「AY」と一致するもの

TSUBAKI FM - ele-king

 東京を拠点にさまざまな音楽を発信しているインターネット・ラジオ「TSUBAKI FM」が2周年を迎える。おのおのに精力的な活動をつづける Masaki Tamura、Souta Raw、Midori Aoyama の3人によって運営され、たんなるラジオに留まらない展開をみせているこの新型プラットフォームについては、ぜひともこちらのインタヴューをご一読いただきたいが、その2周年を記念したツアーが2020年1月末より実施される運びとなった。東京、広島、金沢、京都、静岡、名古屋の6都市で計7公演が開催される。現地からのライヴ配信なども予定されているとのこと。まだ知らないすばらしい音楽に出会えるこの絶好の機会を逃すなかれ。

東京発、インディペンデントミュージックを発信する音楽プラットフォーム『TSUBAKI FM』が2周年を記念したジャパンツアーを開催!!!

東京を拠点にローカルからワールドワイドまでクオリティーの高いアーティスト/DJを招き、毎週日曜日19:00~21:00にしぶや花魁にてライブブロードキャストを行う音楽プラットフォーム TSUBAKI FM。約2年の活動で京都八坂や加賀山代温泉などの出張放送やタイのローカルラジオとのコラボレーションイベントなど着実にその輪を広げるラジオ局が、昨年に引き続きアニバーサリーツアーを実施。

ツアーでは京都を代表する JAZZ / CROSSOVER イベント “Do it JAZZ!” を主催し、現在は Gilles Peterson 率いるラジオステーション “Worldwide FM” の京都サテライト “WW KYOTO” のホストも務める Masaki Tamura。アンダーグラウンドディスコを軸に長年に渡り茶澤音學館のクルーとして Sadar Bahar の来日サポートを務め、毎週火曜日の Aoyama Tunnel をレギュラーに都内を中心に活躍中の Souta Raw。そして東京ハウスミュージックシーンの人気パーティー /レーベル “Eureka!” を仕掛け、TSUBAKI FM の発起人でもある Midori Aoyama の3人を中心に、特定のジャンルに縛られない様々なジャンルを発信する TSUBAKI FM とリンクした全6都市のローカルアーティストがコラボレーション。現地でのライブ配信やイベントなどが融合したツアーショーケースを約1ヶ月通して開催する。

【Tour Schedule】
1/31 (Friday) Tokyo CITAN
2/21 (Friday) Hiroshima ONDO
2/22 (Saturday) Kanazawa Zuiun & DEF
2/23 (Sunday) Kyoto Metro
2/28 (Friday) Shizuoka COA
2/29 (Saturday) Nagoya outecords
3/07 (Saturday) Tokyo TBA
*追加公演や各公演のラインナップアナウンスは2020年1月以降順次リリース予定

【DJ's】

Masaki Tamura
DJ / Architecture Designer。2003年に活動開始以降、新譜・旧譜問わずJAZZを軸とした選曲を得意とし、京都を代表する JAZZ / CROSSOVER イベント “Do it JAZZ!” を中心にDJを行い、LIVEアーティストからの信頼も厚く、選曲の幅を生かしホテル、ラウンジ等のサウンドサポートも行う等、京都・大阪・東京を中心に活躍中。昨年はヨーロッパシーンで活躍する HUGO LX、Aroop Roy そして新世代バンド WONK を招待、Dego や floating points のサポートを務め、今年7月には mixcloud アワードに選ばれた経歴を持つフランスの GONES THE DJ との共作であるジャパニーズ・ジャズのみを選曲した Mix を発表し話題を集める。Gilles Peterson がスタートしたオンライン・ラジオステーション “Worldwide FM” の 京都サテライト “WW KYOTO” のDJを務め京都祇園のニュースポット “Y gion” から毎月第二月曜日に発信中。

Souta Raw
長年に渡り茶澤音學館でのレギュラー、そして7インチレコードに特化した45’sパーティ Donuts#45 のDJ/オーガナイズを担当して来た Souta Raw は、アンダーグラウンドディスコを軸に世界中の新旧問わず点在する辺境ダンスミュージックを織り交ぜるプレイスタイル。現在は毎週火曜日の AoyamaTunnel をレギュラーに都内を中心に DJ/パーティ・オーガナイザーとして活動中。

Midori Aoyama
東京生まれのDJ、プロデューサー。12年に自身がフロントマンを務めるイベント「Eureka!」が始動。青山 Loop での定期開催を経て13年にはUKから Reel People / The Layabouts を招き eleven にて開催。その後も、module、Zero、AIR と様々な会場に場所を移しながら、過去に Kyodai、Detroit Swindle、Atjazz、Lay-Far、Mad Mats、Session Victim など気鋭のアーティストの来日を手がけ東京のハウスミュージックシーンにおいて確かな評価を得る。過去に Fuji Rock や Electric Daisy Carnival (EDC) などの大型フェスティバルでの出演経験もあり、活躍は日本だけに留まらず、ロンドン、ストックホルム、ソウルそしてパリなどの都市やアムステルダムの Claire、スペインはマジョルカの Garito Cafe などのハウスシーンの名門クラブでもプレイ。15年には Eureka! もレーベルとして始動し、スウェーデンの新興レーベル「Local Talk」とコラボレーションし、自身が選曲、ミックスを務めた「Local Talk VS EUREKA! - Our Quality House」を発表。その後も立て続けにリリースを手がけ現在5枚のEPをリリースするなどレーベルの活躍も期待が高まる。現在は新しいインターネットラジオ局 TSUBAKI FM をローンチし、彼の携わる全ての音楽活動にさらなる発信と深みをもたらしている。

【about TSUBAKI FM】
東京発、インディペンデントミュージックを発信する新しい音楽プラットフォーム『TSUBAKI FM』
世界中から集まるクオリティの高いアーティストやリスナーをキュレーションしながら日本のシーンに対して新しい風を送ります。様々なカルチャーや多彩な音楽そしてライブブロードキャストを中心に毎週日曜日19:00~21:00にしぶや道玄坂のウォーム・アップバー「しぶや花魁」から配信中。
Tsubaki FM is a brand new platform for independent music, straight from the heart of Tokyo. We aim to bring new life to the underground music scene in Japan while also helping better connect artists and listeners worldwide. Get fresh tracks from diverse genres, music culture information, live broadcasts, and more.

Stolen@Tempodrom, Berlin - ele-king

 来年3月にニュー・オーダーの来日が決定、石野卓球と Stolen が追加出演することも発表された。その噂の Stolen とはいったい何者なのか? というわけで、この秋ベルリンで開催されたニュー・オーダーと Stolen のライヴの模様をレポートします。

世界が音楽に貪欲だった70年代の再来か!? 中国の新世代インディーズ・バンドがニュー・オーダーと共に欧州に君臨、そこで、手にした未来とは!?

 現代に残る社会主義国家でありながら、他の資本主義国家よりも圧倒的な経済発展を遂げている中国が閉鎖的であるというイメージはもはや過去の産物ではないだろうか。むしろ、時代を逆行するかのごとく、どんどん自由が制限され、それに気付く余裕さえないほど殺伐とした環境で、ピュアな感性が蝕まれていくように感じる今の日本の方がよほど危機感を覚えるのは筆者だけだろうか。物質的なものでも情報でも、いとも簡単に何でも手に入る環境が決して幸せで良いことであるとは言えないのだ。

 これは何も社会的なことに限った話ではない。アンダーグラウンドな音楽シーンにおいても同様に思うのだ。

 まだ10月初めだというのに冬物のジャケットが必要なほど冷え込んだ日、ベルリンのコンサートホール「Tempodrom」でヨーロッパ・ツアー真っ最中の New Order のライヴが行われた。そのサポートアクトを務めたのが、中国四川省成都出身の中国人5名、フランス人1名からなる6ピースバンド “Stolen” である。


Photo by Alexander Jung

 ヨーロッパでは未だ未知の領域である中国のインディーズ・シーンから、突如テクノの街ベルリンに現れたバンド Stolen とは一体何者なのだろうか? まず、アジア人のコンプレックスを隠そうとするありがちな “Too much なデコラティヴ” は一切なく、むしろ、全身黒の衣装で統一したシンプルなミニマル・スタイルに黒髪の彼らは控えめな若者の集まりと言った印象。

 それに反して、ライヴ・パフォーマンスはストイックと完璧主義の塊である。心の奥底に押し込めた欲望やら鬱憤やらをサウンドに打ち付けて、吐き出しているかのように激しく、それでいて荒削りで強引な演奏ではなく、インテリジェンスで完璧なまでのスキルに身震いするほどの衝撃を受けた。
 圧倒的な存在感を放つフロントマン Liang Yi による堂々たるナルシシズムを全面に出した独自の世界観に真っ先に引き込まれていく。歌詞はほとんどが英語で歌われており、その時点で中国だけでなく、世界の舞台を見据えているように思えた。そして、彼らの放つサウンドはポップではなく、一貫してダークである。VJ担当の Formol によるアートワークがその世界観をグラフィックと写真のコラージュで実にシュールに表現している。


Photo by Alexander Jung

 Kraftwerk や Joy Division に影響を受けているという彼らだが、全員まだ20代である。インターネットが監視下に置かれている中国で、違法ダウンロードによって手にした “外の世界の音” から、自分たちが生まれてもいない70年代のドイツのクラウトロックやイギリスのポストパンク、ニューウェイヴと運命的に出会う。そして、インスパイアされ、独自の解釈によって、ギターと打ち込みが疾走するオリジナリティー溢れる Stolen サウンドとして誕生したのだ。ダークでメランコリックであるが、そこに存在するのは絶望ではなく、暗闇で輝く生粋のアンダーグラウンドである。

 自国へ帰ればアルバイトで生活費を稼ぐ日常が待っている労働者階級出身の彼らに、ネット世界ではなく、本物のベルリンを見せ、スポットライトを当てた重要人物がいることを忘れてはいけない。彼らの成功への道は、プロデューサーの Mark Leeder の存在なくしては語れない。1990年、壁崩壊直後の混沌としていたベルリンで、自身のレーベル〈MFS〉を設立し、マイク・ヴァン・ダイクや電気グルーヴといったテクノ・アーティストのリリースを手掛ける傍、世界を飛び回り、アンダーグラウンド・シーンで光る原石を掘り続けてきた伝説のプロデューサーである。90年代から中国の音楽シーンに注目していた彼の目に止まったのが、平成生まれの若き Stolen である。マークは一体彼らにどんな未来を見たのだろうか?

 伝説のプロデューサーと言えば、もはや何度観たか分からない筆者の音楽人生のバイブル『24アワー・パーティー・ピープル』の故トニー・ウィルソンが頭に浮かんだが、壁に分断されていた80年代の西ベルリンを描いたドキュメンタリー映画『B-MOVIE』が、Mark Reeder そのものなのだ。彼の半生を描いた同作では、自身がストーリーテラーも務めており、狂乱に満ちた同じ時代を駆け抜けた同士として、当然ながらトニー・ウィルソンとの親交も深かったと言う。


Photo by Alexander Jung

 ベルリンは、時代を越えて心底アンダーグラウンド・ミュージックと共存している街であると言える。地下鉄の中やストリートでは日々パフォーマーたちによって様々なジャンルの音楽を耳にし、普通の女の子が Bluetooth スピーカーから爆音でビート・ミュージックを鳴らしながら闊歩する。世界最高峰と呼び名の高い Berghain では毎週末36時間ぶっ通しのパーティーが行われている。そこには年齢も性別も人種も関係ない、心底音楽が好きな人間たちが集まっている、ただ、それだけである。

 Joy Division の『Unknown Pleasures』のTシャツに身を包んだ熟練でシビアな New Oeder ファンを前で堂々たるプレイを見せつけ、取り込んだ Stolen は、アジアを代表するバンドとしてここヨーロッパで確固たる地位を築いていくだろう。この日、客席には彼らの楽曲 “Chaos” をミックスした石野卓球の姿があった。Stolen に昔の電気グルーヴの姿を重ねながら、70年代のマンチェスターやベルリンの再来を期待せずにはいられない一夜となった。

New Order (ニュー・オーダー)の来日公演に、ニュー・オーダーのバーナード・サムナー(Vo.)が絶賛する中国のインディーバンド Stolen と石野卓球が追加出演決定!!

1980年代後半から1990年代初頭にかけて起きたマンチェスター・ムーヴメントを描いた映画で2002年に公開され大ヒットした映画「24アワー・パーティー・ピープル』にも登場する、マンチェスター・ムーヴメントの象徴的アーティストで、ロックとダンスを融合させてサウンドが、ブラー、オアシス、レディオヘッドなど、その後のUKロックバンドに多大な影響を与えたイギリス、マンチェスター出身の伝説バンド、New Order (ニュー・オーダー)の来日公演に、中国のインディーバンド、Stolen と石野卓球の追加出演が決定しました。

Stolen はニュー・オーダーのバーナード・サムナー(Vo.)が彼らの音楽に惜しみなく賛辞を贈る、平均年齢26歳の5人の中国人と1人のフランス人による中国のインディーバンドで、10月からスタートしている、ヨーロッパでのニュー・オーダーのライブ・ツアーにスペシャルゲストとして帯同中。

石野卓球は、Stolen の全世界デビュー・アルバムとなる『Fragment (フラグメント)』にリミックスを提供していますが、実はこの3組のアーティストを繋ぐハブとなったのは、マンチェスター出身のプロデューサー、DJ、そしてドイツベルリンの伝説的音楽レーベル〈MFS〉のオーナーでもあるマーク・リーダーです。

マーク・リーダーはニュー・オーダーのバーナード・サムナーにいち早くベルリンのダンスミュージックを体験させた人物で、彼がいなければニュー・オーダーの名曲“Blue Monday”が生まれることはなかったと言われています。

また、電気グルーヴの『虹』を自身のレーベル〈MFS〉からリリースし、電気グルーヴと石野卓球がヨーロッパで活躍するきっかけを作ったのもマーク・リーダー。

そして、Stolenの全世界デビュー・アルバム『Fragment (フラグメント)』をベルリンでレコーディングし、このアルバムに石野卓球のリミックスが収録されることになったのもマーク・リーダーのプロデュースによるものなのです。

国も世代も異なるアーティストたちが、“音楽密輸人”の異名を持つマーク・リーダーを中心に日本公演で貴重な邂逅を果たします。

なお、ゲスト出演決定につき、開場・開演時間が変更になりますので、詳細は以下の情報をご覧ください。
【ライブ情報】

※ゲスト出演決定につき、開場・開演時間を変更させて頂きます。予めご了承ください。

東京 3月3日(火) 新木場 STUDIO COAST / special guest : 石野卓球
東京 3月4日(水) 新木場 STUDIO COAST / special guest : STOLEN / 石野卓球
OPEN 18:30→18:00 / START 19:30→19:00
TICKET スタンディング ¥10,000 指定席 ¥12,000(税込/別途1ドリンク)※未就学児入場不可
一般プレイガイド発売日:発売中 <問>クリエイティブマン 03-3499-6669

大阪 3月6日(金) Zepp Osaka Bayside / special guest : STOLEN
OPEN 18:30→18:00 / START 19:30→19:00
TICKET 1Fスタンディング ¥10,000 2F指定 ¥12,000(税込/別途1ドリンク)※未就学児入場不可 ※別途1ドリンクオーダー
一般プレイガイド発売日:発売中 <問>キョードーインフォメーション 0570-200-888

制作・招聘:クリエイティブマン
協力:Traffic

【ニュー・オーダー】
メンバー:バーナード・サムナー、ジリアン・ギルバート、スティーヴン・モリス、トム・チャップマン、フィル・カニンガム

マンチェスター出身。前身のバンドは、ジョイ・ディヴィジョン。80年、イアン・カーティスの自殺によりジョイ・ディヴィジョンは活動停止を余儀なくされ、バーナード・サムナー、ピーター・フック、スティーヴン・モリスの残された3人のメンバーでニュー・オーダーとして活動を開始。デビュー・アルバム『ムーヴメント』(81年)をリリース。82年、ジリアン・ギルバート加入。83年に2ndアルバム『権力の美学』をリリースし、ダンスとロックを融合させた彼らオリジナルのサウンドを確立した。85年リリースのシングル「ブルー・マンデー」は大ヒットを記録、12”シングルとして世界で最も売れた作品となった。同年初の来日公演を実施。所属レーベルのファクトリー・レコードが地元マンチェスターに設立したクラブ、ハシエンダ発のダンス・カルチャーは、80年代後半にマッド・チェスター、セカンド・サマー・オブ・ラヴといった世界を牽引する音楽シーンを生み出した。その一大カルチャーの中心的存在として、3rdアルバム『ロウ・ライフ』(85年)、4thアルバム『ブラザーフッド』(86年)、5thアルバム『テクニーク』(89年)をリリースし、その評価・人気共にUKユース・カルチャーの象徴となった。93年、ロンドン・レーベル移籍第1弾として、名曲「リグレット」等が収録された6thアルバム『リパブリック』をリリース。7thアルバム『ゲット・レディー』(2001年)と8thアルバム『ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール』(2005年)は、ギター・サウンドに比重を置いたサウンドとなった。2007年、オリジナル・メンバーのピーター・フック(b)がバンドを脱退。2001年と2005年にフジ・ロック・フェスティヴァルに、2012年にサマー・ソニックに出演。2014年、MUTE移籍が発表され、2015年9月23日に9thアルバム『ミュージック・コンプリート』をリリース。2016年、実に29年ぶりの単独来日公園を行う。2017年、ライヴ盤『NOMC15』をリリース。2019年6月、地元マンチェスターの伝説の会場で2017年6月に5夜に渡って行われたライヴを収録した『∑(No,12k,Lg,17Mif)』を発売。

タイトル:∑(No,12k,Lg,17Mif) / ∑(No,12k,Lg,17Mif) New Order + Liam Gillick: So it goes..
品番:TRCP-243~244 / JAN: 4571260589032
定価:2,600円(税抜)*CD:2枚組

【石野卓球】
1989年にピエール瀧らと電気グルーヴを結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル“Love Parade”のFinal Gatheringで150万人の前でプレイした。1999年から2013年までは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ“WIRE”を主宰し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2012年7月には1999年より2011年までにWIRE COMPILATIONに提供した楽曲を集めたDisc1と未発表音源などをコンパイルしたDisc2との2枚組『WIRE TRAX 1999-2012』をリリース。2015年12月には、New Orderのニュー・アルバム『Music Complete』からのシングルカット曲『Tutti Frutti』のリミックスを日本人で唯一担当した。そして2016年8月、前作から6年振りとなるソロアルバム『LUNATIQUE』、12月にはリミックスアルバム『EUQITANUL』をリリース。
2017年12月27日に1年4カ月ぶりの最新ソロアルバム『ACID TEKNO DISKO BEATz』をリリースし、2018年1月24日にはこれまでのソロワークを8枚組にまとめた『Takkyu Ishino Works 1983~2017』リリース。現在、DJ/プロデューサー、リミキサーとして多彩な活動をおこなっている。

www.takkyuishino.com

【STOLEN】
中国で今最も刺激的な音楽シーンになるつつある四川省の省都・成都(せいと)を拠点にする平均年齢26歳の5人の中国人と1人のフランス人で構成される6人組のインディーズバンド「STOLEN(ストールン:秘密行动)」。2011年の結成から7年、謎多き中国のインディーズシーンから全世界デビューアルバムとなる『Fragment(フラグメント)』はドイツベルリンの伝説的レーベル「MFS」のオーナーMark Reederがプロデューサーとなり、成都にある彼らのホームスタジオとベルリンのスタジオでレコーディングされた。テクノやロックといったカルチャーを独自に吸収したそのサウンドやライブステージ、アートワークは、中国の音楽好きな若者から人気を集めるポストロック〜ダークウェイブの旗手として、その注目度は世界中へ拡がっている。

STOLEN
日本デビュー・アルバム『Fragment』発売中
価格:¥2,500+税
商品仕様:CD / 紙ジャケ / リーフレット
品番:UMA-1121

Danny Brown - ele-king

 Q-Tip がエグゼクティヴ・プロデューサーを務めるということで、個人的にもリリース前から期待度が非常に高まっていた Danny Brown の5作目となるニュー・アルバム。結論から先に言ってしまうと、その期待通りの素晴らしい出来で、間違いなく2019年を代表するヒップホップ・アルバムの1枚だ。

 2ndアルバム『XXX』を A-Trak 率いる〈Fool's Gold〉からリリースし、4枚目となる『Atrocity Exhibition』からは〈Warp〉と契約を結ぶなど、いわゆるメジャー・アーティストや、あるいはアンダーグラウンドのラッパーとも異なる道を辿ってきた Danny Brown。奇抜な髪型にさらに前歯も抜けていたりと、ルックス的にも個性的過ぎる彼であったが、それ以上にフリーキーとも言えるラップのスタイルと、天才と変態が表裏一体になっているようなリリックの世界観は、まさに唯一無二の存在であり、ヒップホップ以外のフィールドからも非常に高い評価を受けてきた。そんな、ある意味、アーティストとして完全に突き抜けた位置にいた Danny Brown であったが、今回、Q-Tip がアルバム制作に関わったことによって、彼の持つ混沌の方向性が見事に整理され、ひとつの作品としての強度は非常に増している。Q-Tip 自身もプロデューサーとして3曲手がけており、ファースト・シングルとなった “Dirty Laundry” は実に Danny Brown らしいフリーキーな1曲であるが、個人的にも本作のベスト・トラックと思っているのがセカンドカットの “Best Life” だ。リリック的にはドラッグにまみれたような最悪な環境から何とか這い上がるしかないという、どう見ても複雑な「最良の人生」をラップしているわけだが、Q-Tip ならではのソリッドなドラムを軸としたトラックの、程よくファンキーで明るい希望を見出してくれるような空気感が、全てを前向きに輝かせてくれる。

 ゲスト参加曲では Run the Jewels をフィーチャした “3 Tearz” がリリックの内容の酷さも含めて、Danny Brown の魅力を十二分に引き出しており、ナイジェリア出身のシンガー、Obongjayar をフィーチャしたタイトル・チューン “Uknowhatimsayin¿” も Danny Brown のまた別の顔が伺える一方で、盟友、Paul White が手がける浮揚感溢れるトラックが最高に素晴らしい。そして、参加プロデューサーに関しては、やはり “Negro Spiritual” での Flying Lotus は特別な存在感を放っており、Thundercat が奏でるベースラインとともに Danny Brown の持つ狂気を見事に増幅させている。

 Danny Brown 自身は本作を「スタンドアップ・コメディ的なアルバム」と語っているそうであるが、彼の持つユーモアと毒をひとつのアートとして見事に昇華させることができたのは、間違いなく Q-Tip の功績であろう。ATCQ 亡き後、Q-Tip の今後の動きにも注目してみたい。そう思わせてくれる作品だ。


 目に見えるよりも先に、音が聞こえてくる。穏やかな秋の日の午後、高円寺と阿佐ヶ谷のあいだにある青梅街道を、数百の人々が笑いあい、踊りながら、先導する何台かのトラックにつづいてゆっくりと進んでいく。そのなかの一台には何組かのバンド──ジャンルはパンクからレゲエ、ファンク、サイケデリック、ロックなど様々だ──が乗りこみ、他のトラックは過去の名曲を爆音でプレイするDJたちを乗せている。音は道沿いを前後に広がって、路地へと滲みだしていき、お祭り騒ぎをしながら道路の上を進んでいく小さな群衆がすぐ近くまで迫っていることを予告している。買い物客や通行人たちは、だんだんと近づいてくる音の壁をどこか楽しげに、興味深そうに眺めている。それが何のためのものなのかは誰にも分からない。だが音が近づいてくることは誰にでも分かる。
 東京という街において音は、特定の空間を誰が所有しているかを定義し、その所有権を主張するさいの鍵となる役割を果たしている。たとえば人の往来がせわしない駅周辺のエリアは、数えきれない広告の音や、店の入り口からとつぜん漏れだしてくる四つ打ちの音、あるいははるか頭上の街頭ヴィジョンから聞こえてくる音でたえず溢れかえっている。結果として人は、そうした領域が商業と資本に属している場所であることを知らされることになるわけである。だが商業的な通りからほんの少し外れると、今度は住宅エリアに入っていくことになる──するととつぜん静けさが訪れ、屋内での音は、一軒家やアパートの薄い壁の外に漏れないように配慮されることになる。このルールが侵された場合、家主を呼ばれるか、警察の訪問を受けるはめになる。騒がしい隣人が歓迎されることはありえない。音楽が演奏されるのは基本的に、薄暗い地下の空間や、ビルの上層階など、防音のしっかりした場所に限定される。公共の場で音を出すことが許される場合があるとしてもそれは、ボリュームを抑えた路上パフォーマンスというかたちであったり、広告のBGMなど、商業的な目的をもったものとして以外にはありえないのである。
 政治という場がおもしろいのは、日本の場合それが、音が社会的に定められた境界を侵犯していくことになる場だからだ。たとえば、期間中ずっと候補者の名前を叫びつづけ、住宅街のなかをゆっくりと走る選挙カーや、30年代の愛国的な軍歌を爆音で流して走る黒塗りの街宣車のことを考えてみればいい。ザ・クラッシュの“ロンドン・コーリング”の音に合わせ街頭で踊る抗議者たちによる、今回のお祭り騒ぎも同様である。こういった例のなかでは、人々の普段の暮らしのなかにある均衡を破り、別の何事かへと関心を向けされるために音が用いられているわけだ。

 今回の高円寺の場合でいうなら、その参加者たちは、街の北側まで目抜き通りを拡大しようとするジェントリフィケーション計画にたいして異議申したてをおこなっているのだといえる。彼らは、街を二分し、小さな家を立ち退かせて、どこにでもあるような複合施設や不動産投資事業によって、近隣一帯の商店の活性化を目論む計画にたいして抗議しているわけである。とはいえ、話はそれだけで終わるものではない。突きつめていえば、街を練り歩き騒ぎを起こす数百人の人々はかならずしも、開発業者の連中や、役人たちや政治家たちの考えを変えようとしているわけではない。そういった者たちの決定を覆すための現実的な戦いは、裁判所や杉並区役所のなかでおこなわれることになるはずである。今回のデモがああいったかたちでおこなわれたのには、そういった現実的な理由とは別の理由があったはずなのだ。
 ではじっさいのところ、今回のこの抗議はいったいなにを目指してデモをおこなっていたのだろうか。この問いにたいして答えようとおもうなら、そこで流れている音楽それじたいに注意を向けてみればいい。参加したミュージシャンやDJの多くは、高円寺のローカルな音楽シーンで活躍する者たちであり、デモの場で彼らは、普段は防音された室内でプレイしている曲を演奏していた。またこの抗議のオーガナイザーである素人の乱は、ふかく地域のコミュニティにかかわり、音楽シーンにもつよい繋がりをもつコレクティヴである。以上をふまえるなら、今回の抗議は、そこに参加した者たちそれじたいに向けられたものなのだといえるはずだ。つまりそれは、自分たちを互いに結びつけるための方法であり、一つのコミュニティとして、自分たちがいったいなにを目指しているのかを思いださせるための方法だったのである。
 さらにいえばそれは、高円寺というローカルな場所だけにかかわるものでもなかった。この抗議は、広い意味での住環境の問題に関係する活動家たちによってサポートされたものでもあった。じっさい、昨年おこなわれた同様の抗議では、京都の吉田寮の追い出し問題〔訳註1〕にたいする抗議者たちや、香港からやってきた民主活動家を含む多様なグループの代表者たちがスピーチするすがたが見られている。今回の抗議と同様の音楽的な形式でおこなわれた2011年の反原発運動のときにも、ソウルのホンデ地区における反ジェントリフィケーション運動に参加する韓国のパンク活動家が参加していた。したがってこれらの抗議は、場所を問わずよりよいコミュニティを築こうとする者たちが互いに出会い、アイデアや共通の地平を確認しあうための祝祭としておこなわれたものでもあるのだ。
 こうした抗議のなかにおける音楽は、なんらかのメッセージの媒介として機能しているわけではない。むしろ音楽はそこで、単純にそれが一番得意なことをしているだけなのである。つまりそれは、参加者たちのあいだにコミュニティの感覚が生じる手助けをしているのだ。音楽は、東京のいたるところにあるあの暗く狭い防音された部屋のなかで密かに、数メーター離れた場所で買い物し、働き、往来している人たちから隠れたまま、たえずそうした役割を果たしてきた。じっさい、音楽をきっかけにして出会った人間たちが、何十人と今回のデモの場に集まり、その場で自分たちのつながりを、つまり自分たちをパンクやインディー好きやノイズ狂いのコミュニティとして結びつけているつながりを、あらためて確認することになった。今回の高円寺のデモは、間違いなくこうした役割を果たしている。とはいえ、防音された薄暗いライヴ・ハウスのなかでも一つのコミュニティとして集まれるにもかかわらず、いったいなぜそれを街頭へと持ちだす必要があったのだろうか。
 この記事の冒頭で私は、いかに音が公共空間にたいする所有権を誇示するための方法になっているかについてや、政治的な行動が、特定の問題にたいして人の注意を引くために、体制によって定められた空間の所有権を音を用いて侵犯したり、あるいはぼやかしたりする場合が多く見られることについて言及した。いうまでもなくそうした政治と音のかかわりは、今回のサウンド・デモのなかでも確認されたものである──外部の聴衆の必要性は、「身をもってなにかを示すデモンストレーション」という方法にあらかじめ備わったものだといえる。だがそれだけではない。この抗議における音楽の用いられ方は、公共空間の所有権の問題だけでなく、同時にまた、コミュニティのあり方についての省察へと向けられたものでもあったのだ。
 われわれは、商業的な領域が公共空間を支配するのを許し、その所有権を主張するのを許すことに、あまりにも慣れすぎてしまっている。たえずあらゆる角度からやってくる音と映像による広告の弾幕は、商業的なものや資本が、われわれの都市やローカルな場にたいして好き放題にふるまう権利を抵抗なく認めさせるための、致命的なプロパガンダとして機能している。だがそれにたいして、高円寺の通りラインに沿った音楽による抗議(や、数週間前の2019年10月におこなわれた渋谷から表参道へといたるプロテスト・レイヴのような最近の同様の出来事〔訳註2〕)は、一種の音によるグラフィティなのである。それはじっさいのグラフィティと同様、商業の側がもっぱら自分たちだけのものだと考えている空間にたいして、われわれじしんの所有権を主張するための方法として機能するものなのだ。それをとおしてわれわれは、防音された地下の部屋から飛びだしていくことになり、街頭は自分たちのものだと、大きな声ではっきりと主張することができるようになるのである。

*訳注1 現在進行形のこの問題については、文末のURLに読まれるサイト『吉田寮を守りたい』および、笠木丈による論考「共に居ることの曖昧な厚み──京都大学当局による吉田寮退去通告に抗して」(『HAPAX 11──闘争の言説』収録)を参照。https://yoshidaryozaiki.wixsite.com/website-9

*訳註2 DJの Mars 89 らの呼びかによって2019年10月29日におこなわれた路上レイヴ。「我々は自身の身体の存在を以て、この国を覆う現状に抵抗する」(ステートメントより)。以下のURLを参照。https://www.residentadvisor.net/events/1335758 (編註:Mars89 は『ele-king vol.25』のインタヴューでその動機や背景について語ってくれています)


You hear us before you see us. A couple of hundred people, laughing, dancing, slowly making their way down Ome-kaido between Koenji and Asagaya on a chilly autumn afternoon, led by a couple of trucks, one hosting a series of bands – punk, reggae, funk, psychedelia, rock – and another carrying DJs blasting out celebratory anthems from ages past. The sound carries down the road ahead and behind, bleeding down sidestreets, heralding the passing of the small crowd of marching revellers. Shoppers and passers-by peer towards the advancing wall of sound, amused, curious. No one really knows what it’s for, but everyone knows we’re coming.

In Tokyo, sound plays a key role in defining and asserting ownership over particular spaces. The area around a busy station explodes with the sounds of a thousand adverts, jingles blasting from shop doorways and booming down from towering video displays. In this way, we know the territory belongs to commerce and capital. Step away from these commercial streets just a short few steps, though, and you may find yourself in a residential area – suddenly silent, domestic noises diligently suppressed within the thin walls of houses and apartments. Transgressions here are greeted with calls to the landlord or visits from the cops. No one likes a noisy neighbour. Music is typically confined to its own designated spots: dingy, carefully soundproofed boxes in the basements or upper floors of buildings. Where it is allowed out into public spaces, it does so either in the form of volume-suppressed street performances or as the servant of commerce, soundtracking adverts.

Politics is interesting because it is a sphere of Japanese life where sound transgresses its socially designated limits. The sound trucks that crawl around your neighbourhood, screaming out the names of politicians endlessly during election periods. The black vans blasting out patriotic military songs from the 1930s. The carnival of protesters dancing down the street in Koenji to the sound of “London Calling” by The Clash. All these people are using sound to disrupt the equilibrium of people’s daily lives and draw their attention to something else.

In the case of the Koenji marchers, we are protesting gentrification in the form of plans to extend a main road up through the north of the town, splitting the neighbourhood in two, and replacing small houses and bustling neighbourhood shops with generic condo complexes and real estate investment projects. That’s not all we’re doing, though. After all, a couple of hundred people marching around and making a noise aren’t going to make a bunch of developers, civil servants and politicians change their minds. The real fight against these proposals is going to happen in the courts and in Suginami City Office. There must be another reason why this march is happening and in this form.

Who is this protest march for? One way to answer this is to look at the music itself. A lot of the musicians and DJs are people involved in the local Koenji music scene, playing the music they always play, locked away in their little soundproofed boxes. The protest’s organisers, the Shiroto no Ran collective, are deeply embedded in the local community, and have strong links with the music scene. In this sense, the protest is for its own participants: a way of bringing us together and reminding us of what we stand for as a community.

It’s not just about the local area though. Also supporting the protest were activists who are engaged more broadly with environmental issues. A similar protest last year brought in speakers representing groups as diverse as the Yoshida Dormitory protests in Kyoto and pro-democracy activists from Hong Kong. The 2011 anti-nuclear protests, which kicked off in Koenji with a very similar musical format, also incorporated South Korean punk activists who were involved in anti-gentrification protests in Seoul’s Hongdae area. These kinds of protests, then, are also festivals for the meeting and sharing of ideas and common ground between those looking to build better communities everywhere.

Music in this protest is not functioning as a vehicle for a particular message in itself, but rather to simply do what it does best: to be a facilitator for a sense of community among participants. This is what music does all the time in those small, dark, soundproofed boxes all around Tokyo, locked away and hidden from the daily lives of people shopping, working and walking just a few metres away. A few dozen of us gather, joined by music, and reaffirm the links between us that make us a community of punks, indie kids, noiseniks or whatever. So the Koenji march is doing this, yes, but if we can come together as a community in a dingy soundproofed live venue, why do we need to take it out into the streets?

At the beginning of this article, I talked about how sound is a way of marking ownership over various public spaces, and how politics often behaves in ways that transgress or blur those established patterns of ownership in order to draw attention to one issue or another. Of course, that’s part of what we’re doing with this musical march – after all, the need for an external audience is inherent in the word “demonstration”. More than that, though, I think the use of music in this protest is where the issues of community consolidation and ownership of public space come together.

We are too comfortable in allowing the commercial sphere to dominate and assert its ownership over public space. The constant barrage of advertising coming at us from all angles in sound and vision functions as a deadening sort of propaganda that makes us too easily accept commerce and capital’s right to do whatever it wants with our cities and neighbourhoods. However, just as graffiti can function as a way of asserting citizens’ ownership over spaces that commerce thinks of as uniquely its territory, musical protests along the lines of the Koenji march (and similar recent events like the Shibuya/Omotesando protest rave a couple of weeks previously on October 2019) are a kind of sonic graffiti in which we can come out of our soundproofed underground boxes and say loudly that these streets are ours.

Fiona Lee - ele-king

現実のオルタナティヴな響き──香港民主化デモのフィールド・レコーディングを聴く

つまるところ、雨傘運動を通して私にもっとも聞こえていたのは罵声と怒鳴り声でした。これらを録音しようとは思えなかったですし、こうした感情的になった場面を録音するための機材はしばしば持っていかないこともありました。政府や警察が恐ろしくて、ひどく嫌なものであることはもはや周知の事実です。ですからある程度までいくと、それらの周知の事実を強調し続けることは、私に関する限り、本当の助けにはならないのです──そしておそらくこのことが、運動全体がもっとも直面しなければならない問題だったのかもしれません。
──フィオナ・リー(1)

 2019年6月9日、香港島北部を東西によぎるヴィクトリアパークから金鐘(アドミラルティ)へといたる路上に、前代未聞の音響が出現した。およそ100万人もの群衆が集い、凄まじいざわめきをともないながら、建造物が林立する空間を様々なサウンドが埋め尽くす。ときに打楽器のリズムに合わせて「加油(ガーヤウ)」と叫ぶ合唱が巻き起こり、終わっては迸る叫び声が歓声のように響きわたり、しかしすぐさま別の場所から別の合唱が巻き起こる。アジテーションのような演説、管楽器や打楽器を使用した演奏などもあり、どれか一つに中心が定められているわけではない。合唱はほとんど偶然のように群衆の声が重なり合うことで激しさを増していく一方、そうした合唱が方々から起きては消えていき、全体を統合することのない、あたかも水のように不定形な音の力が出来する。基層をなしているのは大量の人々が生み出すざわめき、すなわちノイズの様々なありようだ。そしてこの未曾有のサウンドを、幸いなことにわたしたちは実際に耳にすることができる。香港を拠点に活動するサウンド・アーティストのフィオナ・リー(李穎姍)がリリースしたフィールド・レコーディング作品によって。


8月上旬、大埔墟でのデモの様子(撮影:Aokid)

 あらためてことの経緯を確認しておきたい。2019年2月、前年に台湾で発生した殺人事件を口実に、香港政府は逃亡犯条例の改正案を発表した。広く知られているように1842年の南京条約以来、第二次世界大戦における日本による植民地支配を例外に、香港は長らく英国の領土となっていた。そのため中国本土とは大きく異なる制度のもとに統治されており、1997年に中国本土へと返還される際、香港は向こう50年間既存の制度を維持すること、すなわち「一国二制度」のもと高度な自治が認められることになった。これにより中国本土では取り締まりの対象となるような行為、たとえば共産党政権に対する批判や政治的な集会、天安門事件をはじめとした過去の出来事を知ること、あるいは卑近な例ではツイッターやグーグルをはじめとした国外のインターネット・サービスの使用などが認められている。だが香港で犯罪を犯した人物を中国本土へと引き渡す逃亡犯条例改正案は、中国本土の意向に沿わない人物を犯罪者に仕立て上げることで連行することを可能にするものであり、すなわちこうした香港における自由を奪うものだった。逃亡犯条例の改正は「一国二制度」を揺るがし、香港の中国本土化を推し進めるものなのである。それはこれまでのように自由な創作活動ができなくなることをも意味する。こうした危機に対して香港市民は反発した。それは自らの生きる権利、いやむしろ生存の条件を確保するための闘争であると言っていい。

 2019年9月4日、香港トップのキャリー・ラム行政長官は逃亡犯条例改正案の撤回を正式に表明したものの、デモ隊をおしなべて「暴徒」と呼び、大量の催涙弾やビーンバック弾の発射をはじめとした、無抵抗な人間にさえ不当な暴力を振るってきた香港警察の行為に対して、市民の怒りが収まることはなかった。10月には警察が高校生に向けて実弾を発砲。その3日後に香港政府は緊急条例を発動し、のちに高等法院で違憲と判断される覆面禁止法を発令。翌11月には警察に追われた大学生が立体駐車場で転落死するなど、警察および政府による弾圧は激化し、それに抵抗するように一部のデモ隊の抗議活動も過激化していった。11月24日に実施された香港の民意が直接的に反映される区議会選挙では、民主派が8割を超す圧倒的多数の議席を獲得。政府や警察に対する批判が民意として可視化されることとなった。そして半年以上が経過した現在もいまだに抗議運動が収束する見込みは立っていない。闘争は単に香港政府と市民の問題にとどまらず、社会主義国家である中国本土と欧米の自由資本主義の代理戦争とする向きもある(2)。だが本稿ではこれ以上香港の民主化運動それ自体については深入りしない。あくまでも音楽作品がどのようなものであり、どのような意義があるのかということに徹する。抗議運動に関してのみ言及するのであれば音楽作品を語る必要などないからだ。だがむろん、作品を語る上で不可避的に触れざるを得ないことに関しては言及する。

 1987年に香港で生まれたフィオナ・リーは、幼少の頃より長らくピアノを習っていたというものの、あまり練習にのめり込むことができず、むしろ楽譜を使用せずに自由に表現することに愉しみを見出していたという(3)。転機が訪れたのは香港城市大学でクリエイティヴ・メディアを学んでいたときのことだった。師事していたセドリック・マリデから影響を受け、電球が発するサウンドに着目するようになる(4)。そこから音響現象、あるいはサウンド・アートへと関心が広まり、こうした領域で活躍する鈴木昭男やロルフ・ユリウス、フェリックス・ヘス、クリスティーナ・クービッシュ、ヤニック・ドビー、角田俊也あるいは梅田哲也といったアーティストから影響を受けたことを公言している。テン年代に入るとインスタレーションとパフォーマンスを股にかけた活動を精力的におこない、電球が発する響きを構成したパフォーマンス作品「delight」(2010~)、会場内外の様々な電磁波を捉えてサウンドへと変換していくインスタレーション作品「catch the wings of meteors」(2014)、螺旋階段の上階から地上へと水滴を落下させ、その響きを釣竿にぶら下げたラジオから再生するとともにボウルを使用して水滴を遮り、重力と時間と空間の関係性を明らかにしていく「Joy of gravity "Dropping from 14/F to G/F"」(2016)などを発表(5)。電磁波や重力など見えないものを可聴化する試みは、彼女が影響源として挙げる英国の人文学的環境学者ティモシー・モートンの思想とも共鳴する実践だと言えるだろう。

 2016年にはこうしたパフォーマンスやインスタレーション、さらにフィールド・レコーディング作品を収めた代表作と言ってよいデビュー・アルバム『walking in a daze』をリリース。その一方でパフォーマーとして東京、神戸、京都の三都市で開催されたアジアン・ミーティング・フェスティヴァルにも参加。モジュラー・シンセサイザーのサイン波を利用して電磁場を発生させ、磁石の球がガラス・ボウルの中をぐるぐると回転する特異なパフォーマンスを披露した。その後も来日して作品制作やライヴをおこなっており、水道橋のCDショップ兼イベント・スペース Ftarri にも出演。そのときの録音はソロを収めた『Ftarri de Solos』および集団即興を収めた『Ftarri Jam』という二枚のアルバムとなってリリースされている。ガラス・ボウルのほか、マイクスタンドに括りつけたペットボトルから水を垂らし金属の器で受け止め、水滴がリズムを生み出すとともに器を打楽器的に使用し、次第に水が貯まることで変化していく響きを聴かせるなど、つねに生成変化するインスタレーションのようなライヴ・パフォーマンスは視覚と聴覚の双方を刺激する尽きない魅力に溢れている。

 そうした彼女が初めて音を介して政治的/社会的な出来事に参加したのは、香港の港湾で運行しているスターフェリーの埠頭が取り壊されたときのことだったという(6)。香港警察から信じがたい罵詈雑言を浴びせられた彼女らは、手元にあるリコーダーで、警察たちがその場を去るまでひたすらスターフェリーのチャイムのメロディを奏で続けた。このときの経験を彼女は「実際のところ、これによって警察が本当に攻撃されているわけではありませんでした」(7)と述懐しているものの、それは大衆を扇動するために音楽を利用したり、あるいは近年話題になった「音響攻撃」をはじめとして、音/音楽が容易に暴力装置と化すことに対して、あくまでも音は無力である必要があること、しかしこの無力さにとどまり続けることによって権力による抑圧に対する抵抗たり得ることを肌で感じ取ったのではないだろうか。

 2014年、香港では普通選挙を獲得するための雨傘運動が巻き起こった。このとき、香港で音に関わるアーティストの活動を支援している非営利組織「サウンドポケット」によるプロジェクトのひとつ「ザ・ライブラリー」が、雨傘運動を音響的に記録するためのプロジェクトを立ち上げた(8)。香港を拠点に活動するアーティストたち、Nerve としても知られるスティーヴ・ホイや dj sniff など10名が参加したこのプロジェクトは二枚組のアルバム『DAY AFTER翌日 [2014. 9.29 - 12.12]』へと結実する。フィオナ・リーもこのプロジェクトに参加し、二つの音源を発表している。10月13日の早朝、警察による催涙ガスの弾圧を捉えた録音では、鳥の囀りがささやかに響く爽やかな雰囲気からはじまり、しかし次第に通りを行き交う人々のざわめきが増していく。町内放送のようなアナウンスが聞こえたあと、途端に騒がしくなっていき、ある種の即興パフォーマンスのような展開を聴かせる作品である。他方で10月16日深夜の録音では、マンホールの蓋が地面に投げつけられ、それがトンネル内で深い残響をともなって響く、その反響の様々なありようを聴かせるどこかインスタレーションのような作品だ。どちらも雨傘運動の音の記録であるとともに、フィオナの耳が捉えた、彼女自身の音楽活動とも通じる内容となっている。

 それから5年後、フィオナ・リーのサウンドクラウドに一時間半にもおよぶフィールド・レコーディング作品がアップロードされた。100万人が参加した2019年6月9日のデモの模様をビルの最上階で収録した音源である。凄まじい叫びが一斉に巻き起こっては消え、遠くで別のリズムで別の叫びが発生し、あるいはアジテーションとコール&レスポンスが別々に聴こえてくるなど、デモの規模の大きさとその多様性を音響的に伝える内容だ。その後も三ヶ月間、彼女は民主化デモのフィールド・レコーディングを継続し、そしてそれらの音源を組み合わせた作品『Hong Kong 9 June to 12 Sep 2019』を9月中旬に発表した(9)。デモが本格化した6月9日からキャリー・ラム行政長官による改正案撤廃の表明後となる9月12日までの六箇所のフィールド・レコーディングを編集して収録した本作品には、ひとまずは逃亡犯条例改正案に対する抗議活動が撤廃を勝ち取るまでの軌跡が刻まれていると言えるだろう。

 100万人が参加し民主化運動の大きな出発点となった6月9日の抗議デモから本作品は幕を開ける。ドンドコドンドコドン、というドラミングに対して大量の人々が「加油!」と叫ぶ、圧倒的かつ象徴的なシーンだ。その後、いわゆるワーシップ音楽の一つであり、今回の香港におけるデモの抵抗歌ともなっている“Sing Hallelujah to the Lord”の合唱がギターを伴奏におこなわれたり、「光復香港! 時代革命!」というコール&レスポンス、あるいは「五大訴求! 缺一不可!」と叫ぶ群衆が自然と「Stand with Hong Kong! Fight for Freedom!」の叫びへと変化したり、香港のラッパー JB による“Fuck the Popo”の合唱がおこなわれたりなどする。最後はショッピングモールを舞台に、民主化運動の只中で生まれた非公式国家「香港に栄光あれ」の合唱が、管楽器の演奏を交えながら披露される。そのどれもが勢いに溢れ、こう言ってよければ音楽的に豊かなアンサンブルを編み上げている。民主化運動を通じて生まれた──あるいは意味を変えた──数々の抵抗歌とコール&レスポンスの旋律が、余すところなく収められた貴重な記録となっている。だがより興味深いのは、こうした記号化し得る抵抗歌やコール&レスポンスよりもむしろ、大量の人々によって自然発生的に合唱が生まれては消え、さらに群衆が生み出すノイズが空間的に広がりその不定形なかたちの様々なありようを聴かせてくれることである。合唱やコールが一体どのような音環境でおこなわれていたのかが手に取るようにわかるとともに、何層にも重なるノイズと予期し得ない偶然的な変化は、今回の香港民主化運動それ自体の特徴を音響的に示しているようにも思う。こうした音群はたとえば、香港返還後最大規模となる200万人が参加した6月16日のデモについて、「素人の乱」5号店店主の松本哉が書き記した次のようなレポートからも窺い知ることができる。

そして、ちょっと驚いたのが、香港のデモにはデモの宣伝カーがない。制限されて出せないらしいけど、これがまたすごい。それどころか拡声器を持ってる人もほとんどいない。各所で突如巻き起こるコールなどがあるが、それ以外はただただ無数の群衆が行進してる。もちろんいろんな政党や政治グループもあるので、その人たちは一角に簡単なステージを作って話したりしてるし、楽器を持ってくるグループは太鼓(ドラムというより太鼓)を叩きながら行進したりもしているけど、やはりそれはそこまで多くない。そして時々怒りがたまってきた時に「うお~~~」とみんなで叫び始める。数千人数万人が叫ぶ。そしてすぐに止む。これすごい迫力。(10)

 雨傘運動と異なりリーダーや先導する組織が不在であり、各参加者が主にインターネットを通じて自発的にデモに参加していることが、今回の民主化運動のひとつの特徴とされている。デモを主催するリーダーがアジテーションをおこない群衆がレスポンスするのではなく、つねに変化する複数の中心があり、ときには無関係に並走し、あるいは重なりあっていくその様は、香港の活動家・區龍宇が「民主共同体は多元的でなければならない」(11)と述べたような共同体の理想的なあり方を示しているようにも思う。そして不定形に変化する自発的な抗議運動は、香港のアクション・スターであるブルース・リーの名言「水になれ」にあやかって、まさに不定形に離合集散を繰り返す流水にもたとえられているものの、それは同時に極めて優れた集団即興の構造的な特徴であるようにも思う。いわばフィオナ・リーは前代未聞の集団即興演奏を収録したのである。


8月上旬、大埔墟に設置された雨傘のバリケード(撮影:Aokid)

 むろん抗議運動をフィールド・レコーディングすることそれ自体が珍しいわけではない。1969年に米国のベトナム戦争に対する反戦デモを収めたトニー・コンラッドによる作品『Bryant Park Moratorium Rally』、あるいはベルリンの壁崩壊前夜のクロイツベルクのデモの録音を挿入したアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの楽曲“Fiat Lux”などが有名どころだが、近年では世界中の音環境を記録しマッピングしようと試みる「シティーズ・アンド・メモリー」によって「抗議と政治」というプロジェクトも進行している(12)。トランプ政権およびブレグジットへの抗議運動を収録したものを中心に、欧米のみならずインドやカンボジア、台湾などアジア圏でのデモの録音も投稿されており、抗議内容は必ずしも体制批判だけではなく、なかには政権を支持する運動の録音もある。ただし現時点では香港の民主化運動は一切投稿されていない。同ウェブサイトには無加工の「シティ・ヴァージョン」と録音に加工/編集を施した「メモリー・ヴァージョン」があり、世界各地でおこなわれている抗議運動の様々なコール&レスポンスのパターンを知ることができる。それらに比すとき、抗議運動のサウンド・パターンだけでなく出来事それ自体を収めようとしたフィオナの作品の特異性も浮かび上がってくる。

 抗議運動の録音に関して、『Souciant』誌に掲載された「フィールド・レコーディングの政治」と題した記事のなかでは、「経済的な目的へと合理化するのが困難であること」こそがプロテスト音楽の本質だと書かれている(13)。たしかに売れることや心地よい体験をすることがこうした音楽の目的ではないだろう。ただし同記事で言われているように「ノイズが美的価値を欠いている」とは限らない。抗議運動のフィールド・レコーディングは、その事実性とノイズの美的価値の相互作用をこそ聴き取らなければならないはずだ。そのためには抗議運動のフィールド・レコーディングを素朴に現実そのものの響きだと信じることを留保する必要がある。「シティーズ・アンド・メモリー」にメモリー・ヴァージョンがあるのは、他方でシティ・ヴァージョンがまさに「現実の響き」だと見做されているからに他ならない。しかしあらためて言うまでもなく、無加工のフィールド・レコーディングが現実をそのまま記録しているわけではないのである。録音という行為がすでに現実の響きの加工であるうえに、どのように録音するのかという点に制作者の作家性が示されてもいるからだ。本作品のように複数のサウンドスケープを選択し、ある継起的時間に収めるという時点でそこにはフィオナの耳が刻まれている。

 フィオナとも交流のある北京の音楽家ヤン・ジュンはかつて「事実性を記録することなど出来ません。記録することと創造することに区別はないのです。(……)楽器を選ぶこと、配置を決めること、録音ボタンを押すこと、その全てが作曲行為なのです」(14)と述べたことがあった。録音という行為は現実を切り取るという以上に、音を組織化するための積極的な手段でもあるのだ。そうであればこそ、自然の響きをそのまま写し取ったかのような極めてリアルな音響であったとしても、それが却って不自然に感じられてしまうということもある。ただしそれはフィールド・レコーディングという行為がすべて現実から等間隔の距離を保っているというわけではない。フィールド・レコーディング活動をおこなう18名のアーティストのインタヴューを収めた、キャシー・レーンとアンガス・カーライルの『イン・ザ・フィールド──フィールド・レコーディングの芸術』の書評で聴覚文化論の金子智太郎は、実際には見かけほど単純ではないと断りを入れつつ、同書における「録音のドキュメンタリー性を重視するかという問い」と「録音に自己がどう現れるかという問い」に言及している(15)。この二つの問いは表裏一体となっており、すなわち録音作品と客観的な現実との距離に関する問いと言うことができる。そしてフィールド・レコーディングには、制作者の意識の有無にかかわらず、つねにこの事実性に対する距離のグラデーションが存在する。

 事実性を括弧に括り、記録された響きを参照項を持たない音として聴取することを、かつてミュジーク・コンクレートの創始者であるピエール・シェフェールは還元的聴取と呼んだ。だがむろん響きから一切の現実を排した「音そのもの」を聴取することは不可能である以上、還元的聴取は現実との別の接点を音響から聴き出すための手段だと言うこともできる。たとえば雨傘運動を捉えたフィオナの作品は、まさにこのような還元的聴取をおこなうことによって、実際には展示でも公演でもないにもかかわらず、あたかもインスタレーション作品のように、あるいはオブジェを使用したサウンド・パフォーマンスのようにも聴くことができる。それは録音を音響へと還元しつつも、展示や公演といったフィオナの活動とも関わる現実との別の接点を聴き取ったということでもある。そのように考えるならば、『Hong Kong 9 June to 12 Sep 2019』は香港民主化運動の現実をそのまま切り出した響きというよりも、むしろフィールド・レコーディングによって切り出された、抗議運動を考えるための現実との別の接点をもたらしてくれる作品だと言うべきではないだろうか。

 今回の民主化運動では、香港警察が不当な暴力を行使する映像がSNSや動画サイトを介して拡散したことが、警察に対する不信感と反感を加速度的に増幅させていった。そして警察および政府のみならずその背後にある中国本土へと怒りの矛先は向かい、中国企業や親中派の店舗を襲撃するなど一部のデモ隊は過激化の一途を辿っている。だがしかし、そのような暴力を通して周知の事実を強調し続けることだけが取るべき手段なのだろうか。暴力の連鎖はどこかで止めなければならない。むろんいま現在闘争の只中にある香港市民にとっては、こうした問いかけは無意味に映るかもしれない。だが抗議運動における音の力は、抵抗歌を生み出し活動を鼓舞することだけにとどまるわけではない。映像に接して瞬間的に感情を増幅させるのとはまったく反対に、無数の声を一定の距離を確保しながら聴き取ることもまた「音の力」であるはずだ。音を現実から引き剥がし、そのうえであらためて音と現実との接点を探ること。あるいは音と耳の関係性を基盤にしつつ、しかしその相関性の外部にある現実について思考すること。フィールド・レコーディングという徹底的に聴くことを出発点とする表現手法は、こうしたある種の無力さに根差した抵抗としての「音の力」を可能にする。そしてフィオナ自身が本作品に関して「これらの録音が、抗議運動を別の視点から理解したい将来のクリエーターのための参考となることを願っています」(16)と述べているように、残された音の記録はまさに事実性からの距離を見出されることによって、香港民主化運動の響きの政治的かつ美学的な複数の側面を、抵抗手段としての聴取をともないながら明らかにしていくことだろう。

JPEGMAFIA - ele-king

 「お前は俺を知らない(You think you know me)」。プロデューサーというのはタグ好きだ。主役は誰かをリスナーに分からせるための、自らの楽曲群にグラフィティのように走り書きするタグが。WWEレスラー、エッジのテーマ曲をサンプリングしたJPEGMAFIAのプロダクション・タグは、彼のやることの多くと同様にいくつもの意味を兼ねてみせる。音響的な目印であり、ポップ・カルチャーの引用であり、挑発でもある、という具合に。お前は俺を知ってるつもりかい?(You think you know me?)

 バーリントン・デヴォーン・ヘンドリックスには、前作『Veteran』(2018)の思いがけないヒットでその混乱した、自由連想に満ちた音楽がより広い層の聴き手に達する以前に自らを理解する時間がたっぷりあった。その前の段階のとある名義で、彼はミドル・ネームと姓から派生したデヴォン・ヘンドリックス(Devon Hendryx)を名乗っていた。彼がJPEGMAFIAに転生したのは米空軍を名誉除隊した後に日本で生活していた間のことだった。彼はよくペギー(Peggy)の名も使いたがるが、その愛称は彼にどこかのおばあちゃんめいた印象を与える。

 しかしまた、JPEGMAFIAは自らを色んな風に呼ぶのが好きだったりする。『All My Heroes Are Cornballs』(2019)の“BBW”で、彼は「若き、黒人のブライアン・ウィルソン」を自称する──自らのプロダクション・スキルの自慢というわけだが、ウィルソンは録音音楽の歴史上おそらくもっとも白人的なサウンドを出すミュージシャンのひとりであるゆえに余計に笑いを誘う。“Post Verified Lifestyle”での彼は「ビートルズとドゥームを少々に98ディグリーズが混ざった、ビーニー・シーゲル」だ。ひとつのラインの中でジェイ–Zの元子分、王道ロック・バンド、顔を見せないアンダーグラウンドなラッパー、90年代のティーン・ポップ・グループの四つの名が引き合いに出される。この曲の後の方に出て来る「俺は若き、黒いアリG」は、さりげなくも見事なギャグになっていると共に考えれば考えるほどおかしな気分になるフレーズだ(註1)。

 JPEGMAFIAはつかみどころがなく、シュールなユーモアと政治的な罵倒、エモーショナルな弱さとの間を推移していく。『All My Heroes Are Cornballs』のリリース前、彼はアルバムが出るのはいつなのかという質問をはぐらかし続け、きっとがっかりさせられる作品になると言い張るに留まっていた。彼のYouTubeチャンネルにはジェイムズ・ブレイク、ケニー・ビーツをはじめとするセレブな友人たちが登場し、アルバムをヌルく推薦するヴィデオがアップされた。DJ Dahiの1本がそのいい例で、彼は冒頭に「たぶん俺はこのクソを二度と聴かないと思うよ、個人的に」のコメントを寄せている(※JPEGMAFIAがアルバム発表前にYouTubeに公開した、「友人たちに新作のトラックをいくつか試聴してもらい率直な感想を聞く」という主旨のジョーク混じりのヴィデオ・シリーズ「Disappointed」のこと)。

 これらの証言の数々は、ヘンドリックスがソーシャル・メディアのしきたりを享受すると共にバカするやり口の典型例だ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”に「ニガー、やりたきゃやれよ、俺は認証済みだぜ」の宣戦布告が出て来るが、ここでの彼は自らのツイッター・ステイタスを見せびらかしつつオンライン上のヘイターたちをからかっている。“Beta Male Strategies”で彼はこう預言する──「俺が死んだら、墓碑はツイッター、ツイッター」

 Veteran』が盛り上がり始めた頃、ヘンドリックスは左頬の上に、目にポイントを向けたコンピュータのカーソルのタトゥーを小さく入れた。英音楽誌『CRACK』に対して彼は「何かの形でインターネットにトリビュートを捧げたかったんだ」と語っている。

 多くのラッパーがインターネットからキャリアをスタートさせてきたとはいえ、これほどオンライン文化の産物という感覚を抱かせるラッパーはあまりいない。ツィッター・フィードをスクロールしていくように、JPEGMAFIAの歌詞はおふざけから怒りっぽいもの、真情から軽薄なものまで次々に切り替わる。歌詞にはバスケットボール選手からファストフード・チェーン、ヴィデオ・ゲーム、90年代のテレビ番組、政治コメンテーター、インターネットのミームまで内輪受けのジョークとカルチャーの引用がみっしり詰まっていて、それらをすっかり解読するのには何時間も要する。

 その不条理なユーモアと割れた万華鏡を思わせるプロダクションに対し、手加減なしのずけずけとした政治的な毒舌がバランスを取っている。「政治的なネタ」についてラップしてもいいんだとアイス–Tから教わったとする彼は、人々の神経を逆撫でする機会を避けることはまずない。“All My Heroes Are Cornballs”で彼は「インセルどもは俺がクロスオーヴァーしたんで怒ってやがる」とラップする──「じゃあ連中はどうやってアン・ハザウェイからアン・クルターに鞍替えしたんだ?」(註2)。“PRONE!”は「一発でスティーヴ・バノンはスティーヴ(ン)・ホーキンスに早変わり」とオルタナ右翼勢にとことん悪趣味な嫌がらせを仕掛ける。(註3)。こうしたすべてを彼がどれだけ楽しんでいるかが万一伝わらなかった場合のために、“Papi I Missed U”で彼は「レッドネックどもの涙、ワヘーイ、なんて美味いドリンクだ」とほくそえむ。

 その挑発には、敵対する側からさんざん人種差別の虐待を浴びせられてもレヴェルを高く維持しようというオバマ時代の考え方あれこれに対する反動、というロジックが備わっている。ヘンドリックスは2018年に『The Wire』誌との取材で「一体全体どうして俺たちは、俺たちを蔑む連中にこれだけおとなしく丁寧に接してるんだ?」と疑問を発した。「『向こうが下劣になろうとするのなら、我々は高潔になろう』。むしろ俺は右派に対し、奴らが出しているのと同じ攻撃性をお返ししてやりたいね。効果てきめんだよ!」

 彼はまた従軍時代に体験したマッチョなカルチャーを引っくり返すのを大いに楽しんでもいて、タフ・ガイ的な記号の数々と典型的にフェミニンなお約束とを混ぜ合わせる。かつてのプリンスがそうだったようにJPEGMAFIAもジェンダーが流動的で、曲の中で女性の声にすんなりスウィッチするのだ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”のコーラスで彼は「どうやったらあたしの股を閉じたままにしておけるか教えて」と歌うが、この曲のタイトルは性的に放縦な女性に対するヒップホップの中傷語(Thot)を女性の側に奪還している。彼は“BasicBitchTearGas”で再び女性の視点を取り入れるが、この曲は予定調和な筋書きを反転させた女性のためのアンセム=TLCの“No Scrubs”の、意外ではあるものの皮肉は一切なしのカヴァーだ。

 ペギーは「お前のおばあちゃんにもらったお下がりに身を包んで」(“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”)けばけばしいファッションでキメることもあるが、それでも激しく噛み付いてくる。オンラインの他愛ない舌戦とリアルな暴力の威嚇との間にはピンと張り詰めた対比が存在する。“Beta Male Strategies”で彼はツィッター上で彼を批判する面々に「くそったれなドレス姿のニガーに撃たれるんじゃないぜ」と警告する。“Thot Tactics”では「ブラザー、キーボードから離れろ、MACを引っ張り出せよ」とあざける。アップル製コンピュータのことかもしれないが、おそらくここで言っているのはMACサブマシンガンのことだろう。

 ギャングスタ・ラップの原型からはほど遠いラッパーとはいえ、JPEGMAFIAは小火器に目がない。“DOTS FREESTYLE REMIX”の「お前が『Toonami』を観てた頃から俺は銃をおもちゃに遊んでたぜ」のラップは、昔ながらの「お前が洟垂らしだった頃から俺はこれをやってきた」に匹敵する愚弄だ(註4)。西側の白人オタクたちは自分のお気に入りのアニメ界のフェティッシュの対象を「ワイフ(wiafu)」と呼ぶが、“Grimy Waifu”でペギーが官能的なR&Bヴォーカルを向ける相手は実は彼の銃だったりする。

 突然注目を浴びたラッパーの多くがそうであるのと同じように、『All My Heroes Are Cornballs』も音楽業界およびその中における自身の急上昇ぶりに対する辛辣な観察ぶりを示してみせる。“Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind”で彼は「俺はコーチェラから出演依頼を受けたけど、敵さんたちはそうはいかないよな」と自慢する。このトラックの他の箇所では、彼に取り入り利用しようとするレコード業界の重役たちにゲンナリしている様が聞こえる──「この白いA&Rの連中、俺を気軽に注文できる単品料理だと思ってるらしい/俺をお前らのケヴィン・ジェイムズにしたいのかよ、ビッチ、だったら俺にケヴィン・ハート並みに金を払うこった」(註5)。自分のショウを観に来る怒れる白人男連中は彼のお気に召さないのかもしれないが(「ニガーに人気が出ると、黒人ぶるのが好きな白人どもが毎回顔を出すのはどうしてなんだ?」──“All My Heroes Are Cornballs”)、その見返りを彼は喜んで受け取る。「年寄りのホワイト・ニガーは大嫌いだ、俺には偏見があるからな/ただしお前らニガーの金を教会の牧師が寄付金を集めるように俺の懐に入れてやるよ」(“Papi I Missed U”)

 と同時にペギーは彼自身、あるいは他の誰かを台座に就かせようという試みに抵抗してもいる。アルバム・タイトルがいみじくも表している──「俺のヒーローはダサい変人ばかり」と。アルバムの中でもっともエモーション面でガードを下ろした“Free the Frail”で、彼は「俺のイメージの力強さに頼っちゃだめだ」と忠告する。「良い作品なら、めでたいこった/細かく分析すればいいさ、もう俺の手を離れちまったんだし」。それは受け入れられたいとの訴えであり、完璧な人間などいないという事実の容認だ。あなたは彼を知っているつもりかもしれない。彼はそんなあなたを失望させるだけだ。

〈筆者註〉
註1:「アリG」は、ケンブリッジ大卒のユダヤ系イギリス人であるサシャ・バロン・コーエンの演じた「自分は黒人ギャングスタだ」と思い込んでいる白人キャラクター。コーエンはこのキャラを通じて「恵まれた若い白人層が彼らの思うところの『黒人の振る舞い』を猿真似する姿」を風刺しようとしたのだ、と主調している。しかし一部には、そのユーモアそのものが実はステレオタイプな黒人像を元にしたものだとしてアリGキャラを批判する声も上がっている。
(※アリGはマドンナの“Music”のPVでリムジン運転手役としても登場)

註2:インセルども=女嫌いのオンライン・コミュニティ「involuntary celibate(不本意ながらヤれずにいる禁欲者)」の面々は、JPEGMAFIAが少し前に成功しアンダーグラウンドからメインストリームに越境したことに怒りを発した。アン・クルターはヘイトをまき散らすアメリカ右派コメンテーターで、『プラダを着た悪魔』他で知られるお嬢さん系女優アン・ハザウェイ好きから、インセルたちはどうやってアン・クルターのファンに転じたのか? の意。

註3:ドナルド・トランプの元チーフ戦略家スティーヴ・バノンを車椅子生活に送り込むには一発の銃弾さえあれば足りる、の意。

註4:『Toonami』は1997年から2008年までカートゥーン・ネットワークで放映されたアクション/アニメ番組専門のテレビ枠。

註5:レーベル側のA&R担当者たちは彼らの求めた通りの何かを自分からいただけると思っているが、だったらもっと金を払ってくれないと、の意。ケヴィン・ジェイムズもケヴィン・ハートも俳優だが、人気黒人コメディアンであるハートはジェイムズよりもはるかに多額のギャラを要求できる立場にいる。


“You think you know me.” Producers love a tag: a graffiti-like signature to scrawl across their tracks, letting listeners know who’s in control. Sampled from the theme song for WWE wrestler Edge, JPEGMAFIA’s production tag—like a lot of what he does—manages to be many things at once: a sonic marker, a pop culture reference, a provocation. You think you know me?
Barrington DeVaughn Hendricks had plenty of time to get to know himself before the unexpected success of 2018’s Veteran brought his messy, free-associating music to a wider audience. In a previous incarnation, he was Devon Hendryx, a moniker derived from his middle and last names. It was while living in Japan, after an honourable discharge from the US Air Force, that he became JPEGMAFIA. He often prefers to use the diminutive Peggy, which makes him sound more like someone's grandmother.
Then again, JPEGMAFIA likes to call himself a lot of things. On “BBW,” from 2019’s All My Heroes Are Cornballs, he’s “the young, black Brian Wilson”—a boast about his production skills, made all the funnier by the fact Wilson must be one of the whitest-sounding musicians in the history of recorded music. On “Post Verified Lifestyle,” he’s “Beanie Sigel, mixed with Beatles with a dash of DOOM at 98 degrees”—in the space of a single line, name-checking a former Jay-Z protégé, a canonical rock band, a reclusive underground rapper and a 1990s teen-pop group. Later in the same track, he’s “the young, black Ali G,” which is a great throwaway gag that gets stranger the more you think about it.
JPEGMAFIA is elusive, shifting between surreal humour, political invective and moments of emotional vulnerability. In the run-up to the release of All My Heroes Are Cornballs, he constantly dodged questions about when the album was due, merely insisting that it would be a disappointment. His YouTube channel released videos of celebrity pals, including James Blake and Kenny Beats, offering lukewarm endorsements. DJ Dahi’s was characteristic: “I'll probably never listen to this shit again, personally.”
These testimonials are typical of the way Hendricks both embraces and mocks the conventions of social media. “Nigga, come kill me, I’m verified,” he declares on “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” taunting the online haters while flaunting his Twitter status. On “Beta Male Strategies,” he prophesies: “When I die, my tombstone’s Twitter, Twitter.”
When Veteran started blowing up, Hendricks got a small image of a computer cursor tattooed on his left cheekbone, pointing towards his eye. As he told Crack Magazine: “I wanted to pay tribute to the internet in some way.”
Many rappers have launched their careers on the internet, but few feel quite so much like a product of online culture. Like scrolling through a Twitter feed, JPEGMAFIA’s lyrics whiplash constantly between playful and bilious, heartfelt and irreverent. They’re dense with in-jokes and cultural references—to basketball players, fast-food chains, video games, ’90s TV shows, political pundits, internet memes—that would take hours to fully decode.
The absurdist humour and fractured-kaleidoscope production is counterbalanced by some unapologetically direct political invective. He credits Ice Cube with teaching him it was OK to rap “about political shit,” and seldom shies away from an opportunity to rile people. “Incels gettin’ crossed ’cause I crossed over,” he raps on “All My Heroes Are Cornballs.” “How they go from Anne Hathaway to Ann Coulter?” On "PRONE!," he trolls the alt-right as tastelessly as possible: “One shot turn Steve Bannon into Steve Hawking.” And just in case it wasn’t clear how much he’s enjoying all of this, “Papi I Missed U” gloats: “Redneck tears, woo, what a beverage.”
There’s logic to the provocation, a reaction to all that Obama-era stuff about taking the high ground while your opponents douse you in racist abuse. “Why the fuck are we so civil with people who despise us?" Hendricks asked The Wire in 2018. “‘They go low, we go high.’ I’d rather give the right the same aggression back. It works!”
He also delights in subverting the macho culture he experienced serving in the military, mixing tough-guy signifiers with stereotypically feminine tropes. JPEGMAFIA is gender-fluid in the way that Prince was, slipping naturally into a female voice during songs. “Show me how to keep my pussy closed,” he sings in the chorus of of “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” the title of which reclaims a hip-hop slur (“thot”) used against slutty women. He adopts a female perspective again on “BasicBitchTearGas,” an unexpected—and wholly unironic—cover of TLC’s script-flipping anthem, “No Scrubs.”
Peggy may sport flamboyant fashions—he’s “Dressed in your grandmama’s hand-me-downs” (“Jesus Forgive Me, I’m a Thot”)—but he still bites. There’s a bracing contrast between the online shit-talking and the threat of real violence. On “Beta Male Strategies,” he cautions his critics on Twitter: “Don't get capped by a nigga in a muhfuckin’ gown”. On “Thot Tactics,” he taunts: “Bruh, put the keyboard down, get the MAC out”—which could be talking about Apple computers, but is probably referring to the MAC submachine gun.
He’s a far cry from the gangsta-rap archetype, but JPEGMAFIA can’t get enough of his firearms. “I’ve been playing with pistols since you watching Toonami,” he raps on “DOTS FREESTYLE REMIX,” the equivalent of the old “I’ve been doing this since you were in diapers” jibe. While Western otaku use “waifu” to refer to their favourite anime fetish object, on “Grimy Waifu,” Peggy’s seductive R&B vocal is actually addressed to his gun.
Like many rappers who’ve been thrust suddenly into the spotlight, All My Heroes Are Cornballs offers caustic observations on the music industry and his rapid ascent within it. “I got booked for Coachella, enemies can’t say the same,” he brags on “Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind.” Elsewhere on the same track, he’s unimpressed by record industry execs hoping to take advantage of him: “I feel these cracker A&Rs think I’m al a carte / They want me Kevin James, bitch, pay me like Kevin Hart.” He may not like the angry white dudes in the audience at his shows (“Why these wiggas always showin’ up when niggas be poppin’?” on “All My Heroes Are Cornballs”), but he’s happy to reap the rewards: “I hate old white niggas, I’m prejudiced / But I’ma take you niggas money like a reverend” (“Papi I Missed U”).
At the same time, Peggy resists attempts to put him, or anyone else, on a pedestal. It’s right there in the title: all my heroes are cornballs. “Don't rely on the strength of my image,” he cautions on “Free the Frail,” the album’s most emotionally unguarded track. “If it’s good, then it’s good / Break it down, this shit is outta my hands.” It’s a plea for acceptance, an acknowledgment that nobody’s perfect. You think you know him. He can only disappoint you.

Courtney Barnett - ele-king

 これは嬉しいお知らせだー。春の来日公演やフジでのパフォーマンスも話題を呼んだオーストラリアの宝、コートニー・バーネットが初めてのライヴ盤をリリースする。しかも、『MTV アンプラグド』である。本人コメントも到着しているが、どうやら「アンプラグド」には深い思い入れがあるようで……彼女の珠玉の楽曲たちがアコースティックではどのような表情を見せるのか。レナード・コーエンのカヴァー曲や新曲もあります。これは楽しみだー。

tiny pop - ele-king

 ネット世代によるDIY歌謡──それが「tiny pop」である。詳しくはこちらの山田光の記事や、先日上野公園でおこなわれたフェスのレポートを参照されたいが、いまじわじわとその名を広めつつあるこの「小さなポップ」の、初となるコンピレイションがリリースされる。5曲入りのデジタル版は本日12月20日に、11曲入りのCD盤は1月8日に発売。小さな、けれども大いに魅力あふれる音楽たちの、ささやかなる息吹に耳を傾けよう。

ネット世代のDIY歌謡曲! 20年代の幕開けに相応しい新たなる音楽シーン(?!) “tiny pop” 初のコンピレーション!

「tiny popとは、インターネット世代によるDIY歌謡曲システム(作詞・作曲・編曲)である」(hikaru yamada)。

巷で「“tiny pop”とはなんぞや?」と騒がれつつある20年代の幕開けに相応しい音楽的キーワード“tiny pop”。ジャンルやカテゴリ、それともシーンやムーブメントとも言うべきか、まだ固まり切らない“空気”や“匂い”のようなものを自らその片隅に身を置き東京インディシーンにて異彩を放つ hikaru yamada が“tiny pop”なアーティスト達を紹介するコンピレーションを監修! アレンジや音色の再現のみにとどまっていたシティポップリバイバルから、その次の一歩を踏み出したリアルタイムなサウンドはまさに“ネット世代のDIY歌謡曲”!

【収録アーティスト】

-mukuchi-
マリによる一人ユニット。西日本の漁村にて無気力生活中。インターネット上に公開されている宅録家の音源に影響を受け、2015年頃から曲作りをはじめる。以来、主にネット上で活動を続けている。mukuchi のほか、hikaru yamada (hikaru yamada and the librarians)と共に feather shuttles forever としても活動している。

-SNJO-
広島出身、京都在住のプロデューサー。 クラブミュージックから影響を受けたサウンドと普遍的なノスタルジーを併せ持ったメロディを軸に楽曲を制作しており、多 数の楽曲提供や客演も積極的に行う。2018年10月にネットレー ベル〈Local Visions〉よりアルバム『未開の惑星』2019年11月に2ndアルバム『Diamond』をリリース。

-wai wai music resort-
大阪出身・在住のエブリデと Lisa で関西を中心に活動する兄妹ポップユニット。ジャズやワールドミュージック、ゲームミュージックに影響を受けたインターネット時代のリゾート音楽を展開する。2019年4月にはインターネットレーベル〈Local Visions〉より1st EP「WWMR 1」をリリース。同月に開催され大きな話題となった〈Local Visions〉と lightmellow部との共同イベント Yu-Koh α版にも出演。

-ゆめであいましょう-
2009年から活動し、1973年ごろから1985年ごろまでの間に作られた想像上のロックや歌謡曲を作り続けている音楽ユニット。2019年4月に“んミィバンド”とのスプリット7インチ・シングル「ひかりのうた/おだやかにひそやかに」をリリースした。

-feather shuttles forever-
hikaru yamada and the librarians としても活動し、サックス/マルチ奏者であり前野健太の『サクラ』に参加するなどさまざまな場で活躍している“hikaru yamada”と、漁村在住のシンガー・ソングライター/宅録音楽家でありソロ・ユニット“mukuchi”として多数の作品を発表しているマリこと西海マリによるユニット。2017年にファースト・アルバム『feather shuttles forever』をリリース、2018年5月に発表したシングル「提案」には Tenma Tenma、kyooo、入江陽、SNJO という4人が客演、2019年1月には〈Local Visions〉から2ndアルバム『図上のシーサイドタウン』を発表している。

【監修:hikaru yamada】
1988年生まれ。アルトサックス・トラックメイクなど。循環呼吸や各種プリペアドを駆使したサックス演奏の他、サンプリングによるトラックメイクを行う。自身のユニット hikaru yamada and the librarians と feather shuttles forever の他、入江陽・毛玉・前野健太・SNJO・VOLOJZA・South Penguin・んミィバンドなどのアルバム、映画『ディアー・ディアー』(2015)『馬の骨』(2018)サウンドトラック(いずれも岡田拓郎が音楽を担当)に参加。2019年からは雑誌『ele-king』『ミュージックマガジン』に記事を寄稿。普段はゲームの制作会社で音響効果と作曲の仕事をしている。

【リリース情報】

CD版/デジタル版 2形態でリリース!

【DIGITAL】

タイトル: tiny pop – the tiny side of life / タイニー・ポップ - ザ・タイニー・サイド・オブ・ライフ
アーティスト:V.A. / V.A.
レーベル:P-VINE
発売日:2019年12月20日(金)

《収録曲》
01. feather shuttles forever 「ウェルウィッチア」
02. ゆめであいましょう 「見えるわ」
03. wai wai music resort 「Blue Fish」
04. SNJO 「Ghost」
05. mukuchi 「午前十時の映画祭」

【CD】

タイトル:tiny pop - here’s that tiny days / タイニー・ポップ – ヒアズ・ザット・タイニー・デイズ
アーティスト:V.A. / V.A.
レーベル:P-VINE
品番:PCD-4644
定価:¥1,000+税
発売日:2020年1月8日(水)
*CD版には封入ブックレットに監修 hikaru yamada によるシーンの詳細な解説と参加アーティスト各々による曲解説コメントを掲載!

《収録曲》
01. mukuchi 「午前十時の映画祭」
02. mukuchi 「食卓」
03. mukuchi 「オアシスの一部分」
04. SNJO 「Ghost」
05. SNJOとゆnovation 「Days」
06. wai wai music resort 「Blue Fish」
07. エブリデ 「牛の記憶」
08. ゆめであいましょう 「見えるわ」
09. ゆめであいましょう 「シャンマオムーン」
10. ゆめであいましょう 「誰もが誰かに」
11. feather shuttles forever 「ウェルウィッチア」

https://smarturl.it/tinypop_heres

Jagatara - ele-king

 日本のロック/ポップ史においてもっとも重要なバンドのひとつ、じゃがたらの代表作ほぼすべてがようやくサブスクで聴けるようになった。1982年の大傑作『南蛮渡来』をはじめ、1987年の人気作3枚『裸の王様』『ロビンソンの庭』『ニセ予言者ども』、1989年の問題作『それから』に『ごくつぶし』、江戸アケミ最後の作品となった1990年の『そらそれ』。また、フランク・ザッパの影響が滲み出た異色作1983年の『家族百景』、OTOの音楽的野心がクラブ世代との溝を埋める1990年の『おあそび』、それからデビュー・シングル「LAST TANGO IN JUKU/HEY SAY!」を収録したベスト盤『BEST OF JAGATARA~西暦2000年分の反省~』。

https://www.110107.com/s/oto/news/detail/TP01649?ima=2803

 じゃがたらは、80年代のシティポップからは見えない日本を描写し、RCサクセションでさえも歌わなかった痛みを歌い、バブル経済時代の居心地の悪さをスケールの大きな痛快かつ雑食的なファンクをもって表現した稀なバンド。耳から体内に注入し、生きる力を蓄え、さてと今日もまたガッツで乗り切ろう。
 なお、今回リイシューされるアナログ盤2枚(『南蛮渡来』および『裸の王様』)、Sony Music Shop限定で買うと先着でメッセージの籠もった特典ステッカーも付いている。

 すでにご存じの方も多いだろう。石原洋のソロ・アルバムが来年の2月12日に坂本慎太郎の〈zelone〉レーベルからリリースされる。タイトルは『formula』、アナログ盤ではA面1曲/B面1曲という構成だ。(CDでは普通に全2曲)
 石原洋といえばゆらゆら帝国のプロデューサーであり、一時期はOgre You Assholeのプロデュースも手掛けていたことで広く知られるが、元々はWhite Heavenという東京のアンダーグラウンドにおいて玄人受けしていたサイケデリック・ロック・バンドで活動していた前歴を持つ。バンド解散後もソロないしはThe Starsとしての活動をしていた石原だが、作品を発表するのはじつに23年ぶり。
 その新作には、予想だにしなかった音響が展開されているに違いない。ジョン・ケージ的なメタ・ミュージックであり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド的なロックの解体かもしれない、おそらくは。アートワークも凝っている。まだ2ヶ月も先の話だが楽しみでならない。

formula / you ishihara

M-1 / Side A: formula
M-2 / Side B: formula reverse

All songs written, concrete conducted and produced by You Ishihara
Recorded, mixed & mastered by Soichiro Nakamura at Peace Music, Tokyo 2019

石原洋 / you ishihara: vocal, guitar, synthesizer, keyboard, effects

栗原ミチオ / michio kurihara: guitar
北田智裕 / tomohiro kitada: bass
山本達久 / tatsuhisa yamamoto: drums
中村宗一郎 / soichiro nakamura: keyborad


https://reststayrelationship.com

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