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interview with Keiichi Suzuki

interview with Keiichi Suzuki

レコードとメモリーの左岸で(前編)

――鈴木慶一、インタヴュー

   Dec 18,2015 UP

 1976年の結成から、2011年に無期限の活動休止を宣言するまで、35年間の長きにわたって、日本のロック史上に前人未到のフライト・レコード(飛行記録)を伸ばしつづけてきた稀有なバンド、ムーンライダーズ。2000年代後半から2010年代前半にかけて、相対性理論、cero、カメラ=万年筆、スカート、アーバンギャルドなど、ムーンライダーズからの影響を感じる新世代の台頭がめざましいなか、2013年12月17日に、前身となるはちみつぱい以来のオリジナル・メンバー、ドラマーのかしぶち哲郎が63歳で逝去し、バンドの歴史にひとつのピリオドがうたれた(※1年後にリリースされた『かしぶち哲郎トリビュート・アルバム~ハバロフスクを訪ねて』に長男で同じくドラマーの橿渕太久磨が参加、15年12月20日に開催される鈴木慶一45周年記念ライヴにもドラマーとしての参加が予定されている)。残る5人のメンバーは個々の活動を展開しているが、なかでも鈴木慶一は、曽我部恵一をプロデューサーに迎えて、08年から11年にかけて発表したコンセプチュアルなソロ・アルバム三部作がいずれも高い評価を受ける一方、高橋幸宏とのザ・ビートニクス、KERA とのNo Lie-Sense、二十代から六十代まで世代を超えてメンバーを集め新たに結成したControversial Sparkといったユニットやバンドでも立て続けに新作をリリース、そのほか映画や舞台の音楽監督等々、とても還暦を過ぎたとは思えない縦横無尽の疾走に目を見張らされる。


鈴木慶一
Records and Memories

Pヴァイン

Pops

Tower HMV Amazon iTunes


鈴木慶一
謀らずも朝夕45年

Pヴァイン

Pops

Tower HMV Amazon

 そんな充実ぶりに拍車をかけるように、今年でミュージシャン活動45周年を迎えた鈴木慶一の軌跡をたどるCD3枚組のアンソロジーとアーティスト・ブック、そして91年の『SUZUKI白書』以来24年ぶりとなる完全セルフ・プロデュースによる最新ソロ・アルバムが同時にリリースされるという報せが届いた。

 2曲のインストを含む全13曲の新作は、『Records and Memories』というタイトルが象徴するように、彼が生きてきた半生の「記録」と「記憶」の断片が渾然一体となって絡み合い、響き合う劇的なアルバムだ。豊富な人生経験から滲み出るタフなメッセージや箴言にうたれながら、聴き込めば聴き込むほどに、これまで見えなかったことが見えてくるような、不思議な覚醒におそわれる。

 「嫌われてるか 嫌ってるのか わかった時が かつて 一度もないのかい/そんな事なら 別れるべきで 恋人でいるような場所はそこにはない/おおおおお 憎んでみたらどうだ それが出来るなら きっと 愛し 愛されて いるはずさ/人の命は短くて 憎み 憎まれ 愛し 愛され 手を握り 手を離され 抱きしめて ふりほどき 大事に時を 流してくさ」(“Livingとは Lovingとは”)

 高橋幸宏と共作したほろ苦い名曲“LEFT BANK(左岸)”と同様に、鈴木慶一の“Livingとは Lovingとは”は、聴く者の状況によっては「人生の一曲」になりうる。少なくとも、この歌に心を楽にしてもらった者が、ここにひとりいることはたしかなのだから。

■鈴木慶一 すずき・けいいち
1951年8月28日 東京生まれ。
1970年、あがた森魚と出会い本格的に音楽活動を開始。以来、様々なセッションに参加し1971年には"はちみつぱい"を結成、独自の活動を展開するも、アルバム『センチメンタル通り』をリリース後、解散。“はちみつぱい”を母体にムーンライダーズを結成し1976年にアルバム『火の玉ボーイ』でデビューした。ムーンライダーズでの活動の傍ら高橋幸宏とのユニット“ビートニクス”でもアルバムをリリース。また膨大なCM音楽の作編曲、演歌からアイドルまで幅広い楽曲提供、プロデュース、またゲーム音楽などを作曲し日本の音楽界に大きな影響を与えてきた。2012年、ソロアルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』が第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。映画音楽では、北野武監督の『座頭市』で日本アカデミー賞最優秀音楽賞、シッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀音楽賞を受賞した。
2015年、ミュージシャン生活45周年の節目にソロアルバム『Records and Memories』をPヴァインよりリリース。

2011年にムーンライダーズが活動を休止したことによって、あれと違うものを作ろうという「あれ」がなくなっちゃうわけですよ。すべて過去のものになった。これでいわゆる“アフター・ムーンライダーズ”の動きがはじまる。

この度、完全セルフ・プロデュースによるニュー・アルバム『Records and Memories』とミュージシャン活動45周年を記念したCD3枚組のアンソロジー『謀らずも朝夕45年 Keiichi Suzuki chronicle 1970-2015』、そして来年2016年にはこれまでのキャリアを俯瞰した書籍も刊行されますね。

鈴木:書籍については、インタヴューを受けて話をしました。『謀らずも朝夕45年』の方の楽曲は3人で選曲しています。ひとりだとこういう場合はどうにも量が多すぎるからね。それからアンソロジストの目がないと、そういうものはなかなかできないと。本もそういう感じですよね。

最新のソロ・アルバムと併せて、45年間を振り返るレトロスペクティヴも音と活字の両方でやるという、その3つがワンセットということですね。それらについてうかがっていければと思います。まず最初に、45周年おめでとうございます。“45周年”といえば、今年8月に松本隆さんが作詞活動45周年を記念する『風街レジェンド2015』というイヴェントを開催されたりして、1970年前後の日本のロック創世記からその一員として活動をはじめた開拓者の方々が、大きなアニヴァーサリーの周期に差しかかったということだと思うのですが。

鈴木:45周年って妙な区切りではあるんですけど。でも歳を取ると5年間でなにが起きるかわからないので、「いま」が重要なんだよね。待っていられないんだ。だから5年区切りなんじゃないんですかね。

同じことを松本さんもたしかおっしゃっていましたよね。50周年はできるかどうかわからないから、と。

鈴木:40周年ができても、50周年のときは何が起きるかわからないからね。それがリアルな問題としてバーンとあるから考えちゃいますよね。結果的に45周年になっちゃいましたけど、根底にあるのは今度出るソロ・アルバムなんですよ。ソロ・アルバムを久々に作っていて、そのリリースがわりとずるずる延びて、考えてみれば「今年は45周年だな」ということになった。それがあって、こういう本もくっついているということですね。

曽我部(恵一)くんにプロデュースを任せた近年の3部作『ヘイト船長とラヴ航海士』(08年)、『シーシック・セイラーズ登場!』(09年)、『ヘイト船長回顧録』(11年)がまだ記憶に新しいのですが、あれは慶一さんのなかでは完全なるソロ作品というより、あくまでユニットの産物ですか?

鈴木:あれはユニットに近いですけど、(今回のソロで)大きいのはムーンライダーズの活動を休止して以降の作品ということ。あのときはムーンライダーズもやっていましたし、バンドの一員として活動しながら、ソロ・アルバムを作っていたので、ムーンライダーズとは違うものを作ろうという意識がありました。
 でも2011年にムーンライダーズが活動を休止したことによって、あれと違うものを作ろうという「あれ」がなくなっちゃうわけですよ。すべて過去のものになった。記録としては残っているけど。そこではじまるのが、KERAとのユニット、No Lie-Senseと、自分が作ったバンドのControversial Spark(メンバーは鈴木慶一、近藤研二、矢部浩志、岩崎なおみ、konore)。これでいわゆる“アフター・ムーンライダーズ”の動きがはじまる。今回のソロ・アルバムもそのなかのひとつなんですよね。

それは、慶一さんにとっては、新しい自由を獲得してそれを発揮するという気分なのか、それとも、ムーンライダーズという、ソロをやるときの基準がなくなったから、何をしてもいいなかで、いまソロ・アルバムを作る意味みたいなものを熟考されているうちに発売が遅れたのか、どちらなのでしょう?

鈴木:ソロ・アルバムが遅れたのは、いったん作ったものを反故にして、また新しいものを作ったから。2013年の終わりぐらいから作りはじめているんです。その間にとても身近なひとが亡くなったりしてね。悲しいことが起きると、私の場合はなぜか音楽を作る方向へいくんですよ。とにかく音楽を作るしかない。それと2012年に、すごく時間と手間ひまがかかる仕事を立てつづけに依頼されて、それに6ヶ月以上かかった。それは映画とミュージカルだけどね。蜷川幸雄さんの舞台(騒音歌舞伎『ボクの四谷怪談』/脚本・作詞=橋本治、演出=蜷川幸雄、音楽=鈴木慶一/2012年9月~10月上演)と北野武さんの映画(『アウトレイジ ビヨンド』/2012年10月劇場公開)。作曲する時間と労力のほとんどをそのふたつに費やしていたわけ。

悲しいことが起きると、私の場合はなぜか音楽を作る方向へいくんですよ。とにかく音楽を作るしかない。

 2012年の終わりに、来年は自分の作品の制作をはじめたいな、と思った。それで2013年にまずはじめたのが、Controversial Spark。で、その年にかしぶち(哲郎)くんの具合がよくないということを聞いてかなりショックで、1曲先に作ったのがこのなかではいちばん古い曲ですね。2013年の終わりにその歌詞を作った。それが“Untitled Songs”のパート1。2014年の頭にはその曲をライヴでやったりしていたね。それからアルバムを作ろうと思ってインスト中心に十何曲作るんですけど、私はひとりで独走しないんで、いろんなひとに聴いてもらっていたんだけど、とりあえずそれは置いておこうということになった。
 そういう結論に達して、またまっさらな状態からはじめる。それが2014年の終わりぐらいかな。一回白紙にもどして新たに作った曲を録音しはじめたのは今年に入ってからですよ。そのときに何曲かはできていました。このソロ・アルバムの半分弱くらいはレコーディングに入る前に自分で作っておいたものがあり、60%くらいはゴンドウ君のスタジオで突然できたものもあれば、駅に降り立ったときにできた最新のものもある。ムーンライダーズの活動を休止し、誰かが亡くなり、ということに対する自分なりのアンサーって感じですよね。

“Untitled Songs”を核としてこのアルバムは作られたのかな、と最初に聴いたときに思いました。

鈴木:それはスタートの問題であって、いったん作り出せば他の出来事も起きてくるので。誠に失礼かもしれないけれども、今年に入ってから武川(雅寛/はちみつぱい~ムーンライダーズのオリジナル・メンバー。ヴァイオリン、トランペットなどを担当。あがた森魚、加藤登紀子、南こうせつをはじめ多数のレコーディングやツアーに参加。ソロ・アルバムも4作発表している)くんが入院したニュースを聴いたときに、パッと曲ができたりね。それが“LivingとはLovingとは”だったりする。歌詞の内容はその出来事と違いますけどね。周りにも自分にも何が起きるかわからないときには、どんどんものを作るしかないんじゃないのかな。

世の中の出来事はむろんのこと、身近な出来事に対する本能的なリアクションが、慶一さんの場合、音楽というか。

鈴木:私にとって音楽を作ることは極めて初期衝動的な行為ですね。たとえば依頼された映画やミュージカルの音楽を作っていても、それとは関係ない自分の曲を作りはじめちゃう。でも忘れちゃうから、また依頼された仕事に戻っていく。そういうハイブリッドな状況が、ここ十年くらい続いていますね。

「垂れ流すようにものを作り発表していきたい」とかつて言っていたとすれば、その通りになったね。

ここ10年くらいの慶一さんの音楽活動は、かなり充実していらっしゃったと思うのですが、ご自身が活性化していたのでしょうか?

鈴木:その活性化が何なんだろうとも思うんだけど。それはどこか劣化なんだね(笑)。劣化しているので、体力も気にせず作曲しつづけてしまうとかさ。

今回取材させていただく前に、かつて慶一さんが出された本をいくつか読み返してみたんですが、パンタさんの『PANTA RHEI ~万物流転~』という対談集(91年1月/れんが書房新社)に慶一さんとの対談が収録されていて、慶一さんはそのなかで「行き着く果ては個人的民族音楽」ということをおっしゃっていました。世界のエスニックな民族音楽は、その土地の演奏者が自己批評しないで、ただあるがままにやっているだけだと。つまり自分のなかから勝手に出てくるものを、自分でセーブしたりチェックしたりしないで、全部垂れ流し状態で出せたら、それは素晴らしいものなんじゃないか。最後はその境地に行き着けたらいいね、と。

鈴木:「垂れ流すように」というところには行き着いたかもしれない。あがた(森魚)くんと「頭が呆けてきて前に作った曲と同じ曲をつくるかもしれないけど、そんなときが来たらいいんじゃないの」とも話していたけど、そこまでは至っていないですけどね(笑)。「垂れ流すようにものを作り発表していきたい」とかつて言っていたとすれば、その通りになったね。

あるときから歌詞にそんなに悩まなくなった、と以前インタヴューでおっしゃっているのを拝見したのですが、今作の詞もあまり悩んでいる感じがない。

鈴木:いや、ちょっと悩んだよね(笑)。明日歌を入れるために今日歌詞を作るという具合に、毎日歌詞を作っていたんだよ。次の日は13時スタートなんだけど、それができなくて15時にしてください、ってだんだん不規則になっちゃった。スケジュール的に忙しかったし、私が怠けていたわけではないと思う(笑)。それに、急遽、違う仕事が入ってきたりしたこともあって、ちょっと苦労したね。松尾清憲さんに歌詞を依頼されたりして、そういうときは角度を変えて、自分の作品づくりを措いておいて、そっちを先にやっちゃうんだよ。そうするとパッとできる。

ひとの作品の方が書きやすいということはありますか?

鈴木:ひとの場合はイメージができるので。たとえばある女性アーティストに対して歌詞を書くとする。そのひとに会っていろいろ話を聞いたりして、彼女をイメージして歌詞を作るということはできる。けど、自分はイメージできないからね。つまり、完全に自分はこういうひとだという確信はない。誰もがそうでしょう。どこかに「知らない自分があるんだろうなという疑惑があるわけね。

しかも、セルフ・プロデュースということは自分で判断をするしかない。たとえば曽我部恵一というプロデューサーを立てたときは、彼のジャッジが入るわけですよね。

鈴木:そうそう。しかも、彼は私の詞をカットアップすることもあったからね。「これ、1番いらないんじゃないですか」とか(笑)。

そういうご自身のジャッジメントに関しては、初の公式ソロ・アルバムとされている91年の『SUZUKI白書』と今作とはどのような相違がありますか?

鈴木:“『SUZUKI白書』から24年ぶり”と謳っていますが、実は完全にセルフ・プロデュースしたといえるのはこのアルバムが初めてかもしれない。『SUZUKI白書』の半分くらいはイギリス人にプロデュースを頼んでいるからね(※鈴木慶一氏が愛好するプログレ/ニュー・ウェイヴ/テクノ/アンビエントなど60~90年代の英国音楽の各分野から選んだトニー・マーティン、デヴィッド・モーション、マシュー・フィッシャー、デヴィッド・ベッドフォード、アンディ・ファルコナー、アレックス・パタースンに、楽曲ごとにプロデュースと編曲を依頼)。東アジアで収録した分は私がやりましたけど、それを引っさげて渡英して、こういうものをつくっているんだ、これをもとにちがうものをつくってくださいとお願いしているわけだから。歌詞はぜんぶ自分で書いていますけど。
 で、『火の玉ボーイ』(※実質的なソロデビュー作だが名義は“鈴木慶一とムーンライダース”/76年)までさかのぼると、あれだってほかのひとに、自分が書いた曲をもとにちがうものをつくってほしいと頼んでいる。私としてはスタジオ・アルバムはぜんぶ自分のソロ・アルバムのつもりでつくっているとはいえ、数々の人々の手助けがあるわけで、とくにムーンライダーズは大きい。アレンジ面でも助けてくれたしね。でも、今回みたいに全部の曲をほとんど自分で演奏して……っていうことはこれまでにないかもね。

結局はバンド体質なんだもん。だから集団でものをつくっていくのが好きなんだ。

今作はいろいろな意味で「初」と呼んでいい完全なソロ・アルバムなんですね。

鈴木:そのぶんの不安感はぜったいあるね。ただ、その前にユニットでの活動はいっぱいやっているんだけど──ザ・ビートニクスとか、No Lie-Senseとか。それはすごくやりやすいんですよ。ひとり他者がいると、「これってどうだろうな……?」っていうときのジャッジをしてくれるから。二人のユニットってほんとに便利だよね。一人だと、自分の中で切り裂かないといけないもん。「果たしてこれがいいんだろうか?」っていうような部分を、たとえば権藤(知彦)くんなんかは言ってくれるんだよね。
 でも権藤くんの立場は、レコーディングすることとプログラミングをすることで、そっちについては、私はなかなか批評するというレベルにまでいかない。やったことはあるけどね。コンソールの前にいて、録音して、ノイズがないかチェックしたり、データを直したりとか。それはけっこうちがう視線になっちゃうから。今回はかなりの部分をソロでやっているから、そこのジャッジをしてくれるのは(周囲の)みなさんということになるかな。

やはり、周りの人たちに訊かれるわけですか? 「どう思う?」って。

鈴木:もちろん。結局はバンド体質なんだもん。だから集団でものをつくっていくのが好きなんだ。で、ここでの集団は、スタジオでは私とゴンドウくんだけど、(アルバムに)参加しているひとはたくさんいるわけだから、その方々にもその都度聴いてもらう。ディレクターの柴崎(祐二)さんからもレポートがドカンとくる。それに私が書き加えて倍返しもする(笑)。

ジャッジしてくれる相手が必要なんですね?

鈴木:必要です。そうじゃないひともいるでしょう? そこまで自分は天才じゃないんでね……。ひとりで全部やると、どうも最終的な判断がわからなくなってくる。

誰かと何かを作るのがお好きなんでしょうね。

鈴木:日常もそうですよ。観るべきライヴとか映画がたくさんあるけど、自分でそれをカバーしきれないから、知り合いやマネージャーなど、いろいろな方々の話を聞きつつ、何を観るか決めたりする。ひとりじゃあね、実は怠け者で(笑)。それでワンステップ踏み出せなくなったらどうしようと思ってるけど、いまのところ大丈夫だから、まぁいっか(笑)。

インプットも活発にされているんですね。

鈴木:いろいろ行きますよ、映画なんかでも。ときどき「めんどくさいな」って思うので、そこで「よしっ!」って感じで行かないといけない。体調が悪ければ行かないだろうけど、いまのところそっちも大丈夫なんで。

慶一さんはいわゆる“田舎指向”とかはないですね? お知り合いのなかには東京から地方へ移住する方もきっといらっしゃいますよね。

鈴木:考えたことはあるけれどもね。

それは3.11のあと?

鈴木:いや、もっと前ですよ。20世紀のうちかな。いい場所があったんです。博多に高倉健さんが住んでいらした場所があって、連れて行ってもらったことがあるんです。けれども、移住はまったく実現はしなかった。要するに、朝7時までやっているバーとかがないとダメなんだね(笑)。

酒がお好きというよりも、集える場が必要なんでしょうか?

鈴木:今回の歌詞には、バーテンダーの発言をメモしたものがあるしね。歌詞を作っているときって、歌詞のことしか考えてないんだよ。曲を作るときは手の動きなんですよ。音が鳴ったときに何かできあがっていく。5秒でできあがることもあって、それをとりあえずデータとして記憶していくという。曲ではそれが可能なんだけど、文字に関しては、私は読書家ではないので、そんなに入力されていないんですよ(笑)。だから歌詞を作るときは耳をそばだてて、いろんな話をちょろちょろ聞きます。それを自分の携帯からMacに送って、歌詞メロ・フォルダに全部入れるんだよね。それを見ながら書く。そんな日々になるんだよ。その作業が終わっちゃうと、また言葉から離れる。

歌詞を作っているときって、歌詞のことしか考えてないんだよ。曲を作るときは手の動きなんですよ。音が鳴ったときに何かできあがっていく。

ご自分のことを読書家ではないとおっしゃいますが、ぼくは今作の“無垢と莫漣、チンケとお洒落”の「莫漣」っていう言葉がわからなかったんです(笑)。こういう難解な言葉はどこでインプットされたんですか?

鈴木:検索です。21世紀に入ってからは検索による作詞ばかりだね。本もチラッとめくったりしますよ。目をつぶって本を開く感じなの(笑)。かつてはずっとそんなことばかりしていた。ムーンライダーズの初期のころもそう。本を積んでバッと開いては作る。それもある種のカットアップ手法かもしれない。でも「本を開いたとき何かが閃く偶然」はどんどん少なくなって、いまは検索ばかりですよ。「莫漣はたまたま「無垢」を検索して、その反意語を調べていて見つけたんです。全部を対義語で作っていくなかで、無垢を歌詞にしたかったんだけど、その反意語に莫漣があった。「そういや昔、莫漣女っていたなぁ」とか思ってね。

「あばずれ」とか「すれっからし」とか、世間ずれしてずるがしこい女性の呼び名みたいですね(※詳しくは平山亜佐子氏の著書『明治 大正 昭和 不良少女伝―‐莫漣女と少女ギャング団』/09年/河出書房新社を参照のこと)。

鈴木:フェミニズム的にはちょっとやばいんですけどね。チンケだってそうですよね。

チンケって最近いわないですよね。そういう死語の発掘もよくされるんですか?

鈴木:うん。あと刑務所用語とか。

隠語ってやつですね(笑)。

鈴木:要するに、ほとんど表面にでてこない言葉とか、そういったものを使うことによって聞き手の方々が混乱するであろうと──それでいろんなイメージをもってくれればいいと思うわけで。今回の歌詞は結果的に抽象的だと思うんですよ。しかし、わりと男女(の関係)とかそのへんのことをやってみようかなと。あからさまにそれが出ているわけではないけどさ。まぁ、1曲めから“男は黙って…”だからね。

サッポロビールかい、という。“男は黙ってサッポロビール”というコマーシャルのコピーがすぐに出てくるのって、ギリギリ僕の世代までですよ(笑)。いまとなっては黒澤明の映画でも観ていないかぎり、(サッポロビールのコマーシャルに出演していた)三船敏郎すら知らないひとが増えているのではないかと心配になります(笑)。そういえば、今作の歌詞は数字にも着目して書かれていますね。「7と3で割って」とか「未熟の実が五分出来で」とか「ワルツは六拍子だと思い込んでいたら」とか。

鈴木:KERAの歌詞には数字が出てくることが多いですね。ビートニクスの4作め(『LAST TRAIN TO EXITOWN』/11年)の作詞は、ビートニクの研究からはじめて、それを歌詞にしていった。架空の町を作って、そこの住人はみんなグロテスクな人たちで、最後に若者が列車に乗って町を出て行くという、非常にアメリカ文学的な(シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』みたいな)感じなのね。ビートニクスの1作め(『EXITENTIALISM 出口主義』/81年)は勘違いしちゃって、完全にヨーロッパっぽいものになってしまったんですけど、それをちゃんとしたものにしようという意図があった。KERAとのユニット(No Lie-Sense)では、1作め(『First Suicide Note』/13年)はスーダラな無意味なものを目指した。“大通りはメインストリート”なんて当たり前じゃない(笑)。2作めも(1作めの)発売日に作りはじめているので、私の今回のソロの制作と重なっていたりする。No Lie-Senseも制作している時期は点在してるのね。今回のソロ・アルバムもその隙間を塗って制作している。それで今度のNo Lie-Senseのテーマは1964年なの。要するに高度成長期をテーマに歌詞を当てて書いている。けっこうとんでもない歌詞ができているんだけど、ケラとは数字の競い合いになるのね。その影響も今作にかなり入り込んできていると思うんですよ。

取材・文:北沢夏音(2015年12月18日)

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