Home > News > RIP > R.I.P. ディエゴ・マラドーナ
公園に行くと子どもたちがボールで遊んでいる。それはおそらくどこの国にでもあるのだろう、平和な風景のひとつだ。たとえ運動が苦手な子でも、体育の授業で走ったり、鉄棒や跳び箱したりよりは球技のほうがまだ楽しいはずだ。緊急事態宣言が発令されてからの数週間、ぼくの近所の公園では、いつも以上に子どもも大人もサッカーや野球といった球技に興じていた。ま、状況が状況だっただけに決して褒められたことではなかったのだが、しかしやはりそこにはボールがあった。地面の上を、あるいは空中を、ボールが動いていた。
2020年11月25日、ボールを扱うことの天才がこの世を去った。それはそれは、彼ほどの天才はいないんじゃないかと思えるほどの天才だった。残されている彼の映像のいちばん古いヤツ、ファンにはお馴染みのまだ10代前半の彼の映像を見ても、その天才ぶりはわかる。なんていうか、ボールのほうが彼と離れたがらない。そう見えてしまうリフティング。サッカーをはじめた誰もが憧れるアレだ。
しかもだ。この天才は、ほとんどすべてのテクニックと、そしてゲームにおける狡猾さをアルゼンチンのスラム街仕込みのストリートワイズとして会得した。それは、親父さんが靴を買ってくれるまでの、素足で蹴っていた頃から蓄積された技術であり経験値であって、あの予測不能なフェイントは部活やクラブのコーチに学んだことではない。いまブエノスアイレスでは彼の棺を見送るために人びとが集まり、最終的には100万人以上が集まるのではないかと言われているが、それはわかる。彼を育てたのはアルゼンチンだった。彼はいつでも、彼の階級、出自、そしてアルゼンチンを誇りにしていたのだから。
彼の死を悼んでマッシヴ・アタックやらリアム・ギャラガーやらが哀悼の声明を出しているのも、わかる。この天才は、サッカーというスポーツを芸術の領域にまで拡張させたのだった。大衆を魅了するずば抜けたテクニックとロマンティックなまでの勝負強さを持って大きな存在となった彼は、まあ政治的(反米主義)でもあったし、富の世界が嫌がるようなこと(たとえば選手における労働権の主張であるとか)でさえもバシバシ言う人だった。手短に言って、反抗者。いや、それ以上にハンパない成り上がりだったがゆえ、コカインををはじめとする幾多のスキャンダルに乗じて権力およびワイドショー的世間は何度も何度も彼をねじ伏せようと躍起になったものの、ディエゴ・マラドーナは一度としてへたこられなかった。全盛期と言われているナポリ時代、すでに痛めた身体をもって鎮痛剤なしでは眠れぬほどの夜を過ごしていたのに関わらず。
彼はグローバルなスーパースターでもあったし、良いのか悪いのかわからないが、正論というものを越えることができた人だった。そこにはつねにボールがあったし、ボールは彼の味方だった。ブエノスアイレスに集まっている人たちと同じように昨日から涙が止まらない。さようなら天才。
野田努