いつだったかプラッドのライヴを観たときに、夕暮のなかを鳥の群れが飛んでいく映像を使っていたのをよく覚えている。それは彼らが鳴らす情緒的な電子音の戯れにじつによく溶け合っていたが、映像を見ているわたしたちの記憶のなかにもその風景はすでにあったはずである。ノスタルジックな感慨を抱かせる以前に事実として記憶を喚起させる。自分のなかでプラッドというと、鳥のシルエットがオレンジ色の背景を漂う姿がいつも浮かんでくる……それはプラッドがライヴ用に「作った」映像なのか、自分が実際に見た風景なのか、いまではもうわからない。
誰もが円熟と言っているプラッドの10作め『リーチー・プリンツ』にはなるほど、新しいものがない代わりに彼らがこれまで長い時間をかけてきたものがよく練磨されており、聴いているわたしたちの25年の記憶をどこまでも曖昧にしていく。考えてみればオウテカの『エクサイ』もそうだったし、ボーズ・オブ・カナダの『トゥモローズ・ハーヴェスト』もそうだった。90年代の〈ワープ〉を特徴付けた、IDMのオリジネーターたちの作品群が内的な歴史を意識させるものにならざるを得ないのは、それだけ彼らの功績が大きかったということだろうし、20年という時間はじゅうぶんに長かったということなのだろう……リヴァイヴァルが決定的なものとなる程度には。『リーチー・プリンツ』には覚えやすく耳触りのいいメロディがふんだんに収められていて、それはブラック・ドッグ・プロダクションズから分断されるものではない。プラッド時代に移ってからでも、いつ聴いても心地いい『レスト・プルーフ・クロックワーク』や『ダブル・フィギュア』……から、滑らかに連なっていてる。ハープの音色が導入となる“オー”から、三連符の繰り返しが緩やかに高揚へと誘う“ホークモス”、華麗なオーケストラが展開される“リヴァプール・ストリート”まで、その優美さはますますきめ細かくなってはいるが。基本的にはリスニング向けに作ってあるが、“テサー”のようなずっしりとしたビートの曲にはダンスの感覚がないわけでもない。
そして本作のテーマはまさに「記憶」であるという。アートワークでは自身のレントゲン写真に慣れ親しんだ環境の風景が重ねられているそうだが、それはまさに「自分」の「頭のなか」で起こっていることだと示すイメージである。それこそは20年前にアーティフィシャル・インテリジェンスが提唱したものであり、あらためて視覚化されているというわけだ。『リーチー・プリンツ』を聴いていると、この四半世紀の電子音楽のサウンドの冒険、ベッドルームでの戯れが浮かんでは消えていくようだ。わたしたちの「頭のなか」のエレクトロニック・ミュージックの記憶が、そこでこそ響き合っている。それがノスタルジーになってしまう前に、侵すことのできないドリーミーな領域を守り続けるように。
「NotNotFunã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
インダストリアル・リヴァイヴァルにおける再評価が高まるリージス(Regis)ことカール・オコナーであるが、しかしリージスも彼の〈ダウンワーズ(Downwards)〉も90年代から徹頭徹尾ブレない美意識を探求してきたわけで、単なるリヴァイヴァルに回収されない強靭な核を有していると思うのだ。
とは言え、昨今のシーンの動向、具体的にはUSのニューウェイヴやミニマルウェイヴ流れのインダストリアルなアプローチにも柔軟に反応しているのが現在のカールの確固たる地位を維持してもいるわけで。〈ダウンワーズ〉は現在、活動拠点をNYに移し、スローペースながらも時代を反映した確実に良質なリリースを継続、昨年はレーベル20周年のコンピレーションをドロップ、また〈ダウンワーズ・アメリカ〉なるサブ・レーベルをサイレント・サーヴァント(Silent Servant)の協力の下に設立、カールの美意識の一旦であるノワールな世界観を共有するLAのポストパンク・ユニット、ディーヴァ・ダマス(Dva Damas)のリリースなんかも手掛けていたりする。
んで先月〈ダウンワーズ〉からリリースされたシカゴのデュオ、トーカー(Talker)の12インチをいま聴いているわけなんだけども、じつはあんまりピンときていない。前振りで〈ダウンワーズ〉は最近の流行とはちがうんだぜ! みたいなことを抜かしといて申し訳ないんだけども。けっこう前の紙『ele-king』のインダストリアル対談で、インダストリアルは鉄槌感とファッショ感でしょ! みたいなことを言ってしまってじつは最近ものすごく後悔していて、これだけインダストリアルってタームが完全に飽和化し、コンポジション云々よりもテクスチャーや雰囲気を重視したレコードが氾濫している現状を目の当たりにしているとさすがにゲンナリしてくるわけですよ。いや、何が言いたいかっていうと、けっしてこのレコードが悪いわけではなくて(むしろ完成度は高いです)、2014年現在、ビートやコンポジションをないがしろにしてインダストリアルな質感や雰囲気のトラックをつくってもべつにもう尖ってないよってことなんです。
先日ペインジャークの五味さんとそのあたりのシーンについていろいろとお話する機会があり、ウィリアム・ベネット(元ホワイトハウス)のカット・ハンズ(Cut Hands)なんかは、いい歳こいてぜんぜんいまの若手のノイズ→テクノなんかより尖りまくっているという意見には激しく同意したのが記憶に新しいわけで。個人的にもニューウェイヴ、ミニマル・ウェイヴ流れの雰囲気インダストリアル・テクノよりも、トライバルに、パーカッシヴに、プリミティヴに土臭い方向性を持った、暴力的な電子音楽のほうがいまは魅力的だ。と思っていた矢先に前述の雰囲気系インダストリアルのパイオニア、ドミニク・フェルノウの〈ホスピタル・プロダクション〉からこのイタリアのパーカッション・デュオ、ニノス・ドゥ・ブラジル(Ninos Du Brasil)がドロップ。ここでまた話の流れがふたたび崩壊してしまうわけですが、このアフロ・テクノ・パンク・サンバ祭りには有無を言わせずにブチあげられてしまう。夏には〈DFA〉からのリリースも控えている。
やっぱりレーベルを偏見的に捉えてしまうのはよくない、と思わざるをえない昨今の2枚。猛烈にあのインダストリアル対談をアップデートしたい。
ニノス・ドュ・ブラジルのYoutubeクリップを見ていて気づいた。この微妙にイケてない感じどっかで見たことがあるな。と思ってちゃんと調べてみたらやはりニコ・ヴァッセラーリ(Nico Vascellari)であった。ニコはもともとミラノのパンク畑のミュージシャンで、ミラノのスクワット・パンク・シーンをコンテンポラリー・アートに繋げたパイオニアである。サン(SUNN O))))のスティーヴン・オマリーとジョン・ウィーゼ等とおこなったカッコー(Cuckoo)や巨大なブロンズのモノリスをガンガン打ちまくり、ブリアル・ヘックス(Burial Hex)がフィードバッグをコントロールしたアイ・ヒア・ア・シャドウ(I hear a shadow)など、国内外のアーティストとのパフォーマンス・アートでのコラボレーションをおこなっている。
本人名義でのハーシュ・ノイズは過去にドミニクのプリュリエントとのスプリットもリリースしていたはずだ。てなわけでなぜ〈ホスピタル〉なのかも納得がいきました。
来週のブルー・マンデーの26日、7時からドミューンにて『ハウス・ディフィニティヴ』刊行記念のトーク&DJがあります。
出演:西村公輝、三田格、Alix-kun、鈴木浩然、野田努
DJ:ドクター西村、Alix-kunほか
ドクター西村氏のハウス研究の道のりと最新成果をはじめ、ジャパニーズ・ハウスのコレクターでもあるフランス人DJのAlix-kunの「日本のハウスの再評価」、西村氏をして「NYハウスに関して鬼のように詳しい」と言わしめる鈴木浩然氏のガラージ話、久しぶりの出演となる三田格と野田努がハウス・ミュージックへの思いを語り尽くします。
『ハウス・ディフィニティヴ』を買ってくれた人、これからハウスを聴いてみたいという人、ものすごく暇な人、いつまでたってもハウスが嫌いな人、ご覧いただければ幸甚です。
また、DJでは、Alix-kunが「ジャパニーズ・ハウス・セット」を、ドクター西村氏が『ハウス・ディフィニティヴ』セットを披露するでしょう。
26日は7時からずっとドミューンにおりますので、みなさん、お気軽にいらしてくださいね。ヨロシク~。
5月も中旬。この季節になると、電車の中も黒一色から、白や明るい色が主流になり、ショート・スリーブ、ショート・パンツ、サンダルとサングラスが目立つ。著者は、原稿を書く時は、たいてい近所のカフェで作業しているのだが(夜中に地道に作業する事もあるが)、最近はバックヤードもオープンし、ぽかぽかしながら原稿を書いている。かかっている曲や周りの人びとでテンションが変わるが、今日はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカヴァー・バンド、マック・デマルコのニュー・アルバムなどがかかっていて順調だ。
今年最初のサマー・コンサートのキックオフとして、5/15にセレブレイト・ブルックリンに登場したチボ・マットを紹介。
https://bricartsmedia.org/performing-arts/celebrate-brooklyn

『ブリック・アーツ・メディア』がオーガナイズする「セレブレイト・ブルックリン」は、NYで伝統的に長く続いているフリー・コンサートのひとつで、去年もベル・アンド・セバスチャン、BECK、ダン・ディーコンなどインディ・ファンには魅力的なメンツが参加した。
今年も、ジャネル・モネエ、セイント・ヴィンセント、ダムダム・ガールズなど、エキサイティングなアクトが控えている。
この日は霧模様で、せっかくのブルックリン・ブリッジもぼやけていたが、LE TIGRE/MENのJDサムソン、ジャヴェリン、チボマットが登場したダンス・パーティにはたくさんの人が集まった。

チボマットは、1998年頃フィラデルフィアの「アップステア」という小さな会場で初めて見たときに、直感的に「良い」と思った。
それ以降、何度もショーを見ているが、裏切られたと思ったことはいちどとしてない。どちらかと言うと、再結成してさらにパワーアップしたように思う。再結成するバンドは大抵がっかりさせられることが多いが、彼女たちに限っては別だ。再結成(2013)した当時のブルックリン・ボウルで見たショーの印象が強く残っていて、今回も期待をさらに上回るほど成長していた。
彼女たちは、15年ぶり(!)のニュー・アルバム『ホテル・ヴァレンタイン』をこの2/14にリリースしたばかりで、それ以来、数々のツアーをこなし、この日は南アメリカ・ツアーから帰ってきたばかりだった。
羽鳥美保と本田ゆかのふたりに加え、元ブラジリアン・ガールのメンバーであるジェシー・マーフィ、ギタリストのネルス・クライン、コーネリアス、ヨーコ・オノ・プラスティックバンドでも活躍するドラマーあらきゆうこをサポートに1時間弱のダンシーでアクティヴなステージを披露した。
カラフルな色のドレスのゆかさんと黒のジャンプスーツ、サングラス、金髪のみほさんのふたりはいつも朗らかでグルーヴィン。
ニュー・アルバムは、彼女たちのイマジネーションから生まれた「ホテルの廊下を忍び歩くゴーストとのラヴ・ストーリー」とのことで、サウンドトラック形式に組み立てられた曲はラップあり、ロックあり、ラウンジあり、ファンキー・ダンスあり、クリーミー・ポップありで、オーディエンスはのせらっぱなし。
アルバムのほうは1曲目から最後まで生と死ないしは「自分を自由にすること」で、ゴーストが物理的な世界を観察しつつ物語っている。という深い内容だが、ショーでは目と耳、体全体で音楽を感じ、みんながいったいになり、自然にグルーヴする。
観客に「こんな天気のなか集まってくれてありがとう。ホームに戻ってきて嬉しい。ブルックリンはいまはクールなの? じゃあお祝いしよう」などセレブレイト・ブルックリンを意識した、みほさんのMCもフレンドリーさが漂う。メンバーをひとりづつ紹介したうえに物販や映像担当のスタッフまで紹介する気配りも見せた。
演奏は、1曲目に“シュガー・ウォーター”、ラストに“バースディ・ケーキ”など過去のヒット曲を織り交ぜては、観客を沸かせていた(ファンが『ミホー!』『ユカー!』と、叫ぶ面もあり)。10数年間のブランクはまったく感じさせず、バンドとしてもしっかりまとまったショーだった。
https://www.brooklynvegan.com/archives/2014/05/cibo_matto_play_1.html
今回のショーは野外で、室内にはない広々としたリラックスした雰囲気が良い。アウトドア・ショーではフード・トラックがたくさん待機しているからそれをチェックするのも楽しみのひとつだ。著者の相棒は、かなり待って(20分ぐらい)グリルド・チーズ・サンドイッチを堪能した。他にも、タコス、サンドイッチなど、小腹を満たしてくれる魅力的なベンダーがたくさん。
以下、今年のNYCのサマーコンサート……。
サマーステージ 6/3 ~8/2
アンドリュー・バード、ボノボ & チボマット、モブ・ディープ、ミッキ・ブランコetc...
https://www.cityparksfoundation.org/summerstage/
サウス・ストリートシーポート 7/11~
ジョアナ・グルーサム、ブラック・バナナス、キャスケット・ガールズ、ビッグ・アップスetc...
https://www.seaportmusicfestival.com/artists
ノースサイド 6/12-19
シャロン・ヴァン・エティン、コートニー・バーネット、ファック・ボタン、ビーチ・フォシルス、オマー・ソウレイマン etc...
https://northsidefestival.com
4ノッツ 7/12
ゾーズ・ダーリンズ、スピーディ・オーティズ、ヌード・ビーチ、ホワン・ウォーターズ etc...
https://microapp.villagevoice.com/4knots/2014/
ガバナーズボール 6/6,7,8
アウトキャスト、フェニックス、TVオン・ザ・レィデオ、ジャック・ホワイト、ヴァンパイア・ウィークエンドetc...
https://governorsballmusicfestival.com
![]() Taylor McFerrin Early Riser |
あらゆる音楽を取り込みながら進化を続けるテイラー・マクファーリンが、フライング・ロータスが主宰する〈ブレインフィーダー〉から、初のフルアルバム『アーリー・ライザー(Early Riser)』をリリースした。ジャズとクラブ・ミュージックの融合をはかりつつ、さらにネオ・ソウルやポストロックの要素までをも詰め込んだ本作は、ロバート・グラスパーに代表される2000年代のジャズ・シーンに新たな道を示すことになるだろう。ゲスト・ミュージシャンも、そのロバート・グラスパーはもちろん、父親であるボビー・マクファーリンやセザール・マリアーノまで多岐にわたっており、本作における多彩な音楽性を物語っている。
本インタヴューでは、そんな多彩な音楽性がどのように形成され、また実際に『アーリー・ライザー』がどのように作られたのかを探った。伝説的な歌手を父にもち、学生時代にヒップホップにはまってビートを作るようになったというテイラー・マクファーリンの、ユニークで現代的な音楽観に注目してほしい。ジャイルス・ピーターソンが激賞し、フライング・ロータスがリリースをオファーしたことの意味がわかるようである。テイラー・マクファーリンは、どこから来て、どこに向かっているのだろうか。

テイラー・マクファーリン
Taylor McFerrin
ブルックリンを拠点として活躍するプロデューサー、ピアニスト、DJ。〈Brainfeeder〉の設立者で、コルトレーン一族の末裔であるフライング・ロータスや、グラミー賞の栄冠に輝く凄腕ドラマーの兄と世界的ジャズ・ドラマーの父を持つサンダーキャット同様、ジャズ界の大御所ヴォーカリスト、ボビー・マクファーリンを父に持つサラブレッド。ホセ・ジェイムズやロバート・グラスパーと共演するなど、デビュー前からその実力が高く評価され、すでに来日も決定している。ファーストEP「ブロークン・ヴァイブス」が話題を呼び、デビュー・アルバム『アーリー・ライザー』には驚くばかりに豪華なアーティストが参加した。
曲を作り出したのは1997年くらいかな。(中略)……あのときMPCを選ばなかったのはバカだった(笑)。あのときは、MPCがビートを作るのにベストなマシンだってことにまだ気づいてなくて。
■音楽をはじめた経緯を教えてください。
TM:曲作りは、高校1年くらいではじめたんだ。ミネアポリスの名門高校……っていってもべつにそこまで名門じゃないんだけど、そのお坊ちゃま高校に入ったときに、クラスにいた5、6人がヒップホップにはまっていて、俺はその中の一人だったんだ。
俺は、あまりヒップホップの歌詞は聴いてなくて、それよりもビートに興味があった。で、そこから自分でビートを作るようになったんだ。父親が新しいキーボードを買って、古いキーボードを俺にくれたんだけど、あれも音楽をはじめる大きなきっかけになったね。その後、DR-202のドラムマシンも手に入れたんだ。だから、DR-202とXP-80を持っていた。曲を作り出したのはそこからだから……1997年くらいかな。
そこからマシンをアップグレードしてサンプルにもハマりだしたり……あのときMPCを選ばなかったのはバカだった(笑)。あのときは、MPCがビートを作るのにベストなマシンだってことにまだ気づいてなくて。MPCをあのときゲットしていれば、俺のプロダクション・スタイルは断然ベターなものになっていたかも。
でも、これはこれでよかったのかもしれない。MPCがなかったから、キーボードをプレイすることによりフォーカスできたんだ。
■プロとして活動しだしたのはいつごろだったのでしょう?
TM:なぜか忘れたけど、大学一年のときに友だちのボーイフレンドでMCのやつがいて、彼が俺の寮に来たときにビートをプレイしたら、彼がその上からライムをのせて、いっしょにやりはじめるようになったんだ。で、彼がEPを作ることになって、当時の俺のプロデューサー名はクロックワイズだったんだけど(笑)、そこからいっしょに何曲か良いトラックを作ったんだ。
以降、曲をもっと作るようになって、曲を書くミュージシャンになるっていうアイディアを少し持つようになった。大きな変化が起こったのは、その翌年にミネアポリスからニューヨークに引っ越したとき。ミネアポリスにいたとき、すでにニューヨークに引っ越した友だちがいたから、何度か彼を訪ねていったことがあって、もっと本格的に音楽をやるならニューヨークの方がいいかもしれないって話をするようになったんだ。本当はバークリー音楽大学も考えていたんだけど、あれは父親がバークリーで講師をする代わりに俺が無条件で入れる、みたいな感じだったから、それは避けたくて。
で、実際ニューヨークに越してきてから、ニュー・スクール(大学)でジャズプログラムを専攻しているかなりハイ・レベルのミュージシャンたちに出会ったんだ。その流れで、彼らといっしょにグループを組むことになった。そのバンド名がいけてなくて──グランドファーザー・リディキュラス(Grandfather Ridiculous)っていうんだけど(笑)、彼らといっしょにユニオン・スクエア・パークでショーをやったんだ。それが俺の最初のショーになった。けっこうちゃんとしたショーで、俺のニューヨークのキャリアのはじまりだったんだ。そこからもっと真剣に音楽をやるようになった。で、そのバンドが解散してから自分の作品作りをはじめて、それが“ブロークン・ヴァイブス”になったんだ。
■作曲やプロデュースはもう高校の時点からはじまっていたんですね。DJの活動はどのようにはじめたのですか?
TM:DJはそこまでやらないんだ。俺はレコード・コレクターじゃないからね。高校で聴いていた音楽しか持ってない。90年代のヒップホップとか、60年代、70年代のソウルとか。だから、俺の場合どんなパーティでもDJできるってわけじゃないんだ。俺がプレイできるレコードのカタログを持っているクラブやバーでたまにやっていたくらい。小遣い稼ぎって感じで、定期的にはDJはやってない。ここ2、3年はとくにそう。DJよりもやりたいことがたくさんあったからね。
クラブ・ミュージックが自分のスタイルだったことはないんだ。だから、当時もみんなが何を聴いているかとか、そういうことは知らなかった。俺の場合はライヴ・ミュージシャンの友だちの方が多かったし、彼らが演奏するものをチェックすることの方が多かったから。
■テイラー・マクファーリンの音楽には、これまでもクラブ・ミュージックの要素が多くあり、ヒップホップ・アーティストとの共演もいくつかありました。あなたにとって、クラブ・ミュージックとはどのような存在だったのでしょう。
TM:どうだろう。自分でもよくわからない。クラブ・シーンは、俺がたくさんのミュージシャンに出会った場所ではある。ニューヨークでの最初の7年は、当時は〈APT〉っていうクラブがあって、そこによく行ってた。すごく小さいんだけど、けっこういいDJたちがプレイしてたんだよね。あの場所は俺にとって新しい音楽の発見の場所だった。インスパイアされたよ。それに関わるようになった最初のころは、ブロークン・ビートのシーンがすごく大きかったと思う。
でも、俺ってそこまでクラブに行くタイプではないんだよね。そういう音楽やシーンを知ってる理由は、自分が出るショーの会場をチェックしたり、他にどんなアーティストやDJがプレイするのかを調べるからってだけで。クラブ・ミュージックが自分のスタイルだったことはないんだ。だから、当時もクラブのシーンでみんなが何を聴いているかとか、そういうことは知らなかった。俺の場合はライヴ・ミュージシャンの友だちの方が多かったし、彼らが演奏するものをチェックすることの方が多かったから。
■初のフル・アルバムが〈ブレインフィーダー〉から出ることになった経緯について教えてください。
TM:フライング・ロータスが俺に連絡してきたんだ。LAで俺のショーがあったとき、彼も来てくれると思っていたんだけど、都合が悪くて来れなくて。だから彼がFacebookで連絡してきて、ゴメン、次は必ず行くからってメッセージをくれたんだ。で、その流れで続いていた会話の中で、俺は自分がどんな音楽を作ろうとしているかを彼に話した。そこから最終的に自分が作ったばかりの3曲、“プレイス・イン・マイ・ハート”と“ダーン・フォー(Done For)”“アウェイク・トゥ・ユー”を送ったら、彼がそれを気に入ってくれて、〈ブレインフィーダー〉からリリースしてみないか? とオファーをくれた。だからすぐに「最高だな!」って返事したんだ。
俺が思うジャズ・ミュージシャンっていうのは、マスタリングと楽器にフォーカスを置いているミュージシャンたちだから。楽器をどう演奏するかで自分を表現しているし、スタンダードなジャズをしっかり勉強してる人たち。
■ここ数年(日本では、とくにロバート・グラスパー『ブラック・レディオ』以降)、ロバート・グラスパーやクリス・デイヴなど、クラブ・ミュージックの影響を色濃く受けたジャズ・ミュージシャンの活躍が目立っています。ジャズというジャンルで、このような音楽が続々と花開いているのは、どうしてだと思いますか。
TM:何人かのプロデューサーたちがジャズをサンプリングしてヒップホップの中に取り入れたり、クラブ・ミュージック的なタイプの音楽に取り入れたりした流れじゃないかな。たとえばムーディーマンは、ソウルの作品をたくさんサンプリングしてハウスのコンセプトにそれを取り入れている。Jディラやマッドリブも、いつもジャズやソウルをぶつ切りにして、それを使ってビートを作っていた。だから、自然とその流れでそういう音楽が出てきて、注目されるようになってるんだと思う。
ロバート・グラスパーのようなミュージシャンたちはJディラからたくさん影響を受けているし、ロバートはJディラをたくさんカヴァーしているし、Jディラあたりがそのムーヴメントのトップにいるんじゃないかな。ヒップホップのアーティストも彼ら独自のやり方でジャズを表現していて、サンプリングしたりもしている。いまの時代、ひとつの音楽にとらわれずにそこにいろいろと混ぜるやり方で曲作りをしているアーティストは多いしね。そういった変わった音のブレンドって、すごくクールだと思う。ひとつの決まった音楽を必ずしも作る必要がないということを提示しているしね。いろんな影響が繋ぎ合わさっているのはいいことだから。
■テイラー・マクファーリンの音楽は、ジャンルの枠にとらわれないものだと思います。だとすれば、ご自身の音楽において、「ジャズ性」はどういった部分にあると思いますか。過去のジャズと自分の音楽が接続されるポイントはどこにあると思いますか。
TM:わからないけど……このレコードでジャズだなと思うのは、マーカス・ギルモアがプレイしている箇所。それと、父親とマリアノスが参加しているトラックもジャズっぽいと思う。でも、俺自身はジャズというよりはソウルにインスパイアされていると思うんだよね。あとフュージョンとか。フュージョンはストレートなジャズとは違うから。俺もなんて言っていいかわからないけど、自分自身をジャズ・ミュージシャンだとはあまり思ってないんだ。俺が思うジャズ・ミュージシャンっていうのは、マスタリングと楽器にフォーカスを置いているミュージシャンたちだから。楽器をどう演奏するかで自分を表現しているし、スタンダードなジャズをしっかり勉強してる人たち。でも、俺はそういうプロセスは踏んでいないし、ビートメイキングも自己流。だから、ジャズとのコネクションを感じはするけど、それは直接的ではないんだ。
■以前、自分がライヴで即興をやる部分は、気づけば自然と父親のジャズの影響が出ているかもしれないと言っていましたよね。即興演奏という部分は「ジャズ性」にはならないですかね?
TM:あ、たしかに。それは一理ある。でもどうだろうね。他のたくさんのジャズ・プレイヤーたちといっしょにハイ・レヴェルな即興をやるっていうのはやはり俺には無理だから(笑)、やっぱりそれができるのがジャズ・ミュージシャンと呼ばれる人たちだと思う。
■ジャズはこれまで、ソロでの即興演奏が重要視されるような価値観があったように思います。「ソロがないとジャズとして物足りない」という意見もあります。このことについてはどう思いますか。
TM:俺はあまり音楽の定義とかそういうことは気にしない。黄金期のジャズを箱に入れて守るために誰かがそう言っているんだと思うけど、それは理解できなくもない。昔の、まさにジャズの時代のジャズ・ミュージシャンたちは、歴史を知らず知識もない若いプレイヤーがジャズを語るのは気に入らないだろうしね。でも世代を超えて要素ってものはどんどん変わっていくし、あるミュージシャンがジャズに影響を受けていたとしても、だからといってジャズの特定のスタイルにこだわらないというのは自然の流れだと思う。だから、俺は自分の音楽を必ずしもジャズとは呼ばないんだ。俺はそういうジャズの時代の後の音楽を聴いて勉強してきたわけだからね。
俺はあまり音楽の定義とかそういうことは気にしない。黄金期のジャズを箱に入れて守るために誰かがそう言っているんだと思うけど、それは理解できなくもない。昔の、まさにジャズの時代のジャズ・ミュージシャンたちは、歴史を知らず知識もない若いプレイヤーがジャズを語るのは気に入らないだろうしね。
■過去のジャズ・ミュージシャンで影響を受けた人はいますか。どのような点で影響を受けましたか。
TM:マッコイ・タイナーは絶対。あとは、マイルス・デイヴィス・クインテットとジョン・コルトレーンのソロ作品。とくにマイルスとコルトレーンからは影響を受けている。あと、マイルス・デイヴィス・クインテットのメンバーでもあったハービー・ハンコック。それがトップの影響だと思う。マイルズに関しては、彼が自身の音楽の中でエレクトロの要素を出しはじめて、『ライヴ・イヴル』のアルバムを出したころ。あのときはジャズ・プレイヤーたちが電子機器を使って演奏しはじめたときで、マイルスもワウペダルやアンプ、シンセサイザーを使ったりしていた。そこからジャズとエレクトロニック・ミュージックが交差しはじめたから、あれはムーヴメントだったと思う。それに、俺が子どものころ聴いていたミュージシャンたちも彼らから影響を受けているしね。
■〈ブレインフィーダー〉は、とてもユニークな音楽を発表しています。〈ブレインフィーダー〉およびフライング・ロータスに対する印象を教えてください。
TM:〈ブレインフィーダー〉はクールなレーベルだよ。いまはけっこう規模が広がってアーティストもたくさんいるけど、最初は少なくて、みんな本当に仲間って感じだった。いつもフライング・ロータスを中心にいっしょに出かけたり。そこからくる特別なエナジーがあったんだ。そのエナジーはいまも変わらない。みんな似た経験をしていて、同じ街にいて、互いにインスパイアしあって、いっしょにムーヴメントを作っている。そういう部分は本当に尊敬するよ。俺はニューヨークに住んでいるから少しアウトサイダーみたいな感じもするけど(笑)、もしかしたらフィアンセといっしょにLAに引っ越すかもしれないんだ。いまはロサンゼルスにとって特別な時期だと思う。アーティストに自由に音楽を作らせることによって境界線を押し広げている〈ブレインフィーダー〉は世界的にリスペクトされてるし、そこに関われているのはクールだと思う。
いまのロサンゼルスのシーンでおもしろいのは、音楽から感じるエナジーが、たくさんのミュージシャンたちがお互いをよく知っていた黄金期のエナジーと似ていること。みんな一般的なスタンスは持っているけど、それぞれが自由にちがうことをやって境界線を押し広げている。みんなが新しいことにトライしているんだ。マイルスは、若手のミュージシャンたちを自分のまわりに置いて、自分の音楽を前進させようとしたことで有名だけど、きっと彼は、彼らに好きなことを一気にやらせて、それが混ざったときに生まれるダイナミックなサウンドをエンジョイしていたんじゃないかな。
いまのロサンゼルスのシーンでおもしろいのは、音楽から感じるエナジーが、たくさんのミュージシャンたちがお互いをよく知っていた黄金期のエナジーと似ていること。
フライング・ロータスは、たぶんレーベルやコラボのために、スタンダードな音楽を作りつづけるだけじゃなく、自分の作品を前進させようとしているアプローチを持ったミュージシャンたちを探しているんだと思う。レーベルをそこからどんどんちがう方向性に広げていこうとしているんだと思うよ。それは音楽を作る上で俺にとっては大切なことだし、ロータスにとっても大切なはず。だから、ロータスが〈ブレインフィーダー〉からレコードを出さないかとオファーをくれたときはうれしかったよ。自分がいるべき場所のひとつだと思っていたから。もともとフライング・ロータスのファンでもあったんだ。彼の音楽に関して好きなところは、最初に聴いた時点でそれをすべて理解する必要がないこと。一瞬でわかる要素もあれば、彼はいったいここで何がしたかったんだろう? と思う箇所もある。でも、聴いていけば聴いていくほど、だんだんそれがわかってくるんだ。そうやって彼の考えの中にじわじわと入っていくのがおもしろいんだよね。
何を使って曲を作ろうが、最終的にはただの音を超えた何かを得ることが大事だと思うから。
![]() Taylor McFerrin Early Riser |
■『アーリー・ライザー』では、とくに“フロラジア(Florasia)”が、ディ・アンジェロやエリカ・バドゥを思わせる、ネオ・ソウルのような曲でよかったです。共演したホセ・ジェームスなどの活躍もあり、ネオ・ソウルにも注目が集まっているように思います。“フロラジア”ではヴォーカルもとっておられますが、このような音楽(ネオ・ソウル)に対して、どのように思っていますか。
TM:俺にとって、いちばん音楽に影響を受けた時代は、高校と大学1年のとき。その時期は、ミュージシャンになりたいと思わせる影響をたくさん受けていた。自分たちをスーパー・グループと呼んでいたソウルクウェリアンズとか。だから、ディアンジェロ、Jディラ、コモンとかだね。気にしていない人もいたけど、彼らのほとんどがネオ・ソウルという言葉を好んでいなくて……でも、君が言っていることはわかるよ。あのトラックは、じつはアイズレー・ブラザーズみたいな曲を作ろうとしてたんだ。ドラムのパターンはたしかにソウルクウェリアンズに影響を受けているし、他に比べて、あのトラックはとくにそういう要素が目立っていると思う。俺にとって、ああいった音楽は時代を超越した音楽なんだ。本物の楽器をプレイしてるし、だからこそ、そのサウンドには暖かみがある。そういう暖かさを持った音楽は、俺はタイムレスな音楽だと思うんだ。ネオ・ソウルに限らず、他にもいろいろあるけどね。」
■プログラミングで打ち込みの音楽がおこなえるようになった現在、プレイヤーの演奏技術は重要だと思いますか。重要だとすれば、どのように発揮されるのが良いでしょう。
TM:大切だと思う。何を使って曲を作ろうが、最終的にはただの音を超えた何かを得ることが大事だと思うから。たくさんのアーティストたちがMPCを手に入れているけど、そのうちの誰もがJディラみたいにプレイれきるわけじゃないし、デジタルのキーボードだけでは、ある特定のタイプのサウンドはゲットするのが難しいんだ。サウンドのパレットにリミットができてしまうから。でも本物の楽器を持っていれば、音に違いが生まれる。なぜかって訊かれると説明できないけど、金があったら俺はそのすべてをヴィンテージのギアに使う(笑)。音楽にとっては、いくつかのプロダクション・テクニックを同時に使ってミックスするのも大切だと思うんだ。そうすれば可能性が広がる。昔のギアだけを使ってももちろん制限はできるけど、いろいろなものを使った方がサウンドの幅は広がるんだよ。
■マシンにマーカスみたいな演奏はできないってことですね(笑)。
TM:無理無理(笑)。たぶん、ある程度クレイジーなことはできるんだと思う。でもマーカスほどは絶対に無理だろうな。だから俺はマーカスを呼んだんだ。実際、そうしたことでサウンドのまわりにそれまでとはまったくちがう空間がもたらされたしね。
なぜかって訊かれると説明できないけど、金があったら俺はそのすべてをヴィンテージのギアに使う(笑)。
■テイラー・マクファーリンの音楽の特徴に、精密なプログラミングやサンプリングがあると思います(とくに“ブロークン・ヴァイブス”)。プログラミングやサンプリングという手法について、どのように思っていますか。
TM:うーん、俺は他のレコードからサンプリングしないから、なんとも言えない。自分で作ったものはサンプルするけど、他の作品からはどこからもサンプルしたことはないんだ。まあ、プログラムのためのドラムのサンプルはもともと何かオリジナルがあるんだろうけど、それを除いて、俺はメロディックな要素はサンプルしないんだ。だから俺自身は、自分ですべてをプレイした作品に対していちばん繋がりを感じる。もちろんサンプリングを否定しているわけじゃないし、つねにそうだってわけではないよ。お気に入りのプロデューサーの中にはサンプルだけで作品を作る人たちもたくさんいるし。でもおかしなことに、俺は自分が聴いて育ったどのミュージシャンよりもサンプリングをやらないんだ。自分がメランコリーを感じられる曲は、やっぱり自分でプレイした曲なんだよね。
■“プレイス・イン・マイ・ハート”では、ライアット(RYAT)のヴォーカルもあいまって、ビョークの音楽を連想します。また、“ジ・アンチドート(The
Antidote)“もエレクトロニカのように繊細な音楽です。ご自身には、ポストロックやエレクトロニカの影響などはありますか。
TM:いいとは思うけど、そこまで影響は受けてないと思う。俺は、あまり特定の音楽のハードコアなファンにはならないタイプなんだ。さっき言ったような、ソウルクウェリアンズやネオ・ソウル・ムーヴメントを除いては。あれにはめちゃくちゃハマったからね。でも、ドラムンベースやトラップにハマったことは一度もない。自分が聴くすべての音楽からの影響を受け入れるようにしたかったから。“ジ・アンチドート”のプロデュースの仕方はじつは大変で……あのトラックは、最初はもっと早かったんだ。かなりね。でもアルバムの他のトラックでそこまで早い曲がなかったから、すべてをスローダウンしたんだよ。で、スローダウンしたらすべてのサウンドがピッチダウンして……最終的にはぜんぜんちがう作品になった。そんな音になるとは、自分でも思わなかったんだ。エレクトロニカのビートを作るぞ! って感じではなくて、たまたまああなったっていう(笑)。でも、もちろんそういう要素も含まれてはいるとは思うよ。
おかしなことに、俺は自分が聴いて育ったどのミュージシャンよりもサンプリングをやらないんだ。自分がメランコリーを感じられる曲は、やっぱり自分でプレイした曲なんだよね。
■“オーレディ・ゼア(Already There)”では、ロバート・グラスパー、サンダーキャット、マーカス・ギルモアを迎えて、とても緻密で技巧的な演奏が繰り広げられています。“オーレディ・ゼア”は本作のひとつのハイライトだと思いますが、この曲はどのように作られたのでしょうか(セッション的だったのか、誰かがイニシアチブを取っていたのか、など)。
TM:マーカスにまずドラムを叩いてもらって……それは3年も前の話なんだけど(笑)。そのあとに自分でピアノとシンセのパートを作った。で、ピアノのパートがあまりしっくりこなかったから、ロバートに弾いてもらって自分のシンセパートだけ残して、それから最後にサンダーキャットのロサンゼルスの家に行って、15テイクくらいベースをレコーディングしたんだ。みんな友人だからコラボしやすかったし、それを参加してもらうための説得に利用したんだよ(笑)。友だち同士で共演できたらエキサイティングじゃない? ってね(笑)。これはアルバムの曲の中で最後にできた曲。その3つのレコーディングをミックスして、ひとつのセッションみたいにしたんだ。
■『アーリー・ライザー』のレコーディングにおいては、どのくらいセッションで合わせられているのですか。それとも、ほとんど別録りでしょうか。
TM:トラックのほとんどが、まず自分で全部レコーディングしたんだ。それか、自分で75%仕上げてからその残りを補うためにゲストを呼んだり。誰ともあまりセッションしてないけど、セッションとしてスタートした曲がひとつだけある。それは最後のトラックなんだけど、他はぜんぶ俺が一人で先に音を作って、それから他のミュージシャンを呼んで、上からジャムしてもらったんだ。
たとえばJディラの音楽にはたくさんレイヤーが入ってるんだけど、その中にはリード・レイヤーがない。だから、すべてのレイヤーを聴くには、何度も何度もその曲を聴く必要があるんだ。ちょっと変わったサンプルが密かに入っていたり、聴けば聴くほど新しい発見がある。
![]() Taylor McFerrin Early Riser |
■アルバム全体のサウンドもとてもバランスが良く、心地いいです。ミックスの作業にはこだわりはありましたか。
TM:ミックスで意識したことか。たとえばJディラの音楽にはたくさんレイヤーが入ってるんだけど、その中にはリード・レイヤーがない。だから、すべてのレイヤーを聴くには、何度も何度もその曲を聴く必要があるんだ。ちょっと変わったサンプルが密かに入っていたり、聴けば聴くほど新しい発見がある。このレコードは、それを意識してミックスしたんだ。ミックスは全部自分でやった。でもこのレコードに関しては、あまりミックスの環境はよくなかったんだよね。いいアパートに住んでるわけでもないし、オフィシャル・スタジオをもってるわけじゃないし。アルバムを聴いていると、もう少し時間をかけたかったなと思う箇所がある。やろうと思えばできたんだろうけど、ちょっと環境がね。本当はもう少し上手くできるんだけど。
プロのスタジオに自分の音楽を作りにいったことがないんだ。それをずっと続けているから、いまはそれが逆に変な感じがして、もしそれをやってみたらどうなるかわからない。でも、超デカいスピーカーでやると、大きいアレンジのフリークエンシーが聴こえるから、もっとミックスは簡単になる。今回のレコードでは、いくつかのちがうカー・ステレオで聴いたりしてみたんだ。いま聴くと、自分のスタジオでは聴こえなかった周波数が聴こえる。だから自分が思っていたのと少しちがって聴こえるんだよね。ミックスのプロセスは、ほとんど俺のヘッドフォンといくつかのカーステレオでやったから、次回はよりよい作品を作るためにももう少しちゃんとしたスタジオでやれたらと思ってるんだ。
俺はオフィシャルなものを作るという目的なしに作品を作りはじめることが多いし、そのせいで個々にトラックを仕上げられないという問題がある。もっとたくさん音楽を作ることもできたかもしれないけど、たまに自信がなくなってなかなか進まないこともあったんだ。この4年間の中間地点くらいでは、本当にアルバムを仕上げられるのかわからなくなって悩んでいた。先が遠すぎて、もう無理かもとも思ったくらい(笑)。でもいまはそれを乗り越えているから、どうすればいいかわかってる。ゲストを迎えて何かを補うこともできるということ、それによってよりよいものが作れることもわかったし。だから、次のアルバムはもっとスムーズにいくと思う。次はもっとこうやりたいっていうアイディアがすでにあるんだよね。ミックスもそうだし、もっと自分のヴォーカルを増やすとか、より自分で楽器を演奏するとか。
ちょっと俺と親父の音楽はちがうんだ。でも、自分には親父にできない何かがあるっていうのはクールだし(笑)、それでいいと思ってる。
■『アーリー・ライザー』には、父親のボビー・マクファーリンさんも参加されています。父親から学んだことはありますか。
TM:変に聞こえるかもしれないけど、いままで父親に直接音楽のことに関して何かきいたことはないんだ。彼からどういう影響を受けたのか、自分にもわからない。父親をもちろんリスペクトはしてるけどね。それは逆も同じで、彼も俺の音楽をリスペクトしてくれている。でも、父親の音楽の世界を特別に理解しようとしたことがないんだ。俺はヒップホップのような、彼のスタイルじゃない音楽を聴いて育ったから。音楽を作りはじめたときも最初からビートだけを作っていたし、親父はもっとジャズやクラシックのバックグラウンドから来ているし。そういう音楽では、もっとテクニカル・スキルや楽器が重視される。他のミュージシャンとの即興は、本当にハイレベルな技術が要求されるからね。でも俺は、サウンドとテクノロジーを操ることに慣れている。だから、ちょっと俺と親父の音楽はちがうんだ。でも、自分には親父にできない何かがあるっていうのはクールだし(笑)、それでいいと思ってる。俺は逆に親父ができることができないし。でもさっきの即興の話みたいに、年齢を重ねると、「この部分、気づけば親父の影響を受けてるな」と思うことがたまに出てくるんだ。ショーをやっていると、気づけば即興をたくさんやっているんだよね。俺の場合は楽器じゃなくてテクノロジーだけど、それでも即興はする。やっぱりそれはジャズの影響だと思うし、俺のやることの一部。それは父親からダイレクトに受けた影響なんじゃないかな。彼の90分間のショーを何度も見てきたから。もちろんその中にはたくさんの即興があった。だからなのか、即興がすごく心地がいいんだよね。自分にとっては普通のことなんだ。それは育った環境で自然と身に付いたものだと思う。俺がずっと観察してきたことだから。
■現在のミュージシャン/アーティストで気になる人はいますか。
TM:俺はお気に入りのレコードを何度も聴く派だから、気になるアーティストってあまりいなくて。いまはとりあえず、ハドソン・モホーク、ジェイムス・ブレイク、フライング・ロータスとサンダーキャット。それだけ(笑)。あまりいまのシーンがどうとか、周りで何が起こってるかとかは気にしないタイプなんだ。ブログをチェックしているときに新しい作品を見つけたりはするけど、あまりラジオも聴かないし、自然と自分のところに来た音楽を聴くことの方が多い。とくにニュー・アーティストに関しては、あまり彼らの音楽は聴かないようにしている。2、3回聴くだけかな。影響されすぎないようにそうしているんだ。たまにミキシングのテクニックを自分のと比べてみたりはするけど。あと、あまりに変わっている音楽で、「よし、これには音楽のルールはないんだな」と一度わかると聴いたりはする。でも普通は、偶然誰かのアルバムを知って、それがよければしばらく聴くって感じかな。俺は新しい作品よりも古い作品のほうをひんぱんに聴くし。
■ハドソン・モホーク、ジェイムス・ブレイク、フライング・ロータスとサンダーキャットのどのような点が気になりますか。
TM:彼らが似た影響を受けていることは明らかで、似ている環境から来ていることもたしか。でも、みんなそれぞれがちがうアプローチをもってる。それが新鮮なんだ。いま起こっていることに影響を受けるのは悪いことではない。でも俺は、何かをチェックするよりも、ライヴに出演して実際に会場で影響を受けるほうが好きなんだ。
ニュー・アーティストに関しては、あまり彼らの音楽は聴かないようにしている。2、3回聴くだけかな。影響されすぎないようにそうしているんだ。たまにミキシングのテクニックを自分のと比べてみたりはするけど。
■ブルックリンを拠点にしているということですが、ブルックリンは、ヒップホップ、フリージャズ、オルタナティヴ・ロックなど、さまざまな音楽がひしめきあっています。ご自身の活動において、ブルックリンという街に与えられる刺激などはありますか。
TM:ブルックリンには本当にたくさんのアーティストがいて、ニューヨークの中でもスペシャルな場所だと思う。もう14年も住んでるから、ブルックリンの一員って感じはするね。もちろんブルックリンは俺という人間の一部だし。マンハッタンとはちがうけど、アーティスト仲間の90%はここに住んでるし、俺たちの街って感じがする。刺激を受けているかはわからないけど、ブルックリンの人たちが俺の作る音楽に共感してくれてるってことは、何か繋がるものがあるのかもしれないね。」
■最後にもう一問だけ訊かせて下さい。ジャイルス・ピーターソンに激賞されましたが、ジャイルスからはどのように評価されたのでしょう。
TM:「彼は初めて“ブロークン・ヴァイブスEP”をかけてくれたDJのひとり。もう何年も俺の音楽活動をサポートしてくれているんだ。彼がどう俺の作品を評価したかはわからないけど、たぶん、最初にEPが出たとき、それが当時のUKで起こっていたサウンドに影響されてたっていうのが気に入ってくれた理由のひとつだと思う。そこに何か繋がるものを感じたんだじゃないかな。最近も彼からインタヴューを受けたけど、彼は本当によくしてくれるし、キーとなるDJのひとりだし、彼みたいな人が気に入ってくれることには大きな意味がある。すごく光栄だよ。何故俺の音楽を気に入ってくれたのかはとくに聞いてないけど、俺らしいスタイルを気に入ってくれたんじゃないかなと思う。たくさんの音楽からのさまざま」な影響がミックスされているから。ジャイルスもそういうスタイルを好むんだよ。
■今週末の〈ブレインフィーダー〉へ出演!
史上最大スケールで開催されるレーベル・パーティ〈BRAINFEEDER 4〉。フライング・ロータスやティーブスを堪能しつつ、テイラー・マクファーリンを目撃しよう!
2014.05.23 FRI @ 新木場ageHa
open/start: 22:00
前売チケット: ¥5,500
https://www.beatink.com/Events/Brainfeeder4/
2014年9月25日(木)@東心斎橋CONPASS
2014年9月26日(金)@渋谷WWW
more info : https://www.beatink.com/Events/TaylorMcFerrin/
ザ・ミスティーズは、ザ・ボーツのアンドリュー・ハーグリーヴスと女性ヴォーカリスト、ベス・ロバーツによるユニットである。
透明で幽玄なヴォーカル、激しい電子ノイズ、歪んだビート。このアルバムを近年流行のインダストリアル/テクノとして分類することは当然可能だ。だが同時に、ヴォーカル入りゆえ、ポップ・ミュージックを「偽装」してもいる。これが重要だ。この偽装によって、聴き手の意識をノイズの奔流へとアジャストさせ、時代の「底」へと連れ出していくのだ。「底」とは芸術の底でもある。それはすべてが可視化されるインターネット環境下における「抑圧されたものの回帰」だ。暗く、不透明で、ノイジーな音などの抑圧されたものたちの回帰。ザ・ミスティーズに限らずインダストリアル/テクノは、そのような音楽とはいえないか。バタイユとフロイトの申し子のように。
ザ・ミスティーズについて先を急ぐ前に、まずはザ・ボーツを振り返っておく必要がある。ザ・ボーツは、アンドリュー・ハーグリーヴス とクレイグ・タッターサルがオリジナル・メンバーのエレクトロニカ・ユニットであった。「あった」というのはその音楽性が、現在、大きく変化しているからだ。これまでの経歴を確認しておこう。
ザ・ボーツは2004年に最初のアルバム『ソングス・バイ・ザ・シー』を〈モビール〉から発表した。〈モビール〉は、00年代中期において、エル・フォグやausなどのアルバムをリリースしていたUKのエレクトロニカ・レーベルである。ザ・ボーツは〈モビール〉から『ウィ・メイド・イット・フォー・ユー』(2005)、『トゥモロウ・タイム』(2006)と3枚のアルバムをリリースしている。総じてIDM的な響きにアンビエント的な持続が軽やかに持続し、いわばフォーキーなネオアコースティック・エレクトロとでもいうべき、いかにも00年代中期的なエレクトロニカである。
2008年以降は自らのレーベル〈アワー・スモール・イデアス〉から『サチュレーション, ヒュム&ヒス』(2008)、『ザ・バラッド・オブ・ザ・イーグル』(2011)、『バラッズ・オブ・ザ・ダークルーム』(2011)などのアルバムや各種EP、ausが運営する〈フラウ〉から『フォールティ・トーンド・レイディオ』(2008)、〈ホームノーマル〉から『ワーズ・アー・サムシング・エルス』(2009)などのアルバムをリリースする。その作品は次第にモダン・クラシカルな要素が導入され、サウンドの色彩感にも変化を聴きとることができた。そして2011年。〈12k〉から『バラッズ・オブ・ザ・リサーチ・デパートメント』を発表する。このアルバムは彼らのエレクトロニカ/モダン・クラシカル路線の総括とでもいうべき作品だ(ちなみに、アンドリュー・ハーグリーヴスは、ザ・ボーツの他にもテープ・ループ・オーケストラなどを結成し活動)。
以降、ザ・ボーツは大きな変化を遂げることになる。2013年、彼らは新たな自主レーベル〈アザー・イデアス〉を設立。そのサウンドはインダストリアル・サウンドへと急激な変貌を遂げる。ザ・ボーツは、〈アザー・イデアス〉からカセットテープ・オンリーで『ライブ・アット・St.ジェームス・プライオリィ,ブリストル』(2013)、アルバム『ノーメンカルチャー』を立て続けに発表。そのアートワークもインダストリアル/テクノのイメージを喚起させる赤とモノトーンの色彩を基調とした象徴主義的なイコンを思わせるデザインへと一変した。この変化は少なからずリスナーを驚かせた。あのザ・ボーツがこのような音になるとは誰も予想していなかったからだ。
その〈アザー・イデアス〉最初のリリースが、ザ・ミスティーズの7インチ・シングル「ストーキング / ドロワーズ」(2003)である。この7インチ盤に続き、彼らは60ページのブックレットと5曲入りのCDがセットになった限定盤『レコンビナント・アーキオロジー』(2013)をリリース。ついでアルバム『リデンプション・フォレスト』をLP限定300部で発表した。そして本年2014年、日本のレーベル〈プレコ〉からオリジナル盤に4曲の未収録曲(傑作シングル“ストーキング”と“ドロワーズ”も収録)を加えた完全版とでもいうべきCD盤をリリース。さらに広いリスナーに彼らの音楽が届くことになった。
インダストリアル化したザ・ボーツとザ・ミスティーズは同レーベルにおいてほぼ同時期にリリースされたこともあり、インダストリアル/テクノなトラックという音楽性には共通するものがある。だが、ザ・ミスティーズにはヴォーカルが入っている。エレクトロニカ時代のザ・ボーツからヴォーカル・トラックはあったが、現代的なインダストリアル/テクノにおいて、ヴォーカル入りはそれほど前例がない(アンディ・ストットはヴォーカルというよりヴォイスだ)。
そして何より重要な点は、そのヴォーカルはメロディと歌詞があるにも関わらず、トラックに充満する歪んだノイズたちと同じように、それぞれの楽曲間のメロディの差異が消滅し、まるでトラックの中に蠢くイコンやサインのように耳に響く点である。
たとえば本CD盤2曲めに置かれた“イノセンス”を聴いてみよう。ノイズの律動に、歪み切ったビートにヴォーカルが重なり、シンセベースの律動が耳を襲う。そうしたサウンドの洪水の中、ベス・ロバーツの声が意識へと浸透していく。そう、本作においてヴォーカルとノイズは同等なのだ。そしてドラムン・ノイズとでも形容したい激しいリズムを持った“ベヒモス“の衝撃。それはまさに時代への警告のように響く(ベヒモスとは旧約聖書に登場する怪獣の名であり、それは豊穣と破滅の両方を意味するという)。
加えてザ・ミスティーズはヴィジュアルにも一貫したコンセプトがある。そのヴィデオは過去のモノクロ映画からシークエンスやシーンを丸ごと引用し楽曲を重ねていくという大胆なものだ。
これらは20世紀の記憶を、音と映像によって再生成させる試みといえる。その音や映像には途方もない不安が漲っており、その不安がウィルスのように聴き手のイマジネーションを浸食する。過去を現在に蘇生すること。その不安、快楽、美。ザ・ミスティーズに限らず現代的なインダストリアルは20世紀のイコンとイメージを借用しているのだが、その大胆な借用の美学によって、ノスタルジアよりは同時代性を得ている。
事実、現在の〈アザー・イデアス〉は、〈モダン・ラヴ〉や〈モーダル・アナリシス〉などのレーベルによって牽引される現代的なインダストリアル/テクノの動きと共鳴している。それはこの「暗い」時代と連動する美学的潮流でもある。絶望の時代を「暗さ」をゆえに嫌悪し、無理に明るく振舞うのではなく、その「暗さ」に積極的にアジャストし、絶望を「美学=アート」として変貌させていくこと。それによって時代の底から世界に抵抗すること。私は〈アザー・イデアス〉をはじめ〈モダン・ラヴ〉、〈モーダル・アナリシス〉、〈ホスピタル・プロダクションズ〉などのインダストリアル/テクノ/ノイズレーベルのリリース活動は、そんな世界への「抵抗/接続運動」の発露ではないかと思っている。
小春日和のような2000年代を象徴する牧歌的なエレクトロニカから、ダークなインダストリアル/テクノへ。〈アワー・スモール・イデアス〉から〈アザー・イデアス〉へ。そう、イデアはいま、別の領域に至っている。
ポストパンク時代に生まれた悲しい歌は、日本では「ネオアコ」という訳語によって普及した。悲しみも一緒に普及しているのならいいのだが。
ポストパンク時代の彼らの悲しい歌は、パンクの残滓の色濃い当時のポップの基準では大人しすぎたのだろうか、あるスジからは「軽薄だ」とも言われたそうで、そもそも自分たちのルーツは70年代の音楽にあったからだとガーディアンの取材に答えているのを読んだことがある。
「彼ら」というのは、ベン・ワットとトレイシー・ソーン。ふたりは、出会ってから28年後(2009年)に結婚した。周知のように、ベン&トレイシーは1982年からともにエヴリシング・バット・ザ・ガール(EBTG)として活動している。
ワットの父、トミー・ワットは、グラスゴーの労働者階級出身で、ジャズ・バンドのリーダーだった。60年代以降は、ジャズのマーケットは、ポップ音楽に駆逐されるものの、トミー・ワットは、1957年にはアイヴァー・ノヴェロ賞(英国作曲家協会の優れた作曲家への表彰)を受賞したほどの人物だったそうだ。イングランド最大のロマ(ジプシー)家族に属していた曾祖父に持つ母親は、TVのインタヴューアでありコラムニストだった。ベン・ワットは、そんな彼のボヘミアン的な父と母親についての読み応えのある物語を著したことで、今年の初頭、母国のメディアに大きく取り上げられている。
![]() l Ben Watt Hendra ホステス |
かように、なにかと話題が続いての、ベン・ワットの31年ぶりのセカンド・ソロ・アルバムである。
31年前のファースト・アルバム『ノース・マリン・ドライヴ』は、「ポストパンク時代にぞんざいに扱われたクラシックである」と、ガーディアンは書いているが、しかし、日本では、そのまったく逆で、ポストパンク時代のベストに挙げる人が珍しくないほど評価され、愛されてきた。むしろ、『ノース・マリン・ドライヴ』の印象が強すぎるため、90年代の途中からクラブ・ミュージックにアプローチした近年のワットのほうが忘れられているのではないかと思われるほどだ。『ノース・マリン・ドライヴ』は「ネオアコの金字塔」であり、ベン・ワットとはその作者なのだ。
そういう意味では、『ヘンドラ』は、ポストパンク時代を音楽、ことUKの音楽とともに過ごした人たち(僕もそのひとりだ)の多くにとって、たぶん、大きな出来事である。メランコリーは、ずっと消えないのだから。
たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』にはとても美しいところがたくさんあると思うし、誇りに思っているけど、同時にどこか……なんていうか、「そんなに良くないな」と思う部分もあるんだよ(笑)。とくに歌詞はとっても繊細で無知なところがある。
■『ノース・マリン・ドライヴ』は、日本では「ネオアコ」という括りで、オレンジ・ジュースやアズティック・カメラ、トレイシー・ソーンのソロなどともに、いまでも絶大な支持があることをご存じですか?
ベン・ワット(BW):うん、知っているよ。最後に日本に行ったのは4~5年前で、そのときはDJとして行ったけど、とても良い時間を過ごしたよ。すごく良く面倒を見てもらったし、ギグも素晴らしいものだった。でもその前に行ったのは90年代、『Walking Wounded』のツアーのときだったと思うな、時間が経ちすぎてあまりよく覚えてはいないんだけど……
■いつか自分のソロを発表したいという気持ちは、この30年間、頭のどこかにあったのでしょうか?
BW:ずっと長い間、絶えず頭の片隅にはあったんだ。その頭のなかの(ソロ・アルバムを作りたいという)声はときによって大きくなったり、小さくなったりはしたけれどね。何しろ前のアルバム(『ノース・マリン・ドライヴ』)を作ったときはまだ19歳か20歳で、その時点で自分自身の小規模なキャリアがあったけど、その後に違う道を歩むことになったんだ──結果的に、トレイシーと一緒に20年やって、それからエレクトロニック・ミュージックを10年やった。
でも、ここ2年くらいのあいだにその頭のなかの声が大きくなってきたんだ。まずは自分の本が書きたくなって、最近出版された僕の両親についての本『Romany and Tom』を書いた。そしてその後、今度は自分の曲が書きたいと思ったんだ。その時点では書いた曲は全然なかったんだよ、ノートに未発表の曲を書き溜めたりはしていなかったからさ。それでこのアルバム『ヘンドラ』のために曲を書きたいっていう強い欲求が出てきて、去年いちから曲を書きはじめたよ。
■それが「いま」リリースになったことにはどんな理由があるのでしょう?
BW:それは自分でも知りたいね(笑)。なんでだろう、自分でもわからないな。あまりいろいろ自問したりはしないんだよ。自分の直観に従っているだけだからさ。たぶんDJとしての活動やレーベル運営に停滞を感じたんだと思う、それらにかなり時間を取られていたし、他の人をサポートするのにほとんどの時間を使っていて、自分自身がクリエイティヴなことをできていないように感じていたんだ。だから自分自身のクリエイティヴな活動を再開したかったのさ。その時点では何をするのかはっきりわかってはいなかったんだけどね。とりあえず本が書きたいことはわかっていたけど、その後にソロアルバムを作ることになるとはそのときは思っていなかったから、自分でも驚きだよ。
通訳:そこで曲を書きはじめた直接のきっかけはなんだったのでしょう?
BW:ちょうど本を書き終わったとき、その本を読んでもらうのを楽しみにしていた、僕の姉が突然亡くなったんだ。すごくショックで、しばらくは放心状態だった。そして去年の1月頃、ギターを持って座ってみたときに、新しい曲を書きたいって気付いたんだよ。
■あなたの「Summer Into Winter」(1982年)と『ノース・マリン・ドライヴ』(1983年)は、日本ではクラシックな作品として位置づけられていますが、やはり、最初のアルバムで完成された作品を作ってしまうと、次のアルバムが出しにくくなるものですか?
BW:そんなこともないよ、僕自身はとくに「完成された」アルバムだとも思っていないしね(笑)。だって自分では絶えずどこを直せばより良いものを作れるか、改善点を探しているものだしさ。自分で作ったものに対して、もっと違うやり方でやれば良かったとか、どこが良くないかを探して、その欠点を直そうと努めるのが普通だよ。
たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』にはとても美しいところがたくさんあると思うし、誇りに思っているけど、同時にどこか……なんていうか、「そんなに良くないな」と思う部分もあるんだよ(笑)。とくに歌詞はとっても繊細で無知なところがあるし、あのアルバムに入っている曲はどれもイノセンスから生まれたものだと感じるよ。そしてその点、新しいアルバムは経験から生まれた曲だといえるね。
もっと、メランコリックで綺麗なものだったんだ。でもそこによりエッジを加えて、ただ美しい音だけではないものにしたかった。もっと泥臭い、荒さのあるものにしたかったんだ。
![]() Ben Watt Hendra ホステス |
■『ヘンドラ』はシンプルなフォーク・ロック・アルバムだと思います。 ジャズやボサノヴァでもありません。『ノース・マリン・ドライヴ』という30年前の作品と比較するのは無茶だとは思いますが、『ヘンドラ』のシンプルなフォーク・ロックという方向性について教えて下さい。
BW:とにかく自分自身に自然に降りてくるようなレコードが作りたかったんだ。あまりプロダクション面のことを考えたり、エンジニアリングやスタジオについてのことを考えたくはなかった。だからユアン・ピアーソンにそういう部分を一任した。僕自身はただギターを持って曲を書いて、自分が自然に感じる方向へ向かいたかった。それにおそらく、10代の頃の自分に影響を与えたものとの繋がりみたいなものをどこかで意識していたのかもしれない、トレイシーと会う前の自分自身にね。そういうものって永遠に消えないと思うんだ。14歳や15歳の頃、ジョン・マーティンやニール・ヤング、ブライアン・イーノ、ニック・ドレイクとかの音楽をよく聴いていて、彼らの音楽は僕のなかにすごく強い印象を与えた。そしてたぶん今回、そういった音楽の影響が浮かび上がってきたのかもしれない。
■原点回帰したというか、1960年代のフォーク・ロックに立ち返ったと 言ってもいいのでしょうか?
BW:わからないな、それは他の人が言うことであって、僕が決めるわけじゃないよ。このアルバムを作るとき、いま挙げたような自分に影響を与えた音楽を振り返っていた部分はあるかもしれないけど。そもそも曲を書いている時点ではまだそれらの曲は発展途上で、自分でもどういう方向性のものになるかはわからないんだ。今回の作曲中には、ギターを普段とは違うチューニングにした。だからそれが曲に独特の、美しく物憂げな、印象主義的な音を与えていると思う。でも同時に歌詞はかなりダークなものなんだ。だから、音楽自体にもよりダークなエッジを加えたいと思った。それでバーナード・バトラーに声をかけたんだ、彼のギターにはもっとブルーズでロックな要素があるからね。もっとディストーションのかかった音さ。それが今回のアルバムのバランスに重要だったんだ。
通訳:バーナード・バトラーが参加する前のアルバムのサウンドはもっと明るいものだったということですか?
BW:いや、明るいとかポジティヴとは僕は言わないかな(笑)。でももっと、メランコリックで綺麗なものだったんだ。でもそこによりエッジを加えて、ただ美しい音だけではないものにしたかった。もっと泥臭い、荒さのあるものにしたかったんだ、バーナードのギターはそういうサウンドだからね。ミック・ロンソンがデヴィッド・ボウイと一緒にプレイしたのと同じようなことさ。
■あなたは、主に70年代の音楽に影響を受けたという話を聞いたことがありますが、デイヴ・ギルモアは、ひいてはピンク・フロイド は、あなたにとってどんな存在なのでしょうか?
BW:彼とは本当に偶然に、アルバムを作りはじめる前に出会った。パーティで紹介されて、彼の自宅に行って、彼の作ったデモを聴かないかって訊かれたときには驚いたよ。そこでイエスと返事をして、彼の家で1日過ごして、意気投合した。
彼の音楽を聴いて、音楽についての話をしたりランチを一緒にした2週間後だった。僕がスタジオで“The Levels”のレコーディングをしていたとき、彼のギターの音がこの曲にぴったりなんじゃないかと思った。それで彼に電話でこの曲のためにギターを弾いてくれないか訊いたら、彼の返事は「イエス」だった。そんなシンプルな理由さ。
正直言うと、僕は特別ピンク・フロイドのファンってわけじゃないんだ。彼のギタープレイが好きなんだよ。それに彼の歌声もね。彼の歌い方って、とてもイギリス人っぽいんだ、アメリカンな感じとは対極にある。だから、ピンク・フロイドのデイヴのファンだったというより、彼自身が好きなんだ。
■先ほど、メランコリックと言いましたが、たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』は、とてもメランコリーな作品です。あのメランコリーについて、いまいちど、あなたなりに解説していだけないでしょうか?
BW:うーん、とくに解説することはないよ……ただ自分に正直な表現をしているだけさ。自分の頭の中に聴こえるものをそのまま曲に書いているんだ。僕のやる事に特別な技巧やトリックはなくて、自分の感じる物事をストレートに表現しているだけだよ。
通訳:そういったメランコリックな感覚を持つようになった要因や環境など、無意識下での影響などは思い当たりますか?
BW:うーん……(沈黙)……思い当たらない(笑)。さっきも言ったように、自分の音楽がどこから来ているかとか、あまり自問をしないんだ。ただ直感に従って曲を書こうとしているだけさ。子供の頃から、そういう風に音楽が「聴こえる」なかで育ってきたし、曲を書くときもそういう方法で書きたい。『ノース・マリン・ドライヴ』の曲なんかは、10代特有の怒りだったり、若いラヴソングだったり、どれも若い頃には誰でも経験する典型的な物事についてさ。ただそれが僕なりの形で出てきたっていうだけだから、それを解説するっていうのは難しいな。あまりそこを深く考えたくないというか、それに名前をつけてしまいたくはないんだ。
■では、なぜデビュー当時のあなたやトレーシー・ソーンはアコースティックな響きの音楽性にこだわったのでしょう?
BW:わからないな、本当に自分でも知らないんだよ(笑)。自然といろいろなことをやりながら成長していくのさ、音楽を聴いてその影響を吸収して、自分のなかで音楽が聴こえてきて、それが座って曲を書き出すと出てくるんだ。もっと詳細を話せたらいいんだろうけど。
■他のバンドからの影響はありましたか? オレンジ・ジュースとか?
BW:うーん、僕が思うには、トレイシーは若い頃に彼女の兄が持っていた70年代初期のロックなんかのレコードを聴いたり、父親のジャズだったり、その後には自分でディスコやパティ・スミス、アンダートーンズ、バズコックス、それにオレンジ・ジュースなんかを発見して聴いてきたから、彼女の側にはそういう影響は少なからずあると思う。
僕のほうはちょっとそれとは違っていたね。僕の父親がジャズ・ミュージシャンだったからジャズをたくさん聴いたり、10歳くらい年の離れた兄や姉が持っていた60年代後半から70年代前半のレコードを聴いたりして育ったんだ。ルー・リードやロイ・ハーパー、サイモン&ガーファンクル、ニール・ヤングとかね。そして10代の頃にジョン・マーティンの音楽に出会って、それが僕のギタープレイにかなり影響を与えた。その他にはさっきも言ったブライアン・イーノの70年代半ばの『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』とか、その後にはニック・ドレイクやロバート・ワイアット、ケヴィン・コインとかのイギリスのアウトサイダー・フォークみたいな音楽も発見してよく聴いたな。だからその辺の音楽が当時の影響だったとは言えるかもしれないね。
■あのアルバムや「Summer Into Winter」の収録曲で、いまでもとくに好きな曲を教えて下さい。
BW:『Summer Into Winter』の“Walter And John”はとても好きだね。あとは『ノース・マリン・ドライヴ』のタイトル・トラックも好きだよ、あのアルバムでいちばん良い曲だと思ってる。それと“Some Things Don't Matter”も好きな曲だよ。
僕はどの曲もほとんどが美しさとメランコリーのあいだにあると思う。そういう対比に惹かれるんだ、綺麗なメロディに悲しい歌詞が乗っていたりする曲や、その逆の曲を書くのが好きなのさ。
![]() Ben Watt Hendra ホステス |
■今回の、たとえば“THE GUN”という曲もそうだし、EBTGの悲しい歌を聴いていても、決して社会とは無関係ではないように思うんですが、あなた自身、政治と音楽はどのように考えているのでしょうか?
BW:僕が音楽と政治を繋がりのあるものとして扱うときは、あくまで個人的な立場や見解からアプローチする。政治がどのように人びとの生活を染めていくかとか、日常生活にどんな影響を及ぼしているかとかさ。“THE GUN”は銃規制やそれがある特定のひとつの家族に対して与える影響についての歌だけど、これまでのキャリアにおいても僕はそういう、パーソナルな政治的な意見を曲のなかで折に触れて書いてきたと思う。だから僕が政治について書くときはいつもそういった視点からさ。
■あの時代と比べて、インターネットの普及に象徴されるように、いまの社会は大きく変わりました。あなたがもっとも変わって欲しくなくて変わってしまったものは何だと思いますか?
BW:うーん……どうしよう(笑)。そういう風な考え方をしたことがなかったんだ。基本的に僕らはみんな自分の目の前にあるものに対処しているから──いまもいま現在で、いくつもそのときの問題っていうものがあるものでさ。そうだね、僕らの生活は僕が20歳だった頃からはだいぶ変わったよ。でも、目の前にある問題に取り組むっていうものなんじゃないかな……わからないや、難しい質問だね。
■『ヘンドラ』というタイトルになった理由は?
BW:タイトル・トラックになっている曲が、僕の亡くなった姉についての曲なんだけど、姉はとてもシンプルな人生を歩んでいた人で、お店の店員としての仕事をして、窮屈で難しい生活をしていた。週末に休みが取れると、いつも「ヘンドラ」に行く、と言っていたんだ。それがどこなのかは知らなかったけど、綺麗な言葉だなとは思っていた。
そして彼女が亡くなったとき、その言葉の意味を調べてみることにした。そうしたらそれが、彼女の行っていた場所の通りの名前で、同時に古いコーンウォール語で「home(=家、家庭、故郷)」、または「farm(=牧場、農園)」っていう意味の言葉でもあると知った。その途端、この言葉がアルバムのタイトルとして素晴らしいものだと思えたんだ。僕の姉に関連しているパーソナルな繋がりもあって、美しくて不思議な、神話的な響きの言葉でさ。そしてホーム、戻る場所っていう深い意味合いもあって、今回のアルバムにはぴったりだった。
■この先もソロ・アルバムを出していくつもりですか?
BW:現時点ではわからないな、あまりいつも先のことを計画しないようにしているんだ。僕の人生において、いちども計画を立てようとしたことはないよ。いつも直観に従うようにしているからさ。何かひとつのことを続けて、それが何か間違っていると感じたら、そこで止めて、「次は何をしよう?」って自問するのさ(笑)。そこで決断を下すんだ。
■〈Unmade Road〉は今後もレーベルとして活動していくのでしょうか?
BW:当然このアルバムを〈Buzzin' Fly〉や〈Strange Feeling〉から出すこともできたけど、それをすると僕自身レコード会社にいなきゃならない。今回はそうしたくなかった、どちらも小さなインディペンデント・レーベルだからやることがたくさんあって、そういう仕事をこなしながらアーティストとしての活動も両立させるっていうことはしたくなかったのさ。だから新しいレーベルを立ち上げたわけで、あくまでこのレーベルは今回のアルバムを乗せて走るための乗り物のようなものなんだよ。
■最後に、あなたの音楽はメランコリックとはいえ、今作の“SPRING”や“ヘンドラ”、“GOLDEN RATIO”や“NATHANIEL”などといった曲には、ある種の前向きさも感じます。
BW:僕はどの曲もほとんどが美しさとメランコリーのあいだにあると思うんだ。これは僕自身の曲に限らず、音楽全般において僕がダウンビートでありながら、どこか高揚感のあるものに興味があるからだろうね。そういう対比に惹かれるんだ、綺麗なメロディに悲しい歌詞が乗っていたりする曲や、その逆の曲を書くのが好きなのさ。だからその高揚感のある部分によって、ポジティヴさも出しているように聴こえるんだろうね。
部屋はどれも冷えきっているが それでも天国だ
お日様だって輝いている
知ってるだろう 雲の切れ間から差し込む光を
人がなんと言っているか
オー ヘンドラ オー ヘンドラ
ぼくはこの道をまた歩むだろう
それで申し分ないと きみが感じさせてくれるから
“ヘンドラ”
パンダ・ベアとエイヴィ・テア。アニマル・コレクティヴを動かすふたつの心臓は、この10年のインディ・シーンにも力づよく血を送り込んできた。フリーフォーク……と暫定的に呼ばれた、アニコレ初期のアシッディでサイケデリックな音楽性は、2005年の『フィールズ』において底知れないエクスペリメンタリズムと祝祭的な高揚感とを爆発させ、向こう10年の音をささえる礎となった。まさにそれは、やがて過剰すぎる情報集積空間へと姿を変えていく、2000年代的な想像力の始原の海だったのだろう……と、いまでこそ思う。あの澱のように不透明な、それでいてきらきらと輝くノイズの群れは、その後かたちさまざまに命を得るはずのたくさんの微生物やゴミをふくんだ、養分そのものだったのだと。
当時はただギャング・ギャング・ダンスらと並んで、批評としてのトライバリズムやブルックリンの無邪気な実験精神を象徴するようにも見えたが、たとえば彼らの〈ポウ・トラックス〉がアリエル・ピンクを輩出していたり、チルウェイヴの源流をパンダ・ベアに見ることができたり、あるいは彼ら以降のインディ・ロックの耳が、穏やかなアンビエントへと転向したエメラルズを見つけていったりすることを考えても、その功績の大きさは時間が経つほど鮮明になっていくように感じられる。
とはいえ、いつまでも当初のエネルギーやクリエイティヴィティが直線的にのびるということはありえない。『フィールズ』を頂点として、彼らもまたゆるやかに放物線を描いて下降していく。その間のどのアルバムも相対的には素晴らしく、個人的にも好きなのだが、キャリアの充実はむしろそれぞれのソロ作品において追及されていくようになったと言うことができるだろう。パンダ・ベアは『パーソン・ピッチ』や『トンボイ』を生み、前述のように2000年代のサイケデリック・ミュージックをチルアウトさせ、ヒプナゴジックでドリーミーな方向へと振った。エイヴィ・テアは妻クリア・ブレッカンとともに『プルヘア・ラブアイ(Pullhair Rubeye)』、ソロで『ダウン・ゼア』をリリースし、天然色のノイズと無国籍的なムードでハイ・テンションなサイケデリックを放ちつづけた。そう考えるとやはりふたつが重なってのアニコレだが、黄金比率で彼らがシンクロしていると感じられるアルバムはしばらくなく、どちらかが引くか、もしくはイニシアティヴをとるかして制作されているという印象を受ける。その点からすれば、アニコレの前作『センティピード・ヘルツ』(2012年)はエイヴィ・テアのアルバムだった。しかし筆者からすれば、チルアウトやヒプナゴジック(夢見心地)というタームのなかに時代と切り結ぶ批評性がふくまれていたことに対し、東洋のけばけばしい獅子の面をかぶって爆走するエイヴィ・テアのノイズやサイケデリアは、ダン・ディーコンらとともにいつしか古びた2000年代の面影を象徴するように思われたことは否定できない。
そこから最初のアルバム・リリースとなるのが本作『エンター・ザ・スラッシャー・ハウス』である。そして、これがバンド編成で制作された作品であるということは看過できないポイントだ。ダーティ・プロジェクターズのエンジェル・デラドゥーリアン、ポニーテイルなどでドラムを任されるジェレミー・ハイマンを迎え、彼らは「エイヴィ・テアズ・スラッシャー・フリックス」と名乗っている。エイヴィ・テアにとってアニマル・コレクティヴ以外に必要なバンドとはなんなのだろう。そう思って聴く冒頭の“ア・センダー”があまりにアニコレで一瞬椅子からずり落ちる(エレクトロニックで、整ったプロダクションを持っているところは2010年前後の作品の感触、『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』から逆向きに『フィールズ』へ遡行していくような錯覚を覚える)……。
しかし、それは冒頭の1曲だけ。“デュプレックス・トリップ”のダビーな音響は耳新しく、“ブラインド・ベイブ”のハードコア的なリズム構築などは、まさにポニーテイルの面目躍如といった新しい表情を加えている。“リトル・ファング”は、アリエル・ピンクが近作で接近しているようなソフト・ロック調。“ザット・イット・ウォント・グロウ”はファン・アイランドのようなハイエナジーでエモーショナルなパンク・バンドを思わせる。“ジ・アウトロウ”のプログレ展開、“モダン・デイズ・E”のアッパーでファンキーなビート、過度なエフェクトは排されていて、クリーンにギターが聴こえてきたりするところも非常に新鮮だ。本当にこれはエイヴィ・テアの音なのだろうか。彼にはまだこんなにも豊かに、振るべき袖がたくしこまれていたのか。
問いを戻そう。エイヴィ・テアにとってアニマル・コレクティヴ以外に必要なバンドとはなんなのだろうか。2000年代インディ・ロック・カタログとまではいかずとも、ここまで1曲ごとに性質を変えて作り込んだ曲を並べられれば、自身のエゴを解体し、それによってひとつの限界を突き崩し、より遠くまでいきたいという思いがあるのではないか、そのためのよきサポートを必要としていたのではないかと推測したくなる。エイヴィ・テアの新作ときいて暗に想定していたような予定調和はここにはまるでなく、むしろ彼にとってのひとつの転換点が企図されているように感じられる。アー写やタイトルのB級ホラー趣味こそ相変わらずだけれども、どれほど意識的なものかはわからないが、とても前向きな一歩が踏み出されていて、メンバーの仕事もそれをサポートして余りあるものだ。この新たな関係のなかで、エイヴィ・テアは新たなエゴを手にしたのだというたしかな手触りがある。
それでも1曲めは“デュプレックス・トリップ”なのだなあと思うと少し切なくもある。このバンドが、彼にとってのアニマル・コレクティヴのやり直しだったりしてほしくはないという思いは良い方向に裏切られたが、ラス前にパンダ・ベアのロングトーンを思わせる“ストレンジ・カラーズ”が聴こえてきたときにも少しひりっとするものがあった。新しいエイヴィ・テアは、いつか新しいアニマル・コレクティヴにつながってほしい。次のパンダ・ベアのソロにも同様のことを期待する。彼らには未来においてもういちど、歴史を緊張させるような鋭さを持つはずだから。
![]() Grenier Meets Archie Pelago 『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』 Melodic Records/Pヴァイン |
要はタイミングである。だってそうだろう、生ジャズがハウスと一緒になった、珍しいことではない。新しいことでもない。が、アーチー・ペラーゴのデビュー12インチは、都内の輸入盤店ではずいぶんと話題になった。何の前情報もなしに売り切れて、再入荷しては売り切れ、そしてさらにまた売り切れた。
僕が聴いたのは2013年初頭だったが、リリースは前年末。年が明けて、お店のスタッフから「え? まだ聴いてないの?」と煽られたのである。そのとき騒いでいたのは、ディスクロージャーの日本でのヒットを準備していたような、若い世代だった(……マサやんではない)。
いまや人気レーベルのひとつになった、お月様マークの〈Mister Saturday Night〉が最初にリリースしたのがアンソニー・ネイプルスで、続いてのリリースがアーチー・ペラーゴだった。東欧やデトロイト、そしてUKへと、ポストダブステップからハウスの時代の到来を印象づけつつあった流れのなかでのNYからのクールな一撃だったと言えよう。
アーチー・ペラーゴの結成は2010年、グレッグ・ヘッフェマン、ザック・コーバー、ダン・ハーショーンの3人によって、ブルックリンにて誕生。メンバーはPCやターンテーブルを使い、そして同時に、クラリネット、トランペット、チェロ、サックスを演奏する。全員が幼少期からクラシックとジャズを学んでいるので、うまい。PCにサン・ラーのでっかい写真(?)が貼られているところも好感が持てる。
2013年以降は、自分たちのレーベル〈Archie Pelago Music〉を立ち上げて、コンスタントに作品をリリースしている。ジャズ/ハウスといったカテゴリーに留まらず、よりレフトフィールドな領域にもアプローチしている。IDMやブロークンビートの要素を取り入れながら、自分たちの可能性を広げているのだろう。
この度NYの3人組は、サンフランシスコのDJ、ディーン・グレニアーとのコラボレーション・アルバム『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』をリリースする。共作とはいえ、アーチー・ペラーゴにとっては初めてのアルバムとなる。
このように、液体状のごとく溶けるジャズ・エレクロニカだが、これを中毒性の高い、夢世界を繰り広げるのがアルバムである。
いつもエレクトロニック・ミュージックは好きだった。ジャズのコンサートではなく、夜のクラブに行きはじめたのは2008年か9年頃。決定的なきっかけは、とあるバーにたまたま立ち寄った際に、素晴らしいサウンドシステムで、140bpmの音楽を聴いたときだったね。
■バンドはいつ、どのようにしてはじまったのでしょう? 2012年、アーチー・ペラーゴが〈Mister Saturday Night Records〉から発表した「The Archie Pelago EP」は、同時期にリリースされたアンソニー・ネイプルスのEPとともに日本でもコアな人たちのあいだでずいぶんと話題になったんですよ。
Dan ‘Hirshi’:クローバとコスモとは、僕がニューヨークでDJをしていたときに別々に知り合った。ふたりとも僕のDJセットに生楽器をブレンドするという可能性を提示してくれてね、とても興奮したよ。彼らはエレクトロニック・ダンス・ミュージックの未来に関して、僕と同じような先見を持っていたからね。
Zach ‘Kroba’:大学を卒業してから、しばらくハーシと彼のDJのパートナーと一緒にいたんだけど、そのときに、ハーシがチェロ奏者と一緒にはじめる新しいプロジェクトに参加しないかと声をかけてくれた。コスモの家に行って曲を録音したのがはじまりだ。その後は知ってのとおりだね。
Greg ‘Cosmo D’:長いあいだ、僕らは、独自の方法でエレクトロニック・ミュージックを作ってきたんだよ。2009年から2010年にかけていろんなダンス・パーティに遊びに行っていたからね。とくにDub Warというパーティへよく行っていたんだけど、その後自分のまわりで起きていることをもっと深く自分のプロダクションへ反映させたいと思った。それがハーシに会ったときで、彼はクローバも紹介してくれた。そして、2010年にアーチー・ペラーゴがはじまったっていうわけ。
■バンドをはじめようと言いだしたのは誰でしょうか?
G:とくに誰かがはじめようと言ったわけではないよ。セッションをしていくなかで、ごく自然に、有機的にはじまった。
■メンバーのみなさん、クラリネット、トランペット、チェロ、サックスなど、生楽器を演奏しますが、それぞれの音楽のバックボーンについて教えて下さい。
G:子供の頃からチェロをならっていた。大人になってジャズとインプロヴィゼーションを学び、そしてエレクトロニック・ミュージックに興味を持ったんだ。大学の後にもっと真剣に楽曲の制作をするようになった。
Z:僕は、7歳の頃からクラリネットのトレーニングをはじめたんだ。1年後にはアルト・サックスの練習した。15歳でテナー・サックスに転向して、数年後にジャズの音楽学校に通いはじめた。学校ではギターのペダル・エフェクトをサックスに使う実験をはじめたり、ロジック・プロを使ってエレクトロニック・ミュージックの作曲もはじめたね。
D:僕は、5年生の頃からトランペットを吹きはじめている。バンドだったり、オーケストラ、ジャズ・バンドで演奏もしていたよ。ちょうど、自分の人格の形成期の頃だったね。大学でも演奏を続けていたけど、僕の音楽の探求はアカデミックな方向にも向かった。しかも、この頃にDJを覚えてWNYUというラジオ局で自分の番組も持ったんだ。また、リーズンというソフトを使ってアイデアを形にすることを覚えたのもこの頃。こうしたことが2014年のいまの自分が音楽的にどの立場にいるかを形成したと思う。
■メンバーの役割分担はどうなっているのでしょうか?
G:僕たちはみんなで作曲して、クリエイティヴィティに貢献している。作曲後、さまざまなクリエイティヴなテクニックを通して、僕がミックスして、“アーチー・ペラーゴ・サウンド”を作り上げる。
D:僕たちの役割は絶えず変化する。たいていの場合、初めは誰かがアイデアを出して、それをグループで形作っていく。それぞれの得意な方向性があって、他のメンバーのフィードバックを受け入れている。
Z:他のメンバーと作曲することにはとても満足しているけどね。僕たちは楽々とお互いのアイデアを膨らますことが出来るから。そして、いつも互いに影響を受け合っている。
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〈Mister Saturday Night〉は特別な存在だよ。パーティをはじめたイーマンとジャスティンには明確なヴィジョンがあった。いちどなかに入ると、君はあることに気付くだろうね。それはイーマンとジャスティンがダンス・ミュージックの外にある音楽世界を意識していることなんだ。
![]() Grenier Meets Archie Pelago 『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』 Melodic Records/Pヴァイン |
■ジャズのアーティスト/もしくは作品でとくに好きなのは誰/もしくはどの作品なのでしょうか?
G:エリック・ドルフィーで、『Out to Lunch』だね
D:リー・モーガンの『Lee-way』かな。
Z:それでは僕は、キース・ジャレットの『Fort Yawuh』をあげておこうか。
■みなさんがクラブ・カルチャーに入ったきっかけは何だったのでしょう?
G:初めの頃から、僕は、いつもエレクトロニック・ミュージックは好きだった。ジャズのコンサートではなく、夜のクラブに行きはじめたのは2008か9年頃かな。決定的なきっかけは、カルガリーのとあるバーにたまたま立ち寄った際に、素晴らしいサウンドシステムで、140bpmの音楽を聴いたときだったね。ニューヨークに戻ってからは、もっと深いところを追求するようになった。
D:大学の頃にヒップホップのシーンに関わっていたんだけど、エレクトロニック・ミュージックは、単純に次のステップだった。とくにDub Warというイヴェントが新しいダンス・ミュージックへの扉を開いてくれた。2009年から10年にかけて、多くのUKのアーティストがプレイしていたような音楽だよ。この音楽とそのコミュニティにとても影響を受けている。想像力を掻き立てられたんだ。
Z:僕は若いころからジャングルとかIDMをたくさん聴いてたからね。2008年頃に、UKガラージとダブステップにハマった。当時はまだ21歳未満だったから、ニューヨークのほとんどのクラブには入れなかった。で、2009年から10年頃にオランダのアムステルダムに住んでいて、ようやくお気に入りのDJやクラブに行けるようになった。これが大きなきっかけになったね。
■〈Mister Saturday Night〉はレーベルであり、ブルックリンのパーティでもあるそうですね。どんな特徴のパーティなのでしょう? あなたがたと〈Mister Saturday Night〉との出会いについて教えて下さい。
G:Mister Saturday Night(MSN)のスタッフとはジョーダン・ロスレイン(Jordan Rothlein)を通して知り合った。ジョーダンは、いまはレジデント・アドバイザーで記事を書いているよ。
そうだな……僕は、当時はWNYUでレギュラー番組を持っていた。僕たちの曲をMSNのスタッフに渡してくれて、アーチー・ペラーゴとつながるべきだと推薦してくれた。MSNは特別な存在だよ。パーティをはじめたイーマン(Eamon)とジャスティン(Justin)には明確なヴィジョンがあった。MSNはきちんとブランディングするような会社が作ってきたわけじゃないからね。ふたりとその仲間たちが主導して進めてきたものなんだ。パーティ自体がとても独特で、いちどなかに入ると、君はあることに気付くだろうね。それはイーマンとジャスティンがダンス・ミュージックの外にある音楽世界を意識していることなんだ。だから僕たちが関われたんだよ。アーチー・ペラーゴではなく、プロとして活動するミュージシャンとして。
■生楽器の演奏とPC(デジタル)との融合が〈Mister Saturday Night〉の特徴ですが、エレクトロニック・ミュージックでとくに影響を受けたのは誰でしょうか?
G:直接の影響は説明しづらいな。それぞれのメンバーがそれぞれの方法で演奏をはじめて以来、エレクトロニックな要素はミュージシャンとしての僕たちが求める重要なものだった。最近見たKiNK(※ブルガリアの炉デューサー)とVoices from the Lake(※イタリアの2人組)のライヴ・ショーにはとくに感動した。
Z:Voices from the LakeとKiNKは、エレクトロニックを混ぜたインプロを見せてくれたよね。まさに僕らの求めるものだった。僕らの好むパフォーマンスにはリスクが必要だし。
■Archie Pelagoというバンド名の由来について教えて下さい。
D:このプロジェクトをはじめたとき、コスモと僕でバンド名のアイデアを出し合っていた。アーチー・ペラーゴは発音しても本当に面白い言葉だよね。僕は、本当に存在するかもわからないようなアーティストに魅了されてきた。アーチー・ペラーゴはひとつの名前だけど、バラバラの素材がひとつの完全体を作り上げているんだ。根底には、共通のヴィジョンを持った共同体、諸島、列島という意味がある。
G:それと僕たちのホームタウンのニューヨークは専門的に列島(archipelago)だろ。このこともバンド名には反映されている。
■ライヴはよくやられているのでしょうか?
G:月に何回かね。それからSub FMでは毎月第1と第3日曜に自分たちの番組を持っている。こちらの現地時間で夜の11時からの放送で、ネット配信なので世界中から聴くことができるよ。
■自分たちのレーベル〈Archie Pelago Music〉を立ち上げた理由は?
G:自分たちのやり方で、自身の音楽を出していきたかった。少なくとも2、3作をリリースしてみて、その過程がどのようなものか知りたかったんだ。
D:自分たちの音楽に対して、クリエイティヴなコントロールを自分たちで行うのはとても重要だし。
Z:僕たちの書いてきた音楽って、どこか他のレーベルが興味を持ってくるかわからないから。“Sly Gazabo”は素晴らしい曲だったし、自分たちのやり方で出来るのかやってみたかった。
■シングルでは、いろいろなアプローチ──ジャズ、ハウス、ブロークン・ビート、エクスペリメンタル、IDMなどなど──を試していますが、これは、ひとつのスタイルを極めるよりも、たくさんのことをやりたいというバンドのスタンスを表しているものなのでしょうか?
G:僕たちは、自分自身の音楽的宇宙を創造したいと熱望している。自分らが共有してきた経験を取り囲むもの。発展させていく音楽とクリエイティヴに関する興味を反映させたものだ。ファンには音楽の進化として、過去の音楽ジャンルと僕たちの成長を見てもらいたい。
■PCを使った音楽で、とくに影響を受けた作品はなんでしょう?
G:マトモスの『A Chance to Cut is a Chance to Cure』はコンピュータが制作の過程として機能するという意味においては、初期に大きな影響を受けたね。
D:ザ・フィールドの『From Here We Go Sublime』が大好きだな。極限にミニマルで、極小のサンプリングがとてもパワフルなんだ。
Z:オウテカ、エイフェックス・ツイン、ヴェネチアン・スネアズ、スクエアプッシャーには個人的にとても影響を受けた。自分はジャズ・ミュージシャンとして、彼らの興味深いシンコペーションの方法を楽しんでいるんだよ。
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オウテカ、エイフェックス・ツイン、ヴェネチアン・スネアズ、スクエアプッシャーには個人的にとても影響を受けた。自分はジャズ・ミュージシャンとして、彼らの興味深いシンコペーションの方法を楽しんでいまるんだよ。
![]() Grenier Meets Archie Pelago 『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』 Melodic Records/Pヴァイン |
■今回、ディーン・グレニアーとのコラボレーション作品とはいえ、初めてのアルバムとなりました。シングルではなく、どうしてアルバムにまで発展したのでしょうか?
G:このアルバムは僕たちにとって未知の領域だよ。部分的にはフル・アルバムをリリースしたといえるだろうけど、いままでにも多くの曲を書いてきたからね。
D:これはただのはじまりに過ぎないよ。
Z:セッションではたくさんの曲を作ったよね。で、これはオーディエンスに聴かせる価値があると感じた。
■ディスタルが縁でディーン・グレニアーと知り合ったと言いますが、ディスタルと知り合ったきっかけは何でしょうか?
D:2009年から10年にかけて、ディスタルがニューヨークにツアーに来ていたときに会った。そのとき僕らがWNYUの番組に誘ったんだ。それから連絡を取り続けて、〈テックトニック〉からリリースされたヘクサデシベル(Hexadecibel)とのコラボの「Booyant」のリミックスで初めて一緒にやれたんだよね。
■ディーン・グレニアーのどんなところに共感したのですか?
G:スタジオでの化学反応がすごくよかった。アイデアが自然にすぐに出てくるんだ。
D:お互いの音楽を好きなことも要因だよね。
Z:実は、2011年末にグレニアーがニューヨークに来たときに一緒に数曲録音したんだ。実りの多いセッションでね、だから、その後のコラボを目指してきたんだ。
■サンフランシスコでのセッションは、どんな感じだったのでしょうか?
G:建設的で、オーガニックな感じで、とても満足のいくものだった。
D:ペール・エールとソーセージが燃料になった感じ。
Z:数日の中でいろんな音楽を詰め込むことができたかもね。
■生楽器の音色が、液体が溶けるようだったり、大気中に溶けるようだったり、とてもユニークな録音になっているように思います。
D:そうだね、アーチー・ペラーゴのサウンドとグレニアーのプロダクション・スタイルがピッタリとハマった感じだよね。
Z:グレニアーの特徴的なプロダクションがアーチー・ペラーゴの音色の幅のなかに溶け込んでいるのがきっと聴こえるよ。これは本当に偶然的なことだよ。
G:うん、まわりの状況がどうであれ、作曲して制作することは僕にとっては呼吸をするようなも。制作過程のなかで、時間と場所があって、音楽を広げることと、深くへ入り込んでいく好奇心を共有できたのはラッキーだった。
■“Swoon”の出だしが最高で、思わず音楽のなかに引きずり込まれますが、とくにお気に入りのトラックは?
G:難しい質問だね。個人的には“Cartographer’s Wife”がアルバムの中心だと思っている。ジャングルのなかで宝箱を見つけたような感じじゃない? 他のメンバーは否定するかもしれないけどね。
Z:僕は、いまは“Tower Of Joined Hands”がお気に入りかな。だけど、心のなかには“Monolith”もある。
D:うーん、僕は、“Hyperion”と“Tower Of Joined Hands”がいまの気分だね。
■ほかにも、“Navigator”のハウスのリズムとトランペットの重なり方も素晴らしいと思いましたが、今作には、テクノ寄りのダンス・ミュージックがありますね。たとえば、ミニマルな“Pliny The Elder”、あるいは“Phosphorent”、で、いま話に出た“Tower Of Joined Hands”もダンス・ミュージックへの情熱を感じる曲です。こうした曲には、ディーン・グレニアーの存在が大きいのでしょうか?
G:いろんな段階だったり、さまざまな方法で、僕たち全員がこのアルバムのすべての楽曲に関わっているんだ。とく誰かってわけではないよ、みんなで共有しているものだ。
■あながたの好きなテクノについて話して下さい。
G:ピーター・ダンドフ(Petar Dundov)にはやられた。彼の音楽の組み立て方とシンセのパターンは素晴らしいと思う。
Z:〈ザ・バンカー〉(The Bunker)、〈トークン〉(Token)、〈スペクトラム・スプールズ〉(Spectrum Spools)、〈ジオフォン〉(Geophone)、〈プロローグ〉(Prologue)あたりのレーベルはいつも僕の鼓膜を喜ばしてくれる。迷宮のなかに深く潜り込んでいく感じがするね。
D:僕はロバート・フッドやアンダーグラウンド・レジスタンスが好きだね。
■好きなDJの名前をあげてください。
D:ターボタックス・クルー(Turrbotax crew)、ヌーカ・ジョーンズ(Nooka Jones)、ベンUFO、ドナート・ドッジー(Donato Dozzy)……。
G:お気に入りはいつも変わっているんだけど、最近だとグラスゴーで見たジェネラル・ラッド(General Ludd)のギグが良かった。
Z:カルロス・ソーフロント(Carlos Souffront)は選曲もミックスのスキルの点でもマスターだと思う。デトロイトはいつも素晴らしいよね。ドナート・ドッジーもシャーマン的なマスターだよ。
■アーチー・ペラーゴのインスピレーションの源はなんでしょう?
G:人生だね。
Z:ピザだね。
D:人生とピザだね!
■アーチー・ペラーゴ単体のアルバムのリリース予定はありますか?
G:もちろん! 引き続き注目していて下さい!
松葉色の味わい深いくすみが路辺に生きる雑草を思わせる紙ケースの片隅に、井の字をあしらった切り抜きが拵えられている。そこからは生まれ落ちて成育し、楽器を手にして次の世代を残す蛙の姿の、延々とつづく生命の循環の一コマが顔を覗かせており、盤面を回転させることによって、そのサイクルを辿っていくことができるようになっている。書籍の装幀などを手掛けてきた谷田幸によるこの小粋な容れ物に収められているのは、トロンボーン奏者の古池寿浩による初のソロ・アルバムとなる『井の中の蛙』である。
1974年生まれの古池は、いわゆる音響的即興を活動の中心に据えつつも、渋さ知らズや藤井郷子オーケストラ、宇波拓率いるHOSEなどでも活躍し、元コンポステラの中尾勘二と関島岳郎とともに組んだバンド・ふいごにおいては、今年で結成15周年を迎えるという手練れである。その苗字から連想される芭蕉の名句を体現するかのような音楽は、しかし自然を模すことによって生み出されたものというよりも、彼のトロンボーンに対する飽くなき探究心が、偶然にもその音色と交差していく様子を聴き取ることができるようなものとなっている。
欧州に滞在した経験もある古池は、彼の地では日常的に行われているという自宅コンサートを、ここ日本において定期的に開催してきた。極小の空間で奏者と聴者の親密な関係性のもとに行われるライヴは、音量を抑えなければならないという物理的な制約も手伝って、微弱な音の中にある豊穣な音楽を紡ぎ出すという、音響的アプローチが中心となった試みである。その企てを発展させるかたちで大崎〈l-e〉において月に一度のペースで開催してきたイヴェント〈井の中の蛙〉の、本盤は集大成であるといってもよいだろう。お玉杓子(オタマジャクシ)、鳴嚢(鳴き袋)、黒斑紋(トノサマガエルなどにみられる模様)、蟾酥(ヒキガエルから抽出される生薬)、それに森青やオットン(ともに日本固有の蛙の名称)といったように、すべての曲名が蛙と関連づけられており、その音色もどこかこの生き物を思わせるものである。しかし一度そうした連想を断ち切って響きに沈潜してみれば、はたして本当にトロンボーンひとつによるものなのかと驚くほどに、多様な音を聴き取ることができる。引き延ばされた一音から湧き出る粒子状の音、抑制されたホワイトノイズ、打楽のような破裂音、あるいはモンゴルの伝統的歌唱法であるホーミーにも似た重音奏法による旋律。
それはわたしたちがふだん、奏されるものとしてのこの金管楽器に潜在する音を、まるで聴き逃しながら接しているということに対する気づきとも言い換えられる。雑音/楽音の境界線は、知的には切り崩されていようとも、西洋音楽の規範を内面化して生きざるを得ないこの国にあっては、いまだに人々の奥深くに居座りつづけている。トロンボーンを吹くということが、単旋律を奏でるという意味で即座に解されることへの驚きのなさ。であればこそ、こうした試みには、過ぎ去った潮流の残り香として無視してしまってはならない現在的な価値があると言えるのだ。だが古池はさらに特異な歩を進めている。圧し殺された楽器の声が、奏者の全身を賭して掬い上げられるとき、すなわち気息が関与することで奏するものと奏されるものが一体となった音楽が生み出されるとき、それがわたしたちの記憶の底に埋れた響きと重なり合う瞬間がおとずれる。ここに散乱する表題が生きてくる。環境的な音に具体的なかたちがあらかじめ呈示されていることによって、わたしたちはほとんど奇跡としか呼びようのないトロンボーンと蛙の邂逅に立ち会うこととなる。それは大海を知らぬ井の中の蛙が、されど空の高さを知るようにして、トロンボーンという固有の道具から無限の想像力を引き出すことに成功している。



