「Low」と一致するもの

大胆不敵な音楽の熟達者たち――AMM論 - ele-king

黙殺された歴史

 「極北実験音楽の巣窟」を掲げ、一般的なメディアでは取り上げられることの少ないコアな音楽を数多く取り扱っているレコード・ショップ「オメガポイント」の新譜紹介コメントに、英国の即興集団 AMM がいま現在置かれている状況が端的に示されているように思う。まずはその文言を引用しよう。

説明の必要もない英国実験音楽の象徴だが、10年くらい前にピアノのティルバリーが抜けて、残りの二人だけでAMMを名乗っていた。それがいつの間にか三人に復活!(*1

 紹介文として適切だから引用したのではない。むしろここに書かれていることには致命的な誤謬が含まれている。およそ10年前に AMM を脱退したのはジョン・ティルバリーではなくギタリストのキース・ロウだ。さらに言えばティルバリーはそもそも AMM に途中から加入したメンバーであるし、結成から50周年という記念すべき節目に三人が集った極めてモニュメンタルな出来事を「いつの間にか三人に復活」とするのも正確ではない。だが何もこうした不正確さを論うために引用したのでもない。なぜこのような紹介文を引用したのかと言えば、これは AMM がすでに50年以上もの活動歴を誇りながらもいまだに無理解に晒されているということの一つの例証であり、そしてそうであるにもかかわらず、いや「英国実験音楽の象徴」と見做され得る巨大な存在であるがゆえに、「説明の必要もない」とされて正確な記述に至らないということ、こうしたことが現在の AMM がどのように受容されているのかを端的に示していると思ったからだ。たとえ多くの誤解と表層的な理解に晒されているのだとしても、すでに確立された評価があると思われていて、当たり前の存在であるがゆえに、あらためて振り返る必要はないとされてしまう。その結果半ば必然的にこうした紹介文が登場する。だがそうであればこそむしろ AMM を「説明」することは不要どころか急務であるはずだ。

 とはいえもちろん AMM 50年の歴史をすべて詳らかにすることは容易ではない。そこでまずはその成立過程をあらためて確認するところからはじめたい(*2)。主に1940年前後に生まれたメンバーによって構成されているAMMは、もともとハード・バップのグループで活動していたサックス奏者のルー・ゲアとドラマーのエディ・プレヴォー、それにゲアとともにマイク・ウェストブルックのジャズ・バンドに参加していたギタリストのキース・ロウが、1965年にロンドンの国立美術大学である「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」で週末にセッションをおこなっていたことからはじまった。この時点では彼らにグループ名は無かったものの、ほどなくしてウェストブルックのもとでベーシストとして活動していたローレンス・シーフと現代音楽の世界ですでに知られた存在だった作曲家/ピアニストのコーネリアス・カーデューが加入し、翌66年には AMM と名乗って活動をおこなうようになる。AMM というグループ名はラテン語の「Audacis Music Magistri (Audacious Music Masters)」すなわち「大胆不敵な音楽の熟達者たち」の略称だとされているものの、たとえば同時期に発足した自由即興集団のムジカ・エレットロニカ・ヴィヴァ(MEV)やスポンティニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)が、略称よりもむしろ活動の方向性を体現する本来の名称で知られているのとは異なって、彼らはもっぱら AMM という三文字で知られている。グループ名については2001年のインタビューでキース・ロウが「AMMの成立過程は非常に複雑だった」のであり「何を略したのかは秘密」だと語っているように(*3)、たとえ本来の名称があったとしてもその意味に還元することはできないのだろう。かつて音楽批評家の間章はAMMを「冒険的音楽運動」(*4)の略称だとしたものの、これは「Adventurous Music Movement」をあてがって翻訳したのではないだろうか 。

 ちなみに1966年には米国に留学していたエヴァン・パーカーが英国ロンドンへと移住し、そのころニュー・ジャズ揺籃の地として賑わいをみせていた「リトル・シアター・クラブ」に通い詰めていた。同スペースにはのちにパーカーと共闘関係を結ぶことになるデレク・ベイリーや SME を先導するジョン・スティーヴンスらも頻繁に出演しており、もしも AMM のメンバーがここで盛んに交流をしていたら英国即興音楽史はまったく異なる様相を呈していたかもしれない。だが彼らはパーカーとは接近するもののベイリーやスティーヴンスとはほとんど関わることがなかった。接点だけでいえば AMM はピンク・フロイドやクリームと同じギグに参加しているほかポール・マッカートニーとも関わるなど広範に及ぶものの、英国の自由即興という文脈で同列に語られることの多い SME やその周辺の人脈と深い交流がなかったことは意外にも思える。後年ベイリーは AMM について「よく知らないな」(*5)と述べており、ロウも「私がデレクに対してそうであるように、彼はAMMについて無知なのかもしれない」(*6)と語っている。だが彼らが関わらなかったことは不幸というよりも、むしろ言語に喩えられた音楽の語法から離れようとするベイリーらの即興アプローチと、言語化以前の音響それ自体をやりとりする AMM の即興アプローチの、それぞれに特徴をなす明確な差異を形成することに役立ったに違いない。

 またカールハインツ・シュトックハウゼンのもとで研鑽を積み、その後ジョン・ケージやデイヴィッド・チュードアなどアメリカ実験音楽の成果を独自に継承し発展させることで、当時すでに現代音楽方面で名を馳せていたカーデューの名声にあやかったのか、AMM は不本意にもメディアによって初期のいくつかのパフォーマンスが「コーネリアス・カーデュー・クインテット」として宣伝されていた。67年にリリースされたファースト・アルバム『AMMmusic』も「ザ・コーネリアス・カーデュー・アンサンブル」(『Musical Times』)や「ザ・コーネリアス・カーデュー・クインテット」(『Jazz Journal』)などのクレジットで記事にされていたという(*7)。そのためかのちに「AMMはコーネリアス・カーデューが率いるグループである」という誤った認識が蔓延していくことになった。だがこれはまったくの誤解である。先のインタビューで「多くの人々はカーデューがAMMの創設メンバーだと勘違いしています」と言われたロウは、即座に「それは違う、むしろ私がカーデューをAMMに招き入れたんだ」と応えている(*8)。

 AMM の活動について多くのページを費やしたデイヴィッド・グラブスの名著『レコードは風景をだいなしにする』でさえ、「AMMは、作曲家コーネリアス・カーデューを中心に、彼と長年演奏や仕事を一緒にしてきた若手のミュージシャンやアーティスト志望の学生から成るグループであった」(*9)といったふうにこの誤った認識が共有されている(ただし後のページでは「プレヴォー、ロウ、ルー・ゲアが1965年の創設メンバーであったが、すぐにローレンス・シーフ、そして次にカーデューが加わった」(*10)と正しい記述もなされているものの)。だがグラブスだけならまだしも、それがそのままなんの引っかかりもなく翻訳され流通しているのは、はっきり言ってわたしたちの AMM に対する理解の低さを示している。それは単に AMM に対して無知であるということにとどまらず、より広い視野で眺めてみるならば、こと日本語の実験音楽と即興音楽をめぐる言説において、わたしたちがあまりにも長い間、ジョン・ケージとデレク・ベイリーというたった二人の思想を中心に置いてきたのではないかという懸念を彷彿させる。この二人を取り巻く言説の多さ、そしてそれに比したときの AMM に関する言説の圧倒的な少なさ。

 無論これから述べるように AMM に語るべき魅力や思想がなかったというわけではない。それは端的にケージとベイリーという二人に著作があり、そしてそれが手に届くようになっていたということによるのではないだろうか。AMM をめぐる言説自体が無かったわけでもないからだ。アルバムにはしばしば長文のライナーノーツが付されていたし、プレヴォーには AMM の活動を詳らかに綴った『No Sound is Innocent』をはじめ複数の著作もある。こうした文章がほとんど読まれていないことは音楽の歴史を少なからず貧しくしてきたことだろう。さらに言えばそれは AMM に限らず、たとえばアンソニー・ブラクストンの『Tri-Axium Writings』が届いていたら黒人音楽の捉え方も偶然性や不確定性の意味合いも変わっていただろうし、たとえばアルヴィン・ルシエのインタビューとスコアに加えてルシエ自身のテキストも収録された『Reflections』が届いていたら「音響派」の受容のされ方も変わっていたかもしれない。言うまでもなく歴史は単線的に進むものではない。あるいはそのように単純化されたものが歴史であるのだとするならば、わたしたちが即興音楽の系譜を歴史の外側であらためて考え直すためにも、AMM に対する理解を少しでも深めることは有意義であるはずだ。歴史に残らなかった音楽があるのではなく、特定の音楽を残さない歴史があるだけだということは、なんにせよ心に留めておかなければならない。

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AMM の足跡を音盤で辿り返す

 ここで AMM の活動の変遷を音盤を参照しつつ辿り返してみよう。なおアルバムに付随する年号は彼らのアーカイヴの表記の仕方に従ってリリース年ではなく録音年を中心に記している。

『The Crypt』(1968)

【コーネリアス・カーデュー在籍時代――60年代】
最初期の録音として先に触れた「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」での1966年のライヴ演奏が収録されたコンピレーション『Not necessarily "English music"』がある。ただし同作品はデイヴィッド・トゥープが2001年に編纂したもの――英国実験音楽/電子音楽の歴史の再検証として注目に値する仕事だった――であり、リアルタイムでは日の目を見ていない。実質的なファースト・アルバムとしては AMM 史上もっともよく知られているだろう『AMMMusic』(1966)がある。フリー・ジャズのエネルギッシュな箇所を音響的に取り出したかのような極めてノイジーな作品だ。だがこの録音ののちローレンス・シーフは AMM を去り、音楽活動をもやめてしまうことになる。そして入れ替わるようにして1968年にはカーデューの教え子でもある打楽器奏者のクリストファー・ホッブスが加入。そしてこのメンバーで同年にロンドンのスペース「ザ・クリプト」でおこなわれたライヴが1970年に MEV とのスプリット盤『Live Electronic Music Improvised』としてリリースされることになる。このときのライヴの長尺版はおよそ10年後に『The Crypt』として、1979年にプレヴォーが立ち上げた〈Matchless Recordings〉から発表された。ファースト・アルバムに引き続きノイジーであるもののより持続音が主体となった演奏は、グラブスが言うような「音色という側面におけるAMMの即興的な反応のあり方」(*11)を確立させた記念碑的作品だった。フリー・ジャズ由来の集団即興におけるようにそれぞれの演奏家の発語的な対話に焦点が当てられるのとは異なり、むしろ「音色の変容は各パフォーマーに、探究的な聴取を要求する」(*12)という極めて特異なアンサンブルの在り方。またこの作品には AMM の活動をアーカイヴした冊子の復刻版が付されており、その中の「AMM活動報告書1970年10月」には「1965年6月(AMMがロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで11ヶ月にわたり毎週行なったセッションの開始時期)から1970年9月25日までの間にグループが行なったコンサート、ワークショップ、録音セッション、メンバー個々が行なったレクチャーのすべてが記載されてい」(*13)た。そこに記されている公演のなかには、1969年におこなわれた AMM のメンバーを含む総勢50名以上もの集団によってプレヴォーの「Silver Pyramid」という図形楽譜を演奏するという試みもあった。ドキュメンタリー的なその模様は2001年にリリースされた『Music Now Ensemble 1969』というアルバムから聴き取ることができる。

『It Had Been an Ordinary Enough Day in Pueblo, Colorado』(1979)

【第一次分裂時代――70年代】
プレヴォーは1971年に「今や、物たちのみが、変化する時に変化するのであり、その方がよっぽどよい」(*14)と言ったそうだ。AMMの音楽が円熟の境地に達しつつあることを示した言葉だが、他方では70年代に入るとグループ内部に亀裂が走りはじめることにもなる。毛沢東主義に傾倒したカーデューとそれに従ったロウが、音楽においても自らの政治を反映しなければならないとする一方、プレヴォーがそうした二人の意向を批判することによって、グループ内部の関係が悪化していったのである(*15)。1972年にはカーデューとロウがグループを脱退し、AMM にはプレヴォーとゲアの二人が残されることになった。カーデューの弟子クリストファー・ホッブスもこのころにはグループを離れている。こうした事情もあって70年代の AMM の活動は停滞するが、その間の記録としてゲアとプレヴォーのデュオによる『At the Roundhouse』(1972)と『To Hear and Back Again』(1974)が残されている。この二枚のアルバムについて誤解を恐れずに述べるとするならば、まったくもって AMM の良さが感じられない内容になっている。つまりフリー・ジャズのデュオとしては極めてスリリングで白熱した記録なのだが、サウンド・テクスチュアを探求してきた AMM の音楽性とはまるで別物なのだ。その後1976年に関係解消の兆しが見え、カーデュー、ロウ、プレヴォー、ゲアの四人で非公開セッションをおこなうこともあったものの、翌77年にはこうしたいざこざに愛想を尽かしたゲアがこんどは脱退する。カーデューもまた自らの活動に専念し――1974年にはエッセイ本『シュトックハウゼンは帝国主義に奉仕する』を出版して自らの60年代の活動さえ批判していた――、結果的にプレヴォーとロウが残されることになった。その頃の模様は「AMMⅢ」とクレジットされた『It Had Been an Ordinary Enough Day in Pueblo, Colorado』(1979)で聴くことができる。〈ECM Records〉からリリースされたこのアルバムは異色作と言ってよく、フィードバックを駆使したリリカルなギター・フレーズを奏でたりボサノバ風のバッキングを奏でたりするロウを聴くことができる貴重な作品だ――ただしこの意味でやはり AMM 的とは言い難い内容ではあるものの。

『Generative Themes』(1983)

【ジョン・ティルバリーの参加――80年代】
コーネリアス・カーデューが轢き逃げに遭いわずか45歳にしてこの世を去ったのは1981年12月のことだった。この痛ましい事件が発生した直後に、ジョン・ティルバリーが AMM に参加することになった。ティルバリーはモートン・フェルドマンの作品を演奏する逸材として知られ、これまでにも60年代にときおりカーデューの代わりに AMM とともに演奏をおこなっていたピアニストである。当時は思いもよらなかったのかもしれないが、彼の加入によって20年以上も継続する AMM のラインナップが揃うことになる。トリオとなった最初の成果は『Generative Themes』(1983)として発表された。教育思想家パウロ・フレイレの「生成テーマ」をタイトルに冠したこの作品は、それまでの持続音主体の騒音的合奏からは大きな変化を遂げ、トリオというもっともミニマムな合奏形態によりながら節々に切断の契機を挟んでいく。こうした傾向は続く『Combine + Laminates』(1984)でも聴くことができるが、同作品のリイシュー盤にはカーデューの「Treatise」の演奏も収録されており、ティルバリーを迎えたトリオとなってからもカーデューの仕事を継承しようとしていたということがわかる。1986年から94年にかけてはさらに新たなメンバーとしてチェリストのロハン・デ・サラムが参加しており、その唯一の記録として『The Inexhaustible Document』(1987)が残されている。デ・サラムの演奏が聴こえるたびに室内楽的あるいはクラスター的に響くアンサンブルは、13年ぶりにゲアが参加した『The Nameless Uncarved Block』(1990)とは対照的な内容だ。後者の録音ではジャズ的なゲアのサックス・フレーズが奏でられると一気に全体がジャズ・セッションの趣を呈していくのである。非正統性を貫く AMM はカメレオンのようにサウンドの意味を変化させることができるのだ。また80年代後半には例外的な試みとしてトム・フィリップスのオペラ作品を複数のゲストを交えてリアライズした『IRMA – an opera by Tom Phillips』(1988)もリリースされている。作曲家のマイケル・ナイマンは74年の著作『実験音楽』のなかで「初期の頃には、AMMは、もっと意識的に、新しい音、普通でない音の実験を行なっていたようだ」(*16)と述べ、その一方で「年を追うに従って、楽器による新しい手法は、少なくなってゆき、音響は、川の自然な流れのように、それ自身のカーヴを描くように放っておかれるようになった――優しく、単調で、速い流れもあれば、驚きもあるような」(*17)と書いているものの、こうした特徴は70年代初頭よりむしろ80年代以降のトリオ編成での彼らに当て嵌まるだろう。もっと言えばその後も90年代からゼロ年代にかけてこうした傾向は深化していった。あるいはナイマンはそうした AMM の行く先を予言的に感じ取っていたのかもしれない。

『Before Driving to the Chapel We Took Coffee with Rick and Jennifer Reed』(1996)

【「音響的即興」との共振――90年代】
90年代以降のAMMはますます「物たちのみが、変化する時に変化する」と言うべき自在境に到達し、音響の襞をあるがままに揺蕩わせていく。この時期のトリオの豊穣な記録として、カナダでのライヴを収めた『Newfoundland』(1993)、ペンシルベニア州アレンタウンでの『Live in Allentown USA』(1994)、来日時の記録『From a Strange Place』(1995)、さらにテキサス州ヒューストンでの『Before Driving to the Chapel We Took Coffee with Rick and Jennifer Reed』(1996)と、彼らは世界中を巡りながら矢継ぎ早に年一回のペースで録音を残していった。さらに1996年にリリースされた『1969/1982/1994: LAMINAL』では、60年代のクインテット時代、80年代のティルバリー参加初期、そして90年代という三つの時代を比較しながら聴くことができる内容になっている。持続から切断へ、騒音から静寂へと変化してきた彼らが、90年代には物音の接触する微細な響きをアンサンブルの基層に置いていることがわかる。それは録音環境が向上し微細な響きを記録できるようになったというテクノロジカルな条件もあったには違いないが、少なくともそのような条件を含めて変化した彼ら自身の新たな音楽性を打ち出すためにこの音盤をリリースしたのだと言うことはできるだろう。薄層が重なり合う微弱音への接近は『Tunes without Measure or End』(2000)で物音の動きそのものが中心にくるほどにまでクローズアップされ、『Fine』(2001)ではダンサーとの共演において踊る身体の痕跡と分け隔てなく立ち上がる響きを聴かせるまでになる。この頃のAMMの演奏がどのようなものだったのかについては、一つの証言として「現在の彼らは、音楽的なクライマックスに向かうほど音数は減っていく。(註:ライヴ演奏の)半ばを過ぎたあたりから、幾度も終曲と間違えそうな沈黙が訪れ、やがて退屈すら通り過ぎて、会場の衣擦れの音まで鮮やかに聞こえ始めた。初期とは隔世の感がある」(*18)という2000年のライヴ・レポートを読むことができる。また他の作品としてはエイフェックス・ツインらが参加したアンビエント・ミュージックのコンピレーションに「Vandoevre」(1994)と題したトラックを、メルツバウとのスプリット盤には「For Ute」(1998)と題したトラックを寄せている。カーデュー没後20年の節目には「Treatise」をリアライズした『AMM & Formanex』(2002)を出し、同楽曲を取り上げたアルバムを制作していたグループの Formanex と共演。またおよそ30年振りの MEV との共作アルバムとして『Apogee』(2004)がリリースされている。幾分物語的な演奏を聴かせる MEV と比べたとき、物語の彼岸で物音の変化に焦点を当てるAMMの特徴は一層際立って聴こえてくる。

『Norwich』(2005)

【第二次分裂時代――ゼロ年代以降】
MEV と共演する前年にロウはティルバリーとのデュオ・アルバム『Duos For Doris』(2003)を録音している。これに限らずロウは90年代終盤からゼロ年代初頭にかけて、AMM での活動とは別にソロをはじめ集団セッションまで短期間に数多くのアルバムをリリースしていた。そのなかの一枚であり2000年にリリースされたソロ作品『Harsh』が、その2年後に刊行されたプレヴォーの著書『Minute Particulars』のなかで批判的に言及されてしまう。これを一つの契機としてプレヴォーとの関係は再び悪化し、ロウは二度目の AMM 脱退を経験することになる。『エクスペリメンタル・ミュージック』の著者フィリップ・ロベールによれば、プレヴォーが「ソロ・アルバム『Harsh』の極限的な騒音経験は人々の苦痛への感情移入を生み出すだけだったとしてロウを非難した」(*19)そうだ。そのため AMM はプレヴォーとティルバリーのデュオとして活動することを余儀なくされる。実はロウが脱退する直前にすでにこのデュオによるアルバム『Discrete Moments』(2004)はリリースされていたのだが、AMM 名義で最初に発表されたデュオ作品は全曲無題の『Norwich』(2005)だった。それまでの AMM の弱音を基層に置く志向をさらに推し進めた内容になっているものの、ときに耽美的に奏でられるティルバリーのピアノ演奏が前面に出てしまうデュオ編成は、それぞれのサウンドが屹立しながらも淡く混じり合っていたトリオ時代とは異なるものであり、あえて言えばやはり AMM 的とは言い難い。即興というよりも楽曲のように構成的に響くこうした傾向はその後リリースされた複数のアルバム『Uncovered Correspondence: A Postcard from Jaslo』(2011)『Two London Concerts』(2012)『Place sub. v』(2012)『Spanish Fighters』(2012)においてより洗練されていくことになる。またジョン・ブッチャーを招いた『Trinity』(2009)、そしてブッチャーの他にクリスチャン・ウォルフとウテ・カンギエッサーが参加した『Sounding Music』(2010)もリリースされており、とりわけ後者のアルバムはデュオよりも AMM らしい音響の襞の重なりを揺蕩わせている。ちなみに同年にはティルバリーとロウによる『E.E. Tension and circumstance』(2010)も録音されていて、この二人の関係は続いていたことを明かしている。また2014年には英国即興音楽シーンの現代の揺籃の地「カフェ・オト」において、エヴァン・パーカーの古希を祝したイベントがおこなわれ、その際に AMM とパーカーが共演した演奏が『Title Goes Here』として翌2015年に音盤化された。同じく15年にはベイルートのアコースティック即興グループ A trio とコラボレーションした『AAMM』も録音されている。

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AMM を特徴づける要素

 これまで「コーネリアス・カーデュー在籍時代」「第一次分裂時代」「ジョン・ティルバリーの参加」「『音響的即興』との共振」「第二次分裂時代」と、おおよそ年代ごとに五つに区切ることで AMM の足跡を辿り直してきた。それぞれの時代には異なる特徴があるものの、ほぼすべてに一貫している「決まりごと」もある。それは他でもない、AMM のパフォーマンスは決して計画されることがなく、リハーサルもしなければライヴの後にその日の演奏について議論することもなかったということだ。つまりその時その場にしか起こり得ない完全即興を貫いてきたわけだが、同時代の多くの自由即興演奏と比したとき、AMM のアプローチは非常に独創的でもあり、それはしばしば次のような言葉によって語られてきた。

 AMMがきわめてユニークなのは、彼らが目指しているのが、音を、そしてそれに付随する反応を探求することであり、音を考え出し、用意し、つくり出すことではないからだ。つまり、音を媒介として探求を行なうことであり、実験の中心にいるのはミュージシャン自身なのだ。(*20

 明晰かつ当を得た指摘である。だが実はこの文章はコーネリアス・カーデューによる1971年の論考「即興演奏の倫理に向かって」(*21)の一節が元になっており、自らがメンバーとして活動していたカーデューだからこそ言い得た表現だったのだろう。いずれにしても AMM は音をあらかじめ用意するのではなく、むしろその時その場に発生した音を通して探求をおこない、ミュージシャンはそうした出来事の只中にその身を置いていた。それはまずは楽器を非器楽的に使用することからはじめられた。非規則的であったとしてもリズムを形成するフリー・ジャズ的なドラムスとは明らかに異なるプレヴォーの演奏や、ギターを卓上に寝かせた「テーブルトップ・ギター」によってボウイング奏法やさまざまな音具を駆使してギターを音響生成装置として扱うロウの演奏。こうしたことは SME やデレク・ベイリーがあくまでも器楽的演奏によって即興的自由を模索していたこととは好対照をなすだろう(*22)。音楽批評家の福島恵一が慧眼にも指摘したように、「AMMは、フリー・ジャズ演奏における主要な構成原理である対話(コール&レスポンス)に頼ることなく、サウンドの次元での複合的/重層的な重ね合わせのみを構成原理としている」(*23)のである。それは必然的に「非正統的な音響の探求に没頭」(*24)することになり、「圧縮されたミクロなポリフォニーを聴き取ろうと耳を澄まし、対話もなく、リズムの構造もなく、演奏の全てをサウンドの次元へと送り返し、空間へと捧げた」(*25)音楽になる。つまり音は何かを伝達するための道具ではなく、むしろ音それ自体が AMM の音楽を構成しているのであり、演奏家は発することより聴くことを、そして時間を構成することよりも音の行き交う空間を意識することが要求される。こうした「聴くこと」と「空間性」から生まれるサウンドの層状の自由即興が旧来の音楽の三要素とは別の原理に従っていることについては、ロベールも「ミュージシャン間の全面的な相互作用と『拡張的実践』にもとづいた複数の層の重なりによって、複雑な音の絡まりはアクシデントさえも組み込み、その音楽は電子音響に近い抽象性を帯びながら、メロディや、ハーモニーや、リズムの概念は忘れ去られてしまう」(*26)と書きあらわしている。

 またこのようにジャンルはもちろんのこと音においても正統性を索めることのない活動は、とりわけコーネリアス・カーデューにとって「いかにして対等な関係性を取り結ぶか」というテーマ、すなわち音楽における社会的/政治的な課題へと流れ着いていった。AMM 加入時期に並行して「Treatise」を完成させたカーデューが、脱退後は非音楽家による演奏集団スクラッチ・オーケストラを創設し、音楽の民主的な参加の可能性を探ることを中心的なテーマに据えるようになったことにも、AMM での経験が大きな影響をもたらしていたことは疑いないだろう。音楽批評家/大正琴奏者の竹田賢一が述べるように AMM はカーデューに対して「音楽と社会の関係に眼を開かせることにな」(*27)ったのである。いわば「社会的作業としての音楽の制作」(*28)であり、単なる楽しみや美しさに還元し難いアンサンブルのプロセスには「一人一人の、そしてメンバー全体を規定する文化の歴史的段階が透視され、各々の精神界も含めた生活が反応される」(*29)ことになる。カーデュー自身も「私が以前には見付けられずに、AMMの中に発見したものの一番よい見本は、ちょうど、私がそこへ行き、演奏することができる、それも、まさしく欲しているものが演奏できる、ということ」(*30)だと述べていたが、それは AMM が参加メンバーに等しく自由をもたらすような音楽の開かれたありようを体現していたことを物語っている。

 他方ではカーデューの参加はジャズを出自に持つ他のメンバーにとっても大いなる刺激をもたらした。振り返ってみるならば、カーデューだけでなく、クリスチャン・ウォルフ、クリストファー・ホッブス、ロハン・デ・サラム、そしてジョン・ティルバリー等々、AMM には現代音楽を出自に持つミュージシャンが作曲家ではなく演奏家としてつねに参加していた。それはグループが複数の視点を保つための方策だったとも言えるが、キース・ロウ自身が「AMMにおいて重要なことの一つは現代音楽の演奏家を引き入れたことだった」(*31)と述べているこうした重要性は、具体的な音としても、現代音楽の演奏家が不在だった「第一次分裂時代」の時期に収録された音源が、AMM らしからぬ音楽を奏でていたことからも逆照射できるだろう。

 こうしたなか、現代音楽との差異として注目に値するのが AMM に特徴的な要素の一つであるラジオの音声の使用である。正体不明の音響の層が重なり合う AMM の音楽のなかでふと訪れる、ニュースのナレーションやポップスからクラシック音楽までの具体的で意味が認識できる響き。それは不確定性をもたらす要素というよりもグループの外部にある音の具象性をもたらす手段だった。「実験音楽における初期のラジオの使用が、音楽のコンテンツの並置(……)によって新奇だったのに対して、AMMの音楽におけるラジオは、どうしようもなくわけのわからないグループが演奏する音のレパートリーに対して、認識可能な音響を提示するという意味がある」(*32)とグラブスが述べるように、AMM の音楽においてはラジオの使用それ自体に意味があるというよりも、むしろラジオのサウンドそのものが明確な役割を果たしていた。それは非正統的な音響の重なり合いにおいて、その非正統性を照らし出すことに貢献する。グラブスはラジオが参照する世界を「日常」と捉えているが、そこでポップスやクラシック音楽が流されるとき、それらは「ノイズ」を排除してきた「楽音」であり「音」を体系化してきた「音楽」であり、そうした正統性が AMM の世界ではむしろ「ノイズ」でありアンサンブルの彼岸にある「音」であるといったふうに逆転しているところに、その役割の過激さがあると言うことができるだろう。

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「音響的即興」再考

 メロディーやハーモニーやリズムに根拠を置くことのない、薄層状のサウンドを重ね合わせることによって現出する音の交歓。そこから導き出されてくる音の空間性に対する意識と「聴くこと」の称揚。以上で見てきたような AMM の特徴は、2000年前後に盛んになった即興音楽の一つの潮流と多くの点で共通するように思われる。潮流とはすなわち彼ら自身が同時代を過ごしてきたいわゆる「音響的即興」である。言うまでもなくいくつかの特徴が共通するからといって AMM を「音響的即興」と同じものだとしてしまうわけにはいかない。かつて杉本拓が批判したように「音響的即興」をめぐる言説は特徴を共有するかに思えるまったく別の試みを捉え損ない、その可能性を停滞させる原因にもなってきた(*33)。だからここでは言説による囲い込みではなくあくまでも言説の辿り直しを通して、AMM と「音響的即興」がどのように共振し、あるいはどのように異なっていたのかを探りたい。

 「音響的即興」という言葉それ自体の起源は不確かであるものの(*34)、この言葉によってどのような動向が指し示されていたのかについては、ゼロ年代初頭に音楽評論家の野々村禎彦が『季刊エクスムジカ』で連載していた「『現代音楽』の後継者たち」という論考に見ることができる。「前衛の時代」における現代音楽の語法や精神が、1970年代半ば以降の広義のポピュラー音楽の領域にどのように受け継がれていったのかを、即興をいかに扱うかという問題を底流に据えつつ検証していくこの連載の中で、第七回まで漠然と「音響派」と呼ばれていた動向が、第八回に至って「音響的即興」と呼び直されることになる。野々村は長大な註というかたちをとった「『音響的即興』外観」のなかで、シカゴ、ボストン、ニューヨーク、ベルリン、東京、ウィーンそしてロンドンにおける「音響的即興」の主要なミュージシャンたち、および彼らが90年代後半からゼロ年代初頭にかけて発表した音盤に言及しつつ、それらをたとえば「凝縮と構築」への志向とは対照的な「浮遊し拡散する音楽」であり、「繊細な持続音主体の抽象的な世界」であり、「エレクトロニクスとの親和性が高い」ものであるとして特徴づけていた(*35)。これらを「音響派外観」ではなく「音響的即興外観」としたことには、「音響派」の即興音楽シーンにおける展開を捉えるという目的があったと言えるものの、それだけでなく、ジャーナリズムによって次第に広まりゆく「音響派」という言葉が、その実質を欠いて有象無象に当て嵌められていくという「メジャーによる言葉の収奪に対抗」(*36)する意味もあったのだろう。それまで「音響派」という言葉で言いあらわされてきた同時代的傾向の核心部分が、「音響的即興」と呼び直されることによってあらためて俎上に乗せられる。野々村による「外観」からは、しばしば言われるように「音響的即興」が日本発祥のムーヴメントというわけではなく、むしろこの時代を貫く同時代的かつ世界的――厳密には欧米が中心の世界であるものの――な潮流としてたしかに聴き取られていたということがわかる。

 「浮遊し拡散する音楽」あるいは「繊細な持続音主体の抽象的な世界」、これらの言葉によってあらわされていた動向が同時多発的であった必然性を批評家の佐々木敦は原理的に考察した(*37)。彼によれば「音響的即興」は次のように展開していく。まずはじめに「音響」という語の意味として、彼は「コンポジション/コンストラクションの次元では捨象されてしまう『音』のテクスチュアルな相を専ら問題にするということ」(*38)を出発点に置く。だがあらゆる音楽は音を介している限りテクスチュアルな相と切り離すことはできないため、どのような音楽であってもこの相を問題にすることはできてしまう。そのため「音響」は二段階のアプローチへと分かれていく。第一段階では「テクスチュアルな相」を特定の響きへのフェティッシュなこだわりとすることによって問題を限定する。だがこのようなフェティシズムは「音響」が演奏者と聴き手それぞれの趣味判断へと収束していくことになり、それは昔ながらの「音色」の議論から逸脱するものではない。そうではなく音楽における「音響」の可能性を問うとき、第二段階として「モノとしての『音』とコトとしての『聴取』という双つの主題をワンセットとして前景化したもの」(*39)へと向かっていくことになる。果たして「音」とは何であり、それを「聴くこと」とはどのような出来事なのか――こうした問いの即興音楽への導入は、「楽音=楽器からの離脱」と「『聴取』の問題化」という二つの要素をもたらしたと佐々木はまとめている(*40)。たとえばアコーディオンの筐体を擦る、あるいはアンプをオン・オフするだけといった演奏のように、楽音や楽器から逸脱した「ノイズ」を使用することによってあらかじめ決められていない音を探求すること。なかでも誰にでも可能と言っていいだろう方法によって生じた音は、これまでの即興演奏における演奏家の個性のような音の帰属先を持たず、むしろそれが何の音なのかというふうに「聴くこと」のほうが重要なものとして浮かび上がってくる。「ノイズ」の使用と「聴くこと」の称揚という、このどちらをも AMM が最初期からその音楽に取り入れていたことは驚異に値するが、ともあれ「ノイズ」にせよ「聴くこと」にせよ、そこには楽音=楽器あるいは演奏という広義の制度性に絡め取られることのないモノとしての「音」があるということ、すなわちどちらも「音楽」から切り離された「音」の存在が前提になっている。ならばなぜ、このように「音楽」から「音」を切り離そうとする欲望は生まれたのか。

 「やみくもに『音楽』から『音』を分離したいという、正体不明の欲望」(*41)こそが当時の音楽シーンを駆動させてきたと書いたのは音楽批評家の北里義之だった。北里は「音響的即興」を「ポストモダニズムに対するモダニズム復権の試みの多彩なヴァリエーション」(*42)とする作業仮説を打ち立て、『臨床医学の誕生』の中でミシェル・フーコーが描き出した近代医学の成立時期における医師たちの「まなざしの変容」とアナロジカルな構造を見出すことによって論証していった。そして「欲望」の源泉として彼が措定したのが「音響の臓器性」なるものだった。一見すると言葉の神秘化に向かいかねないこの奇妙な造語は、しかしながら極めて具体的な意味を持っているようにも思う。つまりそれは屍体を初めて切り開いたときに露わになる臓器が「いまだ名前をもたない構造を支える可視的なものだけで成り立つ空間」(*43)であるのと同じように、「音」を「いまだ名前をもたない構造と、可聴的なものだけで成り立つ空間」(*44)として解釈しようとする試みだった。人体を切開(decomposition)するように音楽を解体(decomposition)するとき、そこにはこれまでの体系では捉えられないような音楽以前の「音」が顔を出す。だが臓器が人間によって差異化される以前からそれ自身の構造を保持しているように、「『音楽』という生体から切り離され、すでに屍体化しているはずの『音』にも、なにがしかの構造が影のように寄り添っている」(*45)。それは「音」が単にそれ自体としてあるのではなく、つねに複数の「音楽」へと変化し得る力動性とともにあるということを意味している。あらゆる「音楽」が検討され尽くしたとされるなか、それでも「音楽」をモダニスティックに前進させるためには、あり得たかもしれない別の「音楽」を見出すことへと、つまりは「音楽」から切り離された「音」の潜在性をいちど検討してみることへと駆り立てられることになるだろう。すなわち「欲望」の源泉とは、つねにすでに「音楽」としての潜在性を秘めているような「音」のありように触れることからもたらされているということを、北里は「音響の臓器性」という言葉で言いあらわそうとしたのではないだろうか。だがならばなぜ、そのような「音響の臓器性」に触れることができたのか。

 北里の議論の背景には大谷能生による即興論があった(*46)。大谷は2000年前後の日本の即興音楽シーンにおいては録音メディアが「経験の基盤」となっていたと述べる(*47)。わたしたちが「音楽」と「音」を区別するのとは異なって、録音メディアは物理的な振動を「圧倒的に非人間的」(*48)な仕方で記録する。もちろん録音メディア自体の起源は19世紀にまで遡ることができる。だが「音響的即興」盛んなりし頃、「音」は「デジタル・メディアによって、完全な非直進性・非破壊性・非空間性」(*49)を得ることになり、それは極めて人間的な儀式性を温存していたレコードやその衣を纏ったCDとは異なって、徹底して生とは切り離されたもの、すなわち完全なる「死の空間」(*50)を獲得していった。こうした「死の空間」が特別なものではなく、誰もが触れることができてしまうという状況であればこそ、それは「経験の基盤」たり得ていたのだろう。そして大谷はそのようにしてサウンドを記録することは「フォームを持たない音、意味づけの済んでいない音を聴くこと=音楽化することができる世界」(*51)でもあると述べていた。このことはわたしたちに次のような考察をもたらしてくれる。つまり「すでに屍体化しているはずの『音』」とは極めて具体的に録音メディアがもたらす「死の空間」なのであり、そしてそこからもう一度「音楽」を立ち上げようとする試みを触発することが「音響の臓器性」なのだと言えるだろう――そして即興とは「音楽」を解体するのではなくむしろ再編成するために、繰り返しのきかない剥き出しの「生の空間」で「あらためて『音楽』と呼べる体験を作り上げてゆく」(*52)実践だった。デジタル・データ化した録音メディアが「経験の基盤」となることがこうした「音響の臓器性」へとわたしたちを導き、そして「音楽」から切り離された「音」を欲望することへと駆り立てていく。図らずも北里はフーコーを経由して大谷が書き記した「経験の基盤」を「欲望の源泉」として見出していたのだ(*53)。

 以上のことをまとめると次のようになる。「音響的即興」なるムーヴメントは90年代後半からゼロ年代初頭にかけて同時多発的/世界的に出来し、その「浮遊し拡散する音楽」あるいは「繊細な持続音主体の抽象的な世界」には、「音楽」から「音」を切り離すことによる「ノイズ」の探求と「聴くこと」の称揚があった。さらにこのような乖離現象を欲望する源泉として「音響の臓器性」があり、それは「音」が「音楽」になる動的な潜在性を意味するとともに、完全なる「死の空間」としてのデジタル・データ化された録音メディアが「経験の基盤」となることがその入口を用意していた。ここで思い起こさなければならないのは、このように録音メディアが音楽の意識的あるいは無意識的な基盤となっている「音響的即興」に対して、AMM はあくまでも録音を忌まわしきものとして捉えてきたということである。だが AMM にとって録音の経験は表面上は拒絶していたものの、感覚的には受け入れていたのだと言うことはできないだろうか。たとえば大谷は「個人的な好みを排した、匿名的な音の世界」を、すなわち「音楽」と録音メディアがもたらす「音」とのあいだにある領域を説明するために、高橋悠治のワークショップに言及した大友良英の文章を引用していたが、その元になった文章の別の箇所で大友が、その領域を「今自分を取り巻いている音が、まるでAMMの演奏のよう」(*54)だと形容していたことは、このことを聴覚的に裏付ける証言であるように思う。

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意図されざる遺産

 AMM が録音を否定的に捉えてきたことは次の事実からもわかる。たとえば「AMM活動報告書」が付された冊子には「この音楽は明らかに機械的な再生には適していない。(……)再生という目的では『その役に立たなさ』を披瀝している」(*55)と書かれていた。さらに1989年に『AMMMusic』がCD化されたときには「われわれ(AMM)はLPレコードのフォーマットがAMMの音楽の本質を伝えるのに適しているとは決して思っていません。このCDも十全ではなく、複製と反復聴取は即興の豊かな意味を変容させ、歪める可能性さえあります」(*56)という文言が付されていた。カーデューもかつて「即興演奏のテープ録音のような記録は本質的に空虚である」(*57)と述べていたことがある。だが同時に彼らは数多くの録音を残してきたこともまた事実である。それは AMM が録音作品を単に忌み嫌っていただけだと言い切ってしまえないことを意味しているのではないだろうか。

 2015年11月、英国で10日間にわたって開催されたハダースフィールド・コンテンポラリー・ミュージック・フェスティバルの最終プログラムに、結成から50周年を迎えた AMM が出演した。そこには11年前に脱退したキース・ロウの姿があった。どのような経緯があったのかはわからない。だが AMM はトリオ編成として再始動し、翌月にはロンドンの「カフェ・オト」でライヴを敢行。翌2016年もパリ、トロンハイム、ブダペストでコンサートを開き、グループの歴史に新たなページを刻んでいった。このたびリリースされた『An Unintended Legacy』には、そのうちのロンドン、パリ、トロンハイムでのライヴの模様が収められている。ジャケットにあしらわれているロウによる絵画――彼は AMM の多くの作品のジャケットを手がけている――は、実はもともとファースト・アルバムで使用される予定だったものだそうだ。本盤は半世紀を経た AMM というグループがあらためて出発点を設定し直すことによって、逆説的にこれまでの活動を総括した紛うかたなき歴史的作品だと言っていいだろう。なお本盤は収録後にこの世を去った AMM 創設時のメンバーであるルー・ゲアの死に捧げられている。

 どのコンサートにおいても構造的な始点も終点もなく、また合奏にはカタルシスをもたらすような起伏もなく、聴き手による様々な音楽的期待を多方向に裏切っていくなかで、延々と続く川の流れにも比すべき融通無碍な音が発生しては消えていく。トリオ最後期の作品『Fine』に近いところがあるものの、より一層音楽的な展開からは遠くなっている。プレヴォーはティルバリーとのデュオ時代に次第に傾倒していったような、シンバルを弓奏したり横置きのバスドラムに物を擦り付けたりすることによって繊細な響きを生み出す奏法を中心におこない、またフィードバック音や電子ノイズを駆使するロウは、以前に比してさらに抑制された響きを生み出していく。ラジオの使用も微弱音かノイズが多く、印象に残るのはロンドン公演で用いた際に合奏にかき消されながらも流れたビーチ・ボーイズの楽曲だろうか。そうしたなかでときにロマンティシズム溢れるフレーズを反復するティルバリーの演奏はアンサンブルを構造化するかに聴こえるものの、デュオ時代にみられたような牽引力があるわけではなく、プレヴォーの擦過音やロウの持続音の響きが入り混じることによって構造がいわば宙吊りにされていく。こうしたたしかにそれとわかる三人の個性が聴こえてくる一方で、擬音語によってしかあらわし得ないような即物的かつ匿名的なサウンドも多々現れる。三人になるとやはり誰がどの音を発しているのかわからなくなる場面が多くなり、音の帰属先を探す耳の思考が活発化される。だがそもそもロウにとって AMM には「三つの要素」がなければならなかったという。

 私たちはいつもAMMには三つの要素がなければならないと思っていた。もし二つの要素しかないのであれば、それはAMMではない。AMMには二人だけで活動していた時期もあるものの、私はそれをAMMとして考えてはいない。(*58

 即興演奏においてソロやデュオと異なるトリオ(あるいはそれ以上)という編成。その特異性をコミュニケーションに喩えて考えてみるならば、自分自身と対話するソロ、あるいは決められた一人の相手と対話するデュオとは異なって、トリオではまずは対話相手を探すところからはじめなければならない。とりわけ非正統的な音響を扱う場合、音の帰属先が判別し得るソロやデュオに対して、トリオではときに自分以外の音が誰によって発されたのかわからなくなることがある。それは単に人数が多いというだけでなく、即興演奏における合奏の在り方がソロやデュオとは根本的に異なるような極めて複雑な過程を経ることを意味するだろう。コール&レスポンスに代表される音楽の「対話」とは縁遠い AMM にあって、こうした複雑性こそが特徴だとするならば、分裂時代の彼らがなぜ AMM らしからぬ音楽を奏でていたのかもわかる。そしてほとんどの場合 AMM における「三つの要素」というものは、キース・ロウとエディ・プレヴォーというジャズを出自に持つ両極に、第三項としての現代音楽の作曲家が加わることによって成立していたのだった。

 こうした複雑性を考えるとき、音盤となることは決して否定的な結果だけをもたらすとは限らないはずだ。音盤においては実際に演奏した彼ら自身でさえ、「誰がどの音を発したり、止めたりしているのかと思い、考えてみるとそれは自分自身であったことに気付くことも珍しいことではなかった」(*59)と述べていたように、音はより匿名性を帯びたものへとなっていく。だがそもそも AMM は音の意味が不分明であること、だからこそ「聴くこと」が活性化されることにその魅力の一端があった。たとえばデイヴィッド・トゥープによる「私は1966年以降、AMMのライヴによく足を運んでいたが、いつも暗がりの中での演奏だったため、ロウが何をやっているか見ることはできなかった」(*60)という証言にあるように、彼らはライヴにおいても結果的には視覚的要素を遠ざけるような試みをしていたのであるが、それはその魅力をより一層引き立てることに資しただろう。だとすれば音に手がかりを与える視覚的な要素がないという録音作品の在り方を、AMM の特徴をよりよくあらわすための手段として考えることができるのではないか。「聴くことを聴くこと」と題されたライナーノーツの中で、AMM の録音作品を聴くことについてアレン・フィッシャーとペイジ・ミッチェルは、新奇な音や不明瞭な音に接する視覚的な手がかりがわたしたちにない場合、むしろ聴覚のプロセスの重要性が高まるがゆえに、「AMMのコンサートを聴くことのいくつかの側面は録音作品によって強化されると論じることは可能だ」として次のように述べている。

録音作品を聴くことは、私たちを、音が意味を獲得し始めるような聴覚的なシステムの一部分へと、より一層駆り立ててくれる。それはまた、音に対して一段と集中し、そして聴くことのコンディションを変えるという特権を、私たちに与えてくれる。大まかなアウトラインを除いて、その体験は繰り返すことの難しいものであるだろう。なぜならAMMの本質と聴くことの本質は、私たちがいつも同じシグナルを拾い上げることなどありそうにもないということを意味しているからだ。(*61

 AMM の演奏とわたしたちが聴くことは同じ本質を、すなわちつねに移り変わりゆくことを意味している。ここで演奏だけでなく「聴くこと」もまた繰り返し得ないとされていることは重要だ。たとえ同じ一音が延々と続く演奏だったとしても、「聴くこと」は時間の経過とともに異なる要素を拾い上げていく。あるいは反復再生が可能な録音物であったとしても、わたしたちは「聴くこと」の反復のなかから差異を掴み取る。二度目の聴取は一度目の聴取とは異なる要素を拾い上げるからだ。それはまさしく複数の「音楽」への潜在性を秘めた「音」が「聴くこと」によって再編されているということ、すなわち「音響の臓器性」に触れる経験でもあるだろう。AMM は録音作品が「生の空間」にある音楽的経験を骨抜きにしてしまう「役に立たないもの」として捉えていた。しかし同時に「空間性」と「聴くこと」の称揚、あるいは「ノイズ」を探求することによって、「いまだ名前をもたない構造と、可聴的なものだけで成り立つ空間」すなわち「死の空間」を「生の空間」に積極的に持ち込む術を模索してもいた。ならば彼らの録音作品には「死の空間」が二重に織り込まれていることになる――一つは非正統的な音響の探求によって、もう一つは録音によって(*62)。わたしたちが AMM の録音作品を聴くということは、単に「生の空間」における音楽の仮初めの姿を追体験する空虚な営みなのではなく、むしろ彼らが触れていた「死の空間」の体験をその作用方式において反復するための方法なのだ。それだけにとどまらず、わたしたちが「聴くこと」の対象となるのが他でもない AMM の演奏であることは、つまり二重化された「死の空間」に接するということは、ライヴによっては決して現出しなかっただろう「音」の二重化された潜在性をわたしたちに経験させてくれることにもなるのである。

 これまでの言明からは意外にも、実はキース・ロウは AMM の過去の作品を聴き返すと語っていたことがある。彼は「これまでにリリースしてきたアルバムのうちのいくつかには容易には受け入れ難いところがあると思う。けれどもそれが録音作品の偉大さだとも思う」(*63)と言い、AMM に限らずその時代の最も重要な録音作品の一つとして『The Crypt』を挙げていた。彼が言う「受け入れ難さ」をこれまで述べてきた「音響の臓器性」と言い換えてもいいだろう。あるいは録音作品が生演奏の不完全な再現だとするならば、まさしくその不完全性によって生演奏には成し得ない音楽的な価値を持つ。そしてそうした余白があればこそ、プレヴォーはレーベル運営を通して精力的に音源を、単なる記録ではなくタイトルを付した作品としてリリースしてきたのではないだろうか。彼らは録音を拒絶する素振りを見せながらも録音によって可能になる音楽体験があるということをも否定していたわけではないのだ。カーデューによる「録音が作り出すものは(実際の演奏とは)別の現象であり、実際の演奏よりも遥かに見知らぬ何かである」(*64)という言葉を肯定的に捉え返そう。空虚なのは録音自体ではなくそれが「生の空間」と見做されたときに生じる齟齬に起因する。その意味でふたたびわたしたちはカーデューの言葉――「音を媒介として探求を行なうこと、そしてミュージシャン自身が実験の中心にいるということ」――へと、こんどは録音作品を肯定するために還ってくることができる。彼らは完全即興を本懐とし、音を媒介とした探求という実験の只中に居続けることによって、結果的に数多の録音を残してきた。スタジオ・レコーディングを含めて録音作品を意図的に残すために演奏をおこなってきたわけではないのである。だがこのことによってまさしく AMM のレコーディングの数々は、「生の空間」のなかで「死の空間」を呼び込もうとする彼らの姿が、つまりは「聴くこと」によって毎回異なる音楽へと編成される二重化された「音」が織り込まれた、かけがえのない遺産として残り続けることになるだろう。

Tirzah - ele-king

 アーサー・ラッセルの存在感が年々高まっているように感じる。最近でいえば、やはりアルカが大きい。『IDM Definitive』を編集している際、アーサー・ラッセルをどこに位置付けようか悩んでいた僕はあれこれと音楽史のパースペクティヴを変えながら何度もラッセルの『タワー・オブ・ミーニング』などを繰り返し聴いていたためか、その濃度がいつもより多く体内に残留してしまったようで、さらに編集を続けていてアルカの『ゼン』を聴いたとき、それこそラッセルのヴァリエイションのように聞こえてきたのである。彼自身がインタヴューでラッセルに影響を受けていると話していたときには言葉以上のものとしては理解していなかったのだろう、ラッセルの影響がアルカのサウンドに滲み出ていることを初めて強く実感した瞬間だった。本人にそのつもりがなくとも竹村延和を聴いているとロバート・ワイアットが随所で滲み出ていたり、砂原良徳がクラフトワークにしか聴こえないというアレと同じである。アルカはしかし、ファースト・アルバムにしかそれは顕在化しているとは言い難く、セカンド・アルバム『ミュータント』でポップになった……というよりスノッブになってしまったために、ラッセルを感じさせる部分はどこか薄れてしまったきらいはある。ポップ・ミュージックは腐りかけが一番面白いと思っている僕には、これは微妙な変化ではあった。
 ブラッド・オレンジ、パンサ・ドゥ・プリンス、ティム・バージェスと大なり少なりラッセルの影響を受けたミュージシャンのリストはそれなりに長くなりそうだけれど、5年前にミカチューことミカ・リーヴァイと組んでポスト・グライムなどと評された“I’m Not Dancing”をリリースしたティルザもまたデビュー・アルバムとなる『退化(Devotion)』ではサウンド・スタイルを大幅に変化させ、ミニマル化したR&Bをメインとしていた。それこそアーサー・ラッセルからのダイレクトな影響を感じさせるアプローチである。

 この変化はアルバム全体のプロデュースを務めたミカ・リーヴァイの志向だったのかもしれない。そこはよくわからない。音楽学校で一緒に音楽を学んでいたというふたりは13歳のときに一緒につくった“Go Now”を(30歳になって)初めてレコーディングもしている。どうして『退化』というタイトルなのかもわからないけれど、アルバムに収録された曲には大人の恋愛を扱ったものが多いそうで、ガーディアン紙などはカーターズ(ビヨンセ&ジェイ・Z)『エヴリシング・イズ・ラヴ』と並ぶ「愛のアルバム」として紹介している。昨年、〈ホワイツ〉の新星として大きな評価を得たコービー・セイをフィーチャーしたをタイトル曲のヴィデオではなるほど幸せそうなカップルがクラブ(ホームパーティ?)でいちゃついている。
 オープニングからして優しい。いきなり柔らかいもので包まれた感じ。続く“Do You Know”でスクリュードされたヒップホップ・ビートに足を取られ、“Gladly”で早くも気だるさは頂点に。♩あなたが必要なだけ、と驚くほど簡単なことしか歌っていないのに、どんどん引きずり込まれる。ややテンポ・アップした“Holding On”は彼女がディスクロージャーを輩出した〈グレコ・ローマン〉のレーベル・メイトであったことを思い出させ、この曲だけがちょっと異色。同じコードを抑えるだけのピアノがループされた“Affection”はアーサー・ラッセル直系で、〈クレプスキュール〉ヴァージョンのローリー・アンダーソン“O Superman”というか。“Basic Need”もミニマリズムに徹している。アナログだとBサイドに移って枯れたストリングス・アレンジがいかにもミカ・リーヴァイといった雰囲気の“Guilty”からR&Bとモダン・クラシカルが見事に融合したタイトル曲へ。どこか退廃的な雰囲気が滲み出す。“Go Now”はR&Bの定型が残っていることで、確かに13歳の時につくったんだなと思わせる。このあどけなさを受けて“Say When”ではもう一度アンニュイに頭を突っ込み直す。“Say When”というのは「合図して」という意味なので、“Go Now”の前に来た方が「いつ?」「いま!」という流れになると思うんだけど、そういう関係を表したものではないのだろうか。エンディングはまたちょっと変わった曲で、オフビートだらけのドラムンベースというか。そして、あれっという感じで終わってしまう。全体にソランジュ『A Seat At The Table』をレイジーにして、いかにもイギリス的な線の細さに置き換えた感じでしょう。影響されていることは確か。

 ヴァン・ジェスやSZA、ティナシーにドーン・リチャードとオルタナティヴR&Bは依然として百花繚乱だけれど、クラインと同じくリズム面でも大胆に実験的なことをやっている人は意外と少なく、『Devotion』はその点で稀有な存在感を放っている。

Merzbow + Hexa - ele-king

 本作のアルバム名「アクロマティック」とは、その意味のとおり、全音階だけから構成される漆黒のノイズ音楽のことを指す言葉に思えてならない。実際、『アクロマティック』に横溢しているサウンドは、無彩色の、モノクロームの音空間、もしくは、そのすき間から漏れる雑音の光のようなのだ。美しく、強靭で、そして儚い。いわばノイズ・ルミナス、ノイズ・スカルプチャー 。ノイズの現象。ノイズの彫刻。
 メルツバウとヘキサ。この異色ともいえるノイズ・ミュージック、エクスペリメンタル・ミュージックのコラボレーション・アルバムを聴いて、思わずそんな言葉が漏れ出てしまった。ダーク・ノイズのむこうにある光? 光の中に生成するノイズ? ノイズ・オブジェクト? それはどこか物質を超越する意志の発露のようだ。
 かつてノイズ音楽は「物語/歴史の終わり」を象徴していた。音楽、そして世界の歴史の終焉から始まったのだ。そしていまは「物質の終わり」から「人間の終わり」を予兆している。ノイズ音楽はヒトの無意識を反映し、作用する。

 果たしてこんな表現は大袈裟だろうか。しかし「ジャパノイズの神」としてだけではなく、世界的な「ノイズ・レジェンド」であるメルツバウ(秋田昌美)と、カテゴライズを超越したユニーク極まりないUSのエクスペリメンタル・ユニットである「シュシュ(Xiu Xiu)」のジェイミー・スチュワートと、エクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈ルーム40〉を主宰するアンビエント/ドローン・アーティストのローレンス・イングリッシュによるユニット「ヘキサ(Hexa)」の協働によって完成したアルバム『アクロマティック』を聴くと、そのあまりに美しいノイズの衝撃に、そんな言葉が真理であるかのように思えてしまうから不思議だ。ここでは物質的なものへの抗いが、強靭なノイズと清冽な音の中で生成している。
 もっともこのコラボレーションは奇跡ではなく必然でもあった。まず、メルツバウとシュシュは、2015年にメルツバウ+シュシュ名義で『メルツシュ(Merzxiu)』というアルバムをリリースしている。
 そして、ローレンス・イングリッシュとジェイミー・スチュワートは、ヘキサとして映画作家デヴィッド・リンチの写真展の音楽を制作し、その音源はアルバム『ファクトリー・フォトグラフス』としてイングリッシュの〈ルーム40〉から2016年にリリースされた。リンチ的な荒廃した世界観と、彼らの霞んだサウンドが融解する素晴らしいアルバムであった。メルツバウとヘキサ、伏線はしっかりと敷かれていたわけである。

 むろん本作は、同時に、単なる出会いの成果などではなく、コラボレーション特有の魅力の暴発がある。個の拡張とでもいうべきかもしれない。じっさい、ここ数年のメルツバウはコラボレーションを重ねても、いや、むしろ重ねることで圧倒的な存在になっている。特に近年は、サーストン・ムーア、マッツ・グスタフソン、坂田明、ジム・オルーク、灰野敬二、バラージュ・パンヂ、ガレス・デイビス、アレッサンドロ・コルティーニ、ダエン、ニャントラなど実に様々なアーティストとのコラボレーションを重ね、領域と世代を超えた存在感を多方面に刻み付けてきた。
 加えて近年の動きで決定的だったのが1996年リリースの傑作『パルス・デーモン』https://bludhoney.com/album/pulse-demon)を、ヴェイパーウェイヴのレーベルとして知られる〈Bludhoney Records〉がリイシューしたことだ。

 このアルバムのリイシューによって、ヴェイパー世代にむけてメルツバウという存在が見事にリプレゼンテーションされた。いわば80年代~90年代のノイズ・ミュージックと10年代のヴェイパーウェイヴがエクスペリメンタル・ミュージックの歴史/流れとしてつながったのである。
 『アクロマティック』も、そのような時代的な潮流に合流可能な作品だ。それはヘキサとのコラボレーションによってローレンス・イングリッシュ=〈ルーム40〉へと繋がったこともあるが、本作のリリースが〈ダイス・レコード(Dais Records)〉だったことも、さらに重要に思える。
 〈ダイス・レコード〉はロスとニューヨークを拠点とするレーベルである。主宰ギビー・ミラーらのキュレーションによって00年代中盤以降より、コールド・ケイヴ、クーム・トランスミッション、アイスエイジ、ユース・コード、シシー・スペイセク、マウリツィオ・ビアンキ、ラグナル・グリッペ、サイキックTV、トニー・コンラッド、ゼム・アー・アス・トゥー、ドラブ・マジェスティ、コールド・シャワーズ、コイル・プレゼンツ・ブラック・ライト・ディストリクトなど、いわばハードコアからノイズ、エクスペリメンタル・ミュージックからシンセポップ、リイシューから新作まで、ジャンルや音楽形式を超えつつも、ギビー・ミラーの審美観によって作品をキュレーションおよびリリースしてきた稀有なレーベルだ。
 その彼らがついに「ジャパノイズの神」にして「世界のノイズ・レジェンド」として深くリスペクトされるメルツバウのリリースに踏み切ったのだから、レーベルにとっても相当に記念碑的なアルバムともいえるはず。じじつ、『アクロマティック』は圧倒的なノイズ/エクスペリメンタル・サウンドをこれでもかというほどに展開する。
 アルバムは、A面には“Merzhex”を、B面には“Hexamer”を収録している(“Merzhex”のミックスはローレンス・イングリッシュが、“Hexamer”は、秋田昌美の手による)。
 注目すべきは“Merzhex”だろう。曲はシームレスだが表記上は4パートに分かれており、ノイズ・オブジェのようなモノとしての質感と、それが流動的に溶けだしていってしまうような不可思議な感覚が同時に生成されていく強靭なメルツノイズと律動的なメルツパルスが炸裂するサウンドだが(パート3以降の猛烈な音響の炸裂の凄まじさときたら!)、どこかヘキサ的な硬質で清冽なアンビエント感覚も鳴っているようにも聴こえ、「メルツヘキサ」というユニットによるトラックともいえなくもない。メルツとヘキサの融合体とでもいうべきトラックだ。
 対して“Hexamer”は、持続と反復と切断と生成が沸騰するように巻き起こり、ノイズの快楽を極限までヒートアップさせるトラックだ。メルツマニアの方ならばコラージュ的な展開に1980年代中期の秋田ソロ期以降のメルツバウを思い出しもするだろう。極限的な聴取が可能な逸品である。

https://www.youtube.com/watch?list=PLrfCEV-W7z9Ak2tQ_3XvEyJxRSJJ8eH3Y&v=XQIB4GbIDZY

 本作『アクロマティック』の暴発するノイズの果てに聴こえる=見える光。それはアートワークのように、漆黒のすきまから漏れ出る眩い光のようである。マテリアル化に抗いながら、光のように音という磁場を生成すること。そこに生まれるノイズのオブジェクトを提示すること(『アクロマティック』はアンチ・マテリアルなサウンド・インスタレーションのようだ)。この『アクロマティック』には、そんなノイズ音楽が内包する本質的かつ魅惑的な矛盾が横溢している。それはノイズ音楽の矛盾と魅惑だ(この矛盾をノイズで塗りつぶしたいという衝動こそがいわゆるジャパノイズの起源かつ本質であった。いわば近代・戦後日本という二枚舌的(欺瞞)社会への闘争だ。80年代初期から中期のメルツバウを聴けばそれがより体感的に理解できる)。
 本作に漲っているノイズへの欲望もまた、二つ(三つ)の自我/意志が「音楽の全音階を塗り潰すこと=世界を乗り潰すこと」にある。これこそメルツバウの、その活動最初期から変わらぬ意志でもある。いわば聴取の臨界点ギリギリまで追求するサウンドの生成だ。同時に、あらゆるメルツバウ作品がそうであるように、『アクロマティック』も新生成であると同時に唐突な中断である。中断は次のノイズ・ミュージックの生成へと継続していく。そう、メルツバウ/メルツノイズは終わらないのだ。中断するように、永遠に。物質の、その先へ。

Spiral Deluxe - ele-king

 ジェフ・ミルズにバッファロー・ドーターの大野由美子、日野“JINO”賢二、そしてURのジェラルド・ミッチェル。とてつもないメンバーによって形成されたスパイラル・デラックスなるこのエレクトロニック・ジャズ・カルテットは、なんでもジェフの長年の構想だったのだという。2015年、東京/神戸にて開催されたアートフェス《TodaysArt JP》をきっかけに活動を本格化させた同4人は、昨年EP「Tathata」を発表、そして今秋、〈アクシス〉より待望のデビュー・アルバム『Voodoo Magic』をリリースする。DJになる前はジャズ・ドラマーとして活躍していたというジェフの生ドラム音源が収録されている点にも注目だけれど、テレンス・パーカーによるリミックスも楽しみ。同アルバムは9月7日、2LPにて発売予定。公開されているティーザーもチェック。

ジェフ・ミルズ率いるSPIRAL DELUXE(スパイラル・デラックス)、
待望のデビュー・アルバム『Voodoo Magic』を9月7日(金)アナログ先行でリリース!

ジェフ・ミルズ(Drum machine, Dr, Percussions)、
大野由美子(バッファロー・ドーター/Moog Sync)、
日野“JINO”賢二(B)、
ジェラルド・ミッチェル(Key)による
SPIRAL DELUXEは、音楽という宇宙を様々な次元から探訪する
スペシャルなエレクトロニック・ジャズ・カルテット。

アルバムからのティーザー映像も公開!

エレクトロニック・ミュージックのパイオニアDJ/プロデューサーにして、
音楽宇宙を自由自在に行き来するジェフ・ミルズが、
長年の構想を形にした SPIRAL DELUXE(スパイラル・デラックス)、
待望のデビュー・アルバム『Voodoo Magic』が、
9月7日(金)にアナログ(2枚組)先行でリリースされることが決定しました。

2015年、東京と神戸で開催されたアートフェス、《TodaysArt JP》において、
多彩なバックグラウンドと抜群のテクニックを持った4人
~ジェフ・ミルズ(Drum machine, Dr, Percussions)、
バッファロー・ドーターの大野由美子(Moog Sync)、
日野“JINO”賢二(B)、ジェラルド・ミッチェル(Key)~
によって結成されたSPIRAL DELUXEは、
音楽という宇宙を様々な次元から探訪するエレクトロニック・ジャズ・カルテット。

ワールド・ツアーと2枚のEP盤を経て、より柔軟に共鳴し合い、
最高のハーモニーを奏でるようになった彼らが
満を持して発表するデビュー・アルバム『Voodoo Magic』では、
バンドのユニークさを象徴するように各々が自由に楽器をプレイし、
ジャズ、ロック、ファンク、ポップ、ゴスペル、デトロイト・テクノ、ハウスetc. の
豊富なスキルと知識を表現。
パリの有名なスタジオ、Ferberにてその“瞬間をとらえる”ように録音されました。

DJになる以前はジャズ・ドラマーとして活躍していたというジェフは、
ドラムとパーカッションを担当しており、
ジェフの生ドラム音源がリリースされるのは今作が初となります。

“音楽から最高のスピリットを見出す”という
SPIRAL DELUXEの冒険(=インプロヴィゼーション)は、
スタイリッシュであると同時に心地良く、
スリリングなエッセンスも兼ね備えたスペシャルな音楽体験そのもの!

音質にこだわりLP2枚組にて発売される本作、
今後の情報も合わせ、ぜひご期待ください!

Amazon / Tower / HMV / diskunion

菊とギロチン - ele-king

 時は大正デモクラシー期。理想を夢見て資本家からお金を略奪し、政府転覆を画策する若きアナキストと、女相撲という興行で全国を旅する力士が出会う瀬々敬久監督の『菊とギロチン』は、いまのところ今年いちばん心打たれた映画だ。

 1917年にソビエト革命があり、1919年にワイマール憲法が制定された、世界各地で人びとは自由を求めて発言し、たたかってもいた。日本でも労働運動や女性解放運動、共産主義運動が盛んな、俗に大正デモクラシーと呼ばれる時代のことだ。政治的発言も行動も活発になった一方で、無政府主義者や共産主義者を警戒する治安維持法の前身となる法律が作られようとしていた。そんななか、1923年(大正12年)に起きた関東大震災では、混乱の中で流布した「流言飛語」によって不安に火をつけられた人びとが、隣人である朝鮮人を虐殺する事件が多発。半月後には、大杉栄と伊藤野枝も虐殺された。日本は、これから急速に不寛容、不自由な、暗い時代にむかい、長い戦争に舵を切る直前、後から見れば、さまざまな前兆が起きていたそんな時代。「ギロチン社」などというふざけた名前の政治団体を結成した実在のアナキストである中浜鐡は、貧しいものを苦しめる社会を変えるため、言論を弾圧する政治を変えようとしていた。「震災後の不景気のどん底で避難民が溢れ、食べるものもない人々は根っこを掘って口に入れる、残飯屋で1杯2銭の残飯を盗んで何人もで分ける。震災でぶっ壊れた東京の、そして震災でも覆せなかった権力の秩序に閉じ込められたまま」だと、中浜は演説をぶつ。「いたるところに自由意志を! 我々の直接行動を!」と。いや、演説というよりそれは詩だ。けれども詩を読むように夢と理想を語り、現実には資本家を襲って金を脅し取る「リャク(略奪)」を繰り返すだけ。いや、計画は立てるが、「リャク」した金は女郎屋で使い果たし、20代で梅毒持ちで……。いったいなにやってんだ?な若者だが、瀬々敬久監督は「社会を変えようと、たとえやり方は過激であり滑稽に見えさえしても、国家に死をもって処された若者の姿を描きたかった」のだという。監督は、1980年代からギロチン社の映画を撮りたかったのだという。「十代の頃、自主映画や当時登場したばかりの若い監督たちが世界を新しく変えていくのだと思い、映画を志した。僕自身が「ギロチン社」的だった」と振り返っている。身体中から湧き上がるほどに「自由」を求め、「自立」を欲し、社会を変えようと志して、それより先にまず自分が何よりも自由になろうと止むに止まれず暴走するものはアナキストとも言われ、けれどもそれは単に若者のことでもあった。「自由」の領域は時代とともに変わってきても、その本能のような心の震えはきっと今でも変わらない。

 そんなギロチン青年たちが出会う菊は女相撲の力士のしこ名だ。女相撲は江戸時代から1960年くらいまでおこなわれていたという。もっともこれは明治の終わりに「国技」を名乗った男相撲とはずいぶん性格の違う、いわば見世物興行だ。女たちが肉色のシャツにふんどしを締めて、「乳見せ役」を配したり、飛び入りの客と取り組みをしたり、女と座頭が卑猥な雰囲気で取り組むような興行もあったという。大正から昭和期のエログロナンセンスの時代ともなれば、その変態的趣向はエスカレートしていき、警察は風俗紊乱の罪で監視と取り締まりを強めるようになる。その取り締まりを逃れるため、「女相撲」ではなく「手踊り」の興行だと偽って届けるなんてこともあったとか。さらに戦後にはサーカスの一部として興行した一座もあったそうだ。映画では、元姉の夫と親の言うまま結婚したが、その夫の暴力に耐えかね家出して一座を頼ってきた花菊や、元遊女で朝鮮人の十勝川、沖縄出身の与那国など、いずれも貧困(口べらし)や差別(DVなど)、あるいは何かのはずみで居場所を失った女たちが見世物になって生きていく社会的な囚われ(隔離)の場所でもあるし、同時に最後に逃げ込んだ、おだやかで優しいシェルターのようにも見える。

 彼女たちがゆっくりと四股を踏む勇姿は、長い手足を持て余しているように七転八倒する中浜鐡(東出昌大)と対照的に優雅にさえ見える。長い取り組みのシーンも、相撲に全く興味がない私をも惹きつける、言葉はなくても雄弁に思いを語る。女のフリーターがボクサーを目指す武正晴監督の『百円の恋』がとても好きだ。その試合の場面も強烈に心を揺さぶられる。しかし、『百円の恋』の動機があくまでも個人の内面にあるのとはちがい、『菊とギロチン』の取り組みシーンには、職業差別や性差別といった社会的な存在の格闘が現れているように見える。そういう言葉があるわけではない。伝わるのは、ただ理不尽な貶めに対する悔しさだ。30年前から構想されていたというこの映画が今夏公開になったのはすごいタイミングではないか。なにしろ去年アメリカで始まったセクハラ告発運動#MeTooに端を発したフェミニズムの機運になかなかのれなかった日本でも、相変わらず「土俵に女は載せない」という自称国技の相撲協会やセクハラで告発された財務省事務次官に続き、東京医大の入試での明らかな女性差別採点が明らかになったことで、小さな火がついたのではないか。思えば日本では、「男女共同参画」「女性の社会参加」「女性活躍」とはいっても「男女平等」や「性差別」という言葉は長い間、少なくとも行政やマスコミなどでは使われていなかった。性差別入試への抗議行動で、「下駄を脱がせろ」というボードがあった。この件は女性を差別するな、という問題だと大方の報道では言われていたが、このボードを掲げる人は、「(男に履かせた)下駄を脱がせろ」「男性優遇はやめろ」と言ったのだ。これには私は少しばかりハッとした。それまでは女性受験生は減点された被害者だったのが、「(男の)下駄を脱がせろ」によって、なんというか、不当に優遇されている男性の足を、ちゃんと同じ地平につかせろと言うとき、女が差別された客体(被害者)とみなされるのではなく、男性こそが知らないうちに、意を無視して優遇された客体となったのだ。これって些細なことだけど、これに気付いた時、私の気分はかなり変わった。「性差別」は女の問題ではなく、男の問題だ、早く解決しておいてくれ給え、もういちいち女の手を煩わせないでくれよ、みたいな解放感といえばいいだろうか。

 だいぶ話が逸れてしまったが、『菊とギロチン』の花菊と十勝川にも、似たようなことが起こる。花菊は自分を連れ戻そうとする夫との間に、十勝川は彼女を追い詰める自警団との間に。そして、そこにアナキストが関係する。そもそもアナキストと花菊たちの関係は『伊豆の踊子』(西河克己監督)のパターンのバリエーションである。すなわち頭でっかちなエリート大学生と生命力に満ち、しかし悲劇性もはらむ旅芸人一座の少女の出会いと別れだ。『はなれ瞽女おりん』(篠田正浩監督)や『ノルウェイの森』(トラン・アン・ユン監督)なんかもそうで、高等教育を受けた言葉を持つ男性が、言葉より全身で感情や生命力を表現すると女性に惹かれる。女性は過去や未来の不幸や悲劇を隠しているがそうしたものさえ自己決定で甘受したようなたくましさが期待される。けれども、これって男性(近代とでも宗主国とでもマジョリティとでも)の勝手な妄想っぽいが、『菊とギロチン』では女たち、とりわけ家族や仲間を日本人自警団による虐殺で喪った朝鮮人の十勝川には、いや、前近代的な家制度に弄ばれ暴力を受ける花菊にも、きっちりこの社会の仕組みが見えていて、それがどのように襲ってくるかもはっきりとわかっている。ただ若い生命力にまかせて甘受しているわけではない。彼女たちはたしかに「社会」に生きていて、その底辺に閉じ込められているところがちゃんと見える。もちろんそれは、花菊や十勝川の現実を救いはしない。アナキストたちの自由の後ろにも、変えられない「社会」が見えている。だからこそ、一座や青年たちが大勢で浜辺でくつろぎ、沖縄の音楽に合わせて踊り、飲み食う、いつ終わるかわからないレイヴのようなシーンが幻想的でこの世とは思えない幸福な時間となる。見えない牢獄に捕らえられていて、それでも心はいつでも自由に遊びまわる。その遠近感というのか、立体感というのか、感情の描かれ方の豊かさにつながっているように、私には感じられる。私は“激情”に弱いのだと思う。「強くなりたい」「強くなりたい」という、その切なさに、100年後の私も身がよじれる。



[8/21編集部追記:人名表記に誤りがありましたので、訂正いたしました。謹んでお詫び申し上げます]

Fit Of Body - ele-king

 15年も前のことだけれど、サウンドデモというのを渋谷でやっていて、僕が非常に不満だったのはデモに来てくれる人たちの服装があまりに地味なことであった。人が集まってワーワー騒ぐデモンストレーションなんだから、もうちょっと赤とかイエローとか派手な服を着てきてくれないかなと思っていたのである。で、思いついたのがレインボー・プライドのとの合体。松沢呉一に紹介してもらって僕はプライドの主催者に会いに行き、一緒にやりませんかと誘ったのだけれど、レインボー・プライドは反戦のような政治的主張はしたくないということで交渉は成立せず、僕もどちらかといえば政治嫌いの体質なので(なのにデモとかやってんじゃねーという話ですが)、それ以上、押し問答などはせずあっさり引き下がり、途中から交渉場所であった「アクタ」(https://akta.jp)というスペースに興味が移ってしまった。そこはエイズ対策としてコンドームを無料で配布しているマンションの一室で、その当時の話では家賃は厚労省が払っていたという(自民党の杉田議員がLGBTに税金が使われているというなら、それはここのことでしょうか。しかし、先進国では日本だけがHIV感染が減らないんだから、こういう補助は必要でしょう)。僕が行ったときには奥の方で『薔薇族』の表紙展示会などをやっていて、たしかにさまざまなデザインのコンドームが並べてあった。有名なマンガ家などがヴォランティアで作品を提供しているのだという。そして、ひときわ印象に残ったのがパーティのフライヤーを並べてあったスペースで、それらはハウスとかテクノといった音楽の種類で分類されているのではなく(オネハぐらいはあったかもしれないけれど)、いろんなパーティを人間の「体格」で分けてあったのである。なかでも「ガッちび」というのがインパクト大で、「がっちりとして背が低い人」が目当てで人が集まるのかと思うとさすがにクラクラときてしまった。いわゆるヘテロのパーティではこういうのはないはずで、アンダーグラウンドには女性の体型を指定したパーティとかもあるのかもしれないけれど、あったらあったでそれもそれでキリがなさそうではある……

 「カラダの相性(Fit Of Body)」と名付けられたライアン・パークスによるハウス・プロジェクトは、そのビジュアル表現も含めて最初から僕はゲイだと決めつけている。そして、ハウスが誕生した瞬間を再現するような音楽性には優しさと繊細さがあふれ、あふれるメロウネスはあっさりと僕の心を掴んでしまった。デビュー・アルバムのタイトルとなった『Black Box No Cops』はアトランタにあるスケート・パークの名称だそうで、警察が来ない場所で長い時間を過ごせたということを意味するらしい。そう、アトランタといえば、いまはトラップが全盛の場所なのに、この男は見事にマッチョ・ロードを逆走し、物静かで過剰にロマンティック、囁くようなヴォーカルも実に切なく、スプリーム(Supreeme)のネガシ・アルマダをフィーチャーした“The Screamers”などはまるでおとぎ話のような曲調である(それこそヴェルサーチなどとんでもないというか)。過去には“Ridin 2 That Trap or Die”などという曲もあるので、別に否定しているわけではなく、地元ではヒップホップ・チームにも参加しているらしい……んだけれど、ほんとかなと思うほど彼のDJワークはゆるゆるで『Black Box No Cops』もバンドキャンプの紹介では「蒸し暑い夏のだるい感じ」とされていた……ということはこの夏にぴったりなのか……それをいうならバナナラマの“クルーエル・サマー”だろうか……。
 『Black Box No Cops』はそして「ハウスが誕生した瞬間」と簡単に書いてしまったけれど、正確にはエレクトロからヒップホップとハウスが分かれはじめた瞬間を再現したようなサウンドで、それこそいま、80年代前半と90年代前半が並行してリヴァイヴァルしまくっている最中に聴くと、リヴァイヴァル・サウンドのミッシング・リンクともいうべき奇妙な時間帯に紛れ込み、自分は「どこから来てどこへ行くんだっけな」という問いにぶつかるような気さえしてしまう。ロイヤル・TとDJQ、そしてフレイヴァ・Dが昨年リリースしたtqd名義のデビュー・アルバム『ukg』がセカンド・サマー・オブ・ラヴ直前のガラージ・サウンドを再現していたので、さらにその前段階にフォーカスすることで、どこかセカンド・サマー・オブ・ラヴによって様々なジャンルに分岐していったダンス・ミュージックがもう一度、再統合されたがっているような欲望まで喚起されてしまう。ヒップホップとハウスの区別がつかなかった時期とは、こんなにもプレッシャーのない場所だったのか……とか。ニューエイジとは無縁のヴィジブル・クロークスやディップ・イン・ザ・プールにも通じるものがあったり。
 リリースはこれまで〈トラブルマン・アンリミテッド〉や〈イタリアンズ・ドゥー・イット・ベター〉を運営してきたマイク・シモネッティが〈キャプチャード・トラックス〉のマイク・スナイパーと始めたダンス・レーベルから。どちらというと〈ホワイト・マテリアル〉とリンクしてきたプロデューサーだったので、意外な組み合わせではありますが、コズミックを追ってきたシモネッティと合わないとも言えず、お互いに体格に惹かれあったということで(嘘)。

interview with Dorian Concept - ele-king


Dorian Concept
The Nature of Imitation

Brainfeeder / ビート

IDMJazzFunkIn Between

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 てっきり意識しているものとばかり思い込んでいた。「芸術は自然を模倣する」という古来のテーゼは、たんに画家が海やら山やらを見てそれを絵にするという話ではなく、ものの本性なり本質なりを模倣したのが自然であり、芸術はさらにそれを模倣した劣化コピーである、というヒエラルキーの話だと思うのだけれど、そしてそれを逆さまにして「自然が芸術を模倣する」と言ったのがオスカー・ワイルドだったわけだけれど、ドリアン・コンセプトの新作はそういうややこしい模倣や模倣の模倣の問題、つまりは真理からの距離をテーマに掲げているに違いないと、的外れな先入観を抱いてしまっていたのである。『The Nature of Imitation』なんてタイトルを与えられたら、そう早とちりしてしまってもしかたない。
 以下のインタヴューでオリヴァー・ジョンソン本人が明かしているように、ドリアン・コンセプトのサード・アルバムはとりたてて形而上学的な問題を扱っているわけではない。しかしどうやら私の浅はかな先入観も、彼の意図からものすごくかけ離れているというわけではなかったようだ。というのも、オリヴァーはこのアルバムを「自分自身の模倣」と捉えているからだ。すなわち『The Nature of Imitation』は、これまで彼がやってきたことの断片を繋ぎ合わせ、巧みに統合した作品に仕上がっているということである。
 たしかに、もともとビート・ミュージックの文脈から登場しながら、その出自を超越するかのようにスタイルの幅を大きく拡張してみせた前作『Joined Ends』と比して、今回はふたたびビート・ミュージックの側面が強く打ち出されている。それに加え、自身のヴォーカルの導入やいくつかのセンチメンタルな装飾など、このアルバムにはどこか内省的な要素も散りばめられている。オリヴァー・ジョンソンは本作を「最後の試合」だと思って、自分のなかにあるものすべてを絞り出そうという気持ちで制作したのだという。
 このように3作目にしてはやくもキャリアの総括を成し遂げてしまったドリアン・コンセプトだけれど、では自分自身を模倣するとはいったいどういうことなのか? そしてそれを踏まえたうえで、来るソニックマニアで彼はいったいどんなパフォーマンスを披露してくれるのか? 8月17日の〈Brainfeeder〉ステージでは、集大成を完成させた彼がその先に見すえているものを目撃できるかもしれない。


こういう慌ただしい時代に生きている僕らにとって最高の贅沢は、やりたいことにじっくりと、自分のテンポで取り組むことかもしれない。

日本公演が近づいてきましたね。あと3週間ぐらい(註:この取材は7月末におこなわれた)。

オリヴァー・トーマス・ジョンソン(Oliver Thomas Johnson、以下OJ):もう1ヶ月ないの!? びっくりだな。うん、楽しみにしてるよ。

ではまず、アルバム制作の時間について。ファーストからセカンドまでは5年ぐらいかかって、今回は4年ぐらい。あなたが納得するアルバム作りには、これくらいの時間が必要、ということですか? もちろん、新作に伴うツアーもやっているわけですが。

OJ:うん、言われてみるとそのとおりで、いまの僕には4年から5年かけるのがスタンダードになっているみたいだね。だからって、その4年から5年の間、ずっとアルバム制作に励んでいるわけではなくて、プロダクションに費やしているのはそのうちの2年……2年から3年ってところで、言ったとおり、新作が出てから1年ぐらいはそのツアーで、その次の1年ぐらいが新作の準備期間で、って感じかな。でも、少しづつ作業に慣れて早くなってはきてるんだよ。

そうなの?(笑)

OJ:うん、だから次のアルバムはそこまで時間がかからない……といいな、と思う(笑)。

でも、手間をかけてもアルバムという形にはこだわっているんでしょうね。近年、トラックごとにリリースしていくプロデューサーも多いけれど。

OJ:うん、それはたしかにそうで、アルバムとして流れのある、たとえば映画のような、と言ってもいいような、一貫性のある作品に仕上げたいというのはつねにあって、だから余計に手間がかかるんだけど……。

それが楽しくもある?

OJ:そうなんだよね。いま、こういう慌ただしい時代に生きている僕らにとって最高の贅沢は、やりたいことにじっくりと、自分のテンポで取り組むことかもしれない。

ということは、あなたの意図そのままにリスナーにもアルバムを頭からとおしてじっくりと聴いてもらいたい?

OJ:もちろん、そうやって聴いてもらうのがもっとも望ましい、と思っている部分はあるよ。でも一方で、アルバムのなかのコレがいちばん好き、とか、コレとコレが気に入っている、とかいうのは人によって当然あるだろうから、それだけを聴きたいという気持ちも理解できる。というか僕自身、90年代に12インチを買い漁ったタイプなんで、特定の曲に思い入れを持つ感じはよくわかるんだ。あとDJって、アーティストごとに最高の1曲を見つけてそれを紹介するような作業だろ? それをやっている身としては、自分のだけアルバムをとおして聴いてもらえると期待するわけにもいかない(笑)。全体でひとつの作品として聴いてもらうことを前提に作る一方で、どの1曲が選ばれるのかを楽しみにしている部分もある。

なるほど。いまのキッズはプレイリスト・カルチャーのなかで暮らしていますもんね。自分でリストを作るにしろ、誰かが作ったものを聴くにしろ。好きなものしか聴かない、ということでもありそうだけど……。

OJ:うん、興味深い現象だと思う。僕らの世代で言うところの、ミックステープを作ったり、DJをやったり、っていうのと同じ自由……というか、その自由がさらに拡大されているってことなんだろうけど、いまは自分で音源を探したり、工夫して組み合わせたりしなくても、たとえば Spotify みたいな配信サービスのおかげでラクになった……もしかしたらラクになりすぎてるかもしれない、というのがひとつ。あとは、配信サービス側の意図が働いて特定の曲がバランスを欠くほど重要視されている例も見受けられて、それはちょっと悲しいな。

それは、特定のアーティストが贔屓されている、ということ?

OJ:いや、そうじゃなくて、たとえば僕の曲でも、特定のものだけ推されるのを見ると、ほかにも聴いてほしい曲は山ほどあるのに、って気持ちになるということ。わかる?

ああ、アルバムとして作っている立場からすると。

OJ:そう。配信のランキングで上がってくる曲がすべてだと思われる危険があるんじゃないか、と。そこは少し疑問に思うね。

あなた自身は Spotify を利用しますか?

OJ:うーん、リサーチでは使うかな。そういう意味では実用的なメディアだと思うけど、リスニング用には使わないな。聴くんだったら、相変わらずヴァイナルだったり、あとはデジタルのファイルで購入することもあるけど……でも、それすらいまやレトロだよね。

たしかに(笑)。でも、あなた自身、インターネットで注目を集めたんですもんね。

OJ:そのとおり。ビデオを自分でアップして、それが注目されたんだ。

そういう意味では恩恵も受けている。

OJ:たしかに。でも、当時のネットのあり方はいまとはちょっと違ってた。YouTube が Google のものになるまえで、もっとこう……ユーザーの自主性に委ねられていたというか、自分の作品っていう実感があったんだ。いまはCMがガンガン入ってるし、あの頃とは違う場所になってしまっている気がする。当時は YouTube で発表するのがパンクでDIYなやり方に思えたんだけどね。MySpace なんかもそうだけど、ソーシャルメディアを利用して、HTMLで編集してホームページを自分で作って……って、あれは僕なんかにとってはすごく有意義な財産だったよ。おかげで自分の音楽を世に送り出し、音楽仲間と直につながることもできたんだから。それがここ、5年……7年ぐらい前からかな、かなり変わってしまった気がする。その、インターネットの周辺事情が。

MySpace なんて、それこそレトロですもんね。

OJ:そうだよね。

解放(letting go)というのは、僕にとって今回のアルバムを表す大きな意味でのメタファーだな。

で、いまはあなたもレーベルからアルバムをリリースしていて、今回は〈Brainfeeder〉から、です。

OJ:そのとおり。

レーベル・オウナーのフライング・ロータスとあなたの関係はよく知られていますが、今回のアルバムのディールについては、彼のほうから話があったんですか。それとも、あなたから?

OJ:まず、何か作品ができると僕は必ずフライング・ロータスに送って聴いてもらっているんだ。お互いに、だけどね。新作はいつもお互い、聴いて感想を伝えたりしている。いままでのアルバムもそうだった。でも、今回の僕のアルバムは彼にもピンときたみたい。僕のほうでもなんとなくそんな気はしていたんだけどね。まえまえから、いつか一緒にやろうって話はしていたんで……〈Brainfeeder〉から僕のアルバムを出したいって話はお互いにしていたんで、やるんだったらコレだ! って双方が感じたんだと思う。僕も、〈Brainfeeder〉から自分を世にプレゼンするなら、このアルバムがふさわしいと思う。

つまり、アルバムは完成した状態でフライング・ロータスに聞かせた?

OJ:そのとおり。

彼はどんな反応を?

OJ:メールだったんだけど、すごく昂奮してくれているのがわかったよ。とにかく彼は、僕のヴィジョンをずっと信じてフォロウしてくれていた。いつも前向きな感想をくれるんだ。

あなたは自分の受けてきた影響や自分にとっての音楽的なヒーローについてオープンに語ってきていて、フライング・ロータスはもちろんそのひとりだし、〈Ninja Tune〉もそう。そしてそのいずれとも一緒に仕事をするに至っている。

OJ:うん。

ライヴで同じステージ立ってもいます。そういうのって、どんな気持ちですか?

OJ:最高だよ。若い頃のことを振り返って、当時の夢を思い出すと、それが実現したんだなって……すごく嬉しくなるときがある。つまりは、好きなものを信じて全力で取り組めば、こうやって憧れの人たちと同じ空間に身を置けるようになるんだなあって、まあ、自信にもなるけど、やっぱり実際に隣りでやっていると緊張するよ。いや、緊張じゃなくて、恐縮する、っていうのかな。とにかく刺戟的で、彼らと親しく仕事をするなかから新しい発想は生まれたり、新しい視点が生まれたりするのがすごく楽しいんだ。

しかも、良さそうな人たちだし(笑)。

OJ:それは大きいよね。幸い僕の場合、尊敬していた人がみんな優しくて寛大な人ばっかりでね。

〈Brainfeeder〉ですが、時代に先駆けて変化してきたレーベルという印象があります。これまでの、そしていまのあのレーベルについて、あなたはどう思っていますか。

OJ:たしかに興味深いレーベルだよね。僕が最初に注目した頃のあのレーベルはビート・ミュージック・シーン的なものに影響されたインストものやヒップホップが主だったけど、その後どんどん幅を広げて、実験的なものから、アンビエント系、完全なジャズまで手がけるようになっていった。音楽性を限定されたくないという姿勢は僕もシェアするところだ。それと、柔軟で、意外性に富んでいる、という点も。うん、彼らのアプローチは当初からずっとリスペクトしてきたよ。

いま〈Brainfeeder〉で注目しているアーティストはいますか?

OJ:コンテンポラリなやつに好きなのが多いよ。新しいロス・フロム・フレンズのアルバムにはすごくワクワクさせられたし、「Pale Blue Dot」ってシングルはビデオも素晴らしい。親と90年代レイヴをたどるヨーロッパの旅、みたいなやつ。ジェイムスズーも仲が良くて、いつも音源をチェックしているアーティストだ。彼のアルバム『Fool』は過去数年で僕がいちばん好きなレコードのひとつだよ。あとはもう、言うまでもないけど、いつも大きな刺戟をくれるサンダーキャット。僕らは影響源も似ているし、やり方は違うけど音楽にユーモアをたっぷり盛り込んでいるあたりも共通していると思う。

そういう友だちが日本で勢ぞろいするわけだ。

OJ:そうなんだよね。それだけじゃなくて、ジョージ・クリントンという伝説のゴッドファザーが現役バリバリで登場するんだからスゴイことだよ。

素晴らしくインスタ映えする集合写真が撮れそう(笑)。

OJ:だよね。絶対に撮らなきゃ(笑)。

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音楽の世界では「イミテイション」という言葉はネガティヴに取られるし、ある意味、烙印を押された言葉かもしれないけど、僕が音楽を習得する上では意味のあることだった。今回のアルバムでは自分自身を模倣するというか、これまでの自分の断片をなぞるようなことをやっている。

ではここで、いくつか具体的な収録曲について聞いていきますね。まずは2曲目の“Angel Shark”。6曲目の“Pedestrians”もそうかもしれない。こういう、カウントが難しいけど魅力的なビートは、どうやって作っているんですか。最初はまずビート?

OJ:うん、僕の作品の多くは、リズム的な要素から始まっている。それがドラムとは限らないけどね。2曲目の“Angel Shark”はメロディがそもそもリズミカルだったから、それが取っ掛かりになった。頭の部分の、ちょっとギターっぽい音のシンセサイザーで引いてるメロディがそれだよ。何かしらきっかけになるリズムが必要みたいだね、僕の場合は。それを基盤として、そのほかの要素を組み上げたり膨らませたりしていくことがほとんどだ。今回のアルバムは、これまで以上にエキサイティングで押しの強い感じを求めていたこともあって、意図的に少しトリッキーなモーメントやムーヴメントを用意したつもり。だから聴いていて楽しいんじゃないかな。

決まったセオリーがあるんですか。それとも偶発的なものが大きい?

OJ:そのときによるけど、偶発的に生まれた何かを意識的に組み立てていくことが多いんじゃないかな。セオリーというのは、つまりどういいこと?

メソッドというか、方程式というか……。

OJ:そうだよね。いや、そういうのはとくになくて、そのときどきで変わってくる。やってるうちにルーティンがあることに自分で気づくことはあるけど。アルバムを作っているときは、無意識に一定の流れのなかで曲を書いているときがあるんだ。それに気づくのは作業も終盤のほうだけど、仕上げの段階でそのルーティンを意識するのは一貫性を実現するうえではいいことなのかもしれない。でも最初からそれが見えていることはまずないね。インスピレイション任せで、何か降りてくるのを白紙のまえでペンを持ってじっと待っているような、そんな時間もすごく多い。

降りてきたら、紙に書くわけじゃないですよね、でも(笑)。

OJ:うん、僕の場合は何かしらの鍵盤……キーボードか、シンセサイザーか……とにかく鍵盤が付いているものがいちばん直感的に鳴らせるから。

7曲目の“Self Similarity”はあなた版のジャングルという感じですが……

OJ:ふふふ……。

どうですか、この言い方(笑)。

OJ:おもしろいね。じつはあれ、最初はラップやヒップホップのリズムをイメージしていたんだ。でも、それをスピードアップするとたしかにドラムンベースっぽくなるし、そのほかのリズムの要素も相まってジャングルっぽいヴァイブになっているかもしれない。ハーフテンポとダブルテンポの掛け合いが、あの曲の醍醐味なのは事実だし。ただ、自分ではジャングルじゃなくてファンクのリズムを踏まえているつもりで、そこにメランコリックな感じも加わって、レコードのなかでもっともポップな曲とも言えるんじゃないかな。でも、言われるとたしかにジャングルなノリもあるよね。おもしろい指摘だな。

ジャングルやドラムンベースは個人的にも聴きますか?

OJ:最近はあんまり。そっち方面でまた最近、おもしろいのがどんどん出てきているのは知ってるんだけど……。プロダクション的に90年代のカッコいいジャングルを思わせるやつが、最近はまた増えてるよね。IDMアプローチの、たとえば、スクエアプッシャーの実験的なやつとか、ブレイクビーツを使ったジャングルはすごく刺戟的だし、いまだにクラブでそういういい感じのジャングルがかかると、それがピーク・モーメントになったりするね。

前作がビート・ミュージックの枠を超えた壮大な作品だったのに対して、今回はビート・ミュージック的な要素がまた濃くなったのでは、という指摘もありますが、どうでしょう。

OJ:うん、今回のアルバムは、僕に言わせればいままで自分がやってきたことを振り返って総括したような作品だよ。前作的な要素もプロダクション面ではかなり色濃いんだけど、音楽的にはたしかに……うん、もっとまえの作品のほうが近いかもしれない。ある意味、いままでの自分をまとめて振り返って、ここに至るまでの自分の音楽的進化に結論を出した、というか。だからおもしろくなると思うよ、僕が何をやるか、その……

次のアルバムで?

OJ:そう、次に何をやるのか(笑)。新たなるスタート、みたいな感じになりそうだから。

このアルバムで一巡したな、と。

OJ:うん、僕自身はそう感じてる。

それと関係あるのかな……さっき“Self Similarity”の話でメランコリックという言葉が出ましたが、ほかにもセンチメンタルな雰囲気を漂わせた曲がいくつもありますよね。“A Mother's Lament”、“Dishwater”、“No Time Not Mine”、“You Give And Give”あたり……

OJ:ああ……

それはいまの話にあった、これまでを振り返って総括する、という感覚と繋がっているでしょうか?

OJ:そうかもしれない。じっさいあったからね、その……なんて言うんだろうなあ……たとえば……いや、そのたとえも違うかな……、うーん……、まあ、ほかにいいたとえが思い浮かばないからスポーツ選手にたとえて言うけど、サッカー選手でもなんでもいいや、これが最後の試合だと思って自分にあるものをすべて絞り出そうとするような、そんな感じ。わかる?

はい。

OJ:自分が溜めてきたもの、知っているものを総動員して、ありったけのインスピレイションを働かせて、そしてできたものを解放する……みたいな感じだった。解放(letting go)というのは、僕にとって今回のアルバムを表す大きな意味でのメタファーだな。

なるほど。だから自分のヴォーカルを入れることになった?

OJ:ああ、それはあるね。自分の声を使うのはまえのアルバムから始めたことだけど、あのときはテクスチャーとして人間的な要素を加味するために使ったのに対して、今回はもっと……まあ、いつも自分で自分の曲に合わせて口ずさんではいたから、歌を入れるのも自然な成り行きだったのかな。いままで自分の歌をちゃんと録音したことはなくて、メロディのアイデアは自分が歌いながら作るものの、それをシンセサイザーで演奏して使うことがほとんどだったのが、今回はなぜか「ま、いいんじゃない?」って思って。声という人間的要素を楽器として取り入れる、という感覚で使ったんで、人間の魂や精神により訴えかけることができたんじゃないか、と。とはいえ、ひとつの楽器であるという見方だから、極めて民主的に、すべての楽器を平等に用いることを心がけたつもりさ。

そしてアルバムのタイトルは『The Nature Of Imitation』……と聞いて、「芸術は自然の模倣である」という有名な言い回しや、あるいはそれを顚倒させたオスカー・ワイルドの「自然が芸術を模倣する」というフレーズを思い起こす人もいるようです。何か関連はありますか?

OJ:へぇぇ、おもしろいね。たしかに……いや、おもしろいと言ったのは、アルバム制作中に具体的にその言葉が頭に浮かんだことはないんだけれども、たしかに繋がるなと、いま思ったからで。そもそもインスピレイションはどこからくるのか? 兄が源なのか? と考えると、たとえば子どもって、親が何をしてるのか何を言っているのか理解できなくても、とりあえず真似をしようとするだろ? それが何を意味するのか? たしかな知識は持ち合わせていないのに。それと同じことが、今回のアルバム制作のプロセスにもかなり言えそうなんだ。インスピレイションが湧いたら、それがなんなのかきちんとした知識や理解がないままに飛びついてみる、そして僕なりにやってみたヴァージョンがどんな音になるか試してみる……。僕はそもそも、ピアノの覚え方からしてふつうと違っていて、いわゆるフォトグラフィック・メモリーの能力があるらしいんだ。知ってる? 一度見るとすぐに記憶してしまうやつ。

はい。

OJ:あ、この話はまえにもしたよね。ピアノの先生の手を見て覚えてしまっていたから、楽譜は読めなくても弾けていたという……。

はい、はい。

OJ:だから模倣という言葉には個人的な思いも込められているのかもしれないと、いま思った(笑)。その重要性を僕は早くから知っていたんだ、と。

模倣の重要性を。

OJ:そう、真似から入ることにも意味がある、と。音楽の世界では「イミテイション」という言葉はネガティヴに取られるし、ある意味、烙印を押された言葉かもしれないけど、僕が音楽を習得する上では意味のあることだった……というのと、今回のアルバムでは自分自身を模倣するというか、これまでの自分の断片をなぞるようなことをやっているから筋はとおると思う。こうして話を聞くと人それぞれにタイトルの解釈があってほんとうに興味深いよ。

いいことですよね。

OJ:そう思うよ。

僕の音作りやプロダクションは電子機器を道具として用いたものだけど、インスピレイションそのものはむしろ人が演奏する音楽の世界から来ているんだよね。その中間のどこかに自分を置こうとしている。中間=in betweenというのが僕の立ち位置。

さて、もう30分以上お付き合いいただいてますが、まだ時間は大丈夫? あとふたつぐらい質問させてもらえたら嬉しいんですが。

OJ:ああ、大丈夫だよ。

では、エレクトロニック・ミュージックの地図上であなたの現在位置は? という質問を。さっき名前が出たジェイムスズーは、そのすべてを知りたいと言っていたそうです。そして「ミュジーク・コンクレート、シュトックハウゼン、ディムライト」ときて「ドリアン・コンセプトまで」と。

OJ:ワォ……(笑)。

彼はレーベルメイトでもあるわけですが。

OJ:うん、おもしろいな、というのも自分で思う僕の立ち位置はむしろ……、もちろんエレクトロニック・ミュージックの方面に向けても思い切り開いていて、クラフトワークやエイフェックス・ツインや、その中間にいる数々の革新者たちにもエレクトロニック・ミュージックに歴史にも大いに敬意を払っているけれど、一方で僕のインスピレイション源にはエレクトロニックじゃないものも同じくらいたくさんあるから。たとえばジャズ。ジョン・コルトレーンに触発された発想や試みもかなりあるし、はては……ジャズ・ファンク、70年代のフュージョン、90年代の即興音楽……と……だから、たしかに僕の音作りやプロダクションは電子機器を道具として用いたものだけど、インスピレイションそのものはむしろ人が演奏する音楽の世界から来ているんだよね。その中間のどこかに自分を置こうとしている、ってことかな。インプロヴァイズされた音楽とエレクトロニック・ミュージックの真んなかあたりのどこか、に。僕がやっていることを具体的にジャンルで説明するのが難しい理由もそこにあるんだろう。中間=in betweenというのが僕の立ち位置。中間でうまくバランスをとっている……というふうに僕は自分を見る傾向にある。

コルトレーンといえば、彼の新作は聴きましたか? 新作というのも変だけど、未発表曲のアルバム……

OJ:うん、聴いたよ。ダウンロードした。『Impressions』の新しいヴァージョンが聴けたのは嬉しかったなあ。あれが3つ目のヴァージョンだと思うけど、ピアノはマッコイ・タイナーだし、2018年になってコルトレーンの未発表音楽を聴けるなんてほんとうに昂奮したよ。あの時代のコルトレーンのカルテットは、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズ、マッコイ・タイナーという特別な顔ぶれで、とくに発展的で野心的で、まだ自分たちの音を模索しているような……フリージャズにはまだなっていない、そこまで実験に走ってはいないけれども、ところどころでカルテットの形式やジャズの様式から逸脱する感じがものすごくエキサイティングだ。聴いていてワクワクして、現時点で僕の年間最優秀レコードだな(笑)。

自分の演奏が2018年の世界で、形のないダウンロードという方法で聴かれることになろうとは、コルトレーンも驚いているでしょうね。

OJ:まったくだね。この脈略のない時代に。僕なんか、ここしばらくそのコルトレーンとソフィのアルバムばっかり聴いてるよ。すごいコントラストだろ?(笑) でも、まさにさっき言った、エレクトロニックと生演奏の間に僕はいるわけで。

たしかに。時代の狭間でもあるし。

OJ:そうだね。

最後に、チド・リムについてコメントをもらえますか。お友だちですよね。

OJ:うん、幼馴染だよ。最初にできた友だちのひとりかも。小学校から一緒だった。だから、6歳か7歳の頃からの知り合いだ。音楽を一緒にやるようになったのは14歳ぐらいかな。あいつのお父さんのオフィスのガレージにドラムセットがあって……ガレージっていうか、倉庫みたいなところなんだけど、4平方メートルくらいの部屋だったかな。僕は当時エレクトリック・ベースをやっていたから、そこで、そんな子どもの頃から一緒に音を出して遊んでいたんだ。『Joined Ends』のトリオでは彼がドラマーだった。いまは自分のプロダクションで忙しくしている……って、もう10年以上になるのかな、あいつがプロデューサーとして忙しくなってから。リズムに関しては、僕がいちばん影響を受けたのが彼だと言っていいと思う。ジャズ・スクールで正式にドラムを勉強した人だから、僕は彼からずいぶんいろんなことを教えてもらったよ。いまの同世代のエレクトロニック系ミュージシャンのなかではもっとも親しい友だちで、最新作の『Material』なんかはもっと高く評価されてしかるべき作品だと思う。時間がかかってもいいから、もっといろんな人が注目して聴いてくれたらいいな。あれがいまのところあいつの最強盤だから。

ありがとうございました、長々と。

OJ:ありがとう。日本でみんなと会うのを楽しみにしてるよ。

こちらはいま、熱波で大変なんですよ。

OJ:あ、聞いた、聞いた。そうらしいね。世界中が温暖化してるよね。

まったくです。でもインドアのコンサートだから大丈夫(笑)。

OJ:そうか。それを聞いて安心した。みんなによろしくね。

interview with X-Altera (Tadd Mullinix) - ele-king


X-Altera
X-Altera

Ghostly International / ホステス

Drum 'n' BassTechno

Amazon Tower HMV iTunes

 ダブリー(Dabrye)名義の諸作で知られるタッド・マリニックスによるエクスペリメンタル・ビーツ・プロジェクト、エックス・アルテラ(X-Altera)が同名義のアルバムを発表した。1994~95年頃のジャングル/ドラム&ベースを思わせる、というかモロに「あの時代」なディテールがあちこちに仕掛けられており、思わずニヤリとしてしまう。
 アルバム『エックス・アルテラ』で聴ける「あの時代」のディテールとは? まずはドラム。ピッチを上げたブレイクビートのビットレートを粗くしてさらにフェイザーで潰したドラムは、ファットなヒップホップのドラム・キットにはないメタル・パーカッションのようなクランチな響きと、頭上から音の粒が降ってくるような不思議な聴感をもつ。このドラムをサイン波を用いた低周波のベースと組み合わせることで、中音域にスペースを取った広がりのある音響空間を設計し、浮遊感のあるサウンド・エフェクトを演出することができる。
 こうして書いてみると、やっぱりものすごい発明だったんだなあ、あれは。当時のジャングル/ドラム&ベースのシーンでは、イノベーションがものすごい速度と物量でおこなわれていた。その後ドラム&ベースはより機能的に、ダンス・オリエンテッドに進化していき、機材もサンプラー+シーケンサーからDTMへと変化していった。そんなわけで、あの時代のドラム&ベース・サウンドは、いまでは再現困難な技術革新期のロスト・テクノロジーのような存在となっている。
 『エックス・アルテラ』には、ほかにも当時の定番というかお約束の、トランスポーズしたシンセ・ストリングスのブロックコードや、タイムストレッチしたラガMCのかけ声、エコーのかかった女性のヴォイス・サンプルなんかもあちこちに散りばめられており、あまりの懐かしさに思わず笑ってしまう、そして、エレクトロニック・ミュージックが無邪気でオプティミスティックだった時代の空気が真空パックされているような感覚に、ちょっぴり切なくなってしまうアルバムだ。
 いわばシークレット・テクノロジーとなってしまったこういった音作りを、なぜいま再現しようとしたのか? というわけで、コンセプトや制作に至る背景、制作環境などを本人にたずねてみた。

強すぎるコンプレッションやサチュレイション、超広域での極端なスタジオ・エフェクトに、俺の耳はうんざりしてきてしまった。90年代半ばのポスト・プロダクションが、いまの自分にしっくりくるんだ。

X-Altera のアルバムは、1994年~95年頃のドラム&ベースを思わせる音作りで、とても懐かしく、新鮮に感じました。あなたがどのような思いでこのアルバムを制作したのか、とても興味があります。まず、当時アメリカであなたはどのようにドラム&ベースに出会い、触れていましたか? レコード・ショップやクラブ、ラジオなど、当時のあなたの音楽と出会う環境について教えてください。

タッド・マリニックス(Tadd Mullinix、以下TM):90年代半ば、エレクトロニック・ミュージックにハマり出した時期にドラム&ベースと出会ったんだ。高校の友だちとスケートボードをはじめて、デトロイトのレイヴ・パーティなんかにも行くようになって。俺よりもいくつか年上の Mike Servito が Submerge に連れていってくれて、そこでDJをさせてもらったりね。友だちとレコード・ショップに通って、レイヴで聴いた曲のレコードを集めるようになった。いつも誰かと一緒に音楽を作っていたな。スピード・メタルからパンク、パンクからインディ・ロック、ロックからシューゲイズ、シューゲイズからIDMって感じで、いろんなジャンルをとおったよ。
 当時は欲しかった機材の値段が高くて、10代だった俺に買えたのはせいぜい Boss のドラムマシーンか中古のグルーヴボックスくらいだったんだけど、それだけじゃジャングルみたいなスタイルの音楽はどう頑張っても作れないから、それがすごく不満で。だけどそんなときに、ロジャーっていう友だちのパソコンオタクが、自分のコンピューターで動かせるトラッカーソフトの使い方を教えてくれてね。それからそのソフトウェアで実験的に、テクノやヒップホップ、ハウス、アシッドにジャングルと、いろんなタイプの音楽を作りはじめた。いま思えば、あれが大きな転機だったな。
 デトロイトのテクノのレイヴにはゲットーテックかディープ・ハウス、もしくはジャングルだけを流すセカンド・ルームがわりとあったりしたんだ。そこで地元のレジェンド的存在だった Rotator がワイルドでヤバいジャングルをプレイしてるのを見て、そのときかけた曲を必死でレコード・ショップで探したよ。そういったパーティの現場とか、友だちとテープを交換したり、レコード・ショップを漁っているうちに、様々な発見があった。当時レコード・ショップってのは本当にどこにでもあって、ジャングルとドラム&ベースも必ず置いてあったしね。Goldie の『Timeless』と AFX の『Hangable Auto Bulb』が新作の棚に並んでいたのを思い出すよ。
 そのうちに Todd Osborn がやってた Dubplate Pressure って店を知って、気づけば常連になっていて、Toddと一緒に音楽を作るようになった。店にはグラフィティの雑誌とか、ターンテーブリズムのテープにブレイクダンスのビデオ、ジャングルとヒップホップのレコードがとくに充実していて、ユニークで最高だったよ。その後、彼のところで仕事をするためにアナーバーに引っ越して、一緒に〈Rewind〉っていうレーベルを立ち上げてから、Soundmurderer & SK-1 って名義でジャングルの曲をリリースできるようになった。そのうちに Todd が俺に Sam Valenti (註:〈Ghostly International〉の創立者)を紹介してくれて、それが〈Ghostly〉でのキャリアに繋がった経緯でもあるんだけど、それ以前は Todd とふたり、デトロイトでジャングルのレジデントDJとしても活動していたよ。

あなたが好きだった1994年~95年頃のドラム&ベースのアーティストやDJ、レーベルを教えてください。

TM:Photek、Source Direct、Peshay、Dillinja、Doc Scott、Jamie Myerson、4 Hero、Goldie、LTJ Bukem。レーベルは〈Metalheadz〉、〈Reinforced〉と〈Certificate 18〉だね。

2018年の新譜でこういう音が聴けるとは思ってもいなかったので、とても驚きました。90年代にすでにあなたはドラム&ベース・トラックを作っていましたか?

TM:90年代はラガ・ジャングル・スタイルのプロデュースをしていたよ。それからダークなドラム&ベースも。X-Altera はそのほかにいろいろなストラテジーやテクニックを取り入れているけど、基本の部分はとても似ている。X-Altera はテクノやIDM、アンビエントな雰囲気をより多く持っているけど、本質的に、その文脈にブレイクビートのサンプルは含まれていない。パーカッションのデザインもまったく違うね。
 ミックスの仕方については、X-Altera が90年代と結びついているといえるもうひとつの要素だ。一般的に、現代的なエレクトロニック・ミュージックはミックスもマスタリングもすごくアグレッシヴなんだ。強すぎるコンプレッションやサチュレイション、超広域での極端なスタジオ・エフェクトに、俺の耳はうんざりしてきてしまった。90年代半ばのポスト・プロダクション、アーティストとしての形成期だった頃のやり方が、いまの自分にしっくりくるんだ。もっと自然で、よりダイナミック、コマーシャルな要素が少ないサウンドがね。

アルバムの楽曲の多くは1993~1994年頃のドラム&ベースと同じく、BPM 140~150で作られています。このテンポは、ブレイクビートを使ってダブやジャズ、ブラジル音楽のような刻みが細かく複雑で豊かなリズムを作ることができます。その後、1996年以降のドラム&ベースはBPMが160~170に上がり、リズムの隙間がなくなり刻みが半分になります。BPMが上がりリズムが単純になることで、ドラム&ベースはダンスフロアでより踊りやすく機能的な音楽になりましたが、そのぶんリズムの複雑性と多様性は失われました。アルバムの楽曲をこのBPMに設定した意図は?

TM:そのとおりだよ。テンポに少し空間があることによって、より複雑に作り込むことができるし、テクノやゲットーテックへとリンクさせることも容易になるからね。それに、ジャングルとドラム&ベースのアーティストは比較的短い期間だけど、同様にデトロイト・テクノを解析していたんだ。多くのドラム&ベースがテクノからの影響を受けているのは明らかだけど、デトロイトはそこに異なる作用をもたらしているということを強調しておきたい。デトロイト・テクノは奥深いし、その時点から新たに切り開かれていった要素も多くある。遅めのテンポのレンジに関してもうひとつ言えるのは、ポスト・ダブステップやトラップ、ネオ・フットワークのようなスタイルや、そこで流行している半拍のグルーヴからは完全に分岐しているということだね。

多くのドラム&ベースがテクノからの影響を受けているのは明らかだけど、デトロイトはそこに異なる作用をもたらしているということを強調しておきたい。

『X-Altera』の制作機材について教えてください。当時はサンプラーとソフトウェア・シーケンサー(CuBaseやLogic)、ラック・タイプのコンプレッサーやエフェクターが多かったのですが、サンプラーのメモリーには限界があり、またブレイクビートのエディットも手間のかかるものでした。当時は機材の制約がありましたが、それゆえのクリエイティヴィティもありました。ラップトップですべて制作できる現在の環境とはずいぶん違いますが、あなたはどうやってこの音を作りましたか? あえて機材の制約を設けて作ったのではないかと、私は想像しています。

TM:素材をいじりすぎないってのがベストなんだ。厳密に言えば、それはもちろん制約ではあるけれど、自分の作業のなかでいうと、もっと自制に近い感じさ。考え方としては絵を描くことと同じだよ。絵が完成するまでに執拗に手を加えすぎると、その作品に「手さばき」みたいなものが出てきてしまうだろう? そこで、自信を持ってプロセスを完遂できるかどうかが試されるのさ。機材には Renoise という最新のトラッカーと、Ableton Live を使ってアレンジ、エフェクト、ミックスまでやった。Ableton 内蔵の数多くの楽器に加えて、いくつかハードウェア・シンセも使った。自分仕様にした Make Noise Shared System に、Alpha Juno 2、JV-2080。それに自分が90年代から溜め込んできたサンプルもたくさん使ったよ。

クラブ・ミュージックやエレクトロニック・ミュージックの歴史において、ドラム&ベースが成し遂げた最大の功績はなんだと思いますか?

TM:いちばんの偉業は、ひとつのサンプルに対して何ができるのかっていう問いを作り手側に投げかけたことじゃないかな。

『X-Altera』のリズムや音響に対するアプローチは、当時の A Guy Called Gerald に似ていると思いますが、ご自身ではどう思いますか?

TM:核心をついてるね! 俺が何に影響を受けたかといえば、彼のレーベル〈Juice Box〉のサウンドと、『Black Secret Technology』さ。それこそが自分のバックグラウンドやいまの環境を作ってきた音楽だけど、タイムレスだし、いま聴いてなお未来的なものだよ。

X-Altera をはじめるきっかけのひとつが、Kenny Larkin の『Azimuth』を聴き直したことだったそうですね。また「X-Altera」という名義には X-102 や X-103 へのオマージュも込められているそうですが、あなたにとってデトロイト・テクノはどのような存在なのでしょう?

TM:そのとおりさ。「X-Altera」の「X-」って部分は自分に多大なる影響を与えた H&M/UR のプロジェクトのリファレンスだよ。それに、Larkin や Twonz、K Hand、Claude Young に D-Knox、D Wynn、Bone をはじめとするデトロイトのテクノ・フューチャリストたちへのリスペクトははかりしれないね。ちなみにこの名前はラテン語の「ex altera」にも由来していて、「べつの面から」という意味でもあるんだ。

他方で、本作を作るにあたって B12 や The Black Dog などの〈Warp〉の「Artificial Intelligence」シリーズからもインスパイアされたそうですね。そのようなサウンドとドラム&ベースを両立させるときに、もっとも苦心したことはなんですか?

TM:そういった作業のなかでいちばん難しかったことは、コンセプトに執着しすぎないようにすることだった。あくまで健全に、リラックスした姿勢でいることが大事なんだ。そういった自分のなかの勝手な制約みたいなものは、作品に音として出るべきではないと思うし、ひとつのアイデアに囚われすぎることのないよう意識したよ。

このアルバムを作ったことであなた自身に変化はありましたか?

TM:確実にあったね。とくにこれからの針路や目的において、かなり重要な変化があったように感じている。

あなたは Dabrye 名義でのヒップホップを筆頭に、James T. Cotton 名義ではアシッド・テクノをやったり、Charles Manier 名義ではインダストリアルなEBMをやったり、あるいは 2 AM/FM や MM Studi といったグループではほかのアーティストとも積極的にコラボレイトしています。じつに多くの活動をされていますが、各々のプロジェクトにはコンセプトがあるのでしょうか? またそれぞれのあいだに優先順位のようなものはありますか?

TM:すべてのプロジェクトにはユニークなエッセンスがあって、順位ではなく、各々に伝えたいことが異なっているんだ。それぞれがジャンルで切り分けられるけれど、どれもその原型に忠実になりすぎないようにしているんだ。

次はどんな音楽を作ろうと考えていますか?

TM:Nancy Fortune の新しいプロジェクト Deathwidth を X-Altera がリミックスする予定で、いまはちょうどそれに取り組んでいるんだ。すぐにでもレコーディングに取りかかれそうな、新しい JTC の素材も揃っているし。それに、Dabrye のビートについても新たなチャプターに進むつもりでいるよ。できることなら、どれも早めに届けられるといいけど。

いま音楽以外でいちばんやってみたいことはなんでしょう?

TM:じつは絵を書いているんだ。アブストラクト、もしくはフィギュラティヴなもの。アール・ブリュットやネオ・エクスプレッショニズムと呼ばれるジャンルのものをね。それからワインと料理することが好きだから、食に関連することもできたら、なんて思うこともあるよ。

The Sea and Cake - ele-king

 去る5月、じつに6年ぶりとなるニュー・アルバム『Any Day』をリリースしたザ・シー・アンド・ケイクが、今秋11月に来日公演を催します。前回の来日は2014年ですから、4年ぶりですね。この滅多にないチャンスを逃す手はありません。11月5日@ビルボードライブ大阪、11月7日@ビルボードライブ東京、いずれも1日2回公演となっております。詳細は下記よりご確認ください。

ザ・シー・アンド・ケイクの来日公演が11月に東京・大阪で開催決定

【来日公演詳細】
11/5(月)ビルボードライブ大阪
https://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11163&shop=2
11/7(水)ビルボードライブ東京
https://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11162&shop=1

【CD情報】
The Sea and Cake (ザ・シー・アンド・ケイク)
『Any Day』 (エニイ・デイ)
https://www.faderbyheadz.com/release/headz229.html


【ビルボードライブ大阪】 (1日2回公演)

11/5(月)
1st ステージ 開場17:30 開演18:30
2nd ステージ 開場20:30 開演21:30

サービスエリア ¥7,000-
カジュアルエリア ¥6,000- (1ドリンク付き)
※上記に加え別途ご飲食代が掛かります。

【ビルボードライブ東京】 (1日2回公演)

11/7(水)
1st ステージ 開場17:30 開演19:00
2nd ステージ 開場20:45 開演21:30

サービスエリア ¥7,000-
カジュアルエリア ¥6,000- (1ドリンク付き)
※上記に加え別途ご飲食代が掛かります。


【発売日】
Club BBL 会員先行=8/29(水)AM11:00 より
一般予約受付開始=9/5(水)AM11:00 より
Billboard Live Official Web:https://www.billboard-live.com/


Tim Hecker - ele-king

 先日、雅楽グループの東京楽所(とうきょうがくそ)とコラボした新作のリリースを公表し、ファンを驚かせたティム・ヘッカー。2016年の『Love Streams』に続くその新作『Konoyo』は9月28日に〈Kranky〉より発売されますが、すでにワールド・ツアーも決定しており、10月2日には東京公演も開催されます。ティム・ヘッカー本人と、彼の長年のコラボレイターであるカラ=リズ・カヴァーデイル、そしてコノヨ・アンサンブルなる名のもとに集った雅楽のミュージシャンたちによるパフォーマンスが披露されるとのこと。なんと、「全着席」の公演です。公開された新曲を聴きながら、楽しみに待っていましょう。

カナダ人エクスペリメンタル・コンポーザー Tim Hecker (ティム・ヘッカー)が、昨年“東京の郊外のとある寺”で雅楽団体・東京楽所のメンバーと共同作業し制作した9枚目のソロ・アルバム『Konoyo (この世)』を〈Kranky〉から9月にリリースすることを発表。

“Konoyo Ensemble”と題した雅楽のミュージシャンと、Tim Hecker の長年のコラボレーターであるコンポーザー Kara-Lis Coverdale (カラ・リズ・カバーデール)を伴うライヴ・パフォーマンスの世界初演を、10/2、WWW X にて開催します。

今回の公演は、これまでの東京でのパフォーマンスの際オーディエンスからのリクエストが多かった“全着席”公演。西洋的な音階、繊細な静寂と暴力的なまでのラウドネス、あらゆる境界の狭間をたゆたうように行き来し、これまで常に“音”の新たな境地を切り拓いてきた Tim Hecker による最新のパフォーマンスを存分に堪能してください。

アルバムのオープニング・トラック“This Life”が公開されました。
https://www.youtube.com/watch?v=90unmGG4eKI

東京公演を皮切りにスタートするワールドツアーは下記の通り。
10-02 - Tokyo, Japan - WWW X
10-06 - London, England - Barbican
10-07 - Krakow, Poland - Unsound
10-08 - Berlin, Germany - Funkhaus

【東京公演 概要】
タイトル:Tim Hecker “Konoyo” Live in Tokyo
出  演:Tim Hecker + the Konoyo Ensemble
日  程:2019年10月2日(火)
会  場:WWW X
時  間:OPEN 19:00 / START 20:00
料  金:前売¥5,000 / 当日¥5,500(税込 / ドリンク代別 / 全自由席)
チケット:一般発売:8月8日(水)e+ / ローソンチケット / Resident Advisor / WWW店頭
問い合せ:WWW X:03-5458-7688

主催・企画制作:WWW


■Tim Hecker (ティム・ヘッカー)

カナダ出身、現在は米ロサンゼルスを拠点に活動するサウンド・デザイナー/コンポーザー。00年代前後のグリッチやクリックといった音響エレクトロニック・ミュージックにおける一代ムーヴメントで頭角を表し、ノイズ、不協和音、音の断片を巧みに用いたメロディや空間を構築する、シーンきっての人気・実力共にトップクラスのアーティスト。これまでに Jetone 名義で〈Force Inc.〉、本名名義で〈Mille Plateaux〉、〈Alien8〉、〈Kranky〉といった名門レーベルからコンスタントに作品を発表。2011年にリリースされた『Ravedeath, 1972』は、Pitchfork をはじめとする様々なメディアで非常に高い評価を受け、ジュノー賞(カナダ版グラミー賞)ではベスト・カナディアン・エレクトロニック・ミュージック・アルバムを受賞。2012年には Daniel Lopatin (Oneohtrix Point Never)との共作『Instrumental Tourist』を発表。2013年には初のジャパン・ツアーもおこない、圧巻のパフォーマンスを披露。その後発表された最新アルバム『Virgins』(2013年)は前作を凌ぐ傑作と絶賛された。2014年には再来日を果たし《TAICOCLUB》に出演、深夜のこだまの森で幽玄なアンビエントを響かせた。2016年、8枚目のフルアルバムとなる『Love Streams』を英〈4AD〉からリリース。親交の深い Jóhann Jóhannsson や Ben Frost らも参加した今作で、アイスランドの聖歌隊のヴォーカルや加工された木管楽器などの生音とアブストラクトなエレクトロニック・サウンドを融合、新境地のサウンドスケープを提示した。そして2018年9月に9枚目のフル・アルバムとなる『Konoyo』のリリースを発表。本作は雅楽団体“東京楽所”のメンバーと共に東京郊外のとある寺でその大部分を制作。日本の伝統音楽である雅楽と Tim Hecker 独自のアブストラクトなマニピュレーションスタイルを融合させた新境地となっている。

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