「S」と一致するもの

Factory Floor - ele-king

 待たれていたアルバム、である。メトロノームのごときアルペジオ、モジュラーシンセのホワイト・ノイズ、ぶ厚い電子音、目眩と酩酊、機械と陶酔、終わりなきトランス状態、スロッビング・グリッスルを現代のダンスフロアで再生したかのような先行シングル「Fall Back」も良かった。この手のサウンドは、簡単なようでいて、一歩間違えるとマッチョでむさ苦しい突撃音楽になりかねないのだが、ファクトリー・フロアにはエロティシズムがある。DAFにそれがあったように。が、しかし、シングルが良すぎるとアルバムは難しくなる。我々はつねにそれ以上を望むからだが......。

 1曲目"Turn It Up"の出だしが良い。とくに音色。無機質で、人間性のかけらもなく、それでいてグルーヴがある。アルバム『ファクトリー・フロア』は、良く言えば一貫しているし、悪く言えば単調で、普通に言えば金太郎飴だ。ダンス・ミュージックで、エレクトロ・ポップで、ミニマル・テクノ。〈DFA〉というレーベルはファッション性が高くパッケージがうまい代わりに、わりと型にはまったサウンド/ヴィジュアルを志向するので、〈ブラスト・ファースト〉から出していた頃の何でもアリの奔放さがなくなってしまったのはもったいなかったが、初期の代表曲のふたつ"Lying"と" A Wooden Box"に注がれていた初期ニュー・オーダー的な、あたかも工場労働者のような、生身のドラミングと機械の反復とのせめぎ合いは活かされている。FFはアンダーワールドになったわけでもミス・キティン&ザ・ハッカーになったわけでもない。J.G.バラードのディストピア、エロティシズム、ロボット、クラフトワーク、ジョルジオ・モロダー、ベルトコンベア、在りし日のシェフィールド、残忍なバッド・トリップ......
 FFがこうしたインダストリアル・イメージの再生産に手を出すことはなさそうだが、『ファクトリー・フロア』は、いくらあちらがダンス全盛だとはいえ......というか、そういうことなのだろうけれど、あまりにも真っ正直なテクノ・ダンスフロア・アルバムだ。80年代初頭の〈ミュート〉レーベルの音を思い出させるエレクトロ・ポップな"Here Again"、ヴォーカル処理が絶妙な"How You Say"もユニークだが、トランシーでダンサブルな"Two Different Ways"と"Fall Back"がやっぱり最高なのだ。そう考えると、訳知り顔で『ガーディアン』に投稿するおっさんの言い分もわからないでもないけれど、〈Wax Trax〉あたりで満足していた連中に文句を言われるほどのがつんがつんの行進曲ではない。FFは冷たいが、しかしセクシーなのですよ。

 各自やりたいことをやりたいだけやるように、ハイ、解散。......からはじまる林間学校と言えばいいだろうか。この日の〈THREE〉には、ショウの緊張感に並んで自由な雰囲気やくつろぎやすさがあった。

 ゆるいとか締まりがないとかいうことではない。個性も属性もバラバラだけれども、ミュージシャンという制服を着ないという点では一致するような、未知数で、若く、貪欲な表現スタイルを持った面々が集まっている。そういう空気やエネルギーを浴びる場所だというふうにも思えた。到着して重い扉を開けるとバクバクドキンの可愛らしい声が絡みついてくる。ここからLOWPASSまで繋ごうというのだから、おそらく今日のイヴェントに予定調和はない。ジャンルに縛られることもないし、バラバラなファン層が乗り入れているから閉鎖性もない。快適なぼっち観覧が期待できそうだった。やる側同様、聴く側も自由解散スタンスだ。その意味ではクラブのようでもあり、ライヴ・イヴェントに独特の風通しを生んでいたと思う。

 前座のバクバクドキンは初見。ダボ着したTシャツから素足を出し、機材机の向こうで棒立ちをきめる女子二人組だ。DJフミヤが手掛けたという2010年のデビュー作はハルカリなどに比較されていたが、たとえば花澤香菜がCSSをやったらと言えばイメージしてもらえるだろうか、萌えヴォイスと聴きやすくしたバイレファンキ、ポップでキュートな音使い、詩的な飛躍の強い言葉をリフレインするさまには、ちょっと古風ではあるが、「青文字」という言葉が生まれる遥か以前から脈々とつづく、メタで知的な(もちろん無知を装う)女子ポップの一類型が感じられた。

 かなり場慣れた様子もある。ピコピコ、ザワザワ、ララララという擬音や、「改造人間になりたい」「グッピーちょうだい」という"お願い系リフレイン"を散りばめながら、まよいなくわがままでファンシーな世界を立ち上げていく。このイヴェント出演にあたっては、カタコトやLOWPASSの前座ということもあって、彼女たちなりの「ヒップホップ的な」セットリストを意識したという。筆者の前にいた当のB・ボーイたちは、ときどきちょっと小馬鹿にするような身振りで笑いあったりしていたが、あれはたぶんバカにしていたというよりも、照れていたんじゃないだろうか。カワイイ女子から発せられるカワイイ声、そして気のきいたトラック(クラウドラップ風、ネオアコ風、EDM風、さまざまな"風"がコンパクトにまとめられていた)で巧妙にコーティングされた媚態の正体を、まっすぐ見ることができなかった、というような。ということは彼女たちの勝ちかもしれない。MCでは今回のショウについて「あたしたちヒップホップの人たちじゃないから照れくさい」と感想。なるほど余裕綽々である。LOWPASSのライヴで毎度必ずキレて抗議する人がいるが(そしてこの日も鮮やかにキレていたが)、もしあの人が観ておられたなら、バクバクドキンにキレるのもよかったかもしれない。

 カワイさに敬意を表して『アイドルマスター シンデレラガールズ』に興じながら次を待っていると、下津光史は毎度のごとくふらりとステージに姿を現した。どこからかやってきてどこへともなく消えていくという風体。本物の風来坊に見える。ダテでもパロディでもなく、彼の生き方や生活がそのままこのスタイルなのだろうと感じさせる。

 「いい夜だ」と、真意のつかめない表情で夜を祝うのもいつものとおり。下津光史の歌をはじめるためには、まずいい夜が必要なのかもしれない。

 ギターが鳴って歌がはじまると、オーディエンスや場の雰囲気はなんとなく車座のようになっていく。以前〈渋谷7th FLOOR〉で観た折に、開演後オーディエンスが自然にその場に座りはじめたことがあった。そのとき、そうか、下津光史は座って囲んで聴くものなのかもと妙に納得したのを覚えている。観せているのではなくて、文字通り、聴かせているのだ。よってわれわれも体育座りをして、直に弦の軋みを聴きとり、直に言葉を受け取る、本来そういう規模の演奏なのではないか。その彼の辻説法のようなフォーク・スタイルは、四畳半の自意識や社会的抗議をリプリゼントするものというよりは、まさに辻や往来の無意識を拾う艶歌であり民衆歌のように感じられる。それに、"踊ってはいけない"や"セシウム"も、国や特定の対象へ向けたメッセージとしてだけとらえると正確さを欠く。それは生まれてきたからには生きなければいけない、生きよう、という、もっと普遍的で根源的なことを喉とコードを使って歌いきる、ふるえるようなブルーズだ。もちろんどちらがいいとかわるいとか言うのではない。下津にとっての歌や音楽がどのようなものなのか、ライヴを観るととてもよくわかるということだ。シンプルなスタイルだが、それだけ圧倒的な情報量を持っている。

 ショウを作っていくのではなくて、やったことがショウになっていく。その点では、カタコトも油断ならない存在感を放っている。

 紙版『ele-king vol.10』にも登場してもらった謎の男、ドラゴンと仲間たちが繰り広げる、何というのだろう、セッション・アドベンチャーというか(言い方ダサくてすみません)。ヘドバンを決めさせられるラップ・グループ、ラップを聞かされるサイケデリック・ファンク・バンド、何と呼んでも隔靴掻痒、めいめいのやりたいことをやりたいだけやるというようなキメラなフォームの楽曲(セッション)は、ジャンルレスというむずがゆい言葉を遠く置き去りにしていた。
 既視感のなさ、というのはそれだけでものすごく価値のあるものだと思う。よくできたものではなく、何かおもしろいものを見たいという人にはカタコトをおすすめしたい。新しい音楽があるわけではないけれども、既視感もない。見たことのないものをやる男子たちを久しぶりに見た。それは彼らに見たことのないものをやろうという意志があることを示している。

 ラップがあって、メタルがあって、ビートはファンクで、と書くとミクスチャーやラウドといった印象になってしまうが、ジャズのサンプリングなどネタも幅広く、かつ急転直下の展開でスラッシュがはじまったりハードコアになったり、ポップ・パンク調の歌やポスト・パンクやサッドコアまでがぶつ切れにはさまったりする。
 ジャンクという感覚とも違う。人力のMADというか、ラップをやりたい人、ギター・リフをギンギンにきめたい人、シンコペートしたい人、カットアップの構築にかまける人、フリースタイルを披露する人、互いの抑制や調和よりも、それを直列つなぎしたときのエネルギー量を信じるような、痛快にしてスリリングなアンサンブルだ。そうしたところに突如「まだ夏じゃない」という叙情と微量のメランコリーが忍び込んでくるところもにくい。ひとつひとつがまだ発展途上の技量であり未知数でありながら、それがきちんとかたちになっているところもいいなと思う。メンバーのそれぞれが、そのセッション冒険譚の少年主人公のようにも見えてくる。
 
 それも、友情、努力、勝利のカードをひとつずつ裏返しに伏せていくような、悪くて不気味な主人公たちだ。なにせ「夜は墓場でヒップホップ」なのだ。ドラゴンのTシャツには足の切れたいやなチキンが描かれている。福田哲丸は「みんなもっと不安になったほうがイイよ」とMC。"夜の学校"というのは曲名だっただろうか......まさに夜の学校を舞台にした、妖怪たちの宴である。なるほどこの不完全形で異形のヒップホップは、鬼太郎のように片目がなかったり、あるいはその親父のように目だけだったりする、欠損や負のエネルギーを抱えつつもどこかコミカルな妖怪たちのイメージよってしっくりと視覚化される。「俺たちがブライテスト・ホープだぜ」という謎のボースティング(?)が線香の煙のように立ち昇っていった。
 一方で「朝から晩まできみの部屋で遊んでいるよ」というような言語センスも素晴らしい。妖怪シチュエーションにも思えてくるが、繊細な語の選択と配置によって、主体の不鮮明な意図が最大限に気味悪く、かつ詩的に増幅されている。一瞬でビリっと空気を異化する、印象深いフレーズだ。
 ヒップホップのシーンにもインディ・ロックのシーンにも加わりきらない、本当にマージナルな場所から聴こえてくる音として(「マージナル」で連想されるものは、大抵がすでにマージナルな場所にはない)、奇妙な緊張感を湛えるバンドである。アルバムも期待したい。

 さて、ちょっと書きすぎてしまったのと、筆者ではこのシーンの新しい牽引者を語るのに役不足だという理由から、LOWPASSについては詳述できないけれども、彼らがスタイルという点ではこの日最も洗練された存在であり、静かな迫力があったのは間違いない。洒落たセンスのトラックに、日常会話と変わらないトーンでスキルフルなラップが乗る。「USヒップホップを貪欲に吸収」といった紹介がよくなされているけれども、なるほど輸入盤を聴くような抑揚を持つ彼らの音楽は、「ヒップホップだし言葉を聞かなきゃいけない」という筆者のような門外漢のオブセッションをするすると解いてくれる。聴いていればいいんだ、音に身を委ねていればいいんだ、という開放感は、彼らにしてみれば本意ではないかもしれないけれども、少なくとも何も知らずにただ音を楽しみにきた人間を拒まない、特筆すべき性質だと思った。
 耳をこじ開けることばかりが正解ではない。GIVVNの軽く静かなステップを眺めながら、このスマートさはジャンルを超えて散見される、若手の特徴のひとつでもあるように感じられた。押し付けないし、押し付けられない。拒絶することなく個を保つには、あるいはストイシズムにしばられることなく個を確立するには、という全方位にやわらかいぼっちのマナーが、あるいは彼らの生み出す音のなかにも吸収されているものなのかもしれない。

山崎春美 - ele-king

 その時代を美化するつもりはない。ただ、先日の九龍ジョーとのトークショーでも話したことだが、僕が中高学生だった1970年代後半の日本には、ロック・メディア(ロック評論ないしはロック作文)文化は、手短に言って、カオスとして存在していた。ソツのないモンキリ型の社会学や便利屋ライターなんぞは出るすき間がないくらいに、好むと好まざるとに関わらず、まあいろんな人たちがろくすっぽ資料など読みもせず、が、その代わりに、深沢七郎や夢野久作や坂口安吾や、ウィリアム・S・バロウズやフィリップ・K・ディック、トマス・ピンチョンやルイ=フェルディナン・セリーヌなんかを耽読しながら、内面をどこまでも切り裂いたような、好き勝手な文章を書きまくっていたのである。山崎春美は、間章を「ファナティックな文学青年」と形容しているが、僕にしてみたら、山崎春美こそが「ファナティックな文学青年」がひしめく70年代後半の日本にあった文学的ロック批評/言語空間におけるもっとも不吉な巨星に他ならない。たとえばラモーンズを、そう、あのラモーンズを、以下のような、モリッシーも顔負けの、胸をえぐられるような切ない日本語で意訳/変換できる人は他にいないだろう。

 冬が来て
 もう二年も居座っている
 今は、最前線の「寒さ」だ
 俺の持っていた最低の威厳までもが吸いつくされるほどに
 すべてが冷厳だ

 でもまた、
 こんな素敵な季節が外にあったか?
 彼らは言う、"唇をゆるめよう、ラクにやろう"
 ケッ、くだらない
 それが実は嘘っぱちの固まりだってことは、
 まず一番に君が知っている

 これからが本物の冷時冷分だぜ
Ramoes"Swallow My Pride"(1977)

 こういうのは、もうどう考えても一種の芸で、訳詞という仮面を被った何か別モノだ。当時の訳詞とは、海外取材などできない立場の人たちが、自分なりの言葉で欧米の音楽を紹介し、日本の文化(コンテキスト)に落とし込むためのメソッドのひとつでもあった。これを積極的に利用したのが『ロッキングオン』と『ロックマガジン』だった。こうした、正確さよりも解釈力や表現力を念頭においた独自の訳詞は、発想が不自由な人がやるとひとりよがりの自慰行為に終わるのだけれど、文学的なセンスを持っている人にかかるとそれ自体がひとつの作品となる。

 小6で洋楽に目覚めた僕は、『ミュージック・ライフ』という白人さんが大好きなミーハーなロック雑誌を定期購読していたのだが、中1の後半に"シーナはパンク・ロッカー"や"ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン"にがつんとやられ、出てきたばかりのパンク・ロックなるものに心奪われてしまったお陰で、後にも先にも唯一雑誌のバックナンバーの取り寄せなる行為を『ZOO』というファンジンみたいな雑誌で早まってしまい、そして、同じようにまだファンジンみたいだった『ロッキングオン』から『音楽専化』、まだまだヒッピー臭かった『宝島』からプログレ雑誌時代の『フールズメイト』までをと、買ったり借りたり立ち読みしながら読みあさっていた。アメリカの西海岸文化が清潔感溢れる『ポパイ』となったように、『宝島』もぴかぴかのニューウェイヴ雑誌となり、『ロッキングオン』が商業誌として確立する、少し前の時代のことだ。
 それはもう14歳~17歳あたりの子供にしてみたら、親の目を盗んで見るエロ本よりスリリングだった。僕の中学の3年間は、『ニュー・ミュージック・マガジン』以外の音楽誌ほぼすべてを読んでいたと言っていい。阿木譲の『ロックマガジン』だけは静岡に売っていなかったので読みたくても読めなかったのだが、高校時代、知り合いが『ロックマガジン』と『モルグ』を見せてくれたことがあった。僕が文筆家としての山崎春美の名前を確実に覚えたのは、そのとき初めて手にした『ロックマガジン』に載ったラモーンズの"ナウ・アイ・ウォナ・ビー・ア・グッドボーイ"の訳詞による。表紙は忘れたが、山崎春美の強烈な言葉だけはいまでも憶えている......つもりでいる。それが果たしてどんな言葉だったのか、九龍とのトークショーでは調子こいて記憶起こしで朗読までしてしまったわけだが、後から記憶違いだったらどうしようと不安になったので、ここでは止める。

 先にも書いたように、1980年になるとロック/サブカル雑誌文化は経済的な自立を果たそうとする。ケオティックな言語空間と言えば聞こえはいいが、一歩間違えれば文学かぶれのアマチュアリズムとも言えるわけで、「マリファナ論争」をやっていた『宝島』が郷ひろみを表紙にツバキハウスを紹介するようになるのも、それが時代の要請でもあり、おそらく当事者の目標でもあり、サブカル・メディア業界の流れでもあったのだろうと僕は受け止めている。とはいえ、レーガノミクス、サッチャーリズム(そして中曽根)の時代だ。世のなか効率と経済が第一ですよとなれば、70年代後半の日本のロック批評/言語空間という、効率とも経済とも縁のなさそうな、カオスのなかのもっとも純度の高いカオスたる山崎春美の居場所をどこに探せばいいのだろう、世渡りを拒み、かつてラモーンズをラモーンズ以上の想像力で受け止めてしまった血まみれの若者はどこに行けば良かったのだろう。『ロックマガジン』と決別し、間章を敬愛を込めてデブメガネと呼び、『ロッキングオン』をコケにして、工作舎をしれっと離れ、そして彼は赤裸々にもこう書いている。「僕はいつでも、情況の中で沸騰する泡のように、消えたり現れたりしていたかった。けれど、オカシナ疎外者意識を軸にした共同幻想か、デッチアゲとすぐにわかるそれ以外に情況らしきものはなかった」(1980年)

 本書『天國のをりものが』は山崎春美の初の著作集である。『ロックマガジン』時代の文章から最近のものまで載っているが、多くは70年代末~70年代の余韻の残る80年代初頭に書かれている。再録されているほとんどの原稿は、著者が10代から20代前半に書いたものだということを知れば、その早熟さに驚くかもしれない。数々の「訳詞」は、各章の扉にある。そして、紙エレキングに載った三田格の発言への反論もある(こんなところにまで......、さすがミタカク!)。
 70年代のロック・サブカル雑誌文化および批評/言語空間は、60年代への意識的なカウンターとしてはじまっている。パンクもまた60年代への弁証法的反論だったことがいまでこそわかるが、当時の山崎春美はパンクに「分裂的、非体系的、反ヒエラルキーの思想」を見ている。彼のこうしたある種のアナキズム(ないしは虚無)は、文章だけではなく、ガセネタやタコでの音楽活動はもちろんのこと、自身も編集を務めたエロ本を扱う自販機本『Jam』、そして伝説の雑誌『HEAVEN』の編集にも垣間見ることができる。
 本書の素晴らしい装丁を手がけている羽良多平吉は、『HEAVEN』のデザイナーでもあり、僕の世代にとってはネヴィル・ブロディやテリー・ジョーンズみたいな人たちとは比べようのないくらい憧れのデザイナーのひとり。当時は、海外雑誌の物真似デザインとは別次元の、実験精神旺盛のエディトリアル・デザイナー、あるいは伊藤桂司のようなイラストレーターがこの手の文化に関わっていたことも重要な事実である。ヴィジュアルも含めて、ロックについてのコンセプチュアルな解釈、活字文化が、ここまで自由なのだということの再発見にもなるだろう。
 また本書は、この国の音楽メディアのターニングポイントにおけるもっとも重要な軌跡でもある。アニメ雑誌『アウト』も『Jam』やら『HEAVEN』やらの、この時代のケオティックなアングラ出版文化のなかで生まれているということは僕も初めて知った。ちなみに(笑)という表現は、山崎春美の発明で、今日のメールや書き込みのwなど、制度から離れた現代の書き言葉の先駆的な試みも著者はやったと言える。
 が、そうした細かい話はさておき、あらためて何故いま山崎春美なのだろうか。80年代に経済的に自立したロック・サブカル雑誌文化は、しかし90年代に向けて70年代的な文学性を切り捨てながら、再編していく。たとえるなら、深沢七郎よりもボリス・ヴィアン、坂口安吾よりもサリンジャーという具合に。90年代後半の赤田祐一編集長時代の『クイックジャパン』が山崎春美を特集したのも、それをナキモノとする風向きへの抵抗だったのだろう。つまり、気がついたら飼い慣らされたロック・シンガーばかりの、ソツのない社会学を使った文章、便利屋ライターが500回以上も聞いたことのある言葉をさらに上塗りしているご時世だからこそ、本書『天國のをりものが』は刊行される意義がある。日本におけるポストパンクの知性がここにある、とも言える(世代的にも、著者は欧米のパンク/ポストパンクの人たちと重なる)。

 僕個人が70年代後半の、山崎春美に象徴されるようなロックの言語をどのように享受して、やがていかなる考えにおいて、恐れ多くも先達の文学性とは意識的に距離を置きながら、自分自身のスタイルを自分なりに模索したかについては九龍とのトークショーで話した。それはあの場での話なので、聞いていた人はツイッターしないで下さいね。ただあのとき話したように、僕が深沢七郎を好きになったのは間違いなく山崎春美からの影響(藤枝静男と、そしてフィリップ・K・ディックもそうなんですね、きっと......)。それだけでも僕は著者に感謝しているし、山崎春美がいなかったら......と気づかされることは少なくない。だいだいこんなに長く書いてしまうなんて、やはり思い入れがあるんだなあと自分でもびっくり。
 以上、敬称略でした。

Budhaditya Chattopadhyay - ele-king

 世界の音を採取=録音する。編集=エディットする。音響的持続を構成=コンポジションする。レコーディング、エディット、コンポジション。だがそれらの真の差異はそれほど明快ではない。録音したときに、音は世界から切り離され、いわば最初の「編集」がなされているのだから。
 フィールドレコーディング作品はそのような明快さ/曖昧さのあいだに存在し、聴き手の聴覚の遠近法と思考のパースぺクティヴにゆさぶりをかけていく。たとえば、〈タッチ〉からリリースされているクリス・ワトソンの作品は、高品質・高機能なマイクロフォンで録音され、ステレオという構造にトランスフォームされていくことによって、未知の音が立ちあがっていく。録音と編集の境界線が揺らぎながら、しかし確実に世界の音が、「ありのままの生の音」とは違う「録音と編集による音響空間」の領域へと達するのだ。
 多くのフィールドレコーディング作品をリリースしている〈グルーンレコーダー〉から発表されたブッダディティヤ・チャトパディヤイ『アイ・コンタクト・ウィズ・ザ・シティ』もまた環境録音と聴取の遠近法の操作という側面で重要な達成に至っている作品である。この作品、もともとはアルスエレクトロニカで受賞をした映像と音響のインスタレーション作品だという。本アルバムは、そのインドのバンガロールで採取・録音されたサウンド部分をCD一枚に収録したものだ。それは完全に音響作品として成立しているようにも思えた。何故だろうか。
 それは全編(本アルバムは55分55秒の1トラックである)にわたって緻密に編集がなされている点である。CDをスタートしてしばしの沈黙の後に聴こえる車らしきものが発するクラクション。その音は何回かにわたってループしており、この時点で聴き手は本作を「生の音のフィールドレコーディング作品」ではなく、全編にエディットを施された作品であると理解するだろう。その意味で本作はサウンド・スケープ作品ともいえる。
 聴き進めていくに従い、インド・バンガロールで採取された音響の連鎖(街の雑踏や地下鉄、工事現場などかから録音されたという)は、ときに反復し、ときに持続し、ときに切断され、ときに反響・残響を付与されていくのが聴きとれるだろう。2年にわたって採取・録音・編集を重ね、作品を作り上げていったという本作の音響は、まるで「イメージのない映画」のように、耳から脳へと音の快楽とイマジネーションを生成していくだろう。
 ちなみに本作は、インドのフリーマーケットで見つけたという古いオープン・リール・テープによって録音されているという。そのため音は独特の霞んだ質感を獲得している。しかし、いわゆるローファイ的な「あえて悪い音」を愛でるフェティシズムとは全く違うものだ、ここにはコンポジションされた豊かな音響空間があるのだ。
 このアルバムの曲は"エレジー・フォー・バンガロール"と名づけられている。そう、「エレジー=哀歌」なのだ。フィールドレコーディングはざわめきの録音から遡行するように、音の発生=サウンド・スケープへと立ち戻るのだ。その音響=環境は、確かにひとつの「音楽」のように鳴り響いている。

 かつてジム・オルークが音響作家として鮮烈に登場したとき、鋭いリスナーはそこに映画からの影響を感じたものだが(たとえば、1993年の『Rules Of Reduction』など)、このインドの音響作家を、映画、それもポスト・ゴダール的な音響作家として位置づけ、聴取することは可能かもしれない。わたしには本作冒頭の控えめなクラクション音のループが、ジャン=リュック・ゴダールの『新ドイツ零年』(1991)冒頭の鮮烈なサイレン音のような見事な「はじまり」(と同時に「終わり」を?)を告げているように思えてならないのである。

プレイズ・ノイ!&ハルモニア - ele-king

 今年でなければ、今年だからこその公演のひとつがはじまろうとしている。クラフトワーク、ラ・デュッセルドルフ、ハルモニア......それぞれの名がそのまま音楽史上の重要な契機であるようなバンドを渡ってきた、クラウトロックの生き証人のひとり、ミヒャエル・ローターを目撃せよ! ゲストにはハンス・ランペ! そしていよいよ来週から!

Michael Rother presents the music of NEU! and Harmonia plus selected solo works
special guest: Hans Lampe (La Dusseldorf)

■大阪公演
9.11 WED @ 東心斎橋 CONPASS
OPEN: 19:00 START 20:00
¥5000 (前売り), ¥5500 (当日) 共に別途ドリンク代
TICKETS: チケットぴあ (P: 209-530), ローソンチケット (L: 54309), e+ (eplus.jp) and CONPASS
INFO: 06-6243-1666 (CONPASS) https://conpass.jp/

■東京公演
代官山 UNIT 9TH ANNIVERSARY
9.12 THU @ 代官山 UNIT
OPEN: 19:00 START 20:00
¥5500 (前売り), ¥6000 (当日) 共に別途ドリンク代
TICKETS: チケットぴあ (P: 208-749), ローソンチケット (L: 70514), e+ (eplus.jp)
INFO: 03-5459-8630 (UNIT) https://www.unit-tokyo.com/

■Michael Rother(ミヒャエル・ローター)
言わずと知れたジャーマン・エレクトロニック・ミュージックの巨頭クラフトワークの初期メンバーであり、その際に出会ったドラマー、クラウス・ディンガーとともに伝説のジャーマン・ロック・バンド、ノイ!(NEU!)を1971年に結成。ハンマー・ビートと呼ばれた機械的な8ビートを大胆に導入して注目され、その後のパンク~ニュー・ウェイヴに絶大な影響を与えた。彼等の代表曲"Hallogallo"収録したファースト・アルバム『NEU!』は、永遠のマスターピースとしてデヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、イギー・ポップ、ディーヴォ、ジョイ・ディヴィジョン、PiLのジョン・ライドン、ソニック・ユース、ステレオラブ、ボアダムス、U2、オウテカ、レディオヘッド、プライマル・スクリームなど数多の有名ミュージシャンから傑作として評価されている。1973年に発表されたセカンド・アルバム『NEU! 2』では、当時まだ先駆的な手法であったリミックスを大胆に試み物議を醸した。ミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーの音楽的方向性の違いから、サード・アルバム『NEU! 75』を最後にノイ!は解散した。この『NEU! 75』に参加したドラマーであり、後にクラウス・ディンガーを中心に結成されたラ・デュッセルドルフのドラマーであり、70~80年代のドイツを代表するプロデューサー/サウンド・エンジニア、コニー・プランクのアシスタントであったのが、今回のジャパン・ツアーにスペシャル・ゲストとして参加するハンス・ランペである。ノイ!解散後のミヒャエル・ローターは、クラスター(ディーター・メビウスとハンス・ヨアヒム・ローデリウス)の2人と後にブライアン・イーノも合流した、ハルモニア(Harmonia)を結成。ジャーマン・エレクトロニック・ミュージックの最高峰として、エイフェックス・ツインを筆頭に後のテクノ~エレクトロニカ世代に多大な影響を与えた。ハルモニア以降はソロ活動を活発化させ、数多くのソロ・アルバムをリリースしている。2010年にはスティーヴ・シェリー(ソニック・ユース)とアーロン・マラン(Tall Firs)とHallogallo 2010を結成、世界各国で積極的なツアーを敢行した。2012年からベルリンの若手バンド、カメラをバックに従えてヨーロッパ各国でプレイしている。


Cuushe - ele-king

 とにかく可愛らしいアートワーク......、このイラストだけでも相当にヒキがあると思われる。クーシーが日本人女性だという以外のこと、たとえば彼女がどこに住んでいて何歳ぐらいの方なのか僕は知らない。僕が知っているのは、昨年、彼女は8センチCD3枚組の素晴らしい作品を出して、そこにはジュリア・ホルターとモーション・シックネス・オブ・タイム・トラヴェル(Motion Sickness Of Time Travel)がリミキサーとして参加していたこと。海外には、彼女のファンが多いこと。まあ、日本人女性は、基本的に海外で人気がある。
 『バタフライ・ケース』は、ツイン・シスターの洒落たエーテル系ラウンジを彷彿させる。ギターがきゃんきゃん鳴っているわけではない。もっとエレクトロニカ寄りで、アンビエント/ダウンテンポの柔らかい、生ぬるい、心地よい、力が抜けていく感覚が全体を貫いている。
 この手のサウンドを語る上で、いまでもコクトー・ツインズが持ち出されることが多々あるが、そんな重荷は感じない。コクトー・ツインズにはジョイ・ディヴィジョンの亡霊、暗い時代の暗い青春があったが、いまはもうそんなものはない。メロディアスだが、歌は何を歌っているのかさっぱりわからない。ある意味これほどまでに何も言っていないところがすごいとういか、ふわーーーーーーっとして、ぼーーーーーっとしている。彼女の、そんなところが世界的な共感を呼んでいるのだと思う。暗い時代だからこそ、ふわーーーーーーっとして、ぼーーーーーっとしているのだ。がんばれ、がんばれっていうほうがつらく、この夏の空のように空しい。『バタフライ・ケース』の脱力感は、しかしがんばれがんばれの日本では、やっぱ浮いてしまうのかな。

 東京の〈flau〉は日本的線の細さ、潔癖さを前向きに展開しているレーベルで、エレクトロニカ、アンビエント、エーテル系フォークなんかを得意にしている。クーシーの『バタフライ・ケース』と同時に、レーベルのコンピレーション『FOUNDLAND』もリリースされた。コンピといっても、これはレーベルが原宿の〈VACANT〉で企画していたライヴ・イヴェントを録音したもの。最近デビュー・アルバムを発表したばかりのYOK、ベテランのテニスコーツ、中堅どころのPoPoyans、ブリストルのRachael Dadd、レーベルの看板のひとりMayMay、すでに人気のあるPredawn他、惑星のかぞえかた、AOKI,hayato、ASPIDISTRAFLY、扇谷一穂 、カラトユカリ、加藤りまといった女性シンガーの曲が計12曲収録されている。
 青葉市子や平賀さち枝といった人たちに続くような、フォーク路線の人もいるにはいるが、それとは別の、ヴァシティ・バニヤンというか、いやむしろトレイシー・ソーンのソロ・アルバムをちょっと彷彿させるような、アコースティックに走った〈チェリー・レッド〉的な、ある種ネオアコ・リヴァイヴァルと言ってもいいのではないでしょうかと思える人たちもちらほら。グルーパー以降を感じさせる人もいる。何にせよ、静かで、新しい鼓動を感じる好コンピレーション。

Chikashi Ishizuka (Nice&Slow) - ele-king

自身のレーベル、Nice & Slow より
Chikashi Ishizuka - Step Forward / Boogie Man
リリースされました。

www.chikashi.ishizuka@facebook.com

can you feel it 2013/08/09


1
George Duke - Feel - Mps

2
Chateau Flight - La Pregunta - Permanent Vacation

3
Pacific Horizons - Witches Of Castaneda - Pacipic Horizon

4
Claudio Passivanti - Fantasy - Sunlight

5
Mat Anthony - Lune Afrique - Aficionado

6
Finis Africae - Last Discovery - Em

7
Michael Booth Man - Waiting For Your Love - Invisible Touch

8
Manu Dibango - Kusini - Lpk

9
Missa Luba - Les Troubadours Du Roi Baudouin - Philips

10
Chikashi Ishizuka - Boogie Man - Nice&Slow

Detroit Report - ele-king

 廃墟、破綻、暴動、モーター・シティ。デトロイトと聞いてテクノ以外に対となる言葉はこんなとこだろう。愛、暖かい光、力強さ。そしてその間にある荒廃。眩しいぐらい前進する言葉が並ぶが、わたしが見たデトロイトは、まさにそれだった。乱反射する輝きに、荒廃する街は少し滲んで見えた。
 「デトロイト市財政破綻」のニュースが流れた直後の、7月31日から8月5日までのあいだデトロイトに滞在した。そんなにすぐに街に何か変化が出るわけではないとわかってはいたが、わたしは少々ナイーヴな時間を成田からデトロイトに到着するまでのあいだ過ごした。到着後、滞在予定のモーテルに向かう車内から外を眺めていると、瞬きをするように目に廃墟が飛び込んでくる。生気がなくなっている街には夏が似合わないな、と思いながら車に揺られた。しかし、この日からの毎日は報道されている「危険な街デトロイト」とはほど遠いものだった。
 水面が輝くデトロイト・リヴァー沿いを家族連れが散歩し、対岸に見えるカナダのウィンザーを眺めながらカップルは穏やかな休日を過ごしている。朝食を食べるダイナーは朝から賑わいを見せ、これから仕事に向かうであろう男性は隣の席に座る知らない青年に「おはよう」を投げかける。わたしはたくさんの人に抱きしめられ、「ようこそデトロイトへ!」と、そう、誇りに満ちた声で何度も歓迎を受けた。失礼かもしれないと思いつつ、わたしは出会った人たちに聞いてみた。「財政破綻で何か変わりそう?」と。「何も変わらない。ここでいつも通りの生活をするのみだよ」誰もがそう答えた。

 最終日の深夜、マイク・バンクスの案内により、この数日のあいだに感じたものと対極にあるデトロイトを見せつけられることになる。「廃墟は美しい」なんて軽い言葉は出ない、車の製造を辞め直視ができないぐらい朽ち果てたフィッシャー・ボディ社のビル。東側にある"リッチな"白人が住むエリア。ここは黒人が車で通ることさえも許されず、警察に見つかれば事情を聞かれる。黒人と白人が住む、ふたつのエリアを分ける光──。
 全体がオレンジ色に光る大きな家が並ぶエリアを通りぬけると、突然やってくる街灯はもちろん、店の明かりも何ひとつない闇の世界。輝く月さえも敵に回したようなこの闇から、あの空が明るく見えるほどの暖かい光はどんな風に見えていたのだろうか。
 4時間ほどかけた深夜のガイド・ツアーを終え、その夜に見たすべての景色を飲み込むようにマイク・バンクスは言った、「ここは素晴らしい人とたくさんの愛がある場所だ」と。それはありきたりだけど、この街には十分な言葉だった。
 綯い交ざる6日間の風景をうまく消化できないまま、数時間後には帰りの飛行機に乗り、きっとこれからもここデトロイトからたくさんの音楽が生まれ続けるのだろうと考えていた。

 さて、デトロイトのネクスト・ジェネレーションといえば、今年自身のレーベル〈Wild Outs〉からファースト・アルバム『The Boat Paty』をリリースしたカイル・ホールがいる。そのカイル・ホールとデトロイトで活動を共にしているジェイ・ダニエルは3年前にDJをはじめた。
 今回、デトロイトのBelle Isle Park で開催された「Backpack Music Festival」でジェイ・ダニエルのDJを聞くことができたが、わたしが見たデトロイトの風景とオーバーラップしたそのストーリーは、美しさと荒さが気持ち良いぐらいに混ざり合っていた。スモーキーなディープ・ハウスで空気を暖めたかと思ったら、乾いたパーカッションのみが青空の下で鳴り響いている。ときにはデトロイト・エレクトロや荒削りのシカゴ・ハウス、そしてそこに追い打ちをかけるようにトライバルなアフロリズムが投下される。縦横無人に行き来しながらも途切れないファンキーなグルーヴの力強さに、現在進行形のデトロイトを感じることができた。

 ジェイ・ダニエルとカイル・ホールはふたりで「Fundamentals」というパーティを定期的に開催している。2年程続いている、"基本"とか"根源"とかの意味をもつこのパーティでは90年代のテクノやハウスも惜しみなくプレイされる。それは客層が10代~20代の若めのパーティということもある。もちろん、この地で生まれた音楽を紹介する意味も込められている。
 ハウス・ミュージックを聴く年齢層が高いデトロイトでは、このようにキッズが集まるパーティは少ない。本来、音楽というものは外側と内側、両者からの受容を繰り返し、その土地の人びとの魂とともに生きながらえているものだ。先人が作り上げたものを次の世代にへ伝えていくという彼らの意識の高さに、デトロイト・テクノやハウスにある種の伝統芸術を見ているような気がした。

 インタヴュー当日、彼は「オススメのレコード屋があるんだ」とデトロイトの街案内もかねて連れて行ってくれた。そこはジェイ・ダニエルが以前働いていたデトロイト西側にある〈Hello Record〉。主にファンク/ジャズ/ソウルを揃えているお店だ。テクノ/ハウスのコーナーはとても少ない。
 途中、彼の友人たちも合流し、その場はアニメや映画の話で盛り上がりを見せていた。ひとり寡言なジェイ・ダニエルに友人は「彼は音楽にしか興味がないのよ」と柔らかい表情で笑った。
 そんなジェイ・ダニエルにとっての初めてのEPがセオ・パリッシュのレーベル〈Sound Signature〉から発売される。その新曲についても話してもらいました。

ジェイ・ダニエル

このデトロイトで、エレクトロニック・ミュージック・シーンを先駆してきたアーティストたちはもう少しデトロイトの音楽シーンに貢献できたんじゃないかなって僕は思うんだ。デトロイトに1ヶ月滞在しても自分たちが観たいと思っているデトロイトのDJを観ることができないことだってあるからね。

デトロイト生まれですか?

ジェイ・ダニエル(JD):ワシントンDCで生まれて、2歳のときに母親とデトロイトに移り住んだ。いま22歳。DJをはじめてから3年かな。高校はメリーランドの高校に通っていたけれど、2009年に再びデトロイトに戻ってきて、後にDJをはじめたんだ。そこから1年後、カイル・ホールに出会ってすぐに打ち解けた。デトロイトにはいいレコードもたくさんあって、いつも何か新しいものが生まれている場所なんだ。

どういう音楽に影響を受けてきましたか?

JD:僕の母親もシンガーなんだ。1993年にカール・クレイグとレコードもリリースしてるよ(なんとあの名曲、"Stars"と"Feel the Fire"で歌っているナオミ・ダニエル!)。彼女の影響は大きかったね。幼少時代にハウス・ミュージック、オルタナティヴ・ミュージックもたくさん聴いていたよ。ジャズもね。WJLBっていう、地元のジャズのラジオ番組なんだけど、それをよく聴いていたよ。いろんな音楽を聴いて育って、折衷してきたものがいま僕のサウンドに反映されているんだ。

いつからDJはじめたのですか?

JD:DJをはじめたのは2010年。それ以前にはDJソフトをラップトップのなかにインストールしていて、「DJ」はかじっていたんだ。そのあとmp3で使っていたけれど、ターンテープルを持ったのは2010年だった。

デトロイトの音楽シーンをどう思っていますか?

JD:このデトロイトで、エレクトロニック・ミュージック・シーンを先駆してきたアーティストたちはもう少しデトロイトの音楽シーンに貢献できたんじゃないかなって僕は思うんだ。デトロイトに1ヶ月滞在しても自分たちが観たいと思っているデトロイトのDJを観ることができないことだってあるからね。ビジネス的なことを考えると、海外でDJをすることが多くなるのは自然なことだとわかっているけれど、ここデトロイトには他の場所にはない音楽のルーツ、基盤が存在するんだ。その基盤をもっと呼び起こしていきたいと、カイル・ホールと僕はここでの活動に力を入れているんだ。

「バックパック・ミュージック・フェスティヴァル」で他のDJたちはCDやPCでプレイをしていたのに対して、あなたが誰よりも若いDJなのにアナログを使ってたのが印象的でした。いつもアナログですか? アナログにこだわる理由があれば教えてください。

JD:そう、いつもレコードでプレイするよ。たまにCDも使うけどね、大抵はレコードだね。ラップトップは壊れたらそれっきりだけど、レコードはレコードをなくさない限りプレイできる。より強く音楽性を感じられるし、フィジカルに音楽と触れ合えるレコードにやっぱり魅力を感じるんだ。ラップトップのテクニカルな面だったり、DJコントローラーのことを気にする必要もない。レコードでしかみつけられない曲もあるしね。アナログがなによりも一番だと僕は思うんだ。

好きなDJや影響を受けたDJは誰ですか?

JD:デリック・メイとセオ・パリッシュ、リック・ウィルハイトかな。僕をはじめ、彼らから影響を受けたDJたちはたくさんいるよ。

デリック・メイとセオ・パリッシュのDJスタイルは違いますが、どちらがあなたのDJスタイルに影響していますか?

JD:おそらく、セオ・パリッシュのほうかな。ジャズやフュージョンをDJに多く取り込んでいる彼のスタイルに影響を受けていると思う。デリック・メイはもっとテクノ色が強いDJスタイルでビッグ・オーディエンス向けだよね。DJをはじめた当初、自分のスタイルを模索していたときに言われたことは、自分のセンス、音楽性で、自らの手で作り上げてくことでDJのスタイルは確立されるということ。僕のDJスタイルはリズムなんだ。

いつもレコードでプレイするよ。たまにCDも使うけどね、大抵はレコードだね。ラップトップは壊れたらそれっきりだけど、レコードはレコードをなくさない限りプレイできる。より強く音楽性を感じられるし、フィジカルに音楽と触れ合えるレコードにやっぱり魅力を感じるんだ。

新譜について訊かせてください。何故〈Sound Signature〉からリリースすることになったのでしょうか?

JD:ディープ・ハウスにテクノが融合しているトラックだよ。テープでレコーディングしたから独特の音色に仕上がっているんだ。あまり機材を持っていないから持っているものでできる限りのことをしたよ。セオ・パリッシュがデトロイトでDJをしているときに彼に僕の曲を手渡したんだ。その夜彼は僕の曲をプレイしなかったけれど、その後海外でプレイしてとても気に入ってくれて、〈Sound Signature〉からのリリースが決まった。

曲作りにおいてあなたのイマジネーションはどこからきてますか?

JD:どこからかな。過去の経験かな。人はひとりひとりそれぞれの人生を歩んで、それぞれの経験をするよね。アーティストの表現、イマジネーションにはそんなそれぞれが経験してきた良い出来事も、辛い出来事もすべてが糧になってアーティストの表現するものに投影されているんじゃないかな。僕は無口なほうなんだけど、僕が感じることを音楽を通して表現しているんだ。

もうその次の新譜も制作していますか? もし予定があるなら教えてください。

JD:作っているよ。〈Wild Out〉から年内にリリースを予定しているよ。いつも制作には取り組んでいるし、ミックスも手がけている。新しい機材も増やそうとしているんだ。もちろん音楽をつくるときに大事なのは機材を増やすことで音が良くなることよりも、どれだけクリエイティヴに自分のアイディアを作品に投入できるかだと考えているけどね。

ちなみに、どのような機材を使って曲作りをしていますか?

JD:使っている機材は、MPC1000、JUNO106、KORG DW-8000 テープを収録するミキサーをひとつ。 ドラムマシンはMPC、たくさんサンプルが入っているんだ。僕自身ドラムを演奏するんだよ。

これからDJと曲作り、どっちをメインにやっていきたいですか?

JD:もっと曲作りをやっていきたいと思っているよ。作曲をはじめてから自分のDJスタイルも変わってきたんだ。リズムが大事なんだ。いい楽曲があってのDJだから曲作りに力を入れていきたいと考えてるんだ。

デトロイト出身のアーティストは、海外に拠点を移し活動している人もいれば、絶対にデトロイトから離れない人もいますが、制作活動するにおいてデトロイトを拠点にするということは、あなたにとって重要ですか?

JD:制作する場所に関しては、どこに住んでいるかは関係ないと思うんだ。たしかにデトロイトはアーティストにとって、創作するスペースが十分にあるのではないかと感じる。ニューヨークや他のアメリカの都市はアーティストで混み過ぎているからね。とはいってもやっぱりどこに住んでいるかはあまり問題ではないと思う。自分の表現したいこと、クリエイティヴな発想が自分にしっかりある限りね。僕はおそらく、しばらくはデトロイトを拠点にすると思う。もし拠点を移すとすればロンドンかな。アメリカ国内ではないね。

続く

Lil Ugly Mane - ele-king

 僕のようなラップ・ミュージックのバッグ・グラウンドの乏しい人間がレヴューを書くべきでないのは重々承知の上であるが、本国での盛り上がりをよそに誰も書いてくれないので書きます。もう我慢できなかったんですよ!

 オッド・フューチャーをスケート・パンクとすれば、リル・アグリー・メーン(Lil Ugly Mane)はバンダナ・スラッシュであろうか。どちらも現在のUSを象徴するラップ・ミュージックだ。

 ショーン・ケンプ(Shawn Kemp)ことリル・アグリー・メーンはどうやら彗星のごとくシーンに現れたわけでもないようだ。現在もアクティヴなのかは定かでないが、ヘッド・モルト(Head Molt)という一聴するところのどうしようもないノイズ/パワエレ・バンドで活動していたトラヴィス・ミラー(本名)は、どうしようもないノイズ/パワエレを炸裂させる片手間、ショーン・ケンプとしてMCとビートを制作していたらしい。故郷のリッチモンドからフィリー、そしてウェスト・ボルチモアとマウントバーノンでこの『ミスタ・サグ・アイソレーション』を完成させ、再びリッチモンドで暮らす彼のドリフト生活遍歴。これらの土地から想起されるここ10年のUSインディー・シーンを照らし合わせば、なるほど彼の音楽遍歴がおのずと見えるではないか。ページ99(PG99)世代のヴァージニアの激情ハードコア・シーンで思春期を過ごした歪んだ美意識は、時を経て当時ドロ沼化していたであろうボルチモアの変態シーンで洗礼を受け、ある種のポップネスを開花させた。ピクチャープレーン(Pictureplane)やDJドッグディック(DJ Dogdick)、ソーン・レザー(Sewn Leather)らとの絡みも共鳴ゆえのものなわけだ。

 満を持してドラキュラ・ルイス(Dracula Lewis)率いる〈ハンデビス〉からの豪華極まるフィジカル・ヴァイナル盤がリリース。近年のUSアンダーグラウンド(でもイタリアのレーベルなんですけど......)発のトレンドを並べたレーベルから出ることは必然ともいえよう。

『ミスタ・サグ・アイソレーション』に捨て曲はない。ウィッチハウス、ヴェイパーウェーヴ、インダストリアルと昨今のキーワードがブラウン管に発光しながらもスクリュードされ、シンプルで野太いビートが際立った極上のトラック、偏執的サグ思考のリリック、これって何? ニューエイジ・ギャングスタラップ? あがるわー。

TRANCE - ele-king

 出だしのベタなはじまり方におっ、ついにダニー・ボイルもセル・アウトしたかと思ったが、だんだんとトランスな感じになっていく展開はさすがである。しかし、新作『トランス』は難しい映画である。

 難しいと言っても難解とかじゃなく、おもしろいような、おもしろくないような、どっちなのだろうと判定するのが難しいという意味である。

 『トランス』はダニー・ボイルのデビュー作『シャロウ・グレイブ』と同じく、利己主義者がどんどんと泥沼にハマっていく小洒落たサスペンスなのだが、どうも『シャロウ・グレイブ』のようにシャープでない。『ビーチ』が『トレインスポッティング』のようにシャープじゃなかったように。

 催眠療法というネタを持ってきたところが、物語からシンプルさを奪ってしまったと思う。いや、催眠療法があるから物語にトランス感を生んで、ドラッギーな部分が不安感からくる気持ちよさを生むのだが、無理があると思う。

 催眠で人間をコントロールできないというのは、僕でも知っている一般常識なので。

 でも、世の中変わっているかもしれないですよね。主人公が催眠治療を受ける治療院はアメリカの高級な精神科医の病院みたいで、僕が知っている頃の催眠治療って、中華街の片隅にあるようなうさん臭いところでしたから。

 『トランス』を観て、僕もいまから催眠術の資格とって金持ちになろうかと思った。

 犯罪者も変わっていている。金持ちそうだった。

 ダニー・ボイルの映画はそうやって時代の変化をちゃんと描いていると思う。

 日本の変化は全然気づいてないけどね。『トランス』のオチのひとつが日本ではまだ全然だめなことをダニー・ボイルは知らない。日本で観た人はオチを説明されるまでクエスチョン状態だと思う。

 そのオチが『クライング・ゲーム』と同じで笑った。やっぱダニー・ボイル、イギリスの先輩監督、ニール・ジョーダンに影響受けているのかと思った。

 『クライング・ゲーム』の方は笑いとばすことじゃなく、深刻な問題ですけど。『トランス』は、えっ、そんな細かいことヨーロッパはまだ気にしているの、と思った。

 すいません、観てないと人には何の話かわからないですよね。でも、観たらこのネタは絶対大爆笑すると思う。

 難しいという意味はこういうことなのだ。恋人と観に行ったら、「いろいろ考えさせられるよね。」とオシャレにしゃべることもできそうな映画なのだが、友だちと見に行ったら、「なんかむちゃくちゃ過ぎない」とバカにして終わるような映画、一人で見に行ったら、友だちにどう説明したらいいのか悩む映画。

 ダニー・ボイルらしい映画だけど、もうちょっとシンプルにした方がよくなかったかいと思った。

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