「Dom」と一致するもの

Donna Summer R.I.P. - ele-king

「ベルリン3部作を録音していたときのこと。イーノが『これは未来のサウンドだ』と言いながら走ってきた。彼が手にしていたのはドナ・サマーのシングル「アイ・フィール・ラヴ」だった。「『これだよ。もう探す必要はない。このシングルは向こう15年のクラブ・ミュージックを変えてしまうよ』。その意見は多かれ少なかれ正しかった」(デヴィッド・ボウイ)

 「スゴいビートだと思ってさ。コピーもしたんだよ」とは忌野清志郎。「アイ・フィール・ラヴ」を初めて聴いたとき、それがプログラムされたサウンドだとは思いもしなかったという(映像で観ると、バンドがシンセサイザーに合わせて演奏のマネをしているので、余計にそう思ってしまったのかもしれない)。忌野がその衝撃をカタチにしたのは22年後。『ラフィー・タフィー』に収められた"テクノ・クイーン"まで待つことになる。

 "アイ・フィール・ラヴ"は初めてエレクトロニック・サウンドだけで作られたディスコ・サウンドだとされている。シンセサイザーを使ってポップスをつくることに興味を持っていたジョルジオ・モロダーとピート・ベロットは折からのディスコ・ブームにこの方法論を重ね合わせてみた。ちょうどミュージカル『ヘアー』のために代役でミュンヘンまで来ていたドナ・サマーのデモ・テープに関心を示したのはフランスのレーベルで、これがオランダでヒットしたため、サマーのデビュー・アルバム『レイディ・オブ・ザ・ナイト』はオランダでリリースされる。続いて『ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー』がアメリカでもヨーロッパでも大ヒット(内容がエロ過ぎたか、広範囲で放送禁止)。サマー、モロダー、ベロットはアメリカに渡って『ラヴ・トリロジー』『フォー・シーズンズ・オブ・ラヴ』『アイ・リメンバー・イエスタデイ』を立て続けに制作する。そして、50年代を意味する"イエスタデイ"のラストに2~3時間でつくったという"アイ・フィール・ラヴ"が収録され、例によってつくった当人たちはそれほどの曲とは思わず、マスターも破棄してしまったらしい。午前3時に乱交パーティを繰り広げていたレーベルのボス、ニール・ボガートがこの曲をゲイに売ろうと考えなければ、世に出るのはもっと後のことになった可能性も高かった。
https://www.soundonsound.com/sos/oct09/articles/classictracks_1009.htm

 マーク・アーモンド(ソフト・セル)をフィーチャーしたブロンスキー・ビートや意外なところではシューゲイザイー・バンドのカーヴもカヴァーし、レッド・ホット・チリ・ペパーズや最近ではマドンナもライヴで取り上げる"アイ・フィール・ラヴ"は、シングル・カットされるとすぐにも全英1位をマークし、瞬く間にサマーをディスコ・クイーンの座に押し上げた。しかし、ゴスペル・シンガーになるのが夢で、セックス・シンボルに祭り上げられたことで苦しんだサマーは潰瘍で入院までしてしまい、2年後の"バッド・ガールズ"ではクリスチャンであることを強調し、悔い改めて生きたいと宣言、カサブランカ・レコーズとも揉めてゲフィンへ移籍することになる(サマーが「AIDSはゲイに対する天罰である」と発言したというデマが流れ、ゲイからの支持を失ったことはこの辺りの騒動と関連があるのかも?)。80年代に入ってソングライターとしての才能も開花させ、ヒット曲もそれなりにはあったものの、全米1位をマークした"マッカーサー・パーク"や"ホット・スタッフ"ほど成功した曲はなく、グラミー賞5回は意外といえば意外。とはいえ、最後となったアルバム『クレヨンズ』からも複数のスマッシュ・ヒットはあり、デリック・メイが早くから"アイ・フィール・ラヴ"をDJセットに組み込んでいたように、いちどもダンス・チャートから見放されたことはなかった。総じて愛され続けたシンガーだったといえるだろう。

 63歳。ガン。新作の準備中だった。

SonarSound Tokyo - ele-king

 まあそんなわけで大阪はすっかり深夜踊れない街になっているので、やってられるかと僕はバスで寝ながら東京に向かった......SonarSound Tokyoでしこたま踊るためである。ちなみに「オールナイトの イヴェントに行ったことがないから行ってみたい」というふたつ年下の友人を連れて行ったのだが、キャッチーな入り口がありつつ、現在のエレクトロニック・ミュージックの奥行きも感じられるラインアップになっているのはソナーならではだ。
 それだけ豪華なメンツになっていることもあり、今回に限ったことではないが全くの個人的なレポートになっていることをお許しいただきたい。ケン・イシイのプロジェクトの裏ではグローバル・コミュニケーションとアオ・イノウエがやっている......そんなイヴェントなのだ。

 会場は今年も新木場のアゲハ/スタジオコーストで4ステージ、しかしものすごい数のひとだ。これだけの人間が深夜に踊りたがっているのに、クラブを閉店に追いやって警察はいったい何がしたいんでしょうな......とグチりたくなりつつも、ステージをいくつかウロウロしてアルコールとビートを身体に馴染ませていく。外のステージであるSonarLabでは大阪出身の若いトラックメイカーのSeihoとAvec Avecが煌びやかな エレクトロニック・ミュージックで沸かせている......法律に関係なく、ダンス・ミュージックはただそこに存在して新しい世代を踊らせるのをやめていなかった。

 メイン・ステージであるSonarClubに向かうと、ドリアン・コンセプトが相当デカい音量で遠慮なくビートを投下している。テンポが変わるブレイクビーツと音程の揺れまくるキーボード・サウンド、とにかく情報量が多い。ヒップホップとエレクトロニカの感性がミックスされているという点では珍しくないけれど、コミカルにもシリアスにもなりきらず、ややこしい実験の袋小路にも向かわず、妙にあっけらかんとした開放感があるのがいい。
 SonarDomeと名づけられたテントはひとが溢れ、入場規制がかかった。グローバル・コミュニケーションのリユニオンだ! 「世界規模の、伝達」という例のサンプリング・ヴォイスからはじまり、トム・ミドルトンとマーク・プリチャードはスクリーンの向こう側からゆっくりと、ゆっくりとその脳の襞に染み込んでいくような和音を響かせていく。スクリーンには、『ナショナル・ジオグラフィック』か『Newton』の写真のような宇宙の映像が広がり、みるみるうちにサイケデリックな領域にオーディエンスを連れて行く。メイン・ステージに比べるとどうしても音量が小さくなってしまい即効性はなかったが、その分、後にアンビエントのクラシックとなった『76:14』の音響世界に耳を澄まして分け入っていくような体験を味わうことができた。映像の使い方にしても音にしても90年代のエレクトロニカの文法を外れるものではないが、それだけ過不足のない完成された型がそこにはあったように思う。とくに中盤に訪れた、足元から這い上がってくる恍惚には背中を撫でられているような気分になった。もちろんこのアンビエントは現代まで繋がって、さまざまなヴァリエーションに展開している。ラストにはミニマルなテクノでガシガシ踊らせもしたが、あの気の遠のくような音響がグローバル・コミュニケーションなのだと感じられた。

 すっかり上機嫌でテントの外に出た僕は、友人のOと合流した......のだが、持っていた財布が消えたらしく忙しそうだったので、邪魔するのも悪いのでOをそっとしておいてメイン・ステージに向かう。ちなみにこの友人Oは、去年のフジロックのレポートで酔いつぶれてその辺で寝ていた男と同一人物である。僕が知っているだけでも、Oは4回財布をなくしている。
 それはともかく、ここからメイン・ステージは〈ワープ〉のスターが続く。まずはクラークだ。彼のライヴは三度ほど観ているが、激変の新作『イラデルフィック』の直後とはいえ、これまでの内容と大きく変わるものではなかった。圧迫感のある強力なビートと狂気じみた電子音の交差が、次から次へと展開していき全く休む暇もない。エイフェックス・ツインの血筋はたしかにあって、僕にはクラークは〈ワープ〉の正統な第二世代だと思える。けれども、エイフェックスのような子どもじみた悪意はここにはあまり感じられないし、その狂気は陰湿なものではない。シンプルに「ぶっ飛んでいる」状態が様々なテンポで応酬する、そんな気のふれたアッパーさがクラークのライヴの醍醐味だろう。いくつかミスもあったが、それも気にさせない堂々たる内容だった。アンコールでは『イラデルフィック』収録の変拍子も聞かせてくれたが、基本的には新機軸よりも得意のやり方で会場をピークまで持っていった印象だ。
 
 ステージの後ろの方に行くと酔いつぶれてOが寝ている......。横にいた彼女に聞くと、財布は戻ってきたものの現金はなかったそうだ。酔いつぶれたい気持ちも分からなくもないが、友人として声をかける。「スクエアプッシャーはじまるで」。起きない。そっとしておくことにした。
 そんな人間以外はかなりのひとがステージに押し寄せる。スクエアプッシャーへの期待は相当なものだ。バックに大きなLEDのスクリーン、卓にもLED。そこにLEDスクリーンつきのヘルメットをかぶって現れた男は、本当にトム・ジェンキンソンだったのだろうか? というのも、これまでと印象がかなり違う。音に合わせてぶんぶん腕を振り回すような、サービスめいた煽りをするタイプだったか? が、新作『ユーファビュルム』からの楽曲を生楽器を使わずすべてエレクトロニックでやっているとは言え、音そのものはスクエアプッシャーらしい高速のドラムンベースやブレイクビーツとメランコリックかつエモーショナルなメロディ。その迫力と完成度は確かなもので、ジェンキンソンもまた、10年以上かけて作り上げた型を洗練させているように見えた。新鮮な驚きはなくとも、音と完全に同期した映像の手際の良さも含めてとても安定している。彼のキャリアも一周したということなのかもしれない。新世代がひしめくソナーのなかで、ヴェテランの意地を見せるようなライヴだった。
 その点、ラストのアフリカ・ハイテックはもっと粗野で横断的だ。その日二度目の登場のマーク・プリチャードは自在にビートをコントロールする――ヒップホップ、ドラムンベース、ダンスホール、ダブステップ、アフロ・ビート、それらのミックスと野太いベース音。そのハイブリッドな音はデタラメではなくて、プリチャードの長いキャリアで培われた審美眼によるものなのだろう。ビートは雑多でも、ダンスの機能性はまったく損なわれていない。スティーヴ・スペイセックはそこに時折歌を乗せ、自ら踊りながらオーディエンスを乗せる。僕もまんまと乗せられて、ひたすら足を止めることなく踊り続ける。ああ、明日絶対寝坊するな......マーク・プリチャード意外とかわいいな......とか朦朧とした頭で考えているうちに、あっという間に朝になっていた。

 2日目。野田ボスの「寝てた?」という電話で目が覚めて、「寝てました!」と元気良く答えたら苦笑されたのにもめげず、再び新木場へ。めげない友人O(1日目はほとんど寝ていたらしい)も行きたいと言うので連れて行く。野田さんはそのとき夢中のものの話しかしないから、今回はグルーパーの話をひたすらするんだろうなあ......と思いながら合流する。とても上機嫌そうだ。「いやあ木津くん、昨日のグルーパーは素晴らしかったよ」......。

 それはともかく、ボスにつられてすでに数杯目の酒を飲みながらラスティを観る。これがまた、声を上げて笑ってしまうぐらい面白かった。横にいた野田さんが「頭いいのかバカなのかわかんないね」と言うように......いややっぱり、ちょっと「バカ」寄りなんじゃないかと思えるほどに、無闇に壮大で突拍子のないドラマティック・シンセ・サウンドが展開される。無駄にトランシーな上モノはレイヴ感覚を茶化しているようにしか聞こえず、しかし一周して大真面目なんじゃないかと錯覚してしまいそうにもなる。そこにはガキの衒いのないギャグがあり、同時にシニカルな風刺があり、しかしそれらはやたらに強い音圧でもって「もう何でもいいや」という気分に取って代わられる。ダブステップ以降のビートを使って、こんなに無責任な跳躍を見せたのはラスティがいちばんではないか。とにかくエネルギッシュ、ファンキー、エクストリーム。こんなに笑えるダンス・ミュージックはいま、なかなか見当たらない。
 その後のマウント・キンビーは一転、思慮深い演奏でポスト・ダブステップのもっともメランコリックな場所へとガイドする。曲の断片が現れては消え、思った以上に複雑な音のレイヤーの絡み合いで聞かせる。まだライヴに慣れていないのか頼りない部分もあったが、エコーの響きの余韻に浸らせながらじっくりと自分たちの音に引き込んでいった。"カーボネイティッド"や"メイヤー"といった代表曲では冷たさのなかに熱がじわりと溶け出す瞬間のスリルが見られたので、もっと1曲1曲をじっくり広げるライヴも観てみたいと感じた。
 ヴィンセント・ギャロの姿を一瞬確認しつつも、SonarDomeへ。ハドソン・モホークもまたテントをいっぱいにして、不利な音条件のなか頑張っていた。とくに先のEPのトラックがひときわ光っていて、インタヴューでは本人にはやんわり否定されてしまったが、やはりレイヴィーな眩しさがそこでは反射していた。連発するカットアップには脈絡がなく痛快極まりないが、ラスティを観た後だときちんと考え抜かれているようにも聞こえるから不思議だ。とは言えグラスゴーのこのエネルギーがいま手をつけられないのは間違いなく、次の動きのひとつは間違いなくここから続くだろうと思わされる。終盤、ここぞというときにR&B調のブレイクビーツ"オーヴァーナイト"が投下され、オーディエンスを激しく縦に揺らしていた。プレステでひたすら作曲を続けていたような少年たちが、フロアを沸かせる時代がまさにいま訪れている。
 
 バスの時間があったため僕は途中までしか観られなかったが、ザ・シネマティック・オーケストラは最後にたっぷりとアーティスティックな時間を用意していた。ヨーロッパの古典映画などからの引用を編集で処理した白黒映像と、ストリングスを加えた叙情的なアンサンブル。ジャズとエレクトロニカを交えたオーケストラは、美しい映像に緩やかにシンクロしながらまさにシネマティックな物語を奏でていた。

 たしかにメンツが豪華だったSonarSoundだが、結局のところ僕が味わいたかったのはダンス・ミュージックの胎動し続ける力そのものだった。そしてそれはその2日間、まったく遠慮することなく放たれていたのだった。すっかりエネルギーを使い果たした僕は、バスで気絶しながら大阪に帰った。
 
 
木津的best 3
グローバル・コミュニケーション
ハドソン・モホーク
アフリカ・ハイテック

木津的worst 3
2日目のスタート時間の早さ
SonarDomeの音量
友人の金を盗んだ輩

野田的best 3
ラスティ(情報量の多さにびっくり)
マウント・キンビー(思ったよりも良かった)
ハドソン・モホーク(メインで聴きたかった)

野田的worst 3
ビールの値段(酒飲めないわ)
SonarDomeの音質(メンツが良いだけに......)
ヴィンセント・ギャロ(可もなく不可もなし)

Polysick - ele-king

 先月よりスタートしたアニメ『AKB0048』は、芸能や歌が統制機関によって規制された未来社会を舞台とする点で、サッカーの勝敗が管理組織によって徹底統制されるディストピアを描いた『イナズマイレブンGO』(2011年)の世界設定にかぎりなく近接する(※1)。このありえそうもない設定がイナイレやAKBなどの(一見無関係な)注目コンテンツに連続して現れてきたのは、ありえる未来として人々の潜在的な不安を可視化するものだから......なのかどうか、先日の木津毅のレポート『現代思想』の大阪特集のタイミングなどを鑑みればそう疑ってみるにじゅうぶんなことがらであるように思われる。

 筆者がそうした機関を統轄する任をえたなら、AKB追撃をおとりに、よりアンダーグラウンドな活動の徹底殲滅に力を注ごうと思う。たとえば〈100%シルク〉などはまっ先に規制対象としてリスト化したい。ほぼアナログ・オンリーで超枚数限定のプレスだなど、まずリリース形態からしてレジスタンス的だ。それに「人心を惑わす」ことが規制理由である(『AKB0048』)ならば、彼らの見つけ出してくる音はもっとも急所ねらいの危険なものではないかと思うからだ。ポリシックの音楽も危ない。〈100%シルク〉から長尺の音源やミックス・テープなどをリリースしている彼の音には、人をふぬけにしてしまうようななにかが、ほんの小さな毒針のように隠しこまれている。

 それは一見、無害でスウィートなヴァイヴとしてあらわれている。"トーテム"でシンセがけだるく鳴らしつづけるコードのシークエンスは、とてもスムースな手触りで曲をみちびく。ラウンジ風に仕立てられたこの曲や"タイト"や"ローディング"などのコズミックな感覚、クラウトロック的なサウンドがつづくアルバム前半では、スタイリッシュで踊れる「なにかよさそうなアルバム」といった印象なのだが、その後につづくアシッドな展開には油断のならないものがある。"キャラバン""ドロウズ""メルティンアシッド""ワールドカップ"(好きなタイトルです)"スマッジ、ハワイ"などフューチャリスティックなムードが端正にパッケージングされたダンス・トラックのなかに、"ゴンドワナ"のようなスペーシーなアンビエントや"プレダ"のようなミニマル・テクノが入り込んできて、なんというか、精神が羽交い締めにあうようにゆっくりと摩耗させられていってしまう。それに全編をとおしてエモーションの零度とでもいうべきつめたくかわいた世界観に支配されていて、チルウェイヴの夢にまみれた身体には冷や水のようだ。しかしだからこそ、逆に離れがたく聴きつづけてしまうような依存性がある。やはり世界や人を動かす力というのは、たとえ幼稚なものであったとしてもエモーションなのだ。それがないと世界は凍る。15曲も入っているが、まったく長いと感じないし、そのあいだなにかしようという気にもならない。ポリシックという美しい毒針は、放っておけば精神か筋肉をむしばむ。そんなものが地下に流通するなら、筆者は見逃しはしないだろう。たとえ販売枚数がAKBの何千分の一であろうとも、アリの穴で地盤がくずれるような事態を生みかねないということを筆者はおそれるだろう。逆にいえば、冒頭で触れたようなディストピア的世界においても、こうした音源のリリースなど、抵抗の手段はいくらもあるということだ。

 ジ・アウェイ・チームという名義でも活動するポリシックは、ポール・ケルセックスというローマのプロデューサーによるソロ・プロジェクト。彼の持っていたコルグのポリシックスが突如狂いだしてそのまま「死んだ」あと、ポリシックを名のるようになったということだ。本人の言によれば、よりスピリチュアルでニューエイジ的なコンセプトを持った音をジ・アウェイ・チームとして発表しているというから、こちらはフィジカルな表現を試すための名前なのかもしれない。2010年に1枚アルバムを出しており、〈ビッグ・ラブ〉からシングルを、ジ・アウェイ・チームでは〈モアムウ〉からアルバムをリリースするなど日本においてもすでに熱い視線がそそがれている。

 最後にひとつつっこむなら、『デジタル・ネイティヴ』というタイトルは大嘘である。生まれながらにIT環境がととのっているというのは、いいかえればIT技術をことさら意識しないで生活しているということだ。それこそチルウェイヴのように、もっとぼんやりと音楽ソフトを用いているような層がデジタル・ネイティヴ世代のイメージであって、ポリシックのようなシンセ・マニアはその対極にあるものではないかと思う。いや、チルウェイヴ的なものに喧嘩を売るタイトルだというのならそれはそれで納得するのだが。


※1...少年サッカー法/芸能禁止法など、それぞれを「法」=公権力による規制として描く点も一致している。また『イナズマイレブン』においては、統制機関がそもそもは「勝利を平等に分け与える」という共産主義的な理想のもとに設立されたものである点にひねりがある。蛇足だが、前作『イナズマイレブン』の主人公ら(雷門中サッカー部という看板)/実在のAKB48、という、カリスマを失ったのちの世代を描く点も興味深い共通点である。

Bear in heaven、Blouse、Doldrums @ Bowey ballroom may.8.2012

 最近のショーを見に行って感じるのがノスタルジック=懐かしさ。「音楽はもう最近見に行ってないんだ」と言っている30代後半の人でさえ、懐かしいバンドがプレイするとなれば、そこそこするチケットを買って、足を延ばして見に行く。
 1ヶ月ほど前に、『チックファクタ』というインディポップ・マガジンが20周年を迎え、当時活動していたバンドがこの日のためにリユニオンした。ブラック・タンバリン、アイラーズ・セット、スモール・ファクトリー、ジム・ルイーズ・グループ、ヴァーサス、スティーヴィー・ジャクソン(ベル・アンド・セバスチャン)、ソフティーズなど、好きな人にはたまらないラインナップである。パフォーマーも観客もほとんどが30~40歳代真っ只なか。仕事に疲れ、家庭にも疲れ(?)ている世代。でも、この瞬間はみんなとても活き活きする。笑顔がずーっと絶えない。
 そういえば、小沢健二も最近(3~4月)に復活コンサートを行った。かなりの競争率のチケット争奪戦を勝ち抜き、幸運にもチケットを手に入れた人は、さまざまな思いを胸に、それぞれの青春を取り戻していた。この話を知り合いにしたら、自分も最近クラフトワークが8日連続で毎日違うアルバムを演奏する(しかもミュージアムで)ライヴに、かなりの競争率のチケット争奪戦の末に行くことができたと、語っていた。入場者には3Dメガネが配られ、たくさんのファンと一緒にノスタルジッーをシェアしたと、キラキラした目で興奮しながら話してくれたのである。

 何だ! この、揃いも揃って昔を懐かしむ感は? いつも忙しいと言っている人でさえ、チケットの値段や日程も限定されているのに、時間を作ってこのために出かける。当時を経験している人たちだけの楽しみかと思えば、クラフトワークの彼は、オンタイムで経験していないが、このチケット取るのに最高級の力を注いだという。「懐かしさ」は人を動かすアドレナリンなのか?

 次から次へとバンドがクロスするニューヨークではいろんなショーが毎日やっていて、何を見に行くのかは自分にかかっている。私は自分の興味のあるライヴ、友だちが教えてくれて、自分も興味がありそうなライヴ、まったく調味はないが友だちが行くというのでついていくライヴ、いろいろあるが基本的に音楽が好きなので、どこに行ってもある程度楽しめるし、それぞれいろんな感想もある。最近のワッシュド・アウト、ヒア・ウィ・ゴー・マジックのショーの熱も冷めやらぬまま、今回はこの3組のショーに行った。ベア・イン・ヘヴン、ブラウス、ドルドラムス! まさにいまどきのメンツだ。


Bear in Heaven
Photo by Dan Catucci


Blouse


Doldrums
Photo by Amanda hatfield

 ベア・イン・ヘヴンは〈デッド・オーシャンズ〉という〈ジャグア・ジャグア〉傘下のレーベルと契約し、精力的ににツアーしている真っ最中。何だかんだと最近名前はよく耳にしていて、機会があれば見に行こうと思っていた。
 彼らを最初に見たのは5年ぐらい前のこと。プレフューズ73とツアーをしていた友だちから「友だちのバンドがガラパゴス(ノース6通りにあったアートギャラリー)でやるから見においで、ビア・イン・ヘヴンだよ」と言われた。ビア・イン・ヘブン? 天国にビール? ビール飲み放題? バンド名だとも知らず(しかも聞き間違ってる)、勝手に勘違いして行くと、ベア・イン・ヘヴン。天国にいるクマか? ビールじゃなかったのって。そのときはきちんとしたバンド体制で(たしか5人ぐらいメンバーがいた)、キーボードの印象が強いバンドだなと思っていた。

 さて、話を戻そう。オープニングのふたつのバンドは、この会場を上手にウォームアップした。どちらもうしろのプロジェクションを使い、うまい感じにこのノスタルジック感を演出していた。

 ドルドラムスはカナダ、トロント出身の3ピース。見た目はいかにもオール・セインツのモデルになりそうな、カーリーヘアのユニセックスな男の子。女の子のような、エンジェリックなヴォーカルはエキゾチックでトロピカル。かなりハイトーンなのに絶叫系。フロント2台のキーボードをくるくる変えながら横にあるドラムパッドを叩く。後ろにはフーディを深くかぶったドラマーがビートをキープし、バンドをまとめている。打楽器音が多いから音がトロピカルに聴こえたのか、いちばん面白かった。

 次に登場のブラウス(Blouse)は、ポートランド出身の80年代ノスタルジック・ポップ・バンド。ローキーな女の子のヴォーカルは、アイラーズ・セットとゾーイ・デシャネルを足して2で割ったような、コクトー・ツィンが現れた感じ。ダークでゴス、チルでセンチメンタル、そしてギターのディストーションがシューゲイザーしている。うしろに流される七色のプロジェクションが何ともアーティーで哀愁を誘う。これも一種チルウェイヴか?

 トリはベア・イン・ヘヴン。3人編成で、うしろにはピンクとブルーの蛍光レーザーライト&スモークマシンが何の遠慮もなく、がんがん施される。ジョンは主に歌とシンセ、そしてダンスと盛り上げ役だ。アダムはクールにギター、ドラマーのジョーはマイアミ・ヴァイス・スタイルのフィルをマシンガンのように叩き続ける。
 ちなみに、ドラマーのジョーは私の近所のバーのバーテンでもある。目つきが鋭いブレードランナーのような体力の持ち主で、ドリンクを作るのも早い。
 
 ベア・イン・ヘヴンの印象は、ノスタルジックでドラマチック。蛍光ライトにワッシュド・アウトを思い出し、究極に歌にのめり込んでいく姿は80年代の映画の世界......あるいは"ダンシング・クイーン"、『サタディ・ナイト・フィーヴァー』の世界(?)。見ている方がはらはらして体力を使い果たして、最後に抜け殻のようになってしまった。まわりを見ると楽しんでいる人と消耗している人両方いる。
 このバンドが、ブルックリンでどの位置にいるのかを説明するのは難しい。『ローリング・ストーン』にレビヴューが載っていたり、NPRにもフィーチャーされているので、少なくてもアンダーグラウンドではない。かといってデス・キャブ・フォー・キューティ、シンズなどのメジャーに近いインディというわけでもない。オーディエンスの層もミックスで、音楽マニアというよりは大衆音楽、ある程度の懐かしさを期待する、まったく新しい何かを求めているというよりは自分が安全で快適な音楽に浸りたい、オーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドのすれすれの観客。今日の観客と次どこのショーですれ違うかは、興味のある所でもある。少なくとも、『ショーペーパー』は読んでいないかな......。

https://www.brooklynvegan.com/archives/2012/05/bear_in_heaven_12.html

Spiritualized - ele-king

 アルバム・タイトルとは別に大きくデザインされている文字は「ですよね?」と訳すことができる。イースト・エンド×ユリ風に「だよね?」でも、少し丁寧に「でしょう?」でもいいだろう。何かに対して同意を求めている。

 何に?

 「ロックしていること」ではないかと思われる。ローリング・ストーンズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドを適当な因数に分解して再合成したサウンドからは、これしかないという思いが感じられる。残念ながら僕にはその思いは少ししか共有できないけれど、ロックしかないと思っているリスナーは強く同意してあげるといい。もしも、この世にロック・ミュージックしかないのであれば、このアルバムはよくできた作品だと思うから。

 昨年は「ロックは死んだ」33回忌だった。ジョニー・ロットンはそのように言い放って、1978年にセックス・ピストルズから脱退し、自分の名前も変えた(そして、PiLを始動させる......そう、PiLが復活するのは2年早かった。仏教徒じゃないんだから当たり前か)。

 スピリチュアライズドは紛れもなくロックしている。『ロッキン・オン』風にいえば......掛け値なしにロックの王道を爆走している。魂が叫んじゃったり、人生とか光とか明日が大変なことになっている感じだろうか(最近の『ロッキン・オン』は違うのかな? 経済とか論じてたらどうしよう......)。とはいえ、ジミ・ヘンドリクスとルー・リードが揃って婚姻届に判を押したようなタイトルの"ヘイ・ジェーン"からいきなり弾けまくりで、途中で一回、事故を起こしたと思ったらクラウトロックになって曲は蘇ってくる。ラ・ドュッセルドルフ"ドュッセルドルフ"で飛行機が墜落しても、また、何事もなかったように飛んでいくあたりを思わせる。さすが、一度は死に掛けた男である。引用する場所が違う。一転して"リトル・ガール"では情緒的なフォーク・ロック、さらにメロトロン......じゃないと思うけど、プロコル・ハルムをバックにピーター・ペレットが渋い喉を聞かせているようなサイケデリック・ナンバーと、ある種のロック・ページェントが続く。なんというか、自分がどんどん古い男になっていく気がする。なにがダブステップだ。なにがインテリジェント・ブラック・メタルだ。やっぱ、ロックンロールだろう。だよね?

 「ユー・ゲット・ワット・ユー・ディザーブ」のアウトロはなかなかいい。少しばかりスペースメン3のことを思い出せるからである。続く「トゥー・レイト」ではそうはいかない。思い出すのはブリティッシュ・ロックがパンクに蹴散らされる前のこと。「ヘッディン・フォー・ザ・トップ・ナウ」でピアノが連打されるとエルトン・ジョンが映画『トミー』で10メートルぐらいあるブーツを履いていたことを思い出す。授業をサボって初めてひとりで観にいった洋画だった。ティナ・ターナーが全身から血を抜かれるシーン。TVから吹き出るゲロがアン・マーグレットを呑み込むシーン。教祖に扮したエリック・クラプトンの足元でアーサー・ブラウンがただひたすら蠢いているシーン。それらはみなワイルドで「ロック」だったけれど、僕の人生観とか、タマCとかは揺すぶられなかった。『タワーリング・インフェルノ』や『ロッキー』といった映画と同じ娯楽でしかなかった。そう、それがそもそもスピリチュアライズドが『レイザー・ガイデッド・メロディーズ』でデビューした時からの違和感だった。ポカホーンティッドやダブル・レオパードといったゼロ年代のドローン・バンドからそれぞれベスト・コーストやエンドレス・ブギーといったロック回帰も起きたわけだから、サイケデリック・ロックを追求していたスペースメン3からスピリチュアライズドが派生してはいけないとは言わない。しかし、僕のまわりにソニック・ブームの熱心なファンは腐るほどいても、ジェイスン・ピアースに夢中だという人がまったく見当たらないように、スペースメン3のサウンドを形作っていた基礎の方にシフトしたサウンドはやはりスリリングとは言いがたく、娯楽以上のものにはなってくれない。そう、エンターテイメントとしては本当に素晴らしい。"メアリー"から"ライフ・イズ・ア・プロブレム"への流れなんて、なにひとつ文句はないではないか。......ですよね?

 チャド・パースンズとニコラス・ロングウォースがこれまでにリリースしてきた3本のカセットからウイアード・フォレストが独自に編集したコンピレイション『オブジェクト・パーマネンス』は、スピリチュアライズドよりもスペースメン3に近く位置し、まるでゼロ年代のUSドローンからサイケデリック・ロックを捻り出そうとするダイナミズムの交差点に立っているという錯覚を与えてくれる。彼らはそれをバーニング・スター・コアやレリジャス・ナイヴスとは正反対にポップ・ミュージックとして展開しようとする意欲まで見せてくれる。こんなことはトークディモニックにも、インフィナイト・ライト・リミテッドにも、ましてやダイアモンド・グロスにもできなかった。ポスト・クラシカルへ舵を切ってしまったファック・ボタンズも論外だし、エメラルズやマウンテンズが失ってしまったハードさをどこまで持続させることができるのか。USドローン・ヴァージョンのスペースメン3だといえる"ポーター"を聴きながら、僕は不安と期待をいつしか天秤にかけている。ジョニー・ロットンは「ロックは死んだ」と言い放ったかもしれない。しかし、誰もまだ「サイケは死んだ」とは言っていない(僕は聞いたことがない)。そして、"クラッシュド・トゥ・ビッツ"がまたしても曲がりくねった奇妙なヴィジョンへと僕を誘い込む。

interview with Simian Mobile Disco - ele-king


Simian Mobile Disco
Unpatterns

Wichita Records/ホステス

Amazon iTunes

 ロックが不況である......というのは、いかにも白々しいクリシェであるが、しかしそういったお手軽な悲観を使いたいときも、正直、なくはない......。三田/野田世代の『ele-king』読者であれば、あるいは言うかもしれない。「そんなもの90年代後期からずっと死にっぱなしじゃないか......」
 いやだとしても、ゼロ年代のなかごろ、いわゆるインディ・ロックに活気が感じられた季節がたしかにあったのだ。少なくない人が、それをダンス・ミュージックとの交配の季節として振り返る。LCDサウンドシステム、ラプチャー、あるいはシミアン・モバイル・ディスコ(以下SMD)。その後、ニュー・エレクトロの新勢力がむしろロックの巨大さを取り入れていった。SMDは、その分水嶺とも言える存在だった。

 そして、ポスト・ダブステップの拡張、あるいはジュークの登場がシーンに新たな風を吹かせているなか、SMDのフルレンス・アルバムが届いた。シリアスなテンション、冷え冷えとしたシンセ・アンビエンス、そしてミニマルな展開がビート・プロダクションを通底している。アンチ・クライマックスの美学......ここに愛想笑いの類はない。サービスのようなアップリフトもない。早い話、誤解の余地を排したストイックなテクノ・ミュージックが硬質な音色を叩き付けている。『Attack Decay Sustain Release』(2007)のアッパーさや『Temporary Pleasure』(2009)の弾けるような乱雑さの記憶からすれば、季節の変わり目を実感せずにはいられない、というのもたしかだ。

 彼らはいま、どこにいるのだろう? 当時の活況、それは音楽的な交配ではなく、単にダンスとロックにおけるリスナーの重なりがあっただけではないか、その錯覚を自覚できていないだけではないか、という声もある。不躾ながらも、そういった所感を含めてSMDのふたり、プロデューサーとしてはここ数年トップ・クラスの売れっ子ぶりのジェイムズ・フォード、そしてジェイムス・ショーに話を訊いた。
 結果から言えば......彼らのポップ・ミュージック、そしてシーン(という概念がまだ有効ならば、ということだが)に対する認識は、実に中立的である(途中、ややトンチンカンな質問にも真摯に答えてくれた)。彼らは変化を受け入れているし、何も背負っていない。そのニュートラルな姿勢は、ある種達観めいてもいる。そう、私はS.L.A.C.K.によるあの象徴的なリフレインを思い出す。ただミュージックのみ、ただミュージックのみ......。

シーンは確実に変わったと思う。「ダンス/ロックの融合」みたいなのってまずあんまり上手くいかないし、結局そこの地域で根付いているロックの要素が混じったダンス・ミュージック、っていうものになってしまっている。

あなたたちの出身でもあるSimianは、歌とメロディを大切にしたインディ・ポップのバンドだったと思うのですが、ダンス・ミュージックへの傾倒というのは、何がきっかけとなったのでしょう?

SMD:Simianをはじめるずっと前からダンス・ミュージックは大好きだった。歌とメロディを大事にしながら同時にダンス・ミュージックにも傾倒するっていうのは当然可能だよ。

なるほど。ちょっと古い話をさせてください。『Attack Decay Sustain Release』(2007)におけるあなたたちの初期のスタイルは、ロック・ミュージックとエレクトロニック・ミュージックのクロスオーヴァーである、という言い方が当時、少なくなかったと思うのですが、こうした見方には賛同できますか?

SMD:まったくもって不賛成だよ! 僕らが作ってきたのはいつだってダンス/エレクトロニック・ミュージックなんだ。『Attack Decay Sustain Release』にはギターも生のドラムも入ってないし、ロックの要素は全然なかった。あれって、ちょうどあの頃はダンス・ミュージックがいろんなロック/インディ・バンドとそのファン達に人気が出てきた時期だったからそのシーンと関わりがあっただけで、それ自体が僕らのスタイルだったってわけじゃないよ。

わかりました。ところで現在、ポップ・ミュージックは細分化していると、私たちの国ではよく言われています。つまり、異なるジャンルや異なる価値観はお互いに関わらないよう、細かく分断されている、と。こうした見方を、あなたたちは共有しますか?

SMD:イギリスではむしろ逆だと思うよ。いまは違うジャンル同士の交流が盛んだし、とくにダンス・ミュージックの間ではそれが顕著だね。

なるほど。ゲスト・ヴォーカルのパレードとなった2009年の『Temporary Pleasure』もそうでしたね。そこから一転して、2010年の『Delicacies』で、あなたたちはミニマルなテクノ・ミュージックへとスタイルの比重を大幅にずらしたようにも思えました。ヴォーカル・パートがなくなり、曲の長さも8分ほどに長くなりました。当時、何があなたたちを変化させたのでしょう?

SMD:『Delicacies』は、DJのための音楽を作るっていうことに特化したプロジェクトだった。僕ら自身もDJするときにテクノをよくかけるから、自分たち自身のための音楽でもあった。だから新しい方向性っていうのじゃなくて、サイド・プロジェクトっていう方が近いね。どのバンドも自分たちのスタイルを変えて進化させていかなきゃいけないと思う。同じようなアルバムを2回作るなんてことはしちゃいけないんだ。

私もそう思います。さて、では本題です。新作の『Unpatterns』を聴かせてもらいました。『Delicacies』よりもさらにストイックなエレクトロニック・ミュージックで、ミニマルなビートが心地よいですね。ヴォーカル・パートは、歌というよりは声の素材、という小さい扱いになっている。また、ビートは以前よりもソフトなタッチになっているように思えます。これらの変化は意識的なものですか?

SMD:うん、かなりいい表現だね。確かに僕らはこのアルバムを控えめで抑えたものにしたかったし、ヴォーカルはカットアップやループしてミックスすることで楽器のように使っている。さっきも言ったように、『Delicacies』とはまた違ったアルバムを作りたかったんだ。前のアルバムからの要素はいち部残しつつも、同じような思い切りクラブっぽいレコードにはしたくなかった。

どの曲も、たんにアップリフトというだけでなく、沈鬱なフィーリングを時間をかけてときほぐしていく、といった趣があるように思います。自分たちは変化したと思いますか?

SMD:典型的なダンス・ミュージックの美学って、ゆっくりと盛り上げていつまでもクライマックスに達しないままずっと続いて行ったり、緊張感を引き延ばしすぎだったりする。そういう盛り上げて、落としての繰り返しの手法はもう過去数年でやりつくされているんだ。だから僕らはそこから抜け出して、なにかもっと新しいことがやりたかった。

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シーンの細分化? イギリスではむしろ逆だと思うよ。いまは違うジャンル同士の交流が盛んだし、とくにダンス・ミュージックの間ではそれが顕著だね。


Simian Mobile Disco
Unpatterns

Wichita Records/ホステス

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"Unpatterns"というアルバム・タイトルは、どういった意味なんでしょう? 字面通り、"模倣ではない"という意味なんでしょうか。本作のコンセプトに関係が?

SMD:そういう意味ではないな......ループやパターンがじょじょに崩壊したり、変化したり、お互いに干渉しあったりすることで、新しくてもっと複雑なパターンや進行が生まれることを指しているんだ。アルバムの楽曲の多くはその考え方に基づいて作られている。シンセのシーケンサーやドラムのパターンがテンポの間でずれたり合ったりするところとか、細かいディテールにそれが表れていると思うよ。アルバムのアートワークにもその考え方が反映されているんだ。モアレ縞(干渉縞)っていう、単純な図形が干渉しあうことで複雑な図形が生まれる効果を利用している。

なるほど。ユニークなタイトルが並んでいるのですが、言葉を使わない曲に、どうやってタイトルを付けているのですか? "The Dream of the Fisherman's Wife"は、葛飾北斎? 日本の文化には影響を受けていますか?

SMD:その通り! 訊いてくれたのは君が初めてだよ、よく気付いてくれたね! 僕らは北斎が大好きだし、あの絵はすごく奇妙で異世界的な作品だよね。その雰囲気が、あの曲に使われている変な水中の音とよく合っていると思ったんだ。
 インストゥルメンタルの曲に名前を付けるのは大抵難しいね。僕らは大体いくつか興味のあるコンセプトを持っていて、それにいちばん合う曲を見つけてタイトルをつけるようにしているよ。
 日本の文化にはすごく魅力を感じているし、日本に行ってプレイするのも大好きだよ。直接的な影響っていう意味で言えば、僕らの音楽に対する日本からの一番の影響はシンセサイザーのパイオニアであるトミタ(筆者注:富田勲)だね、彼の大ファンなんだ。

あなたたちの音楽で変わらない点があるとすれば、やはり、それがダンス・ミュージックである、ということだと思います。なにが、あなたたちをいまでもダンスへと向かわせるのでしょう? 踊ることはやはり大事?

SMD:はは、僕ら自身はもう前ほど踊らなくなったよ! 僕らをダンス・ミュージックに向かわせるのは共有される体験、あのクラブで感じる、長々と進化を続けるダンス・ミュージックの音、そこにいて何時間も音楽を聴き続けることで得られるサイケデリックな空間といったものだね。

最近、一般に、ネットに依存しているような若いリスナーはクラブやライヴでもハメを外さなくなったと話す人もいます。あなたたちの目にはどう映りますか?

SMD:答えるのが難しいな......実際、いまでもまだダンスするために出かけたり、羽目を外す人たちもたくさんいるしね。ネット依存の傾向のある人たちが他に比べてそういうことをしないかどうかはよくわからないよ。

少し乱暴な質問をさせてください。あなたたちのダンス・ミュージックは、現状の生活に満足している人たちと、そうでない人たちのどちらに捧げられるものだと思いますか?

SMD:そんな風に人びとを分けてしまうっていうのは僕らのやり方じゃないよ。権力を持つ人たちが悪用しがちな、「あっちとこっち」や「敵と味方」と分けてしまう考え方を助長してしまうと思う。

なるほど。ちなみに、ここ日本では、政府の世論調査で、「6割以上の若者が現状の生活に満足を感じている」という結果が出て、話題になっています。あなたの国の若者は現状の生活に満足を感じていると思いますか? ロンドンなどからは、大規模な暴動のニュースなども伝わってきましたが。

SMD:なんとも言えないな......どの地域に住むどんな層の若者に聞いたのかにもよるし。ある人たちは満足しているし、そうでない人もいる、そもそも60%って多いと思うかい? 本当ならもっとたくさんの人がそれぞれの人生に満足しているべきじゃないかな。

たしかに、そうですね。ところで、あなたたちと同じく、ロック・ミュージックとエレクトロニック・ミュージックのミックスを実践したと言われる同時期のミュージシャンに、LCDサウンドシステムがいたと思うのですが、すでに活動にピリオドを打っています。2000年代の終わりごろ、なにかシーンの価値観が変わってしまったような雰囲気を感じましたか?

SMD:うん、シーンは確実に変わったと思うよ。「ダンス/ロックの融合」みたいなのってまずあんまり上手くいかないし、結局その代わりにそこの地域で根付いているロックの要素が混じったダンス・ミュージック、っていうものになってしまっている(アメリカでのダブステップの流れみたいに)けど、LCDサウンドシステムはダンス・ミュージックの要素を持ったロック・ミュージックを作っていたよね。

シーンの変化があったとすれば、その原因はどのようなことだと想像しますか?

SMD:自然な進化じゃないかな。シーンっていうのは、絶えず新しいミュージシャンが登場して新しい解釈を与えることでどんどん変わっていくものだと思うよ。

なるほど。その後、新たな潮流として、ロンドンから発信されたダブステップが大きな盛り上がりを見せました。あのシーンに対する共感はありますか? 支持できるアーティストなどはいる?

SMD:そのシーン自体にそれほど共感っていうのはないかな......ただJoy Orbison、Blawan、Martyn、Boddikkaみたいな「ポスト・ダブステップ」って呼ばれるシーンの音楽はよく聴いているし、DJするときにもよくかけているよ。

「ポスト・ダブステップ」という言葉を聞かない日はないくらいですよね。いっぽう、あなたたちが裏方を担ったアークティック・モンキーズやクラクソンズ以降、UKのインディ・ロック・バンドは、盛り上がりに欠けているようにも見えます。こうした見方には賛同できますか?

SMD:エキサイティングなバンドはいつでもいるよ、ただ見つけるのが難しくなっているだけさ。

では、いま注目のインディ・バンドなどを教えてください。あるいは、いま、プロデュースで仕事をしてみたい若いバンドはいる?

SMD:最近JasがPlant Plantsっていうバンドをプロデュースしているけど、いいバンドだよ。(筆者注:https://soundcloud.com/plantplants/sets/plant-plants-ep/)

わかりました。ところで本誌『ele-king』は、1994年にはじまったのですが、最初はテクノの専門誌でした。あなたたちを入り口として、テクノ・ミュージックの世界に足を踏み入れる若いリスナーも少なくないと思いますが、彼らに聴いてほしいテクノ作品はありますか? クラシックから最近のものまで、なにかあれば。

SMD:古いものを振り返ってみるといいと思うよ。初期のPlastikmanとか、Joey Beltram、Jeff Millsとか。

もちろん、「SIMIAN MOBILE DISCOも!」ですよね。では最後に、今後の展望を教えてください。何か夏の予定は決まってる?

SMD:夏の間中はDJをたくさんやって、いま取りかかっている新しいライヴセットも今年中に準備を終わらせたいと思ってるよ。あとは新しい曲にも少しずつ取り掛かっている、将来のシングルや、『Delicacies』シリーズのリリース向けてね。

Mark McGuire - ele-king

 ステージに登場すると、マイクを持って「クリーヴランドから来たマーク・マッガイアと言います」とまずは自己紹介、プロモーターやレーベルへの謝礼、それからオーディエンスに向かって「楽しんでいってください」と言い終えると、よっこらしょとギターを肩にかけて、そしてショーがはじまった。なんだか礼儀正しい人だった。

 ライヴは、ダンス・ミュージックだった。ドラムがないのに......将来音楽からドラムはなくなるだろうと空想したのはアーサー・ラッセルだった。ディスコ・ダンス・ミュージックに情熱を燃やしながら、同時にドラムのない音楽こそが刺激的に思える時代がいつか来ると、彼は予言している。
 音楽によって、ビートは人の内部からスポンティニアスに生まれる、マーク・マッガイアがやったのはそれだった。人びとのざわめきからはじまり、マッガイアはループを重ねてうねりを創出する。いくつもの反復がシンコペーションしているので、リズムが生まる。そうしてでき上がった音の波のうねりの上をマッガイアは滑るようにギターを弾いている。
 ギターを肩からぶらせげて、彼自身も身体をリズミックに動かしながら演奏する。けっこう、ノリノリだ。アンビエント......というイメージからは遠く、良い意味で期待を裏切るようなマッガイアのリズミックな演奏に、オーディエンスの身体はじょじょに反応していく。時折歪ませ、激しさを見せながら、しっかりと起伏のある曲を展開する。曲の途中でベース・ギターに持ち替えて、ベースのループも加え、ふたたびギターを重ねるという芸まで披露した。瞬間的だが、彼はロバート・フリップやデイヴ・ギルモアといった領域にも接近したが、幸いなことにそれがミニマリズムから脱線することはなかった。
 気がつけば、彼は適度に埋まったユニットのフロア全体を桃源郷へと連れていっている。どこまでも連れて行く。気がつくと、もう1時間も経っている。
 そして、まだ20代半ばをまわったばかりの青年は、桃源郷からこの現実への着地までも、しっかりと、焦ることなく、ゆっくりとやった。これがマッガイアのライヴかと、我にかえったオーディエンスは、あらためて驚嘆を感じながら拍手した。アンコールがあった。1時間半ほどの演奏は終わった。終わって帰ろうかと思ったら、松村正人が入ってきた。

 マーク・マッガイアの前に演奏した青葉市子も素晴らしかった。彼女の静かな演奏においては、カウンターバーのあたりのお喋りがライヴ中に延々とステージ前方にまで聞こえていたので、いっしょに来た友人は少々不満を感じているようだったが、そこはまあ、ジョン・ケイジではないが、そうした周囲の雑音もまた音楽(ライヴ)のいち部ということで受け入れよう。日本のライヴでは、なかば信仰めいた感じで、客個人→ステージという図式が絶対化しているけれど、本来なら客同士の相互関係も同様にあってしかるべきだし(サッカーの試合ではある)、公共の場における猥雑さは全否定すべきではない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのライヴ盤など、客のお喋りがその音楽のいち部になっている。
 その晩は、彼女は、ジョン・フェイヒィを彷彿させるテクニックもさることながら、ほとんど喋りなしで、長めの曲を4曲演奏した。それら楽曲は後方のお喋りがステージまで聞こえるほど静かだが、しかし気迫のこもった演奏だった。いちばん可哀想なのは、その目に前に素晴らしい音楽があるというのに、その晩の青葉市子の演奏を聴き逃している喋っていた連中だった。

 先日のグルーパーのライヴは、可能な限り音量を下げることで(空調のノイズよりも低い音量で)、その場の耳すべてを惹きつけた。マーク・マッガイアはスティーヴ・ライヒとインディ・ロックの溝を埋めるかのようなダイナミックな演奏をした。USアンダーグラウンドの新世代では確実に変化が起きている。その正体がこの日本で明かされた数週間だった。多くの若いリスナー、そして未来に関心のある多くのリスナーが集まった。我々は、いま、確実に、音楽の新しい場面に立ち会っている。

 というか、マーク・マッガイアの追加公演決まりました! 今週日曜日(5/20)、場所は新宿SOUPです!!!!! 行けなかった人はこれを見逃さないように! (DJもやるようですよ)
https://ochiaisoup.tumblr.com/#22780951997


 ※ちなみに、まったくの蛇足ながら、メタモルフォーゼのG2Gのライヴもさすがだった。あれはむしろ、ドラムがないことが考えられない音楽だった。

Shop Chart


1

J.M.F.G.

J.M.F.G. #2 J.M.F.G. / FRA / 2012/5/9 »COMMENT GET MUSIC

2

Los Miticos Del Ritmo

Los Miticos Del Ritmo Los Miticos Del Ritmo Soundway / UK / 2012/5/11 »COMMENT GET MUSIC
QUANTIC指揮の元、現地凄腕ミュージシャンからなる"QUANTICと神話の打楽器隊"、待望のフル・アルバム!伝統的な演奏形態を踏襲し つつも豊潤な音楽観と洗練のアレンジでアップデートした2012年型ハイブリッド・クンビア極上盤◎

3

Vedomir

Vedomir Vedomir Dekmantel / NL / 2012/5/9 »COMMENT GET MUSIC
圧倒的リリース量とそのクオリティから一躍ハウス・シーンの最前線へ躍り出たウクライナの天才VAKULAによる別名義プロジェクト VEDOMIR、ヴォリューミーな2LPフルアルバム!

4

Unknown

Unknown Black Boxx EP Ferrispark / US / 2012/5/9 »COMMENT GET MUSIC
首領SCOTT FERGUSONを中心にKDJ/THEOの流れからポスト・ビートダウン的アプローチの作品まで多彩なラインナップでリリース展開されるデトロイトの良質<FERRISPARK>から、00年代初頭の初期レーベル作品を彷彿とさせる黒光スモーキー・ディープハウスが詰まったノーインフォ/謎の4 トラックスEPが到着。

5

Kelenkye Band

Kelenkye Band Jungle Funk Cultures Of Soul / US / 2012/5/9 »COMMENT GET MUSIC
推薦盤!快挙!ド級のアフリカン・レアグルーヴ古典"JUNGLE MUSIC"で有名なKELENKYE BANDの未発表音源(!!)が発掘&音盤化!内容はやはり最高スギル2枚組7"。

6

Koko Edits

Koko Edits Stay With Me / Burning Up Basic Fingers / GER / 2012/5/8 »COMMENT GET MUSIC
好調リリースの続く<G.A.M.M.>傘下のディスコ・エディット専科<BASIC FINGERS>第8弾!賞味期限無し定番的に使えるため、是非とも持っておきたい一枚!

7

Joaquin Joe Claussell

Joaquin Joe Claussell Unofficial Edits And Overdubs Disc One Of Four Sacred Rhythm Music / US / 2012/5/3 »COMMENT GET MUSIC
LTD.400pcs!!一連の「UNOFFICIAL EDITS AND OVERDUBS」シリーズも遂に最終章!先日の2CDアルバムから12"用にさらにリエディットし全4部作にてアナログ・リリース!こちら第1弾。

8

Joaquin Joe Claussell

Joaquin Joe Claussell Unofficial Edits And Overdubs Disc Two Of Four Sacred Rhythm Music / US / 2012/5/3 »COMMENT GET MUSIC
LTD.400pcs!!一連の「UNOFFICIAL EDITS AND OVERDUBS」シリーズも遂に最終章!先日の2CDアルバムから12"用にさらにリエディットし全4部作にてアナログ・リリース!こちら第2弾。

9

Joaquin Joe Claussell

Joaquin Joe Claussell Unofficial Edits And Overdubs Disc Three Of Four Sacred Rhythm Music / US / 2012/5/3 »COMMENT GET MUSIC
LTD.400pcs!!一連の「UNOFFICIAL EDITS AND OVERDUBS」シリーズも遂に最終章!先日の2CDアルバムから12"用にさらにリエディットし全4部作にてアナログ・リリース!こちら第3弾。

10

Insideman a.k.a. Q-Bo

Insideman a.k.a. Q-Bo Back In The Dayz (G-Luv Classics Vol.1) Blacksmoker / JPN / 2012/5/10 »COMMENT GET MUSIC
東高円寺の音楽酒場GRASSROOTSの主Qさんニュー・ミックスはまさかのGラップ縛り!from <BLACKSMOKER>★特典で<BLACK SMOKER>からのリリースを予定している、狂気に満ちた妖しいG-LUV謎の一族総本山、D.M.F. (DA MASK FAMILY PRODUCTIONS)のスペシャルSAMPLER CD付き!★

interview with Kyte - ele-king


Kyte
Love to be Lost

Hostess

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 日本が世界に先んじて見つけだした才能として知る方も多いだろう。シガー・ロスやビョーク、レディオヘッドなどと比較されながら、情感豊かでスケール感のあるポスト・ロックを追求してきたバンドである。なんといっても美しいテナー・ヴォイスと轟音ギターの、ときに過剰ですらあるエモーションが彼らの個性だ。そしてまたアイスランドのミュージシャンたちを引き合いに出されるように、どこかつめたく清新なたたずまいを持つところもカイトらしさである。燃える雪というような形容矛盾をふところふかく抱え込んだような、熱くつめたい感情表現。じっくりとテンションを高めてゆき、そのピークでエモーションを解放するドラマチックな曲展開は、サントラとしても好まれ、アメリカの人気ドラマ『ソプラノズ』や、国内映画『余命一か月の花嫁』での楽曲使用も記憶に新しいところである。
 さて、"サンライト"や"プラネット"といった名曲を生んだデビュー作『カイト』、日本先行でリリースされたセカンド・アルバム『サイエンス・フォー・リヴィング』、そのUK盤制作時に内容をリニューアルした(どんどん生まれてきたという新曲に再レコーディングしたテイクを加えている)裏セカンドともいうべき『デッド・ウェイヴス』ときて、昨年リリースされたのがリミックス集であることを考えると、カイトはその第一章を終えたかにもみえる。シーンの先端とはいかないが、ポスト・ロックやシューゲイザーのまじわる地点で自分たちの表現をみつめ、親密なファンを育ててきた彼らに、いま新しく登場する『ハーフ・アローン』の制作やその音世界の原風景について訊ねてみた。
 さっきコンビニで買ったというグミをおずおずとすすめてくれたおだやかな雰囲気の3人には、彼らの音楽のとおり正直な人柄がにじんでいる、と思った。

いろいろなところへ行ってみて不思議な気持ちだね。世界をまわってみて、よっぽど自分の故郷よりもいい場所とかいい環境、おもしろい場所がいっぱいあったよ。あきらかにね。

『サイエンス・フォー・リヴィング』と『デッド・ウェイヴス』とは、制作上の経緯から考えても双子のような作品で、ふたつあわせて完全なセカンド・アルバムということになるかと思います。今回の3作目とも4作目とも呼べる『ハーフ・アローン』までに、たくさんの曲が生まれましたね。リミックス集もリリースして、ひと区切りついたところでの今作ということになるのではないかと思いますが、どうでしょう? どのような気持ちで取り組んだ作品だったのでしょうか?

ニック・ムーン(ヴォーカル): そうだね、いまはすごくわくわくしてるよ。この作品ができたことにはすごくよろこんでる。ちょっと期間があいたぶん、すごくフレッシュな気持ちでのぞむことができたんだ。あいてる期間にいろいろ考えることもできた。ああいうことをやりたいとか。すごくよかったなと思ってるよ。

実際に大きく変わったなと感じている部分はありますか?

トム・ロウ(ギター/キーボード):精神的な部分ですごく変わったところがあると思う。あとは長い期間をかけて制作しただけに、生まれ変わったっていうような気持ちもあるかな。これまでは長い時間をかけて制作したことがなかったから、そのへんも精神的な変化と関係してるのかもしれない。

なるほど。ちょっと乱暴な質問なんですが、カイトの音楽って明るいものだと思いますか? それとも暗いものだと思いますか? いいかえれば、他者に訴えるような音楽か、自分のなかにもぐりこんでいくような音楽か、どのように感じているでしょう?

ニック:いい質問だね(笑)。

トム:音楽的にはすごくハッピーだなと思うし、自分もハッピーな気持ちだと思う......

ニック:そうだね。

トム:だけどすごく不思議なのが、それにのせるニックのリリックはかなしいものが多いんだよね。そういうところが、僕たちの音楽のメランコリックな部分を生んでいるのかなとは思うよ。

ああ、たしかにそうですね。明るさのなかにつめたいかなしみみたいなものがありますよね。どうしてそのような対照が生まれるのでしょう?

ニック:おれは(自分の詞が暗いとは)思わないよ。

ははっ!

トム:明るさと暗さのなかで深みを増すというか、ニックの詞がいろんなレイヤーをつけてくれるという気がしていて、なんか、聴く人の受けとり方を変えてくれるようなものになるって思う。自分の作った曲に対して、ニックがどんな詞をつけるのかっていう関係性もおもしろいし、そういうところでいろんな階層が生まれてるかな。

レイヤーがつくというのはほんとにそのとおりですね。同時に最初の作品からこの新譜まで一貫して、すごく壮大でドラマチックなエモーションがありますが、これにはなにかヴィジュアル的なイメージがあったりするのですか?

トム:壮大さっていうのは僕たちもすごく意識していて、壮大なものにしたいなと思って音楽を作ってるよ。でもシンプルに自分の好きな音が見つかれば、それをループして重ねたりもする。でも、最終的には大きなものにしたいと感じているよ。

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日本に来ていつもいちばんびっくりするのは、みんなとても真剣に演奏を聴いてくれることなんだ。イギリスだと2~3人が真剣に聴いてて、あとの2~30人はうしろで飲んでるって感じだね。


Kyte
Love to be Lost

Hostess

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あまり比較するのもよくないとは思うのですが、カイトはシガー・ロスやビョークと比べられることがありますね。われわれ日本人が彼らのようなアイスランドのアーティストのなかに幻想するものが、カイトにはあると思うんです。あなたがたの故郷のレスタシャーにはアイスランドと通じるような雰囲気があるのですか?

トム:どっちかっていうと、レスタシャーが僕らの音楽に影響しているというよりは、そこから遠く離れたいっていう気持ちが表れてるかな。故郷はすごく好きなんだけど、現実逃避的な気持ちでそこから出たい、なにか違うものを求めたいっていう感じがあるよ。

どこかに行きたい、逃げたいというような気持ちは、こうしたツアーなんかで物理的に世界を移動することで解消されたりするものですか? ぴったりくるような場所はみつけられます?

トム:いろいろなところへ行ってみて不思議な気持ちだね。世界をまわってみて、よっぽど自分の故郷よりもいい場所とかいい環境、おもしろい場所がいっぱいあったよ。あきらかにね。でも帰ってみるとやっぱり故郷のよさだったり、そこに家族がいたり友だちがいたりして、大切な場所だっていう思いが強くなるよ。ほんとに不思議な気持ちだね。

現実逃避的な気持ちでいることと、音楽が壮大になっていくこととはなにか関連がありますか?

ニック:うん。

(笑)

トム:そうだね。あると思うよ。ただ説明するのが難しいな......。曲を書くごとに気持ちも変わってくるし。

そうなんですねー......。では、ピアノとかグロッケンは今作で重要な役割をはたしていますけど、曲づくりはピアノからはじまるんですか?

トム:いや、だいたいギターで作りはじめるんだ。コードをギターで作って、それをプログラムしてコンピューターに取り込んで、作りこんでくっていうことが多いよ。けど今回はニックがピアノをたくさん弾いてくれて。

"セプテンバー・フィフス"っていう曲がありますね。それは何があった日なんでしょう? とても印象的なピアノのアルペジオと、ストリングスの悲壮なテーマで、時間をかけてゆっくりゆっくり緊張を高めていく曲ですよね? だからこの日っていうのはよっぽどのことがあった日なのかなって思ったんです。あるいは忘れられないインパクトが刻まれたとか。

トム:9月5日にその曲を書いたんだよ。

(一同笑)

ははっ。ええー残念。

トム:はははっ。

歌詞もないし、他の曲と色合いも違うので、このアルバムのなかだとやっぱり注目せざるを得ない曲かなって思ったんですよ。

トム:その曲ができあがってみて、ほんとに曲というよりも、楽譜っていうか......。気持ち的にもほんとにほかの曲と違うものだったから、逆に、タイトルをつけるよりもその日の日付でとどめておいたほうがいいかなって感じで、日付をタイトルにしたんだよね。

たとえばこの曲はすごく特徴的なものではありましたが、基本的には、音のテクスチャー、ソング・ライティング、実際のパフォーマンスのなかでは、なにがいちばん大事なものだと感じていますか?

トム:ええと......コードのシークエンスで、自分が感じるもの、感情が大切だね。それはほかの人でもそうだと思っているし、重要なことだと思う。

なるほど。では故郷のレスタシャーについて教えてください。どんなところで、どんな音楽シーンを持っているのでしょう?

ニック:じつは地元では数回しかライヴをやったことがなくて、東京のほうが多いくらいだよ。地元の音楽シーンにはまったく属してないね。すごくちっちゃな町なので、ミュージシャン同士のつながりがほんとに強くて、残念ながらそのつながりのなかに僕らは入りこめていないんだ。地元でみんなが聴いているのはロックだったりハード・ロックだったり、あんまりそこから大きなアーティストって生まれてなくて、カサビアンくらいかな。

カサビアンが同郷なんですね。

ニック:そうそう。でも彼らも地元のシーンのつながりのなかにはいなくて、突然出てきてメジャー・レーベルに属したって感じなんだよね。

へえー。そういうみなさんは初めて音楽をもっと広いところにむけて発信しようとしたとき、どこで演奏したわけですか? ロンドンとかに出ていくんですか?

ニック:デビュー当時はよくロンドンに出ていってたね。近い町でノッティンガムとかバーミンガムとか、そういうところにいったり、ブリストルとかブライトンとかマンチェスターとか、地元ではないところでいろいろ活動してたよ。他のバンドとかも、ツアーをするときには、うちの地元にはとまらないで、近所の街に行くんだよね。

日本は、カイトという存在を見つけるのが早かったなと思うんですけど、日本のリスナーと自分たちの音楽性との間になにか相性のようなものは感じますか?

トム:そうだよね。

スコット・ヒスロップ(ドラム):それはどこよりも感じるよね。

ニック:日本に来ていつもいちばんびっくりするのは、みんなとても真剣に演奏を聴いてくれることなんだ。イギリスだと2~3人が真剣に聴いてて、あとの2~30人はうしろで飲んでるって感じだね。

ひどいですね(笑)。なにか日本と合うところがあるとすれば、それは風土とかってことなんでしょうか?

スコット:ちょっとしたポップ感のあるコーラスだったり、なにかを描写するような音楽が日本のリスナーに受けてるんじゃないかなって思うよ。

カイトの過大なエモーションというのは、ヘッドフォンで聴くのとライヴで大きな音を共有するのとでは、よりライヴのほうで伝わるものなのかなと思うのですが、今後もそのような音作りは変わりませんか? なにか次の展開についてヴィジョンがあれば教えてください。

スコット:じつはいままでの作品は作ることに没頭してしまって、あとでどうやってライヴをやるのかということをまったく考えてなかったんだよね。けど今作はライヴを意識して、ライヴをどうやってやっていくかということをすごく考えた作品なんだ。今後もそうやってどうやってライヴをいかしていくかっていう音作りをしていこうと思ってるよ。

Tam Tam - ele-king

 一聴してよく制御されたダブ・サウンド、という印象。快楽のポイントを衝くエフェクト、そして揺さぶりをかけるベース、とダブの基本をきっちり抑えている。20代前半のバンドと喧伝されているが、たしかに年齢を思うと完成度が高い。そして、ひょっとしたら渋い? 女性ヴォーカルに強力なバック・バンド、という編成からポスト・パンク世代のニュー・エイジ・ステッパーズを想起させる。もう30年も前のバンドだが、Tam Tamのルーツがその辺にあることは容易に想像がつく。いま、20代前半の子がどんな音楽を聴いてるのか詳しく知らないが、このバンドのメンバーは他の同級生から浮いていたに違いない。きっと、授業中に音楽誌を隠し読みしているようなタイプだ。

 そう、Tam Tamは〈On-U〉、あるいはダブステップまで脈々と流れるブリストル・サウンドの魔力を体感している人なら好きになる音だ。レゲエとロックの混血、さらにはエレクトロニック・ミュージックまで呑み込んでしまうサウンドの生命力は強く、世紀をまたぎ、また遠い東京という地で装いも新たに登場した......というと話がでか過ぎるか。このアルバムはどちらかというとロックと親和性が強く、ゆえに聴きやすくキャッチー。黒田さとみの伸びやかで美しく、ときに力強いヴォーカルはスターのオーラを早くも漂わせている。決してセル・アウトを意識しているわけではない、ただ自分たちに気持ちのよい音を追求した良質なポップ。まずは、そんな評価ができると思う。

 本作はファースト・フル・アルバムでリトルテンポのHAKASE-SAN(exフィッシュマンズ)をプロデューサーに迎えている。昨年、自主流通で発表したミニ・アルバム『Come Dung Basie』がレゲエやスカのルーツに忠実だったのにくらべ、今作はもっと色彩ゆたかで、軽やかにジャンルを横断している。ダブというフォーマットのうえでマッド・サイエンティストのごとく実験しているよう。でも彼らの場合、サイエンティストというよりはプロフェッサー(!)=博士だ。やはり優等生然としている感は否めない。良くいえばサウンドに対して誠実であり貪欲ということ。バック・バンドの3人が揃ってメガネ男子なのも、何かを物語っている。僕個人はそんな姿勢に親近感を持っている。弱肉強食の時代にメガネ男子は大変なのだ!

 アルバム冒頭はヴォーカル黒田の北海道厚岸の音頭を素材にシャッフルした"Akkeshi Dub"からはじまる。ここから前半は"Dry Ride"のようなステッパーズ・リディムあり、ダンスホールに接近したものありとベースの疾走感が際立つナンバーが続く。アルバム中盤ルーツ・レゲエを奏でたあと、黒田のヴォーカルが引き立つラヴァーズ・チューン"Stop The Alarm"ではトロピカル・フルーツのような濃厚な甘さが空間を支配する。一転、インストに呟くようなリーディングが乗っかる8曲目から、ファンクが加味された曲があったり、"Train"はまさにブリストル・サウンドで、マッシヴ・アタックから現在のダブステップまでを彷彿とさせるナンバー。後半は深く、ポーティスヘッドやサイレント・ポエッツのような暗さを持っている。黒田の歌声は「叫び」にはならず呪文のように囁いている。繊細なニュアンスや謎を残し、アルバムは終焉へと向かう。

 洗練していてスタイリッシュで、率直にいってすごく格好いい。紛れもないダブ・ミュージックだが、その範疇をときに乗り越えてしまう振幅があり飽きさせない。でもね......ひとつだけ注文したくなる。Tam Tamにそれを求めるべきではないかもしれないが敢えて言わせてもらおう。レゲエ=レベル・ミュージックであって欲しいと思う人間にとって、「レベル」は何処にあるのだ、とあら捜しをしたくなる。アリ・アップは「拝金主義者が消え去る(フェイド・アウェイ)」と歌っていたし、原発事故以降、デモを渡り歩く筆者にとってサウンド・デモで謳うリクル・マイの誠実なプロテストに純粋に感動していたので、どうしても、そこがね......と。

 でも、本人たちはそんなこと百も承知のうえだろう。何の運命の悪戯か正真正銘「ジュネ」と読む名前を授かり、URやザ・ブルー・ハーブを愛するベースの小林樹音が作詞した"Inside The Walls"ではチェルノブイリで石棺され、いまも原子炉に埋もれる「壁のなか」の遺体のことを描き出しているという......。歌詞を読んでもそれは伝わらないかもしれない。そっと忍ばしているという感じ。たしかに、被害が明白で、世論の大勢がいまや異を唱える原発問題を表現するのは難しい。レベル・ミュージックとして、あまりにありふれた表現に陥る可能性はあるし、反原発の表現は、それでよいのかもしれない。"Inside The Walls"は熟慮し現れた表現なのではないか。より抽象的に表現することで広義に解釈できるというような。「レベル・ミュージック」などとTam Tamにいらぬ責任を負わせるよりも、いまはサウンド・プロフェッサーとしてさらなる進化を期待させる音にひたすらヤラれ、そして聴き惚れていればよいのかもしれない。自分たちの鳴らしている音楽が一体どんな出自を持っているのか、それが嫌でも突きつけられる日がくるだろう。
 ちなみにベースの小林樹音はJitteryJackal名義で〈術ノ穴〉のコンピレーションにも参加しポスト・ダブステップ風味の曲を提供している。Tam Tamのダークサイドのような感じで印象的だ。また、アルバムに先攻して〈JET SET〉とコラボし制作された"Dry Ride"のEPも発売されている。

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