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私は18歳のときにはじめたビルメンテナンスを生業に収入を得て、その片手間に何かお誘いがあったら音楽の真似事をやっている、そういう設定になっているんです。
![]() NRQ - ワズ ヒア Pヴァイン |
■しかし中尾さんはこれだけ長いこといろんなバンドで活躍されてきましたよね。
中尾:はっきりいってそれは関係ないですよ! プラマイで考えたらゼロかマイナス、いやはっきりとマイナスですね。ちゃんとした会社に入れるとは思いませんけど、それでもフルタイムで週6の仕事をすればもっと安定するはずなんです。演奏していたらそんなことできっこないじゃないですか? 音楽なんかやっているから貧乏なんですよ。こんなことに片足を突っ込んじゃったせいで──
■片足ではないと思いますが。
中尾:いや、片足です! 私はビルメンテナンスの仕事をしているんですが、1年半前に定期で入っていた現場の仕事がほぼ7割くらいなくなったんです。これはもう家賃が払えないとなと、急遽借金をして引っ越しまして、部屋も広さを半分に、家賃をきりつめ、荷物を田舎に送り返して、要するに生活レベルをガクッと落とすことによって、ギリギリ生き延びることに成功したんです。でも定期的な収入は何も確約されていない。偶然この1年半はなんとかなっているだけで、来年以降のことはまったくわからないですね。そんなときネットなんてやっていられないですよ。ハハハハハ。
■でも中尾さんの口ぶりには悲壮感をおぼえませんね。
中尾:額面どおりにこの状況を受けとめたら、私は本来3つくらいバイトをかけもちしなきゃいけないんです。それを「なんとかなるだろ!」と思うために現実をみないようにしているんです。そうすることによって、逆に何とかなっているともいえるわけですよね。あくせく昼も夜もバイトいれたりするべきなんでしょうけど、そういうのはいっさいしない。ないときはないときでいい、あるときに稼いでプールしておけばいいと思ったんです。でも逆にそのためには極端な節約ですね。通信費は3000円まで、外食は基本的にほとんどしない、酒もタバコもやらない、飲みに誘われても10回に1回しか行かないとかね(笑)。そうしている間もレコードを買ったりしなきゃいけないし。研究費ですからね!
■名目は何でもいいと思いますが(笑)。
中尾:そのレコードも(税込み)108円のとかしか買わない。
■逆にそうしてまで音楽はやらなければならない。
中尾:そんなことはないです。音楽がなければもう少し安定化が図れます。ちゃんと仕事をすればいいんですから。
■それはまあそうですけど。
中尾:音楽でちゃんとお金を払ったひとなんてほとんどいないですよ。●●●とか●●●とかみんなもち逃げ、もち去り。
■具体的な名称を出すのはやめてください(笑)。
中尾:いや、だって本当だもん! でもまぁ、私はミュージシャンじゃないっていう立場で自分はそう考えようと思っているんですよ。ミュージシャンだと考えたらこれはもう赤字で成り立っていないですよ。そんなもんでは食えない。私は18歳のときにはじめたビルメンテナンスを生業に収入を得て、その片手間に何かお誘いがあったら音楽の真似事をやっている、そういう設定になっているんです。
大原裕くんには「中尾くんは音楽で食おうとか思わずに、仕事をしていてそれでやっているのは羨ましい」みたいなことはいわれましたよ。でもそれはミュージシャンでやろうとするから大変なことになっていくわけですよ(笑)。私はプロになりたいとか音楽で食いたいとか一度も思ったことはありません。でも小学生の頃の延長線上だと思えばべつに関係ないじゃないですか。自分で面白いと思ってやっていて、40何年にわたって研究がつづいていると思えば、別にそれはいいんじゃないか、ということですね。
“スロープ”ではバスドラとハイハットを足で踏みながらクラリネットを吹いています。これはコンポステラで鍛えられた技です。昔とったキネヅカでございますよ。
■先ほど、片足を突っ込んでいるとおっしゃいましたが、片足だけでも抜け出せないこともありますよね。
中尾:いや、抜けだせますよ。
■(笑)
中尾:前にもいいましたが、私は誘われるから外に出ているわけであって、自主的な活動はいっさいしていない。篠田(昌已)くんが私を誘ったから露出したのであって、それがなければ私は家でニヤニヤしながら録音しているだけなのはこれはたぶん変わらない。誘われなければ、ただひきこもるだけの話です。そりゃあ家では何かはやりますよ。そのちがいだけです。
外に出るとなるとある種の責任が発生するじゃないですか。たとえば、メンバーだといわれちゃったりする。自分では無責任だと思っていても外部的には責任が発生しますよね。急にやめちゃったりとか、楽器を捨てたり譜面を破ったり、ライヴ中に「こんなバンドをやめてやる!」とか叫んだり、そんなことちょっとできない。
■その状況がたまたまつづいているだけだと?
中尾:そうです。だからみんなは中尾勘二をもう呼ばなくていいと思えば、自然と元に戻る。
■その点はNRQでも変わりませんか?
中尾:私の印象としては何らかの利用価値を見いだしたひとが、ちょっと試しに私を使ってみよう、と思いついた観があるんです。かかわったものすべてがそうです。だって譜面が読めない、コードがわからない、楽器をちゃんと習得しているわけではない。それに声をかけるのは、よほどの特殊な思いつきじゃないとありえないし。私だったら頼まないもん。ワハハハハ。
■普通じゃない思いつきだから頼むということですよね?
中尾:でもそれって普通のメンバーの感じでもないじゃないですか? 何を考えているんだろうって逆にこっちが思います。「いい」といわれても何がいいのか。具体的にはいえないじゃないですか(笑)? あんまりそういうことをはっきり訊いたこともありませんが。
■NRQが3枚めになって他のメンバーとの関係性に変化はなかったですか?
中尾:変わっているはずなんですよ。たぶん第三者が傍らにずっといれば分析できるんでしょうけど、なんせこういうのは灯台下暗しですからね。ガラッと変わったわけでもないですからね。でも、現実にどうなっているかっていうのは、私は自分の音源は自作の多重録音以外は聴かないので(笑)、ちょっと今回の作品がどうなっているのかよくわかっていないんですけども、印象としては何か変化があるんだろうなとは思います。でもそれが前作、前々作と異色な位置にあるとは思わないです。
■今回は前作までより管楽器を多用されていますね。
中尾:アコースティック・アンサンブル的な思考が芽生えている、なんとなくそういった流れはあるかもしれません。一時期ブンチャカブンチャカやればいいのに、流れているきらいもあったので。
■流れるというのはどういうことですか?
中尾:「ビートのある曲で掴みたい」といった考えに対する疑惑を、私は抱いていたことがあるんですね。ライヴのときの(曲の)並べ方とかね。そういうのもわかるけど、それはべつに他のひとがやればいいでしょ? そのことを私は口にしたわけではないので、みんなに気づかれたのかどうかわかりませんが、アコースティック・アンサンブル的にはなっているかもしれないですね。
■その方向をとるにあたって、バンド内で話し合いはもたれていないということですよね。
中尾:でもリハをしているとどちらでもいい局面はいっぱいあるんです。新しい曲をやるとき、ドラムを叩くか管楽器を吹くか決まってないと試しにいろいろやってみるんですが、そのときに私の思いというか希望がね、ドラムはちょっとイヤだなというのがバレたのかもしれません。一般的にいえばドラムであればおさまるんです。そのぶんイージーなんですね。それに私は管楽器が上手なわけではないので(曲に)慣れるまではアラが出るというか、不安定な状態がわりとつづくんです。そういうときにバンドが我慢できるかという問題もあって、それを我慢すれば、ちがうかたちになる場合もあることに薄々気づかれているのかもしれない。
■べつに気づかれたってかまわないじゃないですか(笑)。
中尾:ワハハハハ。
■今回はほとんど一発録りなんですよね。
中尾:ほとんどそうですね。かぶせている曲もありますけど。
■かぶせるなら、ドラムも管もどちらもできるはずですよね。でもそれを積極的にやろうとは思わないということですよね?
中尾:そうですね。それはライヴでやるときのこともあるということです。私なんか、コンポステラの経験もあるから、ドラムがなくてあたりまえだという、でも、それに対して、(ドラムが)あると安心というのはあるじゃないですか。つねにこのせめぎ合いですよね。
■資料にありましたけど“スロープ”では──
中尾:バスドラとハイハットを足で踏みながらクラリネットを吹いています。これはコンポステラで鍛えられた技です。イヤイヤやっていたのが役に立ちました(笑)。でもじつはクラリネットを後でかぶせるためにプレイバックした場合、ノリを合わせるほうが難しいんですよ。だから一度にやるに越したことはないという理由もあります。レコーディングの日を置いてしまうと自分の音が別人のように聴こえることもありますよね?
■そうですね。数日前の自分がやったことがわからなくなることはありますね。
中尾:それよりは、足りなかったり、アラがあったりでも同じひとが演奏したほうがいいんじゃないかという発想です。そっちのほうがリズムも管楽器のフレーズも安定します。
■立ってベードラを踏みながら演奏するひとはいますが、両足で踏みながら管楽器を吹けるひとは見たことありませんね。
中尾:昔とったキネヅカでございますよ。
取材:松村正人 (2015年2月17日)