いま我々はとんでもなく奇妙な……なんともおかしな時期を潜っているものだね。この疫病のおかげで自宅に閉じ込められているわけだし……。エレクトロニクス関連の性能が上がり、放送の方法も変化し、ディジタルといった新しいことも存在していて……うん、これは非常にパワフルな転換点だろうね、いまのこの世界を「第四世界」と呼ぶタイミングとして。
作曲家/トランペット奏者ジョン・ハッセルの2年ぶりのニュー・アルバム『Seeing Through Sound』が登場した。前作『Listening To Pictures』は“Pentimento Vol.1”なるサブ・タイトルが付いていたが、今作は“Pentimento Vol.2”、つまり続編である。また、前作同様、自身で設立したレーベル〈Ndeya〉からのリリースだ。
1937年3月生まれ(米テネシー州メンフィス)だから、現在83才。ミュージシャンとしてのキャリアも半世紀以上になるジョン・ハッセルの名が一般的に知られるようになったのは、ブライアン・イーノとの共同名義で発表したアルバム『Fourth World Vol. 1 - Possible Musics』(80年)からだが、そこで彼が提唱した「第四世界」なるコンセプトや独創的サウンドはいまなお若い音楽家たちに影響を与え続けている。たとえばワンオートリックス・ポイント・ネヴァーやヴィジブル・クロークス、フエルコ・S.等々の作品を聴けば、ハッセルの音楽的ヴィジョンが現在の先端シーンといかに密接につながっているのかがよくわかるだろう。2017年にはグラスゴウのDJデュオ、オプティモのJD・トゥイッチが運営する〈Optimo Music〉から、『Miracle Steps:Music From The Fourth World 1983-2017』という「第四世界」をテーマにしたコンピレーション・アルバムもリリースされている。
「ジョン・ハッセルは、この50年間でもっとも影響力のある作曲家の一人だ。彼が〈第四世界音楽〉と呼ぶものを発明したことで、世界中の他の文化の音楽をより深く尊敬し、新鮮な目で見る道が開かれた」。これは、イーノがハッセルについて語った最近の言葉だ。
誤解を恐れずに大雑把に言うと、ジョン・ハッセルの音楽は以下の4大元素から形成された。シュトックハウゼン、ミニマリズム、インド音楽、そしてマイルズ・デイヴィスである。
ニューヨークの名門イーストマン音楽学校でトランペットや作曲などを学んだ後クラシックのオーケストラでトランペット奏者としてキャリアをスタートさせたハッセルたったが、セリエリズムや電子音楽、サウンド・コラージュなど当時の現代音楽の最先端モードに魅せられて、60年代半ばの2年間、独ケルンでカールハインツ・シュトックハウゼンの下で更に学んだ。当時、同じクラスで学んだ仲間には、後にカンを結成するイルミン・シュミットやホルガー・シューカイもいた。
ケルンからNYに戻ったハッセルが次に出会ったのは、米現代音楽の新潮流として注目を集めつつあったミニマリズムの先駆者たち、ラ・モンテ・ヤングやテリー・ライリーたちだ。ハッセルは、ヤングの主宰するミニマル/ドローン・プロジェクト「永久音楽劇場」に参加するなどこのサークルと親しく交流しながら、ミニマリズムの手法も消化していく。ハッセルがトランペット・プレイヤーとして初めてレコーディングに参加したのは、テリー・ライリーの歴史的傑作『In C』(68年)であり、その次が、ラ・モンテ・ヤング/マリアン・ザズィーラ『The Theatre Of Eternal Music:Dream House 78'17"』(74年)だ。また、この70年前後の数年間にハッセルは、エレクトロニクスを用いた実験音響作品をいくつも作り、美術館などで発表している。
ヤングやライリーとの交流は、ミニマリズム以外にもうひとつの新しい扉をハッセルに開いた。民族音楽である。米ミニマリズムは元々、アフリカやインド、インドネシアなどいわゆる第三世界の民族音楽を重要なインスピレイション源にしていたわけで、実際ヤングやライリーは、インド音楽の声楽家パンディット・プラン・ナートに師事してインド声楽も学んでいる。そしてハッセルも、彼らのインドでの声楽修業に同行したのだった。つまりハッセルは、70年前後の段階で、セリエリズムや電子音楽、サウンド・コラージュやミニマリズムといった最先端の現代音楽を習得し、更に第三世界民族音楽にも入れ込んでいたわけである。
そしてもうひとつ、ビートニク世代のトランペッターとしてハッセルが並々ならぬ関心を寄せていたのがジャズの新しい潮流、とりわけマイルズ・デイヴィスの動向だ。この70年前後は、マイルズが強力にエレクトリック化を推し進めていた時期であり、彼を中心にジャズ・ロックという新様式が注目を集めていた。電子音や不協和音、エスニック・エレメントまでを取り込んだマイルズの作品群――『In A Silent Way』(69年)から『Get Up With It』(74年)あたり――の斬新なサウンド・プロダクションがハッセルにいかに多大な影響を与えたのか……それは、77年に出たハッセルの初ソロ・アルバム『Vernal Equinox』や2作目『Earthquake Island』(78年)を聴けばよくわかるだろう。こうしたキャリアを経て80年に世界を驚かせたのが、件の『Fourth World Vol.1 - Possible Musics』だったわけである。以後ハッセルは20枚ほどのソロ・アルバムを発表する傍ら、トーキング・ヘッズやデイヴィッド・シルヴィアン、ピーター・ゲイブリエル、ライ・クーダー、エクトール・ザズー、ハウイー・Bなどさまざまな音楽家たちの作品にも参加し、“第四世界音楽の導師”として不動の地位を築いてきた。ドイツ時代の仲間ホルガー・シューカイとも、『Alchemy - An Index Of Possibilities』(85年)や『Words With The Shaman』(85年)といったデイヴィッド・シルヴィアンの作品で共演している。
というわけで、今回のジョン・ハッセル電話インタヴューでは、新作に関することだけでなく、これまでのキャリアや独創的音楽哲学についても語ってもらった。が、老齢に加え、コロナ・パンデミック下における体調不全も相俟ってか、対話はかなり混沌としたものになった。前の質問を引きずって同じことを繰り返したり、ややこしい話になると途中で思考や説明を投げ出したりと、脱線や蛇足、辻褄のあわない問答がいくつかある。そしてそのなかでしばしば放たれる恐ろしいほどの明晰さ……。当初は、明確な整合性を考慮して問答をわかりやすく編集しようと考えたのだが、しかし、この朦朧とした世界、輪郭のぼやけた世界こそがジョン・ハッセルらしいとも思えてきて、編集は最小限に抑えることにした。通訳の坂本麻里子さんとのなにげないやりとりなども、できるだけそのまま生かしてある。時間的制約のため、ブライアン・イーノとの関わりのことや、70年代前半の活動のことなどを聴けなかったのが残念ではあるが…、ハッセルの作品をBGMにしつつ“第四世界”からの声を楽しんでいただきたい。
というわけで、「音楽を垂直に聴く」というのは、自分自身に質問を発しながら聴くという意味であって、おそらくそれがもっともよく当てはまるのは、そうだなあ……連続していくピースで、しかしそれが常に変化している、そういうものだろうね。シュトックハウゼン作品がいい例だろう。
■取材をはじめさせていただいてよろしいでしょうか?
ジョン・ハッセル(JH):ああ。ただし、ひとつだけ注意させてもらうと、いまはまだ回復期にあってね。この取材を今日受けるってことも思い出したばかりだし……というのも、昨日医者に診てもらい、MRI検査他を受けてね。だから取材のタイミング等について少し混乱させられてしまったけれども……うん、取材をやろう。できるだけがんばって答えるから。
■2018年の『Listening to Pictures』と、今回の新作『Seeing Through Sound』は、どちらも「ペンティメント Pentimento」シリーズの作品として発表されましたが、この「ペンティメント」というコンセプトについて、改めて説明していただけますか。
JH:うん、あれは……(何かに気づいて)ありゃなんだ? ちょっと待って、窓の外に誰かいるぞ……冗談だろう? 庭掃除してるのか? (電話越しに人の話し声がかすかに聞こえる)やれやれ、まったく……しょうがないな、ちょっと待ってくれるかい? あの連中から離れるから……(と、窓のそばから移動した模様)。これでよし、と。
さて……まあ、辞書を引いてみれば、「ペンティメント」は「塗られたもの」に由来する絵画用語だと説明されている。ある絵画の一部の要素の上に他の絵が塗り重ねられた状態のことで、そこからあのタイトルの「Seeing Through(表面からその下にあるものを見透かす)」的な意味合いが生じてくる。というのも、アーティストにとっては間違いであり、上から塗って変更したものを、滝のような絵の具のほとばしりや一群の色彩の連続を透かして見ることができるわけで。このタームはまだ音楽的に使われたことがなかったと思うし。というわけで……上にかぶされた変化というか、様々な変更を加えていくうちに、ついにはその人間の探していたものが現れてくることを指している……こんな説明でいかがだろう(笑)?
■なるほど。絵画の修復作業とは違うんですね。あの場合のペンティメントは、ある作品の下に描かれたのは何か、そのオリジナルを見つけるということだと思います。そうではなく、このシリーズの場合は歳月によって絵画が古びたり絵の具が剥げて変化していくという意味に近いのかな。と。
JH:まあ……一般的な意味でのペンティメント、本来の意図とここでの私の意図は異なるわけだ。そういった修復行為は概して過去の名作、巨匠の作品に関わってきたんだと思うけれども、その下にあるものを見つけようとする、というのはわたしには適切なメタファーとは思えない……そうだな、うん、何かを再び用いて、それを新たな文脈のなかに置く、ということじゃないかと。
■あなたは以前から「垂直の音楽」という独自の視点について語ってきましたが、今回の「ペンティメント」というコンセプトとの関係について説明していただけますか?
JH:フム、そうだな。ああ〜(苦笑)……通話にフィードバックが起きているな。何秒かの間隔でディレイがあって自分の声が戻ってくる……どうしたものか。自分の声が反響するのを聴いているとどうも混乱するんだ。困ったな。君の側で何か手を打てるかい? わたしが自分の声を聴かなくてもすむように、何かできる?
■試しに改めて電話をかけ直してみましょうか? それくらいでは解決しないかもしれませんが。
JH:よし、じゃあトライしてみようよ。
(かけ直す)
■先ほどの通訳ですが。
JH:フム……今度は君の声が非常に遠くなったな。すごくぼやっとしていて声がほとんど聞こえないくらいだよ。
■それは困りましたね……こちらははっきりと聞こえるんですが。
JH:ちょっと待って、こちらで少しいじってみるから……(と何かやっている)うん、イエス! これでどうだい? よく聞こえる?
■ええ、こちらははっきり聞こえます。
JH:そうか、よしよし。いや、家の周りでいろんなことが起きていてね。まったく! 庭掃除でガーデン・ブロワーを使っているんだよ(笑)。大変うるさいし、しかもたまたま電話取材を受けている悪いタイミングで作業がはじまったという……
■(苦笑)
JH:それはともかく。うん、電話で話すのに向いたスペースを見つけたし、これでお互いクリアに聞こえそうだな。
マイルズ(・デイヴィス)は彼の絵画をいくつかジャケットに使ったが、あれは視覚と音響とをひとつに合わせるやり方だったわけだ。要するに、「この絵画が君に語ろうとしているのは何か」という。あの絵と音楽の間に働く(苦笑)エロティックな連想について疑問の余地はないし、でもそれと同時に宗教的な連想もあって。とにかくそうやって、物事の間にある区分を打ち壊している。
■はい。というわけで質問に戻ります。「垂直の音楽」と「ペンティメント」との関連についての話だったんですが……
JH:ああ、まあ、非常に広い意味でつながっている、ということじゃないのかな? だから……音楽を垂直に聴く行為は、「自分がいま耳を傾けているこれは何なんだろう?」という根本的な質問を自分自身に問うことを意味していてね。どういうことかと言えば、いわゆる普通の聴き方とは逆に、「なるほど、いまここでこういうことが起きているぞ。そして次の瞬間は……」という具合に一瞬一瞬をつぶさに聴いていく、みたいなことで。思うに、シュトックハウゼン作品のいくつかだとかが、そういう聴き方を求めてくるんじゃないかと……いや、それよりももっと一般的に話を進めようかな。
だから、水平ではなく垂直に音楽を聴くプロセスというのが本当に当てはまるのは──いくつかの音楽は、音楽の近年の歴史において、ある意味新たな発想だったわけだろう? というのも、聴き手は本当に耳にすることを、音の層を見透かしながら(see through)聴くことを求められるわけで……(新作のアルバム・タイトルと同じ表現であることに気づいて苦笑しながら)……まあ、はっきりした意味はこれだと説明したくはないんだが……要するに、聴き手は毎秒ごとに「これは何だ? 自分がいま耳にしているのは何だろう?」と自問することを求められる、という。「垂直に聴く」広い意味での概念、コンセプトはそういうものだけれども、私としては君の側に時間を無駄にして欲しくないというか………だから、聴いていて感情の面で君に何らかの反応を起こすものが得られていれば、そこでいちいちこの私の思考はどうなのだろうとか、意識したくはないだろうし。そこはあまり重要ではないんだよ。というのもどちらの発想も、それそのものはほとんどずっとと言っていいくらい存在してきたわけだから。
とにかく、あるアイディアに集中する、自分の聴いているものに光を照らしてはっきりさせる、みたいなことであって……そうは言っても、モーツァルトをそういうやり方で聴く意味はほとんどないけれどね。あれはまったく違うタイムラインにおいて、異なるコンセプトのもとに作られた音楽だから。というわけで、「音楽を垂直に聴く」というのは、自分自身に質問を発しながら聴くという意味であって、おそらくそれがもっともよく当てはまるのは、そうだなあ……(考えながら)連続していくピースで、しかしそれが常に変化している、そういうものだろうね。シュトックハウゼン作品がいい例だろう。ただまあ、やろうと思えば何にでも当てはまるんだけどね。だから、「自分は何を聴いているんだろう」と考えること、自分の心の中を過っているのはどんな絵か、そしてそれが起きるのはなぜか? を考えることは何であれ可能なわけで。もちろん、これらは結局のところアイディアに過ぎないけれども。だから別に一切用いなくても構わない、これらのアイディアを聴くときに常に当てはめる必要はないんだ。これは純粋に音楽的に聴く、あるいはエモーショナルに感じとるのではなく、音楽を聴きながら理知的に考えを巡らせる行為を自らに課すということだから。
■質問者は15年前にあなたにメール・インタヴューしましたが…
JH:おお、そうだったんだね。
■で、そのときあなたは「いつか、画家のマティ・クラーワイン(Mati Klarwein)の作品をモティーフにしたアルバムを作りたい」と言ってました。『Listening To Pictures』のインナー・スリーヴの献辞であなたはマティのことを「不朽の我がブラザー」と形容していましたが、これら2作品がまさにそれなんですね?
JH:ああ。あれはある意味、とにかく違うものを……聴く側にツールのようなものをもたらそう、ということで。音楽の中で何が起きているかを考える、それをやるための違う手段をね。いくつかの音楽は、それがやりにくいから。たとえば、シュトックハウゼンのエレクトロニックな作品とかね。15年前の発言や、『Listening To Pictures』のスリーヴでのコメントは、聴き手が耳にしているのはどんなものか、そしてそれを頭のなかでどうやってある種絵画的に形容するか、その手がかり/ヒントになるものなんだ。少しだけ、それを忘れにくくするためのツール、とでも言っておこうか(笑)。イメージに置き換えることによってね。聴く者は音楽という名の抽象のなかを動いていくわけだし、移動する間にその標本をつかみとり、それを眺めて考えをめぐらせ、「さて、いま自分の聴いているこれはいったい何だろう?」と自らに問いかけていく。「どうしてこれは他の何かとは違うんだろう?」とね。で、それらの判断は瞬間的に下されていくものだし、ゆえに聴いているものを実際に楽しむための妨げにもなりかねない。けれども一方でまた、新たな聴き方をおこなうための刺激材料にもなり得るんだよ。
■これら2枚はあなた自身が設立したレーベル「インディア(NDEYA)」からのリリースですが、つまり、マティ・クラーワインへのトリビュート作品を出すために、わざわざ自分のレーベルを作ったと考えてもいいでしょうか?
JH:ひとつだけ、言わせてもらってもいいかい? レーベルの名前だけれども、正しくは「インデイヤ」と読むんだ。この名称はマティ・クラーワインの受けていたインスピレイションに由来いている。私はスペインのマヨルカ島のデイアでしばらく彼と一緒に暮らしたこともあったんだ(註:マティ・クラーワインは2002年に亡くなるまで、マヨルカ島北西部にある村デイア=Deia で暮らしていた)。そこでマティがどういう風に作品に取り組んでいたか、彼の受けた影響はどんなものだったか、彼があれらの絵画──わたしにとって非常に大きなものであるあれらの世界を生み出していく過程で聴いていたのはどんな音楽なのかを私は知っていった。彼が亡くなる前にあの地で一緒に過ごした経験は私にとって本当に素晴らしいものだった。だから、このレーベル名はマティ・クラーワインの芸術に対するオマージュなんだ。
[[SplitPage]]黒人音楽はたしかにわたしの最初の音楽体験だった。私はティーンエイジャーだった頃にトランペットの教師について学んでいたし、そうした教師はほぼ誰もがジャズあるいはポップ畑の出身だった。それにもちろん、メンフィスで育った限り、あの「ブルースのフレイヴァー」が身体の一部にしみ込まずにいるのは無理な話であって。わかるだろう?
■マティ・クラーワインの絵のなかにある哲学とあなたの音楽のなかにある哲学はどのようにクロスしているのでしょうか。あるいは、マティの作品はあなたにどのようなインスピレイションを与えてきたのでしょうか。
JH:そうだなあ、結局、あの島がもたらしたインスピレイション、ということになるだろうね。あの、地中海に浮かぶ島の。とにかく、彼の霊感がどこから発していたのかを自分も目にしたわけで。彼の絵画作品には長い歴史があり、そこでは原始的なものと未来的なイメージが混ざり合っている。だから、私は彼の作品から他とはかなり違うものを学んだんだ。それに彼は根っからの音楽好きだったし、いろんなことに興味のある人で。おかげで私たちは、パーソナル面とアーティスティック面の両方で交換し合う素晴らしい関係を結べたんだ。
■エレクトロニクスを駆使し、さまざまなエスニック・エレメントを取り入れた近年の音楽作品には、あなたの子供や孫のような作品が少なくありません。若い音楽家たちに対する自分の影響力について、あなた自身はどのように認識し、どう感じていますか。
JH:まあ、そうやってお世辞を言われるけれどもね。私のやった何かから出てきたものを興味深いと思ってくれる人がこれまでにいた、と。で、まあ……こういう見方をしてみたらどうだろう? たとえば視覚や聴覚といった感覚機能を組み合わせていくと、わかってくるものなんだ。そこには相当な……そうだな、マティ・クラーワインの絵画作品を見てみるとしようか。実際の話、彼の絵はよくマイルズ・デイヴィスや、マイルズのレコーディング作品と結びつけて考えられている。というのも、何作かのジャケットにマティの絵が使われているから(註:『Bitches Brew』、『Live-Evil』など。その他、マティが描いたアルバム・ジャケット作品を集めた画集「Mati And The Music:52 Record Covers」も出版されている)。君はマティの手がけたマイルズ作品は知っているかな?
■はい。
JH:マイルズは彼の絵画をいくつかジャケットに使ったが、あれは視覚と音響とをひとつに合わせるやり方だったわけだ。要するに、「この絵画が君に語ろうとしているのは何か」という。あの絵と音楽の間に働く(苦笑)エロティックな連想について疑問の余地はないし、でもそれと同時に宗教的な連想もあって。とにかくそうやって、物事の間にある区分を打ち壊している。ある意味、許可を与えられた というか……だから、「セクシーなジャケットのJ・S・バッハ作品のレコード」を見かけることはまずないだろう?
■(笑)ええ。
JH:(笑)まあ、人によってはセクシーに映るジャケットだ、ということもあるかもしれないが。ただ、彼がマイルズ作品のために描いたなかでもっとも最近の絵画を眺めてみれば、そこに見てとれると思うよ、インデイヤという概念を備えた世界を。つまり、私はそのなかに入ったことがあるわけだ。実際インデイヤ(デイア)に行ったことがあり、マティとも親しかったし、彼の音楽の趣味がどれだけ幅広くて雑食型だったかも知っている。とにかくそうやって、あのアート間の結びつきを、視覚芸術と音響芸術の間の結びつきを作ろうとする、ということなんだよね。そこはかなりユニークなところだと私は思っている。
■あなたは77年のソロ・デビュー作『VernalEquinox』から Eventide社のハーモナイザー「H910 Harmonizer」を使い、83年の『Aka / Darbari / Java』からはフェアライトも導入しましたよね?
JH:ああ。
■新しい機器との出会いは、往々にして、新しい表現を生み出しますが、あなたは常に楽器やイフェクター、あるいはテクロノジーの進化に目を配っていますか。
JH:幸い私はこれまで、とても多くのいろんな類いのミュージシャンたちと関わってこられたし、その面で恵まれていた。おかげで、何が起きているのか、かなり広い視点から捉えられているよ、グラフィック面においてね。そして、それが実際にどう関連しているか……音楽とその音楽の叙述――おそらくそれは音楽をグラフィックとして代弁したもの、と言っていいだろうけれども、それらのふたつがいかに関わり合っているかも知っている。それはわたしにとって非常に重要な点であり続けてきたし、マティは……基本的に彼はわたしの兄弟分だったわけだ。少なくともスピリチュアルな兄弟と言っていい。
インド音楽には西洋音楽よりもはるかに古い音楽的伝統があるからね。もっと、ずっと、ずっと、ずっとディープなものだ。その全体像については、いわゆる「ラーガの宇宙」とでも言っておこうかな。それは途方もなく繊細、かつ美しいものだ。
■あなたの初期の作品には、1970年前後のマイルズ・デイヴィスの音楽からの強い影響を感じます。あなたにとってもっとも重要なマイルズの作品はどれでしょうか。
JH:フーム(考え込んでいる)……そうだな……ぱっと思い浮かぶのは『Live-Evil』だな。というのも、あのジャケットはマティによるものだから。あのアートワークは、ひとつの面は一種のパラダイスの図であって、そこにはエロティックな要素が含まれている。対してジャケットの別の面はこの、まったくの……フーッ、あれはどう形容すればいいのかな……完全なる退廃、および醜悪さ、醜さを描いていてね。一方はエクスタシーの図であり、かたやもう一方は嘆かわしいある種の地獄図で、けれどもそのどちらもマイルズである、という。
■『Live-Evil』は音楽的にもあなたにとって重要でしょうか。
JH:そうなんだが……ここであの作品が浮かんだのは、私には彼の絵との繫がりがあるわけだし、ある意味彼の過去の作品とのつながりを強調するため、というか。彼の作品は、わたしが今回用いたように、これからも再生利用が可能だと思う。
■メンフィスで生まれ、黒人音楽に囲まれて育ったことは、あなたの表現にどのような影響を与えたと思いますか。
JH:黒人音楽はたしかにわたしの最初の音楽体験だった。私はティーンエイジャーだった頃にトランペットの教師について学んでいたし、そうした教師はほぼ誰もがジャズあるいはポップ畑の出身だった。それにもちろん、メンフィスで育った限り、あの「ブルースのフレイヴァー」が身体の一部にしみ込まずにいるのは無理な話であって。わかるだろう? とにかくそれが存在しているんだ。というわけで……ここで君の訊きたいことは、ざっくり言えば「南部で育ったこと、そしてそのブルースの世界がどれだけわたしに影響したか?」ということだと思うけれども、だとしたら、その答えは「強かった」になる。そうは言っても、多くの人間が様々なやり方でブルースをやっていたし、だからきっと、そこからわたしの受けた影響やどうそれを活かすかも、ちょっととらえ難くて微妙なものなんだよ。それはつまり、「10代にトランペットを習っていた頃に受けた初期の影響の数々と、ジャズのパフォーマーたちの影響とをあなたはどうやって溶け合わせたのでしょうか」と質問するようなものであって……それらは間違いなく、重要なエレメントだった。
■あなたは世代的にはビートニク世代だと思いますが……
JH:ああ、そうなんだろうね。
■これまでの人生で、自分自身の中にビートニク性を感じたことはありましたか。
JH:ハハハハハッ! まあ、君がどう解釈するのか私にはよくわからないし……君がどう考えているのか、ビートニクというタームに対する君の態度/志向を知らないから。なので、その質問は、また別の機会に改めて訊いてもらう方がいいと思う。その方が自分もいい回答ができると思う。
■わかりました。あなたは60年代半ばにシュトックハウゼンの下で2年ほど学びましたが、そこでの最大の収穫は何だったと思いますか。
JH:もちろん、現代音楽を学ぶ過程でアーノルト・シェーンベルクとセリエル音楽の到来があったわけで、そこでは数値が……(苦笑)すまないね、どうも誰かが家に来たらしくて、そっちに気を取られてしまった。おかげで気が散って答えに集中しにくくて。で、ええと……質問は、そう、シュトックハウゼンについてだった! OK。シュトックハウゼン、彼は非常に……理論的なタイプの人物だった。けれどもそればかりではなく、彼が初期に書いた作品には子供合唱団の、子供たちの声のエコーから成るものもあった。つまり、彼の幅はかなり広かったということであり……彼はドイツのケルンで育ったはずだし、そこからきていたんだろうね。それから、前衛の探究が始まり、十二音階システムへと方向を変えたわけだ。シェーンベルクがはじめた十二音技法へとね。シェーンベルクも、そのカテゴリーのなかで、いくつか美しい作品を残しているが……まあ、その質問に対する答えはどこかにあるんだろうけど(苦笑)……すまないが、そのためには非常に多くの話をしなくてはならないから、このへんで。
■わかりました。
JH:とにかくまあ、シェーンベルクとシュトックハウゼンのやったことはエモーショナルであり……そして美しい、というのに尽きるね。あの当時に使えた主な編成はオーケストラだけだったわけだが、彼らはこの十二音技法、セリエリズムのコンセプトをオーケストラに移し替えようとしていた。セリエリズムが意味するのは、出てきたもの次第で最終的な解決が変化するということだが、それは音響スペクトルを操作することによって生み出されるものであり、かつ、あの当時の欧州音楽の歴史と何らかのつながりも維持しようとしていたわけだ。つまり、伝統を完全に放棄することなしにおこなわれていたから、かなりクラシック音楽調な、美しいものをそのなかで聴き取ることができる。
■あなたと一緒にシュトックハウゼンの下で学んだイルミン・シュミットとホルガー・シューカイは、その後カンを結成しました。70年代半ばまでのカンの作品はいまなお高く評価されていますが、当時あなたは、カンの音楽についてどう思っていましたか。あるいは、何らかのインスピレイションを受けたことはありましたか。
JH:ああ、シュトックハウゼンの授業を一緒に受けたサークル内において、彼らとは親しい間柄だった。シュトックハウゼンは非常にオープンな人でね。十二音技法というアイディアの協和音の範囲のなかですらそうだった、という意味で。そこでは十二音の細かなリズムがコンスタントに入れ替わっていくわけだが、となると何らかの形での調律を取り入れ、そして美しさを生み出す方法をあのシステムの中から作っていかなければならない。で、あのシステムそのものはとても……ある面でメカニカル、かつ厳格なものだし、そこに何かを付け加える必要がある。十二音技法に取り組んでいたグループの面々は、自分たちの音楽的伝統から完全に離れようとしたわけではないんだよ。たとえばアントン・ヴェーベルン……あの一派(十二音技法〜セリエリズム)の作曲家たちのなかで私がもっとも好きな人だが、彼は丘に放牧された羊のサウンドのエコーを使った音楽、みたいなものをやったことがあった。ということは、シェーンベルクの十二技法を用いつつ、そこにそうしたアイディアを盛り込んでもいいということで。そうした要素をどう変えていけるか試してみるのは間違いなく素晴らしいことだ。たとえ、あれだけ厳格なシステムを使っていても、そこから何か美しいもの、アルプスの山麓で羊飼いの鳴らすベルの音色に耳を傾ける時のように心をとらえインスパイアしてくれる何かを作り出すことができるという……ああ、で、カンについて言えば……彼らが何をやっていたかは、実はちゃんとフォローしていなかったんだ。だからあの時点では、彼らがグループを結成したのは私にとって大きな驚きだった。でも、元クラスメイトとして彼らに対しては強い思いを抱いているし、ああして学んだことから彼らがどこに向かうことを選択したのか、いかにして自分たちの表現したいことを決めていったのか、そこにも感じるところは大きい。
■ラ・モンテ・ヤングやテリー・ライリーと共に、インドでパンディット・プラン・ナートにも師事しましたが、インド音楽と西洋音楽の最も大きな違いは何だと思いますか。
JH:まあ……インド音楽には西洋音楽よりもはるかに古い音楽的伝統があるからね。もっと、ずっと、ずっと、ずっとディープなものだ。その全体像については、いわゆる「ラーガの宇宙」とでも言っておこうかな。それは途方もなく繊細、かつ美しいものだ。だから本当に深く、じっくりと学ばなくてはならないものだと思う。テリー・ライリーが実践したようにね。あの長い、長い、実に長い歴史と何らかの形で連携を持つためには、深く学ばなくてはならないんだ。さまざまな構成要素を持つその歴史は何百年も前にまでさかのぼるわけだから。ラーガにはそれぞれ特定の意味もあるしね。たとえば、ある種のラーガは朝にだけ歌われたり演奏されるし、あるいは夜にだけ演奏されるものもある。雨の日にだけ演じられるラーガもあれば、雨の降らない日のためのラーガもある。ラーガというのは非常に環境と密接に繫がったアートの形式であり、とても機微に富んでいる。テリー・ライリーは西洋世界におけるそのマスターになっていて、私は彼の下でも学んだんだ。インド音楽もまた、私の受けた教育や影響の中の、別の、非常に重要な要素のひとつだった。
■70年代末期にあなたが提唱した「第四世界(Fourth World)」というニュー・コンセプトは、すでに70年代初頭からあなたの頭のなかにあったと何かで読みましたが、このコンセプトはどういう経緯やきっかけで生まれたのでしょうか。
JH:そのコンセプトについて考える際には、あの当時の世界がどんな状況にあったのか、昔の文脈に思考を移してもらう必要がある。だから……ええと…(ひとりごとのようにつぶやきつつ)すまないね、質問の最後の部分は何だったかな? ああ、そうだ、世界についてだった……ある特定のサウンドによって「朝」や「夕方」、あるいは「雨降り」や「雨の降っていない状態」といった感覚を喚起することのできるこの感性、それはとても古い時代に起きた現象だったわけだよ。それが起きた場を実際に味わい、寺院の屋根に上がってそこで師匠と一緒に音楽の練習をするというのは……本当に、本当に素晴らしいことだった。部分的に「垂直な音楽」とも被るけれども、こちらはもうちょっと広範なもので……つまり、古代から伝わる形式からの影響を現代のフォルムにもたらすということだった……いや、そうじゃないな…もっとシンプルな話、「追加」のようなものだったんだ。あの当時、世界は分割されていた。第三世界、一般的にはより貧しい国々と考えられていた世界と、先進国側とにね。で、その頃、さまざまな楽器やエレクトロニク・サウンドのもたらす可能性などが登場した。そこで私は思ったんだよ。じゃあ、ここにもうひとつ付け加えたらどうだろう、と。自分がその宣伝マンになればいいじゃないか、とね。
で、その「第四世界」が意味するものはいったい何だろう? 我々も知っていたわけだよね、第一世界というのは西洋社会の持つ経済的なパワー云々のことであり、対して第三世界は「持たざる者たち」のことで、かつそこに暮らす人々はさまざまな苦難を味わっている、と。ところが彼ら第三世界の人びとは、つらい目に遭いながらも、この非常に古代的に思える音楽をまだ演奏していたわけだよ。では、純粋にコンセプトとして、そこに第四世界というものを付け加えてみたらどうだろう? その世界はどんなものだろうか? と。そうやって私は、第四世界があったらそれはどんなものだろうかという想像力を広げてみたわけだ。第三世界は「貧困」や「後進」と同義語だったわけだが、その下に第四世界というものを足してみたらどうだろう、と。いまの我々にはさまざまなテクノロジーがあるんだし、それをその発想に含めたらどんな組み合わせが生まれるだろうか? と考えたんだ。
■なるほど。だから『Fourth World Vol. 1』には「Possible Musics(起こり得る音楽)」なるサブ・タイトルが付いていたわけですね。
JH:あー、うん、まあ、そういう捉え方もひとつとしてあるね、うん。
■もう予定時間も過ぎていますし、ここで終わりにします。
JH:OK。
■今日は、お時間をいただいて、本当にありがとうございました。どうぞ、お体にはお気をつけください。コロナがまだ蔓延していますし、用心ください。
JH:(笑)ああ〜、うんうん、もちろん用心するよ! いま我々はとんでもなく奇妙な……なんともおかしな時期を潜っているものだね。この疫病のおかげで自宅に閉じ込められているわけだし……
■ですね。
JH:(うん、実に奇妙な時代だ。エレクトロニクス関連の性能が上がり、放送の方法も変化し、ディジタルといった新しいことも存在していて……うん、これは非常にパワフルな転換点だろうね、いまのこの世界を「第四世界」と呼ぶタイミングとして。





