「Nothing」と一致するもの

Burial - ele-king

 批評家サイモン・レイノルズをして「21世紀でもっとも重要なエレクトロニック・ミュージック・アルバム」とまで言わしめた『Untrue』から15年、ブリアルがそれ以来となる長編作品(5曲入り)を年明け1月にリリースする。タイトルは『Antidawn』つまり「反夜明け」。『Untrue』=「非真実」に続く言葉としては、なかなかのインパクトである。アートワークもどう考えても、『Untrue』の続きを感じさせるものなのだが……
 〈Hyperdub〉からは新着の写真も届いている。こちらはなんとなく微笑ましかったりして、が、しかしそのサウンドは……(以下、レーベルの資料から)

 『Antidawn』はブリアルの音楽を気化させる。

この作品は、混乱したつぎはぎのようなソングライティングと、不気味なオープンワールドゲームの環境音との間に存在する領域を追求する。

そこにある中間地帯では、歌詞が歌よりも優先され、孤独なフレーズが霞を彩り、荒々しく断片的な構造が時間の歩みをスローダウンさせる。

『Antidawn』は、冬の都市のストーリーのようで、何かが聴くものを夜の世界へと誘う。その結果、心地良さと不穏さが同居し、冷気の中に静かで不気味な光を生み出す。ひとたび「悪い領域」に達すれば、呼吸すら奪われてしまう。そして、時が止まる。

 ああ、ウィリアム・ビヴァンよ、そなたは何処に行く。


Burial
Antidawn

BEAT RECORDS / HYPERDUB
2022年1月28日(金)発売
※国内盤特典:オリジナルステッカー&解説書封入

Richard Dawson & Circle - ele-king

 ここ5年ほどの間のエレキングで紹介されていた音楽のなかで、自分にとって最大の発見のひとつがリチャード・ドーソンだった。人びとから忘れ去られていたフォークロアを土から掘り起こして手製の火鍋でグツグツ煮こんだような『Peasant(小作人)』(2017)は時代が時代ならフリーク・フォークと呼ばれていたかもしれないが、そう呼ぶときの神秘的な雰囲気よりももっと煤けた人間臭さがあったし、中世をコンセプトにしたという奇抜な発想にもたちまち惹きつけられた。サウンド的にもストーリーテリング的にも独特すぎて時代錯誤なのか時代超越的なのかもよくわからない、聴けば聴くほどに彼が作り上げる世界へと迷いこむ感覚があったのだ。
 あるいは、2019年の個人的なベスト・ソング “Jogging” (『2020』収録)は鬱をテーマにした曲で、メンタル・ヘルスの改善のためにジョギングをはじめた小市民のぼやきが語られる。そこで描写される彼の憂鬱は曖昧なものだが、どうやらその原因のひとつに近所のクルド人家族の家に嫌がらせがおこなわれ、警察もそれをほったらかしにしていることがあるのがわかってくる。社会に対する無力感が根にあるのだ。そしてドーソンは間延びした声で歌うのである、「あー、ぼくはパラノイアに違いない」と。パブ・ロックを演奏しようとしたおじさんが酔っぱらいすぎた結果、ハード・ロックとシンセ・ポップをごちゃ混ぜにしたような音で。そんな風に、ドーソンの歌は小さな人間たち──それは現代人の場合も過去の人間の場合もある──の人生の虚しさや悲しさをつぶさに描きつつも、絶対にユーモラスな語りと音を手放さない。

 本作はそんな異色のシンガーソングライターたるリチャード・ドーソンとフィンランドのロック・バンドであるサークルのコラボレーション・アルバムだ。オルタナティヴ・メタル・バンドだと紹介されていることの多いサークルのことをまったく知らなかったので何作か聴いてみたが、サイケデリックなフォーク・アルバムがあったり、かと思えば激ヘヴィなギター・ロック・アルバムがあったりして正体がよくわからない。が、メタルというよりプログレ・バンドと呼ぶほうがまだ近い感じがあり(アヴァン・ロックと呼ばれたりも)、その雑食性からドーソンと馬が合ったのかもしれない。
 そして本作『Henki』は、風変りな者同士の組み合わせを存分に楽しむように、ありとあらゆるところに脱線が仕込まれた奇天烈なロック・アルバムになっている。オープニングの “Cooksonia” はドーソンらしいユルく脱臼したフォーク・チューンながら、“Ivy”、“Sliphium” と進めばハード・ロック、クラウト・ロック、ジャズ・セッションとコロコロと展開を変えていく。メタル・バンドらしく(?)シアトリカルな意匠も多く、そのなかで、もともとオクターヴを行ったり来たりするドーソンの素っ頓狂な歌唱がより大仰に炸裂する。そしてその様が……ものすごく笑える。海外の評にはノイ!とジューダス・プリーストが同居しているなんて書かれているものもあり、字面だけ見るとそんなバンドあってたまるかと思うけれど、実際に存在すると可笑しくて仕方ない。シングル曲 “Methuselah” でドーソンがハイトーンで絶唱すれば、ここぞというタイミングでギター・ソロがギュイギュイ鳴らされ、自分のなかに存在していなかったはずのハード・ロック魂が燃え盛りそうになる。ロックのクリシェをパロディでやっているのか本気でやっているのか掴みかねるところがあり、だんだんそれが気持ちよくなってくるのである。

 その “Methuselah” は世界最古の木を発見しようとする男の物語とのことで、ある意味では、気候変動についての歌として読むこともできるかもしれない。意識の高いメインストリームのポップ・シンガーが気候変動について歌うことも珍しくない現在にあっても、ドーソンの語りはやっぱり、ずば抜けて変だ。ただ、その示唆に富んだストーリーテリングは聴き手の想像力を掻き立てるところがある。アルバム・タイトルの「Henki」はフィンランド語で「精神、霊」の意味で、曲名はすべて植物の名前がつけられられているそうだが、たとえばアルバム中では存外に叙情的なジャズ・ロック・ナンバー “Silene” は3万年以上前にリスが埋めた種がロシアの研究者の手によって発芽したという逸話がモチーフになっているという。なぜドーソンはそんな妙な話を引っ張ってくるのか? わからない。わからないがしかし、植物をテーマにすることによって、人間の営みのちっぽけさを表そうとしたのではないかと自分には思える。ドーソンの歌には、そうだ、いつも人間の存在そのものの物悲しさが張りついている。
 それでも、アルバムのラスト3曲──“Methuselah”、“Lily”、“Pitcher” を続けて聴き、オペラ的にドラマティックな歌唱まで飛び出してくる頃には大笑いしてしまう。語りも面白いが、何より音がユーモラスなのだ。サウンドそのもので笑わせてくれる音楽は貴重だし、飄々とした逸脱というか、常識から大幅に外れるひとたちがナチュラルに朗らかな表現を達成している様は胸がすくものがある。このエキセントリックなロック音楽には、主流を外れてしまう人間を愉快な気持ちにさせる力が秘められているから。

ele-king vol.28 - ele-king

特集:未来をリセットする

未来を感じさせるバンドやアーティストのインタヴューをはじめ、
ロンドンやベルリン、NYなどの音楽シーンの状況を踏まえつつ、
「現在」と「未来」について再考する──

インタヴュー:
ブラック・ミディ
ロレイン・ジェイムズ
ブラック・カントリー、ニュー・ロード
スクイッド

2021年ベスト・アルバム
アーティストやライター総勢32名による個人チャート&ジャンル別ベスト

良質な音楽が数多く生み落とされた2021年、もっとも輝いていた作品は何だったのか?

目次

特集:未来をリセットする

●インタヴュー
ブラック・ミディ (イアン・F・マーティン)
ロレイン・ジェイムズ (野田努)
ブラック・カントリー、ニュー・ロード (木津毅)
スクイッド (小林拓音)

●未来を感じさせる音楽
(髙橋勇人、小川充、岡村詩野、三田格、大前至、野田努)

●コラム&レポート
インディーズの未来をリセットする (イアン・F・マーティン)
自助共助公助のうそ──七尾旅人のフードレスキューが救った言葉 (水越真紀)
パンデミック以降のイギリスと日本の音楽シーンを比較してみる (レイ・ハーン)
DJから見たイギリス、ヨーロッパ、日本のパンデミックとその未来 (CHANGSIE)
ニューノーマルに適応したニューヨークは活気を取り戻しつつある (沢井陽子)
ベルリン──シビアな管理体制を敷きながら、またしても増加する感染者 (浅沼優子)

[FLASHBACK 2021]
大盛況だったフィッシュマンズ・リヴァイヴァル (植田亜希子)

2021年ベスト・アルバム30
2021年ベスト・リイシュー15

ジャンル別2021年ベスト10
エレクトロニック・ダンス (yukinoise+髙橋勇人)
テクノ (佐藤吉春)
インディ・ロック (天野龍太郎)
ハウス (渡部政浩)
ジャズ (大塚広子/小川充)
USヒップホップ (大前至)
日本ラップ (宮崎敬太)
アンビエント (三田格)
ダブ (河村祐介)

2021年わたしのお気に入りベスト10
──アーティスト/DJ/ライターほか総勢31名による個人チャート

浅沼優子、天野龍太郎、valknee、大塚広子、大前至、岡村詩野、小川充、小山田米呂、河村祐介、木津毅、坂本麻里子、Satomimagae、柴崎祐二、髙橋勇人、デンシノオト、The Bug、James Hadfield、二木信、細田成嗣、Mars89、Ian F. Martin、松村正人、三田格、宮崎敬太、moe(民謡クルセイダーズ)、yukinoise、米澤慎太朗、Maika Loubté、Lena aka galcid、渡邊琢磨、渡部政浩

2021年を振り返る座談会
(マシュー・チョジック+水越真紀+野田努)

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
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グソクムズ - ele-king

 このアルバム『グソクムズ』は、懐かしい。この懐かしさは確かに、「〇〇のような」(〇〇に代入されるのは、サニーデイ・サービスであったり、キリンジであったり、キンモクセイであったり、デビュー間もない頃の never young beach であったりするだろう)という、これまでの邦ポップス史に現れた様々なアーティストとの音楽的類似によるのも大きいだろうが、そのような参照関係を超えた、何かもっと複層的で多面的な「懐かしさ」を蔵しているふうだ。

 「はっぴいえんど史観」という言葉がそれなりの説得力をもって流通している通り、1990年代以降の邦ポップス・シーンにあって、都会的な洗練をまとったフォーク・ロックの系譜というのは、かなり豊かなものがある。グソクムズもそうした系譜の上に現れたバンドであることは、そのサウンドを聞いてみてすぐにわかるだろうし、「“ネオ風街” と称される4人組バンド」とプレス資料にあるように、そうした都会的フォーク・ロックと、かつてのティン・パン・アレー~シュガー・ベイブ周辺のシティ・ミュージックを大いに参照しているのもわかる。
 主に北米の1970年代ポップス~ロックの芳醇な蓄積を源泉に据え、〈URCレコード〉や〈ベルウッド・レコード〉から連綿と流れる、フォークからニュー・ミュージックへと発展していく同時代の日本産音楽に多大なインスピレーションを受けたインディー・ポップ。これらを指してここ10年ほどで盛んに用いられた(やや漠然とした)用語に、「グッド・ミュージック」というのがあるが、グソクムズの音楽はまさしくこの「グッド・ミュージック」志向の最新継承形と考えるのが適当だろう。

 グソクムズは、東京・吉祥寺を拠点に活動するバンドだ。「風街」とは、(松本隆のコンセプトによれば)1964年の東京オリンピックを境に様変わりしてしまった青山・渋谷・麻布界隈のかつての原風景を空想的/詩的に捉えようとした概念であったわけだが、その「風街」喪失の物語類型も、後の都市開発の波とともにだんだんと西方に遷移してきて、いまでは吉祥寺に根をおろしている、ということなのかもしれない。都心部の「あの頃」を映したはずの「風街」は、いつしか郊外の「あの頃」を映すようになった。
 これは、グッド・ミュージック的系譜の主な発信地が、都心から渋谷、下北沢、吉祥寺等の武蔵野地域へと時代を下りながら移っていったのにも対応しているように思う。つまり、「風街」というコンセプトのリアリティが都市の中心から徐々に周縁化していく軌道と、シティ・ミュージックからシティ・ポップ、渋谷系、ポスト渋谷系から東京インディーへ、という都会的ポップスの展開の時系列的変遷が対応しているのではないか、ということだ。そういった意味で、2021年においてグソクムズの音楽が奏でられるのは、おそらく必然的に吉祥寺でなければならなかったわけだ。

 アーバンとルーラルの境界の混じり合った性質=郊外性が、吉祥寺という街の微妙な文化的アイデンティティを形作ってきたのは間違いのないところだろう。「風街」からやってくる東風がそよぎわだかまる場所としての吉祥寺にはかつて、日本のフォークの歴史を振り返るときに外せない「ぐゎらん堂」があったり、アヴァンギャルド・ミュージックの梁山泊たる「マイナー」もあった。1980年には(元祖「風街」文化圏とも何かと関連の深い)PARCOがオープンしているし、いまももちろん現役で街の音楽文化をもり立てる「曼荼羅」グループの各店をはじめ、様々な音楽関連施設がある。
 私自身、数年前まで吉祥寺の近くに暮らしていたので、実際、グソクムズの若々しくも品のあるフォーク・ロック・サウンドが、あの街の風景によく馴染みそうなのがよくわかる。どこかでローカリティと非洗練の匂いを残している街並みには、このアルバムで聴けるような(あるいは、はっぴいえんどが架空的に鳴らしたような)、都会的洗練と泥臭さが入り交じったサウンドが似合う。「都市に暮らしている」ということへの自己言及性と、それゆえの含羞としてのルーラル志向が拮抗する様。もしかすると、それこそがはっぴいえんど以来の都会人による邦ポップスを駆動してき基調論理だったのかもしれない、と思ったりもする。

 既に見たように、「風街」という概念には、その発祥の時点からしてノスタルジアが含まれていた。とすると、グソクムズの「ネオ風街」は、さらにその外側にもう一枚のノスタルジアを纏っている、ということになる。
 実のところ、こうした「二重のノスタルジー」というべきものは、例によってはっぴいえんど以後の系譜をたどっていくと、さして珍しくはない。というか、はっぴいえんどという(この場合、バンドというかコンセプト)を、(無自覚な例も含めて)事後から参照するにあたって必然的に引き受けなければならない戦略だともいえる。かつて1990年代にサニーデイ・サービスが描いた音楽の中には、その時点ですでに1970年代初頭の風景への集合的ノスタルジアが溶け込んでいたし、更には、1970年代初頭(ポスト「1968年革命」時代)に芽生えた更に前の時代へのノスタルジアが折りたたまれていた。昨今のシティ・ポップ流行りにしてもそうで、ある側面からみれば、1950年代末〜1960年代初頭の『アメリカン・グラフィティ』的な風景への憧憬を孕んだ1980年前後のニュー・ミュージックを、更に現在から愛でているという現象でもある。

 ここで、無粋を承知の上であえて比較してみたいのが、2010年代に隆盛したヴェイパーウェイヴにおけるノスタルジア観だ。
 ヴェイパーウェイヴでのそれは、過去(主に1980年代から1990年代前半にかけて)に抱かれていた輝かしい未来像にノスタルジアを投影する入り組んだ構造=「挫折した未来へのノスタルジア」が見られたわけだが、「風街」系譜のノスタルジアとは、やや性格を異にしている(ドメスティックな系譜としての「グッド・ミュージック」的価値観は、そもそもヴェイパーウェイヴ的なものとは長らく交わらずに来た)。
 「ネオ風街」は、ヴェイパーウェイヴがそうしたようにテクノロジカルな未来像を追慕するのではなく、「素朴なノスタルジア観へのノスタルジア」を含み込んでいると言うのが適当だろう。当然これは、通常の一義的なノスタルジア欲求とも違う。つまりここでは、挫折した未来観を懐かしむというヴェイパーウェイヴ的ノスタルジアの反響的相似形として、1970年代からそれ以前を眼差した場合のようにありし日を思慕しようとする素朴なノスタルジアを現在では懐き得ないことへの哀切の念=「素朴なノスタルジア観へのノスタルジア」が喚起されているのではないだろうか(オリジナルの「風街」コンセプトが、そのように素朴な心性に起動されていたものだったのか、そしてそれは多分違うだろう、という議論はここでは置いておきたい。重要なのは、かつての「風街」的ノスタルジアが、現在ではそのように「好ましく」「素朴」なものとしても眼差されているのではないか、という点だ)。
 「素朴なノスタルジアを抱き得たあの時代」への追慕/哀切の念が、また新たなノスタルジアを駆動するような状況。要するに、「素朴なノスタルジアを抱くことに対するメタ的なノスタルジア」。これこそが、「ネオ風街」という概念が辛うじて、しかしごく批評的な機能をもって現在性を担保し得ている領域なのではないか。素朴に過去を思慕する契機を奪われた現在の若者たちが、「風街」からの引導を受け取りながら、いま一度好ましく過去を想うための時空を、音楽を通じて立ち上がらせようとしている……という。

 『グソクムズ』は、その音楽も「グッド・ミュージック」的であるとすれば、当然その言葉(歌詞)も「グッド・ミュージック」の粋を集約したものに聴こえてくる。
 主情主義的な感情の吐露は巧みに抑えられ、あくまで身近な「風景」を切り取り、それらを自然主義的に描写する品の良い言葉が列せられていく。一方で、「君」と「僕」はあくまで彼らの生活意識の延長に配置され、奥ゆかしい描写でもってキャラクタライズされていく。こうした音楽を奏で歌うグソクムズのメンバー自身の生活風景も、きっとこのようにさりげないあれこれに彩られているのだろうと想像させてくれる。少しの憂いや倦怠も、こうした風景の切り取り術にとってはむしろ望ましいペーソスなのかもしれない……。
 このように書くと、何やら彼らの歌詞をいかにも「リアリティ」に欠けた「雰囲気重視」だと指弾しているように思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。ある意味でこれは、(そのサウンドと同じく)従前の邦ポップス史において豊かに実践されてきた手法の率直な継承であるし、元をたどるならやはり、かつて松本隆がはっぴいえんどで試みた風景論的詩作法(繰り返すが、ここにはかなりハイコンテクストな問題提起があったはずなのだが)を素朴に内在化し、彼らなりにコンバートしたものだろう。
 これもまた、上のノスタルジアの議論を通過した耳で聴くと、そのような詩作がなされた「あの時代」への憧憬と追慕ゆえの(結果的にメタ的な批評性を帯びざるをえない)実践ととるのが適当かもしれない。

 はっきりといえば、ここに描かれたような「ネオ風街」の風景からは、「社会」が剥落しているのではないか。私にとってはそう聴こえてくるし、「ネオ風街」という「思想」も、あたかも現在の社会的アクティヴィティからの柔らかなシェルターのようにも思えてくる。その点をもって、夢想的なエスケーピズムの匂いを嗅ぎ取って論難するのは簡単だろう。しかし、グソクムズのメンバーが無自覚だったとしても(というより、無自覚だったとしたらより一層その効果を増すわけだが)この音楽は、素朴なノスタルジアを抱きえた時代への追慕・哀切がみずみずしく鳴らされているという点で、結果的に現在の社会への批評的視座が付与されている、ともいえる。
 この音楽が、「社会不在」に聴こえてしまうのなら、ある意味でそれは、現代都市社会が抱え込んだなにがしかの不全ゆえのことかもしれないのだ。

Robbie Shakespeare - ele-king

 またレゲエ史が大きな曲がり角を曲がった。ロビー・シェイクスピアの死は世紀の “リディム・ツインズ” スライ&ロビーの死であり、レゲエ史上最高のリディム・マシーンが永久に操業を停止することを意味する。68歳とは若過ぎる。どこかであと5回や10回はステイジ上の2人を拝めるものだと勝手に信じ切っていた。ポスト=ボブ・マーリー世代のレゲエ愛好家であるぼくにとって、「レゲエ」とは、第一義としてスライのドラムに突き動かされ、ロビーのベイスに共振することだった。何故なら、はたち前の人生で最も多感な時期にブラック・ユフルのコンサート映像『Tear It Up』をヴィデオで観てしまったからである。あれで後頭部をガツンとやられた腫れが引かないまま生きてきた。マイク・スタンドの後ろに立つ異様な3ヴォーカリストの凄みを持ち上げつつもそれを凌ぐ、後ろのドラム&ベイスのすさまじいまでのクールさとインパクト。レゲエとは、他のジャンルにはない強烈な個性のフロントマンを “歌わせる” ドラム&ベイスが絶対的主役なのだと知った。その特異性は、宗教であり、哲学であり、生理学であり、奴隷の記憶と心臓の鼓動、自然の波動に由来するレゲエの普遍性そのものなのである。言い換えれば、特異なのに普遍、という観念上の矛盾がレゲエの “態度” であり、それが有史来の善悪、正否の価値基準を、耳から、そしてDNAレヴェルで問い直すのだ。レゲエのドラム&ベイスの振動は、だから言うまでもなく社会的、身体的な政治である。ベイス・ギターの太い弦をはじく、あのロビーの太い指は、その中で最も饒舌で快活で信用できるものの筆頭だった。
 1953年9月27日、キングストン生まれのロビーは、10代前半に音楽の世界に接近した。兄の故ロイド・シェイクスピアは当時マックス・ロミオらとエモーションズというグループを組んでいたが、それがヒッピー・ボーイズとなり、そこに加入してきたのが、のちにボブ・マーリーのバックを務めるバレット兄弟:アストン “ファミリーマン” バレット(ベイス・ギター)&カールトン・バレット(ドラムス)である。そのファミリーマンのプレイに憧れたロビーは頼み込んでボーヤ兼弟子としてとってもらう。マックス・ロミオがソロ歌手になって以降のヒッピー・ボーイズはリー・ペリーのバンド:アップセッターズとなり、バレット兄弟はその後ウェイラーズ・バンドの中核になるわけだが、その間ずっと、ファミリーマンは弟子ロビーに目をかけ続けた。自分がアップセッターズを抜けたあとは、ペリーの仕事をロビーに振り、マーリー専属となって世界デビューを果たしたボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ73年『Catch a Fire』では、あの “Concrete Jungle” のベイスを弟子に弾かせた。つまりマーリー世界デビュー作、そのアルバム・オープナーのベイスは20歳のロビーだったのである。ここまでの筋だけ見ても、彼が完全にレゲエ史の中核をなすミュージシャンとなるべき星の下に生まれてきたことが見てとれる。ちなみに、70年代中~後期の写真でロビーが弾いている(ポール・マッカートニーで有名な)独ヘフナー社製のヴァイオリン・ベイスもファミリーマンがロビーに譲ったものらしい。
 その “Concrete Jungle” は69年に16歳で最初のレコーディングを経験していた愛弟子に師匠が与えた名許皆伝の証のようなものであり、それ以降、ロビーはセッション・ミュージシャンとしてルーツ・レゲエ期に頭角を表していく。トップ・プロデューサー、バニー・リーの専属バンド:アグロヴェイターズに雇われ、重厚でバウンシーなベイス・ラインでカールトン “サンタ” ディヴィスのフライング・シンバル・サウンドを完成に導いた。その頃、キングストンのクラブ《ティット・フォー・タット》で同店の雇われドラマーだった、そして生涯の相棒となるスライ・ダンバーと出会っている。同クラブがあったのはジャーク・チキンのストリート・ヴェンダーでも有名なレッド・ヒルズ・ロードだが、その2人の思い出の通り名を冠した今年2021年のアルバムが遺作となったのも、いまとなっては運命的なものを感じさせる。
 そのスライが “サンタ” ディヴィスの代役でアグロヴェイターズのセッションに参加したときに、ロビーとスライは初めてリズム隊としてコンビを組んでいる。75年になると、バニー・リーの商売敵ジョジョ・フー=キムの〈チャンネル・ワン〉スタジオ/レーベルの快進撃がはじまり、スライはその専属バンド、レヴォリューショナリーズの核となるが、そこのセッションにロビーが呼ばれることもあった。さらにはジョー・ギブスのプロダクションの専属バンド:プロフェッショナルズ名義でのセッションも、実質その多数でスライとロビーが核になっていた。つまり70'sルーツ・ロック・レゲエ期の3大プロデューサーがこぞって2人を重用したことになり、それが、彼らが同ジャンルの発展に最も大きく貢献したドラム&ベイス・ユニットと評されるゆえんだ。
 それ以外の当時のロビーの活躍で忘れてはいけないのは、ブラック・ディサイプルズ・バンドでの仕事だ。映画『ロッカーズ』にも出演していた硬派プロデューサーのジャック・ルビーが、同主役ホースマウス(ドラムス)とロビー(の同映画での笑顔も忘れられない)を軸に編成したバンドだが、彼らのバッキング仕事の頂点に位置するのがバーニング・スピアー75年の大傑作『マーカス・ガーヴィー』。ルーツ・ロック・レゲエとは何かと訊かれたら、あのディープで黒光りする音を差し出せばよい。
 各プロダクションから引く手あまただったロビーだが、次第にスライとのコンビでの活動の比重が大きくなってくる。76年以降の2人はボブ・マーリーと別れてソロになったピーター・トッシュに雇われ、そのバック・バンド:ワード・サウンド&パワーを編成。ローリング・ストーンズはトッシュを自分たちのレーベルに迎え、78年『女たち』全米ツアーではトッシュ+ワード・サウンド&パワーを前座に起用した。さらにスライとロビーは前出〈チャンネル・ワン〉の花形ヴォーカル・グループ:マイティ・ダイアモンズ、あるいはジミー・クリフなどの世界ツアーもサポートしながら、70年代前半にスライがローンチしたものの軌道に乗らなかった自主プロダクション〈タクシー〉を今度は2人で再スタートさせるなど、70年代後半の彼らの恐るべきハード・ワークは、レゲエ史の中で繰り返し評価される重要なものばかりだ。
 新生〈タクシー〉は、70年代末以降スライ&ロビーのプロダクション兼レーベルとして、デニス・ブラウンやグレゴリー・アイザックス、タムリンズらを筆頭にそのリリースを充実させていったが、その中で最大の成功がブラック・ユフルである。ボブ・マーリーが81年にザイオンに召されると、彼を世界に売り出した〈アイランド〉レコーズの総帥クリス・ブラックウェルは、そのスライ&ロビーのプロデュース&バッキング・サポートによるブラック・ユフルを、マーリーの次の看板商品として世界に配給することを決める。その斬新な先駆的 “電化レゲエ” で世界的名声を得たユフルはレゲエ初のグラミー受賞者となった。
 そのブラック・ユフルwithスライ&ロビーもストーンズのツアーに参加するなどますます世界にその名を轟かせたリズム・コンビがレゲエ以外のアーティストから依頼される仕事もこの頃から急増する。それはロック、ソウルからハウス/ガラージ、ヒップホップと多岐にわたり、結果彼らの縦横無尽なリズムさばきは、世界市場においても揺るぎない地位を確立するに至った(70年代以降彼らのプロデュースやプレイを求めたアーティストといえば、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ハービー・ハンコック、セルジュ・ゲンズブール、グレイス・ジョーンズ、ジョー・コッカー、イアン・デューリー、グウェン・ガスリー、シネイド・オコナー、ジェイムズ・ブラウン等A級のビッグ・ネイムが瞬時に頭に浮かぶ)。
 彼らの偉大なところは、そんな風にジャンルを超越した世界的成功を収めながら、自身の〈タクシー〉においてもオリジナルな創作を続けたのみならず、80代中期のジョージ・パンの〈パワー・ハウス〉レーベルを筆頭に、ジャマイカの他のローカル・プロダクションから依頼されたコテコテのご当地サウンド作りの仕事も嬉々として務め続けたところであり、かつ、例えばその〈パワー・ハウス〉サウンドが、35年超を経た現在、新世代ダンスホール・ヘッズを熱くさせたりするという、ヴァーサタイル感と不朽性が両立するところである。
 80年代の後半以降、打ち込みサウンドがジャマイカで主流になると、ルーツ・レゲエ期に活躍してきた演奏家たち、とりわけ仕事をドラム・マシーンやシンセ・ベイスに奪われたドラマーとベイシストにとっては受難の時代となる。しかしスライとロビーは、自分たちの四肢で産み出すフィジカルなドラム&ベイス・グルーヴを歌の伴奏としての瞬間芸術から限りなく思想芸術に近づける偉業を成し遂げながらも、そこにあぐらをかかず、風の流れが変わったとなればいち早く電子ドラムを皮切りに、ドラム・マシーンやシンセ・ベイスを使い、コンピュータライズド・リディム、サンプリング手法、ディジタル・ダブ等をこれまた嬉々として取り入れた。その頭の柔らかさ、枯れない好奇心とフットワークの軽さが彼らの偉大さを下支えしたことは間違いない。1990年を境にした一定期間はほとんど物理ドラムを叩かず、弦ベイスを弾かずに先進的なテクノロジーを楽しんで独創的なヒットを生み出していた。そんな電化期スライ&ロビーの代表的な仕事といえばチャカ・デマス&プライヤーズ “Murder She Wrote” となるだろうか。トゥーツ&ザ・メイタルズ1966年の “Bam Bam” リディムを使った曲で、その制作へのロビーの貢献度がどの程度かは分からないが、いま同曲を聴いてもスライ&ロビーというブランドがかび臭いアーカイヴ感とは無縁であることが分かる。そしてそのビート感はきっと永遠のヴァイタリティを放ち続けるだろうと確信するのである。
 永遠といえば、デミアン・マーリー “Welcome to Jamrock” にサンプリングされたアイニ・カモウジ “World-a-Music” のロビーのベイス・ラインもまた、少なくともいまこれを読んでいるレゲエ、ダンスホール、ヒップホップ愛好家が生きている間は不滅の響きを維持し続けるだろう。あのベイス・ラインは、今日まで地球の四隅で夥しい回数鳴り響いてきた間に、世界をひとつにして揺さぶる全能感を持ってしまったからだ。あるいはタムリンズ “Baltimore” のベイス・ラインはどうだろう(ロビーのベイス・ラインで最も好きなもののひとつだ)。寂寥感と憐憫と生命力が凝縮されている。音楽は世界を救える、というような考えを全くナイーヴなものだと思わないのは、ロビーのベイス・ライン単体でそれができそうだと思わせるからである。これが思想でないなら何であろうか。

 スライ&ロビーとしてだけで、生涯のレコーディング曲は20万曲を下らないと言われている(この数字は15年前には米AMG allmusic.com に記されていた)が、この数日間の訃報には50万と書いているものもあった。ロビー・シェイクスピアという音楽家に初めて興味を抱いた人はその尋常ならぬ数字にたじろぐと思うので、最後に哀悼の意とともに、老婆心ながら個人的なおすすめ(言うなれば人生の通奏低音である)の中から10点リスト・アップしておく。

Burning Spear / Marcus Garvey + Garvey's Ghost (Dub)

Peter Tosh / Live & Dangerous : Baston 1976

Rico / Man from Wareika

Serge Gainsbourg / Aux armes et cætera(フライ・トゥ・ジャマイカ)

Black Uhuru / Liberation : The Island Anthology

Bob Dylan / Infidels

Maxi Priest / Maxi

Tiken Jah Fakoly / Françafrique

Sly & Robbie / Blackwood Dub

Sly & Robbie / Red Hills Road

HAIIRO DE ROSSI - ele-king

 キイワードのひとつはジャジーだ。ファイヴ・ディーズのファット・ジョンや Olive Oil をプロデューサーに迎えたファースト・アルバム『TRUE BLUES』(2008)から、HAIIRO DE ROSSI はそれを自身の音楽の旗印としてきた。メロウでレイドバックした心地良い曲も多く、今日のいわゆるロウファイ・ヒップホップ好きのリスナーにもおすすめできるアーティストと言えよう。だがその音楽は、ロウファイ・ヒップホップほど無難ではない。
 リリシストとして知られる彼のもうひとつの特徴は──大胆なジェイムズ・ブレイク・ネタで幕を開ける5作め『KING OF CONSCIOUS』(2014)のタイトルが示しているように──そのコンシャスネスにある。モス・デフから影響を受けた彼は2010年、台湾系日本人ラッパーの TAKUMA THE GREAT とともに反中デモに応答する曲を発表。あの時点で明確にアンチ・レイシズムの旗を掲げたのは、ラッパーとして圧倒的に早かった(そのときの経緯や背景についてはこちらの二木信によるインタヴューを参照。ちなみに同記事ではドラッグ全般にたいする忌避感が明かされてもいる。医者から処方される精神安定剤もまた身体を蝕むドラッグでしょうとの見方は、のちにUSのエモ・ラッパーたちがザナックスなどでぼろぼろになっていくことを考えると、これまた早かったと言わざるをえない)。

 ジャジーとコンシャスの二刀流は、昨年リリースされた7作め『HAIIRO DE ROSSI』でもみごとな太刀筋を見せている。わが子への愛を歌い上げる “Flower” は DJ Mitsu the Beats による感傷的なピアノが印象深い曲で、同曲に代表されるように『HAIIRO DE ROSSI』は全体としては優しくあたたかい空気をまとっていたわけだけれど、他方で “Think Twice” のような見過ごせない曲も収めていた。「過激きわめりゃファンは増える/再生数稼げば飯は食える〔……〕SNS経由で火災発生/明日急ぎスーツで謝罪会見」「集団心理がもたらす思考停止/140字取り合うマウント/弱ったところ容赦無えパウンド/レフェリーは大衆10カウント」。このリリックは、多くの人びとが外出を控え液晶画面をにらみつけていた昨春の、暴風雨のようなタイムラインを思い出させる。だれも彼もがネット上のあれこれに振りまわされている、現代のリアルをえぐった1曲と言えるだろう。

 9月に配信でリリースされ、この12月にCD盤の発売を控える8枚めの新作『The Time Has Come』も、HAIIRO DE ROSSI の魅力を大いに伝えてくれる1枚だ。
 まず注目すべきは、「芸術は生きる為に必要」との宣言が耳にのこる冒頭表題曲と、自信にあふれたリリックが炸裂する2曲めの “Broken Jazz”。いずれもひさしぶりに Olive Oil がトラックを手がけた曲で、絶妙なビートの揺れを堪能させてくれる。ジャジー・ヒップホップの担い手としての貫禄を聴かせる2曲だ。終盤のメロディアスな曲たちも聴き逃せない。そこでは HAIIRO DE ROSSI の抒情性が爆発している(トラックの多くは盟友 Pigeondust によるもの)。
 他方、彼のコンシャスネスがもっともよくあらわれているのは、シンガーソングライターの壱タカシをフィーチャーした “Attitude” だろう。1Co.INR によるドラム使いがかっこいいトラックのうえを、格差問題や人種差別、ポリス・ブルータリティ、香港の暴動といった社会的なトピックが駆け抜けていく。「俺たちはこのまま権力に殺される」──。そんな状況をあくまで「music」で超えていこうとする姿からは、彼のラッパー/音楽家としての矜持を感じとることができる。

 興味深いのは、政治的・社会的な問題に切りこんだ曲でも、彼がただ怒りをあらわにしたり、やみくもに反抗的な態度を見せたりしているわけではないところだ。HAIIRO DE ROSSI は本作のいたるところで、オトナとしてどう振る舞うべきかをほのめかしているような気がしてならない。
 たとえば “Broken Jazz” の「街にはポリスマン/権力に屈することはしないが 無駄に立てるミドルフィンガーは持ち合わせない」や、ダースレイダーを招いた “Knowledge” における「バイオレンスはもういい ODももういい」といったフレーズ。サグとは対極の、成熟がある。そして椿──他ジャンル以上に男性優位のヒップホップ界で果敢に闘ってきたラッパー──を招いた “Island Gospel” では、悲惨な現状の指摘は彼女に任せ、彼自身は「讃美歌」を求めている。音楽への厚い信頼。「去ってく人や腐ってる奴が/音楽の力を思い出してくれたら」(“Goodbye to sadness”)。
 スタイル面で言えば、これまでの彼の作品からドラスティックに変化しているわけではない。けれどもここには深化がある。かつていち早くアンチ・レイシズムを唱えた先駆者が、うつ病を経験し、子を授かり、歳を重ねることで到達した境地。ジャジーとコンシャスの組み合わせだけでもじゅうぶん現行シーンにたいするオルタナティヴな気がするけれど、オトナのあり方を示すのはさらに重要なことのように思える。なぜなら今日のラップ・ミュージックは、ほかのジャンル以上に若者の音楽であるからだ。そんなシーンに本作が投げ落とされたことの意義は大きい。

Suezan - ele-king

 1970年代末〜のドイツにおけるポスト・パンク、つまりノイエ・ドイチェ・ヴェレの再発で知られる新潟の〈Suezan〉レーベルから、洒落たクリスマス・アルバムがリイシューされる。
 『クリスマス、おぼえてろ!(Denk Daran!)』は、1980年にデュッセルドルフのタウン誌が企画した、当時のドイツのポスト・パンク系のバンドによるクリスマスを主題とした曲を集めたもので、そうそうたるメンツ(デア・プラン、ピロレーター、ディー・クルップスの前身、S.Y.P.H.などなど)が一堂に会している。発売は12月24日のクリスマスイブ。怪しげで、しかしご機嫌なクリスマスになること必至です。
 

VA
クリスマス、おぼえてろ!

(VA / Denk Daran!)
Suezan
12月24日発売(完全限定プレス)
https://suezan.com/newrelease

The Untouchables - ele-king

 “The Craft”(00)や “Haunted Dreams”(01)のヒットで知られるドラムンベースのユニヴァーサル・プロジェクトを脱退し、新たにケイト・マギル(Kate McGill)と組んだアジト・ステイン(Ajit Steyns)による2作目(アナログは3枚組ゴールド・マーブル盤らしい)。デビュー作『Mutations』(18)は鬼のようなハーフタイム攻めで、ほぼすべての曲が同じに聞こえるほど強迫的なアプローチだったものが(それはそれでよかったけれど)、さすがに今度はヴァリエーション豊富になっている。元々、ジャングルから出発して2010年代に入るとトライバル路線を模索しつつ、「Mystic Revelations EP」(12)や「Dem All Pirates E.P.」(13)でダブに主軸を移したことからビートの数を減らす下地が整ったようで、一時期はジャマイカのレーベルから7インチを連発するほどのめり込んでいたものが、「Dem All Pirates E.P.」(13)でハーフタイムへの道筋をつけ、〈イグジット〉や〈サムライ〉が形成していたフロントラインと合流することになった。同EPはトライバルやダブなどそれまでの試行錯誤をすべてハーフタイムに落とし込み、暫定的な集大成として彼らの方向性を決定づけた1枚となる(同作がそれまでと違って世界中のドラムンベースをフォローするワシントンのレーベル〈トランスレイション〉からリリースされたというのもまた一興)。フォーマットが整えばあとは早い。「Separate Reality EP」、「Blackout EP」(ともに16)とハーフタイムをとことん追求する時期が続き、とくに後者はステインのルーツらしきインド式の細かいパーカッション・ワークがジュークのような効果を伴ってハーフタイムと組み合わさり、独自のグローバル・スタイルを確立した傑作となる(この時期のものはいま聴くとスピーカー・ミュージックの先取りに聞こえる)。そして、前述したように『Mutations』(18)がパラノイアックなまでに金太郎飴状態に。

 3年ぶりとなった『Grassroots』はまるでタックヘッドのような “Fouls Game” で幕を開ける。パンデミックのさなかにリリースされた「Lockdown EP」(20)などがいずれも重々しく、全体的にそうした圧迫感はみっちりと引き継がれるも、よくあるようにスネアを強打せず、トラップよろしく跳ね回るように刻んだ上で細かいパーカッション・ワークと絡ませることで浮遊感を誘い出し、それこそペシミストのようなゴシック・ムードとは重ならない(どちらかというとマリのバラニをハードにしたDJディアキのアフロ・ポリリズムを思わせる)。レゲエとジュークをぶつけた “Forbidden Thoughts” はさながらニューエイジ・ステッパーズのアップデート版で、いまにもアリ・アップのヴォーカルが聞こえてきそう。インド式のパーカッション・ストームにかけられたダブ処理がほんとに気持ちよく、ダブとハーフタイムの相性の良さは続く “Genetic X” でもさらに際立っていく。90年代初頭にジャングルからBPMが半分のレゲエにつなぐというDJスタイルが話題を集めたことがあったけれど(素朴な時代でした)、どうせだから重ねて聴いてしまおうという感じでしょうか(“None Human” は同様に2種類のBPMを行き来する構成)。緊迫感を煽る “Devil's Dance” はジェフ・ミルズによるカリブ・サウンド、新進気鋭のマントラをフィーチャーした “Helena” はまさにマーク・ステュワート&マフィア。アラブの妖精を意味するジン(Djinn)をフィーチャーした “Stage 3” はパーカッションの音量を少し落とすことで催眠的な効果を高め、もはやミニマル・テクノのようにしか聞こえず、サムKDCをフィーチャーした “Poison Dart” はそれらしく無常なアンビエント・テイストに。前作よりも格段にフロア向けにつくられながら、変化球も随所に配置された構成となった。

 ふたりは夫婦で、ブリュッセルでクラブをオーガナイズしていたマギルがイギリスの大学に通っていたステインにDJをオファーしたところ、「一緒にDJをやろうよ」と言われ、機材マニアだったふたりは古い機材を一緒に探しているうちに恋人になり、ついには結婚に至ったのだという(https://ukf.com/words/in-conversation-with-the-untouchables/31996)。名前や容貌から察するにステインはおそらくインド系で、ユニット名は不可触民のことを指していると思われる。マギルが好んでいたラガ・ジャングルにステインのインド的な資質が混ざり合い、ダブやアフリカン・ドラムを加えたサウンドは(ふたりの表現に倣っていえば)「中道」のサウンドを探り当てたということになるらしい。そしてそれはハーフタイムの新たなヴァリエーションとしてとてもユニークな発展性を示すことになった。


Snail Mail - ele-king

 スネイル・メイルの 1st アルバム『Lush』の “Intro” から二曲目の “Pristine” に入るあの瞬間、そのギターの音を覚えている。未完成の完成形みたいだったギターの音、一言で言うとそれは若さで、はじまりを予感させるようなもので、輝きがあって、けれど同時に長くは続かないことが示唆されていて、いつか消え去ってしまうという予感があるからこそ特別に感じられるような、それはそんな音だった。

 あれから3年余りが経って、スネイル・メイルの 2nd アルバムは声からはじまる。タイトル・トラックの “Valentine”、シンセサイザーの音色の上に声が乗る。感情を意識して押し殺したような静かなはじまりから炸裂するギターに叫び声。これまでと重なる部分と異なった部分、この曲でスタートするのはどこか続編ものの映画を思わせて、少しくすんだギターの音とより一層複雑な感情を表すようになったリンジー・ジョーダンの声とがあわさり前作との間に流れた時間が描写されていく。だからもうこの曲が終わる頃にはこのアルバムがどんなアルバムなのか指し示されている感じだ。1st アルバムの時間は過ぎてすべては変わっていった。

 “Ben Franklin” のビートが頭を揺らす。心をかきむしるようなリンジー・ジョーダンの声は低く静かに語りかけ、叫び声よりも鋭く尖った塊を届ける。自らの傷口をえぐるかのように。けれどそれは決して過剰ではなくてある種の物語として機能する。スネイル・メイルことリンジー・ジョーダン、16歳で最初のEPを作り、10代最後の年を 1st アルバムのツアーで過ごし、そうして彼女の20代のはじまりの時間がこのアルバムの中に存在する。「前に進んでも/真実だって思えることはなにもない/時々あなたじゃないっていうだけで彼女が嫌になる/リハビリのあと、自分が本当にちっぽけだって思える」 2020年の終わり頃、リンジー・ジョーダンはアリゾナのリハビリ施設で45日間を過ごした。若くしてスネイル・メイルをスタートし、インディ・スターとしてのイメージが作られて、それまでとは何もかもが変わってしまった。輝きが苦悩に変わる。しかしそれでも彼女は音楽を作ることを止めなかった。ストーリーを紡ぎ、その中でキャラクターを演じ、物語として外に出すことで自らに潜む感情と向き合う。スネイル・メイルは表現者として存在し、だからこそこのアルバムは単に感情を発露しただけのひとりよがりなアルバムで終わらなかったのだろう。

 全ての曲は短くコンパクトにまとめられ31分余りの時間の中で彼女の物語が描き出される。血の滲む傷口と失われてしまったものを求める心、それを否定しようとすることで余計に自分にとってそれがどんなに大切なものであったのかが浮かび上がり、そうしてまた血が滲んでいく。冒頭の “Valentine” を除く曲のなかでリンジー・ジョーダンは叫ぶことなく自らに言い聞かせるような皮肉まじりの歌声を響かせる。作品の中に潜んだ感情のかけら、失われた愛に葛藤、現実の重さ、境界線、そして希望、物語はだからこそ必要で、このアルバムはコンパクトにまとめられているからこそそれらが生きて、物語を通したメッセージがイメージとして伝わってくるのだ(ポップ・ミュージックを通して聞く人間が受け止められるだけでの分量で。どうやってそれを伝えるのか、その選択こそがセンスなのだと思う)。
 そして工夫もある。過剰摂取にならないように、間に挟まれる “Light Blue” や “c. et al.” のようなアコースティックな曲たちが根底に流れる空気を維持しながらも雰囲気を緩め柔らかくしメリハリをつけてアルバムの時間を進めていく。緊張感はそうして続き、頭と心が整理されていく。曲順に関してもこのアルバムはしっかりと考えられているはずだ。ただの曲の集まりではない時間の流れ、それは不可逆で、感情がアルバムというポップ・ミュージックのフォーマットに則って伝えられていく。

 スネイル・メイルは表現者として存在する。自らの置かれたシチュエーションを、感情を、整理がされないままのそれを作品の中に落とし込む。直接的な言葉ではない、物語を通してこそ伝わるものがきっとある、それこそがポップ・ミュージックの魅力のひとつのはずだ。アルバムの中でリンジー・ジョーダンの時間が流れる。次の物語を見てみたいと思うのは、音楽の中に彼女の人生の一部が溶け込んでいるからなのかもしれない。音楽に限らずリアルタイムのエンターテインメントの良さとはきっと同じ時間を生きられるということなのだろう。時の流れの中で人が変化していくその過程を目撃できる。1st アルバムの面影をかすかに残して、時間が流れ、スネイル・メイルはゆっくりとその先へと進んでいく。それを見ることができるのはきっと幸せなことなのだろう。

RIP Greg Tate - ele-king

 アメリカの文化批評、ことブラック・ミュージックにおける批評家(もしくは思想家)として名高いグレッグ・テイトが急逝したことを、『ピッチフォーク』をはじめ各メディアが報じている。
 
 グレッグ・テイトは「ヒップホップ・ジャーナリズムのゴッドファーザー」と呼ばれていた人で、その知性と思想性および硬派な態度から、リロイ・ジョーンズ/アミリ・バラカ(『ブルースの魂』『ブラック・ミュージック』の著者として知られる詩人かつ批評家)の後継者とも喩えられていた。じっさいテイトを尊敬する人は多い。イギリスの批評家サイモン・レイノルズやコジュウォ・エシュン、アメリカの作家ジェイソン・レイノルズや詩人のムーア・マザー、それからテクノ・アーティストのジェフ・ミルズもテイトを尊敬している。
 黒人音楽(文化)について書く人は数多くいるが、たとえばマイルス・デイヴィス、ギル・スコット・ヘロン、ウータン・クラン、アジーリア・バンクス、カラ・ウォーカー、ドレクシア、そしてアフロフューチャリズム、これらを同列に深みをもって語れる人がほかにいるのだろうか。アメリカの黒人音楽ジャーナリズムにおけるこの素晴らしい知性を日本に紹介しようと、ele-king booksからは来年、テイトの代表作である『Flyboy 2』の翻訳を押野素子氏/山本昭宏氏の共訳で刊行することが決まっていた。生前テイトと交流のあった押野氏によれば「最近で一番嬉しい出来事」と話していたそうで、なんともやりきれない思いだ。
 昨年刊行した別冊エレキング『ブラック・カルチャーに捧ぐ』では、巻頭インタヴューがグレッグ・テイトだった。いま黒人音楽を特集するとしたら、その巻頭には彼の言葉がどうしても必要だった。そしてテイトは、Zoomを介して、本に囲まれた彼の書斎からブラック・ライヴズ・マターについて(そしてヒップホップとデトロイト・テクノについて)語ってくれた。
 今年64歳だったというが、まだまだ書きたいことがたくさんあったろうし、BLM以降の時代において彼の言葉はさらにもっと必要だった。偉大な先達の安らかな眠りをお祈りします。(野田努)

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