「Noton」と一致するもの

Warp Records - ele-king

 ソフト・ブレグジットかハード・ブレグジットか――EU離脱の行方を占うUKの総選挙が、本日6月8日7時(日本時間8日15時)から始まっている。先月からM.I.Aやジェイムス・ブレイクが有権者登録を呼びかけたり、グライムMCのAJトレイシーが労働党のビデオに出演してコービンへの支持を表明したり(そこで彼はNHSについて「UKの宝のひとつ」と発言している)、すでにさまざまなミュージシャンがアクションを起こしているが、ここへきてなんと、エレクトロニック・ミュージックの名門レーベル〈Warp〉が、Twitterにて異例の呼びかけをおこなった。

もしあなたがUKにいるのなら、どうか今日は外へ出て投票権を行使してください。1票を無駄にしないで。 #GE2017

 アーティスト個人が自身の政治的見解を表明するのは(海外では)よくあることだけれど、レーベルがこんなメッセージをツイートするのはイレギュラーな事態だと言っていいだろう。昨年の国民投票のときは〈Hyperdub〉が残留への投票を促すツイートをポストしていたが、今年は〈Warp〉が燃えている。
 ミュージック・ラヴァーならよくご存じのように、〈Warp〉はけっしてポリティカルな事柄に重きを置くレーベルではない。メッセージよりもサウンドの冒険を追究するのがかれらのスタンスである。そんなレーベルがいまこのような呼びかけをおこなうくらいなのだから、UKの人びとにとって今回の総選挙は相当に重要な意味を帯びているのだ(『NME』は連日コービンの動向を報じているし)。
 投票が締め切られるのは8日22時(日本時間9日6時)。労働党の猛追やいかに。

Nick Hakim - ele-king

 ニック・ハキムの名前を初めて目にしたのは、2014年の秋に発表されたジャイルス・ピーターソンのコンピ『ブラウンズウッド・バブラーズ 11』でだった。このシリーズはまだ無名に近いアーティストやブレイク前の注目株を発掘していくことでも定評が高いのだが、ここではムーンチャイルド、ゴー・ゴー・ペンギン、アル・ドブソン・ジュニア、フォテイ、ジェイムズ・ティルマンなどの作品とともに、ニック・ハキムの“アイ・ドント・ノウ”という曲が収録された。ギターの弾き語りやピアノをバックに切々と歌うインディ・フォーク調のこの曲は、同年夏に発表されたEP「ホエア・ウィル・ウィ・ゴー」の第2集からピックアップされた。自主制作となるこのEP第1集と第2集は、彼の実質的なデビュー作品となるもので、後にカップリングされてアルバム形式でもリリースされている。

 ワシントンDC生まれで、その後ブルックリンに引っ越し活動をおこなうニック・ハキムは、マルチ・インストゥルメンタリスト、プロデューサー、シンガー・ソングライターと多彩な顔を持つ。白人だがブラック・ミュージックからの影響も強く、マーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、マッドリブ、MFドゥームなどを聴いてきた。一方では、両親の影響で南米のフォークに親しみ(両親は南米系の血筋のようだ)、兄の影響でザ・クラッシュから地元ワシントンDCのフガジやバッド・ブレインズなどパンクにも触れてきた。そうした中から自身の音楽性を育んで、ボストンのバークリー音楽院に進んで本格的に作曲や音楽制作を学び、在学中に前述の「ホエア・ウィル・ウィ・ゴー」をひとりでコツコツと制作していった。卒業後にブルックリンに出てきてからは、同じ白人の女性シンガー・ソングライターのエミリー・キングと一緒にツアーをおこなうなど、ソウルとフォークの中間に位置するようなアーティストと言える。そして、ブルックリンに出てきて書き溜めた楽曲をもとに、正式なデビュー・アルバムとなる本作『グリーン・ツインズ』を完成させた。

 ニック自身は『グリーン・ツインズ』について、「RZAがポーティスヘッドのアルバムをプロデュースしてたら、どんなサウンドになっていただろうかと想像したかったんだ。フィル・スペクターとアル・グリーンの“バック・アップ・トレイン”、RZAとアウトキャストのドラムのプログラミングをエンジニアリングのテクニックで実験したんだ。あとはザ・インプレッション、ジョン・レノン、ウータン、マッドリブ、スクリーミング・ジェイ・ホーキンスをたくさん聴いたよ」と述べている。それに加えて個人的にはシュギー・オーティス、ロバート・ワイアット、ルイス・テイラー、初期のデヴィッド・ボウイなどを彷彿とさせる曲が並んでいるなと感じた。リズム・ボックスによるローファイ・サウンドの“ローラー・スケーツ”は、スライ・ストーンからシュギー・オーティスへと繋がるようなラインで、“ベット・シー・ルックス・ライク・ユー”はカーティスのザ・インプレッションズのようなスウィート・ソウル風。フォーキーなサウンドの中にサイケデリック感を湛えた表題曲の“グリーン・ツインズ”や“カフド”は、ロバート・ワイアットやシド・バレット、『スペース・オディティ』の頃のデヴィッド・ボウイを思い起こさせる。ドゥー・ワップからカーティスの影響を感じさせるファルセット気味で歌いながら、ときにボウイがやっていたようなバリトンの低音も聴かせる。あと、セールス・ノートではマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのことも引き合いに出されていたのだが、“TYAF”にそうした要素があるとともに、この曲にはニックが幼い頃に聴いたパンクの影響もあるだろう。“ゾーズ・デイズ”はマーヴィン・ゲイ的なソウル・マナーに基づくが、アブストラクトでサイケな味付けがルイス・テイラー的と言えよう。“ザ・ウォント”や“JP”など切々と訴えかける曲は、ジョン・レノンやロバート・ワイアットのようなアーティストと同じ匂いを感じさせる。

 EPデビュー時からつきあいのあるアンドリュー・サルロが共同プロデュースをするほか、本作もほぼニックひとりで作曲・演奏・制作・録音をおこなっている。ミックスはサルロがおこなっており、ざっくりとラグドなローファイ・サウンドが基調だが、ビートはずっしりと重みのあるものとしている。ジャジーなサックスをフィーチャーした“ミス・チュー”のダウナー感覚、「RZAがポーティスヘッドのアルバムをプロデュースしてたら」という言葉を思わせる“ファーミスプリーズ”で、そうしたサルロのミックスが生かされている。「RZAとアウトキャストのドラムのプログラミングをエンジニアリングのテクニックで実験したんだ」というのは、“JP”のような曲を指すのだろうか。そして、シューゲイズの手法によるサイケデリックな音響効果が全面に張り巡らされているため、“ベット・シー・ルックス・ライク・ユー”や“ニーディー・ビーズ”のように甘い曲でも、幻覚のような肌触りを感じさせる。グロテスクなジャケットで損している感の『グリーン・ツインズ』だが、ニック・ハキムのシンガー・ソングライターとしての技量と、絶妙な音響効果や録音・編集作業が結びつき、2017年の男性アーティストの作品としてはサンファの『プロセス』と並ぶ傑作が生まれた。

ハテナ・フランセ - ele-king

 ご存知の通り5月7日フランスの大統領選は決戦投票の結果エマニュエル・マクロンが大統領に選ばれた。その選挙戦について振り返りたく。

 まずは今回の大統領選があらゆる段階で番狂わせだったということから。マクロンがオランド政権時に経財相を辞任し自らの党を立ち上げた時は誰も彼が大統領になるなどと想像していなかった。オランド政権が史上最低の支持率を記録し2期目を諦めた時、フランスのこれまでの大統領選の流れだと、左派政権の政治に国民が不満を抱くと次期は右派政権に移る、という右派左派交互の政権の移り変わりが常だった。オランドのあまりの不人気に左派でさえ次は右派が政権を握る以外考えられないという状況になった。450万人というとてもいいスコアの投票の結果、右派予備選ではフランソワ・フィヨンが当選した。事前の予想では中道寄りアラン・ジュペが当選するとされていたが、ここに1つ目の番狂わせが。右派の中でもばっちり右寄り非常に保守的なフィヨンは、中絶に反対するほどのゴリゴリのカソリックで伝統主義者。保守的なブルジョア層に支持されていた。左派社会党の予備選は票が割れ、結果社会党の中でももっとも左寄りのブノワ・アモンが当選した。だが彼のカリスマ性の欠如からか政策からか社会党の党員からも「選挙ではマクロンに投票する」という裏切者も出る始末。社会党支持者はフィヨン対マリン・ルペンという悪夢のような大統領選決選投票を想像し身震いしたようだった。

 ところが大統領選が本格化すると、なんとフランソワ・フィヨンが妻と子供をスタッフとして雇用した給与不正疑惑でどんどん支持率を下げ沈没。左派は脱EU、大統領の権限を弱めるといったフランスの現状を大きく変えるような公約を掲げる極左政党左翼党首ジャン=リュック・メランションがアモンを追い上げた。メランションはエゴ肥大のきらいがあるほどカリスマ性が強く、同時に2箇所で政治集会を催し1箇所ではホログラムで登場するなど、左派にしては派手でアクが強く、そこが従来からの左派インテリには押しつけがましいと嫌われる原因となり左派も今ひとつまとまり切れず。結局左派、右派のこぼれた支持者を持って行ったエマニュエル・マクロンと大方の予想通り極右政党国民戦線のマリン・ルペンが決選投票に残った。
 フランス政界の色物としてガヤ担当であった父のジャン=マリー・ルペンが決選投票に残った2002年のフランス国民の驚愕と焦燥とは打って変わって、マリン・ルペンが決選投票に残ることは、フランスの”良心的”な人の間では不本意ながら織り込み済みだった。本名のマリオンではなくフランスのお国カラーであるマリン・ブルーのマリンに名前を変えるイメージ戦略を持てるマリン・ルペンは、自身や国民戦線をフランス政治に介入する思想を持ち得る政治家であり政党であるとちゃんとマーケティングする能力を持っていた。

 ブルジョワ階級出身で元投資銀行員のマクロンは、子供たちを相手にしたC8という局の番組に出演した時に、フランスの標語である「自由・平等・博愛」を引き合いに出し、右派は国民の自由を尊重し不平等には目を瞑る、左派は人々の平等に重きを置き、それに伴う不自由さは仕方なしとする「僕の主義はその両方を少しずつ足して博愛を目指す」と主張した。うまくまとまってはいるが、本当のところよくわからない主張がマクロンのイメージそのもののようだった。
 ゴシップ誌は一時、国営ラジオ局のCOEを務める40歳の濃厚イケメン、マチュー・ガレがマクロンの本当の恋人であると書き立てた。その前からインテリ層でも保守層でも、マクロンがマザコンでホモセクシャル、もしくはバイセクシャルであることはまことしやかに語られていたらしい。このことは当然、妻のブリジットが25歳年上であることからくる噂話だったが、保守層はオープンにさえしなければ見なかったことにするし、オープンな考えを持つ層は逆に夫が25歳年上だったらそんな噂さえ立たないはず、と怒りの矛先をポリティカリーコレクトネスに向けたので、特にマクロンのマイナスにはならなかったようだ。

 結果66%超えの得票率でエマニュエル・マクロンが大統領に当選した。だが史上最年少や既成政党外候補など、革新的要素があるにも関わらず、今回の選挙戦は真っ最中も結果が出たあとも盛り上がりに欠けた、という印象が拭えない。私の周りは左派的思想の人が多かったが、そうでない層でも多くの人の不満の内容は「最悪の結果を避けるために自分が支持してない人に投票するのはもううんざり」というようなものが多かった気がする。

 フランスでは国民に政治参加意識が全般的に強い。大統領からして自分たちの投票が直接結果になる繋がるシステムだし、政府が新たな法案を通そうとした時にデモが起き(まあ大抵の場合起きる)、その規模が大きければその法案は引っ込められたりする。だから、デモに参加するのもしないのも自分の政治的意思表示であり、皆意味のある行為としてけっこう真剣に捉えている。そんなフランス人からすると自分の意思が反映されない消去法での投票は我慢ならないのだろう。そんな不満たらたらの国民もマクロンの内閣組閣にはほぼ満足のようだ。内閣中50%を女性にし、なおかつオランド政権より重要なポストに女性を配置。左派、右派のバランスも良く経済系は右派、労働系は左派、そしてそれぞれの分野の専門家をポストにつけるなど、メランションが挑発的に「ずる賢い」と評価するほどの組閣ぶり。そして目玉は国務大臣兼環境移行・連帯大臣という重要なポストに環境保護活動家ニコラ・ユロを引っ張ってくることができたことだろう。ミッテラン時代から大臣にと請われては断り続けてきたユロがおそらくタイミングが合ったという理由で大臣職に着いたことは大きな売りになる。フランス議会総選挙を6月に控えて第一関門はクリアといった感のあるこの政権が、文句の多いフランス国民のお眼鏡にかなう政治が本当にできるのか、投票権のない私もじっくりと見ていきたい。

美しい星 - ele-king

 『桐島、部活やめるってよ』や『紙の月』の吉田大八監督が三島由紀夫唯一のSF小説『美しい星』(1962)を映画化。

 舞台は東北大震災、福島原発事故後の現代に替えてあるものの、想像以上に原作に忠実であり、三島由紀夫が当時発したメッセージを現代に移し替えることに成功していた。

 1月というのに夏日が続くある日、中年気象予報士の重一郎(リリー・フランキー)は自分が火星人であると気づく。時を同じくして、彼の息子(亀梨和也)は水星人、娘(橋本愛)は金星人だとそれぞれ目覚め、つまり、地球人の妻(中嶋朋子)を含め、4人家族が違う星を故郷とする宇宙人となってしまうのだ。こうした設定のすべてはドタバタコメディだ。リリー・フランキーの貧弱な身体を駆使した素晴らしい演技に何度も唸ってしまう。ちなみに原作では妻は木星人だが、これを地球人にしたことは、何も彼女だけは汚れない正気で、異変に揺らぐ家族を癒しに導くため、などと言う最近ありがちな設定ではまったくない。地球人の彼女は、遥か上空の宇宙を偲ぶ家族同様、この水の星の数千キロの深海から汲み出した特別な「美しい水」に魅せられる。それはありふれたマルチ商法で、UFOにはまる夫や「金星人の子を宿す」娘と共に、(観客からは見える)本当の故郷を見失っている。そして、偶然知り合った宇宙人同士で、異常気象の続く地球、化石文明が破壊した地球環境を見て、人類は滅びてもいいのではないかと議論するのだ。

 愛国、憂国の徒として知られるミシマのこの、「わが星」への視座は興味深く示唆的だ。わが星にいながら、異星人の目で「ここ」を見る。「宇宙連合」の複数の星が地球の近隣にはあることが、地球の条件なのだ。

 こうした文明批評は、原作が書かれた62年には米ソの核戦争前夜の危機感があったが、この映画では福島原発事故後、解決不可能な放射能への危機感がある。人類・文明の危機を叫ぶ重一郎は初めはテレビスターとなってもてはやされるが、発言が過激になってくると職を失い、孤立し、癌に侵される。これはまるっきり、3.11後の反原発運動そのままだ。あるいは避難先で謂れないいじめに遭う被災者の孤独も連想させられる。

 「この星の美しさとは何か?」と問われ、重一郎は「すべての自然だ」と答える。その自然を破壊してきた人類は地球の敵であり、いま滅んでも100万年もすれば違う地球人が違う文明を作るのだから、いまの人類はこのまま滅んでもいいではないか、などという議論がある。「すべての自然」が美しいのだ、地球人は生活を変えなければなれないと力説していた重一郎が、意識朦朧とする中、ネオンの光が溢れる景色を「美しい」とつぶやくシーンが私は好きだ。そして、そこから続く原始の森=原子の森への強行突破、野生化した家畜に乗せられて火星に還って行くまでの幻想的なシーンは忘れがたい。

 3.11の災害後、多くの作品が作られてきた。直接的な言及はなくても「癒し」や「家族」をテーマにした日本映画はかつてなく増えているように感じる。そんな中、成島出監督『草原の椅子』('13)や廣木隆監督『さよなら歌舞伎町』('14)のように「絆」の押し付けへの違和感を振り返るような作品、あるいは堤幸彦監督『天空の蜂』('15)のような原発へのハードなアプローチのものも出てきている。そしてこの『美しい星』は、未だ置き去りにされたままの被災者に寄り添った視線で作られている。科学的知識はなく、頼りない情報にいつだって翻弄され、家族の「絆」は普通に脆弱な、最もカッコ悪い普通の人たちだ。あの原発事故は、そうした人たちを国会前に引きずり出したのだ。国会に、マスコミに、学者やジャーナリストが手招きするまま、不安を訴えていた。より良い生き方について、どれほど考えてきただろう。それなのに、避難先ではいじめられ、故郷を捨てるなど簡単なはずだと大臣に喝破される。初めは寄ってきていたジャーナリストたちも少しずつ減り始め、当時と同様に放射能の恐怖を訴えることはもはや愚かな変人なのだと言われてしまう。なんという事態だ。リリー・フランキーが演じる重一郎は、或る日突然、火星人になる。その火星人の目で見える景色こそ、復興大臣に厄介者扱いされる一人の被災者からのものなのだ。その行動は突飛、発言は極端でまともに話はできないと、美しい地球の人たちは感じるだろう。未だ恐怖を感じている被災者とそうでないものたちは、もはや異星人同士のように違うものを見ている。このすれ違いによって起こる悲喜劇は、現実の日本そのもの。母=妻を唯一の地球人にしたことは、見終えてから次第に大きな意味を想像させている。

 ミシマの原作は、地球の未来について宇宙人たちの率直な議論が続くことで、当時、議論小説とも称されたそうだ。「議論」はこの映画にもあるが、小説よりはずっと簡略化されている。その部分も含め、後を引く作品だ。


予告編

Nite Jewel - ele-king

 ナイト・ジュエルことラモーナ・ゴンザレスの2016年の活動を見ると、まず彼女の名を一躍広めた傑作アルバム『ワン・セカンド・オブ・ラヴ』(2012年)から4年ぶりの通算3作目『リキッド・クール』があったわけだが、そのリリースを挟む形でラッパーのドループ・E(US西海岸のラッパーの始祖的存在であるE-40ことアール・スティーヴンスの息子)とAMTHSというヒップホップ・ユニットをやっていたかと思うと、長年に渡って協力関係にあるデイム・ファンクと、ナイト・ファンクというシンセ・ファンク~モダン・ブギーのユニットでEPをリリースし、とても充実した1年だったと言える。2017年に入っても、ヒップホップのビートメイカーであるエルーシヴがジャズに挑戦した『フュージョン・スウィング』に参加し、オマー・Sのディープ・ハウス“コンフェス・トゥ・U”にフィーチャーされるなど、ますますレンジの広い活動をおこなっている。そうした中、『リキッド・クール』から1年という比較的短いインターヴァルで新作『リアル・ハイ』がリリースされた。

 〈イタリアンズ・ドゥ・イット・ベター〉、〈セクレタリー・カナディアン〉、〈メキシカン・サマー〉など、さまざまなレーベルから作品を出すナイト・ジュエルだが、今回は『リキッド・クール』に引き続いて自身のレーベルである〈グロリエッテ〉からのリリースである。ラモーナの夫でデビュー以降一貫して共同制作をおこなうコール・M.G.N.がプロデュース、作曲、ミックスなどでサポートするほか、デイム・ファンク、ジュリア・ホルター、ドループ・Eなど彼女のコラボレーターたちが揃って参加している。アリエル・ピンク、サンプスからベックの作品にまで関わるコールは、デイム・ファンクとスヌープ・ドッグのコラボから、ナイト・ファンク、ジュリア・ホルターの作品にもプロデューサーとして関与しており、そんな関係の深い面々が集まったアルバムである。『ワン・セカンド・オブ・ラヴ』の頃はチルウェイヴの一種とも見なされ、シンセ・ポップ系からアコースティック系作品までやっていたのだが、『リキッド・クール』ではそのシンセ・ポップにグッと寄った作風となっており、またデイム・ファンクとの交流からシンセ・ファンク調の作品も増えていた。『リアル・ハイ』はそうした路線をさらに推し進め、またポップ・センスにさらに磨きを掛けている。

 デイム・ファンクがギター・シンセで参加した“ハドゥ・トゥ・レット・ミー・ゴー”は、AOR風味のメロウなシンセ・ブギーで、ラモーナのソフトで優しい歌声をうまく生かした作品である。現在であればライやインクなどに通じる作品であり、シャーデーからの影響も伺えるだろう。“2・グッド・2・ビー・トゥルー”も同系の80sタッチのシンセ・ブギーながら、よりダンサブルな曲となっている。こうしたダンス・トラックは、やはりナイト・ジュエルでの経験が反映されているのだろう。“ジ・アンサー”は〈イタリアンズ・ドゥ・イット・ベター〉での仲間にあたるクロマティックスに近いシンセ・ディスコで、“アイ・ドント・ノウ”も1980年代のシンセ・ポップの雰囲気を落とし込んだ作品。ジュリア・ホルターがバック・コーラスをとる“ホエン・アイ・ディサイド(イッツ・オールイト)”は、両者の共通の持ち味である浮遊感を感じさせる仕上がりとなっている。そして、“フー・U・R”、“パート・オブ・ミー”、“オブセッション”といったスローなオルタナ系R&Bナンバーでの憂いに満ちた歌、タイトル曲“リアル・ハイ”における幻想的な歌は、ラモーナがシンガーとしてひと回りもふた回りも成長したことを告げている。ナイト・ジュエルの魅力は、やはり何と言ってもラモーナの透明で情感豊かな歌なのである。『ワン・セカンド・オブ・ラヴ』や『リキッド・クール』の内容もさらに超えた、現時点でナイト・ジュエルの最高傑作と呼ぶにふさわしい作品と言える。

Captain Ska - ele-king

 総選挙を前にしたUKで、キャプテン・スカなるレゲエ・バンドが、直球の反緊縮/テリーザ・メイ首相批判の曲を発表、それがiTUNESチャートで1位、その他チャートでも急上昇と話題になっている。


 政治家が嘘つきなのはみんなが知っている/嘘ではないのは彼らが強者で安定していること/私たちはまた騙される/看護婦は飢えて学校は減る/私は壊れたこの国を認めない/貧乏人ではなく金持ちを切れ
 
 このキャプテン・スカとは何者であろう。インディペンデントによれば、ロンドン在住のセッション・ミュージシャンで、ザ・ストリーツやヴァンパイア・ウィークエンドなんかとも一緒にやっているとか。
 同曲のオリジナル・リリースは2010年で、当時はUKレゲエ・チャートでNo.1。今回は2017年ヴァージョン。
 往年のザ・スペシャルズを思い出すかのようなこの快挙、音楽はみんなが思っていることを代弁する──のである! 

 この2週間の間に、アトランタとアセンスのバンドを2回観た。どちらも15年以上活動しているベテランで、サウンドも違えば、スタイル、お客さんも違うのだが、アメリカのサウスに住み、音楽を作り続ける彼らについては感じることがある。

 アトランタのディアハンターは、キングス・オブ・レオンとのツアーのオープンで大忙しの合間に、自分たちがヘッドライナーのショーを行った。共演は、同じアトランタのロック・バンド、ジョック・ギャングと、元フェアリー・ファーナシスのエレノア・フライドバーガー。
 会場は、ブルックリンはグリーンポイントにあるワルシャワ。
 この会場は、ポーリッシュ・ナショナル・ホーム(公民館のような役割)の一部にあり、ポーリッシュ・ビール、ピエロギやキルバサなどのポーリッシュ・フードが食べられる。NYに居ながら、ポーランドの雰囲気が楽しめるわけだ。500規模のこの会場、当日はソールドアウトで、20代から40代までのピンポイントな層でいっぱい。みんな目をキラキラさせていた。

 さて、ステージに大きなキャンバスを設置し、キャップを被り、サスペンダーをし、まるでペインターないでたちの、ディアハンターのブラッドフォード・コックスが登場する。その後、エレノア・フライドバーガーが登場し、アカペラで歌を歌いはじめる。ブラッドフォードが好きな曲を、エレノアが歌い、その間に彼が絵を描くと言う新スタイルを展開。パステルカラーを使い、抽象的な絵を描く間、エレノアは歌い続ける。子供の音楽番組を見ているようだったが、物販テーブルには、ブラッドフォードの絵もキチンと売っていた(大$20、中$10、小$5)。

 この日のディアハンターは、かなりご機嫌だった。「NYに来たら、ついつい喋っちゃうんだよね」と言いながら、ブラッドフォードはどんどん飛ばす。この日は、ツインピークスの放送の日だったというのに(アメリカ人には大切な日なのだ)、僕らのショーに来てくれてありがとう──という言葉からはじまり、彼が初めて人前で演奏した曲が(何かのコンテスト)、ツインピークスのテーマ曲で、結局落選した、と喋った。「嘘だと思うなら、お母さんに聞いてみて」、と彼は本当にお母さんに電話する。お母さんも、初めは「??」な感じだったが、いかにブラッドフォードのことを愛しているか喋り、「あなたのことも好きだけど、あなたのファンはみんな好きよー」などと言って、会場を沸かせた。
 そんなアットホームな雰囲気のなか、古い曲と定番曲を混ぜ、びっちり2時間加速。彼らのショーは長い。最後の「nothing ever happened」ではお約束の20分程のジャムがをやって美しく終了。
 彼らはニュー・アルバムを出して、すでに4回ほどNYに来てるが、同じセットリストであろうがなかろうが、会場はつねにシンガロングするお客さんで溢れている。次も見たくなるバンドなのである。
 ブラッドフォードの突拍子もない行動が、良くも悪くも気になり、そのヒヤヒヤ感を求めているのかも知れないが……

 エルフパワーはアセンスで、ローファイ・サイケ・ロックを1995年から続けるベテラン・バンド。5月に13枚目(!)のアルバム『Twitching in Time』をリリースしたばかりだ。
 この日はメンバーも一新、胸キュンなハーモニーと安定した演奏は非の打ち所がなかった。R.E.Mやニュートラル・ミルク・ホテルとのツアーでは大会場で演奏した彼らにとって、ベイビーズは小さい会場だが、お客さんの声援が届く距離が心地良さそうだった。
 お客さんは、30代から50代までくらいの落ち着いた年齢層だったが、最後の方で、次のパーティのお客さんが紛れこんで(20代前半)、ノリノリで踊っていた。
 エルフパワーの曲にはまったくブレがなく、その変わらなさが、ホッとさせてくれる。1曲1曲、丁寧に説明するアンドリューは、淡々としているようで、筋の通った、熱い思いも感じさせる。
 「NYに戻って来れて嬉しい。この会場は、ショーは見たことあるけどプレイするのは初めて。いい会場だね」とご機嫌だった。
 23年間バンド活動を続け、いまでもこれだけ新鮮に、新しい音楽を作り続けることが出来る。アセンスという場所が関係しているのかも。まわりには有能なミュージシャンばかりで、常に創造的になれるし、NYのような甘い誘惑もない。
 オープニングのサン・ウォッチャーズは、元ダークミート、NYMPHのメンバーで構成される驚異のメンバーで、エルフパワーとはアセンス繋がり。サックスやギターをドライヴさせ、ジャジーでエチオピアンな、圧巻インプロを打ち鳴らすグループは、サックスとキーボードを同時に弾いたり、タイ・ギターが登場したり、実にテクニカルである。音楽は激しいのだが、個人個人はおっとりしていて、NY在住だがアセンスな雰囲気を保ち続けている、稀な存在だ。

 サウスの生活は、NYに比べるととてもスローで、コミュニティも小さく、毎日同じバーへ行き、同じ人に会う。もしくは、引きこもってひたすら音楽を作る。どちらのバンドにも言えるが、この生活とNYとのギャップが今回のステージ・パフォーマンスに表れているのかも、と思った。
 自分も生活したことがあるのだが、彼らの生活は本当にスローで、ひとつのことをするのにNYの3倍はかかる。何もしていない時間も多い。でも、これが彼らのパフォーマンスや音楽に、大いに活かされている。時間を感じさせないし、手を抜かない、無駄だと思うところまで考え抜かれている。そんな彼らが作る音楽だから、私たちは気になってしょうがないのだろう。
 来週はまた別のアセンスのバンド、ミュージック・テープスがブルックリンでショーをする。

Actress - ele-king

「認識のバイアス」が、近年、エレクトロニック・ミュージックの世界において地殻変動の只中にある。ビート、ベース、電子音、ノイズ、ヴォイス、サウンド。さまざまなサウンドが相互に浸透しあい、混じり合い、基調となる部分を融解し、振動し、浮遊している。いわゆる「ジャンル」が失効し無効になり、新しい「括り」が蠢き始める。じっさい、あるダンス・ミュージックは都市の猥雑なストリートで鳴っているだろうし、正反対に小奇麗なアートスペースで鳴っているものもあるだろう。クラシックの劇場でも鳴ってもいるものもあるだろうし、フロアで鳴っているものもあるだろう。インターネット上のクラウドでシェアされてもいるだろう。
 その共通感覚・イメージが拡散するような状況は、世界の無意識が変化しつつあることも体現している。共通するイメージに括れない状況/状態への生成変化。そして音楽は、いつも世界の無意識を表象するものだ。ジャンル、形式、演奏、黒人、白人、アジア人、女性、男性、国境、時間など、20世紀であればそれぞれのアイディンティティを示していたものの領域が融解し、変化し、認識の仕方を変えてしまう(それゆえのバックラッシュも起きる)。グローバリズム化ゆえの変化? あらゆる音楽が出尽くしたから? インターネットが世界と人間を覆いつくしたから? 新たな差異の表面化?
 むろん、そのどれもが当てはまるだろう。が、重要なことは「共有するイメージ」がもろもろの状況へと拡散した結果、感覚的なものが「残滓」のように漂ってきた点にある。例えば2010年代のインダストリアル/テクノは世界の荒廃をイメージした。そして、「個人」の匿名性は「荒廃」のイメージの中に消失した(ように思える)。そして「荒廃」というダークで感覚的なものの「残滓」になった。その「残滓」が現代のアンビエンスではないかと思う。現に世界は荒廃している。荒廃とは残滓の集積だ。

 アクトレス=ダレン・J・カニンガムのサウンドは、そのような「融解」と「荒廃」のサウンドトラックである。彼の音楽はエレクトロニック・ミュージックだが一定のイメージに固定していない。デトロイト・テクノ、ダブステップ、インダストリアル、ブラック・ミュージックなど、それぞれのジャンル、形式、さらにはネイション、ステートにも依拠せず、かといって宇宙などのイメージに飛翔するわけでもなく、ただ、ここにある「世界」と「インナースペース」の両極で鳴っている。だが、この「世界」の「荒廃」のムード(だけ)は確実に感じる。そう、「ジャンル」ではなく「ムード」を共有する感覚を得ること。それこそ10年代的な音楽感覚といえるのかもしれない。
 その意味で2010年のセカンド・アルバム『スプラッシュ』、続編的な2012年の『R.I.P』よりも、2008年のファースト・アルバム『ヘイジーヴィル』、そして2014年の『ゲットーヴィル』の方が、インダストリアル/テクノの状況を予言した(その衰退も含めて)先駆的なアルバムであったといえるのではないか。特に『ゲットーヴィル』は、リリース当時の評価は賛否があったと記憶しているが、発表後3年経ったいまだからこそ、2010年代のインダストリアル/テクノにおいて重要かつ先駆的なアルバムだったとわかるはずだ。
 3年ぶりの新作『AZD』もまた、『ヘイジーヴィル』、『ゲットーヴィル』に連なるSF的なイメージを展開している。いわば「アンドロイド/ポスト・ヒューマン」的な未来世界観である。酸性雨のムードに満ちた『ゲットーヴィル』から、人間以降の未来世界的な『AZD』へ?

 この“X22RME”を聴けばわかるが、本作ではデトロイト・テクノ、エレクトロ的なルーツが全面化しつつも、ビートがトラックの中心となるわけではなく、まるで環境音のひとつとして、いくつものノイズや電子音のなかに、シンプルに、スタティックに、ミニマルに鳴り続けている。ジューク/フットワーク、さらにはゴムなどに代表されるように近年のダンス・ミュージックが、ビートの輪郭線が強くなっていることを踏まえると(欧米圏以外のダンス・ミュージックがネット環境とともに知られてきたからこその現象だろう)、これは異例の事態といえる。
 言い換えれば、アクトレスは、テクノにおけるビートの意味性を問い直すかのようにトラックメイクしているのだ。ビートを否定しているわけではない。ビートとサウンドが、「環境」のように鳴り響くのだ。ここでも音楽の共通イメージがズラされ、ひとつの音楽的ジャンルに収まっていない。
 だからこそ、私には、アルバムを締め括るラスト3曲、アンビエントでビートレスな“フォーレ・イン・クローム”、ビートとサウンドによるサウンドスケープを形成する“ゼアズ・アン・エンジェル・イン・ザ・シャワー”、そして“ビザ”がひときわ重要なトラックに思えるのだ。ここにはアクトレス特有の湿った「荒廃」のアンビエンスがある。それはまるで工業地帯に降り注ぐ雨のようなエレクトロニック・ブルースのようにも思えたし、無機質なホワイトキューブに鳴っているサウンド・アートのようにも思えた。ここでも「認識のバイアス」が融解し、サウンドの「残滓」が漂っているのである。


Jane Weaver - ele-king

 ここ最近、個性派と言われる女性アーティストたちの作品が面白い。インタヴューでも取り上げられたフアナ・モリーナの『ヘイロー』があり、ステレオラブのレティシア・サディエールのユニットであるソース・アンサンブルの『ファインド・ミー・ファインディング・ユー』、ナイト・ジュエルの『リアル・ハイ』など、サウンドの種類は様々だが、力作が集中している。これからリリースされるローレル・ヘイローの『ダスト』もお勧めしたい作品だ。そして、ジェーン・ウィーヴァーの『モダン・コスモロジー』も、個人的に好きでよく聴く1枚である。ジェーン・ウィーヴァーはイギリスのリヴァプール出身のシンガー・ソングライター及びギタリストで、マンチェスターを拠点に活動している。フアナ・モリーナやレティシア・サディエール同様にキャリアは長く、1990年代にはキル・ローラというブリット・ポップ・グループで、2000年代はミスティ・ディクソンというフォークトロニカ系ユニットで活動していた。ソロ活動は1998年からおこなっており、アルバムは自身で主宰する〈バード〉というレーベルを中心に、コラボ作品やライブラリー作品など含め10枚近くリリースしている。ちなみに、この〈バード〉はバッドリー・ドローン・ボーイことダモン・ゴフとアンディ・ヴォーテルが運営する〈ツイステッド・ナーヴ〉傘下にあり、ウィーヴァーはヴォーテルの奥方でもある。

 ウィーヴァーのソロ初期作は、たとえばアコースティック系ポップス、インディ・フォーク、エクスペリメンタル・ロック、ネオ・クラシカルなどに分類されていたが、2014年リリースの『ザ・シルヴァー・グローブ』では作風が変化している。アンジェイ・ズラウスキー監督によるポーランドのSF映画『銀の惑星』から着想を得て、クラウト・ロック系のサイボトロンのメンバーから、バッドリー・ドローン・ボーイやデヴィッド・ホルムズなどが参加した作品となった。スペース・ロックの始祖のホークウィンドからサンプリングし、エレクトロニクスを大幅に取り入れたサイケ・ロック~スペース・ロックを展開している。アンディ・ヴォーテルによるリイシュー専門レーベルの〈ファインダーズ・キーパーズ〉と〈バード〉から共同リリースされ、ヴォーテルによるSF風の印象的なジャケットもあり、新作なのに1970年代のコズミック・サウンドを想起させる不思議なものだった。続く2015年作『ザ・アンバー・ライト』は、『ザ・シルヴァー・グローブ』収録曲のリミックスも交えた作品。ウィーヴァーはシンセ、ギター、パーカッション、ヴィブラフォン、ツィター、チューブラー・ベルズなどを操り、シンセ・ポップからタンジェリン・ドリーム風のアンビエントな作品までやっている。

 この最新作『モダン・コスモロジー』は、ペル・ウブなどの作品を発表するロンドンのインディ・レーベルの〈ファイア〉からのリリースだが、内容としては『ザ・シルヴァー・グローブ』と『ザ・アンバー・ライト』の路線を引き継いでいる。スウェーデンの抽象絵画のパイオニアであるヒルマ・アフ・クリントの名前から名付けられたスペース・ロックの“H>A>K”、そしてイタロ・コズミックの流れを汲むような“ディド・ユー・シー・バタフライズ?”という冒頭の2曲は、そうしたアルバムの色合いを端的に示している。“ジ・アーキテクト”もアシッドな質感のエレクトロ・ジャズ・ロックで、タイトル曲の“モダン・コスモロジー”はヴォーカルの質感も重なって、レティシア・サディエールやステレオラブの作品に通じるところもあるが、やはりここでも過剰なエフェクトがサイケデリックな効果を上げ、ロサンジェルスのピーキング・ライツあたりに近い作品だろう。“レイヴンズポイント”もエフェクティヴな1曲で、こちらはインド音楽のようなエキゾティックな旋律を持つ。“スロウ・モーション”はアルバム中でもっともポップな作品。“ザ・ライトニング・バック”とともに、ジュリア・ホルターやナイト・ジュエルなどのシンセ・ポップ系作品と言えるだろう。“ループス・イン・ザ・シークレット・ソサエティ”はアコースティック・ギターによるシンプルなフォーク・ロックだが、全体に1960年代のヒッピー・カルチャーやフラワー・ムーヴメントの薫りが漂う。“ヴァレー”もピンク・フロイドのアコースティックな作品に通じるムードを持ち、フォーク・ロック系の“アイ・ウィッシュ”はレトロな質感のエレクトロニクス処理により、独特のサイケデリアを生み出している。フアナ・モリーナはじめ冒頭に挙げた女性アーティストたちは、それぞれ音響効果を巧みに用いて作品を作っているが、『モダン・コスモロジー』もアコースティックとエレクトロニクスの融合を、音響効果によって最大限に引き上げたアルバムとなるだろう。


 『アメクラ』から『アメグラ』へと。先日、音楽ライターの能地祐子さんが著書『アメクラ! アメリカン・クラシックのススメ』をDU BOOKSから刊行しましたが、クラシックですか~、自分には敷居が高いっす……などと言うなかれ。じつはこの本、アメリカのロック/ポップス好きが読んだらすごく面白い本なんです。アメリカのクラシック界が、じつはアメリカーナやビーチボーイズやフィル・スペクターへとつながっている? という視点から描かれた画期的な本です。で、アメリカ音楽好きと言えば、昨年、ele-king booksから『アメリカン・グラフィティから始まった』を刊行した萩原健太さんです。というわけで『アメクラ』から『アメグラ』へと。
 6月11日(日)15:00~17:00、下北沢のB&Bにて、トークショー、能地祐子×萩原健太「米国音楽好きのためのクラシック音楽入門」があります。要するに、萩原家対談ですね(笑)。ぜひ聞きにいきましょう。

https://bookandbeer.com/event/2017061101_bt/

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