『Stash』は世界的にも珍しい、モーション・グラフィックスやミュージック・ビデオ、CG、ショートフィルム、テレビCMなど最新の映像を紹介する月刊のDVDマガジンで、今回の号が発刊60号そして5周年を記念したものとなる。『Stash』が04年にスタートした当初は、まだYoutubeがこの世に存在していなかった。つまり、まだ世界には革命が起きてなくて、国境やNTSCだのPALだの放送方式の違い、そんなものを意識する必要があった。映像系のフェスに行くとか、NHKあたりで特集が組まれるのをじっと待つか、そうでなければこういうソフトで見るしか、海外の映像に触れる機会はなかなかなかったのだ。
実際にサーチしたわけじゃないが、ここに収録されているようなレア映像もほとんどはネット上で見られるだろう。では、パッケージ・ソフトとしての本作の意義は何かと考えたとき、彼らが使っている"キュレーション"というタームが形容するような映像のセレクションとプレゼンテーションの形にそれが存在すると言えるのではないか。作家のクレジットや放送媒体などの情報だけでなく、制作の背景や使用ソフトなど、プロや学生はもとより、コアな映像マニアもすごく興味のあるだろう情報を網羅したブックレットがつくのも嬉しい。輸入盤なので、残念ながらテキストはすべて英語だが、それでも解読する価値のあるものだ。
2枚組のスペシャルな号となった今回のイシューでは、シャイノーラの監督したコールドプレイの"ストロベリー・スウィング"のMVが目玉のひとつだろう。巨大黒板に描かれたチョーク画とその上で演技する人物(メンバーのクリス・マーティン)を上空のカメラで撮影してストップモーション・アニメに仕上げたという壮大すぎる作品は、なんと制作に3ヶ月もかかったそうだ。
また、リーマン・ショック後の世界を象徴するようにCMの数は少ないし、ゴージャスなものが見られるわけでもないが、飛び出す絵本を模したフォードのCGアニメのCMやドイツの電力会社の巨大モンスター・キャラを起用したピクサー風ファンタジー仕立てのもの、またタイポとグラフィック表現の変化で多彩な読み物のジャンルをヴィジュアル化したメルボルン作家フェスのモーション・グラフィックCMなどは、素晴らしい。日本では、誰も積極的に広告を出さなくなって貧乏くさいCMばかりになってしまった現状と比べたら、創意工夫やつきない表現意欲を感じるものばかりだ。
また安価で高性能のPCと使いやすいソフトのおかげで、時間とアイデアさえあれば素人でもずば抜けた作品が作れることの証左のように、学生制作のショートフィルムがすごいことになっている。特に、日本のアニメに影響を受けたようなタッチのものは、そのスーパーフラットな質感と、作り手が備えた独特の視点がうまくブレンドされて、日本の商業アニメには絶対にない世界を描出。その出来の良さには唸ってしまう。マッドハウスと4℃が合作したような近未来SFの『La Main Des Maitres』はフランスの学生。独特のタッチとパースが湯浅政明の『マインド・ゲーム』や『ケモノヅメ』を思わせる『Inside/Out』はイスラエルの学生の作品だ。彼らが潤沢な予算とプロダクションを得て、商業制作したらと思うと、末恐ろしい。不況のおかげでこういった学生の作品にもスポットが当たるようになったのは、間違いなく苦しい状況にあるだろう映像業界において怪我の功名なのかも。
「自分はない」というのが80年代の流行りだった。蓮見重彦の文章からは主体を指し示す指示代名詞が消えてなくなり、思想界というところでは「私は」とか「僕は」と書く人は跡形もいなくなった。例外は粉川哲夫と栗本慎一郎だけで、僕はこの2人にフィリップ・K・ディックについて書いてもらうことにした(『あぶくの城』)。フィリップ・K・ディックの小説もまた主体がはっきりしていないものが多い。『ヴァリス』が4重人格の話ではないかと思うようになったのは、だいぶ後のことだった。
ECDも海猫沢めろんも香山リカも西島大介も佐々木敦もすべてに目を通して共通していえることがあれば、この文章も締まったものになるはずだったけれど、しまった......どれも読んでいなかった。とくに友だちのことはあまり詳しく知りたくないということもある。クラブで知り合った人たちとは、いつも、そのように付き合ってきたし、その方がいざとなったら助け合うことは容易だから(ほかではどうなのか知らないけど、クラブで知り合った友人たちはよくわかっていないからむしろ助け合っているとしか思えないことが多い。よく知っていたらとても助ける気にはならないとでもいうように)。そういえば、クアトロのライヴで前野健太がMCで話していた『ライヴ・テープ』を観て、彼が吉祥寺の街を歌いながら歩き続けるシーンはとてもよかったのに(それだけの映画なんだけど)、エンディング近くになって監督が前野健太に歌をはじめた動機を尋ねることですべてが台無しになってしまったような気がした。