エレクトロニカの〈カー・パーク〉から意外にもドローン系のエントリーだったWZTハーツからザムーンスティーリングプロジェクトの名義でもMP3などのリリースがあるリーダー格が解散後に初ソロ(オン・フィルモアと同じく、アナログ・オンリーかつパスワードでディジタル音源もゲットのパターン)。このタイトルでジョンとヨーコのジャケットをパロってるということは、やはりあれなのかなー......というのはともかく、どっちにしろ音には関係ないだろうし(?)、ゆらりふわりだらりなアンビエント・ドローンが4パターン。エマ・ウォルターズのハーモニカをフィーチャーした"ストライズ"は穏やかなうねりを基本に導入はなんとも甘美なブルーズ・ドローン。続く"レット・ゼア・ビー・ラヴ"はラ・モンテ・ヤングとヴァージン・プルーンズが合体したようなミニマル・ラーガの変り種で、実験性だけに落とし込まれない多様な効果を(スルメのように)内包している。Bサイドに移って、優美かつモーンフルな"ナショナル・トレジャー"は内省的なムードを物静かに促し(これがとにかく長い)、再びハーモニカを加えた"ジ・イターナル・リターン"では、かつてだったらジーザス&メリー・チェイン、いまだったらファック・ボタンズに匹敵するフィードバック・ノイズの乱反射がマイ・ブラッディ・ヴァレンタインをとことん弛緩させたような境地へと誘い出す。このイメージの壮大さはなかなかだし、タイトルもなるほどという感じ。もしかしてこの気迫で90'sを呼び寄せ、観念的な音楽のあり方を再びリヴァイヴァルさせてしまうかも? イエー。ボルチモアから。
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東京では2004年、ドクター西村の影響力によって「There's A Drink In My Bedroom And I Need A Hot Lady EP」がカルト・ヒットしたことで、たぶんイギリスよりも早く名が知れたノルウェーのリンドストロームだが、ロンドンを中心に2008年から広まったコズミック・ディスコ・ブームのおかげで、欧米ではむしろいま時の人となっているようだ。今年の初頭は『ガーディアン』がその広がりをレポートし、ロック・バンドはシングルのクラブ・ミックスを北欧のプロデューサーに依頼する。コズミック・ディスコのディーヴァとばかりにリトル・ブーツはデビューし、USオルタナ文化の支柱となっている『ピッチフォーク』でさえも、この新作に色めき立っている。そう、巷では"キング・オブ・コズミック・ディスコ"なる称号で呼ばれるリンドストロームの新作に。
僕は実は、つい先日、初めてリンドストロームと会って話を訊く機会を得た。オスロからやってきた細身の青年は、彼の宇宙級にトランシーな音楽とは裏腹に、なんとも頼りなく、地味だった。昼間からビールをがぶがぶ飲んでいる僕の目の前で、彼はコーヒーとオレンジジュースを飲みながら、何度も「いやー、僕は退屈な男だから......」とイクスキューズを入れるのだった。で、実際、たしかに退屈そうな男だった。自分でも認めていたが、間違ってもクラブに行くような類の人間ではない。そしてだからこそ、彼は音楽のなかでもうひとつの自分(オルタエゴ)を解放して、宇宙ディスコに飛び出すのかもしれない。ロケットのように......。僕は初めて、「There's A Drink In My Bedroom And I Need A Hot Lady EP」を聴いたときは、北欧のタチの悪い妄想狂の仕事だと勝手に妄想していたほどだった。
さて、旧友クリスタベルをヴォーカルに迎えてのリンドストロームの新作は、彼にとって初めてのポップス・アルバムとなった。2003年のヒット・シングル「Music (In My Mind)」以来のコンビで、古いファンにしてみたら待望のコンビ復活となる。アルバム全体の印象を言えば、ドナ・サマーというよりも80年代のダンス・ポップスの今風解釈による作品だ。"Lovesick"や"Let It Happen"や"Keep It Up"、あるいはソウルフルな"Baby Can't Stop"など、細部に実験的だけどおおまかなところでは実にキャッチーな曲が並んでいる。それらのキャッチーさは、彼の本質でもある。リンドストロームと話して驚いたのが、彼が真性の80年代ポップス信者であるということだ。信者......そう呼んでも良いだろう、それほど彼は80年代のポップスこそ最高だったと、何度も繰り返していた。たとえばプリンスのような音楽を。
もっとも重要なことは、"宇宙ディスコの王様"が、本当にファンタスティックなアルバムを完成させたことである。『Real Life Is No Cool』は華麗なアルバムだ。そしてこれは、忘れるためのアルバムである。楽的的で、気がつけば頭のなかではミラーボールがくるくると回っている。何よりもアルバムのタイトルがこの音楽の意味を暗示しているじゃないですか。『Real Life Is No Cool』――現実は惨めである。現実から逃げて、夢や幻想のなかでこそ、人はクールになれる。
チリ出身(で、現在はNY在)のディンキーことアレハンドラ・イグレシアスの4作目。手法や雰囲気がどんどん変化していて、マシュー・ジョンスンのレーベルからはミニマルをメインにしつつ、南米の高地を思わせる乾いた民族音楽の破片が(南アのポータブルと同様)そこはかとなく、あるいはあからさまに散りばめられている。その処理の仕方に象徴的に顕れているように、彼女の音楽は非常に洗練され、新しい服に袖を通すような気分でさらさらと耳に入ってくる。潜水で泳いでいるような"ロマニクス"にはじまり、アルバム・タイトル曲ではデリック・メイを思わせる細かい音のループが冴え、ベイシック・チャンネルとカール・クレイグに影響されたというセンスもそのまま健在。ヴォーカルにアップデイツをフィーチャーした"ウエストイド"では頽廃的なムードを漂わせた『ブラック・キャバレー』(03)も鮮やかに甦る(音楽性に変化はあってもスタイリッシュという意味では一貫していたといえる)。元々、微妙な感性に訴えかけてきた人だけに、破片と破片が手を取り合って曲のイメージを押し上げている時にはその効果は無限大の威力を発揮する。ミニマルには、そして、ダパイク&パドバーグやトウアネなどファッショナブルなデザインの作品が多くなっている。それらはゲットーやそれに関心を持つ人たちではなく、明らかにスノッブな層を惹きつけようとしているし、実際、この辺りの音はクラブの外部にもじわじわと波及しているのだろう。リスニング・ミュージックとしても楽しまれてしかるべきというか。曲数がたくさん聴きたい人はCD、おっぱいの谷間が気になる人はアナログがお奨め(つーか、デザイン的には圧倒的に後者ですよね。トリミングが違うだけなんだけど、シャンデリアーズのセカンドとかついついデザイン・ワークで買ってしまいます......)
これは、ダブ好きには避けては通れない1枚。いつまでもルーツにしがみついているダブ好きではなく、時代とともに更新されていくダブを積極的に受け入れていくことができる、耳と心が広く開かれたリスナーにとってのマストな1枚である......とはいってもデッドビートなんかに比べればそれなりにルーツに敬意を払っているのだが......。
キング・ミダス・サウンド(英語読みすれば、キング・マイダス・サウンド)はケヴィン・マーティン(ザ・バグ)と、作家であり詩人のロジャー・ロビンソンによるプロジェクトだ。作家といってもロジャー・ロビンソンのことなぞ僕は知らなかったけれど、調べてみるとなかなか興味深い男で、彼はロンドン在住のトリニダード系イギリス人で、詩人であり、作家であり、音楽家であり、パフォーマーで、イギリスのブックアワードにて「影響を与えた黒いイギリス人作家の50人」のひとりに選出されている。2001年に『Adventures in 3D』、2004年に『Suitcase』といった本を発表している。いわばディアスポラである。彼はシンガーとして、詩人として、アッティカ・ブルースのアルバムに参加したり、あるいはビーンズ(アンチ・ポップ・コンソーシアム)をゲストに迎えて自費でレコードを制作したりとか、地道に音楽活動を続けている。2001年にはテクノ・アニマルのシングルにも参加しているし、〈リフレックス〉から出たザ・バグのセカンド・アルバムにも参加している。2007年の『Box Of Dub』でキング・ミダス・サウンドを名乗る以前から、マーティンとはすでに顔見知りなのだ。
そしてマーティンは、昨年のザ・バグの『ロンドン・ズー』によってこの20年の苦労が報われたというか、ようやく初めて大々的に評価された人で、だから彼のこのダブ・プロジェクトであるKMSを出すにはいまが最高に良い時期でもある。幸先の良いことに、KMSは昨年の最初のシングル「Cool Out」によってすでに好き者たちのあいだで評判となっていた。今年の夏前は〈ハイパーダブ〉からの2枚目のシングル「Dub Heavy ― Hearts & Ghosts」を発表して、ファンの期待をさらに煽っている。何よりもその重量級ベースラインの震動によって(挑戦してるんだろう、どこまで出せるか)。
ヒット・シングルのタイトル曲"Cool Out"ではじまる待望のアルバムは、その立派なプロジェクト名とは裏腹に、亡霊のような音楽だ。風が吹き、霧雨が立ちこめるとき、真っ暗闇を歩いているような気分にさせてくれる。すべての輪郭がぼやけ、重低音が響いている。眼鏡を外して夜の散歩をしているような感覚だ。タイトル曲の"Waiting For You"はベストトラックのひとつで、いわば電子ノイズのシャワーが降り注ぐマッシヴ・アタックである。〈ハイパーダブ〉のコンピの1曲目に選ばれた"M eltdown"や"I Man"もキラーだ。アンドリュー・ウェザオールのゴシック趣味が暗い雨の日のカリブ海の路上で再現されたかのようである。"Goodbye Girl"ではトリッキーのパラノイヤが憑依したかのように、不気味なスペース・ダブを展開する。"Outer Space"は強烈なアフロビートが響くダンサブルな曲だが、最後から2番目のこの曲が流れる頃には、リスナーはすっかり動けなくなっているかもしれない。
もしこのアルバムでひとつ大きな不満があるとしたら、ロビンソンの言葉が僕の英語力では理解できないということである。わかったらものっとハマれるんだろう。
はははは、最高。1曲目の"Backwell"、思わず笑ってしまう、これはまったく......カンだ! 2曲目の"Pill"もカン。アルバムにヤッキ・リベツァイトが参加しているんじゃないか、と疑ってしまうほどだ。クラウトロックのポスト・パンク的解釈といえばPILが有名だが、3曲目の"Ham Green"や10曲目の"The Cornubia"はまさにそれ。4曲目の"I Know"はカンの"マザー・スカイ"そのもの......そしてこうしたクラウトロック・スタイルが見事に格好いいから始末が悪い。ザ・ホラーズのプロデュースもそうだったし、ポーティスヘッドの『サード』にもその影響を取り入れていたけど、ジェフ・バーロウによるソロ・プロジェクト、ビーク>は彼のクラウトロック趣味が爆発している。
この3人組のバンドの他のメンバーは、ベーシストのビリー・フラー(Team Brick)、マルチ演奏家のマット・ウィリアムス(Fuzz Against Funk)。僕は彼らについてまったく知識がないけれど、とてもセンス良く、このミニマル・ロックの重要なパートとなっている。7分以上にもおよぶ"Battery Point"はアルバムのなかでもずば抜けて美しい曲で、厄介なほどドラマチックな曲でもある。ポーティスヘッドの面影を感じることもできるが、それもほんのわずか。次の曲"Iron Acton"になると、こんどはカンのベースラインにノイ!のモータリック・サウンドのお目見えとくる。電子ノイズが流れ、クラウス・ディンガーばりのドラムが疾走する。ザ・ホラーズの"Sea Within A Sea"で試みたことの焼き直しだが、こちらのほうが言葉はより不明瞭で、ぼんやりとしていて、大人っぽいと言えば大人っぽく......しかし、"Barrow Gurney"なんかは初期のクラスター(エレクトロニック・ドローン・ノイズ)だし......いったいバーロウという人は......。
彼がポーティスヘッドの『サード』でやろうとしたことは、マッシヴ・アタックが『メザニーン』でやろうとしたこととある意味似ている。そこ意地悪いほど、時代の恐怖が描かれているのだ。最後から2番目の"Dundry Hill"や最後の曲"Flax Bourton"のドローンめいたダーク・アンビエントを聴いていると、昨年、『SNOOZER』でやらせてもらったバーロウに取材を思い出す。
彼は反戦活動など個人的な政治活動を通して、むしろ孤独を感じているようだった。「僕が言いたいのは、『政府を粉々になるまでぶち壊してしまえ』ってこと。できればそうして、またはじめたほうがいい。現代社会ではもう何もかも、ちょっと手遅れなのかもしれない、もう行き過ぎてしまったのかもしれない、と思う。僕らは本当に慣らされてしまってる」――これがバーロウという人なのだろう。そういう意味で、ビーク>の異様な暗さとクラウトロックのアイデアを借りた疾走感との奇妙なバランスは、僕にはなかなか興味深いものに思える。とはいえ、僕のようにカンのカタログをすべて揃えているリスナーを困惑させるのは、冗談じゃないかと思えるほど、ベースとドラムがベタであるということ。繰り返すが、それがしかも見事に決まっているのである。
そして、彼はそのときの取材でこうも言った。「もしブリストルから非商業的で、反逆的で、エクストリームなものが出てきたとしたら、僕は基本的に100%支持する。たとえ好きじゃなくても支持するね」、はい、ビーク>がまさにそれです。
ウィルコなど多数のバンドに参加するドラムのグレン・コッチーと、ジム・オルークなどと共演することが多いダブル・ベースのダーリン・グレイによるデュオの4作目。まったく聴いたことがないとはいわないけれど、タイトル通り休暇が長引き、いつもとは違うエア・ポケットに落ち込んでしまったような静かで漠然とした不安を内包したファンタジー・サウンドはマーティン・デニーやアーサー・ライマンといったエキゾチック・サウンドを大人びたオルタナ解釈で聴き直しているようでもあり、伝統的な実験音楽をラウンジ・ミュージックとして再生させているようでもあり。サイケデリック・ミュージックとしては地味な部類に属しつつ、しかし、確実に見たことのない景色には連れ去られる(ある意味、ジャケット・デザインが物語っているそのままの雰囲気といえる)。"オフ・ザ・ウォール"ならぬM5"オフ・ザ・パス(舗道)"と題された曲では(マイケル・ジャクスンが?)幽体離脱でもしてるようなムードになってみたり、M3"デイドリーミング・ソー・アーリー"ではなるほど延々と眩暈に襲い掛かられる。エレクトロニカがミュージック・コンクレート・リヴァイヴァルにスウィッチしつつある一方、かつてのシカゴ音響派とかなんとか呼ばれた人たちが、現在、こぞってポスト・クラシカルに移行するなか、そのどちらからも等距離にある辺りを模索している感じともいえるし、ポスト・ロックというタームを前提とした文脈ではスローコアから過剰な重さや極端な悲壮感を取り除き、どこか不条理を感じさせる情感へとスライドさせたというニュアンスも可能ではないかと。いずれにしろブラック・ダイスやジム・オルークの始めたことが円熟期に入り、KTLやバーニング・スター・コアといった成果と並ぶ完成度といえるのではないだろうか。アナログ・オンリーのようで、与えられたパス・ワードでディジタル音源も落とせるようになっている。
ディンキーことアレハンドラ・イグレシアスとの出会いは、渋谷タワーのエレクトロクラッシュ特設コーナーだったと思う。まだあの頃の渋谷のレコード店はバイヤーが趣味丸出しで売れそうもないレコードをプッシュしていて、彼女の02年の2作目『Black Cabaret』もそんな感じでピックアップされていた。黒のスーツに細身のネクタイ、咥え煙草にオールバックの髪のディンキーはまるで若きアニー・レノックスみたいで、その姿に一目惚れしてCDを買ったのだった。
チリ生まれの彼女が97年にニューヨークに移ったのはマーサ・グラハムのコンテンポラリー・ダンスの学校に通うためで、一時は真剣にダンサーを目指していたようだ。しかし、彼女は夜のマンハッタンに吸い込まれ、ついには踊るのでなく踊らせる側により興味を持つようになり、数年後にはドイツの〈トラウム〉や地元NYの老舗〈ソニック・グルーヴ〉から12インチを出すようになっていた。パッとしない暗い実験エレポップという印象だったアルバムと、その後ビザ切れでアメリカにいられなくなったからと移住したベルリンを拠点にばりばりとミニマルを作りはじめた彼女のことがしばらく一致しなかったのも仕方あるまい。05年にスヴェンの〈コクーン〉から出てスマッシュ・ヒットを記録した「Acid In My Fridge」は、ストレートで力強くファンキーなトラックに「冷蔵庫にアシッドが隠してあるの! トリップしたら...」と訛りのキツイ英語で彼女が呟くアホ丸出しの曲だった。それで、昨年話題になった大人びた出世作『May Be Later』だ、まさに変幻自在とはこの女のことを言うのではないかと。
マシュー・ジョンソンの熱烈なラヴ・コールで実現したという〈ワゴン・リペアー〉からの発売となった4作目のアルバムは前作を遙かに凌ぐ実験精神に溢れ、しかしそれが小難しくは聞こえないという魔法のレシピでも使ったかのようにキュートに響く。ジャズ的なシンコペーションや、アフリカ音楽的でジャストなマシンビートとは真逆の太鼓が、妙な声色や気持ち悪いエフェクトと共に不協和音を奏でるがごとく、不思議な音空間を形作る。もちろん、それだけでなくしっかり踊らせるための4つ打ちキックと最低限の機能性を備えたツール的な曲もいくつかあって、前作のディープ・ミニマル路線を継承したド頭の"Childish"、ブリーピーな音とエロ可愛い彼女の歌が絶妙なタイトル曲の"Anemik"(英語で解釈すると「貧血っぽい」「気力ない」)、それからいい意味で「トランス!」と叫びたくなる"Epepsia"などは、どんなフロアでも活躍しそうだ。
女性DJというだけで、曲作ってるって実際はアイディアだけ出して片腕的なプロデューサーに全部やってもらってるんだろう?なんて誤解されるかもしれないが、ディンキーはかなりの機材マニアで、すべての打ち込みとレコーディング、ギターやエレピといった楽器演奏、もちろん歌もベルリンの自分の小さなスタジオで完全に自分の手で行っている。なんというか、ここまで嫌味なく「アート」の域に達したことをやられてしまうと、血とか育ちからくる豊穣なものをもっていてしかも華のある女性、どうやってもこんなひとに勝てる気がしねーと完敗宣言したくなるというもの。もし、日本のアーティストで匹敵するようなものが作れる存在と考えたらツジコノリコくらいだろうか。彼女、ダンスには興味なさそうだけど......。
『アンビエント・ミュージック 1969-2009』(INFAS)が校了した後で、コップを使ったザッハ・ヴァラス『グラス・アルモニカ』やビリー・ゴンバーグ『コム』など悪くないアンビエント・アルバムのリリースは続いていたが、前者は同書で00年代屈指のアンビエント・レーベルとして紹介したつもりの〈インフラクション〉から90年代に揺り戻すかのようなバリアリック系へのヴェクトルを持ったセカンド・アルバム。悠然としていて厳か、あるいは幽玄的なスターズ・オブ・ザ・リッドを思わせつつ、その彼方にはニュー・エイジからの影響を隠さなかったグローバル・コミュニケイションもぼんやりと陰影をちらつかせているといった位置になるか。前掲書でも00年代に主流となっていったドローンやエレクトロニカ系の音から遠ざかりつつあるという含みを持たせて09年の代表作にはヘックスラヴをチョイスしたけれど、これもまたドローンからクロスオーヴァーを仕掛けている1枚といえ、時代が変化しつつあることを予感させる。重くなく、軽くなく、明るくもなく、暗くもない。それこそニュートラルとでも呼ぶしかないウォール・オブ・アンビエント・サウンドが少しずつ表情を変えていくだけ(つーか、なんで包み込まれるような音像のことをフィル・スペクターは「ウォール」に喩えたのかなー?)。
後者はスノウイフェクトやオリエンタル・ホームワードで知られる吉祥寺のレーベルからハロルド・バッドやドゥルッティ・コラムを思わせるポスト・クラシカルのデュオによる座禅系チル・アウト。ピアノとギターを基本に重くのしかかるような内面描写が続き、誰かに重大な秘密を打ち明けられて嬉しいような面倒くさいような......つーか。録り音は非常に綺麗でどこまでもみずみずしく、この季節に聴くといかにも冬景色といった感じです(夏に聴いたらどんな感じだったんだろー)? デザインも表側は寒々しく、内側はいかにも夏といった景色だったりするし、アンビエントというよりも心象風景音楽として申し分ない感じ。......さてと、マンガでも読むかな。沖縄を舞台にした『アンダーカレント』とか?
自分がプロデュースに関わったイベントなのでナンですけれど(https://cs8.s140.coreserver.jp/1116.html)、その会場で売っていたCDがいろんな意味で興味深かった(ちなみに当日のライヴの様子→https://www.youtube.com/watch?v=FDX9t_GUIyI)。まず驚かされたのがM2"neat"。「わたしは働く気があるのよ」とアニメ声で繰り返されるヴォイス・サンプルがなんともいえないニュアンスを持っていて、久々に自分で聴くだけではなく、ほかの人にも聴かせなければという焦燥感に駆り立てられた(一気に心をつかまれたと言い換えてもいい)。このユニットはまだ大学生のコンビで、失業だとかロスジェネといった問題に直面したわけではなく、渦中にいる人にはむしろ(メタルのように)声も出せない人が多かったと思うけれど、それも含めて、下の世代から見えている風景としてそれらを捉えているように思う。その距離感のなかに彼らの表現が生まれる余地があり、自分たちがどこにいるかをたった1種類のヴォイス・サンプルで異様な景色として成立させてしまっているといえる。これには舌を巻いた。同じようなことはアニメからのサンプル(?)で組み立てられる他の曲にも共通していて、抽出された言葉がアニメの文脈を超えて、時代やそれを超えた普遍性にも通じているという離れ業をやってのけているように感じられて仕方がない(アニメに詳しい人にはまた違った聴き方もあるのかもしれないけれど、その必要性を感じないほど、最終的に選ばれている言葉が外に向かって開かれている印象を持つという意味でもある)。本人たちはランダムにやっているだけなのかもしれないけれど、意味のないことを歌詞にしようとしている電気グルーヴに対して、どの言葉もそれなりに意味を持ってしまい、アニメの戦闘シーンもそれだけで終わっているようにはどうしても聞こえない。叫び声がただ単にループされるだけのM17"ave"やM12"さよなら絶望コア"も安直に衝動をぶつけているだけのようで、しかし、その衝動がどこから来ているのか、実は知っているのではないかと思わされるものがあるというか。ほかにも具体的に紹介したい曲はけっこうあるんだけれど、法的な問題もありそうなので、あえて省略したい。問題のなさそうなタイトルだけを列挙しておくと、"ぼくはとみたけ""ダブまんが大王""アヤナミステップ""普通'n'BASS""ラキスタ様 goes to IBM""デトロイトドナルド"......。ここまで日本語がムダなく入り込んだダンス・アルバムを僕は聴いたことがない。いくらCDRとはいえ、これで500円は安すぎるよ。いまのところライヴ会場でしか買えないみたいだし、誰かライセンスしてあげて。
いま、UKで話題となっているティーンエイジャー(19歳だって?)4人組The XX(ザ・エックス・エックス)のデビュー・アルバムである。先行シングル(2枚)は聴いてないので、実はこれがぼくにとっての初XX体験。
My Spaceなどから集めた情報を先に開陳しておこう。結成は2005年。ロミー・メイドリー・クロフト(ギター、ヴォーカル)とオリヴァー・シム(ベース、ヴォーカル)が、ホット・チップやフォー・テットを輩出したロンドンの高校でバンドを結成。ライヴを行うためにバリア・クレシ(キーボード)とジェイミー・スミス(トラックメイカー)が加わって現在の形に。もともと4人とも小学生からの知り合いだという。ドラマーがおらず、エンジニアとサンプル操作を担当するメンバーがいるところは現代的。
レーベルはXL傘下の〈Young Turks〉で、今年になって2枚のシングル(「Crystalized」「Basic Space」......どちらもナイスなタイトル!)を発表。その後アルバムの制作に入るが、なんとここで当初起用されたというプロデューサーの名前を見て驚愕。ディプロ(M.I.A.など)とKwes.だって? それだけでもこのバンドにレーベルがかける情熱が感じられると思うが、しかし彼らはいち度はバンドとの作業に着手するものの、バンド側の納得いくものとならなかったというのだ。そこでこのアルバムは、バンドによるセルフ・プロデュースで完成されている。
まずは隙間だらけの(よく言えば空間をうまく生かした)トラックが異様だが、このスペース感こそがこのバンドのカラーを決めている。リズムはサンプルっぽく、ギターとベースはあるけど一般的なクリシェっぽいフレーズはあまり感じられず、ギターにいたってはほとんど単音弾きで、むしろ効果音だ。そしてそこに、あまり抑揚のない男女のヴォーカルが絡む。
直感的に連想されるのはヤング・マーブル・ジャイアンツとか「Faith」の頃のキュアとかで、暗くひんやりとした肌触りのサイケデリアではあるのだが、そこはたとえばディプロなどとの共同作業の経験も手伝っていることもあると思うけど、サウンドそのものにヒップホップやテクノ、ダブステップなどを存分に呼吸していることを感じさせるものがあって、彼らが現代のバンドであることを意識させる瞬間がいくつも用意されている。しかもそこには――誤解を恐れずに言えば――作り手の年齢を感じさせない成熟がある。が、さらに彼らをユニークな存在としているのはロミーとオリヴァーによる歌詞の内容かもしれない。「僕たちはスーパースターだ」(「VCR」)と嘯いてみたり、「君はさよならも言わずに去って行ったけれど/ぼくは君の瞳にそれを聞いたよ」(「Infinity」)とか「最初のデートで一線を引くけど/それを超えてもいいのよ/もう少し遅い時間になったら」(「Stars」)など――ティーンエイジャーらしい誇大妄想と甘さ! スカしたサウンドと軽く乖離しているところが、他のバンドにはない魅力のひとつなのではないかと思ったりもする。そこには80年代のサイケデリアには普遍的にあった「死」への幻想はない。しかし、だからといって手放しの陽性をひけらかすポジティヴィティとも違う。真昼間のぎらつく太陽と凍てつく深夜の月光の時の狭間にあって聴き手を篭絡する幻のような存在、次の瞬間にはおそらくまったく別の姿になってしまうような気がするけど、このアルバムの価値は変わらないだろう。
