再発見され続ける音楽 松村正人
1972年、昭和でいえば47年、沖縄は本土に復帰したが、いまのような夏のリゾートのイメージに結びつくのはまだ先のことである。沖縄より先に本土に復帰した奄美は、72年生まれの私が子どもだった70年代後半までは、最南端のリゾート地としてそれなりににぎわっていて、夏ともなると毎日、建ったばかりの近所の白亜のホテルから──レンタカーなんてなかったから──自転車でくりだしてくる新婚さんたちに私が目を細めたのは、太陽のまぶしさのせいばかりではなかった。子どもだった私にとって彼らは大人であるとともに都会的であった。そこには時間と距離という乗り越えがたい壁があって、私はいつか私が恋や愛や性や分別を弁えた大人になるだろうとはうすうす勘づいていたが、海を渡り、この閉域の外へ、都市生活者となった自分を想像することはできなかった。しばらくしてそんなことを考えなくなったのは、観光客を海外や沖縄に奪われたから、というのも詮ないが、山下達郎が前々作『MOONGLOW』収録の初のタイアップ曲でありJALの沖縄キャンペーン・ソングだった“愛を描いて─LET'S KISS THE SUN─”を出した79年には80年代がフライングしていて、30年前の 1983年、『MELODIES 』の2曲目、ANAの沖縄キャンペーン・ソングでもあった“高気圧ガール”が先行シングルとしてリリースされたとき、だからシマはすっかり鄙びていた。
それなのに、この曲が頭から離れなかったのは、楽曲の解放感もさることながら「擬人法的なラヴソング」と山下達郎みずからライナーで注解する通り、高気圧という気象用語を人称につなぎ、語彙の飛躍が海を隔てた場所と場所をむすぶイメージの飛距離となるからだ。イメージの跳躍は海を渡る。それはすぐれて広告的だが、欲望を誘うのではなく情動を解放する。目の前に開ける光景はコバルトブルーと真砂の白に塗りこめられ、風景のなかで匿名ゆえの存在感できわだつ女性というよりも記号としての女性をとらえるが、同時にそれは天気予報に使用する衛星写真のようなカメラアイのようなメタフィジカルな高度もそなえている。
時代は消費に舵をきっていた。しかしながら、山下達郎は80年のシングル“ライド・オン・タイム”でようやくブレイクしてからというもの、「夏だ、海だ、タツローだ」なるコピーに開放感を感じるとともに、風俗的発散の道具として消費される不安も抱いていた、と自筆ライナーにある。折しも彼は〈RCA〉を離れ、7枚目のアルバム『MELODIES』はその第一弾として〈MOON〉からリリースした。そのためここではビジネスマンでありプロデューサーでありシンガーでありソングライターである者の、音楽がポップとして求められるかぎりの葛藤がうずいていたはずだが、それを取らせないこともまた、ポップのポップたるゆえんである。もちろんおくびにもださないのではない。趣味志向思想信条は音となり、『MELODIES』の場合、言葉にもなった。本作で山下達郎は長年吉田美奈子が重要な役割を担ってきた歌詞をみずから書くことになる。自分の言葉で歌を作ることは、この先音楽を続けていく上で、とても重要なことに思えました、とこれもライナーに書いている。複数の職業作家のプロフェッショナリズムの集積で曲を作る体制からの脱却は賭けに近い試みだったかもしれないが、職業作家の作家性がスキルを担保し、保険として働くのにくらべ、作家性はもとより私性である。それは職能におさまりきらない個を晒すことであり、アマチュアリズムを内に抱えるものだ。いいすぎだろうか? そんなことはないですよね。それは初心であり終心(という言葉はないけれども)だと私は思う。
30歳になった山下達郎は、前作『FOR YOU』で体制を整えたコンボを支えに、リスナーへの配慮を欠くことなく、そこを突き詰める。16ビート基調のクロス・オーヴァーよりの演奏から、宅録に近い自演も含め、曲想は多様になり、作品に奥行きがうまれた。単なる奥行きであれば一望できなくもないが、ここには翳りがある。シカゴ・ソウルのタイトなリズムとゴージャスなホーンがあり、ブライアン・ウィルソンのカヴァーがある。メランコリックなムードがあり、これまでの路線を継承したバイオニックなファンク“メリー・ゴー・ラウンド”があるが、そこにはシュガー・ベイブのころから変わらぬ愛情を注ぐブラッドベリのやわらかく乾いた詩情が降り注いでいる。メロディーはそれらの言葉を載せるヴィークルであり、旋律に乗った言葉は歌となり、私性と時制を離れ、幾度も回帰する。ときにシティ・ポップの元祖として、あるいは“BOMBER”がディスコ・ヒットしたように、クラブミュージックに対応可能なグルーヴ・ミュージックとして。そのたびに私たちは山下達郎を再認識するのだが、つねに新しさとともにあった。50年代、60、70年代の職人の手になる佳曲は山のようにあるが、山下達郎はそれらを援用はしてもそれが目的ではない(モチベーションにはなるかもしれない)。音楽は再生される音のなかにあるから、聴き直すたびに発見することも多々。シティ・ポップなる恣意的な括りで例証されるのはその一面にすぎない。もちろんそこから多面を見いだすこともあるだろう。つまり閉じていないのだ。余談になるが、いまではシュガー・ベイブのやりそうな曲をやるのがコンセプトのあっぷるぱいなるバンドもあるそうである。これは私が先日、ウルトラデーモン以後のトレンドと風俗をふまえ、脳内で結成したポストロック・バンド、シー&パンケイクに勝るとも劣らない秀逸なネーミングである。
『MELODIES』の掉尾を飾る“クリスマス・イブ”は畢竟の名曲だが、私はこの曲を日本語でいまさら説明する必要は感じない。ひとつだけ。この曲をふたたび、今度はテレビで聴いたのは90年前後、バブルまっただ中だった。音楽で国民的なコンセンサスが成り立つ最後の時代だった、かもしれない。私はシマを出て都市生活者の仲間入りをしていた、思い出深い曲なのである。
松村正人
[[SplitPage]]Tatsuro As Rare Groove, Tatsuro As Culture Crash 野田 努
池袋には、どこかくすんだ空気が漂っているように感じる。バブルの頃は高価な“文化”で賑わったものだが、いまやその跡形はほとんどない。池袋にはヒップホップの拠点として知られるベッドというクラブがある。池袋は山下達郎が生まれ育ったところでもある。歩いてみよう。頭のなかでは空しさをなだめるように“ウインディ・レイディ”が鳴っている。
1. ネット普及後の世界においては、かつて世界中のコレクターが探したアメリカのレアグルーヴはアーカイヴ化されているが、未整理な領域のひとつに70年代後半~80年代前半の日本がある。ジャズ・ファンクのコレクターが探しているのは、山下達郎、細野春臣、吉田美奈子、大貫妙子、鈴木茂などなど。彼らのメロウでグルーヴィーなダンス・ミュージックだ。
2. 90年代の日本では、70年代のマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、スティーヴィ・ワンダーないしはハービー・ハンコックなどの再発盤がレコード店の棚に並んだとき、山下達郎は再発見されている。周知のように、山下達郎自身がDJカルチャー顔負けの超マニアックなリスナーなのだが。
東京在住のフランス人DJ、Alix-kunに訊いてみる。彼は日本のジャズ・ファンクを集めているコレクターのひとりだ。日本全国のレコード店を訪ねながら70年代後半~80年代初頭の山下達郎や細野春臣、吉田美奈子や大貫妙子といった人たちの作品を蒐集している彼は、DJとしては主にデトロイト・テクノやディープ・ハウスをプレイしているだが、“いつも通り”もDJミックスする。彼はハウスに痺れるのと同じように山下達郎のグルーヴに痺れている、ある意味では。今年再発された『PACIFIC』(いわゆる和モノレアグルーヴの定番)はマストだし、“あまく危険な香り”はキラーチューンだ。が、別の意味では、これらアメリカの影響下で生まれた日本の音楽に独自な個性を感じている。そしてそこには、エキゾティック・ジャパンに想定されることのない領域が広がっている。
たとえば(個人的に大好きな)『オン・ザ・ストリート・コーナー・2』のB面には“ユー・メイク・ミー・フィール・ブランド・ニュー”が収録されている。スタイリスティックスのあんな美しいソウルをアカペラでカヴァーするという試みそれ自体がひとつの文化的実験だ。影響を自分の血肉としながら、しかしオリジナルとはまたひと味違った滑らかな光沢を感じる。躊躇することなくアメリカに飛び込んでいったところは、寺田創一、富家哲、テイトウワなどなど、日本の初期のハウス・シーンのプロデューサーとも重なる(テクノはヨーロッパ志向)。
エレキングの読者においても、ここ2~3年でたとえば鴨田潤がファンクラブに入会するほど心酔、レイヴ・カルチャーにどっぷりだったラヴ・ミー・テンダーが敬意を表すなど、山下達郎再評価が高まっていることは記憶に新しい。文化的アンビヴァレンス──長いあいだ日本のロック/ポップスは欧米の物真似だと言われてきたが、エキゾティック・ジャパンが我々を救ってくれるわけでもない──を払いのけて、サウンドを追い求めるDJカルチャーだけの話ならわかりやすいが、00年代以降の日本のクラブ/インディ・シーンで活動してきた人たちが山下達郎をいま支持している現象はこれまた興味深い。さらに、山下達郎はディストピアとしての都会を主題にしたパンク前夜からニューウェイヴの時代にかけて名作を出しているので、最近はどちらかと言えばパンク/ニューウェイヴの側にいた人間(たとえば僕や松村のことだが)にさえも求心力を持ちはじめているという事実は、一考の価値がある。
もっとも、ドリーミーな音楽がポップのモードとなり、とくにR&Bが若い世代に好まれている現代では、それは当然の成り行きだとも言える。『ノー・ワールド』の後に『サーカス・タウン』を聴いても根幹のフィーリングに近しいところがあるからだろう、それほどの違和感はない。トロ・イ・モワの後に『スペイシー』を聴いたら前者が貧弱に思えるかもしれない……のように、一連の達郎再評価現象には批評と問題提起も内包されている。自閉的なJ-POPへの反論もあるだろう。価値の多様化にともなうシーンの細分化や素人の氾濫という名のポストモダン「アーティスト」への異論もあるかもしれない。あるいは、下北のインディ・キッズがAORをディグりはじめたこのご時世だ、純粋にアーバン・ポップ・ミュージックへの探求心に火が付いたのかもしれない。フィラデルフィア・ソウルとビーチ・ボーイズとの奇跡的な出会いにただただ感動したのかもしれない。そもそもフィリー・サウンドはディスコの青写真であり、すなわちハウスの重要な起源のひとつでもある。そう考えれば、(((さらうんど)))のバックボーンと必ずしも遠いわけではない。そしてAlix-kunは「“いつも通り”こそシティ・ポップの誕生」だと主張し、来日したエヂ・モッタ(ブラジリアンAORの巨匠)はブルーノートで“ウインディ・レイディ”をカヴァーする。
1983年、彼自身のレーベル〈MOON〉の第一弾としてリリースされた『MELODIES』は、周知のようにシュガー・ベイブのアルバムや最初の2枚(『FOR YOU』を入れて3枚?)と並んで山下達郎のクラシックな1枚として有名だ。発売から30周年を記念してリマスターされた本作には、“悲しみのJODY”のインストゥルメンタル、“高気圧ガール”のロング・ヴァージョン、“BLUE MIDNIGHT”や“クリスマス・イブ”のミックス違いなどレア・トラックが5曲収録されている。テナー・サックス以外のパートすべてを自分で演奏している多重録音の“JODY”(圧倒的なファルセットのヴォーカリゼーション)は後に英語でも歌われている。
前作までは夏や南国のイメージでヒットを飛ばしている山下達郎だが、『MELODIES』は、本人がライナーで書いているように内省的な曲が多く、『サーカス・タウン』や『スペイシー』と同様に、都会の夜の切ない空気が詰まっている。コーラスとパーカッションの“高気圧ガール”やファンキーな“メリー・ゴー・ラウンド”をのぞけば、おおよそメランコリックな響きが耳にこびりつく。個人的には“夜翔”や“BLUE MIDNIGHT”を好んでいるのだが、Alix-kunは「やっぱ“メリー・ゴー・ラウンド”だ」と言う。これぞDJ目線。山下達郎のトレードマークとも言える陶酔的なグルーヴがたまらないのだろう、などと言うと「でなければ“ひととき”だね」と言う。
このように、こと『MELODIES』は聴き手によって好きな曲がばらけている作品なのではないだろうか(『サーカス・タウン』ならほぼ満場一致で“ウインディ・レイディ”でしょう?)。アルバムにはブライアン・ウィルソンの超レア・シングルのカヴァーという、マニアックなリスナーとして知られるこの人らしい“GUESS I'M DUMB”なる曲も収録されている。
アメリカの影響下で生まれたポップにおける日本らしさはメロディにあると外国の人はたびたび指摘する。「日本語は、外国人の耳では音として柔らかい」とフランス人のAlix-kunも言うが、日本語の歌は子音で止まることがないので、滑らかに聴こえるのだ。
とはいえ、江利チエミや雪村いづみが少女歌手としてジャズを歌ったとき、彼女たちの歌は「英語発音の祖国を喪失したあやしげな日本語」だと知識人から批判されている。同時代の歌手として知られる美空ひばりが農村や老年までの幅広い層に受け入れられたのに対して、江利チエミや雪村いづみのファンは主に都会で暮らす若者に限られていた(*)。今日の日本のアーバン・ミュージックは、この頃、つまり戦後「祖国を喪失したあやしげな日本語」を彼女たちが歌いはじめたときに端を発しているのだろう。そして、それがいつの間にか大衆音楽の本流となっているわけである。日本語で歌われる“JODY”と英語ヴァージョンとの境界線は素晴らしく揺れている。
山下達郎の音楽はマニア受けもしているが、マニアにしかわからない音楽ではない。むしろ彼は意識的にマニアの壁を突破してきている。彼には職業作家としての自覚があるが、それは大衆に迎することを意味しない。『MELODIES』と同時発売されたリマスター盤『SEASON'S GREETINGS』はアカペラのクリスマス・ソング集、こちらは20周年記念盤だそうで、ちなみに今年はプリンスの『ラヴ・セクシー』から25周年。若い世代がR&Bで盛り上がっているのは「いま」。清志郎は南部だったが達郎は北部。初のリマスタリングCD化、聴いていない人はこの機会を逃さないように。これは日本で生まれた永遠の都会情緒、アーバン・ソウル・クラシックである。
(*)加太こうじ・佃実夫編集『流行歌の秘密』(1970年)
野田 努




