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ele-king cine series 2023年間ベスト&2024注目映画 - ele-king

様々な話題作・注目作が公開された2023年を振り返り、さらには公開が待たれる2024年の注目作の数々を情報通たちが厳選して紹介。

見逃してしまった2023年の重要作に改めて出会い、見逃せない2024年の注目作に備えよう!

目次

対談 ハリウッドの現在、そして映画の未来 町山智浩×宇野維正
Pick Up Review
 ただ走る映画――『レッド・ロケット』 上條葉月
 #MeToo ムーヴメントに連なる重要作――『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』 児玉美月
 スクリーンの向こう側にも楽園などなかった――『Pearl パール』讃 高橋ヨシキ
 ハラスメント加害者の視点――『TAR ター』 戸田真琴
 配信で絶大な人気を保つアダム・サンドラー――『バト・ミツバにはゼッタイ呼ばないから』 長谷川町蔵
 令和のグラインドハウス映画―― 『プー あくまのくまさん』 ヒロシニコフ
 昼メロ世界が描き出す映画とドラマの複雑な隔たり――『別れる決心』 三田格

アンケート 2023年間ベスト&2024年の注目作
 伊東美和/宇野維正/大久保潤/大槻ケンヂ/片刃/上條葉月/カミヤマノリヒロ/川瀬陽太/北村紗衣/木津毅/児玉美月/堺三保/佐々木敦/佐々木勝己/侍功夫/品川亮/柴崎祐二/城定秀夫/高橋ターヤン/高橋ヨシキ/田野辺尚人/月永理絵/てらさわホーク/戸田真琴/Knights of Odessa/中沢俊介/夏目深雪/ナマニク(氏家譲寿)/西森路代/長谷川町蔵/はるひさ/樋口泰人/ヒロシニコフ/藤田直哉/古澤健/堀潤之/町山智浩/真魚八重子/三田格/三留まゆみ/森直人/森本在臣/柳下毅一郎/山崎圭司/吉川浩満/涌井次郎/渡邉大輔

鼎談 「観たい映画を観るだけだから」――2023年総括&2024年の展望 柳下毅一郎×高橋ヨシキ×てらさわホーク

2024年の注目作
 2024年注目アクション映画 高橋ターヤン
 2024年の注目ホラー映画 伊東美和
 2024年注目のSF映画 堺三保
 2024年注目のアメコミ映画 てらさわホーク
 2024年公開予定 ヨーロッパ映画注目作 渡邉大輔
 アジア映画2024年注目作 夏目深雪

対談 反=恋愛映画の2023年 佐々木敦×児玉美月

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DARTHREIDER - ele-king

 音楽、映画、文筆、各種番組出演と、多方面にその才を発揮しているラッパーのダースレイダー。
 2023年は、衆院選・参院選で突撃取材を敢行したドキュメンタリー『劇場版 センキョナンデス』に、沖縄知事選と米軍基地問題を描いた『シン・ちむどんどん』と、2本も映画が公開されているが、さらに今度は新たな著作の登場である。
 題して『イル・コミュニケーション──余命5年のラッパーが病気を哲学する』。若くして脳梗塞、糖尿病、腎不全などを発症してきたダースレイダーが、病とのつきあい方、予期せぬ事故との遭遇における生き抜き方などを伝授する1冊とのこと。
 試しにぱっと中を開いてみると、ヒップホップのブレイクのループに関する話から生き抜いていくためのエネルギーの話に移っていくところがあったり、いやこれはかなりおもしろい本の予感がひしひし。
 版元はライフサイエンス出版で、新たに創刊されたシリーズ「叢書クロニック」(様々な領域の語りを通して、病や健康について考えるというコンセプトらしい)の栄えある第1弾として上梓される。

ダースレイダー
イル・コミュニケーション──余命5年のラッパーが病気を哲学する(叢書クロニック)

ライフサイエンス出版
ISBN: 978-4-89775-471-0
C1010
四六判並製/256頁
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
2023年11月30日発売
https://www.lifescience.co.jp/chronic/index.html#illcom_0246

interview with Lucy Railton - ele-king

 ルーシー・レイルトンのライヴではひとつの音を構成する複数の「聴こえない音」がある。それが突如可聴域にあらわれる。増幅されたバイオリンの旋律が会場の壁や床、観客の手元にあるビールグラスに共振することで、モノフォニックな音のハイフンが生まれ、不安定な声部連結が起こる。またあるときはノンビブラートで演奏する持続音から汽笛のようなハーモニクスがあらわれて空間と調和する——弦楽の特定帯域を加減すると別帯域にあった潜在的な音が幽霊のように漸進してくる現象と似ている——その西洋音楽の語彙だけではとらえきれないライヴの数ヶ月後、ルーシーから新作が届いた。

「実験音楽」という用語はまさに「市場」を目的としたものであり、カテゴリーとはそのためのものに過ぎないと思います。

TW:MODE(https://mode.exchange/)3日目のソロ・ライヴとても印象に残りました。まず、日本滞在中のことなどお伺いできればと思います。

LR:今回の日本での旅では、とても素晴らしい時間を過ごすことができました。フェスティヴァルの主催者であるロンドンの33-33と東京のBliss Network、そしてベアトリス・ディロンYPYカリ・マローンスティーヴン・オマリー、エイドリアン・コーカーという素晴らしい仲間たちと東京で過ごしました。それから、藤田さん(FUJI||||||||||TA)の田舎にある自宅を訪問し、自然のなかで彼の家族と静かな時間を過ごすことができました。日本に来たことはありましたが、今回は特別でした。

TW:新作『Corner Dancer』は何かしらのコンセプトに基づいているのでしょうか。それとも音楽的直感を起点として作られたのでしょうか。

LR:今回はさまざまなアプローチをとりました。私はときに構造、空間、美学について明確なアイデアを持っていて、多くの意味を持つ身近な素材から音のイメージを構築していくこともあれば、表現の衝動から自由に音楽を作ることもあります。また、私の音楽は自分がいま感じていることを表しているので、このアルバムは私が昨年経験してきた様々な状態をトレースしたものでもあります。

TW:作曲をするとき特定の音色または音響を想定していますか。その場合、演奏行為の結果を確認しながら進めていくのでしょうか。

LR:このアルバムを作りながら、私は音楽を作るときに様々なアプローチを取るのが心地よいことに気づきました。私の音楽家としての存在は多岐に渡るので、創作に対する方向性も興味も多様です。スタジオでもステージ上と同じように、アイデアや表現を即座に伝達するような演奏をすることもありますが、そういうときはあなたが言うように特定の音響を探求しているのかもしれません。アルバムの楽曲 “Rib Cage” や “Held in Paradise” では、私にとってまったく新しいプロセスで作業しています。新しい美学や形、色、アイデンティティに取り組んでいます。ほかの創作と同様、究極的には展開するイメージ、あらわれる声、形成される形への執着です。チェロだけを使って作業をすることもありますが、この楽器は私にとって非常に馴染みのある音で身体の経験です。チェロは私の血であり故郷であり古い友人と話しているようなものなので、創造性が別の意味を帯び、深く個人的で古いものと繋がろうとする試みになります。

TW:作曲をする際に典拠、文脈は重要ですか? 文脈は時代と共に再解釈されていく面もありますが。

LR:私は音の抽象的な同一性、音そのもの、そして音の由来となる歴史的、物語的背景双方に関心がありますが、どちらか一方が重要というわけではありません。私のチェロは所有している楽器の中で最も高価なものですが、今回のアルバムではiPhoneで録音した(チェロの)音も聴くことができます。日本製のBOSS SP-303デジタル・サンプラーとエフェクト、GRMのツール、壊れた弓の毛、Buchlaのサンプル、アーカイブ録音によるチーターの声などを使っています。私は音のエネルギーとキャラクターに夢中になっていて、それは私の創作方法の道標にもなります。ほとんどの場合、音そのものに直接心を奪われ、その音がどこから来たかよりも音自体の物語りに耳をかたむけています。

TW:超低周波音(周波数100Hz以下の音)を楽曲に使用することと、近年の音楽再生環境やエンジニアリングの変化は関係していますか?

LR:それらのトラックは再生システムに依存しているため、サブ周波数を聴くことができるのは一部の人だけかもしれません。なのでこれは少し意地悪なトリックです。私は音楽が大きな空間、劇場やクラブ、洞窟などで演奏されることを想像しているので、多くの人にとって聴こえない音であるにもかかわらず、サブ周波数を使用しています。私は、サブ周波数の物理的な影響と私たちの生理的な反応に興味があり、そういった感覚を呼び起こすためにサブ周波数を使用しています。そして、私のミックスダウンの方法は少々型破りで、ときに完全にアンバランスで奇妙なものですが、それによって挑戦的なリスニング体験を生み出すので、私にとっては非常に魅力的です。

Lucy Railton ‘Blush Study’ from album 'Corner Dancer'

チェロは私の血であり故郷であり古い友人と話しているようなものなので、創造性が別の意味を帯び、深く個人的で古いものと繋がろうとする試みになります。

TW:サブ周波数に関連してもう少しお伺いできればと思います。音の現象といいますか、聴こえない音が聴こえるというような音のパラドックスに関心があるのでしょうか? “Suzy In Spectrum ”では完全四度を繰りかえし聴いているうちに様々な倍音が聴こえてきました。

LR:もちろんチューニング・システムを扱う音楽家として、音の現象学は私がやっていることの大部分を占めています。『Suzy In Spectrum』では、和音(とその倍音)を分析しパラメーターの選択によって設計されたハーモニーを生成するスペクトル変換ツールを使っています。つまりある意味では、チェロの和音から自然な倍音(これを「現象」と呼ぶこともできますが)を聴いていることになるわけですが、それに加えて合成された和声素材を聴いていることにもなります。これを音の中のゴースト、背景のフェード、オーラのように扱っています。

TW:ライヴ・パフォーマンスでは演奏をする環境だけではなく、オーディエンスにも影響を受けますか。

LR:そうですね、ライヴでは空間にこだわります。ライヴ会場のWall&Wall(http://wallwall.tokyo/)はドライな音の四角い空間で、素晴らしい音響システムがあることは知っていました。とてもシャープで構造的なサウンドを会場に持ち込みたかったし、クラブスペースで予想される大音量に逆らうような音量を工夫しました。音のステレオイメージを美しくする一方、会場全体をとても静かにしなければなりませんでした。私はそのようにして人々を近づけるのが好きです。そうすることで自分がどこに誰といるのか、どのように聞いているのかを感じ取ることができます。

私は「巨匠」や「専門家」にはあまり興味がありません。伝統は厳格さや俗物主義につながるものであり、私は創造する上でこのふたつの要素にアレルギーがあります。

TW:主要楽器ではないツールやソフトウェアを使って作曲をする際に困難やジレンマを感じることはありますか。またどんな楽器であれその特性や性質を知っておく必要はありますか。

LR:私の楽器であるチェロに関しては、非常に規律ある技術的立場から取り組んできました。もう30年も演奏しているので、どのように音作りのツールとして使うかは熟知していますし、チェロの音の可能性を探求することはやめたというか、もう十分に知っていると思います! チェロに比べれば多くのことに関して私は初心者ですが、ほかの楽器の技術やプロセス、テクノロジーにおける新しさや好奇心が、私の創造性の多くを駆り立ててもいます。私は「巨匠」や「専門家」にはあまり興味がありません。伝統は厳格さや俗物主義につながるものであり、私は創造する上でこのふたつの要素にアレルギーがあります。私は慣れていない方法も自由であると感じる場合は採用しますし、創造の妨げになるようなことがあれば直ちにその道具を使うのをやめます。例えば“Held in Paradise”では、ヴァイオリンを膝の上に置き、チェロのような持ち方でシンプルなコードを弾いています。チェロであそこまで高い音域を弾くのは技術的に難しいので、ヴァイオリンという選択肢が高音域を自由に演奏することに役立ちました。これは私が困難にどのように対処しているかを示す好例です。私は苦労するのではなく、創造的になるための流動的な方法を見つけるようにしています。テクニカルで複雑なメソッドには興味ありませんが、そういったことも時間が経つと出来るようになったので、実際は簡単に作業できるものだけを使っていると思います。

TW:ジャンルというのは普段意識することがない一方で、音楽史上厄介かつ複雑な問題でもあります。そこであえてお伺いしたいのですが「実験音楽」がひとつのジャンルにもなった現在、音楽における実験とは.……?

LR:その用語はまさに「市場」を目的としたものであり、カテゴリーとはそのためのものに過ぎないと思います。私は、声を使ったりクラシック音楽の解釈を通じて実験しているオペラ歌手たちに会ったこともありますが、私はそれを文字通りなにか新しいものを探求しているという理由から「実験的」であると言います。ジャズのドラマーがシンバルで新しいサウンドを実験することも同じく重要です。民俗の伝統や古代の宮廷音楽に根ざす人びとも同様に実験していました。実験なしにはなにもはじまりません。問題なのは、ほとんどすべての音楽が実験的であるのに、なにがほかのジャンルと実験音楽を分けるのでしょうか? その質問には正確に答えることはできませんが、このラベルを付けられている私が知っている音楽家たちは、そのこと自体あまり気にしていないと思います。私たちは新しいことに挑戦し、自分を追い込む個人であるという考えがアーティストの特性だと思いますし、これをやっていないなら何をしているのでしょう?

TW:最近はどんな音楽を聴いていますか?

LR:今週は. . . . Tirzah『trip9love...??? 』、Wolfgang von Schweinitz『Plainsound Study No. 1, Op. 61a』、 Kendrik Lamar 『Mr. Morale & The Big Steppers』、Matana Roberts 『Coin Coin Chapter Five in the Garden』、Ellen Arkbro and Johan Graden『I get along without you very well』。

Alvvays - ele-king

「聞いたよ、帰ってきたんだって」フィードバックのノイズの上でモリー・ランキンがそうやって歌いはじめるとそこにあった時間の隔たりが消えたような感じがした。まるで子ども時代の友だちと久しぶりに会ったときみたいに思い出といまとがあっという間に繋がる。

 カナダのインディ・ポップ・バンド、オールウェイズの久しぶりの来日公演、エンヤの “The River Sings” を出囃子にちょっとかしこまって、だけどもリラックスしてステージに現れたオールウェイズはそんな風にライヴをはじめる。昨年、5年ぶりにリリースされた素晴らしい3rdアルバム『Blue Rev』のオープニング・トラック “Pharmacist”、この曲以上に今回のライヴをはじめるのにふさわしい曲はきっとないだろう。2018年以来のジャパン・ツアーだ。東京からはじまって名古屋、大阪、そしてまた東京、今日の追加公演の会場となった神田スクエアホールの空気もあっという間に暖かなものに変わっていく。その名の通りスクエアホールは四角く天井が高くて、それが体育館や地元の小さなホールを思わせなんだか余計にノスタルジックな気分になる。
 2分と少しで曲が終わってMCなんてなくバンドはちょっとぶっきらぼうに次の曲に入る。続くのは同じく3rdから “After The Earthquake”、最初のギターのフレーズできらめくように空気が揺れる。そうして “In Undertow”、“Many Mirrors” と2分台、3分台名曲たちが次々に繰り出されていく。ハンドマイクに持ち替えしゃがみこみエフェクトをかけながらモリーが歌う “Very Online Guy”、1stアルバムに戻って “Adult Diversion”(この曲を聞くといつも口元に手をやったあのジャケットが浮かんでくる)、全ての曲に心の奥底をなでるような力強くも美しいメロディがあって、ギターとシンセサイザーのフレーズと相まり目の前の光景がノスタルジックなものに変わって行く。そう、待ち望んでいたものがここにはあるのだ。

 それにしてもオールウェイズはイメージする以上に不思議なバンドだ。 およそインディ・ポップと呼ばれるバンドとは思えないくらいに、シェリダン・ライリーのドラムが力強く主張し、アレック・オハンリーのギターがかき鳴らされ、強度はあるのに1曲1曲が短くて、4分に到達することはほとんどない。曲が終わった後も軽いやりとりだけで余韻を残さずすぐに次の曲にいってそれもなんだかちょっとパンク・バンドみたいだなと思った。いままでまったく結びついていなかったけれど開演前にSEでバズコックスの “You Say You Don't Love Me” が流れていて、あぁ『Blue Rev』のオールウェイズにはこの要素が確かにあるなって思ったりもした。素晴らしいメロディを持っているというのは両者に共通していることだけど、オールウェイズは、さらにそこにシンセとコーラスがあってそれがインディ・ポップの部分を大きく担っているのかもしれない。確かに存在するパンク・スピリットを胸にシューゲイザーに寄せてキラキラと水面の光が反射するインディ・ポップを奏でたみたいなバンド、この日のオールウェイズはそんな印象で、まったく一筋縄ではいっていなかったけど、でも全体として出てくる音はとても優しく幸福感がまっすぐに入ってきた。それがなんとも不思議で淡々と幸せな時間がずっと流れていっているようなそんな感じがした。

 だが、やはり全ては曲の良さに集約されるのかもしれない。中盤の “Tom Verlaine”、“Belinda Says” の素晴らしい流れ、アーミング奏法でギターが鳴らされ、浮遊感が体を駆け巡る。モリー・ランキンのヴォーカルは地に足を着けその中心に存在し、ケリー、シェリダン、アビー、3人のコーラスが陶酔感をプラスする。楽曲の真ん中に歌があるからこそ、こんなにも輝きが拡散されていくのだろう。それは決して神秘的なものではなくて、とりとめなのない日常に接続しそれ自身を輝かせるようなもので、そこにきっと淡さと幸福感が宿っている。

 アンコール、リクエストに応えるみたいな形で “Next of Kin” が演奏される。そうして間を置き、ツアーの感謝の言葉が述べられた後に演奏された “Lottery Noises” は曲自体が美しい余韻のように思えて、心が満たされていくのを感じた。そうやってまた日常に帰っていく。明かりがついてパッツィー・クラインの “Always” に送り出されて会場を後にする。外はもちろん夜空だったけどそれもなんだか違って見えた。


Alvvays Japan Tour 2023 at Zepp Shinjuku Setlist 11/28/23

Alvvays Japan Tour 2023 at Kanda Square Hall Setlist 12/01/23

Alvvays Japan Tour 2023 at Zepp Shinjuku Setlist 11/28/23

Alvvays Japan Tour 2023 at Kanda Square Hall Setlist 12/01/23

Element - ele-king

 日本のダブ・レーベル〈Riddim Chango〉が、サブレーベルとして新たに〈Parallel Line(パラレル・ライン)〉を始動させる。より実験的な方向に寄ったダブをリリースしていくそうで、まずは第一弾、エレメントの12インチが発売される。すでにイギリスのNoodsラジオでプレイされたり、ドン・レッツから高い評価を得たりしているとのことだ。チェックしておきましょう。

Cat No: LINE001
Element “Nine Mall EP”
発売日: 2023 年12月13日
Format: 12 インチレコード & デジタルリリース
Tracks:
A-1 Element feat. I Jahbar “Chicken Gravy Shorts”
A-2 Element “Chicken Gravy Dub”
B-1 Element “Nine Mall”
B-2 Element “Martian Gravity”

過去13 作品に渡り、オルタナティブなダブ、ダンスホールをリリースし、世界中のDJ、サウンドシステムからサポートを受けてきたRiddim Chango Records がよりエクスペリメンタルなダブにフォーカスしたサブ・レーベルとしてParallel Line をスタート!

第1 作のNine Mall EP はレーベルを手がけるElement によるテクノ/エクスペリメンタルなダンスホール/ダブの4 曲を収録。2022 年にブリストルの前衛レーベルBokeh Versions と共同でリリースしたAndromeda EP に続きDuppy Gun MCs のI Jahbar を客演に迎え、アブストラクト/SF ダンスホールチューンのChicken Gravy Shorts とモジュレーション・ディレイを多用した強烈なダブワイズChicken Gravy Dub をA 面に収録。

B 面ではPulsar のインダストリアルなドラムサウンドを使用したテクノ・ダンスホールNine Mall とレゲトン/デムボウのリズムを取り入れたオブスキュアでメランコリーなダンスホールMarian Gravity を収録。

マスタリングには国内レゲエアーティストの多数を手がけるE-mura、レーベルのロゴは1-Drink(石黒景太)、アートワークはAki Yamamoto が担当。

ele-king vol.32 - ele-king

2010年代──音楽は何を感じ、どのように生まれ変わり、時代を予見したのか
いま聴くべき名盤たちを紹介しつつ、その爆発的な10年を俯瞰する

『ele-king vol.32』刊行のお知らせ

目次

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー
インタヴュー再び「2010年代を振り返る」(小林拓音+野田努/坂本麻里子)

特集:2010年代という終わりとはじまり

2010年代の記憶──幽霊、そして新しきものたちの誕生(野田努)
 ・入眠状態、そしてアナログ盤やカセットのフェチ化
 ・OPNからヴェイパーウェイヴへ
 ・「未来は幽霊のものでしかありえない」とはジャック・デリダの言葉だが
 ・フットワークの衝撃
 ・ナルシズムの復権とアルカ革命
 ・シティポップは世界で大流行していない
 ・そしてみんなインターネットが嫌いになった
 ・アナログ盤がなぜ重要か
 ・音楽市場の変化
 ・巨匠たち、もしくは大衆運動と音楽
オバマ政権以降の、2010年代のブラック・カルチャー(緊那羅:Desi La/野田努訳)
カニエ・ウエストの預言──恩寵からの急降下(ジリアン・マーシャル/五井健太郎訳)
絶対に聴いておきたい2010年代のジャズ(小川充)
活気づくアフリカからのダンス・ミュージック(三田格)
坂本慎太郎──脱力したプロテスト・ミュージック(野田努)
ジェネレーションXの勝利と死──アイドルとともに霧散した日本のオルタナティヴ(イアン・F・マーティン/江口理恵訳)
あの頃、武蔵野が東京の中心だった──cero、森は生きている、音楽を友とした私たち(柴崎祐二)
ネットからストリートへ──ボカロ、〈Maltine〉、tofubeats、そしてMars89(小林拓音)
ポップスターという現代の神々──ファンダムにおける聖像のあり方とメディア(ジリアン・マーシャル/五井健太郎訳)
マンブルコア運動(三田格)
BLMはUKをどう変えたのか(坂本麻里子×野田努)

ライターが選ぶ いまこそ聴きたい2010年代の名盤/偏愛盤
(天野龍太郎、河村祐介、木津毅、小林拓音、野田努、橋本徹、三田格、渡辺志保)
2010年代、メディアはどんな音楽を評価してきたのか

2023年ベスト・アルバム30選
2023年ベスト・リイシュー23選
ジャンル別2023年ベスト10
テクノ(猪股恭哉)/インディ・ロック(天野龍太郎)/ジャズ(小川充)/ハウス(猪股恭哉)/USヒップホップ(高橋芳朗)/日本ラップ(つやちゃん)/アンビエント(三田格)

2023年わたしのお気に入りベスト10
──ライター/ミュージシャン/DJなど計17組による個人チャート
(天野龍太郎、荏開津広、小川充、小山田米呂、Casanova. S、河村祐介、木津毅、柴崎祐二、つやちゃん、デンシノオト、ジェイムズ・ハッドフィールド、二木信、Mars89、イアン・F・マーティン、松島広人、三田格、yukinoise)

VINYL GOES AROUND PRESENTS そこにレコードがあるから
第3回 新しいシーンは若い世代が作るもの(水谷聡男×山崎真央)

菊判218×152/160ページ
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Jim O'Rourke & Takuro Okada - ele-king

 師走。いよいよ年末年始が迫ってまいりました。年明け後最初の目玉となりそうな公演が決まっています。1月13日、ジム・オルークと岡田拓郎による2マン・ライヴ@渋谷WWWです。オルークはソロ・セット、岡田拓郎はマーティ・ホロベック、山本達久、森飛鳥、松丸契らとの「band set」として出演。いや、これは行かないわけにはいかんでしょう。チケットなど詳細は下記よりご確認ください。

音の探究者「ジム・オルーク」と「岡田拓郎 band set」による2マンライブが決定。

ジム・オルークはソロセット、岡田拓郎は”アンビエントブルース”を奏でるバンドセットで出演。

澄み渡り静けさをたたえる新年の東京、さまざまなプロジェクトで才気を発揮し
現代日本の音楽シーンの先鋭と深淵を拓く両者の音を堪能しに、お出かけください。

<公演概要>
タイトル:WWW presents dots "new year quiet"
日 程:2024年1月13日(土)
会 場:Shibuya WWW https://www-shibuya.jp/
出 演:
 ジム・オルーク / Jim O'Rourke
 岡田拓郎 band set (with マーティ・ホロベック、山本達久、森飛鳥、松丸契)
時 間:open 17:00 / start 18:00
料 金:前売 ¥4,000(税込 / ドリンク代別 / 全自由)
チケット:
一般発売:12月1日(金)19:00-
e+:https://eplus.jp/jim-orourke-okadatakuro/
Zaiko:https://wwwwwwx.zaiko.io/e/dots-newyearquiet
問い合せ:WWW 03-5458-7685

公演詳細ページ:https://www-shibuya.jp/schedule/017337.php


ジム・オルーク / Jim O'Rourke
1969年シカゴ生まれ。Gastr Del SolやLoose Furなどのプロジェクトに参加。一方で、小杉武久と共に MerceCunningham舞踏団の音楽を担当、Tony Conrad、Arnold Dreyblatt、Christian Wolffなどの作曲家との仕事で現代音楽とポストロックの橋渡しをする。1997年超現代的アメリカーナの系譜から「Bad Timing」、1999年、フォークやミニマル音楽などをミックスしたソロ・アルバム「Eureka」を発表、大きく注目される。1999年から2005年にかけてSonic Youthのメンバー、音楽監督として活動し、広範な支持を得る。2004年、Wilcoの「A Ghost Is Born」のプロデューサーとしてグラミー賞を受賞。アメリカ音楽シーンを代表するクリエーターとして高く評価され、近年は日本に活動拠点を置く。日本ではくるり、カヒミ・カリィ、石橋英子、前野健太など多数をプロデュース。武満徹作品「コロナ東京リアリゼーション」など現代音楽に至る多彩な作品をリリースしている。映像作家とのコラボレーションとしてWerner Herzog、Olivier Assayas、青山真治、若松考二などの監督作品のサウンドトラックを担当。


岡田拓郎
1991年生まれ。音楽家。2012年にバンド「森は生きている」を結成。『グッド・ナイト』をリリース。2015年のバンド解散後は、シンガー・ソングライターとしての活動、環境音楽の制作、即興演奏、他のミュージシャンのプロデュースやエンジニア、演奏者として数多くの作品やライブにも参加している。ギター、ペダルスティール、シンセなどの楽器を演奏する。2022年8月にアルバム『Betsu No Jikan』をリリース。

Voodoo Club - ele-king

 暴動クラブとは、暴動を起こす部活の名ではない。いま話題の、平均年齢20才のロックンロール・バンドのことだ。11月3日にリリースされたデビュー・シングル「暴動クラブのテーマ」がアナログ・レコードだけで、オリコンROCKシングル週間ランキング第8位。しかも、たった2日間しか集計期間がなかったのにもかかわらず。
 じっさい、このシングル「暴動クラブのテーマ」に収録された表題曲とカヴァー曲“マネー”はロックンロールの嵐だ。生々しいガレージ・ロック、騒々しいノイズ・ロック、写真を見るとグラマラスで、キャンプ的なところもある。ここに初のMVが公開された。監督はGUITAR WOLF、THE JON SPENCER BLUES EXPLOSION、Wilko Johnson等、世界的なロック映像監督のYOU-DIE!!!
 これはひょっとして、いよいよ本格的なロックンロール・リヴァイヴァル!? 暴動クラブがどんな暴動を起こすのか、期待しよう。

 暴動クラブ
「暴動クラブのテーマ」c/w「Money(That’s What I Want)」

 品番:FSKR-1
 回転数:45RPM
 発売元:Beat East/FORLIFE SONGS
 販売元:ディスクユニオン
 定価¥2.200(税抜価格¥2,000)

interview with Waajeed - ele-king

 もしあなたがハウスやテクノといったダンス・ミュージックを愛していて、まだワジードの存在を知らなければ、ぜひとも彼の音楽に触れてみてほしい。
 ワジードは00年代にヒップホップの文脈で頭角をあらわしながら、ここ10年ほどはハウスやテクノの作品を多く送り出しているデトロイトのプロデューサーだ。2022年秋に〈Tresor〉からリリースされた現時点での最新アルバム『Memoirs of Hi-Tech Jazz』のタイトルを最初に目にしたとき、古くからのデトロイト・テクノ・ファンはこう思ったにちがいない。これはギャラクシー・2・ギャラクシーを継承する音楽だろう、と。
 たしかに、一部のシンセやジャジーなムードにはG2Gのサウンドを想起させるところが含まれている。が、本人いわく同作はとくにマイク・バンクスから触発されたわけではなく、父の思い出から生まれたアルバムなのだという。タイトルの先入観を捨て去って聴いてみると、なるほど『Memoirs of Hi-Tech Jazz』にはシカゴ・ハウスやダブの要素も盛りこまれていて、デトロイトに限らずより広く、ハウスやテクノがどこから来たのかをあらためて喚起させてくれる作品に仕上がっていることがわかる。先日の来日公演でも彼は、ブラック・ミュージックとしてのハウスを大いに堪能させてくれるすばらしいDJを披露したのだった。
 2週間後に発売となる紙エレ年末号(2010年代特集)には「BLMはUKをどう変えたのか」という記事を掲載している。音楽業界におけるホワイトウォッシュへの意識が高まったことの背景のひとつにBLMがあることはほぼ疑いないといっていいだろう。BLMはそして、デトロイトも「少なからず」変えたとワジードは述べる。音楽がコミュニティの一助となることを強調し、かつてNAACP(全米有色人種地位向上協会)が所在していたのとおなじ建物でアンダーグラウンド・ミュージック・アカデミーなる音楽教育機関を運営してもいる彼は、『Memoirs of Hi-Tech Jazz』が2020年のジョージ・フロイド事件のころ制作しはじめたものであり、BLMの流れを汲むアルバムであることを明かしている。
 といってもその音楽はけして堅苦しかったり気難しかったりするものではない。それはどこまでもダンスの喜びに満ちていて、スウィートでロマンティックな瞬間をたくさん具えている。「ジャズもテクノも、比喩表現ではなく革命のための音楽」だと言いきる彼の、美しいダンス・ミュージックをまずは知ってほしい。(小林)

(ラジオでエレクトリファイン・モジョが)いつも「玄関の灯りをつけろ!」ってMCで言うんだよ。そうするとまわりの家々が一斉に明るくなっていく。そうでもしないと真っ暗で、町が物騒な雰囲気に包まれてしまうからさ。そういう思い出から、アンダーグラウンドの音楽がいろんなコミュニティの助けになって、なにかしら変革につながるってことを俺は学んできたんだ。

日本に来るのは3回目ですよね。

Waajeed(以下W):3回以上のような気もするけど、たぶんそうだね。

日本にはどんな印象を持っていますか?

W:そりゃもう、ぶっ飛ばされてるよ(笑)。文化にせよテクノロジーにせよ。クラブではブラック・ミュージックへの感謝をいつも感じるな。すべてにおいて好きな国だ。ホームにいるよりいいかも!

あなたはデトロイトに対する愛情をいつも表現していますが、(日本とは)あまりにも違いすぎて変に感じることはないんでしょうか。

W:たしかにそうだね。デトロイトはハードな環境だし。昨日、俺は携帯をタクシーに忘れてしまって、「見つけるのは絶対無理だな」って凹んでたんだけど、タクシー会社に連絡したらあってさ。そんなことはデトロイトだとありえない(笑)。

最近の日本だと見つからないことのほうが多いと思いますよ。

W:ラッキーだったんだな。でも、やっぱり日本のことは安心できる国だと思ってるよ。

あなたが音楽シーンに認知されたのはスラム・ヴィレッジが最初で、ワジード名義の初期の作品もすごくヒップホップ色が強かったですよね。でも2010年代からはハウスやテクノに急接近していきました。そのきっかけはなんだったんでしょうか。

W:ジャンルとしてはまったく違うけど、自分の注目しているようなゾーンはつねに未来にあったんだ。スラム・ヴィレッジにいたころも、未来を見ていた。1999年ごろから、すでにテクノへの意識はあったな。

ぼくも何回かデトロイトに行ったことがあるんですが、2000年代の初頭ごろにスラム・ヴィレッジの “Tainted” が流行っていたのをいまでも覚えています。ラジオをつけるたびにかかっていて。デトロイトといえば、ヒップホップがすごくメジャーなものじゃないですか。そのなかでアンダーグラウンドな文化でもあるテクノやハウスへ接近していった理由というのは?

W:なんだっけ、(エレクトリファイン・)モジョのラジオをよく聴いてたからかな? アンダーグラウンド・カルチャーはスピーディに動いていて、つねになにかが先にはじまるんだ。だから、そこから発生するものはなんでも吸収しようとしてたな。

モジョのラジオを聴いていたのはホアン・アトキンスなど上の世代ですよね。あなたはもっと若い世代なのに、なぜ追いかけていたんでしょうか。

W:いや、ホアン・アトキンスとはそんなに変わらないんじゃないかな(笑)。

彼は50代か60代で、ぼくとそんなに変わらないはず(笑)。

W:ああ、そうなんだ。

俺のなかではジャズもテクノも、比喩表現ではなく革命のための音楽だから、そういう思いを込めた。

ちなみに、あなたはデトロイト時代にどのような少年時代を過ごしていましたか?

W:モジョを聴いてた子どものころは、母親がやんちゃな兄貴のことを心配してたな。銃声なんかもバンバン聴こえるしさ(笑)。だから、ラジオをかけて気分を落ち着かせようとしてたんじゃないかな。モジョのラジオ・ショウにチューニングすると(彼の番組の)「ミッドナイト・ファンク・アソシエイション」が聴けるんだけど、彼はいつも「玄関の灯りをつけろ!」ってMCで言うんだよ。そうするとまわりの家々が一斉に明るくなっていく。そうでもしないと真っ暗で、町が物騒な雰囲気に包まれてしまうからさ。そういう思い出から、アンダーグラウンドの音楽がいろんなコミュニティの助けになって、なにかしら変革につながるってことを俺は学んできたんだ。

ラジオDJが社会的不安の支えになり、街の治安を守っていた、と。すごいエピソードですね。話は戻りますが、〈Dirt Tech Reck〉というあなたのレーベルについて教えてください。

W:ダーティ・テクノ、つまりはそういうこと!

(笑)。どんなコンセプトではじめたんでしょうか?

W:もちろん、ダーティなテクノだよ(笑)。コンセプトはエクスペリメンタルでありながら、ダンス・ミュージックでもあることかな。2013年にニューヨークからデトロイトに戻ったタイミングで立ち上げたんだ。

ニューヨークにいた時期があるんですね。どのぐらいの期間ですか?

W:むちゃくちゃ長いよ。2005年から2013年まで、8年間だ。

エレクトリック・ストリート・オーケストラという名義でアルバムを2枚出していますよね。面白いコンセプトで。すごくアシッドでいろんな要素が入り混じっていて、まさにダーティなテクノで。

W:自分だけのプロダクションではなく、ほかのプロジェクトに関わることで、外から見られている自分のステレオタイプを潰すようなコンセプトがあったかな。ブーンバップだったり、そういうことではない、違うことに挑戦したかった。

なるほど。ちなみにあれは2枚で終わりなんですか? 次を楽しみにしていたんですが。

W:まあね(笑)。基本的には俺は別のプロジェクトは、2枚ぐらいで終わらせるんだ。

ではアルバムについての質問を。『Memoirs Of Hi-Tech Jazz』、これはURに捧げたものなんでしょうか。

W:そうなのかな、たぶんそうじゃない(笑)。あまり関係ないかな。基本的には、亡くなった俺の父親との思い出がコンセプト。ちなみに、今日は彼の誕生日なんだ。親父は俺が小さいころ、ウィードを吸いながらライトを消して、ジャズをよく聴いていたな。グローヴァー・ワシントン・ジュニアとか、ハービー・ハンコックとか、ジョージ・デュークとか。俺の少年期は、家の片側からは親父のジャズが聞こえてきて、もう片側ではモジョのラジオが流れているような状況で、それが音楽の知識になっていった感じだな。初期衝動的なね。そういったことがアルバムを形作っている。だからURの影響下にあるわけじゃないんだ。もちろんマイク(・バンクス)のハイテック・ジャズもいいと思うけど、直接的なつながりはないね。

シングルのリミックスをURが手がけていますが、UR側からタイトルについてなにか言われなかったんでしょうか。

W:いや、だからリスペクトも込めて、URにリミックスを頼んだんだよ(笑)。名前についてはまったく訊かれてないかな。

まさにギャラクシー・2・ギャラクシーの続きを聴いているようなアルバムだな、という感想を最初は抱きました。

ポスト・ギャラクシー・2・ギャラクシーということですね。

W:おお、それはいい表現だ。

なので、直接的には関係がないという話を聞いて驚きました。ところで3曲目の “The Ballad of Robert O’Bryant” というのは、だれのことを指しているんでしょうか。

W:俺だね。父の名前でもあるし、そのまた父の名前でもある。俺は3世なんだ。亡くなった親父に向けたバラードだよ。俺が1989年、ハイスクールに通っていたころ車で親父が学校へ送ってくれてたんだ。俺はバック・シートでよく居眠りしてたんだけど、そういう思い出を込めた曲さ。たぶん、車のなかではURとかテクノ、ジャズなんかが流れてたんじゃないかな。

サイレンの音からはじまる曲なので、なにか事件などと関係があるのかなと思ったんですが。

W:ああ、この曲は2020年のコロナ禍のはじまりのころ制作しはじめたんだけど、その時期にジョージ・フロイドの事件があっただろう。あのときに起こったプロテスト、つまりBLMの流れを汲んだドキュメンタリーでもあるんだ。俺のなかではジャズもテクノも、比喩表現ではなく革命のための音楽だから、そういう思いを込めた。

制作中にあの事件が起きて、BLM運動がはじまっていったとのことですが、それ以降デトロイトの状況は変わりましたか?

W:ああ、少なからずは。(事件を機に)なぜ自分は音楽をつくっているのかということも考えるようになったし、同じブラックたちの抗議活動の重要性もあらためて認識した。けど、実際に抗議活動に参加するのもいいが、やはり俺の仕事は外に出るより、スタジオで音楽をつくることなんだ、とも思ったね。そういうスピリットをあらためて実感したよ。彼らが抗議活動に行くように、俺は音楽をつくる。それはおなじことなんだ。

他方であなたはアンダーグラウンド・ミュージック・アカデミーという音楽教育機関をやっていますよね(https://www.undergroundmusicacademy.com/)。あれはどういうコンセプトのプロジェクトなのでしょうか。

W:コロナイズド、植民地化されたブラック・ミュージックや黒人文化をディゾルヴ(克服)するためのプロジェクトだね。ただバシバシとやってるだけのダンス・ミュージックを、もう少しオリジンへ、つまりデトロイトが培ってきたものへと戻すためのものだ。


アンダーグラウンド・ミュージック・アカデミーのサイトより。

日本に来るといつもあらゆる場所がきれいに整理されていて、完璧な状態が保たれている。でも、デトロイトはもう少しロウな感じなんだ。物騒で、汚れていて。だから、自分がなにをしたいかをはっきりと意識して自分を強く保たないと、生きていけないんだ。なにをするにも大変な街だけど、だからこそ人びとは生き生きとしている。(日本と)完全に真逆だよな(笑)。

ディフォレスト・ブラウン・Jr. のことを知っていますか?

W:ああ、もちろん。美しい青年だ。

すごく彼の考え方と似ているな、と思って。テクノをブラックの手にとりもどす、という。

W:そうだね。音楽のつくり方やDJのやり方を教えるだけじゃなくて、真実を教えるための場所さ。

ブラック・ミュージック・アカデミーは、むかしNAACP(全米有色人種地位向上協議会)があったのとおなじ建物を使っているのですよね。

W:キング牧師も来たことがある場所だし、俺たちもエレクトロニック・ミュージックでおなじことをしようとしてるから、深い意味合いがあるんだ。16歳ぐらいのころにも行ったことがあったな。3階建てで、1階はマイクが借りててミュージアムになってるんだ。アフロ・フューチャリズムについてのね。2階はレコード屋。DIYでペンキを塗ったりしてな(笑)。

アルバムではデトロイト・サウンドと同時に、シカゴ・ハウスやダブの要素もブレンドされていました。それはやはりサウンド面においてもブラック・ミュージックの歴史を継承していく、というような意志があったのでしょうか?

W:いや、そういうわけではなく、音楽的にそうなっただけ。ただ、自分の方向性や興味は、過去のものを継承して新しいものをつくりだしていくことにあるのは間違いない。けっしてシカゴ・ハウスやダブをつくろうと思って完成させたわけではないんだ。そういった要素はもちろんブレンドされているけどね。

なるほど。では最後の質問です。あなたが感じるデトロイトの文化的なよさとは、なんですか? 

W:真実と情熱に満ちあふれていて、正直さがあることかな。それはほかにはないものだ。たとえば、日本に来るといつもあらゆる場所がきれいに整理されていて、完璧な状態が保たれている。でも、デトロイトはもう少しロウな感じなんだ。物騒で、汚れていて。だから、自分がなにをしたいかをはっきりと意識して自分を強く保たないと、生きていけないんだ。なにをするにも大変な街だけど、だからこそ人びとは生き生きとしている。(日本と)完全に真逆だよな(笑)。デトロイトは剥き出しの街なんだ。そこが俺は好きなんだ。

interview with Kazufumi Kodama - ele-king

レゲエにおけるカヴァーというのはちょっと他のジャンルとはちがう、独特の創造性というか、センスが盛り込まれるんです。好きな歌を編曲を変えて歌うカヴァーと、レゲエ・アレンジで演奏するカヴァーというのは。ジャマイカ本国でも素晴らしいカヴァー曲が数え切れないくらいあるんです。その影響もあります。

 私は「悲しみ」と向き合うことがつらくなっていた。誰だって多少はそういうところがあるだろう。出かけたり、人と会う機会が激減したコロナ流行の時期に急激に老いていった家族の介護があり、ニュースを見れば戦争で子どもたちが残酷に殺され、嘆くことしかできないおとなたちが嘆く。私には現実がつらすぎる。どこをみても、くるしくて、ある日、息ができなくなって救急車を呼んだ。それでも私の体はどこもかしこも健康体で、きょうも生きている。「悲しみ」と向き合いたくなくて、悲しい歌や楽しいリズムをぼんやりと聴く。
いきなりあまりにもあからさまな話で、こんな話は誰かにするようなことではないと思いながら、いっぽうで、もっともっと悲しくて、だからこそそれに向かい合えない誰かがいることも想像できる。

 こだまさんへの久しぶりのインタヴューを終えて、すっかり時間が経ってしまった。こだま和文とダブステーション・バンドによるカヴァー・アルバム『ともしび』を聴いてすぐに話を聞かせていただいたというのに。
 ひさしぶりに対面した私は少し緊張していたが、こだまさんのグラスのビールがなくなるころには、“いつもの” こだまさんに、(いつもの)私が、少し絡むみたいに話が転がっていった。
 私は悲しみと向き合わなくなっていたことを、こだまさんと話して、最終的に、私は思い出した。なんて不真面目な態度だろう。
 こだまさんの、まじめな、それはきまじめとさえおもえることもあるくらいの、ていねいでひとつひとつの音が沁みてくるようなトランペットは、こだまさんが「悲しみ」とずっと真面目に向き合っているからだと思う。
 そんなことを言ったら、こだまさんは「なにをいっているんだ」と言うだろう。あいかわらず水越はなにも見えてないと言うだろう。そうなのかもしれない。「悲しみ」というものに、こんなに不意に、ぐいっと向かい合ってしまったのは、それでもこだまさんから聞いた話をやっと真面目に受け止めたからだ。私がここしばらく、目を逸らし続けていた「悲しみ」についての話をうかがった。うまく聞けなかったが、そのことをうかがったのだと思う。

自分にとって必要なものはそんなに多くなかったんだなということがはっきりするんです。例えばファッションとか、クラブ・シーンの喧騒とかですね。これは反論もあると思うけど、例えば冠婚葬祭なんかもそうでした。

最近はここ(立川AAカンパニー)でライヴもされているんですね。こだまさんのアルバムが飾ってあったり、過去のライヴ・ポスターがあったり、本当にホームグラウンドという感じですね。いつからやってるんですか?

こだま:ここは2年くらい前からですね。ベースのコウチが店長の店で、コロナ禍のさいちゅうに、ライヴができるように空気清浄機からなにから整えてくれてくれたんです。

SNSでこだまさんの暮らしというものはちらちらと垣間見えたりしていますけど、特にコロナ・パンデミックの間、いま振り返るとどんな時間でしたか?

こだま:まあライヴをやるものにとってはみんなそうでしたが、大きな打撃でしたよね。否応なく活動できなくなることになって、もちろん金銭的なことも重なりますし。とにかく否応なしに制約されてしまう。日頃「自由が大事」というようなこと言ってた人間がですね、抗うこともできない。あんなことは本当に初めての経験ですからね。中世からの歴史の一場面を見ていたような感じでしたね。当初、そんなに大袈裟じゃないと思っていたけど、だんだん、これは歴史的なことなんだなと思うようになっていましたね。

世界のどこにも逃げ場もなかったですよね。前のアルバムは19年の『かすかな きぼう』で、21年には HAKASE-SUN とのユニットで「café à la dub / カフェアラダブ」がリリースされました。バンドとしてはコロナ禍を跨いで4年ぶりのアルバムですが、カヴァー集で作ろうというのはどういう気持ちで?

こだま:『かすかな きぼう』を、バンドで出すことができて、やっぱり次にまた作りたいと思いますよね。その間にコロナ禍があって、このことが、僕の中で「やれることがあったらやっておきたい」という気持ちを強くしましたね。コロナ禍の中で、否応なしに活動を狭められた中で、自宅に引きこもるというほどではなくても、自宅にいる時間が長くなりますよね。それが「いま何ができるんだろう」ということにつながっていった気もするんです。
 それから、コロナ禍になる以前に、なんかこう、微妙に価値観が変わってきつつあったんですよ。それは自分の年齢やいままでやってきた活動のことも含めて、消極的になるというか、ネガティヴになるというか。いや、そうじゃないな。コウチが僕に働きかけてくれることで、ダブステーション・バンドというのは長い間、維持できていて、そのことに集中できていたということもあるんです。でも、コロナ禍で、狭いところに閉じ込められるような感じの中で、でもむしろそのことが、まんざら自分には合ってるかもしれないなんていうことも思った。これは言葉をたくさん必要とすることだから難しいけど、さかのぼれば「日々の暮らし」ということについて、わりと思っていたわけですよ、以前から。
 世界中でいろんなことが起きるし、価値観の変化やトレンドなんかもある。でもそういうことが、自身の中で絞られていくんです。やっぱり自分の日々の暮らししかないなと。コロナ禍でますます価値観の焦点がそこに合っていき、じっさいそういう暮らしをするんです。飯を作って、その写真をネットにあげるような。

「日々の暮らし」ということはたしかに以前からこだまさんの大事なテーマでしたよね。

こだま:そうです。さらにそれをクリアにさせることになったんです。

ツイッターに投稿されるご飯の写真を見ても、ですからそこには違和感はなくて、ああこれはこだまさんだとスッと入ってきましたね。

こだま:ありがとうございます。あれはネットにあげてるわけですから、自分の飯をね。まったくたいしたものじゃないというか、半ば自慢にもなってしまうしね、自分でも「なにやってんのかな」とときどき思いながらも、「日々の暮らし」ということで、自分の日々の飯をさ、ネットにあげたりして。でも単なるメシ自慢でもなく、あれは自分で作ったものだということなんです。つまり絵を描こうが、曲を作ろうが、僕が作ったものということです。ま、こだまはこんな暮らしをしてますという。人とは「元気でいます」ということにもなるし。ときどき、これは嬉しいことでもあるんだけど、レシピを問うてくださる方もいるんだけど、でもそれはちょっと違うんですよね。僕は料理研究家ではないので、これは……

ご飯でもあるし、こだまさん自身の「日々の暮らし」の表現でもあるし、デザインされた写真という表現物でもあるんですね。

こだま:そうですね。僕は音楽をやってきたわけで、CD出したりライヴやったりするのは、ミュージシャンこだまのいちばん見せたいところだったかもしれないけど、受け入れられるられないは別としても、それと別のところでのこだまというのはこんな感じの人間なんですよという表示ですね。
 そんなことする必要はないし、そんなことする必要はないということは重々わかりながら、それができたのはネットですからね。

こだまさんは以前は昔はデジタル全否定だったのに……。

こだま:そうでもないけど。使ってしまっている。

そういう使い方を発見したんですね。

こだま:そうだよ。野田くんは「ツイッターなんかやるんですか!」なんて言ってたよ。僕はやりませんよって。それをときどき思い出すよ。

ツイッターの中にあっても、こだまさんの静かな感じがいいですね。

こだま:そういう中でやれることはやりたいと言う思いはありました。ことさらネガティヴにということではないですけど、次々に迫ってくる嫌なこと、この数年だったらコロナ禍があり、ウクライナでの戦争があり、いままたパレスチナでしょ。それと国内の政治的な状況もある。そういうことが次々と気になってくるわけです。それと自分の年齢とを考えるわけです。さらに僕に年の近いいろいろな方が亡くなっていくということもあった。「ああ、そうなのか」という思いですね。

そういう時期、起きたことを考えると「ひとつの時代」といってもいいと思いますが、この曲を残したい、この曲を演奏したいということで今回のアルバムで選ばれたわけですよね。

こだま:そう。このダブステーション・バンドで次のライヴ、そのまた次のライヴをやって、活動全体を充実させていきたいという気持ちが強いけど、そうそう新曲を作れるわけじゃないですから、カヴァー曲というのは魅力なんですよね。バンドの場合。個人でうちで曲を作っている分にはそれなりに作ることはできるんだけど……

なるほど、新しい曲をバンドで演奏することが難しいわけですよね。ライヴの機会がないわけですし。

こだま:うん。一から作り上げていく大変さというのがオリジナル曲にはあるわけだよ。カヴァー曲なら、曲名を伝えればみんなそれを拾ってくれて、形にしやすい。それに、レゲエにおけるカヴァーというのはちょっと他のジャンルとはちがう、独特の創造性というか、センスが盛り込まれるんです。好きな歌を編曲を変えて歌うカヴァーと、レゲエ・アレンジで演奏するカヴァーというのは。ジャマイカ本国でも素晴らしいカヴァー曲が数え切れないくらいあるんです。その影響もあります。カヴァー曲をバンドで演奏できるというのはかなりな魅力なんですよ。

私は “花はどこへいった” から、“What A Wonderful World” まで、物語を感じたんですよね。野田くんが「新橋駅前で売ってるような」と表現したこのジャケットの写真の小さなバラが、“花はどこへいった” の「花」から、“Wonderful World” の「赤いバラ」までたどり着くまでの確たるストーリーはないけれど、一貫した物語です。私も散歩しているときにスマホで写真を撮るんですけど、あの小さな蕾のバラがそういう「日々の暮らし」を感じさせる写真なんですよね。すごくなにげなく、構えた感じでなく、撮った人の視線、大切に思うこと、生活というか日常を感じさせる雰囲気がある。真っ赤な、もうすぐ咲きそうな蕾の滲みのような色が、私には涙が滲むような感じでもありました。
 一方で、こだまさんの、世界に対する姿勢、アティチュードというのが、原発事故から、いえ、その前からですが、強いものがありましたよね。そういう意味での強さというようなものは、コロナ禍での生活でどうなりましたか? どうなりましたかというのも曖昧ですが、私はあの期間、見える世界も自分の生活も人生も、曖昧で茫漠としたというか、時間が止まってしまったように感じていた時期がありました。自分がとても無力に感じられていたんです。

こだま:そもそも必要なものというのが、僕にはそれほど多くなかったんですけど、それがなおいっそう、自分にとって「必要なもの」、それは「やれること」に置き換えてもいいんですけど、自分にとって必要なものはそんなに多くなかったんだなということがはっきりするんです。例えばファッションとか、クラブ・シーンの喧騒とかですね。これは反論もあると思うけど、例えば冠婚葬祭なんかもそうでした。結婚式も、以前なら、本当に祝福しようという気持ちがあればそれはすごくいいんですけど、でもなにか義理があったり、上司だからとか後輩だから、ご近所だからなどといったような価値観みたいなものを強いられていたと思うんですね。それはルールという言葉でも言えるかもしれない。こういう場所にはこういう服を着ていかなきゃいけないなんていうことです。そういうもろもろの、制約とかルールみたいなものが、自分には必要なかったんだなと思ったんです。じゃあ必要なことってなんだろうと思うと、せめて選挙にだけは行こうとか、人が嫌な気持ちになることはしないでおこうとか、当たり前のいくつかのことが浮き彫りになってきたと言えばいいか。価値観の崩壊とは言わないけど、全否定ということもありうるんですよね。全否定と言ったら最後には命をたつとか、そういうことにもなるけれど、だけどそうする前に、そうなる前に、自分にはなにが大事でなにをやっていくのかということを考えるようになったんです。

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悲しみ、ということなんです。大きなテーマとしてあるのは。哀愁の悲しみではなくて、涙でもなくて、どうしようもない「悲しみ」というものが、ずっとあるんですよ。

こだまさんは幼い頃から病気とつきあったり、いろいろな人たちの死と向き合うようなご経験をされてきたと思いますけど、私はコロナ・パンデミックになって、親が年老いていて、たぶん初めて(起きてしまった死ではなく)近未来に確実にある死というものを感じたと思うんです。怖いと思いました。こだまさんはそんなふうに狼狽えることもないのでしょうけど……

こだま:僕はもう親も亡くなってるし、身近な人が何人も亡くなっていったということもあるし、そこにまつわる決まり事みたいなことで動いていたことが、つまらないなってはっきりさせたんですよね。客観的に自分で突っ込んでみれば、よりエゴイストになったのかという声も聞こえちゃうんですけど、心の問題なんですよね。人が亡くなったときに弔ったり、悔やんだり、そこがいちばん大事で、そこに絡んでくる決まり事はどうでもよかった。
 世の中でも葬式も小さくなり、お墓もいらないんじゃないかということまで、話はもうきてますからね。昔ながらの家族制があって、家父長制のようなものがあって、それでうまくやれていた時代は大きな葬式やお墓で良かったのかもしれないが、いまはみんな生きるのに精一杯。そういうことがコロナ禍でようやくはっきりさせることができた。

なぜこんなことをうかがったかと言うと、このアルバムには歌が入っている曲が何曲かありますが、そのなかで “You've Got A Friend” と “What A Wonderful World” の歌詞に不思議な感覚を覚えたからなんです。前者は「君が悲しいとき、私の名前を呼んで、私はすぐに隣にくるよ」というようなもので、後者は「世界には戦争があり、悲しみにあふれている。でも小さなところを見れば薔薇が咲いていて青い空が見える、祝福の日に友だちが握手をしている、赤ちゃんの鳴き声がきこえる、なんてすばらしい世界なんだろう」と。
 こうした歌詞は私が日本語に直して理解するからかもしれないし、私は美しい世界も人間の友だちも信じられない貧しい心の持ち主であるということかもしれないけれど、どちらも神さまとか創造主のような視点で人間を見ているように聞こえるんです。「名前を呼べばそばにいることを約束してくれる人」だったり、「世界にはたくさんの瑕疵があるけれど、(私が創造したこの世界は)美しい世界ではないか」みたいな。とはいえ私は無神論なので、もう一度捻れるんですが、つまりこの解釈によれば、このアルバムにこうした曲が並んでいることで、単なる人生讃歌が表現されているのではない何かを感じる。ますますコロナ禍のような大きな見えない力に制御される人間が、それでもその力をある種ナナメに見たり、ずっと遠くに引いて感じたりするというような、まったく言いえていませんが、選曲やレゲエの世界にそういう複層的な世界を感じたわけです。

こだま:うーん? うーん。

すみません、また私の感想を長々と。

こだま:いや、嬉しいご感想ですよ。そうねえ、神っていう単語が出てくると恐縮ですけど、いまの僕がおおやけに、それを言っちゃあダメですよということがいくつかあるんですよ。二つ三つ。そんな僕が、この『ともしび』の前に出したタイトルが『かすかな きぼう』ですよ。「それを言っちゃおしまいよ」ということとはたとえば人の生き死にに関すること、自分の生き死にに関すること。僕はそれを「見えないゴール」と言ってるんですが、そのゴールを自分で作ってしまうということ、つまり自殺とはどういうことなんだとかということもよく考えるんです。僕自身はまだ、それこそ「日々の暮らし」というグラウンドにまだ立っていられるわけで、ゴールを引くことはしませんけど、でも子どもたちが自殺したり、目に見えて増えたようなんですね、若い人たちの自殺ということが。そういうものを考えると、自分が音楽をやっていくとき、ネガティヴではやっていけないので、本当にかすかでもやる気を出して、聴きにきてくださるリスナーのために、というのは口幅ったいけど、共にありたいという気持ちで作るんです。それには「それを言っちゃおしまいでしょ」ということを、どういうふうに話していくかということだとも思います。自分のことで言えば先はそんなに長くないと。そういうことは前にも語っていたけど、生命の寿命と、アーティストとして演奏できるという意味での寿命は違うんですよね。楽器も演奏できなくなるかもしれないとか、そんな日々迫ってくる「見えないゴール」みたいなものを、他のアーティストの方々が次々亡くなっていく中で考えさせられたわけです。

そう言われると、こだまさんのアティチュードや音楽にも、昔からそういう、「それを言っちゃおしまいよ」の一歩手前を意識するような緊張感というか、強さのようなものがあったようにも思いますが、マッチョな強さとは違うけれど、そうした強さがこのアルバムではなんというか達観というか、「おしまい」自体をある距離のところから鳥瞰しているような感じがします。
 たとえばここに入ってくるときに貼ってあるこだまさんのライヴのポスターで使っている写真って枯れた花だったりして、盛りの花じゃないんですよね。

こだま:花は、季節が変わって咲いていくものですからね、こんな世の中になってもまだ季節感のようなものを残して、花は咲くんだなと。そういう季節を捉えるということもありますよ。時間の経過でもあるし、

では、あの「枯れているひまわり」も、咲いていた日にも撮っていたということですか。

こだま:そうです。そうなんです。

でも枯れている方をポスターにした。

こだま:うんそれは「セプテンバー」というタイトルでしたからね。

9月には9月に咲く花もありそうですけど、そこは違うんですね。そういう盛りのものじゃないものを。

こだま:野田くんがときどき僕のことをペシミストだと書いてくれているんだけど、それに僕は反論する気持ちはなくて、これも「それを言っちゃな」という中の言葉なんだけど、「悲しみ」しかないんですよ。最近、人として。
 ついこないだのパレスチナの病院爆破のことにしても、ああいうことを人間がやってしまう。そこはまた言葉をすごくたくさん要するところなんだけど、水越さんの話を大きくまとめると、これは、悲しみ、ということなんです。大きなテーマとしてあるのは。哀愁の悲しみではなくて、涙でもなくて、どうしようもない「悲しみ」というものが、ずっとあるんですよ。
 で、またちょっと変な言い方になるけど、じゃあ「悲しみ」を伝えるのに、マイナー調の曲ならいいのかということではない。いや、じっさいマイナーな曲も多いけどね、それは僕の作るものが自然とそちらを向いてるからそうなってしまったからで、“What A Wonderful World” なんかはもう大メジャー進行の曲なんですよ、曲としては。でもそっちの方が悲しみが表現されていることがあるんですね。チャップリンの “スマイル” という曲とか。そういう、大きなというか、「人とは」というような意味での「悲しみ」ということなんですよ、僕がやるのは。それがまた反転して、喜びにもつながる。うまく言えないことが多いんですけど、「テーマ」というほど大袈裟なことではないが、その前に「静けさ」というものがあったんです。もう少し静かにしてたいなというか。

必要なかったものもたくさんあったんだということも思います。でもそういうもの全部が血肉になって、だからこそ「それは必要なかった」ということもわかったりするんですよね。つまりさ、そんなに世の中にいいものはたくさんはないぞと。

「静けさ」ということで言うと、私はコロナ・パンデミックの最初の緊急事態宣言のとき、毎日、こだまさんの歌詞の “End Of The World” が頭の中で回っていたんです、本当に毎日。マンションの部屋の窓から外を見ると都内の少し大きなバス通りなんですが、緊急事態宣言で車がほとんど一台も通らなくなってしまったんです。ちょっと信じられないような光景でした。大きな交差点の真ん中を自転車が一台、ゆっくり走っているだけで、人間も歩いていないなんていう日も多かった。窓から、飛行機も飛ばない静かな空と自動車も人もいない道路を見ていると、まるで世界が終わったような感じでした。その風景に、以前ライヴで聴いたこだまさんの歌詞のこの曲が思い出されて、まさに「いま」のために歌われた歌じゃなかったかと思っていたんです。実際の歌詞は失恋をした人に「それは世界の終わりじゃないよ」と言っているんですけど、この比喩がまさに比喩じゃなくなっていた。だからこの曲をアルバムで聴けて、とてもうれしいです。カヴァー曲集というのは、そういう複層的、重層的な聞こえ方──聴き方と言うより、聞こえてしまう聞こえ方──を聴く人それぞれが味わえるんじゃないかと思いました。古い記憶と新しい経験がひとつの曲の上で交差したり折り重なったりするんですね。

こだま:パンデミックでいろんなことを思う中で、また揺れ戻ってくるというか、自分にしっくりくるものが、自分が作ったものにあったんだろうなあ。やっぱり、日々の暮らしが切実になる中で、少し前にこんな歌詞を書いてたんだなと。それも意識するわけじゃなくて、ふわふわと自分の中に蘇ってくるんですよ。
 それにやっぱり、過去に作った作品だったり、過去に書いた歌、歌詞で、いいと言っていただけると、うれしいんですね。

それは、名曲、古典、懐かしい歌となって良かったという「良い」とは違って、いまの時代に再びぴったり焦点が合ってしまうという意味で「いま、良い」ということになったりするんですよね。
 そういうことで言えば、ミュート・ビート “キエフの空” がふたたび衝撃とも言えるものになってしまいましたね。この曲はチェルノブイリ原発事故に思いを寄せたものでしたが、20数年後に、同じ空がまた違う災禍に見舞われてしまっている。なんということなんだと。

こだま:いまは「キーウ」というんですね。僕もセットリストには「キーウ」と書くようになりましたね。そのときそのとき曲を作ってきて、その僕はあんまり変わっていないんだと思いますね。

きっとそうですね。そして世界も、これはとてもよくない意味でですが変わっていないところがたくさんあるんですね。

こだま:パンデミックというのは話のひとつの節目として、過去に聴いたり読んだりした音楽、文学なんかもあったけど、この節目に来て、必要なかったものもたくさんあったんだということも思います。でもそういうもの全部が血肉になって、だからこそ「それは必要なかった」ということもわかったりするんですよね。つまりさ、そんなに世の中にいいものはたくさんはないぞと。

こだまさん、それを言っちゃおしまいですよ! あ! 言っちゃった。
 ところで “ゲゲゲの鬼太郎” は、いつ頃からやっていたんですか?

こだま:最近ですね。ここ2年くらいで、まだライヴでは数回しかやっていないですね。

あの曲は、聴く人みんな、歌詞を知っていると思うんですね。ここでの演奏では歌はありませんが、聴いている人の頭の中ではみんな歌詞も再現されていると思うんですね。

こだま:うん。「試験も何にもない」ってね。

そう。それがすごくこだまさんワールドで、納得という感じなんですよね。こだまさんがよくおっしゃってる「比べない、競わない」という世界に通じているんじゃないかと。

こだま:ええ。水木しげるさんの熱心なファンとは言えませんが、好きな世界です。ただこの曲はそういう世界観から入るというのではなく、曲調が、僕の中ではリー・ペリーだったんですよ。
 リー・ペリー、アップセッターズの『スーパー・エイプ』というアルバムがあるんだけど、あの “ゲゲゲの鬼太郎” のメロディ自体が、ベースラインみたいなんですよ。最初のところなんかもまんまダブのフレージングと重なるんです。それが自分の中で自然につながってしまったんですね。これは僕の中ではリー・ペリー解釈なんです。なおかつ、歌詞の世界、そしてあの漫画自体が持つ幻想性、ロマンみたいなものが孕んでいるわけだから、これはこのダブステーション・バンドでやりたいとすぐに結びついたんです。あれも「それを言っちゃあ」の中に含まれるでしょ、「試験もなんにもない」って。水木しげるさんという人はとても大きく人というものを見ていた方なんだろうなと思います。
 音楽を作るのは、自分で意識して探しているわけではないんだけど、ちょっとしたひらめきの集まりですからね。ひらめきがある以上は何かやっていけるんじゃないかと。しかしその光の強さの強弱というものもあって、だんだんだんだん「ともしび」になりつつあるということもあって(笑)

そんなあ(笑)。でもたしかにカヴァー・アルバムにはそういうひらめきは特に重要なんでしょうね。

こだま:そうですね。パンデミック前まではそういうものももっと曲がりなりにもあったと思うんです。それは年齢とも関係すると思うけど、だんだん、ひらめきもね、かぼそくなっていくんだけど、その分輝きは強かったりするの。線香花火が消える前がいちばん輝きが強かったりするんじゃないかと。

えー! またそんなあ(笑)。

こだま:でも、そのぶん、たぶん熱も高いんじゃないだろうか。

野田:僕はこのアルバムのブックレットに載っている、誕生日ケーキを囲んだ写真を見てすごく思ったんですが、こだまさんは幸せ者なんじゃないかと。いつも悲しい悲しいと言っているけど、とても幸せじゃないかって(笑)。

こだま:うーん。そうですね。

野田:よくいうけど、マクロの世界は最悪だけどミクロの世界ではいいことがあるって。そういう感じですね。

まさに “What A Wonderful World” ですね。

こだま:つねに、自分のことをよく知る自分と、自分のことなのによくわかっていない自分とふたつあって。僕は締め切りがなきゃ作らないような人間ですからね。日々の暮らしだけですんでいれば、それはそれで幸せというか、「試験も何にもない」世界ですから。でもそれだって否応なしに孤独とか「見えないゴール」が迫ってくるから、そんなに大きな違いはないのかもしれないけど。

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“ゲゲゲの鬼太郎” のメロディ自体が、ベースラインみたいなんですよ。最初のところなんかもまんまダブのフレージングと重なるんです。それが自分の中で自然につながってしまったんですね。これは僕の中ではリー・ペリー解釈なんです。

野田:『ともしび』を聴いてそんなにペシミスティックな気持ちにならないんですよね。それはなぜでしょう? ペシミズムが表に出なかったのはどうしてなんでしょう。

こだま:それはよくわからないけど、まだ『かすかな きぼう』とか『ともしび』というようなものを自分の中に持っているからでしょうかね。そうしたものを失って、絶望までいったら終わりということでしょうから、絶望し切らないままに日々暮らすということですかね。

私は60になったんですが、そうなると、過去の10年15年の長さを思い、この先同じ時間の長さを思うと、人生は短いよなと驚いています。

こだま:そうか。だけどね、もっとご年配の方もおられるわけですよね。生まれたばっかりの人もいる。でも「今日」という日は同じなんですよ。生きている人にとって。若いとか老いているということは関係なく、幼い子どもはべつにしても、青年も、ご年配の人もいて、みんな「見えないゴール」が先にある。でも「今日」という日だけを見たらそれは誰にとっても同じ「今日1日」ということなんですよね。過去の年月というのはいわばすでに過ぎてしまってきていて、あるのは「今日」という日だけなんですよ。貯金じゃないんだから、あたしは何十年生きてきましたといっても、それはもう過ぎてしまった時間なんです。
 だからと言って「今日という日を大切にしよう」みたいな言い方もしたくはない。そういう感じで、僕は言葉をどんどんどんどん失くしていっているんですよ。ほんとうに、言葉が減っていきますよ。それと経験したことも含め、世界で起きていることも含め、現実はもう言葉を超えてしまっているわけだから、絶句、ということですよね。だけどそれじゃあダメだろうとも思う。声を上げていかなきゃみたいなこともある。でもそれも僕の中ではどうなんだろうという気持ちもある。あとは大事なことというのは、あえて言葉にして言いたいのは、人も自分も傷つけずに、ということですよ。そんな暮らしをしていきたいというのかな。言葉としては数少ないんです。散々人を傷つけてきましたからね、幸いそれを知らされていないというだけで、都合良く生きてきましたから。

いやいや、どこに話を持っていこうというんですか!

野田:若いミュージシャンもいて、でもいまは長い音楽生活をしてきた人たちもたくさんいて、僕はいま、老年期を過ごしているミュージシャンの音楽にすごく興味があります。もちろん18歳の声というものは重要だけど、同じように68歳のときの声も絶対重要だと思う。

こだま:そうですね。音楽というのは運動ですからね、ボディというか、パフォーマンス。アスリートほどではないにせよ、人前で演奏して聴いていただくというパフォーマンスなんですよね。で、パフォーマンス年齢というものがあるから、なかなか絵画とか文学のような表現とはちがって、老年の表現はわかってもらいにくいですよ。やっぱり人はステージの上で元気に踊ったり、動きを見せたり、大きな声を出せたり、盛り上がろうぜと言えるエネルギーを持っている方が、パフォーマンスにはふさわしかったりしたんですね。いままで。野田くんがおっしゃったような、年齢を経てきたようなパフォーマンスというものはまだまだ受け取ってもらえるような状況ではない気がしますね。見た目もあるし、特にポップスの面では、若い人たちが音楽をキャッチして、それに憧れたりしていくわけでしょ。

野田:こだまさんのライヴを長い期間見させてもらっていて、イラク戦争の後だったと思うけど、まだバンドじゃなくてひとりでやっていた頃、ラジカセを持ってきてECDの曲をかけたことがあったんですよ。「ECDがいいこと言ってるぞ」と。自分の曲を演奏しないでECDの曲をかけてた。それがこだまさんっぽい。そんなことを自分のライヴでやるなんてめちゃくちゃじゃない。

こだま:ああ、あったな。そうだった。あの頃、自分の中で大事にしているのが「自由」ということでしたね。それを自分が率先したいと思っていましたね。批判があろうが、ある種のルール違反だったりしても、自分のいちばん大事なパフォーマンスの場で「自由でいる」ということを大事にしたかったんですね。最近はあまり使わなくなりましたね。

自由と言えば、いまももちろん大切ですよね。でも20世紀は、人びとがわりと心置きなく自由に向かっていかれた時代だった気もしますが、いまはその自由を権力者や富裕な人たちが存分に謳歌するようになっていて、弱い人にはむしろ過酷な環境の要因にさえなっていたりする。たとえばアメリカは自由だけど、貧困層やホームレスの人たちの悲惨さは先進国では異様に際立っていたりしますよね。

こだま:その「自由」は「自由民主党の自由」だね。アメリカはその上に医療の皆保険がないからね。僕の友人の奥さんががんの手術をしたんだけど、その手術の当日に家に返されちゃうんですよ。それを聞いたときに、アメリカというものをひとつ知りましたね。がん手術の当日に、点滴をつけたまま家に帰るんだよ。入院は莫大なお金がかかる。
 限られたプールの中で泳いだ方が楽しかったりして、大海で流されたら、相当自由だけどおっかなかったりする。つまりそういうことなのかもしれないですね。

サメがいますから、そういう面はありますよね。

こだま:「自由」ということのリスクがあるんだな。

経験したことも含め、世界で起きていることも含め、現実はもう言葉を超えてしまっているわけだから、絶句、ということですよね。だけどそれじゃあダメだろうとも思う。声を上げていかなきゃみたいなこともある。でもそれも僕の中ではどうなんだろうという気持ちもある。

野田:こだまさんは長い間やってこられて、達成感というものも感じるんじゃないですか。

こだま:まあ、アルバムを作ったり、ライヴをやったり、でも達成感というものではないですね。達成感というのは目標や目的があってのことでしょう? それがそもそもないんだから……
 でもあえていえば、今年の、あのうんざりするほど暑かった夏に、一曲曲を作ることができたんです。それは “海” という曲なんですけど、それが完成しはじめたとき、原発の汚染水を海に流しはじめたんです。それまでタイトルは考えていなかったけど、その状況があって、タイトルを「海」にしたんです。それはいまの自分がいちばん無理せず、大きな狙いもなく、ひけらかすものもなく、ものすごくいい感じで演奏できる曲を意識したんですよ。
 トランペットというのは、ハイトーンの楽器なんですよね。ソプラノとかせいぜいアルトで、華やかな音をパーンと出して聴いていただくということがあったんですよ、いままでの歴史上でトランペットというのは。ものすごい勢いでインプロして、衝撃的なハイトーンを出して人を惹きつけていくということができるときと、否応なしに高い音が出せなくなっていく自分というものもあるわけです。さっきの話で言えば、例えばピカソが10代でものすごく緻密な絵を描いていたけど、晩年には緩やかな線を引く絵を描くようになっていたということにつながるんだと思うけど、まあいい曲ができたんですよ、自分の中で。ただ派手さはないから、どれだけそこに耳を傾けていただけるかどうかはわからないけど、僕としてはこれからの自分がまだパフォーマンスを続けていく中で、それと作品としてのやっていき方のきっかけになった曲なんです。それはダブということでもそうですし……。ひとつのフレーズなんですね、大事なのは。
 アスリートは体力とパフォーマンスで、記録を即座に出すという過酷な仕事ですよね。100メートル走にしても野球やサッカーにしても。音楽にもそういうところがあるんです。たとえば高い音を出すには、大袈裟にいうと、皮膚とか筋肉というものと密接なんですよ。歌を歌う人も少しキーを下げたりしますが、トランペットでも出なくなった音は無理して出さない。つまり、無理してまで出せない音は出さなくていい。パンデミック下でのことにまた結びつきますが、パンデミック後には無理してまで生きていこうとしなくてもいいじゃないかと。
 なんでかというと、毎日毎日、ひとりで自主練をするんです。でも上達しないんですよ。若い頃は、練習すればするほど少しずつでも次なるステップなるものが見えたんですよ。つまり、アスリートがいっくら走り込んだって、過去の記録は出せなくなっていくんです。でもそれもやらなかったら現状維持もできない。練習もなかなかできないんです。へとへとになっちゃうんです。

でも音楽というのは高い音や速弾きがいいというわけでもないじゃないですか。

こだま:うん。でもつねに、そういう種類のものを望む世の中というものがあるんだよ。クラシック音楽というものも僕は好きでときどき聴くけど、全部ピッチが上がってるぜ。みんなやっぱり、世界の動きに応えていっている。スピードやアクロバット的なものを求める。人って、けっきょく、何秒で走れるとかすごく速弾きできますよということにまず目が行くわけですよね。パフォーマーというのは、悲しいことに道化みたいなところがあるんですよ。静かな道化師じゃ絵にならない、誰も相手にしないんだ。ライムライトみたいになっていくんですよ。気がつくと劇場に誰も人がいないというふうに……。
 パフォーマーが自分のいちばん良かったときをキープしたいと望むのは、宿命みたいなものだから。苦しいけど、望まざるを得ない。何か術があれば、なんでも取り入れたい、利用したいという誘惑も、パフォーマーであれば願ってしまうと思いますよ。でもその価値観が、果たしてどうなのかという話なんです。でも人はみんな、受け手と表現するものとの間にある違い、ギャップというものはあります。

聴き手は「音程が全部あっていて高い声の上手な歌」を聴きたいわけではないのにね。

こだま:たしかに、たまにオリジナルの作曲者が、シンガーに歌わせてヒットした歌を、何年も経って歌ってみたらそれが良かったりというようなこともある。そう言えばさっきの達成感の話だけど、“End Of The World” の歌詞を書いて、あれは原曲の歌詞とは違う、いわば替え歌ですけど、その歌詞を書き、チエコ・ビューティーに歌ってもらってレコーディングするというアイディアを思いついたときは興奮して眠れないくらいでしたね。それで、その後も聴くたびに、これは本当に良かったなと思っていた。それを今回、アリワに歌ってもらえてまたうれしかったですね。

自己顕示欲というものがひとつのエネルギーなんですよ。「俺はこうだ」というエネルギーを、持っている間はいいんですけど、自分の中では価値として見出せなくなっても、やっていくわけですから、そこでなにをやるのかということなんです。

野田:ご自分の過去のアルバムをいま聴いて、お好きなのは?

こだま:あのね、自分のアルバムを聴くことはあまりなくなってきてるけど、YouTubeにリスナーの方がアップしてくれているのをたまに聴くことはありますよ。そうか、こんな曲もあったんだなと。

野田:それはなんの曲だったんですか?

こだま:それは『NAZO』っていうアルバムに入っている曲でしたね。

おもしろいですね。自分の曲に、他人の曲のように出逢い直してしまう。それでアルバムを聴き直しましたか?

こだま:聴き直しましたね。

どうでしたか?

こだま:うん。いいなって思いましたね。

そうですか。そうですよね。

こだま:これも「それを言っちゃおしまい」ってことですけどね。

それ、いっぱいありすぎますよ。2、3個じゃないじゃないですか。でも、たくさんの「それを言っちゃおしまい」ということを伺っていて思えてきたことなんですけど、このアルバムについて、最初に “花はどこへ行った” からはじまる。すごく悲しい曲だけど、私がいま聴くと少しアナクロだと思うくらいちょっと時代を超えた、そういう反戦歌からはじまって、“ゲゲゲの鬼太郎” も含めて、次第にこの世界をなんだかんだ言って肯定していく雰囲気というものがすごくあって、でもしかし、そうなんだけど、単なる肯定ではないですよね。「とりあえず肯定しますよ」という感じなんです。「しなきゃしょうがないでしょ」というか、「否定しちゃしょうがないでしょ」、つまり「それを言っちゃおしまいでしょう」ということかもしれないんですけど。

こだま:うん。つまりさ、ガザの病院を爆撃する人がいるわけですよね。そこで怪我をする病人や怪我人を治療する人もいる。そういう世界なんです。さっき言われた「マクロを見ればどうしようもない世界」だけど、小さなところを見ていけばそうじゃないところもあるだろう、救いもあるだろうということなんですよ。僕も。

だけど「救い」だけを見ていたら、悲劇を肯定することになっちゃうでしょと。

こだま:そう。病院を爆撃する側と、それに右往左往してる医師や市民の両極がある世界がまず見えますよね。それからもっと引くと、どっちでもない人たちがたくさんいますよね。なにを考えているのかわからない人びとが。なんか、そんなようなことなんですよ。
 でももう先は知れてるわけですよ、この先ね。たかだか……

いや、そういうことを言ってる人に限って90までやってるということは往々にしてありますよね。バランスとれた食事もしているし。

こだま:いや、自分で客観的にそういうふうに自分に突っ込むときありますよ(笑)。「お前、悲しみだのなんだのと言ってるのに、実はさ、体のこと考えながら豆腐や納豆食ってるんだろ」って。
 いろいろ話しましたが、思うのは、自己顕示欲を削いで、でもパフォーマンスしていくことの難しさということですね。自己顕示欲というものがひとつのエネルギーなんですよ。「俺はこうだ、俺はこうだ」ということです。でもそうじゃなくて、パフォーマンスあるいは音楽を作っていくということの違いを、思っているところです。それはなかなか難しいんです。思い余って、「俺はこうだ」というエネルギーを、持っている間はいいんですけど、自分の中では価値として見出せなくなっても、やっていくわけですから、そこでなにをやるのかということなんです。

自己顕示欲って、表現の原動力として有効というか、いいものですよね。ほかのことだと、自己顕示欲なしでできることはたくさんあると思いますけど、

こだま:願わくはそういう職業につければ良かったと思うこともありますよ。
 それから最後に、いろいろ話した後に抜け落ちていることに気づくのは、寝たきりの人もいるし、体の不自由な人もいるということですね。つねに抜け落ちるんですよね。そうすると、自分が語ったことなどどうでも良くなってしまう。けっきょく、そういう人にとっても、政治というものはすごく大事なんです。だからやっぱりそれは考えていたい。なぜ差別というものがあるのか。なぜ隣国の人を嫌うのか。差別っていうのは根拠もないことで人を排除したり嫌ったりするんですよね。根拠がない、どこにもなんの理由もないんです。

KODAMA AND THE DUB STATION BAND
LIVE ♪冬のともしび♪ 飛石2DAYS

公演日:12月26日(火)、12月28日(木)
会場:立川A.A.カンパニー
出演:KODAMA AND THE DUB STATION BAND
時間:開場19時 開演20時
料金:6,500円+1D
http://livehouse-tachikawa-aacompany.com

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