「ZE」と一致するもの

interview with Rafael Toral - ele-king

 Bandcampに掲載されたラファエル・トラルのプロフィールによると、彼はそのキャリアを通して、‶サウンドのなかの音楽と、音楽を超越したサウンドのあいだを行ったり来たりしている〟という。このポルトガル出身の音楽家は、実験音楽の世界でもう30年以上も極めて重要な存在であり続けているが、目下のところ、昨年のアルバム『Spectral Evolution』をきっかけに再評価の波に乗っている。このアルバムは、トラルの尽きることのない探求心の溢れる実践のさまざまな要素——初期の『Wave Field』(1995)などで聴かれた液化したようなギターの音色や、2004年から2017年に取り組んだ「Space Program」時代に収集した、規則にしばられない自由なDIYの電子楽器の数々など――が融合された、記念碑的な作品なのだ。なかでも、鍵となる構成要素は、伝統的なジャズのハーモニーで、“アイ・ガット・リズム”や“A列車で行こう”の即座に認識可能な(ただし、氷河の形成のごとくゆっくりとした)コード進行が、アルバムに意外な情感の重みを与えている。
『Spectral Evolution』は、3年がかりの骨の折れる緻密な制作プロセスの結果であり、その間トラルは作品の56ものヴァージョンを制作した。アドヴァイスを求めて友人のジム・オルークに聴かせると、感銘を受けたオルークは、長年休止状態にしていた自身のレーベル〈Moikai〉を再始動させ、アルバムを発売するために動き出したのだった。
 2008年以来となる日本ツアーでオルークと石橋英子と共演する前に、トラルはEメールでのやりとりを通じて、音楽家としてのジャズとの関わり、ますます醜くなっていく世界のなかでの美の重要性、そして、『Spectral Evolution』をライヴで演奏した際に経験した‶愛のフィードバック〟について語ってくれた。
 この会話は明確さの保持と長さを考慮して編集されている。

ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

『Spectral Evolution』についての昨年のトーン・グロウとのインタヴューで、あなたは「このレコードを作るために多くのことを学んで研究し、開拓する必要があった」と語っていました。これについて、もう少し教えていただけますか?

ラファエル・トラル(Rafael Toral、以下RT):まず、このアルバムにはたくさんのジャズ・コードが含まれているんだけど、それらを繋ぎ合わせるためには、自分が何をやっているのかを明確に知らなければならなかった。ひとつの音符が本来あるべき所からずれるだけで、和音が違う色調に変化する仕組みを理解する必要があったんだ。私にはその準備ができていなかったから、正しい形に仕上げるために説得力を持たせて、最終的に美しく仕上げるまでに相当な努力を要した。その過程でジム・オルークに助言を求めたら、彼がリリースを決断してくれたという経緯がある。

あなたとジムとの関係について教えてください。ふだんから、制作途中の作品を共有することはあるのでしょうか? それとも、今回だけが特別だった?

RT:ジムとは1995年頃からの大の仲良しで、最初に出会ったのはシカゴでだった。彼は常に忙し過ぎるぐらいだったから、私のことで煩わせようなんて思ったことはなかったんだ。でも、今回だけは違った。アルバムでやろうとしたことが自分の能力を超えてしまい、私はアレンジやハーモニーのことで苦慮していた。だから背に腹は代えられないと思った。ジムが私よりも音楽の多くの分野で知識が豊富だと知っていたから、友人として音を聴いてほしいと頼んだんだ。

ご自分の能力の限界を突破するのは、あなたの仕事では日常的なことのように思うのですが、このような挑戦を続けるための意欲はどこから得ているのでしょう?

RT:私はただ、自分がすべきことを理解しようと思っているだけかな。自分の力をどこに注ぐべきなのか、やりたいことの中核はどこにあるのか、その時の前向きな動きとは何か、何が言われているのか、そしてそれが私の名を冠してやる価値のあることなのかどうか。多くの場合、それは私が土台から築き上げなければならないもので、約束とヴィジョンを伴うものでもある。私はたとえそれで自分を追い込むことになっても、実行するしか選択肢がないことが多いんだ。もっと言えば、私たちはまだ進化が終わっていないことを忘れがちだけど、人間には進化する義務があると思っているんだよ。

あなたの仕事において、美の役割があるとすれば、それは何ですか?

RT:(考えながら)うーん、役割ではないかもしれないけれど……私は一方では、20世紀の文化に浸って育ってきた。つまり、大雑把にいえば、キュビズムからパンク、セリエリズムからグリッチまで、構造の解体や脱構築、破壊することで忙しかった。私が若い頃には、美しいものを真っ当な芸術として見なすべきではないとする風潮があったんだ。これは当然、ものすごく粗雑な一般論だけど、私はそういった束縛から自分を解放して、美を現代の芸術には不可欠な要素として受け入れる必要があると思った。これは延々と議論することができる話で、要約するのは難しい。もう一方で、美というのは、単なる文化的で美学的な話でもなくて、個人の好みを超えたところにあるものだ。好みと、私たちが目で見て、耳で聴くことへの生物学的、そして神経学的反応には、多くの重複する部分がある。例をあげると、完全5度の響きを美しく感じるのは、実は単純な数学的な比率の3対2の隔たりに基づく音程で、自然な振動現象だ。その振動が人の身体の細胞を共鳴させ、背筋が寒くなるぐらい良い音だと感じると、もう何が起きているのかわからなくなる。美とはそれほど深いところにまで届くんだ。最後にもうひとつ、ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

ピタゴラスは正しかったというわけですね! この科学的な側面について、深く掘り下げたことはありますか?

RT:私は科学にはあまり入こんでいないかな。科学は文明の柱のひとつではあるけれど、測定できないものや、説明できないことを欠いている側面もある。むしろ私は、頭でそういったことを‶知る〟ことを避けている。私は直感で自分の動きを確認するようにしているんだけど、それは直感が脳よりも身体に根差した知識からくることが多いからだ。そして、何よりもその辺はリスナーが音楽を自分なりに取り込むことができるように、オープンにしておきたい思いがある。

あなたが言及された‶高潔さ〟という資質は、優れた芸術と凡庸な芸術を差別化する要素のひとつでもある気がします。美しさについての考えを再考することになった特定のきっかけはあったのですか?

RT:今日、醜さが飛躍的に増加していることや、文明の衰退……なんかであることはたしかだね。不思議なことに、美を守り続けるのは、生存戦略となりつつあり、精神の健全さを保つための意識的な努力にほかならない。それは、広義に理解された美しさのことだ。たとえば、嘘を広めるよりも、事実を認識する方が美しい。あるいは、対立する世界を結んで、対話を促すような美しさ。それが『Spectral Evolution』の核心なんだ。

『Spectral Evolution』に収録された最終ヴァージョンを制作するのに、それだけの労力がかかっていることを踏まえると、それをライヴで演奏したときの感覚はどのようなものだったのでしょうか?

RT:コンサートは、アルバムから構造的な恩恵を受けているので、非常に隙の無い構成になっていて、ライヴで聴く音の響きは、まるで物理的にサウンドフィールド(音場)に没入しているような感覚になる。ハーモニーの情感的な側面と、振動の物理的な体験が結びつけられているんだ。オーディエンスにとっては、とても強烈な体験になっているようで、たまに「泣きそうになった」と打ち明けてくれる人もいる。私にとって、リスナーを音に引き込むことが重要で、それによって愛のフィードバックが生まれるんだよ。

‶愛のフィードバック〟とは、素晴らしい表現ですね! これはあなたとオーディエンスの関係性についての多くを物語っていると思います。

RT:一部のコンサートでは、その感覚が非常にクリアに感じられるんだ。このアルバムとすべての音は愛を込めて制作され、オーディエンスもまた、愛を込めた聴き方で受け入れてくれ、彼らの積極的な関与と、感情の質がステージに送り返されてくるんだよ。

私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

あなたのキャリアを通じて、オーディエンスとの関係性は、どのように発展してきたのでしょうか?

RT:私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

『Spectrum Evolution』をライヴで演奏す際に経験されたという激しい感情的な反応は、
新しいことなのでしょうか? 過去の他のプロジェクトからも同じような反応を引き出したことはありますか?

RT:これは新しい体験なんだ。過去にやってきたことよりもずっと情感のこもった作品だし、ライヴではそれを激しい形で表現しているから。

アーティストのなかには、‶感情的(ルビ:エモーショナル)〟な音楽を、あなたが先ほど美しさについて述べたような、疑いの目で見る人もいると思います。あなたもおっしゃったように、これはあなたにとって新しい領域だと思いますが、どうやってここに辿り着いたのでしょう?

RT:はっきりとした感情を扱うのは、私にとっては新しいことだけど、決して意図的なものではなかった。私としては、感情をオープンにしながらも、抽象性を保つことで、リスナーが自分自身の感情を投影できるようにしたいと考えているんだ。これらのハーモニーには感情が組み込まれていて、そこから逃れることはできないと思う。でも、実は、私はそのサウンド自体により興味があるんだけど。

『Spectral Evolution』のライヴは、パフォーマンスごとにどれほど違うものなのでしょうか?

RT:ライヴ版は、拡張されていて、一部の移行部はよりゆったりとしたテンポで演奏している。当初、このアルバムは、ライヴ演奏をする前提で作ったものではなかった。だから、可能な限りライヴでは多くのギター・パートを実際に演奏し、そのいくつかでは即興している。それでも、全体的にはすごく一貫性を保っているよ。細部のヴァリエーションはあるけどね。会場の響きとPAの設定が決定的な影響を与えるから、毎回良い音にするために、何時間もサウンドチェックに費やしている。

あなたのサウンドチェックにはどういったことが含まれますか? その一連の流れを効率化するためのメソッドをお持ちですか? それとも毎回が新しい挑戦のようなものなのでしょうか?

RT:その両方だね! 良い会場で良いPAシステムがあれば作業は楽になることもあるけど、普通は、課題が見つかるものだ。もちろん順序立ったやり方をしていて、強烈でありながらも人びとを誘い込むような、サラウンドな、コクのある音を作るのを目標にしている。誰かを無理に押すようなサウンドではなく、引き込むような音。支配するのではなく、包み込むようなサウンドをね。会場ごとに全然違うから、綿密なチューニングが必要なんだ。

昨年末にあなたが『The Wire』誌で発表した「Wire Mix」を聴いていたのですが、あれはアルバムの素晴らしい補完物となっていますね。ケニー・バレルは本来、私の好みではないのですが、この文脈では完璧に理に適っています。興味本位でお聞きしますが、あなたと伝統的なジャズとの関係はどのようなものなのでしょうか?

RT:常に軌道上の衛星になったような感覚だね。ものすごく注目しているけど、自分は別の場所に立っているような。以前、フリージャズに影響を受けた私のエレクトロニクスのプロジェクト「Space Program」について、こう言及したことがある。‶音楽以外の、すべてがジャズだ〟と。それとはまったく異なる理由から、同じことが『Spectral Evolution』にも当てはまるんだ。ジャズにおける高い人間性には心からの敬意を抱いている。学ぶべきことも、感じるべきことも多い。(ジャズには)知性と心のための深い層が存在するんだ。

あなたのジャズへの理解と、先ほど挙げていただいたような特徴は、歳を重ねるごとに深まっていると思いますか?

RT:ああ、それは確かだね! 私が15歳だった頃、ジャズは理解できなかったし、興味も持てなかった。たまには良いと思えるものに出会うことはあったけれど、それを理解するための知識や経験がなくて、5年か10年経ってから、ようやくその真価を認められるようになった。それらの意味や価値は、それをどのように採り入れるかによって変化していく。例えば、初めてケニー・バレルを聴いたときには、彼がもっとも刺激的なジャズ・ギタリストだとは思えなかったけど(なんとも二〇世紀らしい考え方だね)、自分が演奏するようになってからは、彼をより尊敬するようになった。

あなたはジャズのギタリストとしての技術を持っていると思いますか?

RT:えーっ? いや、まったく! できるだけ学んで吸収したいと思ってやってはいるけど、それはジャズ・ギタリストを目指してやっていることではないし。私は実際の‶音楽〟ではなく、演奏される音に興味を持っているんだ。

「Space Program」時代には、完全にギターから離れていたのですか?

RT:15年間ギターに触っていなかったね。より多くを要求されるギター文化を受け入れるようになった今、まるで一から始めるような気持ちになる。学ぶべきこと、練習すべきことが多くてハードルも高いから、8歳ぐらいの子どもに戻ったような感じだ。困ったことに、自分はほとんどのギター特有の表現法に興味がないのに、それでも演奏はしたいから、どうやったらいいのかと考え中だ……。

あなたは最近、「Layers」という新作からの抜粋を発表しましたね。それについて何か教えていただけることはありますか?

RT:「Layers」は、持続音が蓄積されて、少しずつ互いを置き換えていくという作品で、調性音楽から無調に変化させながら演奏される。その後、とんでもなく複雑に変化し続けるハーモニクスを生み出す装置に通されるんだ。これは、完全にライヴで演奏するための新作だ。「Layers」は、創作過程としてのパフォーマンスを指向した、単一の作品であるのに対し、『Spectral Evolution』は、作曲における繋がりの広い領域を表している。「Layers」はすでに未来の一部であり、自分が愛することを実践している。未知と対峙するということを。


■ラファエル・トラル公演概要
Scaffold #1

2025.06.26
京都 Club METRO | OPEN 19:00 / START 20:00  
早割¥4,000 ドリンク代別途 [受付期間:5/19 17:00〜5/23 23:59迄]
前売¥5,000 ドリンク代別途
https://www.metro.ne.jp/schedule/250626/

2025.06.28
鳥取 jig theater | OPEN 18:00 / START 19:00  
前売 \ 5,500 (定員80名)
https://x.gd/WLRbt

2025.07.01
渋谷クラブクアトロ| OPEN 18:00 / START 19:00
前売 ¥6,000 ドリンク代別途
https://www.club-quattro.com/shibuya/schedule/detail/?cd=017126
出演者: Rafael Toral / Jim O‘Rourke×石橋英子

お問い合わせ:
京都Club METRO: ticket@metro.ne.jp
鳥取jig theater:mail@jigtheater.com
渋谷クラブクアトロ:03-3477-8750

主催 (Organize):PARCO
制作(Produce):DOiT / CLUB QUATTRO
協力(Cooperation):Club METRO / jig theater

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interview with Rafael Toral

Written by James Hadfield

As Rafael Toral’s Bandcamp profile puts it, he’s spent his career “bouncing between the music within sounds and the sounds beyond music.” The Portuguese musician has been a vital presence in the world of experimental music for over three decades, but he’s currently enjoying a renaissance on the back of last year’s “Spectral Evolution.” A landmark work, the album unites different strands of Toral’s endlessly inquisitive practice: the liquefied guitar tones heard on early releases like “Wave Field” (1995); the menagerie of unruly DIY electronic instruments he assembled during his “Space Program” period, which ran from 2004-2017. The key ingredient is classic jazz harmony, including the instantly recognisable (if glacially slow) chord progressions of “I Got Rhythm” and “Take the ‘A’ Train,” which give the album a surprising emotional heft.
“Spectral Evolution” was the result of a painstaking three-year process, during which Toral produced 56 versions of the piece. When he turned to his friend Jim O’Rourke for advice, the latter was so taken by what he heard, he revived his long-dormant Moikai label in order to release it.
In an email exchange with Toral ahead of his first tour of Japan since 2008 – where he’ll be sharing a bill with O’Rourke and Eiko Ishibashi – the musician discussed his relationship with jazz, the importance of beauty in an increasingly ugly world, and the “feedback of love” he’s experienced while performing “Spectral Evolution” live. The conversation has been edited for clarity and length.

Speaking about “Spectral Evolution” in an interview with Tone Glow last year, you said you “had to learn and study and develop a lot in order to make this record.” Can you expand on this?

Well, the album has lots of jazz chords and to connect these chords together you need to know what you’re doing. I had to understand why and how a single note out of place steers a chord into a different colour. I wasn’t prepared for that, so a lot of work went into having it done correctly, then convincingly, then beautifully. As I was struggling with that, I asked Jim for advice, and that’s how he decided to release it.

Can you tell me about your relationship with Jim? Do you often share your works-in-progress with him, or was this a special case?

Jim and I have been great friends since 1995 or so; we first met in Chicago. He’s always been way too busy, so it doesn’t occur to me to distract him with stuff. But this case was different: I was struggling with the harmonies and arrangements, because the album was beyond my capacities and I knew I didn’t have a choice but to climb up to that bar. I knew Jim has much more knowledge in many fields of music than myself, so I asked him to listen, as a friend.

Reaching beyond your capacities seems to be a regular thing in your work. Where do you find the motivation to keep pushing yourself like this?

Well, I just try to make sense of what I am supposed to do: Where should my energy go, and where is the nexus of what I want to do; what is a positive move in its time, what is being said, and whether it should bear my name. Very often, it turns out to be something I must build from the ground up and it entails a promise, a vision. I don’t really have a choice but to fulfil it, even if that means I’ll be pushing myself. Besides, I guess it’s easy to forget we’re not done with evolution: I think we actually have the obligation to evolve.

What role does beauty have in your work?

[Thinking] Well, maybe not a role, but… on the one hand, I’ve grown up immersed in 20th century culture, which, broadly speaking, was mostly busy with dismantling/deconstructing/destroying structures, from cubism to punk, from serialism to glitch. When I was young, anything that was “beautiful” was not to be considered seriously as legitimate art. This is a very gross generalisation, of course. But I felt I needed to claim freedom from that and embrace beauty as something integral to today’s art. We could discuss this forever – I can’t really put it in a nutshell. On the other hand, beauty is not simply cultural/aesthetic; it goes beyond one’s likes and dislikes. There’s a lot of overlap between preferences and our biological and neurological response to what we see and hear. Like, a perfect fifth sounds great and is beautiful, but it’s an interval from a simple mathematical proportion, 3/2, and is a natural vibrating phenomena that has the cells in your body resonating, and who knows what else is happening, when a sound gives you chills down the spine because it’s so good – beauty does go that deep. And lastly, the world is getting so ugly that we better hold on to what is beautiful – in a broad sense, not just pretty, but anything that contains elevated qualities, like integrity, etc.

Pythagoras was right! Have you delved much into the science of this?

I haven’t gotten into the science much. Science is a pillar of civilisation but also lacks everything it can’t measure and explain. I also try to keep away from “knowing” that sort of thing with my head. I try to validate my movements with intuition, often from a kind of knowledge that pertains more to the body and not so much to the brain. And besides, I always prefer to leave that open, for the listener to have their own way to integrate the music.

I think the elevated qualities you’re talking about are also often what separates great art from the mediocre. Was there any particular impetus that made you reconsider your thoughts about beauty?

Definitely today’s exponential increase of ugliness, the decline of civilisation… holding on to beauty is strangely becoming a survival strategy, a conscious effort towards sanity. And yes, beauty understood broadly. Like, acknowledging facts is beautiful, as opposed to spreading lies. Or the beauty of bringing opposite worlds together and having them talk to each other: That’s what “Spectral Evolution” is all about.

Given how much work was involved in producing the final version of “Spectral Evolution” heard on the album, what’s it been like performing it live?

The concert benefits from the album’s structure, which makes it very solid, and the way it sounds live is like being physically immersed in a sound field. It connects the emotional aspects of harmony with the physical experience of vibration. It seems to be intense for the audience; sometimes people tell me they almost cried. For me, it’s important to draw listeners into the sound and that creates a feedback of love.

“Feedback of love” is a great image – I think it says a lot about the relationship you have with your audience.

In some concerts, it can be felt very clearly. These sounds and this whole album have been made with love and it’s been met with a loving way of listening by the audience, and that engagement, that quality of feeling, beams back to the stage.

How has your relationship with your audience developed over your career?

I’ve always respected the audience very much and I’m grateful for how I’m able to contribute something they use in their lives. When you give something and it’s well received, that receiving is in turn a gift back to you. I always commit myself to deliver something that justifies their getting out of their homes and buying a ticket and spending their time listening to whatever I play.

Are the intense emotional reactions you’ve encountered when performing “Spectral Evolution” something new, or have you elicited similar responses with other projects in the past?

This is new, as it’s much more emotional than anything I’ve done before, and it’s delivered with intensity.

I think there are artists who'd view "emotional" music with the same suspicion you talked about earlier, in relation to beauty. As you said, this is new territory for you, but how did you arrive here?

Dealing with clearer emotions is new to me and is unintentional. I like to keep emotions open and abstract so that the listener can project their own. These harmonies have emotions built-in and it’s almost impossible to escape them. I’m more interested in their sound, however.

How much does “Spectral Evolution” vary from one performance to the next?

The live version is expanded; some transitions take a more relaxed time. The album was not originally conceived to be played live, so I play as many live guitar parts as possible, and a few of those are improvised. But it’s very consistent: The variation is in the details. The room acoustics and the PA configuration have a decisive effect, and that’s why I spend hours of soundcheck making it sound good every time.

What does your soundcheck involve? Have you found any ways to streamline the process, or is it always a challenge?

Both! I mean, sometimes a fine PA in a good venue makes things easier, but it’s usually a challenge. I do have a sequenced method and the goal is to create a surround body of sound that is intense but invites people in. A sound that doesn’t push you, but pulls you instead. A sound that isn’t there to dominate, but to embrace you. Every room is different, so the tuning has to be very precise.

I was listening to the mix you did for The Wire at the end of last year, and it’s a fascinating complement to the album – Kenny Burrell isn't normally my thing, but he makes perfect sense in this context. Out of interest, what’s your relationship like with the jazz tradition?

It’s always been like a satellite in orbit. Totally focused in but standing elsewhere. Once I said about the Space Program (my previous free-jazz inspired project of electronics), “It’s all jazz, except the music.” For entirely different reasons, the same applies to “Spectral Evolution.” I have a lot of admiration for the heightened humanity of jazz. There’s a lot to learn and a lot to feel. Layers of depth for the mind and heart.

Do you think your appreciation of jazz, and the qualities you mentioned, has deepened as you get older?

Oh yes, indeed! When I was 15, jazz just didn’t make sense to me and I didn’t have any interest in it. Sometimes, I’d come across something that I could acknowledge was good but I didn’t have the references or experience to process it, eventually becoming able to appreciate it only 5 or 10 years later. The meanings and values change with respect to how you integrate them. For example, when I first heard Kenny Burrell, I thought he wasn’t the most exciting jazz guitarist (there goes the typical 20th-century thinking). But when I started playing, now I’ve come to respect him a lot more.

Do you have jazz chops as a guitarist?

Gosh, no! I do try to learn and absorb everything I can, but it’s definitely not towards becoming a jazz guitarist. I’m interested in the sound of the guitar as it’s played, more than the actual “music”.

Did you completely step away from the guitar during your Space Program period?

I didn’t touch a guitar for 15 years. As I’ve embraced a much more demanding guitar culture, I feel like starting from scratch. There’s so much to learn and practice, because the stakes are so much higher, so it’s almost like I’m 8 years old or so. To make it more difficult, I find myself uninterested in most guitar idioms, but I still want to play – so I’m figuring out what…

You recently released an extract of a new piece called “Layers.” What can you tell me about it?

“Layers” is an accumulation of sustained notes, gradually replacing themselves, played with varying degrees of tonal intention. Then it goes through some gear that brings out incredibly complex and shifting harmonics. It’s a new piece to be played fully live. “Layers” is just one specific thing, more simple and completely oriented to performance as a creative process, as opposed to “Spectral Evolution” which is a broad field of connections in composition. “Layers” is already part of the future and doing what I love: engaging with the unknown.

dazegxd - ele-king

 在日アメリカ人DJ・migeruが東京を拠点に展開するパーティ・シリーズ〈GOODNIGHT〉が、7月25日(金)にCIRCUS TOKYOにて40回目の開催を迎える。記念すべき本回のゲストには、先日Web ele-kingでも取り上げたハイパーポップ/デジコアの第一人者ジェーン・リムーヴァーのサポートDJとしてツアー全日程に帯同中のdazegxdを招聘。

 dazegxdは、ポスト・ハイパーポップの潮流をリードするアメリカのインディ・レーベル〈DeadAir〉とニューヨーク・ブルックリン拠点に活動するプロデューサー。自身の手がける作品群は、ゼロ年代のVGMやレイヴ・ミュージックに影響を受けたジャングルやドラムン・ベース、(2020年代以降のリヴァイヴァルの潮流を汲む)アトモスフェリックなブレイクコア、そしてガラージなどのベース・ミュージックだそうだ。「NYCガラージ」という、(UK的なそれではない)新たな流れもSwami Sound、gum.mp3といった面々とともに牽引中で、昨年には自身の主催するコレクティヴ〈eldia〉によるパーティの東京編を初開催するなど、日本のポップ・カルチャーへの愛も深い。

 また、本回をサポートするローカル・アクトには、先日〈POP YOURS〉にも出演した国産ハイパーポップの代表的存在であるlilbesh ramkoによるライヴ、discordsquad2k、666、wagahai is neko、Yurushite Nyan、GOODNIGHT CREWによるDJセットがラインナップされている。いずれもコロナ禍以降のクラブ・シーンに出現した、ジャンルレスでエッジの効いたプレイを得意とするプレイヤーたちだ。

 2020年代以降様変わりしたクラブ・シーンの世界的潮流と、日本のローカル・シーンでいま起きていることが交わる興味深い一夜と思われる。昨今の流れに馴染みの薄い人も、ぜひ一度足を運んでみてはいかがだろうか。

7/25 (Fri)
GOODNIGHT vol.40
at CIRCUS TOKYO
23:00 OPEN / 5:00 CLOSE
ADV: ¥2,500+1d / DOOR: ¥3,500+1d

Ticket: https://circus.zaiko.io/e/goodnight40

Special Guest
dazegxd (Brooklyn, NYC)

LIVE
lilbesh ramko

DJ
666 (yuki+maya)
discordsquad2k (fogsettings+ikill)
wagahai is neko
Yurushite Nyan
GOODNIGHT CREW (skydoki+NordOst+migeru)

VJ
emiku
suleiman.jp

Autechre - ele-king

 2023年、幕張メッセですばらしいパフォーマンスを披露したオウテカ。近年はひたすらライヴに専心している彼らが、2026年早春、ふたたび列島の地を踏むことになった。2月4日(水)@東京・ZEPP Divercity、2月5日(木)@大阪・Yogibo META VALLEYの2公演が開催、大阪での公演はじつに17年ぶりとなる。詳細は下記より。

autechre

漆黒の闇の中へ!
オウテカのピッチブラックLIVE再び!
来日決定、2026年2月4日東京、5日大阪!

autechre
japan
twentytwentysix

tokyo 2026/2/4 (wed) ZEPP Divercity
osaka 2026/2/5 (thu) Yogibo META VALLEY

open 18:00 / start 19:00
前売:8,800円(税込 / 別途ドリンク代)※未就学児童入場不可
info:[ WWW.BEATINK.COM ] / E-mail: info@beatink.com

オウテカのピッチブラックLIVEが再び日本にやって来る。それは真っ暗闇の中、神経を研ぎ澄まし、ただただ音に没入する体験だ。 エイフェックス・ツイン、スクエアプッシャーと並び、英国を代表するレーベル〈WARP RECORDS〉の代表的アーティストとして90年代から不屈のアティテュードと革新性で常に電子音楽のシーンの先頭を爆走して来たオウテカ。近年では自身のウェブサイト限定リリースという形で意欲的に作品の発表を続けている。
ライブ活動においても、彼らのトレードマークとなったピッチブラック(暗闇)ライブで、未だにその会場の規模を拡大し続けており、今秋に予定されている欧州、米国ツアーはオウテカ史上最大規模で行われるが、既に全てソールドアウトを記録している。
そんな彼らの容赦知らずの妥協なき活動、そしてそれに呼応するファンからの絶対的信頼と熱狂的支持、その強固な結びつきは国境も世代も越え未だ拡大を続けているのだ。
今回の来日は2023年のSONICMANIA以来、2年振りとなるが、2008年Club Karmaでの公演以来、実に17年振りに大阪にも降臨する。是非体験すべし!

【チケット詳細】
前売:8,800円 (税込 / 別途1ドリンク代)※未就学児童入場不可

東京:1F スタンディング/ 2F 指定席
大阪:オールスタンディング

注意事項:
※演出上、オウテカのショーはピッチブラック(完全消灯)・ライブとなります。開演前にスマートフォンなどの電子機器の電源をオフにし、お近くの出口を確認の上、自身の立ち位置を確保し、オウテカ演奏時の入退場は極力お控えください。非常時は係員の指示に従ってください。

Scanner & Nurse with Wound - ele-king

 スキャナーとナース・ウィズ・ウーンドのコラボレーション・アルバム『Contrary Motion』がリリースされた。一見すると意外な組み合わせにも思えるが、サウンドは両者の音が見事に融合したダーク・アンビエントに仕上がっていた。電子音とノイズと具体音が幽玄な音空間の中で融解し交錯する音響には、聴き手を深く没入させる力がある。リリースは、ナース・ウィズ・ウーンドが作品を発表してきた自主レーベル〈United Dairies〉から。

 スキャナーは、ロビン・デイヴィッド・ランボーによる英国のサウンド・アート・プロジェクトである。彼は1993年、英国の実験音楽レーベル〈Ash International〉の初期にいくつかの作品を残し、その後はベルギーの実験音楽レーベル〈Sub Rosa〉などから、150〜160作とも言われる膨大な数のアルバムをリリースしている。環境音や電子音を組み合わせるという、今日のエクスペリメンタル・ミュージックの基本手法を、90年代初頭から実践してきたこの分野の巨匠である。個人的には、映画作家デレク・ジャーマンにオマージュを捧げ、ロビン・デイヴィッド・ランボー名義でリリースされた『The Garden Is Full of Metal』(1997)に強く惹かれたことをおぼえている。

 一方、ナース・ウィズ・ウーンドは、英国に拠点を置くノイズ・コラージュ集団である。彼らはノイズ/インダストリアル・ムーヴメントやポスト・パンクの文脈において論じられることもあるが、その創作活動の根幹には、ダダイスムおよびシュルレアリスムの思想と方法論を継承する姿勢が認められる。加えて、彼らは一貫してインディペンデントな制作体制を堅持しており、その点でも特異な存在である。現在のメンバーはスティーヴン・ステイプルトンとコリン・ポッター。とはいえ、彼らについて私などが語ることはできない。まずはなにより平山悠氏の著書『ナース・ウィズ・ウーンド評伝──パンク育ちのシュルレアリスト・ミュージック』を読んでいただきたい。この本には、彼らにとって大切なことがほぼすべて書かれているからだ。私が知っている範囲で彼らのアルバムで好きな作品はハードコアなドローン作品である『Soliloquy for Lilith』(1988)である。

 本作『Contrary Motion』は、ナース・ウィズ・ウーンドのスティーヴン・ステイプルトンとスキャナーのコラボレーション作品だ(もちろん初の共作である)。二人の、いかにも英国的なシュールリアリズム感覚とセンスが遺憾なく発揮されているアルバムだ。スキャナーの公式サイトには、本作の制作経緯が詳しく記されている(https://scannerdot.com/the-making-of-contrary-motion-with-nurse-with-wound/)。ロビンとスティーヴンは何年も前にドイツで出会い、以後、共にライブを行い、音楽・芸術・人生についてさまざまな対話を重ねてきたという。このプロジェクトの発端は数年前。スティーヴンがロビンに共作を提案したことから始まった。ちなみに印象的なアートワークは、スティーヴン・ステイプルトンの妻、サラ・ステイプルトンによるものである。

 使用されている音は、ライヴエレクトロニクス、電話音、加工された声、謎の電子機器、軋むギター、エコーする音など多岐にわたる。これらが緻密かつ大胆に交錯し、ダークなムードのアンビエントを構築していく。聴き手の聴覚をじわじわとハックするような魅力に満ちたアルバムだ(全6曲収録)。最初はこの二人の共演に意外性を感じたが、実際に音を聴くと、その相性の良さに驚かされる。どのトラックもノイズとノイズ、音と音が緻密にコラージュされ、現実と非現実の境界を彷徨うように展開する。

 本作はまずスティーヴンの方から、1時間におよぶベースとなる録音が共有された。そこにロビンが手を加え、アルバムの基本的な構造を作り上げ、録音全体をいくつかのセクションに分割していった。おそらくこの時点で、ロビン独自のエレクトロニック・アンビエントが加えられていったのだろう。そこに無数のノイズを重ねていく手腕には、ステイプルトンとの共同作業の強い印象が残る。実際、ロビンはステイプルトンのノイズに対し、自身の膨大なサウンド・アーカイヴを用いたと語っている。彼のオリジナルのモジュラー・シンセも使用され、アルバム全体の電子音を特徴づけている。

 アルバムは、メタリックな持続音が響く1曲目“Causticum”から幕を開ける。メタリックなドローンに加工された声によるナレーションや、どこか鳥の鳴き声のような音が重ねられていく。どこか不穏で冷たいサウンドが、アルバムの開幕にふさわしいムードを演出している。続く2曲目“Conium Maculatum”は、アンビエント/エレクトロニック色が強く、おそらくスキャナーの色合いが濃いトラック。だが、レイヤーの重ね方にはステイプルトンの手腕も感じられ、見事な融合を見せている。

 アルバム中盤の3曲目“Cocculus”では、ドローンを基調とした薄暗い音像の中にモールス信号のような音や微細なノイズが交錯する。使用されたシンセはEllitone Farm Detective Ultrarollzとのことだが、これが曲全体のざらついた質感を際立たせている。4曲目“Cicuta Virosa”は最も深い余韻を残す一曲だ。静謐さと微細なざわめきが、聴き手を不可視の空間へと導く。再び「声」が現れる5曲目“Tartaricum”は、シネマティックなムードが印象的だ。最終曲にして6曲目“Mezereum”では、霧のような持続音と夜の物音のようなノイズが交錯し、静寂の中に沈み込むような音世界が広がる。途中から加わる加工声は、人間と冥界を繋ぐ電波のようにも聴こえる。

 以上、全6曲。どの曲も、幽玄な電子音に、細やかな音=ノイズが大胆かつ緻密に交錯している。両者のファンであれば、各曲にちりばめられた音の断片から、それぞれの「音」への連想が働くかもしれない。しかし、この作品が優れている最大の理由は、単なる合作ではなく、現代のダーク・アンビエント・アルバムして確かな完成度を備えている点にある。現実の喧噪から距離を取りたいとき、深淵な音の迷宮に沈みたいとき、このシュールリアリズムとダダの精神を受けつぐダーク・アンビエント『Contrary Motion』を聴いてほしい。

Beatie Wolfe and Brian Eno - ele-king

 3月にアルバム『AURUM』をリリースしたばかりのブライアン・イーノ。さらなる新作情報です。これまでもさまざまな音楽かとコラボしてきたコンセプチュアル・アーティスト、ビーティー・ウルフとの共作2枚、『Luminal』と『Lateral』が本日6月6日に2枚同時リリース。あわせて、『Luminal』より収録曲 “Play On” のミュージック・ヴィデオも公開されている。

 また、ブライアン・イーノといえば、観るたびに構成や内容が変化するジェネレイティヴ・ドキュメンタリー映画『Eno』(監督はギャリー・ハストウィット)がいよいよ日本でも公開となる。すでにソールド・アウトとなっている6月21日のプレミア上映を皮切りに、東名阪の109シネマズにて7月11日から期間限定で上演。巨匠の新たな試みを体感できるまたとない機会、ぜひお見逃しなく。予告編、詳細は以下より。

Artist : Beatie Wolfe and Brian Eno
Title: Luminal
Release Date:2025.6.6
Label : Verve / BEAT
Format : CD / Vinyl / Digital
Buy / Stream : https://BeatieWolfe-BrianEno.lnk.to/LUMINAL

Tracklist:

1. Milky Sleep
2. Hopelessly At Ease
3. My Lovely Days
4. Play On
5. Shhh
6. Suddenly
7. A Ceiling and a Lifeboat
8. And Live Again
9. Breath March
10. Never Was It Now
11. What We Are

Artist : Beatie Wolfe and Brian Eno
Title: Lateral
Release Date:2025.6.6
Label : Verve / BEAT
Format : CD / Vinyl / Digital
Buy / Stream : https://brianeno-beatiewolfe.lnk.to/LATERAL

Tracklist:

CD:
1. Big Empty Country

Vinyl:
1. Big Empty Country (Day)
2. Big Empty Country (Night)

Digital:
1. Big Empty Country Pt. I
2. Big Empty Country Pt. II
3. Big Empty Country Pt. III
4. Big Empty Country Pt. IV
5. Big Empty Country Pt. V
6. Big Empty Country Pt. VI
7. Big Empty Country Pt. VII
8. Big Empty Country Pt. VIII

アンビエントの巨匠ブライアン・イーノとコンセプチュアル・アーティストのビーティー・ウルフによる新たなコラボレーション・アルバム『Luminal』と『Lateral』がヴァーヴ・レコーズより本日リリースされた。『Luminal』から「Play On」のミュージック・ビデオが公開となっている。

イーノとウルフの出会いは2022年の音楽祭・映画祭・インタラクティブ・フェスティバルなどを組み合わせた大規模イベント、サウス・バイ・サウス・ウエスト(SXSW)にさかのぼる。二人はSXSWにて「アートと気候(Art and Climate)」と題して特別講演を行い、この公演はSXSWの25年間の歴史の中でベスト・トークの一つに選ばれた。
その後、二人はそれぞれロンドンの別々のギャラリーでビジュアル・アートやコンセプチュアル・アートの作品を展示していたときに再会し、音楽的なコラボレーションが生まれた。

 イーノはニュー・シングル「Play On」について
「この曲は私たちを不思議な場所へ連れて行ってくれました。全く相容れない感情が、落ち着きのない仲間になる場所です。怒りと恍惚、ある種の力と混ざり合った絶望、そしてある種の喜び。この複雑な感情を表す言葉はあるのでしょうか?たとえ言葉がなくても、今やそれを表現する音楽が産まれています」
と語った。

また、イーノとウルフは、2024年まで散発的にレコーディングされたこのプロジェクトでのコラボレーションを振り返って、次のように語っている。

==
音楽は感情を喚起するものです。その感情の中には、馴染みのあるものもあれば、そうでないもの、あるいは複数の異なる感情が複雑に混ざり合ったものもあります。他の言語や文化には、そのような感情を表す美しい言葉がたくさんあります。そう、英語にはない言葉です。感情に名前をつけることで、私たちはその感情をより感じやすく、より具体的にすることができます。アートは、私たちがこれまで感じたことのないような感情や、あるいは感情の混ざり合いを引き起こすことができます。このように、アート作品は、ある種のフィーリングの「母」となり、そのフィーリングを見つけ、再体験するための場所になり得るのです。私たちが取り組んだ感情の中には、次のようなものがありました・・・。

Ailyak (ブルガリア語)・・・ゆっくりと、プロセスを楽しむこと
Commuovere (イタリア語)・・・感動すること
Dor (ルーマニア語)・・・あこがれ、帰属意識
Duende (スペイン語)・・・ゾクゾクすること
Feath (ゲール語)・・・静寂、平和
Gezelligheid (オランダ語)・・・温かい親密さ Ilinx (フランス語) ・・・遊びによる不思議な興奮
Jijivisha (サンスクリット語)・・・人生を全うすること
Liget (フィリピン語)・・・燃えるようなエネルギー、生命の輝き
Merak (セルビア語)・・・宇宙と一体になること
Meraki (ギリシャ語)・・・何かに没頭すること
Mono no aware (日本語)・・・人生のはかなさに感謝すること
Onsra (ボロ語)・・・愛を失うことを予期すること
Pronoia(ギリシャ語)・・・パラノイアの反対の意
Sisu (フィンランド語)・・・決意、気概
Torschlusspanik (ドイツ語)・・・時間がなくなることへの恐怖
Ya'aburnee (アラビア語)・・・誰かがいない世界で生きたくないということ
==

そして、ブライアン・イーノのジェネレイティヴ・ドキュメンタリー映画『Eno』が日本国内での上映が迫っている。ギャリー・ハストウィット監督による『Eno』は、ブライアン・イーノへの長時間のインタビュー、そして500時間を超える貴重なアーカイブ映像を組み合わせ、アーティストのブレンダン・ドーズと共同開発した自動生成システム「Brain One(ブライアン・イーノのアナグラム)」を導入。観るたびに構成や内容が変化する映画の常識を覆す全く新しい体験を実現した。そんな映画『Eno』がついに日本初上陸を果たす。なお、アジア圏での劇場上映はこれが初となる。

監督:ギャリー・ハストウィット
字幕翻訳:坂本麻里子 / 字幕監修:ピーター・バラカン
配給:東急レクリエーション / ビートインク
サイト:https://enofilm.jp/

THEATER
劇場・上映スケジュール・チケット情報

■ 上映スケジュール
特別プレミア上映(トークイベント付き) *SOLD OUT
【会場】109シネマズプレミアム新宿 シアター7
【日時】2025年6月21日(土)
【登壇者】ギャリー・ハストウィット監督 × ピーター・バラカン(トークショーあり)
※特別プレミア上映は1回目と2回目でそれぞれ別のヴァージョンとなります。

一般上映
109シネマズプレミアム新宿 シアター7
【期間】2025年7月11日(金)~ 7月17日(木)

109シネマズ名古屋 シアター4
【上映日】2025年7月12日(土)、7月13日(日) ※土日限定上映

109シネマズ大阪エキスポシティ シアター5
【上映日】2025年7月12日(土)、7月13日(日) ※土日限定上映

【チケット販売URL】 https://eplus.jp/eno/

忌野清志郎さん - ele-king

「ボス、ロックやるのもたいへんですね」と返したら、「おまえ、この国にロックなんかないんだよ」と言って帰って行きました。その姿もよく憶えています。かっこよかったんです。(本文より)

 我々はひじょうに危険な状態にあると指摘する人が後を絶たない現在、何度も何度も耳にする言葉──「いま清志郎がいてくれたらなぁ」。1988年『COVERS』発売直後の混乱期、『コブラの悩み』~ザ・タイマーズ~RCサクセションの解散という激動のなか、清志郎のようなメイクと衣装で働いた名物宣伝マンの語る「清志郎さん」。巻末にはele-king編集長・野田努との「RCサクセションとタイマーズをめぐる」対談も掲載。あまり知られていない逸話もまぜつつ、いまあらためて「清志郎さん」がやり遂げたことについて考えます。
 かつてこの国のロックで、権威を敵にまわし、たくさんの子供たちを(そして大人たちも)喜ばせたミュージシャンがいました。高橋康浩の『忌野清志郎さん』、頭と、そしてハートで読んでください。

[著者]
高橋康浩(たかはし・やすひろ)
80年代後半、レコード会社入社後、RCサクセションの問題作『カバーズ』発売中止事件の渦中に放りこまれ、翌年、タイマーズがメディアをジャックしたFM東京事件に担当者として騒動を経験。また、派手なメイクに衣裳で自らが宣伝塔となり、忌野清志郎のプロモーションを展開。清志郎とともに突然街中でゲリラ・ライヴを敢行し、話題となる。現在もフリーランスとして清志郎のCDの監修やメディアやトークイベントへの出演、原稿執筆等を担っている。ファンのあいだでは清志郎命名による高橋ROCK ME BABYというネームで知られている。

デザイン:鈴木聖
表紙写真:川上尚見/中面写真:有賀幹夫

四六判/248頁

■目次
編者による序文
序章 17歳の「雨あがりの夜空に」
第一部 『COVERS』、ザ・タイマーズ、RCサクセションの解散
第二部 RCサクセション
第三部 ローランド・カークはとっくに死んでいる
終章 「俺は昨日と今日と明日のことしか考えないんだよ」
あとがきに代えて 高橋康浩×野田努
謝辞

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interview with caroline - ele-king

 ポケットに手を入れたまま、コンクリートの隙間から伸びる雑草をまたいで土手を歩く。川辺には、この季節に相応しく草は青々と茂っているが、向こう側には味気ないマンションが並んで、東京郊外のあいまいな田園地帯の境界をさらにぼかしている。それでもぼくは牧歌的なイメージに浸っている。『キャロライン2』を聴いているのだ。
 いま、これほどロマンティックに聞こえる音楽がほかにあるのだろうか。
 いまどき、8人組という大所帯のロック・バンドが新しく感じられるのはなぜだろう。
 彼ら彼女らは輪になって演奏する。バンドというよりはコレクティヴで、見た目は地味というか目立たないというか、どこかほのぼのしているが楽曲は挑戦的だ。作品の趣きたるや空想的で、陶酔的でもあるが英国風メランコリアも横溢している。フォーキーだがテクスチュアもあって、即興的な要素はバンドの相互作用に大胆な効果をもたらしもするが、総じてキャロラインの音楽は美しい。
 なぜ自分がかくもキャロラインを好きなのかわかっている。けど、その話——チャーリーと過剰消費、現代におけるイアン・マーティンにいわく「20世紀音楽の無限のリミックス状態」等々——をすると長くなるので止めておく。ただ、ぼくはこのバンドの新作を心待ちにしていたひとりであって、いまここで、『キャロライン2』は今年のもっとも素晴らしいアルバムの1枚になると断言しておきたい。1曲目の“Total euphoria”でぶっ飛ばされた。極めて21世紀的なポストモダニストのキャロライン・ポラチェックがゲストで歌う3曲目までは完璧だと思う(君もきっと賛同してくれるはず)。
 インタヴューに答えてくれたマイク・オーマリー(Mike O’Malley)は、キャスパー・ヒューズ(Casper Hughes)、ジャスパー・ルウェリン(Jasper Llewellyn)とともにバンドの中核を作ったひとりだ。2017年、この3人がマンチェスターの大学在学中にキャロラインは産声を上げている。


右で電話をかけているのがマイク。赤いポロシャツがジャスパー。前面に横たわっているのがキャスパー。順に右から左へ、アレックス・マッケンジー、オリヴァー・ハミルトン、マグダ・マクリーン、ヒュー・エインスリー。フレディ・ワーズ・ワース。

すべてのサウンドが調和して作用するのではなく、対立する要素が必要だと思っているんだ。さまざまな要素が対立していて、激しく聴こえるけれど、同時に美しくも聴こえる——その状態まで曲を持っていくまで曲は完成していないと思っている。

お時間ありがとうございます。新作を聴くのがずっと楽しみだったので、今回の取材がとても嬉しいです。

マイク(以下、M):素敵な言葉をありがとう!

古きものと新しきもの、静と動、生楽器とエレクトロニクスの混じったアルバムですね。アルバムの冒頭でやられました。ラフな質感や即興性もあるけど、前作以上に手の込んだ作品でもあると思います。

M:ふむふむ。

■レコーディングはいつからいつまでやっていたんですか?

M:このアルバムは長い時間をかけて作られたんだ。いま挙げられたようなディティールの判断も長い制作期間の途中にほどこされている。レコーディングをいつから開始したのかをはっきりと答えるのは難しい。音源を録音しているときは、まだそれがアルバムに使われることになると気づいていなかったりするからね。でも、アルバムに使われている音源を最初に録音したのはだいたい18ヶ月くらい前だったかもしれない。それくらいの時期から、レコーディングをはじめたり、みんなで音楽合宿をやって作曲をしたり、コンセプトについて話し合ったりしていたんだ。曲のアイデアについて話したり、今回のアルバムではどんなサウンドにして、どんなことをしたいのか——そういうことをみんなで決めていった。アルバムは今年の1月に完成したばかりなんだ。完成してからリリースまでの期間がとても短く感じられたよ。

通訳:その音楽合宿というのは、3人でスコットランドに行ったときのことですか?

M:そうだよ。それが最初の合宿だった。それ以前もロンドンでアイデアについて話し合ったりしていたんだけど、合宿に行ったときに、「これらのアイデアをなんとかまとめて、次のアルバムに使える素材として持って帰れるようにしよう」と初めて決めた。アルバムを作ろうという明確な意志が固まった段階だった。

2022年に『caroline』を出して、ぼくらも大好きでしたが、世界中の多くの人があのアルバムが好きで、そうしたリアクションで得た自信はあったと思います。アルバム制作に迷いはありませんでした? 「俺たちはもう、これしかないぜ!」みたいな方向性は定まっていました?

M:いい質問だね。迷いというものはなかったけれど、今回と前回のアルバムではまったく状況が違った。前回のアルバムを出したとき、キャロラインというバンドを知っている人はあまりいなかった。イギリスに何人かのファンはいたけれど、いまと比べたらずっと小規模だった。アルバムがリリースされて、各所で宣伝されて、ぼくたちの名前が広まった。そして(名が広まったという時点で)セカンド・アルバムを作るとなると、自意識過剰になったり、自分たちの活動に疑問を感じたりするかもしれないとは思っていた。制作に入る前は、どんなサウンドを追求するべきなのかがわからないときがあった。でも制作に入ってからは、何をすべきで何をすべきじゃないかということがわかってきた。制作の流れができてからは、自信を持って自分たちを疑うことなく制作に臨めたから、ぼくたちは幸運だったのかもしれない。セカンド・アルバムにプレッシャーはつきものとよく言うからね。ぼくにもそのプレッシャーはあったけれど、今回のアルバムの仕上がりには満足しているし、制作過程においても自分達のやっていることに自信を持って制作することができたと思う。

歌に関して、前作以上に意識的になっているように感じたのですが、あなたがたはどんな「歌」、どんな「歌手」がお好きなのでしょうか?

M:それもいい質問だね。好きな歌手か……これはぼく個人の答えになってしまうけれど、ぼくはアーサー・ラッセルがすごく好きなんだ。他にも好きな歌手はたくさんいるよ。でも、ぼくはある「歌手」に注目して音楽を聴くということをあまりやらないんだ。いろいろな種類の音楽を聴いているから、ある特定の歌手にフォーカスするということがとても稀なんだ。でも、例えばジャスパー(・ルウェリン)やマグダレーナ(・マクリーン)など、バンドメンバーで歌う機会が多い人たちには好きな歌手がいたり、参考にしている歌手がいると思う。ぼくは今回のアルバムではあんまり歌っていないからね。だから好きな歌手や歌についてはうまく答えられない。毎週好みが変わったりするから、特定の歌手に注目していることが少ないんだ。

クローザーの“Beautiful ending”も凝っていますが、ぼくは1曲目の“Total euphoria”に驚かされました。バンドにとって他の何かに似ていると言われるのはイヤだと思いますが、すいませんと謝りつつ、Still House Plants にちょっと近いアプローチを感じたんですよね。SHPはお好きですか?

M:好きだよ。彼らのライヴはロンドンで何度も観たことがある。“Total euphoria”を書いていたときに、とくに彼らのことを参考にしたわけではないけれど、スティル・ハウス・プランツと比較されるのも理解できる。リズム上で起きていることが似ているのかもしれない。すごくいいグループだと思うし、去年リリースされたアルバムは素晴らしかった。ライヴに何度も行ったことがあるけれど、彼らのライヴはいつ観てもすごくエキサイティングだよ。彼らの体制は完璧に整っていると思うんだ。そんなところが素晴らしいと思う。

“Song two”も魅力的な曲です。これもまた前作にはなかったタイプの曲ですが、曲作りは誰かひとりが作ってきたものをみんなで肉付けするんですか?

M:そうやって曲ができるときもあるけれど、曲によって作られ方は違うんだ。例えば、キャスパーが「最近よく弾いているコードで試してみたいものがある」と言って、みんなに聴かせて、そこからみんなで即興していくというパターンもある。こういう場合は、先にヴァースやコーラスのアイデアがあるというわけではないんだ。今回のアルバムには前回と比べて曲の構成がしっかりとしたものも多いけれど、最終的にそこまで構成がきちんとした曲にはならなかった。だから、いま話したようなパターンや、3人の即興からはじまるパターンなどがある。即興で歌ったり、即興のギター演奏やドラム演奏がたくさんおこなわれる。そうやって曲が作られていくことが多い。でも曲によって違うんだよ。曲のパートが気づいたら浮上していることもあって、それがどこから浮上してきたのかわからないけれど、いい感じのパートだから、それで進めてみる。そんな感じ。

caroline にとって曲はひとつの物語でしょうか?

M:曲には、物語のなかから切り取った断片のようなものがあるかもしれないね。ある行動の詳細や環境、ある出来事など。でも、曲を通して物語が語られるということはあまりない。歌詞に関して言うと、ジャスパーは別に物語を語っているわけではないと思う。彼の頭のなかで何が起こっているのかはわからないけれど、物語というよりは、意識の流れみたいなものだと思う。彼が歌詞や歌のパートを書くときは、即興の歌からはじめることが多いんだ。メロディやサウンドからはじまって、それがじょじょに歌詞としての形を帯びてくる。だから抽象的な意識の流れみたいなものなんだ。でも些細な瞬間や物語を行ったり来たりしているときもたしかにある。ぼくが思うに、歌詞とは、言葉を扱うソングライティングの一種であって、はじまりがあって終わりがあるという直線的なものではなく、大きなボウルにさまざまな要素がたくさん入っている感じに近いと思っている。


中央にいるピンク系のドレスを着ているのがゲストのキャロライン・ポラチェック。

8人で輪になって演奏すると、すごく支えられている感じがする。一体感や支えられているということを強く実感できる体験なんだよ。

歌詞に、社会や政治は関係していますか?[*前作の“Good Morning (Red)”は、2017年のジェレミー・コービンの社会主義労働党運動の台頭と、それにともなう楽観主義の波にインスピレーションを受けたとピッチフォークの取材では語っている] 

M:社会や政治に関する明確な言及はしていないと思う。(ぼくは歌詞を書いていないから)歌詞の由来を答えることはできないけれど、歌詞が生まれる瞬間はぼくもその場にいた。歌詞を聴いていると、無意識にいろいろなものが思い出されたり、感じられたりすると思う。でも、ぼくが知る限り、それが何らかの具体的な説明だったり、社会や政治に関する意見ではない。歌詞にはぼくたちが生きる時代について歌っている内容もあるけれど、そこに批判や強い意見があるというわけではない。現代の生活をほのめかす要素はあるけれど、とても抽象的なものとしてぼくには感じられるね。

3曲目や5曲目のようなフォーキーな響きは、前作にもありましたが、今回はとくに印象的に思います。英国にはフォークに関する歴史が綿々とありますが、そういうことは意識されましたか? 

M:バンドで使用されている楽器がフォークのものに近いということはときどきあると思う。それらはキャロラインのサウンドを形成する要素のひとつだと思うし、ファースト・アルバムでもそういうサウンドは色濃かったと思う。でも使っている楽器だけでフォークとは言い切れないと思う。キャロラインはアコースティック・ギターやフィドルを使っているけれど、それをすごくフォークっぽい演奏方法で扱っているわけではなくて、むしろぼくたちの関心や嗜好や演奏方法に、フォーク的な要素があるということだと思う。それが無意識に曲に表れてくるのだと思う。バンドとして「こういう風に演奏しよう」とみんなで話し合って、決めたことではないんだ。でもみんなで演奏していると、そこにフォークの響きがあることは暗黙の了解で感じられる。ただし、それはフォークの表面的なサウンドというだけなんだ。ぼくたちの音楽にはフォークの伝統と似通った要素はまったく見当たらないと思うから。また、フォーク音楽をやっている人たちの根本的な理由も、ぼくたちのバントとは関連性のないものだと思うから。でも、ぼくたちのアルバムを聴くと、その節々にフォーク・ミュージックのようなサウンドが含まれているのはたしかだね。

また、レトロでフォーキーな響きのなかにオートチューンを入れることで、どんな効果を狙っているのですか? たんに音響的な面白さなのか、それとも、そこには意味があるのか?

M:深い意味があるかはどうかわからないけれど、ぼくたちは昔から、可能な限り極端なジャクスタポジション(対比)をしたいと思っていて、今回のアルバムではそれをさらに押し進めることができたと思う。ぼくたちが書く曲においては、すべてのサウンドが調和して作用するのではなく、対立する要素が必要だと思っているんだ。さまざまな要素が対立していて、激しく聴こえるけれど、同時に美しくも聴こえる——その状態まで曲を持っていくまで、曲は完成していないと思っている。その要素たちの関係性が自然なものに感じられなければいけないんだ。対立する要素を無理矢理あわせた感じはあるけれど、あえて聴くのに耐えられない対立を探るのではなく、その組み合わせを聴いたら魅力的だと感じられる。そういうバランスを求めている。根本的に異なったスタイルやサウンドを合わせるということが、今回の曲における大きなテーマだった。ふたつやそれ以上の対立した要素を組み合わせるということ。

ちょっとめんどくさい質問で申し訳ないのですが、“Two riders down”はクレシェンドで、じょじょに盛り上がる曲ですが、あの高揚感は何を意味しているのでしょう? アルバムのなかであの曲が直球な盛り上がりを見せているので、気になっています。

M:それは嬉しいね! 何を意味しているか……ストレートな答えを出すのは難しい。というのも、ぼくたちは曲を作っている時の90%は直感でそれをやっているから。それにぼくたちには演奏においてクライマックスに向かっていくという傾向がある。あの曲では、音が常に拡張しては縮小していくということに重点を置いていたから、お互いに覆いかぶさってくるレイヤーがあった。ぼくたちは、最終的な目標(ゴール)を共有して作曲していたと思うけれど、その目標が何なのかという話を具体的にしたわけではないんだ。この曲がまとまったのはアルバム制作の終盤だったんだけど、メンバーみんなが本質的に、この曲で何をやろうとしていたのかわかっていたと思う。終わりのない勢いで突き進んでいくような感じで、常に拡張しては縮小していく曲を作るというのが目標だったと思う。それから当初、表現しようとした感じがあったんだけど、最終的にその感じは少し控えになった。それは、曲を聴くとわかると思うんだけど、ふたつの部屋があって、各部屋では曲が演奏されているということ。つまり、ふたつの部屋から同時に曲が演奏されているという状態。曲を通して、そのふたつの部屋のバランスが崩れてくる。ひとつの部屋では弦楽器のセクションがあって、シンフォニーのような音がするけれど、もうひとつの部屋では騒がしいロック・バンドで、そのふたつのバランスが崩れたり、偏ったりする。この曲では、そういうことを狙いとしていたんだけど、最終的には控えめな響きになったね。

アルバムのタイトルが意味していることは?

M:「セルフタイトル・アルバムから先に進んだ」ということを意味するアルバム名を考えていたんだ。これはぼくたちの2枚目のアルバムだから、そういう意味では『caroline 2』は適したタイトルだと思う。それに、みんなが満場一致でピンときたタイトルが『caroline 2』だったというのもある。すごく壮大で大袈裟。それに自己主張が強いようにも聞こえる。そういう意味で面白いタイトルかなと思ったんだ。とても重要な作品のようなタイトルに聞こえるところが面白いと思った。うまく説明できないけど、『caroline 2』がフィットして気に入ったんだ。

それにしても、メンバーが8人もいると練習もツアーもたいへんですよね。リハーサル・スタジオの広くなきゃいけないし、ツアー中にバスに乗るのもレストランに入るのもたいへんだと思うんですけど、8人いることで良かった、素晴らしい、最高だと思ったことはありますか?

M:素晴らしい質問だね。たしかに8人だとメンバーの移動や予定管理も大変だし、みんなの予定をずっと前から決めて計画しないといけない。でもそれだけの価値はあって、いつでもそれが実感できるよ。ぼくたちはすごく仲が良くて、お互いを大切に思っている。小さなグループに分かれることもあって、それはそれで良いことなんだ。常に大人数のグループでいる必要はないから、小さなグループに分かれる。するといろんな人たちと時間を過ごしていろいろな体験ができる。バンドにはいろいろな人たちがたくさんいるからね(笑)。それに8人で輪になって演奏すると、すごく支えられている感じがする。一体感や支えられているということを強く実感できる体験なんだよ。一緒に演奏していると、みんなで共有した、あるひとつの目標に向かって進んでいる感覚があって、それが8人ともなると、たとえば4人のグループよりも、さらに人と人との交流や交渉がおこなわれるから、その感覚もさらに強いものになる。

それではせっかくの機会なので、最後に、過去でも現在でも、英国のバンドで共感しているバンドがあれば教えてください。

M:これもいい質問だね。どうだろう? ぼくたちみんなが好きなのは、ライフ・ウィズアウト・ビルディングス。グラスゴーのバンドで活動期間は短かったんだけど、キャロラインの活動において大きなインスピレーションになっている存在だ。あと他に英国のバンドだと誰だろう? 他にもたくさんいるけれど、ライフ・ウィズアウト・ビルディングスには大きな影響を受けたから、それをぼくの答えとしたい。とても美しい、蛇行するような音楽。ロック・バンドなんだけど、エモとかスロウコア時代のギターで、ヴォーカリストのスー・トンプキンズがマントラのような歌い方をする。即興の歌い方みたいなんだけど、本当はちゃんと書かれたものだと思う。楽しくて、弾むようなエネルギーがあって本当に最高なんだ。そして本当に美しい。いろいろな要素が美しく組み合わさっている。 

5月のジャズ - ele-king

Emma-Jean Thackray
Weirdo

Brownswood Recordings / Parlophone

 トランペットやキーボードなどを操るマルチ演奏家/作曲家にしてシンガーでもあるエマ・ジーン・サックレイが、2021年のデビュー・アルバム『Yellow』以来となる新作『Weirdo』を発表した。女性ミュージシャンが多く活躍するロンドンの中でも極めて多彩かつユニークな才能を有するエマは、多くのミュージシャンが通ってきたトゥモローズ・ウォリアーズの出身者とはまた異なる個性を持つ。クラシックに始まり、インディ・ポップやグランジ、フリー・インプロヴィゼイションやジャズ/フュージョン、ソウルやファンク、ゴスペルやアフロなどさまざまな音楽の影響を受けてきたエマだが、『Yellow』はそうした影響や多様性が融合したもので、世間からも高い評価をもって受け入れられた。個人的な印象では思いのほかにダンサブルなサウンド・カラーを感じさせる部分があり、ディープ・ハウスやブロークンビーツ的なアプローチを感じさせるところもあったわけだが、彼女自身がダンス・サウンドやグルーヴィーな音楽が好きで、そうした方向性の作品もアルバムに収録したかったからということだった。ゴスペルもそうだが、ダンス・ミュージックは強いパワーを周囲の人と共有したいというエナジーから生まれるもので、エマの楽曲にはそうしたパワーが備わっている。2023年にエマは長年のパートナー亡くしていて、そのときに制作途中だった『Weirdo』は方向性の変更を余儀なくされた。深い絶望の淵にいたエマを救うべく、『Weirdo』は再生や生存のパワーを持つ作品となっていった。『Yellow』にあった生命力のパワーを、さらに強く感じさせるアルバムとなっている。

 『Yellow』ではほかのミュージシャンとのライヴ・セッションの素材を、自宅スタジオで彼女が演奏した素材などを交えて編集した内容だったが、『Weirdo』はほぼ彼女ひとりで演奏・録音・編集をおこなっており、トランペットはじめ管楽器、鍵盤楽器、ギター、ベース、ドラムス、パーカッションやヴォーカルと全てを担当する。例外的にアメリカからエマと同じマルチ・ミュージシャンのカッサ・オーヴァーオールと、俳優/コメディアンでラッパー/ヒューマン・ビートボクサーとして知られるレジー・ワッツがゲスト参加。そのレジー・ワッツのヴォーカルをフィーチャーした “Black Hole” は、『Yellow』でも見られたファンカデリック・スタイルのパワフルなファンク・ナンバー。ファンカデリックのアフロ・フューチャリズムを投影したような楽曲で、彼女自身は黒人ではないのだが、黒人以上にブラックネスやファンクネスに溢れている。『Weirdo』は『Yellow』以上にヴォーカルの比重が高くなっており、ネオ・ソウル調の “Stay” などは彼女のシンガーとしての成熟度を物語る。ディープ・ハウス調の “Thank You For The Day”、ほのかにアフロビートを取り入れた “Save Me” にしても、基調となるのはエマのソウルフルなフィーリングで、彼女のシンガーとしての資質にうまく目を向けたアルバムと言えよう。


Chiminyo
NRG 4

NRG Discs

 サウス・ロンドンのジャズ・シーンを中心に、マイシャやシカーダなどのグループでも演奏してきたドラマー/パーカッション奏者のティム・ドイル。彼のソロ・プロジェクトであるチミニョは、2019年にEPの『I Am Chiminyo』でデビューし、2020年にはファースト・アルバムの『I Am Panda』をリリースしている。チミニョにおいては生演奏とエレクトロニクスの融合が顕著で、ダブステップ、ベース・ミュージック、ビート・ミュージックなどとジャズやエクスペリメンタル・ミュージック、インプロヴィゼーションを結び付けたユニークなサウンドを展開する。『I Am Panda』においても自身でドラムやパーカッションのほかに、ピアノとヴォーカル、そしてエレクトロニック・プロダクション全般も手掛け、ゲスト・ミュージシャンでストリングスや民族楽器の演奏家らも交え、アフリカ、中央アジア、東南アジア、東ヨーロッパなどのエスニックなサウンドを取り入れた独特の世界を表現していた。『I Am Panda』以後は自主レーベルの〈NRGディスクス〉を主宰し、『NRG』というアルバムを定期的にリリースしている。これまで第3集まで発表してきたが、それぞれ構成メンバーは異なるもののシンセ類を交えたエレクトロニックな作品集となっている。ロンドンにおけるフューチャリスティックなジャズにおいては、ザ・コメット・イズ・カミングと双璧と言えるような内容だ。

 そして、この度『NRG』の第4集がリリースされたが、今回はロンドンのジャズ・クラブの名門であるロニー・スコッツでのライヴ録音となる。サウス・ロンドン・シーンを支えるベーシストのダニエル・カシミールほか、ヌバイア・ガルシア、エマ・ジーン・サックレイ、ザラ・マクファーレンらと共演してきたキーボード奏者のライル・バートンなどが伴奏し、ライヴ・エレクトロニクスも参加する。“Into The Storm” でチミニョはドラムンベース的なビートを叩き出し、緊迫感を煽るジェイムズ・エイカーズのサックスやSEが絡み、後半へ向けて爆発していくコズミック・ジャズとなっている。“Chrysalis” はダブステップ調の楽曲で、ダブ・エフェクトが霧のように立ち込めて幻想性を際立たせる。“Luminescence” はブロークンビーツ調のビートの上で、ジェイムズ・エイカーズのディープなサックスとライル・バートンのきらめくキーボードが交わり、エレクトロニクスによるエフェクティヴな音響が全体を包み込んでいく。“Sonder” はダブを取り入れたミスティカルな楽曲で、アラビックな音階が幻想性を高めていく。“Nightfall” でチミニョはヴォーカルをとり、シンセによる音響空間の中で深くエモーショナルな歌声を披露する。


Luke Titus
From What Was Will Grow A Flower

Sooper

 ルーク・タイタスはシカゴ出身のプロデューサー/ドラマー/マルチ・ミュージシャンで、同郷のラッパーのノーネームや、R&Bシンガーのレイヴン・レネイなどの作品に参加したこともあり、どちらかと言えばヒップホップ/R&Bの文脈から注目を集めるようになった。2020年の『Plasma』はレイヴン・レネイ、セン・モリモト、ブライアン・サンボーンといったゲストを招きつつ、ルーク自身はドラムスのほかにギター、ベース、キーボードなど各種楽器を演奏し、作詞・作曲・歌唱を行うシンガー・ソングライター的な立ち位置を見せるものとなっていた。DIY的なアルバムではあるが、その演奏技術はかなり高いもので、楽曲によってはサンダーキャットなどを彷彿とさせるものも。ヒップホップやR&B的な部分もあるが、全体的にはジャズやオルタナティヴな要素も強く、ロンドン勢で比較するならトム・ミッシュオスカー・ジェロームあたりと比較すべき人材に思ったものだ。

 それから5年後のニュー・アルバム『From What Was Will Grow A Flower』は、アーロ・シムズ、ジョナサン・フーバー、イライジャ・フォックス、マイク・ハルデマンらと共同で作曲をおこない、シカゴ、ニューヨーク、ロサンゼルスの音楽仲間の中からミゲル・アットウッド・ファーガソンなどがレコーディングに参加している。ヴォーカル曲の印象が強い彼だが、インスト曲の“Lotus Leaf” を聴くと、彼のジャズ・ミュージシャンとしての資質が逆に鮮明になる。ドラムはドラムンベース的な小刻みなビートを叩き出し、コズミックな空間を作り出すキーボードにメロディアスなサックスが絡んでいくという、非常に繊細で美しい楽曲。ロサンゼルスのキーファーと、マンチェスターのゴーゴー・ペンギンが合体したような楽曲だ。ヴォーカル作品を見ると “What Am I – Radio Tower” はドリーミーなフォーキー・ワルツで、ニック・ハキムあたりに通じるオルタナティヴなムードを感じさせる。“Sideline” や “Up In The Stars”、“Above Us” はJディラ譲りのズレたビートを持ちつつ、70年代から続くフォーキー・ソウルやAORの伝統的なエッセンスも感じさせ、それこそトム・ミッシュやオスカー・ジェロームのグルーヴ感に繋がる楽曲だ。


Lauri Kallio
Turtles, Cats and Other Creatures

Mustik Motel

 ローリー・カリオはフィンランドで活動するギタリスト、およびマルチ・ミュージシャンで、作曲やヴォーカルまでおこなう。これまでヒップホップ系バンドのソウル・ヴァルピオ・バンドや、エレクトロニック・ジャズ/フュージョン・バンドのウニヤ、ドリーム・ポップ・デュオのパンビカリオなどで活動してきており、ジャンルにとらわれない多彩な音楽性を持つ。ソロ・アルバムとしては2020年に『Rusko』を発表しており、ジャズ、アンビエント、実験音楽などを交えた作品だった。それから5年ぶりの新作『Turtles, Cats and Other Creatures』は、前作に比べてポップな要素が増えつつも、彼ならではの多様な音楽要素が折衷した内容となっている。

 そうした折衷的な音楽要素を手助けする人物として、フィンランドの奇才であるジミ・テナーの参加が大きい。フルート、サックス、シンセの演奏として4曲に参加しているが、そのうちの1曲である “Spiralling Down” はエコウマニアのヴォーカルをフィーチャーしたアフロビート×ジャズで、かつてジミがドイツのアフロビート・バンドのカブ・カブと共演して作ったアルバム群を思い起こさせる。実際のところエコウマニアことエコウ・アラビ・サヴェージは、ガーナ出身のドラマー/シンガーで、カブ・カブのメンバーでもあった。ジミのフルートとシンセをフィーチャーした “Forgetting Things” にもエコウはパーカッションで参加していて、フォークロアな風味のジャズ・ファンクとなっている。同じくふたりが参加した“Meirami (The World Awaits)” は、ハープシコードを用いたレトロでサイケな風合いのジャズ・ファンクで、映画音楽やライブラリーに近いような雰囲気。ドリーム・ポップなども作ってきたローリーの才が生かされた作品だ。

Rashad Becker - ele-king

 前作『Traditional Music of Notional Species Vol. II』(2016/〈PAN〉)から、じつに9年。現代エクスペリメンタル・ミュージックのマスタリング職人として知られるラシャド・ベッカーが、新作『The Incident』を自身の新レーベル〈Clunk〉から発表した。名エンジニアとしての多忙ぶりから、もはやアーティストとしての新作は望めないのではという見方もあった。実際、アンビエント作家シュテファン・マシューのように、創作活動を停止したエンジニアも少なくない。

 そんな中、自らのスタジオ名を冠したレーベルからの突如のリリースは、われわれリスナーにとって意外性に満ちた出来事だった。2010年代以降の尖端音楽を追ってきた者にとって、ラシャド・ベッカーはもはや “伝説” の部類に属する存在である。2025年にその新作を耳にできるという事実は、僥倖と言うほかない。しかも、そのサウンドは『Vol. II』後半からまるで自然に接続されるかのような連続性を感じさせる。彼はこの9年間、マスタリング業務の傍らでも、音に対する実験と探求を一度も手放さなかったのだ。音の実験とは、断絶ではなく連続なのだという事実を、彼は改めて示してみせた。

 不確定で非反復的な音の運動を主軸とした『Vol. I』(2013/〈PAN〉)、そこに繰り返しのリズムやモチーフが加わった『Vol. II』――そして本作『The Incident』では、再び不定形な音のうねりに、より強固な反復構造が交錯する。結果として現れる音響空間は、デヴィッド・チュードアの電子音楽『Rainforest』と、未知なる民族音楽とが交差するかのような、既視感と未視感がせめぎ合う音の迷宮だ。既知でありながら未知、馴染みがありながら異様、その矛盾を孕んだ連鎖こそが、『The Incident』の鮮烈さの核心である。

 全11曲構成の本作は、4部構成をなしているとされる。レーベル資料によれば、第1部は「情報化時代の終焉」に関する音的考察。ノイズと音が混じり合い、現実が情報によって書き換えられていく様相を音響で描くという。第2部は「言語と場所」が我々の理解に与える影響、第3部では「反響(repercussions)」をテーマに、鈍く増幅された “無関心” の状態を描写。第4部は「群衆によるドキュメンタリー・フィクション作品」を想定しているという。

 こうした主題は極めて抽象的であり、音からそれを読み取るのは難しい。しかし、SNSにおけるフェイク・ニュースや炎上といった現代社会の歪みに対し、ベッカーが問題意識を抱いていることは想像に難くない。彼にとってノイズは、情報の洪水に巻き込まれずに抵抗するためのオルタナティヴなのではないか。逸脱と闘争、そして反復――それらは現代の情報社会における “逃走線” を描く行為として響いてくる。

 以下、楽曲を順に見ていこう。まず1曲目 “Busy Ready What, Corroborators” は、軽快なリズムの反復で幕を開ける。跳ねるような電子音と歪んだノイズが交錯し、自然現象のように複雑で不思議な電子音楽が生成されていく。続く2曲目 “A Supposition Darkly” は、静謐なムードへと転じる。反復される乾いたビートが、あたかも未知の儀式を想起させる。3曲目 “Of Permanent Advent” はより厳粛な雰囲気をたたえ、架空の民族音楽のような趣を帯びる。音の間(ま)が深く、聴き進めるほどに没入感が高まる。

 4曲目 “All You Need To Know About Confusion” では音がさらに抽象化し、ミニマルな響きと微細なノイズがドローン手前の密度を形成。5曲目 “Zero Hour” はそのムードを引き継ぎつつ、中盤からリズミックな要素が加わり、音の輪郭が変容する。6曲目 “L’heure H” は、まるで自然の営みのようなノイズによる音響風景。カラカラと乾いた音が背後で心地よく響く。

 7曲目 “Stunde Null” もまた、乾いたメタリックなサウンドが打ち込まれる実験的な一曲だ。そして8曲目 “Sāʿatu Alṣṣufri” では、中東風の旋律断片がふと浮かび上がる。アルバムのハイライトともいえるこの楽曲は、儀式的ムードと圧倒的な音響空間で聴き手を包み込む。9曲目 “A Puttering Purgation” は、先の情熱的高まりを鎮めるように、再び静謐な音響へと移行する。

 10曲目 “Deadlock” ではアンビエントの要素が前景化し、インダストリアル風味の乾いた響きが漂う。そして、ラストとなる11曲目 “What Really Happened” は、本作最長の18分40秒。内的空間へと深く潜り込むような構成で、まさに「儀式音楽」とも呼ぶべき音の旅路が展開される。

 ラシャド・ベッカーのノイズはときに、現代社会における新たな「儀式」や「祝祭」の音楽として響く。筆者がふと連想したのは、意外にも灰野敬二である。音そのものは異なるが、ノイズを儀式化し、反復によって生成するという構造には、どこか通底するものを感じる。あるいは、〈モナド〉時代の細野晴臣、たとえば『Paradise View』(1985)の乾いたパーカッションや、架空の民族音楽的ムードとも共鳴する瞬間があった(もちろん、これは筆者の妄想にすぎない)。

 いずれにせよ、本作『The Incident』には、「実験音楽の先にある音の儀式」というテーマが刻まれているように思えてならない。ノイズを鳴らし、構築し、揺らぎを与え、反復させ、音楽へと昇華する。そのプロセス自体が、「ここ」でしか起こり得ない “事件=Incident” なのだ。音そのものの儀式化と、空想の民族音楽的リズムの再構築。その二重螺旋構造が生み出す、結晶のような音響作品。それが、『The Incident』なのである。

 デイヴィッド・リンチは、ポップ・ミュージックの秘めたる威力をよくわかっていた映画監督である。それが無防備なリスナーのなかに入ると、やがては禁じられた欲望に火を点けて、ときにその人の人生に深刻な影響を与えてしまう。ゆえに、ササクレだった言葉ややかましい音響などではない、相手を警戒させないポップ・ミュージックこそ危険になりうるのだ。 『ブルーベルベット』で挿入されるロイ・オービソンの “イン・ドリームス” を思い出してほしい。映画的異化効果は、平凡な日常品、たとえば部屋の照明やドアノブなどを突然不気味なものに変えてしまう。同じように、他愛のないポップソングこそが見せ方によっては深い意味を持ちえるものなのだが、それを、つまり異化効果を音楽それ自体において高めることもできる。すなわちテクスチュア(質感)に注力するかどうか、その要素があるかないか──初期のヴェイパーウェイヴがわかりやすいかもしれない。テクスチュアを持った楽曲は、それがどんなに凡庸なラヴソングであったとしても違って聞こえる。普通だと思っていたものが奇妙に聞こえる。

 テクスチュアを聞かせるポップソングのことを現代ではドリーム・ポップと呼んでいる。リフやメロディやリズムではない、テクスチュア。そのルーツにあるのが、コクトー・ツインズでありディス・モータル・コイル(あるいはA.R.ケイン)だ。デイヴィッド・リンチが『ブルーベルベット』で使用したかった曲は、ディス・モータル・コイルのファースト・アルバムの2曲目、 “Song to the Siren” だったことは有名な話である。ヘロインの過剰摂取により28歳で夭折した唯一無二の声を持つ歌手、ティム・バックリーの1970年のアルバム『Star Sailor』に収録された、セイレーン神話──ホメロスの叙事詩に登場する、人間を死へと誘う魔性の歌声をもつ妖女──に着想を得たこの曲を、1984年にリリースされたUKの〈4AD〉というレーベルの金字塔の1枚、『It'll End in Tears』のなかで歌ったのは、ほかでもない、コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーだった。

ディス・モータル・コイルの当時の日本盤では“Song to the Siren”が “警告の歌” なる邦題という、「Siren」を妖女ではなく「サイレン」だと誤謬している。いかにTMCやコクトー・ツインズが日本で理解されていなかったかを物語っている実例だ。

 エレクトロニック・ミュージックを好きなリスナーがドリーム・ポップを好むのは、エレクトロニック・ミュージックの多くがテクスチュアの音楽であるからだ(ザ・ケアテイカーを思い出そう)。エレクトロニック・ミュージックを好きなリスナーがフィル・スペクターやジョー・ミークに関心を示すのも、彼らの人工的に脚色されたサウンドにはテクスチュアへの渇望があるからだ。まあ、エレクトリック・ギターにおけるエフェクターだってテクスチュアを生んではいるけれど、曲全体にそれがなければドリーム・ポップとは言えない。
 90年代のなかばだったか、三田格から「いまコクトー・ツインズを聴くとすごくいいぜ」と言われたことがあるが、それはじつに理にかなった話で、コクトー・ツインズは、そのテクスチュアにおいて、つまり何を歌うかよりも、そのサウンドをどう響かせるのかには注力した先駆的バンドのひとつで、しかもその恍惚とした音響はあたかも天上の音楽を想わせた。エレクトロニック・ミュージックがもっとも勢いのあったその時代、ドリーム・ポップの始祖と再会するのは時間の問題だったのだろう。当時の〈4AD〉がコクトー・ツインズにとっての相応しい音響を求めてアンビエント作家のハロルド・バッドと組ませて1枚のアルバム、『The Moon And The Melodies』を作ったということは、アイヴォ・ワッツ=ラッセル(*)に30年後の音楽が見えていたとは言わないまでも、感覚としては未来を感知していたことになる。

 さて、「株主資本主義とクレジットカード、規制緩和による見せびらかし消費が傲慢に跋扈する80年代末期」──ゴスの歴史をみごとに描いた『魔女の季節』の著者、キャティ・アンスワースにいわく「異界の気配を喚び起こす術を身につけていた」コクトー・ツインズは、スコットランドのフォルカークなる町にて、1979年、まだ十代だった男女によって誕生した。産業革命のとき重工業で栄えた運河の町で、1970年代以降は製油業の拠点となり、やがて巨大な石油化学コンプレックスとなった、アンスワースにいわく「誰にも愛されず、美しさとも無縁な土地」から、やがてこの世のものとは思えないと評された声と天上のサウンドを持つドリーム・ポップが生まれたという事実には、このスタイルの本質を知る手がかりがある。
 その霧深さゆえに神秘的で、容赦なくリスナーを異界へと連れ去ってしまうコクトー・ツインズは、既述したようにのちにドリーム・ポップと呼ばれるスタイルの大いなる始祖とされているが、フレイザーの、気体のような歌声をもったサウンドを現代ではエーテル(英語読みすれば「イーサー」)系ないしはイシリアル・ウェイヴともタグ付けされている。「イシリアル(Ethereal)」の語源、古代ギリシャ語では「上空の澄んだ空気」や「神の住む天の領域」を意味するそうだ。コクトー・ツインズの──何を語っているのかではなく、どのようなテクスチュアで語るのか、どのように響かせるのかというアプローチには、大衆音楽におけるオルタナティヴな可能性が広がっていた。それはよく言われるように、詩を書くよりも絵画を描くことに近い。(**)

 軽く説明しておこう。ディス・モータル・コイル、「この死すべき肉体/この儚き現世」なる詩的な名前を持つコレクティヴは、80年代なかばの〈4AD〉、つまりワッツ=ラッセルが仕組んだ企画もので、言うなればレーベルの才能を結集させたプロジェクトだった。コクトー・ツインズのフレイザーとロビン・ガスリーの2人、そして、もうひとりの重要メンバー、60年代にはダスティ・スプリングフィールドやウォーカー・ブラザーズらと仕事をしていた作曲家/編曲家の父を持つ音楽人、ベガーズ・バンケットのレコード店で働いていたサイモン・レイモンド。『It'll End in Tears』の1曲目“Kangroo”では、20年後には〈エディション・メゴ〉から作品を出すことになる若きシンディトークが歌っているが、その曲──ドラッギーな熱狂的な夢、ワッツ=ラッセルの説明よれば「ヴェルヴェッツの “ヘロイン” とシド・バレットを足して二で割った曲──のレイモンドによるベースラインを聴いたら、数年後の『ツイン・ピークス』のあの有名な “Fallin” を連想できるはずだ。
 予算の都合からディス・モータル・コイルの“Song to the Siren”の使用を断念せざるをえなかったことで、デイヴィッド・リンチは、その代案として自ら詞を書き、アンジェロ・バダラメンティに曲を依頼し、そしてジュリー・クルーズに歌ってもらうことにした。こうして生まれた曲が『ブルーベルベット』の終盤、ジェフリーとサンディがスローダンスを踊るシーンで挿入される“Mysteries of Love” だ。当初リンチは、“Song to the Siren”の音響を模した曲を求めたが、すでに職業音楽家としてのキャリアのあるバダラメンティを起用したことで、結果、ディス・モータル・コイルにはないオーケストレーションと、そしてエーテル系ではあるがエリザベス・フレイザーとは別種の、羽の生えたような声を持つジュリー・クルーズという稀代のシンガーと巡り会えることができたのである。


Julee Cruise  Fall - Float - Love: Works 1989-1993 Cherry Red

 先日、〈チェリー・レッド〉からCD2枚組で、ジュリー・クルーズ(1956–2022)の最初の2枚のアルバムに、ボーナス曲を加えてカップリングした『Fall · Float · Love(Works 1989–1993)』がリリースされたので、この1週間はこればかりを聴いている。ジュリー・クルーズはリンチ映画の専属歌手ではなかったし、彼女にはより幅の広いキャリア(クルーズはかのB-52's にも参加)がある。しかし、ぼくのなかのクルーズは、“Mysteries of Love” がきっかけとなり、リンチ、バダラメンティとの素晴らしい共犯関係のなかで歌うクルーズであることから逃れられない。そこで生まれた名曲 “Fallin” ——このドリーム・ポップの古典は、『ツイン・ピークス』第一話の最後のほう、ロードハウス〔*物語の舞台となった町のナイトクラブ〕のステージ上で披露された。黒いレザージャケットにミニスカート、頭には黒いレザーのフラットシルクハット、一時期の戸川純ないしはマーク・アーモンドのような服装で歌うクルーズは、さながら悪夢から目覚めることがないこの世界から逃避するゴスの使徒だ。エリザベス・フレイザーの腕には「Siouxsie」というタトゥーがあった。もちろんこれはスージー・スーへの尊敬であり、だからコクトー・ツインズの、要するにドリーム・ポップがパンク・ロックとゴシックとの交差点から生まれたことの証左でもある。

 クルーズの最初の2枚のアルバム(1989年『Floating into the Night』と1993年の『The Voice of Love』)とは、ともにリンチ(作詞)、バダラメンティ(作曲)との共作で、ともにリンチ作品と連動している。前者には“Mysteries of Love”や“Fallin” があり、『ツイン・ピークス The Return』の最終回でクルーズがロードハウスで歌う“The World Spins”がある。後者には、リンチで唯一のコメディ(暴力ロマンス)映画『ワイルド・アット・ハート』に挿入された“Kool Kat Walk”、また、『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』に挿入された“She would Die for Love”と“The Voice of Love”があり、劇中ロードハウスでクルーズが歌う“Questions in a World of Blue”もある。
 だが、彼ら3人の2枚のアルバムは、リンチ映画に使われている曲が収録されているから価値があるのではない。デイヴィッド・リンチが好んだ50年代アメリカのポップス(もしくはアメリカン・ポップスの源流のひとつ、ブロードウェイ・ミュージカルなど)の再解釈/80年代的解釈が、いまでも魅力的だから価値があるのだ。リンチは一時期、それこそ『ワイルド・アット・ハート』におけるエルヴィスとマリリンがわかりやすいが、50年代アメリカに執着した。そして、『ブルーベルベット』のもっとも重要な登場人物のひとりの名前が『オズの魔法使い』の主人公からの引用であろう、ドロシーで、『ワイルド・アット・ハート』のルーラが自分を重ねているのもドロシー。そして、1939年の『オズの魔法使い』でドロシーを演じているのは戦前の、つまり最初期のポップスター、現代でいうところのセレブ、反逆児でもないのにアウトサイダーたちの絶対的アイドル、葬儀においてストーンウォールの暴動を促したジュディ・ガーランドそのひとである。

「この世界全体が野性の心で、そのうえ極めて奇妙(This whole world’s wild at heart and weird on top)」、『ワイルド・アット・ハート』でルーラはそう繰り返す。この世界全体が、抑制不能な心であると。これは、『ブルーベルベット』で反復される「変な世界(It's a strange world)」に対応している。そしてそれより数年前に、スージー・スーはこう歌っている。「異常な世界から正常を求めて地上を目指したら、私はより悪化した」(“Overground”)
 異界から抜け出してきたかのような、クレオパトラめいた化粧のじつに堂々としたパンクの女王とリンチとの直接の繋がりはまったくない。シュルレアリスム的な表現という点と、正常だと思われるものを異常に見せる(バンシーズの“Happy House”を思い出せ)という点では似ているかもしれないが、パンクとリンチを繋げるのは、ラモーンズもジョニー・サンダースもブロンディも、そしてマルコム・マクラレンがまさにそうであったように、50年代的なスタイルへの偏愛だろう。ゆえにレトロなポップスが遍在する80年代ニューウェイヴに、当時のリンチは共感できた。

 

『Floating into the Night』と『The Voice of Love』を聴いてあらためて思うのは、この2枚において、リンチとバダラメンティは50年代ポップスのクリシェを使い倒していることだ。そう、クリシェばかりだから退屈なのではない。クリシェばかりだからいい。それを限界まで使うことはリンチが映像でもやっていることだ。敢えてクリシェにこだわることでテクスチュアが活かされる。このアプローチは、ドリーム・ポップというタグを一躍有名にしたビーチハウスの3枚目、ないしはマジー・スターのようなサウンドにも見受けられる。
 とはいえ、『ロスト・ハイウェイ』を映画館で観た人にはわかることだが、あの映画で印象的なサウンドは不穏なドローンでありサブベース、あるいは金属音だ。この特異なサウンドはそれこそデンシノオトが本サイトで紹介しているような音響作品を先取りしているし、かのフェリシア・アトキンソンのオールタイム・ベストにクルーズの『Floating into the Night』が挙げられていたことも、じつに感慨深い。(***)

 3人が作ったこの朦朧としたポップソング集は、なにか別の世界に繋がっている装置である。ぼくたちはこれらポップソングを耳に流し込みながらなにか別のものを聴いているのだ。それはポップソングが異様に思えるさかしまの世界のことではなく、ポップソングが気持ちよく鳴っている世界そのものがさかしまであるかもしれないという反転をうながしている。ロードハウスは、エッシャーの絵のようにどこからかこの現実の裏側にめくれている。『ブルーベルベット』は絵に描いたような幸福な50年代的アメリカの風景からはじまる。しかし主人公が、茂みのなかに切断された耳──いわば闇の世界へのパスポート──を拾ってしまってから世界は一変する。

 闇のない世界などない、すべては試される。今夜もまた羽の生えた声がどこかへ連れていってくれるだろう。「私が夢見たのは、あなたが私の夢を見ていたから?(Did I dream, you dreamed about me?)」──これはリンチが使いたくても使えなかった “Song to the Siren” の一節である。ティム・バックリーが歌ったこの曲に永遠の命を与えたのはエリザベス・フレイザーとロビン・ガスリーだった。そしてその妖光を世界中にばらまいたのが、デイヴィッド・リンチ、アンジェロ・バダラメンティ、そしてジュリー・クルーズだった。周知のようにクルーズは2022年6月に旅立ち、同年12月にはバダラメンティも永眠した。リンチが突然逝ったのは今年の1月のことである

(*)アイヴォ・ワッツ=ラッセルはベガーズ・バンケット創設メンバーのひとりにして〈4AD〉の設立者。〈4AD〉のイメージ、つまりコクトー・ツインズのサウンドはこの人なしではあり得なかった。ディス・モータル・コイルもこの人のアイデアから生まれている。

(**)エリザベス・フレイザーのもっとも有名な歌のひとつに、マッシヴ・アタックの “Teardrop” がある。この曲の歌詞を訳して意味を探っても徒労に終わる。重要なのは言葉の発語されたときの音感であり、全体から聞こえるイメージなのだ。

(***) https://thequietus.com/interviews/bakers-dozen/felicia-atkinson-bakers-dozen-favourite-albums/9/

【追記】コクトー・ツインズの物語は、ここに書いたのはほんのひと欠片に過ぎない。彼らのとくに素晴らしい4枚のアルバム『Head Over Heels』(83)、『Treasure』(84)、『Victorialand』(86)、『Blue Bell Knoll』(88)で聴けるあの天上の音楽を思えば、しかしじっさいは残酷なまでに両義的で、不幸な崩壊をしている。また、これはよく知られている話だが、バンドが終わり、ロビン・ガスリーと別れたエリザベス・フレイザーが恋に落ちたのは、かつて“Song to the Siren”を歌ったティム・バックリーのひとり息子、スージー・スーを大きな影響だと公言するジェフ・バックリーだった(ちなみにジェフは、ディス・モータル・コイルの『It'll End in Tears』の1曲目、 奇才アレックス・チルトンの曲“Kangroo” を演奏しているが、このオリジナル曲が VUの“ヘロイン”に近いことは、バックリーのヴァージョンのほうがよくわかる )。周知のようにバックリーは30歳で溺死する。それからフレイザーはブリストルに移住し、やがて、明らかにコクトー・ツインズの影響がうかがえるかの地のコレクティヴ、マッシヴ・アタックと出会うのだった。

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