「AY」と一致するもの

01. Meshell Ndegeocello’ - “Hot Night”(2002)

ポリティカル・コレクトネス(PC)を強く意識することは、表現者にとって規制や不自由さや縛りなどではなく、表現を磨くための糧になるということを彼女の音と言葉に接することで学ばされる。PCが表現を窮屈にするなんて考えるのは前時代的な甘い考えよ、芸風を磨き、洗練させなさい、ということだ。そう、洗練という言葉は、ミシェル・ンデゲオチェロの音楽にこそふさわしい。よく知られているように彼女は早くからバイセクシャルであることも公言してきた。

「Hot Night」が収録された『Cookie: The Anthropological Mixtape』という通算4作目となるアルバムの中には、「ハイクラスからミドル・クラスにゲットーまで」(「Pocketbook」)という歌詞があるのだが、たしかにここには汚い言葉もあれば、上品な言葉もあり、社会に“あるものはある”という前提の上で、しかし彼女なりの厳密な社会意識や政治意識に基づいた表現を追求している。ジャズ、ファンク、ゴーゴー、ヒップホップ、ポエトリー、ハードコア・ラップなどがあり、そういう点での風通しの良さも素晴らしい。

「Dead Nigga Blvd., Pt. 1」では「若いアホ共=young muthafuckas」が高級車を乗り回したり、カネを稼ぐことしか頭にないことを叱咤し、アンタたちを奴隷から解放するのに貢献したアフリカンはもっと立派だったと言う。が、また別の曲では「自分の財布にお金が入ってるのを見るのって好きでしょ、いいのよそれで」と優しく愛撫するように囁く。2パックやビギーに捧げられた曲もあり、さらになんと言っても、ロックワイルダーとミッシー・エリオットによる「Pocketbook」のリミックス・ヴァージョンではあのヤンチャなレッドマンがダーティなライムをかましている。そういう懐の深さがある。

だからタイトルの“人類学のミックステープ”は上手い。“あるものはある”。だが、達観や俯瞰とは違う。開き直りでもない。譲れない信念はある。「Hot Night」が素晴らしい。プエルトリコ出身のサルサ・シンガー、エクトル・ラボーの「La fama」からサンプリングされたファンキーなホーン・セクション、スーパー・デイヴ・ウェストの弾けるビートが“暑い夜”をさらに熱く、官能的に盛り上げる。冒頭のスピーチは、アンジェラ・デイヴィスが唱えた監獄産業システムについての演説で、彼女には『監獄ビジネス――グローバリズムと産獄複合体』という著作がある。

つまりミシェルはこの曲で反資本主義をひとつの立脚点にしているが、逡巡がないわけではない。「なんかアタシったら革命のロマンティックな部分にだけ魅了されてるみたいだわ/救世主だとか、預言者だとか、ヒーローだとか」と自分にツッコミを入れる余裕はある。わかる。その上で「でもさ、それ以外に何がある?」と切り返し歌う。どこまでもクールに磨きかけられた言葉と音で。

アタシ達が生きてるこの社会はさ
レイプに、飢餓に、欲に、要求に
ファシストに、お決まりの政権、白人の男社会に、金持ちの男に、民主主義
それで成り立ってる社会でしょ?
パラダイスという名の世界貿易に悩まされながらさ


02. Crooklyn Dodgers 95 - “Return of the Crooklyn Dodgers”(1995)

昨年、『ザ・ワイヤー』というアメリカのドラマにハマった。メリーランド州ボルティモアの麻薬取締の警察と地元の黒人の麻薬組織/ストリート・ギャングの攻防を通して都市の犯罪や政治、警察組織の腐敗、ブラック・コミュニティの現実や諸問題などを描き出す、刑事ドラマとフッド・ムーヴィーを掛け合わせたようなドラマだ。HBOで2002年から2008年に放映され、非常に評価も高かった。それこそこの手のアメリカのドラマは“PCと格闘”(三田格の『スリー・ビルボード』評を参照)しながら、個々の人物や人間模様を巧みに、丁寧に描き、物語を作り出す点が見所でもある。

そのドラマの黒人のキッズのフッドでの麻薬取引のシーンを観て思い出したのが、スパイク・リーが監督したNYのブルックリンを舞台としたフッド・ムーヴィー『クロッカーズ』(1995)だった。両者が同じようなプロットとテーマだったのは、この映画の原作者である作家=リチャード・プライスが『ザ・ワイヤー』に脚本家として参加しているからだった。

そしてこの映画の主題曲と言えるのが、チャブ・ロック、O.C、ジェルー・ザ・ダメジャという3MCによるスペシャル・ユニット、クルックリン・ドジャーズ 95の 「Return of the Crooklyn Dodgers」である。ブルックリンに深い縁がありこの街への並々ならぬ愛情を持つであろう3MCは、しかし1980年代中盤以降、コカインやクラックといった麻薬そして暴力に蝕まれていったブルックリンの惨状を淡々と残酷なまでにライミングしていく。彼らはストリートとフッドを描写するライミングのなかに、この街の惨状の背景に、ベトナム戦争、社会保障の打ち切り、植民地主義、監獄ビジネスがあるという事実を巧みに折り込んでいく。

なぜ、僕がこの曲を選ぶのか。それは、過酷な現実を描くいわゆるリアリティ・ラップがプロテスト・ミュージックになり得るのか? という問いを考える際に真っ先に思い浮かぶのがこの曲だからである。N.W.A.の例を挙げるまでもなく、アメリカの保守層から、リアリティ・ラップあるいはギャングスタ・ラップは暴力を助長すると批判され続けてきた。けれども、暴力を賛美することと暴力が存在する現実を描写することは決定的に違う次元にあるということを『クロッカーズ』と「Return of the Crooklyn Dodgers」を通じて僕は知ったわけだ。DJプレミアの抑制の効いたブーム・バップ・ビートが最高にドープであることも付け加えておこう。


03. THA BLUE HERB - “未来は俺等の手の中”(2003)

「何時だろうと朝は眠い」という歌い出しからして秀逸だ。たったこのワンフレーズで労働者の憂鬱を見事にとらえている。あの出勤前の朝のメランコリーを――。時給650円の飲食店のバイトでくたびれた体とヨレヨレのジーンズの裾を引きずりながら休憩室へ行き、タバコの煙で白くなった休憩室で「自由とは何だ?」と自問する。レコードをプレスするが思うようには売れず、借金だけが増えていく。「明日は今日なのかもしれない」と理想と現実の乖離、肉体労働のルーティンに鬱々とする。状況は好転しそうにない。

ILL-BOSSTINOはこの曲で、『STILLING,STILL DREAMING』(1999)というクラシックを作り上げ、富と名声も得て名実ともに成功をおさめる以前の苦悶の日々を描いている。「未来は俺等の手の中」が発表されたのは2003年、この国でも“格差の是正”が叫ばれ始めた時代だ。エレクトロニカから影響を受けた変則的なビートと浮遊するシンセが織り成す、静寂と騒々しさを往復するO.N.Oのトラックは、BOSSの焦燥やもがきとシンクロしている。

この曲は中盤でTHA BLUE HERBのその後の成功をわずかに匂わせるものの、「しかし、何時だろうと朝は眠い」という冒頭のワンフレーズをカットインすることで労働者のメランコリーの深さから離れない。苦悶と微かな希望に留まる。仮に壮大な成功物語へと展開してクライマックスを迎えたとすれば、ラッパーのサクセスストーリーを描く曲になっただろう。「未来は俺等の手の中」はヒップホップ的セオリーを巧妙に回避することでスペシャルな1曲になった。この曲は当時、非正規雇用の労働者、フリーターの労働運動を担う人びとのあいだでも支持された。BOSSはクライマックスで、人びとのオアシスとして機能するダンスフロアの美しさを描いたのだった。


04. KOHH - “働かずに食う”(2016)

労働の拒否である。だが、労働の拒否は必ずしも怠け者の価値観を肯定することではない。KOHHは「俺は働かずに食う」「いつも遊んでるだけ/みんな仕事ガンバレ/やりたくなきゃ辞めちゃえ/時間がもったいない」と挑発的に、そう、エフェクトでヨレたように加工された声でまさに挑発的にフロウしている。せわしなく連打されるトラップのハイハットと不穏な電子音のゆらぎが挑発的な雰囲気を増幅させる。

が、KOHHが労働倫理に厳しいラッパーであることは、彼の活動を追っていれば容易に想像がつく。労働を否定して怠け者を礼賛しているものの、人一倍汗水流して働く人間もいる。それをダブルスタンダードだ、矛盾だと批判するのはお門違いだ。パフォーマンスはパフォーマンスである。KOHHというアーティストにとっての労働は皿を洗うことでも、HPの更新作業をすることでも、書類を作ることでもなく、絵を描き、ラップを録音し、ライヴをし、タトゥーだらけの身体を人前で見せる芸術活動である。

だが、さらにKOHHが一筋縄でいかないのは、芸術に生きることを肯定すると思わせておいて、「芸術なんて都合良い言葉」「言葉なんて音だ~/ただの音だ~」とそこさえもひっくり返して煙に巻いてくるところだ。KOHHのパフォーマンスには複数の、時に対立さえするメッセージが重層的に折り込まれている。

とはいえ、僕は「働かずに食う」という労働の拒否のパフォーマンスを真に受けるのは意義のあることだと思っている。一度道を踏み外してみてもいい。それは、労働と資本主義をいちど相対化する作業だ。問題はそこから個人がどう考えて行動するかにある。「働かずに食う」は『YELLOW T△PE4』というミックステープに収録されている。


05. Kendrick Lamar - “Hiii PoWeR”(2011)

近年の「ブラック・ライブズ・マター」のアンセムとなった「Alright」という意見もあろうが、しかしケンドリックの思想の根幹や原理は「Hiii PoWeR」に凝縮されているのではないか。2011年に発表され、ケンドリックの評価を決定づけたミックステープ/デビュー・アルバム『Section.80』からのリード曲だ。ビートはJ・コールが作っている。政治組織で言えば綱領のようなもので、ケンドリックの理想を明確に打ち出した曲だ。

「Hiii PoWeR」の3つの“iii”は、心、名誉、尊敬を表しているという。アメリカの体制や政府や社会制度というシステムによって憎悪を植え付けられ、自尊心を棄損され、打ちのめされつづけてきたアフリカ系アメリカ人が、心と名誉と尊敬の力でムーヴメントを起こし自分たちの帝国を築くのだと。すなわち自己変革を説き、自己変革が体制変革へつながると主張する曲で、マーカス・ガーヴェイ、キング牧師、マルコム・X、ブラック・パンサーなどの人物や政治組織がリリックに登場する。

だから、その理想は特別に目新しいものではないものの、この曲のリリックにも登場するヒューイ・P・ニュートンの自伝『白いアメリカよ、聞け(原題:Revolutionary Suicide)』にしてもそうだが、システムによっていかに健全な心や精神が歪められ、正常な善悪の判断が狂わされてきたのか、と体制や権力と個人の心や精神のあり方をまずつぶさに考察し、尊厳の回復を出発点にすることの重要性をいま一度考えさせられる。アレサ・フランクリンにも「RESPECT」という名曲がある。「Hiii PoWeR」そしてケンドリックの素晴らしさとは、自己変革と体制変革、精神と運動(ムーヴメント)を同時に思考し展開させることのできる洞察力にある。


長年アメリカのヒップホップをはじめとするブラック・ミュージックを紹介し続けてきた信頼すべきLA在住のライター/翻訳家の塚田桂子さんのブログ「hip hop generation ヒップホップ・カルチャーがつなぐ人種、年代、思考 、政治」の対訳と註釈を参考にさせてもらった。


06. Janelle Monáe & Wondaland - “Hell You Talmbout ”(2015)

「ブラック・ライブズ・マター」と呼応した数多くの楽曲の中で、R&Bシンガーのジャネル・モネエの「Hell You Talmbout」は、実践の場すなわちデモや集会でその威力を最も発揮する曲のひとつだろう。そういう場で歌われ、演奏されることを想定して作られているように思う。日本で言えば、デモのドラム隊の演奏とコールがあれば、この曲は再現できる。モネエとともに、彼女が設立したインディ・レーベル〈Wondaland〉のアーティストたちが参加している。警察や自警団の暴行やリンチによって殺害された、あるいはその疑いがあるアフリカ系アメリカ人の名前を挙げ、「say his name」「say her name」と聴衆に名前を叫ぶことをうながす。公民権運動に火を付けたと言われる、リンチの被害者、エメット・ティルや、警察の蛮行(Police brutality)の問題が広く議論されるきっかけになったとも言われるNY市警察による射殺事件の被害者、アマドゥ・ディアロ、ヘイト・クライムの被害者の名前も歌われる。

実際にライヴや集会と思われる場の映像をいくつか見たが、とにかく力強く、人びとを巻き込んでいく。ゴスペル・フィーリングにあふれ、ビートはドラムラインが激しく打ち鳴らす。モネエの出身地、アトランタに根付くマーチング・バンドの伝統が息づいている(『ドラムライン』という映画を観てほしい)。この曲の根幹にあるのは、慰めでも、説得でもなく、直接的な激しい怒りだ。ある欧米のメディアは、そのシンプルさゆえに力強く、コンセプト、演奏ともに“ground-level”の曲であると紹介している。つまり、“地べた”の怒りのプロテスト・ミュージックである。


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07. NAS - “American Way”(2004)

ナズの曲の中ではマイナーな部類に入るだろう。『Street's Disciple』という2枚組のアルバムに収録されている。冒頭、「近年社会意識のある政治的なラッパーの出現が見受けられます。ヒップホップ界の新しいトレンドのようです」というコメントが報道番組のニュースキャスターのような口調で読み上げられる。そして、ナズは宣言する。「ナズはアメリカに反逆する」と。つまりこの曲でナズはアフリカ系アメリカ人の立場から“反米”を鋭く主張している。

『Street's Disciple』の発表は2004年、イラク戦争まっただ中の時代だ。ブッシュ政権の下で国家安全保障問題大臣補佐官と国務長官を歴任したアフリカ系アメリカ人の女性政治家であるコンドリーザ・ライスを“アンクル・トム”として槍玉にあげ、ファースト・ヴァースの最後を「フッド出身の議員が必要だな(Need somebody from hood as my council men)」というライミングでしめくくっている。

推測するにタイトルの“American way”=“アメリカ流”は、ブッシュを象徴とするワスプのアメリカ流とナズを象徴とする黒人のアメリカ流というダブル・ミーニングではないか。客演で参加するR&Bシンガーで元妻のケリスがフックで発する「American way」というアクセントはどこか皮肉めいているし、アルバムでこの曲に続くのはストークリー・カーマイケルやニッキ・ジョヴァンニ、タイガー・ウッズやキューバ・グッディング・ジュニア、あるいはフェラ・クティやミリアム・マケバなどの“黒人のヒーロー”を称賛する「There Are Our Heroes」という曲だ。

「American way」のごっついブーム・バップ・トラックは、アイス・キューブの「The Nigga Ya Love to Hate」でも使用されたジョージ・クリントンのデジタル・ファンク「Atomic Dog」のサンプリングから成るが、ナズはアイス・キューブのこの曲を意識していたに違いない。


08. A-Musik - “反日ラップ”(Anti-jap rap)(1984)

反米を主張したり、反米を掲げるラッパーやミュージシャンやアーティストに支持を表明することは容易いように見えるが、しかし、2018年現在、“反日”という主張あるいはテーゼや思想、もしくは問題提起ですら死滅状態である。どこか大事な問題が棚上げされている思いに駆られる……そんな時に「反日ラップ」を聴くと心が奮い立つ。

数年前に僕はこの曲でラップする竹田賢一さんと昼食をともにする貴重な機会を得た。ミュージシャンであると同時に、1970年代中盤以降のこの国のジャズ/フリージャズ、前衛音楽の音楽批評を牽引した音楽評論家の大先輩との対面に僕は極度に緊張していた。それでも「反日ラップ」についてだけはどうしても訊きたかった。竹田さんはギル・スコット・ヘロンやザ・ラスト・ポエッツの音楽やそれらに関する欧米の音楽ジャーナリズムを通じて “ラッピン”と呼ばれるアフリカ系アメリカ人の話術の文化を知り、自分でも試みたのが「反日ラップ」だったと語ってくださった。すなわち「反日ラップ」は、『ワイルド・スタイル』の日本公開や原宿のホコ天、あるいは1980年代のサブカルチャーや雑誌文化とは異なる水脈から生まれた日本のラップの初期の一曲である。

さらに重要なことは、アフロ・アメリカンの抵抗の音楽/芸術を日本のアジア諸国に対する経済的な植民地支配への抵抗と結びつけ表現したことだ。なにしろ「反日ラップ」のリリックの中身である。A-Musikのサイトにはリリックについてこう記されている。「『反日ラップ』のテクストは、東アジア反日武装戦線KF部隊<準>による『生まれ出でよ!反日戦士──フレ・エムシ第1詩集──』の冒頭に収録されている、『ワレらが旅立ち』という詩」であると。

そして、じゃがたらのホーン・セクションの要であったサックス奏者の篠田昌已、FLYING RHYTHMSでの活動やKILLER-BONGとのセッションでも知られるドラマーの久下恵生、シカラムータの大熊ワタルらが生み出す演奏は、ジャンク・ファンク・ジャズと形容したくなる猥雑なサウンドだ。

A-Musikはヒップホップ・カルチャーとは無縁だったし、いまも深い関わりはない。が、ブラック・カルチャーとは深い関係があった。ブラック・パンサーに多大な影響を与えたフランツ・ファノンのポストコロニアル理論は東アジア反日武装戦線の思想の背景でもあった。2パックの伝記映画『オール・アイズ・オン・ミー』を観たり、あるいは近年のケンドリック・ラマーの活躍を見るたびに、ブラック・パンサーの武装闘争路線なども含めた活動の総括や反省や回顧そしてそれらをめぐる議論が耕したアメリカの黒人社会の土壌がなければ彼らの存在もなかったのではないか、そんなことを思う。

いまの時代に反日を主張したり、問題提起することでさえ、僕だってカラダが底冷えするぐらいに恐ろしい。けれども、「反日ラップ」や「反日ラップ」を通じた東アジア反日武装戦線をめぐる議論はいまこそ意義があるのではないかとは思う。「反日ラップ」を作った勇気ある音楽家たちは偉大である。


9. THE HEAVY MANERS – “Terroriddim (Rudeboy Anthem) Feat. Killer-Bong”(2008)

ベースの太さと強靭なスネアとバスドラ、心をざわつかせるフライング・シンバルの細かい律動はそれだけで何かを訴えかけてくる底知れぬパワーを発することができる。その“何か”の背後や背景にはもちろん理屈や思想があるのかもしれないが、理屈や思想だけでもない。そのことは、レゲエ・ベーシスト、秋本武士率いるレゲエ・ダブ・バンド、THE HEAVY MANERSのこの曲の演奏を聴けば、それ以外余計な説明はいらない。

しかし、バンドの演奏だけではない。Killer-Bongのラップ、咆哮が凄まじい。Killer-Bongは「Terroriddim」というタイトルをヨレたようなフロウでくり返すが、その発音は「テラーリディム」なのか「テロのリディム」なのか判別不可能だ。もちろん全編をとおしてリリックもある。が、言葉の意味は断片的にしか入ってこない。ほとんど読解不可能だ。抵抗(プロテスト)というより、たしかにこれは全身全霊の身体の反乱(レベル)である。

この反乱には明確な方向性はないように思えるが、言葉や文脈を不明瞭にすることで広がっていく反乱の地平があるのだと教えてくれる。「Rudeboy Anthem」という副題のとおり、この曲は路面をのたうち回りながら生きるこの国のルードボーイのアンセム。「Terroriddim (Rudeboy Anthem) 」を渋谷のクラブで体感したときに全身から沸き上がってきた得も言われぬ感情や反抗心はいまだに説明できない。


10. JAGATARA - “都市生活者の夜”(1987)

JAGATARAとプロテスト・ミュージックであるから、「もうがまんできない」という選択肢もあった。『超プロテスト・ミュージック・ガイド』の執筆者のひとりである荏開津広は「クニナマシェ」をプレイリストに入れている。が、午前4時少し前のダンスフロアの何にも代えがたい高揚と思索と憂いの時間を生きる活力にする身からすれば断然「都市生活者の夜」なのだ。JAGATARAと江戸アケミの表現が総じてそうであるように、この15分にも及ぶ大作は、ダンス・ミュージックでありながら、いや、ダンス・ミュージックだからこそ、個人と集団がせめぎあい、結果的に人間が独りであるという事実を突き付けてくる。それはやはりどこか心許ないものの、とても心地良く、強烈なカタルシスを伴う。そのカタルシスが果たしてプロテストにつながるのかと問われると、いまだ答えに窮するのだが、「都市生活者の夜」がなければ乗り越えられなかった、人びととの連帯の日々が僕にはたしかにあったのだ。


11. Major Lazer - “Get Free ft. Amber Coffman”(2012)

僕はこの曲を、友人が教えてくれたジャマイカで撮影されたMVで知った。そして、そのMVの印象が強烈だった。舞台はジャマイカだ。ジャマイカの人びとの躍動が伝わってくる。汗、熱気、ダンス、匂い、煙。ジャマイカに行ったことはない。この映像は当然ジャマイカのいち側面でしかないし、だいぶロマンティックに描いているのだろう。それゆえに、そのあまりの美しさに同時に不安な気持ちになる。

例えば、水曜日のカンパネラのシンガポールの下町で撮影された「ユニコ」のMVで、コムアイがその街や食事や人びとともに呼吸し生々しく躍動する様にうっとりする一方で、しかしMONDO GROSSOの「ラビリンス」のMVで満島ひかりが香港の猥雑な街の中を踊り歩く姿にはどこか違和感を拭えないように(満島ひかりは大好きだが)。もしかしたらこれは何かが違うのではないかと。ここでの街や人はただの舞台装置や背景なのではないかと。それでも「Get Free」からは有無も言わさず、直接的に伝わってくるものがある。

ディプロ擁するメジャー・レイザーが作り出すゆっくりと波打つダンスホール・リディムと空間を広げていくエモーショナルなシンセ、そこに絡みつく元ダーティ・プロジェクターズのアンバー・コフマンの透き通ったヴォーカルとやるせなさと自由への希求をシンプルな言葉で綴った歌詞の組み合わせは、ジャマイカに息づく生活、文化、音楽へのリスペクトの上に成り立っている。ダンスホール・レゲエのリディムとルーツ・レゲエのブルースを見事に掛け合わせている。この曲を聴くときに体の中から引き出されるやるせなさと解放感は、日々の激しいストレスとプレッシャーから心をプロテクトしてくれる。朝方のダンスフロアで聴いて踊りたい。

 SWANKY SWIPE / SCARSでの活動でも知られ、数々のクラシック作品をリリースして人気/評価を不動のものとしたラッパー、BES(ベス)。MONJU / SICK TEAM / DOWN NORTH CAMPのメンバーとして、そしてソロ・アーティストとしてこれまでに膨大な音源をリリースし、近年の活発な活動にも注目が集まっているラッパー、ISSUGI(イスギ)。旧知の間柄であり、これまでにも幾度かコラボレーションしてヘッズを狂喜させてきた両者のジョイントによる噂のオリジナル・アルバム『VIRIDIAN SHOOT』(ヴィリジアン・シュート)のリリースへ向け、Teaserが公開! 同作のレコーディング風景を使用し、収録曲“RULES”をいち早くプレヴューしている。また2/21よりiTunes Storeでのプレオーダー受付とその“RULES”(Prod by GWOP SULLIVAN)、“WE SHINE”(Prod by GRADIS NICE)の2曲の先行配信もスタート! リリースはいよいよ来週、2/28!

*BES & ISSUGI 『VIRIDIAN SHOOT』 Teaser

BES& ISSUGI
VIRIDIAN SHOOT

2018年2月28日発売予定
レーベル:P-VINE, Inc. / Dogear Records

[トラックリスト]
1. ALBUM INTRO
 Prod by 16FLIP
2. SPECIAL DELIVERY
 Prod by GWOP SULLIVAN
3. NO PAIN MO GAIN
 Prod by GWOP SULLIVAN
4. GOING OUT 4 CASH
 Prod by GWOP SULLIVAN
5. NEW SCHOOL KILLAH
 Prod by 16FLIP
6. 247
 Prod by BUDAMUNK
7. RULES
 Prod by GWOP SULLIVAN
8. BIL pt3 feat. MICHINO
 Prod by GWOP SULLIVAN
9. EYES LOW
 Prod by 16FLIP
10. HIGHEST feat. MR.PUG, 仙人掌
 Prod by GWOP SULLIVAN
11. VIRIDIAN SHOOT
 Prod by GWOP SULLIVAN
12. SHEEPS
 Prod by DJ SCRATCH NICE & GRADIS NICE
13. BOOM BAP
  Prod by DJ SCRATCH NICE
14. WE SHINE
  Prod by GRADIS NICE
〈BONUS TRACKS〉
15. GOING OUT 4 CASH REMIX
  Prod by GWOP SULLIVAN
16. SPECIAL DELIVERY REMIX feat. MR.PUG
  Prod by GWOP SULLIVAN

BPM ビート・パー・ミニット - ele-king

記憶するということと/思い続けることは違います/たいていの人間は/時とともにすぐに忘れてしまう/それが一番/むずかしい事です 清水玲子『パピヨン』1994

 カンヌ国際映画祭には2010年に創設された「クィア・パルム」という独立賞があり、全上映作品の中からセクシュアル・マイノリティに関する要素を持つ作品が候補作として選定される。昨年この賞(カンヌではグランプリも獲ってるが)を受けたのが本作『BPM』で、3年前(2014年)のクィア・パルム受賞作は『パレードへようこそ(原題:Pride)』。

 LGSM(Lesbians and Gays Support the Miners)の軌跡を描いた『パレードへようこそ』の舞台は1984年の英国で、創設メンバーの一人であるゲイ・アクティヴィスト、マーク・アシュトンは1987年2月11日にエイズのため死去している。米国における、エイズ施策に消極的な政府や、感染当事者の要望に応えない製薬会社などに対する直接抗議行動団体「ACT UP」がニューヨークで始動したのが1987年の3月なので、彼はそのムーヴメントの萌芽を見ることなくこの世を去ったことになるが、さらに2年後の1989年には英国の対岸フランスで「Act Up-Paris」が活動を開始する。『BPM』が舞台に設定したのはその頃、90年代前半のパリである。

 実際にAct Up-Parisのメンバーでもあったロバン・カンピヨ監督はこの映画を、実在した過去の人物を役者に割り振ることをせず、あくまでフィクションとして再構成した。それは「フランスにおける90年代前半のエイズ・アクティヴィズム」といった言葉で記憶されるであろうムーヴメントの渦中にいた人々に、改めて顔と名前を与える作業とも言える。いかにあの時代の空気から乖離せずに描くか、という困難な作業をナウエル・ペレーズ・ビスカヤート(個人的に印象深いのはアルゼンチンからベルギーのパン屋のおっさんに身請けされる青年を演じたデヴィッド・ランバート監督の『Je suis à toi』)やアデル・エネル(『午後8時の訪問者』ほか。余談ながらパートナーは同性)を始めとした俳優陣が過不足なく体現することで成立させている。また監督が「出演者の大部分がオープンリー・ゲイだった」と語っていることからは、制作現場が現在と過去とがせめぎ合う空間であったことも窺える。

ゲイ社会にとってエイズはいまだに終わっていないのだ、と心に留めておくことが大切だ。僕の俳優たちはカクテル療法や併用療法の時代しか知らなかった。彼らは予防的治療の時代を生きている。にもかかわらず、未だに彼らはどこにでも存在する忌まわしい伝染病を抱えて生きなければならない。この映画の時代と現代では25年の歳月が経過しているのにね。 (監督インタヴューより)

 映画が始まって割とすぐ、Act Up-Parisの定例ミーティングに初めて来た若者に古参のメンバーが活動内容などを矢継ぎ早やに説明した後で実にさり気なく、こんな一言を付け足すシーンがある。「あ、あと君らの(HIV)検査結果がどうであれ、この活動に参加した時点で世間からはHIV感染者ってことにされるからね」。この実にあっけらかんと軽く、かつ絶望的なジャブを繰り出された観客は、かつて存在した空気の中に引きずり込まれる。

 早期に適切な治療にアクセスできれば、という条件付きではあるが現在、少なくとも先進国においてはHIVに感染しても生きるか死ぬか、というものではなくなった。が、90年代前半にはまさしく生きるか死ぬかの問題だったのであり、加えて感染者に近づくことすら避けられるような、無知に基づく恐怖が社会に充満していた時代である。当事者とその関係者以外(もちろん政治もである)のマジョリティーができるだけエイズについて考えないことで事態をやり過ごそうした果てに感染は拡がり、そしておびただしい数の人々が死んだ。マドンナが1989年に発表したアルバム『ライク・ア・プレイヤー』の日本盤ライナーには枠囲みで「AIDS(エイズ)に関する事実」というタイトルのコラムがあり、オリジナルのブックレットには見当たらないこのテキストが収録された経緯はよく判らないが、最後の一文はこうだ:「AIDSはパーティーではありません」。

 それから、だいたい四半世紀が経った。2018年現在、医療の進歩によってHIVウィルスの影響自体は効率的に抑えこむことが可能となっている(適切な服薬によりウィルスが検出されない状態を保つことができる)のに、いまだ感染者への差別――日本に限定すればお馴染みの「ケガレ」に近い忌避感、と言い換えてもいいだろうか――だけがスモッグのように残ってしまった状態である。感染しても取りあえず死なないらしい、という曖昧な雰囲気が関心を薄れさせている状況は、現実に向き合って判断していないという意味では「AIDSがパーティー」だった頃と似たようなものだ。

 この映画の仏語原題は『120 Battements par minute』である。音楽のテンポとしてならBPM 120は割と普通にあるけれども、安静時の心拍数としては早すぎる(走っている時にはこのくらい出るだろうが)。もしかすると本タイトルにおける「ビート(Battement)」はどちらとも取れるように「120」に設定されたのかもしれないが実際、この映画もビートとともに始まる。そして心拍としてのビートは、血液のイメージにも接続される。本来体内を循環するのが役割であるはずが、時に思いも寄らないところにまで運ばれ、また思いも寄らないものを運んでしまう血液のイメージが視覚的にも随所で使われ、なまじリアルな流血をこれでもかと繰り出すより効果的に作用している。

 登場人物がほぼ10~20代の若者たちで、かつアーバンな首都の生活者で、ある一時期ヒートアップしたムーヴメントを描いた映画であるのは間違いないので、この映画を観て受け取った感動をつい「駆け抜けた青春」などと形容しそうにもなるが、当時の渦中ただ中にあった人にとっての現実は、何も考えずに歩いていた道が実はランニングマシーンだった(止まったが最後、容赦なく地面に叩きつけられる)ことに気づいてしまったようなもので、ひたすらに追いかけてくる現在の中で自らの青春にうっとりしている余裕などなかったであろう。ハードコアな日常に否応なく放り込まれた彼らの顔は、だからどこか茫洋としている。

 『BPM』の中で彼らが束の間の陶酔を表情として見せるのは、観ていて息苦しくなるようなセックス・シーン(フェラチオする時にコンドームを付けたほうがいいのか大丈夫なのか、といったノイズがいちいち邪魔をする)ではなく、ほぼ深夜のクラブでのシーンに留められている。彼らが昼間の活動を終えた後でゆらゆらと漂うクラブで流れるサウンドはあくまで90年代風に作られた、ただしその音の硬さがあの頃の音とはどこか決定的に違う響きを持った新曲が大半を占めているが、そこからも制作者の「これはフィクションである」という明確な意志が伝わってくる。それはつまり、下手を打つと間違い探しによって内容がぼやけてしまう「事実に忠実な再現ドラマ」という枠組から自由になるために選ばれた語り方である。

 確かにエイズはパーティーではなかった。が、どうしようもなく熱を持っていた時期があった。やがてその「フィーヴァー」は去り、しかし終わったわけでもない25年後のいま、ノスタルジアを極力排した映画『BPM』が届けようとしているものは、かつてその熱が何を奪い、何を生んだのか? という人と社会の動きについてであり、そして一番にそれが届けられるべきなのは現在、この映画の中を生きた彼らと同年代の人々と言うことになるだろう。苦闘した先人たちを英雄的に描くことで若者に恩を着せるのが目的では無論なく、この先も人間社会は似て非なる愚行を幾度も繰り返すだろうし、幾ら歴史を学んでも過去が現在のシミュレーションではない以上、眼の前の事象にどう対処したらいいのかの判断は、その場に立ち会ってしまった未来の誰かがするしかないのだ。先に道を歩いてきた者は、さらにその先へと進もうとする誰かに「覚悟だけは決めておけ(幸運を祈る)」とだけ伝えて倒れていくほかに、できることはないからだ。


interview with Toshio Matsuura - ele-king


Toshio Matsuura Group
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Jazz not Jazz for dancefloor

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 まあとにかく集まって、互いに音を出す。思わずディナーショーの席を立ち、汗まみれのダンスフロアに向かう。エクレクティックな音楽をやる。SoundCloudからは見えないそのシーン、いわば現代版「Jazz not Jazz」現象がUKでは注目を集めている。松浦俊夫のソロ・アルバムは、まさにその瞬間にアクセスする。
 彼の新しいアルバム『LOVEPLAYDANCE』は、表向きには90年代のクラシックをカヴァーするアルバムとなっているが、それは表層的な情報で、目指すところは「過去」ではない、「現在」だ。参加メンバーを紹介するのが早いだろう。
 メルト・ユアセルフ・ダウンやサンズ・オブ・ケメト、あるいはフローティング・ポインツでドラムを叩くトム・スキナー。レディオヘッドにも参加しているバーレーン出身の女性トランペッター、ヤズ・アーメド。アコースティック・レディランドのベーシスト、トム・ハーバート。ヘンリー・ウーとのプロジェクト、ユセフ・カマールのユセフ・デイズ。ザ・コメット・イズ・カミングのダン・リーヴァーズ……そして『We Out Here』にも参加した今年の注目株のひとり、アフリカ系の女性サックス奏者、ヌビア・ガルシア。要約すれば、UKジャズの新たなるエース、シャバカ・ハッチングス周辺、そしてフローティング・ポインツやペッカムのフュージョン・ハウス・シーンのキーパーソン、ヘンリー・ウー周辺の人たちである。
 DJはプロデューサーであり、オーガナイザーであり、ときにはジャーナリストでもある。松浦俊夫とジャイルス・ピーターソンは、たったいま南ロンドンで起きていることをとらえて、そのエネルギーを90年代のダンスフロアで愛された楽曲にぶつけた。こうして生まれた『LOVEPLAYDANCE』は、ノスタルジーという誘惑を見事に退けて、現在から明日へ向けられるアルバムとなった。しかもこのタイミングでのリリース。これは大きいかも。

この20年くらいで世のなかがまったく変わってしまったので。うーん、生き方が変わったという気はしますよね。だからそれぞれがしょうがないからこうやって生きるかみたいなところで受け入れたり、諦めたりする部分が出てくるのかなと思っていて。自分もけっこういまその岐路に立っていると思っているんですけど……諦めきれないんですよね。

まずはアルバム、『LOVEPLAYDANCE』のコンセプトについて教えていただけますか? いままでのご自身のキャリアのなかでとくに思い入れのある曲ということで選んだんでしょうか?

松浦:曲目を見ていただけるとわかると思うんですけど、90年代前半の曲が意外となくて、90年代半ば以降のサンプリング・ミュージックからすこし移行したあたりの楽曲が中心になっています。最初に何百曲か選んでみて、サンプリング・ミュージックをいま生でやり直すということってどうなのかなと思うところがあったんですよね。サンプリングを通過したクラブ・ミュージックが展開していくうえで、逆にミュージシャン的な人たちを必要とした時期があって。生のバンドでやり直すんだったらそこらへんなのかなと思ったんです。

時期を限ったというか。ところで、ご自身のDJ歴はいつからになるんですか? 

松浦:人前で名前を出してDJをしたのは、川崎のクラブ・チッタが出来たころですね。クラブキングにいたときに、「革命舞踏会」というイベントを(桑原)茂→さんがやっていたんですね。そのクラブ・チッタのイベントでやってからなので、実は今年でちょうど30年目なんです。

30年前ですか。

松浦:クラブキングの頃もそうですし、ジャズ・クラブで働いていたときもそうだったんですけど、自分の音楽歴の要所要所ですごくターニング・ポイントになることがあって。そのターニング・ポイントの入り口を作ってくれたのが、ケニー・ドーハムの『Afro-Cuban』というブルーノートから50年代半ばに出たアルバムなんですけど、それをいまやるのも違うなと思ったんですね。やっぱりいまの時代にリプレイして聴き直す、あらたに世のなかにプレゼンテーションするとしたらなんなんだろうか、というところが実はいちばんこだわったポイントです。
とくに時間的な縛りを設けたというよりは、自分が作り手として出す以上にDJとしていまの時代に出すという意味も含めて考えたときに、自分は作曲だとは思っていないんですけど、曲を作ることと曲を紹介するということが両立出来ないといけないなと思ったんですね。それはどちらかに寄せるだけでもいけないなと思ったので、すごく難しいところではあると思うんですけど。コンセプトはすごくシンプルなんですけど、この楽曲ラインナップになるまではけっこう迷い続けていたところがあったかもしれないですね。

なるほどね。たとえばカール・クレイグの“At Les”やロニ・サイズの“ Brown Paper Bag”みたいな曲とか、ニューヨリカン・ソウルの曲(“ I Am The Black Gold Of The Sun”)はそれ自体がカヴァーだったので違いますけど、クルーダー&ドーフマイスターみたいな人たちの打ち込みの曲なんかは、やっぱりそのローファイな音質やアナログ・シンセの音があって成立する曲かなと長いあいだ思っていたんですね。でも松浦さんの今回のアルバムを聴いて、楽曲そのものの良さというのが他の人がやっても生きているというように思ったんですよ。20年くらい前の曲が入っていますけど、20年経ったいまも楽曲として生きていますよね。そういう意味でいま松浦さんが仰ったことの主旨には納得しましたし、アルバムを聴いたときにもそれは感じました。だから、ひとつにはこういう90年代の打ち込み主体の曲が、いまも楽曲として生きているということを証明するアルバムとも言えるじゃないかと。

松浦:録音自体は4日しかなかったんですけど、そこまでに時間がかかりましたね。実は収録していない曲もあったりして、もしこれが世のなかに認知されたら続編というかたちもあるかなと思ってあえて入れなかったんですね。未完成の状態だったので、新たに作り直したほうがより楽曲としてこなれるだろうなと。どちらかと言うとテック寄りの楽曲だったので、もうちょっと良くなると思って今回はあえてカットしました。

全部ロンドンで録音したんですよね? ぼくもこの2年くらい南ロンドンのペッカム周辺のシーンを好きで聴いていたんですが、松浦さんのアルバムがそのシーントリンクしていてすごく嬉しく思いました。だからこのアルバムはノスタルジーになっていないんですよね。こういうことをやるときってそこが微妙じゃないですか!

松浦:そうなんですよ。だから許される条件として当事者であるということと、いまのイギリスのシーンのなかで頑張っている人たちと世代が違うのに一緒にやれたというところが大きかったですね。実際に演奏してくれた人たちにしてみるとノスタルジックな思いというのは一切なかったりするんですよね。トム・スキナーというミュージカル・ディレクターのドラマーの彼はすごく音楽を知っていて、“At Les”なんかも好きだって言っていたんですけど、基本的にほとんどのプレイヤーは“Brown Paper Bag”も知らないという人たちがほとんどでした。でも逆に知らなくて良かったのかなと思いますけどね。

知らないからこそ良かったんでしょうね。

松浦:事前に楽曲データを送って、余裕があれば聴いてくださいねとは伝えていたんですけど、みんな忙しかったのでロクに聴いていないという(笑)。でもそれが逆に良かった。思いもよらないようなアレンジが途中で出て来たりしたので、それはそれで自分の考える「ジャズ」みたいなものにとっては結果オーライだったんじゃないかなと思っているんですよ。もともとジャズを作ろうと思ってやっているわけではないですし、ジャズはジャズ・ミュージシャンのものだと思っているので。気持ち的にジャズの精神みたいなところ、新しいものに挑戦していくということと、すべてを吸収するものがジャズだという考えであれば、このプロジェクトはOKじゃないかなと思ったんですよね。

ある意味では意図した部分ではあるんでしょうけど、すごくフレッシュな演奏ですもんね。楽曲を知っているヴェテランがやってしまったら……。

松浦:いわゆるカヴァーになっちゃうと思うんですよね。打ち込みの音楽を生でやりました、というか。

ああ、ありましたね。なるほど(笑)。

松浦:いわゆるスタンダードをいなたく、いまのミュージシャンを使ってやるというだけだとたぶん失敗するなと思ったんですね。そこに関してはスタジオでもかなり気を使いました。

なるほどね。なるべくオリジナルに囚われない自由な発想で演奏してほしいということですよね。

松浦:そうですね。だからそもそもイギリスでやろうと思ったのはそこが大きいと思います。

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いまのイギリスのシーンのなかで頑張っている人たちと世代が違うのに一緒にやれたというところが大きかったですね。実際に演奏してくれた人たちにしてみるとノスタルジックな思いというのは一切なかったりするんですよね。

ロンドンはこのところジャズ・シーンみたいなものがとても活気づいていますよね。シャバカ・ハッチングスの新しいジャズの流れもあるし、ヘンリー・ウーみたいにカニエ・ウェストを聴いて育った世代が途中でジャズに向かったような流れもありますよね。今回のアルバムに参加しているヤズ・アハメドやヌビア・ガルシアみたいな人は、シャバカ周辺の人たちで、ヘンリー・ウー周辺ではユセフ・デイズが参加していますよね。このあたりの雑食的な感じがぼくはロンドンのいちばん好きなところで、本当に今回のアルバムではその現地の感じもパッケージされていて、嬉しかったんですよね。

松浦:活気がありますよ。アフリカ大陸からの新たな移民とかも含めて、より人種が多様になってきているじゃないですか。今回のアルバムのメンバーにもユセフ・カマールのユセフ(・デイズ)なんかはそうですし。

ユセフさんは親が移民なんですか?

松浦:親が移民ですね。だからパスポートはみんなイギリスなんですけど、ヤズ(・アーメド)はバーレーンだし、ヌビア・ガルシアもそうですし。いわゆる生粋のイギリスの白人というのは3人くらいかな。アメリカの多人種とは違うおもしろさがありますよね。
ロサンゼルスとかニューヨークを中心とするアメリカのジャズというのはすごくまとめやすい状況だと思うんですよね。(シーンが)ひとつになっているというか。イギリスの場合は多種多様でジャンルも跨っていて表現しようとしているので、それぞれが違うことをやっているというか。グルーヴがあるようなものを中心としてやっているなと思っていて。

そうですよね。ハウスやドラムンベース、テクノともリンクしていますよね。

松浦:それが自分のいままでいた30年間みたいなもので考えると、もちろんアメリカのシーンもおもしろいんですが……。バック・トゥ・ベーシックじゃないですけど、自分が90年代で1枚目のアルバムからロンドンでレコーディングをしていたんで、そういう意味では久しぶりにホームに戻った感じですよね。

まあU.F.O.(ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション)はロンドンですからね。

松浦:そうですね。

UKのジャズ・シーンは自己流っていうか、USのように楽器はうまくないけど独創的な味がありますよね。

松浦:ヘンリー・ウーにしてもある意味で自己流なんですよね。音楽大学に行っていたわけじゃないですから、音楽理論というよりはもうちょっと感覚的にやっている。だからこそおもしろいものが出来てくるのかなと思います。かと思えばフローティング・ポインツみたいな、より数学的なところのアプローチをしている人もいて、作曲の仕方も違うんだろうなと思いつつ。そういういろいろな才能があってひとつのイギリスのシーンになっていると思うので、その人たちと個々それぞれでやっている人たちがひとつになって、東京から来た自分が入ることによってまた違う反応が起きるんじゃないかなということをすごく期待していました。それは自分が期待していた予想以上に反応が起きてくれたのですごくよかったかなと思います。

とはいえ、90年代のスピリットみたいなものをいまの人たちにも伝えたいという思いはありますか?

松浦:あります。ただその伝え方は難しいかなと思っていて……、ノスタルジックなことではないし、昔はよかったということではなくて、知っておいてほしいことがあるなと。それがバトンだとすると、自分は90年代にキャリアをはじめたとき、どちらかというと先人が残したものをコラージュして新しい物を作ろうとしていて、それを聴いた人たちがその次にバトンを受け取って、さらにその次の世代に渡してもらえる、というように考えていたんですね。でもとくに国内においてはそのバトンがいまひとつうまく渡しきれていなかったかなと思っていますね。
シーン自体が細分化して自分たちが好きなものに特化して、小さなサークルにしてしまったために、全体のシーンというものがいまひとつ見えづらくなっちゃって、なにが起こるかわからないというよりは「これ、レアなんだよね」みたいなところに落ち着いちゃって、趣味の世界に行っちゃったのかなと思うところもあるし。それぞれが刺激し合ってその化学反応が自分だったらこうするみたいのところで、また新しいアプローチが生まれるみたいなことが、イギリスに比べると圧倒的になくなってしまったのかなと思います。

これは今日話したかったことなんですけど、ぼくが松浦さんと初めて会ったのってどこか覚えています?

松浦:どこでしょうかねえ。リキッドルームとかですか?

いやいや。これはすごく笑える話なんですけど、僕が90年代の『ele-king』で初めてU.F.O.にインタヴューしたときは矢部(直)さんひとりだけだったんですね。その当時ぼくはシニカルな質問もよくしたので「なんでU.F.O.はそんなにスーツにこだわるんですか?」みたいな質問をしたんですよ。そのときに矢部さんがどう答えたか、細かくは覚えていないけど「そんなにこだわっているわけじゃない」云々、みたいなことを返してきたんですよね。そのインタヴューが掲載されてからしばらくして、「イエロー」で酔っ払っている松浦さんが僕に突っかかってきたんですよ(笑)。「なんだ、あのインタヴューは!」って(笑)。

松浦:はははは(笑)。

で、ぼくも酔っていたから「なんだ?」みたいな感じになって、当時『bounce』にいた栗原聡さんって編集者のかたが僕と松浦さんのあいだに入って「まあまあ」って(笑)。

松浦:そんなことありましたっけ(笑)。

パチパチ火花を散らしていましたね(笑)。

松浦:そうですか(笑)。すみません。

いえいえ、こちらこそすみません(笑)。松浦さんはたしかそのとき日本代表のユニフォームを着ていなかったっけな(笑)。それは別のときだったかな?

松浦:余計熱くなっちゃってますね(笑)。

いや、でもパチパチやるぐらい真剣だったんですよ。みんな状況を良くしたいから、シーンに良い意味での緊張感がありましたからね。

松浦:その緊張感がなくなってしまったほうが良いか悪いかということの判断基準ではなくて、やっぱりそういう側面はなきゃいけないんじゃないかなという気はしていて。それは頭のなかで考えてどうこうするものではなくて、アティチュードみたいなものがあるというか……喧嘩を売るつもりではなかったと思いますが。

はははは、笑い話ですけど(笑)。

松浦:自分はクラブ・シーンのなかでは一番下っ端みたいな年齢で入ってきたので、怖い大人に比べれば、どちらかと言うと柔らかいほうだったと思うんですけど。ただ、いまは時代が経ったうえで、ある程度下の世代からレジェンド扱いされてお終いにされちゃうというか。レジェンドって言葉の使いかたもちょっとイージーになりすぎているみたいなところがあって。マイルス・デイヴィスはレジェンドだけど(ロバート・)グラスパーはまだレジェンドにはなっていないだろう、みたいなことだと思うんですよね。そういう意味でもうちょっとスリリングで研ぎ澄まされた感じや、体のなかにたぎる青白い炎みたいなものがもうちょっとあってもいいのかなと。そういうものも含めて今回のプロジェクトでなにか動き出すというか、「あ、そうだよね」と思って当時そこにいた人たちも含めてそうやって感じてくれる人がいればいいなというのは大きいですね。

でもこれはもう「Jazzin'」に行っていた世代にとっては「待ってました!」という感じだと思いますよ。もちろんヘンリー・ウーから入っている子たちにも聴いてほしいし。

松浦:それこそサチモスを聴いているような子たちにも届かなきゃいけないなと思っているので。

松浦さんはこの21世紀の現代に対してどう思っていますか? 抽象的な質問で恐縮ですが、どんなところに変化を感じます?

松浦:この20年くらいで世のなかがまったく変わってしまったので。うーん、生き方が変わったという気はしますよね。だからそれぞれがしょうがないからこうやって生きるかみたいなところで受け入れたり、諦めたりする部分が出てくるのかなと思っていて。自分もけっこういまその岐路に立っていると思っているんですけど……諦めきれないんですよね。
このシーンにおいていうと起点の頃からいるので、なんとかしなきゃなという思いはずっと持ち続けていますが、ただ時代のなかで変わっていくということも当然のことながら必要なことであって。それは音楽だけじゃなくて必要だなと思っていて、そのスピリットはなんとか変えずにいく方法はないかなと思っているんですけど。もしかしたらそれが意固地だと思われているかもしれないし、もしかしたらそれがストッパーになっているのかもしれないなと。リミッターみたいなものにかかっているのかなとは思うので。

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ロンドンは活気がありますよ。アフリカ大陸からの新たな移民とかも含めて、より人種が多様になってきているじゃないですか。今回のアルバムのメンバーにもユセフ・カマールのユセフ・デイズなんかはそうですし。ヤズ・アーメドはバーレーンだし、ヌビア・ガルシアもそうですし。

前に取材させていただいたのがHEX(ヘックス)のときで、HEXのときは松浦さんがモーリッツ・フォン・オズワルドの影響を受けていて、アシッド・ジャズのリスナーが望んでないかもしれないことに挑戦したというか、長いキャリアのなかでも違う側面を見せたじゃないですか。しかし今回は、「バック・トゥ・ベーシック」に立ち返って、それを現代版としてアップデートして見せるみたいな感じでやったと。今回のプロジェクトをはじめるにあたって、なにかきっかけはあったんですか? 

松浦:結局自分が納得のいくものを作っても聴いてくれなければ意味がないなと思っていて、HEXの場合は本当にやりたいことだけやったというところがあって、すごくコアな層に届いて、ブルーノート・レコーズ社長のドン・ウォズにも気に入ってはもらえてアメリカでアナログをリリースするかもって話にはなったんだけど、結局出ずじまいになってしまって。説得力に欠けたかもしれないなと思ったんですよね。いま野田さんが仰って下さったようなことがリスナー全員にわかってもらえるとは限らないので。

長い活動をしていれば当然求めているものもあるので、そことのバランスの取りかたというのは難しかったと思いますね。


Toshio Matsuura Group
Loveplaydance

ユニバーサル

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松浦:もしかしたらこの新しいアルバムでなにか拡げることができたら、HEXをもう一度やり直すこともあるかなという気持ちもあったんですよね。だからどうしてもひとつひとつに全部を集中しようとすると、U.F.O.だったらその名のもとにできたんですけど、ただ自分でやるとなってアウトプットをどうしようかと考えたときに、これをやり終えてみて肩の荷が下りたところがあったので、いまはもっといろんなことをやってもいいかもと思えるようになったというか。だったらHEXだけじゃなくて、いろんな名前でいろんなことをやるほうが伝えやすいのかもしれないなというのはやってみて思ったことですよね。これで自分がいったんこのシーンにピリオドをつけられたかなと思っていますね。ジャイルス(・ピーターソン)はアシッド・ジャズも含め、いわゆる「ジャズ」という括りのなかで表現されないようにすごく気をつけているのを感じたんですよね。

それはどういうことですか?

松浦:「ジャズ」というカテゴリーのなかに自分を当てはめられたくないというようなことですね。イギリスってクールかどうかというところが大事じゃないですか。だからいまの時代はオルタナティヴみたいなほうがクールというか、そういうところで評価されたいのかなということを傍から見ていて思うんですよね。

それはたとえば『マーラ・イン・キューバ』だとか、南米の音楽との接続というか。

松浦:そうですね。いまも(ジャイルスは)キューバに行っていますけど。なにか未知の物を求めたがるので、そこで新たな出会いを求めるというのが彼の場合はブラジルだったり、キューバだったりしたのかなとは思いますね。ヨーロッパのシーンだと人によってはアフリカのほうが多いじゃないですか。レアなアフリカの音源とか、アフリカのディスコ音源とか。そういうなかで彼の関心は、いま南米のほうにあったのかなという気はしますね。

しかし今回は、“L.M.Ⅱ (Loud MinorityⅡ)”は驚きましたけどね。

松浦:これももともとは(原曲を)やり直そうとしていました。いままでにミュージシャンと三度プレイしたことがあるのですが、90年代の新宿のリキッドルームでU.F.O.のパーティをやったときに、マンデイ(満ちる)さんやMONDO GROSSOのミュージシャンの方々に協力していただいて生演奏したのが最初で、2回目は3年前にユニットでクロマニヨンとHEXが対バンでライヴをやったとき。あともう1回は2016年にスタジオコーストでジャイルスと一緒にソイル(&ピンプ・セッションズ)と日野(皓正)さんを組み合わせたり、ミゲル・アトウッド・ファーガソンとサンラ・アーケストラが出演したりしたイベントがあったんですけど、そのときにソイルにやってもらったんですけど、結局やってもらっておきながら、さっきの話じゃないですけどサンプリング・ミュージックを生でやってもそれ(原曲)を超えることが出来ないというところに行き着いてしまったんですね。
ただ去年で“Loud Minority”を作って25周年だったということもあって、いわゆるクラブ・ジャズみたいなものだったり、自分はもう所属していないもののU.F.O.がもっと評価されていいんじゃないかという思いもあったりして、だったら抜けた人間だけどもカヴァーして聴かせるということがプロジェクトの肝にもなっていたんですね。とにかくその3回の生演奏を自分で客観的に聴き直して「なんか違うな」というところに行き着いて、すごく矛盾しているんですけど今回のスタジオに入るというときに、いかに“Loud Minority”から離れられるか、というかいかにサンプリング要素を削ることができるかということに挑戦しはじめて、その結果曲の途中で一瞬だけベースが出てくるんですけど。

僕はこの曲にHEXとの繋がりを感じたんですよね。だってCANみたいじゃないですか(笑)。

松浦:完全にそうですね。だから本当はオーヴァーダビングするかもしれないということを想定して、ドラムとベースとキーボードの3人での30分くらいセッションが残っているんですけど、最初にああじゃないこうじゃないといろいろやってみて、リズムとかも変えてみて、瞬間的にこれだというのがリズムから出たので、それを中心に回してくださいってことをエンジニアに言ったら、それで演奏が始まっちゃったからもうほっておいたんですよね。それで30分くらいしたら止めたから(笑)、これでOKってことで。あとでオーヴァーダビングもしなくていいからこのままにしようってことで、あとで自分がエディットしたものを聴いてもらうから、それでよければこれでOKですってことでセッションは終わったんですけどね。そのときにこれってHEX2かもしれないって思ったんですよね。もしかしたらこれが次のヒントになると思っていたんですけど……これはたぶんリキッドルームの壁に書かれている「alternative / jazz」ってことなのかなと。それが体現できたかなと思いますね。

ちなみにアルバム・タイトルは最初からこれ(『LOVEPLAYDANCE』)に決まっていたんですか?

松浦:これも悩みました。「ジャズ」とか「クラブ・ジャズ」という言葉を入れるべきか入れないべきかみたいなところでいろいろ考えて、当初は『DANCEPLAYLOVE』か『PLAYDANCE&LOVE』だったんですよ。ちょうどそれを決めなきゃいけないときにトマト(TOMATO)のサイモン・テイラーが来日していて話をしたんですけど、自分が考える英語とネイティヴの連中の英語のニュアンスの受け取り方はたぶん文字以上に違うだろうなと感じていて、「&LOVE」にするとすごく感傷的になると言われたんですね。そのニュアンスは自分にもあったんですよ。クラブでも出会いと別れがたくさんあったような気がするなあと(笑)。それも含めてだったんですけど、その感傷はいったん置いておこうと思ったんですね。「LOVE」を頭に持ってきたほうがおもしろいし、ワン・ワードのほうがいいってサジェストしてくれたので、それにしようと代官山のデニーズで決めました(笑)。

(笑)。「DANCE」は松浦さんがずっとやってきたことで、ダンス・ミュージックということが基本にあると思うのでわかるんですけど、この「LOVE」というのはどうやって出てきたんですか?

松浦:だからやはり出会いと別れですよね(笑)。

そういう意味なんですね。

松浦:音楽をプレイすることも好きだったし、踊ることも好きだったし、人を愛することもすべてそこにあったというか、それがすべてだったような気がしていて。それで人生が回っていたのってすごく幸せだったんだなと。ノスタルジックになっちゃいけないんですけどね。

でもそれはいまでも絶対にあるものだと信じていますね。

松浦:だからそれも含めて「&LOVE」じゃなくて「LOVE」を頭に持ってきて、このジャケットをぶつけたというのはあえて先入観を取り払うためというか。ちょっとポップに見えるじゃないですか。昔だったらもっと渋いジャケットになっていたんだろうと思うんですけど、ポップだけど狂気があるみたいな感覚を表現したかったんですよね。こういうデザインも、作るまではすごく試行錯誤をして悩んだりしたんですけど、最終的には一瞬で決まったんですよね。だいたいそうやって直感的に決まるものはのちのちうまくいくというか、“Loud Minority”然りなんですけど。

“Loud Minority”が当時どれだけすごかったかというのは本当にリアルタイムで知らないとなかなか伝わらない部分があると思うんですけどね。

松浦:2日間くらいスタジオに篭って、卓の下で順番に仮眠を取っていましたからね。だからエンジニアの人辛いなあと(笑)。3人がかりでずっと寝ないで立ち会われているから大変だったと思います。

当時はものすごくヒットしたじゃないですか。

松浦:そういうのがいまの20代の人たちに掘り起こされているということも感じていて。ただし、今回は“L.M.Ⅱ”という名前に改題してオリジナルにしようと思ってやりましたね。

そうですよね。これだけは、カヴァーではなく、ほとんど松浦さんのオリジナルですもんね。

松浦:まだ“Loud Minority”の可能性は残していたときにある人に聴かせてみたんですよ。そしたら一瞬だったんですけど、聴き終わったときにその人の表情を見たらちょっと顔ががっかりしているんですよ。“Loud Minority”じゃないって(笑)。

(一同笑)

松浦:それがわかって、これは(曲名を)変えたほうがいいかもしれないと思ったんですよね(笑)。作っているほうは新しいことができたから「これぞ“Loud Minority”じゃないか」と思っていたんですけど、“Loud Minority”に強い思いを持っている人こそ「なんで!?」って思いが聴いたときに出ると思うんですよね。

それはそうでしょうね(笑)。難しいですよ。去年のゴールディの“Innercity Life”のブリアル・リミックスが賛否両論であったように(笑)。では最後に松浦さんの今後の抱負をお聞かせください。今日も会った瞬間からさっぱりされているなと思ったんですけど、下手したら4年前よりも元気なんじゃないかなと(笑)。

松浦:そうですね。昨日も氷点下のなか10キロくらい走ったりしていたので。

はははは。運動のしすぎはダメですよ(笑)。

松浦:この時期は寒いのに抵抗力ができますからね。12月くらいはすごく寒くてへこたれたんですよ。だからダメだなと思って日々心がけて運動をしていたら、この寒さのピークのときに寒さを感じなくなったので、こういうことだなと思って。とくにこのアルバムが出るのが3月ですし、毎年東日本震災の子どもたちのチャリティでランニング大会をやっているんですね。今年の3月11日は日曜日で、皇居周りをみんなで走るという企画を毎年やっているんですよ。

松浦さんが主催なんですか?

松浦:そうです。基本的には僕がやっています。その参加費をみなさんから集めて、それを現地の子どもたちのために動いてくださっているNPOのかたに送るというのを毎年やっているんです。

本当にえらいですよね。

松浦:いやいや。やっぱり何者でもなかった自分が音楽に拾われたみたいなところがあって、いままでこうやって生業みたいなこととしてできてきたことが幸運だっただけに、恩返しは続けていかないといけないなという思いがあるので。意固地になっている部分はあるのかなと思いますけど。自分も好きなことをやるためにはもっと土台をしっかりさせないとさせなければいけないなと感じますよね。でも前向きなので、根拠のない自信ではあるんですけどなんとかなるんじゃないかなと思っています。

それは重要ですよね。ありがとうございました。

※このページもぜひチェックしてみて! 80年代のUKソウル/ジャズから現在までが聴けます。
https://www.universal-music.co.jp/toshio-matsuura-group/news/2018-02-13-playlist/

Courtney Barnett - ele-king


 コートニー・バーネットは左利き。ジミ・ヘンドリックスも左利き、カート・コバーンもそう。
 コートニー・バーネットはミニマリズムの短編作家のような歌詞をあたたかいメロディとグルーヴィーな8ビートに乗せる。
 彼女は空想して、曲を書いて歌う。
 傑作『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』から3年、待望のセカンド・アルバムがリリースされる。
 『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』。
 君は本当にどのように感じているんだい?



Courtney Barnett - Nameless, Faceless


コートニー・バーネット (COURTNEY BARNETT)
『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール (TELL ME HOW YOU REALLY FEEL)』

発売日:2018年5月18日(金)

Amazon: https://amzn.asia/19I5TnP
iTunes/ Apple Music: https://apple.co/2EsIthe
Spotify: https://spoti.fi/2Hgdoem

■COURTNEY BARNETT プロフィール
1988年、豪生まれ。2012年、自身のレーベルMilK! Recordsを設立し、デビューEP『I’ve got a friend called Emily Ferris』(2012)をリリース。続くセカンドEP『How To Carve A Carrot Into A Rose』(2013)は、ピッチフォークでベスト・ニュー・トラックを獲得するなど彼女の音楽が一躍世界中に広まった。デビュー・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』(Sometimes I Sit and Think, Sometimes I Just Sit)を2015年3月にリリース。グラミー賞「最優秀新人賞」にノミネート、ブリット・アウォードにて「最優秀インターナショナル女性ソロ・アーティスト賞」を受賞する等、世界的大ブレイクを果たし、名実元にその年を代表する作品となった。2018年5月、全世界待望のセカンド・アルバム『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』をリリース。
https://courtneybarnett.com.au/

JASSS - ele-king

 〈Modern Love〉のアンディ・ストットやデムダイク・ステアらが(結果的にだが)牽引していた2010年代のインダストリアル/テクノの潮流は、2016年あたりを境界線に、ある種の洗練、もしくはある種の優雅な停滞とでもいうべき状況・事態になっている。それはそれで悪くない。インダストリアル/テクノはロマン主義的なテクノという側面もあるのだから退廃こそ美だ。
 しかし、その一方でサウンドは、ボトムを支えていたビートはレイヤーから分解/融解し、複雑なサウンドの層の中に溶け込むようなテクスチャーを形成する新しいフォームも表面化してきた。分かりやすい例でいえばアクトレスローレル・ヘイローの2017年新作を思い出してみれば良い。ビートとサウンドの音響彫刻化である。
 つまり洗練と革新が同時に巻き起こっている状況なのだ。すべてが多層化し、同時に生成していく。時間の流れが直線から複雑な線の往復と交錯と層になっている。いささか大袈裟にいえば2020年以降の文化・芸術とはそのような状況になるのではないか。

 今回取り上げるスペインのサウンド・アーティストJASSSは、そのような状況を経由した上での「新しさ=モード」を提示する。彼女にとって「新しさ」とはフォームではなくモードに思えた。スタイルや形式は、その音楽の中で並列化しているのだ。
 JASSSは、2017年に、ミカ・ヴァイニオと共作経験のある(『Monstrance』)、カルト・ノイズ・アーティスト、ヨアヒム・ノードウォール(Joachim Nordwall)が主宰する〈iDEAL Recordings〉からファースト・アルバム『Weightless』をリリースした。私はこの作品こそ現代のエクスペリメンタル・テクノを考えていくうえで重要なアルバムではないかと考えている。
 2010年代以降のインダスリアル、ドローン、テクノなどの潮流が大きな円環の中で合流し、2017年「以降」のモードが生まれているからだ。どのトラックも形式に囚われてはいないが大雑把に真似ているわけでもない。個性の檻に囚われてもいないが猿真似の遠吠えにもなっていない。ときにインダスリアル(の応用)、ときにアフリカン(の希求)、ときにタブ(の援用)、ときにアシッド(の記憶)、ときに硬質なドローン(の生成)、ときにEBM(の現代的解像度アップ)、ときにジャズ(の解体)など、1980年代以降の音楽要素を厳選しつつも自身の音楽へと自在にトランスフォームさせているのだ。それゆえどのトラックにも「形式」を超える「新しさ」が蠢いている。「個」があるからだ。

 JASSSは『Weightless』以前もベルリンのレーベル〈Mannequin〉からEP「Mother」(2016)、EP「Es Complicado」、〈Anunnaki Cartel〉からEP「Caja Negra EP」をリリースしていたが、『Weightless』で明らかにネクスト・レベルに至った。そのトラックメイクはしなやかにして、柔軟、そして大胆。そのうえ未聴感がある。
 何はともあれ1曲め“Every Single Fish In The Pond”を聴いてほしい。メタリック・アフリカン・パーカッシヴな音とインダストリアルなキックに、硬質で柔らかいノイズや微かなヴォイスがレイヤーされる。そして中盤を過ぎたあたりからアシッドなベースが唐突に反復する。どこか「インダストリアルなバレエ音楽」とでも形容したいほどのコンポジションによって、重力から逃れるような浮遊感を獲得している。続くA2“Oral Couture”も同様だ。ミニマル・アシッドなサウンドを基調にさまざまな細かいノイズが蠢くトラックメイクは優雅ですらある(スネアの入り方が人間の通常の身体性から少しずれたところをせめてくる気持ちよさ)。そしてB1“Danza”もアフリカン・インダストリアル・ミニマルとでも形容したいほどに独創的。さらに電子音のカットアップによる解体ジャズとでもいいたいB2“Cotton For Lunch”は、フランスのミュジーク・コンクレート作家ジーン・シュワルツを思わせもした。C1“Weightless”以降はインダスリアル・ミニマルなサウンドにダブ効果を導入したEBM的なトラックを大胆に展開する。
 全8曲、テクノ、インダスリアル、電子音響、ダブなど、さまざまなエレクトロニック・ミュージックのモードを自在に操りながらJASSSはわれわれの使われていない感覚を拡張する。どのトラックも、ビートはあっても重力から自由、硬質であっても物質的ですらない。ちなみに本作の印象的なアートワークを手掛けたのは、2017年に〈PAN〉からアルバムをリリースしたPan DaijingでJASSSのサウンドが持っている独特の浮遊感をうまく表現しているように思えた。

 『Weightless』を聴くとJASSSが特別な才能を持ったサウンド・アーティストであると理解できる。そしてその音からは壊れそうなほどに鋭敏な感受性も感じてもしまう。例えばミカ・レヴィ=ミカチューのように映画音楽にまで進出してもおかしくないほどのポテンシャルを内包した音楽家ではないか、とも。いや、もしかするとポスト・アルカと呼べる存在は彼女だけかもしれない(言い過ぎか?)。
 なぜなら、JASSSは技法やスタイルの向こうにある「音楽」を構築しているからである。ポスト・インダストリアルからアフター・エクスペリメンタル。コンセプトよりも分裂。もしくは物語よりもテクスチャー。 新しい音、モード。 その果てにある「個」の存在。
 20世紀以降、大きな物語が終焉したわけだが、それは21世紀において小さな物語が無数に生産されたことも意味する。それを個々のムーヴメントと言いかえることもできるが、JASSSはそのような個々の潮流ですらも手法(モード)として取り込み、単純な物語化に依存していない。テクノもエクスペリメンタルも包括した「音楽」の実験と創作に留まり続けている。それは停滞ではない。自分の音楽を希求するという意味では深化である。

Taylor Deupree - ele-king

 20年にわたり良質な電子音楽を上梓し続けてきたニューヨークのレーベル、〈12k〉。その主宰者にして自身も卓越したサウンド・アーティストであるテイラー・デュプリーが、ニュー・アルバム『Fallen』を2月25日に発売する。リリース元は、これまでも彼の作品を送り出してきた東京の〈SPEKK〉。来るべきその新作は、なんとピアノをメインに据えた作品になっているという(自身初の試みだそう)。これは楽しみ。

坂本龍一やデヴィッド・シルヴィアンとのコラボなど、これまで20年以上にわたり電子音響シーンをリードしてきた〈12k〉主宰テイラー・デュプリーによる最新作〈SPEKK〉よりリリース!!

坂本龍一やデヴィッド・シルヴィアンとのコラボなど、これまで20年以上にわたり電子音響シーンをリードしてきたテイラー・デュプリーによる最新作は、自身も初の試みというピアノを中心に添えた作品! タッチを抑えた鍵盤の音がうす暗い霧の中に消えていっては、新たな音が生成される輪廻転生のような世界観。永遠と鳴り響く、夢の果てのサウンド。

◆Taylor Deupree による作品概要

腰を落ち着けてアルバムを制作する際には、通常技術的なコンセプトと楽曲的なコンセプトを先に決め集中するための手助けとします。例えば楽器の音色を制限することだったり、何か特定の作曲方法を決めたりと。それは様々なプロセスの探求につながり、またアルバムの焦点がぶれないようにもしてくれます。私の前作『Somi』はそのように焦点をあてた、とても意図的な作品でした。ただ時にはもっとリラックスして、思い浮かぶことを形にしたい時もあります。本作『Fallen』はそのような作品で、今回唯一の自分に課したルールは、初めてピアノを中心の楽器として捉えるアルバムを作ることでした。時には『Fallen』をソロピアノ作にしたかったのですが、探求を押し進むにつれピアノにモデュラーやMOOGシ ンセ、テープマシーンやちょっとしたギターを添えたくなったのです。『Fallen』は軽い感じで作り上げるリラックスしたアルバムにしたかったのですが、結局は制作に1年半以上費やし、これまでの中でも一番時間がかかった作品のひとつとなりました。また、私のプライベートのとても暗くしんどい時期と重なりました。アルバムの進行が進むにつれ、ソロピアノは瞬く間に消えゆき崩壊やノイズが前に出てきたのですが、半分壊れたテープマシーンや無数のゴーストエコーが正直なピアノを隠し、抽象性が自己やその音楽をも隠してくれるようでした。ある意味、『Fallen』は私の以前のアルバム『Northern』に似ており、自由な精神に溢れる作品を目指したものの、最終的には場所と時の作品となったのです。

CATALOG NO: KK037
ARTIST: Taylor Deupree (テイラー・デュプリー)
TITLE: Fallen (フォレン)
LABEL: SPEKK
RELEASE DATE: 2018/02/25 (sun)
PRICE: オープンプライス
MEDIA: CD
BARCODE: 4560267290379

[トラックリスト]
1. The Lost See
2. Paper Dawn
3. Unearth
4. Small Collisions
5. The Ephemerality of Chalk
6. Sill
7. For These In Winter
8. Duskt

◆Taylor Deupree プロフィール

テイラー・デュプリー(1971年生)は米NY在住のサウンド・アーティスト、デザイナー、写真家。世界中のレーベルからコンスタントに作品を発表する傍ら1997年にはデジタルミニマリズムに焦点をあてた音楽レーベル〈12K〉を設立し、マイクロスコピックサウンドと呼ばれる電子音響シーンを築く。自身の音楽以外にも、他者とのコラボレーションも大切にしており、坂本龍一やデヴィッド・シルヴィアン、ステファン・マシューなど数々のアーティストと作品を制作。また、YCAMやICCなどの場所でサウンド・インスタレーションや数々の写真展も行っている。アコースティックな音源や最先端の技術を用いながらも、その作品の根底にあるものは自然の不完全さや、エラー、空間性の美学である。

◆Taylor Deupree サイト
https://www.taylordeupree.com/
◆SPEKK サイト
https://www.spekk.net/
◆レーベルショップ ※先行予約中!!
https://naturebliss.bandcamp.com/

GEIST - ele-king

 昨年出た YPY 名義のアルバムも記憶に新しい日野浩志郎。バンド goat の牽引者でもある彼が2015年より続けている大所帯のオーケストラ・プロジェクトをさらに発展させた公演が、3月17日と18日、大阪の名村造船所 BLACK CHAMBER にて開催される。イベント名は《GEIST(ガイスト)》。マルチチャンネルを用いた音響により、空間全体を使って曲を体験できる公演となるそうだ。ローレル・ヘイロー最新作への参加も話題となったイーライ・ケスラー、カフカ鼾などでの活動で知られる山本達久らも出演。詳細はこちらから。

GEIST

Virginal Variations で電子音と生楽器の新たなあり方を提示した日野浩志郎(goat、YPY)の新プロジェクトは、自然音と人工音がいっそう響き合い光と音が呼応、多スピーカー採用により観客を未知なる音楽体験へと導く全身聴取ライヴ……字は“Geist

島根の実家は自然豊かな場所にあって、いまは、雨が降っている。その一粒一粒が地面を叩く音をそれぞれ聞き分けることはもちろんできないから、広がりのある「サー」という音を茫と聞く。やがて雨があがり陽が射すと、鳥や虫の声が聞こえてくる。家の前の、山に繋がる小さな道を登っていけば、キリキリキリ、コンコン、と虫の音がはっきりしてくる。好奇心をそそられ、ある葉叢に近づくと音のディテイルがより明瞭に分かる。さらに、たくさんのほかの虫の声や頭上の風巻き、鳥の声、葉擦れ衣擦れなどを耳で遊弋し、小さな音を愛でる自分の〈繊細な感覚〉に満足、俄然興が乗り吟行でもせんかな、いや、ふと我に返る。と、それまで別々に聞いていた音が渾然となって耳朶を打っていることに気づきなおしてぼう然する。小さな音が合わさって、急に山鳴りのように感じる。……。「〈繊細な感覚〉なんてずいぶんいい加減なものだ」と醒めて、ぬかるんだ山道で踵を返す。きっと、あの時すでに“Geist”に肩を叩かれていたのだ――。

【日時】
2018年 3月17日(土)
昼公演 開場:13:30 開演:14:00
夜公演 開場:19:00 開演:19:30

2018年 3月18日(日)
昼公演 開場:13:30 開演:14:00
夜公演 開場:19:00 開演:19:30

【会場】
クリエイティブセンター大阪(名村造船所跡地) BLACK CHAMBER
〒559-0011 大阪市住之江区北加賀屋4-1-55
大阪市営地下鉄四つ橋線 北加賀屋駅4番出口より徒歩10 分
https://www.namura.cc

【料金】
前売り2500円 当⽇3000円

【ウェブサイト】
https://www.hino-projects.com/geist

【作曲】
日野浩志郎

【出演者】
Eli Keszler
山本達久
川端稔 (*17日のみ出演)
中川裕貴
安藤暁彦
島田孝之
中尾眞佐子
石原只寛
亀井奈穂子
淸造理英子
横山祥子
大谷滉
荒木優光

【スタッフ】
舞台監督 大鹿展明
照明 筆谷亮也
美術 OLEO
音響 西川文章
プロデューサー 山崎なし
制作 吉岡友里

【助成】
おおさか創造千島財団

【予約方法】
お名前、メールアドレス、希望公演、人数を記載したメールを hino-projects@gmail.com まで送信ください。またはホームページ上のご予約フォームからも承っております。

【プロフィール】

日野浩志郎
1985年生まれ島根出身。カセットテープ・レーベル〈birdFriend〉主宰。弦楽器も打楽器としてみなし、複合的なリズムの探求を行う goat、bonanzas というバンドのコンポーザー兼プレイヤーとしての活動や、YPY 名義での実験的電子音楽のソロ活動を行う。ヨーロッパを中心に年に数度の海外ツアーを行っており、国内外から様々な作品をリリースをしている。近年では、クラシック楽器や電子音を融合させたハイブリッドな大編成プロジェクト「Virginal Variations」を開始。

Eli Keszler
Eli Keszler(イーライ・ケスラー)はニューヨークを拠点とするアーティスト/作曲家/パーカッション奏者。音楽作品のみならず、インスタレーションやビジュアルアート作品を手がける彼の多岐に渡る活動は、これまでに Lincoln Center や The Kitchen、MoMa PS1、Victoria & Albert Museum など主に欧米で発表され、注目を浴びてきた。〈Empty Editions〉や〈ESP Disk〉、〈PAN〉、そして自身のレーベル〈REL records〉からソロ作品をリリース。ニューイングランド音楽院を卒業し、オーケストラから依頼を受け楽曲を提供するなど作曲家としても高い評価を得る一方で、最近では Rashad Becker や Laurel Halo とのコラボレーションも記憶に新しく、奏者としても独自の色を放ち続けている。

山本達久
1982年10月25日生。2007年まで地元⼭⼝県防府市 bar 印度洋を拠点に、様々な音楽活動と並行して様々なイベントのオーガナイズをするなど精⼒的に活動し、基本となる音楽観、人生観などの礎を築く。現在では、ソロや即興演奏を軸に、Jim O'Rourke/石橋英子/須藤俊明との様々な活動をはじめ、カフカ鼾、石橋英子ともう死んだ⼈たち、坂田明と梵人譚、プラマイゼロ、オハナミ、NATSUMEN、石原洋withFRIENDS などのバンド活動多数。ex. 芸害。青葉市子、UA、カヒミ・カリィ、木村カエラ、柴田聡子、七尾旅人、長谷川健⼀、phew、前野健太、ヤマジカズヒデ、山本精⼀、Gofish など歌手の録音、ライヴ・サポート多数。演劇の生伴奏・音楽担当として、SWANNY、マームとジプシーなど、主に都内を中心に活動。2011 年、ロンドンのバービカン・センターにソロ・パフォーマンスとして招聘されるなど、海外公演、録音物も多数。


Event details - English -

Following “Virginal Variations”, a project which explored a new way of merging electronic and acoustic sounds, Koshiro Hino (from goat and YPY) presents his latest composition, titled “Geist”. Set in an immersive environment with interacting sounds and lightings, “Geist” invites audience to a new world of live music experience which people listen sounds with their whole body.

My home in Shimane is located in a nature-rich environment, and now, it’s raining outside. Needless to say, I cannot hear each of the raindrops hitting the ground, so I hear the rain’s “zaaaaa” sound that spreads in space. Soon after, the rains stopped and sunshine began to pour, and I started to hear the sounds of birds and insects. As I walk up the small path that connects from my home to the mountain, those insects’ buzzing and creaking sounds became more clear. As I get closer to the trees, the sound details became more distinct. With my ears, I observed closely a myriad of sounds from other insects, the wind blowing above, birds, rustling leaves and my own clothing. I enjoyed my ‘delicate sensibility’ that appreciates those little sounds, thinking, “Maybe I suddenly get excited and start composing a poem…” But soon later, I came back to myself. And suddenly, I got stunned, realizing that the sounds I heard separately now forms a harmonious whole and hits my ears. Those little sounds became one, and I hear it as if the mountain is rumbling... “The ‘delicate sensibility’ is so unreliable. “ I recalled myself and walked back the muddy path. — And by then, I now believe that I had already made my encounter with “Geist”.

[Date / Time]
Saturday, March 17, 2018
Day time performance Open: 13:30 Start: 14:00
Night time performance Open: 19:00 Start: 19:30

Sunday, March 18, 2018
Day time performance Open: 13:30 Start: 14:00
Night time performance Open: 19:00 Start: 19:30

[Venue]
Creative Center Osaka (Old Namura Ship Yard) BLACK CHAMBER
4-1-55, Kitakagaya, Suminoe Ward, Osaka City, Osaka 559-0011
https://www.namura.cc

[Price]
Advanced ¥2500 Door ¥3000

[Website]
https://www.hino-projects.com/geist

[Composed by]
Koshiro Hino

[Performers]
Eli Keszler
Tatsuhisa Yamamoto
Minoru Kawabata (*only on the 17th)
Yuuki Nakagawa
Akihiko Ando
Takayuki Shimada
Masako Nakao
Tadahiro Ishihara
Nahoko Kamei
Rieko Seizo
Shoko Yokoyama
Koh Otani
Masamitsu Araki

[Staff]
Stage direction - Nobuaki Oshika
Lighting design - Ryoya Fudetani
Stage art - OLEO
Sound engineering - Bunsho Nishikawa
Co-direction - Nashi Yamazaki
Production - Yuri Yoshioka

[Supported by]
Chishima Foundation for Creative Osaka

[Reservation]
To reserve your seat(s), please send an email to hino-projects@gmail.com with your name, your contact, number of people, and the performance date you wish to visit.

Dream Wife - ele-king

 先日おこなわれた第60回グラミー賞は、後味が悪いものになってしまった。今回のグラミー賞は性差別撲滅運動 Time's Up に賛同する白いバラで彩られ、さらにケシャが自身のセクハラ体験に基づいた曲“Praying”を披露するなど、性差別に批判的な姿勢を打ちだしていた。しかし蓋を開けてみれば、受賞したアーティストの多くが男性だった。
 このような矛盾を晒したグラミー賞は多くの批判を受けた。BBCは『Bruno Mars grabs (nearly) all the Grammys - but where were the women?』という記事でその矛盾を取りあげ、NPRは人種差別的な現在のアメリカ政府に例える辛辣な言葉を残している。

 これらの指摘に対し、グラミー賞の会長であるニール・ポートナウは、「女性たちはもっと努力しなきゃいけない」と言ってのけた。当然この発言も批判され、チャーリーXCXといった多くのアーティストが反応している。
 筆者もポートナウの発言にはあきれるしかなかった。例えばエレクトロニック・ミュージックに限っても、エリゼ・マリー・ペイド、エリアーヌ・ラディーグ、スザンヌ・チアーニなど、多くの女性たちが素晴らしい作品を残し、音楽史を前進させてきた。こうした史実を無視して、「努力しなきゃいけない」と言ってしまう男がグラミー賞の会長という現実は、笑い話にすらならないほど虚しい。

 この虚しさに一筋の光を差してくれたのが、『Dream Wife』と名づけられた爽快なアルバムだ。本作を作りあげたのは、イギリスのドリーム・ワイフというバンド。メンバーは、ラケル・ミョル(ヴォーカル)、アリス・ゴー(ギター)、ベラ・ポドパデック(ベース)の3人。2015年、ブライトンのアート・カレッジで3人が出逢ったのをきっかけに結成されたそうだ。サウス・ロンドンを盛りあげているシェイムやHMLTDといった新世代バンドとも交流があり、こうした繋がりを経由して3人にたどり着いた者もいるだろう。
 筆者がドリーム・ワイフを知ったのは、2016年に観た“Kids”のMVだった。このMVで3人はピンクを基調としたファッションを身にまとい、おまけに映画『ヴァージン・スーサイズ』を連想させるシーンも飛びだすなど、ガーリーとされるイメージを打ちだしていた。面白いのは、そのイメージの中でダンベル運動をするといった、男性的なマッチョさを散りばめていたことだ。こうしたMVを作るのが、ドリーム・ワイフ(理想の妻)というアイロニーたっぷりなバンドなのだから、惹かれるまでに時間はかからなかった。あきらかに3人は“女性”という言葉にまとわりつく固定観念を壊そうとしている。だからこそ、『Radical』『Skinny』のインダヴューでは性差別について積極的に発言したりもするのだ。

 そんな3人にとって本作はデビュー・アルバムとなる。一聴して驚かされたのは、必要最小限のプロダクションしか施されておらず、ゆえにひとつひとつの音がとても生々しいこと。音程が外れるほどシャウトするヴォーカル、ラウドでドライな質感が印象的なギター、タイトなリズムを刻むベースとドラムという構成は、虚飾なんてごめんだとばかりの躍動感あふれるサウンドを響かせる。
 そのサウンドはパンクを基調としているが、甘美なコーラス・ワークを披露する“Love Without Reason”があれば、“Spend The Night”ではブロンディーに通じるスウィートな風を吹かせたりと、引きだしはかなり多い。パンク・スピリットと80年代ニューウェイヴのセンスが共存しており、X-レイ・スペックスやエラスティカ、2000年代以降ではストロークスといったバンドを連想させる音楽性だ。この感性はおそらく、3人が公開しているスポティファイのプレイリストでもうかがえる幅広い嗜好が滲み出た結果だろう。プレイリストを見てみると、ロックを中心にピーチズやノガ・エレズといったエレクトロニック・ミュージック寄りのアーティストも選ばれており、3人の豊穣な音楽的背景がわかる。

 女性として生きることについて歌われたものが多い歌詞は、パンク・スピリット旺盛なバンドだけに怒りを隠さないが、それ以外の感情も多く込められている。“Love Without Reason”では文字通り愛について歌い、“Spend The Night”は孤独さを醸す言葉であふれているといったように。
 なかでも筆者が惹かれた歌詞は“Somebody”だ。2016年にレイキャヴィクでおこなわれたスラットウォークをモチーフに作られたこの曲は、まっとうな権利のために戦う女性たちに連帯の意を示すなかで、怒りに混じる切実さや哀しみといったさまざまな感情の機微を描いている。

 非常に質の高い本作を聴いても、まだ「女性たちはもっと努力しなきゃいけない」と言う者もいるだろう。しかし、もっと努力すべきなのは女性たちじゃない。女性たちに正当な評価があたえられない仕組みを作ってしまった者たちのほうだ。

vol.96:ラフトレードとDIYシーン - ele-king

 ブルックリンのレコード屋はグリーンポイントやブッシュウィックに多いのだが、家賃の高いウィリアムスバーグにお店を構えるのがUKのレコード店兼音楽会場のラフ・トレード。2013年にオープンしてから騒音問題でクローズしたこともあったが、その後は順調に運営し、最近では中古レコードも置いている。

 場所柄、UKからの観光客が多く、昼はカフェとしても機能していて、2Fはアート本やグッズがあり、Sonos
の音響システムが楽しめる部屋もある。私が行ったのは夜9時頃だったが、中古レコードを10枚くらい購入している人がいた。以前インタヴューしたマネージャーのジョージもレジスターにいた。
 相変わらず、圧倒的にレコードが多かったが、ラフトレのオススメ・コーナーは見る価値ありで、カセット・テープやカセット・デッキも沢山増えていた。ショーはスーパーチャンク、ジョアン・アズ・ポリスウーマン、クリスティン・ハーシュ、モービーなどの中堅バンドから、アンバー・マーク、ガス・ダッパートンなどのニューアーティストまで、全体的にシュッとしている感じのラインナップが揃う。バワリープレゼンツがオーガナイズしているので、どうしてもそうなる。ちなみに今回見たバンドは、リグレット・ジ・アワー。
https://www.roughtrade.com/events/teen-girl-scientist-monthly

 まだ20代前半の、アップステート出身の若いバンドだが、久しぶりに、U2やナショナルなどのバンド・サウンドを地でいっている。目を瞑って聞くと2018年の音とは思えないが、新世代の冷めた感覚で、熱いギターをかき鳴らしているのを見ると応援したくもなる。だってアルバムタイトルが『Better Days』なのだ。20代前半で! 
 オーディエンスは、彼らの両親や従兄弟、友たちでいっぱいだった。同窓会みたいだったが、こういうライヴ・バンドが健在なのを確認したのは今夜の収穫だった。ラフトレードで隣にいた男の子と話していると、彼はロンドンから観光で来ていて、することもないからここに来たと言っていた。バンドでなく、ラフトレードが目的だったらしい。見たバンドも、結構好きだと言っていた。
 ラフトレードは安全なバンドのショーケースで、DIYスペースのように様々なハプニングや感情を剥き出しにする生々しさはほとんどない。至ってクールなのだ。それでも$20を知らないバンドに難なく払うお客さんがいるし、暇な時間には、レコードも買ってくれもする。ちなみにDIYショーはほとんどフリー、もしくは$5ー$10。


Regret the hour @rough trade

 ラフトレの後、違法なブッシュウィックDIYスペースに行ってたくさんのDIYバンドを見て、勝手にブーズを持ち込んで大騒ぎしている人たちを見て、ホッとしている自分もいる。最近のDIYスペースは減っているばかりかすぐに摘発されるので、オンラインで住所を公開していない。外の見張りもかなり徹底しているので、一見が入るのは難しい。それゆえこのシーンを閉鎖的にしているのだが、DIYコミュニティは健在。
 NYは、DIYバンド/会場に優しくなるように、2017年末から少しずつ動き出している。Dr.マーティンやハウス・オブ・ヴァンズのような企業もDIYバンドを使って自分たちの商品をプロモートしているし、DIYバンドがもっと日の目を見るときがくるのではと、いろんなショーを見ながら考える。近い将来ラフトレで、彼らを見ることもあるのかもしれない。


Grace kelly all day @DIY space

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