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ホット・チップも〈もしもし〉からデビューして8年が経つ。ザ・ビートルズであれば、とっくにコンサートはやらず、おまけの最後っ屁『レット・イット・ビー』を発表して解散裁判を開始している時期だ。
サウンドと歌詞の相互作用というよりむしろ、歌詞の変化こそがこの端正に整理されたサウンドを求めたのだと言ってしまえるかもしれない。どうやら、この変化を指摘している日本語のレヴューはないようだ。
アルバムを通してホット・チップが高らかに歌い上げているのは「プリーズ・プリーズ・ユー(お願いだから君を喜ばさせてくれ)」だ。リスナーへの応援歌。しかも、非常に啓発的で、啓蒙主義の性格が強い。
もしくはUK的クラブ・ポップの進化論とねじくれた政治性のアクロバット、と同時に、UKガラージを横目に見ながら玄関先でお出かけ前の夫婦のチューをかまし、中産階級的前向きさであたりいち面のシニシズムにラヴラヴ度を見せつけたポエム型啓発本である。
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ホット・チップも〈もしもし〉から『Coming On Strong』(「強引な振る舞い」の意)でデビューして8年が経つ。ザ・ビートルズであれば、とっくにコンサートはやらず、おまけの最後っ屁『レット・イット・ビー』を発表して解散裁判を開始している時期だが、幸いなことにホット・チップはいまだに世界をツアーで巡るし、ゆりかごから墓場まで―赤子から老人まで全人類/一生涯対応の、これ以上ないほど完成されたポップ・ソングを作り続け、5枚目のアルバムを発表したばかりだ。
相変わらずの80年代のスムースなアップデート・サウンドとはいえ、モチーフはシンセ・ポップよりはむしろファンクやR&Bの影響が色濃くなっており、非常にスウィートなアルバムになっている。シングルカット曲"Night And Day"がプリンスの"All Day All Night"のオマージュであることはタイトルと節の引用(「make me feel alright」)とセクシャルな歌詞からも明らかだし、"Look At Where We Are"のサウンドは完全に(ホット・チップのTシャツではエナジードームを被せられている)R・ケリーだ。よく比較されていたニュー・オーダーの面影はだいぶ薄くなっている。"Now There Is Nothing"のテンポチェンジは決してビートルズほどナチュラルではないが、メロディはさながらエミット・ローズというかポール・マッカートニー以上にポール・マッカートニーに聴こえるほどで、影響といった枠から遂に抜け出し、完全にいまのポールを超えたのではないかと思う。
2010年の前作『ワン・ライフ・スタンド』に対して、ファンからは賛否両論の声が上がっていた。クラブで安易に踊らせまいとするような批評的な態度のリズムを鳴らしてきたホット・チップ。彼らの変化球的なクラブ/ダンス・ミュージックのギミックを愉しんできた人たちにとって、デトロイト・テクノやシカゴ・ハウスからの影響が強い『ワン・ライフ・スタンド』のラフでシンプルなビートはあまりにも単調でスムース過ぎ、ゴスペルのように強調された歌声のハーモニーもダンスの邪魔だったのかもしれない(とはいえ、その予兆は2008年の『メイド・イン・ザ・ダーク』で見えていたのだが)。
そんな『ワン・ライフ・スタンド』よりさらに歌声・メロディが強調されているにも関わらず、本作『イン・アワ・ヘッズ』が「いままでよりダンス・ミュージックになった」と数多から称賛されている理由は、歌の息がトラックとピタリと組み合わさり、リズムの構築をより強固なものにしているからだろう。それを実現に導いたのは、メンバーのソロ・プロジェクトでも引っ張りだこのエンジニアMark Ralph(マーク・ラルフ)の手腕によるところも大きいと思われる。
しかし、本作『イン・アワ・ヘッズ』には、サウンド以上に歌詞においてかなり重要な変化が表れている。サウンドと歌詞の相互作用というよりむしろ、歌詞の変化こそがこの端正に整理されたサウンドを求めたのだと言ってしまえるかもしれない。どうやら、この変化を指摘している(少なくとも)日本語のレヴューはないようなので、ぜひここに記しておきたい。そして、なんといってもこの原稿が遅れたのは、その変化に筆者がひどく動揺して魘されてしまっていたからだ(野田編集長、すみません)。
『ワン・ライフ・スタンド』(およびそれ以前の作品)と『イン・アワ・ヘッズ』のあいだにある決定的な違いは、メッセージを発する彼らの態度にある。
ずっとずっとわかっていたんだ
君は 僕の愛ある人生(マイ・ラヴ・ライフ)
だから僕も 君のように輝けていいはずだ
"Hand Me Down Your Love"(2010)
僕はただ 君の「一生かぎり」の相手になりたいだけなんだ
教えて 君は 君の男の側に一生いますか?
"One Life Stand"(2010)
前作『ワン・ライフ・スタンド』での歌詞から感じ取れるのは、恋人への真摯な愛を表明しつつも、そこに「自分は、相手のようには輝いていない」という劣等のコンプレックスが潜んでいることだ。それはレディオヘッドの"クリープ"のような自己嫌悪や諦念とも違い、コンプレックスが重要事項として歌われているのではなく、あくまで主題は相手に向けられた誠実な愛である。
また、ルックスやサウンドを頻繁に「ナード」や「ギーク」などと揶揄されながらも、クラブ・ミュージックを意識的に分解しポップ・ソングに組み込んで8年ものあいだ歌ってきたのには、若さやセクシャルな熱狂を囃し立てる流行のダンス・ミュージックおよびそれを享受するクラバーに対する批評的な意識が彼らのなかに常に潜在し、そして、それはやはり劣等のコンプレックスに基づいたものでもあったということではないだろうか。ホット・チップ―つまり「山椒は小粒でもぴりりと辛い」というバンド名にもそれが窺える。
しかし、この『イン・アワ・ヘッズ』で歌うホット・チップは、そんな劣等のコンプレックスなどまったく忘れてしまったか、大したことではないとタカを括って開き直ってしまったかのようだ。そんな彼らの居直りを、端正で非の打ち所がないサウンドが、恐ろしいほどなんの疑いもなくガッチリと肯定している。1曲目"Motion Sickness"(モーション・シックネス)のイントロで威風堂々と吹かれるホーンなどは、まるで巨大な戦艦に乗って海の向こうから彼らがやってくるかのようだ。ゼロ年代を経て、彼らはテン年代のインディ・ミュージック大海戦での勝利を確信しているのだろうか。それどころか、むしろ、「自分たちは勝ったのだ」と高らかに宣言しているようでもある。
そうか もうやっていけないと、君は思ったんだね
(中略)
僕らは強くなってきていると思うし
僕らが帰着すべき場所も 僕は知ってる
(中略)
今夜 もし君がステップを踏みたいなら
僕も君とともにステップを踏もう
前に向かって歩こう 歩きとおすんだ
君はあっという間に成長してしまうだろう
"Don't Deny Your Heart"(2012)
このアルバムに収められているのは、いまある平和と愛を享受するための音楽であって、悲しみを和らげたり、苦しみからの救済をリスナーに施すようなポップ・ソングではない。"Don't Deny Your Heart"(君の心を否定しないで)――ここにある言葉は、光り輝く壇上から降り注いでくるような、いわば勝者のメッセージに感じられる。恋人を鼓舞するような歌詞はまるでビートルズの"プリーズ・プリーズ・ミー"(「お願いだから僕を喜ばせてくれ」)を思い起こさせるが、アルバムを通してホット・チップが高らかに歌い上げているのは「プリーズ・プリーズ・ユー(お願いだから君を喜ばさせてくれ)」だ。リスナーへの応援歌。しかも、非常に啓発的で啓蒙主義の性格が強いムードが、ほぼアルバム全体に流れている。これは、いままでのホット・チップには見られなかった態度である。彼らは、はっきりと変わったのだ。
そんな彼らの変化を、僕は易々とは受け入れられないでいる。「Parental Advisory」シールを貼られていた8年前の『Coming On Strong』を恋しく思ってしまうほどだ。「君の『一生かぎり』の相手になりたい」と愛を乞うていた人間が、なぜ相手に「僕はいままでいつだって君の恋人だったでしょう」("Always Been Your Love")と歌うことになるのか。やはり、彼ら自身が「ハッピー・ノイズ」と形容する結婚・出産がもたらした力なのだろうか。"How Do You Do"の「君が僕を目覚めさせてくれる時―それが僕のとっておき」などは、もはや出勤前の夫婦のチューの光景と変わらない。僕のような新卒就職を逃がしたばかりの独り身フリーターにはなかなか堪える。いまのホット・チップはあまりにも眩(まばゆ)すぎて、向き合うのが苦しい。
僕は、たったいま、君の方を向こうとしている
見てのとおり、僕は薄っぺらい人間だよ
"Motion Sickness"(2012)
斎藤辰也