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interview with  Jon Hassell

interview with Jon Hassell

ジョン・ハッセル、大いに語る

──“第四世界音楽の導師”の現在と過去

文・質問:松山晋也    通訳:坂本麻里子 Photo by Roman Koval    Aug 17,2020 UP

いま我々はとんでもなく奇妙な……なんともおかしな時期を潜っているものだね。この疫病のおかげで自宅に閉じ込められているわけだし……。エレクトロニクス関連の性能が上がり、放送の方法も変化し、ディジタルといった新しいことも存在していて……うん、これは非常にパワフルな転換点だろうね、いまのこの世界を「第四世界」と呼ぶタイミングとして。

 作曲家/トランペット奏者ジョン・ハッセルの2年ぶりのニュー・アルバム『Seeing Through Sound』が登場した。前作『Listening To Pictures』は“Pentimento Vol.1”なるサブ・タイトルが付いていたが、今作は“Pentimento Vol.2”、つまり続編である。また、前作同様、自身で設立したレーベル〈Ndeya〉からのリリースだ。

 1937年3月生まれ(米テネシー州メンフィス)だから、現在83才。ミュージシャンとしてのキャリアも半世紀以上になるジョン・ハッセルの名が一般的に知られるようになったのは、ブライアン・イーノとの共同名義で発表したアルバム『Fourth World Vol. 1 - Possible Musics』(80年)からだが、そこで彼が提唱した「第四世界」なるコンセプトや独創的サウンドはいまなお若い音楽家たちに影響を与え続けている。たとえばワンオートリックス・ポイント・ネヴァーやヴィジブル・クロークス、フエルコ・S.等々の作品を聴けば、ハッセルの音楽的ヴィジョンが現在の先端シーンといかに密接につながっているのかがよくわかるだろう。2017年にはグラスゴウのDJデュオ、オプティモのJD・トゥイッチが運営する〈Optimo Music〉から、『Miracle Steps:Music From The Fourth World 1983-2017』という「第四世界」をテーマにしたコンピレーション・アルバムもリリースされている。
「ジョン・ハッセルは、この50年間でもっとも影響力のある作曲家の一人だ。彼が〈第四世界音楽〉と呼ぶものを発明したことで、世界中の他の文化の音楽をより深く尊敬し、新鮮な目で見る道が開かれた」。これは、イーノがハッセルについて語った最近の言葉だ。

 誤解を恐れずに大雑把に言うと、ジョン・ハッセルの音楽は以下の4大元素から形成された。シュトックハウゼン、ミニマリズム、インド音楽、そしてマイルズ・デイヴィスである。
 ニューヨークの名門イーストマン音楽学校でトランペットや作曲などを学んだ後クラシックのオーケストラでトランペット奏者としてキャリアをスタートさせたハッセルたったが、セリエリズムや電子音楽、サウンド・コラージュなど当時の現代音楽の最先端モードに魅せられて、60年代半ばの2年間、独ケルンでカールハインツ・シュトックハウゼンの下で更に学んだ。当時、同じクラスで学んだ仲間には、後にカンを結成するイルミン・シュミットやホルガー・シューカイもいた。
 ケルンからNYに戻ったハッセルが次に出会ったのは、米現代音楽の新潮流として注目を集めつつあったミニマリズムの先駆者たち、ラ・モンテ・ヤングやテリー・ライリーたちだ。ハッセルは、ヤングの主宰するミニマル/ドローン・プロジェクト「永久音楽劇場」に参加するなどこのサークルと親しく交流しながら、ミニマリズムの手法も消化していく。ハッセルがトランペット・プレイヤーとして初めてレコーディングに参加したのは、テリー・ライリーの歴史的傑作『In C』(68年)であり、その次が、ラ・モンテ・ヤング/マリアン・ザズィーラ『The Theatre Of Eternal Music:Dream House 78'17"』(74年)だ。また、この70年前後の数年間にハッセルは、エレクトロニクスを用いた実験音響作品をいくつも作り、美術館などで発表している。
 ヤングやライリーとの交流は、ミニマリズム以外にもうひとつの新しい扉をハッセルに開いた。民族音楽である。米ミニマリズムは元々、アフリカやインド、インドネシアなどいわゆる第三世界の民族音楽を重要なインスピレイション源にしていたわけで、実際ヤングやライリーは、インド音楽の声楽家パンディット・プラン・ナートに師事してインド声楽も学んでいる。そしてハッセルも、彼らのインドでの声楽修業に同行したのだった。つまりハッセルは、70年前後の段階で、セリエリズムや電子音楽、サウンド・コラージュやミニマリズムといった最先端の現代音楽を習得し、更に第三世界民族音楽にも入れ込んでいたわけである。
 そしてもうひとつ、ビートニク世代のトランペッターとしてハッセルが並々ならぬ関心を寄せていたのがジャズの新しい潮流、とりわけマイルズ・デイヴィスの動向だ。この70年前後は、マイルズが強力にエレクトリック化を推し進めていた時期であり、彼を中心にジャズ・ロックという新様式が注目を集めていた。電子音や不協和音、エスニック・エレメントまでを取り込んだマイルズの作品群――『In A Silent Way』(69年)から『Get Up With It』(74年)あたり――の斬新なサウンド・プロダクションがハッセルにいかに多大な影響を与えたのか……それは、77年に出たハッセルの初ソロ・アルバム『Vernal Equinox』や2作目『Earthquake Island』(78年)を聴けばよくわかるだろう。こうしたキャリアを経て80年に世界を驚かせたのが、件の『Fourth World Vol.1 - Possible Musics』だったわけである。以後ハッセルは20枚ほどのソロ・アルバムを発表する傍ら、トーキング・ヘッズやデイヴィッド・シルヴィアン、ピーター・ゲイブリエル、ライ・クーダー、エクトール・ザズー、ハウイー・Bなどさまざまな音楽家たちの作品にも参加し、“第四世界音楽の導師”として不動の地位を築いてきた。ドイツ時代の仲間ホルガー・シューカイとも、『Alchemy - An Index Of Possibilities』(85年)や『Words With The Shaman』(85年)といったデイヴィッド・シルヴィアンの作品で共演している。

 というわけで、今回のジョン・ハッセル電話インタヴューでは、新作に関することだけでなく、これまでのキャリアや独創的音楽哲学についても語ってもらった。が、老齢に加え、コロナ・パンデミック下における体調不全も相俟ってか、対話はかなり混沌としたものになった。前の質問を引きずって同じことを繰り返したり、ややこしい話になると途中で思考や説明を投げ出したりと、脱線や蛇足、辻褄のあわない問答がいくつかある。そしてそのなかでしばしば放たれる恐ろしいほどの明晰さ……。当初は、明確な整合性を考慮して問答をわかりやすく編集しようと考えたのだが、しかし、この朦朧とした世界、輪郭のぼやけた世界こそがジョン・ハッセルらしいとも思えてきて、編集は最小限に抑えることにした。通訳の坂本麻里子さんとのなにげないやりとりなども、できるだけそのまま生かしてある。時間的制約のため、ブライアン・イーノとの関わりのことや、70年代前半の活動のことなどを聴けなかったのが残念ではあるが…、ハッセルの作品をBGMにしつつ“第四世界”からの声を楽しんでいただきたい。

というわけで、「音楽を垂直に聴く」というのは、自分自身に質問を発しながら聴くという意味であって、おそらくそれがもっともよく当てはまるのは、そうだなあ……連続していくピースで、しかしそれが常に変化している、そういうものだろうね。シュトックハウゼン作品がいい例だろう。

取材をはじめさせていただいてよろしいでしょうか?

ジョン・ハッセル(JH):ああ。ただし、ひとつだけ注意させてもらうと、いまはまだ回復期にあってね。この取材を今日受けるってことも思い出したばかりだし……というのも、昨日医者に診てもらい、MRI検査他を受けてね。だから取材のタイミング等について少し混乱させられてしまったけれども……うん、取材をやろう。できるだけがんばって答えるから。

2018年の『Listening to Pictures』と、今回の新作『Seeing Through Sound』は、どちらも「ペンティメント Pentimento」シリーズの作品として発表されましたが、この「ペンティメント」というコンセプトについて、改めて説明していただけますか。

JH:うん、あれは……(何かに気づいて)ありゃなんだ? ちょっと待って、窓の外に誰かいるぞ……冗談だろう? 庭掃除してるのか? (電話越しに人の話し声がかすかに聞こえる)やれやれ、まったく……しょうがないな、ちょっと待ってくれるかい? あの連中から離れるから……(と、窓のそばから移動した模様)。これでよし、と。

 さて……まあ、辞書を引いてみれば、「ペンティメント」は「塗られたもの」に由来する絵画用語だと説明されている。ある絵画の一部の要素の上に他の絵が塗り重ねられた状態のことで、そこからあのタイトルの「Seeing Through(表面からその下にあるものを見透かす)」的な意味合いが生じてくる。というのも、アーティストにとっては間違いであり、上から塗って変更したものを、滝のような絵の具のほとばしりや一群の色彩の連続を透かして見ることができるわけで。このタームはまだ音楽的に使われたことがなかったと思うし。というわけで……上にかぶされた変化というか、様々な変更を加えていくうちに、ついにはその人間の探していたものが現れてくることを指している……こんな説明でいかがだろう(笑)?

なるほど。絵画の修復作業とは違うんですね。あの場合のペンティメントは、ある作品の下に描かれたのは何か、そのオリジナルを見つけるということだと思います。そうではなく、このシリーズの場合は歳月によって絵画が古びたり絵の具が剥げて変化していくという意味に近いのかな。と。

JH:まあ……一般的な意味でのペンティメント、本来の意図とここでの私の意図は異なるわけだ。そういった修復行為は概して過去の名作、巨匠の作品に関わってきたんだと思うけれども、その下にあるものを見つけようとする、というのはわたしには適切なメタファーとは思えない……そうだな、うん、何かを再び用いて、それを新たな文脈のなかに置く、ということじゃないかと。

あなたは以前から「垂直の音楽」という独自の視点について語ってきましたが、今回の「ペンティメント」というコンセプトとの関係について説明していただけますか?

JH:フム、そうだな。ああ〜(苦笑)……通話にフィードバックが起きているな。何秒かの間隔でディレイがあって自分の声が戻ってくる……どうしたものか。自分の声が反響するのを聴いているとどうも混乱するんだ。困ったな。君の側で何か手を打てるかい? わたしが自分の声を聴かなくてもすむように、何かできる?

試しに改めて電話をかけ直してみましょうか? それくらいでは解決しないかもしれませんが。

JH:よし、じゃあトライしてみようよ。

(かけ直す)

先ほどの通訳ですが。

JH:フム……今度は君の声が非常に遠くなったな。すごくぼやっとしていて声がほとんど聞こえないくらいだよ。

それは困りましたね……こちらははっきりと聞こえるんですが。

JH:ちょっと待って、こちらで少しいじってみるから……(と何かやっている)うん、イエス! これでどうだい? よく聞こえる?

ええ、こちらははっきり聞こえます。

JH:そうか、よしよし。いや、家の周りでいろんなことが起きていてね。まったく! 庭掃除でガーデン・ブロワーを使っているんだよ(笑)。大変うるさいし、しかもたまたま電話取材を受けている悪いタイミングで作業がはじまったという……

(苦笑)

JH:それはともかく。うん、電話で話すのに向いたスペースを見つけたし、これでお互いクリアに聞こえそうだな。

マイルズ(・デイヴィス)は彼の絵画をいくつかジャケットに使ったが、あれは視覚と音響とをひとつに合わせるやり方だったわけだ。要するに、「この絵画が君に語ろうとしているのは何か」という。あの絵と音楽の間に働く(苦笑)エロティックな連想について疑問の余地はないし、でもそれと同時に宗教的な連想もあって。とにかくそうやって、物事の間にある区分を打ち壊している。

はい。というわけで質問に戻ります。「垂直の音楽」と「ペンティメント」との関連についての話だったんですが……

JH:ああ、まあ、非常に広い意味でつながっている、ということじゃないのかな? だから……音楽を垂直に聴く行為は、「自分がいま耳を傾けているこれは何なんだろう?」という根本的な質問を自分自身に問うことを意味していてね。どういうことかと言えば、いわゆる普通の聴き方とは逆に、「なるほど、いまここでこういうことが起きているぞ。そして次の瞬間は……」という具合に一瞬一瞬をつぶさに聴いていく、みたいなことで。思うに、シュトックハウゼン作品のいくつかだとかが、そういう聴き方を求めてくるんじゃないかと……いや、それよりももっと一般的に話を進めようかな。
 だから、水平ではなく垂直に音楽を聴くプロセスというのが本当に当てはまるのは──いくつかの音楽は、音楽の近年の歴史において、ある意味新たな発想だったわけだろう? というのも、聴き手は本当に耳にすることを、音の層を見透かしながら(see through)聴くことを求められるわけで……(新作のアルバム・タイトルと同じ表現であることに気づいて苦笑しながら)……まあ、はっきりした意味はこれだと説明したくはないんだが……要するに、聴き手は毎秒ごとに「これは何だ? 自分がいま耳にしているのは何だろう?」と自問することを求められる、という。「垂直に聴く」広い意味での概念、コンセプトはそういうものだけれども、私としては君の側に時間を無駄にして欲しくないというか………だから、聴いていて感情の面で君に何らかの反応を起こすものが得られていれば、そこでいちいちこの私の思考はどうなのだろうとか、意識したくはないだろうし。そこはあまり重要ではないんだよ。というのもどちらの発想も、それそのものはほとんどずっとと言っていいくらい存在してきたわけだから。
 とにかく、あるアイディアに集中する、自分の聴いているものに光を照らしてはっきりさせる、みたいなことであって……そうは言っても、モーツァルトをそういうやり方で聴く意味はほとんどないけれどね。あれはまったく違うタイムラインにおいて、異なるコンセプトのもとに作られた音楽だから。というわけで、「音楽を垂直に聴く」というのは、自分自身に質問を発しながら聴くという意味であって、おそらくそれがもっともよく当てはまるのは、そうだなあ……(考えながら)連続していくピースで、しかしそれが常に変化している、そういうものだろうね。シュトックハウゼン作品がいい例だろう。ただまあ、やろうと思えば何にでも当てはまるんだけどね。だから、「自分は何を聴いているんだろう」と考えること、自分の心の中を過っているのはどんな絵か、そしてそれが起きるのはなぜか? を考えることは何であれ可能なわけで。もちろん、これらは結局のところアイディアに過ぎないけれども。だから別に一切用いなくても構わない、これらのアイディアを聴くときに常に当てはめる必要はないんだ。これは純粋に音楽的に聴く、あるいはエモーショナルに感じとるのではなく、音楽を聴きながら理知的に考えを巡らせる行為を自らに課すということだから。

質問者は15年前にあなたにメール・インタヴューしましたが…

JH:おお、そうだったんだね。

で、そのときあなたは「いつか、画家のマティ・クラーワイン(Mati Klarwein)の作品をモティーフにしたアルバムを作りたい」と言ってました。『Listening To Pictures』のインナー・スリーヴの献辞であなたはマティのことを「不朽の我がブラザー」と形容していましたが、これら2作品がまさにそれなんですね?

JH:ああ。あれはある意味、とにかく違うものを……聴く側にツールのようなものをもたらそう、ということで。音楽の中で何が起きているかを考える、それをやるための違う手段をね。いくつかの音楽は、それがやりにくいから。たとえば、シュトックハウゼンのエレクトロニックな作品とかね。15年前の発言や、『Listening To Pictures』のスリーヴでのコメントは、聴き手が耳にしているのはどんなものか、そしてそれを頭のなかでどうやってある種絵画的に形容するか、その手がかり/ヒントになるものなんだ。少しだけ、それを忘れにくくするためのツール、とでも言っておこうか(笑)。イメージに置き換えることによってね。聴く者は音楽という名の抽象のなかを動いていくわけだし、移動する間にその標本をつかみとり、それを眺めて考えをめぐらせ、「さて、いま自分の聴いているこれはいったい何だろう?」と自らに問いかけていく。「どうしてこれは他の何かとは違うんだろう?」とね。で、それらの判断は瞬間的に下されていくものだし、ゆえに聴いているものを実際に楽しむための妨げにもなりかねない。けれども一方でまた、新たな聴き方をおこなうための刺激材料にもなり得るんだよ。

これら2枚はあなた自身が設立したレーベル「インディア(NDEYA)」からのリリースですが、つまり、マティ・クラーワインへのトリビュート作品を出すために、わざわざ自分のレーベルを作ったと考えてもいいでしょうか?

JH:ひとつだけ、言わせてもらってもいいかい? レーベルの名前だけれども、正しくは「インデイヤ」と読むんだ。この名称はマティ・クラーワインの受けていたインスピレイションに由来いている。私はスペインのマヨルカ島のデイアでしばらく彼と一緒に暮らしたこともあったんだ(註:マティ・クラーワインは2002年に亡くなるまで、マヨルカ島北西部にある村デイア=Deia で暮らしていた)。そこでマティがどういう風に作品に取り組んでいたか、彼の受けた影響はどんなものだったか、彼があれらの絵画──わたしにとって非常に大きなものであるあれらの世界を生み出していく過程で聴いていたのはどんな音楽なのかを私は知っていった。彼が亡くなる前にあの地で一緒に過ごした経験は私にとって本当に素晴らしいものだった。だから、このレーベル名はマティ・クラーワインの芸術に対するオマージュなんだ。

文・質問:松山晋也(2020年8月17日)

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Profile

松山晋也/Shinya Matsuyama 松山晋也/Shinya Matsuyama
1958年鹿児島市生まれ。音楽評論家。著書『ピエール・バルーとサラヴァの時代』、『めかくしプレイ:Blind Jukebox』、編・共著『カン大全~永遠の未来派』、『プログレのパースペクティヴ』。その他、音楽関係のガイドブックやムック類多数。

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