Home > Interviews > interview with Jacques Greene & Nosaj Thing (Verses GT) - ヴァーシーズGT──ジャック・グリーンとノサッジ・シングが組んだ話題のプロジェクト
モントリオールのハウス・プロデューサー、ジャック・グリーン。LAビート・シーンを出自にもち、現在はなんと東京に暮らしているというノサッジ・シング。ふたりによる共同プロジェクトがヴァーシーズGTだ。シングルが評判だった彼ら、ついに放たれた初のアルバムやいかに。
「踊れる」ような瞬間も、「クラブ向けの武器」というより、どちらかといえば「過去のダンスフロアの亡霊たち」が漂っているような(笑)、そういう回想的でやや距離のある感覚があると思う。(ジャック・グリーン)
■おふたりそれぞれにとって、このヴァーシーズGTというプロジェクトと、自身のソロ活動とでいちばん異なっている点を教えてください。
JG:ぼくにとっては、精神面のアプローチがそのまま音楽的な結果につながっていると思う。自分のソロ作品には、どこか落ち着きのないエネルギーとか、レイヤーの多さがあって、それはたぶん、ひとりで作業していると「もうひとつなにか加えないと」って無意識に思ってしまうからなんだと思う。たとえばひとつメロディを書いて、「これだけだと物足りないかもしれない」と感じて、さらにカウンターメロディを重ねたりして、結果として曲が複雑になりすぎてしまうことがある。それは、ちょっとした不安や自信のなさから来ている部分もあると思う。その点、ジェイソン──ノサッジ・シングはミニマリズムの美学を持っているし、ふたりで作業することで「ひとつひとつの音にちゃんと居場所を与える」という意識がすごく強くなった。「リスナーがその瞬間になにを聴いているか」が明確になるように、音を詰めこみすぎないように意識していたんだ。結果的に、ミニマルでありながらもひとつひとつの音に自信を持ってスペースを与えるような音楽になったと思う。そういうことは自分のソロ作品ではあまりできていないことでもあるし、このプロジェクトの大きな魅力になっていると思っている。
NT:先ほども触れたことだけど、自分にとってソロ制作とは「自分自身との対話」なんだ。毎回の作品をとおして、自分が次になにを目指すべきか、どこに進むべきかを探っている。最近ずっと考えているのは「大きく方向転換すること(Hard left)」なんだけど、自分のなかで「これはこれまでとはちがう」と思えるようなサウンドを見つけたい、そういう挑戦をつねにしていたいと思っている。ただ、フィルとのコラボレイションでは、そこがまったく異なっていて、いちばん面白かったのはじつは、スタジオの外で交わした会話のほうだったかもしれない。そういったやりとりが “突破口” になっていて、その後スタジオに入ると、もうことばを交わさなくても音が自然と出てくる。フィルが言っていたみたいに、“フロー状態” に入れていたと思う。それにたんに音楽的な刺激を与えあうだけじゃなくて、視覚的な面──たとえば互いにグラフィック作品や映画をシェアしたり、彼のスタジオでもぼくのスタジオでも、開いた本のページを撮影してリファレンスとして使ったりしていた。共通のメモもつくっていて、そこには気になったことばやフレーズをどんどん記録していって、曲のタイトルもそういうやりとりのなかから自然に決まっていった。まさに「リサーチを一緒にしていた」という感じだったね。
■こうしたふたりのコラボレイションの場合は、ふたりの息がぴったりうまく合って一体化するような瞬間も、逆に、それぞれの個性を押し殺さず、自分を主張する場面も、どちらもたいせつなのではないかと想像します。もしこのアルバムを「友」と「敵(対立)」の要素に分けるとしたら、それぞれ何パーセントくらいだと思いますか?
JG:面白い質問だね。たぶん、さっき言った「50/50」の意味が、まさにそういうことなんだと思う。あるとき制作中に、ジェイソンが東京にいたから物理的に離れていたときがあって、彼からなにかトラックの変更案みたいなものが送られてきたことがあったんだ。それを聴いたとき、最初は反射的に「いや、そこはちがうんじゃないか」って思ってしまった。でも、すぐに返信する前に、もう何回かちゃんと聴きなおしてみたら、「ああ、これはジャック・グリーンじゃなくて、ノサッジ・シングとしての方向性なんだな」って気づいたんだ。だったら、それでいいんじゃないかって思った。アルバム全体が自分ひとりのヴィジョンだけで進んでいるわけじゃなくて、ふたりのものなんだから、「これは彼のパートなんだ」って素直に認めることができた。だから、いわゆる「対立」というより、自分のなかでの葛藤というか、「自分だったらこうはしない」という気持ちとの向きあいがあったんだと思う。でも、そもそもそれこそがコラボレイションの醍醐味でもあるはずで、ぜんぶ自分のやりたいとおりにしてしまったら、それはひとりでやってるのと変わらないからね(笑)。その一方で、完璧に流れに乗ってつくれた曲もいくつかあって、たとえば “Unknown” とか “Found” とか “Intention” みたいな、ループが多めで内省的なトラックたちは、ほとんど一気に一回のセッションでつくりあげたものなんだ。そのあとは少し整えただけで、最初から最後まで疑いなく進められた。そういうのは完全に “フローステート” だったと思う。でも、他の曲ではやっぱり「対立」とまでは言わないけど、互いに、自分だったら選ばない方向に相手が舵を切る瞬間があって、そこにどうスペースを譲りあうか、という内面的なやりとりがあったと思う。
NT:そうだね、自分はそういうふうに考えたことはなかったけど……でも、コロナ禍がはじまってからは、自分にとって大きな転換点だった。フィルも言ってくれていたけど、ぼくはLAでセッション・ワークやほかのひととのコラボレイションを増やすようになって、プロデューサーとしても、聴く側としてもすごく成長できたと思っている。たとえば、とても尊敬しているプロデューサーのデイヴ・シーテック(Dave Sitek)というひとがいるんだけど、彼はいつも、機材の使い方を細かく教えたりはせずに、ただ「これセットしてあるから、自由にやってみて」というスタンスなんだ。ぼくもそれとおなじようなアプローチを心がけていて、たとえば、自分のスタジオに Pulsar や Perkons というドラムマシンを置いてあるんだけど、ぼくはそれをセットするだけで、自由にフィルに使ってもらいたい。フィルがそれを触ると、自分では絶対に思いつかないような音が生まれたりするから。彼なら絶対に自分なりのやり方でいいものを出してくれるという信頼があるから、安心して任せられる。そういう「セットして、あとはなにが出てくるか見てみよう」っていう瞬間が、いちばん面白くて、いちばん予想外で、興奮する時間だったりするんだ。
この作品は音楽という領域を超えたものであり、今後どう展開していくか、自分自身とても楽しみにしているんだ。これはまだほんのはじまりにすぎないからね。(ノサッジ・シング)
■個人的には “Unknown” や “Found” といったUKガラージ~ダブステップのビートの曲がとくに印象に残ります。00年代終わりころに登場してきたおふたりは、いまこのビートと向きあってみてどういう感慨を抱きましたか? なつかしさ? 新鮮さ?
JG:自分としては「新鮮さ」のほうが強かったと思う。2009年にそのまま出せたような曲をつくろうという意識は、正直まったくなかった。あの時代のサウンドには、たしかに安心感というか、落ち着く場所みたいな側面もあるんだけど、それ以上に「いまこのかたちでなにか新しいことができないか」というインスピレイションを感じていた。レトロなものをつくるつもりはいっさいなかったし、あの形式のなかで、いまの自分たちなりの表現を探すということを意識していたと思う。
NT:ぼくも具体的に「あの時代」みたいなことは考えてなかったと思う。当時の作品を聴き返したり、特定のリファレンスを意識したりということも、とくになかった。むしろ、ああいうリズムは自然に出てきたものだったんだと思う。意識というより、身体から自然に出てきたビートだったという感じかな(笑)。
■このアルバムには明確にダンスのビートがありつつも、きめ細やかに練りあげられたテクスチャーや音響のおかげで、どこか遠くからダンスフロアを眺めているような感覚もあります。ここには、15年くらいキャリアを重ねてきた現在のおふたりの気分が反映されているのでしょうか?
JG:まさにそうだと思う。すごく美しくて的確な表現だね。ぼくはいまでもクラブに足を運ぶようにはしていて、じっさいちゃんと音に入りこんで楽しんでいる。むかしより頻度は減ったかもしれないけど、それでもダンスフロアに身を投じて、音楽ファンとしての感覚を保ちつづけるというのは、すごく大事なことだと思う。ただ、このアルバムにかんして言えば、いわゆる「フロア向けのレコード」ではないと思っている。もちろんダンスの文脈は含まれているし、DJの耳にも響くとは思うけど、それは「クラブで使えるツール」というよりも、たとえばギグの帰り道に車のなかで聴くような、そういうシーンに寄り添う作品なんじゃないかと思っているんだ。じっさい、今回のアルバムの大部分はロサンゼルスのジェイソンのスタジオで制作したんだけど、ロサンゼルスは完全に「車の街(車社会)」なんだよね。ぼくも滞在中はレンタカーで移動していて、日中はスタジオで作業して、夜になると宿に戻るために運転するんだけど、そのドライヴで、その日につくった曲をMP3で書きだして、深夜11時半くらいの静かな道を走りながら聴くと、「ああ、この音楽はこういうふうに響くんだ」って、しっくりくる瞬間があるんだ。このアルバムに収録されている「踊れる」ような瞬間も、「クラブ向けの武器(club weapons)」というより、どちらかといえば「過去のダンスフロアの亡霊たち(ghosts of dance floor in the past)」が漂っているような(笑)、そういう回想的でやや距離のある感覚があると思う。
NT:たしかに曲によってはダンス・レコードとして機能する瞬間もあると思う。でも、最初から「クラブのための作品」としてイメージしていたわけではなかったんだ。ダンス的な要素もある一方で、アンビエントな要素や、テンポを落とした、ほとんど「歌」に近いような構成のトラックもあって、曲としての構造をもったものも多いし、自分のなかでは、どちらかというと映画みたいに流れていく作品──ひとつの映像作品のように聞こえるような構成を思い描いていた。それから、今回のプロジェクトでは、ザヴィエル・テラやテレンス・テイとのコラボレイションも大きな要素で、テレンスはクリエイティヴ・ディレクションを、ザヴィエルはミュージック・ヴィデオの演出やフォトグラフィを担当してくれている。だから、この作品は音楽という領域を超えたものであり、今後どう展開していくか、自分自身とても楽しみにしているんだ。これはまだほんのはじまりにすぎないからね。
この作品には、「現実世界と向き合うこと」や「他者とのつながり」というテーマが、自然と流れている。(ジャック・グリーン)
■今回、最初に発表されたふたりの共作2曲、“Too Close” と “RB3” をアルバムに収録しなかったのは、ダンス・ミュージックのカルチャーにおいてシングルとアルバムはべつもの、との考えにもとづいてでしょうか?
JG:いや、そういう考えにもとづいていたわけではないかな。“Too Close” と “RB3” は、自分たちがいっしょに作業するなかで、それぞれちがった方向性の極にある曲のように感じていて、言ってみれば「設計図」みたいな役割を果たしていたというか……。いや、「設計図」というと未完成みたいに聞こえるかもしれないけど、どちらもちゃんと完成された曲だと思っているし、誇りに思っている。ただ、あの2曲は「自分たちのコラボレイションとは、どういうものだろう?」というのを探っていた時期のものなんだと思う。“Too Close” は、ぼくたちがいっしょに音楽をつくりはじめて数年経ったくらいのころにできたもので、スタジオで一気に仕上がった最初の曲のひとつだった。「これはいけるかも」と直感的に感じたし、ふたりにとって最初にリリースするのにふさわしいトラックだったんだ。でもそれは、どちらか一方の世界というより、ぼくの音とノサッジ・シングの音がそのまま並んでいて、それぞれの「色」がはっきりと分かれていた気がする。そこが面白さでもあったんだけどね。それにたいして “RB3” は、まったくべつの感触があった。「ジャック・グリーンっぽい音+ノサッジ・シングっぽい音」ではなく、ふたりが混ざりあって、まったく新しいなにかが生まれはじめている感じがあった。そこからさらに一歩踏み込んで、その流れを押し進めた結果、アルバムに収録された曲たちができていった。今回アルバムを「Verses GT」という名前で出したのも、それがたんなるフィーチャリングや連名コラボレイションではなく、ひとつのユニットとしての表現になっているからで、だからこそ収録する曲もそこにしっかり合うものだけにしたかったんだ。じっさい、アルバムのためにたくさんの曲を書いたし、今後出すかもしれない曲もあれば、出さないままのものもあると思う。でもこのアルバムに収めた10曲については、余分なものを削ぎ落として、ひとつの物語としてまとまるようにした。ちょうどアナログ盤のA面とB面に5曲ずつ収められる構成で、しっかりセレクションをして完成させた作品なんだ。
■ロンドン、LA、モントリオール、パリ、東京の5か所でじっさいにふたりで会ってレコーディングしたのですよね。それぞれの都市の雰囲気から影響は受けましたか? たとえばパリのモーターベース・スタジオは少し特別だったのではないでしょうか。
JG:それぞれの街からは間違いなく影響を受けたと思う。さっきも話したけど、ロサンゼルスでは、街の「車社会」という環境自体が、自分の音楽のつくり方に直に影響していたし。
モーターベース・スタジオはほんとうにすばらしかった。朝から新しいトラックをいくつかレコーディングして、午後には、ほぼ完成していた2~3曲を仕上げる作業に集中できたんだけど、その「最後の5%」というのがじつはいちばん難しい部分だったりするんだよ。でも、あの空間にいることで「ぼくたちはプロとして音楽をつくっているんだ」という感覚がもてて(笑)、スタジオの部屋から受けとったエネルギーを曲に還元するみたいな相互作用があったと思う。結果としてたんなる音の仕上げ以上に、曲に魂みたいなものが加わった感覚があったし、気持ちの面でもすごく熱くなれた気がする。あと、ロンドンでは、前日にUKでやったDJセットに直接インスパイアされて、そのまま1曲を仕上げたんだ。あの街の空気も、しっかり音に入っていたと思う。
通訳:ジェイソンさんは印象的だった土地はありましたか?
NT:東京でのレコーディングが、ちょっと大変だったけどワクワクする状況だったね。たしか、タイソンの曲(“Angels”)を最終的に仕上げたのが恵比寿のNOAHスタジオだったんだ。知ってるかい? 都内にいくつもあるよね。あのときは小さな部屋を予約して、そこで絶対に曲を完成させなきゃいけなかった。ぼく自身NOAHに入るのはあれが初めてだったんだけど、なんか面白かったな。これはまたべつの日の話なんだけど、夜、ちょうどフィルが東京に到着した当日にアルバムの最終盤を納品しなくちゃいけないことに気づいたんだ。だから、フィルは空港からぼくの家に直行するハメになった。ぼくたちはたしか「あと1~2日くらい余裕がある」と思いこんでたんだけど、時差の影響もあって、よくよく確認してみたら「えっ、提出期限、今夜じゃん」ってなって(笑)。
JG:ぼくはちょうど成田空港に着いたところで、スマホ見たらレーベルからのメッセージが入っていたから、すぐジェイソンに「やばい、今夜0時(東京時間)までにマスターをエンジニアに送らないといけない」って連絡したんだ。午後4時くらいのことだよ。
NT:でもそのときぼくは、引っ越したばっかりだったからネットがまだ通っていなかったんだ。だからスマホをラップトップにテザリングしたんだけど、通信が不安定だから、窓際にスマホを置いて、なんとかアップロードして提出した。まさに任務って感じだったよ(笑)。
でも、ちゃんと間に合ったし、あれはあれで最高だった。で、そのあと……なにしたんだっけ? たしか、ちょっとした打ち上げみたいなことをしたんだよね?
JG:そう、鯖の味噌煮を食べにいったよ。あと12時半くらいに、近所のドンキに行って、ちょっといい日本酒を1本買って、乾杯した(笑)。
NT:あれは楽しかったな。いまでもはっきり覚えてるよ。
■ヴォーカル入りの3曲の歌詞については、ゲスト・ヴォーカルの3人それぞれに任せたのでしょうか? なにかディレクションはしましたか?
JG:基本的には、それぞれのヴォーカリストに自由に任せたよ。こちらから具体的なことばや歌詞を渡すようなことはしなかったけど、アルバム全体のムードについては、ある程度こちらの考えを共有するようにはしていた。とくにクーチカとは、そのあたりの意識をしっかり合わせた感じだった。アルバム全体がいわゆるコンセプト・アルバムというわけではないけれど、この作品には、「現実世界と向き合うこと」や「他者とのつながり」というテーマが、自然と流れている。自分たちがどう生きていくか──そういう問いにたいする姿勢というか、日常のなかにあるものや、他者をちゃんと見つめ、感謝するというような、ある種の選びとる感覚があるんだ。だからクーチカには「デジタルに覆われたいまの世界のなかで、リアルなだれかとつながりたい」という感覚を伝えた。彼女はそこから「だれかと永遠にいっしょにいたいという気持ち」みたいな方向に展開してくれて、その感情を歌詞に落としこんでくれたんだ。
ジョージ・ライリーのケースはちょっと逆で、歌詞が録音されたあとにじっくり話す機会があって、「あの歌詞にはどういう意味があるの?」と尋ねたら、彼女はすごく素敵なインスピレイション源を共有してくれた。ちょうどそのとき彼女はベル・フックスの本を読んでいたり、「聖テレジアの法悦」という有名な大理石彫刻をじっさいに観に行った直後だったらしい。「聖テレジアの法悦」は、布が風に舞うような質感で、聖テレジアが恍惚の表情を浮かべている作品だよ。彼女の歌詞は、そういう本やアートとの出会いを通じて生まれたものだったんだ。
ちょうどそのとき彼女はベル・フックスの本を読んでいたり、「聖テレジアの法悦」という有名な大理石彫刻をじっさいに観に行った直後だったらしい。(ジャック・グリーン)
■今回のアルバムでいちばん気に入っている曲とその理由を、おふたりそれぞれ教えてください。
NT:1曲だけ? 何曲かあげたいんだけど。気に入っている曲は変わったりするけど、やっぱり “Found” は特別な1曲だと思う。あの曲はたしか、ほぼ完成するまで20分もかかっていなかったんじゃないかな。ふたりとも完全に集中していて、めちゃくちゃテンションが上がっていた。フィルも言っていたけど、トラックをつくっているあいだは互いにほとんど話さなかったんだよ。でも気づいたらループではなくて、いつの間にか1曲丸ごとできていて……時間の感覚が完全になくなっていた。あのときの興奮はいまでもおぼえてるよ。鳥肌が立って、ゾクッとした。最高の瞬間だった。もうひとつはタイソンの曲(“Angels”)かな。しばらく聴いていなかったんだけど、さっきあらためて聴いたら「うわ、これ自分たちでつくったんだよな」って、あらためて感動した。すごく美しいトラックだと思う。
JG:たしかに “Found” は特別な1曲だよね。まさに “フローステート” で生まれた曲で、制作中もほんとうに気持ちがよかった。完成したトラックとしても気に入ってるし、なにより聴くたびに「ああ、音楽ってこういうふうにつくれるんだな」って思える。もちろんジェイソンとのコラボレイションという文脈でも面白い曲なんだけど、それ以上に音楽をつくるという行為そのものが純粋に楽しくて、この曲にはその感覚がそのまま残っている気がする。音楽活動を長くやっていると「もっと楽になるだろう」と思う一方で、逆に難しくなることもある。「もう言いたいことは言いきったんじゃないか」とか、「リスナーは自分になにを求めてるんだろう」とか、「どれくらい売らなきゃいけないんだろう」とか、頭のなかがそういう思考でいっぱいになってしまうことがあるんだよね。今回のアルバムの多くは、そういったものにたいする “アンチ” でもあるんだけど、“Found” はとくに、そうした雑念を完全に振り払って、ただ「音をつくる」という純粋な喜びだけがある。だからこそ、とても満たされる曲なんだ。
それからもう1曲、アルバムの最後に入っている “Vision and Television” も個人的にすごく気に入ってるんだ。パリのモーターベース・スタジオで録ったんだけど、大量の機材があるスタジオで、あそこに入った瞬間、「あ、CS-70がある!」と感動した。スタジオのエンジニアもすごく親切で、「使ってみる?」ってすぐにセッティングしてくれた。CS-70 は昔のシンセで、とてもレアな機材なんだけど、MIDI もついていないから、ジェイソンが直接手で弾いて音を探っていくしかなかった。ぼくはちょっとエンジニア的な役回りで、録音をはじめた。ジェイソンがいくつかコードを弾いていくうちに、すごくシンプルで、でもはかなくて、浮遊感のある響きが見つかって、ふたりで「あ、これだ」って思った。あの曲は2分ちょっとのアンビエント的な小品だけど、聴くたびに自分の意識が少しだけ変わるような、不思議な力を持っているんだ。
■11月の MUTEK で来日されますね。最後に、当日の意気込みと、ファンへのメッセージをお願いします。
JG:今回の MUTEK は、ぼくたちふたりにとって特別なショウになると思っているよ。MUTEK はもともとモントリオール発祥のフェスティヴァルで、そこはぼくが生まれ育った場所でもあるからね。去年、モントリオールで MUTEK の25周年が開催されたんだけど、そのときにぼくとジェイソンで初めてのライヴをやったんだ。あれがぼくたちの初ステージだった。そして今年は MUTEK JAPAN の10周年にあたる年で、しかもぼくたちにとって今回のツアーの最終公演になる。だから、できるだけリハーサルを重ねて、万全の状態で臨みたいと思っているよ。このプロジェクトの美しい締めくくりになるような、そんなステージにしたい。ぼくにとっての「出発点」であるモントリオールと、いまジェイソンが住んでいる「現在地」である東京が、MUTEK という文脈のなかでつながるというのはすごく象徴的だと思う。そういう意味でも、このステージが実現するのはほんとうに感慨深いし、最後のショウとしての熱量をしっかり詰めこめたらと思ってる。ほんとうに楽しみにしてるよ!
質問・序文:小林拓音(2025年9月12日)
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