「!K7」と一致するもの

レディオヘッド/キッドA - ele-king

レディオヘッドの問題作『KID A』とは何だったのか

ロックにとどまらず今なお現行音楽シーンに多大な影響を与えているレディオヘッド、その最大の問題作――『KID A』とは何をしようとしたのか、そして何を成し遂げたのか。美学的・政治的・マーケティング的・メディア的……あらゆる側面から考え抜いた一冊、待望の邦訳刊行!

■プロフィール
著者
マーヴィン・リン Marvin Lin
オンライン・ミュージック・マガジン「タイニー・ミックス・テープス」の共同創設者であり編集長。「ピッチフォーク」およびミネソタの学生インディマガジン「The Wake」の編集者でもある。ミネソタ在住。

訳者
島田陽子
早稲田大学第一文学部英文学科、イースト・アングリア大学大学院翻訳学科卒。(株)ロッキング・オン勤務などを経て、現在フリー翻訳者として様々なジャンルで活動。『プリーズ・キル・ミー』『ブラック・メタルの血塗られた歴史』(以上メディア総合研究所)、『ブラック・メタル サタニック・カルトの30年史』(DUブックス)、『フレディ・マーキュリーと私』(以上ロッキング・オン)他、訳書多数。

レディオヘッド/キッドA
マーヴィン・リン(著)

■目次
はじめに――Introduction
キッドAの美学――Kid Aesthetics
キッドAと純血度――Kid Authenticity
キッドAの絶賛度――Kid Acclaim
キッドAと適応度――Kid Adaptation
キッドAの行動主義――Kid Activism
キッドAの黙示録――Kid Apocalypse
キッドAと仲介メディア――Kid Agency
キッドA君臨――Kid Ascension
謝辞――Acknowledgements

The 10 Best Singles/EPs of 2018 - ele-king

 このサウンド・パトロールというコーナーは僕にとって非常に思い入れが深いコーナーである。よく読んでいたのは、かれこれ7年ほど前のこと。レコ屋へ行っても「何聴いていいかわかんねーよ」と大量のシングル盤を前にして怯えていた当時、野田努が主に書いていたこのコーナーは、いま人生を傾けるべき音を教えてくれるマイル・ストーンだった(その形式を踏襲し、持っている盤の写真は自分で撮った。ジャケではなくラベルを優先している)。
 2018年。データやサブスク形式が主流になってもエレクトロニック/ダンス・ミュージックはシングルやEP(1ー3曲入りの音のカタマリ)をいまだに必要としている。産業構造を俯瞰してみてれば、いまさらいうまでもなく、技術革新などによって、制作、それに付随する労働パターン、さらには「消費」スタイルが現在確実に変わりつつある。けれどもシングルやEPはヴァイナル以外の購入/再生の選択肢が増えただけで、「12インチに収録できるくらい少ない収録曲」というコンセプトは30年前とさほど変わってはいない。なぜか。シングルは最初から「高速」で動いてきたからである。シングルやEPはプロデューサーに浮かんだアイディアを比較的ハイスピードで形にすることを可能にさせる。ゆえにシングルは時代のモードを即座に反映することができる。ゆえに発売されたばかりのシングルは新しい。ゆえに、シングルはいつまでも素晴らしくてカッコいい。ゆえに、シングルには耳を傾けなければならない。
 今回のサウンド・パトロールでは、今年リリースされたシングル/EP(リイシュー含む)を10枚ピックアップしてみた。民主的なプロセスを経て選んだわけではないが、行く先々のクラブで吸収した人々の躍動(ヴァイブス)は、それ相応に反映されているだろう。住んでいるロンドン、訪れる場所になった東京、マンチェスター、ユトレヒト、モスクワ、浜松のクラブでインスピレーションを与えてくれた人々に感謝する。
 可能な限り盤で聴いたものを選んだが、データで聴いたものもある。並びは順不同である。それぞれが別の方向を向いているので、ランキング付けは不可能だった。そのどれもが見逃すことができなかった秀作たちだ。感覚を大いに奮い起たせる10枚といってもいい。レアなものを選んだつもりはない。このすべては、あらゆるひとびとに開かれている音楽だ。

Object Blue - Do you plan to end a siege? - Tobago Tracks

 ロンドンの物質世界でオブジェクト・ブルーの存在が確認されるようになったのは3年ほど前のことで、2018年はその大きな飛躍の年となった。2017年にブリストルで行われたこの「青い物体」によるライヴの1時間のオーディファイルは、その特異性を捉えるモーション・キャプチャーとして機能している。そこでは無光状態で合生するオウテカのライヴでサウンドが全感覚器官をハックしていくのと同種の凶暴性や、UKベース・ミュージックの低域60ヘルツ付近に設置された身体を捕獲するマジックが確認された。今年ロンドンの〈Tobago Tracks〉からは、そのデビュー作が到着。EPの各所で女性の音声マテリアルが分裂と融合を繰り返し、それがグラニュラー・シンセで視覚的にコンピュータライズされた周波数テクスチュアと絡まり、ダイナミックな律動性を形成する。この美学は他者を大きく圧倒している。オブジェクト・ブルーは自身をテクノフェミニストと呼ぶ。哲学者ダナ・ハラウェイは機械と人間の混合が進む現代を考察しサイボーグフェミニズムを起動させた。それをサウンド面から更新するように、このデータ・リリースの三曲は、テクノ化された、つまり技術によりラディカルな空気振動へとトランスコーディングされた無形の「身体」を経由して、フロアの女性たちに変革をもたらさんとする。あるいは、彼女たちこそがその変革の主体であり、サウンドはその周囲のすべてを取り込んでいく。ウジェヌ・グリーンの映画『ポルトガルの尼僧』から引用されたというタイトル「包囲戦を終わらせるつもり?(Do you plan to end a siege?)とは、ジャンヌ・ダルクが突破したオルレアンの包囲を指している。

Pavel Milyakov aka Buttechno - Eastern Strike - RASSVET records

 2018年、ロンドンのカルヴァータ22というアートスペースで『Post Soviet Vision』というソ連解体以降の旧ソ連圏の若者文化を追った美術展に、『オレフォヴォ』と題された作品が展示されていた。ブリューゲルの絵画『雪中の狩人』にロシアのモスクワ郊外のオレフォヴォ地区に立ち並ぶブロック(集合マンション)をコラージュしたそのビュジュアル作品を作ったのは、デザイナーのパベル・ミリヤコフ。彼の音楽プロデューサーとしての名をバッテクノと呼ぶ。「郊外」はソ連解体以降の都市文化においても重要なタームであることを端的に示した作品だ。ミリヤコフはファッション・デザイナーのゴーシャ・ラブチンスキーのショー音楽を手がけていることでも知られており、今作はその2018年AWコレクションのために制作された。A面はトランシーなノンビートのシンセループあるいはインプロ集。ロシアのレイヴの遺産の探求がテーマにあるというが、その手法はダンス・ミュージックのブレイク部分をつなぎ合わせたロレンツォ・セニの影響か。 B面はダブステップ以降のUKベース若手世代が思わず唸るビートである。ミリヤコフはとても研究熱心な作り手だ。テレンス・ディクソンやエイフェックス・ツインを丁寧に聴き、クラウトロックにも関心を向け、2017年に〈TTT〉から出たEP「Super Sizy King」にはその成果が溢れている。普段からハード機材をよく使っているようだが、本人に問い合わせたところ、今作はラップトップでピュアデータをメインにすえて制作されたとのこと。スタイルを横断する。ここに重要な学びの精神がある。A面冒頭曲が『i-D』が制作したゴーシャのドキュメンタリーで流れた時の、新しい時代の幕開け感が凄まじかった。「Rassvet」とはロシア語で「夜明け」の意味である。彼をよく知るモスクワの友人は「それは言い過ぎ」というけれど、東の郊外からはじまるサウンド革命に、ついついブリアルを重ね合わせてしまう。

Nkisi - The Dark Orchestra - Arcola

 チーノ・アモービによれば、〈NON Worldwide〉の当初のコンセプトはンキシによるものだという。アフロフューチャリズムの文脈で分析されることもある同レーベルだが、彼女の関心は未来というよりも、そのアフロの起源、あるいはアフリカの民族に伝わるコスモロジー(宇宙論)に向いている。今年リリースされた〈Non〉のコンピレーションに収録の“Afro Primitive”は、過去としての起源に向かうというよりも、その起源で生まれた原始的なレンズを通して、現代を覗き見るようなトライバルテクノ・トラックだった。 今年の3月に〈Warp〉のサブレーベルである〈Arcola〉からリリースされたこのEP「The Dark Orchestra」の表題曲は、プリミティヴなミニマル・ループであるというよりも、ダイナミックなヘヴィ・トラックである。ブラックではなく、光が差し込まないダークという概念をンキシはチョイスする。冒頭の数分のシンセの重層から突如場面が切り替わり、宇宙の暗黒面から大量の隕石が落下するかの如く連打されるリズムは圧巻である。曲名からサン・ラーを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。ダンス・トラックのルールを度外視した暴力的速度の祭典“Violent Tendencies”、強力なサイケデリアが襲撃する“G.E.O”、ハーフステップ的ガバの突然変異“Dark Noise”。安易に聴かれることを拒否する、新たなテクノの地平である。2018年の1月には、リー・ギャンブル主宰の〈UIQ〉から彼女はデビュー・アルバム『7 Directions』をリリースする。このアルバムが参照し、彼女が本人名義メリカ・ンゴンベ・コロンゴのインスタレーション活動で調査をしたバントゥ-コンゴのコスモロジーによれば「聞くことは見ること、見ることとは反応すること/感じること」である。ここにはX-102にもドレクシアにもなかったアフロへの、あるいは音へのアプローチがある。ンキシが切り開くダーク・テクノは、明日のシーンの方向をどう変えるのだろうか。

Raime - We Can’t Be That Far from The Beginning -RR

 ダンス・ミュージックにおけるサウンドの共進化である。レイムがついに始動させた自身のレーベル〈RR〉からの一発目。タイトルを少し意訳せば「俺たちがハナっからそんな行き過ぎるわけがない」となる。数年前、ワイリーによるドラムをトラックから抜き去る手法、通称デビルズ・ミックスの発展系とされるスタイル、無重力グライムが脚光を浴びた。レイムのこの12インチもその延長線上で捉えることができるかもしれないが、これは重力の塊のように聴こえる。“In Medias Res”は冒頭でリズム的展開を見せるかと思えば、「とても怖い」、「私は疲れた」とピッチを変調されたループとともに、ビートは引き裂かれる。そこに放たれるサウンドは何か引っ張られるように視界から消えてゆく。ベースと言葉が落下を続ける。低音とエフェクトを通された金属音、「ちょっと度が過ぎたかも」というセリフの抜粋ではじまる“Do I Stutter?”では、裁断された声が遠近法やリヴァーブといったエフェクトを通される。静寂と進行性キックで何かを語ろうとするも、聞き手にそれがなめらかに届くことはない。このアプローチを継承した形で“See Through Me, I Dare You”では、空間そのものが鋭利な刃物に思えるほど際立つ。前半は緊張を煽り、中間でメタリックな旋律が一瞬の希望を見せ、アブストラクトな形状のビートが追従し、最後はそれがストリングスの濃霧に消える。『RA』の今作のレビューでも触れられているが、マーク・フィッシャーは生前、レイムにインタヴューを行っている。パーソナル、カルチュラル、ポリティカルさの不可分性を踏まえた上で、そのすべてに働く無意識を描き出そうとするレイムの姿勢がそこでは語られている。重力、あるいは現実に無意識が引き寄せられていく段階、つまり言葉が言葉になる容態を覗き込むことができたら、きっとこんな音が鳴っている。

Docile - Docile - The Trilogy Tapes

 ダークにも、B級にも、ロウにも、ドレクシア学派にも自由に変形する今日のテクノ・アンダーグラウンドにおいて、ひときわ神秘的かつソリッドなビートを生み出しているプロデューサーがジョン・T・ガストである。個人的な2017年のベスト・シングルは、彼が〈Blackest Ever Black〉から出した「wygdn」で、アンビエントとダンスホール的メランコリアで構成された10インチは、一瞬にしてレコード店から姿を消しクラブへ投下されていったのを記憶している。ガストは今年、ンキシとのプロジェクトであるコールド・ウォーを始動させているが、ここで取り上げるのはトライブ・オブ・コリンとのユニット、ドーサイルである。ライダー・シャフィークのスポークン・ワードのようにリズムは魔術的にとぐろを巻く。デジタリティを醸し出すドラムキックは、おそらくはトライブ・オブ・コリンが操るMC505で生成されたものだろう(彼のライヴ機材群はMC505を主軸に組み立てられ、テクノでMCが飛び入りでラップをする! 同機はMIAのファーストに使われたことでも有名)。ノンビートで静かに奈落へと降下し、突如キックが重力を発生させ、スネア、タム、クラップがシンプルにグルーヴを生み、シンセが耳元で息を吹きかけるA面の“Docile 7”。裏面で行き場を失った怒りが、躍動するベースライン、金属の鳴き声、メランコリックなメロディとともに押し寄せる“Empty Fury”。最後の“Jonah Reprise”は間延びしたサイレンがベースとともに響く漆黒のアンビエントだ。ラベル上で彼らの顔はカットされている。見えないこと、ダークであること、パワフルであること。彼らはじつに素直(docile)に、それらを並列させクラブに黒い炎を生み出してしまった。

Mars89 - End of the Dearth - Bokeh Versions

 マーズ89の存在を僕は5年ほど前から知っている。コード9×ブリアル・ミックスがネオ・トーキョー感を放っているという文章を読んだが、そっちよりも僕は彼のプレイにそれを感じる。マーズ89は会った時からすでにまだ到来していないネオ・トーキョーの住人だった。トラップがかかるメインフロア上空のサブルームで、アンダーグラウンドなR&Bや初期シンゴツーをプレイする姿は、荒廃するキャピタル・シティを自由に走り去るライダーのように見えたものである。近年、ザ・チョップスティック・キラーズ(現:グッド・プロフェッツ)などでの活動を通し、そのモード感覚はトライバルやUKベースを軽やかに吸収。加えて、ユーモラスで危険な遊び方を練磨し、その成果がNOODSラジオにおける縦横無尽な選曲のトランスミッションから聴こえてくる。2018年にブリストルの〈Bokeh Versions〉からリリースされた3枚目が本作EP「End of the Death」である。アートワークのカプセルは快楽用ではなく、この異世界ソニック・フィクション的音像へアクセスするための装置だろう。BPM110のネオ・ダブビーツが思考の速度を奪う表題曲は、ミイラ化したリズムマシンを召喚し、続く “Run To Mall”ではそのドラム・ロールが銃声に倒れるまでループされる。その渇きを潤すかのように、“Visitor from the Ocean”では水面化のマイクが拾っているかのようなシンセとベースがあなたに休息を許す。“Random Coherence”においては不可視的サブベースがDJピンチのいう「ブラック・スポット」を刺激。終曲“Throbbing Pain”は和太鼓と幽霊の声が共生し、左右に揺れるハットが火花を散らす。このサイファイホラー・ダブは誰にも似ていない。死の終わりの向こうに浮かぶ火星から届いた傑作である。

Loidis - A Parade, In The Place I Sit, The Floating World (& All Its Pleasures) - anno

 頭から視聴して驚き、すぐに購入した。調べてみたら、ホエコ・Sの別名義だということでさらに驚いた。フォー・テットはあまりの良さに二枚買ったといっている。最初のマジックはまず一曲目 “A Parade”の冒頭部分だろう。スローにループされるサウンド・マテリアルから、このレコードが33回転なのか45回転なのか判別できる人間はまずいないだろう。そこにキックが入り、一定のタイム・モードが世界の進行を決定づけ、最小限かるインプロバイズされたシンセが複合かつ単発的に動く。全員で一点を目指して各マテリアルが鳴るというよりも、そのそれぞれがバラバラにかつグルーヴィに同時進行(パレード)していく絶妙な統一感のなさが自由を感じさせる。裏面の“The Place I Sit”においては、この盤におけるヒプノティックなムードの強度が最高潮に達する。低音域で穏やかになるパーカッションと、意思を持っているかのようにうねる高音域のループが、艶やかにファンクする。同面終曲の“The Floating World (&All Its Pleasure)”では、アンビエントで展開されるベースとハイハットの会話にキックが合流し、FMシンセ的な金属音のにわか雨が降る。この12インチのヘイジーなアンビエンスは、アクトレスのそれとは異なり視界を遮ることがなくクリアであり、クラブのサウンドシステムの開放的美学とベッドルームの閉所的快楽の間に浮世を創出している。

Joy O - 81b EP - Hinge Finger

 ジョイ・オービソンが自身のレーベル〈Hinge Finger〉から出した2018年唯一の12インチである。今年はマルチ楽器奏者にベン・ビンスとの共作「Transition 2」が〈Hessle Audio〉から出ているが、サウンド・デザインの面では僕はこちらの「81b EP」 に惹きつけられた。一曲目の“Seed”はジョン・T・ガストの墓場のメランコリアや、ンキシのダーク・テクノにも通じる。上部でこだまする粒子的ブリップ音は次曲の“Coyp”にも引き継がれ、ダンスホール的ベース・キックの悦楽が足元を揺らしている。ギターのミュート・プレイのようなシンセが特徴のアンビエント“Tennov6teen”は、以前のオービソンのスタイルにはなかった砂漠に置き去りにされたような焦燥感を生む。“Belly”はリチャード・D・ジェイムスのアンビエント・テクノを想起させるような、透明度の高いグルーヴを創出。“Sin Palta”はジョイ・オーが得意とするヴォイス・サンプルのループが、全曲のアンビエンスをストレートなリズム・ストリームで流れる。最後の“81b”はスローなテンポでベースが上下に跳ね回り、上記の曲の渇いた透明なアンビエンスそれを支え、ブレイクで崩壊するシンセが耳を奪い続ける。オービソンは無法レイヴと都市世界者のテクノをつなげる重要プレイヤーであり、ロンドンのトップDJである。だがこの12インチには、かつての姿ははっきりとは出現しておらず、異なるモードへ向かっていることが示唆されている。ここで彼はさらなる進化を遂げようとしている。その姿勢はエスタブリッシュすることなく、暗闇のコウモリのようにテクノのワイルド・サイドを飛んでいるようだ。

Terre Thaemlitz, DJ Sprinkles - Deproduction EP 2 - comatonse recordings

  米国出身川崎在住のミュージシャン/ジェンダー理論家のテーリ・テムリッツがアルバム『Deproduction』を自身の〈comatonse recordings〉からリリースしたのは2017年の12月である。43分の2曲と、そこから抜粋されたピアノ・ソロ、そして彼自身のDJスプリンクルズ名義による3曲のリミックスが収録された一枚のSDHCカードと、10枚のインサートで発表された。
 まず同作のコンセプトを説明する。フェミニストとクイアによる核家族の批判的拒絶の現状に今作は焦点を当てている。現在、欧米を中心に核家族という西洋の伝統的価値観がLGBTの家族観に積極的に取り込まれはじめている。元来、クイア側は、その核家族観に抵抗する形で、意図的に親になること、あるいは家族を持つことの放棄を行っていた。「Deproduction」、不産主義。それは多様性をラディカルに捉え直す実践でもある。だが現在のLGBTにおける核家族化の普及の流れにおいて、不産主義はただのエゴセントリックなものとしてみなされてしまう。テムリッツはそこに注目し、音源、ビデオ、それからテキストによって、西洋的ヒューマニスト観の闇を不産主義の側から描いている。(レーベルのHPに詳しい説明がある: https://www.comatonse.com/releases/c027.html)。
 2018年、このアルバムから二枚のEPがカットされた。リリースはヴァイナル・オンリー。ここで取り上げるEP2には各約14分の“Admit It’s Killing You (And Leave)”のピアノ・ソロとスプリンクルズによるハウス・バージョンが収録されている。ハウス・バージョンに針を落とすと、湖面に落ちる雨粒のように澄み渡るハイハットの幻覚と、そこに反射するピアノが流れてくる。それに加え、静寂のなかで跳ねるベースを基調に、異なるシンバル、パーカッション、ストリングがリズムを彩る。ときとして落ちる、優しく深いリバーブに覆われたリムショット。完璧なトラックである。裏面のソロピアノも非常に美しい。(俗な例だと言われるかもしれないが)キース・ジャレットの『ケルン・コーサート』の陽気な部分をそぎ落とした、かといって隠が増幅されているわけでもない旋律。どこにも着地しようとしない、不安定なグライダー飛行のアンビエンス。これほど議論と癒しを聴き手にもたらした12インチを僕は知らない。このシングルを手にしたとき、炎上していたのは杉田水脈衆議院議員の「LGBTには生産性がない」発言である。勘違い野郎はことの本質を常に取り逃がすことしかできない。テムリッツの批判的美学はその現状において輝きを増しているのは間違いない。ここでは長くなってしまうのであまり踏み込まないが(実は僕もまだアルバムを聴けていないとうこともあり)、リリースから一年経ってしまっているものの、この作品は木津毅を切り込み隊長に据え、しっかりと論じられなければならない。
 最後に、リミックスでループされるコメディ風の英語のスポークン・ワードに触れる:「彼らは従来的な家族で、ただその周囲にいるだけのゲイのひとびとから非難を浴びていた。というのも、彼らの考えが家族観を腐敗させると思っていたからだ。その家族は「他に別の考え方があるって?」という感じだ。それで、彼らはバラバラになった」。前後の文脈がなければなかなか理解するのが難しいセンテンスだが、ラベルの和訳タイトルが参考になる。伝統的な家族は、その「苦しみ」、つまり自分たちが直面する問題点がその家族の構造にあるかもしれない現実を認めようとしない。彼らが恐れる不産主義的なバラバラになる生き方(立ち去ること)が、その解決になることだってありえる。ここでは、そんな風にして、伝統的な家族が絶対的であるとする西洋の核家族観が揺さぶりをかけられているのだろう

Womack&Womack - MPB (Missin’ Persons Bureau) - Melodies International

 2018年ベスト・リイシューはコレ。僕が初めて聞いたのは5月のこと。この頃、ベンUFOがオールド・ストリートにあるクラブのXOYOで13週連続のレジデンシーDJを務めていた。あの日はブラワンとパライアからなるユニット、カレンが出演した回だった。つまり、ハードなテクノの激流が午前2時を破壊した日である。その後3時くらいにデックに戻ってきたベンがもう2時間ほど回して、その夜最後のシメにこれをかけた。開始数秒のディレイがかかったギター・ストロークが鳴った時点で時間の流れが直線から凹凸になる。もう数秒経過、甲高い声と囁き、ファンキーなギターが入る。ダブ、空間がねじれる。ビートはない。残像とともに美しいコーラスが始まり、明らかに他のパートとは異なる強度のベースが重力を変える。そして、爽快なドラムが4月中旬の風のようにすっと入ってくる。あとはこの繰り返し。数分後には夜が終わって欲しくないと強く思っていた。フランキー・ナックルズ(1955-2014 RIP)がウーマック&ウーマックの88年作 “MPB(Missin’ Persons Bureau)”のリミックス盤を〈Island〉から出したのは1989年、 “Your Love”の2年後、 “The Whistle Song”の2年前のことである。オリジナル盤が高騰しまくる約30年後の5月にこの名作をリイシューしたのはフローティング・ポインツ主宰の〈Melodies International〉で、オリジナル盤のマスター・テープから二曲ピックアップし「A Side: Paradise Ballroom Mix/ B Side: Folk Version」として12インチ45回転にまとめられた。ベンUFOが流したのはB面のフォーク・ヴァージョンだ。シルキーで、低音がぶっ飛んでいて、ダブ・サイエンティストから全盛期のカンまでもが想起される音響マジックは時間/空間の非現実性をフロアで増大させる。そして何よりも大事なことは、これは偉大なる失恋歌であり、ハウスのゴッド・ファザーはそこだけは非現実化しなかったということだ。ヴォーカルは今日も朝飛び起きると行方不明者捜索局に電話をかけ、愛する人がいなくなっちゃいました、と問い合わせ続けている。

Takao - ele-king

 私見では、ここ数年のニューエイジ・リヴァイヴァルを牽引してきたヴィジブル・クロークスによる2017年作『Reassemblage』が広くエレクトロニック・ミュージック一般のファンにも好評を持って迎えられたことで、同シーンの活況は更に高次のレヴェルに突入したと考えている。以降、これまで他ジャンルで創作をおこなっていたアーティストも含め、昨今のアンビエント~ニューエイジ再興に(自覚的にせよ、あるいはそうでないにせよ)参画し始め、今年2018年はそうした趨勢が一層可視化された年だったと言ってよいだろう。
 リイシュー・シーンに目を移してみても、オランダの〈Music from Memory〉、ベルリンの〈Aguirre Records〉といったレーベルの活発なリリースは継続して注目すべきものであるし、エレクトロニック・ミュージックとは縁遠いように見えていた総合リイシュー・レーベル米シアトルの〈Light in the Attic〉からも、アンビエント時代を含む細野晴臣の各作がLP化されるなどの動きもあった。そして、その〈Light in the Attic〉からは、来年2019年2月に、『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』と題された日本のアンビエント~環境音楽の決定版的コンピレーションの発売も予定されている(https://www.ele-king.net/news/006610 編纂はヴィジブル・クロークスのスペンサー・ドーランだ)。

 こうしたムーヴメント自体は、vaporwaveの興隆~変質(OPNジェイムス・フェラーロのキャリアを参照)などとも複層的に絡み合いながら展開してきたもので、元来は海外発のものでもあった。しかしながら、その音楽要素の参照先として最も大きな影響力を持っているのは、上述のコンピレーションに象徴的だが、かつて(主に80年代に)日本で創られたアンビエント・ミュージックなのだ。
 古くからの日本国内のリスナーはやや面食らう部分があったかもしれない。なぜなら、そうした音楽は、音楽聴取文化の前線からは長い間完全に後退していたからだ(もっと直截な言い方をすれば、忘却されていたと言ってもいい)。細野晴臣のようにポップス・シーンとの交歓を常に怠らなかった稀有な例を他にすれば、あるいは、久石譲のように“国民的映画音楽作家”となっていった例を別にすれば、そうした作家達が積極的に顧みられることは稀だった。高田みどり、芦川聡、吉村弘、尾島由郎、鈴木良雄、日向大介・野中英紀らによるインテリア、他沢山の作家達の作品が一斉に注目を集め、誰かしら国外のマニアによってYouTubeに投稿されたそれらが、AIによるアルゴリズムによって新たなインターネット・ミームになっていったとき、これらの音楽は「はじめて」我々の眼前へその広大な世界を現したのだった。
 そうした中、これらの生産地だった日本からも、かつての“抹香臭い”ニューエイジ感覚からは隔絶した新世代の作家達がいよいよ現れつつある。例えば、やけのはら、P-RUFF といったアーティストと UNKNOWN ME というアンビエント・ユニットを組む H.Takahashi の目覚ましい活躍は、現在胎動するシーンへ多くの人の目を向けさせつつあるし、そうした動きが海外へと更にフィードバックされるという流れも起こっている。

 ここにご紹介するのは、今年6月にBandcampにて発表された日本人作家 Takao によるファースト・アルバム『Stealth』だ。本作こそは、現在起こりつつあるこうした潮流の中から生まれた稀有な作品として、これから先も聴き継がれ語り継がれていくであろう傑作であると断言したい。
 92年生まれの Takao は、いまミュージシャンの標準的発信ツールとなっているSNS上にも“存在しない”ため、その素性を掴むことが難しいのだが、以前にwebメディア AVYSS に公開されたインタヴューによれば、幼少期に触れたゲーム・ミュージックによって音楽に目覚めたというから、原風景としてテレビゲームを経由してエレクトロニック・ミュージックを摂取するという、同時代の世界的ベーシックともいうべき感覚を共有していることが分かる。
 『Stealth』は、今年夏にネット上でセルフリリースされた後、コアなファンの中で話題となっていたが、その後日本が世界に誇る先鋭的総合レーベル〈EM Records〉にフックアップされ、新装を纏い10月にデジタルで、11月にCDとして再リリースされるに至った。(2019年1月にはヴァイナル・リリースも予定されている)。
 濱瀬元彦、武満徹、新津章夫、ヤン富田、Sean McCannといった作家達に影響を受けたという彼の音楽は、そういった先達の名前から連想するように先鋭と柔和が絶妙に掛け合わされた印象を抱かせる。新しい世代のアンビエント作家の必須アイテムであるDAW(彼は、特にエレクトロニック・ミュージックにポテンシャルを発揮すると言われている ableton live を使用しているようだ)、ソフトシンセサイザー、各種MIDIコントローラーというシンプルな環境で制作されたというが、音素ひとつひとつの選択と配置、ミキシングは、極めて精緻な音響意識を感じさせる非常に高レヴェルのものだ。昨今のニューエイジ・リヴァイヴァル以降に特徴的な、かつてのデジタル・シンセサイザーのFM音源を彷彿とさせる音色作りやフレージングには、音響作家としての優れた審美眼、そしてメロディーメイカーとしての高い素養が映し出される。また、シーケンシャルな要素がゆっくりと変化を交えながら豊かなストーリーを物語っていく様からは、構造的な楽曲把握を聴くものに快く意識させるという点で、ダンス・ミュージック的快楽性に通じるキャッチーな感覚をも運び込む。一方で、ノイズ、ドローン、環境音、それらのレイヤーを大胆に“時間”というキャンパスへ塗り込んでいく筆使いには、細やかさとダイナミズムが不敵に同居してもいる。これらの多種多様な要素が、アンビエント作品としては珍しく各曲2~3分ほどという短尺の楽曲に詰め込まれ、全13曲という、まるで“ポップ・アルバムのような”ヴァラエティを聴かせている。

 こうした各音楽要素や全体構造は、結果としてこの『Stealth』という作品に、テン年代末期的とも、リヴァイヴァルに傾倒している(80年代的)とも、あるいはどこか特定の国・地域で作られたとも判別しかねるような印象を強く与えている。
 上述のインタヴューで、「作った年や作者、ジャンルがわかりづらいようになれば面白いかなと思いました。アルバムの曲名は雰囲気やイメージに近い名前になっていて、影響はわかりやすいのかもしれませんが、全体としてはなんでこれが作られたのか不明な感じにしたかったです」と語られている通り、その目論見は見事達成されていると言っていいだろう。

 思えば、こういった“分からなさ”、もっといえば“ステルス性”(=不可視性)というのは、翻ってみれば、かねてよりアンビエント・ミュージックが元来備えていたところの“匿名性”や“非作家性”というものに共通するものでもあると思い当たるのだった。
 そういった伝統的ともいえるアンビエントの“不可視性”に、ポストインターネット的な、更なる脱歴史的様相を与える2018年の Takao と彼の音楽は、回顧か新進かという使い古された批評軸を超え出た次元で、稀なる先鋭的を備えた存在であるとも言えよう。そして、その構造というのは、いま“ニューエイジ”復権にまつわって生まれている、失われた近過去と、起こり得なかった未来に憧憬と諦念を同時に抱いてしまうということへの分析、その多層性とも分かちがたく共通性を持ったものでもあるだろう。(*)
 いつ、どこで、誰が何のために作ったのか分からない、未来からやってきた音のオーパーツ。2018年に生まれたこの新しいマスターピースに心身を浸しながら、エレクトロニック・ミュージックの来し方行く末について、静かに夢想を巡らせたい。

(*)昨今のニューエイジ復権についての思想的背景については以下の拙稿を参照
〈ニューエイジ〉復権とは一体なんなのか – by 柴崎祐二
https://shibasakiyuji.hatenablog.com/entry/2018/12/19/224943

KTL - ele-king

 KTLのサウンドはロックと電子音楽における「消失と咆哮」の先に鳴り響く壮絶なドローン音響空間である。どこか原子の生成を思わせる物質的な電子音と、まるで宇宙の発生を想起させるような強靭なノイズが、高密度かつ高感度に並走・融解し、聴き手の音響空間へと浸食・制圧し、耳を、その脳を、その空間を、その磁場を、その重力を震動させるだろう。音のバロックと、その崩壊のようなドローン・ノイズ。
 00年代以降に勃興したドローン作品の中でも、アンビエントなサウンドにはならず、リスナーの聴取空間に制圧感覚をもたらすという意味で、ドゥーム/ノイズの強靭さとグリッチ・ノイズ/電子音響の刺激を合わせ持つ類まれなユニットといえよう。

 それもそのはずだ。ご存じの方も多いだろうしいまさら多くの説明は不要かもしれないが、このKTLは、あのサンO))) のスティーヴン・オマリーと、電子音響作家ピタにして〈Editions Mego〉主宰のピーター・レーバーグのユニットである。彼らはオリジナル・アルバムを5作リリースしている。まず2006年に『KTL』、ついで2007年に『2』、さらに同年にはEP「3」、そして2008年に『IV』(ジム・オルークによるプロデュース)、2012年に『V』(マーク・フェルがアートワークを手掛けている)を発表する。ライヴ音源なども多くリリースされているが、アルバム・ナンバーを冠したオリジナル・アルバム(EP)は、〈OR〉リリースのEP「3」を除き、これまではピタの〈Editions Mego〉からリリースされてきた。
 しかし新作『The Pyre: Versions Distilled To Stereo』は現在絶好調のリリースを仕掛けるフランスの〈Shelter Press〉からとなった。これには驚かされたが、しかしアートと音響を越境するこのレーベルならば、KTLと結びつくのは必然ともいえる。
 じじつ、本作は、フランスの振付家ジゼル・ヴィエンヌ(Gisèle Vienne)の舞台/ダンス作品『The Pyre』のために制作されたという越境型の音響作品である。その意味ではサウンドトラック盤に近いアルバムかもしれないが、しかし、本作の音には彼らの新しい音響的境地が凍結されており、やはり「オリジナル・アルバム」にもカウントすべき作品にも思えた。あえていえば「硬質/静謐」の生成である。
 音はパリのIRCAMで制作された。舞台はマルチ・チャンネル作品らしいが、本レコード用にKTLの手によってステレオ・ヴァージョンにエディットされている。ミックスをサンO))) の共同プロディースを手掛けている音響作家ランドール・ダン、そしてマスタリングを名匠マット・コルトンが手掛けている点も注目したい。

 前作『V』は2012年リリースなので、なんと6年ぶりのアルバムだ。2018年末は注目すべきエクスペリメンタル・ミュージックが多数リリースされているが、その中でも重要作品といえる。モダンな舞踏作品の音響音楽だが、そのサウンドの肉体への拘束力が、身体が発する重力に抗いたいという意志にシンクロするような音響となっているのだ。時代の先端的なモードを疾走するような「最新音楽」は、抵抗とシンクロを同時に生み育てるものだ。そこにおいては「重力」への抗いこそが、音楽の抵抗とシンクロのアナロジーとなる。このKTLの新作も「最新音楽」のテーゼを象徴するように、新しいアトモスフィアを生成しているように感じられるのだ。
 さらに本アルバムの音は、これまでのKTLと比べて、冷たい鉄のように静謐なのである。轟音の先に漲る硬質でスタティックかつマテリアルな音の生成とでもいうべきか。仏「IRCAM」録音ということもあるが、その鉱物的ともいえる電子音は、まさにピエール・シェフェール、ピエール・アンリなどフランスの電子音楽とミュジーク・コンクレートの伝統に即した音響ともいえよう。同時にその音響は過去の伝統という重力も強く振り払う。肉体と重力からの解放をテーゼとするモダンなコンテンポラリー・ダンスの音楽をベースとした作品としては、完璧な音響を構築しているとすらいえる。これもまた肉体/重力への静かな抵抗の意思の表出といえないか。

 アルバムには全5曲が収録されており、全体でひとつの大きな流れを作っている(ベースが舞台作品の音響音楽なのだから当然だろう)。どの曲もガラスのように透明で、その砕け散った破片のように鋭利で、澄んだ早朝の空気のように清冽でもある。電子音が、波のようにダイナミックに、かつ繊細な変化と生成を行い、聴き手の脳内にインプリティングされている反復という概念を静かに拡張していく。それは確かにピエール・アンリやシェフェールを思わせるオーセンティックな電子音楽のようでもあり、シェーンベルクやヴェーベルンなどの20世紀型の無調の弦楽曲のようでもあり、轟音が過ぎ去ったあとのノイズ/ミュージックのようでもあり、そのどれでもない。「形式」という状態に束縛されてはいないのだ。ここにおいて重要なのは意識への新しい作用とムードの生成にある。

 特にアルバムの最終楽曲にして10分36秒に及ぶアルバム中最大の長尺曲“SuperMellow”は圧倒的な聴取体験をもたらしてくれる。静謐にして、しかし空気を一気に支配してしまうような電子音と具体音の折り重なりは、宇宙の秘密を垣間見るような強烈な音響空間だ。静謐な空間にいくつもの音が舞うように鳴り、生れ、舞う。やがてそれらの音はダイナミズムを増していき、ノイズへと生成変化を遂げる。その刹那、それらの音たちは、「過去」になっていくだろう。まるで「重力」を振り払うように。あたかも「光」の発生のように。もしくはマーラーの交響曲のコーダのように。ロマンティックな時代が終焉し、光と速度の世界へと変わることを宣言するように。
 それはむろんこの曲だけに限らない。このアルバム全体に漲る音響運動には、地上の「重力」に抵抗する強い意志=芯があるように感じられる。踊ること、舞踏は、まさに重力への抗いであろう。KTLのこのアルバムは、そんな意志に見事にシンクロしている。それはサウンドのエディットがもたらす時間の変容感覚ゆえだろう。そう、透明な光のごとき美的完成度と強靭さを称える最新の音響音楽がここにある。

バーニング 劇場版 - ele-king

 この12月まで日本テレビ系『獣になれない私たち』でエキセントリックなファッション・デザイナー、呉羽を演じていた菊地凛子はなかなかハマリ役だったと思うものの、このまま日本のTV業界でイロモノ路線が定着しないことを祈りたいところ。菊地凛子といえば、やはり映画『ノルウェイの森』がいまだベストで、村上春樹の原作から言語をどのように使うかというファクターをすべて取り除いても、なお作品として成立させていたところがトラン・アン・ユン監督は恐るべし才能であった。そして、日本人には絶対に映画化させないということなのか、『ノルウェイの森』から9年ぶりとなる村上作品の映画化は短編小説の『納屋を焼く』を大胆に翻案した『バーニング』となった。監督は韓国のイ・チャンドン。キム・ギドクらと共に日本では早くから評価の高い監督で、民主化運動の中心となってきた元・教師である。映画界に進出して2作目となる『ペパーミント・キャンディ』がすぐにも熱狂的なファン層を生み出したとされ、この作品も『タクシー運転手』同様、時代背景には光州事件が横たわっている。以後も社会問題を射程から外すことはなく、民衆の視点に立ったハードな作品作りが続き、それこそ村上春樹とどこに接点があるのかというタイプで、結論から言うとストーリーの骨格は確かに『納屋を焼く』と同じだけれど、主題もジャンルも時代も醍醐味もすべてがまったくの別物だと考えたほうがいい。あるいはどうとでも解釈できる『納屋を焼く』からイ・チャンドンなりの「読み」を導き出し、好き勝手に脚色した「流用」とでもいうか。

 この作品を紹介する時に、宣伝も含めてほとんどの文章がミステリーとして紹介している。しかし、それはすでにネタバレを意味していて、僕も、だから、どこがミステリーなんだろうと思って観続けてしまった。そのせいもあって僕は『バーニング』は『納屋を焼く』よりも『太陽がいっぱい』に近い作品としか思えなくなってしまった。アンソニー・ミンゲラは1999年に『太陽がいっぱい』をリメイクし、『リプリー』と題してLGBT映画に変換した際、主人公たちの動きに「理由」を付け加えるという作業を行なった。『太陽がいっぱい』が公開された1965年には説明しなくてもわかることだったのだろう。しかし、『リプリー』が作られる頃には、主人公たちがどうしてそのような行動に出たのかということがさっぱり伝わらない映画になっていたのである。ミンゲラは、だから独自の「理由」を付与し、ある意味で、それ以上の解釈を許さない作品にしてしまった。『納屋を焼く』と『バーニング』はその図式をそのまま踏襲するものではない。ただし、『納屋を焼く』で作家とされている設定は農家に置き換えられ、「まるでギャツビイ」みたいだとされる貿易商が見せる羽振りの良さは原作とは大きくかけ離れた規模で展開される。当たり前のことだけれど、『納屋を焼く』が『バーニング』に置き換えられる際、それは韓国で広がる格差社会を背景に持つ作品となり、原作にはない緊張感が全体を支配することとなった。『バーニング』はカンヌでも大本命とされ(読売新聞などは確かそういう風に予想していた)、『万引き家族』よりも批評家が点けた点数は高かった。しかし、賞を取れなかったどころか、韓国では50万人ほどの集客で早々と打ち切りになり、その理由として多く挙げられているのは「あまりにも辛い現実を直視したくなかったから」ということになっている。当たっているかどうかはともかく、とにかくそのように受け止められている。

『納屋を焼く』は主人公が気になっていた女性に男の恋人ができ、二人がどうなったのかと気になっていたところで男とは再会するけれど、女性の行方はわからないというだけの話である(文庫版で30ページ)。「マリファナ」を吸ったり、「放火」を楽しむという反道徳性が平凡な作家の日常をひっくり返してしまうわけでもないし、気に入っていた女性が自分とは違う世界に惹かれていったという喪失感を印象付けるだけともいえる。例によって感情の揺れもなければ、そうした世界の構造のようなものに何かを仕掛けるわけでもない。イ・チャンドンは原作にはないセックス・シーンやマスターベーションを過剰に盛り込み、それが村上作品らしさの演出にもなり、感情表現とも重ね合わされている。主人公が置かれている位置は原作とはまったく違っていて、父親が裁判中であるとか、現実の韓国経済を反映して失業率が高いという報道が流れていたりと、ある種の焦燥感に常に苛まれている。原作とは違って主人公は引きこもるか動かざるを得ない精神状態にあり、そのようなディテールに詰め寄られていくプロセスが映画版の趣向を決定づけている。気になったのは彼女の旅行先で、『納屋を焼く』ではアルジェリア(イスラム圏)に設定されていたものが、『バーニング』ではケニア(キリスト教圏)に変更されていたことである。村上春樹にとってアルジェリアが何を意味するのかはわからないけれど、韓国はいまやアメリカ以上にメガ・チャーチの本場とされるほどキリスト教への改宗が進み、アルジェリアよりもケニアの方が精神的な救済度を旅の効果に加えることができるという意図があったのではないかと。また、ケニアでは既得権益を巡って世代間闘争が激化し、選挙戦のさなかに殺人まで起きていたので、韓国の世情ともオーヴァーラップする部分があったのかもしれない。いずれにしろ『シークレット・サンシャイン』で新興宗教という題材に挑んだイ・チャンドンならではの「変更」だったのだろう。

 身体障害者を題材にした『オアシス』ではルイス・ブニュエルそのままの演出で希望へと導いていたイ・チャンドンも最近のキム・ギドク同様、非常に絶望的なヴィジョンを描かざるを得ない現実がこのところの韓国には存在する。そのことは確か。それこそナッツ姫のような富裕層に対して抱いている感情が凝縮して押し寄せるラスト・シーンで、この作品が一気にミステリーに切り替わる瞬間はやはり言葉もない。あるいはそれが現実の世界で起きる予言のようなものになってしまうのではないかという危惧を抱いて、この作品の余韻としたい。なお、劇場版の公開は2月1日ですが、短くまとめたドラマ版がNHK総合で29日夜10時から放送予定です(セックス・シーンはないと思いますが)。

NHK特集ドラマ『バーニング』
https://www4.nhk.or.jp/P5336/

Rhetorica #04 - ele-king

 墨の箱からするすると本体を取り出す。金と銀、2種類の帯にくるまれたそれらの物体は、そのまま彼らに起きた変化を物語っているかのようだ。前回以上に練りこまれたデザイン。傍線や註、ルビ、引用など細部まで徹底している。2年前に書評で取り上げた『Rhetorica #03』、それにつづく『Rhetorica』の第4号がついに発売となった。特集は「棲家(すみか)」――と言ってもそれは狭義の巣や家を指しているわけではない。瀬下翔太による巻頭言は「ぼくたちの「生き方」はもう同じではない。それでも一緒につくるにはどうすればよいのか?」と謳っている。つまりは場ならざる場、あるいは何をも共有しない共同体、というような感じだろうか? まだ読みはじめたばかりだけれど、「ゼロ年代」、『リトルバスターズ!』、『寄生獣』などなど、目次には興味深い数々の名前が並んでいる。ele-kingでもおなじみ、ダブクラのシンタも寄稿している。tomadもいる。『新復興論』の小松理虔のインタヴューもある。『アーギュメンツ』の黒嵜想もいる。松本友也による論考はボードレールからマーク・フィッシャーまでを鮮やかに繋いでみせる。『Rhetorica』入魂の4冊目には2018年、いまこのときの彼らにしかなしえない思索や批評や対話がぎゅうぎゅうに詰めこまれている。少しでも今日の人文的な状況や文化的なあれこれが気になっている方なら、まず手にとって損をすることはないだろう。というより、手にとらなければならない――オブジェとしてもコンテンツとしてもこれほど強くそう感じさせてくれる書物はなかなかないと思う。目次やお求め方法などは下記より。

Rhetoricaは、これまで2年に1度発行してきたインディペンデント・マガジン『Rhetorica』の4冊目を2018年12月16日に発行します。
『Rhetorica #04』は、「棲家」──〝つくり続ける〟ために必要な都市・集団・生活について考える箱入り二分冊の本です。

https://rheto4.rhetorica.jp/

私たちはいま、都市において、集まって余裕のある時間を過ごすことが難しくなっています。
ゆっくりとした時間や思考、空想は今や贅沢なものになってしまっています。
私たちが『Rhetorica #04』を通じて考えたのは、家族ができたり、物理的に遠いところに行ったり、身体を壊したりしても、
それでも仲間と一緒にクリエイティブであり続ける条件や方法です。

私たちは、人に、都市に、文化に、どんな期待を持つことができるのでしょうか。
見慣れた固有名詞にありふれたキュレーション、綺麗に形だけ取り繕ったメディアでは届かない問いに向き合っていることが、本誌の特徴です。
都市に棲み直すために、クリエイティブであり続ける条件や方法を考える。
00/10年代の都市文化批評誌『Rhetorica #04』、2018年12月16日発売。

◆Rhetoricaとは?

Rhetoricaは、2012年に発足した、思想/建築/デザインを架橋しながら批評活動を展開するメディア・プロジェクトです。
完全自主出版のインディペンデント・マガジン『Rhetorica』『RhetoricaJournal』『rhetorica.jp』の発行/運営を行っています。
Rhetoricaのメンバーは、慶應義塾大学アートセンターとコラボレーションした「都市のカルチュラル・ナラティヴ」プロジェクトや、Maltine Recordsのロンドンやアメリカでの公演の支援、島根県津和野町における高校生向け下宿の運営など、多岐に渡る活動を行っています。

◆商品情報

名称:『Rhetorica #04 特集:棲家』(箱入り2分冊、分売不可)
価格:3,000円(通販の場合3,500円送料込み)
ウェブ:https://rheto4.rhetorica.jp/
発売日:2018年12月16日
販売場所:各種イベントおよび手売り、ウェブでの通販
販売元:Rhetorica

Daniel Crawford - ele-king

 ロバート・グラスパーの成功以降、ジャズとヒップホップやR&Bを同列に演奏し、その間を自在に行き来するジャズ・ミュージシャンも普通となってきた。クリス・デイヴやマカヤ・マクレイヴンのように、ビートメイカーやプロデューサーも兼ねるミュージシャンも増えている。西海岸であればスヌープ・ドッグやケンドリック・ラマーらと一緒に仕事をするテラス・マーティンとか、ニュージーランド出身で現在はロサンゼルスを拠点とするマーク・ド・クライヴローなどが、そうしたプロデューサー・タイプのミュージシャンの筆頭だろう。ロサンゼルスのサウス・セントラル出身のダニエル・クロフォードも、同じくマルチ・ミュージシャン/プロデューサーのひとりだ。5才からピアノを始めた彼は、ハイ・スクール時代の仲間とワイルド・バンチというヒップホップ・バンドを結成し(マッシヴ・アタックの前身のワイルド・バンチと同名だが、全く別のバンド)、その活動をきっかけにラファエル・サディークやメアリー・J・ブライジなどと共演するようになった。ヒップホップ、R&B、ソウル、ファンク方面の多くのセッションに参加してきた経歴は、グラスパーやクリス・デイヴなどのそれと被るところもあり、実際に彼の作品はロバート・グラスパー・エクスペリメントの影響が強い。2012年にリリースしたファースト・アルバム『レッド・ピル』では、RGEの“ムーヴ・ラヴ”を自身のピアノでリミックス(というかカヴァー演奏)しているが、ジャズ・ピアノとヒップホップ・ビートの融合から、ヴォコーダーを用いた演奏、メドレー形式やインタールードを挟んだスタイルは、まさにRGEの『ブラック・レディオ』を彼なりに咀嚼したものと言える。

 2014年にはセカンド・アルバム『ジ・アウェイクニング』をリリースするが、こちらはアンプ・フィドラー、ヴィクター・デュプレ、クリーヴランド・P・ジョーンズらをシンガーとしてフィーチャーし、インストのジャズ×ヒップホップ集だった前作から格段に音楽性の幅が広がっていた。その音楽性の拡張にはアフロやブロークンビーツなどの要素の導入もあり、ダニエル・クロフォード自身もいちミュージシャンではなく、総合的な音楽プロデューサーへとステップ・アップした姿が伺えた。『ジ・アウェイクニング』は日本でもCDリリースされ、新世代ジャズ・ミュージシャンのひとりとして来日公演も行ったのだが、基本的に彼はbandcampで自主リリースを行うスタイルをとっている。ミックステープやリミックス集、Jディラへのトリビュート作品などリリース自体はとても多いものの、グラスパーやテラス・マーティンなどに比べればまだまだアンダーグラウンドな存在である。そんなダニエル・クロフォードの『ジ・アウェイクニング』以来、4年ぶりとなるニュー・アルバムが『レヴォリューション』である。

 『レヴォリューション』は『レッド・ピル』『ジ・アウェイクニング』から続く最終章という位置づけで、ソウルの影響が色濃いジャズに、アフロビート、フュージョン、R&B、ヒップホップなどのエッセンスを融合したもの。今回は前2作に比べてずっとゲスト・ミュージシャンが増えて、DJジャジー・ジェフ、ダイン・ジョーダン、マイモウナ・ユセフ、カイディ・テイタム、オスンラデ、ジメッタ・ローズ、オマリ・ハードウィックらが参加。この中で注目すべきはUKのカイディ・テイタムだろう。そもそもカイディは、ミュージシャンとプロデューサーを結ぶスタイルや音楽を1990年代からやってきた大ベテランで、現在の南ロンドンのジャズ・ミュージシャンにも多大な影響を及ぼすひとりだが、ダニエル・クロフォードにとっても指針とすべきアーティストであることは、今回の共演を見ても明らかだろう。ジャジー・ジェフ、ジメッタ・ローズ、マイモウナ・ユセフらはダニエルとヒップホップ~R&B~ネオ・ソウルとの結びつきを示すのに対し、オスンラデの参加はアフリカ音楽との結びつきを示す。ダイン・ジョーダンはジャジー・ジェフと同じくフィラデルフィア出身の若手ラッパーで、ジェフと一緒に作品リリースも行っている。カイディ・テイタムのニュー・アルバム『イッツ・ア・ワールド・ビフォア・ユー』には、ジャジー・ジェフの息子のアミール・タウンズも参加していて、『イッツ・ア・ワールド・ビフォア・ユー』のミックスを手掛けたエリック・ロウは『レヴォリューション』でも1曲ミックスを担当しているので、そうしたピープル・ツリー的な人物相関図も浮かんできそうだ。

 “レヴォリューション・イントゥルース”は自身のヴォイスも交え、アフロフューチャリズムを通過したジャズ・ファンクを展開。オープニング的なこのナンバーは、後に“レヴォリューション”として再登場。本編はより土着性の強いアフロ・ジャズとなっているが、こうしたアフリカ色濃厚なバック・トゥ・ザ・ルーツ的な色彩がアルバムを通じてのひとつのトーンとなっている。“ケイピン”や“チェックリスト”は、プログラミング・ビートと鍵盤のコンビネーションによるジャズとファンクの融合。ハービー・ハンコックの『セックスタント』や『ヘッド・ハンターズ』以降、ジャズにおけるアフロフューチャリズムにはスペイシーな感覚がつきものだが、ここではエッジ感のあるギターと共にキーボードがそれを表現する役割を担っている。“クミコ(スペンド・ザ・ナイト)”はブロークンビーツ調のナンバーで、中盤以降のピアノ・ソロも交えたコズミックな展開はカイディ・テイタムの作品に通じる。一方、そのカイディがフルート演奏で参加した“テレパシー”は、マイモウナ・ユセフのヴォーカルをフィーチャーしたネオ・ソウル的ナンバー。メロウネス漂う中にも土台にはアフリカ音楽のリズムが横たわっている。ジメッタ・ローズが歌う“サイレンズ”も同系のオーガニックなソウル・ナンバーで、彼女の歌声からミニー・リパートンやロータリー・コネクションなどに繋がるところも感じられる。

 ジャジー・ジェフとダイン・ジョーダン参加の“イルージョン・オブ・インクルージョン”は、ヒップホップのビートメイカーとしてのダニエルの側面が表れた作品だが、あくまでキーボードを含めたジャズの生演奏が基本となっている点はRGE同様だ。“サイレンス・イズ・コンプライアンス”や”ビフォア・ザ・ストーム“では、ジャズ・ピアニストとしてのダニエルのプレイを堪能できる。美しいピアノ・ソロが大々的にフィーチャーされる“サイレンス・イズ・コンプライアンス”は、RGEではなくロバート・グラスパー・トリオの方に近い演奏だろう。終盤で俳優のオマリ・ハードウィックによるスポークン・ワードも披露される。オスンラデがヴォーカルで参加した“オール・カムズ・ダウン・トゥ・ワット”は、彼が普段やっているようなディープ・ハウスではなく、土着的でゆったりとしたアフロ~カリビアン・リズムとジャズやファンクが結びついた作品。“マーチ・オブ・ザ・ガラ”もカリブ色が強く、ディーゴ&カイディあたりに近いブロークンビーツ経由のジャズとなっている。ちなみにガラとはサウス・カロライナ州とジョージア州の海岸沿いのことで、アフリカ系アメリカ人やクレオールが多く住み、アメリカにおけるアフリカのルーツが色濃く残された地域である。この曲から次曲の“レヴォリューション”へと続く流れは、アフリカ系アメリカ人であるダニエル・クロフォードのディアスポラな意識がもっとも強く表われた場面だろう。エンディングの“13”は彼の父と兄弟も参加し、亡くなった祖父や親類たちへ捧げている。ファミリーや一族のルーツを示したこの曲は、アルバム全体のテーマを象徴しているだろう。

ジム・オルーク - ele-king

 ジム・オルークはいかなる音楽ジャンルもマスターできる人だと立証する必要がもっとあるとしたら、アンビエント/エレクトロニック音楽に焦点を絞った新レーベル〈ニューホェア・レーベル〉から6月にリリースされた『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』は確実にその証拠をもたらしてくれる1枚だ。豊かな質感を備え、ときに驚くほど耳ざわりなサウンドから圧倒的で不気味な美の感覚を作り出す音楽作品『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』は、パワフルで心を奪う。

 そのアルバムをライヴ・パフォーマンスへと置き換える行為には常にチャンレジが付きまとうもので、というのもライヴ会場のリスニング環境次第でその音楽経験も変化するからだ。エリック・サティが開拓しブライアン・イーノによって統合された本来のアンビエント・ミュージックは「音楽的な家具」――すなわちその聴き方に特定のモードを押し付けてこない音楽だった。しかし、数多くの観衆がひとつのホール内に囲い込まれ、立ったまま、ステージを見つめながらの状態で集団としてアンビエントのパフォーマンスを体験するというのは、そうしたライヴ環境そのものの性質ゆえに、音楽をとある決まったやり方で味わってくださいと求められることでもある。
 
 それだけではなく、2年越しでまとめられ、『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』を形作っていくことになった繊細にバランスがとられたテクスチャーと音の重なりとを、このライヴ・パフォーマンスがそっくりそのまま再現するはずがない。ジム・オルークのようなミュージシャンは、いったん自分の中から外に送り出してしまった作品を再び訪ねたり再構築しようという試みくらいでは満足できない、変化を求め続けるアーティストである点も考慮に入れるべきだろう。そもそも、彼のおこなったアルバムのライヴ解釈の演奏時間はCD版の倍の長さであり、ルーズな構成の中に新しいサウンドやアイディアを盛り込みつつ、それでもアルバムに備わっているのと同じ音響面での文法のいくつかはちゃんと維持している、そういう内容なのだから。

 アンビエント・ミュージックの本質はロックのリズムを否定するというものではあるが、『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』には特有のリズムがあり、完全な静寂の瞬間とは言い切れないものの、それにかなり近いものによって句読点を記されながら、そのリズムは満ち欠けしていく。アルバムにはキーとなるふたつの静止場面があり、そこで聴き手は可聴域のぎりぎりのところで音や振動波を探しまわることになるのだが、音楽はごく漸次的で慎重なペースでもってしか耳に聞こえるレヴェルにまでこっそりと忍び戻ってはこない。ライヴの場でも、同様に静寂がたゆたうプールふたつの存在がパフォーマンスの構成を定義するのを助けていた。それでも会場のウォール&ウォールに訪れたそうした静寂の瞬間は、スタジオに生じる漠たる静寂にはなり得ない──それは屋根で覆われたコンクリートの箱の中にめいっぱい詰まった、たくさんの押し黙った身体が懸命に息をひそめようとしている、そんな場に生まれる静けさの瞬間だ。

 音源作品としての『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』とオルークがしょっちゅうやっている「スティームルーム・セッションズ」のオンライン・リリースとの関係が、少なくとも同アルバムに何かしらの痕跡を残しているらしきことは、オルークが「スティームルーム」で発表されたもののいくつかはある意味『スリープ・ライク・イッツ・ウィンター』の「できそこねたヴァージョンなのかもしれない」と示唆していることからもうかがえる。今年6月にあのアルバムが発表されて以来、「スティームルーム」からは他にもう2作が浮上してきているし、これらの新音源に備わった遺伝子が、音楽をまた新たな何かに変容させつつあるという印象を抱かされる。そこから生まれるのは刻々と変化する奇妙な日没、ぼんやりとした、歪んだ「蜃気楼(Fata Morgana)」(※)が溶け出し、彼方に浮かぶサブリミナルな拍動へと組み変えていくようだ。

※筆者補遺=Fata Morganaは蜃気楼(訳者註:アーサー王物語に登場する魔女・巫女Morgan le Fay=モーガン・ル・フェイにちなみ、イタリア読みがファータ・モルガーナ。水平線や地平線上に見える船や建物などの「上位蜃気楼」を意味する)を意味する言葉だが、このパフォーマンスとも関係がある。オルークの演奏中、その背景には異星の景色っぽく見える歪曲されたヴィデオ・プロジェクションが流れていたのだが、友人はその映像の元ネタはヴェルナー・ヘルツォークの映画『蜃気楼(Fata Morgana)』(1971年)ではないかと指摘していた。


Jim O'Rourke

Live@Wall & Wall Aoyama, Tokyo
17th Nov, 2018

text : Ian F. Martin

If the world needed any further evidence of Jim O'Rourke's ability to master any musical genre, the release in June of Sleep Like It's Winter for new ambient/electronic-focused label Newhere Music provided it in spades. A richly textured piece of music that creates an overwhelming sense of eerie beauty out of sometimes surprisingly harsh sounds, Sleep Like It's Winter is a powerful and captivating album.
Turning it into a live performance was always going to provide challenges, due to the way a live listening environment changes the experience of the music. Ambient music as originally pioneered by Eric Satie and consolidated by Brian Eno was musical furniture – music that doesn't insist on a particular mode of listening. However, a large crowd of people all corralled into a hall to experience an ambient performance collectively while standing, facing the stage are by the nature of the environment being asked to consume the music in a certain way.
There's also no way a live performance is going to recreate exactly the delicately balanced textures and layers that over the course of two years combined to form Sleep Like It's Winter, and you've got to guess a musician like Jim O'Rourke is too restless an artist to be satisfied attempting to revisit or recreate a work he has already got out of his system. For a start, his live interpretation of the album is twice as long as the CD, incorporating new sounds and ideas into a loose structure that nevertheless retains some of the same sonic grammar as the album.
While the nature of ambient music is that it rejects the rhythms of rock music, Sleep Like It's Winter has a particular rhythm of its own, waxing and waning, punctuated by moments of, if not exactly silence, then something quite like it. The album features two key moments of stillness, where your ears are left to hunt for tones and frequences at the very edge of your hearing, the music creeping back into the audible range at only the most gradual and deliberate pace. Live, two similar pools of silence help define the structure of the performance, although at Wall & Wall, these moments cannot be the silence of the studio: they are the silences of a high-ceilinged concrete box filled to capacity with quietly shuffling bodies, trying not to breathe.
The relationship between the recorded form of Sleep Like It's Winter and O`Rourke`s frequent Steamroom Sessions online releases appears to have left at least some mark on the album, with O'Rourke suggesting that some of the Steamroom releases might be in part “failed versions” of Sleep Like It's Winter. Since the album's release in June, two more Steamroom releases have emerged, and it feels like the DNA of these new recordings has gone to work mutating the music into something new. The result is an ever-shifting alien sunset, a blurred, distorted Fata Morgana dissolving and reformulating to a distant, subliminal pulse.

The reference to "Fata Morgana" is maybe a bit difficult to translate. Of course the phrase has a meaning in relation to optical illusions and visual distortions in the atmosphere. However, it's also relevant to Jim's performance. While he was playing, there was a distorted video projection of what looked like an alien landscape, and I was talking to a friend about it who thought it looked like the original clip was from the Werner Herzog documentary movie called "Fata Morgana" . I don't know how you'd translate that, but there is a kind of double-meaning in the phrase.

東京DUB ATTACK - ele-king

 2018年を締めくくる、国内サウンドシステム・ダンス大一番! 同じフロアの中に3つのサウンドシステムを入れて交互に鳴らしあう、ゴマカシ効かないガチンコ・セッション。
 レゲエ(Reggae)において、もっともタフでハードコアな要素にサウンドシステムがある。DIYに設計された独自のスピーカーの山、規格外の低音、1ターンテーブルに置かれる破壊力抜群のダブ・プレート、シャワーのように降り注ぐダブワイズ……あくまでもオリジナルな音を追求し、その場でしか生まれ得ない究極のサウンド体験。それがサウンドシステムにおける”Dub”である。
 “過去(Roots)”、“現在(Present)”そして”未来(Future)”を体現するサウンドシステムが一同に介し同じ空間にて鳴らし合う、シンプルかつ危険なセッション。初開催となる今回は、説明不要のレゲエ帝王マイティークラウンのサウンドシステムを要するScorcher Hi Fi (STICKO & COJIE of Mighty Crown)と“世界基準のサウンドシステム・ミュージック”を掲げるBim One Production + eastaudio Soundsystem、そして関西より唯一無二のサウンドを響かせる最高音響とDub Meeting Osaka (Sak-Dub I, HIROSHI and Dub Kazman)がユナイト(団結)し年末の代官山Unitを揺らす。
 国内ではあまりない純粋なスピーカーの鳴らし合い、日本における新しいサウンドシステム・カルチャーの幕開けがここにはじまる。


TOKYO DUB ATTACK

3 Soundsystem Sessions by :
SCORCHER Hi Fi with Sound System
Bim One Production feat. MC JA-GE with eastaudio Soundsystem
Dub Meeting Osaka (SAK-DUB-I, HIROSHI and DUB KAZMAN) with 最高音響Soundsystem

12月30日@代官山ユニット
OPEN : 17:00
START : 17:00

CHARGE :
Adv 2,800yen / Door 3,300yen
(共にドリンク代別)
※再入場不可
※小学生以上有料/未就学児童無料(保護者同伴の場合に限る)

TICKET :
>> >>一般販売 : 11/3(SAT) on sale
チケットぴあ 0570-02-9999 [P] 131-788
ローソン 0570-084-003 [L] 72780
e+

>> >>STORE
代官山UNIT 03-5459-8630
RAGGA CHINA 045-651-9018
diskunion 渋谷クラブミュージックショップ 03-3476-2627
diskunion 新宿クラブミュージックショップ 03-5919-2422
diskunion 下北沢クラブミュージックショップ 03-5738-2971
diskunion 吉祥寺 0422-20-8062
DISC SHOP ZERO 090-7412-5357 
Dub Store Record Mart 03-3364-5251
UP DOWN RECORDS


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追悼 ピート・シェリー - ele-king

 近頃はみんながハッピーだ
 僕たちはみんなそれぞれのインスタグラムでポップ・スターをやっていて、最高に楽しそうな、もっとも自己満足できるヴァージョンの自らのイメージを世界に向けて発している。僕たちは文化的なランドスケープの中を漂い、愉快そうでエッジがソフトな人工品に次から次へと飛び込んでいく。そこでは硬いエッジに出くわすことはまずないし、蘇生させてくれる一撃の電気を与えることよりもむしろ、締まりのない、無感覚なにやけ笑いを引き起こすのが目的である音楽に自分たち自身の姿が映し出されているのに気づく。

 近頃では、バズコックスにしてもポップ・カルチャーのほとんどに付きまとう、それと同じ麻痺した喜びのにやけ顔とともに難なく消費されかねない。ノスタルジーの心あたたまる輝き、そして40年にわたって続いてきたポップ・パンクのメインストリーム音楽に対する影響というフィルターを通じてそのエッジは和らげられてきた(AKB48の“ヘビーローテーション”はバズコックスが最初に据えた基盤なしには生まれ得なかったはずだ、とも言えるのだから)。ピート・シェリーとバズコックスはファンタスティックなポップ・ミュージックの作り手だったし、その点を称えるに値する連中だ。

 だがもうひとつ、ポップ・ミュージックはどんなものになれるかという決まりごとを変えるのに貢献した点でも、彼らは称えるに値する。ザ・クラッシュとザ・セックス・ピストルズの楽曲が、それぞれやり方は違っていたものの、怒りや社会意識と共に撃ち込まれたものだったのに対し、バズコックスは60年代ガレージ・ロックの遺産を労働者階級系なキッチン・シンク・リアリズムの世界へと押し進め、十代ライフのぶざまさを反映させてみせた。彼らのデビュー作『スパイラル・スクラッチEP』に続くシングル曲“オーガズム・アディクト”は自慰行為の喜びを祝福するアンセムだった(同期生のジ・アンダートーンズも同じトピックをもうちょっとさりげなく歌ったヒット曲“ティーンエイジ・キックス”で好機をつかんだ)。そのうちに、ハワード・ディヴォートがマガジン結成のためにバンドを脱退しシェリーがリード・ヴォーカルの座に就いたところで、“ホワット・ドゥ・アイ・ゲット?”や“エヴァー・フォールン・イン・ラヴ(ウィズ・サムワン・ユ―・シュドゥントヴ)”といった歌では欲望というものの苦痛を伴う複雑さを理解した音楽作りの巧みさを示すことになった。

 バズコックスだけに焦点を絞るのはしかし、ピート・シェリーの死を非常に大きな損失にしている点の多くを見落とすことでもある。バンド結成の前に、彼はエレクトロニック・ミュージックで実験していたことがあり、その成果はやがてアルバム『スカイ・イェン(Sky Yen)』として登場した。そして1981年にバズコックスが解散すると、彼はシンセサイザーに対する興味と洗練されたポップ・フックの技とを組み合わせ、才気縦横でありながらしかしあまり評価されずに終わったと言えるシンセポップなソロ・キャリアを、素晴らしい“ホモサピエン”でキック・オフしてみせた。

 シェリーはバイセクシュアルを公言してきた人物であり、概して言えば満たされない欲望やうまくいかずに終わった恋愛といった場面を探ってきたソングライターにしては、“ホモサピエン”でのゲイ・セックスの祝福は一見したところ彼らしくない直接的なものという風に映った。ここには事情を更に複雑にしている層がもうひとつあり、それは当時の一般的な英国民が抱いていたホモセクシュアリティは下品で恥ずべきものという概念を手玉にとる形で、シェリーがホモセクシュアリティを実に喜ばしいロマンチックなものとして描写した点にあった。言うまでもなくBBCは躍起になってこの曲を放送禁止にしたしイギリス国内ではヒットすることなく終わったが(アメリカではマイナーなダンス・ヒットを記録した)、ブロンスキー・ビートやザ・コミュナーズといったオープンにゲイだった後続シンセポップ・アクトたちは少なくともシェリーに何かを負っている、と言って間違いないだろう。
 
 ピート・シェリーはポップ・ミュージックのフォルムの達人であったかもしれないが、我々アンダーグラウンド・ミュージック・シーンにいる連中にとって、彼の残した遺産そのものもそれと同じくらい重要だ。『スパイラル・スクラッチEP』はその後に続いたDIYなインディ勢の爆発そのものの鋳型になったし、ミュージシャンがそれに続くことのできる具体例を敷いたのは、もっと一時的な華やかさを備えていてポリティカルさを打ち出したバズコックスの同期アクトがやりおおせたことの何よりも、多くの意味ではるかに急進的な動きだった。その名にちなんだ詩人パーシー・ビッシュ・シェリーのように、ピート・シェリーもまたラディカル人でロマン派だったし、彼の影響は深いところに浸透している。

R.I.P. Pete Shelley

text : Ian F. Martin

Everybody’s happy nowadays.
We’re all pop stars of our own Instagram accounts, projecting the happiest, most self-actualised version of ourselves out to the world. We drift through a cultural landscape, bouncing from one cheerfully soft-edged artefact to another without encountering any hard edges, finding ourselves reflected in music whose goal is to induce a slack, anaesthetic grin rather than a resuscitating jolt of electricity.
Nowadays, Buzzcocks can be comfortably consumed with the same slack grin of numb enjoyment that accompanies most pop culture, the warm glow of nostalgia and the filter of 40 years of subsequent pop-punk influence on mainstream music softening its edges (AKB48’s Heavy Rotation could arguably never have existed without The Buzzcocks having first laid the foundations). Pete Shelley and The Buzzcocks made fantastic pop music and deserve to be celebrated for that.

However, they also deserve to be celebrated for helping change the rules for what pop music could be. While The Clash and The Sex Pistols’ songs were, in their own differing ways, both shot through with anger and social consciousness, Buzzcocks pushed the legacy of ‘60s garage rock into the realm of kitchen- sink realism, reflecting the awkwardness of teenage life. Orgasm Addict, which followed their debut Spiral Scratch EP, was a celebratory anthem about the joys of masturbation (contemporaries The Undertones made hay from the same topic slightly more subtly in their hit Teenage Kicks). Meanwhile, as Shelley settled into the role of main songwriter following Howard Devoto’s departure to for Magazine, songs like What Do I Get? and Ever Fallen In Love (With Someone You Shouldn’t’ve) showed a knack for music that recognised the tortured complexities of desire.
Focusing only on Buzzcocks misses a lot of what made Pete Shelley’s death such a loss though. Prior to the band’s formation, he had experimented with electronic music, the results of which eventually appeared as the album Sky Yen, and following his band’s dissolution in 1981, he combined his interest in synthesisers with his knack for sophisticated pop hooks, kicking off a brilliant if underappreciated synthpop solo career with the magnificent Homosapien.

Shelley was openly bisexual, and for a songwriter who typically sought out moments of frustrated desire and love gone wrong, Homosapien was on the face of it uncharacteristically direct in its celebration of gay sex. The complicating layer here lay in the way Shelley played with the British public’s perception at that time of homosexuality as something tawdry and shameful by depicting it in such joyous and romantic terms. Obviously the BBC fell over themselves to ban it and it was never a UK hit (it was a minor dance hit in America) but the subsequent success of openly gay synthpop acts like Bronski Beat and The Communards surely ows at least something to Shelley.
Pete Shelley may have been a master of the pop music form, but for those of us in the underground music scene, his legacy is just as important. The Spiral Scratch EP was the template for the whole DIY indie explosion that followed and as an example for musicians to follow was in many ways a more radical move than anything Buzzcocks’ more flashily political contemporaries managed. Like the poet Percy Bysshe Shelley, from whom he took his name, Pete Shelley was a radical and a romantic, and his influence runs deep.

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