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Downyの漢字仮名世界
僕はなんせ日本語が喋れないで日本に来ちゃったんで。
■なるほど。さんざんストイック、ストイックという言い方をしてしまいましたが、そのいっぽうで、エモーショナルでロマンティックな音楽でもあると思うんですよね、ダウニーの音楽というのは。ご自身がロマンティストだな、と思ったりすることはあります?
青木:いや、僕まったくないでしょうけどね。
■あ、そうなんですか? でも、たとえばこの、歌詞の漢字仮名使いというか、旧漢字・旧仮名・擬古文調の言い回しを使いながら、文学の香りみたいなものを立ち上らせていくところは、ダウニーのすごく重要なイメージだと思うんですよ。大正ロマンとか明治ロマンっていうことを言うつもりはないんですが、こういう雰囲気はロマンティックだなーと感じるんですけどね。
青木:ロマンティックですかね(笑)。いや、わかんないです。そうなのかもしれないです(笑)。自分では感じないだけで。
■へえー! これはどこからやってきたものなんですか? 好きな文学作品があったりとか、そういうことなんでしょうか?
青木:そうですね、僕はなんせ日本語が喋れないで日本に来ちゃったんで、最初すごく苦労したというか、イヤな目に遭ったというか。
■そうなんですか!
青木:ものすごく勉強したんです、単純に。誰よりも漢字を知りたかったし。本を漁っているなかに好きな作家がいたりですね。詩ってこんなふうに書いていいんだ、とか、文章ってこんな形があるんだなって。ずっと自分なりにそういうふうな表現ができたらいいなと思って、闘っているというか、書き続けてるというか。
■へえー! 言葉に対する不器用が生んだ一種の器用、みたいな感じなんですかね!
青木:そうなんですかね(笑)。
■これ、完全にダウニーという世界を作っているじゃないですか。
青木:そうですね。
■しかも観念的な作風というか。たとえば“下弦の月”って曲がありますけど、これは下弦の月を実際に見て書いたんじゃないだろうなって思うんです。いや、見て書いたのかもしれないですけど、それとは違う「下弦の月の世界」が頭のなかにあるんだろうなっていうふうに、すごく感じるんですよ。
青木:そうですね。自分しかわからないって言うと残念なんですけど(笑)、映像があって、イメージがあって、それに音をつけて、歌詞をつけてって感じですね。まあ、結果的にライヴだったら映像がついて、そのイメージをひとに伝えることができるようになるんですけどね。この歌詞の字面(漢字旧仮名表記)も含めてなんですけど、まあこういうイメージなんですね(笑)!
■はい、すごくわかります。でも、ライヴじゃなくてもばっちりイメージで来ますよ。あるときあるひとが見た、事実としての月があるんじゃなくて、もっと観念的に構築された世界があるんだろうなって、すごく感じるんですよね。それがダウニーという、すごく特徴的な世界観を作ってもいて。
青木:(小声で)ありがとうございます。
■ああ、でもなんかすごく意外でした。日本語ができない段階でいらっしゃったというのは、何才ぐらいのことですか?
青木:小1ぐらいです。そのくらいで日本語が喋れないと、もうすごいストレスというか。すごくイライラしてたのを覚えています。
野田:いきなり日本に来て日本人と同じ学校? インターナショナル・スクールとかじゃなくて。
青木:そうですね。親もなかなかなんですけど(笑)。
■はははは!
青木:最初は東京だったんです。それが幼稚園の最後ぐらいで、やっと言葉を覚えたと思ったら、今度は沖縄に行って、「なんじゃこりゃ!」ってなって。何を言っているか全然わかんなくて……。
野田:ああ、方言だから。
青木:「イチから俺これやんの?」と思って(笑)。すごくイヤだったのを覚えています。
■いちおう小学1年も「あいうえお」から学びはじめますけど、ネイティヴな子たちが基本だから、スタート・ラインがぜんぜん違いますよね。
青木:そうですね、ずっと怒ってましたね。「シャラップ!」ってずっと言ってたのを親が覚えていて(笑)。
■はははは!
青木:「シャラップ」しか言ってなかった(笑)。
■でも、それは幼い頃だと――
青木:そうですね、ダメージがけっこうね。
■ねえ。でもそういう頃から、おうちに帰れば音楽が鳴っている環境だったんですか?
青木:そうですね。父親の部屋ではインド音楽が流れ、母親の部屋ではロックだったり、ジョージ・ウィンストンが流れてたり(笑)。ムチャクチャな感じでした。
■なるほど(笑)。わたしはほんとに思い込みで、この文語っぽい感じっていうのは、中学とかで文学的な嗜好が強い男の子が傾倒する表現かなって思っていたんですよ。――なんというか、一種の青さとロマンティックさが強い文学性と結びついて生まれるような、エネルギーの高い文語表現。そういうものがこの歌詞世界の後ろにあるのかなと思ったんです。……それが、インド音楽とビートルズとネイティヴじゃない日本語話者から立ち上がってきたものだとわかると、全っ然、見え方が変わりましたね。
青木:自分の通過してきたものよりも、聴いたことのないものをやりたいという性分でして。歌詞もそういうことなんだと思います。まあ僕はこの歌詞の書き方しか知らないんで……。他がわかんないので、ちょっと何とも言いがたいんですけど。
野田:とくに好きだった作家はいますか?
青木:えっと、最初ほんとに「これは!」ってなったのは、萩原朔太郎。石原吉郎も「えー!」っていう。
■朔太郎! じゃあどっちかって言うと、詩に寄っている側っていうか。
青木:いまでも、何でもかんでも本は読むんで。そのあたりを小学校ぐらいでカッコいいなーって思ったのを覚えてますね。
■はあー。その最初の感動を、ダウニーを通してわたしも感じる気がします。
青木:そうですか(笑)。
■なんかわかります。追体験しちゃいますね、小学校の頃、教室で詩集を読んだの。メンバーの方が詞を作るってことはないんですよね?
青木:ないですね。
■たぶん他のひとからすると、この言葉の作られているテンションっていうのは高いもの――エネルギーの高い詞だと思うんですね。で、演奏があるわけですけれども、最初は、ダウニーのアンサンブルや変拍子って、詞のテンションの高さを解体するものとして働いていると思ったんです。だけど、もしかすると加速してるのかもしれないですね。どうなんでしょう、みなさんは詞にインスパイアされて、って感じなんですか?
青木:イメージは最初に伝えるので、共通していくものがどんどん出てくると思います。シンプルに“雨の犬”だったら、「雨の犬」っていう仮タイトルがあって、イメージがあって。わりとみんな長くいっしょにやっていたんで、それですぐ伝わったりはするんですけどね。どうかな、そこまで歌詞のこと考えてるかな、みんな(笑)。考えてるのは俺だけかもしれない(笑)。ただ、「どこの部分が好きだ」とかは言ってくれますけどね。たぶん、歌詞に関しては一任されてるんじゃないかな。
■なるほど。それぞれスキルのある人々がやっているセッションですから、歌詞があろうがなかろうが、やろうと思えばどこまでも続くでしょうし、いくらでもできるでしょうし。だから言葉や歌はそこにふわっと乗ってくるだけ、という側面もあるんでしょうね。
青木:とくに今回、歌ものにしたいっていう思いがあったんですが、それはあまりダウニーのやってないところでもあったんですね。ずっと自分で歌を歌うのがイヤだったので。ほんとに、別のひとが歌ってくれればいいのにってずっと思ってたんですけど、これまではあんなにパーツの少ない歌のためにヴォーカルに立ってくれるひとはいなかったし(笑)。
■ああ、なるほど(笑)。
青木:結局自分がやるほうが早かったりしちゃうんで。でもこの9年、子どもたちと歌ったりですね、なんだろうな、シンプルな歌ものとか……もちろん形とか方向性は違うんですけど。
僕にしかできないメロディがあって、僕にしか出せない言葉があるなら、もっと明確にそれを伝えていってもいいかなっていうのが今作にはあって。なんか……そんな感じですね(笑)。
取材:橋元優歩(2013年11月28日)