Home > Regulars > 巻紗葉インタヴュー・マラソン ロールシャッハ・ノート > #5 eastern youth 吉野寿 後編
この頃から俺、一人で飲みにいけるようになったんですよ。一人でウロウロするようになって。そしたら自分と同じように一人でウロウロしている人が、世の中にはいっぱいいるってことに気づいたんですよ。
【前編はこちらから】
──今回インタヴューさせていただくにあたって、eastern youthのアルバムをあらためて活動順に全部聴き直してみたんです。そしたら『Don quijote』がすごく印象的で。歌っていることの本質はいまと変わらないのですが、歌詞から連想される世界観が荒涼としているというか。この頃の吉野さんはどんな心境だったんでしょうか?
eastern youth DON QUIJOTE キングレコード |
吉野:どんな感じだったんでしょうね……。「ドン・キホーテだなあ」って思ったんですよね。
──ご自分が……?
吉野:そう……ですねぇ……。この頃からCDのセールスが落ちてきて、レコード会社から首の皮一枚だみたいなことを言われて、さんざん脅されてたんですよ。さすがにもう(工事)現場の仕事とかには戻りたくなかったし、なにより自分との戦いに負けたくなかった。でもその戦っている相手が己の主観でしかない、幻のようなもののような気がしていたというか。「いったい何と戦ってるんだろう、俺は?」みたいな。ただ戦わなきゃ敗れるということだけはハッキリしてるんだけど、同時に勝つということもない戦い。
──どういうことですか?
吉野:負けたくないってことをあえて具体的に言うなら、生き延びたいってこと。だからこの戦いにおいて勝つということはないんです。前からそう思って生きてきたんですけど、恐らくこの当時はそれをより強く感じていたんじゃないですかね。……『Don quijote』って、どんな曲が入ってましたっけ?
──“暁のサンタマリア”とか“大東京牧場”とか。
吉野:あー、はいはいはい。この頃から俺、一人で飲みにいけるようになったんですよ。それまでは友だちを誘ってたりしてたんだけど、いよいよ誰もいなくなってきて、一人でウロウロするようになって。そしたら自分と同じように一人でウロウロしている人が、世の中にはいっぱいいるってことに気づいたんですよ。それを見てたら、結局(自分の人生は)一人で戦わなきゃダメなんだっていうことがわかったんです。「俺たちには仲間がいるからな」とかいうんじゃなくて。
──それって吉野さんが何歳くらいのときですか?
吉野:35~6ですよ、たしか。
──じつは僕いま37歳なんですが、まさに同じような心境なんですよ(笑)。
吉野:あははは(笑)。でもね、それは子どもの頃からずっと続いてて、いまも続いてる感覚なんです。結局一人なんだっちゅーか。眼鏡の内側には一人しかいなくて、一人の窓からみんなを見ている。結局一人に帰ってくるというか。そういうのがずっと心の軸になっている感覚なんで。このアルバムではそれがとくに強調されていたのかもしれませんね。この頃の俺は荒んでたんですかね……。いまも十分荒んでるんですけど(笑)。バリバリ。ヤバい(笑)。
俺は人間の形をした虚無袋みたいなもんです。それでその虚無みたいなもんにぶっ殺されそうになるんですよね。なるというか、つねになってるんですよ。だけど、それが当たり前の状況なんだと思うんです。
吉野:虚無ですね。俺は人間の形をした虚無袋みたいなもんです。どこを切っても虚無しか出てこないし、逆さに振っても虚無しか出てこない。もう砂漠っていうか、「空洞です」っていうか。それでその虚無みたいなもんにぶっ殺されそうになるんですよね。なるというか、つねになってるんですよ。油断してると、膝から崩れ落ちそうになる。「なんだこりゃあ、ダメだ」って。だけど、それが当たり前の状況なんだと思うんです。自分の荷物は自分で背負うしかない。虚無を打ち負かしてやるとか、うっちゃるとか、誤魔化すとかじゃなくて、それごと生きていこうっていうか。
──それが吉野さんの戦いであり、eastern youthが歌っていることであるわけですね。
吉野:言いたいことはただひとつ。虚無を背負って、それでも生きていくんだっていうこと。もやもやっとしているものなんで、グッと形にするのはエネルギーが必要な作業なんですけど。
──虚無を背負って生きていく、と思えるようになったのはいつ頃ですか?
吉野:心筋梗塞で半殺しになったときから(http://natalie.mu/music/news/21916)。最初倒れたとき、「死ぬ」と思ったんですね。「あーあ、これまでか。こりゃ死んだな」って。でも、生き残ったわけですよ。集中治療室で寝転がってて「やったー! 死ななかった」と思ったけど、「たぶんこれはいままでみたいにバンドはできんだろう。何もかもパーだな」って感じたんです。そのときは先のことなんてわかりませんから。
──でも、パーじゃなかった。
吉野:そう。パーじゃなかったんですよね。結局生きているうちは生きていくしかないんですよ。泣こうが喚こうが生きていくしかないっていうか。虚無だろうが、絶望だろうが、生きていくしかねえわけです。そう思えたら清々したんですよ。それまでは「俺はいつまで生きるんだ?」とか「いつ死ぬんだ?」って思ってたから。もちろん死んで終わらせてしまいたいと思うことはいまでもあるけど、焦んなくても死ぬよっていうのがわかってしまったんですよ。
──なるほど。
もちろん死んで終わらせてしまいたいと思うことはいまでもあるけど、焦んなくても死ぬよっていうのがわかってしまったんですよ。
吉野:人はそれぞれ持ち時間というものを与えられていて、それが終われば死にたくねえって言ったって死ぬ。虚無だろうが絶望だろうが、「いま生きてる時間を生きるしかないんだな」っていう覚悟ができたっていうか、腹が決まったっていうか。そんな気がしましたね。そんときがくりゃ、焦んなくてもいずれ死ぬなら、もうなるようになれと思って。そしたら清々したっていうか、さっぱりしたっていうか。シンプルになりました。迷わなくなりましたね。
──死に対する考え方が変わったということですか?
吉野:どうなんでしょうね。ただ死に対する恐怖は倒れる前よりも、確実に強くなっていますね。夜中に突然目が覚めて「このまま死ぬんじゃないか?」って眠れなくなったり、お風呂入っていてちょっと目眩がすると「もうダメか」って思ったり。俺の身体はもう「死ぬ」という感覚を知っているから、その恐怖とつねに隣り合わせで生きている感じです。昔は死ぬのなんて大して怖くなった。「死ぬときゃ死ぬんだ。どうにでもなりやがれ」と思ってたんですけど、いざ一回本気で死にかけると死の山は想像以上に高いというか。「死ぬって並大抵のことじゃねえぞ」って思うようになっちゃったんですよね。
──よりリアリティを持って死を意識するようになったと。
吉野:死ぬのは前より怖くなりましたけど、だからなおさらいましかねえんだっていうか。いましかねえから「ちゃんとやれ」っていうか。世の中の大人として「ちゃんとやれ」っていう意味じゃなくて、自分の生きたいように生きてくれっていうか、生きろっていうか、やれっていうか。焦燥感や虚無感はあるけど、それを克服しようがしまいが死ぬときゃ死ぬっていうね。だったらそれごと行くしかねえ。俺はそう思ってますね。