「IO」と一致するもの

Diggin' In The Carts - ele-king

 これ、めちゃくちゃおもしろそうじゃないですか! なんと〈Hyperdub〉が、日本のゲーム・ミュージックに特化したコンピをリリースします。エレクトロニック・ミュージックの文脈に属する音楽家がゲーム・ミュージックを手掛けた例で言うと、しばらく前ならアモン・トビン、比較的最近ならデヴィッド・カナガハドソン・モホークなどが思い浮かびますが、そもそもそういう土壌が用意されるに至った経緯って、たしかにあまり整理されていない印象がありますよね。両者のあいだには切っても切れない縁があるというのに……どうやら〈Hyperdub〉はその歴史を紐解こうとしているようです。しかもイベントまで開催されるとのこと! 詳細は下記をご確認ください。

世界に影響を与えた日本のゲーム・ミュージックの歴史を紐解く
革新的コンピレーション・アルバム『Diggin' In The Carts』のリリースが決定!
11月のライヴ・イベントには、アルバムの共同監修を務めたKode9の来日も発表!
アートワークを手がけた森本晃司とのスペシャル・コラボを披露!

音楽ファンが、音楽ファンのために作った、ゲーム音楽のアルバム。それは1984年に生まれた世界初のゲーム音楽レコード『ビデオ・ゲーム・ミュージック』以来の試みだ。当時細野晴臣が担った役割を、ここでは〈Hyperdub〉が担っている。セレクターの醸し出す味わいまで含めて、ぜひともご堪能いただきたい。 - hally (VORC)

1980年代から90年代にかけデジタル合成によって誕生した、耳にこびりついて離れない8ビットおよび16ビットのゲーム音楽は、小さな幼虫のように蠢きながら日本で繁殖。クラシック音楽や、ロック、レゲエ、初期シンセ・ポップのメロディをデジタル・データに変換しつつ、いくつもの群れとなって瞬く間に世界中に這い広がり、全世界のゲーム・プレイヤーたちの“記憶装置”に寄生した。それは回路基板の中で増殖し、やがて活気溢れるチップチューン・クローンの亜種を生み出して、ヒップホップからテクノ、ハウス、グライム、ダブステップ、フットワークからその先に至るまで、エレクトロニック・ミュージックの様々なジャンルにおける多種多様な突然変異体に影響を及ぼしている。 - Kode9

80年代後期から90年代中期にかけて、日本のゲーム・ミュージックが生んだ貴重かつ革命的な楽曲ばかりを集めたコンピレーション・アルバム『Diggin' In The Carts』が、イギリスのエレクトロニック・ミュージック・レーベル〈Hyperdub〉からリリースが決定! 34曲もの楽曲を収録した本作は、レッドブル・ミュージック・アカデミーによるドキュメンタリー映像シリーズ『ディギン・イン・ザ・カーツ』が発端となり、エレクトロニック・ミュージックの発展を語る上で欠かすことのできない日本のゲーム・ミュージックが、いかに世界に影響を与えたかを紐解き、その歴史を探る内容となっている。同ドキュメンタリー映像シリーズで監督を務めたニック・デュワイヤーと〈Hyperdub〉主宰のKode9(コード9)が研究を重ね、監修を務めて完成させた楽曲集は、いまなお進化し続ける日本のゲーム・ミュージック初期にあたるチップチューン黎明期を掘り下げた貴重なアーカイヴ作品となっている。今回の発表に合わせ、1993年に発売されたスーパーファミコン用ゲーム『The麻雀・闘牌伝』のために、ゲーム音楽家、細井聡司によって作曲された楽曲“Mister Diviner”が公開された。

Soshi Hosoi - Mister Diviner (The Mahjong Touhaiden)
https://bit.ly/2yHU6u3

また本作では、『MEMORIES -彼女の想いで-MAGNETIC ROSE』や『アニマトリックス―ビヨンド』といったアニメーション作品で知られ、STUDIO4℃の創設メンバーとしても知られるアニメーション作家、森本晃司がアートワークを手がけている。

今作に収録された音楽は、ファミコン、スーパーファミコン、PCエンジンといった世界的に知られる日本のゲーム機や、MSX、MSXturboR、PC-8801といった8ビット・パソコン、16ビット・パソコンのために作曲されたものである。本作は、それらの楽曲を“ゲームのための音楽”としてだけではなく、電子音を駆使して日本から生まれた重要な音楽作品として捉え、ショウケースしている。

世界的なアート作品は、時として与えられた制限の中で生まれるもの。中でもエレクトロニック・ミュージックが最も革新的で影響力を持った要因は、当時のアーティストが、その時代のテクノロジーの持つ制限の中で、その可能性を最大限に引き出そうとしたことにある。80年代~90年代初期に生まれた8ビットや16ビットのゲーム・ミュージックは、作曲家たちが、データ量やチャンネル数が極めて制限された中で、様々なサウンドや音色、メロディを組み合わせることによって生み出された。新たなゲーム機が開発されるたびに新しいサウンドチップが作られ、それがまた新たな個性を生んだ。日本のゲーム会社は、様々な方法を駆使して、サウンド面で刺激的な工夫を凝らした。独自のサウンドチップを開発し、そのゲーム機の持つ可能性を最大限にまで引き出したり、ゲーム音楽家が独自のサウンドパレットを生み出すためのコンピューター・ソフトも開発された。

本作には、スティーヴ・ライヒの影響を感じさせる細井聡司の“Mister Diviner”の他にも、メガドライブのシューティング・ゲーム『サンダーフォースIV』のために山西利治が作曲した“Shooting Stars”、コナミのサウンドチーム、コナミ矩形波倶楽部が『魍魎戦記MADARA』や『エスパードリーム2』といったゲーム作品のために手がけた数々の楽曲を収録。『Diggin' In The Carts』はゲーム・ファンと音楽ファンの両方が、間違いなく満足するであろう、ゲーム音楽の素晴らしさと深みをかつてないほど詰め込んだゲーム音楽の枠を超えた金字塔的音楽作品だ。また国内流通仕様盤CDには、ゲーム音楽史研究家としても知られるhally (VORC)によるライナーノーツと、オリジナル・ステッカーが封入される。

また本作の完成に合わせ、『Diggin' In The Carts』のライヴ・イベントが、東京、ロンドン、ロサンゼルスで開催される。アルバムのリリース日となる11月17日(金)に、恵比寿リキッドルームにて開催されるレッドブル・ミュージック・フェスティバル主催の東京公演では、本作の監修も務めたKode9と、アートワークを手がけた森本晃司によるスペシャルなオーディオ・ヴィジュアル・ライヴが披露されることも決定した。

label: Hyperdub / Beat Records
artist: V.A.
title: DIGGIN IN THE CARTS
release date: 2017/11/17 FRI ON SALE
国内流通仕様CD BRHD038 定価 ¥2,200(+税)
hally (VORC)による解説 / オリジナル・ステッカー封入

【ご予約はこちら】
amazon: https://amzn.asia/hwxms4X
iTunes: https://apple.co/2ybCIk9


【ライヴ・イベント情報】

RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2017 presents
DIGGIN' IN THE CARTS
電子遊戯音楽祭

日 時:2017年11月17日(金) 開場19:00/開演19:30~
場 所:LIQUIDROOM(恵比寿)
料 金:前売3,500円 *20歳未満は入場不可。顔写真付き身分証必須。
出 演:Kode 9 × Koji Morimoto AV, Chip Tanaka, Hally, Ken Ishii Presents Neo-Tokyo Techno ('90's Techno Set), Osamu Sato, Yuzo Koshiro × Motohiro Kawashima and more

Ben Frost - ele-king

 スピーカーがぶっ飛んだのだという。本作のレコーディングをしている最中の出来事だったそうだ。そのエピソード自体がすでにこのアルバムのユニークさを物語っている。やはりまずはスティーヴ・アルビニのことから話し始めなければならないだろう。
 つい先日、アルビニ本人が、『In Utero』を録音する際に使用した3本のマイクをオークションに出品したことが報じられて話題になったばかりだが(YouTubeに動画も上がっている)、そのニルヴァーナのラスト・アルバムをはじめ、PJハーヴェイの『Rid Of Me』やモグワイの「My Father My King」など、彼がその独特の音の処理法――時間を空間化して喩えるならそれは、まるで音を「折って」いるかのような響きである――でオルタナティヴ・ロックの歴史に大きな痕跡を残したことは間違いない。
 ……のだけれど、どういうわけかここ数年、クラブ・ミュージックの文脈でも彼の名をよく耳にするようになった。「アルビニ・サウンド」の言い間違いをそのまま名義として採用したアルビノ・サウンドはまたべつの次元に属する例かもしれないが、パウウェルの一件は象徴的な出来事だったように思う。
 パウウェルは“Insomniac”というシングル曲でビッグ・ブラックの音源をサンプリングしているが、その許可を得るためにアルビニ本人にメールを送ったところ、「俺は君がやっていることに反対しているし、君の敵なんだ」という答えが返ってきたのだという。音源の使用自体は認めてくれたものの、アルビニは「この地球上の何よりも深くクラブ・カルチャーを憎んでいる」のだそうで、曰く「俺が好きなエレクトロニック・ミュージックは、ラディカルで他と違ったもの──ホワイト・ノイズ、クセナキス、スーサイド、クラフトワーク、それから初期のキャバレー・ヴォルテール、SPKやDAFみたいな連中だ」、云々。それと同じ思いを抱いていたパウウェルは、アルビニの返信をロンドンの看板に掲載し、自身の広告として利用する。そして、昨今のクラブ・ミュージックに対するアンチを宣言しているかのようなアルバム『Sport』をリリースしたのだった。

 そこで、ベン・フロストである。彼の音楽はパウウェルのそれとは異なるスタイルに属するものではあるが、エレクトロニックかつ実験的という点において両者は共通している(アルビニ=パウウェルが敬愛しているという上記のアーティストたちの名前は、そのままベン・フロストのプレイリストに登録されていてもまったく不自然ではない)。かれらのような野心的なエレクトロニック・サウンドのクリエイターたちが新たなサウンドを追求するにあたりアルビニの存在を必要とし始めたことは、ここ1年の重要な傾向のひとつと言っていいだろう。
 件のパウウェルの曲ではあくまでビッグ・ブラックがサンプリングされているだけだったのに対し、ベン・フロストのこの新作にはアルビニが全面的に関与している。プロダクションを手掛けているのはローレンス・イングリッシュ、ポール・コーリー、ダニエル・レジマー、ヴァルゲイル・シグルズソンの4名で、アルビニが担当しているのは例によって録音とミックスのみなのだけれど、その成果は如実にサウンドに表れ出ており、たとえば3曲め“Trauma Theory”冒頭の切り刻まれたノイズの断片や、7曲め“Ionia”の凍てつくような旋律からは、アルビニ特有の音の「折り方」を聴き取ることができる(ちなみに、アルバムのリリースに先駆けて“Ionia”のジェイリンによるリミックスが発表されており、これがまた最高にかっこいいトラックなのだけれど、それも原曲のアルビニのエンジニアリングがあってこそ成立しているように感じられる)。そういった目立ったトラック以外でも、 “Threshold Of Faith”や“Eurydice's Heel”、“All That You Love Will Be Eviscerated”など、ほとんどのトラックで異様な重量を伴った持続音が轟いており、それらすべてにアルビニの影を認めることができる。要するに、これまでベン・フロストが探究してきたふたつのベクトル、すなわちインダストリアルとドローンと、その双方にアルビニの魔法がかけられているのである。

 リリカルな要素の減退も前作『Aurora』との差違ではあるが、やはりこのアルバムの核心はその重厚な音響の呈示にこそあるだろう。アルビニによってもたらされたこの「重さ」こそ、前作『Aurora』で圧倒的な成功を収めたベン・フロストが新たに導き出した解なのである。
 ティム・ヘッカーが切り拓いたノイズ/ドローンの荒野を着々と進み行き、道中アンビエントの創始者たるブライアン・イーノと邂逅し惑星『Sólaris』を訪れるも、けっしてそこに停留することはせず、むしろスワンズの進路を視界に収めながらメタル/インダストリアルを摂取することで、『Aurora』というひとつのターミナルへと辿りついたベン・フロストは、いま、アルビニという魔法使いと出会ったことで、まだ誰も生還したことのないダンジョンへ足を踏み入れようとしている。パウウェルが「プロローグ」だとしたら、ベン・フロストのこの新作は「第1章」だ。このアルバムを契機に今後、同じ強度の音響を構築しようと試みる猛者たちが次々と後に続くことになるだろう。単に「ドローン+インダストリアル」でもなく、単に「エレクトロニック・ミュージック+スティーヴ・アルビニ」でもない、この『The Centre Cannot Hold』という「第三の道」に気づいた彼らもまた、きっと近い将来どこかのスタジオでスピーカーをぶっ飛ばすことになるに違いない。

interview with MASATO & Minnesotah - ele-king

 90年代のレア・グルーヴのムーヴメントやヒップホップのサンプリングを通じてソウル・ミュージックに出会い、魅了されていった。言うまでもなく、そういう音楽好きやヘッズは僕ぐらいの世代にもたくさんいる。それなりの値段のするオリジナル盤を血眼になってディグるようになったDJやコレクターの友人も少なくない。そして、それらのソウル、あるいはファンクやジャズ・ファンク、スピリチュアル・ジャズやソウル・ジャズの多くが70年代のものだった。最初から60年代のソウルに積極的に手を出す人間はあまりいなかった。それは、60年代のR&Bやソウルすなわち米国南部のサザン・ソウルの独特のいなたさや渋さの良さを理解するのには時間を要したからだった。ちなみに僕は、『パルプ・フィクション』(94年)のサントラに収録されたアル・グリーンの“Let's Stay Together”によって――この曲は71年発表なのだが――60年代のサザン・ソウルへの扉を開くことになる。


MASATO & Minnesotah
KANDYTOWN LIFE presents “Land of 1000 Classics”

ワーナーミュージック・ジャパン

R&BSoul

Amazon Tower HMV iTunes

 前置きが長くなった。KANDYTOWNのDJであるMASATOとMinnesotahが今年70周年をむかえるアメリカの老舗レーベル〈アトランティック〉の楽曲のみで構成したミックス『KANDYTOWN LIFE presents “Land of 1000 Classics”』を発表した。〈アトランティック〉は駐米トルコ大使の息子で、ジャズやブルースの熱狂的なファンだった非・黒人であるアーメット・アーティガン(当時24歳)らが1947年に設立している。〈モータウン〉より12年も早い。そして〈アトランティック〉と言えば、50~70年代のR&Bやサザン・ソウルを象徴するレーベルでもある(ちなみに〈アトランティック〉は現在〈ワーナー〉傘下にあり、ブルーノ・マーズや、先日ビルボードのHOT 100で1位に輝いたデビュー曲“Bodak Yellow (Money Moves)”で目下ブレイク中の女性ラッパー、カーディ・Bも所属している。客演なしの女性ラッパーの曲のビルボートHOT 100の1位はローリン・ヒルの“Doo Wop (That Thing)”(98年)以来の快挙だという。つまり現役バリバリのレーベルだ)。

 MASATOとMinnesotahは“ソウル・ミュージック”をテーマとして50~70年代の楽曲を24曲選んだ。カニエ・ウェストが“Gold Digger”でサンプリング/引用したレイ・チャールズの“I Got a Woman”で幕を開け、スヌープ・ドッグが“One Chance (Make It Good)”でサンプリングしたプリンス・フィリップ・ミッチェル“Make It Good”などもスピンしている。ヒップホップ・クルーのDJらしくサンプリング・ネタも意識している。が、僕が思うこのミックスの最大の良さは、ブレイクビーツやレア・グルーヴ的観点のみに縛られず、彼らの愛する、ソウル・ミュージックの真髄を感じるブルース・フィーリングのある曲やサザン・ソウルを丁寧に聴かせようとしている点にある。このミックスを通じてソウル・ミュージックの世界への扉を開く若い人が増えることを願う。MASATOとMinnesotahに話を訊いた。

アメリカのなんでもない田舎の道を走る車に乗っているときにアル・グリーンとかメンフィス・ソウルを聴いてたんですよ。それまではああいうソウルのいなたさや渋さがわからなかったんですけど、そのときに何かが「ヤバい」と思ったんですよね。 (Minnesotah)

高校の同級生にOKAMOTO'Sがいたんです。自分もロックにハマっていたので、ドラムのレイジと日本の昔のブルース・ロックみたいなものも聴いていて。そういうところから遡るとサム・クックとか、いろんなアーティストに繋がるじゃないですか。 (MASATO)

もともとおふたりはアナログで〈アトランティック〉のレコードをディグったりしていたんですか?

MASATO(以下、MA):けっこうディグってました。

Minnesotah(以下、Mi):〈アトランティック〉だけを意識していたわけではないけど、レコードを買っていくなかで〈アトランティック〉のものが集まっていったという。

CDに付いてる荏開津広さんの解説で、おふたりはDJを始めた頃、トライブやピート・ロック、ギャングスターやD.I.T.C.なんかの90年代の東海岸ヒップホップをかけていたと話されていますね。ソウル・ミュージックにはサンプリングのネタから入っていったんですか?

MA、Mi:そうですね。

MA:俺は90年代のヒッピホップを聴いていて、ピート・ロックとかジャジーなネタを使っているやつとか、それこそドナルド・バードやキャノンボール・アダレイとか、あのへんを聴いて「元ネタに勝てないな」と思ったところから入りましたね。

Minnesotahさんが10代でMASATOさんと出会った頃、すでにMASATOさんはクラブなどの現場でソウルをプレイしていたらしいですね。

Mi:そうですね。すごく早かったと思います。“ブレイク・ミックス”みたいな感じでやるんじゃなくて、最初からソウルのDJみたいな感じだったんですよね。元ネタとして繋いでいくというよりは、曲としてソウルをミックスしていくというスタイルを10代のときからやっていて、超渋いなと思っていましたね。

それは、90年代ヒップホップは好きだけど「元ネタに勝てないな」という気持ちもあって、そういうスタイルでソウルをプレイしていたんですか?

MA:そうですね。ヒップホップと元ネタを織り交ぜてかけるのが自分のなかでしっくりきたのかな。

今回のミックスでは、クイック・ミックスしたり、2枚使いしたり、そういうヒップホップ的なトリックをしないで、曲を聴かせる構成になっていますよね。

Mi:正直、クリアランスの関係でスクラッチとかはダメと言われたのはあります(笑)。でも僕らはもともとそこまでトリックを使うようなDJスタイルでもないので。

MA:逆に言うと、そういうミックスやコンピレーションは多いと思うんです。そうじゃなくて、1曲1曲をしっかり聴かせたかった。選曲もそこまでド渋な曲やレア・グルーヴだけではなくて、〈アトランティック〉のクラシックを選んでいます。だから、いまの若い人にも手にとってもらって聴いてもらえたらと思ってますね。

いま“若い人”という発言が出ましたが、おふたりはいまおいくつくらいなんですか?

MA:26です。

(一同笑)

若いですね(笑)。つまり“若い人”というのは10代ぐらいってことですよね?

MA:そうですね。あとは大学生とか。

ヒップホップのDJでソウルをディグったり、ミックスする先達といえば、やはりMUROさんやD.L(DEV LARGE)さんがいますよね。そういうDJたちから触発された部分はあったんですか?

Mi:多分にありますね。それこそMUROさんのミックスはめっちゃ聴いていたし。

MA:(MUROの)『Diggin'Ice』シリーズがあるじゃないですか。亡くなったYUSHIってやつがけっこうそのミックスCDを持っていて、それをみんなで回していましたね。

Mi:(『Diggin'Ice』シリーズの)テープもあったんで、それを借りたりもしていましたね。

MA:そういう感じで回して聴いていて、その影響はかなり強いですね。

そこで知った音楽も多いでしょうしね。

MA:そうですね。最初に『Diggin'Ice』の曲を集めようと思って買い始めました。

今回の〈アトランティック〉のミックスはすべてヴァイナルでやりました?

Mi:ぜんぶヴァイナルですね。

それは自分たちで持っているものだったんですか?

Mi:持っているものと、持っていないものは借りました。

今回ミックスするうえで改めて相当な量の〈アトランティック〉音源を聴いたのではないかと思います。〈アトランティック〉の良さはどういうところにあると思いましたか?

MA:昔の『レコード・コレクターズ』を読んで……

『レコード・コレクターズ』読むんですね、渋い(笑)。

MA:はい(笑)。知り合いのDJが、昔の『レコード・コレクターズ』の、〈アトランティック〉が50周年か60周年のときの特集号を探して持ってきてくれたんですよ。(内容は)カタログがあって、いろいろ説明があるという感じなんですが、〈アトランティック〉は〈モータウン〉とか当時の他のレーベルよりも早い段階でキング・クリムゾンなんかのロックや白人の文化にも手を出していて、そういうところで幅広いレーベルだと思いましたね。

そういうクロスオーヴァーなところはありますよね。クリームやレッド・ツェッペリンも出していますしね。今回のミックスにはジャズのミュージシャンやシンガーソングライター、アレンジャーの、いわゆるソウル・ジャズやスピリチュアル・ジャズ寄りの楽曲やブルース・フィーリングのある楽曲もありますよね。ユージン・マクダニエルズとかアンディ・ベイとかも入ってます。

Mi:そうですね。正しい言い方かわからないですけど、黒人音楽というか、ヒップホップに通じるもの、という解釈もありつつということですよね。

MA:自分のなかではここに入っているものはソウルとして解釈していますね。そのなかでもジャジー系とかファンキー系とかいろいろあるんですけど、大きくはソウルかなと。

選曲にはソウル・ミュージックというテーマがあったんですよね?

Mi:大前提はそういう感じだと思います。

なるほど。モンゴ・サンタマリアのサム&デイヴのカヴァー曲やアレサ・フランクリンの名曲も収録されていますね。で、アーチー・ベル&ザ・ドレルズは“Tighten Up”ではなく、“A Thousand Wonders”を選んでますね。

Mi:ピックするのはシングルとかじゃなくアルバム収録曲であること、かつ、わりと王道であること、というルールがあって。そこでさらに“Tighten Up”まで行っちゃうともう工夫がなさすぎるというか(笑)。つまんないよなってところですかね。

でも、アレサ・フランクリンは“Rock Steady”と“Day Dreaming”と、2曲入っていますね。

MA:それはもういい曲だからしょうがないですね(笑)。

Mi:どっちを入れるかって話になったときに、「どっちも入れるでしょ」ってことになりました(笑)。

先ほども話したように〈アトランティック〉ってクロスオーヴァーしてきたレーベルじゃないですか。だから極端なことを言えば、キング・クリムゾンやクリーム、あるいはミュージック・ソウルチャイルドみたいなより現代的なR&Bやミッシー・エリオットみたいなラッパー/シンガー/プロデューサーの曲も選べたわけですよね。それでも、50年代から70年代という時代に限定してソウル・ミュージックというテーマで選曲したということですよね。

Mi:でもそこは俺らも話し合う前からそうなっていたところはありましたね。

MA:勝手にこのへんだ、というのがあって(笑)。そこ以外はいっさい入れようということにならなかったですね。

Mi:〈ワーナー〉も俺らのスタイルみたいなものをわかってくれていて、その上でこの話を振ってくれたので、もうなんのディレクションもなくリストアップして出したって感じでしたね。あとはソウル・ミュージックとして王道というか、南部のフィーリングが出ている曲も多いですね。

僕もそこがこのミックスの面白さだと感じました。ウィルソン・ピケットの“In The Midnight Hour”が2曲目に入っていたり、アーサー・コンレイの曲があったり、70年代後半のだいぶ都会的に洗練されてからの楽曲ではありますけど、マージー・ジョセフが入っていたりしますよね。つまりサザン・ソウル色を感じます。

Mi:単純にソウルの真髄みたいなところはそこな気がしているんです。70年代というよりかはディープ・ソウルやサザン・ソウルのほうが黒人音楽のなかでも重要な気はしているんですよね。ミックスにそういうものが入ることってあんまりないじゃないですか。

あまりないと思いますよ。

Mi:70年代のネタ感のあるレア・グルーヴみたいなものが多いですよね。

そうですね。まずレイ・チャールズから始まるミックスはなかなかないですよね。

Mi: 70周年記念ということもあって、絶対にその流れは外せないなと思ったんです。

自分もヒップホップを通じてソウル・ミュージックに魅了されていったくちなんですけど、最初は60年代のソウルは理解できなかったんです。一言で言えば、渋過ぎたというか。それはなかったですか?

Mi:ありましたね。最初は良さがわかりませんでした。

60年代のソウルの良さがわかるようになったのって何がきっかけでした?

Mi:アメリカのなんでもない田舎の道を走る車に乗っているときにアル・グリーンとかメンフィス・ソウルを聴いてたんですよ。それまではああいうソウルのいなたさや渋さがわからなかったんですけど、そのときに何かが「ヤバい」と思ったんですよね。そこから60年代のソウルとか、サザン・ソウル、ディープ・ソウルを好きになりましたね。

MA:僕は高校のクラスメイトにやたらとJポップとソウルが好きな意味わかんないやつがいて、そいつがTSUTAYAとかでソウルのCDを借りていて、いろいろ教わっていたんです。そいつは特にサザン・ソウルが好きで、「『ワッツタックス』という映画を観たほうがいい」って勧められたんです。あの映画でルーファス・トーマスが出てきたときに「こいつヤバいな。このパンチ、ハンパねえな」って(笑)。そういう〈スタックス〉の影響がありましたね。あと、高校の同級生にOKAMOTO'Sがいたんです。自分もロックにハマっていたので、ドラムのレイジと日本の昔のブルース・ロックみたいなものも聴いていて。そういうところから遡るとサム・クックとか、いろんなアーティストに繋がるじゃないですか。

Mi:MASATOはそこが早かったですね。サム・クックも最初から好きだったし、俺はそういうところがすげえと思っていて。この人は別に60年代とかも聴けるんだなって。単純にソウルが好きなんだなとはずっと思ってました。

MA:たぶん“原点”を探すのが好きなんですよね。結局ビートルズもスモーキー・ロビンソンのカヴァーとか、(マーヴェレッツの)“Please, Mr. Postman”とかやっているし。あとはブッカー・Tとかスライ&ザ・ファミリー・ストーンもけっこう好きですね。

そういう話を聞くと、MASATOさんは60年代のR&Bやソウルをロックンロールの解釈で聴くところから入ったんですね。

MA:そういうところはありましたね。

そう考えるとレイジ君の存在は大きいんですね。

MA:自分のなかではけっこうデカかったですね。

この前大阪でやったときはマジでシラケましたもん。チャラ箱みたいなところで「クリス・ブラウンねーのかよ!」って言われたんで、「あるわけねーだろ。帰れよ」って言って。 (MASATO)

MUROさんはディグがオタクじゃなくて、カッコいいことだって示したじゃないですか。それはスタイルとして超ヒップホップだと思うし。若い世代でそういうDJが少なくなったんだとは思いますね。 (Minnesotah)

ということは、IO君とも同世代なんですか?

MA:自分はIOと同級生ですね。

Mi:俺はひとつ年下です。

KANDYTOWNにDJとして入ったのはいつ頃なんですか?

MA:明確な時期はわからないんですけど、もともとIOとか亡くなったYUSHI、RyohuやB.S.C、Dony JointでBANKROLLというクルーを作ったんですね。それとYOUNG JUJUたちの世代のYaBastaというクルーとたまに曲を作ったりしていたんですが、俺はあんまりやる気がない感じだったんですよ(笑)。でもYUSHIが亡くなったときにみんなで集まって、(KANDYTOWNを)やろうって話になったんです。それでまとまっていったというか、そこからかなという感じはしますね。

Mi:俺も同じような感じですね。あんまり明確に「みんなでKANDYTOWNやろうぜ!」みたいなのはなかったと思います。昔から友だちとイベントをやっていたりしていて、みんな知っていたというのはありますね。最初は小箱でMASATO君がイベントをやったりしていて、そのときはピーク・タイムにソウルやディスコを流してもみんなドッカンなんですよ。

MA:踊り狂いますね。

Mi:それはけっこうすげえなと思っていたんですけどね。

MA:まあ内輪だったんで。

Mi:それこそYUSHI君が車でMUROさんのミックスを流したりしていたし、IO君とかも親父がソウルを聴いたりしていたから自分も聴いていたし、みんな音楽的な隔たりみたいなものはなかったと思いますね。

近年7インチだけでプレイしたりするスタイルも定着しつつありますよね。レコード・ブームと呼ばれるような現象もあります。そういう流れはどう感じていますか?

MA:再発とかでもけっこう7インチで出たりするじゃないですか。それはいい面もあると思うんですけど、LPはLPでいい曲も入っているから、自分としてはべつに7インチだけでプレイをするとかのこだわりはないですね。。

Mi:俺も7インチとかにこだわりはなくて。単純に7インチにしか入ってない曲が欲しくなったら買いますけど。俺はいつもアナログは持ち歩いているんですが、同時にUSBも持ち歩いているんですよ。でもこだわりたくなるのはすごくわかりますね。ヒップホップっぽいというか、そういうぼんやりとしたイメージはあります。「やっぱりこの曲は7インチでかけるといいよね」みたいな、そういう衝動に駆られるときはありますね。

おふたりは根っこはヒップホップだと思うんですけど、いま現場でDJをしていて特に感じることはありますか。

Mi:俺は単純にいまのメインストリームのヒップホップの新譜がおもしろいと思っているのがありますね。あと、いまヒップホップを聴いている人たちが元ネタのソウルやファンクをそこまで気にしていないというのも感じますね。

MA:たぶん音楽に対して深く聴くみたいな感覚がなくなってきているんじゃないですかね。手軽にiPhoneにiTunesからどんどん落としていろんなものを聴けるし、そのぶんいろんな幅が広がっているのはいいのかもしれないですけど。

やっぱりそういうなかでアナログでDJする人は少ないんじゃないんですか?

MA:少ないですね。この前大阪でやったときはマジでシラケましたもん。チャラ箱みたいなところで「クリス・ブラウンねーのかよ!」って言われたんで、「あるわけねーだろ。帰れよ」って言って。

ははははは。いい話じゃないですか。

MA:でも、辛いですよね。お客さんが楽しめないというのもよくないから、自分としてもちゃんと場所を選んだほうがいいなとは思いますね。でも自分のスタイルは変えたくないので小さいところでもしょうがないかなって思ってきていて。

Mi:クラブの現場だとふつうにヒップホップをかけているほうがお客さんも踊れますしね。たとえば60分のDJのなかで最初の20分はヒップホップをかけて、だんだんソウルやファンクに寄せようかなと思ってかけ始めたら(お客さんが)引いていくみたいなこともぜんぜんあります。それは俺の力不足かなとも思っていて、そこをうまくかけるのが永遠のテーマではありますね。旧譜をバンバンかけるカッコいいDJが少なくなったからだとも思うんですよ。それこそMUROさんはディグがオタクじゃなくて、カッコいいことだって示したじゃないですか。それはスタイルとして超ヒップホップだと思うし。若い世代でそういうDJが少なくなったんだとは思いますね。

なるほどー。ふたりは自分たちが聴いてきた、聴いているソウルをもっと広く伝えたいという気持ちがあるということですよね?

MA、Mi:そうですね。

もしかしたらふたりの世代でそういう考えの人たちはマイノリティなんですかね。

MA:マイノリティだと思いますよ。いまはKANDYTOWNとして(ミックスを)出させてもらって、リスナーの人にも知ってもらう機会が増えたからこそ、自分としてはやり続けたほうがいいのかなと思っていますね。それで「いいな」と思って、レコードのカッコ良さとか昔のソウル・ミュージックやR&Bのカッコ良さに気づく人が少しでも増えてくれればいいかなと思いますね。

それは結果的に自分たちの力にもなってきていますよね。1曲目にレイ・チャールズがかかって、そこからどれだけの人がどう聴くかですよね。

MA:「うわ、ミスったー」とか思うやつもけっこういると思いますけどね、「友だちに高く売ろう」みたいな(笑)。

(一同笑)

319 (Oneohtrix Point Never & Ishmael Butler) - ele-king

 コラボ大魔王……思わずそう呟いてしまった。アノーニ、FKAツイッグス、DJアール、デヴィッド・バーン、イギー・ポップ、と、どんどん交友関係を広げていくワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが、またまた新たなプロジェクトを始動させた。今度のお相手はシャバズ・パレセズのイシュマイル・バトラーで、ユニット名は「319」。毎年好例のAdult Swim Singlesの企画で、新曲“The Rapture”が公開されている。いよいよ誰と何をやっているのか把握しきれなくなってきたOPNだけれど、ここまできたらもうどこまでも喰らいついていくしかない。

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとシャバズ・パレセズのイシュマイル・バトラーによるニュー・プロジェクト、「319」が始動! 新曲“The Rapture”をAdult Swim Singles 2017にて公開!

11月公開の映画『グッド・タイム』のサウンドトラック・アルバム『Good Time Original Motion Picture Soundtrack』でカンヌ・サウンドトラック賞を受賞したワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとシャバズ・パレセズのイシュマイル・バトラーが、「319」と名付けられたコラボレーション・プロジェクトを発表。新曲“The Rapture”が、米カートゥーン・ネットワークの深夜枠Adult Swimの企画《Adult Swim Singles》で公開された。

319 (ONEOHTRIX POINT NEVER + ISHMAEL BUTLER) - THE RAPTURE
https://www.adultswim.com/music/singles-2017

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーにとっては、アノーニ、FKAツイッグス、デヴィッド・バーン、そして『Good Time Original Motion Picture Soundtrack』に収録されたイギー・ポップとのコラボレーション・トラック“Pure and the Damned”に続く、新たなコラボ・プロジェクトとなる。

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label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Good Time Original Motion Picture Soundtrack

cat no.: BRC-558
release date: 2017/08/11 FRI ON SALE
国内盤CD:ボーナストラック追加収録/解説書封入
定価:¥2,200+税

【ご購入はこちら】
beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002171
amazon: https://amzn.asia/6kMFQnV
iTunes Store: https://apple.co/2rMT8JI

【商品詳細はこちら】
https://www.beatink.com/Labels/Warp-Records/Oneohtrix-Point-Never/BRC-558

interview with Penguin Cafe - ele-king


Penguin Cafe
The Imperfect Sea

Erased Tapes / PLANKTON

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 音楽の歴史において、「ブライアン・イーノ以前/以降」という区分は大きな意味を持っている。「アンビエント」の発明はもちろんのこと、それ以前に試みられていた〈Obscure〉の運営も重要で、そこから放たれた10枚のアルバムによって、新たな音楽のあり方を思索する下地が用意されたと言っても過言ではない。ペンギン・カフェ・オーケストラを率いるサイモン・ジェフスもその〈Obscure〉から巣立ったアーティストのひとりである。同楽団は「イーノ以降」のクラシック音楽~ミニマル・アンサンブル~アヴァン・ポップのある種の理想像を作り上げ、じつに多くの支持を集めることとなったが、残念なことにサイモンは脳腫瘍が原因で1997年に亡くなってしまう。
 それから12年のときを経て、サイモンの息子であるアーサーがペンギン・カフェを「復活」させた。メンバーも一新され(現在はゴリラズのドラマーや元スウェードのキイボーディストも在籍している)、グループ名から「オーケストラ」が取り払われた新生ペンギン・カフェの登場は、ちょうど00年代後半から盛り上がり始めたモダン・クラシカルの潮流とリンクすることとなり、彼らの音楽は今日性を獲得することにも成功したのだった。であるがゆえに、彼らの新作『The Imperfect Sea』がまさにモダン・クラシカルの牽引者と呼ぶべきレーベル〈Erased Tapes〉からリリースされたことは、きわめて象徴的な出来事である。その新作は、これまでのペンギン・カフェの音楽性をしっかりと引き継ぎながら、クラフトワークやシミアン・モバイル・ディスコのカヴァーにも挑戦するなど、貪欲にエレクトロニック/ダンス・ミュージックの成分を取り入れた刺戟的な内容に仕上がっている。
 10月に日本での公演を控えるペンギン・カフェだが、それに先駆け来日していたアーサー・ジェフス(ピアノ)とダレン・ベリー(ヴァイオリン)のふたりに、これまでのペンギン・カフェの歩みや新作の意気込みについて話を伺った。

僕の場合、父が亡くなったときはまだ子どもだったということもあって、悲しみよりは、音楽にまつわる父との楽しい思い出やものを引き継いでいく、というような感覚があったんだ。 (アーサー)


Photograph by Ishida Masataka

1997年にペンギン・カフェ・オーケストラの創設者であるサイモン・ジェフスが亡くなって、2007年に没後10周年のコンサートがおこなわれました。その後2009年にアーサーさんを中心としたペンギン・カフェが始動します。ペンギン・カフェを始めようと思ったのはどのような理由からなのでしょう?

アーサー・ジェフス(Arthur Jeffes、以下AJ):父の没後10周年コンサートは3日間おこなったんだけど、そのときに父の時代のミュージシャンたちが集まってくれて、一緒に演奏することができたんだ。じつは僕にとってはそれが初めて人前で演奏するコンサートだったということもあって、緊張感もあったし、父と同世代のミュージシャンだから当然僕よりも年上で経験値もあって、あっちはあっちでこうあるべきと思っているんだけど、一応僕が父の息子という立場上、何か言わなければいけなくて……それで音楽の持つデリケートなバランスが壊れてしまったようなことがあったんだ。だから、そこから続けてやるというよりは、思い出の扉を閉めるようなつもりでやったんだよね。それから1年後にイタリアの友だちから「家に来て音楽をやってくれないか」って声がかかったんだ。

ダレン・ベリー(Darren Berry、以下DB):家ってもんじゃないな。あそこは城だったよ(笑)。

AJ:そこに呼ばれたので、ダレンとダブル・ベースのアンディ(・ウォーターワース)、ギターの(トム・)CCと行ってみたんだ。ワインを作っている広い農家で、友だちとやるという気楽さが良かったんだろうけど、プレッシャーも感じずにやってみたら、まるで父親の音楽が生き返ったような感覚を味わったんだよ。自分でも何かやってみようと思うようになったのはじつはそこからなんだよね。

芸能の分野で世襲というケースはよく見られますが、一方で政治的な分野では世襲制は好ましくないものとされますよね。父のあとを継ぐということに関してはどうお考えですか?

AJ:たしかにイギリスの音楽でも世襲でやっているアーティストはたくさんいるからよくわかるけど、僕の場合、父が亡くなったときはまだ子どもだったということもあって、悲しみよりは、音楽にまつわる父との楽しい思い出やものを引き継いでいく、というような感覚があったんだ。難しいことを言えば、その音楽のストーリー性がうんぬんとか、こういうことをするのがはたして正しいのかとか、もし自分が新しくやるのなら名前も「ミュージック・フロム・ペンギン・カフェ」にするべきなのかとか、いろいろなことを考えたけど、それよりももっと感情的な部分というか本能的な部分というか、僕はそういうところで突き進んできたような気がするんだ。あとやっぱり最初の頃は、父が残してきた音楽があって、それを僕らがライヴでやる、というキャラクターが強かったからね。もちろん譜面に書かれたものどおりじゃない、僕らなりのアレンジも自由にできたし、ライヴの場においては自分の解釈でやっていくということがけっして間違いじゃないと思っている。

DB:「ライヴでこれを聴きたい」って人がたくさんいたんだよね。求められているという感覚もあったと思うよ。やっぱりアーサーのお父さんの音楽はたくさんの人に愛されていて、「またあれを聴きたい」という声も多くあったから、それを僕らなりにやっていこうじゃないか、というのがとっかかりだったと思う。あと、バンドだから楽器があって、たとえば“Music For A Found Harmonium”ってタイトルの曲があるんだけど、それは(アーサーの)お父さんがハーモニウムという楽器を見つけたことがきっかけになって書いた曲なんだ。それを、「その楽器はこれですよ」って目の前で弾いてあげるような感覚というのが僕らが提示したかったもののひとつなんじゃないかな。

ペンギン・カフェ始動の2年後にアルバム『A Matter Of Life...』が出ます(2011年)。このときはどういう思いでアルバムを作ったのでしょうか?

AJ:そこにいたるまでの数年間にライヴ活動をやってきた結果、この先に進むにはまずいまの状態の自分たちを記録する必要があると感じて作ったアルバムだった。2010年にロイヤル・アルバート・ホールでライヴをやる機会があったんだけど、それで一区切りついたということもあって、父親の曲のカヴァーだけじゃなくて、ようするにありものの曲だけをやるミュージアム・バンドじゃないところに進んでいきたいという思いがあったから、あのアルバムははたしてそれが本当にできるのかというテストでもあったんだ。レコーディング自体は4、5ヶ月で終わって、僕らからしてみるとすごく早いペースでできた作品だったからすごく緊張していたね。そういう不安のなかで作っていて、「とにかくやってみよう」ということでやってみたんだけど、とてもいいものができたんじゃないかな。結果には満足しているよ。もちろん演奏のミスとか間違いがあったりもしたんだけど、それが逆におもしろいと思えたらキープして、不完全さを良しとするみたいなことをあのアルバムではやっていたんだよね。

その後アーサーさんは、現ペンギン・カフェのもうひとりのヴァイオリニストであるオリ・ラングフォードさんとユニットを結成して、サンドッグという名義で『Insofar』(2012年)というアルバムをリリースします。それがペンギン・カフェではない名義で発表されたのにはどのような経緯があったのでしょう?

AJ:僕はたくさん曲を書いているから、なかにはペンギン・カフェっぽくないなと思うものができあがるときもあるんだ。それがどう違うかというのを説明するのは難しいんだけど、僕の感覚としてはそう思うところがあったので、いつも一緒にいたオリとサンドッグというユニットを作ったんだ。『A Matter Of Life...』の最後に“Coriolis”という曲があって、それは僕とオリだけで静かに繊細な音を奏でている曲なんだけど、こういう音をもうちょっと追求してもいいのかなと思ったんだ。でもそれはペンギン・カフェでやることではないと思ったから、オリとふたりのユニットという形でサンドッグが生まれたんだよね。ペンギンでやっているものよりはロマンティックというか、シネマティックというか、そういう方向性を追求したデュオだったね。

そしてペンギン・カフェとしてのセカンド・アルバム『The Red Book』が2014年にリリースされます。これはどういうコンセプトで作られたのでしょうか? サンドッグの活動からフィードバックされたものもあったのでしょうか?

AJ:オリとふたりで音を作ったあとだったから、あのアルバムの制作に取りかかったときは、自分のなかにヴァイオリンとピアノの音が残っていたのかもしれない。そのふたつの楽器の色合いが強く出たアルバムだったと思う。考え方としては、世界を旅しながら、空想の世界のワールド・ミュージック、フォーク・ミュージックを作ったような感覚があって、前のアルバムに比べたら時間もかけたし、木材にサンド・ペーパーをかけてスムースに仕上げたような、すごく磨かれたアルバムになったんじゃないかなと思っているんだ。実際のレコーディングでは、グループが一同に集まって一緒に録るということをよくやったアルバムだったよ。

僕らにとっては他の人の、しかもいまのアーティストの曲をカヴァーするってこと自体が新しいことで、いままでかぶったことのない帽子をかぶるような感覚なんだ。〔……〕この楽器編成で僕らが演奏すれば絶対に僕らの音になる、という確信があるからこそできたことでもあると思う。 (ダレン)


Photograph by Ishida Masataka

それらのリリースを経て、この夏、3枚めとなるアルバム『The Imperfect Sea』がリリースされたわけですけれども、これまでの作品とは異なる趣に仕上がっているように感じました。

AJ:前作『The Red Book』とはまったく違うアルバムを作りたかったんだ。一度やったこととは違うことをやりたいという意味だけどね。フォークやチェンバー的な部分は前作でだいぶ探求できたと思ったから、今回はそれとは離れたところにあるものを探求してみようという感覚で作り始めたんだ。それにあたって、前作の活動が一段落したところで1年間くらい活動を控えて、自分たちにあるものを見直してみようというふうに考えてみた。新しいテクスチャーに出会えた気がするよ。

DB:今回はダンス・ミュージック的な要素がかなり出ていると思うんだけど、これも前作の反動なんじゃないかと思う。ようするにリズムやポリリズム、ビートに引っ張られて走っていくような音楽というのはクラシック音楽とは違う要素で、今回はそれを意識的にやってみようと思ったんだよね。それも、一度リセットしたことによって出てきた発想だろうね。

いまのダレンさんのお話とも繋がると思うのですが、今回のアルバムの9曲目はシミアン・モバイル・ディスコのカヴァーですよね。みなさんはふだんからそういった音楽を聴いているのですか?

AJ:そうだね! よく聴いているよ。いまはダンス・ミュージックの世界でおもしろいものがたくさん出てきているからね。あと僕らはいま〈Erased Tapes〉と組んでいるということもあって、そういうクロスオーヴァーは自然な発展だと思う。僕らからするとクラシカルな世界からエレクトロニックな世界へのクロスオーヴァーってことになるんだけど、エレクトロニックといっても僕らの場合は電子音を使うわけじゃなくて、エレクトロニック的なアプローチって意味でのクロスオーヴァーなんだ。

DB:僕らにとっては他の人の、しかもいまのアーティストの曲をカヴァーするってこと自体が新しいことで、いままでかぶったことのない帽子をかぶるような感覚なんだ。やってみると表現のしかたという意味でも、楽器の演奏のしかたという意味でもいろんな発見があって、自分たちが自分たちのために書いた曲とは違うから、(カヴァーを)やってみて自分を知るような機会にもなったし、すごく楽しかった。勉強になったよ。そういうふうに言えるのも自分たちのアイデンティティがしっかり確立しているからだと思うんだよね。何をどうやっても結局ペンギン・カフェの音になるんだ。この楽器編成で僕らが演奏すれば絶対に僕らの音になる、という確信があるからこそできたことでもあると思う。

4曲目はクラフトワークのカヴァーですが、これもそういった理由から?

AJ:そうだね。じつを言うとペンギン・カフェ・オーケストラが初めてやった公演はクラフトワークの前座だったんだよ。そういう意味で歴史的にも気の利いた繋がりがあるというのと、あとはやっぱりこの系統の音楽の源泉にあるのはクラフトワークだし、彼らは絶対的な存在だから、やるんだったら源泉まで遡ってやろうということもあったね。

先ほど〈Erased Tapes〉の話が出ましたが、ペンギン・カフェが始動した頃から「モダン・クラシカル」と呼ばれるような音楽が盛り上がってきて、そのムーヴメントとペンギン・カフェの復活がちょうどリンクしているように思ったのですが、そういうシーンと繋がっているという意識はありますか?

AJ:シーンの一員っていい気分だよね(笑)。でもたしかにそれはあると思う。パラレル的に、同時多発的に、いろんなところからスタートして似たようなことをやっている人たちが惹かれ合ってシーンができていくという感覚は僕もあるよ。〈Erased Tapes〉にはア・ウイングド・ヴィクトリー・フォー・ザ・サルンやニルス・フラームがいるし、そういった人たちがいろんなところから出てきて何かが始まっているという、そういうシーンのなかにいるというのはいいものだね(笑)。

ペンギン・カフェの音楽にはアンビエント的な要素もあります。ペンギン・カフェ・オーケストラの最初のアルバム(1976年)はブライアン・イーノの〈Obscure〉からリリースされましたが、彼が提唱した「アンビエント」というコンセプトについてはどうお考えですか?

AJ:たとえば布のような、あるいは背景のような存在としての音楽、という考え方だと僕は思っているよ。ようするにストーリーを色濃く語ってくるわけでもないし、パターンが決まっているわけでもないから、アプローチとしてはどうすればいいのだろうと一生懸命考えていて。音楽として取り組むというよりは、たとえば風と対峙するような、壁紙を貼るような、床板を貼るような、あるいは水の流れと対峙するような感じで音楽を作っていくのがアンビエントなんじゃないかと思う。

DB:そうなんだよね。だから自分を取り囲む環境と同じように音楽があるという、そんな質感だと思うんだ。たしかに僕らの音楽にもそういう側面はあって、たとえば僕らのアルバムを3回通して聴いたとして、どこから始まってどこで終わったのかわからなくなるような、そういうところが僕らのアルバムにはあるんだよね。まさにそういう流れがアンビエントなのかなと思うね。

イーノはここ数年、音楽に取り組む一方で政治的な活動もおこなっています。UKでは昨年ブレグジットがあったり、先日は総選挙があったりしましたが、そういう社会的な出来事はミュージシャンたちにどのような影響を与えると思いますか?

AJ:そういえば先日、バレエのプロジェクトの仕事があってアメリカに行ったんだけど、それがコール・ポーターの1921年の作品(“Within The Quota”)をリヴァイヴするというものだったんだ。それは当時、移民を禁じる新しい法律が布かれることに対するプロテストとして書かれた作品だったんだけど、じつはその仕事を受けた段階ではまだトランプが大統領に決まっていなくて、まさかこんなことになるとは思わずにプロジェクトを進めていたんだ。公演の当日にはすでにトランプが大統領になっていて、それどころか新しい移民法が布かれようとするなかでの公演になってしまった。そういうことを考えると、おそらくミュージシャンに右翼の人はあまりいないと思うんだよね。だいたいの人はリベラルな考えで音楽やアートをやっていると思うんだけれども、だからこそイングランドでもそういった政治的な動きに対するプロテストがすごく多くなっていて、実際にこの前の総選挙のときにチャートのナンバー・ワンになったのが(キャプテン・スカの)“Liar Liar”という曲だったし、音楽と政治の距離感というのはすごく縮まってきているような気がするよ。

DB:まったくそのとおりだね。アーティストで右翼ってそうそういないと思うんだ(笑)。やっぱり心を開いていないと芸術ってできないし、グラストンベリーでジェレミー・コービンが演説をするようなことがあるくらいだから、意識せずにはいられないところまできていると思う。あと、いまは学校から音楽教育が外されてしまっているんだけど、音楽はけっして贅沢品じゃないし、算数などと同じように、教育の場で提供されることによって、魂の部分だけじゃなくて脳の活性化もできるに違いないのにね。そういうことを重んじない政治が進んでいるということに対して、年配の世代だけじゃなく若い世代も敏感になっているんじゃないかな。やっぱり音楽や芸術の存在は年寄りよりも若い人にとってすごく身近なものだと思うからね。

ペンギン・カフェ来日公演2017

●10/05(木) 東京・渋谷クラブクアトロ
18:30 開場/19:30 開演
前売:6,000 円/当日:6,500 円(全自由/税込)
※チケット発売日:07/08(土)より
問:渋谷クラブクアトロ 03-3477-8750

●10/07(土) 東京・すみだトリフォニーホール
special guest:やくしまるえつこ/永井聖一/山口元輝
16:30 開場/17:15 開演
前売S 席:6,800 円/前売A 席:5,800 円(全席指定/税込)
※チケット発売日:07/08(土)より
問:プランクトン 03-3498-2881

●10/09(月・祝) まつもと市民芸術館主ホール
special guest:大貫妙子
14:30 開場/15:00 開演
一般:5,800 円/U25:3,800 円(全席指定/税込)
※チケット発売日:06/24(土)より
問:まつもと市民芸術館チケットセンター 0263-33- 2200

●10/10(火) 大阪・梅田クラブクアトロ
18:30 開場/19:30 開演
前売:6,000 円/当日:6,500 円(全自由/税込)
※チケット発売日:07/08(土)より
問:梅田クラブクアトロ 06-6311-8111

お客様用総合info:プランクトン03-3498-2881

Bwana - ele-king

 昨春〈LuckyMe〉からフリーで配信されたミニ・アルバム『Capsule's Pride』を覚えているだろうか? それは、大友克洋の映画『AKIRA』英語版の台詞と、芸能山城組が手がけた同作のサウンドトラック音源からのサンプリングによって構築された、じつに興味深い作品だった。制作者はトロント出身でベルリンを拠点に活動しているDJ/プロデューサー、ブワナ。すでに「Over & Done」や「Baby Let Me Finish」、「Flute Dreams」といった12インチで高い評価を得ていた彼だけれど、『Capsule's Pride』のブレイクによってその名はより幅広い層へと知れわたることとなった。そんな注目のプロデューサーがこの秋、初めての来日を果たす。詳細は下記をチェック。

漫画家・大友克洋さんが原作・監督をつとめたアニメ映画『AKIRA』のサウンドトラックをリミックスしたEP「Capsule's Pride」が、2016年にスコットランド・グラスゴーに拠点を構える人気レーベル〈LuckyMe〉から無料配信されたことで一躍有名となったトロント生まれ、現在はベルリン在住の若手プロデューサーのBwanaが初来日を遂げる!!

数年前に『AKIRA』のサウンドトラックがアナログ盤で再発されたことをきっかけに同アルバムをもとにして映画からセリフなどをサンプリングし話題をさらったBwana。現在YouTubeでも漫画『AKIRA』のカットを用いて、全曲フル音源で公開されている。

★10万回以上も再生されている「Capsule's Pride」はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=8nCg3D6tnLk

初来日となる今回はカッティング・エッジで洗練された若手DJ陣を主軸にジャンルレスなゲストを迎えているパーティー《sHim》に出演。翌週にはソウルでもギグが決まっている。

title: sHim
2017.10.20 (FRI) OPEN: 23:00
at CIRCUS Tokyo

DOOR: 2,500YEN
ADV: 2,000YEN
チケット… https://ptix.at/31VI85

GUEST DJ:
Bwana (from Berlin)

B1 Floor:
AKARI (SUNNY)
EITA (THE OATH)
REN (World Connection)

1st Floor:
Atsu
Keiburger
Koki (Bohemian Yacht Club)

■CIRCUS Tokyo
3-26-16, Shibuya, Shibuya-ku, Tokyo 150-0002 Japan
+81-(0)3-6419-7520

■Bwana
カナダ/トロント出身のBwanaは2015年より本格始動。Will Saul主宰の〈Aus Music〉からリリースした「Flute Dreams EP」は、音楽媒体の間で普遍的な支持を得て、2014年ベストEPのひとつとして賞賛された。タイトル・トラックは、SashaとHuxleyのBBC Radio 1のEssential Mixes、Laurent Garnier、J. Phlip、Jacques Greeneらがパワープレイ。彼の2度目となった〈Aus〉からのリリース、「Tengo EP」は、John Digweed、Skreamなどがこぞってプレイしさらに名声を得た。
DJとしてはロンドンのFabric、ベルリンのPanorama barなどでプレイしハウスやテクノ以外の幅広いジャンルを混在させるBwanaの能力、その多様性が高く賞賛されている。
現在、ベルリンを拠点とするBwanaは若手プロデューサー/アーティストとして新しい音とアイデアをさらに探求し続けている。
https://soundcloud.com/nathanmicay

Kassel Jaeger - ele-king

 ミュジーク・コンクレートはサウンドの接続と変化の実践であり、音が実体から切り離されたとき音響イメージが聴覚にどう影響を与えるかを思考する実験でもある。いうまでもないがその祖はピエール・シェフェールで、その手法の多くがピエール・アンリに負っている。さらにはリュック・フェラーリやフランソワ・ベイルなどの現代先端シーンへの多大な影響力も忘れるわけにはいかない。そしてそれらはシェフェールが設立したGRM(フランス音楽研究グループ)という現代音楽/電子音楽史上の重要な組織へと繋がっていく。つまり先進とオーセンティックを合わせ持った音楽史へと至り、やがて複雑に分岐していく。
 同時にその唯物論的な芸術の実験・実践は、ヤニス・クセナキスの電子音楽、ピエール・ブーレーズの現代音楽のみならず、第二次世界大戦後のフランスにおける言語/映像における接続の実験にも交錯可能である。例えば小説におけるアラン・ロブ=グリエ『迷路の中で』やル・クレジオの初期作品『大洪水』『物質的恍惚』に代表されるヌーヴォーロマン、映画史におけるヌーヴェルヴァーグの映像と音響、中でもジャン=リュック・ゴダールが発展させ80年代から90年代にかけて現実化したソニマージュ映画『パッション』『カルメンという名の女』『右側に気を付けろ』『映画史』『新ドイツ零年』などの参照点へ線を引くことは可能なのだ。思わずフランスという地のマテリアリズム/唯物論的な芸術の系譜について饒舌に語りたくもなってしまう。
 しかし、それはむしろフランスという地の芸術運動であるというよりは、ヨーロッパの芸術が20世紀初頭におけるダダやシュルレアリスム、そして未来派など即物的マテリアルの新しい使用方法というアンチ・ロマン主義的な芸術を生み出したことと深く関係していたことはいうまでもない。ではなぜアンチ・ロマン主義なのか。まずは第一次世界大戦直前の20世紀型テクノロジーの予兆がもたらすある種の技術賛美思想によって19世紀的な芸術思想を超克するという一種の世代的な芸術闘争だった。次に第二次世界大戦を挟みヨーロッパはイタリアとドイツのファシズムを経験したことでそのアンチ・ロマン主義はアンチ・ファシズムを内包したものに「上書き」された(ヴァルター・ベンヤミンの「政治の芸術化/芸術の政治化」)。
 つまり「戦後」ヨーロッパの20世紀型マテリアリズムは、脱ロマン主義(近代の終わり・現代の始まり)と反ファシズム(世界戦争後の世界)という二重の屈折を内包していたわけである。ゴダールの屈折も分かるというものだし、ジル・ドゥルーズが『シネマ2』で『ドイツ零年』や『イタリア旅行』のロベルト・ロッセリーニ以降などの戦後的映画において統一的な時間の持続が失われた問題を論じたことも分かってくるだろう。

 ここで話は一気に現代に飛ぶ。フランスを拠点とする1981年生まれの音響作家カッセル・イエーガー(Kassel Jaeger)の新作『アスター』(Aster)についてだ。〈エディションズ・メゴ〉(Editions Mego)からリリースされたこの新作は大変に素晴らしい。彼はこれまでも〈セヌフォ・エディションズ〉(Senufo Editions)、〈アンファゾムレス〉(Unfathomless)、〈エディションズ・メゴ〉、〈シェルター・プレス〉(Shelter Press)などのマニアから一目置かれるレーベルからアルバムをリリースしており、現代的なミュジーク・コンクレートを考えるときに忘れてはならない重要な作家でもある。また、フランソワ・ボネ(François Bonnet)名義でGRMのエンジニア/ディレクターを務める人物でもあり、いわゆるアカデミックな系譜にいる音楽家ともいえる。あの〈エディションズ・メゴ〉傘下の電子音楽/現代音楽リイシュー・レーベル〈リコレクションGRM〉(RECOLLECTION GRM)の監修を行い、現代のシーンと電子音楽の歴史を繋ぐことに多大な貢献もしているほどだ。
 しかし、その彼の楽曲も含めた2010年代以降のヨーロッパ発のエクスペリメンタル・ミュージックには20世紀的芸術が抱え込んでいた屈折は既にない。ロマン主義的な感性とマテリアリズムを程よくミックスさせることでミュジーク・コンクレート的なサウンドを2010年代に相応しいアンビエンスとしてリ・コンストラクションさせようとする意志を感じることができるのだ。これは00年代の初頭のグリッチ・ムーヴメントがあまりにマテリアリズムに傾き過ぎたことへの反動といえるが同時に00年代末期から00年代前半にかけて流行った過剰にロマンティックなアンビエント/ドローンとは似て非なるものにも思える。
 単に甘いコードを持続させたものではない。音響と音響をエディットし音楽の気配と断片を生成することで一種のポエジー(=詩学)を生んでいるのである。2017年のカッセル・イエーガーは、〈エディションズ・メゴ〉からジム・オルークとのコラボレーション・アルバム『ウェイクス・オン・セルリアン』(Wakes On Cerulean)をリリースしていることからも象徴的だが、近年の汎ヨーロッパ的なエクスペリメンタル・ミュージックは、2010年代的初頭的なアンビエント/ドローンの系譜というよりは、90年代の初期シカゴ音響派の系譜にあると考えた方がいい。じじつ初期シカゴ音響派にはリュック・フェラーリ的なミュジーク・コンクレートからの影響が強くあった(例えばジム・オルーク『ルールズ・オブ・リダクション』)。
 また2016年に〈シェルター・プレス〉からリリースされた ステファン・マシュー(Stephan Mathieu)とアキラ・ラブレー(Akira Rabelais)とのコラボレーション・アルバム『ツァウバーベルク』(Zauberberg)も「新しい音響詩学」とでも形容したいコンクレート・アンビエンスなアルバムに仕上がっていた(彼は90年代の音響実験の系譜を意識的に継承しようともしているようにも感じられる)。

 〈エディションズ・メゴ〉からリリースされた新作『アスター』は、その「続編」といえなくもない仕上がりである。そのうえミュジーク・コンクレート的な技法を継承しつつも、新しいダーク・アンビエント/ミュージックとして聴取することは十分に可能なのだ。不思議な「聴きやすさ」がある。1曲め“Aster”から横溢している冷たい洞窟の中のような音の質感には独自のアンビエンスが生成しており、聴き手の耳をいつのまにか引き込んでいってしまうサウンドとなっている。その細やかな静謐さは、次第に音量を増していくサウンドの中に粒子のように聴覚空間に散らばっていく。この音の質感、動き、空間、構築、構成を存分に味わうことで、ミュジーク・コンクレートの現代的活用という現在のエクスペリメンタル・ミュージック・シーン先端性を満喫することができるだろう。
 本アルバムは、「その」音が本来の姿(イメージ)から切り離され、「この」音のみの実存/存在となり、そこから新たな音的状況が生成・変化を遂げている。特にアナログ盤D面、データだと7曲めからラスト9曲めに収録されている“Ner”、“Uminari”、“L'étoile du matin”の闇の中の光のような音響空間は、音のみで新しいイマジネーション/イマージュを生み出しているかのように聴こえた。そして、そのサイレンスな終焉。いわば音なき世界へ。それはいわば真夜中の音=イマージュだ。夜とはロマン主義の象徴である。確かにこのアルバムでは、そこかしこに夜の鳥の鳴き声のような音が聞こえてくる。

 本作も含めた現代のエクスペリメンタル・ミュージックにはもはやアンチ・ロマン主義は感じられない。とはいえ単純なロマン主義への心理的回帰でもない。ではその音はどのようなムードを鳴らしているのか。一種の滅びゆくもの、廃墟へのアンビエンスではないか。この『Aster』も同様である。廃墟的、遺跡的なものへの親和性。夜の廃墟。夜の鳥。夜の化石。夜の遺跡。夜の痕跡。夜の発掘。夜の聴取。アートワークの物体のむこうに光るものが、そのような音響=イメージを象徴しているようにも思えてならない。

interview with Takuma Watanabe - ele-king


渡邊琢磨
ブランク

Inpartmaint Inc.

Ambient

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 『ブランク』にもその音源を収録する染谷将太監督の短編映画『シミラー バット ディファレント』をはじめて目にしたのは2014年、〈水戸短編映画祭〉に招かれて渡邊琢磨と壇上で話したとき、短くも他者とのかかわりを繊細にきりとったこの映画を渡邊琢磨の音楽は静謐にいろどっていた。あれから3年、同年のソロ名義の前作『アンシクテット(Ansiktet)』が呼び水になったのか、翌年の冨永昌敬監督の『ローリング』、今年に入ってからは吉田大八監督の『美しい星』など渡邊琢磨は映画音楽をじつによくし、映画と音楽の関係がともすればアニメのそれに似通いがちな昨今の風潮の向こうを張る旺盛な実験精神をしめしてきた。ことに『美しい星』は今年の邦画界でも評判をとったのでご記憶の方もすくなくないにちがいない。内容については本媒体の水越真紀の秀抜な評文にゆずるとして、映画が公開するひと月前あたり、私はぶらぶらしていたとき、渡邊琢磨に近所のまいばすけっとの前でばったり会った。聞けば、これから『美しい星』のサントラのマスタリングなのだという。私は渡邊琢磨の音楽を聴くのは、まいばすけっとに行くことの数億倍は楽しみにしているが、はたして『美しい星』のサントラは期待をうわまわる出来映えだった。さらに間を置かず、新作『ブランク』を手にするとなるとよろこびもひとしおである。またこのアルバムは前作からつづくサイクルをいったん閉じるものであり渡邊琢磨にとっての映画と音楽の在り方の回答のひとつでもある。
 毎度ながら、対話は個別具体的な作家評はもとより近況報告まで、多岐かつ長時間にわたった。渡邊琢磨の音楽から現状を透かし見れば話題は尽きない。おそらく坂本龍一とダニエル・ロパティンの試みをおなじ視野におさめられるのは彼をおいてほかにいない。
 どういうことか、みなさんが目にしている印象的なジャケット写真を撮影したその日、ぐずついた日々の幕間のような熱暑にみまわれた東京の渋谷で(映画)音楽家渡邊琢磨に話を訊いた。

映画音楽がおもしろいのも、音楽家個人の作家性の問題にとどまらないからですよ。基本的には映画の演出効果の一環ですし、その点、匿名的なものですが、それでかえって、相関的に音楽がつくられる。

『ブランク』を聴くと、今年の『美しい星』や一昨年の冨永昌敬監督の『ローリング』など、琢磨くんが近年手がけた映画音楽は前作の『アンシクテット(Ansiktet)』(2014年)とひとつながりのように思いました。言い方はわるいかもしれませんが、ひとの土俵で自分のやりたいことをやっていたというか。

渡邊琢磨(以下、渡邊):一面的には、おっしゃる通りです(笑)。牧野(貴)さんの『Origin Of The Dreams』(2016年)もふくめ、付帯音楽の仕事は、僕がつくりたい音楽の実験の場にもなっています。

『アンシクテット』の意味は「顔」で、イングマール・ベルイマンの作品名の引用ですよね。当時すでにそういうことをやっていこうと思っていたと今回あらためて気づいたんですね。

渡邊:あのアルバムの制作を経て、映画監督にサウンドトラックの提案ができるようになりました。低予算でハリウッド映画にひけをとらない音楽がつくれます! というような(笑)。

低予算というのは魅力的だものね。

渡邊:卓録でハリウッドできますよ! というわけです(笑)。とはいえ、計画性があったわけではなく、アルバム制作後、映画音楽の仕事が重なっただけですが。『美しい星』の音楽を担当することになったのも、冨永昌敬監督の『ローリング』をみた(吉田)大八監督が、同作の映画音楽に興味をもったことがきっかけです。

『ローリング』は音楽がながれつづける映画でしたよね。

渡邊:冨永監督は、編集の際に1曲の劇伴を異なるシーンで再利用して、各々の場面や登場人物のエモーションを異化効果的に、重層的にしていく手腕があるのですが、『ローリング』の音楽制作時には、あえて厳密に「ここのTC(タイムコード)から、この位置まで(音楽を)当ててます」という指示書きをつけて完成した曲を送っていました。制作のスケジュールが少々タイトだったので、逆にバタバタとこちらの思惑通りことが運びました(笑)。それが意外に評価いただいた次第です(笑)。

いやよかったですよ。音楽も、映画をひっぱる推進力になっていたし。

渡邊:映画のハイライトあたりに、尋常じゃないテンションの男が電気ドリル片手に主人公を追いかけてくるって、これはもう脚本で読むかぎり、とてもサスペンスフルなシーンのはずですよ! でも、冨永監督が演出した本編シーンをみると、おかしなことに追いかけられてるはずの主人公が切羽詰まってない、なんとなく逃げてる(笑)。音楽家としては大変困ったシーンです(笑)! そこであえてサスペンスに寄せた劇伴、というかこれは冨永監督と私の共通見解で、『ゴッドファーザーⅡ』の暗殺シーンの音楽パロディをつくりまして、それを当てたところ、緊張感を煽る音楽と、滑稽な登場人物たちの挙動のアンバランスさが、さらなる異化効果、なのかすらもわからない不条理な名場面になりまして(笑)。

それが斬新とうけとられると――

渡邊:実際どうなのかわかりませんが(笑)。してやったり、という感じでしょうか(笑)。

『アンシクテット』のとき、お金がないから卓録でオーケストラやるんですよ、と琢磨くんはいっていて、それはそうなんだろうと思いつつ、考えてみればその手法自体が汎用可能な方法になっていたのが、ふりかえって考えるとおどろきでした。きのう『アンシクテット』から『ブランク』をつづけて聴いたんですが、そうすると発見があるんですね。

渡邊:やり方がわかってきて調子に乗ってるのかもしれません(笑)。でもなにがしかの企画や前提条件ありきではなく、自分が聴いてみたい音楽を制約なしでつくることが、結果、映画音楽などの仕事のシミュレーションになってますね。『アンシクテット』をつくっていた時点ではあくまで、映画音楽のようなテクスチャーで自分の音楽をつくる、それで完結でしたから。事後、映画監督との共同作業に派生していったのは、おもしろいながれではありますが。

たとえば往年のハリウッド映画のサントラを卓録でやると聞くと、いかに生の音をPCで再現するかという部分に耳がいきがちですが、それをふくめたサウンド総体に独自性があったんだと『美しい星』のサントラや『ブランク』を聴いて思いました。ところがそれも『アンシクテット』の時点にすでにその萌芽があったということが遡及的に理解できたんですね。

渡邊:シンフォニックな生楽器の響きと、電子音ないしダンストラックなどの機械的な響きの整合性をはかるのは、サンプリング技術などが発達した現代にあっても悩ましい問題です。表層的には異種の音の垣根などなさそうに思えますが、そこには楽曲や音響上の問題だけではなく、ジャンル固有の歴史的文脈や修辞法による先入観もあり、実際、アレンジやミックスの段になると、個々の音の差異に生理的な違和感をもつことが多々あります。とはいえ、その水と油をあえて混ぜる好奇心には抗えませんし、当初から関心がありました。

生楽器なりオーケストラなりと電子音楽をブレンドするのは、だれでも考えつくんですが、ジェフ・ミルズにしろカール・クレイグにしろ、彼らのオリジナル以上になるかといえばそうではないもんね。

渡邊:演奏者と作曲者、または編曲者の関係性にも依拠する問題かと思います。作曲者に明確な音のイメージがあっても、その音をどのように記譜して演奏者に伝えるかを熟慮しなければなりませんし、音符や記号に忠実な演奏をしても、作曲者の意図に沿わない場合もあります。そういう作曲者の苦悩というか、演奏者と作曲者の障壁の解決法として、様々な記譜法が20世紀以降に考案されてきたわけですが、私的には、演奏者の想像力を頼りにするか、もしくは仮想オーケストラでてっとりばやく具体化するか(笑)、いずれにせよ、いろいろハードルがありますね。かといってポスト・クラシカルだとか、そういうサブジャンルに逃げ込むのもイヤですし。

ポストロックはむろんのこと、琢磨くんはジャズにせよ、ラテンやロックでもいいんですが、そういうことの中心にはいかないように気をつけているようにみえるんですが、それは意識的なんですか。

渡邊:結局ラテンといっても、僕の場合〈アメリカン・クラーヴェ〉というか、キップ・ハンラハンですからね(笑)。自分はラテン音楽の当事者にはなりえないですが、周縁からラテンというか、移民、多民族のアンサンブルにアプローチして音楽をつくる、それもある種ラテン的なおもしろさだと思います。ラテン音楽の歴史やなりたちの複雑さを考えると、人種や文化のちがいから生じる摩擦ありきの音楽も、広義の意味でラテンじゃないかと。映画音楽がおもしろいのも、音楽家個人の作家性の問題にとどまらないからですよ。基本的には映画の演出効果の一環ですし、その点、匿名的なものですが、それでかえって、相関的に音楽がつくられる。染谷監督の『ブランク』などは、音楽制作に関しては自己完結してますが、映画の主題ありきですし、ふだん自分ではつくらない音楽がひっぱりだされています。そうした想定外のところにいかないと、なんにせよおもしろくないというのはありますね。

染谷さんの『シミラー バット ディファレント』は、以前琢磨くんが〈水戸短編映画祭〉に呼んでくれたときに上映したのをみましたが、あれがおふたりの最初の共同作業ですよね。

渡邊:そうです、2013年なので『アンシクテット』の1年前。

染谷さんとの出会いはそもそも――

渡邊:冨永昌敬監督の映画『パンドラの匣』(2009年)の打ち上げ会場に、冨永監督に呼ばれてお邪魔したら、たまたま隣の席が染谷くんだった。それがきっかけで一緒に遊ぶようになって。『シミラー バット ディファレント』の音楽を手がけたのは、出会ってからだいぶ時間も経っていて、いちおう僕が音楽担当になってますけど、染谷監督から映画音楽の依頼がきたわけでもなく、「映画音楽ってどうすればいいんですかね……」「そうねぇ……」とかいう相談からはじまったんですよ(笑)。あーだこーだ話しているうちに、面倒になってきて1曲つくって送ったところ、結果的に音楽担当になったような感じです。

自主制作でしたよね。

渡邊:そうです。仕事という感じでもなかったですね。映画によっては、映像に音を当てる前段階から音が聴こえてくるような作品がありますが、染谷監督の映画にも独特のグルーヴのようなものがあって、音楽の方向性は比較的つかみやすいです。もちろん軌道修正が必要になることもありますが。『美しい星』は、少々大変でした(笑)。

吉田監督のどういったところがたいへんだったんですか。

渡邊:大八監督がたいへんというより、音楽制作の期限に対して必要とされる曲数が、少々多かった(笑)、そういう時間的な問題です。それでかつ、大八監督から「この曲にはもうちょっとベースが欲しいですね」等々いわれると「ベースは後回しです!」とか、なりますよね(笑)。

ベースって音楽的な意味でのベースということ?

渡邊:大八監督は音楽に関しても独特の嗜好がありまして。監督は趣味でベースも弾くのですが、ミック・カーンが好きなんですよ(笑)!

私もそうですが、ベーシストといってミック・カーンとコリン・ムールディングとパーシー・ジョーンズを挙げるひとはたいがいひねくれていますよ。

渡邊:あまりベースっぽくない演奏をするベーシストですね(笑)。なのでわりと詳細な音のオーダーもあったりするのです。時間があればいくらでも実験したいのですが。

工程の話でしたね。

渡邊:そうです。

でも『美しい星』は本編もそうですが、音楽もよかった。ここにこういった音をつけるのかと思いました(笑)。

渡邊:制作期間中は終始ハイテンションでした(笑)。楽しかったです。

“Messenger”とか、亀梨(和也)くんの場面でこれでいいのかなと思いましたよ。

渡邊:ぼく自身、あれが正解なのかどうか半信半疑でしたよ(笑)。

ああいう疑似ワールド・ミュージック的な音楽は、私は琢磨くんがやっているのを知っているからおもしろがれるんだけどよく考えると唐突だよね。

渡邊:あのシーンには別テイクがありまして、最初は他のシーンとも整合性のある音楽を当ててたのですが、大八監督から「もっと振り幅出してください」というリクエストが再三きまして、その結果、ああいう擬似ワールド・ミュージックになりました(笑)。最初の数テイクがNGになったので、ひとまず、素地にしてたデータを全部捨てて、サンプリングのネタ探しをするという。シンフォニックな映画音楽をつくりたいという、こちらの思惑からどんどん逸脱していくプロセスに切り替えました(笑)。アフロ・ポップのレコードから数拍をサンプリングして逆再生したり解体したり、なんかヘンだなと思いつつ「振り幅だからな」と自分にいいきかせながらつくった曲を送ったら、大八監督から「これです!」というOKをいただきまして。「これなんだぁ……」とは思いましたが(笑)。

吉田監督のミック・カーン好きに助けられたかもしれないですね。

渡邊:(笑)独断ではあの曲は当ててませんね。亀梨さんの場面で、音楽的にここまで振り切ってもいいということが分かったので、そのあとの金沢の海岸で橋本愛さんが覚醒するシーン(“Awakening”)も躊躇うことなくつくれました。

幅を承知して自由度が高まったんですね。

渡邊:タガが外れました(笑)。


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特定の映画のために書き下ろした音楽を、パーソナルな作品に作り変えるという、領域横断的なプロセスに興味がありました。その作業の過程で映画作品のイメージが漂白していって、その結果、本来的な機能を失った用途不明の音楽だけが残りました。この使いどころ、用途不明な状態にある音楽が、ぼくの考えるアンビエント・ミュージックなのかもしれません(笑)。


渡邊琢磨
ブランク

Inpartmaint Inc.

Ambient

Amazon Tower HMV disk union

映画においても音楽のつけ方はいろいろありますよね。演出効果と考えることもできるし異化効果とみなすこともできる。琢磨くんの基本的なスタンスはどのようなものですか。

渡邊:基本的には、映画の主題によって自分のスタンスは変調します。異化効果などの方法論を踏まえるまでもなく、映画の見せ方は監督の感性、場合によっては人柄に依拠してますし、そのシーンをどう見せるべきかは、やはり監督の意向ありきです。その前提の上、あくまで音楽でこちらの解釈を提案します。ただバジェットや製作事情を音楽をつくる上での制約にはしたくないですね。音楽予算が潤沢になくても、ある場面からハリウッド大作映画のような音を想起したら具体化する方法を模索します。とにかく一度、具体を提案してみないことには、監督も判断できませんし。ただ、こういうなりたちの仕方が基準になってしまうと、それ以降は、琢磨くんだったらできるでしょ的なことになるので厄介です(笑)!

吉田さんだって、冨永さんのでそういうことをやっていたから琢磨くんにお願いしたわけだから、次はまたちがうことをやってくれますよね、という含意ありきだったでしょうからね。

渡邊:じつは『美しい星』のラッシュには『ローリング』のサントラがテンプトラック(既製曲を監督のイメージとして仮当てしておくこと)として当ててあって(笑)。黒澤明監督と武満徹さんが『乱』の音楽制作時に、マーラーみたいな音をつくってください、つくりませんというような既製曲を巡って侃々諤々するのはべつの次元で大変だと思いますが、過去の自己作品が仮当てされてあって、かつ、その曲に合わせて編集まで施してあって、これはなかなか厄介だと思いましたよ(笑)。別の映画のためにつくった音楽なので、そのイメージを払拭しなければならいし、元来、金沢の海岸に円盤が登場するシーンではなく、水戸の荒野で悪巧みをするロクでなしたちというシーンのためにつくったわけで(笑)、でも、それでかえって意気込んで、アルペジエーターでシンセをグワングワン鳴らして、のっけからトランスでいこうと思ったんです(笑)。同作のトークイベントのさいにも同じような話しをしたのですが、デヴィッド・シルヴィアンのツアーにいったじゃないですか――

そうでした! ということは、琢磨くんはミック・カーン好きにはぴったりじゃない(笑)。

渡邊:なのですが、大八監督は、僕がデヴィッド・シルヴィアン・ツアーのメンバーだったことは制作中は知らなかったのです(笑)。『美しい星』の打ち上げ会場かどこかで、覚醒のシーンの音楽はどう着想したんですか? というような話しになって、そのさい、デヴィッドの欧州ツアー中の出来事に言及したのです。欧州ツアーの中盤はベルリンだったのですが、そのとき、前ノリしたんですね。到着した日はオフで、ぼくはバンド・メンバーとは別行動でベルクハインに行ったんです。たしか、〈Perlon〉のレーベル・イベントだったと思うのですが、雰囲気とお酒にストレスも相俟ってたいへん昂揚しまして(笑)、その場にいた見知らぬカップルと仲よくなって、酒を奢ったり奢られたりしながら踊っていたんです。その瞬間の恍惚さと、できあいの友情はとてもリアルだったのですが、結局、朝になってお開きになり、そのカップルとは連絡先も交換せずわかれてタクシーも拾えず、数時間後にはデヴィッドの公演があるし、その後はまたバスに乗って夜走りでオッフェンバッハまで移動しなければならない。一挙に現実に引き戻されました(笑)。こういう一過性のリアルは、「覚醒」シーンと通底するなと思って、作曲のあいだ、その夜の出来事を思い返してました。金沢の海岸に出現する円盤や、宇宙人に覚醒したことは当人にとっては紛れもない事実ですが、あくまで一過性のリアルであって、事後的に現実に立ち返るわけですが、その瞬間は恍惚とともに壮大に円盤を出現させたい(笑)! 要するにこれは異化というより、その場面でみえてる状況を音楽でさらに煽って明確化することで、事後的に「あれはなんだったのか?」という価値転倒が起こるというか、解釈が分岐するような演出効果かなと。SF映画のおもしろい部分でもあると思うのですが。

それをおこなうには作品に内在しながら批評性が求められますよね。

渡邊:そうですね。原作も、三島由紀夫作品のなかでは異色ですし。

三島という点にも解釈の幅がありますからね。

渡邊:そうなんですよ。最初の打ち合わせのとき、大八監督とあまり明確な意見交換ができなかったので、仕事の内容としていろいろ伏線というか、落とし穴があり過ぎるような気がして、少々疑心暗鬼になりましたよ(笑)。

さっきおっしゃったアフターアワーズについていえば、昂揚はそのあとに現実が来ることがわかっているから昂ぶるのかもしれないですよね。

渡邊:その途上がすでに気持ちのマックスかもしれませんね。クラブの扉の向こうから、キックの低音が聴こえてきたときとか、バーカウンターからクラウドを遠巻きに見てる瞬間とか。

音楽にも過剰さのなかにそのあとの予兆がありましたよね。

渡邊:やはり相関的なものですね。ある一方だけでは成り立たない。

と同時に、音楽と映像との関係が短絡しないから一度目は素通りしてしまう場面が見直すとちがう印象になるとも思うんです。そしてそれは琢磨くんのここさいきんの音楽にも通底しているとも思うんですね。『アンシクテット』以降、曲数も多くないし大作主義ではないから聴くことへの負荷はないけれど1曲ごとに多様なレイヤーがありますよね。

渡邊:それは音楽にかぎっていえば、カテゴライズされることに対する拒否反応かもしれません(笑)。映画音楽の場合、監督やスタッフとの共同作業という点で、つねに重層的な仕事です。

いま琢磨くんがかかわっている映画音楽はありますか。

渡邊:ここ数ヶ月は『ローリング』あたりから地つづきだった感じがひと段落したところですが、年末から12月にクランクアップする若手監督の映画音楽にとりかかる予定です。

べつのプロジェクトはどうですか。現在構想していることなどあれば。

渡邊:Mac買い替えたいですね。

それいまここでいうことじゃないよね(笑)。

渡邊:いや、データの量がハンパないんですよ(笑)! しかもそれらは基本的にひとの作品のためのデータなので。音素材だけならHDDに移し替えてしまうのですが、アプリケーションやらプラグインやらになると判断が難しいし、自分の作品に着手するにあたっては、五線紙と同じで、まっさらなところからはじめたいというのもあるし。とはいえ次はポスト・プロダクションでなにかをつくるのではなくて、アンサンブルを一発録りしたいですね。いい加減ピアノ・クインテットやアンサンブル編成のレコーディングに着手したいです。

PCで構築する音楽と譜面の音楽にとりくむさいの構えはどうちがいます?

渡邊:ピアノ・クインテットの場合はバンドというか、メンバーが決まっているので、彼らに向けて音を書いているというか。彼らの演奏を受けて曲を改訂したりもします。逆に、彼らの表現の嗜好性や音色、そして技術的なことも含め、不相応なものはつくりません。

ピアノ・クインテットも、私は〈水戸短編映画祭〉に呼んでいただいたときに拝見しましたが、あれの時点では――

渡邊:2014年で結成してしばらく経ったころです。メンバーはチェロの徳澤青弦とヴァイオリンの梶谷裕子、コントラバスは千葉広樹、最後にヴィオラの須原杏がメンバーになってだいたい固定しました。このメンバーで演奏するときのテクスチャーというか音色の妙が好きですね。ふだん彼らは多方面で活動していますし、詳細な記譜や指示を出さなくても彼らの音楽的感性とキャパシティで作品を解釈してくれることが多々あります。会っていないときにいろいろやっているんだなぁ、というのがそれでわかる。それにたいして、作曲者本人は単調な生活を送っているわけですが(笑)。

だれかと音楽をつくるさい、変化というか意想外の演奏を聴きたい、と考えている?

渡邊:結局のところ、作曲者にとって演奏者の技量や特性は未知数ですし、これは楽器法などにも通じますが、たとえば、弦楽器奏者に重音を指定する際、ラ→ドよりも、ド→ラの方が弾きやすいとか、開放弦を使ったほうがより響くとか、そういう楽器の特性上、多少の改訂を施した方が作曲者の本意に沿ってる場合が多々ありますし、私的には弦楽器なら弦奏者に、ある程度の判断を委ねたほうが、よい意味で意想外に奏功すると思います。作曲者だけですべて判断するには、相応の経験が必要になりますし、それは演奏者とのやり取りを通して身につくものですからね。ただこちらも奏者が手癖に固執したり、一般論を持ち出してきたときは、何がしかの奇策で対応しますよ(笑)。ただ最近はどの分野においても、旧来のやり方や枠にとらわれないことを模索する音楽家やアーティストがいますし、こういうやりとりは比較的、容易だと私的には思います。ただしミーティングであれば建設的なやり取りができますが、メールやネットを介したやりとりだと、いっそう、こじれることもあります(笑)!
 ピアノ・クインテットもアルバム1枚分くらいの曲はあるのですが、もう少し可能性を模索してからレコーディングやライヴを頻発させたい。とくに音源化すると、それが決定稿になってしまうので。五線紙上にある音符の段階なら、いくらでも改訂できますからね。

リリースは来年くらい?

渡邊:そうですね。映画音楽などの仕事で得た実感やアイディアなどもフィードバックしつつ、つくれればよいなと。

海外での活動はどうですか?

渡邊:2016年に牧野貴さんとハンブルグ国際短編映画祭で『Origin Of The Dreams』の現地ライヴ上映を企図したさい、ケルン在中のパーカッション奏者、渡邉理恵さんを介して、ジョン・エックハルトというコントラバス奏者を紹介されて、彼はエヴァン・パーカーとの共作からクセナキスの作品演奏までかかわるツワモノでして(笑)、彼を中心に弦楽アンサンブルを編成することを考えたのですが、結局、日程の関係で実現しなかったので、なにがしかの機会を探ってます。あとは、こちらの弦楽アンサンブルとの共演を打診をしている海外のアーティストがいて、のちのちレコーディングやコンサートを行う予定です。なんにせよ、グローバルな視座だけでなく、異質性ありきです。ローレンス・イングリッシュに『ブランク』のマスタリングをお願いしたさいもどういう仕上がりになるかまったく予想できませんでしたが、彼の音響に対するアプローチ自体に興味があったので、どういう仕上がりであれ楽しみでした。結果、すばらしかったですし。

彼と仕事したことは?

渡邊:はじめてです。彼が主催するレーベル〈Room40〉の動向には、以前から興味がありましたが、たまたま〈インパートメント〉の下村さんからローレンスがマスタリングも手がけるという話しをうかがって。彼はやはりアーティストですし、マスタリングに特化していえば、多少懸念する部分もありましたが、エンジニアリングの観点でもすばらしい耳をしていると思いました。

彼がふだんやっているような音楽ではないですもんね。

渡邊:そうですね。ただ職人性を求めたわけではないですし、マスタリング・エンジニアと比較すると、多少の作家性はついてると思いますが、それ自体とてもオーガニックなものだったので。音質は変化しましたが、違和感はまったくなかったです。そういう趣向性自体とても刺激的でした。

『ブランク』は『シミラー バット ディファレント』『清澄』『ブランク』という染谷将太監督の3作品の音楽を再構成したアルバムですが、別々の映画に書きおろした楽曲を1枚のアルバムに再構成するさい、統一感を出すために留意した点はありますか?

渡邊:まず、特定の映画のために書き下ろした音楽を、パーソナルな作品に作り変えるという、領域横断的なプロセスに興味がありました。その作業の過程で映画作品のイメージが漂白していって、その結果、本来的な機能を失った用途不明の音楽だけが残りました。この使いどころ、用途不明な状態にある音楽が、ぼくの考えるアンビエント・ミュージックなのかもしれません(笑)。この本来的な機能を音楽から剥奪するというプロセスが、音の統一感に作用してるように思います。

そのなかで使用している雨音、和楽器、パイプオルガン、合唱、鐘の音などのマテリアルの記名性になにがしかの意図はある?

渡邊:どういう音楽が映画『ブランク』に相応なのかまったくわからない反面、なにを当てても正解にみえてくるという、ひとを食ったような問題が制作当初あり(笑)、かつ、染谷監督からとくに要望がなかったので、ひとまず、なにか極端なことにトライしてみようと思い、映像上、可視化されてない現象や動きに、私の一存で音を当てて、どこまでそのシーンが変容するか見てみようと、そういう実験をやってみたんです(笑)。そのさい、雨、風、鐘といった、どちらかといえば効果音に相当する音と、なにがしか先入観のある音、例えばパイプオルガン=教会とか、三味線=日本の情景であるとかを取捨選択し、それらを音から想起するイメージとは相反するシーンに当ててみたのですが、さすが『ブランク』というだけあって、スポンジのように、どんな音でも吸いとってしまいました。

ある側面からみると等価もしくは無秩序と思えても、秩序や管理、あるいは支配が別のなにかにとってかわっただけ、もしくはほかのレイヤーに移行しただけということは、社会構造もしくは、インターネットの仕組みなどを考えれば容易にわかりますし、もはやそこになんの疑いもなくユートピアをみるひとはいないと思います。

アンビエントといえば、マスタリングを担当したローレンス・イングリッシュの作風のいったんもそのようなものですが、琢磨くんは彼らのようなアンビエントないしエクスペリメンタルな音楽の現在の在り方についてはどう考えます?

渡邊:ポピュラー音楽とはまた別の観点で時代や社会状況が反映されてると思いますね。それもすごい速さでリフレクションしてる。最近は少しおちついた気もしますが、たまに突然変異体が時勢に即して出現しますよね(笑)。なぜそういう音色や音像になったのか、方法論的にはまったくわからないけど、あきらかにいまの状況の裂け目から生まれた音だなと、そこは明瞭だと思います。ローレンスの新譜『Cruel Optimism』を聴いてみてくださいよ。音に尋常じゃない批評性を感じます。あぁ世の中狂ってるなぁと、その事実を音で再認識して、それで癒されるという重層的なアンビエント・ミュージックですよ(笑)! 音に関していえば、耳がいいひとが手がけるものは、それがエクスペリメンタルであれ、フィールド・レコーディングの音であれ、音楽的ですね。ローレンスや、クリス・ワトソンもそうですが、彼らがつくる、あるいは録る音はノイズにしろ虫の声にしろ、可聴領域的にも心地よい(笑)。音楽はいろいろ聴きますが、映画音楽など時間に追われる仕事をやると、朝6時くらいから作業を開始して、夕方までに1曲納品するというような生活サイクルにせざるえないのですが、その後さらに聴ける音楽を考えると、耳の耐性的にもキャパオーバーでなかなか難しい。でもお酒を飲んだりボーッとするときになにか音が流れててほしいなと思ったとき、手にとるのはやはりポピュラー音楽ではなく、エクスペリメンタルというか、カエルの声や雨音、せいぜい、やさしい笛の音などになるんです(笑)。そういう生活実感を経て一層、アンビエントや実験音楽に嗜好が寄るようになりました(笑)。

ちょっとジョン・ケージ化してきた?

渡邊:概念的にですか?

それもありつつですが。ちなみに、ケージ的な概念についてはどう思います?

渡邊:なかなか複雑ですよね。ケージ的な概念といっても表層的な意味においてですが、環境音やノイズを意識的に音楽に取り込むことが、ここまで常態化した現在、ジョン・ケージが提唱してきたことはあらためて言及するまでもないと思いますが、たとえば“4分33秒”をコンサートで聴くのは、いまだに稀有な音楽体験になると思いますし、それはやはり革新性うんぬん以前に作品がよいのだと、あえて申し上げたい(笑)! 偶然性を採用した諸作でも、ほんとうにコインを投げて音を決めたのか? と勘ぐりたくなるような美しい曲もあって(笑)。逆に、武満さんの音楽評論などを通して考えると、ケージの東洋思想に対してはいささか抵抗したくなるし。まぁ、ぼくにとってジョン・ケージは、沈黙でも、きのこでもなく、音大時代に読んだ『サイレンス』と、あのチャーミングな笑顔ですよ(笑)!

音のヒエラルヒーについてはどう考えます? すべての音が等価であると、琢磨くんは考えなさそうですが。

渡邊:たとえば、異なる文化に属するラテン音楽のリズムなどを活用して作曲するさいに、どこまでラテンと自分の趣向を相対化して音楽をつくれるのか考えるわけですが、メロディや和声進行を非ラテン的なものにしても、それがクラーヴェのリズム構造に即してないと、あのキップ・ハンラハンが招集する強靭なプレイヤーたちは真価を発揮しません、というより、「Oh No」とか残念そうな表情でいいやがるので、たいへん腹立たしいんです(笑)! そこでリズム構造だけは採用して、その上に自分なりの旋律をつくればよいとか思うのですが、このリズムの磁場というか重力が相当なもので、なにをどうやっても、ラテン音楽風の既成概念をふりほどけない(笑)。これには面喰らって頭を抱えましたが、結果どうにか自分の音楽に引き寄せることができました。しかし彼らと一緒に飲みにいって、あの尋常でない酒量につきあった結果、体調を崩したので、やはりラテンに抗うことはできませんでした(笑)。それは冗談ですが、ある側面からみると等価もしくは無秩序と思えても、秩序や管理、あるいは支配が別のなにかにとってかわっただけ、もしくはほかのレイヤーに移行しただけということは、社会構造もしくは、インターネットの仕組みなどを考えれば容易にわかりますし、もはやそこになんの疑いもなくユートピアをみるひとはいないと思います。話しが飛躍しましたが、一面的にはすべての音が等価なこともありえるかもしれませんが、疑念は晴れません、自分の性格上(笑)。ただ平坦な意味で、あのひとのドラムよいなとか、先述のように、あの虫の声いいなとか、そういうこともありますし、やはり音楽的な志向の問題かなと。『ブランク』の音楽も、ほとんどすべて自分でコントロールして自己完結でつくっていますが、工程上、一番最後に音に触れたのは、ローレンス・イングリッシュですし。

別ヴァージョンがあるわけではないので比較はできませんが、つくるのがひとりで完結したぶん、マスタリングではじめてのひとと組んだのは結果的によかったのかもしれませんね。

渡邊:彼はオーストラリア在住なので、カンガルーみながらマスタリングしたのかなと思っていました。

すべてのオーストラリア人がカンガルーのそばで暮らしているわけではないですけどね。

渡邊:(笑)ブリスベンなので都会だとは思いますが、オーストラリア大陸から派生した電気が音に影響してるかと思うと興奮します(笑)。 (了)


Rat Boy - ele-king

 ラット・ボーイは、英エセックス出身のジョーダン・カーディー率いるバンドだ。ライヴやプレス対応はジョーダンを含めた4人でおこなうが、作品の制作にはジョーダンのみが関わるという、変則的な活動形態を特徴としている。ちなみに作品でのジョーダンは、ほぼすべてのパートを自分で演奏する。ケンドリック・ラマーが“Lust”でラット・ボーイの曲をサンプリングしたりと、外側ばかり注目されがちなジョーダンだが、アーティストとしても確かなスキルを持っているようだ。

 そのスキルは、デビュー・アルバム『Scum』でも遺憾なく発揮されている。ブラーやスーパーグラスあたりのブリットポップを想起させる“Ill Be Waiting”もあれば、“Revolution”や“Laidback”では軽快なラップも披露してみせるし、“Boiling Point”なんて、ゴスペル風のコーラスにハードなギター・サウンドとヒップホップが交わるカオスで満たされている。しかし、筆者がもっとも驚かされたのは“Move”だ。ジョーダンがラップしている背後で聞こえるのは、なんとビッグ・ビート。1990年代のイギリスでブームになったこの音楽を、1996年生まれのジョーダンがピックアップするという面白さに、筆者は瞬く間にやられてしまった。本作のサウンドには、ブラー、スーパーグラス、ザ・ストリーツ、ファットボーイ・スリム、ザ・スペシャルズ、アークティック・モンキーズといった、英国ポップ・ミュージック史の欠片が至るところで見られる。

 こうした本作を聴いてまっさきに思い浮かんだのは、ブラーが1993年に発表したアルバム『Modern Life Is Rubbish』だ。このアルバムでブラーは、T・レックスやジュリアン・コープなど、英国ポップ・ミュージック史の欠片をかき集めた。さまざまな影響源が詰め込まれたそれは、ブリットポップ・ブームに先鞭をつけた作品のひとつとして、いまも多くの人に愛されている。全英アルバム・チャートのトップ10入りを逃すなど、商業的には大成功と言えなかったが、1990年代の英国ポップ・ミュージックを語るうえでは欠かせない傑作だ。
 本作は、そんな『Modern Life Is Rubbish』の2010年代版と言いたくなる作品だ。もちろんそう思わせるのは、本作にブラーのデーモン・アルバーンとグレアム・コクソンが参加していることもあるが……。かつては歴史をかき集めたブラーも、いまはかき集められる歴史になったのだなと、感慨に耽ってしまう。

 ラット・ボーイのトレードマークである、バーバリー仕様の車とスクーターも見逃せない。バーバリーといえば有名なファッション・ブランドの名前だが、筆者からするとチャヴを連想させるものでもある。チャヴとは、イギリスで増加している粗野な下流階層を指す言葉。バーバリーの偽物を身につけているという“イメージ”で人々に伝えられ、清掃員、工事現場作業員、ファストフードの店員として働いてることが多いそうだ。また、イギリスではチャヴが差別の対象になっており、“Chav Scum”でネット検索してみると、チャヴに対する胸糞悪い差別的書きこみがいまも見られる。
 ジョーダンがバーバリー仕様の車やスクーターを用いるのは、そうしたイギリスの現況を表現するためだ。その表現がもっとも明確に見られるのは、“Revolution”のMVだろう。このMVは、バーバリー仕様の車に乗って登場するラット・ボーイの面々が、工事現場作業員やファストフードの店員に扮するというもの。これはあきらかに、チャヴの“イメージ”を意識している。

 だが当然、その“イメージ”を利用して、チャヴをあざ笑うのがジョーダンの目的ではない。本作で言えば、“Revolution”には不安定な世界情勢に向けた疑問が込められているし、“Sign On”は失業がテーマだ。くわえて、“Trumptowers Interlude”というド直球な小品まである。ここまで書けば、本作の言葉がどの視点から紡がれているかは明白だろう。ジョーダンは、日々の生活で抑圧されている人々や、辛い目にあってる者たちの視点から音楽を鳴らしている。だからこそジョーダンの音楽は、騒がしく楽しそうな雰囲気を醸しつつ、その裏に哀しみと怒りが宿っているのだ。本作を聴いて、“辛い日々の中でも楽しく生きていこうというアルバム”と感じたとしたら、それは少々的外れだと思う。確かに本作は、楽しい瞬間もたくさん描いている。しかしそれは、“辛い日々の中でも楽しく生きていこう”という柔なものではなく、“楽しまなきゃ生きていけない”という切羽詰まった想いが根底にあるからだ。そうした想いをジョーダンは、健全なシニシズムと鋭い批評精神を通して表現する。

 それにしても、現在の社会を見つめたアーティストのデビュー・アルバムが同じ年に、しかもイギリスから出たというのはなんとも興味深い偶然だ。社会問題についても積極的に発言するデクラン・マッケンナの『What Do You Think About The Car?』や、現在の社会で生きることの難しさを繊細な言葉で描いたロイル・カーナーの『Yesterday's Gone』など、これらの作品はすべて今年リリースされたものだ。こうした状況を見ていると、イギリスの音楽に新しい声が多く入ってきたと感じる。そして、その声は近いうちに世界中の人々に注目されるのではないか。そんな素晴らしい時代の前兆を本作に見いだしてしまうのだ。


Bibio - ele-king

 は、早い。昨年アルバムを発表したばかりだというのに、そしてこの春EPをリリースしたばかりだというのに、ビビオったらもう新たな作品を完成させてしまいました。しかも、またがらりとムードを変えております。今回のアルバムはここ何年かのあいだに即興で作られた楽曲のコレクションとのことで、どうやら「場所」がテーマになっているようです。発売日は11月3日。なお、国内流通仕様盤CDは500枚限定となっているため、手に入れたい方は早めに予約しておいた方が良さそうですよ。

BIBIO presents: PHANTOM BRICKWORKS

“場所”をコンセプトにした9つの楽曲をまとめた最新作を発表
自身が撮影した美しい映像とともに新曲を公開
国内流通仕様盤CDは500枚限定

僕はゴーストを信じてない。でも何かに取り憑かれた場所というのは存在すると思う。場所を取り巻く環境は絶えず変化する。それは必ずしも良い方向ばかりにではないし、自然でも、善意にもとづいたものでも、政治的な理由によるものでもない。その場所が何を見てきたか、その場所がどういった存在だったかということそのものから生まれる雰囲気が、変化をもたらすことがある。

『Phantom Brickworks』は、何年間かかけて僕が書きためてきた、ほとんど即興で作られた楽曲のコレクションになってる。これらの音楽は、特定の景色や時間に対する心の扉を僕に与えてくれた。それは現実の物事から、架空のもの、もしくはそれらの組み合わせだったりする。人間は、場所に漂う空気や雰囲気にとても敏感だ。その場所が持つ歴史的背景を知ることで、それらは強まったり、劇的に変化する。何かしらの形で、音や声まで聞こえる場合もある。その場所には、きっと伝えたい想いがあるんだと思う。 - Bibio

どこか懐かしく温かみのあるサウンドと独自の世界観で、幅広い音楽ファンやアーティストから支持を集める〈Warp〉の人気アーティスト、Bibio(ビビオ)が、“場所”をコンセプトに書きためた9曲を収録した最新作『Phantom Brickworks』のリリースを発表し、収録曲「Phantom Brickworks III」のショート・バージョンを自らが撮影した美しい映像とともに公開した。

Bibio • ‘Phantom Brickworks III’ (Edit)
https://youtu.be/xyp14lXevig

本作『Phantom Brickworks』は、11月3日(金)に世界同時リリースされ、500枚限定となる国内流通仕様盤CDには解説書が封入される。またCDはクラフト紙製のインナースリーヴとアウタースリーヴ付きの特殊パッケージとなり、2枚組LPには、ダウンロード・コードが封入される。

Labels: Warp Records / Beat Records
artist: BIBIO
title: Phantom Brickworks
release date: 2017/11/03 FRI ON SALE

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