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「日本語ラップ技術史としてのTWIGY自伝」
『フリースタイル・ダンジョン』が人気をはくし、スキルフルなラップがあふれている現在、とくに若いファンにとって、ツイギーとはどういう存在なのだろう。雷、マイクロフォン・ペイジャーの一員として知られていると思うものの、とは言え、ソロ作品にわかりやすい大ヒットやクラシックがあるわけではない。筆者は中学生時代、さんぴんCAMPの直後にヒップホップにハマったクチである。そんな自分からすると、ツイギーはいまも当時も異彩を放ちつづけている。ツイギーを早くから評価していたECDは、ツイギーについての文章を「TWIGYは紛れもなく天才と呼んでいいアーティストの一人である」(アルバム『TWIG』のライナーノーツ。ツイギーについて書かれた最良のテキストだと思う)という一文から書きはじめているが、あふれ出る天才性のままにラップをしている存在として、ツイギーはほとんど唯一無二なのではないかと、筆者も思う。そんなツイギーが『十六小節』という自伝的な語り下ろしエッセイを出した。
ツイギーおよび日本語ラップ・ファンからすると、まずは日本語ラップ黎明期における細かなエピソードが、それだけでおもしろい。自分のような後追い世代にとっては、なおさらである。個人的には、ツイギーがHAZU(現・刃頭)と出会う名古屋時代から、東京に進出してくるあたりのエピソードがいちいちおもしろかった。ツイギーとHAZUによるBEAT KICKSが名古屋のローカルなコンテストで優勝したときの曲が、スペシャル・AKA「ネルソン・マンデラ」のうえでラップをしたものだというのも初めて知った。ツイギーもHAZUも2トーン・スカが好きで、とくにトロージャンズ好きのHAZUは、ギャズ・メイオールのDJにも影響を受けているのだとか。この事実は、いままで抱いていたHAZUに対するイメージと違って印象的なものだった(まあ、同時期のブギ・ダウン・プロダクションズの存在などを考えれば、そんなにおかしいことではないのかもしれないが)。
いろいろな本を読み、いろいろな人の話を聞くと、シーンの最初期におけるジャンル未分化の野蛮なおもしろさを感じることがしばしばある。これは当然と言えば当然で、たとえば、そもそもクラブの数自体が少なかったりすると、周辺ジャンルは必然的に集まってしまうことがある。ツイギーの音源デビューがオーディオ・スポーツ(恩田晃によるユニット。山塚アイや竹村延和が参加している)の曲だったり、あるいは、レス・ザン・TVのコンピ盤にキミドリの曲が収録されていたり、というのは、そういう気分を反映したものに思える(このあたり、山下直樹・浜田淳『LIFE AT SLITS』をぜひ参照してほしい)。そういう、シーンが確立するごとに見えづらくなるジャンル横断的な交通をかいま見られることが、このような自伝的エッセイの楽しみのひとつである。スカ好きという話もあったが、本書で感じるのは、ツイギーが思いのほかレゲエから多大な影響を受けていることだ。たしかにツイギーは、BOY-KENをはじめとするV.I.P. CREWとの交流も厚いし、YOU THE ROCK主宰の伝説的なイヴェント〈ブラック・マンデー〉の様子を記録したカセットテープでは、ツイギーによるかなりラガマフィン調のラップを聴くこともできる。現在から振り返ると、これも黎明期的なジャンル横断の一端に見えるが(思えばヒップホップとレゲエも、ここ10年強くらいで、けっこう分化してしまった気がする)、ここで重要なことは、ツイギーの魅力的なフロウがレゲエ・シーンのなかで育まれていたことである。
筆者は、甲高いツイギーのラップが、変幻自在に倍速になったり、かと思ったらテンポダウンしたことに、大きな衝撃を受けたことをよく覚えている。「こんなラップは聴いたことない!」と。アルバム『SEVEN DIMENSIONS』と『リミキシーズ呼吸法』が出た2000年のときだ。“GO! NIPPON”(『SEVEN DIMENSIONS』)や“今は昔(風雲STORM RIDERS REMIX)”(『リミキシーズ呼吸法』)など、本当にすごいと思った。ツイギー自身も本書で、「斬れる言葉が研ぎ上がったのは、『SEVEN DIMENSIONS』(2000年)だと思う」と言っている。そして、その「斬れる言葉」は、ツイギーによればレゲエによってもたらされている。ツイギーは、「小節に対して倍速で言葉を入れることに気付いて、最初はすごい発見をしたと思ったんだけど、でも、それをレゲエのビートに乗っけてやってみたら結構普通の感じだった」と前置きしつつ、次のように言う。
俺はV.I.P.の現場でBOY-KENやシバヤンだったり、レゲエのみんながやっていたスタイルをRAPに変換したんだ。と、……そう簡単に言ってしまうと俺も自分なりに模索しながらやってきたことがあるから、認めたくない部分もあるんだけどね。それまでレゲエの現場でRAPでラバダブをやると、俺の言葉だけ間延びする感覚がずっとあった。それが俺はすごくイヤだったんだけど、倍速で入れるとそれが解消されることに気付いたんだ。
そうやってレゲエの現場で体で学んだやり方をもってして俺はRAPに戻ってきた。そうしたらビートに対しての、みんなのRAPの乗せ方が俺にはすごく感じたんだ。だからHIPHOPの現場でライヴするとバシっバシっと斬っていく感じがあった。それが試行錯誤の末に、間延びする日本語に対して俺が生み出したやり方だった。
現在のように、本当にゆたかなフロウの数々に囲まれているとつい忘れそうになるが、まだ生まれていないフロウを生み出すことは、本当にたいへんなことである(だからこそ、少なくない人にとって、日本語ラップをめぐる現在の状況がこのうえなく感慨深いのだろう。日に日に新しいラップのモードが出現する!)。ラッパーでない俺なんかが共感することではないかもしれないが、それでも、ツイギーの「小節に対して倍速で言葉を入れることに気付いて、最初はすごい発見をしたと思った」という気持ちは、曲がりなりにもリリックを書こうとしていたひとりとして、とても共感する。DJマスターキーのアルバム『DADDY’S HOUSE vol.1』(2001)のラストには、ツイギーをフィーチャーした“MASTERPLAY”という曲が収録されているのだが、ここで聴くことのできるツイギーのラップは絶品だ。マスターキー自身、当時のインタヴューで「ツイギーの新しいラップが引き出せたと思う」といったようなことを言っていた。遅めのビートに対して速度が自在に変化して、変拍子的にアクセントが入るラップは、リアルタイムで聴いたとき、本当に感動したものだ(「っき!ほんっ中!の基本!っダ!っディー!ズハー!ウス」)。
速度が自在に変化するようなフロウは、サウス系のラップも通過した現在ではほとんど前提の技術になっている感があるが、これはどこから来たものだろう。現在のゆたかなラップをひと括りにするのは困難だし、そこに単一の起源を求めるのもまた無茶なことだが、僕がその気持ちよさを最初に感じたのがツイギーのラップだったのは間違いない。しかも、サンプリング主体のトラックではなく、アブストラクトなトラックのうえで(『リミキシーズ呼吸法』では、カンパニー・フロウのリミックスなども収録されている)。ツイギーは2000年前後の時期について、マイクロフォン・ペイジャーのような「ニューヨーク・スタイルのローファイなループの上でやるのがイヤだという思いがあった」と言いつつ、「メロウなビートの上で、違うリズムでRAPを乗せる、シンコペーションしている」ような、サウス的なスタイルを「研究」していたと振り返っている。こういう個々人の「K.U.F.U」(ライムスター)の蓄積が、新時代の表現を生むのだろう。そういう意味で、現在のラップの底流には、2000年前後にツイギーが追求した方法論が存在していると感じる。そして、さらにその奥底には、V.I.P. CREWの水脈がある。先のECDは、「日本語でラップをするという試行錯誤の一つの到達点がTWGYのラップなのだ」と書いている。
伝説的なイヴェントである、さんぴんCAMPから20年。現在、『フリースタイル・ダンジョン』をはじめ、スキルフルなラップは多くの人の心をつかんでいる。サウスの影響も色濃い現在の日本語ラップのシーンと、東海岸的なサウンドが色濃かったいわゆる「さんぴん世代」的な日本語ラップのシーン。そのあいだを方法論的につないでいたのは、さんぴんCAMPのさなかにジャマイカ(レゲエ!)に行っていたツイギーだったのではないか。2000年前後にツイギーに夢中になっていた筆者は、本書を読みながら、そんなことを思った(異論歓迎である)。
矢野利裕