Home > Interviews > interview with Weirdcore - 謎のヴィジュアル・アーティスト、ウィアードコアへの質問
2010年代のエレクトロニック・ミュージックにおける象徴的な変化のひとつに、オーディオ・ヴィジュアル(視覚芸術)の不可欠化がある。OPN(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)やアルカのようなアーティスティックで気取った表現から、TESTSETやスクリレックスといった大衆的でエンターテインメント性の高いステージ、さらにはDJパフォーマンスに至るまで、音と視覚刺激の同期は現代の約束ごとである。
もっとも、この傾向はデトロイトやシカゴのブラック・コミュニティにおける現場には当てはまらないだろう。また、そうした潮流を逆手に取り、音のみを主役とする90年代的理想主義を貫くことで、その特異性を際立たせているのがオウテカである。
さて、エイフェックス・ツインもまた、視覚芸術を取り入れたひとりだが、その手法は彼の音楽と同様に型破りで、圧倒的な遊び心に満ちたそのアプローチは、過熱するヴィジュアル競争のなかでも抜きん出た存在感を放っている。絶え間なく刺激が更新されるデジタルの世界において、数年前の出来事は忘れられがちだが、エイフェックス・ツインが「Blackbox Life Recorder」で見せたインパクトは、いまなお、多くのファンのなかで強烈な記憶として刻まれているのではないだろうか。専用ARアプリを使った仕掛けに驚かされたし、デジタルな彫刻が浮かび上がるような視覚効果とMVはみごとにリンクしていた。
去る3月上旬、その仕掛け人、匿名的で謎めいた存在たるヴィジュアル・アーティストのウィアードコア(Weirdcore)が来日した。彼は、エイフェックス・ツインの “T69 Collapse” と “Blackbox Life Recorder”のMVも手がけた人物で、ほかにもM.I.A.(『//\ /\ Y /\』ほか)、アルカ(“Riquiqui” のMVほか)、OPN(『Ford & Lopatin』期のヴィジュアルなど)といった、本稿の冒頭で例として挙げたアーティーな大物たちのヴィジュアルや映像演出も手がけている。つまり、ウィアードコアとは2010年代のエレクトロニック・ミュージックにおける視覚芸術的展開の最前線にいるアーティストである、と言っていいだろう。
今回のウィアードコアの来日は、1995年の映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』公開30周年を記念した、まさに音楽と映像が融合した複合型イベント『DEEP DIVE / 攻殻機動隊 in TOKYO NODE』(2026年3月7日開催)への出演(ヘッドライナーを務めたTHE SPELLBOUND × BOOM BOOM SATELLITESのライヴ時における映像)と、彼のヴィジュアル作品「HAC module(ハック・モジュール)」のプロモーションを兼ねていたものだった。「HAC module」は、筆者の旧友でもある弘石雅和氏がこのところYMOネタで売り出し、話題になった「TechnoByobu(テクノ屏風)」プロジェクトにおけるレコード・ジャケット・サイズの新シリーズでもある。
リチャードが求めていたのは、事前に作った映像をライヴ中に流すことではなくて、映像をその場でライヴ生成することだった。エイフェックス・ツインは、自分でもそのときのDJで何をかけるかわからないし、これまで一度もその日のセットを事前に教えてくれたことがない。まあ、本人にもわからないんだからね(笑)。
■Weirdcoreさん、初めまして。あなたの作品は日本でもエイフェックス・ツインのファンから広まっていて、“T69 Collapse” もそうですが、シングル「Blackbox Life Recorder」がとにかく、映像からあのジャケットのコンセプトまで、まあ、これは世界的にでしょうけれど、日本でもおそろしく話題になりました。ただ、そのヴィジュアルを担当したWeirdcoreさんの素性、いったい何者かっていうのをわかってなくて、だから今日お話が聞けるのが嬉しいです。まず最初に、あなたがいかにして映像作家になったのかということを知りたいと思います。で、90年代にリーズ大学で学んで、そしてクラブのVJからはじめたという話なんですけど、そもそも映像VJをやるようなきっかけになった話からお話しください。
Weirdcore:90年代にクラブに通っていた頃、映像はあまりなかった。テクノロジーが追いついていなかったんだろうね。90年代半ばまでは映像なんてほとんどなかった。せいぜいスライドプロジェクターを高速で回すくらい、プロジェクションを本格的にやる人たちが出てきたのは90年代後半になってからだよね。で、ぼくがこういうことをやりたいと思った直接のきっかけは、ダフト・パンクのライヴを観たこと。〈Que Club〉で彼らを観たんだ。のちに映像作品として出たライヴ。『Live 97 at the Que Club』のこと。
それ以前にも彼らを何度か観ていたけれど、まだ映像演出はなかった。でも〈Que Club〉でのライヴは、音楽自体はそこまで良かったわけではないけれど、ヴィジュアルが同期していて、ショウとしての完成度が高かった。コールドカットも映像には凝っていたけれど、ダフト・パンクのショウは本当に素晴らしかったね。「これをやりたい」と思わせたのは、あのときのダフト・パンクだった。で、それから1999年にロンドンに移って、VJをやっていた日本人と出会った。ぼくが本格的にVJをやるようになったのは、そこから。
■日本人と会ったと?
Weirdcore:うん、ToshiとAyaという、日本人の男女と知り合って、「RGB Invaders」とかそんな名前で活動をはじめたんだ。ToshiとAyaからは日本のカルチャーもいろいろ教えてもらったよ。日本のアート作品を知りたくてロンドンのICA(Institute of Contemporary Arts:現代美術研究所)にも行った。あとから宇川(直宏)さんやRoger Kidaのような人たちのことも知って、ずいぶんとインスピレーションを受けたよ。
■では、UKのレイヴ・カルチャーやクラブ・カルチャーに直接影響を受けたってことではないんですか?
Weirdcore:子どものころはジャン・ミッシェル・ジャールが大好きだった。フランスのクラフトワークみたいな存在だね。彼は巨大なショウをやることで知られていて、ニューヨークで数百万人規模のライヴをおこない、パリでもやったりしていた。その映像もクールだった。最近見返したらそうでもなかったけど(笑)、当時は本当に素晴らしく見えたんだ。あと両親がピンク・フロイドにハマっていて、彼らのライヴにも映像があった。だから子どもが宇宙飛行士に憧れるみたいな感じで、ライヴにおける映像表現にはずっと興味はあったんだ。で、ダフト・パンクを観たときに初めて、「これは(自分でも)実現可能だ」と感じたんだ。
■映像作家以前はどういうことをされていたんですか?
Weirdcore:ウェブデザインとか、グラフィックデザインとか、すでにデザインの現場にはいたけど、ただ、とくに映像をやる、という感じではまだなかったね。
■エレクトロニック・ミュージック、ダンス・ミュージックに興味をもったきっかけは?
Weirdcore:基本的に自分は、その時々で実験的なものなら何でも好きになる。60年代や70年代の音楽も好きだし、プログレも好き。でも、90年代テクノにどっぷりハマった頃は、「なんでいまさらギター・バンドなんて存在してるんだ?」と思うようになった。自分にとって、もう過去のものに感じられてね。
■大学時代はリーズに住んでいたんですよね? リーズは、学生が多く、パンク時代から音楽が盛んな街として知られていますが。
Weirdcore:いや、ぼくはフランスの北部、ベルギーの近くで育ったんだ。
■なるほど。それでジャン・ミッシェル・ジャールか。
Weirdcore:フランスにいた頃にクラフトワークやジャン・ミッシェル・ジャールを聴いて、まだクラブに行ける年齢じゃなかったけど、学校の友だちからニュー・ビートのテープをもらったり、イギリスの友だちがオルタネイト(Altern-8)のテープを送ってくれたり。1993年にイギリスに移住してからはプロディジーの初期とかエイフェックス・ツインとか、他のレイヴ系にもハマったね。その頃にはクラブに行ける年齢になっていたから、一気にのめり込んだ。
ダフト・パンクの話に戻ると、最初は「フランスのバンドなんてダメだろう」と思っていたんだ。当時のフランスの音楽に対するぼくのイメージは最悪だったからね。だから、リーズの〈Orbit〉で彼らがロバート・アルマーニのサポートで出ると知ったとき、「絶対イマイチだろう」と、期待値はどん底だった。でも、じっさいに観てみたら最高にカッコよくて、「え、こっちの方が全然いいじゃん!」となって、期待していなかった分、衝撃は大きかったよ。
■なるほど。じゃあ、リーズには大学のために数年間いただけ?
Weirdcore:最初はイングランド南部のボーンマスに住んでいたんだ。ボーンマスにはあまりクラブがなくて、ロンドンまで遊びに行っていた。で、あるときリーズに友だちがいて、初めてリーズに遊びに行ったら、「え、こっちの方が全然いいじゃん!」となったんだよ。
■クラブ・シーンがですか?
Weirdcore:いや、全体的な雰囲気。すごくフレンドリーなんで。たとえるなら東京と大阪の違いみたいなものかな。大阪の方がフレンドリーで楽しげで、東京の人はちょっと距離がある、そんな感じ。イギリスは、南から北へ行くほどフレンドリーになるというか、文化の質が高くなる。
たとえば、リーズで最初に行った〈Orbit〉というクラブでは、誰も知らずに行ったのに、帰る頃にはクラブの半分くらいの人と話している。そんな感じ。ロンドンだと友だちと行って、せいぜいひとりかふたりと知り合う程度で、結局友だちと帰る。でも北だと、知らない人ばかりでもたくさんの人と話して、アフター・パーティにも誘われる。そういう感じだよ。スコットランドなんてもっとすごいよ。ロンドンだと「あのアクトは良かった」「あの音楽は良かった」とはなるけど、「最高の夜だった」にはあまりならない。北では音楽はある意味おまけで、「最高の夜を過ごす」ことのほうが大事なんだ。
エイフェックスのVJをやっていた約10年間、客席の映像を撮って、それを現場のヴィジュアルに使っていた時期があって、だからオーディエンスの違いもよく見えていたんだ。ロンドンの観客は「イエーイ」くらいな感じなんだけど、北の方は本気でぶち上がるんだよ。
■その感覚、ぼくも似たような経験をしているので、わかります。
Weirdcore:日本も似てない? 初めて日本に来たときは、DJ Scotch EggとかShitmatたちと一緒にツアーをして、日本中を回ったんだ。最後の方で、かなり南の方に行ったんだけど、地名はちょっと思い出せない……九州? そう、それかもしれない。そこではかなり違いを感じた。最初からみんなすごく酔っていて、裸の人までいたりして、「うわ、なんだこれ」って思った(笑)。
取材:野田努(2026年5月15日)
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