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tiny pop fes

tiny pop fes

@上野公園 水上音楽堂(野外ステージ)

2019.10.5 土曜日

出演:長谷川白紙、その他の短編ズ、wai wai music resort、SNJO、んミィバンド、mukuchi、入江陽、にゃにゃんがプー、横沢俊一郎&レーザービームス、ゆめであいましょう DJ:小川直人/柴崎祐二/F氏ほか(lightmellowbu)

文:柴崎祐二  
photo: 堀切基和   Oct 25,2019 UP


photo: 堀切基和

 正直に言うと、開催の数日前まで「ホントにやるのかな?」と思っていた。主催のDANGBOORURECORD中条氏曰く、「なんとなく上野公演水上音楽堂の会場使用の応募をしたらなんとなく当選しまったので、やることにした」との由。野外フェスってそんな商店街の福引みたいなノリで出来るんだ!という驚きが先にあったが、ブッキングやステージ制作や各種会場運営含め、じっさいこうして具体化してしまうのだからもっと驚く。多分、というか絶対、音楽ビジネスのプロパーでは実現しない(というかそもそも企画しない)であろう、それくらい横紙破りなイベントなのだった。

 私は、lightmellowbu*注1の一員としてサブステージでDJを担当することになっていたから(なので、当日ライヴを観れなかったアクトも数多い。そのため、この記事では各演奏の詳細に触れることが出来ないことを予めお伝えしておきたい。おそらく近日中にそういった記事もどこかにアップされるだろう……)、サウンドチェック等を兼ねて一般の開場時間より少し早目に現場入りしたのだが、広いステージ上でトップ出演のバンド〈ゆめであいましょう〉のリハーサルが本当に行われていることにまず驚いた。いや、開催当日なのだからリハーサルが行われているのは当然なのだけど、「本当にやるんだな」という感慨が湧き上がってきた。
 会場入口には主催・中条氏やDANGBOORURECORD周辺の関係者が忙しく立ち回っており、まさにこれが正真正銘のDIYスタイルで催される集いであることがヒシヒシと染み渡るのだった。(どうしてもインサイダー的な視点になってしまうのだが)意外にも(?)音響機材や運営面でのオペレーションがしっかりしていそうなのにまた驚いた、というか、良かった……。楽屋もちゃんとあるし、ゴミ袋も用意されているし、導線もわかりやすく整理されているし、と場内を見て回るうちに、なぜか胸に熱いものが(一体誰目線なのか自分でもよくわからない)。
 老婆心全開で感心しているそんな私に、「おはようございますー」と声を掛けてきたのが、hikaru yamada氏。この日の出演者(んミィバンド)にして、本ele-kingでも以前記事にしたためられている通り*注2、〈tiny pop〉というワード(?)を編み出したその人である。 どうやらyamada氏も私と同じような感慨を抱いているらしく、「ついにやるんですねー」などと話しながら、傍らにはステージ進行表のようなものを持っている。訊けば、全日を通しての舞台監督的な役割を与えられているらしく、なるほど、出演者も総出でスタッフを兼ねる形態なのだ。よくよく見回してみれば、スタッフのほとんどが知り合いとインターネット上でつながっている人々(これをインターネット人と呼ぼう)によって占められており、これはもう、極端に規模の大きいオフ会か……?

 そもそもtiny popというものが、山田氏の記事にもある通り、現在のポスト・インターネット的な状況を反映したシーン(のようなもの)なので、自然とこうした雰囲気になるのは当然だとはいえる。けれどこのシーン(のようなもの)は、予てよりあるいわゆる〈ネット・レーベル〉的文化圏とも微妙に違う何かが漂ってもいるのだ。もちろん、インディー・カルチャー圏において2010年代を通して覇権を握ってきた東京を中心としたインディー・ポップの現場感覚とも確実に違う、もっとタイニーで私的な営みであると言える。毎度定義に難渋するこのtiny popとは、一応まとめるならば、インターネット/リアルに関わらず各所に散在していたそれら私的な営みが、たまたま時間や空間上の条件が重なることで、今コロイド状に可視化されたもの、というような理解になるのかもしれない。
 だからこそ、このtiny popに、一般的な音楽ジャンル用語としての効用を期待しすぎてはいけない。じっさい、この日の出演者にしてもその音楽性はバラバラで、山田氏の定義においてtiny popとされるもの(mukuchi、んミィバンド etc.)から、既にtiny pop云々を置いて各々のファンダムを形成しているアーティストまで、さまざまな人たちがステージに上ったのだった。けれども、そこにはうっすらとした共通項として、既存ジャンル意識や前提的なシーンの存在を、自覚的にせよ無自覚的にせよ超えていこうとする新しい律動(例えば、いわゆるこれまでのインディー・ロックを絶対的な価値観とする心性から開放されていること等)が貫いていることも確かなように思われるのだった。
 そういうことを頭に置いてみると、この日会場に漂っていた(それは来場者も共に発散していたのだが)味/熱が実に得難い一回性を湛えたものであったということがわかる。それは有り体にいうなら、「何かが起ころうとしているときの期待感」だったり、「未知のコミュニティーが立ち表れてくるときの連帯感」だったりするのかもしれないが、各アクトによる、(良い意味で)好き勝手に自分たちのペース/マナーでされるステージング、ゆるやかな集散を繰り返しながらプラプラと会場内を周遊する(あまり「ウェーイ!」といった感じではない)来場者の人々の姿をみるにつけ、大きくて強い言葉でその印象を形容するのが憚れるのだ。これはやはり、〈tiny〉としかいいようのない感覚……(ちなみに、ここ水上音楽堂は音量制限にシビアなことでも知られており、この日もイベントを通して耳に心地よいタイニーなデシベル値となった)。


photo: 加藤貴文


photo: 加藤貴文

 いきなり大きな話になるが、これまで、「~~ポップ」と名が付いている音楽は基本的に、資本主義/自由主義的体制の中においてその内在的宿命として経済的な覇権を志向するものだった。それは、そのジャンル名を冠された音楽家たちが彼/彼女の恣意性によって付けたり脱いだりできるような類のものではなくて、もっと根源的な、システム上不可避とさえいうべきのものだろう。これは、もちろん(ハードなマルキシストにとってはそうでないだろうが)一般消費者にとっては悪いことではなくて、そのいうシステム上の宿命的ダイナミズムがあったからこそ、今まで永くポップ・ミュージック全般が豊かな実を成らせながらここまで発展してきたのだといえる。
 しかしながら、ポップスそのものが内在するそういったインフレーションへの傾向はまた、少なくないデリケートな表現者たちにとって我慢のならないストレスでもあったのも自明である。あんなにもポップな音楽を作り上げたブライアン・ウィルソンが、その楽曲のポピュラー性に反するように、実に内向的/自省的な人物であることはよく知られている。あるいは、〈ベッド・ルーム・ポップ〉というような撞着語法的表現にみられるように、その矛盾性をむしろひとつのチャームとして逆説的に提示するジャンル用語すら生まれてきたのだった。何がいいたいのかというと、要するにポップスとは、モダン以降いつの時点にあっても、自由主義経済的な自己インフレーションと、私的美意識(作家性)の確保というものの間における苛烈な相克の運動であるということだ。*注3
 翻ってtiny popについて見てみるならば、どうやらそれは、今現在のポップスにおけるそういった相克の最前線に、(あまり派手派手しいわけではないが)極めて批評的な観点を投げかけながら位置しているものであると言えそうだ。いわゆるポスト・インターネットの時代を叫ばれて久しい今、そういったメディア状況がコミュニケーションを強化(時に分断)することによって立ち会わられた新しい時代のポップスとして、tiny pop以上に当世風のものはないのではないか。予てから界隈のインターネット人たちが醸している、社会性と非社会性の淵をゆらめくようなシニック(というと何やら悪口のようだが、そのアンチ・アイデンティティ論的な姿勢は優れて批評的だと思う)や、ハイ・コンテクストなユーモア感覚こそは、ポップというものにおける自由主義的な指向性と、作家的内省性の、最新にして実に興味深い発露としても捉えうると思っている。
 
 かつてyamada氏が私に語ってくれた言葉で面白いものがある。要約するなら、「tiny popは〈商業的〉になった瞬間にその魅力と意義が霧消してしまうだろう」というようなものだった。なるほど、tiny popとは、現在インターネット空間(特にSNS)において極稀にしか現れない健全で建設的なコミュニケーションに似て、実にフラジャイルなバランスによってしか出現し得ない儚い現象なのかもしれない……。
 だからこそこの日、上野公演水上音楽堂に現れたものは、その希少性という意味でも尊いものであったし、意図をもって再現することが難しい類の極めて一回的な経験だったのかもしれない。メインステージで奏でられた各アクトの音楽の繊細な鳴り方/在り方もそうだし、冒頭に紹介したような極めてDIYでコミュニタリアン的な運営スタイルの希少性についてもそうだ(だから、会場の規模感的にも〈無理をしない無理〉という感じで、実に絶妙だったと思う)。また、90年代のオブスキュアなシティ・ポップCDでDJをするという私自身のイベントの関わり方も、よく考えれば(よく考えなくても)相当に珍奇なものだし、そういう「誰かが意図したわけでないのに、ポッと生まれでてしまった不思議な瞬間」が幾度もあった気がする。そして、そうした瞬間はおしなべてなにやら美しくもあったのだった。
 抜けるように青いこの日の空模様について、誰もが「晴れてよかったですね」と挨拶を交わしながらも、どこかで皆その過度の開放感に戸惑っているようなところがあった。そういう連中がこうやってぞろぞろと集まれたことに、このtiny pop fesの意義は尽きているような気もする。

 さあ、これからtiny popはどうなっていくのやら。tiny popを〈商売〉から庇護するのも純粋主義的で心惹かれもするが、一方で〈よりポップになった〉tiny popも見てみたいよな、という蠱惑にも駆られる。何かが生まれるときに立ち会うというのは、言いようのない感慨を催させもする。しかし、それがシーンとして独り立ちするのを、支え、そして見るのも、これまた爽やかな感動を味わえそうではあるが……果たしてどうだろう。


photo: 堀切基和

*注1
lightmellowbuについてはこちらの拙記事を参照。
http://www.ele-king.net/columns/regulars/post_muzak/006751/

*注2
http://www.ele-king.net/columns/006704/

*注3
このあたりの議論については、ジェイソン・トインビー著、安田昌弘訳 『ポピュラー音楽をつくる ミュージシャン・創造性・制度』(2004年 みすず書房)などを参照。
https://www.msz.co.jp/book/detail/07102.html

文:柴崎祐二