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![]() the telephones We Love Telephones!!! EMIミュージックジャパン |
海外の新しいムーヴメントから意匠をかっぱらって、それを邦楽のリスナーにアジャストするように意訳、あるいは超訳して音を届けるバンド。いつの時代にもそんなバンドはいて、多くの場合は、洋楽系のリスナーから遠巻きに白い目で見られたりもしてきた。しかし、the telephonesはそんなステレオタイプな洋楽系邦楽バンドの枠組から外れて、新たなムーヴメントをこの国のシーンで巻き起こそうとする強い意志を前面に押し出してきた上昇志向の強いバンドだ。メジャーから2枚目のフルアルバムとなる『We Love Telephones!!!』は、そんなthe telephonesにとって正念場とも言える作品である。
彼らが過去に参照してきたニュー・レイヴやディスコ・パンクといったムーヴメントは、ここ数年で跡形もなく消え去ってしまった。同時に、the telephonesをめぐる状況は次第に熱を帯びていき、同世代のバンドとのイヴェントである〈KINGS〉や、精力的なツアー、フェス出演などを通して、彼らは新しいタイプのロックリスナーを開拓することに成功してきた。その背景には、かつてはこの国の若いリスナーの間でも機能していた、「洋楽に影響を受けた邦楽と出会う→その元にある洋楽を辿っていく」というリスナーの行動原理が働かなくなってしまったことの、幸福な副産物とでも呼ぶべき追い風があったかもしれない。いずれにせよ、the telephonesが現在の邦楽ロックのフロントラインに立っているのは事実だ。"あざとさ"を捨てた丸腰状態のままバンドの本質と向き合ったニュー・アルバム『We
Love Telephones』をたずさえて、彼らはここからどこへ向かっていこうとしているのか? フロントマンの石毛 輝を中心に、本音を交わしてきた。
要はいわゆるニュー・レイヴとかディスコ・パンクっていう流れのなかでやってた僕らが、それが終わったなかで何をやるのかっていうのがすごく大事なことだと思ってたんだけど、そこで開き直ってみたら意外にいい作品ができなって思って。
■まず今年の3月にナカコーのプロデュースによる「A.B.C.D.e.p.」をリリースして、4月に初のセルフプロデュースによる「Oh My Telephones!!!e.p.」をリリースして、今回のアルバム『We Love Telephones!!!』に至るわけですけど、この流れのなかで、the telephonesの音楽はどんどん解放されていったように思います。
石毛(VOX/GUITAR/SYNTHESIZER):曲としては全部同時に作ってたんですよね。「A.B.C.D.e.p.」と「Oh My Telephones!!!」用の曲が10何曲かあって、そこからナカコーさんといっしょに選曲していって、これはナカコーさんにやってもらう、これは自分たちでやるっていう感じで分けていって。
■じゃあ、ナカコーにある程度たくさんの曲を聴いてもらった上で、どの曲だったらいっしょにやると面白いかっていう判断からピックアップしていったのを最初にかたちにしたのが、「A.B.C.D.e.p.」ってことですか?
石毛:そうです。ずっとナカコーさんのファンだったから、純粋に「どれが好きなのかなぁ?」って訊きたい気持ちもあって。まだその時点ではこのアルバムの曲全部はまだ出揃ってなかったんですけど、たとえば"I'll Be There"(『We Love Telephones!!!』収録)なんかはその時点でもうあった曲で、「この曲やりたいな」ってナカコーさんが言ってて。
■「A.B.C.D.e.p.」の時点で、アルバム『We Love Telephones!!!』までの構想はかなり明確にあったんですね。
石毛:そうですね。その時点でアルバムの設計図はあったら、全部が同時進行です。the telephonesのやることは、つねに「確信犯だ」って言われたいんですよね。
■そういう意味では、ナカコーから「盗めるものは盗んでやろう」っていう意図もそこにはあったりした?
石毛:あぁ、それはもう、もちろんありましたよ。去年アルバム『DANCE FLOOR MONSTERS』でメジャー・デビューして、あれはある意味、僕らの勢いだけをパッケージした、いちばん濃い部分だけを絞って出したようなアルバムだったんで、その次に出す作品は、本来の自分たち――もともといろんなタイプの音楽をやりたかったバンドだったから――勢いだけじゃないものがやりたいなと思って。やっぱりiLLの作品を聴いたらわかるけど、ナカコーさんの作品って音がすごくいいじゃないですか。シンセもたくさん使ってるし。だから、これまでの自分たちの作品では作れなかった音像が、ナカコーさんだったたちゃんと作れるんじゃないかなと思って。で、もちろんその過程で、いただける技術は盗んじゃおうと思って(笑)。
■その意図を隠すこともなく?
石毛:そうそう。もちろん、僕も隠さずに「教えてください!」って言うし、ナカコーさんも隠さない、ものすごくオープンな人だから。音楽に限らず、あまり詳しいことは言えないけど(笑)、いろんな動画とかもすぐに焼いてくれたりとか。the telephonesのレコーディング以外でもiLLの現場に行かせてもらって、機材をどうやって使うのか、音をどう作るのかとかも教えてもらって。しっかり盗みましたね。まぁ、盗みきれてないとは思うんですけど、いままでわかんなかったことがわかったのは大きかった。ものすごい勉強になりましたね。
■それは、その次の段階として、「Oh My Telephones!!!」と、『We Love Telephones!!!』収録曲における初のセルフ・プロデュースというチャレンジを見据えてのこと?
石毛:もちろんそれもありますけど、それをそのままナカコーさんからの影響でやったらあまり意味もないと思ってて。あくまでセルフ・プロデュースでやる上での助言というか、アドヴァイザー的な存在として考えてました。あんまりそこに頼っちゃうと、自分たちでやる意味がなくなってしまうから。でもまぁ、ぶっちゃけ、録り終わった後にいっかい聴いてもらって、「大丈夫ですかね?」って相談はさせてもらいましたけど(笑)。
[[SplitPage]]まぁ、タナソーっていうか、そのへんのメディアの人たちやリスナーも含むすべてに対して。でも、そういうネガティヴな感情もつねに持っていたいというか、それがなきゃダメなんですよね。
■あらためて、この『We Love Telephones!!!』をどういう作品にしたいと思ってたのかについて、メンバー全員に訊いていきたいんですけど。
岡本(SYNTHESIZER/COWBELL/CHORUS):まず最初に石毛が曲を持ってきて、それをスタジオで流してっていう作業をこの5年間ずっとやってきた中で、今回はこれまで以上にとにかく曲がいいなっていう印象があって。だから、今まで結構作品ごとにコンセプトがガチガチにあったんですけど、今回は自由に、いい曲はいい曲でどんどん入れていくみたいな感覚でみんなで作っていった感覚ですね。
松本(DRUMS):もちろんそれぞれの曲にはテーマとかもあるんですけど、それを前面に出していくんじゃなくて、まず音楽として楽しくやれたらなって思ったんで。自分たちのスタイルで演奏していったら、それは自然に自分たちだけの音楽になっていくんだなって。それは、作っててそう思ったというより、作品が完成してみて気づかされたことですけど。
■前作の『DANCE FLOOR MONSTERS』はリスナーが求めているところに思いっきり直球を投げた作品だと思うんですけど、そういう意味では、今回は思いっきり自分たちのやりたいものをやりきったってこと?
岡本:そうですね。自分たちがもともともっていたいろんな音楽的な要素を、ただ好きなように表現するっていう、なんだか簡易な話になっちゃいますけど、そういうことだと思うんです。やってみたい音楽っていうのは本当にたくさんあって、たしかに『DANCE FLOOR MONSTERS』みたいなアッパーで単純に踊れるロックっていう部分も僕らのなかにあったものだけど、今作みたいにいろんなサウンドやメロディが混在している方が、より自分たちらしい作品って言えるんじゃないかと思います。
長島(BASS/CHORUS):たぶん、『DANCE FLOOR MONSTERS』のツアーをやってたときに、「ここでもっとこういう曲があったら良かったのにね」っていうことを石毛が言っていて、もしかしたら今作はその欠けたピースを埋めていくものっていうか、いままでライヴやってきてもっとこういうのもやりたいっていう思いが、今回の楽曲たちが繋がったんじゃないかなって思います。だから、今回はプレイしてて楽しい曲が多いし、いい意味で力を抜いてできたんですね。作っていく作業の段階から。みんな楽曲がすごく気に入ってたら、逆にすげぇ気合い入れて作らなきゃっていうよりかは、「おぉー! この曲いいね!」っていう感じで、みんなでワイワイやってるうちにできていったような感じです。
■これまでとは違ったタイプの曲が生まれてきた、その背景にあったのはどういう思いだったんですか?
石毛:さっき宇野さんが言った通り、『DANCE FLOOR MONSTERS』は求められている場所に思いっきりボールを投げた作品だったので、次も勢いだけで作ったら完全にこのバンドは終わるなぁって思ってたんですよ。じゃあ、もともとこのバンドでやりたかったことって何だったんだ?ってことに立ち返った作品をこのセカンドでやろうと思って。具体的には、the telephonesってインチキディスコって自分たちで言ってきたバンドだけど、ちょっとずつ、もうちょっと濃いダンス・ミュージックの要素も入れていこうかなって。でも、同時にポップであること、勢いのあることっていのもthe telephonesの音楽の重要な部分だから、そこに関してはギリギリのところまで詰めていきましたけど。作品を作っていくなかで、迷いがどんどん消えていった感覚がありましたね。
■インディーズ時代のアルバム『JAPAN』は、当時のニュー・レイヴをはじめとする同時代の洋楽とリンクするようなサウンドを無邪気に出していた作品で、『DANCE FLOOR MONSTERS』はメジャーというステージで自分たちがそのタイミングで切れる最も有効なカードを切った作品だったと思うんですけど。
石毛:そうですね。だから、今回は『JAPAN』を作ってた頃の衝動に近いものがあったんですけど、当然、あの頃よりも洗練されてるし、当時は知らないことが多すぎたから。単純に、いま考えるともっと合理的にできるだろってことを悪戦苦闘しながらやったっていう、そういう楽しさが当時はあったんですけど。今回はその頃の無邪気な気持ちのまま、格段にクオリティが上がったものを作れたかなって。それと、あの頃と違って、いまはもう洋楽との同時代性っていうのは、僕はもうぶっちゃけ全然気にしてなくて。というのも、いまは日本でも、自分のまわりにものすごくカッコいいバンドが増えてきて、洋楽に対して変な劣等感を感じなくなってるっていうか。いまの日本の20代でバンドをやってる連中のなかにも、こんなカルチャーがあるんだよっていうのをちゃんと示したほうがカッコイイんじゃないかって思って。迷いが消えたっていうのはそこかもしれないですね。ほんとに胸を張って「日本のバンドです!」って言えるようになった気がする。
■なるほど。それといま、同時代性って言えるほどの音楽性だけでくくれるシーンみたいなものって、海外のロックバンドのなかにもないですよね。いいバンドって、もう、個々がそれぞれ勝手にオリジナルなことをやってるっていう状況で。それはイギリスに限らず、ブルックリン周辺のバンドもそうだし。精神性で繋がってる部分はあるのかもしれないけど。
石毛:うんうん。それはほんとにそうだなぁと思って。だから、要はいわゆるニュー・レイヴとかディスコ・パンクっていう流れのなかでやってた僕らが、それが終わったなかで何をやるのかっていうのがすごく大事なことだと思ってたんだけど、そこで開き直ってみたら意外にいい作品ができなって思って。開き直ったっていうのが、いちばん気持ち的にでかいですね。もうパクらなくていいやっていう(笑)。
■でも、かつてthe telephonesにニュー・レイヴやディスコ・パンクってレッテルが貼られたことは、the telephonesの音楽に対していちぶのリスナーにいろんな先入観を与えることにもなったけど、逆にそこをうまく利用してきたって部分もありますよね。
石毛:うん。それはもちろん自覚してますし、否定するつもりはないです。みんなで蛍光カラーのパーカーを着たりしてね(笑)。
■自分が初めてthe telephonesのライヴを見たのは2年前の2008年でしたけど、そのときに印象的だったのは、他の日本のギター・ロックのバンドのライヴに集まってるオーディエンスとは、全然違うオーディエンスの層をつかんでるんだなってことで。ちゃんと新しい現場を作ってることを実感したんですね。
石毛:いわゆるTシャツとデニムでタオルを首に巻いてるようなロック・キッズ以外の人が、ライヴハウスにたくさんいたっていうことですよね?
■そうそう。かわいくてオシャレな子がライヴハウスにいる! っていう(笑)。
石毛:2008年はそういうムーヴメントを小さいながらも作れて、すごく駆け上がっていった実感を持てた年でしたね。普段は全然音楽を聴かないような若い子達に、そういう文化を少しでも伝えられたっていう実感があった。でも、そんなのはすぐ終わるとも思ったんで。次はどうしようってことばかり考えてましたね。
■そして、メジャーに行くという選択をしたわけですよね。
石毛:うん。そこでとりあえずファッションとしてのニュー・レイヴは捨てようと思って、みんな思い思いの格好をしはじめたんですよね。僕はヒッピー崩れみたいな格好をして髪が伸ばしっぱなしになって、ノブちゃん(岡本)はゲイみたくなって、(長島)涼平は可愛くなって、(松本)誠治くんはラーメン屋みたいになった(笑)。
一同:あははははは!
石毛:ファッションに縛られるバンドじゃマズイだろっていうのと同時に、メジャーシーンでこのまま何年やれるのかっていう不安と期待があって。せっかくだからそこでシーンをひっかきまわすと同時に、ムーヴメントを作れたらいいなって思って。日本独自のシーンっていうのをすごく意識するようになりましたね。その前後に、KINGSというイベントも軌道に乗るようになって。
■興味深いのは、the telephonesを遠目で見ていたような人たちにとっては、「ロックで踊る」っていう〈KINGS〉ってイヴェントのコンセプトって、ニュー・レイヴやディスコ・パンクの延長として見られてた感が強いけど、いっしょに〈KINGS〉をやっているTHE BAWDIESも言ってましたけど、実はそこには90年代末の〈AIR JAM〉がひとつの理想形にあるんですよね。
石毛:うん。時代が時代なら、それこそ〈AIR JAM〉にいたようなキッズたちを、いまの僕たちは巻き込んでるのかもしれないですしね。僕らのライヴでダイヴとかモッシュが多いのも、きっとその時代の名残だと思うし。でも、自分としてはやっぱり、もっとライヴハウスとクラブの現場が――ここでいう現場っていうのはロック系パーティのことだったりするんですけど――混ざって欲しいって思うんですよね。だから、自分も大きなロックフェスとかに出たときに、ステージから「現場に行け!」って言うんですよ。まるで、ワールドカップのデンマーク戦に勝った後の長谷部みたいに(笑)。
■「Jリーグにも足を運んでください!」みたいな?(笑)
石毛:まぁ、そこまではカッコよくないかもしれないけど(笑)、言わなくてもいいのにどうしても言ってしまう。それは、もっと音楽を自由に楽しめる現場を作りたいからなんですよね。〈AIR JAM〉の世代の人たちがモッシュとダイブというのを文化として定着させたわけですけど、僕らの世代はそういう立ノリじゃなくてもっと横ノリの、踊るっていう文化をロックのオーディエンスに広げられないかなって。そうしたら、時代と時代が分断して横軸しかないような日本のロックシーンにも、ちゃんと縦軸のようなものができるのかなって思ってて。
[[SplitPage]]たとえば僕は高校を途中で辞めて死ぬほど退屈だったんですけど、唯一音楽だけはほんとに好きだったからライヴハウスで働き続けて、なんとかここまで生きてきたっていう、本当に音楽に救われたっていう実感を持ってるんですけど。
■たとえば、これはele-kingだから敢えて訊きますけど、the telephonesが歌ってるダンスフロアと、ele-kingの読者がイメージするダンスフロアっていうのは、違うものじゃないですか。
石毛:たぶん、真逆ですね。
■それによって偏見を持たれるのは不本意なことだったりします?
石毛:うーん......。でも、どっちの現場も健全だし、そんなに違うとは思わないんですよね。ドラッグもないし。だから、どっちもあってよくて、それが混ざるのが一番いいと思うんですけど......なかなか水と油だから、どうなんでしょうね。その架け橋的なバンドになればいいなぁとは常々思ってるんですけど。
■今作『We Love Telephones!!!』はいきなり「I Hate DISCOOOOOOO!!!」という怒りを表明した曲で始まるわけですが。この怒りの矛先はいまの音楽シーンに対して? それとも、社会全体に対して?
石毛:全部ですね。たまにすべてのものが嫌いになることあるんですけど、「I Hate DISCOOOOOOO!!!」の"僕を打ちのめしたとこで何の意味がある?""自分じゃできないくせに"というラインは、完全に田中宗一郎に言ってます(笑)。
■(笑)。
石毛:まぁ、タナソーっていうか、そのへんのメディアの人たちやリスナーも含むすべてに対して。でも、そういうネガティヴな感情もつねに持っていたいというか、それがなきゃダメなんですよね。すごく充実して幸せを手に入れると不安になっちゃって、これは全部嘘なんじゃないかと思うような人間なんで。
■いろんな批判もあるんだろうけど、言ってみればthe telephonesって、最初から隙だらけのバンドだと思うんですよ。
石毛:そうそう。ツッコミどころがいっぱいある。こんなに隙だらけなんだから、打ちのめしたところで何の得もないよって言いたい(笑)。
■打ちのめされても、ヘラヘラ笑いながらまた立ち上がってくるような、そういうタフさを持っているバンドだと思うんですけどね。だから標的になりやすいのかな?
石毛:そうですね。そういう部分はタフになったような気がしますね。
■もともとthe telephonesはメディア主導ではなく、現場から火のついたバンドだっていう、そこの自負もあるんじゃないですか?
石毛:それもありますけど、現場から生まれた僕らも、結局はメディア主導のフェスにのっかってるっていう現状もありますからね。それは僕らだけじゃなくて、他のバンドもそうですけど。別にそれが悪いって言いたいわけじゃないけど、もっと〈AIR JAM〉がやったみたいに、自分たちだけで磁場を作れるんじゃないかって思いはあるんですよね。せっかくここまで状況を作ってきたんだから、ついてきてくれるオーディエンスもいるんじゃないかって。そろそろ何かを仕掛けていかなくちゃなって。20代のうちになにかデカいことをやりたいなって思ってます。
■そういうthe telephonesの持ってるカウンター意識って、あまりファンのあいだにも伝わってないような気もするんですけど。
石毛:表現の根本には、いつもラヴがありますからね。すごく理想主義的な部分が大きいから。僕たちって尖ろうとしても、結局は4人の人間性に部分で、どうしてもラヴとかピースな感じになるんですよ。
■今作『We Love Telephones!!!』も、曲によっては"HATE"とか"DIE"とかっていうネガティブなフレーズも耳に残りますけど、基本的にはすごくラヴとピースな作品ですよね。
石毛:そうです。基本的にthe telephonesのテーマは愛と自由だと自分は思ってます。
■愛と自由をこの2010年の日本で歌う意味は、どこにあると思います?
石毛:いま、バンドであんまり愛を歌うバンドっていないと思うんですよね。個人的な内面の葛藤とか、そんなのばかりが幅を利かせていて。自分もそんなにすげぇ考え込んだ上で、「愛と自由」だって思ってるわけじゃないから、ちょっと答えづらいんですけど......やっぱり、まだバンド・シーンは終わってないっていう希望の火をつけたかったっていうのがあって。これから音楽をプレイする若い子にも、音楽でもメシは食えるよっていうのを伝えたいのがある。いまってなんとなく、日本の音楽シーン全体が、メインストリームもアンダーグランドも、どんどんコアなものになっている気がするんですよね。
■CDを買うという行為そのものが、マニアックな行為になってきてますからね。
石毛:でも、そんな時代でも普通の人がバンドをやってもいいんだよ、選ばれた人しか音楽をやっちゃいけないわけじゃなくて、普通の人間でもバンドはできるんだよっていうのを証明するバンドになりたいんですよ。それが結局は、愛と自由に繋がってるんじゃないかな。だから、いまの世界が退屈で死んじゃうよっていうような人たちに自分たちの音楽を届けたい。この気持ちが正確に届くかどうかわかんないですけど、たとえば僕は高校を途中で辞めて死ぬほど退屈だったんですけど、唯一音楽だけはほんとに好きだったからライヴハウスで働き続けて、なんとかここまで生きてきたっていう、本当に音楽に救われたっていう実感を持ってるんですけど。だからいま、学校も仕事も行かずに時間を持て余してるスーパーニートみたいな人がいたら、別に僕らの音楽じゃなくてもいいんだけど、誰かの音楽を聴いてそれに救われるような体験をしてくれればいいなって。まぁ、それが自分たちの音楽だったらいちばん嬉しいんだけど。
[[SplitPage]]だからね、ele-kingを読んでるような音楽をすごくよく知ってるような人たちに、「やっぱthe telephonesってクソだね」って言わせちゃうくらいの、そういうバンドになっていきたいですね。それでも、「あの曲はいいよね」みたいな。
■いまのtelephonesの現場には、ニートっぽい子はたくさんいる?
石毛:いや、全然いない。リア充ばっかだと思う。2ちゃんねるのスレッドとかも大して書き込みもないし(笑)。だからもうちょっと腐ってる奴らがいてもいいなって思うんですけど、逆に言うと、もう腐ってる奴らが聴きたいとは思わない音楽になっちゃったのかもしれないですね。それはたぶん、これまでの僕らのやり方があざとすぎたのかもしれない。でも、そのへんの連中に嫌われてもいっかいちゃんと上に行く必要があったと思うし、まだまだ上に行きたいところはあるんで。それが一段落したら、もういちどそこらへんにいる人たちに問いかけたいって気持ちは強いですね。
■自分で自分のことを「あざとかった」って言うのはそれだけ客観視できてるってことだと思いますけど、あざとさっていうのは、どこかでツケを払う必要があると思うんですよ。そういう意味で、今回の作品はそのツケを払ったような、丸裸の作品になってるのかもしれないですね。
石毛:なってるのかな? 基本的にはツケを払ったつもりではいるんだけど、もっといいツケの払い方もあると思うんですよね。これまで誤解させたきたところをどうやって解いていくか、それは難しいことなんですよね。でも、バンドが上に行くにはそういうこともしなきゃいけない。音楽がカッコよければ売れるっていう時代はやっぱり終わったと思うんで、自分たちがいいと思う音楽をどうやって広げていくか、あらゆる手段を講じるしかないと思うんですよ。で、そういうことに対して自分は積極的な人間だから、何でもやっていこうと思ってます、いまは。それが度を超えると、精神的にはつらくなったりもするんですけど。
■それは、別にこれまでのリスナーを裏切ってきたとか、裏で舌を出していたとか、そういうことじゃなくて、自分たちの音楽を限定した形でしか伝えてこなかったことに対するしんどさですよね?
石毛:そうですね......あぁ、そうかもしれない。うん、そうですよ! そうだわ!
一同:あはははははは!!
石毛:そういう意味で、今回の作品でようやく解放されたのかもしれない。いや、完全に腑に落ちたました(笑)。だからね、ele-kingを読んでるような音楽をすごくよく知ってるような人たちに、「やっぱthe telephonesってクソだね」って言わせちゃうくらいの、そういうバンドになっていきたいですね。それでも、「あの曲はいいよね」みたいな。たぶん、全曲好きになるのは難しいだろうけど、「the telephonesクソだけど、この曲だけはいいよね」っていう、それぐらいの耳のあるリスナーといっしょに走っていきたいですね。つねに時代と同期しながら新しいことをやっていきたいし、なるべくならその最先端を走りたい。基本的に人を引っ張ることは嫌いだけど、いまは引っ張ってもいいよって気分、なんでも背負ってもいいよって気分なんで。いろいろ背負うかわりに、先を走らせてくれっていう感じですね(笑)。
涼味がある。ウォッシュト・アウトやネオン・インディアンが実際にはより多く暑気を感じさせるのに対して、バスは涼しい。それどころか、時折は耳のうしろにあてられたかみそりのようにひやりとする。
デイデラス人脈のビート・メイカー、バス。本名をウィル・ウィーゼンフェルドという弱冠21歳の俊英は、ポスト・フィータスというなめたような名義で今年1月に初めてのアルバムをリリースしている。本作はデイデラスの薦めもあったようで、〈アンチコン〉からリリースとなったバス名義でのファースト・アルバムだ。時流に外れずグローファイ/チルウェイヴ的な文脈をとらえた、非常にリリカルなIDM。しかし吃りのはげしいビートや、込み入ったエディットのなされたサンプリング音には、前掲アーティストのレイジーな感覚とは対照的な攻撃性があると言わずにいられない。
やんちゃな音という意味でない。むしろひたすら内向的でドリーミーだ。が、ベッドルームから出てやるものかという雰囲気がある。あるいはかなり尖った音楽的な探求がある。なるほどこのあたりが〈アンチコン〉なのだろう。モラトリアムな空間で純粋過剰にスピード培養されたビート・センス......心地よいサウンドの裏側には、そうしたかすかな薄気味悪さが貼り付いている。ピアノ、ヴィオラ、ギターなど何でもこなすマルチな才能といい、ある種の豊かさがある。あまり学校にも行かず好きなことにだけ没頭してきたのではないだろうか......そんなことさえ想わせる音楽だ。パッション・ピットをうんと気難しくして、ケトルやデイデラス、フライング・ロータスを交け合わせたと言えば近いかもしれない。
『セルリアン』は、グリーグの宗教的合唱曲を思わせるようなほの明るい和声でもって幕を開ける。絡みあうファルセットには厳かな雰囲気がある。おもむろに打ち鳴らされるキック。もつれたようなリズムはバスがバスたるゆえんだと言いたい。実際のところ、バスを聴くというのはこのリズムを聴くということに相違ないと思われるのだから。コミカルな効果音を交えて、天からシャワーのように降ってくる多幸感。これはアニマル・コレクティヴを筆頭とし、ドードースやル・ループやジャンク・カルチャー、トロ・イ・モアらに表象される、まどろみの2000年代サイケデリアをくぐった音だ。
あるいはルシアーノの"セレスシャル"。教会的なコーラスのイメージは、ダーティー・プロジェクターズやジュリアナ・バーウィックなどに通じる。調性音楽へのこうした再帰的なまなざしは、トライバル・ブームと裏表の関係にあるのだろう。マイ・スペースではトップにアップされているトラックで、本作のハイライトのひとつである。ウェブ・マガジン『ユアーズ・トゥルーリー』や『ピッチフォーク』では、これをプレイするバスの姿をヴィデオで観ることができる。トトロ型のトートバッグでスタジオに入る様子には、誰もが「やっぱりオタクだったか」とつぶやかずにいられないだろう。
感触の似たトラックとしては"アミナルズ"。クリア・トーンのギターを用いた、エコー・タイムの長いリフがじつに涼しい。音のひとつひとつが氷の粒のようだ。子どものヴォイス・サンプリングが挟まれ、やはりおもむろにドラム・パートがはじまる。この曲ではベースもよく跳ね、歌っていて、甘く切ないメランコリアをうまく醸している。叙情のインフレーションが止まらない。かつ、最終的にはアブストラクトなビートに支配される。作品中でも出色の出来ではないだろうか。このトラックに説得されてアルバムを購入する方も多いだろう。デイデラスとケトルを軸に取った座標、その第一象限をギターとトイ・ピアノが金属的に駆け回る。
"マキシマリスト"や"ホール"などは、ヒップホップのビート・メイキングという色合いが濃い。いずれもゆったりとした拍を刻みながら中盤ではっとするようなテーマが鮮やかに展開される。"インドアジー"はそうしたイヴォルヴィングなテーマだけを抽出したような曲で、ハイパーな子守唄といった佇まい。"レイン・スメル"のビターな味わいもアルバム全体に奥行きを与えていて、好ましい。シンプルなシークエンスに濡れたようなピアノが映える美しいトラックで、雨の音や鳥のさえずりが外界のノイズとともに挿入されている。本当に心の繊毛をひとつひとつ刺激してくるような、デリケートなメロディ感覚を備えた人物だと感心してしまう。
「どうでもいい」という念仏を唱える坊主がちまたでウケていると聞く。人間関係において、または社会生活を営む上で、うまくいかないような事態が出来した折に「どうでもいい」と唱えて納得せよといった教えらしい。これがウケるのはよくわかる。ウォッシュト・アウトの投げやりさやネオン・インディアンに感じる現実軽視は、これと同じレイヤーに属した感覚だと思うが、どうだろう。問題の解決どころか問題点の特定すら複雑すぎてままならない成熟社会においては、それもひとつのマナーであるように思われる。が、あくまで引きこもって爪を研ぎつづけるというバスのような存在には、退却と反撃が同居したような奇妙なエッジがある。それはそれでオルタナティヴなヒーロー像が宿っているようで、頼もしい。
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UNKNOWN
Elepahnt Stoned (Yo&Ko Super Long Edit)
WHITE / UK /
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D'JULZ
Rexperience #01
MODULE FRANCE / FRA /
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MACC AND DGO HN
Some Shit Saaink
REPHLEX / UK /
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MIKE HUCKABY
Deep House Supreme
DEEP TRANSPORTATION / US /
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SCOTT FERGUSON
Disk Union LTD Mix
FERRISPARK / US /
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SCION
Arrange And Process Basic Channel Tracks
TRESOR / JPN /
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サン・フランシスコのエレクトロニカ系によるソロ4作目。この10年でグリッチ・エレクトロニカが積み上げてきた蓄積をすべて食い尽くすかのようにポップのクリシェと絡み合い、なかばシューゲイザーと化した曲まで展開した前作『サーフ・バウンダリーズ』(06)と同路線、同じレーベル、さらには同じようにヒドいアートワークでやってくれました。「トラが花のような円をつくっている太陽」というタイトルからして大バカです。たしかに最近の太陽はそんな感じだし、カリフォルニアの科学者たちはいま、地球規模の空気清浄機をつくって(キューティー・ハニーが空中窒素固定装置で大活躍したように)大気中のCO2をエネルギー源に変えて大儲けを企んでいるという流れには合っているかもしれないけれど......。とはいえ、エレクトロニカの10年に対してそれなりに答えを出したといえるフェン・オバーグとはあまりにも対照的で、練り上げられたものはまったくなく、テクノに対するエレクトロクラッシュのようなものになっていることはたしか。にもかかわらず、このようななし崩しともいえるどうしようもなさに惹かれてしまう自分もいて......やはりポップへの意志がアカデミックに勝るということなのか、エレクトロニカから憂鬱の側面だけを抽出したゴルドムントやシルヴァン・ショボーよりはぜんぜん消費意欲を掻き立てられる。
あくまでも神経質を気取ってきたエレクトロニカに対して、その部分ではすっかり開放されて、感情的にはとても豊か。ネオン・インディアンやエメラルズなどジャンルとは無関係に進行するバリアリック傾向にも同調し、それは前作よりもさらに拍車がかかっている。試行錯誤の形跡も消えつつあり、「トラが花のような円をつくっている太陽」というイメージがはっきりしているからか(笑)、全体に迷いもなくなっている(トロピカル・パーカッションにロバート・フリップがヘタくそなギターを浴びせているような"プラント・ボディ"などはポップへの意志が勝利した瞬間のようにさえ思えてしまう)。"ザ・ハート・コネクツ・トゥ・ザ・ヘッド"や"フラワーズ・イントゥー・スターダスト"などアンビエントにもいい曲が多い。
ちなみにキッド606やザック・ヒルと組んだフレッシン名義の『リード・シンガー』を録音したことが変化のきっかけだったはずで、それ以降、アンビエント・ドローンにのめり込んでいったキッド606とは転移の関係にあるとしか思えない。お互いがお互いの欲望を交換し合い、人生を通して相手の欲求を満たすようになる--こういうことが起きるから人間は面白い。
![]() 石野卓球 / CRUISE Ki/oon |
石野卓球は、控えめなスタンスを貫いている。地味な卓球は、以前にも経験している。あれはたしかに『ベルリン・トラックス』の頃だったか。
『クルーズ』は、しかしあの頃の張りつめた緊張感ともまた違う。控えめだが、音の向こうにリラックスした卓球が見える。そしてその佇まいからは無垢なものを感じる。それは彼と出会ってそれなりに深く話したことがある人なら知っている彼の音楽への純粋な気持ちである。サーヴィス精神を忘れないこの男は、そうした彼の本性を包み隠すようなトリックも楽しんできているが、『クルーズ』にはそれがない。『スロッビング・ディスコ・キャット』のギャグもないし、『タイトル』の深い密室感もない。毒舌も女装もなければ歌もない。素っ裸のテクノ・ダンス・ミュージックが展開されている。
アルバムの最初に聴こえてくるシンプルだがヌケの良い4/4のキックの音に石野卓球のテクノ魂を感じる。1曲目の"Feb4"は彼がつねづね好んでいるトライバル・ビートとミニマリズムのコンビネーションで、ウォーミングアップとしては申し分のない心地よさを展開する。巻上公一の声とブラスの音をフックにした4曲目の"Hukkle"では、ヘヴィなバスドラとバウンドするベースラインが曲をドライヴさせていく。"Spring Divide"や"SpinOut"は力強いダンストラックで、いてもたってもいられなくなった石野卓球は"Arek"でエレクトロニックな陶酔に浸ろうとする。最後の"Y.H.F."はメロディアスで甘くディープなトラックだが、なんともさりげなく終わっていく。
石野卓球はポップとダンスフロアの往復者だ。そして本人はそう言われることを嫌がるだろうが、この国でもっとも影響力を発揮してきたテクノ・ミュージシャンである。石野卓球が新作について、そしてカガミとラヴ・パレードについて、ヴァイナルとデジタルについて......話してくれた。
どっちにしろ売れないんだったら楽しんで作ろうって。戦略的なことを考えたところであんま意味がないっていうかさ。あとねー。値段を下げたかったんだよね。だからミニ・アルバムということにしたんだけど、フル・アルバムだと3千円を超しちゃうからね。
■完全なソロとしては6年ぶりになるんだね。
石野:そう。ただ、川辺(ヒロシ)とやってたインクもあったから、そんなに空いている気持ちはないんだけど、なんかね......6年も空いたちゃったね。
■まさに「石野卓球が帰ってきた」という音だと思ったんだけど、自分のなかで課したテーマはある?
石野:ポップスでもなく、DJツールにもなり過ぎない。そういうのあんまやってなかったからさ。電気ではポップスを追求していたから、DJツールをやるって感じでもないじゃん、メジャーから出しているわけだし。
■作りはじめたのっていつ?
石野:6月ぐらい。時間が空いたときにスケッチみたいなのはその前から作っていたんだけど、方向が定まって、ちゃんと作業したのが実質、1ヶ月弱ぐらいかな。
■方向性に関しての迷いはなかった? やろうと思えば歌モノだってできちゃうわけだし。
石野:それがけっこうあった。どこに照準を合わせるのかがなかなかわからなくて。作業はしているんだけど、落としどころがわからなくて足踏み状態というかさ。煮詰まることはなかったけどね。ひとりでやってるから、煮詰まったら止めればいいじゃん(笑)。たしかに歌モノというか、ポップスをまたやってみるというオプションもあったんだけど、それをやりたいとは思わなかったんだよね。うん、最初からポップスという考えはなかったな。かといって、完全なDJツールを作るって感じでもないから、自ずとこうなったというか。
■しばらく電気グルーヴをやっていたしね。
石野:電気を長くやっていたから、そうじゃないものをすごくやりたいなというのはあったね。どっちにしても売れないからさ。
■ハハハハ。
石野:いや、ホントに。冗談じゃなくて。俺に限ったことじゃないよ。
■業界全体のことだよね。
石野:そう。それで久しぶりにやるからといって、ゲスト・ヴォーカルを入れて派手にやることも考えてなかったからさ、どっちにしろ売れないんだったら楽しんで作ろうって。戦略的なことを考えたところであんま意味がないっていうかさ。
■ハハハハ。でもホントに、ケレンミのない作品だなあと思いましたよ。地味で無垢な作品というか。
石野:あとねー。値段を下げたかったんだよね。だからミニ・アルバムということにしたんだけど、フル・アルバムだと3千円を超しちゃうからね。
■そうだね。
石野:いま、アルバム1枚3千円って高いでしょ。あ、野田兄、いまも(アルバム)買うの?
■相変わらず、かなりの枚数買ってるよ。
石野:そうか、サンプルもらえないヤツも多いもんね。それでも輸入盤が3千円超えることはないじゃん。
■2500円以内で済むよね。
石野:高くても2500円でしょ。安いのになると1600円ぐらいじゃん。いま無料ダウンロードで済ませちゃう人が確実にいっぱいいて、そういう人たちは最初から買う気がないからいいんだけど、買おうと思ってたけど、高いから違法ダウンロードにしちゃうっていう人たちもいるから、そこはちょっともったいないなっていうかさ。
■値段で判断されちゃうんだったら、たしかにね。
石野:それを考えると、それぐらいの値段でやるのがいいかなと思って、それで、"ミニ・アルバム"にすると値段がこれぐらい(2300円)に抑えられるっていうさ。
■じゃあ、ミニ・アルバムというフォーマットに落ち着いたのは、フル・アルバムの予告という意味じゃなく、単純に価格設定の問題なのね。
石野:あともうひとつは、尺的にもこれぐらいがちょうどいいなっていう。フル・アルバムという考えもまったくなかったわけじゃないのね。でも、それをやったらいろんな要素を入れ込もうとしちゃうと思うんだ。それはやりたくなかったんだよね。BPMをある程度近いものにしちゃうとかさ、フル・アルバムでそれは難しいと思うからさ。あと、ミニ・アルバムといっても尺で40分以上あるんだけど、それぐらいがちょうど集中して聴けるんじゃない?
■まあね。
石野:フル・アルバムでも短いのあるじゃん。ラモーンズとかさ。ラモーンズと比べるのもどうかと思うけど(笑)。
■まあね(笑)。つまらない質問なんだけど、作っている作業自体はいまでもっていう、今回も純粋に楽しいわけでしょ。自分が楽しめているわけだよね?
石野:もちろん。自分が楽しめてないときできたものって、結局は作品自体も楽しくないからさ。
■久しぶりに聴くから余計そう感じるのかもしれないけど、たとえば1曲目の"Feb4"とか、4曲目の巻上公一さんの声をサンプリングした"Hukkle"とか、うまく言えないんだけど、「石野らしいな」っていうか、やりたいことをやっている無垢な喜びみたいなものをすごく感じたんだよね。
石野:それはある。いままでやりたくないことを無理矢理やっていたわけじゃないんだけど、縛りがあって作るものが多かったから。それはそれで嫌いじゃないんだけど。人に提供するものとか、そういうのが続いていたから......で、ソロを作るってなって、「何にも縛りがないですよ」って言われて、「さて、どうしよう?」ってなってさ(笑)。マゾヒスティックな悩みというか、「誰か縛って」って感じでさ(笑)。
■ハハハハ。
石野:ま、それもやっていくうちに馴染んでくるっていうかさ。
[[SplitPage]]昔さ、ホルガー・ヒラーが言ってたじゃん。「下らないことばかりを集めると、スーパー陳腐なものができあがり、言葉の裏にある本当の意味が見えてくる」って。あれと同じで、自分の感覚的な部分を次から次へと構築していくと、自分も意識していなかった自分が投影できるっていうかさ。
![]() 石野卓球 / CRUISE Ki/oon |
■よく昔から「インプットがなければアウトプットがない」という言い方をしていたけど、今回のインプットは何?
石野:毎週やっているDJかな。逆にそれ以外はない。それをなるべく出したいと思ったんだ。DJは毎週やっているんだけど、そのフィードバックに関してはこのところやっていた縛りがある仕事ではなかなか出せないことだったから。意図的に出さなかったんだけど。それ(毎週のDJからの影響)だけで作るってことはやってなかったからさ。
■毎週DJやっているんだよね。すごいよ。
石野:仕事だからね。
■仕事でもあり、楽しみでもあるんじゃない?
石野:でも、"毎日"会社行ってる人のほうが偉いと思う。
■ハハハハ。
石野:だって、俺は"毎週"だからね。
■でも、仕事として割り切ってやっているというよりも、楽しみもかねてやっているんでしょ?
石野:でも、そのどっちかってもんでもないよ。現場によるね。行ってみて、「あ、今日は仕事を忘れよう」ってときもあるし、「あ、今日は半分仕事かな」っていうのもあるし。100%仕事っていうのはないけどね。そういうのは(オファーを)受けないからさ。ケース・バイ・ケースだよね。基本的には楽しんでやっているけど、遊びだとは思ってないっていうかさ(笑)。100%仕事とも思ってないけどね。だから、まあ、幸せですよ。
■いまは活動の場は日本がメインでしょ?
石野:そうだね。海外のブッキング・エージェンシーで、アンディっていたんだけど。
■アンディ、覚えているよ。
石野:そうそう、彼が辞めちゃってさ。で、その頃はちょうど電気での活動がはじまった頃だったから、どっちにしても(海外に)行く暇がなかった。あと、リリースがないのに無闇に行ってもなあというのもあった。昔はけっこう経験として選ばずに行くっていうのがあって、それこそ0泊3日みたいなのもあったんだけどさ(笑)。いまは新しいエージェンシーと話をしている最中で、また行くようになるとは思うんだけど。
■いずれにせよ、毎週末、どこかしら行ってるんだね。
石野:そうだね。先週は沖縄に行ったあと〈AIR〉やって、あとは逗子もやって、で、今週はフジロックだね。
■DJとしては当たり前というか、ホントにそういうライフスタイルなんだね。
石野:1週間区切りだよね。そのほうがいい。週末DJやって、日曜日休んで、月曜日には戻す。昔はずっと(時間帯が)ずれっぱなしだったんだけど、いまは月曜日には無理してでも午前中に起きる。それが心地よい。
■健康的だねー。
石野:いままでだと、スタジオに夕方行って、夜中から朝までやって、というのが多かったんだけど、今回は昼にスタジオに行って、夕方には帰ってくる。
■規則正しんだね。
石野:そのほうが集中できるっていうかさ。で、家で聴いて、次の日にやることをまとめておくっていうか。そのほうが時間も無駄にならない。夜中にやっているとどうしても......閃くこともあるんだけど、閃きを追求し過ぎて、本末転倒になるっていうかさ(笑)。
■ハハハハ。
石野:けっこうあるよ。夜中の2時ぐらいに「おし、閃いた!」って、そうすると夜中の3時に終わるわけにはいかないからさ、5時や6時ぐらいまで作業するじゃん。でも、自分が何を探していたのかもわからなくなるっていうかさ(笑)。そういうのがなっくなったっから、何かすっきりした。
■スタジオに入る前には、もうなんとなく青写真はあったの?
石野:うん、BPMはだいたいこれぐらいでとか、歌モノはなしとか、そのぐらいのぼんやりしたものはあったね。過剰に装飾しないとか、あとは削ぎ落としすぎて無愛想にならないとか。方向としてはね、自分が毎週末DJやって、レコードも買っているし、それらから受けている影響がいちばんでかいからさ、黙っていてもそれが出てくるじゃない。それを具現化していくっていうかさ。
■現場から吸収したものが出ているっていうのは、現場のエネルギーみたいなもの、あるいはもっと具体的な音楽性に寄ったもの?
石野:言葉にするのが難しいんだけど......たとえば、すげー疲れていて、DJブースに入って「あー、今日は大変だなー」と思っていても、ブースのなかで前のDJのビートを聴いててさ、で、DJ代わったときにはすんなり入れちゃったりするんだよね。慣れというかさ。で、そのときの次にかけるレコードも自ずと決まってくる、それがノっている感じというかさ(笑)。
■その感覚みたいなもの?
石野:うん、コンピュータの前に座ると、そうしたフィジカルな部分が削ぎ落とされちゃって、いっかい頭のなかで翻訳しちゃうんだよね。それをなるべくなくすためにスタジオで立ってやるとかさ(笑)。
■なるほどね(笑)。
石野:なるべく気分がノっているうちにスタジオに入るとかさ。夕方に入ると、そこからまたエンジンがかかるまでに時間が必要だったりさ。早めに起きて、スタジオに行くと、ちょっと気分がノったまま(作業に)入れるんだよね。
■なるほど。
石野:だから、フロアのエネルギーってわけじゃないんだよね。もっと自分の内面的な問題というか。
■なんかね、石野卓球らしいリズムのクセがすごく際だっているし。
石野:それがないと困るんだけどさ。
■そうなんだけど。
石野:手癖は黙っていても出てくる。黙っていても出てくる手癖を大切にしたというかさ。昔さ、ホルガー・ヒラーが言ってたじゃん。「下らないことばかりを集めると、スーパー陳腐なものができあがり、言葉の裏にある本当の意味が見えてくる」って。あれと同じで、自分の感覚的な部分を次から次へと構築していくと、自分も意識していなかった自分が投影できるっていうかさ。そうすると「俺の手癖ってこうか」みたいなことがわかる。
■メリー・ノイズと一直線に繋がるものを感じましたよ(笑)。
石野:モチベーションのところではあんま変わってないっていうかさ。お金になるかならないか、まわりに巻き込んでいる人たちの人数が増えたとか、それぐらいの違いで、モチベーションは変わっていないからね。
■声ネタの使い方とかさ。
石野:そこはどうかな(笑)? 自分では何とも言えないけどね。実はさ、最近、(自分が10代の頃に作っていた)カセットをハードディスクにアーカイヴ化したんだよね。いちばん笑ったのが、ニュー・オーダーの"586"のカヴァーのデタラメ英語ぶり(笑)。
■ハハハハ。
石野:あれはすごかった(笑)。
[[SplitPage]]俺、このあいだ中国でやったんだけど、野外フェスだったのね。そのときは時間もそんな長くなかったら、レコードをCDに焼いて持って行ったのね。使うであろうレコードをさ。そうしたら、4枚ぐらいで済んじゃうんだよね。4枚で行くのも気が引けるっていうかさ(笑)。
![]() 石野卓球 / CRUISE Ki/oon |
■話が変わるんだけど、ヴァイナルとダウンロードに関してはどんな意見を持っている?
石野:俺はどっちも使うんだけど、レコードのほうが音が良いっていうか......まあ、ハコによるよね。アナログ盤にチューニングされているハコは、レコード針がモニターから拾ってしまうフィードバックが聞こえないということを前提で作られているから、ヴァイナルをかけると音がすごくいいんだよね。その逆で、CDを前提で作られているハコでヴァイナルをまわすと、音がまわり過ぎちゃって、低音とかモコモコになっちゃうし、だからケース・バイ・ケースだな。「絶対にレコードでないと」っていうタイプでもないし、レコード買ってもCDに焼いて、どっちもいけるようにはしている。でも、どっちかとえばレコード派だけどね。使いやすいしさ。
■いろんなダンス・ミュージックがあるなかで、いまでもテクノの人がいちばんヴァイナルを使うって言われるじゃない。
石野:そうだね。
■ドラムンベースやダブステップでさえもいまデータが増えちゃってさ、ヒップホップはもうほとんどデータじゃない。テクノだけがいまだDJがヴァイナル使っているから、お店でもレコードが売れるっていうんだけど。
石野:ドイツが強いっていうのがあるんじゃないかな。あと、ヒップホップ以上に、その辺の兄ちゃんがレコード出せるっていう、その機動力っていうか。ドイツはいまでもレコード使うDJ多いからさ。イギリスももう、レコード使ってないでしょ。
■CDが多いよね。
石野:レコードいいんだけど、かさばるよね。
■CDになったのも、移動するときに面倒くさいというのもあるからね。運ぶのが楽だからね。とくに飛行機乗る人にとってはさ。
石野:最近のCDJはだって、USBでいけるじゃん。すごいことだよ。(メディアの選び方も)場所によるけどね。俺、このあいだ中国でやったんだけど、野外フェスだったのね。そのときは時間もそんな長くなかったら、レコードをCDに焼いて持って行ったのね。使うであろうレコードをさ。そうしたら、4枚ぐらいで済んじゃうんだよね。4枚で行くのも気が引けるっていうかさ(笑)。
■4枚、ハハハハ!
石野:考えが古いのかもしれないけどさ、それでもう何十枚かいちおう持っていったんだけどさ(笑)。
■中国はともかく、東南アジアは気候的にもレコードが合わないっていう話は聞いたことがあるけどね。
石野:ダウンロードのおかげで、地方のDJと東京のDJとの情報の格差がなくなったよね。それはいいことだと思う。昔だったら、通販でしか買えないとか、コアなものは東京ですぐに売れちゃうからとかさ、そういう情報格差がなくなって、フェアになったと思う。
■自分で買うときはレコード?
石野:うん、なんでかっていうと、レコードのほうがまだ周波数帯域が無限の可能性があるように思えるからなんだよね。もっと性能のいいディスコミキサーと針との組み合わせで、さらにもっと良くなるんじゃないかって。デジタルの音もよくなっているけどね、それでも上下は切られているから。まあ、こんなこと気にするのも俺の貧乏根性だと思うけどね(笑)。デジタルでもいま96kHzってあるじゃない。たしかに96kHzにもなりうるけど、441で買ったら441は441じゃん。mp3はmp3だし。レコードで持っていれば、これから来るであろうもっと高いサンプリング・レートの対応もできるっていう安心感もあるよね。
■なるほど。
石野:だからiTunesをほとんど買わないのは、あれはmp3じゃない。昔のミュージックカセット買っている感じ。
■俺は意外と買うんだよ。
石野:個人で聴くにはいいんだよ。でもあれで(DJやって)お金は取れないっていうか。あれは個人で聴くものでみんなで聴くものじゃない。レコードはひとりで所有するもっていうよりもみんなで聴くものっていう俺の概念があってさ(笑)。CDはどちらかといえば自分で聴くもの。まあ、最近はCDのあり方もレコードに近づいてきているけどね。
■CDの寿命が20年だっていう説があるじゃない。ケースにもよるんだけど、CDをケースから取り出すときにどうしても盤が曲がっちゃう。それで、いつの間にかCD盤のなかで亀裂が生まれて、そこから酸化しちゃうっていうね。
石野:あとね、なかのインクだって説があるよ。いまのCDは違うけど、昔のCDは銀紙を貼っただけのものもあって、その銀紙に文字が書いてあって、その文字から酸化してっちゃうっていうね。
■それで読み込めなくなっちゃうんだよね。CDって、80年代に出ているじゃない。ゼロ年代になって、聴けなくなったCDが出てきたってね。
石野:当時は100年保つって言われてたのにね(笑)。
■いや、俺は永遠に保つって聞いてたよ(笑)。
石野:ハハハハ。永遠に保つってことほど信用できないことはないからね。
■俗説かもしれないけど、CDは20年、レコードは200年とかってね。結局、レコードのほうが保つんだよね。
石野:ホントにそう思う。実際にいくつかのソフトで、レコードは持っているけどCDで買い直して、で、さらにリマスターのCDが出て買って、結局、何枚かCDでも持っててさ、「そういえばレコードも持っていたな」と思ってレコードを聴いてみたら、すごくホッとしたことがあったんだよね、パレ・シャンブルグなんだけどさ。ガキの頃に聴いていた帯域をレコードでぜんぶ覚えていたんだよね。いくらリマスターされても、最初に聴いたのとはやっぱ違うよ。
■パレ・シャンブルグ(笑)。
石野:CDっていうのは自分で焼けちゃうからね。でも、CDRは便利なメディアだと思う。
■ちょっと大きな話なんだけど、そういうメディアの変化とも関係しているかもしれないんだけど、音楽が売れなくなっていることに関してはどう思う?
石野:当然だと思うけど。だってさ、簡単に無料で手にはいるようになったしさ。
■違法ダウンロードが原因だと思う?
石野:それだけじゃないよね。値段が高いとかさ。あとは情報がすごく入ってくるようになったから、1曲1曲の音楽の重みが昔よりも軽くなったというかさ。所有することもエネルギーが必要だったじゃん。レコードを大事にするとかさ。データを大事に扱うってあんまないからさ。
■俺は絶対に違法ダウンロードしないんだよ。やっぱ音楽がタダになったらマズイと思ってさ。
石野:エコだねー(笑)。ちゃんとゴミ分別するでしょ。そこはでも、なるようにしかならないと思うからさ。
■俺らが子供の頃はFMでエアチェックして、録音していたじゃん。
石野:でも、俺らはマニアだから、いずれそのレコードを買いたいと思っていたじゃん。いまはそういうハード・リスナーが減ったんだと思うよ。違法ダウンロードで満足しちゃうヤツが増えたんじゃないかな。
■悲しいよな。
石野:でも、しょうがないよ。だって、何万曲とかが持ち歩けたりするんだしさ。昔はだって、ウォークマンなんてさ、20曲とかでしょ。それを何度も繰り返し聴いているんだから。もっと聴きたければさらにカセットテープを持ち歩くっていうかさ。それってもう立派なマニアじゃん(笑)。だってさ、ウォークマンが出る前なんかさ、新しいレコード買ったら早く学校から帰りたくて仕方なかったじゃん。いま普通に授業中でも聴けるからね(笑)。
■インターネット文化についてはどう思う?
石野:俺はそんなにどっぷり浸かってない。
■YouTubeであるとか。
石野:YouTubeは使ってる。ありがたい話だよ、俺の人生時代の映像とかアーカイヴ化されているしさ(笑)。俺すら知らない映像まであるしさ。でも、コミュニケーション・ツールとしてはそんなに使ってない。ブログやってるわけでもないし、twitterも頻繁にやらないし、あんまり言葉で発信したいことがないっていうか。駄洒落は言ったことあるけどね(笑)。
■それはね(笑)。しかしこの10年で音楽をめぐる環境がホントに変化したよね。
石野:ホントだよね。さらに変わっていくんだろうね。それこそさ、うちらの孫の世代なんか、「えー、音楽作ってお金になったの?」っていう時代になると思うよ。
■いや、それはなっちゃいけないよ。
石野:いや、なるよ。
■なんで?
石野:だって、いままでタダだったものを課金するのって無理だし、よほど大きな力が働いたとしても地下に潜ってやるだろうから、結局はいたちごっこというか。だから......、入場料を取るとか、投げ銭みたいなところに強いミュージシャンはやっていけるとは思うけど。あるいは、昔のドーナッツ盤の頃に戻るとか、あとはものすごく値段が下がるとか、そういうことじゃないかな。
■難しいね。
石野:難しいと思うよ。俺はパッケージも含めて好きだから。自分がミュージシャンをやる前から好きだから、そういうのがなくなっちゃうのが淋しいと思う。
■いまでも新譜、中古問わずに買っている?
石野:ぜんぜん買っているね。レコードもCDもすごい買ってる。
[[SplitPage]]あとね、あんま密室的なものにしたくなかったっていうのもあるかもね。やっぱね、密室的なものをもって夏にプロモーションするのはきつい。密室的なことを何度も言わなきゃならないじゃん。それが精神衛生上、良くないんだよね(笑)。
![]() 石野卓球 / CRUISE Ki/oon |
■ところで、カガミくんが亡くなったよね。石野はすごく近しい仲だったからさ。
石野:もちろん。
■やっぱ、そこで思うところはあったと思うんだけど。
石野:もちろんショックだし、あいつのキャラのなかから"死"っていうイメージが出てこないっていうか、そういうものからもっとも遠い存在だったでしょ。
■ホントにそうだよね。
石野:ただね、「こいつ歳を取らないな」とは思っていたんだよね。こんなこと言って誤解されたくないけど、死んでホントにそれが永遠になっちゃったよね。
■どちらかといえば天才肌というか、自分を持っている人だったからね。
石野:そうだね。
■ちょうど今回の作品を作っている途中じゃない、彼が亡くなったのは。
石野:まったくそうだったね。ちょうどアイツから、アイツが死ぬ何日か前にメールでmp3が送られてきてさ、よく送ってくれていたんだよ。何も書かずにただ音源だけ送ってくるっていうさ。で、聴いたらちょっといままでとは違うネクスト・ステップな感じの曲もあったからさ、アルバムを作るとも言っていたし、「ああ、がんばっているんだな」と思っていたところだったからさ。
■今回の『クルーズ』に影響してはいない?
石野:気持ちのうえでは絶対にあるけど、具体的にはない。でも、あれだけ近しい人間で、あれだけ長いあいだいっしょに過ごしてきたから、何にもないって言ったら嘘だよね。もしかしたら、俺の気持ちは自分の意識していないところで出ているのかもしれないけどさ。
■そうか......。
石野:ラヴ・パレードのこないだの事故といっしょだよ。それと近いっていうかさ。もちろんカガミの死とはぜんぜん別物なんだけど。
■ラヴ・パレードの事故も悲しい出来事だったけど、あれはどうなの? ラヴ・パレードが悪いわけでもないんでしょ?
石野:もちろん。でも、俺が最後に行ったのは2006年のエッセンでやったやつかな。そのときに「うわ、もうずいぶん違うものになっているな」というのは感じていた。ベルリンのラヴ・パレードが2000年代のなかばぐらいになくなったじゃん。ベルリンのラヴ・パレードは最後まで行ってたんだけど、それでも最後の頃はもう別のものになっていたし、ベルリンを離れた時点で、ラヴ・パレードの役割はもう終わっていたと思うんだよね。実際に権利も売っているし、別の人がやっているし、違うのは当然なんだけど。
■もうピースな感じは残っていない?
石野:うちらが知っているラヴ・パレードではないよ。ドクター・モテなんかまったく関係ないし、よさこい祭りみたいな感じ。
■エスカレートし過ぎていた?
石野:ていうか、たんなるテクノ祭り。テクノ祭りでもないか、たんなるでかいダンス・イヴェント。うちらが知っているラヴ・パレードは、なんでこれがはじまったのかを多少なりとも意識して参加していたじゃん。だけどそれがもうまったくなくなっていたっていうさ。もはや意識する人がまったくいないっていうか。そう思ったけど。
■それでもまさかって感じだったでしょ。
石野:いや、もう、びっくりしたよ。今年の二大びっくりだよ。20人の死者の数って......だって、20人ってもう災害レヴェルっていうかさ、テクノ・パーティっていううちらが慣れ親しんだものから20人死ぬっていうのが、さっきのカガミの話じゃないけど、結びつかないっていうかさ。だからこそ、ショックっていうかさ。あとさ、ドイツの音楽シーン、テクノ・シーンやダンス・シーンに落とす影は尾を引くんじゃないかなっていう。
■マスコミからのネガティイヴなキャンペーン?
石野:それもあるだろうし、関わっている人たちの気持ちに落とす影だよね。「いままで通りに、それはそれで楽しみましょう」っていう風にはならないからさ。けっこうボディブローでじわじわくると思うから。
■ニュースを観て、「まだこんなに人が集まるんだ」とも思ったけどね。
石野:だから、最初のモットーを理解してないからそれだけ集まるんだよ。もちろんはじまって20年も経ってさ、20年も経てば世代交代もしているし、いま20歳の子にしたら生まれたときからあるものだからさ、理解しろっていうほうが無理だしさ、コントロールしているのはモテとかそういう初期の人ではなくて、金で買い取って請け負っている人たちだからさ。あとは町にどれだけ金を落とすかっていうかさ。
■しかし、ホントに大きな事件が続いたものだね。
石野:そうだね、うちのなかではね。いますぐには変わらないけど、なんか象徴的なことかなとも思うよ。
■どういう象徴なの?
石野:楽天的な考えが難しくなってしまうというかさ。それで楽天的な考えが否定されるのが嫌だけどね。
■俺はちょうど静岡に帰っているときにニュースで知った。
石野:俺はアンディからメールで知ったんだけど、警察はそこで止めてしまってはパニックになるから、続けさせたらしいんだけど、ただ、いまは客も何が起きたのか携帯とかでわかっちゃうからさ、結局、11時で終わって、ウェストバムはやらなかったっていう話だけどね。だってさ......オルタモントよりも人が死んでいるんだよ。
■やるせないよな。それではまた話を変えましょう。結局、フル・アルバムは控えているの?
石野:うん。夏はフェスもあるし、〈WIRE〉もあるし、賑やかなことがいっぱいあるからそれが終わってから、本腰を入れて作ろうと思っているんだけど。そのあいだに気持ちも変わるだろうから、どんなものになるのかぜんぜんわからない。まあ、次もミニ・アルバムでいいかな(笑)。その形態、俺はけっこう好きだよ。
■ハハハハ。
石野:果たして、フル・アルバムって需要があるのかなって思うし。
■あるでしょ。
石野:アマゾン知ってるよね?
■もちろん。
石野:DVD付けたほうがCDだけよりも安くなるの知ってる? たとえば石野卓球ソロ・アルバム、初回限定DVD付きのほうが通常盤より安くなってしまうんだよ。
■ああ、再販制度によって。
石野:それっておかしいでしょ。だから、電気のときはDVD付きにして値段を下げていたんだけど。でもさ、それやってると、フル・アルバム出す度に映像を付けなきゃならないって、映像がマストになっているって、変な状況でしょ。それは違法ダウンロードとはまた別のところでの歪みだよね。
■こないだレインコーツにインタヴューしたんだけど、俺らの頃って、レインコーツなんか日本盤出てなかったじゃん。で、しかも円が安かったから、UK盤なんて2800円ぐらいしたじゃん。
石野:もっとしたじゃん。静岡なんか3800円だったよ。
■いや、それはドイツ盤でしょ。リエゾン・ダンジュールズがそれぐらいだったと思うんだよね。UK盤は2800円だったと思うんだよ。それで、日本盤が2500円でしょ。当時は外盤って、汚いモノってイメージがあったじゃない。
石野:俺はそれはないよ。UK盤を買って、嬉しくて、中身のにおいをクンクン嗅いでいたけどな。「いいニオイだなー!」って(笑)。
■えー、ホント?
石野:俺は日本盤は、ジャケットの紙が厚くて、あか抜けてないなーと思ってたくらいだから。
■マジ?
石野:ぺらぺらな感じがいいじゃない。
■とにかく当時は、高校生にとって2800円ってものすごく高かったからさ。
石野:当時とは物価が違うけど、たしかにいま2800円って言っても高いよね。
■それでミニ・アルバムなんだよね。素晴らしい発想だね。今年は〈WIRE〉も10周年で。
石野:いや、違うよ、えーと、12周年だよ。
■そうか、12年かー、それすごいよな。
石野:ねぇ。ひと周りだもんね。こんな続くと思ってなかったもん。
■〈メタモルフォーゼ〉もそうだけど、続くものは続いているのがすごいよ。
石野:不況だから、大変なところもあるけど、でも、こればかりはさ、行かないとわからないという"体験"だからね。ただ、こっちも続けるためにやってきたわけじゃないからさ。それが続いたのは副産物として嬉しいね。
■やっぱ感慨深い?
石野:......あんまないね。来年あるかどうもわからないしさ、そういうつもりでずっとやっているから。
■ハハハハ。
石野:あんま覚えていないんだよね(笑)。4年前も5年前もぜんぶいっしょくたになっていて。自分の頭のなかでしっかりアーカイヴ化できていないし、だから続いたのかもしれない。テキトーさっていうかさ。
■タフな人間だからな、石野とか瀧みたいな人は。
石野:鈍い人間だって(笑)。それは野田兄もわかると思うけど、静岡の風土が生み出した鈍さっっていうか、俺も野田兄もそうだよ(笑)。
■こないだノブ君に話を訊いたときに、今年の正月に静岡にDJやりに行ったんだって。で、カツヨシと会って、すごい褒め言葉として「俺、全国でいろんな人間見てますけど、カツさんほどずぼらな人間には会ったことないです。カツさん見てるとホントに勇気づけられます」って言ったんだって。そうしたら「え、それどういうこと?」って怒られたって(笑)。
石野:うちらは静岡を出ているから「ずぼら」って気がついてるけど、意外と静岡の人は自分が「ずぼら」ってわかってないんだよね。何故かって言うと、全員ずぼらだから(笑)。
■ハハハハ!
石野:あれすごいよね。政令指定都市で全員ずぼらってさ(笑)。別にがんばる必要もないっていうか、がんばりたきゃ名古屋か東京に行けって感じじゃん(笑)。
■ハハハハ。そういえば『クルーズ』のジャケットは自分で撮った写真を使っているんだよね?
石野:熱海から初島に行く船があって、その船でかっぱえびせんを捲くと鳥がすごい寄ってくるのね。ヒッチコックの『鳥』みたいに。たまたまそのときに撮った写真で、作品の中身に関係のないものをジャケットにしたいっていうのがあって、で、とくに今回は全体的にパーソナルなものにしたいっていうのがあったから、「あ、ちょうど良いのがある」って。初島まで30分ぐらいじゃん。だからこれは後づけだけど、30分ぐらいで"クルーズ"でミニ・アルバムっていう。これはプロモーション・トークだね(笑)。
■いままで、『ベルリン・トラックス』も『スロッビング・ディスコ・キャット』も『カラオケジャック』も、みんな凝ってたじゃない。ある種のギミックというかさ。
石野:それを毎回やったら「次は何?」ってなるじゃん。電気のアー写っていうかさ。それはそれでいいんだけどさ、今回はそういう感じじゃなかった。ギミック的な脅かし的なところもなかったし、派手にしたくないっていうわけじゃないんだけど、なるべくパーソナルなものにしたほうが伝わりやすいかなっていうか。
■やけに清々しい感じじゃないですか。
石野:色は毒々しいよ。
■あー、たしかに色によって見え方が違う写真だね。
石野:あとね、あんま密室的なものにしたくなかったっていうのもあるかもね。やっぱね、密室的なものをもって夏にプロモーションするのはきつい。密室的なことを何度も言わなきゃならないじゃん。それが精神衛生上、良くないんだよね(笑)。
■当たり前の話だけど、同じエレクトロニック・ダンス・ミュージックでも、『ベルリン・トラックス』や『スロッビング・ディスコ・キャット』の頃とはどこか趣が違うよね。
石野:あの頃は外からの刺激がすごかったし、それをカタチにするっていうのもあったけど、それもういまのやり方じゃないかなっていう。
■『スロッビング・ディスコ・キャット』の頃に比べると毒がなくなったのかなという気がしたんだけど。
石野:毒というか、屈折した感覚が減ったのかもしれない。
■ああ、そういうことだね。
石野:屈折したものを表現するとダメージがすごくでかいというか、屈折はなくならないんだけど、それは自然に出てくるものというか、隠そうと思って隠せないというか。ニュートラルにやっていくいと、自分の屈折していない部分が出てくるんだけど、屈折していない部分も出てくるから。そこはもう、作為的にはやらないほうがいいかなっていうね。
■なるほど、ホントにそんな作品だったね。それでは〈WIRE〉、楽しみにしています。今日はどうもありがとう。
UKアンダーグラウンドでは、確実にダブステップが現在の舵取りを握っているわけだが、シャイFX主宰の〈デジタル・サウンドボーイ〉もその方向性をシフトしつつある......そのリリースをダブステップやファンキー中心に切り替えたのもそれを裏付けていると言えよう。源に、このままドラムンベースのみのリリースに限界を感じてきたのであろうことは、悲しいかな......世界中でそのシーンに対して起こっているわけだ。
このレーベルのドラムンベースと言えば 、2008年の代表的な作品のひとつとして語られてるMCシステムの「ニアミス」がしばしあげられ、ディープ・コアなトレンドを作った作品でもあった。2007年〈クリエイティブ・ソース〉から発表された変則ディープ・アンセム、リンクスの"ディスコ・ドードー"によって現在のディープ・フロウなムーヴメントが本格化し、次世代のディープ・スター、コミックスやDJフリクション率いるショーグン・オーディオ・クルーなど、シーンを賑わせていき、現在を象徴する母体となったのである。ダブステップに押されているとはいえ、マーキー&スパイの"リフラフ"やホセ・ジェイムス"ウォリアー"のリミックスによっていちやく注目されたプロデューサー、ロックウェルの「ストーワウェイEP」など、トレンドを意識した無機質なピュア・ビートをレーベルに落としこんでいる。
ここ最近の〈デジタル・サウンドボーイ〉のダブステップサイドのリリースはスクリーム、ブレイケージのダブステップ・リーダーやブリストルのTCと並ぶジャンプアップ・マスター、DJクリップズのUKファンキー・プロジェクト、レッドライト、などがある。
そして、今回のベンガに続くのだが......その前に、7/30FUJI ROCK、7/31DBSにてスクリーム&ベンガが待望の再来日する。昨年、満員御礼となった2月の熱狂的なステージから早1年半、UKエレクトロニック・ミュージック界の代表的な存在にまで上り詰めた彼らの人気は世界中でさらに加速......もはや2010年代のダンス・ミュージックを牽引していくであろう彼らの多才なサウンドは、いまだ不確定かつ未知の変化に富んでいる。若さゆえの貪欲な吸収性がそうさせるのであろうが......日々、変化を好むUKエレクトロニック・ミュージック・シーンにおいて、ダブステップ・オリジネーターたちが、ダンスフロア・アンセムなウォブリー・サウンドに嫌気がさし、ポスト・ダブステップを生み出した。またそこからすぐに枝分かれしていくのは、他のジャンルが同じような道を通ったように容易に想像できる。重要なのは、そこではなく、つまりどうような音楽性にダブステップが今後変わるのかであろう。さらにシンプルでミニマルなサウンドを追求していくのか、やはり若い世代によってダンスフロアの再燃が起こるのか、筆者は、ポスト・ダブステップ以降、おそらく初期のヘヴィーで硬質サウンドな状態に戻っていき、よりテクノ・インフルーエンスな作品が増えていくと思うのだが......1年後が楽しみだ。
ベンガもまた現在のポスト・ダブステップの風潮に足を踏み入れつつあるのは、最近のリリースによって感じられる。スクリームの近日発売のニュー・アルバム『アウトサイド・ザ・ボックス』も然り。しかし、彼らはそのちょうど中間地点にいるサウンドで意欲的なチャレンジを続けていると言える。このシンプルで不確かなサウンドこそ彼らのテクニックであり、爆発的人気の秘密なのかもしれない。それをたしかめに数ヶ月後のリリースが控えているダブプレートの嵐を生のステージで体感すべきだ。

どうしても毎回、原稿の随所で登場させてしまうポスト・ダブステップというサブジャンル。野田さんも本サイトの原稿で取り上げていたが、さまざまな音楽媒体で今もっとも注目され"旬"なムーヴメントであるのだが、現在のエレクトロニック・ミュージックの最先端は、やはりここにあるとまたしても感じる。以前、サウンド・パトロールでも紹介した〈ノンプラス〉、そして、インストラ:メンタルの今作、シリアルナンバー入り500枚限定10インチ「エンド・クレディッツ」 だ。チルアウト・ドラムンベース~バレアリック・サウンド~ディープ・ミニマル~ポスト・ダブステップを縦横無尽に駆け抜けるインストラ:メンタルだが、今日のダブステップ(アトモスフェリック・プロダクション側)発展を大きく彩る象徴的な必然変化、いわば"ドラムステップ"が、ここに存在すると言っていい。
明らかにダブステップのオリジネーターたちとは交わらないサウンド・シンフォニーは、やはり出発点がドラムンベースだからであろう。ドラムンベースからの視点を持ってしても、時折不可解な印象(新感覚なテクノ・ステップいやエレクトロニカ・ステップ)を持ってしまう作品......そこが聴くものをより引き込みのめり込ませるのだ。日々シーンがネクスト・レヴェルへ向かうなか、新たなダウンテンポ・ミュージックに辿り着いた作品かもしれない。 デジタルが先行しつつあるシーンの現状にあって、この作品はアナログで聴くことを推奨したい。デジタルでは、感じ得れないそれが持っている調和のとれた"質感"が大いに発揮されているからだ。
その「エンド・クレディッツ」は、盟友Dブリッジとの共作によるミックスで新たな共同レーベル名〈オートノミック〉を冠にしたファブリックライヴ50に先行で収録されていた。このミックスは、全体的にメロウなラウンジ・テイストで見事なまでにドラムンベースとダブステップが、中間地点で融合したまったく新しいものになっている。その冠名にもなった〈オートノミック〉は、ポッドキャスト・シリーズとして好評を博し、次世代のロジカル・ステップとしてファブリック・ミックスへと繋がったのだ。そして5月にアナログ第一弾としてもスタートし、Dブリッジ、インストラメンタル&スクリームの何とも豪華布陣による「アカシア・アベニュー/デトロイド」を発表したのであった。
先程、アナログで聴いてほしいといったが......この素晴らしい音は、アナログカット10インチの500枚限定品であるため、お早めに。この連載がアップされている頃には、すでに手に入らなくなってしまっているかもしれないが。
それにしてもアナログは素晴らしいとあらためて感じた。さらに、〈ノンプラス〉の次のリリースはASC(エーエスシー)のアルバムへと続く......。
インストラ・メンタルがドラムンベースとダブステップの境界を跨いでいるとすれば、このアップルブリム率いる〈アップル・パイプス〉は、テクノ/ミニマルとダブステップ/UKガラージを跨いでいる代表的なレーベルのひとつだと言える。
レーベルの1番は、マーティンからはじまり、アップルブリム&ペヴァーレリスト、T++、ラマダンマン、ブラックルス、インストラメンタル、アル・トーレッツ等々......いまから思うとポスト・ダブステップも予見していたラインナップで、レーベルの方向性がいまのトレンドを生み出したレーベルである。アップルブリムの音楽性は、得体の知れないブラック・マジック(黒魔術)のようなオカルト・ダブステップ〈スカル・ディスコ〉を通り、テクノ・ダブとポスト・ダブステップ/ガラージを融合した形が〈アップル・パイプス〉なのだ。近年のレーベル・リリースは、よりシンプルでミニマル・ライクな作品が圧倒的多数を締め、さらにトライバルでテック・ガラージな音楽性を推し進めるなど独自のポスト・ダブステップなサウンド形態を追求している。
さて、コモナズムックだがアップルブリム同様ブリストルのアーティストで、2007年、ダブステップでデビューしている。が、彼のキャリアは、もっと古い。〈ムーヴィング・シャドウ〉、〈テック・イッチ〉、〈ハード・リーダース〉周辺のドラムンベース・レーベルでハード・エッジなドラムンベースをリリースしていた4人組、アイス・マイナスのひとり、ケイラン・ロマックスなのである。アイス・マイナス名義では、1998年~2004年まで活動後、コモナズムック名義にシフトし、ダブステップ・アーティストとして彼は成功を果たしたというわけだ。ドラムンベースで培われたダークでインダストリアル・ハード・エッジなテッキーサウンドを操り、トップ・プロデューサーとしてのし上がっていったのである。
筆者のお気に入りは、ジェイクス主宰の〈ヘンチ〉より2008年発表された"バッド・アップル"だ。エレクトリックなシンセ群がオートメーション機能により右往左往するテクノ・トラックで、幅広く支持された彼の代表曲である。今作"ダンス・トゥー"でもテクノ・ダブとしても機能する重低音トラックにスライトリー・ダブなシンセがリヴァーブする漆黒のグルーヴでダブステップが本来持っているヘヴィな芯が感じられ、バッド・トリップを引き起こす。フリップ・サイドは、アップルブリムと〈AUSミュージック〉主するウィル・ソールとのコラボレーションでお馴染みのリー・ジョーンズがサポート。秀逸な4つ打ちのディープでダビーなテック・ハウスで、テクノ・シーンでもスピンしてほしい作品だ。
ちょっと掲載が遅くなったが......6月のダブステップ会議パート2にて素晴らしいライヴを披露してくれた〈ハイパー・ダブ〉から、デトロイト新世代のカイルホールのリリースに続き、日本を発信源としたダブステップ・アーティスト、クオーター・330の作品を紹介しよう。
リキッドでエレクトロなゲーム音シンセが代名詞な彼の作品だが、コード9がその才能を認めた唯一の日本人アーティストとして、数々の音源を〈ハイパー・ダブ〉からリリースしている。それをダイレクトにライヴ演奏で伝えているその手法も各方面から高い評価を得ている、まさに新世代を代表する日本人アーティストと言えるだろう。今回はLVとのコラボレーションだが、LVといえば、ラガでダビーなエレクトロ・ダブステップを傾倒したり、UKルーツ・シーンのヴォーカルをフィーチャーしたりと素材のオーガニック感を重視するアーティストとして知られる。両曲とも、両者の良さがちょうど真んなかあたりで細かく重なり合うダブステップらしさが生きたメランコリックなハイパーダブの模範的エレクトロ変則ビートと言ったところで、YMOやアフリカ・バンバータ辺りにインフルーエンスを受けているクオーター・330の音楽性が何だか妙に頷ける作風である。ポスト・ダブステップと言う流行など微塵も感じさせない彼らのオリジナル性が、コード9を虜にさせるのであろう。ブリアルがそうであったように。
話が最初に戻るが、そのダブステップ会議パート2で、野田さんとディスクショップ・ゼロの飯島さんが、メイン・パーソナリティーで最新リリースの紹介や若手DJ/プロデューサーとの熱を帯びたトークを繰り広げられたようで好評を博した。これは私見だが、いまのシーンをダイレクトに伝えるならもうちょっと回数を頻繁にやってほしいと思う。画期的で素晴らしい企画であり、いまもっともホットなジャンルをみすみす放っておく手てはないだろう。ele-kingのようなアンダーグラウンド・シーンの"核"を突いているサイトと連動しているならさおさらだ。ローファーがインタヴューで話していたこと「最初のイヴェントなんか、20人ぐらいしかいなかったよ。そこにいまのダブステップ・オリジネーターたちがみんな居たけど」を日本でも再現できる最適なヴェニュー〈DOMMUNE〉もあるのだし......。
野田さんとダブステップ界隈の話をすると必ずと言っていいくらいラマダンマンの話題になる。相当好きらしい......と言うか筆者もだが。〈ヘッスル・オーディオ〉主宰でポスト・ダブステップをリードしてきた重要人物だからなおさら注目しているのである。
とにかく彼はいま、各方面からアプローチされまくっている。ダブステップ・シーンは言わずもがな、テクノ、ハウス、クラブジャズ、そしてドラムンベースの各主要なエレクトロニック・ダンスミュージック・シーンなどからだ。いろんなところで注目されるだけあって彼のプログラミング・スキルは、いたってシンプルながら多様性に耐えうる自身のフォーマットを有している。どのシーンに行ってスピンしても、"ハマる"曲を量産し、認められ続ける彼はある意味凄い。しかも20代前半のプロデューサーだからおそれ入る。なかには、味気ないと感じるものもあるが、そういう曲はテクノ・シーンでウケるし、ガラージ・テイストな変則2ステップみたいな曲はハウス・シーンでウケる。アシッド・ハウスなテイストもあるし、ブロークンビーツ、時折レイヴ・ジャングルなアーメンも組み込む。UKアンダーグラウンドの音楽性を掻き集め、集約したハイブリッドな才能を彼は持っている。
このA面の"フォール・ショート"も確実にテクノ・シーンでも活躍できるDJユースなダブ・ファンクだ。逆サイドは、〈スワンプ81〉のオーナー、ローファーがDBS来日時にかけていたグライム風ヴォーカルをループしたルードボーイ感溢れるスワンプ・アンセムで、これまたインプレッシヴなバウンシー・トラックに仕上がっている。
その〈スワンプ81〉のローファーと言えば、やはり〈DMZ〉が真っ先に浮かんでくるだろう......その〈DMZ〉から遂にリリースとなったマーラとコーキのユニット、デジタル・ミスティックズのファースト・アルバム『リターン・2・スペース』。おそらくマーラの単独制作によりアナログ・オンリーでリリースした初期DMZを彷彿とさせる重低音ダーク・スペイシー・トラックだ。本当に多くの人が待っていたアルバムで、叙情的なシンフォニーとアトモスフェリックな空間センスが解き放たれた傑作である。
レゲエにインスパイアされているマーラが、レゲエ・セレクターの象徴であるダブプレート文化を守る数少ないDJとして、そのアルバムを彼らしくアナログ・オンリー(現時点では)でリリースしたことに敬意を表したい。デジタルやダウンロードでは得られないリアルな"物"がここに存在しているのだから。
個人的な話ではあるが、6月~7月は何かと不調であった。体調が良くなかったり、仕事で転機が訪れたり、DJブッキング、制作に追われ多忙がたたってそうなったのだが、この曲を聴いたお陰でかなり調子を取り戻した。久々に筆者好みのドラムンベースで爽快なランニング・チューンがリリースされたのである。
レギュラ&ディメンティアは、オーストラリア出身のニューロ・ファンクを支持する若手有望株のプロデューサーだ。レギュラは以前、同じくオーストラリアのフェスタとのユニット、バッド・ロボットとして、2006年にドラムサウンド&ベースライン・スミスのメインストリーム・レーベル〈テクニーク>から「マスターズ・オブ・マイト/シーケル2」、〈ブラック・サン・エンパイアー〉から「フォーエヴァー」を発表し頭角を現す。その後、2007年(音楽性の違いによるのか?)ユニットの活動停止にともない、個人名義やディメンティアと組む機会が増し、いまの音楽スタイルに定着したのであった。
オーストラリア、ニュージーランドのオセアニア地区は、ペンデュラム、コンコード・ドーン、ステート・オブ・マインドなどが独自の音楽性(ロッキン・サウンドやニューロ・ファンクのブームを作った)を打ち出し、UKやオランダに匹敵するドラムンベースが盛んな地域に発展させたのである。
今作をリリースした〈イカロス・オーディオ〉だが、USの新鋭レーベルでレギュラ&ディメンティアが看板アーティストとして一翼を担っていると言えよう。A面でフィーチャーしたのは、ベルリンの紅一点、ミス・レッドフラワーとのコラボで、幻想的なヴォイスを披露している彼女は、DJ/プロデューサー/ヴォーカルもこなすマルチな才能を持ち、いまもっとも注目の女性ドラムンベース・アーティストだ。女性だからといって、まったく物怖じしないドライブ感溢れるニューロ・ファンク/サイバー・ファンクなDJで軒並みフロアをロックしているらしい......いつしか筆者も共演してみたいものだ。
この作品の特質すべきは、ダブル・ドロップ(ロングミックスのブレンド状態)のときに出力される出音が並ではなく飛躍的に伸び、爆発的なドライヴ感が体験できるのだ。この状態を筆者は、"ドライビング・シンドローム"と呼んでいるのだが......いろんな曲でミックスを試した結果、驚くほどそれは良く聴こえるのである。やはりこれはフロアで体感して頂きたい。しかもアナログでないとこの出音は体感できないだろうことは、当然である。
これは一体、何を聴いているんだろう......。実験音楽でもないし、ポップでもないし、ましてやルミの変名でもないし......。
昨年、驚異の『アンチ-マジック』をリリースしたフット・ヴィレッジほか無数のプロジェクトに参加するジェフ・ウィッシャーが(シークレット・アビューズやマーブル・スカイとはまた別名義で)カセット・リリースを量産していた新メニューの1作目。近視眼的にたとえればOPNからトゲトゲした感触を取り除いて、やんわりと締め上げてくるような展開。コンラッド・シュニッツラーのエレクトロニカ・ヴァージョンとも、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの発掘音源とも......いや、単なるスロッビン・グリッスルのアウトテイクスかな......(そういえばポーランドにグロッビン・スリッスルというインダストリアル系のミュージシャンがいて、昨年、『ヒドゥン・ストラテジーズ』というアルバムを出していたりして)。
中盤からはヘルどころか、グローバル・コミュニケイションを思わせる天国的なアンビエント・ミュージックへと続き、さまざまなイメージのなかを連れまわそうというのか、スリーヴには小さく「ダーク・ツアーに捧げる」と記してある(まさか『幽遊白書』?)。そのうちスロッビン・グリッスルとグローバル・コミュニケイションが溶け合ってしまったような"L・ミンクス"に突入し、なんだかいいものを聴いてしまったなーと思っていると、最後に"ギャス"で「全部、夢でしたね~」という気分にさせてくれる。何も掴めないうちに詩情豊かな気分だけが残るというのはある意味、最高の体験かもしれない(ピエ-ル瀧なら、これでも「はちみつ、持ってこーい!」と叫ぶのだろうか?)。
このところ急速にその存在感を高めている〈タイプ〉というレーベルは、いま、80年代の〈クレプスキュール〉がその傘下で展開していた〈レイラ〉や〈オペレイション・トゥワイライト〉といったインダストリアル・レーベルも併せ呑むような形でヨーロッパ的な価値観を強く推進し、その担い手がたとえアメリカにいても構わず、その駒にしていくという印象がある。ゴルトムントしかり、ピーター・ブロデリックしかり。黄昏を意味する〈クレプスキュール〉はかつて、レイヴ・カルチャーの前に敗退を余儀なくされたという印象がなきにしもあらずだけれど、もはやそのような音楽シーンの転換は起きないだろうし、あっても確実に棲み分けていくだろうから、彼らの価値観に揺さぶりをかけてくるようなものはそう簡単には現れないだろう。彼らの自信がリーヌ・ヘルのリリースにも漲っているような気がする。
リリース前から『マヤ』というよりもM.I.A.がスキャンダルの渦に巻き込まれている。ことアメリカの音楽メディアでは、『ザ・ニューヨーク・タイムズ』の女性週刊誌風のエグイ記事――テロリストの父はいなかった説、高級ホテルでの豪華な食事もしくはディプロ発言の「彼女は政治的ではなくギャングスタ好きなだけだった」等々――を引き金に、マヤ・アルプラガサムの政治的矛盾や経歴の不透明さを突いたちょっとしたネガティヴ・キャンペーンがおきている。デビュー当時はいちぶの批評家からポリティカル・ポップの旗手として期待され、彼女のほうでもそうした評価をとくに否定してこなかったことを思えば、ある意味仕方がないのかもしれない、が......そしてまた、彼女の気まぐれに見える攻撃性(たとえばネットで流した"ボーン・フリー"の暴力的な映像)と喧嘩っ早さ(たとえば『ザ・ニューヨーク・タイムズ』の女性記者への攻撃)もまた、今回のスキャンダルに拍車をかけているのも事実だ。しかし、残念なのは、そうした喧噪のなかから『マヤ』の音が聴こえてこないことである。
そんな孤独のなかで彼女がやらなければならなかったのは、深く瞑想し、その助走でもって高く飛び上がることだった。文:磯部 涼
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この8月でHMV渋谷店が閉店するというニュースを聞き、何とも言えない気持ちを抱えて訪れた同店で、ワゴン・セールの山の横に、同日にリリースされた七尾旅人の『Billon Voices』とM.I.A.の『マヤ』がディスプレイされていたのは、とても皮肉な光景のように思えた。消え行くリアル・ショップに、Youtubeを模したデザインのパッケージ達が並んでいる。両者のアートワークが似通っているのはまったくの偶然だが、同時に必然でもあるだろう。それはもちろん、いま、ポップ・ミュージックというものに真剣に向き合うのならば、インターネットというものに向き合わざるを得ないからだ。そして、それぞれがそこから導き出している答えのズレこそが、現在のリアリティなのだ。
"10億の声"と題された前者には、何処かオプティミスティックなムードが漂っている。アルバムは、真夜中にネット・サーフィンをしている少年を語り部に、ライヴ・ストリーミング・サイトでロック・スターを気取るサラリーマンが主人公の"I Wanna Be a Rock Star"ではじまる。そこから、前半は世界中に散らばる無数の"声"の主達を紹介していくのだが、七尾の自宅での弾き語り"なんだかいい予感がするよ"を境として、後半は踵を返すように内面へと向かう。ただし、妻にあてたラヴ・ソングで、昨年にスマッシュ・ヒットした"Rollin' Rollin'"が象徴するように、そこに閉塞感はない。そして、アルバムは希望を確信する"私の赤ちゃん"で幕を閉じる。同作のケースは額縁の形をしていて、ジャケットが入れ替えられる仕様になっているのだけれど、その中の一枚である、ネットから拾った様々な画像をコラージュしたデザインの裏は銀色で、覗き込んだリスナーの顔が写る仕掛けだ。
七尾旅人は99年、日本の音楽産業のピークに18歳でメジャー・デビューし、圧倒的な才能を持っていたのにも関わらず、アンチ・コマーシャルだったがために、業界が衰退に向かうや否や、リストラに合った。その後、彼のキャリアが復調したのは、見よう見真似で自ら立ち上げたホームページで、散り散りになっていたファンたちと直接、交流を始めたことがきっかけだったという。そんな、音楽産業に対して誰よりも複雑な愛憎を持ち合わせている彼が、消え行くフィジカル・リリースに捧げた、初の自主制作3枚組アルバム『911FANTASIA』に続いて、配信システム、DIY STARSの立ち上げとともにリリースした本作に託した熱い思いは、説明するまでもないだろう。
いっぽう、アスキー・アートでアーティスト・ネームを綴った後者は、非常にストレスフルな内容である。自身で手掛けるジャケット・デザインは何処か、KID606の初期作を思わせる。ミゲル・トロスト・デイペドロが先導したブレイクコアは、ネットから生まれた音楽的なムーヴメントの草分けで、ハッキングやP2P等とも同時代性を持っていた。テロリズムというモチーフに固執するM.I.A.がネットをテーマにすればそこに近づくのは当然である。ただし、00年代初頭にはまだまだ開拓地だったネットという空間は、今やすっかりインフラストラクチャーと化している。M.I.A.は本作の制作過程において、スタジオでYoutubeをひたすら観ることでインスパイアされ、ダウンロードしたサンプリング・ソースでビートを組み上げて行ったという。当然、それは目新しいことではなく、現代のクリエイターにとって、オン・ラインでのディグは中古レコード店やフリー・マーケットを回るよりも、よっぽど日常的な行為となっている。しかし、M.I.A.は『マヤ』において、ネットをブレイクコアのように武器と捉えたり、21センチュリー・B・ボーイのようにキックスと捉えたりするいっぽうで、何処か違和感も覚えているようだ。「デジタルまみれの世界のなかで大きくなった("Meds and Feds")」マータンギル・マヤ・アルルピラガーサムによるこのアルバムは、「iPhoneのTwitBirdから、いつも話しかけてくる("XXXO")」あなたに会いたくて仕方がないというラヴ・コールではじまり、しかし、「電波は圏外、つながらない("Space")」という嘆きで終わっていく。
いま、M.I.A.は、シングル"Galang"でのデビューから7年、3枚目となるフル・アルバム『マヤ』で、初めての苦戦を強いられている。チャート・アクションの出だしはまずまずだが、とにかく批評家や熱心なファンからの受けが悪い。4月末に先行してネット上で公開された、"Born Free"のMVがあまりに直接的な残虐描写でYoutubeから即削除、賛否両論を呼んだのは、監督にわざわざジェスティスの"Stress"で悪名高いロメイン・ガヴラスを起用したのだから、それこそオン・ライン・テロリスト気取りの戦略だったのだろう。それに対して、「ニューヨーク・タイムズ」誌は、5月25日付け、リン・ハーシュバーグによるルポルタージュで、旧来のメディアから、生意気な新参者に対する報復をおこなった。とくに、ディプロの発言を引用する形でもって、"M.I.A.=Missing In Action"というアーティスト名の由来であり、捜索届けのようにファースト・アルバムのタイトルにもその名を掲げられた、彼女曰くスリランカのテロ組織"タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)"のメンバーで、現地で行方知れずになっている父親ーー彼が、実はスリランカ政府の役人で、現在はロンドン在住、彼女とも普通に連絡を取っているということが暴露されたのは痛かった。もちろん、M.I.A.はすぐさまTwitterや自身のHPを使って反論、『NYT』誌を糾弾したわけだが、彼女自身も父親の素性は明かそうとしていないし、真偽はともかくとして、M.I.A.というキャラクターが色眼鏡を通して見られるようになってしまったのは間違いない。同記事は、言わば、ここまで登り調子でやってきたM.I.A.に対するバックラッシュのトリガーとなったのだ。
いや、ギャングスタを気取っていたのに、実は看守であったことをバラされて味噌をつけた、強面のラッパー、リック・ロスが語るボースティングとは違って、例えマヤが、ディプロの言うように、テロのモチーフをコラージュして危険性を演出してみせるアートスクール出身の女の子だったとしても、彼女がこれまで"M.I.A."というコンセプトを通して訴えてきたメッセージの価値が失われるわけではない。たしかに、ハーシュバーグの主張する通り、彼女の政治認識は甘いかもしれない。実際、LTTEによる内戦は今年、ようやく終焉に向かったわけだが、彼らはこの4半世紀のあいだに、大量の一般市民を虐殺してきたにも関わらず、それをさも英雄のように扱った罪は重いだろう。しかし、M.I.A.は政治家でも運動家でも、ましてや新聞記者でもなく、ミュージシャンなのだ。問われるのは知識の精度ではなく、サウンドの強度である。その点で、セカンド・アルバム『カラ』は00年代におけるグローバリゼーションとローカリゼーションの鬩ぎ合いを誰よりも見事に描いた傑作であった。ただ、それに続く、今回のアルバムが弱かったのは、「そんな作品を売って、自分だけ成り上がるなんて搾取ではないか」という、事前に簡単に予想出来たはずの、ありがちと言えばありがちな指摘である、「NYT」誌の記事に対する反論の準備が出来ていなかったところだ。
『カラ』の開放性は、レコーディングを予定していたアメリカのビザが下りなかったため、世界中を周って制作したが故に生まれたものだったが、反対に『マヤ』の密室性は、オーヴァー・ステイのせいでアメリカからの出国が許されなかったため、LAのスタジオに籠って制作したが故に生まれたものである。M.I.A.は、密室の中で、大きな成功を収めた前作を越えなければというかつてないプレッシャーに苛まれていたはずだ。目の前にあるノート・ブックの向こうに広がる無限のネット空間は、ヒントを与えてくれる賢者と、足を引っ張って来るヘイターが姿を隠した真夜中のジャングルに見えたことだろう。それは、母親の名前を掲げた前作が描き出した、世界のポジティヴな側面とは対照的な象徴性だった。そして、そんな暗闇のなかでは、自己に向き合わざるを得ない。だからこそ、彼女は、本作に自身の名前を刻み込んだのだ。本来なら、そんな孤独の中で彼女がやらなければならなかったのは、深く瞑想し、その助走でもって高く飛び上がることだった。それでこそ、この世界の至るところで同じようにノート・ブックを覗き込んでいる人びとの心を掴むことができるし、アートとしても、エンターテイメントとしても前作が越えられたはずである。しかし、その暗闇の前で、M.I.A.の足はすくんでしまったのかもしれない。アルバムでは、"Lovalot"と"Born Free"の、アグレッシヴなトラックに乗った、ハードなアジテーションとナイーヴな心情吐露が入り混じったリリックの組み合わせが、その試みを比較的上手く実現出来ていると言っていい。ただ、それでも『カラ』の"20 Dollar"や"The Turn"が持っていた複雑さには適わない。また、他愛ないセクシャルなパーティ・チューン"TEQKILLA"や、『NME』誌7月号でレディ・ガガに吐いた唾を呑み込むようなエレクトロ・ポップ"XXXO"も、やはり、前作にも収められていたロリポップ・ソング"Boys"や"Jimmy"のような絶妙な効果は発揮していない。
そして、何よりも足を引っ張っているのが元ボーイ・フレンドにして、つねに盟友であり続けたディプロで、彼が手掛けた2曲ーー炭酸の抜けきったビールみたいなラヴァーズ・レゲエ"It Takes a Muscle"と、前作が生んだ最大のヒット"Paper Planes"の明らかな二番煎じである"Tell Me Why"は、これがあの才人の仕事かと耳を疑うようなどうしようもなさだ。ディプロはTwitterで本作のネガティヴ・キャンペーンを繰り広げており、曰く「オレの曲はスラミン。残りはまるでスキニー・パッピーで、悪夢みたいだ」そうだが、まさか本気で言っているわけではないだろう。あるいは、M.I.A.の夫でワーナーの御曹司、ベン・ボロフマンの反対に合い、プロデューサー陣のなかでたったひとりだけ別スタジオでの作業になったことへの当てつけで、わざと手を抜いたのだろうか。そんなゴシップめいた推測をしたくなるほど、本作は音楽的魅力に乏しい。要となるはずだったダブ・ステップのトラックメーカー、ラスコは健闘しているものの、前作におけるスゥイッチの革新的なプロデュース・ワークをなぞるのがやっとである。
もちろん、『Billon Voices』と『マヤ』を対等に比較するのは可笑しいし、後者は、前者の何百倍もの売り上げをすでに達成している。しかし、それぞれのディスコグラフィーで見た場合、前者がターニング・ポイントとなったのに対して、後者が傑作『カラ』を越えることも、また、それとは別の道を切り開くことも出来なかったのは明らかだし、インターネットというテーマで聴くと、その混沌に呑み込まれたような後者の失敗の仕方は、2010年のメジャーな音楽産業を象徴しているように思えてならないのだ。ちなみに、『マヤ』の日本盤ボーナス・トラックの1曲である、その名も"Internet Connection"と題された、まったくもってつまらない楽曲は、ディスコミュケーションにこんがらがった以下のようなヴァースで終わっていく。ーー「問題はあたしの情報/だからやすやすと、知らない人には渡さない/あなたには、あたしのことは解らない/あなたは知らない、あたしのやり方を/"何か不具合を起こしたの"と、あたしが訊けば/"ネット接続がおかしいんだ"と、あなたは答える/昨晩もあたしはクラッシュ/アタマの外をぐるぐる廻っていた」
文:磯部 涼
[[SplitPage]]彼女は初めて90年代後半にイギリスで起きたアジア系の暴動のサウンドトラック・アルバムをつくったのだろう 文:三田 格
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90年代の後半、『NME』を広げると毎週のようにイギリスのどこかでアジア系の暴動が起きていた。その数はいつもとんでもなく、場所も各地に広がっていた。それらは本当に大規模で、どうして05年にフランスで起きた暴動のように日本では報道されないのかぜんぜんわからなかった。記事に関連してシーラ・シャンドラやモノクローム・セットのビッドなど、いわゆるインド・パキスタン系のコメントを探してみたものの、英語力の問題なのか、見つかったためしはなく、タイミングよく訳されていたハニフ・クレイシの小説を読むことで、なんとなく彼らの不満を理解した気にはなっていた。でも、できればアンジャリやコーナーショップ、あるいはベティ・ブーやティム・シムノンの言葉で何が起きているかを知りたかったというのが本当のところではある。70年代にナショナル・フロントが台頭していたときにはスペシャルズやファン・ボーイ・スリーを結成したテリー・ホールが暴動が起きてからすぐにファン-ダ-メンタルのムシュタクと『ジ・アワー・オブ・トゥー・ライツ』をリリースしたときは(内容はともかく)なんて一貫してるんだと感心したもよく覚えている。
M.I.A.は暴動のサウンドトラックではなかった。それらはイラスティカやエイジアン・ダブ・ファウンデイションが担っていたことで、その当時、前者のヴィデオ・クルーだったM.I.A.は「平和のために戦う」とか「国家を罵ってやる」といった歌詞をどちらかといえば楽しいダンス・ミュージックにのせて歌い出した。デビュー・アルバム『アルラー』の冒頭を飾る"バナナ・シット"などは何度聴いても笑い転げてしまう。彼女のあっけらかんとした感性は、いってみれば暴動が収束に向かったことを象徴していたとさえいえる。ちなみに彼女に活動資金を与えたのはジョン・ローンだった。両親が誰だかわからず、自分が何系のアメリカ人だかもわからないハリウッド・スターの。
「わたしはアメリカを否定しない。先進国と途上国の情報量が同じぐらいになればいいとは思うけど」
世界中を旅して回って......つまり、サウス・ロンドンを抜け出して制作されたセカンド・アルバム『カラ』について取材した際、彼女はそういって、なるほどそれからすぐにブルックリンに移住したこともニュースになった。彼女が音楽をはじめた動機はよく知られているようにインド首相を暗殺したタミール・タイガーの幹部である父(アルラー)を探すためで、イギリスで起きていたアジア系の暴動が直接の背景にあったわけではない。『アルラー』はなぜかカナダではナショナル・チャートの1位となるほど売れて、父からも連絡があり、彼女の目的は果たされたといえる。普通に考えれば彼女は目的を見失ったはずである。世界を旅して回る......という方法論はおそらくはディプロのマネで、途上国のニュース・センターになろうとした『カラ』のコンセプトはどれほど彼女の奥深くから発していることなのか、多少は疑問もある。いちばんいいと思った"バード・フルー"のプロダクションが彼女自身によるものだったので、音楽家としてのM.I.A.にはむしろ期待値が高まった面もあるものの。
ブルックリンではなく、なぜか(母の住む?)L.A.で集中的に録音された『マヤ』は全体的に荒廃したムードに覆われ、サウス・ロンドンに対する郷愁が強く窺われる。自分の名前をタイトルにしているぐらいで、アイデンティティと向き合わざるを得なかったことはたしかで、クラフトワークのアルバムのなかでもっともヨーロッパ的な感性が強く滲み出た『トランス・ヨーロッパ・イクスプレス』だけがアメリカで録音されたものであったように、彼女は初めて90年代後半にイギリスで起きたアジア系の暴動のサウンドトラック・アルバムをつくったのだろうと僕は思う。"テックキラ"という曲がレコード・ショップで流れはじめたとき、僕は「これなんですか? これ下さい」といって手渡されたものがこのアルバムだった。もう少し待っていれば彼女の声が聴こえただろうに、そのときは一刻も早くその曲の正体が知りたかった。家に帰って通して聴いてみると、今度は内省的な曲調が耳には残った。正直、"バッキー・ダン・ガン"に横溢していた彼女のあっけらかんとした感性はとても懐かしい。しかし、彼女はいま、大人になろうとしているのである。たとえばマドンナだったら『ライク・ア・プレイヤー』がなければ『エロティカ』はなかったように、どんなミュージシャンであれ、豊かな感情を基本としている人ならば怒りや悲しみといった感情の育て方に僕はとても興味がある。その場所にアメリカを選んだことも含めて『マヤ』はとても興味深い"デビュー作"ではないだろうか。
文:三田 格