、エレクトロニック・ミュージックはいま面白いですよ、マジに......ということなのだ。