Home > News > Reggae Bloodlines - ——ルーツ時代のジャマイカ/レゲエを捉えた歴史的な写真展、入場無料で開催

『レゲエ・ブラッドラインズ』がレゲエの名著に選定される理由はいくつもあろうが、そのひとつには、これがおもに1976年という、まだ限られたジャーナリストしか現地取材をしていなかった時代の、ルーツ・レゲエ全盛期における広範囲にわたってのジャマイカ/レゲエ・レポートを含んでいたことがある。ことに、一流の写真家ピーター・サイモン(歌手のカーリー・サイモンの実弟)による大量の現地写真には、世界中のレゲエ・リスナーが目を最大限に開けて眺めたものだった。そこには、初めて見るトレンチタウンの風景、人びとの暮らし、貧し家々、富裕層、自然、そして何人ものミュージシャンやプロデューサー……等々が写されている。その記録は、現在地から見ると、さらに貴重さを増している。ぼくは家の本棚から一冊持ってきて、たったいま編集部コバヤシに見せながら説明していたところである。
その『レゲエ・ブラッドラインズ』掲載の写真ほか計35点の写真の展示会が京都(小川珈琲)と東京(渋谷RARCO)で開催される。展示されるすべての写真はピーター・サイモンによる手焼きのモノ(当たり前だが、フィルム時代なのでフィルムから紙焼きしているのだ)。サイモン自身は2018年に永眠しているため、今回は世界最大のレゲエ・レコード会社、〈VP RECORDS〉が提供している。ちなみに入場は無料。こんな機会は滅多にないので、レゲエに詳しくなくたって全然かまわない。特別、気合いを入れる必要もない。まずはぜひ、足を伸ばして見て欲しい。なお、会場では記念グッズなどの販売もあるとのこと。詳しくは特設サイトをご覧ください。
■京都
2026年2月6日(金) ~ 2月15日(日)
小川珈琲 堺町錦店 2Fギャラリースペース
京都府京都市中京区堺町通錦小路上る菊屋町519-1
https://www.pbox-shibuya.com/
■東京
2026年2月20日(金) ~ 2月23日(月・祝)
渋谷PARCO 10F PBOX
東京都渋谷区宇田川町15-1
https://www.pbox-shibuya.com/
さて、ここでひとつ面白い話をしよう。写真鑑賞の手助けになるかもしれない。
『レゲエ・ブラッドラインズ』の著者スティーヴン・デイヴィスと写真家ピーター・サイモンが初めてジャマイカを取材した1976年のおそらくは前半、ほかにも数人のジャーナリストが同行している。ボブ・マーレー&ザ・ウェイラーズは、英国ではその人気に火が付いていたが、米国ではまだそうではなかったので、アイランド・レコードがすべて経費持ちの、アメリカから複数のジャーナリストを招いての取材旅行を実施したのである。そのなかのひとりには、あのレスター・バングスもいた。
最初に言っておくが、今日では、ここ日本でもなかば神格化されているデトロイトのロック・ライターをぼくは全面的に肯定はしない(こやつは「DISCO SUCKS」のTシャツを着たひとりである)。が、『レゲエ・ブラッドライン』ご一行と同じ時間を共有したバングスのレポートは、ぼくのなかではもっとも秀逸で、深く共感を覚えるレゲエ・エッセイである。
それは次の一文に集約されている。
「何人もが全額経費持ちでジャマイカに飛ばされ、現地の人びとを観察し、戻って記事を書き、中産階級のアメリカの白人の子供たちにアルバムを売る手助けをする。その白人の子供たちは、黒人で、極貧で、飢えていて、文盲で、医者に行ったことがないから病名もわからないような病気にかかっていて、人生に他に選択肢がないから一日中ガンジャを吸い、ボンゴを叩いていることを“ロマンチックだ”と思っているのだ。私は知っている、私自身がその子供たちのひとりであり、その矛盾に囚われているからだ」
バングスのそのエッセイ「バビロンの無垢なる者たち——ボブ・マーリーと数千のキャストが登場するジャマイカ探索記」(初出は『CREEM』1976年6月/7月号、『Mainlines, Blood Feasts, and Bad Taste』に収録)の一部には、『レゲエ・ブラッドラインズ』にも記されているボブ・マーリーのインタヴューが描かれている。バングスは、同書の著者ふたりと同じ車に乗って同じようにボブの自宅に行って共同で取材している。が、その描き方は『レゲエ・ブラッドライン』とは微妙に異なっている。さんざん待たされたあげくに、裸足で記者団の前に現れたボブが、彼の愛車=BMWに寄りかかり、ガンジャを吸いながら質問に答える様子を、バングスのほうがより露骨に生々しく、同書よりも詳述している。
もっとも面白い箇所は、こうだ。同行したあるジャーナリストがなかば苛立ち、攻めの姿勢を見せて、「この車(BMW)は、バビロンを象徴していると感じませんか?」とボブに訊く。するとボブは心底驚いた様子でこう答える。「車が? システムこそがバビロンだ。システムは死を象徴し、俺たちはそのシステムのなかに住んでいる——」。その答えに対して彼は、「私が知りたいのは、あんな(ジャマイカの貧しい)状況がありながら、どうしてこれを持つことができるのかという……」とやり返す。「これを持っているわけじゃないんだ、マン」とボブは簡潔に答える。そこでバングスは、「では、この車はあなただけでなく、あなたの兄弟姉妹全員のものだということですね?」と突っ込む。ボブは言う。「道のもの(Belongs road)だよ、マン!」
ボブ・マーリーという男が、グレッグ・テイトが言うところのウィットの持ち主であることがわかるだろう。ウィットとは、権威をかわす/権威に反論するために黒人奴隷たちが磨いたある種の知恵で、それはブルースマンからPファンク、ラップ、あるいは文学など広範にわたって応用されている。
まあ、それはそうと、ぼくが紹介したいのはそこではなかった。「友人を失いかねないほどの情熱でレゲエを愛する」人間だと自己説明し、なかでもバーニング・スピアを敬愛したバングスにとって、初のジャマイカ訪問でもっとも鮮烈なインパクトを食らったのは、当時のジャマイカにおけるその貧しさ、あるいは、ラスタマンたちの切ない矛盾(バビロンが崩壊するのなら、なぜレコード会社と契約する?)だった。
当時のジャマイカは「人口の2%が国全体の富の80%を握り、その残りが世界でも最悪の貧困に喘いでいる国」である。こうした予備知識があったのに拘わらず、いざ行ってみると現実の光景は相当なものだったのだろう。トレンチタウンは信じられないほど不衛生な小屋が並ぶスラムで、多くの人が文盲(すなわち教育の欠如)、そして、技術も教育もほとんどないドレッド頭が何千人も押し寄せることを歓迎するはずがないというのに、エチオピアを夢見ているということ。「1954年頃のアメリカの労働者階級の家」でしかなかった、当時の二大プロデューサーたるキング・タビーとリー・ペリーの自宅。「100年前のアメリカ南部の小作農の小屋」と大差なかったスラム街の家々——『レゲエ・ブラッドラインズ』のふたりとラス・マイケル&ザ・サンズ・オブ・ネガスの神聖なる儀式(グラウネーション)に行けば(バングスに記述によれば、儀式にもっとも深く傾倒したのはピーター・サイモン)、その会場にはトイレなどあろうはずがないという現実——ほかにも濃密なエピソードは多々あるのだが、ぼくが共感を覚えたのは、バングス言うところの「白人が黒人のなかに没入しようとするときの、ほとんど卑猥なまでのアイロニー」が彼のなかで増幅していることを隠さなかったところである。
このアイロニーは、かつてのレゲエ・シーンが援護した、社会主義を標榜する当時のマイケル・マンリー首相がキューバのフィデル・カストロとの親交を厚くすることで、取り返しのつかない政治的アイロニーへと転じる。独裁色を露わとしたカストロ政権下に対するキューバ庶民の反共感情はジャマイカ庶民にも伝播し、社会主義への憎悪は、『レゲエ・ブラッドラインズ』の写真にもはっきりと写されている。そうした庶民の反共感情が1980年代のジャマイカにおける親米政策への転回にも繋がり、結果、“表向きには”経済回復を果たすことになる。その昔、ラスタの常套句であった「I & I」とは「you」という他者が存在しないラディカルな共同感覚だと解釈されていたものだが、しかし1980年代以降のジャマイカにおいては、冷笑家たちの「それって自分しかいないってことじゃねぇ」という悪い冗談のほうがリアルになった。
そう考えると、『レゲエ・ブラッドラインズ』のなかでピーター・サイモンが記録した1976年のルーツ全盛期のジャマイカは、何十もの意味で貴重だ。そういう時代があり、そしてあらゆる矛盾と混沌、暴力(周知のように1976年12月にボブは銃撃される)のなかから宝石のような音楽の数々が生まれていった。ぼくたちにできるのは、ただ見て、そして聴く、それだけである。(野田努)