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RIP

R.I.P. Terry Hall

R.I.P. Terry Hall

追悼:テリー・ホール

野田努、三田格 Dec 22,2022 UP

三田格

 それまでの輝かしい功績の数々に比べて94年にリリースされたテリー・ホール初のソロ・アルバム『Home』はあまりパッとしなかった。オープニングからミシェル・ルグランの影響が窺え、彼のキャリアのなかではカラーフィールドを受け継ぐシンプルなギター・ロック・サウンドが中心。アンディ・パートリッジやニック・ヘイワードとの共作が目を引くものの、全体的にはクレイグ・ギャノンやプロデュースを務めたイアン・ブロウディの色が強く出たのか、10年遅れのザ・スミスといった仕上がりに。ジャケット・デザインはとても彼らしく、初のソロだからといって虚勢を張るポーズではなく、床にしゃがみこんで体育座りをしている。わざわざコンセプトはホール自身だというクレジットも入っている。デーモン・アルバーンをフィーチャーした「Rainbows EP」を挟んで続くセカンド・ソロ『Laugh』(97)も同じくで、前作よりは厚塗りのサウンドでゴージャスな面もあるものの、ジャケット・デザインはやはりオフ・ビート的なユルいポートレイトが選ばれている。この時期は肩の力を抜きたかったということなのだろう、“Misty Water”などは安全地帯“ワインレッドの心”にも聞こえるし、エンディングはトッド・ラングレン“I Saw the Light”のカヴァー(シングルのカップリングではジョン・レノンやカーペンターズも取り上げている)。 

 さすがだったのはそれから6年後にファン・ダ・メンタルのムシュタークと組んだジョイント・アルバム『The Hour Of Two Lights』。ファン・ダ・メンタルはレイヴに対するリアクションとしてトランスグローバル・アンダーグラウンドやループ・グールーなどと共に現れたコンシャス・ヒップ・ホップで、スペシャルズの理念を受け継いだ人種混淆ユニット。同作ではアラブ音楽に多くを借りながらマッシヴ・アタックを思わせるブレイクビートにエスニックな要素をふんだんに盛り込み、ファン・ボーイ・スリー“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”が重みを増したようなサウンドになっていた。これをリリースしたのもデイモン・アルバーンで、彼が後にイギリスのプロデューサーたちを大挙してコンゴまで引き連れ、DRCミュージックによるチャリティ・アルバムを製作した際のモデル・ケースとなったことは想像に難くない。『The Hour Of Two Lights』にはシリアやレバノン、アルジェリアやポーランドのジプシーなどマイノリティで、しかも子どもや障害者のミュージシャンが多数招かれ、それだけで強いメッセージを放つものになっていた。そう、テリー・ホールのキャリアは70年代のスペシャルズに遡る。白人と黒人が一緒にグループを組んだことで知られるスカ・リヴァイヴァルのグループである。

〈Two-Tone〉以前にイギリスで白人と黒人が一緒に音楽を演奏をしなかったわけではない。トラフィックにはロスコ・ジーやリーバップがいたし、ラヴにもジョー・ブロッカーがいた。しかし、白人と黒人が一緒に演奏することをレーベル・デザインにまでしたのはなかなかに強い主張であった(鮎川誠がデザインを見て「スカッとしている」とTVでダジャレを言っていた)。テリー・ホールの訃報を伝える記事にも「いまストームジーがやっていることを、かつてやっていたのがテリー・ホールだった」という見出しがあったほどである。スペシャルズの詳細は野田努ががっつり書くだろうから、簡単にするけれど、“Gangsters”と“International Jet Set”のことは書いておきたい。“Gangsters”のイントロはいま聴くと大したことはないけれど、当時は一体これから何が始まるのだろうと思うようなもので、これとポップ・グループ“We Are All Prostitutes”、そして、PIL“The Cowboy Song”は10代の僕が3大トラウマになったイントロダクションである。スペシャルズが分裂する原因になったとはいえ、スカとラウンジ・ミュージックを融合させるというジェリー・ダマーズのアイディアが炸裂した“International Jet Set”も本当にヘンな曲で、スペシャルズに影響を受けたというバンドはこの後、続々と出てくるけれど、この曲だけは誰も引き取り手がないままいまだに宙をさまよっている。また、コヴェントリーの自動車産業が衰退していく様を題材にした“Ghost Town”が普遍的な価値を得たことについてテリー・ホールは、後に「若気の至りで書いた曲だけど、いまだに説得力があるのは悲しいことだ」とも話していた。

 “Ghost Town”はスペシャルズにとって2枚目の12インチ・シングルだった。よくアナログ・レコード世代という言い方があるけれど、僕は自分のことを12インチ・ジェネレーションだと勝手に思っていて、スペシャルズからファン・ボーイ・スリーへと移り変わって行ったプロセスがまさに12インチ・シングルのポテンシャルが発揮され出した時期に当たっていた。方向性の違いでスペシャルズを脱退したテリー・ホール、リンヴァッル・ゴールディング、ネイヴィル・ステイプルズの3人で新たにスタートを切ったのがファン・ボーイ・スリーで、デビュー・シングル“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”はスカではなく、アフリカン・ドラムを基調にしたブリティッシュ・ファンクにエキゾチック・サウンドを取り入れた変化球。ラウンジ・ミュージックを巡ってジェリー・ダマーズと袂を分かったとはいえ、彼のアイディアが部分的に生かされている気がしないでもない。バス・ドラムがゆっくりと全体をドライヴさせていく感じはそのままマッシヴ・アタック“Daydreaming”につながるし、“Daydreaming”もブリティッシュ・ファンクのワリー・バダルーをサンプリングしているのだから似ていて当たり前ともいえる。テリー・ホールが『Laugh』をリリースした頃だと記憶しているけれど、イギリスの音楽誌でトリッキーがテリー・ホールと対談するという企画があり、その席でトリッキーは緊張しすぎて完全に舞い上がっていた。トリッキーにしてみればサウンド面では明らかにパイオニアだし、彼のような次世代がファン・ボーイ・スリーに会うというのはそういうことだったのだろう。

 “The Lunatics Have Taken Over The Asylum”のカップリングは同趣向の“Faith, Hope And Charity”。驚いたのは高木完がハウス・ミュージックが台頭してきた時期に“Faith, Hope And Charity”はハウス・ミュージックになると話していたことで、実際に同曲はFX名義でハウス・ヴァージョンがリリースされたこと。手掛けたのはドイツのフェリックス・リヒターで、“Faith, Hope And Charity”はものの見事にアシッド・サマーに溶け込んでいた。続く“It Ain't What You Do..”は意表をついて30年代のジャズ・クラシックをスカでカヴァー。一気に彼らの音楽性が挑戦的になり、コーラスにはまだシヴォーン・ファーイが在籍していたバナナラマをフィーチャー。ここまではアルバム・テイクと12インチ・シングルは同じもので、カップリングとなる“The Funrama Theme”でロング・ヴァージョンが初めて試される。てんやわんやのヨイヨイヨイみたいな曲をダブにしたお遊びである。そのオリジナルにあたる“Funrama 2”が収録されたデビュー・アルバム『The Fun Boy Three』がついに82年3月にリリースされる。現代風にいうとトライバル・ファンクの宝庫で、様々な方向に向かい出していたニュー・ウェイヴのなかでもとりわけ猥雑さにあふれ、同時期に様式美を追求していたニューロマンティクスとは対極にあると感じられた。ここから“The Telephone Always Rings”がカットされ、初めてAサイドにダブ・パートを入れたロング・ヴァージョンがフィーチャーされる。転調を繰り返す構成やテリー・ホールの歌い方は“Ghost Town”に揺り戻したようなところがあり、リズム・ボックスの重い響きはあまりほかでは聴いたことがない。

 ファン・ボーイ・スリーはライヴを観たことがなかったので、ユーチューブにライヴがアップされた時は、そのユニークなバンド構成に目を見張った。白人の男はテリー・ホールだけで、リンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは当然ながら黒人、そしてバックを固めていたミュージシャンはドラムから何から全員が女性だった。ダイヴァーシティのダの字もなかった80年代初頭のことである。学校のクラスは3分の2が黒人だったとテリー・ホールは話していたことがあったから、彼にとっては特別なことではなかっただろうし、パンクが女性の表現と共にあったことを思うと、それも自然な流れだったのかとは思うけれど、それにしても面白い映像だった。このライヴ映像は何度観たかわからない。“The More I See (The Less I Believe)”で始まるので、セカンド・アルバム『Waiting』がリリースされた頃のライヴなのだろう。あれだけリズム・コンシャスな音楽をやっていながらテリー・ホールが最初から最後まで直立不動でビクとも動かないのも興味深く、ステージでも楽屋でも笑顔はほとんど見せない。対照的にリンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは時に楽器も触らないでステージ狭しと踊りまくっていたり。2人が“We're Having All The Fun”でちょこっとだけ歌うシーンもある。クライマックスはなんとスペシャルズの“Gangsters”。つーか、またしても全編観てしまった。

 スペシャルズにはゴー・ゴーズやプリテンダーズのクリッシー・ハインドがコーラスで参加し、ファン・ボーイ・スリーにもバナナラマがいて、テリー・ホールのまわりにはいつも女性たちがいるという印象だけれど、テリー・ホールはセカンド・アルバムに収録された“Our Lips Are Sealed”をゴー・ゴーズのジェーン・ウィードリンと共作し、波に乗っていたゴー・ゴーズのヴァージョンはあっさりと全米チャートを駆け上がる。ゴー・ゴーズの“Our Lips Are Sealed”があまりにもアメリカン・ロックの王道だったので、これを追ってファン・ボーイ・スリーのヴァージョンを聴いた時は最初はどんよりと淀んだ曲に聴こえたぐらい。しかし、粘っこいリズムが癖になってくると、だんぜんファン・ボーイ・スリーの方がいい。この曲も12インチ・ヴァージョンは10分を超える2部構成で、ファンク・テイストを前面に出し、中盤はほとんどプリンスと同じ、さらにはウルドゥー語ヴァージョンまで収録するという凝り方だった。デヴィッド・バーンがプロデュースにあたったセカンド・アルバム『Waiting』は長い間、不思議なタイトルだと思っていたけれど、どうやら「あなたのような人を待っている」という意味らしく、「あなた」というのはこのアルバムを聴く人ということなのだろうかと疑問はいまだに続いている。『Waiting』は60年代の映画「ミス・マープル」シリーズの主題歌“Murder She Said”のカヴァーで幕を開け、先行シングル“The More I See (The Less I Believe)”や“The Pressure Of Life (Takes Weight Off The Body)”はやはりジェリー・ダマーズともめたはずのジョン・バリー調、タンゴに取り組んだ“The Tunnel Of Love”を先行シングルとしてカットし、なかでは、最後に収められた“Well Fancy That”が最大の問題作だろう。この曲の歌詞をかいつまんで訳してみる。

あなたはフランス語を教えてくれるといって
僕をフランスに連れていった
10時に集合だとあなたは言った
僕は12歳でまだナイーヴだった
あなたは旅行の計画を立て、僕はあなたの車に座っていた
僕の初めての海外旅行
フランスに行くんだ
信じられないよ
週末はフランスにいるんだ
信じられないよ
ホテルを見つけてチェック・インし、荷物を解いた
長い1日だった
あなたはベッドに入ろうと言った
あなたが僕を観ていると僕は感じた
僕はベッドに入り、あなたは本を読んでいるフリをしていた
灯りが消え、僕は眠り、驚きで目がさめた
あなたの手が僕の体を触っていた
僕は声を出すことができなかった
僕は横を向いて泣いた
フランスで最初の夜
信じられないよ
あなたは僕を怖がらせる
僕は眠りたかった
信じられないよ
朝が来てフランスを離れ、僕は家に帰った
フランスへの旅
信じられないよ
あなたはいい時間を過ごした
セックスを犯罪に変えて
信じられないよ

 これは実話だそうで、12歳の時に学校の先生に誘拐されてフランスまで行き、ナラティヴに綴られた歌詞にある通りペドフィリア(小児性愛)にいたずらをされ、なんとか最後は力づくで逃げ帰ってきたのだという。これが原因で元の生活には戻れず、14歳で学校もドロップ・アウト、掟ポルシェのように様々なアルバイトを転々としながらパンク・バンドで歌っていたところをジェリー・ダマーズにスカウトされてスペシャルズに加わることができたという。前述したムシュタークとの『The Hour Of Two Lights』をリリースした翌年にもこの事件のことが原因で鬱になり、自殺未遂を起こしている。このことについて話すポッドキャストを聞いていたら、12歳の時に精神安定剤漬けになってしまい、それをまた誤って服用したことがトリガーになったらしい。“Well Fancy That”を書いたことで少し軽くなったろうと思いたいけれど、テリー・ホールがここまで黒人や女性たちとバンドを組んできたこともこういったことが影響はしているのかなと。そして、ファン・ボーイ・スリー解散後に彼は初めて白人の男性だけで結成したカラーフィールドに歩を進める。

 カラーフィールドはなぜかマンチェスターで結成され(バンドにマンチェスター出身はいない)、深刻な雰囲気のギター・ポップ“The Colourfield”で84年にデビュー。続く“Take”の12インチにはミシェル・ルグラン“Windmills Of Your Mind”のカヴァーが収録され、この選曲がある意味ですべてを物語っていた。60年代をストレートに振り返るノスタルジー・ポップスやスウィンギン・ロンドンに焦点を当て、テリー・ホールは泣きに力を入れて歌い始めたのである。スペシャルズとファン・ボーイ・スリーには音楽的な連続性があったけれど、それがスパッとここでは断ち切れていた。すでにテリー・ホール信者となっていた僕に戸惑いはなく、時代もスキゾフレニアを推奨していた時期である(ポール・ウェラーという例もあった)。“Windmills Of Your Mind”を換骨奪胎したような“Castles In The Air”やデビュー・アルバム『Virgins And Philistines』の冒頭にも置かれていたサード・シングル“Thinking Of You”もとても素晴らしく、懐古調を僕もとても楽しんだ。なかではザ・ローチェス“Hammond Song”のカヴァーは群を抜いた優しさを運んできた。セカンド・アルバムではそれが、しかし、早くも崩れることになる。当時、イギリスのヒット・チャートは同じシクスティーズでも、ユーリズミックスやスクリッティ・ポリッティはそれをエレクトロニック・ポップの文脈でリヴァイヴァルさせていた。カラーフィールドも『Deception』でプログラム・サウンドへの移行を試みるも、そのような変化を必要としていたサウンドには聞こえず、彼らの良さをすべて失ってしまったように感じたものである。

 次から次へとバンドを立ち上げていくテリー・ホールが次に組んだユニットが、そして、テリー、ブレア&アヌーシュカ。黒人2人と組んだファン・ボーイ・スリー、白人男性2人と組んだカラーフィールドに続いて、今度は女性2人と組んだわけである。ブレア・ブースはアメリカの役者で、アヌーシュカ・グロースは宝石を扱う人らしい。『超近代的子守唄(Ultra Modern Nursery Rhymes)』と題されたアルバムはダスティ・スプリングフィールドを思わせる曲が多く、やはりスウィンギン・ロンドンには心を残していたのかなと。カラーフィールドよりもタイトで、繊細さはなく、もしかするとゴー・ゴーズに近いサウンドだったといえる。さらに2年後にはユーリズミックスのデイヴ・ステューワトとヴェガスを結成し、このユニットが一番記憶に薄く、時期的にもレイヴに飲み込まれて存在感はまったくなかったと思う。いま、聴いてみても『Deception』をもう一度繰り返しているという感じで、新しい発見はなかった。そして、冒頭に挙げたソロ・ワークへと続き、近年はデイモン・アルバーンとの親交が深かったようで、ゴリラズに参加したり、ヴェテラン・レゲエのトゥーツ&ザ・メイタルズが様々なヴォーカリストをゲストに迎えた『True Love』で歌うなど細々とした活動を続けていた一方、07年にはついにジェリー・ダマーズ抜きでスペシャルズを再結成。スペシャルズはその後もメンバーの交代が激しく、13年にはネヴィル・ステイプルズがいち早く脱退。テリー・ホールとネヴィル・ステイプルズが違う道を進むのはこれが初めてとなる。スペシャルズは、そして、19年には『Encore』、20年にもプロテスト・ソングばかりをカヴァーした『Protest Songs 1924-2012』と新作まで完成させたのはなかなかにスゴく、次にレゲエ・アルバムの準備を始めたところでテリー・ホールのすい臓がんが見つかったという。昨年、自身のソロ・アルバムをリリースしたばかりのネヴィル・ステイプルズはテリー・ホールの訃報に触れてファン・ボーイ・スリーのレコーディング状況を回想しており、レコーディング慣れしていないテリー・ホールに力が発揮できるようデヴィッド・バーンが努力したことを明かしている。

 テリー・ホールという人はとにかく一貫性がないし、人々の記憶に残る場面もきっとバラバラなのだろう。ユニットの組み方がとにかく多様で、彼よりも前に同じようなことをやったミュージシャンはきっといないに違いない。テクノ以降にはそれも普通になった印象はあるけれど、ロック・ミュージックがまだ主流の時代に多面体として活動できる前例をつくり、デヴィッド・ボウイが1人でやっていたことを、ある意味で、どんな人と組んでもやってのけたといえる。さらにはナショナル・フロントに目を付けられる一方、単に感傷的な歌を熱唱するだけだったりと、共通しているのは彼の歌がエモーショナルだということぐらいだった。そう、彼のヴォーカルはいつもまっすぐに僕の胸に飛び込んできた。テリー・ホールのまっすぐな感じが僕は好きだったな。TOO YOUNG TO DIE。R.I.P.

※12月26日に原稿の一部を修正

野田努、三田格

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