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ナイト・ジュエルのヴォーカルは「オルタナティヴなサイキック・リアリティを伐り拓く」もののひとつである。それは、たとえばウッズの、ダックテイルズの、ウォッシュト・アウトの音楽が逃避的なものであったとして、しかし、現実社会からの退却が、逆に現実世界へのアプローチとして実効性を持つようなねじれた現代に、それは新しく意味のあるマナーとして認められるべきものではないか? おおむねチルウェイヴ擁護の理論として理解されるこの言葉は、私もおおいに頷かされる部分がある。
ナイト・ジュエルことラモーナ・ゴンザレスは、アリエル・ピンク人脈から浮上し、〈イタリアンズ・ドゥー・イット・ベター〉からデビュー12インチを、〈ヒューマン・イヤー・ミュージック〉や〈グロリエット〉、〈ノー・ペイン・イン・ポップ〉から傑作デビュー・アルバムをリリースするほか、シングルを日本の〈ビッグ・ラヴ〉や〈ストーンズ・スロー〉傘下の〈1984〉から、本作を〈メキシカン・サマー〉からと、インディ・ダンスとドリーミー・シューゲイズとチルウェイヴの混淆する地点に美しい作品をドロップしつづけている。デビュー作のオーヴァー・コンプ気味で奇妙な浮遊感を持つプロダクションは、ハウ・トゥ・ドレス・ウェルやグライムスのゴーストリーな音像を先取りしていたと言えるし、ドリーミーかつ過度に閉塞感のあるシンセ・ポップはウォッシュト・アウトのけだるく視界の悪いローファイ感に通じている。
そしてなにより彼女のヴォーカルが素晴らしい。初めてダイアナ・ロスを耳にしたとき、まわりの音から遊離して、白飛ばしのようにそこだけくっきりと明度をもっていることに心から驚いた。夢のような、幻覚のような、あるいは持ち主の存在しない声。歴史の教科書の肖像写真のように、いまは亡くなってどこにもいないのに、はっきりとそこに表情がのこされている奇妙さ。そうした忘れがたい存在感が、ゴンザレスの声にもある。些末な日常性や安っぽいリアリズムを超えて、永遠に色褪せない総天然カラーのヴォーカル。この特別な感覚は、チルウェイヴが見る夢と同じ場所へつながっていないだろうか。
本シングル曲"イット・ゴーズ・スルー・ユア・ヘッド"は、これまでの躍動の少ない作風を大きく破る、チープで大衆的なエレクトロニック・ディスコ・ポップである。80年代のダイアナ・ロスか、それともシンディ・ローパーか? ゲート・リヴァーブが華やかに響き、リズム・ボックスが屈託なく16ビートを刻み、シンセは古風。ゴンザレスもいつになくのびやかに歌っている。レイド・バックしたサウンドで、MTVの映像が彷彿としてくる。
しかし、これはレトロスペクティヴとは似て非なる感覚だ。80年代のコスプレという、単なる趣味性を逸脱するようなエネルギーがはっきりと感じられる。つづく"ナチュラル・コージーズ"も同様で、こちらはエコー・タイムの長いヴォーカルとスローなテンポが独特の浮遊感を生む、彼女のトレード・マークとも言えるダンス・ナンバー。曲調は80年代を参照していても、まるでジュリアナ・バーウィックのような調性感と音響を感じるだろう。少しも古い音楽ではない。
B面に収録されたリミックス・ヴァージョンにも注目したい。"イット・ゴーズ・スルー・ユア・ヘッド"はダム・ファンクによるリミックスだが、アニマル・コレクティヴの"ファイア・ワークス"やアリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティの"フライト・ナイト"のリミックスなど、今日的なUSインディ・ロックとゆかりの深い彼の茶目っ気あるナイト・ジュエル解釈がとても楽しい。重たい16ビートが、小粋でファンキーに翻案されている。
もうひとつ、"ナチュラル・コージーズ"はゴンザレスの夫であり、自身のプロジェクトのみならずプーロ・インスティンクトのプロデュースなどでも乗りに乗っているサンプスによるリミックスだ。こちらはエメラルズやタンジェリン・ドリームをさっと湯がいたような、軽めのアンビエント・トラックに仕上がっているので、ナイト・ジュエルとは独立した作品としても味わうことができる。
橋元優歩