「ピカ」と一致するもの

L.Pierre - ele-king

 戸川純@新宿ロフトの追加公演で久しぶりに"隣りの印度人"を聴いて、ポリティカリー・コレクトネスもクソもない誤解だらけのエキゾチズムが急に懐かしくなってしまった。アダモステあたりが最後になるのか、映画『愛と誠』でけたたましくカヴァーされていた"狼少年ケン"や、ボクダン・レチンスキーがホームレスをやりながらサンプリングしたらしきフザケた中国語の類いが"隣りの印度人"を聴いている間にまとめて記憶の彼方から押し寄せてきた。日本だけでなく、アラン・シリトーもアフリカ人は道に迷ったらドラムを叩いて知らせてくるさとか随分なことを書いていたし、デヴィッド・ボウイーのジャッジ役に笑い転げた映画『ズーランダー』ではいい加減な日本のイメージをわざと再現するなど(それでいてナイキを告発するというメッセージ性もあったりするんだけど)、人種ジョークはむしろ世界平和につながるだろーと思ってしまったり(最近では映画『ディクテイター(独裁者)/身元不明でニューヨーク』でも相変わらずサシャ・バロン・コーエンに笑わせてもらいました!)。

 そこへエイダン・モファットによるラッキー・ピエール名義の4作目である。かつてアロハ・ハワイの名義で10インチ・シングルをリリースしていたモファットがジャケット・デザインからしてグレッグ・マクドナルド『アロハ・フロム・ハワイ』をそのままパクり、片端からインチキなハワイのイメージで固めたエキゾチック・サウンドのバッタもんである。ハワイ王家がどのようにして滅びたかを描いたマーク・フォービー監督『プリンセス・カイウラニ』を観たばっかりだったので、 悲しくドラマチックにはじまる導入もとくに違和感はなく、ラフマニノフ"嬰ハ短調"のループから運命を叩きつけるようなパーカション、さらにはメロドラマ風の安っぽい旋律と、森山大道を思わせるダークなハワイが延々と続く。それこそやる気の出ない毎日や、やる気を出したところでなんになるのだろうかという気持ちがどんどん増幅されていく。悲しきハワイ。ブルーハワイ。あるいは昼メロのハワイがインスタントな感情を波打たせ、生きることはほかの誰かがやってくれると思わせてくれる。透き通るような運命論に翻弄され、それがいつしか快感へと変わり、クロージングではついにこの世の虚空に溶けていく瞬間が訪れる。トロピカルなのに終始物悲しく、過剰な自己憐憫が肯定される感じはさすがアラブ・ストラップ(解散はしていない)である。レイディオヘッドに疎外感を覚えたこともノスタルジーに感じられ、チープなサウンドはそのまま人生には実体がないことを確認させてくれる。

 また、10年ぐらい前に(マーティン・デニーと並び称される)アーサー・ライマンのエキゾチック・サウンドをまとめてカヴァーしていたマイク・クーパーが久々にリリースした新作も40年来のテーマである南の島をコンセプトとしてぶり返し、異様な南国ムードへとリスナーを導いていく。先日他界したロル・コクスヒルらとともにレシデンツを結成していた70代のギタリストだけにフリー・ミュージックやブルース、ジャズ、カントリー、近年はポスト・ロックも気楽に行き来し、あらゆる手法がイメージのために総動員される。そこはまだ未開の地であり、一見、パラダイスのようでありながら、何が出てくるかわからない恐ろしさを併せ持つ。一歩一歩=一曲一曲が未知の空間をイメージさせ、虫の声とループされたドローンによる「毎日の夕暮れ時」はそれこそ不安と安寧の二重構造を象徴する。いくつかの曲で繰り返されるディレイをかけたトゥワンギー・ギターだけが、いわゆるリゾート気分を準えるものであり、おどろおどろしいパーカッションや鐘のように鈍く鳴らされるベースは未開の地へ足を運んだ後悔を先取りさせてくれる。「肺がつぶれた」という曲ではもう死ぬしかないという気分になるだけで、何もかも放り出してどこかへ行ってしまいたいという感覚は見事に挫かれてしまう。これは一緒にいたくない人たちと過ごさなければならない毎日に戻っていくためのトロピカル・ミュージックなのだろう。こ んなものを聴いてしまうと諦めもつくというものである。

〈キツネ〉2013! - ele-king

 さて、〈キツネ〉は過去か? 2002年の設立以来、エレクトロ・シーンとインディ・ロック・シーンとを軽やかなフットワークで往復し、ファッションとともにそれらを牽引してきた同レーベル。コンピレーション・シリーズ『キツネ・メゾン』を欠かさずチェックしていた方も多いことだろう。クラクソンズやブロック・パーティ、フェニックスにホット・チップ......しかし時代の移り変わりはどんなシーンにもやってくる。10年をこえて存続するレーベルがつねに新しくあるというのは大変なことだ。だが、その判断は『イズ・トロピカル』の新譜を聴いてみてからにしよう。
 ゲイリー・バーバー、サイモン・ミルナー、ドミニク・アパからなるこのロンドン3人組は、2009年に鮮やかなデビュー・シングルとともに現れ("When O' When"〈ヒット・クラブ〉)、2011年のフル・アルバムでもみずみずしいロマンチシズムをシンセ・ポップに溶け込ませていた。そしてセカンドとなる今作ではソング・ライティングに磨きをかけ、ポップスとしての爽やかな解をストレートに導き出している。愛らしく質の高いポップ・ミュージックとして洗練されることで、彼らのキャリアと〈キツネ〉のイメージを成長させていくような好盤だ。プロデューサーはフォールズやデペッシュ・モードを手がけてきた才人=ルーク・スミス。

■商品情報
アーティスト名:Is Tropical
タイトル:I'm Leaving
仕様:帯解説・ボーナストラック1曲収録 / 国内盤]
品番:TRCP119
価格:2,100円(税込)
発売日:2013.5.15
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70年代初期のサイケとブリット・ポップをテーマにロマンティックなエレポップ、疾走するロックンロール、さらに甘いメロディーを織り交ぜた新機軸サウンド!! 〈Kitsune〉発のスリー・ピース・バンド、イズ・トロピカル待望の2ndアルバム!!

・フォールズやデペッシュ・モードを手がけてきた才人=ルーク・スミスがプロデュース。
・ 先行シングル『Yellow Teeth』にはEllie Fletcherがヴォーカル参加。

クラクソンズ好きも必聴!! カラフルでポップな楽曲を散りばめた彼らの最高傑作!!

デビュー前から雑誌『Dazed & Confusion』の表紙を飾り、破格の新人として『NME』でも大絶賛された〈Kitsune〉発ロンドン出身の覆面スリー・ピース・バンド、イズ・トロピカル。日本でも〈BRITISH ANTHEMS〉に代わる新進気鋭のニューカマーを紹介するイベント〈RADARS〉(レイダース)や〈Kitsune〉レーベル10周年記念イヴェント〈KITSUNE CLUB NIGHT〉で来日するなど根強いファンを持つ彼らが、トレード・マークでもある覆面を脱ぎ捨て、約2年振りとなる最新作を発表! 2ndアルバムとなる今作はフォールズ、デペッシュ・モードまでをも手掛けるルーク・スミスをプロデューサーに迎え、70年代初期のサイケとブリット・ポップをテーマに制作。トゥー・ドア・シネマ・クラブ同様、確かなソングライティングに加え、若き日のデーモン・アルバーンを彷彿させる歌声とスーパー・ファーリー・アニマルズ、ステレオラブ、ティーンエイジ・ファンクラブ、〈Creation Records〉好きにはたまらない甘酸っぱいギター・ポップやロマンティックで切ないエレクトロ・ポップとエッジの効いたダンサブルなトラックまでをも織り交ぜた新機軸サウンドを展開。JKデザインを彷彿させるカラフルな楽曲を散りばめた彼らの最高傑作と言えるアルバムです!

Babe,Terror - ele-king

 TPP恐怖症というのもヒドい煽り方だけど、そのように言われてしまうネトウヨ経済学もアジアの経済圏といって韓国と中国しか意識に上らないのはさらに情けない。リュック・ベッソンがアウン・サン・スーチーの映画を撮るのも、ミャンマーが新たな経済圏に加わったからだというのは自明の理だし、そこまでジオメトリカル音痴になられてしまうと、ウォシャウスキー姉弟が「いまの日本は内向きすぎて、韓国みたいに映画の舞台にはできない」といったコメントがなかなか重く感じられてしまいますw。

 TPPに関しては、どっちの主張も読むにたえなくなってきた昨今、しかし、関税を撤廃した際、そのときに減る税収がどれぐらいになるのかという試算はいまのところ目にした覚えがない(中野剛志はWTOの機能不全とともにそれを言えばよかったのではw)。元々、日本の関税率は大して高くないから、平均で考えれば「税収が減る」というほどのイッシューにはならないということなのか、とはいえ、アメリカとの取引量がそんなに少ないとも思えないので(だから騒いでるんですよね?)、やっぱ、税収が落ちた分は消費税のさらなる値上げとか、そういうところに跳ね返ってくるという気がしてしょうがない。最初に参加を表明した管直人は法人税の引き下げも提案していたから、輸出がネオリベの期待通り、それなりに活発になったとしても、法人税で減収分を補うという選択肢も封じられているわけだし......(むしろ自民党の方がそれはやりそうだもんね。つーか、そういうイメージしかないしー)。ちなみに遺伝子組み換え食品の輸入を最初に認可したのも管直人(当時厚生大臣)でした(モンサントから何かもらってる?)。

 基本的にはどっちでもいいんだけど、もうひとつTPPに腰がひけてしまう要素があって、日本がいま、貿易量を増やした方がいいと言われている国々がどこも交渉にさえ参加していないことである。TPPが発効されるかもしれない10年後のことはさすがにまだわからないとしても、DJマユリが事実上、移住してしまったインドネシアはもちろん、やはりブラジルの名前が見当たらないのはかなりマイナスではないかと。ブルネイやチリに魅力がないといっているわけではないけれどw、日本中が免税店のようになってしまった場合、アメリカやカナダはもう充分なので、インドネシアの〈ワハナ〉やブラジルのアンダーグラウンド・ミュージックをもっと買いやすくしてほしいわけですねw。

 「ガーディアン」に寄せられたアラン・マッギーの投稿によると(09年3/24)、サン・パウロに住むベイブ、テラーことクロウディオ・ジンキエルの音源は彼本人からEメールでダウンロードのコードが送られてきたという。そして、それに魅了された人たちは「ピッチフォーク」をはじめ、それなりの数に上り、まずはイロール・アルカンがファースト・アルバム『ウィークエンド』から「サマータイム・アワ・リーグ」と「アヴァイ(ポルトガル語でハワイのこと)」をライセンスしてリミックス・カット。とくに前者はフォー・テットによるブロークン・スタイルが好評を博し、ベイブ、テラーの知名度は一気に上昇する。しかし、元々の『ウィークエンド』は聴いての通り、和声やコラージュを基本とした実験的な内容のアルバムで、いわゆるダンス・レコードからはかなりかけ離れたものだった。アラン・マッギーも前述の投稿で『ウィークエンド』からは60~70年代にブラジルで巻き起こったトロピカリズモ(トロピカリア)の余波を聴き取ることができると続け、それがデヴィッド・バーンによって90年代に受け継がれたムーヴメントであることにも触れながら、ベイブ、テラーをその系譜に位置づけるというものであった。ダンス・カルチャーでの知名度はつまり、2枚のシングルがヒットした時点では横道に逸れたものとも言えたのである。

 シューゲイザーっぽさを加えたセカンド・アルバム『プリペアリング・ア・ヴォイス・トゥ・ミート・ザ・ピープル・カミング』は、そして、全体的にダークになっていることでイギリスとの距離が近くなっていることを印象づける部分はあったものの、本質的な世界観に大きな変化はなかったものが、昨年、リリースされた『ナイツEP』はその延長線上にあったものがハイプ・ウイリアムスと重なっていることに気づかされる側面が多分に含まれるものとなっていた。ビートがプラスされただけでクラブ・ミュージックになったとはさすがに言わないけれど、僕にはトロピカリズモの断片を探すことさえもはや不可能で、むしろトリップ・ミュージックとしての完成度が高まっているのである。ジンキエル自身はそれをウロング・ダンス・ミュージックと呼んでいる。間違ったダンス・ミュージックだと。

 ジンキエルが送ったEメールに(強く)反応したのがアラン・マッギーやイロール・アルカンといったイギリス人たちでなければどうなっていたのだろうとは思う。しかし、ジンキエルはつまるところイギリス流のダンス・ミュージックに目覚めてしまった。それは間違いない。彼がベイブ、テラーの頭文字にUを足して、新たにBTUという名義でリリースした「ウイズアウト・アーマー(=武器のない)」はリズムやコーラスなど主要な部分はすべて逆回しで押し切ってしまうなど、「ナイツEP」をさらにダイナミックに応用させたものであり、ザラつくテクスチャーに浮かれた音の断片が降っては湧き、過剰なアトモスフェリックを巧みに操ってきた彼の資質が新たなスタイルにもうまく噛み合っていることを印象付けてやまない。期待のフリックステイラーズがメキシコのダフト・パンクになり損ねたことを思うと、ジンキエルは少なくともブラジルのハイプ・ウイリアムズにはなれたようだし、まだもう少し遠くを狙えるかもしれないと(メキシコはちなみにTPPの交渉に参加を表明)。

 ダンス・ミュージックはBTUの名義に預けたということなのか、それとも単に未発表曲を集めただけなのか、大学のバスケットボールに捧げられたベイブ、テラーのサード・アルバム『大学激突』はビートらしきものもフルに取り入れながら、イギリスを意識しないとこうなるということなのだろう、再び何がしたいのかさっぱりわからない地点へと立ち戻っている。これまでのことを考えると、これはポテンシャルとも言い換えられるし、アラン・マッギーが言うようにトロピカリズモがこじれたものと見なす視点もけして悪くはない。もっといえば、以前のアルバムよりもむしろ整合性のようなものは失われているし、どこかアンビエント・ミュージックのフォーマットを壊しはじめた時期のティム・ヘッカーを想起させるものがある。BTUでひとつの方向性が明確になってきたときに、そこに収束してしまうわけではなく、新たにこれだけ可能性の翼を広げようとする無謀さ。カセット・テープでいうと、B面に反してからのファンタジックな響きに僕はかなりやられている。エンディングは「ブライトン・ストーン・ピッチャーズ」ですよ、ブレイディみかこさん!(かつて僕はあなたのブログを読んでいて映画『アメリカン・スプレンダー』のことを知ったのでした。)

やけのはら - ele-king

 ある季節を通り過ぎた後、ラッパーはどのように歳を取っていけばいいのか? そういった意味で、ここ数年におけるECDやイルリメの活動は、人工的なシンセ・ポップ『(((さらうんど)))』からsoakubeatsの挑発的なヒップホップ・ノワール『Never Pay 4 Music』まで、極端に言えばそれだけのふり幅のなかで今なお新しい表情を見せている。
 それはしかし、年齢的に、ある程度は対象化して考えることができる。が、それがやけのはらや七尾旅人となれば、話は違う。自分よりも少し早く生まれ、その分だけ早く音楽を愛し、その力を信じ、いまでいうスモール・ポップの時代が到来するのを牽制するかのように、盟友 Dorianとともにアンセムを次々とドロップ。いずれも七尾旅人との共演である"Rollin' Rollin'"や"Shooting Star"といった刹那のロマンティシズムは、移りゆく時代をインディペンデントで生きようとする人びとにとって、代えがたい道連れになったことだろう。
 ブッシュマインドとの共作、ゼロ年代屈指のドリーミー・ラップ"Day Dream"をひとつの到達点として、やけのはらは新しい季節に真夏の太陽を呼び込んだ。それが『This Night Is Still Young』だったし、"Good Morning Baby"だった。そこからすれば、本作『Sunny New Life』から聴こえる新しい言葉たち――太陽、キラメキ、リラックス、幸せ、未来、夢、光、希望、大事なもの――も、決して消費社会のパロディではないことがわかる(そういえば、やけのはらが連載を持つ『ポパイ』の最新号もハワイ特集だった)。彼は、リラックスしつつも前向きさを求めている。純粋に、意図的に、あるいはアンビヴァレントに――。
 そう、その前向きさは両義的だ。この『Sunny New Life』というアルバムには、前作で迎え入れた太陽が、水平線の向こうに落ちるのを見送るような、開放感と隣り合わせのメランコリーがある。落とし前としての、後日談。夏は終わった。仮にそれが、人が大人になることのメタファーで、"Shooting Star"や"Rollin' Rollin'"の輝きを忘れるこさえ意味するなら、そこが最初、微妙にしっくりこなかったのだが、先日公開された編集長によるインタビューを読み、腑に落ちた。ずばり、「人が大人になること」は本作の裏テーマであるらしい、と。

 今回は、新しさとか生活とか、統一したテーマで作りました。そして、「年を取っていく」とか「暮らしていく」とか、「大人になる」とか――「暮らしていく」っていうのは時間が経過していくから当然年を取るわけで。そこが裏テーマだったんですけど、それは誰にも指摘されてないですね。「大人になりましょう」っていうのを言ってるんです。interview with Yakenohara - ドリーミー・ラップ再び

 やけのはらは、だが、世間との距離を感じたままに大人になっていくことの違和感を捨てきれていない......ようにも見える。例えば、SAKANAの"ロンリーメロディ"ほどには――。キミドリの"自己嫌悪"の先に彼が求めたのは、人生の緩やかな肯定感、少なくともそこに漂う迷いや不安の払拭であり、そのムードはVIDEOTAPEMUSICの『7 泊8日』から転用されている2曲のリエディット、メロウ・アンセム"Blow In The Wind"(ceroの高城晶平が参加)と、平賀さち枝がふわふわのコーラスを添える"D.A.I.S.Y."(原曲は同作収録の"Slumber Party Girl's Diary")に顕著だ。
 悪戯にシリアスなわけではない。だが、『7泊8日』の持っていた企画性、そのデフォルメされた小旅行感は少しだけダウナーに、言葉の前向きさとは裏腹に、どこか神妙で切実なトーンに上塗りされている。トラックのサンプリングは軽量化され、隙間には言葉が詰め込まれる。もちろんやけのはらは、歌とラップの区別を曖昧にしたフロウをさらに滑らかに研磨し、アルバム全般に渡って軽快さを忘れない。
 それに、BETA PANAMAによるスティール・ギター、VIDEOTAPEMUSICによるレトロスペクティヴなサンプリング・アートとピアニカ、キセルの辻村兄弟、シーンのキーマンである MC.sirafuのスティール・パン、トランペット......などなど、さまざまなメンバーが本作の醸す脱力感の演出にひと役買っている。
 だが、"Shooting Star"や"Good Morning Baby"の頃の無根拠であるがゆえの前向きさは、もうないのかもしれない。それを嘆いていてはいけないのだろう。事実上のリード・トラックである Dorianとのアーバン・ソウル"City Lights"が象徴的で、PAN PACIFIC PLAYAからはお馴染みLUVRAWがトークボックスで参加しているが、好色さは抑えられ、都市生活者の夜をメランコリックに彩っている。そこには人生と対峙するやけのはらがいる。

 SAKANAのクラシック"ロンリーメロディ"へのアンサー・ソングとなったピアニカ・ポップ"Sunny New Days"や、やけのはらの社会意識が顕在化し、快速東京の福田哲丸も参加しているハードロック・ベースの"Justice against Justice"、SUIKA のMCである ATOMの未発表曲をカヴァーする形となったトロピカルな"IMAGE part 2"など、言及すべき曲は多いと思う。
 が、本作をやけのはらの「幸福論」として聴くなら、あるいは、快楽にノイズや混沌が伴っているか、という点で言えば、エンディングの"Where Have You Been All Your Life?"に尽きるだろう。ここでやけのはらは、リスナーに向けて直接的なコミュニケーションを試みる。瞬発的な祝福ではなく、聴き手の精神の近くまで丁寧に歩み寄っていく。できる限り言葉を尽くし、どこまでも優しく、サイケデリックに――。

 それは、より多くの人に言葉を届けるための、やけのはらの賭けであり、勇気だ。実際的な連帯ではなく、もっと緩やかな気分の繋がり。あえて言うなら、その言葉たちに、どこか余白が少ないように思えたことだけが心残りだ。それは、リスナーの想像力を信頼しきれていないことの裏返しとも言えやしないか。筆者が言うのではあまりにおこがましいかもしれない......だが、自分が育てたリスナーの耳をもっと信頼してくれてもいい。
 インタヴューでは、年齢が30を超えた、ということが何度か言及されている。そういえば、七尾旅人の"サーカスナイト"も、魔法が解けていく歌だった。ある輝かしい季節を、過去時制のなかに置いてくること。やけのはらは、アンチ・アンチエイジングとして、それを素直に受け入れようとしている。そろそろ大人になってもいい頃だ、と。そこには、3.11の影さえもがチラつく――。だが、その場所で語られる宙ぶらりんの夢があってもいいのではないか。何の根拠も出典も裏付けもいらない。誰に置いていかれても、僕らにはまだ音楽がある。

interview with Yakenohara - ele-king


やけのはら
SUNNY NEW LIFE

felicity/SPACE SHOWER MUSIC

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 太陽、新しい、リラックス、幸せ、未来、夢、光、希望、大切なこと......言っておくけど、これは啓発本ではない。やけのはらの2年半ぶりのセカンド・アルバム『SUNNY NEW LIFE』から聴こえる言葉だ。CDのケースには、明るいリゾート地のような写真がデザインされている。ジャケには青空が見える。

 やけのはらは、ゼロ年代、さまよえる世代の代弁者として登場した。小洒落たリゾート・ミュージックとは、ある意味真逆の存在で、ささやかな、汚れた日常をロマンティックに描こうとするリリシストだ。彼の初期のレパートリー、"Summer Never Ends"(SFPのリミックス)、"Rollin' Rollin' "(七尾旅人との共作)、"DAY DREAMING"(BUSHMINDとの共作)、あるいは"GOOD MORNING BABY"といった曲は、空しい日々の、しかし小さく甘い、そして美しい物語だった。結果、2010年の真夏にリリースされた彼の『ディス・ナイト・イズ・スティル・ヤング』は、派手な宣伝もないのに関わらず、多くの人たちに聴かれることになった。
 地下より野外、夜より朝、冬より夏を、やけのはらは、好んでいる。猥雑俗悪なものより潔癖な表現を選ぶ。そのように僕には見える。『SUNNY NEW LIFE』は、それに輪をかけてドリーミーなサウンドに特徴を持つ。曲によっては、トロピカルなムードさえある。近年稀に見る脱力感もあるし、そうした軽やかさが『SUNNY NEW LIFE』の魅力だが、口当たりの良い言葉ばかりが並んでいるわけではない。春の日差しのようにうららかで、温かい音楽の背後にあるやけのはらの「思い」をお届けしよう。

僕が自分で作っててこういうのはヘンかもしれないですけど、ポジティヴに無理矢理なろうとか、ポジティヴにしていこうよみたいなこととか、強迫観念的に、狂ってるぐらい前向きになろうということを言い方を換えて言ってるような気がしますね(笑)。

ジェフ・ミルズのときに久しぶりに会ったんだよね。

やけのはら:あー、はいはい。ていうか、ジェフ・ミルズが音楽を担当した、麿赤児さんの大駱駝艦の公演ですよね。それから次の日にも何かで野田さんに会ったんですよ。

寺尾沙穂さんのライヴじゃない?

やけ:そうです、そうです。

ジェフ・ミルズのときに行って、「あれ、やけのはらに似てるひとがいるなー」と思って。あまりにも似てるなーと。そしたら本人だった(笑)。

やけ:あれは、友だちが劇に出てたから。

「何でここにいるの?」って。

やけ:野田さんはおかしくないですよね、ジェフ・ミルズだから。僕はジェフ・ミルズだから行ったんじゃなくて、友だちが出るのに興味があるから行ったんですけど。

しかも2日連続で会ったからね。びっくりしたよね。ずっと会ってなかったから。実際、前のアルバムから今回のアルバムまで長い年月が経ったんだけれど。

やけ:そんな、そこまでは(笑)。10年とかじゃないんで(笑)。えっと、前が夏なんで2年半。

2年半かぁ......。そうだよね。なんか、『THIS NIGHT IS STILL YOUNG』の頃がすごく昔に思えない?

やけ:それは僕もあります。いろんなひとたちにとっても3.11があったんで、やっぱりそれ前後っていう考えがあるんだろうし。自分のなかでも、同じ世界の同じ時間のつながりのなかですけど、そのときの雰囲気というか感情ってまた違うものとしてあるイメージがありますね。

今回の『SUNNY NEW LIFE』は、『THIS NIGHT~』を出した後から考えられていたものなの?

やけ:考えてました。なんていうか、ラッパーとしてガツガツとアルバムを出していこうって感じじゃないんですけど、『THIS NIGHT~』で自分なりのラップ・アルバムを1枚作れて、やっと作り方がわかったというか、いちおうできるってなって。ただ、早く作れるタイプでもないので、そのうちできればいいやっていうのだと、5年か10年かわからないけど、なかなかできないだろうなっていうのもあったし。
 もともとの気持ちとしても、DJのほうが自分の性格には向いてると思っていて、そういうのは自分のライフ・ワークとしてずっとできるかもしれないし。でも声出してラップして、っていうことはいろんな状況や自分の体力とか気持ちとかにしろ、できるタイミングにできるだけやりたいなっていうのもあったので。気持ち的にはすぐ作りたいぐらいの感じで思ってたというか、最初は「2011年に出します」って言ってましたね。
 そこに震災があって、いろんな面でドタバタしたりっていうのがあって、作業も止まるわっていうか、2011年は早かったっていうか。思うようにできず。まあ、なんやかんやで多少時間経ったなっていうか。イヴェントにはいろいろ出たのはあるんですけど。そんななかで2年半経ちましたが、気持ち的には早く出したいっていうのはありましたね。

サンダルはいつやめたの?

やけ:30歳ぐらいじゃないですか。大人になったんじゃないですか。

あれはやめようと思ってやめたの?

やけ:うーん、覚えてないですけど、なんですかねえ。ある日、「この靴キレイだしいいなー」と思って、わらしべ長者的に。靴をいっぺん履き出すと、現代人は恐ろしいもので、もう靴のない生活には戻れないですよ。

なんで(笑)?

やけ:いやいやいやいや、ちょっともうそういうのは。

逆に、あの頃ってなんでつねサンダル履きだったの?

やけ:よくわかんないです。ラクだったんじゃないですか?

最初会ったときのインパクトっていうのがサンダルに集約されているところがあって。だって、真冬に、横浜から渋谷までサンダル履いたまま来てラップするひとって、それまで知らなかったからね。

やけ:そういう感じで書いてましたよね。そのときに「スポーツシューズではなく、サンダルを履く彼の......」っていう風に書かれていたのを覚えています。

やけのはらと言えば、冬でもサンダルっていうイメージだったのにね。

やけ:そこまでいくと極端じゃないですか(笑)?

上はダウン着ているのに、足がサンダルというね(笑)。でも、今回のアルバムもそういう意味では、変わらないというか、やけのはららしいなっていう風には思ったけど。もちろん変化はあるけど、「彼ならこういうときこういうこと言うだろうな」っていう。

やけ:そう言ってもらえるのは嬉しいですね。

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だからこの曲は、自分の思うドリーミー・ミュージックの好きな音をぜんぶ集めて。これは頭でけっこう作って、コーラス、ウクレレ、かわいいシンセとか、ハープの音とか。自分の好きなドリーミー・ミュージックで、こういうのが入ってるのが好きだなっていう要素を箇条書きにしていって、ぜんぶ集めたんですよ。


やけのはら
SUNNY NEW LIFE

felicity/SPACE SHOWER MUSIC

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それにしても最初のアルバムは完成まで時間がかかったね。

やけ:大きな問題は、ライヴを当時はまだできなかったことですね。DJをバックにラップするっていうのがなんか、まずしっくり来なかったっていうか。それがドリアンくんに出会って、キーボードとだったら1DJ1MCぐらいの人数で、音楽的にもイヴェントとしても自分にとってやりやすかったし、自分なりのライヴができるって。それが、すごく大きいですね。モチベーションとかいろんな意味とかでも。そのことに気がつくのが、すごい遅いんですけど(笑)。
 で、いまはライヴができる楽しさがあって。DJも楽しいんですけど、それとはまた別の、新しい曲を作りたいとかアルバムを作りたいとか意欲が湧いてく来るというか......、自分が好きなレーベルで、楽しくコミュニケーションしながらできているので、普通に次のアルバムを作りたいなと思いました。僕が野田さんにはじめて会ったときから6年ぐらい経ちますよね。そのとき僕にはライヴの手段がなかったから。

DJしかやってなかったもんね。

やけ:ライヴがない状態で、日々の仕事っていうとヘンですけど、DJとかリミックスとか日々の時間でやることもいろいろあるなかで、なんか行くアテのないラップ曲を10曲作るとかってなかなか難しかったというか、機会があるときしかできないというか。

温かい作風だとは思うんだけど、今回のアルバムには、他方では、やけちゃんの問題提起や主張がより際立っているようにも感じたのね。その辺をひとつひとつ話していければなっていう風に思ってます。

やけ:こういう感じがもともとの自分の素っていうか。いまの感じが素に近いっていうのは、僕も思ってる し。野田さんは最初から俺のサンダルを気にしてるようなひとだったから。サンダル感はこのアルバムとは違うかもしれないけど(笑)。物質に対する考え方とか世のなかの情報とか、物事に対する僕の感覚みたいなものをサンダルってタームで野田さんが捉えてくれたんだと解釈して(笑)、そういうのはこっちのほうが入ったりしてるっていうか、そういうのを僕らしいって言ってくれたのなら、自分もそうだと思う。

もう、とにかく、何とか、ある種の前向きさみたいなものを打ち出したいわけでしょう?

やけ:そうですね。ぜんぶそうですけどね。

思春期な感じを残しつつ。

やけ:思春期? あー、そこはちょっと違います。言ってる意味はわかるんですけど。たしかに、ファーストのときは青春を意図的に入れてますが、このアルバムではそういうところを排除したつもりなんですよね。大人になっていくっていうことが裏テーマだったので。

でも大人になってもYOUNGでいたいっていうのじゃないの?

やけ:いや、このアルバムに関しては、なんだろう、大人を受け入れるみたいなものが裏テーマなんですよ。

今回のアルバムっていうのはさ、結果的には、すごくポジティヴな雰囲気を前に出しているじゃない?

やけ:うーん、僕が自分で作っててこういうのはヘンかもしれないですけど、ポジティヴに無理矢理なろうとか、ポジティヴにしていこうよみたいなこととか、強迫観念的 に、狂ってるぐらい前向きになろうということを言い方を換えて言ってるような気がしますね(笑)。
 今回は、新しさとか生活とか、統一したテーマで作りました。そして、「年を取っていく」とか「暮らしていく」とか、「大人になる」......。「暮らしていく」っていうのは時間が経過していくから当然年を取るわけで。そこが裏テーマだったんですけど、それは誰にも指摘されてないですね。「大人になりましょう」っていうのを言ってるんです。

それにしても、何故、ここまでムキになって前向きさを打ち出したの?

やけ:やっぱり震災は大きかったですし、震災だけじゃなくて原発だったり、そういう3.11で起こったこと以外の経済や、それによって気にするようになった社会のシステムだ ったりとか。たとえば僕がもともと感じていた資本主義社会やグローバリゼーションに対する違和感みたいなものが、よりいっそう気になったり。さらには自分が知っている範囲よりも広い、社会や世界の構造だったり。
 で、世界の構造を生む、貨幣の制度に対する個人ひとりひとりの気持ち。たとえばそんなに紙幣をいっぱい集める満足感を、市民はそこまで憎しみ合いながらも得る必要があるのか、とか。物質なんかにしても、そういうものが本当に必要なのか、とか。自分にもともとあった、ダサイ言葉だけど(笑)、消費社会に対する距離感や違和感みたいなものが、よりいっそう震災を経た社会や世界では自分が知りたいと思ったりとか。
 で、よりいっそう違和感であったり、豊かさの形だったり、何に喜ぶべき??「べき」っていうのもおかしいんですけど、たとえばこういうものを得てこういう暮らしをするのが幸せだっていうことに対 して、ひとりひとりの多様性がもっとあっていいんじゃないか、とか。
 そういう意味で、「新しさ」は、自分に対して言ってるっていうのもあるし、リスナーのきっかけになってくれたら嬉しいみたいな意図もあるし。なんですかね......あれ、僕、何言おうとしてたんだっけ(笑)?

(笑)今回が明るいアルバムになった理由は3.11にあるっていう話かな。

やけ:そう、それで社会のシステムがその前に戻ろうみたいになっているけど、変えようよっていう。何が本当に必要でどういうものを美しいと思うかなんかを、もう一度ちゃんと捉え直したりしようと。みんなが思わされている世界の認識も、デッサンし直して新しいのにしようと。そういう意味での「新しい」。戻るんじゃなくて、流れをリセットしたほうがいいんじゃないかって。リセットっていうか、新しい発想。たとえば音楽産業なんかで言っても、「あの時代のああいうのに戻ろう」とかそういうことよりも、新しい形を模索しようって。

「90年代をもう一度」ではなくて......。

やけ:社会には意外とそういうムードがある気がするんですよね。3.11を経ても。

いまは、むしろ「明るくなれ」って言うほうが難しいことだと思うのね。

やけ:「SUNNY」っていうのは「明るくなれ」って感じでもないんですけど......、なんだろうなあ。

『SUNNY NEW LIFE』っていうのはさ、言葉としては空振りしかねないというか。世のなかの絶望感に対して、もっと希望を持とうと言ってるわけでしょう?

やけ:まあそうですね。

イチかバチか、でも言ってみるか、みたいな感じなの?

やけ:そんなでもなかったですけどね。だって"RELAXIN'"とかも「リラックスしていこうよ」だから。

「リラックスしろ」なんて言われたらさ、「ふざけるな」って怒るひともいるかもしれないじゃない?

やけ:いやいやだから、わざとリラックスしようって言ってるんです。

ははははは。

やけ:みんながリラックスしてたら言わないですから。そういうムードじゃないから、リラックスしようって言ってるわけです。あとなんか、ギスギスした空気感よりは、抜けた軽やかなものにしたい。

ギスギスした空気感っていうのはどこから感じるの?

やけ:いろいろですね。僕が愛する文化も落ち込んできてるし......。それがどんどんコンビニエンスになってたり、文化的なものっていうものが利便性や消費のなかでどんどん求められなくなっているというか、切り捨てられていっているように感じますけどね。

"JUSTICE against JUSTICE"という曲には憤りがあるんだけど、これは何についての曲?

やけ:これは去年の12月の選挙のときに書いたもので、まあ石原慎太郎ですね、はっきり言うと。尖閣問題。
 マチズモみたいなこととか男性性・女性性とかもいろいろ気になっていた時期で。戦争だったり、あらゆるとこにも通じると思いますし、だからべつに石原だけのことじゃないけど。もうひとつ言うならアメリカ。近年のアメリカ、というかアメリカの侵略の歴史、アメリカ人的なマッチョな発想だったり支配の歴史だったり。アメリカのこともちょっと考えてたかな、9.11とか。なんだっけ「次々と作る敵」とかは、アメリカがいろんなところを次々と侵略したり、大義名分を作って侵略するみたいなイメージで。
 これはガンジーの言葉の引用ですけど、「目には目を歯には歯をってことをしてると、ぜんぶなくなってしまうよ」と。人類の知恵は科学で核兵器を作れるんだから、このまま戦い合っていても取り返しがつかないことになっちゃうんじゃないかなって。日本人でももちろん、99.9パーセントのひとたちが戦争反対って言うと思いますよ。だけど、「中国人ってアレだよね」とか言っちゃうひともいたりとか。北朝鮮は気持ち悪いって言ったりとか。北朝鮮にいつ攻撃されるかわからないんだったら、「そこはもうやっちゃいましょうよ」みたいな、とか。そういう空気って普通にあるような気がして。

アルバムではこういう、ある意味では、すごく際立った言い方、前向きさもふくめて単刀直入に言ってるよね。

やけ:それはだから、大人になってきたり??。良くも悪くも年を取ってきて、それを受け入れるっていうのが裏テーマなんですけど。30超えた大人で、3.11で社会と日本が大変なことになってるなかで、やっぱり考えざるを得 ないですよね、それは。そういう社会構造だったり、いろんなことを。クラブとかDJとか、そういうみんなが楽しむ物事に関わることとしても。

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激しいキックであったりとか、派手なシンセ、エッジの強い音っていうのは受け付けなくなってて。アンビエントみたいなものとか、ドリーミーなものとか、ラウンジーなものをすごく聴きたい気分だったっていうのもありますね。


やけのはら
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いまでもクラブDJやってる?

やけ:基本的に、もちろん。

どれくらいやってるの?

やけ:ここ3、4ヶ月はアルバム制作でほとんど入れてなかったですけど、基本的にけっこうやってますね。性格的にもほんとはそっちのほうが合うんですけどね。元から世界に何かを伝えたいから音楽をやる、俺が声を出すって言うよりは、何かを作りたいっていう感じで音楽を作り出しただけなんで。単純に音楽を聴くのが好きで、自分が前に出たい欲求で音楽をやってるわけでもないので。だからDJっていう距離感であったりコミュニケーションの仕方っていうのは自分の性格に合ってるなと思いますけどね。

そして、本人いわく大人になったという......

やけ:いや、なってないんですけど。その話をもっと言うと、ずっといつまでも子どもでいることがいいというか、大雑把に言うとアンチ・エイジングな風潮ってあるじゃないですか。ロリコン嗜好とか。そういうのに対するちょっとしたアンチがあるっていうか。なんか全体的に年を取ることがいけないみたいな風潮がある気がして。若いのがいい、みたいな。自分がファースト・アルバムで言いたかった「YOUNG」はそういうことでもないし。

共感できるけど、でも、そういうのもいいなあと思うときもあるし、ダメだなと思うときもあるし(笑)。

やけ:でもそれはいいんじゃないですか。なんていうか、振る舞いですね。直接的な、服とかそういうことよりも、精神構造、世界認識とか、そこが誤解されたイヤな子どもっぽさみたいなものまでもアリみたいになっ ちゃってるような気がするというか。そういうのに対する対する違和感とか。大人っていうのも象徴的な概念ですけど、それがじつは裏テーマであったんですよね。

去年やけちゃんと飲んだときに、1枚CDをくれたよね。『7泊8日』ってやつ。

やけ:あー、はい、友だちです。VIDEOTAPEMUSIC。僕も曲に参加してますね。それが出たぐらいのときで、たまたま持ってたんで。

やけちゃんのアルバムにも似たような感覚があると思ったんだよね。コンセプトとしてはさ、虚構でもいいからユートピアみたいな感じがあるじゃない?

やけ:ユートピアというのはちょっと違うけど。

やけのはらがディストピアを表現するとは思えないから。

やけ:それはそうですよ。自分のテーマはずっと「SUNNY」だし、内に行くエネルギーより外に行くエネルギーだし、ヴェルヴェッツよりビーチ・ボーイズなんですけど。なんだろうな、VIDEOTAPEMUSICの音楽はそこが良さですけど、フィクションじゃないですか。そういうところよりは、もうちょっ と地に足つけて、僕は本当の生活のことを言ってるんですけどね。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドも生活のことを言ってると思うんだけど。

やけ:でもさっきの話で言うディストピア志向じゃないですか。僕のいちばん好きだったり、僕がやりたいことは、ヴェルヴェッツではなくてビーチ・ボーイズなんです。ビーチ・ボーイズのほうがファンタジーなんですけど。

いまビーチ・ボーイズをやるっていうのは、どうなんだろうね。それ相応の気持ちが必要じゃない?

やけ:なるほど、そういう意味での空振りってことだ。

何故ビーチ・ボーイズなの?

やけ:それはだから難しいですよ。それはたぶん、自分がいちばん最初に音楽を好きになったときから、音楽の聴き方でどういうとこ ろを聴いてたかっていうと、反抗とか興奮というよりも楽しくなりたいとかだったと思うんで。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドもビーチ・ボーイズも両方好きっていう風にはならないんだ?

やけ:いや、音楽で言ったらヴェルヴェッツも好きですよ。だけど、自分の素でそういうトーンのアルバムには行かない。ジャケットが黒一色にはやっぱりならないっていうか。

まあ、そりゃそうだよねえ。

やけ:いや、そりゃそうかはわかんないですよ。次のアルバムは意外とゴシックな感じで(笑)。

わはははは。だったら、そもそも、やけのはらって名前が矛盾してるよね。

やけ:ビーチ・ボーイズみたいなものが好きなひとがいるとして、そういうのをいま風にやってますみたいなひととは、たぶんまた全然違います、それは。

ワイルドサイドのビーチ・ボーイズ(笑)。

やけ:砂糖だけしか入ってないのは、やっぱヤなんですけど、ドリーミー・ミュージックっていうのは、ちょっとありました。磯部(涼)さんなんかは「けっこうエキゾだね」って言ってて、自分はラウンジ・ミュージックっていうのはもちろんあったけど、エキゾっていうのはまったくそういう認識を持っていなかったから、それは意外だったんですけど。自分のなかではラウンジ・ミュージック、ドリーミー・ミュージックっていうイメージっていうか。

やっぱり『7泊8日』とも近いと言えるんだね?

やけ:元々好きなラインだし、友だちだし、会う前から彼は僕の音楽を聴いてくれてたり、音楽に求めているものが近かったんで、けっこうすぐ仲良くなって、今回のアルバムに参加してもらって、大事な役割を果たしてくれてますね。
 ただ、僕としても、こういう音楽のトーンっていうのは昔から地で普通に好きだったっていうか。だから新機軸って言うよりは、逆にバック・トゥ・ベーシックっていうか。
 これを作ってる2、3年はUSインディとかにも興味なくなったし、新譜で興味あるラインとかもほとんどなく、逆に世界や歴史のことなんかに興味があったり、音楽でも古いほうに遡ったり。新譜もまったく聴いてないわけではもちろんないですけど。
 前のアルバムのほうが、そのときのトレンドなんかをちょっとぐらい取り入れようかなとか、そういうのがあったから、今回はもうちょっと素ですね。最後の最後になってトラップに興味持って、何曲かドラムがちょっとトラップ風なんですけど。かなり何でもないオールド・ミュージックだったり、自分の素で好きなトーンって感じ、かなあ。

アルバムの冒頭は、ウクレレか何かを弾いてるの?

やけ:あれはただのサンプリングです。簡単なコード弾きのやつを、ちょっとピッチ変えて2コードにして。だからこの曲は、自分の思うドリーミー・ミュージックの好きな音をぜんぶ集めて。これは頭でけっこう作って、コーラス、ウクレレ、かわいいシンセとか、ハープの音とか。自分の好きなドリーミー・ミュージックで、こういうのが入ってるのが好きだなっていう要素を箇条書きにしていって、ぜんぶ集めたんですよ。

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つねに一貫してグッド・タイムは描きたい。人生にグッド・タイムしかないっていう嘘はつきたくないけど、グッド・タイムしか表現したくないっていうのはありますね。バッド・タイムの何かを曲にしたいっていうのはないし。


やけのはら
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やけちゃんが言うラウンジ・ミュージックっていうのはどういうイメージ?

やけ:部屋で鳴ってて気持ちよくなるってことですかね。それ以上にも以下にも最終的には着地しないっていうか、あんまり意味性を持たせてもわからないし。

具体的に言うとたとえばどんなの?

やけ:うーん、なんですかねえ。それこそ、アンド・ヒズ・オーケストラとか名前に入っているような古いものとか。ジェントル・ピープルの元ネタみたいなものとかですよね。やっぱりレコード世代なんで、古いよくわからないラウンジっていうか「その他」とか買ってましたね。だから音楽を聴いて高揚したいとかより、自分の中でもいろんな耳のチューニングはもちろんありますけど、たぶん音楽聴いて楽しくなりたいんじゃないですか、自分は。
 僕、起きてから寝るまでずっと音楽聴いてるんですよ。気候とか自分の気持ちとかに合わせて、うちでひとりDJをずっとしてるんです。ひとによっては「聴くぞ」っていうときにだけヘッドフォンで聴いたりするじゃないですか。でも僕は、なんだろう、つねにぜんぶムード・ミュージックとして捉えてると言えば捉えてるっていうか。言葉が入っちゃってはいますけど、自分が昼に聴きたいトーンはこんな、っていうか。

"HELTER-SKELTER"も曲名とは裏腹な......。

やけ:"HELTER-SKELTER"って「混乱してる」って意味ですよ。ジェット・コースター。

のんびりしてるじゃん。

やけ:ああ、まあまあ。でもジェット・コースターの名前ですけど、元々の意味は「混乱してる」って意味ですよ、これは。これが震災のあとの曲ですよ。「どうしよう」っていう。

でも、音楽がけっこうのどかに感じたんだよね。

やけ:いや、これ全然のどかじゃないですよ! いちばんリリカルな曲ですよ。感情がいちばん入ってるというか。もうだって、「このまま あのときのままではいられないよ」「この夢の続きは一体どんな風?/フキダシの中の言葉をなんにする?」ですよ。君は何を思うんだってことですよ。フキダシのなかの言葉っていうのは比喩で、漫画のひとの横にこうフキダシがあるみたいなイメージで、それに対して何を思うんだっていう。
 こんな日々をどうやって受け入れるんだ、どう消化するんだ、それを「混乱している」、"HELTER-SKELTER"って言ってるんですよ。消化できないっていう。

でも聴いた感じはまったくそういう風に思わなかったので、逆に言えばそれはやけのはらの狙い通りっていうことでもあるわけでしょう?

やけ:まあたしかにそうですね。この曲は、このアルバムのなかではヴェルヴェット・アンダーグラウンドみたいなアレンジでも成り立つような歌詞というか、意味の曲であるわけだから。ちなみに、もちろん沢尻エリカとは何の関係もないですってことは、書いといてください。

とにかく、ドリーミーなものを心がけたっていうのはいい話だね。

やけ:心がけてもいるし、元々好きだし、気分的にもそういう......あ、震災の後にけっこう思ったことですね。それがさっきのマチズモとかインスタントなんかの話に繋がるんですけど、年齢もあるのかもしれないけど、激しいキックであったりとか、派手なシンセ、エッジの強い音っていうのは受け付けなくなってて。アンビエントみたいなものとか、ドリーミーなものとか、ラウンジーなものをすごく聴きたい気分だったっていうのもありますね。
 とくに震災の後とかは、直接的にその後にやったリミックスはぜんぶノンビートにしちゃって。ほとんど低音入ってない曲とか。気分的にもそういうムードだったっていうのはありますね。まだこれ(アルバム)は、揺り戻しがあってビートをそれなりに入れたっていう。でもノンビートの曲もあるし、けっこう一時期のノリだと危なかったですね。声入ってるのに1曲ぐらいしかリズムがない、みたいな(笑)。

おおー、それも聴きたかった。クラウド・ ラップみたいな(笑)。

やけ:いや、それだとさらに素なんで、そういうのはもっと年取ったときに取っときます。そこまで行っちゃうともう戻せないんで。

最後から3番目の曲("BLOW IN THE WIND")でさ、「普通じゃないものにいまも夢中さ」ってあるけど、その「普通じゃないもの」って何のこと?

やけ:いや、それはだから難しいんですよね。わざと危ない言葉だからそのままで言ってるんですけど。多様性ってことですね。

難しいことを言うねー。

やけ:いや、ぜんぶで一貫して言ってるんですけど、「小さな声をなかったことにするな」みたいなこととか、「はみ出る感情や生き方を楽しもうよ」とかだったり。自分が聴きたいのは誰かの代理ではなくて。まあこれも安易な言い方にまとまっちゃいますけど、誰かの思惑で決められた何かに流されるんじゃなくて、自分の好きなものを自分で決めたりとか。こういう言い方をするとカッコいい風に聞こえてしっくり来ないな。 うまく言えないけど、つねに一貫したテーマとしてあるというか。
 たとえばその時代の大多数の感情や音楽がこうだからって言って作るんじゃなくて、そこからやっぱり零れ落ちるそのひとなりのエネルギーであったり形であったり、表現だったり。そういうのに対する愛着っていうのはすごくあるし、そういうのが聴きたい、したい。っていうのはあると思いますね。

やけのはらって、家のなかで考えて作るって言うよりは出かけて行って作るようなイメージをずっと持っててさ。前作のときのPVでも、江ノ島の海辺でみんなで遊んでるのを使ったじゃない? イヤミったらしいぐらい楽しそうな映像をさ(笑)。

やけ:なんですか、「イヤミったらしいぐら楽しそう」って(笑)。パンチラインですね。言葉としてエッジが効いてた(笑)。でも、いまの気分だったらあんなことはできない。

でも、「外に出よう」って感じはまだあるでしょう?

やけ:それはでも、実際のことでも観念的なことでも、もっと世界を知ろうってことは言ってるんですけど。最後の("where have you been all your life?")がまさにそういう曲ですよ。最後の曲のことがあんまり言及されないんだよなあ。

いや、話がまだそこまで行ってないから(笑)。じゃあさ、アルバムの後半、"JUSTICE against JUSTICE"以降っていうのがさ、希望を見ようとしているよね?

やけ:それはでも、"D.A.I.S.Y."って曲ですかね。"BLOW IN THE
WIND"って曲は文化のことを歌ってるんですけど、これはむしろ寂しさを伴ってる感じがしますけどね。「普通じゃない」っていうのも、これは不毛さを愛していくってことで、だからこの曲は、そういう意味では意外とブルーなんですよね。

なるほどね。まあメランコリックな曲でもあるからね。でもこの"D.A.I.S.Y."はさ、「やけのはら、どうしちゃったんだろう」ぐらいのさ、人生肯定感じゃない(笑)?

やけ:え、でもそんなこと言ったら"GOOD MORNING BABY"とかもそうじゃないですか! 曲名は、デ・ラ・ソウルの"デイジー・エイジ"が何かの言葉の頭文字になっていて、その法則を踏襲したというか。だから、"D.A.I.S.Y."は"DAYS AFTER INOSENT SWEET YEARS"の頭文字ってことにしたんですけど。だから、これもじつはブルーだからこそ、ですよ。
 あと、"D.A.I.S.Y."って、いろんな意味がありますよね。『2001年宇宙の旅』でコンピュータが歌った"デイジー・ベル"っていうのは、はじめて電子合成のロボットが歌った曲だし。でも、映画だとあのコンピュータが最後に歌った曲なんですよね。それで壊れてなくなっちゃって。希望の象徴だったり、でもアンビヴァレントなブルーな匂いもするじゃないですか。『2001年宇宙の旅』での使われ方なんか。

あるいは、ヒッピーというかフラワー・チルドレンというか。20世紀的な理想主義だよね。

やけ:そうですね。でも「デイジー」みたいなこととか、ヒッピー的なタームでそういう物事の象徴となってた時代、60年代、70年代のほうが未来に対しての希望みたいなものが、何て言うか、無邪気だった感じがあるじゃないですか。無邪気に本当に希望を信じていたような。僕はもちろん生まれてないんで、後から触れての印象ですけど、未来に対して希望があった時代の象徴って気がして。そういうのが気分にあったというか。

それを敢えていま言ってみたかったっていう感じ?

やけ:いや、難しいっす。いろんな自分の知ってる情報やニュアンスのなかでしっくり来たっていうか。ニュアンスや感覚の捉え方の話なのでうまくは言えないですが。でも前のアルバムも音ができてないときからPVは"GOOD MORNING BABY"って決めてたし、このアルバムもじつは前からこの曲になるんだろうな、って1、2年前からそう思ってました。

新しい恋をしたとか(笑)?

やけ:恋は関係ないです。ラヴ・ソングはできないっすよねえ。タイトルだけ"I LOVE YOU"って曲入れましたけど。観念的なラヴ・ソングだったらいいですけど、本当に女性との直接的なラヴ・ソングっていうのは人生で一度も作れたことがないかもしれないですね。そういうのはちょっと、今後のテーマに取っておいて。昔、野田さんが「やけちゃんはラヴ・ソングやったらいいよ」って言ってくれて、心のなかにはラヴ・ソングに対する想いはいろいろあって。

やけのはらは場面の描写が好きだよね。なんか、男と女というよりも、もっとがやがやしている感じがする。

やけ:それは性格ってことになっちゃうと思うんですけど、つねに一貫してグッド・タイムは描きたい。人生にグッド・タイムしかないっていう嘘はつきたくないけど、グッド・タイムしか表現したくないって いうのはありますね。バッド・タイムの何かを曲にしたいっていうのはないし。

これがやけのはら人気の秘密なんだよ(笑)。

やけ:いや、これが性格なんですよ。映画なんかでも、あんまり楽しくない映画とかイヤなんですよね。それはDJで培ったものがあるのかもしれないのと、自分も人間なんでそういうのがゼロとは言えないですけど、自己陶酔してるタイプのミュージシャンじゃないと思うので、例えば「苦労してるオレを見てもらう」みたいなことって発想としてないっていう。

だからっていうか、"デイジー"は、今回のアルバムの象徴的な曲なわけだよね?

やけ:この曲は大事でしたね。ぜんぶの曲で同じことを言ってるとも言えますが、この曲では、ぜんぶまとめて言ってるってとこもあるので。結局ひと言でまとめると、「楽しく生きましょう」とかそういうことなんですけど(笑)。

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絶望っていうかまあ、音楽やりながらもどうしようってときに、夜中4時ぐらいに近所の公園でタバコ吸いながら「うーん、だいじょうぶかな、20年後ぐらいに野垂れ死んじゃうかなー」とか(笑)、けっこうマジメに思って泣きそうになったりとか。


やけのはら
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やけのはらは、決して順風満帆にここまで来ているわけじゃないよね。

やけ:まず、ファースト・アルバムが30歳とかですからね。

ある意味では苦労人というか。

やけ:まあ、生活的に貧しかった20代前半とかもありますが。ただ、べつに苦労って気はなかったですよ。苦労っていう実感はないですね。

絶望を味わったことはあるわけでしょう?

やけ:わかんないです。そのころは、絶望っていうかまあ、音楽やりながらもどうしようってときに、午前4時ぐらいに近所の公園でタバコ吸いながら「うーん、だいじょうぶかな、20年後ぐらいに野垂れ死んじゃうかなー」とか(笑)、けっこうマジメに思って泣きそうになったりとか。
 それはいまでもそうですけど、そういうところを何かに合わせてしまうんだったら、野垂れ死ぬわ、ぐらいの感じがやっぱりあったんで。けっこう現実面でそう思ったっていうか、笑い話じゃなくて、ガチで浮浪者みたいな生き方も視野に入れつつぐらいの感じっていうか。べつにいいです、もうなんか。それだったらもう死にます、野垂れ死にます、みたいな。

説得力のある話だね。午前4時にさ、何もやることのない青春っていうのが良いよね。

やけ:何もやることがなかったわけではないけど(笑)。

そういう未来の見えなさのなかで生まれた前向きさなわけだね。

やけ:それはそうだと思いますけどね。だから、いちおう知恵を練ったんじゃないですか。性格的に月から金の普通の仕事はできないと。CDとか出しつつも音楽はやってる。じゃあ音楽でもっと収入を上げようとか、DJやるにしろ何やるにしろ、もっと細かいところから積み重ねる、もっとこうして良くしていこう、楽しんでもらおう、とかだったり。ここをもっとこうできるようになって、音楽のクオリティを上げよう、とか。

知り合った頃は、DJとしてはすでに人気あったからなあ。

やけ:DJはひとりでできたから。なんとなくやれてしまったというか。
 同い年の旅人くんとかを見ると僕なんか全然遅いなと思いますよ。上京してきて18、19で音楽で身を立てるみたいな思いがあって。すごい偉いなと思いますよ。僕にはそういう気持ちがぼんやりしかなくて、性格もあるし、横浜っていう都内近郊が地元だったので、音楽はしたいけどガツガツとミュージシャンになるためにデモ・テープを送るとかそういうのもできずに。デモ・テープとか絶対送りたくないとか思ってたんで。誰かに出させてくれって言わせたい、自分からデモ・テープを送るなんてそういうことはダサいって思ってたんで。僕はそういうところで判断が遅くて、ボンヤリしてましたね。ファースト・アルバムが30歳ですからね。

素晴らしいじゃない、それは(笑 )。

やけ:性格なんですよ。ひとつひとつのことを、こういうのがいいらしいって言われても、「ほんとっすか?」みたいな感じでつねに疑ってかかるタイプなんで(笑)。だからひとつひとつがすごい時間かかって。

じゃあ、最後の曲("where have you been all your life?")について、なぜこの曲を最後にして、そしてどうしてこの曲が生まれたのかを。

やけ:うーん......まず直接的に言うとタイトルからできたんですけど。年上の友だちの結婚式で、引出物のトート・バッグに「where have you been all your life?」って書いてあって。なんかいい言葉だなと思って。オールディーズの曲名なんですが、なんかこの言葉が引っかかってて、そこから連想してできたというか。街を歩いているときにふっとフレーズが出てきて、あのタイトルで「あなたは何したいの」みたいなことを問いかけるっていうのが面白いかなと思って作ってた感じですね。
 でもどっちだったかな、「your」か「my」かどっちか忘れたんですけど、英語で「やっと会えましたね」みたいな意味になるんですよね(註:「where have you been all my life?」で「どうして君ともっと早く巡り会わなかったの?」の意)。そこらへんが面白いな、と思って。だからいろんなことがあったり、世界や生活のなかで自分にしっくり来る楽しいことをやっていきましょう(笑)、それのために知恵を絞って街に出たり、いろんな世界と友だちになろう、街に出よう、そういう曲ですね。

リスナーに呼びかけるっていうか、こういう直接的に語りかける曲っていうのも、俺久しぶりに聴いたような気がしたんだよなあ。

やけ:マジですか。まあ自分に言ってる的なところもあるんですけどね。なんかボンヤリしたりするじゃないですか、生きてるなかで。まわりから望まれていることと違ったりとかね、そういうこともありますし。自分がいちばんやりたいこと 、好きなこと、いちばん大事なひとを考えるとか、そういうのがいいんじゃないかって。暮らしっていう意味で見ても、物質面で見ても、いろいろなひとつの作法、もの。どこに住んで何をする、そうしたことひとつひとつもある種思想ですし、自分ももう一度しっくり来るものを見つけたいですし。みんな本来のしっくり来るものを見つけるのがいちばんいいんじゃないかと思うので。
 それは前も言ったんですけど、答が出る前に「こういうのがしっくり来ますよねー」みたいな押し売りの波とかがやっぱりすごく多いような気がするので。生き方、場所、ものとか、いろんなことですけど。

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音楽はしたいけどガツガツミュージシャンになるためにデモ・テープを送るとかそういうのもできずに。デモ・テープとか絶対送りたくないとか思ってたんで。誰かに出させてくれって言わせたい、自分からデモ・テープを送るなんてそういうことはダサいって思ってたんで。


やけのはら
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今回さ、アルバムのジャケットにひとを載せなかったのはなんで?

やけ:うーん......具体的にひとを載せたくなかったわけではないですが、たとえばまた同じような感じで女のひとが載るっていうのは続編っぽくなるので絶対ヤだなっていうのはありつつ、まあ流れですね。信藤三雄さんの写真なんですが??〈トラットリア〉とかピチカート・ファイヴで信藤さんがやってたことっていうのは好きだったし。で、大人になって、〈トラットリア〉や信藤さんがやって来たことが当時よりも見えてきて。
 そうしたら、僕の前のアルバムをなぜだか信藤さんが気に入ってくれてて。それでお会いする機会もあって、面識もできた流れもあって、今回のアルバムを作ったスタジオが信藤さんの事務所の近所で、スタジオに遊びに来てくださって。で、世間話のなかで見せてもらった信藤さんがiPhoneで撮った写真なんです よ。これはただの記録みたいな感じで信藤さんが撮った写真なんだけど、なんかピンと来て、写真をお借りして使わせてもらったっていう。

どこにピンと来たの? 青空?

やけ:雰囲気です。ムードですね。

これはどこなの?

やけ:沖縄です。

沖縄なんだ。いいねぇ。やけちゃんは間違っても沖縄なんか住めないからね。

やけ:え、なんで?

俺と同じように、東京で生きて東京で死のうぜ。

やけ;僕は意外とレイドバックしたところで死んでいくつもりです。

どこで(笑)?

やけ:いや、わかんないですけど。

そんな~、やけのはらのクセに。

やけ:いやでも、都市生活に対するアンビヴァレントな気持ちは感じ取れるんじゃないです か、このアルバムからは。

はい、むちゃむちゃ感じ取れますね。じゃあ、そろそろ最後の質問にしたいんだけど。"SUNNY NEW DAYS"みたいな曲は、どういうときに作ったの?

やけ:これはアルバムの最後で、「もう作るぞ」と思って作ったっていうか。近所の公園で歌詞を書きました。

シンプルな歌詞だけどさ、これはアルバムのコンセプトが固まってから?

やけ:完全にそうですね。ちなみに「新しいニュースペーパー」って言葉はSAKANAの曲から引用してるんですが。えーっと何て曲でしたっけ? ......、"ロンリーメロディ"。

へえー、そうなんだ。

やけ:あの曲ほんっと最高ですよね。あの曲の歌詞はほんとにすごい。なんでしたっけ、「わたしの歩き方が遅すぎるのなら/どうぞ置いていってください」。その「歩き方が遅すぎるのなら、どうぞ置いていってください」っていうようなラインは、ほんと文明社会に対する違和感みたいなところもある曲なんですけど。あの曲はほんと素晴らしい。あの曲の影響はあるかも。あの曲とアルバムでやろうとしてたことの感じは近い。

ああ、SAKANAとやけのはらの共通する感覚ってあるかもね。

やけ:厭世観みたいな意味で近いところはあると思いますよ。世界に希望を求めてるけど、じつはあんまり信じてない、みたいな。

ああー、なるほどね、厭世観。都会のなかで暮らしながらの厭世観みたいな。

やけ:だから諸手挙げてキレイな世界、先へ進んでいこうみたいなカラっとした感じは実は全然なくて。だからこそ無理矢理そうしてるっていうか。

(笑)たしかにブライアン・ウィルソンも、彼の複雑な人生を考えるとね。あの明るさっていうのは。

やけ:しかもあれだけグチャチャな人生を生きているブライアン・ウィルソンがいまでも一応元気で音楽やりながら生きてるっていう。

Takako Minekawa & Dustin Wong - ele-king

「エフェクターの魔術師」なる『インフィニット・ラヴ』(2010)の秀逸な国内盤帯文を、多くの方が記憶しているのではないだろうか。元ポニーテールのダスティン・ウォングと、彼がファンであることを公言する嶺川貴子とのコラボ作品をご紹介しよう。カラフルで表情豊かな音色を持つウォングのギターと、透明感ある嶺川のヴォーカルが見事にはまったハッピー・エクスペリメンタル・ポップ。音といい世界観といい、コラボ作というにはあまりに息の合ったアーティスト同士であることがこのPVからも感じられる。ポニーテールの音色を穏やかにくすませたような内面的な響きは、ここに出てくる淡い色調にもよく反映されている。
 ふたりはこの5月に共作『トロピカル・サークル』をリリースするが、ジャケット等に使用されている絵も共作、このPVも彼らの手作りだという。嶺川のアルバム・リリースは『Maxi On』以来じつに13年ぶり。ウォングの繊細にして大胆な演奏のなかに嶺川の自然な呼吸が感じ取られる、新緑の季節にちょうど似つかわしい作品だ。

■リリース詳細
https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/top/takako-dustin-toropical-circle/

Matmos - ele-king

 世界一クールなインディペンデント・ゲイ・カルチャー・マガジン『BUTT』に、全裸で肩車をして登場していたのは、世界一クールなゲイ・カップルであるマトモスだった。記事は2002年、ドリュー・ダニエルとマーティン・シュミットのふたりはすでに理知的で奔放なアウトサイダーとしてそこにいる。マトモスがいなければ、マシュー・ハーバートはアルバムのコンセプトを見つけられなかったかもしれないし、ビョークは先鋭性とポップを両立させられなかっただろうし、アメリカの音楽シーンにおけるゲイ・カルチャーはいまより遥かに退屈なものになっていたに違いない。彼らを一躍有名にした、外科手術のサンプリング音が素材である『ア・チャンス・トゥ・カット・イズ・ア・チャンス・トゥ・キュア』の頃から、マトモスはつねに狂気じみた笑いを携えながらきわどい実験を繰り返してきた。
 マトモスはいつだって知性としてのユーモアを忘れることはなかったが、しかしたとえば2006年に発表された『ザ・ローズ・ハズ・ティース・イン・ザ・マウス・オブ・ア・ビースト』は、ブッシュ政権下における闘争宣言とも思えるほど目的意識に貫かれたものだった。キリスト教原理主義が同性愛を罪悪とするならば、あるいは良識のあるリベラルが結局安全なゲイ・カルチャーを周到に選んで支持するのならば、マトモスは同性愛者やジェンダーのはぐれ者のもっとも厄介な部分を抽出し、それを讃えてみせた。精液のしたたる音、カタツムリがテルミンを演奏する音、ハッテン場でのゲイのセックスの音、タバコを腕に押し当てる音など......を使って。エクストリームにヤバい同性愛者として、過剰な生を送った先達を音で描写するというコンセプト自体がラディカルだったし、何よりも......それを心から楽しそうにやってのけるふたりの姿こそが、退屈な常識とモラルに縛られた社会に対する、朗らかゆえに危険な反逆のようだった。

 だから、タイトルにある「婚姻」という言葉は同性婚についての言及なのだろうと思ったが、それはあまりに短絡的な発想だったようだ。ゲイ性を強調してもしなくても、マトモスはいつでも異端者なのである。
 シャープなシンセ・ポップがマトモスとしては新鮮だった『シュプリーム・バルーン』からじつに5年ぶりとなる新作『ザ・マリッジ・オブ・トゥルー・マインズ』は、ふたりのマッド・サイエンティスト的な側面が健やかに発揮されたアルバムだ。ドリュー・ダニエルのライナーノーツ、あるいは〈スリル・ジョッキー〉のインフォメーションを読めば、このアルバムのテーマはテレパシーだという。用いられたのはガンツフェルド・エクスペリメントという実験メソッドであり、ボランティアの被験者はピンポン玉を半分に割ったもので目を覆われ、ノイズを聴かされながらダニエルに新作のコンセプトを心理のなかに「送られた」という。そして、被験者は心に浮かんだ形や音を口頭でレポート、それが本作の音楽的構造の基本となる。......と、言われても......?? 凡人にはにわかに理解しがたいがしかし、マトモスの本領はもちろん、再生ボタンを押した瞬間から発揮される。
 アルバムを通して言えるのは、迷いなくマトモスらしさ、彼らの「節」が開放されているということだ。オープニングの"ユー"はレスリー・ウェイナーと(パレ・シャンブルクの)ホルガー・ヒラーの曲のカヴァーで、ピアノが妖しく鳴り響きながらエレクトロニカとジャズとテック・ハウスの狭間をさ迷う。そのなかをニューエイジ的に声が囁く、「テレパシー......わたしたちが知りたいもの」。続く"ヴェリー・ラージ・グリーン・トライアングル"は4小節ごとにさまざまなリフやループ、サンプリングがカットイン/カットアウトする最高にスリリングなハウス・トラックで、まるでコズミック・ディスコ......というか〈パラダイス・ガラージ〉時代のディスコ・ナンバーとグリッチ・テクノとIDMが「婚姻」を交わすようだ。"メンタル・レイディオ"のパーカッシヴなトロピカリアとラグタイムと、ふざけたフリー・ジャズのいい加減なミックス。"ティーンエイジ・パラノーマル・ロマンス"の、不気味でメロディックでファニーなテクノ。ダン・ディーコンが参加し、まさにディーコン的に無闇なアップリフティングさでシンセがトランス状態へ突入する"トンネル"もアルバムのピークを演出する。耳に残る奇怪な音色に彩られながら、マトモスの音楽は愉しさに満ち溢れている。ここではポップとアヴァンギャルドは矛盾せず、くっつけられてグチャグチャに丸められて、何か経験したことのない快感へと姿を変える。
 ラストの"E.S.P."はバズコックスのカヴァー。8分間でパンク的な皮肉とユーモア、テクノの実験主義が手を取り合って、わけもなくユーフォリックな領域へとリスナーを連れて行ってしまう。ダニエルが被験者の心に送ったというコンセプトはシュミットにすら明かされていないというが、彼のテレパシーはアルバムにおいてビザールなサウンドとなって放たれている。これはダニエルによる奇を衒ったジョークでありつつ、真摯なコミュニケーション欲求でもあるのだ。そして僕には、"E.S.P."のサイケデリアが歓喜そのものに聞こえる。ふたりが20年近くに渡って体現してきた、規範からの遠慮のない逸脱についての。その歓びはそして、僕たちが生きるための矜持にすらなるだろう。

Cankun - ele-king

 松村正人が愛してやまないレコメン系という音楽がありますが、プログレッシヴ・ロックが複雑骨折を起こしたまま頭だけはどんどんよくなって、いまひとつ爽快感には欠けることも意に介さず、やがて月日は流れ去っていくうちに、当然のことながら時代の迷子と化していったものが、なぜか〈ノット・ノット・ファン〉と結びついてトロピカル・モードで蘇ったのがカンクンことヴァンセン・ケレの4作目といえるでしょう。奥歯にモノがはさまったような南国のイメージから思いがけない楽園の諸相が浮かび上がり、いってみればティピカルな表現は使わずにいつのまにかトロピカル・ムードが構築されていく。どこことなく植民地的で、さらりとアンニュイな気分。こんな説明でなるほどーと思ったあなたはちょっとおかしいですが、知識のある方はヘンリー・カウやエトロン・フー・ルルブランがサン・アローのカヴァーをやっているところを想像してみましょう。マスタリングはサン・アローとコンゴスのジョイントにも参加していたM・ゲッデス・ジェングラス。レーベルはコーラの新作やデス・アンド・ヴァニラをリリースした〈ハンズ・イン・ザ・ダーク〉です。そう、サン・アローは、さすがにもうワン・パターンね~とか言いはじめた人には、これこそネクスト・レヴェルといえるでしょう。フランスからエスプリを交えたサン・アローへの回答というか。



 アーチャーズ・バイ・ザ・シーの名義ではアンビエント・ミュージックもやっているので不思議というほどのものではないんだけれど、これまでカンクンの名義ではサン・アローが悪魔の沼に沈んだようなことをやっていたので、ここへ来て、そうか、あの混沌とした音の渦の中心にはサン・アローがいたのかということがようやく判明できるだけのスキルに達したということであって(あー、でも、それがわかってくると、いままでの意味不明なおとぼけムードが、急に愛おしい試行錯誤の連続だったと感じられてきたりして)、ようやくスタート地点に来たと思ったら、いっきにサン・アローも飛び越していたと。そして、いいがかりでもつけるようにトロピカル・ファンクに絡みつくレコメン系のムダな装飾音がいちいち音響の快楽を増幅させ、まるでキッド・クリオール&ココナツからコーティ・ムンディがパレ・シャンブールのセカンド・アルバム『ルーパ』をプロデュースした、その先を見せたくれたような錯覚に陥るのである。サン・アローよりもドラミングが乾いていて、全体にスウィング感のあるところは〈ZEレコーズ〉も彷彿させる。大人の遊びですよね、つまり。サン・アローにはそこはかとなくある求道的なシリアスさもきれいに薄まっています。

 アベノミクスが輸入盤の価格をじょじょに押し上げ、大量の失業者を置き去りにするかどうかというご時勢に、トロピカルといえば〈ノー・ペイン・イン・ポップ〉からデビューしたLAの新人も悪くなかった。そう、ヴァイナル・ウイリアムスなのに僕はCDを買ってしまった(アナログは売り切れだった)。ははは。これは、リヴァーブをかけまくったキュアーか、南国気分のハウ・トゥ・ドレス・ウェルなのか。「チルウェイヴ通過後のサイケデリック・ロック」とポップには書いてあったけれど、なるほど最後の方ではサイケデリック・ロックを剥き出しにする部分もなくはない。しかし、ほとんど全編が重量感のないノイ!(か、むしろラ・デュッセルドルフ)が煙のなかを疾走していくスタイル。カンクンのような抑制は一切なく、うっとりとした演奏が続くあたりはやはりアメリカである。バカみたいだけど、やはりこういうのも楽しい。それは否定できない。



 オープニングは「東京->スマトラ」。オリヴァー・ストーン監督『野蛮なやつら』を観ていたら、インドネシアが楽園のイメージとして強くプッシュされていて、中国から引き上げられた資本が現在はインドネシアや東南アジアに振り向けられているので、かつての映画産業が持っていた観光の要素としては正しいイメージの配布が行われているなと思ったりもしたけれど、ライオネル・ウイリアムスが宅録でつくりあげた音楽もすべてがその楽園のイメージを補完するものになっている。植民地というよりは宗主国で、アンニュイではなく単に甘酸っぱいアドレッセンスの放出。「アラブの春」はいつのまにか「アラブの冬」に変わり、今年は「アラブの夏」がやってくるとかいわれてるけれど、ウエスト・コーストを覆ったバリアリック・ムーヴメントはぜんぜん波の引く気配がない。もう、4年ぐらい続いている。

月刊ウォンブ! - ele-king

 ステージをリングに見立てる趣向は、間違いなく成功していると思った。フロアの中央付近にほとんどやぐらのように構えられたステージには、ボクシングのリングを模して柱が立ち、ロープが張られている。360°というわけにはいかなかったが、ステージの後ろの方にまわりこむこともできる。わたしにはそれが新たな祭りを呼び込むための装置であるように見えた。
 ともすれば発信側の一方通行にもなりかねないライヴ空間から、ショウとしてのダイナミズムを最大限に引き出したい......音響を台無しにしてまでこのコンセプトを優先したこと(いや、ほんとにそういう意図であるのかどうかわからないが)には、ひとまず意味があったと言えるだろう。演奏者はオーディエンスを食う、オーディエンスもヘタなものを聴かされたら承知しない。そしてジャンルを異にする演奏者同士もリングの上では残酷なまでにひとしく比べられるライヴァルだ。そんな3方向の本来的な緊張関係をコミカルに可視化することで、会場には独特の求心力が生まれていたように思う。ステージだけに集中するのではなく、リングをふくめた会場全体へ視野が広がっていくようなところがあって、そのぶんワクワク感が伝播しやすく、増幅されやすい。ビールを手にスポーツ観戦をするようなほどよいリラックス感もあった。第1回めということだが、どういう意図でこうしたかたちを目指したのか、主催側の前口上を聞き逃してしまったのが残念である。(付記:実際に前口上をされていたのは名司会の長州ちから氏。すみません!)


ミツメ

 さて、渋谷で駅からTSUTAYA以上の距離を歩くのが苦手なわたしは、WOMBまでの長い道すがらをエア同行者を作ってなぐさみとしたので、非実在の同行者・城戸さん(憧れの先輩設定)との会話にも都度ふれることをお許しいただきたい。

城戸「いったいなんて場所に立ってるんだ、WOMBとやらは。」
わたし「ふふふ...」

 こんな要領である。ホテル街の細い路地を急ぐ影が、数メートル間隔でちらほら続いていた。いずれライヴハウスもエキナカになる時代が来るかもしれないが、ライヴ空間へ接続するまでの「歩く」という導入部は、かったるいながらも確実に重要な役割を果たしていると感じる。

 さて、今回のイヴェントに集められた3つのアーティストのいずれもにヴァンパイア・ウィークエンドやアニマル・コレクティヴの面影を認めたので、そのことも先に書いておきたい。ユーフォリックなトロピカル・サイケとして、そのなまあたたかさをほどよく脱臼させるアフロ・ポップとして、彼らの面影はそれぞれの演奏のふとしたところに顔をのぞかせた。ある意味では、00年代の音楽をリアルに消化した世代が、その次に何をプレゼンテーションできるのかということを観察できる機会だったのかもしれない。

わたし「ですよね? 城戸さん。」
城戸「ああ。ミツメはすばらしいな。」

 ミツメはすばらしい。残念な音響のことは割り引くとして、完全に世界標準の10’sインディが鳴っていた。やりたいことは明確で、アニマル・コレクティヴやヴァンパイア・ウィークエンドなど00年代USにおけるもっとも大きな成果のひとつが、のちの世界に何をもたらしたのかということをまざまざと見せつけられる。

 余談だが、00年代のはじめには、もう海外の音楽シーンが、たとえばグランジやブリット・ポップ以上の規模で日本に影響を及ぼすことはない――それは音楽のみにとどまらない、社会構造や文化全般の問題も含むわけだが――のではないか、両者は文化として溶け合うことなく、翻訳されないまま個別に存在していくのではないか、などと思ったものだったけれど、そうでもないようだ。ブルックリンや西海岸のアヴァン・フォーク勢が残したもの、それがひるがえってチルウェイヴへと接続していったもの、あるいはカレッジ・チャートの明るく軽やかな知性、等々のディテールをしなやかな筋肉に変え、彼らは日本の土を蹴って走っている。じつにシャイな印象で、ふだんのライヴはわからないが、まるでスタジオでのリハをのぞき見しているような、客のいないところで演奏しているかのような、インティメットな空気感がある。
 それもよい。ミツメの音楽には誰かの耳を無理やり開かせようというところがない。北風と太陽で、太陽が自然に人の上着を脱がせるように、彼らの音はただ遠くの方で誘っているだけだ。3曲めくらいだったか、トム・トム・クラブのような小粋なファンク・ナンバーがはじまったときに、人々は控えめに、心地よさげに、身体を揺さぶりはじめた。上着を脱ぐ――われわれが完全にこのイヴェントへとスイッチした瞬間である。

城戸「さあ、われわれも乾杯だ。」
わたし「ハイ、城戸さん。」

 おいしく乾杯しました。城戸さんは彼らのトレーナーやカーディガンといった服装も気になったようだ。「イェール時代を思い出すな」と言って目を細めていたけれど、たしかに学生っぽい、生真面目さと自由さがないまぜになったようなたたずまいにも、まぶしいようなストーリー性を感じる。彼らはそれをファッションとしてではなく、ユニクロのように着ているのかもしれず、それもまた好ましい。


アルフレッド・ビーチ・サンダル

 アルフレッド・ビーチサンダルはさすがの一言。バンドでのセットの方がよいという話も聞いたが、ギター1本でしっかりフロアの心臓をつかんでいた。声も比類ないが、彼にとっての翼はその文学性だろう。むろん、名義からしてあまりにびりびりくるセンスを放っているわけで、はじめてその名を聞いたときは幻の歌人フラワーしげるの「俺は存在しないお前の弟だ」を思い出し、「お前」がアルフレッド・ビーチサンダルであってくれればいいと思った。「ついに夏がきた」「僕はビーチサンダルを見つけなければならない」(“ファイナリー・サマー・ハズ・カム”)と歌い出して典雅に完璧に挨拶をきめ、ボトルシップで行くような奇妙でサイケデリックな物語の小世界を開いていく。ちょっとしたインスタレーションのようなイヴェントも行うようだが、こうした場所でシンプルに魅力を伝えられるアーティストでもあるのだなと感服した。ギターのことはわからないが、実に神経に心地よい鳴りで、ルート音が電子音のように響いている。テクニックが言葉と世界観をひかえめに支えている。

城戸「音響はつくづく惜しいのだがな。」
わたし「それは仕方がないですね。」

 われわれは素敵に酔いながら、フリー・マーケットのスペースへと向かった。上のほうの数階はそれぞれ喫煙スペースやフリマを含む物販スペースなどになっていて、ぶらぶらと回遊していられる。

わたし「きゃっ、城戸さんだめです。パンツです。」
城戸「なっ......!?」

 パンツを売っていた。


シャムキャッツ

 シャムキャッツは本当に輝いている。そして華があった。きっと、アイドルにすっかりお鉢を奪われたテレビの音楽番組のなかでさえ輝けるだろう。いまロック・バンドというフォーム自体にかつてほどの存在感やエネルギーは感じづらい。しかしすくなくとも「彼らは」生き生きと、貪欲に生きていて、生きてやるぞという腹の底のエネルギーがバンド・サウンドにリアリティを与えているように思われる。そして同様のバンドが地下には存在し、夜な夜な少なからぬ人々を楽しませているということまでをしのばせる。
 もちろん、生き生きと生きることは当世風の賢さから導き出された彼らの批評性そのものでもある。無邪気な「生きよう!」ではない。「(おもしろくない世の中をあえておもしろく)生きよう!」なのである(https://www.ele-king.net/interviews/002701/)。そうした複雑な屈折と意志を含むかれらの全力の遊びに、われわれは乗るのか、乗らないのか。
 時折ダンゴのようにもつれるアンサンブルの強烈な愛嬌、ペイヴメントのヨレヨレ・ポップからストーンズへと突き抜けるような猥雑さと強さ、クラスでまぶしすぎる人たちの持つ圧倒的な輝き。彼らは人を乗せ人の心を持っていくことにあまりにも慣れている。ミツメは音楽自体の持つグルーヴで人を動かそうとしていたが、シャムキャッツはその無敵感あふれるバンド・ケミストリーによって人を動かすというところだろうか(もちろんベースとドラムの功績を称えないわけにはいかない。ファンキーな曲になると突如として彼らの顔と身体はキレを増す)。ラス前をスペーシーなインプロで盛り上げ、“なんだかやれそう”などのアンセムへとつなげていくステージングも実に堂に入っている。それに、『ゴースト・ワールド』についての長めのMCもよかった。たしかにイーニドやレベッカが日本人ならこの会場にいただろうし、シャムキャッツを10代の傲慢さで冷笑したかもしれない。しかしその10代の傲慢さは、シャムキャッツの音楽に巻き込まれずにはいられないものでもあるのだ。

わたし「城戸さんはどう思います......?」

 ライヴの余韻のなかで気がつけば、わたしはひとりである。いっしょに帰りたかったのに、いつもつれない城戸さんは今日も通常運転であった。

interview with Siamese Cats - ele-king

バンドは効率悪いなーとは思いますけどね。ぜんぜん、自分たちのお金になんないし。機材だって、ライヴハウスでやるんならいいけど基本的にはすごくかさばる。制作費もかさむ。でも、入ってくるお金は4等分。(夏目)


シャムキャッツ - たからじま
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 とにかくスカッとしないことだらけだ。現在、2013年日本における、もっともまっとうな気分があるとしたら、多分、こんな具合じゃないのかな。「いやー、どうしたもんかなー、正直わかんねーなー、いや、まいったなー」。正直な話。だが、そんな状態が長く続きすぎたりすると、「これこそが解答だ!」と思わず胸を高まらせてくれるような絶対的な表現が欲しくなってしまうもの。そんなもの、ありゃしないのにね。いや、わかってるんですよ。でもね。

 この『たからじま』という作品は、ダーティ・プロジェクターズに対する日本からの解答であり、ある意味、本家を凌駕してしまってると言っていい。と同時に、シャムキャッツというバンドが喜ばしき発展途上の過程にあることを示したアルバムだ。いたるところ、きらめく可能性の宝庫であり、「決定的な一言」はない――勿論、いい意味で。なぜなら、ここにあるのは、90年代ペイヴメントに端を発する、「自分自身が一瞬でも感じたことのある確信をエモーショナルに断言することは出来ない」という、ポストモダンな感性だからだ。勿論、こいつは危険といえば危険。そいつをこじらせてしまった場合、何も出来なくなってしまうからね。バートルビーよろしく一言も発することが出来なくなってしまう場合だってある。俺みたいに。

 だが、シャムキャッツの『たからじま』は、そうした下らない現代的な病いに対するリアクションとしては最良のひとつだ。間違いなく。何よりもグルーヴと呼んでいいものかどうか躊躇せずにはいられない、ぐらぐらと揺れまくるバンド・アンサンブルが素晴らしい。絶対的な「たったひとつの正解」を必死に模索しながら、躊躇に躊躇を重ねて、だが、ようやく辿り着いた「いま」に着地している。これでもない、あれでもない、そうか、これか、取りあえずこれか。それゆえ、時には歯切れが良くない場合だってある。だって、確信なんてないんだもん。だが、だからこそリアルだ、とさえ思う。

 一聴する限りでは、この42分51秒の時間軸には穏やかな空気が流れてはいるが、その底流にはどうにも隠しきれない苛立ちがある。思わず過剰にシリアスになったり、過剰にエモーショナルになってしまいそうな自身に対する照れやはぐらかしがあり、思わず取りあえずの正しさを主張してしまいそうな自分自身に対する戒めがある。だが、と同時にここには、そんな所在なさげな時代の感性を笑い飛ばせるだけの知性とユーモアがあって、そんな風に時代に足をからめとられずにはいられない不甲斐なさをそのままサウンドに全力で叩きつけるだけの無鉄砲さがある。そして、何よりも、時代とじっくりとのんびりと対峙していこうという、肝が据わったところがある。あまりに見事だと、溜飲を下げずにはいられない。

 なので、迷わず彼らに一票を投じたい。去年は生まれて初めて選挙に行くなんて、それほど本意ではないこともあったことだし。そして、「あんたもこいつらに賭けてみろよ」と無責任に言い放ちたい。本当の本当のことを言えば、そうは言えないのだけども、そう言いたくて言いたくてたまらない――こんな風に、どうにも面倒臭い気分にさせてしまう何かが、この『たからじま』にはある。それはきっと、とても素晴らしいことだ。

 ポップとは、何かしらのアイデアの提示であって、問いかけであって、正解ではない。焦んなよ。気楽に行こうぜ。なんだかやれそう、な気がしないでもない。

いま、これだけ音楽産業が変化しているなかで、いわゆるヒッツヴィル的な音楽ーーソングライターがいて、プロデューサーがいて、シンガーがいて、ミュージシャンがいて、っていうかたちで戦略的なポップ・マテリアルを作り出していくっていうスタイルは、産業的なモチヴェーションとしてすごく理解できる。だけど、そうじゃなくて、わざわざバンドを結成して、自らの表現というものをやる――ただ人に聴かせたいってだけじゃなくて、お金にもしなきゃならない――モチヴェーションって、あんまり想像つかないんだよね。いきなり失礼な話なんだけど(笑)。

(一同笑)

夏目:バンドは効率悪いなーとは思いますけどね。ぜんぜん、自分たちのお金になんないし。機材だって、ライヴハウスでやるんならいいけど基本的にはすごくかさばる。制作費もかさむ。でも、入ってくるお金は4等分。ロスがでかいですよね。食えないすよね、全然(笑)。

しかも、ヒッツヴィル音楽に比べて、作れるものも限られてくるでしょ。いい意味でも悪い意味でも、音楽的にやれることも限られてる。

菅原:あんま思わないかな......はじまりが4人だったから、それがあたりまえというか。逆にひとりになったら、ちょっとさびしくなっちゃうかな。

藤村:おもしろくないでしょ。

大塚:むしろ4人の方が広がるし、おもしろくなるってみんな思ってるんじゃないかな。

それは音楽的にということ? 音楽以外のおもしろさもある?

夏目:あると思います。でも、そのへんは重なる部分もあって、コミュニケーションとしてのおもしろさと、音楽的なおもしろさとはほとんど同じかな。曲作りでも、スタジオで誰かがなんか変なことをやりだしたりすると、「あ、ちょっとそれ続けてやってみてよ」、「いや、やっぱりボツ」とかってやりとりが生まれていくんですけど、そういうことの積み重ねがおもしろいですね。曲作りをひとりでコンプリートすることはできると思うんですけど、それだとおもしろくないんですよね。面倒くさいし。

菅原:見通しがついちゃうし。

夏目:みんなに(曲作りを)放り投げていったほうがいいかなって。

実際にはシャムキャッツのアンサンブルって、時おり、「これ、アンサンブルとして成り立ってるのかな?」っていうムチャなところもがあるじゃない。テンプレートになってるようなスタイル化されたアンサンブルじゃなくて、「いや、それ、ちょっと無理があるんじゃないかな?」みたいなさ(笑)。

(一同笑)

いちばん楽しいものを選び取ってるんだよな? たぶん。(夏目)
うん。それをやめないわけだからね。(菅原)

でも、それは、一般的なバンド・アンサンブルというのを理解していないとか、演奏力が追いついていってないとかってことではなくて、「あえて選び取っている」んだよね?

夏目:そうですね(笑)。いちばん楽しいものを選び取ってるんだよな? たぶん。

菅原:うん。それをやめないわけだからね。

大塚:夏目はわからないけど、他の3人は「自分たちの望むテイスト」みたいなものをそんなには持ってなくて、「何か望まないことが起きたらいいな」って思ってるかな。「自分たちの想像よりちょっと上のものができたら楽しいな」って。それが「アンサンブルじゃないアンサンブル」ってやつになってるのかもしれない。

菅原:「これは普通だからやめとこう」ってふうに避けてる作業っていうのはあるかもしれないよね、4人で合わせるなかで。まあ、でも基本的にできないんで。俺ら。ちゃんとできないっていう、単純に技術の問題なんですけど(笑)。

夏目:俺ら、最初から目標にしてるようなものってないんですよ。こうしたいって目指してるものの像がないから、軌道からズレてるって感覚もないですね。

ただ大方の場合、人って何かをはじめるときに、ロールモデルとするものがあったりするじゃないですか。でも、シャムキャッツの場合、バンドとして、アンサンブルとして、あるいは、楽曲の仕上がりとしてのロールモデルーーそういうものは持たないようにしてるの?

藤村:そういうのは複合的なものだよね。

夏目:うん。ひとつの曲に対して、自分たちの知ってる3~4バンドをミックスしたモンスターみたいなものを仮定して、それを目指していくって感じかな。

藤村:うん、そう。そういうモンスターみたいなものを作りたい。

菅原:でも、こういう意見の共有だって、大して機能してなかったりするんですよ。ふたりがこうして話している反対側で、「俺ら、わかんないねー」って言ってたりすることもあるし、そういうところがおもしろさかな。完全に4人の意見が一致して「これだ!」って言いながら作った曲はないね。

夏目:ないね。

藤村:真似るのがうまいミュージシャンは多いなって思います。ロールモデルがあって、それにかなり近い音を出すことができる。でも僕らはそういうことができない。

夏目:ああ、真似るのがうまくないね。真似られない。どう考えても、ストロークスみたいなのができないんですよ!

えっ、そんなの難しくないじゃん! ストロークスとかって、それぞれの楽器の役割がすごくはっきりしてるバンドじゃない。

夏目:うん、難しくないはずなんですけど......いや、どうやったらいいかっていうのはもう、わかってるんですよ。でもバンドとしてやったときに、たぶんできないですね。ロック・バンドをやりたいけど、やるならば何かに似たくないっていう思いが、バンドをはじめた当初はすごく強くて。だから、当時はほんとにわけのわからない曲ばっかりで、最近やっと「らしく」なってきたって感じですよ。ずっと「すべての音楽に対してカウンターたり得る音楽って何だろう?」って思ってたけど、それだと音楽にならない。でも音楽が好きなわけだからそれっぽいものができてくる。それで、「ああ、“ぽい”ものが......バンドっぽいものができてしまったなあ」とかって悩みながら進んできたバンドなんですよね。でも、やっと踏ん切りがついて、「こういう感じでいいかな」っていうのが最近はある。

というのが、まさにこのアルバム、ってことかな?

夏目:そうですね。

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ずっと「すべての音楽に対してカウンターたり得る音楽って何だろう?」って思ってたけど、それだと音楽にならない。でも音楽が好きなわけだからそれっぽいものができてくる。それで、「ああ、“ぽい”ものが......バンドっぽいものができてしまったなあ」とかって悩みながら進んできたバンドなんですよね。(夏目)


シャムキャッツ - たからじま
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それはわかりやすいね(笑)。じゃあ、教えて下さい。そもそもいちばん最初にあったっていう、「何ものにもなりたくない」「いまあるすべてのもののカウンターでいたい」っていうアティテュードはどこから出てきたの? そう思う人ももちろんいるけど、そう思わない人のほうが多いし、そう思う人にはそれなりの理由があると思う。それは何?

夏目:何なんだろうな......。

藤村:それは幼少時代からじゃないかな。

菅原:うん。幼少時代からそうでしたよ。なんだっけ、「君臨すれども統治せず」って夏目はよく言われてたじゃん(笑)。何かしらコミュニティがあれば必ずそこの長(おさ)になっちゃうんですよ。生徒会長とか、バレー部の部長とか。でもなんか、統治しない。なんなんだろうね? とりあえず一番になりたい、とか、モテたいとか?

夏目:「モテたい」はあんまりないかなー。うーん、どうだろう、そうじゃないとおもしろくないというか。いまだにすごく覚えてるのが、小学生のときにビートルズを聴いて、「すごいヘンテコだな」って思ったことですね。小学4~5年で、自分もまわりも、ミスチルとかスピッツとか奥田民生とか聴いてた頃ですけど、家にあったビートルズの編集盤を聴いて、「こんなにヘンテコなものが世界でいちばん有名なのか!」って思いました。絵がもともと好きで、よく見たりしてたんですが、絵の世界だとピカソとか、ゴッホとかもっとも不思議なものがいちばん有名だったりはするじゃないですか。けど、日本の音楽ってそういうことじゃない。「おもしろくないなー」って感じてました。だから、「何か突出した、曲がった部分や変な部分がないとオリジナルとは言えない」という、強迫観念のようなものが強いんですよね。

じゃあ、ビートルズに関しては、サウンドうんぬんではなくて、アティテュードとして、ポジショニングとして、スタンスとして、最初のロールモデルではあったわけだ。

藤村:かなりあったでしょ。

ただビートルズはとても幸福なバンドでもあって、活動が61~62年から69年まででしょ? 社会的な発展や変化もここ100年ではもっとも劇的だった時代。なおかつ、音楽においてもサウンドの進化、録音技術の進化、メディアの変化と、いろんな変化の渦中にあった時代なわけで、「変わること」にいちばん価値があったんだよね。ただ、2012年のいまは、もう出揃ってしまってるでしょ? 「新しい」という言葉はあまりいい意味では使われなかったりもするよね。そんな時代に新しさを標榜するのはどうなんだと思います?

夏目:「まだあるんじゃないかな」って気持ちがちょっとあるんですよね。「まだ出揃ってないぞ」っていう気がしてる。それを探してる途中ですかね。あと7枚くらいアルバム出さなきゃだめかもしれないけど(笑)。

じゃあ、その目的地というのは? こうしたら到達できたっていうような進化のベクトルはどういうものなの? 完成度ではないわけだよね?

夏目:どうなんだろうねえ。

藤村:考えたことがないね。

夏目:これまであまりストーリー性とか、脈絡を気にせずにアルバムを作ってきたんですけど、ちょっとそのあたりを整頓したアルバムを作りたいなという気にはなってきました。そうすれば到達点がどこかということは見えてくるかなと思いますね。こういうアンサンブル、こういうバンド感、こういう歌詞の世界が作れましたという結果を見えるかたちにできたらいいなという気持ちがあります。

では、そういうものの考え方、ものの見方、ものの進め方を、同じようにしているだろうアーティストやバンドは誰かいます? いま現在で。

夏目:古いものを崩して新しくしてるってことでは、ダーティ・プロジェクターズの3枚前くらいからのアルバムは、「あー、俺もこういうことやりたかったなー」とは思いました。「でも頭良さそうだし、無理かなー」とか(笑)。もうちょっと売れる感じの方がいいんだよ、俺ら、きっと(笑)。だから、「もっとブラーな感じのダーティ・プロジェクターズ」とか。あ、それやっちゃおうか。

(笑)いま話してくれたみたいなバンド組織論にしてもそうだけど、どんなものを作るのかってことに対して、すごく相対的な視線があるってことだよね。絶対的なイメージがあるわけじゃなくて、そのときどきの判断がある。「世の中が真っ黒になったから赤く染まってみる」とかさ。そういうジャッジの積み重ねってこと?

夏目:そうかもしれないですね。確かなのはこの4人でやるってことだけかもしんない。4人の判断だけですべてを決めるっていうルールだけははっきりあるかもしれないです。

菅原:4人そろって音出すと全然違うよね。

小学4~5年で、自分もまわりも、ミスチルとかスピッツとか奥田民生とか聴いてた頃ですけど、家にあったビートルズの編集盤を聴いて、「こんなにヘンテコなものが世界でいちばん有名なのか!」って思いました。(夏目)

相対的にそのときどきの判断で物事を決めていって、テンプレ的なものから逃れていくっていうのは、どういうことなんだろう? 何を嫌がっていて何を求めているのか......。

夏目:うーん、感動しないですもん。そのテンプレ的なやつっていうのは。

じゃあ、「今ある360度すべてに対するカウンターだ」というのは確かだと。

夏目:そこに出発点があるのは確かです。だって、すっごくヘコむんですよ。絶対に何かっぽくはなってしまうから。「ああ、○○っぽいとか言われるんだろうなあ」とか予想がつくし、そうなると「ああ、何ものにもなれてないわ」って、ほんとにヘコむんです。

菅原:4人でいることの4人らしさがなくなったりするといやかな、俺は。

藤村:新しさの種類も、この4人っていう絶対的なものがあった上での新しさというか。ただふつうに斬新だというだけの作品に、ヒューマニティを感じなかったりするけど、そういう「冷たい新しさ」みたいなものにはなりたくないです。

菅原:そういうのいちばんムカつくね。

じゃあ、例えば、アニマル・コレクティヴのアルバムって、1枚ごとにサウンドが違うじゃない? ただ、「今回はこれです」っていうディレクションが明確だよね。それぞれのアルバムが、どういうアイディア、サウンド、機材、メンバーの関係性のなかで作られたものかがよくわかる。で、シャムキャッツの場合、1枚目に関して言えば、そういった統一感があったと思う。でも、今回はやらなかったよね?

夏目:そう、今回はやらなかったんですよ。

それっていうのは、現時点でのバンドの考え方が、「ひとつのサウンドでひとつのアルバムを作る」ということではなくて、「1曲ごとにカジュアルな実験をしていく」っていうことにあったということ? 

夏目:今回は完全にそうでしたね。あと、「こうなったらまとまるな」っていうアイディアがあんまりなかったので。期間も短かったですしね。次はもっと、はっきりしたディレクションを持ってやりたいなという気持ちはあります。まあ、わかんないですけどね(笑)。

菅原:計画性はないね。

では、この『たからじま』というアルバムを作るにあたって、無意識的にでもいいので、不特定多数の人間の心をつかむためにこんな風にフォーカスした、という部分があれば教えてください。

大塚:歌を聴かせるアンサンブルですかね。いいメロディでいい歌ができたから、それをちゃんと届けられるようにって。

夏目:僕の場合、そこはプロデューサーの古里(おさむ)さんに投げちゃったかもしれないです。今回はとくに、そういうプロジェクトとして動いたんですよね、最初のミーティングから。ある程度いろいろなことができるようになってるけど、まだまだどんな引き出しがあるかわからないから、「とにかく曲ができたら投げてみてよ」っていう感じだったんですよ、古里さんは。なので、そのへんのジャッジはけっこう任せちゃいましたね。

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4人でいることの4人らしさがなくなったりするといやかな、俺は。(菅原)


シャムキャッツ - たからじま
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なるほど。じゃあ、できあがった曲を4人それぞれ客観的に見てみた上で、こういう質問に答えてください。このアルバムを、自分のCD棚にテイストで分けて入れるとしたら、両側に入るのは何と何?

メンバー一同:ええー!

夏目:うわー、もうさっき言っちゃったような気がするな。

藤村:ひとつは浮かびましたけどね。『名前をつけてやる』。

うん、スピッツの2ndアルバム。名盤ですね。

藤村:あのアルバムのフィーリングに近いものはあるんじゃないかと思います。歌詞にも変態的なものがあるかなと。そういうところが似ているかなと。

菅原:俺はやっぱり「2012年にCD屋に行って、買って......」って想像していくと、たぶん新譜になると思うので、そのなかで好きだったものですかね。だから、ダーティ・プロジェクターズの『スウィング・ロー・マゼラン』と、うーん、やっぱセロ(cero)とかになるかな。『マイ・ロスト・シティ』。

藤村:俺はセロで言うと1枚めかな。

夏目:セロ、かぶったらおもしろくないじゃん!(笑)。

菅原:俺はやっぱり、日本という場所でいっしょに生きていて、尊敬できる存在はセロかなあって。自分がシャムキャッツじゃなかったとしたら、チェックしてCD屋さんで買う2枚っていったら......昆虫キッズって言ったらかわいそうかなあ?

いや、大丈夫でしょ。

藤村:大丈夫。

夏目:大丈夫。

ただふつうに斬新だというだけの作品に、ヒューマニティを感じなかったりするけど、そういう「冷たい新しさ」みたいなものにはなりたくないです。(藤村)

ダーティ・プロジェクターズとセロを両側に置くとさ、両方とも彼らなりの完成形みたいなものが明確にあるよね。シャムキャッツはそことの違いがすごく特徴かなと思うけど。セロの場合、やっぱり、それぞれのタイミングでの自分たちの完成形っていうもののイメージが明確にあるじゃない?

藤村:でも1枚めはもうちょっと無骨な印象があって。だから1枚めのほうが好きですね。

大塚:俺の場合、全然ロックとか聴かなくて、ジャズとかしかわからないんで。うん......だから、シャムキャッツは絶対買わないね(笑)。でも、ちょっと無理やりかもしれないけど、マイルスとか、歌ものだったらジョニ・ミッチェルとか、ジャズ的な要素はシャムキャッツのなかに感じてて。即興だったりとか、完成形は見せないでライヴに持っていくっていうようなスタイルがあるのかもしれないとは思います。「音でコミュニケーションをとっているところをそのままパックする」っていうやり方は昔から好きで、そういうことを自分もプレイヤーとしてやりたいと思ってました。だから、たまたまジャズじゃなかったけど、この4人はそういうテイストが合ってるから、いっしょにやっているという感じです。
 だから、ほんと無理やり並べる感じにはなるかもしれないけど、エレクトリック期のマイルスとか、ジョニ・ミッチェルがジャズのミュージシャンたちといっしょにやってたときの感じに近いかなとは、なんとなくだけど思ってた。

いちおう選んどきましょう。エレクトリック・マイルスだと、どれ?

大塚:えー、マイルスだと、『オン・ザ・コーナー』。ジョニ・ミッチェルだったら、『ドン・ファン(のじゃじゃ馬娘)』とか。最近聴いてて、「あ、ダーティ・プロジェクターズっぽいな。源流にあるのかな」とか思ったりしました。

うん、なるほど。非常に綺麗な答えが出ましたね。

菅原:やばい! 俺、やり直したい。もっと自分のルーツ的なところで行きたい!

(一同笑)

藤村:あ、俺もう1枚わかった。ペイヴメントの『ブライトゥン・ザ・コーナー』。

菅原:ああ、ずりぃなあー!

じゃあ、シャムキャッツをして、よくペイヴメントって最初に比較されちゃうことについてはどうですか。どういうポイントにおいて「致し方なし」と思い、どこにおいて「うれしく」、どこにおいて「ちょっとノー・サンキュー」って感じますか?

夏目:ペイヴメントは好きだから、単純にそのレベルではオッケー。致し方なしと思うのは、バンドに取り込むスタイルとか、アンサンブルの崩壊の許容範囲とか。ペイヴメントも俺らも、人がグルーヴって思うところよりも遥かに大きい範囲をグルーヴって呼んでるんですよね、たぶん。そこは、致し方なし。

ノー・サンキューって思うところは?

夏目:ノー・サンキューって思うところは......「だって、全然違うよ?」ってとこ(笑)。「よく聴くと全然違うぜ」って。まあ、そう思ってくれてもいいけどさ。

まあ、夏目くんの声とか、歌い方とかね。コード・プログレッションとか、アンサンブルを聴けば接点ないんだけど、そういう部分で聴かれちゃうんだろうね。ヨレたグルーヴとひっくり返る寸前の声、っていう(笑)。

夏目:あー(笑)、そこか......。歌ってるとわかんないんだけど。で、えーと、俺の2枚はまず、ヴァインズのファースト(『ハイリー・イヴォルヴド』)。

ほう!

夏目:と、ビートルズの『4人はアイドル』。

ほう! そ、それは......いや、ちょっと文脈が見えないので、説明して下さい。

夏目:全体の印象ですけどね。例えば、いま名前の出たダーティ・プロジェクターズとか、セロとかは、時代的にはいっしょだし、音楽に対するアティテュードとかにも似たものがあるかもしれないけど、出てきた音にあまりにも差があると思って。俺だったら、そのラインでは同じ作品として並べない。たぶんもっとロックっぽいところに入れたい。で、「振れ幅がある方が入れがいがあるな」と思って。たぶん最近ので、こういういろんな曲の入った変なバランスのアルバムってそんなにないんじゃないか。わちゃわちゃとしてまとまってないな、けどなんか熱いなーっていうのが何かを考えたら、ヴァインズかなという答えが出ました。

なるほど。あのアルバムって、すごくアグレッシヴな曲もあるし、ちょっと謎のスカみたいなのもあれば、すごいフォーキーなバラッドもあればっていう振れ幅があるよね。

夏目:『4人はアイドル』は、ちょっとサントラっぽいなと思って。俺たちのは、わかりやすい1曲めがパーン! とあって、あとはドラマチックないろんなタイプな曲が入ってて、人生で起こるいろんなことを歌ってる。そういう、ロック・バンドでサントラっぽいのは何だろうなって思ったときに、『ヘルプ!』(『4人はアイドル』の邦題)かな、と。

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「音でコミュニケーションをとっているところをそのままパックする」っていうやり方は昔から好きで、そういうことを自分もプレイヤーとしてやりたいと思ってました。(大塚)


シャムキャッツ - たからじま
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なるほど、わかりました。じゃあ、ちょっと別の視点からの質問。さっきから、プレイヤー側から見て、「既存のものではないもの」への志向があるということはよくわかったんだけど、ただ、いわゆるリスナーからすると、いま話してたような聴き方は若干マニアックだと思うんだよね。アンサンブルを聴くとかさ、楽器の音色を聴くとか、構成を聴くとか、そういうふうに音楽に接しながらも、最終的に人間というのは、その音楽を喜怒哀楽なり、フィーリングなりで聴くところがあるでしょ? 「わくわくする」とか、「気持ちをカームしてくれると」か。そういう意味において、「シャムキャッツはどういうものをやろうとしているのか?」ということを尋ねたいんです。
で、どうでしょう、質問をちょっと絞らせてもらうと、いま一般的なポップスの流行を見ていると、すごいエモいじゃん? 「会いたい」「悲しい」「うれしい」であふれている。そういったところを潜在意識において、避けたりした部分があると思いますか?

夏目:うーん、避けてはいないですけどね。

じゃあ、夏目くんにとってこれはとてもエモーショナルなアルバムだと。

夏目:あ、そうか、そう言われるとエモーショナルではないかなー。こういう作品ができて、できたあと話してるわけだから、ちょっとエモーショナルなことを伝えたいモードに入ってきちゃってるかもしれない。いま。

藤村:マックスでエモーショナルなときってないよね。

夏目:マックスでエモーショナルなときって......ないね!

藤村:このバンドでエモーショナルなのは俺くらい。

夏目:ただ、ほんとに歌いたいことって、「会いたい」とか、そういうことなんですよね。全然間違ってないと思いますよ、それは。ただ、もうちょっとシャレたいよね。「シャレた感じに言えないかな、言えるんじゃないかな?」って気はしてて。それはちょっとやりたいですね。だから、曲によってはけっこうありますよ。「君のお腹ん中に入らせて」(“SUNNY”)とか、あ、おもしろいなって、おもしろがって作った部分はあります。でも、疲れますよね、エモーショナルっていうのは。

うん。聴く方もやる方も、感情的に入り込む作業だからね。

夏目:疲れたくないんですよね。

ただ、例えば、“渚”とそれ以外のアルバム収録曲を比べると、“渚”のほうがエモーショナルだし、センチメンタルだし、若干、欝っぽいところがあるでしょ。

夏目:うん(笑)、そう思います。

それに比べると、その後に作った曲は、もう少し自分の感じてるネガティヴなフィーリングに対して客観的になってるのかな、と感じました。楽観的というのではなくてね。ネガティヴなフィーリングを笑ってたりするところがあるのかな、と。まずそれは正解ですか。

夏目:正解です!

(笑)では、なぜそうなったのかということを分析することはできますか?

夏目:単純に、バンドの状況がよくなったというのはあるかなと思います。「なかなか自分が目指してるところに行けないな」とか、「けっこうおもしろいことやってるのに、全然有名にならないな」とか、そういうふうに気持ちが揺れ動いてたときの曲が“渚”で、バンドもあんまりうまくいってなかったし、「どうしよう?」っていう思いもすごくあって。けど、ああいう曲ができて、状況もどんどんよくなって、あんまり文句いうところがなくなってきたり、「よし、とにかくバンドってものをやればいいんだ」っていう気持ちになれたときにできた曲が多いんで、そのへんですかね。悩んでる面がちょっと変わったのかもしれない。

ただ、ほんとに歌いたいことって、「会いたい」とか、そういうことなんですよね。全然間違ってないと思いますよ、それは。ただ、もうちょっとシャレたいよね。(夏目)

実際のところ、“渚”に関しては、どういうフィーリングを捉えようとした曲なの? すごく乱暴に訊いちゃうんだけど。

夏目:混沌から......輝きが生まれる!――そういうところですかね(笑)。そこからじゃないと何もはじまらない。生命が海辺で誕生したっていうじゃないですか。雨が降り、海ができ、泡みたいなものができて、物質がつながりあって、生命が生まれた。ま、それで“渚”なんですけど。

それが、当時、自分たちが感じていたことと近い?

夏目:うん、うん。だからけっこう欝でしたね。疲れきってた、というか。

でも、結果的に、“渚”という曲は、シャムキャッツの名前をそれまでよりも広めることになったし、いまではバンドのトレードマークになる曲として捉えられるようになったわけですよね。当初、それをどう受け止めていましたか? 居心地の悪い部分もあった? 

夏目:最初はすごく居心地が悪かったですね。いまでこそ、「シャムキャッツらしい曲」って受け止められているかもしれないけど、それまで聴いてくれてた人とか、僕らにしてみたら、むしろちょっと「らしくない曲」としてできあがったと思うんですよね。ただ、昔から俺を知っている人にとっては、すごく俺らしいものが出てきてしまったというか(笑)。

ずっと避けてたけれども、という?

夏目:そう、避けてたんだけど。で、それを聴いてくれた人たちがけっこう感動してくれたりもして、プロデューサーについてくれてるおさむさんが、「これを出そう」、「これがいい」と言ってくれたもんだから、「じゃあ、出してみましょうか?」ということになったんです。でも、いざ蓋を開けてみたら売り切れたりして、「そういうもんかあ、ライヴでやらなきゃな」って最初は思ったりしてましたね。ライヴでやるとみんな楽しそうにしてくれるから、とりあえずやっとくか(笑)っていう。

でも、「本来の自分だからこそ出したくなかった」というのは、なぜ?

夏目:やっぱり恥ずかしいじゃないですか。ダサい、というか。そういう単純な気持ちです。

じゃあ、基本的にはやっぱりエモーショナルな表現に対する気恥ずかしさはあるんだ?

夏目:ありますねえ。

菅原:相当あるよね。

じゃあ、夏目君のヴォーカリゼーションの特徴――喜怒哀楽をかき混ぜようとしてるような、むしろ「笑い」に近いような歌い方っていうのも同じ理由によるもの?

夏目:おそらくそうですね。笑いってラクなんですよね。ライヴでも本当に前のめりになって気持ちを入れて歌ったりするのはちょっと恥ずかしいし、それならタケシみたいに着ぐるみを着て出て行っちゃうほうがラク。

なるほどね。ただ、さっきの「会いたい」の話みたいにね、そういうエモいものを全然否定はしてはいないんだ?

夏目:全然否定しないです! 昔、タナソーさんが大嫌いだって言ってた銀杏ボーイズ、僕は大好きですからね。ゴーイング・ステディが解散したときは、友だちとカラオケで4時間くらい歌いつづけてましたから。

でも、そこは好きだってはっきり言えるのに、自分的にはその照れ隠しヴァージョンみたいな態度を取ってしまうのは、なぜ?

夏目:似合わないと思ってるんじゃないですかね。好きだということと自分がやりたいということは違いますからね。自分のために歌っているときはいいと思うんですけど、人前に出ていちばん盛り上がることではないと思いますし。なんか、上がってきちゃいけないところに上がってきちゃいけない人が出てきた、みたいな感じになりませんか(笑)?

じゃあ、もし仮に「銀杏ボーイズが沈黙しているいま、夏目君がすべてを引き受けるべきだ。だって、君はもっとエモーショナルな姿を出せる人でしょう?」っていうリアクションがあったとしたら、どうです?

夏目:うーん、そんな風に思う人、いるかなあ(笑)?

藤村:いると思いますよ。

(笑)いるよね? ユーチューブで音源聴いただけの人とかだったらわかんないけど、ライヴを観て、MCを聞いて、一言二言話したりすれば、においがぷんぷんしてくると思うよ。

(一同笑)

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“渚”はいまでこそ、「シャムキャッツらしい曲」って受け止められているかもしれないけど、それまで聴いてくれてた人とか、僕らにしてみたら、むしろちょっと「らしくない曲」としてできあがったと思うんですよね。(夏目)


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では、夏目君だけじゃなくて、みんなの書くリリックって、具体的ではなくて曖昧だし、やっぱりシュール・リアリスティックだよね? センテンスごとに脈絡がなかったり、何かしらの飛躍やはぐらかしがある。それは、いま話してもらったことに近いですか?

菅原:いっしょだと思いますね。

夏目:ただ、いちばん自分がグッとくるように書いてますけどね。ただの文章じゃ自分が感動しないと思うから。音楽として流れてきてグッとくるように、自分なりに仕掛けはしています。

菅原:2曲め(“本当の人”)とかは僕が書いたんですけど、それはほんとに第三者(3人称)に完全に投げて、第三者に歌わせてる曲なんです。だから、詞なんかも、自分が思ってることとは全然違うけど、「この人はこう言いました」ってふうに淡々と綴ってますね。僕は歌詞より曲のほうが先にできるので、いまのところは「詞なんて面倒くせえな」って感じです。作業としては、ですけどね。おさむさんとも相談して、「夏目君とは違う手法で作ってみない?」っていうことになったので、考えてみたアイディアです。

でも、この曲のように、「本当」とか「嘘」とかって言葉が使われてたら、それをそのまますごくシリアスに捉えちゃうリスナーもいると思うんだよね。

菅原:そうですね、それはもちろん、「ドキッとさせたいな」とは思ってます。

なるほど。それがシリアスかそうでないかわかんないように撹乱させたい、と。

菅原:そうです。

夏目:僕は今回はいままで以上にわかりやすくしたという気持ちはあります。「もっと夏目君はわかりやすくていいよ」っていうプロデューサーの指示でもあるんですけどね。

実際に書いてみて、「ここはいちばんわかりやすくしたな」って思う部分と、逆に「ここはやっぱり照れてるし、ごまかしてるな」って思う部分を教えてください。

夏目:えー(笑)。でも、“なんだかやれそう”は全編通して、「わかりやすくしたなー!」って感じなんですけどね。ぱっとその場でわかるような。

それでもわかりにくいけどね(笑)。いや、ネガティヴな意味じゃなくて、「いろんな風に受け取れるようになってる」っていうことなんだけど。

夏目:それは、そうしたいですね。けど、そうじゃない歌詞を見たことがない気もします。銀杏ボーイズはわかりやすいけど、でも、わかりにくいよね?

菅原:まあ、そうだね。

夏目:歌詞で言ったら、いちばんスピッツが好きなんですよ。あと、わかりにくさってことでは、くるり、スーパーカー、ナンバガ(ナンバーガール)っていう俺が高校の頃いちばん聴いてたもの、つまり思春期とシーンがマッチした頃の音楽ですけど、どのバンドもまあ詞はわかりづらいですよね。でもあの人たちの歌詞がいちばん感動できた。わかりにくいと思ったことはいっさいなかったです。だから自分の歌詞もわかりにくいと思ったことはないんですよね。

ただ、自分がこうだろうと思ったことが本当に正解かどうかわからないバンドたちじゃないですか。いま挙げてくれたのは。それはかまわなかったんだ?

夏目:かまわない。「俺がこの曲をいちばんわかってるぜ」って思ってましたね。

なるほどね。でも、そこから一回転するってことはないんだ? あ、そうか、菅原君のは一回転させたのか。

菅原:僕はそうですね。一回転させました。古里さんに呼び出されて、「夏目君の行かないとこ、行ってみよう」って言われたんですよ。そういう話し合いのなかで生まれたものなんです。「本当の事が知りたい」(“本当の人”)って歌詞が入ってますけど、それとか、絶対に言いたくない言葉ですしね。

(一同笑)

菅原:最後にいちばん言いたいことを入れようって言われて......。

夏目:叫んでるもんね。

藤村:エモいもんね、最後は。

夏目:でも物語としてはわかりにくいよね。

菅原:そうそう。

じゃあ、最近の日本でいうと、あるひとつの傾向として、メイン・ストリームもアンダー・グラウンドも、ポップスもロック・バンドもヒップホップも、すごく自分自身が暮らしてる時代とかコミュニティとかをレペゼンする歌詞が主流じゃないですか。作り話とか、物語がすごく減っててね。そんな中で、シャムキャッツの歌詞には、時代や世代や自身のコミュニティをレペゼンするような部分――つまり、時代なり自分たちなりを代表してるっていうような部分は、何パーセントくらいあると思いますか?

夏目:ちょっと変なこと言うかもしれませんけど......0パーかもしれませんね。時代性とかを考えたことはあんまりないというか。「時代性とかをいっさい無視して排除していくほうが、作品としてはむしろいい出来になるんじゃないか?」って気がしてるんですよね。昔の歌でも、ずっと残っていくなかで時代によって意味が変わってきたりするじゃないですか。まあ、だからこそいまの時代に合わせて作っても大丈夫という面もあるかもしれないけれども。でも、これだけすべてが出揃ってるって言われてる時代なら、一回そこを無視するぐらいでいいかなって気もしてるんですよね。

でも、この作品に収められた12曲っていうのは、「2012年」、「日本」――もっと面倒くさいことを言えば、「311から1年半」、さらには、メンバーは30代でもなく10代でもなく、まさに20代だからこその表現っていう特徴が出てる気がするんだけど。

大塚:出さなくても勝手に出てる、っていうような部分ですかね。

夏目:0パーっていうのは、100パーの裏返しってことなのかな? 意味が1個じゃいやだから、自分でいくつかの仕掛けを作れてるって仮定できるとすごく充実するんですよ。で、その仕掛けのなかにはもしかすると時代性のようなものが入っちゃってるかな。こういうふうに思わせたら勝ちだな、とか考えてる部分はあります。

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くるり、スーパーカー、ナンバガ(ナンバーガール)っていう俺が高校の頃いちばん聴いてたもの、つまり思春期とシーンがマッチした頃の音楽(中略)あの人たちの歌詞がいちばん感動できた。わかりにくいと思ったことはいっさいなかったです。(夏目)


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じゃあ、ひとつだけ代表的なサンプルとして“なんだかやれそう”について細かく訊かせてもらっていいですか。 じゃあ、まず「なんだかやれそう」ってことは、歌ってるキャラクターの認識、もしくは、世間一般の認識として「やれないんじゃね?」っていうのが前提にあるってことだよね?

メンバー:はははは!

夏目:まあ、そうですね(笑)。

ということは、この歌は、乱暴に言うと、世の中全体に蔓延しているシニカルなムード、もしくは、本人のネガティヴなフィーリングを歌った曲ということになる。

メンバー:あははは!

夏目:(笑)半分イエスです。

だよね? にもかかわらず、この曲のキャラクターは「やれそう/なんとなくいけそう」と歌う。「やれる!」ではない、曖昧なニュアンスの言葉を使っているということは、この作詞者である夏目君という人は「やる/やれる」と言いたい心持ちはあるが、それをそのまま言葉にすることでは「やれる」フィーリングをかたちにできないと思った、ということだよね?

夏目:まさしく。

となると、この曲というのは、今日話してもらったようなバンドのアティテュードをわかりやすく象徴してるよね。これ、いちばんアグレッシヴだし、ポジティヴでしょ?

メンバー:うん。

にもかからわず、拍子が奇数だし、アンサンブルもいちばんギリギリだし(笑)。つまり、ストレートなようでいて、やっぱり一筋縄ではいかない。すごくカラーは出てるよね。

藤村:うん、出てると思います。だって、「全部やっちゃえ!」って言って作ってたもんね。

夏目:そうそう。“なんだかやれそう”のアイディアは藤村が言ったんですよ。レコーディングの1回めの期間が終わったときに「パンクが足りない!」ってことになったんです。「もっとドーン!ってやるバンドじゃなかったっけ、俺たち?」 って。「シンプルでわかりやすいやつが欲しいし、そういうのがカッコイイよね」ってふうにメンバー内で話し合って、アンダートーンズとか、ひと通り聴いたりして、「これをやろう」ってことになりました。自分たちにもまわりにもない音だったし、いいんじゃないかと。しかし、どうするんだ、こんな恥ずかしいやつ(笑)?

藤村:そう(笑)。

夏目:「でも、なんだかやれそうだね!」って(笑)。

藤村:バンドのムードを盛り上げるためによく言ってたんですけど、「なんだかやれそう」って。そしたら、プロデューサーが、「それだ!」って言って。

(一同笑)

夏目:よく覚えてるんですけど、そしたら、俺たちの担当の柴崎さんが「なんだかやれそうだなあって気分がアンセムになったら、新しい時代かもしれない」って言ったんですよ(笑)。「よくわからないけど、じゃあ、ちょっとそれに付き合ってみるか!」ってことになりました。で、「どうせやるんなら全部やっちゃおう」って思って、最初はもうコード一発。俺らは頭にスネアが入る曲がほとんどなかったので、それもやってみようと。

藤村:前からやりたいとは言ってたんですよ。

夏目:でも、4(拍子)じゃつまらないから、ここから3にしよう、とか。

菅原:4はちょっとダルいし、長い。

藤村:しかも3×4(小節)じゃなくて、3×3なんだよね。

夏目:ああ、そうか。そこまでのアイディアだけ生まれて、藤村とふたりでスタジオ入って、やってましたね。「サビは4にしたい。じゃ、つなぎはどうする? 5でいこう」みたいな。

藤村:しかも、最初の3も、基本はストレートな曲だから、俺は8で叩いてるんですよ。8プラス1で叩いてたりする。

時代はよくない。でも、「そういう状況でどう遊ぶか?」というのがいちばん大切なところです。「楽しそうに遊んでるところにはみんな寄ってくるはずだ」という気持ちがあって。だから、なるべく大胆に遊びたいとは思ってますね。(夏目)

はいはいはい。なるほど。じゃあ、今日はいろいろと話すなかで、普段よりも自分たちについて分析的で客観的になってもらったと思うんだけど、その上で、ではシャムキャッツというバンドや、この『たからじま』という作品は、この2012年の年末の日本のどういう状況や気分に対するリアクションであり、どういうかたちのカウンターになると思うか。それをできるだけ風呂敷を広げたかたちで、できるだけ細かく、教えてください。

夏目:なるほど(笑)。

菅原:難しいなー(笑)。

夏目:時代的なことで言えば、悪くないと思ってるんですよ。というか、時代はよくない。でも、おもしろいなとは思っていて。これだけいろいろなことがあって、これだけクソみたいな状態なのに、経済的には豊かな国ってないなと思って。社会的な問題にしろ、いろんな要素がありすぎて、むしろこんなときに20代を送れるのは恵まれてるなと思ったりもするんですよ。ただ、状況を変えていけるか、良くしていけるか、ということになると、全然ヴィジョンがない。「おそらくつぶれるだろう」と思ってますね。「でも、そういう状況でどう遊ぶか?」というのがいちばん大切なところです。「楽しそうに遊んでるところにはみんな寄ってくるはずだ」という気持ちがあって。だから、なるべく大胆に遊びたいとは思ってますね。その意味で、このアルバムは「遊んだなあ」と思います。その分、わかりにくくはなったけど。......って感じ、あるよね?

菅原:うん。あるね。

例えば、ここ最近、若い世代が久しぶりに公務員志向を強めた、とか言うじゃない? で、若者が出歩かない。遊ばない。酒を飲まない、とかね。

夏目:それ全部やってるな。もっと遊んだほうがいいですね。僕、昔から若者の仕事って遊ぶことだと思ってて。バカみたいに金使って。親から巻き上げてもなんでもいいから、金使って遊ぶっていうのが若者の役割だと思うんですよ。「どうやって遊ぼうかな、どうやって遊ぶ人を増やそうかな?」って感じはすごくあるしね。お金なくても、全然怖くないしね?

菅原:そう、なんかもっと、自由にみんな生きたらいいのになって思いますね。

ここ1~2年ですごく感じることなんだけど、自分の世代は、60年代後半の社会の動乱とか、そのなかで芽生えたものとかへの憧れがいちばんあった世代なわけ。だから、「自由」って言葉に対しても最上級の憧れがあったのね。面倒くさいしがらみ――地縁みたいなものもすごく強かった。特に俺なんて大阪の育ちだから。それに社会的な制約も大きかった。だから、自由ほどすばらしい概念はないって思ってたんだけど、ここ最近はさ、自由って言葉は状態じゃなくて、人の性質を表すような使われ方をするよね。「ごめんなさい! この子ほんと自由なんで!」みたいなさ。場を読まない、ものがわかってないってことを表す言葉になっちゃってる。それは多分にいまの社会のものの見方を反映していると思ってて。

夏目:たしかに。......でも、自由のほうがいいね。

メンバー一同:うん。

夏目:音楽のフィールドに関して言えば、エモーショナルなものとか、ジャンルに特化したものは、わかりやすいですよね。インディーズからメジャーに上がっていって、みんなが知るようになる。でも、そのヴァリエーションが少なすぎて――さっき言ってたみたいに、エモーショナルなものでいっぱいになってしまう。下からもたぶんそういうものしか上がってこないように見えてるかもしれないけど、「90年代のポップスの雰囲気を大きなフィールドでやれる可能性はあるぞ」と。そういうことはちょっとだけ見せられたかな、という気はします。それが希望だし、「なんだかやれそう」ってことですね。

藤村:僕個人としては、このコミュニティはけっこう理想に近いと思ってまして。「政治や他のコミュニティのあり方も、こうすればいいのにな」って。そういうことを伝えたい。

菅原:ふたりの話につながりますけど、俺は最近、この社会にあってすごく居心地が悪いですね。でも、4人でやってる楽しさを世に出していくってことをやりたい(笑)。

夏目:同じことを言ってる(笑)! 何だろうなあ。俺とかからすると、20歳を超えるまで、思春期の間、「この世は暗いんだぞ」っていうパンチをずっと食らい続けてきたっていうイメージがあって。サリン事件あり、阪神大震災あり、911あり、リーマンショックあり。音楽的にも大学ん時にレディオヘッドがあって。「うわ、暗いパンチ来たよ!」って感じだったよね。でも、昔に比べればよくなってると思うんですよ。高校くらいの頃とかは「日本ってあんまりおもしろくないな」って思ってたんですけど、いまはちょっとおもしろい。

藤村:内閣がどんどん変わりますよね。それ、ほんと変じゃない? あれがすごく変だなって感覚が僕らの世代にはあると思うんですよ。なんで一度リーダーを決めたら、そのリーダーをサポートしないのか? いろいろ難しいんだと思うんですけど、そうしないと何も進まない。バンドも同じで、みんなで船を漕ぐような姿を見せられればいいと思う。

夏目:何か価値観を提示したのかなあ? 『たからじま』ってアルバムってさ。

でも、『たからじま』っていうタイトルだけでも、明確なアティチュードがあると思うけど。「どこかに宝があるはずだ」「で、探すんだ」ってことなわけだから。だって、いまはみんな、『青い鳥』みたいな話が大好きじゃない。

夏目:でも、まあ、男の子4人揃ったらね、アドヴェンチャーしないとね(笑)。

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ライヴ情報

■2013.1.29(火)
“月刊ウォンブ! 創刊号・初めてのウォンブ!”
渋谷WOMB
開場19:00 / 開演19:30
前売2,000円(1ドリンク別) / 当日2,500円(1ドリンク別)
●出演
シャムキャッツ / Alfred Beach Sandal / ミツメ 他
DJ:BIOMAN / マイケルJフォクス
●問い合わせ
渋谷WOMB tel:03-5459-0039

■2013.2.3(土)
“節分のMEME TOKYO FESTIVAL 2013″
渋谷WWW
開場17:30 / 開演18:00
前売3,300円(1ドリンク別) / 当日3,800円(1ドリンク別)
●出演
シャムキャッツ / でんぱ組.inc / かせきさいだぁ /
スペシャルゲスト(※2/1発表) / AIZENN(オープニングアクト)
●チケット
e+, ローソン(77549)
※プレイガイドは1/19発売開始
●問い合わせ
渋谷WWW tel:03-5458-7685
※本公演ではチケットのメール予約は受け付けておりません。

■2013.2.9(土)
“シャムキャッツ NEW ALBUM『たからじま』リリースツアー in 埼玉”
埼玉 熊谷MORTAR RECORD 2F
開場18:30 / 開演19:00
SOLD OUT
●出演
シャムキャッツ / ミツメ / 平賀さち枝
●問い合わせ
埼玉 熊谷MORTAR RECORD tel:048-526-6869
Thank You Sold Out.
※本公演ではチケットのメール予約は受け付けておりません。

■2013.2.15(金)
“シャムキャッツ NEW ALBUM『たからじま』リリースツアー in 愛媛”
愛媛 松山Bar Caezar
前売2,500円(1ドリンク付) / 当日3,000円(1ドリンク付)
●出演
シャムキャッツ / Coelacanth 他
DJ : Nori(ROCK TRIBE) / KondoROCK TRIBE
●問い合わせ
松山Bar Caezar tel:089-932-7644
ライブの予約はこちらから!

■2013.2.16(土)
“シャムキャッツ NEW ALBUM『たからじま』リリースツアー in 福岡”
福岡 薬院Utero
開場18:00 / 開演18:30
前売2,000円(1ドリンク別) / 当日2,500円(1ドリンク別)
●出演
シャムキャッツ / H Mountains / ライスボウル 他
●問い合わせ
福岡 薬院Utero tel:092-201-0553
ライブの予約はこちらから!

■2013.2.17(日)
“シャムキャッツ NEW ALBUM『たからじま』リリースツアー in 熊本”
熊本NAVARO
開場20:00 / 開演20:30
前売1,800円(1ドリンク別) / 当日2,000円(1ドリンク別)
●出演
シャムキャッツ / H Mountains / Doit Science 他
●問い合わせ
熊本NAVARO tel:096-352-1200
ライブの予約はこちらから!

■2013.2.27(水)
“シャムキャッツ NEW ALBUM『たからじま』リリースツアー in 愛知”
愛知 鶴舞K.D ハポン
開場19:30 / 開演20:00
前売2,000円(1ドリンク別) / 当日2,300円(1ドリンク別)
●出演
シャムキャッツ (ワンマン)
●問い合わせ
愛知 鶴舞K.D ハポン tel:052-251-0324
ライブの予約はこちらから!

■2013.2.28(木)
“シャムキャッツ NEW ALBUM『たからじま』リリースツアー in 京都”
京都磔磔
開場18:00 / 開演19:00
前売2,500円(1ドリンク別) / 当日2,800円(1ドリンク別)
●出演
シャムキャッツ / Turntable Films
●チケット
ぴあ(190-931)
※当日の入場順はプレイガイド購入者→メール予約となります
●問い合わせ
京都磔磔 tel:075-351-1321
ライブの予約はこちらから!

■2013.3.1(金)
“シャムキャッツ NEW ALBUM『たからじま』リリースツアー in 大阪”
大阪 十三ファンダンゴ
開場18:00/開演18:30
前売2,500円(1ドリンク別) / 当日2,800円(1ドリンク別)
●出演
シャムキャッツ / 昆虫キッズ / The Cigavettes / どついたるねん
●チケット
e+, ローソン(53206)
※当日の入場順はプレイガイド購入者→メール予約となります
●問い合わせ
大阪 十三ファンダンゴ tel:06-6308-1621
ライブの予約はこちらから!

■2013.3.8(金)
“シャムキャッツ NEW ALBUM『たからじま』リリースツアーファイナル ワンマンライブ”
代官山UNIT
開場18:30 / 開演19:30
前売2,800円(1ドリンク別) / 当日未定
●出演
シャムキャッツ (ワンマン)
●チケット
e+, ローソン(76345)
※プレイガイドは1/11発売開始
※当日の入場順はプレイガイド購入者→メール予約となります
●問い合わせ
代官山UNIT tel:03-5459-8630

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