「Not Waving」と一致するもの

TwiGy - ele-king

「日本語ラップ技術史としてのTWIGY自伝」

 『フリースタイル・ダンジョン』が人気をはくし、スキルフルなラップがあふれている現在、とくに若いファンにとって、ツイギーとはどういう存在なのだろう。雷、マイクロフォン・ペイジャーの一員として知られていると思うものの、とは言え、ソロ作品にわかりやすい大ヒットやクラシックがあるわけではない。筆者は中学生時代、さんぴんCAMPの直後にヒップホップにハマったクチである。そんな自分からすると、ツイギーはいまも当時も異彩を放ちつづけている。ツイギーを早くから評価していたECDは、ツイギーについての文章を「TWIGYは紛れもなく天才と呼んでいいアーティストの一人である」(アルバム『TWIG』のライナーノーツ。ツイギーについて書かれた最良のテキストだと思う)という一文から書きはじめているが、あふれ出る天才性のままにラップをしている存在として、ツイギーはほとんど唯一無二なのではないかと、筆者も思う。そんなツイギーが『十六小節』という自伝的な語り下ろしエッセイを出した。

 ツイギーおよび日本語ラップ・ファンからすると、まずは日本語ラップ黎明期における細かなエピソードが、それだけでおもしろい。自分のような後追い世代にとっては、なおさらである。個人的には、ツイギーがHAZU(現・刃頭)と出会う名古屋時代から、東京に進出してくるあたりのエピソードがいちいちおもしろかった。ツイギーとHAZUによるBEAT KICKSが名古屋のローカルなコンテストで優勝したときの曲が、スペシャル・AKA「ネルソン・マンデラ」のうえでラップをしたものだというのも初めて知った。ツイギーもHAZUも2トーン・スカが好きで、とくにトロージャンズ好きのHAZUは、ギャズ・メイオールのDJにも影響を受けているのだとか。この事実は、いままで抱いていたHAZUに対するイメージと違って印象的なものだった(まあ、同時期のブギ・ダウン・プロダクションズの存在などを考えれば、そんなにおかしいことではないのかもしれないが)。

いろいろな本を読み、いろいろな人の話を聞くと、シーンの最初期におけるジャンル未分化の野蛮なおもしろさを感じることがしばしばある。これは当然と言えば当然で、たとえば、そもそもクラブの数自体が少なかったりすると、周辺ジャンルは必然的に集まってしまうことがある。ツイギーの音源デビューがオーディオ・スポーツ(恩田晃によるユニット。山塚アイや竹村延和が参加している)の曲だったり、あるいは、レス・ザン・TVのコンピ盤にキミドリの曲が収録されていたり、というのは、そういう気分を反映したものに思える(このあたり、山下直樹・浜田淳『LIFE AT SLITS』をぜひ参照してほしい)。そういう、シーンが確立するごとに見えづらくなるジャンル横断的な交通をかいま見られることが、このような自伝的エッセイの楽しみのひとつである。スカ好きという話もあったが、本書で感じるのは、ツイギーが思いのほかレゲエから多大な影響を受けていることだ。たしかにツイギーは、BOY-KENをはじめとするV.I.P. CREWとの交流も厚いし、YOU THE ROCK主宰の伝説的なイヴェント〈ブラック・マンデー〉の様子を記録したカセットテープでは、ツイギーによるかなりラガマフィン調のラップを聴くこともできる。現在から振り返ると、これも黎明期的なジャンル横断の一端に見えるが(思えばヒップホップとレゲエも、ここ10年強くらいで、けっこう分化してしまった気がする)、ここで重要なことは、ツイギーの魅力的なフロウがレゲエ・シーンのなかで育まれていたことである。

 筆者は、甲高いツイギーのラップが、変幻自在に倍速になったり、かと思ったらテンポダウンしたことに、大きな衝撃を受けたことをよく覚えている。「こんなラップは聴いたことない!」と。アルバム『SEVEN DIMENSIONS』と『リミキシーズ呼吸法』が出た2000年のときだ。“GO! NIPPON”(『SEVEN DIMENSIONS』)や“今は昔(風雲STORM RIDERS REMIX)”(『リミキシーズ呼吸法』)など、本当にすごいと思った。ツイギー自身も本書で、「斬れる言葉が研ぎ上がったのは、『SEVEN DIMENSIONS』(2000年)だと思う」と言っている。そして、その「斬れる言葉」は、ツイギーによればレゲエによってもたらされている。ツイギーは、「小節に対して倍速で言葉を入れることに気付いて、最初はすごい発見をしたと思ったんだけど、でも、それをレゲエのビートに乗っけてやってみたら結構普通の感じだった」と前置きしつつ、次のように言う。

俺はV.I.P.の現場でBOY-KENやシバヤンだったり、レゲエのみんながやっていたスタイルをRAPに変換したんだ。と、……そう簡単に言ってしまうと俺も自分なりに模索しながらやってきたことがあるから、認めたくない部分もあるんだけどね。それまでレゲエの現場でRAPでラバダブをやると、俺の言葉だけ間延びする感覚がずっとあった。それが俺はすごくイヤだったんだけど、倍速で入れるとそれが解消されることに気付いたんだ。
 そうやってレゲエの現場で体で学んだやり方をもってして俺はRAPに戻ってきた。そうしたらビートに対しての、みんなのRAPの乗せ方が俺にはすごく感じたんだ。だからHIPHOPの現場でライヴするとバシっバシっと斬っていく感じがあった。それが試行錯誤の末に、間延びする日本語に対して俺が生み出したやり方だった。

 現在のように、本当にゆたかなフロウの数々に囲まれているとつい忘れそうになるが、まだ生まれていないフロウを生み出すことは、本当にたいへんなことである(だからこそ、少なくない人にとって、日本語ラップをめぐる現在の状況がこのうえなく感慨深いのだろう。日に日に新しいラップのモードが出現する!)。ラッパーでない俺なんかが共感することではないかもしれないが、それでも、ツイギーの「小節に対して倍速で言葉を入れることに気付いて、最初はすごい発見をしたと思った」という気持ちは、曲がりなりにもリリックを書こうとしていたひとりとして、とても共感する。DJマスターキーのアルバム『DADDY’S HOUSE vol.1』(2001)のラストには、ツイギーをフィーチャーした“MASTERPLAY”という曲が収録されているのだが、ここで聴くことのできるツイギーのラップは絶品だ。マスターキー自身、当時のインタヴューで「ツイギーの新しいラップが引き出せたと思う」といったようなことを言っていた。遅めのビートに対して速度が自在に変化して、変拍子的にアクセントが入るラップは、リアルタイムで聴いたとき、本当に感動したものだ(「っき!ほんっ中!の基本!っダ!っディー!ズハー!ウス」)。

 速度が自在に変化するようなフロウは、サウス系のラップも通過した現在ではほとんど前提の技術になっている感があるが、これはどこから来たものだろう。現在のゆたかなラップをひと括りにするのは困難だし、そこに単一の起源を求めるのもまた無茶なことだが、僕がその気持ちよさを最初に感じたのがツイギーのラップだったのは間違いない。しかも、サンプリング主体のトラックではなく、アブストラクトなトラックのうえで(『リミキシーズ呼吸法』では、カンパニー・フロウのリミックスなども収録されている)。ツイギーは2000年前後の時期について、マイクロフォン・ペイジャーのような「ニューヨーク・スタイルのローファイなループの上でやるのがイヤだという思いがあった」と言いつつ、「メロウなビートの上で、違うリズムでRAPを乗せる、シンコペーションしている」ような、サウス的なスタイルを「研究」していたと振り返っている。こういう個々人の「K.U.F.U」(ライムスター)の蓄積が、新時代の表現を生むのだろう。そういう意味で、現在のラップの底流には、2000年前後にツイギーが追求した方法論が存在していると感じる。そして、さらにその奥底には、V.I.P. CREWの水脈がある。先のECDは、「日本語でラップをするという試行錯誤の一つの到達点がTWGYのラップなのだ」と書いている。

伝説的なイヴェントである、さんぴんCAMPから20年。現在、『フリースタイル・ダンジョン』をはじめ、スキルフルなラップは多くの人の心をつかんでいる。サウスの影響も色濃い現在の日本語ラップのシーンと、東海岸的なサウンドが色濃かったいわゆる「さんぴん世代」的な日本語ラップのシーン。そのあいだを方法論的につないでいたのは、さんぴんCAMPのさなかにジャマイカ(レゲエ!)に行っていたツイギーだったのではないか。2000年前後にツイギーに夢中になっていた筆者は、本書を読みながら、そんなことを思った(異論歓迎である)。

Powell - ele-king

 さあ、大声で叫んでみよう。ファァァァァァック! あー、気持ち良い。物わかりの良いお利口さんの音楽には、あるいは、おっさんおばはんの音楽には付き合いきれないぜという若いキミ、若くてうずうずしているキミ、お待ちどうさま。パウウェルが控えている。
 百聞は一見にしかず。まずはコレを聴いて。

 最高に格好いいよな、EDMなんかよりも。悪いけど、それがわからなければ、あんたは永遠にダサい。どんなウンチクを並べようともな。
 〈XL・レコーディングス〉から近々発売予定の、パウウェルのオリジナル・ファースト・アルバムに向けて、ロンドンとニューヨークでは写真のようなビルボード広告を出している。このメールアドレス(powell@xlrecordings.com)にメールを送るとPowell本人が返答し、徐々にアルバムの詳細などを明らにされることになっている。ぼく? もちろん、すでにメールしたよ。
 FACT MAGによれば──何故直接コミュニケーションを取る方法をとったかについて、パウエルは、彼の新作がもうすぐリリースされること、そして「溜まりに溜まっていたものを全部吐き出したかったんだ。世に出ることのない昔作った音楽を一掃したかったんだよ」と語っている。
「俺はメールをしてくれた全員に返信するよ。俺がすでにしているメールのやりとりは気が狂ってるものだね」
 昨年がジェイミーXXなら、今年はコレかよ。〈XL〉、やるなー。
 

 

七尾旅人 - ele-king

 何10年ぶりかにサッカー(フットサル)をやったが、さすがに疲れた。50を過ぎた人間だ。若い人間と混じってガチでやるには、無理がある。ゲームに参加することは、ひとりで黙々と走るのとはわけが違うのだ。身体的に無理を強いなければならないし、ただ動けばいいってものでもないし、頭も精神も使わねばならない。だが、爽快である。政治の話をしながらどんどん窮屈になっていくのとは正反対だ。しかし、ではなぜビヨンセを良いと思っているのだろう。矛盾しているじゃないか。熱狂があるからか。まだ快楽産業に回収されていない熱狂が。いや、それ以前の問題として、彼女のパーソナルな事柄からはじまっているがゆえの、人生のより深いところに突き刺さる何かを持っているからだろうか。
 たぶんそうだろう。足をすりむきながらサッカーをやっているのも、すでに終わっているはずのフィッシュマンズのライヴにありえないほど涙してしまうのも、(たとえそれが単にあの娘とのことに過ぎなかったとしても)人生は生きることの誘惑にほかならないという当たり前にして当たり前のこと(だとぼくが勝手に思っていること)をぼくに思いおこさせるからだ。アホらしいと思うなかれ。音楽がもっとも得意とするところは、そこだ。

 七尾旅人が本当に思い詰めていたのが、この作品からはよくわかる。だが、これは感情の寄せ集めではない。コンセプト作品だ。ロバート・ワイアットの『コミックオペラ』と少し似ているかもしれない。あれは、男女の対話を混ぜながら、イラク戦争で家や家族を失ったレバノン人の気持ちを歌うことで、たとえば今日のISが生まれる温床(=憎しみ)に触れているアルバムだった。
 『兵士A』にはふたつの物語がある。戦死する自衛官、すなわち憲法改正を弾きがねとしたであろう『兵士A』とそれを取り巻く物語、もうひとつは七尾旅人というアーティスト自身の創作行為に関わる物語だ。ことに映像は後者を際立たせている。当たり前の話だが、視線は七尾旅人の表情に集まり、表情の変化や彼の一挙手一投足を注視することになる。本作は、2015年11月19日のライヴ公演の実況録音盤であり、その映像作品だ。ここには、3時間にもおよぶライヴが収録されている。

 七尾旅人の根幹に政治的な憤りがあるのは確実だ。それもかなり激しい憤り、絶望。『兵士A』には、彼のお茶目さのひとかけらもない。
 とはいえ、とくに前半だが、弾き語りの名手たる彼の持ち味は発揮されている。七尾旅人は、ギターの単音と声だけでも人を魅了するミュージシャンだ。ファンのなかには声だけでも十分だと思っている人も少なくない。電子音を混ぜてはいるが、最終的には、今回もその魅力は変わらない、が、『兵士A』はしかし、彼はナイーヴさを排し(ある意味ではこれ以上ないほどナイーヴに振る舞い)、そして受け手をアンビヴァレントな気持ちにさせる作品なのだ。“ぼくらのひかり”がそうだ、“Tender Games”もそうだ。“I'M WARBOT”での七尾旅人は激殺気だっている。“エアプレーン”もそうだ。自分の作った歌の登場人物たちに取り憑かれているかのようだ。
 ステージ上の共演者は梅津和時ただひとりである。七尾旅人と同様、このベテラン・サックス奏者も日本兵の格好をしているわけだが、ふたりが演奏する光景を見たら、だれであろうと思い描くことはひとつかもしれない。しかし、『911FANTASIA』と比較される作品だが、じつは本作のほうが解釈はいろいろできる。とくに気になったのは最後の曲だ。“誰も知らない”を、彼はなにゆえに「あの子はバカだから~」という歌い出しからはじめたのだろう、取材するチャンスがあるのなら、ぼくはまずそのことを訊きたい。

 七尾旅人の、アーティストとしてつねに刺激を与えたいという大望は素晴らしいと思う。なにかおかしいぞと思ったら、とことんその疑問を追求する真摯なところもだ。『兵士A』が彼のベストだとは思わないが、いまの日本の絶望感を捉えている真摯な音楽作品であることは間違いない。
 が、政治的コンセプトがあるとはいえ、これは論文ではない。『911FANTASIA』もそうだったが、たとえば七尾旅人は戦中戦後から未来(戦前)へと、数世代にわたる物語を繰り広げている。しかし……ぼくは少年サッカーを見ながらつくづく思う。未来に待っている次世代は、そもそも現在の若者よりもずっと人数が少ないのだ。不安項目はいくつもある。政治的トピックとしては戦争よりも貧困問題を最優先すべきだという意見もよく耳にする。また、万博文化に取って代わるもののひとつは、ぼくは、スマホに象徴される通信テクノロジー商品にあると思っている、などなど。いろんなことが頭を巡る。いろんなことが。そのひとつを取りあげて、このレヴューの締めとしよう。
 ぼくは若い頃、RCサクセションや忌野清志郎のライヴで、梅津和時のソウルフルなサックスを何度も聴いている。そのステージ上には、いつも「愛と平和」という決まり文句があった。しかし、いまでは「自由」という言葉が塗り替えられたように(ネオリベもリバタリアンズも自由の産物)、あの頃と比べると問題はずっと複雑になっている。それもあるのだろう、「愛と平和」などという言葉はもう何年も聴いていない。「愛」も「平和」もさんざん欺瞞的に使われてきた/軍事的にも使われてきた/個人の都合の良いように使われてきたということなのだろうけれど、「平等」はどうだろう。トランプだって平等を要求する。そう、いま政治の問題を考えるときにつくづく思うのは、それでも性懲りもなく音楽にこだわっている自分たちはどこから来たのだろうか、ということである。まあ、ナイーヴで、おめでたいところから来たことは自分でもわかっているけどね。
 サッカーの試合中も、ずっと動いているわけにはいかない。うまくいかなければ、あるいは体力温存のため、ときどき立ち止まり、ふと考える。同じことをずっと言い続けることは無駄にはならない。疲れたときの思考時に効力を持つからだ。戦術が理解され、目指すべきゴールが見えているなら、問題ないだろう。たとえ監督とキャプテンがいなくても、だ。ちなみに、「人生で重要なことはすべてサッカーから学んだ」と言ったのはアルベール・カミュだが、それでもぼくは言う。人生で重要なことは音楽から学んだ。

 着々と続報が入っている。渋谷スペイン坂のあたりをよく行き来している人ならすでお気づきのとおり、インディ・ロックからエクスペリメンタルなエレクトロニック・ミュージックまで、角度のついたイベントを多数発信してきたライヴハウス〈WWW〉が、2号店をオープンする。

 こけら落としはceroのワンマンから。国内の優れたアーティストたちの名の間には、フローティング・ポインツからザキール・フセインまで顔をのぞかせる個性的なラインナップだが、第2弾の発表も、D.A.NやSeihoからホーリー・ファックに、Shing02、Kan Sano(Seiho with Kan Sano)、はちみつぱい×ジム・オルークに爆音映画祭と、さらに賑やかかつインディ・シーンの混淆ぶりがナチュラルにとらえられており、多くの音楽ファンにとって横断的に楽しめる期間となりそうだ。

 神聖かまってちゃんにはじまり、2010年以降の音楽の「いま」をとらえつづけてきた同所の、次の展開に期待が集まる。

 株式会社スペースシャワーネットワーク(代表取締役社長:清水英明、本社:東京都港区)が運営する渋谷・スペイン坂のライブハウス「WWW」は、2016年9月1日(木)、1号店が入居するライズビル2F、映画館シネマライズ跡地に2号店「WWW X」(読み:ダブリュダブリュダブリューエックス)をオープンいたします。

 そして、9月1日(木)のこけら落とし公演<ceroワンマン>を皮切りに「WWW X」オープニングシリーズを開催いたします。「WWW」1号店から歩みを共にして来たバンドや、来日が熱望されていた海外アーティストの貴重な来日公演など、先鋭的な表現から時代を超える伝承まで、音楽の多様性を実感できるジャンルレスで個性豊かな”いま、ここにしかない”ラインナップが揃いました。

 チケット情報など各公演の詳細はWWW HP(https://www-shibuya.jp/)にて随時情報を更新して参ります。

■WWW X Opening Series LINE UP
※(new!):第2弾発表公演

9/1(木) こけら落とし公演 「cero ワンマンライブ」
8/27(土) プレイベント SUMMIT Presents."AVALANCHE 6"
9/3(土) はちみつぱい × ジム・オルークと命拾い(new!)
9/6(火) 蓮沼執太『蓮沼 X 執太』
9/7(水) 神聖かまってちゃん
9/8(木) ORIGINAL LOVE x Suchmos(new!)
9/9(金) GOMA & The Jungle Rhythm Section
9/10(土) Yogee New Waves x YOUR SONG IS GOOD(new!)
9/11(日) Only Love Hurts(a.k.a.面影ラッキーホール)(new!)
9/15(木) Zakir Hussain
9/17(土) Shing02 & The Chee-Hoos / 田我流とカイザーソゼ / Kojoe & Aaron Choulai Quintet(new!)
9/18(日) BRDG#7(new!)
9/19(月祝) 高木正勝コンサート”山咲み"
9/20(火) ANDERSON .PAAK & THE FREE NATIONALS(new!)
9/22(木祝) D.A.N. x Seiho with Kan Sano,松下マサナオ(new!)
9/26(月) Holy Fuck(new!)
9/30(金) never young beach
10/1(土) 爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン(new!)
10/2(日) ミツメ
10/7(金) Floating Points (band set)
10/16(日) downy(new!)
10/29(土) Ryoji Ikeda x Merzbow

and more!
第3弾発表は8月を予定しております。

R.I.P. WOODMAN - ele-king

 衝撃のeep大阪でのウッドマン・ライヴから16年の歳月です。ステージからの光を浴びたガタイのでかい彼のクネクネダンス&変態サウンド。その衝動を今でも鮮明に記憶しています。それから数年後、氏とのALTZの1stアルバム制作がスタート。6ヶ月に及ぶマスタリング作業や、ジャケットのイメージ作り。手描きのイラストも含め、音楽が好きすぎる彼のたっぷりの愛情を受けた『FANTASTICO』が誕生しました。
 この時点でボクにとってのプロデュースの神です。〈レア・ブリーズ〉こんなクールな名前のレーベルからアルバムを発表させてもらえるなんて。
 見事遅咲きのアルバムデビューでしたが、師匠として、ライバルとして、感謝しきれない感慨深い時間を共に過ごさせてもらいました。

 当の本人ウッドマンの処作は、以前から驚愕のハイペースでリリースされていて、タケ&ロス・アプソンが絡んだ流れや、意味不明の自主作品など。未だ全部のCD、CDRを確認できていないんです。多分一生かけても聴けないんだなと思いました。彼の愛機YAMAHAミニQYや、HDレコーダーには消去されたり、再生されない秘密のサウンドが相当数眠っていたはずです。サウンドと歌(ラップ?)を行き来したスタイルも理解不能ですが、今なら聴けるのかな。
 そして何よりもあのしつこいおしゃべり魔女のようなスタイルが鼻につく。ウッド大阪時代の数々の変態調教を通して今想う事 は、蝶になって自由に跳びたいウッドマンの光速メッセージだと自負しております。ほっつき歩きのプロとはまさに彼のことでしょうね。
 しかしもういちど関西弁で語り合いたかったで、ウッドマン! ありがとう……。

 合掌

ALTZ(RARE BREEZZE)

Solo andata - ele-king

 何もしたくない。そんなときにはアンビエント・ミュージックが効く。怠惰。この勤勉と抑圧の近代国家ニッポンでは、もっとも反社会的と思われる行為への誘惑。そう、アンビエント・ミュージックは、社会からの逸脱=怠惰へと誘う。ああ、なにもしたくない。ああ、疲れた。ただ、寝ていたい。いや、なにもしたくないから、寝ることすら面倒である。ゆえにアンビエントを聴いてゴロゴロしていたい。できることなら休みたい(いや、休めない)。そう、怠惰という極楽への誘惑。その意味で夏こそアンビエント・ミュージックを聴きたい。なぜか。暑いからだ。なにもしたくない。そこで今回は、そんな気分に合うアンビエント作品と一作と、正反対に、そんな気分を瓦解させてしまうようなエクスペリメンタルな作品を紹介してみたい。どちらも、とてもクールな作品である。

 まずは、ニューヨークの〈12k〉からリリースされたソロ・アンダータの新作『イン・ザ・レンズ』について語ろう。ソロ・アンダータは、ケイン・アイキンとポール・フィアッコによるオーストラリアのアンビエント・ユニットである。2009年に〈12k〉からリリースしたファースト・アルバム『ソロ・アンダータ』は、いま思い出してもかなりの傑作だ。イーノ的な環境音楽/アンビエント・ミュージックでもなく、KLF的なチルアウト/アンビエント・ミュージックでもなく、日常の隙間にアンビエントの空白を生むための「00年代以降のエレクトロニカ・音楽的アンビエント」を、彼らは『ソロ・アンダータ』で確立したのだから(むろん、当時、似たような音楽は、たくさんあったが、彼らのクオリティは抜きん出ていた)。

 そして6年ぶりとなる新作は、その「エレクトロニカ・アンビエント」の、その先を見据えたような作品に仕上がっていた。電子音のみならず、ピアノやベース、ギターなど楽器演奏=アンサンブルによって楽曲が成立しているわけだが、そこにさまざまな細やかな物音やノイズがレイヤーされ、音楽の層とやわらかく融解しているのである。そのソフトなノイズと音楽のアンサンブル/融解は大変に気持ちがよく、聴き進めていくと夢の中にいるような感覚になってくる。ノイズと楽音的なハーモニーの境界線がシームレスになっている。これこそまさに2010年代的なアンビエント/ドローンの新しいオトノカタチではないか。クラシカルでもあり、ジャズのようでもあり、しかしそのナニモノでもない音楽と音響の生成。まさに音楽/アンビエントの深化。では、この進化の源はなにか。私には、曲のなかで、そこかしこに鳴っているベース(低音)の存在が大きいように聴こえた。つまり、ひかえめなベースの進行が音楽としての構造を生んでいるのだ(ウワモノが持続音でもベースが旋律と刻むと進行が生まれるのだ)。それにしても、本当に素晴らしい作品ではないか。これぞポスト・ノイズ、ポスト・エレクトロニカというべきアルバムだ(本年、ケイン・アイキンのソロ『モダン・プレッシャー』もリリースされている。インダトスリーでありながら浮遊感と現実感が入り交じったような秀作であった)


***


 そんな夢見心地の気分に、砂漠の崩壊していくさまを顕微鏡のような音響/映像感覚で表象し、われわれの現実の足場がすでに倒壊しているのだということを、極めてスタティックなスタイルで示す作品が、 ベルリンのサウンド・アーティスト、ヤコブ・キルケゴールの『サブレーション』である。

 ヤコブ・キルケゴールは、これまでも環境の中に存在する音響の変化を主軸においた音響作品を発表してきたアーティストだ。その作品はまるで、彼の耳のありようをトレースするかのように音響の要素がコンポジションされており、聴き手は、アーティストの耳と同化するような感覚を持つことになる。たとえば2013年に〈タッチ〉からリリースされた弦楽作品『コンバージョン』は、弦の軋みや揺らぎを録音・再構成した作品であったが、同時に、彼の耳の反応そのものを音に「変換」したものにも思えた。

 本年、日本の〈マター〉からリリースされた新作『サブレーション』は、「砂漠化」の名のとおり、オマーン砂漠の映像と音響によって成立している映像作品である。もともとは2010年のあいちトリエンナーレで池田亮司の作品などとともに公開されたインスタレーションが元になっているというが、今回、ついにDVD+フォトブックという形態でリリースされた。まるでヤコブからの「手紙」が届いたような美しく親密な装丁も素晴らしい。

 砂漠が崩壊していく集積/運動のさまを捉えた緻密な音響とモノクロームの映像のコンビネーションは圧倒的で、ずっと聴いている/観ていると、まるで自分の足場が倒壊していくような感覚に襲われてくる。それは知覚の拡張ともいえるのだが、私たちの知覚=現実が倒壊していくような感覚でもあった。ちなみに本作は勅使河原宏の映画『砂の女』(1964)へのオマージュでもあるようで、いわれてみると不穏感覚や、現実への崩壊感覚には通じるものがある。そこからわれわれ「日本という現状/問題」へと結びつけることは、さほど困難でもないだろう。そして、先に書いたように近年のアンビエントが再び足場を確かめるように「低音」を導入しているのに対して、ヤコブは、幾千、幾万もの砂塵が、砂が散り散りに倒壊するような崩壊感覚を音響化/映像化している。そう、これは、「砂漠化」し、やがて崩壊する「世界」そのものではないか。本作の表象は、抽象的に見えつつ/聴こえつつ、やはり一種の(強烈な)リアリティに思えてならない。

 だが、である。いまは暑い。夏が本格化してきた。現状への批評的な視線も大切だが、この美しく砂漠が倒壊していくさまを捉えたモノクロームの冷たい質感の映像と音響に、いつまでも浸っていたい気もすることも事実である。美しい、からだ。たしかに本作はアンビエントというより音響的にはフィールドレコーディング作品(映像)だが、われわれはヤコブの耳をトレースするように、音の磁場が生むアンビエンスを聴くのだからアンビエントとしても聴取/視聴可能なはず。なにより、このモノクロームの砂漠の映像/音響は、灼熱のなかの氷のように冷たい。ゆえに夏の猛暑に効く……。
 
 ともあれ、「ベースと崩壊」である。それは夢と現実の表象でもある。この2作からは、そんな響きを、音楽を聴き取ることができたわけだ。それにしても、今年の日本の夏は夢見るように不安定だ。本当に夢だったらよいとすら思えるほどに。冒頭の無気力さは、暑さのためだけではないかもしれない。

interview with Jun Togawa - ele-king


戸川階段

New WaveNoisePunk

Tower HMV Amazon

 戸川純、非常階段、ともにいま、外国の人からよく名前を聴くミュージシャンである。この組み合わせは意外なのか。意外ではないのか。80年代の日本で彼らの活動に気を留めた人でも意見は分かれるところだろう。アルバムに付けられたライナーでは非常階段のリーダー、JOJO広重がいかに当時から戸川純にシンパシーを抱いていたかということが切々と書かれている。昭和歌謡の趣味が同じだということから実際にコラボレイションをはじめた経緯など。では、一方の戸川純にとって非常階段というのはどういう存在だったのか。毎年恒例となっている3月31日のバースデイ・ライヴ@新宿ロフトを前に戸川純に話を聞いた。

戸川純 / Jun Togawa
1961年、東京生まれ。82年、ゲルニカ『改造への躍動』でデビュー。個性的なキャラクターでテレビ、映画、CMなどで活躍。84年にソロ・アルバム『玉姫様』、戸川 純&ヤプーズとして『裏玉姫』をリリース。85年には戸川純ユニットとして『極東慰安唱歌』発表。ヤプーズ・ゲルニカで活動後、1989年、再びソロで芸能生活10周年記念盤『昭和享年』(テイチク)を発表。ノイズ・バンド「非常階段」とのコラボレートがスタジオ録音のアルバムにまとめられ、2016年、『戸川階段』としてリリースされた。

非常階段
1979年、京都でJOJO広重を中心として結成。『蔵六の奇病』等の作品や、過激と評されるライヴ・パフォーマンス、自身らが立ち上げた〈アルケミーレコード〉の存在によって、日本のインディーズ史にカリスマ的な存在感を残している。近年はTHE原爆オナニーズ、ザ・スターリンとの合体ユニット「原爆スター階段」としてのイヴェント出演や、『初音階段』(初音ミク×非常階段)『BiS階段』(BiS×非常階段)『私をノイズに連れてって!』(ゆるめるモ!×非常階段)『Nois Join Inn』(大友良英×非常階段)などコラボ作品に意欲的であり、2016年にその最新作として戸川純とのアルバム『戸川階段』を発売した。

JOJOさんが言ってくださっているとおり、わたしの声も非常階段さんとのコラボにおいてはノイズなのだな、と思いました。


戸川さん、こんにちは。久しぶりのインタヴューですが、今日はよろしくお願いします。戸川さんが初めて聴いたノイズ・ミュージックは何でしたか?

戸川純(以下戸川):わたしが初めて歌をやることになった、ゲルニカというユニットが昔ありまして、そのゲルニカの前に付いていたユニット名が「イントナルモーリ」 という、昔の未来派の騒音楽器でした。そのイントナルモーリの音楽(音?)も、カセットで、もちろん古いレコーディングだったけども聴くことができまして、それがノイズを聴いた初めてだと思います。人も飲み込むような、野外にしか置けないすごいデカさなのに、ボー……!! しか鳴らなかったのを憶えています。ちなみに、わたしがなかなかイントナルモーリという単語を憶えられなくて、バンド名も変わりました。その後、歌詞に入っていたので、やっと憶えられました。

普段、ノイズ・ミュージックを聴くことはありますか?

戸川:ないですね。でも関わることはけっこうあったんですよ。羅生門というお芝居のとき、それはドイツで初演されて、ドイツでは、ノイバウテンが音楽 (音?)を担当していて、1幕では演じる役者がその音を出させられてたり、ね。

では、非常階段のことはいつ頃、どのようにして知りましたか?

戸川:80年代半ばか、初期だったと思います。申し訳ないのだけど、音楽もお聴かせいただいたことはなく、あの頃特有の、いわゆる過激なパフォーマンスのバンド、と人からきいてたくらいでした。ごめんなさい。

戸川さんにはメジャーとマイナーで線引きをするという感覚があまりないと思いますけど、そういった線引きを超えて非常階段に惹かれる部分があるとしたら、それはどの部分になりますか?

戸川:やっぱり、BiS階段さんのときのアルバムを聴かせていただいて、非常階段さんが、一歩も譲ってないと感じたところとかですね。とにかくノイズでグチャグチャにしてもらう、というのをレコード会社の人は望んでたのかもしれないけど、それだけでなく、すごく音楽的に仕上げてもいらっしゃるなあ、とほんとに思ったんです。あと、お人柄とのギャップも大切ですね。ノイズとかパンクをやってらっしゃるから、普段もそういう方々、というのでは、ミーティングできませんし。とくに大人同士だから、昔とは違うしね。

なるほど。非常階段とは四谷〈アウトブレイク〉でも穏やかに対談もやってましたものね。ちなみに非常階段にちがう名前をつけるとしたら何がいいですか?

戸川:他にまったく浮かばないですね! 非常階段ってネーミング、危機感はあるし、キャッチーだし! 私事ながら、ゲルニカがイントナルモーリじゃなくてよかった、みたいな、ね!


同じ80年代という時期を生きていまなお活動しつづけているという点で、このコラボの音にもそのことが如実に表れているのでは、と思います。


(笑)BiS階段から“好き好き大好き”をカヴァーしたいというオファーがあったとき、最初はどう思いましたか? ふだん、自分のライヴでは取り上げていなかった曲ですよね。

戸川:若い女の子たちが、とか、非常階段さんが、とか。お話をいただいたとき、とにかくびっくりしました。でもグチャグチャになるんだろうなとは思っていました。だけど、それにアイドルさんがどうやって歌うのかが、ぜんぜんわかりませんでした。それでも、可愛いいんだろうなと思ってうれしかったです。音源をいただいたとき、非常階段さんとBiSさんとの対比がおもしろくて、「アンバランスがとれてる」という印象でした。あの曲は、それまでもよく歌詞についてファンの人の支持があったものなのですが、曲がテクノ歌謡っぽいから(ピコピコな編曲)。そして、ファルセット部分以外の歌唱法……。あのときは、「戸川純アイドル路線」なアルバムを1枚作りたかったのです。でもどうしても、切った貼ったが出てきちゃったものでした。で、自分のところでは、その中では歌詞だけアイドル路線じゃなくてなんだかイタイ、とか思って、ずーっとやらなかったのですが、BiS階段さんみたいにノイズなものでなくても、 もっと生のバンド感を生かしたロックなアレンジや歌い方にすれば、できるなあ、と、思いました。それで、たまにうちでもロックっぽくやってます。だけど、どうしてもサビからのファルセットな歌い方だけは浮くから、サビ少し前から、パンキッシュな歌い方になってしまうけど、編曲との兼ね合いを考えてます。

実際に、非常階段と四谷〈アウトブレイク〉を皮切りに共演してみて、「思っていた通りだったこと」と、「思っていたことと違ったこと」はありましたか?

戸川:思っていたこととちがうのは、やはり非常階段さんとわたしの相性の良さです。こんなに相性良いって意外でした。わたしはずっと歌ものをやってきましたから。もちろん、非常階段さんはかなり合わせてくださってるのだと思うのですが、それにしても、JUNKOさんの声とはまたちがう意味で、JOJOさんが言ってくださっているとおり、わたしの声も非常階段さんとのコラボにおいてはノイズなのだな、と思いましたし。
 思っていたこととわりと近いかな、と思うのは、やはり同じ80年代という時期を生きていまなお活動しつづけているという点で、このコラボの音にもそのことが如実に表れているのでは、というところです。

『戸川階段』の選曲の基準は何でしょう?

戸川:選曲は非常階段さん側です。たぶんJOJOさんだと思います。先日また、戸川階段でライヴをやったのですが、2曲増えてまして、それも JOJOさんのセレクトだと思います。わたしからは、選曲の基準は考えたこともなくて、非常階段さんにとって、やりやすいとか、面白いことができそう、とか、そういうことかなぐらいにしか思ってなくて、お恥ずかしいかぎりです。でも、JOJOさんが“ヒステリヤ”を泣ける曲と言ってくださっていたり、“肉屋のように”の出来をなかなかエグいですよと言ってたりしたから、激しい曲と静かめな曲を選んだんじゃないかな。でも、 どっちも、わたしの中では感情がすごく渦巻いてる曲たちなので、そういうところをわかってくださって、選んでくださった感じがしちゃいます。 意外と非常階段にもある、接点と思ってくださったというか。


“ヒステリヤ”も“肉屋のように”も、わたしの中では感情がすごく渦巻いてる曲たちなので、そういうところをわかってくださって、選んでくださった感じがしちゃいます。


Vampilliaのような若い世代とコラボレーションするのと、非常階段のような同世代とコラボレイトするのでは何が違いますか?

戸川:若い世代でも、Vampilliaはちょっと特別で、すでに風格があるんです。でもライヴは「はいー! どーもー! バンピリアですー、今夜も頑張っていきたいと思いますー!」みたいな軽ーいMCではじまって、お笑い劇場?! みたいなんです。それでも曲とのギャップがおもしろくて、爆音にデスヴォイスに派手なファルセット、と地獄のようでもあり、ときおり天使のようでもあり、で、お笑い劇場と真逆の、どシリアスぶりで、たぶん本拠地が大阪だから、照れ屋でバランスとってるんじゃないかな。それに、ツインドラムにわたしの大好きな吉田達也さんもいるし、同学年の方もいらっしゃったりもするんですよ。それでも、わたしと同世代だけで作られていまも活動してるバンドさんとちがうところははっきりしてますよ。そんな明るく楽しいMCでありながら、デスヴォイスでありながら、生バンドという点でありながら、とにかく元気があるバンドさんでらっしゃるんです。体力がとにかくすごい。音楽性はもちろんのこと、体力が、ね。それが、若さじゃないかな。
 一方、非常階段はというと、これも同世代では変わっていて(まず、同世代のバンドはほとんどが解散しちゃってて、もう活動してなかったりね。あるいは最近なぜか再結成するバンドもけっこういるみたいに見えるけど)、長いキャリアを感じますし。やっぱり落ち着いてるんですよ。ノイズとはいえ。長年やってきた安定感というか。若いバンドさんにも、同世代のバンドさんにもピンキリあると思うけど、わたしは贅沢に、これは、と思うふたつのバンドさんとコラボさせていただいてます。対照的だけど、両バンドさん共に、音の洪水の中、わたしの歌を立ててくださってますし。それに、両バンドさん共に、いまロフトで定期的にやってるわたしのソロ名義のバンドとも、ヤプーズとも、ちがいますからね。

“肉屋のように”や“ヒステリヤ”などライヴで頻繁に取り上げている曲を、あらためてレコーディングし直したことで、なにか感じたことはありますか?

戸川:感じたことというより、レコーディングにあたり、本当に考えこみましたね。全体的には、非常階段さんとのコラボだからオリジナルとはちがうようになるとは思っていましたが、個人的に“ヒステリヤ”も“肉屋のように”も、他に歌い方が見つからなくて、同じ歌い方になってしまいそうで。 結局どの曲も、普段と同じような歌い方になってしまうから、歌はエフェクト頼りにしかなれませんでした。そういう意味では、まずヴォーカルは チャンネルを部分的に2本いただいたり、あと、肉屋は声を割ってもらったり、なんといってもヴォーカル全体を、非常階段さんの演奏に埋もれた感じにしていただきました。わたしの声のヴォリュームを小さくしていただいてね。選曲はお任せしたけど、ミックスには立ち合わせていただきました。
 そんな、歌入れやミックスのことばかり客観的に考えていたから、もともとの曲自体を客観視、ということは、あまりできなかったので、あらためて感じることができなかった、というのが正直なところです。

後編に続く

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 今年の初めにリリースされた、非常階段と戸川純とのコラボレーション・スタジオ・アルバム『戸川階段』。本作をめぐる戸川純へのインタヴュー後編を公開! 7月20日には、その『戸川階段』発売記念ライヴ(2016年2月21日)の実況録音盤もリリースされる。詳細は記事の最後にて。前半部分は「1」よりどうぞ。

コラボしたら、もれなく「ナントカ階段」というネーミングになる、と思いこんでいたんです。

レコーディングは具体的にどのように進められたんでしょうか?


戸川階段

New WaveNoisePunk

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戸川純(以下、戸川)::まだ、レコーディングすると決まってなくて、非常階段さんのライヴにゲストで出て数曲歌ったときの、その感じをベースに、非常階段さんがノイズが全部入る前のオケを作って、それを聴いてからわたしが歌入れして、そのあとギターその他のノイズをさらに足した、と記憶しています。もしかしたら、ギターその他のノイズは全部入ってたのかな? ミックス前だったから、オケを若干下げてくださってて、ノイズが本チャンより少なかったという印象だったのかもしれません。あとはミックスに立ちあって、大まかなところや細かいところ(ヴォーカルをけっこう埋もれさせてもらったり、エフェクトかけたり)を調整した、という感じですね。

ちなみに「戸川階段」というネーミングはどうやって決まったんでしょう?

戸川:わたしは友だちから数年前に、the原爆オナニーズとスターリンと非常階段で「原爆スター階段」というのがあると聞いたことがあって、その後初音ミクとの「初音階段」というネーミングも知って、「BiS階段」はもちろん知らされまして、コラボしたら、もれなく「ナントカ階段」というネーミングになる、と思いこんでいたんです。そうでないのもある、と後から知ったのですが。そういう訳で、ゲストに呼んでいただいたわたしが非常階段さんのライヴで数曲歌ったときMCで、冗談のように、JOJOさんに「今度やる? 戸川階段(笑)」と言って、それが本当に実現してしまったのでした。戸川階段て語呂もいいし、ほんとに冗談のつもりで言ったのですが、あのとき、ポロッとそう言ってよかっなあ、といまはしみじみ思います。本気ととられてたら、わたしってすごく生意気! って感じがしたと思います。だけど時として、他愛ない冗談が、幸せな現実を呼ぶこともあるのだなあ、という感じがして、JOJOさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

一か所だけやり直すとしたらどこを変えますか?

戸川:歌ものですが、ライヴ感というか、インプロヴィゼーション感が強いので、直すところはあまり浮かびませんね。もちろんパーフェクトでは、ぜんぜんないのですが、直したいところはとくにないですね。戸川階段は、全体を引きで見るというか聴く感じなので、そうなるのかもしれません。それに、非常階段さんの演奏の、インプロヴィゼーションの要素を多分に含んだ感じに合わせると、ヴォーカルも、スタジオ録音であってもライヴ感があったほうがマッチングがいいとも思うし、多少荒削りでも流れを大事にしたいから、ヴォーカルで直したいところはとくにはないです。

わたしは、ヤプーズの演奏をクールだと思ったこと、ないんですよ。曲によりますが。基本、わたしとともに感情が渦巻いてる、と思ってて、だからいっしょにやっててほんとに相性良い、って続けてられてきたし。

ヤプーズは演奏がクールで歌がエモーショナルという対比があったと思いますけど、戸川階段は演奏も歌もエモーショナルで、歌いにくくはなかったですか? 戦いながら歌ってしまうとか?

戸川:わたしは、ヤプーズの演奏をクールだと思ったこと、ないんですよ。曲によりますが。基本、わたしとともに感情が渦巻いてる、と思ってて、だからいっしょにやっててほんとに相性良い、って続けてられてきたし。とくに90年代のヤプーズは、インダストリアル系のガシガシの音デカい系で、それでわたしも、イヤモニして、デカい声で、ほとんど全編叫んでました。おのずとパンク色が強いヴォーカルになって、お客もわいてくれてたので、喜んでいてくれてると勘違いしてて──やっぱりヤプーズのヴォーカルはこれがいちばん合ってる、と思っていて、きれいな声がもう出なくてもいいや、みたいにも思ってたんですが、ネットで「もはやデスヴォイスしか出なくなった戸川に、未来はない」って、けっこう書かれて、あれっ? なんて思いました。ネットのカキコミなんかで芸風を変えるなんて愚かなことはしませんが、あれから数年、ブランクもあって、声のリハビリをしてるので、わたしの歌手生命の基本に戻ろう! と思い、いまは、デス・ヴォイス(パンキッシュながなり声)はライヴの終盤に持ってって、なるべくきれいな声で歌うようにしてます。
ヤプーズの曲は“肉屋のように”にしても“ヴィールス”にしても“赤い戦車”にしても、曲先で、この曲につりあう歌詞なんて、わたしに書けるだろうか? そして、そんな曲をわたしが歌えるだろうか? と不安になったくらい、ヤプーズの曲や演奏も、エモーショナルなものもたくさんあるんですよ。わたしがどうしても派手に見えるから、ヤプーズがクール、って思われちゃうんじゃないかな。まあ、演奏は、たしかにカッチリしてるかもしれませんね。クールというのとは ちょっと違うとは思いますが。
非常階段さんは、ノイズなのでかなりグチャグチャにするから、パンク色が強いので、闘うどころか、わたしの声はかき消される感じなので、JOJOさんの言うように、非常階段さんといっしょだと、声もノイズなんだなあ、とやっぱり、ここでも思いますね。戦いといえば、火花を散らしながら演ってて、結果成功! というのは、かつてのゲルニカが、むしろそうだったんじゃないかな。

わたしは、流行りを追うとそのあと絶対古くなる、と思ってたから、追わないできたので、いまの若い方々にも聴いてもらえるのかな、と思います。

“好き好き大好き”がカヴァーされたこともそうなのかもしれないですけれど、新しいファンも増えていると思います。以前とは歌詞の受け止められ方が変わってきたと感じますか?

戸川:ぜんぜん変わりましたよ、お客さんもファンの方全体も。若いお客が、ほんとに増えましたね。ありがたいことです。わたしは、流行りを追うとそのあと絶対古くなる、と思ってたから、追わないできたので、いまの若い方々にも聴いてもらえるのかな、と思います。
わたしと同じくらいの歳の方々ばかりだと、青春のメロディとか青春の懐メロみたいなライヴになっちゃうから、若いお客が聴いてくださるのは、ほんとにありがたいことです。もちろんわたしと同じくらいの歳のお客も大事にしなきゃ、とは思ってはいるんですよ。ここまでわたしを育ててくださったのだから。
でもね、昔は酷かったですよ。ファンクラブで、日本戸川党というのがあったのですが、当時わたしは曲に合わせた衣装を一生懸命考えて、巫女さんやランドセルの小学生やトンボのかっこをしてたんですが、戸川党に寄せられるファンレターの多くが、とにかく奇抜な衣装を、と、純ちゃん次は大魔神の扮装やってーとか、もうめちゃくちゃでしたね。曲なんて聴いてくれてないんだなーという感じが、ライヴでもしてましたし。スタッフからしてそうでしたしね。広いキャパでやってたとき、アンコールの“レーダーマン”で、まったくきいてなかったのですが、色とりどりの風船がほんとにたくさん落ちてきて、その広いステージの床を埋めつくしまして、社会派な曲なのに、こんなファンシーな演出して!! と、悔しくて悔しくて、風船を一生懸命割りながら踏んづけて歌いました。それはそれで絵になっちゃったみたいで、でも踏んづけないと、可愛い感じになっちゃうし、手の施しようがなかったんです。まだバック・バンド的扱いになってたヤプーズが、本番前に、舞台監督たちがたくさんの風船を膨らませてるのを見て、純ちゃんには内緒だよ! と楽しそうに口止めしてたそうで、風船が降ってきてステージを埋め尽くすことを、間違いなくわたしが喜ぶ、とニコニコしてたという様子だったそうです。お客はその演出を喜んだにしても、ばっかじゃねーの! と思ったにしても、どっちに転んでも哀しくなりました。他にもたくさんたくさん、いまと違うところはありますよ!
あとは、わたしはいまヤンデレとかマジ基地とか言われることが多いのですが、昔より、ライヴ・パフォーマンス的にまともになったと思うのですけどねえ。歌うことを主体に精進していて、新しい曲はまだ少ないから、昔は興味深いと言われた曲が、いまは病んでると言われてしまったり。でも、大魔神のかっこしてーとかばっかり言われてたときより、いまのお客さんは、ちゃんと曲を聴いてくださってるみたいで、暖かみを感じますね。

不思議少女、というのは皮肉にもわたしの造語なんですよ。80年代前半に書いた本の中に出てきます。苦手な女の子のタイプとして。まさか自分が不思議少女とか不思議ちゃんとか言われるとは、思ってもみませんでした。

戸川さんが自分のことを「不思議ちゃん」ではなく「説明ちゃん」だというのは、自分や自分が考えていることをわかってもらいたいという気持ちから出ていると考えていいでしょうか。

戸川:わかってほしいと思うというより、わたしやわたしの歌の内容は本当にわかりやすいものだ、と思ってるんです。「不思議ちゃんではなく、むしろ説明ちゃんと言われたほうが、人はなるほどーと思う」というか。不思議なところは、ひとつもないんじゃないかな、という自覚から、わたしは自分のことを不思議ちゃんとはどうしても思えないもので。それでもわたしを不思議ちゃん、と呼ぶ人は、わたしとは「不思議ちゃん」の定義が違うのかもしれませんね。そういう人が言う不思議ちゃんて、どういう意味の類いなんだろう。わかりませんねえ。ただ、わたしにも定義するところがあって、自我が肥大してて、でも逆にそれを表に出さず、意味不明な言動で神秘的に見せてる女の子、って感じかなあ。とにかく関わりたくないタイプです。ちなみに、不思議少女、というのは皮肉にもわたしの造語なんですよ。80年代前半に書いた本の中に出てきます。苦手な女の子のタイプとして。まさか自分が不思議少女とか不思議ちゃんとか言われるとは、思ってもみませんでした。

(笑)今回、再レコーディングされた“ヴィールス”の歌詞は、「説明ちゃん」というよりまるで小説のようですが、これは自分を客体視した表現と考えていいでしょうか(「拒否感や嫌悪感を/ひとが私にいだいたとき/驚異的な感度で察知しそれをエネルギーに/吸収して増殖する/人忌み嫌うべき私に巣食うヴィールス」)。

戸川:書いた当時は客体視とは思ってなかったのですが、そういうフシはあるなあ、という感じだったし、わたしの歌詞は、自分にその要素がまるっきりないとどれも書けないので、少なくとも当時は、嫌だけど自分の中にもあった要素で書いたのだと思います。“ヴィールス”は、発表した当時、病んでいて苦しんでいた方々から、励まされた、というお手紙をずいぶんいろいろいただいて、わたしのほうがそれで励ましていただいたという思い出があります。そのお手紙の中のけっこうな数の方々が、“ヴィールス”のように境界例で苦しんでいる、と書いてて、病名があるのかあ、と思いました。

本当に必然性を持って、それがいちばん届く、と思って書いているんですよ。逆に、シュールに感性だけで書くことは、これまで、そしてこれからも、絶対ないです。

戸川さんの歌詞にはそれまで誰も使わなかったような単語がよく出てきますが、これは意識的にやったんでしょうか?

戸川:それでしか表現できない、という必然性を持って書いてると、そういう印象にとられる言葉になるのです。本当に、言葉を選んで、いちばん合う言葉を使っているのです。ペダンチックととられても、もういい、という覚悟でして。たとえば、“諦念プシガンガ”という曲の歌詞に「我一介の肉塊なり」というフレーズがありますが、これが「わたしはただの肉の塊よ」という言葉では、重い覚悟とか、そのいさぎよさとか、いろいろなことが表現できないのです。この歌詞はずっと、難しい言葉の歌詞、と言われてきて、でもいちばん難解なのはタイトルではないであろうか、と書かれたことがあります(笑)。
これも、諦めの念、じゃ長いから諦念、にしたにすぎませんし、プシガンガはアンデスの言葉で、お酒を飲んで歌い踊る、という意味で、わたしの中では、ほんとにただ、まっすぐに必然性を持って、というだけなのです。ちなみに、古語でも、自分でわかっていながら間違いのままの歌詞もあります。“蛹化の女”の、「木の根掘れば蝉の蛹の、いくつも出てきし」の最後は「いくつも出てきぬ」にしたかったのですがそれだと、たぶんいくつも出てこない、と、とるリスナーがいるのでは、と思い、あえて間違った言葉を使いました。“夏は来ぬ”(なつはきぬ)という唱歌をそんなにご存知な世代ではない方々が聴いてくださるのではと思いまして。あとは、字数の問題の場合も、たまにあります。ね? 本当に必然性を持って、それがいちばん届く、と思って書いているんですよ。逆に、シュールに感性だけで書くことは、これまで、そしてこれからも、絶対ないです。でも、そういう歌が歌いたいときは、人様に歌詞を書いてもらうよう、お願いすると思います。

最近だと“ライラック”は人が書いた歌詞でしたよね?

戸川:“ライラック”については、ほんとにラッキーでした! 人様に、書いてとお願いしたわけでなく、先方から歌うオファーが来て、デモもできていて、曲も歌詞も編曲も大好きになり、お引き受けしたのです。そこから、Vampilliaさんとのつながりができました。MVも大好きです。東京や大阪で、ゲストに何度か呼んでいただきました。“ライラック”は、元相対性理論の真部(脩一)さんが作詞作曲で、たぶん編曲もやられてたと思います。違ったらごめんなさい。というのも、ライヴでは スタジオ・レコーディングの「ライラック」や、他のわたしの持ち歌の編曲が、ぜんぜん違うものになり、10人くらいの人数のメンバーで、すごい爆音での生音の編曲にもなるもので。地獄のようだったり、天使のようだったり、というのは、わたしの歌うコーナーに限らず、楽屋のモニターやステージの袖で聴いているわたしの、いちリスナーとしての印象でもあるんですよ。わたしの歌うコーナーは、それに比べむしろメチャ、ポップに聴こえるんじゃないかな? それでも、Vampilliaさん色に塗り替えられてる感じです。すごくうれしいですね。全体的に若いのに、アレンジの力がすごくあるから、今後とも、お付き合いしたいバンドさんです。

“蛹化の女”の「ああ」と、“パンク蛹の女”の「あ~!!」かなあ。

最近、歌っているときに、発音するといちばん気持ちいい歌詞、もしくは単語はなんでしょう?

戸川:最近歌ってていちばん気持ちがいい、というより、感情がいちばん乗っかってるんじゃないかな、と思うのは、“蛹化の女”の「ああ」と、“パンク蛹の女”の「あ~!!」かなあ。前者は、言葉では伝えきれないので むしろ 「ああ」のほうがいさぎよいのかな? 後者は、もうほんとに、自分の中の、感情の渦巻いてるいちばんのところだからかな。両方とも、歌詞ではないのがお恥ずかしいですが(笑)。
あとは、蜷川さんのこともあって、“諦念プシガンガ”が、自分の中で新鮮ですね、こんなに歌ってきてるのに。まあ、曲は生き物ですからね。

最後にタイトルの文字はどうして戸川さんが書くことになったのですか?

戸川:タイトルの文字は、普通に、書いてください、みたいに言われて、非常階段さんとコラボした人はけっこう書く人がいると聞かされてたので、疑問も持たずスンナリ書きました。戸川が草書で、階段が楷書みたいで、邪道ですが!(笑)

リリース情報

非常階段×戸川純『戸川階段ライヴ!』
7月20日発売(テイチク)

*1月にリリースされたスタジオ・アルバム『戸川階段』がフランスでカラー・ヴァイナルでもリリースされることに!

Tower HMV Amazon

ライヴ情報
10/5 札幌KRAPS HALL(ワンマン)
10/14 新宿ロフト(ワンマン)
10/21 福岡BeatStation(ワンマン)
10/27 渋谷 TSUTAYA O-EAST(イベントのゲスト)
11/16 大阪AKASO(ワンマン)

yahyel(ヤイエル)を聴いたか? - ele-king

窓の外まで何かが来ている。
風景を歪め、一変させるような何かが──。


yahyel - Once
ビート

iTunes Apple Music

 ジェイムス・ブレイクを方法的に消化しながら、持ち味ともいえるブルージーな節回しで“日本人離れ”したヴォーカル・スタイルを聴かせるこの強烈な個性は、ぜひポップ・フィールドでこそ鳴り響いてほしい。よくも悪くも天然鎖国状態の国内ポップ・シーンだが、まあそれはそれでいいじゃないかと思いかけていたアタマに、彼らは、しかしポップのスタンダードもまたけっしてここにあるわけでないということを思い出させる。ヤイエル(yahyel)の音楽はわたしたちを我に返らせる。

 ベース・ミュージックやR&Bのワールド・スタンダードとして自然に鳴っているヤイエルは、だから、世界進出したJポップでもなければヨウガクでもなく、そういうストレスフルな国境性を感じさせないところから聴こえてくる力強いオルタナティヴだ。しかも音がいい。欧州ツアーが好評だったようだが、国内のテレビなどで普通に流れたときに空気は一変するだろう。今週末に迫った〈フジロック〉にも出演予定だ。

 それでは最新MVの情報を。この“Once”のマスタリングは、ジェイムス・ブレイクはじめ、エイフェックス・ツインにアルカにブラッド・オレンジにFKAツイッグスなど、まさにオルタナにしてスタンダードな第一級の前線アーティストたちを手掛けるマット・コルトンが担当している。



BADBADNOTGOOD - ele-king

 デビューしてから自主制作のフリー・ダウンロードでアルバムを出していた2011年から12年頃、バッドバッドナットグッドは良くも悪くもヒップホップをジャズでインスト・カヴァーするバンドという印象が強く、それは彼らの音楽性を限定していたように思う。オッド・フューチャー、MFドゥーム、Jディラ、ナズ、ATCQ、カニエ・ウェストなどいろいろカヴァーし、またヒップホップ以外でもジェイムズ・ブレイク、ファイスト、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどの楽曲を取り上げていた。それによって大きな注目を集めるようになったのは事実だし、ジャズを聴かないような若年層のファンも獲得した(ジャズ・ファンよりも、むしろヒップホップやロック・ファンの間での認知が高かった)。ただ、演奏自体はわりと同じアプローチのものが多く(悪く言えば一本調子)、あくまでネタのチョイスと、それとジャズとの取り合わせの意外性で勝負している感じが強かった。ライヴ自体も粗削りで、若いパワーとパンキッシュな初期衝動でとにかくデカい音を出す、そんな感じのバンドだった。

 ところが、〈イノヴェイティヴ・レイジャー〉と契約し、アルバムに向けた楽曲制作を意識するようになった2014年頃から、彼らの演奏や作風にも変化が表われる。まず、作曲そのものを意識するようになり、それによっていままでは即興的なアプローチによるジャム・セッションが多かった彼らの演奏に、コンポジションに基づいて構築する面が現れていった。また、あくまでピアノ・トリオである3人がメインで、サックスやギターがほんの一部でサポートする程度だった演奏が、より多くの楽器をフィーチャーして膨らみを増していった。実際に2014年リリースの『III』では、サックス奏者のレランド・ホイッティが第4のメンバー的な扱いとなり、彼はテナー・サックス、バリトン・サックス、バス・クラリネットのほか、ヴァイオリンも演奏している。ほかにもトランペット、チェロなどがフィーチャーされたこのアルバムは、全てオリジナル曲で構成されていた。管楽器や弦楽器が入ることにより、それらのアレンジが作曲面にも作用し、より空間を意識した繊細で叙情的な作品が増えていった。もともと演奏能力は高かったが、それを生かすコンポジションを得ることによって、彼らの本当の魅力が開花していった。ある意味で、本当のジャズ・バンドっぽく洗練されていったのだ(それまでは、どちらかと言えばヒップホップ・バンドがジャズをやっているようなイメージだった)。

 そして、通算4枚目のアルバム『IV』では、レランド・ホイッティ(サックス、クラリネット、フルート、ヴァイブ、ギター、シンセ)が正式メンバーとなり、マシュー・タヴァレス(ピアノ、エレピ、シンセ、ベース)、チェスター・ハンセン(ベース、ピアノ、エレピ、オルガン)、アレックス・ソウィンスキー(ドラムス、パーカッション、ヴァイブ)の4人へとBBNGは改まった。彼らは『IV』の前にゴーストフェイス・キラーとの共作『サワー・ソウル』(2015年)を制作しているのだが、そこではゴーストフェイス・キラーはじめいろいろなラッパーたちと共演し、インスト・バンドからの脱皮も図っていた。その成果は『IV』にも表われ、ミック・ジェンキンス、サム・ヘリング、シャーロット・デイ・ウィルソンの歌やMCをフィーチャーした作品が収められる。同じカナダのケイトラナダがパーカッションとシンセ演奏でコラボした“ラヴェンダー”もあり、“コンフェッションズ・パート2”ではアーケイド・ファイアやボン・イヴェールの作品やツアー参加で知られるコリン・ステットソンがバリトン・サックスで参加している。

 楽曲は多重録音したものが多く、たとえば“アンド・ザット、トゥー”でリランドはテナー・サックス、ソプラノ・サックス、フルート、クラリネット、バス・クラリネット、ヴァイブ、シンセを演奏する。この楽曲は彼のブラス・アンサンブルがもたらす重厚で荘重な雰囲気が鍵となっており、その編曲はギル・エヴァンスやジョージ・ラッセルの作品のように複雑な表情を与えている。“スピーキング・ジェントリー”も個々の演奏というより作曲や編曲が興味深く、かつてのデヴィッド・アクセルロッドを想起させるようだ。“ストラクチャー・ナンバー4”や“チョンピーズ・パラダイス”もそうだが、一種のライブラリー・サウンドやサントラ的な味わいもあり、彼らがいかに「ムード」を大切にしているかがわかる。“IV”はアップ・テンポのジャズ・ロック系作品で、この手のサウンドが熱かった70年代初期の空気感を孕んでいる。疾走するリズムが途中でスロー・ダウンするなど動と静の切り替えが鮮やかだ。こうした音は昔のレコードなどを聴かない限り体得できないものなので、恐らく彼らもいろいろと聴いて研究しているのだろう。“カシミア”は70年代でいくと、スティーヴ・キューンのブッダ盤や、アルチュール・ヴェロカイのアルバムに通じるところを感じさせる。ジェイムスズーは彼らのこのアルバムからインスピレーションを受け、『フール』に2人をゲストとして招いた。ほかにもフローティング・ポインツなど、キューンやヴェロカイの影響を受けたアーティストはクラブ・シーンには多いが、BBNGについてもそれは言えるのだろう。

Björk Digital - ele-king

 会期が残り一週間を切ってしまったのだが、このタイミングで、改めて未見の方は日本科学未来館で開催中のVR展示プロジェクト「Björk Digital―音楽のVR・18日間の実験」に足を運んでみることをお勧めしたい。タイトルに「18日」とある通り、そもそもこの展示は6月29日から7月18日(月・祝)と会期が極めて短い。それだけにこれは貴重な機会である。

  6月の頭に日本科学未来館の案内があり、気になっていたものの、なんとなく取材を申し込むのを先送りにしてしまっていた展示だった。私事で恐縮だがフリーランスの身の上なので、媒体が先に決まっているものではない、純粋に自分の興味からの取材はどうしても後回しにしてしまいがちなのである。ようやく時間が取れそうだとなったのが、プレス向け展示体験会の3日ほど前。日本科学未来館に問い合わせると、前日28日には「Making of BjörkDigital-公開収録&トーク-」というBjörkが出演するイベントもあるとのこと。Björk本人の質疑に参加できる機会があるなら是非と思ったが、そもそもその時まで、その情報を知らなかったわけで、現実はそんなに甘くない。こちらは担当がDentsu Lab Tokyoだったのだが、丁寧に対応してくれたのものの、キャパシティの限界で取材は叶わなかった。取材が殺到していたようだ。Björkだから仕方ない。
 そういった事情もあり、なんとなく残念な気持ちがあったものの、今回の展示の目玉であるBjörk Digitalの『Vulnicura VR』をいざ体験してみると、力強い感動でそんな残念な気持ちはまったく消え失せてしまった。『Vulnicura(ヴァルニキュラ)』 はBjörkのアルバムで、「VR」はヴァーチャル・リアリティのことだ。

「もしかしたら人類の一つの感覚を変えるかもしれないVRという技術を、非常にエモーショナルな体験をもたらす音楽に取り入れる実験。(VRは)日本ではほとんどゲームコンテンツが中心ですが、音楽にどれだけ可能性があるのか体験して頂くとわかると思います」
 日本科学未来館・展示企画開発課長の中野まほろさんは、今回の展示のVR作品についてそう説明した上で、また今回の展示のVR作品のコンセプトを伝えるBjörkの言葉を混じえて紹介してくれた。
「プロモーションビデオなら四角い画面で1対1、ライヴは同時環境を共有できるが、例えば武道館ではアーティストが小さく豆みたいになって、繋がるという感覚はなかなか得られない。VRはどんな仮想現実環境も作ることができて、インターナルな思いや、あるいは表現したいもの、リスナーと繋がりたいという気持ちを実現できるメディアであるという可能性を(Björkは)感じている。もうひとつ、技術的な話ですが、365度の空間を再現するという意味では、VRは昔のコロッセウムみたいなシアター空間を再現できるメディアだと考えている。そういった新しい表現空間を、現在の世界に新しく創り出すことができる」
 筆者はゲームについてはまったく疎く、いざ展示に触れるまで、前の中野さんの説明であり、ここでのBjörkの言葉にも、その時点で正直まだピンときていなかった。ヴァーチャルリアリティという、いつの間にか聞き覚えのある言葉の語感と、「リスナーと繋がりたい」というBjörkの思いの部分を、頭の中で上手くリンクさせることができずにいたのである。
 いざヘッドセットとヘッドフォンを着用し、『Vulnicura VR』の世界に入り込んだ1曲目、アルバムの1曲目でもある「Stonemilker」(Andrew Thomas Huang監督)。この一瞬で、ぶっ飛んだ。そしてBjörkの言葉や意図を十全に理解することができた。ああ、こういうことだったんだ! という感じである。VRとは「どんな仮想現実環境も作ることができる」というBjörkの言葉通り、視界(というか我が身?)はいきなり360度荒涼としたアイスランドに移される。

  端的に言えば、いわゆるミュージック・ビデオの世界の中に自分が入り込み、視界はすべて仮想現実のその世界になる。唯一目に入る人間は、目の前で、時にこちらを向いて歌いかけてくるBjörkだけである。
 『Vulnicura』は長年の連れ合いとの別れを歌ったアルバムで、内容は非常にパーソナルなものだ。その象徴なのか、荒涼としたアイスランドの風景、足元にはタイガとかツンドラとか、そんな単語を連想させる(本当は何なのかわからない)ひび割れた大地が広がり、Björkが怖いぐらいの美しさで、すぐそこで歌っている。つながりという意味では、本当にBjörkと手を取り合えそうである。

2曲目「Mouthmantrar」を手掛けた監督はJesse Kanda。Jesse Kandaがベネズエラ出身のアレシャンドロ・ゲルシことArcaのハウスメイカーで、長年のコラボレーターだというのは、他ならぬele-kingで知ったことだった。そう言った詳細はここでは触れない。

『Vulnicura』というアルバムの世界観を作っているのが、このArcaだ。Arcaと云えば筆者にはKanye Westの『Yeezus』というイメージが強く、やはりKanye Westの目の付け所に今更ながら感服してしまうのだが、それはさておき、「Mouthmantrar」の世界はBjörkの口の中である。私たちはBjörkの口の中にいる。

  そして、ラストの「Not Get」。これは日本初公開で、ざっと上のように説明したところで返って、興ざめだろうから、世界観の心もとない描写は割愛する。


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 VRの展示に入る前に、CINEMA(VR以外の展示のひとつ。本展のためにキュレーションされたBjörkのミュージックビデオのセレクション。映像音響は本展のためにリマスターされている)を見て、改めてBjörkが提示してきた世界の新しさに目を見開かれた矢先だった。リリースされて何年も経つミュージックビデオを四角いフレームで見てさえ目新しさを感じる、そのBjörkの世界観を描きだした仮想現実世界である。そこに入り込む意味を具体的に想像してみれば、ある程度とんでもないものが出てくるだろうことは予想できるだろう。だが、どんなに予測を立てても、Björkの世界観には追いつかない。

 最後の「Not Get」は2人づつに区切られ、そこで並んでヘッドセットとヘッドフォンを装着する。みんな同時に曲は始まる。つまり、着脱のタイミングがほぼみんな一緒になるわけだが、「Not Get」が終わって装備を外すと、隣の女性記者と目が合い、お互い呆然と「なんか、すごいものを見てしまいましたね」と言い合うほどだった。

  Björkは、今後も『Vulnicura』の他の曲についても、VRの制作をしていくということで、まずはそれらの楽曲の到来が楽しみで仕方がない。
 手塚治虫やブラッドベリが描いた世界が今こうして現実に到来し、VRについて検索していると、すぐ目についたのがプレイステーションVRが今年の10月に日本で発売するというニュースだった(蛇足だが、筆者はこの手のニュースを知るのは超遅い)。これから仮想現実空間は恐らく驚くべき速さで一般的なものになり、やがてそう遠くはない未来に映画館で楽しめるようになるだろう。「Björk Digital―音楽のVR・18日間の実験」で展示しているのは、来るべき世界そのものだ。

https://www.miraikan.jst.go.jp/exhibition/bjorkdigital.html

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