Home > Interviews > interview with Keiichi Suzuki - レコードとメモリーの左岸で(前編)
音楽的な状況も、それを境に、自分のなかでは「変わったぞ」という感覚がある。64年は初めてエレキ・ブームがくる前の年だね。そこでこんな音があるんだとビックリするわけだよ。同じ年にビートルズがアメリカに上陸した。それで67年はヒッピー・ムーヴメント
■現在、毎週水曜の21時から、慶一さんがTBSラジオの『Sound Avenue 905』のDJを担当されていて、ぼくも楽しく聴かせていただいているんですけど、67年と64年を特集されていましたね。
鈴木:64年と67年がなんで重要かというと、私的なことで、私が中学に入学したのが64年。高校に入学したのが67年。それで環境がガラッと変わるので、非常にいろんなことを覚えている。音楽的な状況も、それを境に、自分のなかでは「変わったぞ」という感覚がある。64年は初めてエレキ・ブームがくる前の年だね。そこでこんな音があるんだとビックリするわけだよ。同じ年にビートルズがアメリカに上陸した。それで67年はヒッピー・ムーヴメント。そのふたつをすごく覚えているので、そのふたつを取り扱った。
■最初は歌ものよりもエレキのインストゥルメンタルに反応されていたと聞いたことがあります。
鈴木:そうです。それは単純に中学1年のときだから。女性はビートルズにハマるわけだよ。すると男性は「女性が夢中になっているものと違うものを探そうかな」となる(笑)。それで、そんなにルックスもよろしくなくて、歳も召したベンチャーズのインストゥルメンタルものに走るわけだよ。
■でもベンチャーズから洋楽にハマるひとって、当時のリアルタイムのリスナーにはすごく多いですよね。山下達郎さんもベンチャーズから入って、好きな曲の作曲者に着目してどんどん深みにはまって行かれたようです。
鈴木:あれがなぜ画期的だったかというと、ギターをもちながら演奏する。しかも数人で。それを初めて目にするわけ。ビートルズはそれに加えて歌も歌うと。コンボ編成の電化されたギターの音を聴くっていう体験は、初めてだった。
■最初に買ったレコードはシングル盤、あるいはコンパクト盤でしょうか?
鈴木:最初に自分で買ったのは、ベンチャーズの「パイプライン」。
■A面よりB面の曲がお好きだったとか。
鈴木:そうそう、“ロンリー・シー”ね。もちろんA面もいいんですけど。やはり波の音をギターで表現したのは新発明だね。エレキギターの新発明はいっぱいあります。ザ・バーズの12弦ギターも新発明だと思ったな。エレキをフォークギターのように弾くというね。
■64年から67年の間は3年しか経っていないけれど、すごい変化ですよね。
鈴木:さらにいうと、その3年後の70年には、私は音楽をはじめているわけです。ムーンライダーズで『火の玉ボーイ』を出したのは76年で、その3年後の79年には(バンドの音楽性が)ニューウェイヴになっているわけです。3年で物事は変わると。
■1年ごとの時代の体感速度は、やはり60年代がいちばん早かったのではないかと思えてならないのですが。
鈴木:そう思うけど、それはリスナーとしての感性の問題であって、自分でやりはじめてからのスピードの速さは、いまがいちばんかもしれないね。
■それは機材の進化の速さがあったからですか?
鈴木:それもあり、21世紀になってからかもしれないね。
■20世紀と21世紀の感覚の違いについて、最近よく考えるのですが、20世紀の真ん中から濃いカルチャーを摂取されていた慶一さんが感じる、20世紀と21世紀のいちばんの違いとは何でしょう?
鈴木:いちばんの違いは情報量かなぁ。いまは情報をゲットすることは簡単だけど、量も多いし、嘘もあると。60年代のころは情報を得るのが大変だったもんね。音楽雑誌を読んで、いいグループ名のバンドがいい音楽を作っていそうだな、と思って、グループ名で買う。当たり前だけどハズレもある。あとはFEN(米軍放送)を聴いていても、ずっと英語だからシンガーもバンド名もよくわからない。そういうときは「これかなぁ」という勘も必要だったね。そういう勘はいまだにあるけどね。
■いまは、みんなラジオを新しい音楽を発見するためのソースとして使わなくなっていますが……。
鈴木:かつてはラジオだけです。雑誌も「ティーンビート」と「ミュージックレビュー」くらいしかないので、あとはラジオだけです。そこで生まれたラジオ愛があるからやっているのが、いまの番組ですけどね。
かつてはラジオだけです。雑誌も「ティーンビート」と「ミュージックレビュー」くらいしかないので、あとはラジオだけです。そこで生まれたラジオ愛があるからやっているのが、いまの番組ですけどね。
■佐野元春さん、鈴木慶一さん、小西康陽さんという3人のレギュラーが、それぞれ独自のスタイルと選曲で、やりたいようにやっていて最高だなと思います。
鈴木:野球のオフシーズンの放送だけど、TBSのあの時間ってすごいと思う。でもね、感激するよ。かつてAMを聴いていて「こんな曲があるんだ!」って思っていた10代の自分が大人になって、今度は自分の好きな曲をかけているんだから。糸居五郎さんのマネをしてしゃべっていたりするので、放送されたものの同録音源を自分で聴くと感激ですよ。自分はこういうことをやることになったのかと思うと感慨深いね。
■テレビの音楽番組の司会はされていましたけど、民放の中波ラジオというのは初めてですか?
鈴木:初めてですね。FMはあったりするけど、JFNとか、ミュージックバードとか、(音楽が)ステレオでかかるところばかりだった。今後はTBSもステレオ化していくんだろうけど、一応チューニングを合わせると全国的に誰でも聴けるところで音楽を流せるっていうのはねぇ……非常にうれしいですよ。
■反響もかなりあるでしょう?
鈴木:選曲がすごく大変なんだけどね。
■適当に選曲しているのではなくて、特集をされていますものね。
鈴木:特集を組まなきゃいいんだけどね(笑)。全体の流れを考えて作っていかなきゃいけないから、やっぱり選曲に8時間はかかるよ。
■64年とか67年の音楽って、いまや放送で接する機会がほとんどないので、若いリスナーにはきっと新しい発見があると思います。90年代の前半くらいまでは、60年代って意外に近く感じられたのに、いまはなぜこんなにも60年代が遠ざかっているように感じるのか、友だちと話していたら、身近なところにロックがないからでしょうと。ロックがカルチャーの入口になっているうちは60年代にアクセスしやすかった。ところがロック自体も変わってきているし、時代を牽引する力を失ってしまうと、過去のカルチャーにアクセスするための入口として機能しなくなってきたきらいがある。
鈴木:ただ、最新のロックと呼ばれているような音楽は変容しているけど、そのぶん面白かったりするんだよ。64年、67年と区切ったらその年のものしかかけられないから、それはそれで特定の世界を生み出すとは思うけどさ。でも、あの番組は意外と50代、60代が聞いていないということを知ったんだけど、これでいいかなと。
■聴いている層はもっと若いんですか?
鈴木:20代、30代が多くてうれしいですよ。ラジオって、私には面白いけど、じゃあ聴くかっていわれると、そんなに聴いてはいないんだよ。80年代まではよく聴いていたけどね。そこで曲をチェックして影響を受けるっっていうことは何度かあったよね。いまはradikoとか聴くかな。とにかく音楽を聴きたいわけで、話を聞きたいわけではないんだよね。音楽をたくさんかける番組がだんだんなくなってきたのかもしれないね。ラジオで音楽がかかるというのが、私が10代のころは当たり前だったので、そう思っちゃうんだよね。
■ぼくもラジオがなかったら音楽を好きになっていなかったかもしれないです。
鈴木:まったくその通りだね。湯川れい子さんのおかげでございます。ブリティッシュということばを知ったのが63、4年。湯川さんが「ブリティッシュ」って言ってたんだよな。俺、プリティッシュだと思っていたから意味がぜんぜんわかんなかったんだよね(笑)。
湯川さんが「ブリティッシュ」って言ってたんだよな。俺、プリティッシュだと思っていたから意味がぜんぜんわかんなかったんだよね(笑)。
鈴木慶一 Records and Memories Pヴァイン |
鈴木慶一 謀らずも朝夕45年 Pヴァイン |
■ブリティッシュといえば、3枚組のアンソロジー『謀らずも朝夕45年』を聴きながら、いかに慶一さんが日本ではあまり知られていなかった英国産モダン・ポップやニューウェイヴなどをリアルタイムで絶妙に消化して──もちろんイギリスにかぎりませんが──独自の音楽を作っていたか、あらためて感嘆しました。一方で「なんであの曲が入っていないんだ」と思ったりして、過去のアルバムをたくさん聴き返してみたり、すごく充実した時間を過ごさせていただいたんです。
鈴木:ありがとうございます。あれはアーカイヴィスツによる選出だからね。年代がバラバラの数人で選んでいる。だから、自分も「こんな曲あったなぁ」と発見があったりしますよ。
■ムーンライダーズって、アルバム1曲めと2曲めには必ずいい曲をもってきますよね。あと、最後の曲も名曲率が高いと思うんです。今回DISC 1の“ジェラシー”“(『イスタンブール・マンボ』/77年)、“スイマー”“(『ヌーベル・バーグ』/78年)、“ヴィデオ・ボーイ”(『モダーン・ミュージック』/79年)と、ムーンライダーズの2作めから4作めまでのアルバム1曲めが3曲連続でかかるところは聴いていて思わずアガりますね。この並びは過去のベスト盤でもなかったパターンですよね。でも、なぜ『マニラ・マニエラ』からは“花咲く乙女よ穴を掘れ”なのかな、とか気になって。当時ムーンライダーズは「売れようとしないバンド」とか、ひとによってはいろいろな見方があったと思うんですけど、売れることをまったく考えていなかったかというと、そんなことはないんじゃないかなと。キャッチーな曲もたくさんあるし。
鈴木:いや、売れようとは休止するまで1回も思ったことはないけどね(笑)。
■レコード会社に対しては、毎回アルバムを「これでどうだ!」みたいな感じで作っているような気がしました。
鈴木:「売れる」ということばを私はあんまり使わないからね。ただ、売れるものを作ったら、そこが到達点だと思って35年間みんなやってきたんだと思う。それでチャンスを逃したのが正解だったのか、それとも自分がズレていたりとかで、だんだん私はオルタナなんだなっていうことになってくるわけだよね。べつにオルタナでもヒットする場合もあるだろうし。その欲望は(ムーンライダーズが活動を休止する)2011年までは持ってたと思う。
■このアンソロジーを聴いて、ご自身でも発見があったとおっしゃいましたが、たとえば?
鈴木:21世紀のアルバムから選ばれている曲。そのへんが最近のことなので、よく覚えていなかったりするんだよね。だから、その曲をこの前の11月のライヴで取り上げたりした。“本当におしまいの話”(『Tokyo7』/09年)とかね。そういう曲あったなぁと。
■たしかに『Tokyo 7』はムーンライダーズ史のなかでどう位置づけていいのかよくわからないというか。そのタイトルを見たときに、シカゴ・セヴン(※カウンター・カルチャーのピークとなった68年、“イッピー”と呼ばれるアメリカの反体制運動の闘士たちがシカゴで検挙され、裁判にかけられた。アビー・ホフマン、ジェリー・ルービンなど7人の被告を総称する呼び名が”シカゴ・セヴン“。さらにブラック・パンサーのボビー・シールを加えて“シカゴ・エイト”と呼ぶこともある)を思い出しました。
鈴木:そこからきているんです。「TOKYO 7」ってムーンライダーズのメーリングリストの名前なんですよ。メンバー6人プラス、もうひとりが入って7人っていうことにしていた。
■“本当におしまいの話”って、タイトルが強烈ですね。
鈴木:あれは親父が亡くなったころだったなぁ。そういうのもあるんじゃない?
運命で片付けてはいけないが、結局はそういうもんなんだよね。1951年という20世紀の真ん中に生まれて、60年代をリアルタイムで体感し、ニューウェイヴも体感し、21世紀になるときにちょうど50歳になり、とかね。
■『火の玉ボーイとコモンマン 東京・音楽・家族 1951-1990』(89年/新宿書房)という慶一さんがご家族と対談している本を読み返すと、お父さんの鈴木昭生氏が新劇の俳優をされていて、羽田のご実家に劇団文化座のお仲間がたくさん出入りするなかで、ある種の雑居状態の環境で育ったことが、慶一さんに大きな影響をおよぼしたのかな、とあらためて感じました。
鈴木:もともと集団に属していたんですよ。あと、じいさんとばあさんを入れて9人。バンド思考になっていくのはそれも影響しているんだろうね。でも親父からどんな影響を受けたかははっきりしてない。その周辺の方々に遊んでもらっていて、そのひとたちの言う冗談が面白かった。その影響はあるかもしれないね。
■“東京ディープサウス”、羽田という工場地帯の土地柄も大きかった、とおっしゃっていますね。
鈴木:運命で片付けてはいけないが、結局はそういうもんなんだよね。1951年という20世紀の真ん中に生まれて、60年代をリアルタイムで体感し、ニューウェイヴも体感し、21世紀になるときにちょうど50歳になり、とかね。
■無理矢理結びつける気はないのですが、『Records and Memories』、レコード(記録)とメモリー(記憶)という今作のタイトルは、かなり示唆的というか、現在の慶一さんの心境や創作態度を反映しているような気がします。
鈴木:最初からそうしようと思ってたの。曲を作り出して、白紙に戻して作り替えても、アルバムのタイトルはずーっと『Records and Memories』だった。じゃあ、結局、なんでもありではないかと。いまは禁じ手というものはない状態かな。あとムーンライダーズが休止しているのも大きい。それとは違うものを作るためのControversial Sparkと同じようにユニットで、No Lie-Senseだったり、ビートニクスをやっている。曽我部恵一くんといっしょにやっていた時期は、まだムーンライダーズをやっていたから、今作の特徴はやっぱりそれがないってことだよね。
こういっちゃうと譬えが大きいけど、ポール・マッカートニーの気持ちがわかるんですよ。『ヤァ!ブロード・ストリート』(84年)なんか最高だと思ったんだけどね。ビートルズを解散しウィングスを作り、ウィングスを解散しソロになり、来日もしてビートルズの曲もやっているし。ウィングスのときはビートルズの曲をあんまりやらないでしょう? いまはもう生きているビートルズのメンバーはふたりしかいないんだし、実際に歌うのはひとりしかいないんだし、全部背負う感じでジョン・レノンの曲もやると。その気持ちがいますごくわかるね。その気持ちはこのアルバムに反映されていないかもしれないけど、極論をいえば、ムーンライダーズが存続していて2015年にも活動していたとする。そうしたら私は(今作に入っている)こういう曲を提出していただろうなと。
こういっちゃうと譬えが大きいけど、ポール・マッカートニーの気持ちがわかるんですよ。
■そういうふうに、ムーンライダーズをソロを作るときの基準にされていたんですか?
鈴木:それはあとからわかったことだね。作っているときは自由でありかつ不満な状態で音楽と向き合っている。できあがったものを聴いてみると、ムーンライダーズをずっとやっていたらこういう曲も入っていたかもな、と思う。もちろんそれだけじゃないですけどね。私のなかのいろんな記憶なり、記録を自由に詰め込んだ状態なので、自分色が強すぎて、聴くと寝ちゃうんです(笑)。
■覚醒するんじゃなくて寝ちゃうんですか(笑)。
鈴木:そこに意外性が発見できるのは、バンドだったりユニットだったり、他者とやった場合だよね。あと自分でプロデュースした場合も意外性が発見できないね。
■自分のなかにあるものだけで作っていると。
鈴木:それは私自身しか感じないことだから意味がないことかもしれないけど、そういう濃厚さはあると思うんだ。
(後編は来週公開。男女観から映画談議まで、そして曲ごとに掘り下げられていく「レコード」と「メモリー」……。同分量でお届けいたします!)
取材・文:北沢夏音(2015年12月18日)
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