Home > Reviews > Album Reviews > Snail Mail- Valentine
スネイル・メイルの 1st アルバム『Lush』の “Intro” から二曲目の “Pristine” に入るあの瞬間、そのギターの音を覚えている。未完成の完成形みたいだったギターの音、一言で言うとそれは若さで、はじまりを予感させるようなもので、輝きがあって、けれど同時に長くは続かないことが示唆されていて、いつか消え去ってしまうという予感があるからこそ特別に感じられるような、それはそんな音だった。
あれから3年余りが経って、スネイル・メイルの 2nd アルバムは声からはじまる。タイトル・トラックの “Valentine”、シンセサイザーの音色の上に声が乗る。感情を意識して押し殺したような静かなはじまりから炸裂するギターに叫び声。これまでと重なる部分と異なった部分、この曲でスタートするのはどこか続編ものの映画を思わせて、少しくすんだギターの音とより一層複雑な感情を表すようになったリンジー・ジョーダンの声とがあわさり前作との間に流れた時間が描写されていく。だからもうこの曲が終わる頃にはこのアルバムがどんなアルバムなのか指し示されている感じだ。1st アルバムの時間は過ぎてすべては変わっていった。
“Ben Franklin” のビートが頭を揺らす。心をかきむしるようなリンジー・ジョーダンの声は低く静かに語りかけ、叫び声よりも鋭く尖った塊を届ける。自らの傷口をえぐるかのように。けれどそれは決して過剰ではなくてある種の物語として機能する。スネイル・メイルことリンジー・ジョーダン、16歳で最初のEPを作り、10代最後の年を 1st アルバムのツアーで過ごし、そうして彼女の20代のはじまりの時間がこのアルバムの中に存在する。「前に進んでも/真実だって思えることはなにもない/時々あなたじゃないっていうだけで彼女が嫌になる/リハビリのあと、自分が本当にちっぽけだって思える」 2020年の終わり頃、リンジー・ジョーダンはアリゾナのリハビリ施設で45日間を過ごした。若くしてスネイル・メイルをスタートし、インディ・スターとしてのイメージが作られて、それまでとは何もかもが変わってしまった。輝きが苦悩に変わる。しかしそれでも彼女は音楽を作ることを止めなかった。ストーリーを紡ぎ、その中でキャラクターを演じ、物語として外に出すことで自らに潜む感情と向き合う。スネイル・メイルは表現者として存在し、だからこそこのアルバムは単に感情を発露しただけのひとりよがりなアルバムで終わらなかったのだろう。
全ての曲は短くコンパクトにまとめられ31分余りの時間の中で彼女の物語が描き出される。血の滲む傷口と失われてしまったものを求める心、それを否定しようとすることで余計に自分にとってそれがどんなに大切なものであったのかが浮かび上がり、そうしてまた血が滲んでいく。冒頭の “Valentine” を除く曲のなかでリンジー・ジョーダンは叫ぶことなく自らに言い聞かせるような皮肉まじりの歌声を響かせる。作品の中に潜んだ感情のかけら、失われた愛に葛藤、現実の重さ、境界線、そして希望、物語はだからこそ必要で、このアルバムはコンパクトにまとめられているからこそそれらが生きて、物語を通したメッセージがイメージとして伝わってくるのだ(ポップ・ミュージックを通して聞く人間が受け止められるだけでの分量で。どうやってそれを伝えるのか、その選択こそがセンスなのだと思う)。
そして工夫もある。過剰摂取にならないように、間に挟まれる “Light Blue” や “c. et al.” のようなアコースティックな曲たちが根底に流れる空気を維持しながらも雰囲気を緩め柔らかくしメリハリをつけてアルバムの時間を進めていく。緊張感はそうして続き、頭と心が整理されていく。曲順に関してもこのアルバムはしっかりと考えられているはずだ。ただの曲の集まりではない時間の流れ、それは不可逆で、感情がアルバムというポップ・ミュージックのフォーマットに則って伝えられていく。
スネイル・メイルは表現者として存在する。自らの置かれたシチュエーションを、感情を、整理がされないままのそれを作品の中に落とし込む。直接的な言葉ではない、物語を通してこそ伝わるものがきっとある、それこそがポップ・ミュージックの魅力のひとつのはずだ。アルバムの中でリンジー・ジョーダンの時間が流れる。次の物語を見てみたいと思うのは、音楽の中に彼女の人生の一部が溶け込んでいるからなのかもしれない。音楽に限らずリアルタイムのエンターテインメントの良さとはきっと同じ時間を生きられるということなのだろう。時の流れの中で人が変化していくその過程を目撃できる。1st アルバムの面影をかすかに残して、時間が流れ、スネイル・メイルはゆっくりとその先へと進んでいく。それを見ることができるのはきっと幸せなことなのだろう。
Casanova.S