「E E」と一致するもの

vol.4 『Fez』 - ele-king

 みなさんこんにちは。連載もあっという間に4回めですが、今回は前回の予告通り今年発売されたインディーズのゲームから1本、『Fez』をご紹介したいと思います。

 『Fez』はカナダのインディーズ・スタジオ〈Polytron〉が開発で、今年4月にXbox Live Arcadeで発売されたアクション・パズルゲームです。このゲームは内容的にも業界内の立ち位置的にも、いろいろな意味で現代のインディーズ・ゲームを体現している作品で、本連載でもインディーズ・ゲーム紹介の第1号としてこの上なく適任だと判断しました。

 まずそもそもインディーズ・ゲームとは何かという説明からはじめると、その業態は音楽におけるインディーズ・シーンと似たようなものだと考えてもらっておおむね間違いないでしょう。メジャーの流通や資本に頼らず、小規模な体制で自主制作的に開発・販売が行われるゲームを指します。

 2000年代中頃からゲーム業界では既存の流通にかわりダウンロード販売が台頭しはじめ、それによって後ろ盾のない個人でも、容易に自作のゲームを販売できる手段として注目されるようになりました。インディーズでもゲームを世界規模で販売できる時代がやってきたのです。

 現代のインディーズ・ゲームのほとんどはパッケージとして店頭販売されることはありません。しかし〈Steam〉や〈GOG〉、〈Xbox Live Arcade〉等のゲームのダウンロード販売サービスを見ると、インディーズ・ゲームはメジャー作品たちと並んで確たる市場を形成しているのが見てとれるでしょう。


ダウンロード販売サービス最大手の〈Steam〉では、毎日のようにインディーズの新作が発売されている。

 『Fez』はこうした近年勢いを増すインディーズ・ゲーム業界内で、ひとつの象徴としてかねてから注目を集めつづけていた作品です。2007年の開発開始から5年という長い歳月をかけて作られた本作は、その斬新なアイディアが発売前から高く評価され、インディーズ・ゲームの一大祭典、IGF(Indie Game Festival) での08年の受賞をはじめ、各方面で多くの賞を獲得しています。

 また今年公開されたインディーズ・ゲームの開発現場にスポットを当てたドキュメンタリー映画、『Indie Game: The Movie』で中心的に取り上げられていたことも記憶に新しいでしょう。

『Fez』以外にも『Super Meat Boy』や『Braid』といった数々のヒット作の舞台裏が描かれている。

 本作のディレクターで〈Polytron〉代表のPhil Fish氏もなにかと話題になることが多い人物です。彼は過激な言動で知られており、今年のGDC(Game Developer Conference)では最近の日本のゲームはひどいという趣旨の発言をしたり、ゲームのパッチの配信の際には〈Xbox Live Arcade〉のオーナーであるMicrosoftと規約の件で揉めることもありました。その姿勢は常識知らずとも呼べれば、勇敢とも言えるでしょう。とにかく彼は業界の慣習やタブーに臆しません。

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■多くのインディーズゲームにとっての理想の体現者

 以上駆け足で『Fez』の周辺事情について解説してみましたが、既存のゲーム業界に対するカウンターとしての存在感の強さを感じていただけたかと思います。そしてそれは肝心のゲーム内容においても同様だと言えます。

 『Fez』はパッと見は昔懐かしい8bitスタイルの2Dプラットフォーマーです。しかしそれは半分は当たっていますが、もう半分は間違っている。本作の画面は、じつは奥行きのある空間が平面に錯視して見えているのです。ゲーム中は基本的にいつでも画面を90度ずつ回転させることができ、そうすることで平面に見えていたマップも、遠近感がないだけでしっかり奥行きがあることがわかります。


ちょうど45度の角度から見るとこんな感じ。

 本作がユニークなのはここからで、画面を回転させると当然奥行きに応じて物の角度や位置関係は変わるわけですが、プレイヤーは画面に映っているものは手前奥の関係を無視して、地続きの同一平面として歩き回れるのです。

 これは例えればエッシャーの騙し絵のなかを歩き回っている感覚とでも言いましょうか。しかしこう説明してもたぶんサッパリわからないでしょうし、僕もこれ以上うまく説明できる自信がありません。なので論より証拠ということで、実際のゲーム中の映像を見ていただきましょう。どういうことか一発で理解できるはずです。

まさにヴァーチャルでしか表現できない空間である。

 本作はまさに「発想の勝利」のゲームであり、3Dの概念を一風変わった方法で2Dプラットフォーマーに落とし込んだそのスタイルは、いままでにない新鮮な魅力があります。

 またその発想をプレゼンテーションする術に長けているのも評価できるポイントです。本作は全編を通じてこの錯視を利用したパズルで構成されていますが、この錯視効果はともすればかなり複雑で難解になってしまうおそれもあります。しかしそれを回避し直感で遊べるとっつき易さと錯視の不思議さをうまく両立できているのはみごとと言うしかありません。

 少し話が逸れますが、インディーズ・ゲームでは『Fez』のような8bitスタイルの2Dプラットフォーマーは非常によく見るジャンルのひとつです。それはメジャー・ゲームへのアンチテーゼ=過去の2D時代のゲームの復権という意識がインディーズ業界全体にあるからでしょうし、また限られた開発環境でも作りやすいスタイルであるという現場の事情もあるでしょう。

 ただ多くの作品はそこからもうひとつアイディアが足りず、流行の後追いどまりだったり、単なる懐古趣味に落ちついてしまったりすることがほとんどです。『Fez』もまたその王道路線の上に立っている作品であるのは間違いありませんが、しかしひたすらに典型的な立ち位置でありながら、錯視というアイディアによって並みの作品とは一線を画す存在になっています。

 おそらくはそれが本作がインディーズ・ゲーム業界内で多くの支持を集める理由でもあるのでしょう。ビジュアルからゲーム・システム、はたまた作中に散りばめられたオマージュの数々に至るまで、本作はかつての2Dゲーム時代の郷愁に満ちています。あるいはそれは現在のメジャー・ゲームへの痛烈な批判にも映るでしょう。その上で他にはない最高のアイディアを持っている。

 これはまさに多くのインディーズ・ゲームが望み、求め、しかし得られない条件をすべてクリアしているのです。言うなればインディーズ・ゲームの黄金比。このへんの事情は業界を普段から眺めていないと見えてこないかもしれませんが、確かなおもしろさや新しさとしては誰しも等しく感じとることができるはずです。

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■面倒くささはおもしろさたり得るのか

 ここまで褒めちぎってみましたが、それだけではフェアじゃないので問題点も挙げてみることにしましょう。ご愛嬌といえばそれまで程度のものかもしれませんが、しかし決して無問題というわけでもありません。

 問題は大きくわけてふたつあり、ひとつは難易度がやさしめか激ムズの両極端で中間領域がやや貧しいという点。先ほどの項で本作は直感で遊べてとっつきやすいと書きましたが、それは言いかえれば難易度が低いということでもあるのです。通常のステージは全体的に難易度は低めに抑えられており、後半はもう少し歯ごたえがほしいと感じる場面がいくつかありました。

 一方でクリアのために絶対必要というわけではない、一種のチャレンジ的なパズルも用意されているのですが、こちらはうって変わって非常に難易度が高い。ほとんどの場合はノー・ヒントで、ヒントがあってもそれ自体もまた謎のひとつになっており、相当注意深くないとそれがヒントであることすら気づけません。本気で解こうと思ったらすべてを疑う心持ちと、メモは必須と言えるでしょう。


大きな謎のヒントがここに......ってわかるかい!

 もうひとつの問題はアクションの鈍重さや複雑なマップ構成等による、移動にまつわる部分での快適さに欠けている点です。本作のステージは相互に連なるハブ状になっており、同じ箇所を何度も通ることが多い。それは一度解いたパズルをもう一度解き直すということでもあり、プレイヤー・キャラのノソノソした動作も相まって次第に面倒になってきます。またファストトラベルも限定的。

 この移動にまつわる問題は、ひとつめの難易度の問題とも連動してくるのが厄介です。なぜなら本作のパズルは複数のステージをまたぐものも多いからです。ときには正反対のステージへ向かわなければいけない場合もあり、ファストトラベルを駆使してもたどり着くだけでひと苦労。また先ほども述べたようにゲーム側からのヒントはほぼ無くプレイヤー自身の推理に頼るしかないので、思い違いによる骨折り損も多々起こり得たりと、情報の整理を難しくしています。


全体マップ。わかりやす......くない!

 しかしこれがいまどきのメジャー・ゲームだったら、「ユーザビリティがなっていない」と即批判の対象になりかねないところですが、本作にいたってはそんな頭ごなしの批判をすべきかやや迷ってしまいます。上記の問題点はかなり意識的にそうデザインされている節があるからです。

 メモが必須であること、それがすべての意図になっている気がします。思えば昔のゲームもそうでした。かつてのゲームはいまほど親切ではなかったし、理不尽な難易度のものも少なくありませんでした。インターネットを使って攻略サイトという便利な方法もなかったので、必然メモを取る機会がいまよりずっと多かったのです。本作はわざと不親切、高難易度にすることで過去のプレイ・スタイルを復刻しようとしたのかもしれません。

 だとすればその意図はうまく実現できていると言えるでしょう。それを愛嬌ととるか欠陥ととるかはプレイヤーの嗜好次第というわけです。こうした前提の上で意見を述べると、少ないヒントから自ら推理しメモを使いながら解いていく楽しさは確かにあるでしょう。しかしそこに面倒くささが介在してはならないというのが僕の考えです。

 面倒くさいこと、それ自体は郷愁を取りのぞくと何のおもしろみもありません。同じおもしろさの遊びでより面倒くさい要素の少ないゲームがあれば、そっちの方がいいはずだし、それを信条にして面倒くささを徹底して省いていったことが、今日のメジャー・ゲームの広範な訴求力につながったと思っています。

 たとえノスタルジーがテーマの作品でも、現代で作る以上そこは追求するべきであって、『Fez』の場合はマップの使い勝手の悪さ、移動の億劫さが足を引っ張っているように思えます。現状の全体マップでは各ステージが小さいサムネイルで表示されるのですが、ここで個々のステージの全体像をもっとしっかり確認できれば、思い違いもなくなりかなり効率が上がるでしょう。

 またステージの気になる箇所をスクリーン・ショットを撮っていつでも参照できる機能があってもいいかもしれません。もちろんファストトラベルはもっと拡充するべき。以上ざっと思いつくことを書いてみましたが結局は面倒くささが払拭されればそれでいいのです。こうしたユーザビリティへの配慮がもっと全体に行き届いていれば、『Fez』はより完璧に近い作品になれたのでしょう。その点がやはり少し残念でした。

■まとめ

 インディーズ・ゲーム入門に最適な1本です。枝葉の部分で多少の問題点はありますが、ゲームの核心部のできは確かなものがあり、とくに錯視のシステムのユニークさはメジャーもインディーズも問わず突出した魅力があります。またいろいろな面で王道路線を行く作品なので、インディーズ・ゲームとは何たるかを理解する上でも非常にわかりやすい実例のひとつと言えます。

 最後に本文中ではほとんど触れませんでしたが、Phil Fish氏の過激な言動についてひとつ。何かと槍玉に挙げられやすい彼の発言ですが、とりわけ今年のGDCでの日本のゲームへの批判は国内外問わず大きな議論を呼ぶことになりました。

 それでなくとも近年は日本のゲーム業界の衰退論が話題に上がりやすく、そのたびに日本は終わったいや終りじゃない等といった水掛け論が繰り返されています。そうした状況下で、インディーズ畑出身のPhil Fish氏がGDCという場で、しかも日本人質問者に対して強い口調で批判的な回答をしたことは、相当センセーショナルなできごとだったのです。

 しかし彼の発言の是非はおき、個人的にはインディーズの開発者の発言がここまで話題になるということ自体に、時代は変わったのだと感慨深く思わされます。数年前まではこんなことは考えられなかったわけで、それだけインディーズの重要度が高まったということなのでしょう。

 もちろん彼の発言内容は聞き捨てならないところが多々ありますが、そこでちゃんと議論が起こるのはむしろ健全で、喜ばしささえ感じます。願わくばPhil Fish氏においては今後もひるむことなく、その挑戦的な姿勢で引き続き業界を引っ掻き回してほしいと思う次第であります。

Jake Bugg - ele-king

 カウンシル・エステート(公営住宅地)。というのは、むかしはUKロックとは切り離せない場所だった。「俺は、フィンズベリー・パークの公営住宅出身だ」とジョン・ライドンはいまでも言うし、マンチェスターの公営住宅地の若者のミゼラブルな日常をリリカルに歌ったのがモリッシーなら、それにある種の演歌性のような要素を加味して国民的アンセムにしたのはオアシスだった。最近では、昨年のロンドン暴動と関連付けて解説されることの多いフディーズ映画『アタック・ザ・ブロック』の舞台もロンドンの公営団地である。
 と書くと、きっと貧しくてもヒップでクールなところなのね。と勘違いされそうだが、そんなクールな貧乏人は奇跡のような確率でしか出て来ないのであり、実際に暮らしてみればどれほど気が滅入る場所なのか。ということは、わたしは長年ブログで書き続けて来たのでここではスルーするが、ジェイク・バグの出身地、ノッティンガムのクリフトンという地域は、英国最大の公営住宅地の一つである。

 わたしが初めて彼を見たのは、昨年の秋。BBC2の『Newsnight』の金曜カルチャー・レヴューのコーナーだった。作家だのなんたら評論家だのといったインテリ中年がずらりと並んで座ったスタジオで、まるでうちの近所を歩いていそうな風体の少年が、たったひとりでアコースティックギターを抱え、しんと醒めた目つきで歌っていた。
 公営住宅地のボブ・ディラン。だと思った。が、同時に、このブリリアントなガキはこの時代にウケるのだろうか。とも思った。
 公営住宅地と言えば、昔はピストルズだったりギャラガー兄弟だったりしたかもしれないが、現在はブラックやブラウンといった肌色の人びとの音楽が象徴する場所になっている。ロンドンのエスニックな食品の臭いのする公営住宅地ならそれでもいいだろうが、いまでも地方に行けば公営住宅地を占領している"ホワイト・トラッシュ(白屑)"の姿が、ロックの歌詞に現われなくなって久しい。UK白人ロックは、やたらとインテリおタクぶっているか、ウィーピーにめそめそしているか、のミドルクラス・ミュージックに成り果て、下層民のものではなくなっていた。そこには、たしかにニッチが存在していたのである。

 しかし、R&Bがクールとされて久しい現在の英国で、いくらなんでも、ディランやドノヴァンみたいな白系レトロサウンドは受け入れられないだろう。
 というわたしの予想はまったく外れ、弱冠18歳のジェイク・バグのデビュー・アルバムは、英国のマライア・キャリーと呼ばれるレオナ・ルイスを抜き、UKアルバムチャートで1位になった。ノエル・ギャラガー、ストーン・ローゼスなどの、この少年の音楽性を高く買っている大人たちが、自らのツアーのサポート・アクトとして彼を起用してきた効果もあったろう。また、昨年からBBCがテレビ、ラジオの双方でやたらと彼をプッシュして来た印象があり、同局の音楽好きの中年幹部たちが組織的プロモ活動を行ってきたのではないかとも思える。
 とはいえ、そうした大人側の啓蒙活動だけでは、1位にはならない。それだけではないのである。きっとこの少年のプレ・ロックな音楽には、今世紀のUKロックが取りこぼしてきた世界があるからだ。

 「スピード・バンプみたいな街に閉じ込められている。ここでただひとつのビューティフルなことと言えば、脱出する考えだけ。高層の公営団地が頭の上に聳え立つ。人びとが所持しているものといえば、生活保護受給金だけ。そんなもんじゃ日々の暮らしもままならない。問題を抱えたこの街では、問題ばかりが目につく」("Trouble Town")と、公営住宅地の若きボブ・ディランは歌う。
 不況下で強行されている保守党政権の予算削減政策により、2年前には学生デモが勃発し、昨年はロンドン暴動、今年はジュビリーやオリンピックなどのため路上に警官が多数配置されていたので物騒な事件はなかったが、だからと言って貧しい若者たちの怒りが消滅したわけではない。
 お祭り騒ぎの夏が終わってみれば、状況はその前より悪化していた。という現実を直視している若者たちが、どんどん店が潰れて行く地方都市のさびれた商店街を歩くとき、そこに流れている流行歌には、ジェイク・バグの曲こそがふさわしい。

 Something is changing, changing, changing ("Two Fingers")
 彼はアコースティック・ギターをつまびきながら、醒めた瞳で淡々と煽る。
 それは、保守党政権下で締め付けられている貧民たちの夢想を代弁しているかもしれない。しかし、このような少年のアルバムがチャート1位になっているこの国の音楽シーンには、すでに変化は夢想ではなく、現実として起こりはじめている。

 Something is changing, changing, changing
 ひどい時代は、おもしろい時代でもある。

Rudi Zygadlo - ele-king

 男性がより理屈っぽく、女性がより感情的であるといった粗雑な比較をそのまま肯定するつもりはないが、ダブステップその他、ビートの先鋭性を競うようなジャンルにあって女性クリエイターの存在が相対的に小さいのは、ビート(=理)をめぐる態度にいくばくかは性差があるからだろう。ルーディ・ザイガドロとジュリア・ホルターは、とても似たモチーフを扱っているのだが、この点においてきれいな対照をみせる。前者が理なら後者は気。彼は複雑なビートを召喚するが、彼女は「ミステリアスな感じで大丈夫」(本人言)だそうだ。今作のザイガドロはクラシカルなピアノやギリシャ神話のモチーフをフィーチャーし、1、2曲めにあってはビートを完全に抜き去るなど、素材だけでなくその特異な楽曲形態においてもホルターの試みに非常に近いことをやっているように見える。だがそれでも彼のノン・ビートには理屈が勝り、くっきりと両者のちがいを浮き彫りにしている。ちなみに彼女のアルバム・タイトルは『トラジェディ(悲劇)』であり、彼のは『トラジコメディーズ(悲喜劇)』である。

 グラスゴーのプロデューサー/シンガー・ソングライター、ルーディ・ザイガドロのセカンド・アルバムが届いた。じつは筆者も驚いたのだが、彼は自らホルターの『トラジェディ』について言及している。(やっぱり。と言いたくなるほど両者は様々な点に対応関係を持っている。)いわく「『トラジェディ』に比較するなら、ザイガドロのトラジコメディーの世界は、より現代人の悲しみや努力から生まれてきたものだ」。むろん「悲劇」とはギリシャ悲劇の意であるから、彼は彼女のなかに古代を見、自らを現代の表象として対置させているわけだ。それではその彼の"コペルニクス"や"メルポメネ"がどうであるかといえば、たしかに現代的である。ピアノは質感ゆたかに古風な響きを生み、ロマン派的な旋律をなぞっていくが、なかに電子回路が通っているかのような感触を持っている。ときおり、ベンドするようにピッチが下げられ、一瞬のスクリューが調和的な音響空間に思いがけない亀裂を入れる。それはまるで、ハイテクノロジーの脆弱な一面がふいに深刻な災厄となってわれわれを驚かせる瞬間のように、あるいはいかにわれわれがそれなしでは生きていけないほどそれに取り巻かれているのかが示されるいち場面のように仕掛けられている。まさに「現代人の悲しみや努力」の表現といったところだろうか。前述のようにビートはないが、エアビートというか、理屈を詰めて詰めてビートの姿が消えた、というような痕跡を感じさせる。この2曲こそが今作のハイライトであり成果であろう。一見、理を逃れ現代性を逃れたようで、実際には強烈な理の磁場を発生させているという彼の業のようなもの、そして本作のいちばんおもしろい部分が凝縮されている。

 これまた本人自身がシニカルな微笑とともに語るのであるが、『トラジコメディーズ』は牧歌的生活へのロマンチックな祝福がこめられており、それはローリー・リーの詩や小説などの影響を決定的に受けたものだという。牧歌の発明者たるダフニス、ミューズのひとりにして悲劇の女神、メルポメネ、かどわかされて下界の女王になってしまうペルセフォネ、こうしたギリシャ悲劇の神々のかげを全編に配するのも同様の理由だ。その"ペルセフォネ"のミュートされたチャイム、"ワルツ・フォー・ダフニス"のトイ・ピアノ、"ヴァリアスリー・メイド・メン"のコミカルなアコーディオンなどには、なるほどパストラルな趣があり、スフィアン・スティーヴンスまでを引き合いに出される理由がよくわかる。スフィアンやオーウェン・パレット、またボン・イヴェールのようなニュアンスがダブステップと組み合わされ〈プラネット・ミュー〉からリリースされるという面もおもしろい。曲によってはグラスゴーのアーティストだときいて驚くこともあるだろう。

 またジェイムス・ブレイク以降の男性シンガーやR&Bの発展形として本作をとらえることも可能だろう。ザイガドロの前作はジェイムス・ブレイクの登場を準備するかのような内容でもあった。ダブステップのように語られることが多いが、彼自身はそうしたシーンの内側から出てきたのではなく、それらを同時代の刺激的ないちジャンルとして聴きかじって応用し、好き勝手にやっているという一匹狼の印象である。"ザ・ドミノ・クイヴァーズ"のリズム・トラックは非常に巧みで、シンプルなピアノとの絡みも抜群にいいが、実際にダブステップはあまり聴いたことがないと述べてもいる。"ロシアン・ドールズ"などの流れではサブトラクトなどスマートなプロデューサーたちの仕事を彷彿させる。

 「はじめになにかに狙いをつけたりはしない。自分は満足するまで同じことを編みつづけるだけ」とうそぶくザイガドロには、人の生や歴史が、反復の苦痛を耐えるもののように映っているのかもしれない。反復(ビート)を破るべく、しかし結局は反復性に回収されざるを得ないだろうことを達観するような冒頭2曲が、くどいようだが美しいと思う。日本盤ボーナス・トラックとして収録された"メルポメネ"のμ-Ziqリミックスはその点を無視している。ここぞとばかりにビートを挿入することで、あの果敢なピアノの旋律が単なる上モノへと貶められてしまった。蛇足だが、こうしたビートによる旋律の搾取が、ジュリア・ホルターなどに及ばないでほしいと思う。自分の作り出した高度なビート(理)にふわっとした上モノ(気)をのせたい・従属させたいというのは、屁理屈に言いくるめられて彼女が泣くしかなくなってしまうような、かなしい彼氏のアナロジーに見えてしまうから。

ぶらり、あかるいヤミ市へ - ele-king

 「TRANS ARTS TOKYOは、神田の街に『神田コミュニティアートセンター』をつくるためのプロローグ」......10 月21 日(日)から旧東京電機大学校舎11 号館などで開催されるアート・プロジェクト「TRANS ARTS TOKYO」。公式サイトにはそう謳われているが、実際に相当に楽しいごった煮カルチャー体験が期待できそうである。旧東京電機大学11号館の地下2Fから17Fまでをフルに使い切って、アート、建築、ファッション、デザイン、地域の歴史、インターネットのユーザー参加型コンテンツ等々をめぐるさまざまな展示や発表会、研究会が行われる予定だ。「あらゆるものを超えて立ち上がってくるもの。それこそが私たちの目指す『コミュニティアート』です」。

 さてその一角で広げられる、こんなバザールの噂はご存知だっただろうか?

「インターネット ヤミ市」
インターネットの明るいヤミを目指して
自由の国インターネットとは名ばかり、ほらリジェクトだとか、ほら違法化だとか、
あんまり自由じゃなくなって来ている今日このごろ。
そこで、あえて人と人とが直接プロトコルする、そんなフリマを開催します!
インターネットに病み(ヤミ)続けるぼくらに、手と手の触れ合う生あたたかいデータを直リンク!!
※違法なもの、危険なものは扱わない、明るいヤミ市です!


 出店者のひとり、カセットレーベル〈ダエン〉主宰氏からは開催趣旨に関してこのようなコメントをいただいた。

「リジェクトされたiPhoneアプリとか、もちろん普通にTシャツとか、自分の作品とかでもOK。データとか、リンク集みたいな形のないもの......フォロー権、RT権とかの権利ものなど、インターネットに関連するものを何でも売り買いできるマーケットです。さすがに法に触れるものは売れません。グレーはいいけどブラックはダメ!!」

 ご本人はブース内でのミニ・ライヴを敢行予定とのこと。その他のブースでもいろいろなハプニングが楽しめそうだ。

 伊藤ガビンや庄野祐輔、古屋蔵人らがキュレーションするスリリングなフロアで、多彩でダイナミックな買い物を楽しもう。タナカカツキ氏、渋家を始めクリエイター系の参加者が多数エントリーしている模様である。

■IDPW presents インターネット闇市
日時:11月4日(日)14:00-18:00
会場:17F
https://idpw.org/fest/blackmarket/

■神田コミュニティアートセンタープロジェクト『TRANS ARTS TOKYO』
日時:2012 年10 月21 日(日)~11 月25 日(日)12:00-19:00 (火曜日休み)
会場:旧東京電機大学校舎11 号館ほか(東京都千代田区神田錦町2-2)
主催:東京藝術大学(美術学部 絵画科 油画専攻)
共催:神田コミュニティアートセンター構想委員会(委員長:佐藤一郎(東京藝術大学美術学部絵画科長))
運営:一般社団法人非営利芸術活動団体コマンドN(東京都千代田区外神田6-11-14)
協賛:住友商事株式会社 他
参加料:500円(期間中何度も使えるパスポート制です)
https://www.kanda-tat.com/

YYU - ele-king

 「Can I watch you?」という言葉が、プレイヤーが故障でスキップしたかのように「I watch you」に短縮され、こだまする。この気味の悪い演出で締めくくられるにも関わらず、このカセット・テープは通して聴いても不気味な印象はなく、鬱屈していながらも不思議と爽やかでさえある。ジェームス・ブレイクは「愛の限界」をつきつけられ悲哀のポルターガイストを引き起こしていたが、YYUことベン・シュトラウスによる『タイムタイムタイム&タイム』は、決して贅沢ではないアパートの一室において、雨の降る町を横目に歌う地縛霊/背後霊めいたアヴァン・フォークのカセット・テープ作品である。

 タイニー・ミックス・テープスはこの作品のスタイルを「vaporwave, post-dubstep, avant-folk, wonky, footwork」と形容している。うさんくさいと思われるかもしれないが、ヴェイパーウェイヴ以外は納得のいくところだ。実際、僕もそれらを思い浮かべた。基本的にフィーチャーされているのはYYU自身と思われるフォーク風の弾き語りなのだが、エディットのされ方には、ジュークのBPMと細かいカットアップと、拍を把握しづらいポスト・ダブステップ的なリズムなんかがたしかに息づいている。そして、それが自慢げに披露されるわけでもなく、なにげなくさらっと聴くことができてしまう調合の妙には驚いた。クラシック・ギターとIDMの組み合わせとしてはローリー・モンクリーフを思い出したが、ローリーがあくまでトラックのうえに自らの歌を乗せていたのに対し、YYUは自らの弾き語りそれ自体をカットアップの対象のひとつと捉えている。さらには、今作にはアンビエント/ドローンの下敷きがそれとなく挟み込まれている。

 「vaporwave」というタグづけに関しては......とにかくタイニー・ミックス・テープがその語を言いたかったんだろう。ここには、正直なところレトロ・フューチャリスティックなヴィジュアルもなければ、ニュー・エイジを嘲るような舞台演出も、資本主義のもとでテクノロジーだけが現在進行形で果てもなく加速することへの懐疑的な戯れもない。あるのは、めまぐるしく毎日がすぎるのを感じている生活者の呻きのような歌である。そういう意味では、これはヴァーチャル・プラザから帰宅した、なんとなく肩こりを感じる生活者の歌とも言えるかもしれないね、タイニー・ミックス・テープス。
 ピッチが上がっていたり下がっていたりしてどれが地声なのか判断し難いほどだが、なんにせよ、声は疲れている。発語しているのはわかるが、滑舌はうやむやにされており、言葉はなかなかききとれない。明るいようでもあれば、哀しいようでもあるが、そのどちらをも悟らせないかのように、上手なヴォーカルはその内面を語らない。しかし、がむしゃらなフィンガー・ピッキングでクラシック・ギターの弦が弾き倒される音が、ときに叩きつけられるビートが、そしてそのジュークやポスト・ダブステップを思わせる複雑なリズムが、平坦に聴こえるヴォーカルの奥底に切迫したエモーションが胎動しているのを示唆しているようでもある。 

 この作品にはYYUなりにコンセプトがあるようだ。それはタイトルを見てもらえばなんとなく感じられるだろう。ボっとしていたらあっという間に過ぎ経っていってしまう「とき」をつかまえようとしており、そのための手がかりとして「反復」が試みられているようだ。今作でのカットアップ&ループは、ヒップホップのサンプリングのようなスムースなループではない。先述したスタイルで並べられたタグが示唆するとおり、不自然なタイミングでカットされ、ときにポリリズムを用いて、リスナーをつまづかせるようにループしている。ある数秒の「とき」が決して平坦に流れることなくたえず不自然に「反復」され、その「とき」と時間軸とを引き剥がすことによってその両方の存在をリスナーに印象づけてつかまえさせる。そしてエディットはやはり繊細になされている。

 オープニングから「タイム」という語がサンプラーの連打で繰り返される。ピッチの下げられた声が「&」「&」と繰り返す"&&&&"。えんぴつでリビングのテーブルを叩いたかのようなビートの"yyyy"。メランコリックな音色のオルゴールの節をタイトルで視覚化した"ll l l l"ののち、カセット・テープは長い沈黙を経て、B面へと続く。この沈黙でさえ、音楽を聴取することで逆に忘れられてしまう可能性のある「とき」という概念をはっきりと聴き手に認識させようとするものであるかのように思える。
 B面は、自らの弾き語りを途中からカットアップしピッチを変えリズムを変え「タイム」を反復させる"&time"で始まる。つぎの"4.55am-aloneholdingmybreath"つまり「午前4:55―ひとり自分の息を止めている」......夜もふけ朝になろうとするころにまだ眠りにつけない生活者が描写されている。ここには歌はなく、誰かの意味不明な歌の節がカットアップされ、休まらない頭のなかで絶えず反響してしまっている(それこそメディアファイアードのように)。ジュークの高速ハイハットを思わせるリズムは、日常の記憶(「とき」)の駆け巡るっているようで、睡眠中に脳が記憶の整理をしているという話を想起させる。あるいは眠りにつけないまま意識が過剰に働いてしまっているかのようでもある。いずれにしろ、ここにはタイトル通りに、痛々しく、息(生き)苦しい気分が閉じ込められている。高速のギターが印象的な"when you said that"ののち、センチメンタルなピアノと動悸のようなフロアタムの音、そしてまたやってくる高速BPMのリズムが印象的な"11pm breakfast sandwich"――「午後11:00 朝食 サンドイッチ」が、バイオリズム(体内時計)が狂ってしまった生活者の「とき」の経過を示唆する。「どこで」「あんた」という意味不明な日本語がサンプリングされ、日本のバンドtoeを思わせる激しいドラミングとアナログ・シンセがフューチャーされた"(((*~*~ under that"を経て、冒頭でも挙げた、女性的なピッチのヴォーカルが「Can I watch you?」と歌う"i haven't left"――「私は......離れてない」でカセット・テープはA面へ戻る。

 YYUは過去作品からすでに自らのフォークをIDM風にカットアップする試みをしていたようだが、今作『タイムタイムタイム&タイム』はジュークやポスト・ダブステップという複雑なリズムのベース・ミュージックを取り込んだ。それが狙ったのか偶然なのか分からないが、いや、おそらく狙ったのだろう、結果的には注目されうる要素として機能している。おまけに、スクリュー的な加工やエコーやカットアップおよびスムースでない不自然なループ、そしてNew Dreams Ltd.(ニュードリームス株式会社。いや、「新しい夢限られた」か)の「関連会社」の作品が話題を呼んだ〈ビア・オン・ザ・ラグ〉からのリリースということで、ヴェイパーウェイヴの波にも脇道で乗ることになった。メディアファイアードのレヴューではあえて言及しなかったが、同レーベルはそもそもヴェイパーウェイヴ専門レーベルというわけではないし、今作もあくまで非常に人間的な生活感やエモーションが表れている点において、ヴェイパーウェイヴの夢想的な態度とは真逆の性格をもつ作品である。しかし、情報デスクVIRTUALのバズののちに、それとは真逆のこういったフォーク作品をリリースをしかける〈ビア・オン・ザ・ラグ〉の、ヴェイパーウェイヴに頭を悩ます批評家たちを喰ったような姿勢はこれからも注目を集めるだろう。タイニー・ミックス・テープスはまんまとハメられてしまったわけだ。なにに? しかし、それはあくまで、ヴェイパーウェイヴに、なのだった。

 最後に、YYU自身からの日本語によるメッセージを紹介しよう。

 「私の床の上に音楽終日たくさんのとたくさん遊ばせてみましょう」。
 YYUは無邪気な音楽なのであって、ヴェイパーウェイヴのようなポップ・アートのテロリズム(?)と混同する必要はまるでない。しかし、彼は今作で「とき」を捉まえることができたのだろうか。この亡霊のような生活者は満足(成仏)できたのだろうか。彼が出した結論は、「あなたを見てる」ということだけ。ちょっと背筋がくすぐったい。

Sacred Tapestry - ele-king

Vektroid=Polygon WizardVektordrum=LASERDISC VISIONS=MACINTOSH PLUS=情報デスクVIRTUAL=FUJI GRID TV=INITIATION TAPE=ESC不在
 が与えられたとき、
Vektroid=〈NEW DREAMS LTD.
 が成り立つので、
〈NEW DREAMS LTD.〉=New Age-Psychedelic-Chillwave=Vaporwave
 であることより、
Vektroid=Vaporwave
 が言える。

 そう、ヴェイパーウェイヴとは、Vektroidを名乗る、アメリカ在住と思しき謎の人物による自作自演行為である。これが確かであるなら、ヴェイパーウェイヴは同時代の現象とはとても呼べないばかりか、小規模なアンダーグラウンド・コレクティヴでさえない。いわば偽装、詐術である。人がウェブ上に人格を持ちこんで以来、いわゆる「ネカマ」を標榜するユーザーが常に一定数、存在しているが、最初はそのような悪戯心からはじまったのであろうヴェイパーウェイヴも、少しずつ自らの意味付けを重くしていき、おそらくは自然な呼吸ができなくなってしまったのだろうと想像される。電子音楽史的には、ソロ活動者の伝統的な変名活動の一種と見るかもしれないが、この尋常ではないアカウント数は、ちょうどSNS上でサブ・アカウントや裏アカウントを取得し、陰口やエゴ・サーチ(ウェブ上自己検索)に耽る現代人の奇妙な分裂性、そしてそれを生む抑圧の構造に似ている。

 彼(彼女?)への追跡は、いまのところふたつの作品で行き詰まる。ひとつは、今年の5月に本人名義(Vektroid)でリリースされている『Color Ocean Road』で、同作のBandcamp上でのタグが、Vektroid(ヴェイパーウェイヴ)に関するほぼすべてのネタバレになっているが意味深だ。そして、いまさら隠すまでもないのか、最初からVektroid のSacred Tapestry名義であることが明記され、8月にSoundcloud上でのストリーミング・リリースとなった本作『Shader』が、〈NEW DREAMS LTD.〉という擬似レーベルの一応の区切りらしいのである。いわゆる「なかの人」であったVektroidが、このような撤退の素振りを見せている理由はいくつも推測される。悪ふざけでやっていたことが発見され、無視できない規模に広がってしまってビビッてしまったとか、単純に(超ニッチな規模とは言え)有名になってしまってウザくなったとか。もちろん、翻弄される私たちを見て、いまごろベッドの上で笑い転げている可能性もあるが......。

 この音楽に今日まで手を出さなかった人のために最低限のことを確認しておくと、ひと昔前の企業紹介ヴィデオの人畜無害なBGMを悪意でリミックスし、その残滓を無国籍でグロテスクなオフィス・カームとしてグチャグチャに混ぜ合わせたような産物だと思ってもらえばいい。ピッチ操作(スクリュー)された日本語音声や、意味が含まれているのか判断できない漢字の無作為なカット&ペースト、あるいは、使い古されたテレビ・コマーシャルの背景や古いコンピュータの起動音を引用したような痕跡も散見される。本作はその集大成とも言える内容だ。
 冒頭、日本の航空会社(?)のコマーシャル・ナレーションをスクリュー・ループさせた" LD・VHD "からはじまり、本作をヴェイパーウェイヴの作品と認識することが可能になる。だが、以降の曲でVektroid はそこを離れていく。続く"花こう岩 Cosmorama"では、動物の声や環境音などを散りばめつつ、"ドリーミー"以降、"移住"、"新たな夢 Spirited Child"では、最終的にはアンビエントに、互いに曲の区別がつかないくらい抽象的に、テンポ・ダウンしながらドロドロと覚醒していく。いわば前掲したタグのうち、new ageとpsychedelicがひたすら強調されていると言える。本作をヴェイパーウェイヴの終わり、そしてポスト・ヴェイパーウェイヴの始まりとするなら、その先にはさらに際どい世界への接近が待っているのかもしれない。
 ラストとなる"凍傷"は、ヴォイス・サンプルの操作という、一見、ヴェイパーウェイヴ的手法を悪乗りさせただけの音で、しかし私たちはそのような音でどこまでトリップできるのか、試しているようでもある(曲の後半部は凄まじい距離をゆらゆらと飛んでいく)。 かつてのヒッピーが目を付けた東洋の神秘主義と直結するのか、しないのか、分からないが、本作のサイケ趣味は相当の深度を行っていると言える。初期の活動で優先させていた、ある種のリラクゼーション・ミュージックとしての効用は、ここではサイケデリックの快楽主義に逸れているが、ロー・アートとしてのカウンター精神は引き継がれている。

 こうしたネタバレが済んだためか、「ヴェーパーウェイヴは終わった」と『Tiny Mix Tapes』が報じているが、これにはそれなりの根拠がある。2011年の11月以降、Polygon WizardとしてのYouTubeへのアップロードは途絶えているし、これ以降、〈Beer on the Rug〉からの有料配信/フィジカル・リリースが増えている一方で、本当に悪ノリしていたころのZIPファイルの削除がはじまっているのだ。目下、もっとも怪しいのはMEDIAFIREDやMIDNIGHT TELEVISION、COMPUTER DREAMSなどの「いかにも」な名義のアーティストだが、これらがどこまで繋がっているかは分からない。Vektroidの別名義かもしれないし、単なるフォロワーかもしれない。もっとも、ここまでやればどれだけ疑われても仕方がないとも言え、わざわざロシアのSNSであるvkにアカウントを取得した░▒▓マインドCTRL▓▒░が、今年の6月からヴェイパーウェイヴのネタバレ的投稿を続けているのも気にかかる。
 
 すべては気まぐれの愉快犯だったのだろうか? いか、仮にそうだとしても、ごく個人的な自己相対化の体験として、ヴェイパーウェイヴに出会って以降、それまで聴いていた音楽の聴こえ方がまったく違うものになってしまったことは強調しておきたい。ゼロ年代後期に『Pitchfork』が中心となって盛り立てたUSインディの音楽が、オルタナティブと呼ばれつつもどこか形骸化してしまったことを強引に暴き立てるような、問答無用の暴力性をそこに含意として感じたのだ。いわば、旧来の音楽環境が「本当に」荒廃したあと、つまり『Pitchfork』的なインディ音楽でさえも存続が危ぶまれるような季節が到来したときに、どのような音楽が立ち上がるのか、その最悪のシミュレーションを見せられているようなのだ。また、90年代の前半的な価値観に注がれる視線の向こうには、科学がまだギリギリのところで無邪気に、未来への希望として信じられていた頃の記憶を掘り起し、それをあえてディストピア的な反論として突き付け返しているようでもある。
 
 まったく......自分で書いておきながら、本当に妙な時代になったものだ。ヴェイパーウェイヴ----ウェブをシーンの中心に据えた最初の、小さな、そして本格的なこのアンダーグラウンド音楽は、ゼロ年代以降に生じた星の数ほどのマイクロ・ジャンル(音楽の部分的な傾向に依拠した曖昧な細分化カテゴリー)をめぐる2010年代以降の可能性、その示唆を多分に含んだ最初の衝撃(アンダーグラウンド2.0)だったと言える。
 残された〈Beer on the Rug〉を中心としたポスト・ヴェイパーウェイヴはこれからも展開していくにしても、同時代のムーヴメントやそれに代わる何かがどのように提起されるか、私はその一端を見た気がした。つまり、ある新しい音楽が「現象として面白い」という以前に、「本当に現象なのかどうかさえ分からないから面白い」ことがあり得るのだということを!
 もっとも、ヴェイパーウェイヴは多くの音源が2011年に流通し、その起源は音楽的にはJames Ferraroではないかと言われている。そうした文脈を踏まえた上での体系的な研究結果は、斎藤辰也君がいつか発表してくれるだろうが、個人的にはむしろ、本作におけるnew ageとpsychedelicの拡張路線の延長に立つ存在として、〈AMDISCS〉というレーベルに注目しているが、その話はまた今度。いまはただ、この悪趣味なサイケデリック・ミュージックの奥底に沈んでいたい。どこまでも、もっともっと深く。すべての音が溶け、その意味を失くしてしまうまで----。

Four Tet - ele-king

 そろそろ出ると噂されているボーズ・オブ・カナダの新作はどうなっているのだろう。ひょっとして、これまでよりもダンス・オリエンテッドな作風になっていたりするのだろうか。そんなことを今年ふと思ったのは、はじめはローンの『ギャラクシー・ガーデン』を聴いたときで、次がダン・スナイスによるダフニの『ジャオロン』と、フォー・テットによるシングルのコンパイル盤である本作『ピンク』を聴いたときである。エレクトロニック・ミュージックの移り変わりははやいとよく言われるけれど、そうとも思えないことが自分にはときどきある。『ミュージック・ハズ・ライト・トゥ・チルドレン』の醒めた夢の続きが、いまでも反響し続けているような心地がする......ローンやマウント・キンビービビオ、そしてキエラン・ヘブデンが生み出す色彩感覚のなかに。だがそれらが、一様にいまダンスフロアを目指しているのは、ベッドルーム・ミュージックと微妙な距離を取るかのようで興味深い。

 『ゼア・イズ・ラヴ・イン・ユー』は美しいアルバムで、タイトルに示されているようにヘブデンの叙情性を強調するものであった。ビートは4/4を刻んでいるけれども、そこには透き通った光が反射するようなメロディがあり、めくるめくサイケデリアがあり、女性ヴォーカルによる甘い歌があり......それらはダーティなフロアでのダンスよりも、ごくパーソナルな恍惚を思わせた。「愛」はあくまで「あなたのなか」にあるのだ。フォー・テットが『ポーズ』『ラウンズ』で保っていたダンスフロアとの距離を思うとき、そのダンスへの接近の仕方はごく自然な回答だったはずである。
 だが『ピンク』では、ヘブデンのダンスフロアを揺らしたいという欲望がより正直に吐露されているようである。もちろん12インチ・シングルの編集盤だから、ではあるが、ブリアルとの一連の共作と〈ファブリック〉シリーズへの参加を経て、彼のモードがよりそちらの方向へと向かっているように感じられる。ダン・スナイスのように名義を変えてもいない。曲順もじつは配慮されていて、冒頭を飾る"ロックト"は反復するリズムがメロウな旋律と出会う、まさに前作の続きのようなトラックだ。おや、と思うのは続く"ライオン"で、ボトムががっしりとしたミニマル・ハウスとして展開される。やがて得意の鍵盤打楽器を思わせる高音が入ってきて辻褄が合うようにはなっているが、『ポーズ』のフォークトロニカとは身体への響き方がまるで異なっている。

 "ジュピター"のコズミックな感覚もフォー・テットのトラックとしては新鮮だが、なかでも妙なのは声ネタとファンキーなカットアップとハープの繊細なアルペジオが同居する"128ハープス"だ。"ピラミッド"のディープ・ハウスないしはカットアップ・ハウス的展開にしてもそうだが、これまではあまり見せなかった野性味を披露している。ヒップホップからの影響をようやく上手く出せるようになったということかもしれない。それが、これまでじゅうぶん培ってきた清潔な音の煌きとどうにかして肩を寄せようとしている。だから、まだ完成形ではないのではないかとは思うが、彼の挑戦の跡を見るようで頼もしい。
 ブライアン・イーノめいた"ピース・フォー・アース"のチルアウトを経た、本作ではラスト・トラックとなる"ピナックルス"が白眉だ。ダン・スナイスとアーサー・ラッセルの素晴らしさについて日々語り合っているのかは知らない......が、群を抜いてグルーヴィーなディスコ・トラックで、シカゴ・ハウスの猥雑でセクシーなエネルギーがエレクトロニカの音響の冒険と時空を超えて出会うかのようである。曲は反復を繰り返し、時折ピアノの大胆な和音を挟みながら、6分を過ぎた辺りでついにエクスタシーへとリーチする。これは......絶対にフロアで目を閉じて味わいたい。
 かつてフォー・テットはエレクトロニック・ミュージックのもっとも細やかな感性を探り当てようとしていた。それはジェイミーXXらに受け継がれ、ヘブデンはその成果を手放すことはなく、そこに肉体を与えようと試みている。夢の続きはいまダンスフロアにあり、我々はそこでサイケデリアに朦朧としながらもたしかに身体を揺らすことができる。

HB, Traxman etc. - ele-king

 10月に入ってからいちにち中、寝て、食事して、雑務をこなしているとき以外は電子音楽を聴いている。聴いては書いて、聴いては書いて、聴いては書いている。三田格と『テクノ・ディフィニティヴ』というカタログ本を作っているのだ(自分の人生で来る日も来る日もテクノばかり聴いているのは、これで3度目である。レコードやCDを探すのが本当に大変で、あると思っていたものが見つからないと本当に悲しい)。
 聴いているのは、基本的には好きな音楽なので楽しい。とはいえ、禁欲的な生活をかれこれ10日以上も送っていると週末ぐらいは派手に遊びたくなる。そういう事情がなくても、トラックスマンには絶対に行こうと決めていたのだが、ちょうど同日の7時から渋谷でHBのライヴがあると教えられたのでそっちも行くことにした。HBのライヴを見て、続いてヴィジョンでクラークやサファイア・スローズなんかのライヴを聴いて、そして最後をジュークで締めようという企みだ。そうだ、二日酔いになるくらい酒を飲んでやる。


 7th Floorに到着するとムーグ山本がDJをしていた。ムーグさんはバーニング・スター・コア(ドローン)なんぞを、それから僕の記憶がたしかなら、『男と女』のテーマ曲かなにかをミックスしていた。しばらくしてHBが登場。じつは初めて見たのだが、これがまた、なんでいままで見なかったのだろうと後悔するほど良いライヴだった。
 HBとは女性3人組。アルバムも2枚出している。メンバーのひとりはラヴ・ミー・テンダーのドラマーのMAKIで、この日は彼女の産休前の最後のライヴだった。

 彼女たちの音楽は、メビウスとコニー・プランクとマニ・ノイメイヤーの3人によるクラウトロックの古典『ゼロ・セット』からメビウスのパート=電子音を抜いて、電気ベースを加え、パーカッションとディジュリドゥなどの生楽器を絡ませた......とでも言えばいいのか、シンプルな構成だが、多彩でオーガニックなグルーヴが次から次へと出てくる。演奏力の高さだけではなく、ユーモアもあるし、見た目も格好良い。

 30分ほど演奏すると、この晩のゲストとして柚木隆一郎が登場。久しぶりに見た彼は、リズムボックスをバックにソウルを歌ったティミー・トーマスのように、i-Padとコンパクトなミキサーを使ってソウルを歌った......が、この晩の彼はあまりにもはしゃぎすぎだった。しかし、その日7th Floorを埋めたオーディエンスにはそれが大受けだった。ところどころでは演奏の巧さも見せたり、余裕のパフォーマンスだった。

 DJを挟んでふたたびHBが登場。1曲目は4/4キックドラムを活かした踊りやすい曲で、あとは最後までエネルギッシュに突っ走った。小さな会場での割れんばかりの大きな拍手は、彼女たちのまったく素晴らしい演奏にふさわしいものだった。

 それから僕は、カメラマンの小原とヴィジョンに向かった。
 1時にはクラークのライヴがあるんじゃないかと勝手に思っていた。ブンやサファイア・スローズなんかのライヴも聴けるだろうとか図々しく。実際は1時間づつずれていた。12時前にクラブに入ってしまったので、小原といっしょにビールを飲みながら身体を休めつつ、どうしたものかと思案する。結局、1時前に我々をゲストで入れてくれたビートインクの方々に「どうしてもジュークを聴きたくなってしまいました」と謝って、代官山のUnitへ急ぐことにした。

 到着したときは、いわば「フットワーク講座」として日本人の方が丁寧に踊りのレクチャーをしているところだった。
 フロアは良い感じで埋まっていた。シカゴからやって来たダンサーが手本で踊ってみせると、フロアの温度は上がる。
 HBのメンバーのひとりは、前半の1曲、ディジュリドゥを吹いた曲を終えたあとに「これでやっとお酒が飲めます」とMCで言っていたものだが、フットワークもまた酒を飲んでいたらとてもじゃないが、踊れるものではない。汗が30メートル遠方まで飛んできそな勢いでダンサーは踊っている。
 日本人のダンサーも踊りはじめる。シカゴのダンサーがフロアに飛び降りて、踊って、しばらくすると何人かも踊りはじめる。とても良い感じ。このなかに自分も入れたら、さぞかし楽しいだろう!

 僕が思ったのは、これは現代版『ワイルド・スタイル』だなということだった。エネルギッシュで、ハードで、若々しい。昔『ワイルド・スタイル』で見たような光景が21世紀にアップデートされている。スポーツの要素も入っている(笑)。トラックスマンはステージで記念撮影したり、上機嫌だった。しばらく、日本人DJのフルトノのプレイを聴いていた......が、このあたりから記憶が断片的になっているのである......。スタートが早すぎた。翌日は当然のように二日酔いだった(おぇ)......ので、詳しいレポートは斎藤君にまかせるとしよう

野田 努

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UNIT PRESENTS
TRAXMAN with Red Legends footworkers : A.G. & DJ MANNY
@代官山UNIT & SALOON 斎藤辰也

 とあるレーベルのスタッフいわく、最近は若者がクラブに来ない、という。そう、きみみたいな人を、音楽を目的にひとりでクラブに来ている若いやつを見かけなくなったんだ、という。それはブラワン(Blawan)のDJを観に代官山UNITに行ったときの会話だったのだが、正直に言えば、23才の僕もクラブにはさして行かない。そのときUNITに行ったのも、注目していたレーベル(ジョイ・オービソンとウィル・バンクヘッドの〈ヒンジ・フィンガー〉)がブラワンのEPをリリースしていたから、どんな人なのか見たくて珍しくクラブに出向いていただけである。
 し か し 、 だ 。 そんなクラブに馴染みはないという人のなかでも、掲題の日を心待ちにしていたひとは少なくないだろう。当日の1週間ほど前から、僕は毎日のように胸騒ぎがしていた。あのクドいBPMとベースに向けた好奇心、昂揚感、恐いもの見たさが総出で湧き上がっていた。トラックスマンという超ド級のストレートさゆえに意味がよくわからなくなりそうなネーミング・センスに心が焦がされていた。

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 これは最新のブラック・マシン・ミュージックである。アフロ・フューチャリズム以外の何物でもない。西欧文化的なるものの内なる厳しいせめぎ合いだ。明日への新たな起爆剤、未来に向けて大いに狂ったダンス・ミュージックである。
野田努
Bangs & Works Vol. 2(The Best Of Chicago Footwork) のレヴューにて ------------

 会場に向かおうと0時過ぎに電車に乗ろうとするが、遅延。一刻もはやく会場に行きたいのに電車がこない。寒いホームを起爆剤に、線路に向けて大いに狂いそうになったが、なんとか深夜1時過ぎに恵比寿駅に着き、代官山UNITまで走った。これはすでにフットワークであったかもしれない。
 汗だくになりながら会場に着き、受付を済ませ、地下への長い階段を降りて、メインフロアに入り、ステージのほうへ駆け寄ると、ダンサーとして来日していたAGや、日本のフットワーカーによるステップのレッスンが行われている。DJ Mannyは、前日のDOMMUNEでも発表されていたが、飛行機に乗っていなかったので来日ならず。フロアは、動けなくなるほどではなかったが、前に行くのはためらわれるほど多くの人で賑わい、あたたまっていた。ヒリヒリした緊張感と熱気が会場にむせかえっていることを期待していたので、実際の和やかなレッスンの雰囲気に面食らったが、なによりまずフットワークというものがどういうものであるかを脚を動かすことでせめて来場者のみんなに覚えて帰ってほしいというアーティストたちの心意気がさっそく伝わってきた。この日この場所でみな一様にぎこちなく脚をがたがたと動かした記憶を、誰もが忘れないだろう。クラブに行く人間の誰もがうまくダンスできるわけではない。一口に踊るといっても、それは自分なりに体を揺らして動かすという喩えであることもしばしばあることだろう。しかし、このときばかりはダンスのできない人たちでさえ、恥らいながらも、型のあるダンスとして、脚をまずは動かした。なんとなくコツをつかんだ人たち、まったく要領を得ないままの人たち、基礎をあらためて確認したダンサーたち――この熱心なレッスンが20分ほど続くと、会場はじゅうぶんに熱くなった。

 DJ Fulltonoが見事なスピンをするうち、いつの間にかステージの手前、フロアの前線にてひとりのオーディエンスが大きく動きがむしゃらに踊りだしたことで拓けたスペースにサークルが成立し、周りの注目を集め始めた。誰しもがこれは幕開けの合図だと予感したに違いない。間もなくして、ステージからAG(いや、日本のダンサーだったろうか)が勢いよくサークルへ飛び降り、本場のフットワークを堂々と見せつけた。「おおおおー」という拍手喝采に包まれたそのスペースに、ステージ上のダンサーがつぎつぎと降りていった。モニターに映すカメラが間に合わないほど一連の流れはあっという間に起こった。カメラがやっとそのサークルを捉え、モニターに映されたダンサーのフットワークを観て誰かが言った。「(脚が)早すぎてカメラが追いついていない!」
 トラックスマンがその様子をステージ上から見守っていた。険しくもありしかし嬉しさの垣間見えるなんともいえない表情を浮かべながら、ときおりマイクを握り「DJフルトーノー!」とか「お前らもっと踊れ!」みたいに煽っていた。トラックスマン本人は踊らなかった。あんたも踊ってくれよ! という気持ちが会場にいたひとたちの半分以上の頭にチラッとよぎったことだろうが、彼は「俺は踊らないんだ」とボソッとつぶやいていた記憶がある。それもまた可愛らしくもあり、AGらダンサーがしっかり活躍している手前、彼自身はあくまでプロフェッショナルDJとしてのみステージに立っていたかったのではないかとも思う。ダンスに関しての主役は、あくまでAGをはじめとしたダンサーら、そしてオーディエンスひとりひとりなのだと。この夜、あくまで彼はダンスを盛り上げる役に徹していた。
 ステージから降りてきたダンサーたちがひととおり回し回しで踊った後、サークルを記録撮影していたカメラマンもカメラを投げ出して見事なフットワークを決めた。オーディエンス側から、つぎつぎと男子たちが背中を押されながらサークルへ飛び込み、みな一様に達者なフットワークを披露していく。みなさん踊れるんじゃないですか!
 その流れが15〜20分くらい続いた頃だろうか、突如、白Tシャツとタイトな白パンツできめ、髪をひとつに結んだ女性がサークルに現れ、すぐさまフットワークを踊りだした。一瞬、なにが起きたかわからなかったが、すぐに会場は感動の叫びと拍手喝采をその女性に送った。「うおおおおおおおおーーー!」。
 それを見て、ここまでサークルで踊っていたのは男子だけだったことに気付いた。会場には男性とおなじくらい女性もいたと思う。そしてギャルからすればいわばオタクとでも形容されてしまいそうな容姿の人、会社帰りらしきスーツ姿の人、久しぶりにクラブに遊びに来たのかもしれない年齢層の高めな人、ほんとうに「ヤンキー」(野田編集長談)の人、そして男女問わず若人もたくさん駆けつけていた。言ってみれば僕もそのうちのひとりだ。ふだんクラブに行かない若人さえ、この夜は、UNITで起きることを目撃しなければという気持ちがあったに違いない。そしてこの夜の感動を象徴するものが、オーディエンスとダンサーによって自発的に拓かれたサークルであり、サークルに飛び込まずとも自分の立ち位置でこそこそと脚を動かすオーディエンスであり、そして、女性がフットワークを踊りだした瞬間であり、そこに送られた握手喝采だった。トラックスマンが踊らなかった真意を、僕はそこに見えているような気がしている。このパーティの主役は、それぞれに脚を動かすオーディエンスだった。
 ふと僕の隣を見ると、おじさんから「森ガール」と形容されてしまってもおかしくなさそうな、ふわっとしたファッションのロングスカートを履いた小柄な女性が愉しそうに脚を動かしていた。僕もうやむや恥ずかしがっている場合ではないと、負けじとフットワークを試みた。


 やがてDJ Fulltonoの流すトラックはフェイドアウトし、トラックスマンはそのままDJ Fulltonoが用いていたMacBookに自分の外付けハードディスクをぶち込んだ。前日のDOMMUNEでも自慢げに見せびらかしていたが、彼のツアー機材はポケットにつっこんだハードディスク2個のみ。パソコンはバトンタッチなので一度フェイドアウトする必要があったのだろう。シカゴではよくある話、なのか。ワイルド。無音を利用してトラックスマンがコール&レスポンスをオーディエンスに要求し、観客も熱心に応える。「セイ、ゲローDJズ!セイ、テックライフ!」という具合だったろうか。すぐにはプレイせず、とにかく観客を煽りまくり、オーディエンスが声を振り絞ったころ、ようやく始まった。高速BPMの忙しないハイハット、ボボボボボボボボと響く衝撃的な低音――(史実的にどれほど劇的な瞬間なのかは理解できていないのだが)ついにトラックスマンが日本でプレイしている! この日メインの「盛り上げ役」を、オーディエンスは各々の喜びの声援とダンスとで迎えた。
 前日のDOMMUNEでいわゆるジューク/フットワークの楽曲をふんだんに披露したからか、トラックスマンのDJプレイはそれらに拘らず、むしろハウス・ミュージックを積極的にプレイしていたように思う。これもまた、ジューク/フットワークの種明かしをして日本のオーディエンスに叩き込む意図があったのだろう。矢継ぎ早に切り替わっていく楽曲群(トラックス)。それは彼なりの「Lesson」だったのではないだろうか。
 とはいえジュークもガンガンかけていた。おそろしいほど短く切り刻まれクドイほどループされるYMOの"ファイアークラッカー"のリフも、J.ディラによるファーサイドの"ランニン"とおなじスタン・ゲッツ&ルイス・ボンファによるボサノヴァも、DOMMUNEのときとはカットアップのエディットが違っていたような気がしたがどうだろうか。トラックスマンはマイクを握っていなかったが、同じことは繰り返さないぜという意気込みをひそやかに感じられた瞬間だった。ノトーリアスB.I.G.がくりかえしくりかえし哀しげに歌う。「Kickin' the door, waving the 44」! 彼は自分の出前からステージで煽りまくっていたので、自分のDJ中に針をちょびっとスキップさせてしまったあと、ステージから突如消え、しばらくして戻ってきたときに「おしっこ」なんて言ってたのも印象的だった。
 その後も高速の"ストリングス・オブ・ライフ"をプレイし、さらにブラック・サバスの"アイアン・マン"のリフをほぼそのままジュークに落とし込んだミックスを披露し、多くの人が笑いながら頭をふり腕をふり盛り上がっていた。どれも大ネタもいいところだったが、それらのキャッチーさでリスナーをジュークにぐいぐい引き付けていくトラックスマンの"Lesson"は大成功だったのではないかと思う。なにせほとんどの人が笑顔で、身体を、脚を、おもいおもいに動かしていた。野田編集長は「『ワイルド・スタイル』だと思った」と振り返っているが、まさに。ヒップホップの初期衝動にも似たフレッシュな勢いを、この夜、僕はジュークに見い出していた。いや、見せつけられたのだ。それによって突き動かされ、踊ったのだ。この日は踊りました。身体を揺らしたことの比喩ではなく、はっきりと、ダンスをしました。どう考えてもがむしゃらで下手くそだったとは思うが、はっきりそう言える。なぜか誇らしくもある。僕は踊りました。フットワークを踊りました。
 なにはともあれ、このパーティを最初から最後までステージではしゃぎながら盛り上げていたBooty Tunesの皆さんに、ありがとうございました、おつかれさまでしたと言いたい。DJ Aprilのハッピーなはしゃぎっぷりと熱にあてられて、オーディエンスも突き動かされていた部分が確実にあったと思う。
 この日、これから盛り上がろうとしているゴルジェ(Gorge)というジャンルのアーティストHANALIもライヴで出演していたということだが、僕は観ることができなかった。しかし、それは今月27日に開かれる「Gorge Out Tokyo 2012」のレポートで触れることにしたい。
 もし次クラブでジュークが聴こえたら、そこではフットワークのサークル/バトルがもっともっと多発的に興ればいいなと思う。そして、僕も踊れたらいいなと思う。部屋で練習もしている。いずれにせよ、この夜が波及して、もっと小さい数々のパーティーで人々がフットワークを踊るときがくるだろう。そのときこそ、トラックスマンとAGがシカゴから来日した意味が結実するのではないだろうか。

 以上、ジュークに詳しくもない、クラブに通わない、踊りらしい踊りをしない23歳男子によるレポートでした。ありがとうございました。フットワーク踊りましょう。

斎藤辰也

Stealing Sheep - ele-king

 「すべてのレコードレーベルがギター・バンドと契約しようとしている。現在の音楽シーンは、アークティック・モンキーズがブレイクしたとき以来のヘルシーな状況」と、『NME』創刊60周年記念号が書いていた。
 昨年あたりから、英国の街を歩く若者(当然ながら全員ではない。いつの時代もそうであるように、一部だ)のファッションが、あまりに80年代だとは思っていた。ユリの花を持たせたらまるでモリッシーじゃないか。みたいな青年や、ヒューマン・リーグみたいなお嬢さんたち、先日などは'Come on Eileen'のヴィデオに出てきそうな格好をしたレズビアンたちが路上でキスしている姿まで見た。
 英国ではいまでもファッションと音楽は手に手を取って歩いている。だから、ギター・バンドというより、若者がそうした格好をして街を歩いていた時代のギター・サウンドに触発されたバンドが複数、しかもメジャーに大ブレイクするんじゃないか。というキナ臭さは日常レヴェルである。

 で、そういう臭いを発散していると『NME』が推しているバンドのなかでも、個人的に気になるのはSavagesなどの女子バンドだが、その括りのなかに入るようでいて、まったく入らないような、独特のポジションそのものが魅力的に思えるのがリヴァプールの女の子3人組、Stealing Sheepだ。
 サイケデリック・フォーク。70年代のカルト映画『Wicker Man』のサウンドトラックのよう。中世民族音楽のベイブ。ジミー・ペイジの耳に囁きかける3人の魔女たち。など、英国の評論家は様々な言葉で彼女たちの音楽を形容している。これに、トラクターに乗ってやって来たコクトー・ツインズ。ベルボトムを履いたストロベリー・スウィッチブレイド。というわたしの感想を加えるとさっぱりわけがわからなくなってしまうが、現時点では、その多様性が彼女たちの特徴になっているのはたしかだ。
 例えば、彼女たちの英国における1stアルバム『Into The Diamond Sun』のジャケットを「ポップな曲が際立っているのに、難解な音楽を連想させるジャケットで損をしている」と書いたメディアもあったが、本国に先駆けて発売された日本版デビューアルバム『Golden Fleece』(収録曲は英国版1stとは全く異なる)のジャケットは、もうスウィート&ポップまっしぐらだ。このふたつのイメージの落差が、現在のStealing Sheepを端的に象徴していると思う。
 『Into The Diamond Sun』の前半は、日本版デビューアルバムの愛らしいジャケットのほうが似合う。が、後半はがらりと変わる。これを「ここからは不要」と評するか、「ここからが本番」と評するかで評論家の好みも分かれるようだが、後半の曲群には英国版のジャケットのほうが似合う。
 個人的には、前半も好きだ。気温が上がらなかった夏を連想させる気の抜けたポップはいかにもイングランド北部の音だと思う。The La's なんかもそうだった。が、問題の後半部分に突入してから、わたしはこのリヴァプールのお嬢さんたちと真剣に向き合う気分になったのであり、え、これってドゥルッティ・コラム? いや、実はその背後でCANかな。で、ぶつっと切れたかと思ったら突然エリック・サティになってるし。と、年甲斐もなくちょっと動揺させられた"Bear Tracks"などは、「アーバン・ヒッピー娘のキュートでオーガニックな試み」では済まされない領域に軽々と踏み込んでいっている。

 エミリー、ルーシー、ベッキーという、クリーム・ティーを連想させるような古式ゆかしい英国人名を持つ彼女たちは、ある者は大のビョーク好き、またある者はサイケデリック・ロック好き、ある者はCDプレイヤーも持っていないジプシー・フォーク好き、と趣味趣向がバラバラなのだそうで、おそらくいまは民主主義的な曲づくりを行っているのだろうが、ある日、何かの拍子にその三者MIXの調合パーセンテージがバシッと決まるときが来て、その最良の配合を前面に押し出して突っ走りはじめたら、もう誰にも止められなくなる可能性もある。実際、彼女たちの曲はすでにチャンネル4のドラマのCMに使われており、同郷のポール・マッカートニーが彼女たちのファンだと公言しているらしい。

 こういうお嬢さんたちの音楽を聴く度に、わたしは期待まじりに予想せずにはいられない。来年あたり、すくっと楽器を抱えて立っているクレヴァーな女子バンドが次々とブレイクして、シーンの中核で群雄割拠するのではないかと。
 ザ・スリッツのアリ・アップが他界して2年。
 そろそろ、そういう時代になってもいい。

Sound Live Tokyo - ele-king

 舞台芸術を中心に、国内外のアート・シーンにおける情報と人とのプラットフォームとして芸術や文化の振興に取り組んできた特定非営利活動法人、国際舞台芸術交流センター(PARC - Japan Center, Pacific Basin Arts Communication)企画の音楽フェスティヴァル「サウンド・ライブ・トーキョー」が10月26日(金)~28日(日)にかけて行われる。

 参加アーティストは、菊地雅章、工藤冬里/マヘル・シャラル・ハシュ・バズ、サンガツ、ティム・エッチェルス、Project UNDARK + ディーター・メビウス、Baby Arabia、山下残と、先鋭的な表現活動を重ねてきた面々が多く並び、演奏のみならず展示や映画上映など、音楽から広くアートへとつながる地点でどのような音が鳴らされるのか楽しみだ。Project UNDARK + ディーター・メビウスのパフォーマンスには後藤まりこもゲスト参加する旨が追加発表されている。以下簡単にトピックスを。

 菊地雅章のピアノ・ソロは、東京文化会館という音響的に優れた環境に加え、PAなしの演奏が予定されており、理想的な条件のもとで公演を楽しむことができそうだ。
 Phewと小林エリカによるProject UNDARKは、「被曝」というテーマに果敢に取り組んだ傑作『Radium Girls 2011』を発表して以来初となる、クラスターのディーター・メビウスを迎えてのライヴ・パフォーマンスに期待が高まる。
 Baby Arabiaは、タイでアラブ/マレー音楽を演奏し、イスラム・コミュニティの聴衆を楽しませ続けているバンドだとのこと。「自分が所属しないコミュニティの歌を自分が話さない言語で35年歌っているという、彼らの音楽活動のあり方にも興味を持ってもらえれば」と言うのは担当氏だ。ライヴの前にはタイにおける「普通の」イスラム教徒をテーマにしたという連作ドキュメンタリー映画から、昨年公開の『Baby Arabia』が字幕付で上映される。
 ティム・エッチェルスの展示『Wall of Sound』の音楽監督も務める工藤冬里は、マヘルでの演奏の他、同展示のコンサートに子どもの合唱団を交えたパフォーマンスを試みる。これまた担当氏は「展示されているテクストの読解のプロセスがそのままパフォーマンスになるような、とても面白いものになりそう」と語気を弾ませる。ぜひ単日だけでなく、通しチケットの方でプログラムの全体を楽しんでいってもらいたいとのことだ(『Wall of Sound』は展示、コンサートとも入場無料)。熱意を持って取り組まれ、熟慮された構成の企画であることがよくうかがわれるだけに、シリアスな音楽ファンと
して、またワークショップ感覚でも全日程を体験したいところである。

サウンド・ライブ・トーキョー
Sound Live Tokyo

会期:2012年10月26日(金)[前夜祭]~28日(日)
会場:東京文化会館 小ホール

参加アーティスト:菊地雅章、工藤冬里/マヘル・シャラル・ハシュ・バズ、サンガツ、ティム・エッチェルス、Project UNDARK + ディーター・メビウス、Baby Arabia、山下残

日程:
10月26日(金)
17:00~20:30 ティム・エッチェルス『ウォール・オブ・サウンド』(展示)
*19:00 菊地雅章 ピアノソロ(1stセット)
20:30 菊地雅章 ピアノソロ(2ndセット)

10月27日(土)
13:00~20:30 ティム・エッチェルス『ウォール・オブ・サウンド』(展示)
*18:00 Project UNDARK + ディーター・メビウス
19:20 山下残『ヘッドホンと耳の間の距離』
20:30 工藤冬里/マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

10月28日(日)
13:00~19:30 ティム・エッチェルス『ウォール・オブ・サウンド』(展示)
*15:30 『Baby Arabia』(HDCAM上映、74分)
17:00 Baby Arabia(コンサート)
18:15 ティム・エッチェルス『ウォール・オブ・サウンド』(コンサート、音楽監督・工藤冬里)
19:30 サンガツ

会場:東京文化会館 小ホール

チケット、詳細:https://www.soundlivetokyo.com/index.html

主催:東京都、東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)、国際舞台芸術交流センター(PARC)

後援:ブリティッシュ・カウンシル、東京ドイツ文化センター

東京文化発信プロジェクトは、「世界的な文化創造都市・東京」の実現に向けて、東京都と東京都歴史文化財団が芸術文化団体やアートNPO等と協力して実施しているプロジェクトです。都内各地での文化創造拠点の形成や子供・青少年への創造体験の機会の提供により、多くの人々が新たな文化の創造に主体的に関わる環境を整えるとともに、国際フェスティバルの開催等を通じて、新たな東京文化を創造し、世界に向けて発信していきます。




© Abby Kikuchi  菊地雅章


イラスト:小林エリカ  Project UNDARK + ディーター・メビウス


山下残『せきをしてもひとり』(2010年、原宿VACANT)
山下残『ヘッドホンと耳の間の距離』


工藤冬里/マヘル・シャラル・ハシュ・バズ


Baby Arabia


スペクタクル・イン・ザ・ファーム(2010年、那須)での演奏  サンガツ


We Wanted by Tim Etchells (2011)  ティム・エッチェルス『ウォール・オブ・サウンド』

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