IORI - NEXUSBITTA |
太陽と海、そして米軍基地を内包し、本土とは異なる独自の歴史と文化が広がる沖縄は、その昔から独自のディスコ・カルチャーが育まれてきた地としても知られている。それは沖縄を代表するDJ、クリエイターであるTAKUJI a.k.a. GEETEKが作品で展開している「沖縄のバレアリック・フィール」と評される独特な折衷性からも意識させられることではあるし、DJ HIKARUやFRAN-KEYといったDJが移住したことで近年の沖縄シーンそのものもますますユニークなものになっているように感じられる。
そんな2000年代後半の沖縄から、イギリスやドイツ発の作品リリースを通じて、急速にその名前が知られるようになったのがIORIだ。テクノやダブ、アンビエント、ドローンを溶かし込んだディープでストイックなトラックを繊細なタッチで空間的に鳴らすその作風は〈フューチャー・テラー〉を率いるDJ NOBUを虜にし、そのデビュー・アルバム『ネクサス』は彼が新たに立ち上げたレーベル、〈ビッタ〉の第1弾としてリリースされたばかり。そして、というか、やはりというか、沖縄の深海を思わせる音楽世界のさらに奥底には、彼がたどってきた驚くべき音楽遍歴が隠されていたのだった。
ニューヨーク滞在中に「ここで得たものを持ち帰って、沖縄でやりたい」っていう気持ちが芽生えて、帰国してからいままでずっと沖縄なんです。DJとしては、渡米前から火の玉ホールの第4火曜日に当時の沖縄で唯一のディープ・ハウス・パーティを8年間続けて......。
■個人的に、IORIくんのことを知ったのは2008年にロンドンのサイト、ディープフリークエンシーではじまった不定期オンエアの番組「イオリ・ギャラクシー」がきっかけだったりするんですけど、最初はロンドン在住の方だと思っていたんです。
IORI:ははは。沖縄在住なんですけどね。でも、ロンドンやニューヨークとの絡みもあったりするから、わかりにくいといえば、わかりにくいですよね(笑)。
■そのあたりのことを整理しつつ、お話をうかがいたいんですけど、沖縄に生まれ育ってたIORIくんがDJをはじめたのは2000年なんですね?
IORI:そうです。高校1年生のとき、那覇の国際通りにとある女の人がやってるアクセサリー・ショップがあって、学校帰りに友だちと買い物がてらたむろすようになって。そのお店にはターンテーブルやレコードが置いてあって、いつも面白い音楽がかかっていたので、その女の人といろいろ話すようになって、ハウスからアシュラみたいなジャーマン・ロックまで色々教えてもらったり、連れていってもらったパーティでいろんな沖縄のDJを紹介してもらったんです。
■16歳で? それはかなりの早熟ですねー。
IORI:それで、雑誌『リミックス』の別冊で、ラリー(・レヴァン)が表紙の『ハウス・レジェンド』を貸してもらって、そのディスク・ガイドを参考に、レコードを集めるようになったんです。あと、僕には10歳上の姉がいるんですけど、音楽好きで、DJと付き合ったりしていたので、家にミックステープがたくさんあって、ヒップホップにハウスが混ざってるやつとか、フランキー・ナックルズのDJミックスとか、そういうテープから受けた影響も大きかったですし、そういう音楽体験があったからこそ、最初から特定のジャンルに限定せず音楽を聴くことができたんです。
■当時の沖縄のクラブ・シーンはどういう状況だったんですか?
IORI:当時、那覇のクラブといったら、アンダーグラウンドな曲がかかる火の玉ホールがメインで、自分もよく遊びに行ってたので、レコード買ったり、遊んでいるのも知ってた店のオーナーから「学校を卒業したら、DJやれば?」って。だから、2000年、19歳の時に火の玉ホールで初めてDJをやらせてもらったんです。でも、沖縄って、地域によって色が違うんですね。那覇と、そこからちょっと上にいった沖縄市コザでも音楽性が違うし、92年に来沖したフランソワ(・ケヴォーキアン)とラリーの「ハーモニー・ツアー」もパーティをやったのもコザだったんですね。
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本格的にやりはじめたのはここ3年くらいですよ。それ以前、20歳くらいの頃にMPC2000とシンセを買って、MPCで作ったビートにシンセを被せたチープなハウス・トラックを作ってみたこともあるんですけど、機材の使い方が難しくて、のめり込めなかったんですね。
■そして、2000年にDJをはじめて、その3年後に早くもニューヨークへ渡ったんですよね。
IORI:そうですね。まず、17歳の時にデヴィッド(・マンキューソ)が初めて沖縄でプレイしたんですけど、そのパーティへ遊びに行ったら、自分が聴いてるレコードの音が格段に違う鳴りだったことに最初の1曲めからぶっ飛んだというか、それ以前の夜遊びでは味わったことのない、ものすごい衝撃を受けたんです。で、その2年後にまたデヴィッドが来たとき、そのパーティをスタッフとして手伝っていたので、いっしょにご飯を食べたとき、「ニューヨークに行きたいんです」って話をしたら、「いつでもおいで」って。だから、その翌年、まずは旅行でニューヨークに行ったんですけど、行く前に当時彼のマネージャーだったタケシさんっていう日本人を通じてメールで連絡したら、スムーズに2週間泊めてくれたんです。で、その翌年の2003年に今度は向こうの大学に行く勢いで、長期滞在するためにニューヨークへ行ったんですけど、その時、「家が見つかるまで泊まっていいよ」っていう話から「部屋が空いてるから、ここに住めばいいんじゃない?」ってことになったんです。
■そうやって気軽に出かけていくIORIくんの行動力もスゴいですけど、IORIくんを「住んでいいよ」って気軽に受け入れるデヴィッドも懐の広さもまたなんともはや。そして、もちろん、彼といっしょに生活しながら、色んなことを教えてもらった、と。
IORI:そうですね。もちろん、音楽が好きで来たことはデヴィッドも知っていたので、彼がパーティをやるときに手伝うようになったり、いっしょに生活するなかで、いろんな部分で影響されましたよね。ただ、彼は自分の家に機材を全部置いているわけでもなければ、僕が彼といっしょに住むまで、オーディオもつながれていなかったし、普段は一日じゅうラジオを聴きながら、パソコンで世界中の人とやりとりをしている人でした。そんななか、特に印象に残っているのは、レコードのコンディションに対する神経質なくらいの気の使い方であったり、サウンドシステムに対するきめ細かさ。僕は彼と同じレコード、同じサウンドシステムを扱っているわけではないんですけど、彼から学んだそうした心構えで、自分なりに音楽と接しているつもりです。
■デヴィッドのレコードの扱い方というのは?
IORI:そんなに手入れはしてないんですよ。ただ、彼はすごいレコード針を使っているので、レコードのスクラッチ・ノイズを異常に嫌っていて、ちょっとでもスクラッチ・ノイズがあったらダメって感じなんですよ。だから、盤面には絶対に指紋をつけないというところからはじまって、レコードのインナースリーヴをすぐに取り出せる状態にはせず、ほこりが入らないようにしておくとか。彼にならって、僕もそうしていますし、彼からレコードを教えてもらったことはないんですけど、レコード棚を端から端まで見させてもらったり、彼はパーティでかけるレコードのだいたいの順番をあらかじめ決めるので、その曲順を書いた紙を「はい」って渡されて、僕がレコードをその順番に並べて箱に詰めたり。
■でも、ニューヨークでのロフト体験やデヴィッドとの共同生活もありつつ、そのまま滞在せず、1年後には沖縄に帰られたんですよね?
IORI:そうなんですよ。ニューヨーク滞在中に「ここで得たものを持ち帰って、沖縄でやりたい」っていう気持ちが芽生えて、帰国してからいままでずっと沖縄なんです。DJとしては、渡米前から火の玉ホールの第4火曜日に当時の沖縄で唯一のディープ・ハウス・パーティを8年間続けて、平日でもコンスタントに5、60人入るような状況だったんですけど、火の玉ホールの移転を機にそのパーティも終わって。2008年から「ギャラクシー」っていうパーティをはじめて、今は桜坂にある"g"っていう小さいバーでやってるんですけど、そのパーティも今年で4年目になるのかな。
■そして、2008年にロンドンのサイト、ディープフリークエンシーでそのパーティ名とも通ずる「イオリ・ギャラクシー」というネット・ラジオをはじめることになるわけですけど、沖縄にいながらにして、どういう経緯で番組を持つことになったんですか?
IORI:ニューヨークのロフトのパーティで知り合ったフランス人がロンドンに住んでいて、彼を訪ねてロンドンへ遊びに行ったんですよ。
■あ、こないだ来日したDJのセドリック・ウーですか?
IORI:そうそう。その時、すでにセドリックもディープフリークエンシーで自分の枠を持っていて、ロンドン滞在中にゲストでDJさせてもらったんですよ。そうしたら、サイトのスタッフが気に入ってくれて、その翌月からレギュラーでやることになったんです。それまでオンライン・ラジオがどんなものなのかも知らなければ、もちろん、やったこともなくて、そのサイトも日本に帰って初めて見たっていうくらいだったんですけど、2時間の番組用の音源データを送って、最初の2年は月イチ、今は不定期でやってますね。
■セドリックは要するにデヴィッドがロフトでパーティする時のスタッフというか、ロンドンのロフト・ファミリーですよね。
IORI:そう。ディープフリークエンシーをやってる同じフランス人のギヨームもロフト・クルーですし、同じくロフト・ファミリーでいまはイギリスに住んでるDJコスモもディープフリークエンシーで番組を持ってるんです。
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晴れてる日は外へ遊びに行きたくなって曲作りはできないんですよね。だから、雨や曇りの日なんかにこういうトラックのムードを自分のなかで作り出して、そこに没入しながら作ることが多かったですし、最初のコンセプトとして、作る音楽にあまり沖縄的なものを入れたくないとも思っていました。
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■なるほど。世界がつながるロフト・コネクションがあるんですね。ちなみにIORIくんが音楽制作をはじめたのはいつからなんですか?
IORI:実は遅くて、本格的にやりはじめたのはここ3年くらいですよ。それ以前、20歳くらいの頃にMPC2000とシンセを買って、MPCで作ったビートにシンセを被せたチープなハウス・トラックを作ってみたこともあるんですけど、機材の使い方が難しくて、のめり込めなかったんですね。で、2008年にAbleton Liveっていうソフトを買って、そこからようやくですね。
■でも、最初のシングル「ギャラクシーEP」がリリースされたのが2009年ですよね。作りはじめて1年くらいで作品リリース。しかもレーベルは、イギリスのレコード・ショップ、フォニカ主宰の〈フォニカ・ホワイト〉からっていうのも、これまたびっくりするような話ですよね。
IORI:そうなんですよ。音楽を作りはじめて、「これいいんじゃないか」って初めて思った曲をマイスペースにアップしたら、フォニカのスタッフがそれを聴いてくれてリリースにいたったという。で、その後の(ドイツのレーベル)〈プロローグ〉からのリリースもマイスペースがきっかけなんです。〈プロローグ〉もフォニカが出したいと言ってくれた曲をいいって言ってくれたんですけど、「もうフォニカからのリリースが決まってる」って答えたら、「じゃあ、デモ送って」って。
■5月にリリースされたIORIくんのファースト・アルバム『ネクサス』に収録されている"ギャラクシー"の完成度の高さを思えば、そのエピソードも納得できるんですが、まさかマイスペースがきっかけとは驚きました。でも、お話をうかがってきたように、IORIくんのルーツはハウスやディスコ、ロフトだったりするはずなのに、その後のシングルやそれらトラックを収録した『ネクサス』を聴くと、テクノだったり、ドローン、アンビエントだったりするところが頭のなかでぱっとは結びつかないんですが。
IORI:でも、実はそういう音楽も昔から聴いていたんですよ。例えば、ベーシック・チャンネルだったり、アンビエントやマニエル・ゲッチングみたいなものまで、そういう陶酔して聴ける音楽も昔から大好きでしたし、ちょうど、"ギャラクシー"を作りはじめる前の2008年くらいから、テクノっておもしろいなって思うようになって、ベルグハインの存在を知ったのもその時期だし、自分が好きで買ってたレコードをチャートに挙げていたNOBUさんに気持ちが近づいていったのも全部同じ時期なんですよね。そして、「ギャラクシー」ってパーティにしてもいままでのソウルフルな部分ではなく、ストイックなテクノを主体とした内容を考えてはじめましたし、制作する音楽も自然とそういうものになっていって。
■NOBUくんと実際に会ったのは?
IORI:沖縄のビー・グリーという箱と光さんがNOBUさんを招いてパーティをしたときなので、2年くらい前ですね。それ以前にも違う人が呼んで沖縄に来てるんですけど、その時のNOBUさんはまったく違うスタイルでディスコとかかけていたし、面識もなかったんですけど、2年前にいっしょにDJをやったり、話したりして意気投合して、去年、千葉のフューチャー・テラーにも呼んでもらったんですけど、フューチャー・テラーは......最高でしたね(笑)。うん、ひとつの遊びとして、ホントおもしろかった。僕はつねにおもしろい方向に向かっていきたいですから、自分のなかにはぜんぜん壁がないし、そういう壁を取っ払っていくのが僕たちの役目の一部でもあると思うので、そこは意識もしつつ、自然にやっていることだったりもしつつ。
■そして、この3年でリリースしたのが17曲のオリジナルと2曲のリミックス。非常にハイペースで音楽制作に取り組まれていて、『ネクサス』はそのうちの7曲とオリジナル3曲をまとめた作品集になっています。
IORI:音楽制作は正解がない世界なので、いまも模索中というか、道のりは深いというか長いというか。そのなかでもがきながら作ったものを発表している感じですね。
■沖縄という土地が音楽制作に与えている影響はご自分でどう思われます?
IORI:沖縄での音楽制作はいちばんフラットな気持ちで向かうことができるのかなって。それから沖縄での遊びは都会のそれとは全然違うので、ハングリーな気持ちも生まれるんだと思いますし、同時に沖縄ならではのレイドバック感もあるし。
■これは個人の短絡的な意見ですけど、開放的な沖縄の環境を考えると、IORIくんのストイックでディープなトラックは異質なもののように感じるんですね。
IORI:それ、よく言われます(笑)。さすがに晴れてる日は外へ遊びに行きたくなって曲作りはできないんですよね。だから、雨や曇りの日なんかにこういうトラックのムードを自分のなかで作り出して、そこに没入しながら作ることが多かったですし、最初のコンセプトとして、作る音楽にあまり沖縄的なものを入れたくないとも思っていました。でも、そうかと思えば、まだ発表してない曲のなかにゆるいものもたくさんありますし、太陽があう曲もあったりして。
■それは聴いてみたいですね。
IORI:じつは、この『ネクサス』の沖縄っぽくないジャケット写真には秘密があって、これは曇りの日にモノクロで木の表面を表と裏から撮ったものなんですけど、その木というのはCDのトレイ下にレイアウトしてあるヤシの木なんですよ。音楽それ自体には沖縄っぽさを入れなくないとは思っていたんですけど、このアルバムは南からの一発っていうことでもあるので、こういうアート・ワークにしたんです。でも、実は今年、沖縄を出て、ベルリンに行こうと思っているんです。これまで作品をリリースしてきたのも全部ヨーロッパのレーベルですし、ここから先のさらなる挑戦をベルリンの地でしてみたいなって。
■最後に余談になりますけど、IORIって名前はぱっと見て、性別がわからないじゃないですか。ディープフリークエンシーでIORIくんのことを知った自分は、「もしかすると、IORIっていうのは、イギリス人が使ってる日本語の名前なのかな」って思ったんですよ。で、そういえば、IORIって漢字で書くと「家」とか「小屋」を意味する「庵」じゃないですか。だから、もしかすると、これ、「ハウス」って意味なのかなとへんに深読みしてみたりして(笑)。
IORI:ははは。それは完全な深読みでしたね。あ、でも、あるとき、デヴィッドと話してて、「漢字って意味があるんだろ? お前の名前はどういう意味なんだ? 」って訊かれて、「ハウスだよ」って答えて、その場が盛り上がったなんてこともありましたね。僕の漢字は「伊織」なんですが(笑)。


























