Home > Interviews > interview with Downy - インド、ビートルズ、沖縄、朔太郎。
沖縄という場所
■なるほど。それはとてもよくわかります。でも、音楽にする必要はさらさらないんですけど、沖縄にいらっしゃると内地では見えなかったことが見えたりする部分もあるんじゃないですか?
青木:そうですね、たとえば基地の問題なんかは根深いです。誰も欲しいとは思っていないけど、依存している部分もあると思います。なければ実際に沖縄の経済が支えられないというような現実もあって。
■ああ、なるほど。産業って観光くらいなんでしょうか。沖縄って、シングル・マザー率が高かったり、所得の水準が低かったり、常夏の楽園ではない、暗い部分を抱えていたりもしますよね。地震のあとはこちらから移住する人もけっこういたんじゃないかと思うんですが。
青木:そうだと思います。ただ、沖縄もそれぞれのコミュニティは小さなものなので、そこで元々の住民と分離せずに馴染んでうまくやっていけるかどうかというところでは、必ずしもうまくいっていないところもあるのかもしれません。
■ああ……、今後ますますくっきりと明暗の出てくる問題なんでしょうね。逆に東京から距離をおいたことで、東京を客観的にとらえて見えてくるところもあったのではないかと思いますが、何か問題や欠点みたいなものは見えますか?
青木:そうですね……。沖縄では、子どもを夕方家に連れて帰ってくるときなんかに、いっしょに近所の子の面倒もみたりするんですよ。気軽に声をかけて、ちょっと注意したり、連れて帰ってきたり。そういうことは、東京だとできないことかもしれませんね。
■ああ、地域社会が機能しているんですね。青木さんは、本当にきちんと沖縄という土地に住まわれているんですね。わたしも、実家の方はまだそんな感じだと思います。
青木:田舎はそうですよね。沖縄はやはり田舎でもあるので、アーティストがあまり来ないんですよ。ライヴ公演が少ないんです。モトを取れるほど集客ができないので……。そのかわりクラブがとても盛んですね。
■ああ! なるほど! 田舎であるがゆえに、持ち寄り文化というか、自分たちでてきるパーティが主流になると。
青木:DJだったらひとりですし、呼びやすいですからね。僕の店でもいろいろやってるんですよ。
■あ、それは素晴らしいです。
青木:レイ・ハラカミさんも、ご生前最後にライヴをされたのがうちの店なんですよ。
■ええー、そうなんですか! 地方で、ご自身のやれることをちゃんとマネタイズしながらも純粋にやって、地元の音楽の現場もきちんとあっためて、子育てもして……、すごい10年だったんですね。新作も、錆びるどころか、本当にそうした人としての充実までが音に結びついているということがよくわかりました。お人柄もふくめて感服いたします。では、活動が再開したからといって、東京には引っ越されないんですかね。
青木:いまのところはそうですね。
■ぜひ、お店に『ele-king』置かせてください!
青木:ぜひ!
■わー、ありがとうございます!
取材:橋元優歩(2013年11月28日)