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ザ・ミスティーズは、ザ・ボーツのアンドリュー・ハーグリーヴスと女性ヴォーカリスト、ベス・ロバーツによるユニットである。
透明で幽玄なヴォーカル、激しい電子ノイズ、歪んだビート。このアルバムを近年流行のインダストリアル/テクノとして分類することは当然可能だ。だが同時に、ヴォーカル入りゆえ、ポップ・ミュージックを「偽装」してもいる。これが重要だ。この偽装によって、聴き手の意識をノイズの奔流へとアジャストさせ、時代の「底」へと連れ出していくのだ。「底」とは芸術の底でもある。それはすべてが可視化されるインターネット環境下における「抑圧されたものの回帰」だ。暗く、不透明で、ノイジーな音などの抑圧されたものたちの回帰。ザ・ミスティーズに限らずインダストリアル/テクノは、そのような音楽とはいえないか。バタイユとフロイトの申し子のように。
ザ・ミスティーズについて先を急ぐ前に、まずはザ・ボーツを振り返っておく必要がある。ザ・ボーツは、アンドリュー・ハーグリーヴス とクレイグ・タッターサルがオリジナル・メンバーのエレクトロニカ・ユニットであった。「あった」というのはその音楽性が、現在、大きく変化しているからだ。これまでの経歴を確認しておこう。
ザ・ボーツは2004年に最初のアルバム『ソングス・バイ・ザ・シー』を〈モビール〉から発表した。〈モビール〉は、00年代中期において、エル・フォグやausなどのアルバムをリリースしていたUKのエレクトロニカ・レーベルである。ザ・ボーツは〈モビール〉から『ウィ・メイド・イット・フォー・ユー』(2005)、『トゥモロウ・タイム』(2006)と3枚のアルバムをリリースしている。総じてIDM的な響きにアンビエント的な持続が軽やかに持続し、いわばフォーキーなネオアコースティック・エレクトロとでもいうべき、いかにも00年代中期的なエレクトロニカである。
2008年以降は自らのレーベル〈アワー・スモール・イデアス〉から『サチュレーション, ヒュム&ヒス』(2008)、『ザ・バラッド・オブ・ザ・イーグル』(2011)、『バラッズ・オブ・ザ・ダークルーム』(2011)などのアルバムや各種EP、ausが運営する〈フラウ〉から『フォールティ・トーンド・レイディオ』(2008)、〈ホームノーマル〉から『ワーズ・アー・サムシング・エルス』(2009)などのアルバムをリリースする。その作品は次第にモダン・クラシカルな要素が導入され、サウンドの色彩感にも変化を聴きとることができた。そして2011年。〈12k〉から『バラッズ・オブ・ザ・リサーチ・デパートメント』を発表する。このアルバムは彼らのエレクトロニカ/モダン・クラシカル路線の総括とでもいうべき作品だ(ちなみに、アンドリュー・ハーグリーヴスは、ザ・ボーツの他にもテープ・ループ・オーケストラなどを結成し活動)。
以降、ザ・ボーツは大きな変化を遂げることになる。2013年、彼らは新たな自主レーベル〈アザー・イデアス〉を設立。そのサウンドはインダストリアル・サウンドへと急激な変貌を遂げる。ザ・ボーツは、〈アザー・イデアス〉からカセットテープ・オンリーで『ライブ・アット・St.ジェームス・プライオリィ,ブリストル』(2013)、アルバム『ノーメンカルチャー』を立て続けに発表。そのアートワークもインダストリアル/テクノのイメージを喚起させる赤とモノトーンの色彩を基調とした象徴主義的なイコンを思わせるデザインへと一変した。この変化は少なからずリスナーを驚かせた。あのザ・ボーツがこのような音になるとは誰も予想していなかったからだ。
その〈アザー・イデアス〉最初のリリースが、ザ・ミスティーズの7インチ・シングル「ストーキング / ドロワーズ」(2003)である。この7インチ盤に続き、彼らは60ページのブックレットと5曲入りのCDがセットになった限定盤『レコンビナント・アーキオロジー』(2013)をリリース。ついでアルバム『リデンプション・フォレスト』をLP限定300部で発表した。そして本年2014年、日本のレーベル〈プレコ〉からオリジナル盤に4曲の未収録曲(傑作シングル“ストーキング”と“ドロワーズ”も収録)を加えた完全版とでもいうべきCD盤をリリース。さらに広いリスナーに彼らの音楽が届くことになった。
インダストリアル化したザ・ボーツとザ・ミスティーズは同レーベルにおいてほぼ同時期にリリースされたこともあり、インダストリアル/テクノなトラックという音楽性には共通するものがある。だが、ザ・ミスティーズにはヴォーカルが入っている。エレクトロニカ時代のザ・ボーツからヴォーカル・トラックはあったが、現代的なインダストリアル/テクノにおいて、ヴォーカル入りはそれほど前例がない(アンディ・ストットはヴォーカルというよりヴォイスだ)。
そして何より重要な点は、そのヴォーカルはメロディと歌詞があるにも関わらず、トラックに充満する歪んだノイズたちと同じように、それぞれの楽曲間のメロディの差異が消滅し、まるでトラックの中に蠢くイコンやサインのように耳に響く点である。
たとえば本CD盤2曲めに置かれた“イノセンス”を聴いてみよう。ノイズの律動に、歪み切ったビートにヴォーカルが重なり、シンセベースの律動が耳を襲う。そうしたサウンドの洪水の中、ベス・ロバーツの声が意識へと浸透していく。そう、本作においてヴォーカルとノイズは同等なのだ。そしてドラムン・ノイズとでも形容したい激しいリズムを持った“ベヒモス“の衝撃。それはまさに時代への警告のように響く(ベヒモスとは旧約聖書に登場する怪獣の名であり、それは豊穣と破滅の両方を意味するという)。
加えてザ・ミスティーズはヴィジュアルにも一貫したコンセプトがある。そのヴィデオは過去のモノクロ映画からシークエンスやシーンを丸ごと引用し楽曲を重ねていくという大胆なものだ。
これらは20世紀の記憶を、音と映像によって再生成させる試みといえる。その音や映像には途方もない不安が漲っており、その不安がウィルスのように聴き手のイマジネーションを浸食する。過去を現在に蘇生すること。その不安、快楽、美。ザ・ミスティーズに限らず現代的なインダストリアルは20世紀のイコンとイメージを借用しているのだが、その大胆な借用の美学によって、ノスタルジアよりは同時代性を得ている。
事実、現在の〈アザー・イデアス〉は、〈モダン・ラヴ〉や〈モーダル・アナリシス〉などのレーベルによって牽引される現代的なインダストリアル/テクノの動きと共鳴している。それはこの「暗い」時代と連動する美学的潮流でもある。絶望の時代を「暗さ」をゆえに嫌悪し、無理に明るく振舞うのではなく、その「暗さ」に積極的にアジャストし、絶望を「美学=アート」として変貌させていくこと。それによって時代の底から世界に抵抗すること。私は〈アザー・イデアス〉をはじめ〈モダン・ラヴ〉、〈モーダル・アナリシス〉、〈ホスピタル・プロダクションズ〉などのインダストリアル/テクノ/ノイズレーベルのリリース活動は、そんな世界への「抵抗/接続運動」の発露ではないかと思っている。
小春日和のような2000年代を象徴する牧歌的なエレクトロニカから、ダークなインダストリアル/テクノへ。〈アワー・スモール・イデアス〉から〈アザー・イデアス〉へ。そう、イデアはいま、別の領域に至っている。
デンシノオト