「Cid Rim」と一致するもの

interview with Mars89 - ele-king

このアルバムを巨大資本がすべてをコントロールしようとする都市の隙間で、ネズミやカラスと暮らす都市生活者に捧げる。 ──Mars89(アルバムのライナーノーツより)

 「日本」や「東京」は、これまで何度も西洋から描かれてきた。しかしながら、たとえば大友克洋が『AKIRA』の連載をはじめた1982年、映画『ブレードランナー』における酸性雨に濡れた未来のロサンジェルスのなかにカットインされた「日本」はエキゾティシズムそのものだったし、1984年の『ニューロマンサー』の舞台となった「千葉シティ」や「ニンジャアサシン」にいたってはなかば荒唐無稽なファンタジーだと当時のぼくには思えた。無理もなかろう。生活者目線で言えば、代官山にも麻布にも銭湯があって、地方から上京したぼくのような学生は家賃2万ほどの風呂無しアパート生活が標準だった時代だ。稲垣足穂が極貧生活を送っていた東京のほうが身近に感じたくらいだった。
 ゆえにヴェイパーウェイヴがルーピングした「80年代日本」は、面白くはあるがそれはアメリカのサブカルチャーにとって都合良くステレオタイプ化された「日本」にもなっている。昨年ピッチフォークに掲載された「シティ・ポップの無限ライフサイクル」なるエッセーは、インターネット時代における分裂的なノスタルジアの特性と、シティ・ポップがことのほかYouTubeとTikTok、さらにはアニメと親和性が高いことを論じている。こうした西洋からの日本神話をいまや日本の側でも利用するので、エキゾティシズムとしての「日本」や「東京」は手が付けられないほど膨張している。ゆえに、経済大国世界二位などと言われた時代の低所得者の生活と同時に衰退した現在におけるそれもまた周縁化されるわけだが、ひとつだけ神話と現実の両方に共通していることがある。資本主義的ユートピアの消滅だ。

 Mars89の話からは、彼の音楽のインスピレーション源のひとつに東京があることがよくわかる。迷路のようになったいまの渋谷駅が象徴的だろう。世にも奇怪な拗くれた街=東京の音。世代的に見れば、彼のなかにはエキゾティシズムとしての「東京」もあるのかもしれない。が、1994年にゴールディーが“Inner City Life”で表現した都市生活者の痛みと愛も『Visions』にはある。たったいま、働きながら音楽を作っている、汗をかいて生きているひとりの生活者の視点をもって描写される現在の東京、ブランド化(再開発)によって周縁化された東京とそのマージナルな領域で生きている人生、コロナ禍で味わった葛藤とダンス・ミュージック。

 これは、すべてを焼き尽くしてしまいそうな猛暑日になる前の、6月なかばに録った記録になる。アルバムの傑出したエネルギーの根源について聞き出そうと取材ははじまったが、話は広がって、後半は政治の話題にまで及んでいる。ちょうど選挙前だし、このタイミングでの掲載で良かったのかもしれない。今日の「日本」とは国際社会ではひとつの階級となっていることが、国境を越えて活躍しているこのDJ/プロデューサーにはわかっているようだった。

例えば朝の渋谷でクラブから這い出てくると、同じくどこからともなく出てきたネズミやカラスと道で一緒になるじゃないですか。嫌がる人も多いけど、実はそこで一緒に生きているはずなんです。例えばバンクシーもたくさんネズミを使うじゃないですか。

作品を聴いて、すごくびっくりして。レヴューに書いたことなんだけど、いままでやってきたことを踏まえた上で、それとはまた違うところに行こうとしているというか、最初いきなり四つ打ちで、あれ? 間違えたのかな、と(笑)。

Mars89:(笑)。いままで、いわゆる4×4のキックは一切使ってこなかったですよね。

ではテクノなのかというと、音の遠近感も歪ませ方もテクノの人のセンスではないな、とも思いました。ベリアルがディープ・ハウス(“Moth”のこと)をやってもハウスにならないのと同じで、かなり独特なサウンドを作っている。そもそも、『Visions』はいつから作はじめたんですか? 

Mars89:もともと〈Bedouin Records〉から出そうという話があったので、けっこう前に何曲か作っていたんです。ヴォリュームがあるのを出したいね、という話だったんですけど、そこからあまり進まなかった。で、ちょうど2020年のコロナ禍に入ってから、それまで作ったものを全部作り直して。

てことは、一回作っていて、それをまた作り直したと?

Mars89:そうですね。だから100%コロナ禍に入ってからできたものです。

2017年に最初のカセット・テープ「Lucid Dream」を出して、そこからシングルをコンスタントに出してるじゃないですか。それを考えると、もう少し早くアルバムがあっても良かったのかな、という感じもするし。でも、エレクトロニック・ミュージシャンってシングルをたくさん作って、アルバムってそんなに出すものじゃなかったりするし、人によるとは思うんですけど。Mars君は、アルバムってどういう風に捉えてますか?

Mars89:これまでは、何曲もたくさん作るまでの忍耐力がなかった。4曲くらい作ったら満足して、すぐ出したくなって、レーベルに送って、という感じでした。3曲のEPとかでも、一応まとまった雰囲気を考えてるんですけど。

そうだよね。「End Of The Death」は5曲入っていて、そこには世界観がある。これは全部違う曲だし、考え方によってはミニ・アルバムぽい感じもあって。

Mars89:そうですね。

だから、今回人から「Mars89がアルバム出したんだよ」って言われて、「あれ、まだ出してなかったんだ?」って(笑)。

Mars89:ヴォリューム的にフル・アルバムというのは初めてで、これまでアルバムとEPの間くらいのものを何作か出してますね。

〈Bedouin(Records)からオファーがあって、2020年から作りはじめて。一回作ってあったものを全部やめて。

Mars89:そうですね。

トム・ヨークのリミックスが2019年?

Mars89:あれは元々Undercoverのショーの劇伴的に作ったもののリミックスだったりするんで、ほかの作品とは違うんですけど。

今回の音楽性というか、方向性はどうやって決まっていったんですか?

Mars89:やっぱり、コロナ禍というのが大きかったんでしょうね。単純に言うと、これまでの日常だったダンスフロアというものが失われて、人と人の熱気のぶつかり合いみたいなのが一切なくなった。それを求めて、YouTubeで昔のアシッド・ハウスやイリーガル・レイヴの映像を観たりして、「いい過去があるんだなー」という気持ちになったりしてました。自分が経験したものではないのでノスタルジーとは厳密には少し違うのかなと思うんですけど、自分が得られなかったものに対する憧れというか、それがこの先あるかどうかもわからない状態で、その欲望が(新作の)モチベーションになりましたね。

クラブのDJブースに立つ回数もすごく増えただろうし、ダンスフロアの現場で経験したものがフィードバックされたことも大きかったのでは?

Mars89:それもあって。普段当たり前だと思っていた、満員のフロアのなかで知らないやつの汗とかが服について嫌な思いをすることすら懐かしいというか。あのときの、密閉された空間で肺が圧縮されたり、空気が押さえつけられる酸欠状態の感じが懐かしくなることはありました。

クラブの熱気への郷愁というか。

Mars89:肉体的なものに対する郷愁。

いわゆるテクノのリズムを取り入れたのは、どういうことなんですか?

Mars89:いままでは、Deconstructed(脱構築)とはちょっと違うとは思うんですが、クラブが当たり前にあるときは、いわゆる4×4というリズムがいちばん機能的なんですけど、でも自分はなんかもっと挑戦したい気持ちがありました。どんなリズムで踊れるんだろう、とか、身体の動かし方の可能性なんかも考えながら、4×4以外のリズムを探して、作っていたんですね。もちろんそれは、4×4がもっとも機能的に身体を動かすだろうということをわかった上でやっていました。でも、逆にフロアがなくなったことによって、機能的に身体を動かす4×4というリズムがフロアがない現場ではもっと重要な気がしたんです。身体がそれを求めているというか。いろいろなリズムを試したんですけど、あの失われたフロアの感じをいちばん思い出させるのは4×4かもしれないな、と。

なるほど。

Mars89:あとはシステム・カルチャーから受けた影響もあって、ステッパーズの4×4とサブ(ベース)が持っている肉体にダイレクトに影響するパワーというか、その圧力に対する渇望みたいなものがありました。

Mars君はそれこそ、アフリカン・ヘッド・チャージとか、80年代の〈On-Uサウンド〉の作品に影響を受けているわけだけど、自分の作品として出して来るものはまた違うじゃない? ダブやレゲエの影響を受けながら、ストレートにはやらないよね。

Mars89:あんまりそこは意識してないですけど、好きなものと、普段遊んで得たものは違うので。

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ダークなものとか、憂鬱なものに対して、それをそのまま発散させたいというか。ポジティヴに変換するということ自体が嘘臭く感じてしまった。なので、閉じの感じがそのまま出ています。

作るときはどんな感じで作ってるの?

Mars89:作るときは、最初は簡単なリズムから打ちはじめて、ずっと座ってるよりは途中で動き回ったりして。その動きをまた曲に落としこんで、という感じです。

あと、今回は違うけど、バスドラの音をパーカッションのように使うじゃない? あれはなんで?

Mars89:なんなんでしょうね。システム(・カルチャー)の音楽って低音域のヴァリエーションがすごいじゃないですか? あれに憧れがあって、ジャングルみたいにブレイクスの下で伸びるサブ(ベース)もやってみたいし、ダブステップみたいなサブが伸びてその隙間で他のパーカッションが鳴って、みたいなのも好きだし、もっとインダストリアル・テクノみたいにゴリッとした低音が響くのも好きだし、ニューウェイヴみたいなもっと乱雑に打ったものも好きだし、というところで、いろいろ良いとこどりして組み合わせを探ってる感じですかね。

その自分のインダストリアルなところってどこからきてるんだと思う?

Mars89:元を辿ると、幼稚園くらいの頃に『AKIRA』にめちゃくちゃハマったことが大きいんじゃないかと思います。

幼稚園! 

Mars89:最初は映画で、そのあと親が芸能山城組のサントラを持っていたので、それをよく聴いてました。あれはガムランとか使ったバリ島の音ですけど。

幼稚園で、ディストピアを知って(笑)。

Mars89:そうですね(笑)。映画のイメージがやっぱり強かったんです。乾いた瓦礫だったりとか、そういう世界観が。もう少し大きくなってからは『パトレイバー』や『攻殻機動隊』も好きでしたけど。

ぼくの世代は幼稚園でウルトラマンやウルトラセブンだったけど、ある程度大人になってから、作品の意味を理解したりするものだよね。

Mars89: そうですね。ぼく、関西出身なんですけど、小さい頃に阪神淡路大震災があって、そこらじゅう瓦礫だらけだったというのもあります。

どの辺りに住んでたの?

Mars89:兵庫県の伊丹市です。

じゃあ思い切り直撃したんだ。それ、何歳の頃?

Mars89:小学校入る直前とかで、『AKIRA』を観ていた時期ですね。『AKIRA』のなかで都市が瓦礫だらけになるじゃないですか。現実でも高速道路とか落ちて瓦礫だらけだし、というので、あんまり遠い話じゃなくてけっこう身近な話として見ていたのかもしれない。実家は崩れはしなかったんですけど、家のなかはめちゃくちゃになって、しばらく知り合いの家に避難したりしてました。おじいちゃんおばあちゃんがやっていた商店が潰れたりとか。そういう世紀末感がある時代ではありましたね。テレビつけたらノストラダムスやってたりとか。「酒鬼薔薇事件」もあったし。

あれも神戸だっけ?

Mars89:はい。あとはサリン事件もあったりとか。だから、なんか常に世紀末感があったのは覚えてます。

そういう瓦礫の世界への郷愁がある?

Mars89:郷愁というよりは恐れに近いと思うんですが、自分のなかには瓦礫の世界が常にある感じはしています。視覚的なものだと、例えば、いま笹塚で中村屋の工場を崩して半分瓦礫になってるんですけど、その後にショッピング・モールとタワマンが建つことになっています。でも、そんなタワマンよりも、いまの瓦礫のほうが美しく感じます。新宿のNEWoManができるときも、建設途中の鉄骨剥き出しのほうがいまの状態より美しいと思ったりしたんで。そういうコントロールされ切ってない状態へのフェティシズムはある気がします。それとは別にある意味、いまも瓦礫の世界を生き抜こうとしているというような意識もあって。この瓦礫を共有する者たちで支え合って、新しい世界を想像したいと言うような気持ちと言うか。コミックのほう『AKIRA』でも最後に市民の力で瓦礫のなかから新しいものが生まれようとしてましたし。

街の再開発に対する嫌悪感というか、違和感があると。それは『Visions』のテーマでもあるよね。でも、アルバムにはいろいろなテーマが詰まってるでしょ?

Mars89:いままでの人生で考えたことをギュッと詰め込んでいますね。

アルバムには、「カラスやネズミと暮らしている都市の生活者に捧げる」というようなことも書いてあって、それはどういうことなの?

Mars89:例えば朝の渋谷でクラブから這い出てくると、同じくどこからともなく出てきたネズミやカラスと道で一緒になるじゃないですか。嫌がる人も多いけど、実はそこで一緒に生きているはずなんです。例えばバンクシーもたくさんネズミを使うじゃないですか。あれも、いないことにされているけどそこに一緒に暮らしてる人へのオマージュだったりしますし、そういう感覚です。

なるほど。音楽の話に戻ると、シングルで出した「Night Call」とアルバムは繋がっている?

Mars89:あれは〈SNEAKER SOCIAL CLUB〉から出したんですけど、やっぱりグライムやダブステップのようなUKの都市の音楽を、自分のローカルな都市に当てはめて作ってみようと思って。

それで "North Shibuya Local Service" なんだ。

Mars89:そうですね。幡ヶ谷の近辺でずっと生活してたので、ああいうタイトルになりました。あとは、ちょうどコロナ禍に入ってすぐ、自警団みたいなのが夜も開けてる店を叩いてまわっていたり、宮下パークがオープンしたのもその頃だったので。(「Night Call」では)そのローカルな都市の情景を自分なりに描いてみたいな、と。

で、なぜダブステップをやろうと思ったの?

Mars89:元々別のレーベルからオファーがあって、BPM140のEPを作って欲しいと。そのBPMで自分が面白いと思うものを詰め込んでみた、という感じです。だから、実はダブステップを作ろうという気持ちはなかったんですよ。

なるほど。でもそれと同じことをアルバムではやらなかった。作ってる時期は重なってるわけでしょ?

Mars89:ほぼ同じですね。でも『Visions』のほうはより自分のプライヴェートな作品という色が強いんじゃないかな。

自分の生活みたいな?

Mars89:生活とか、自分の好きだったものとかを含めたこれまでの人生から、その先に向けて、という。半分以上は自分に向けて作っているような気持ちです。それに比べて「Night Call」はもっと外に向けて作っているという違いですかね。

「Night Call」は、やっぱりダンスフロアに向けて作っている感じだよね。『Visions』には内省的な部分もあるし、同時に攻撃的な過剰さがあるんだけど、ただ、全体的にダークで、ただここまで妥協無しでダークサイドを突っ走るのはしんどいんじゃないかと思ったんですけど。

Mars89:あの時期、精神状態的にはどうしてもダークにならざるを得なかったんです。それとダークなものとか、憂鬱なものに対して、それをそのまま発散させたいというか。ポジティヴに変換するということ自体が嘘臭く感じてしまった。なので、閉じの感じがそのまま出ています。

このダークさは何を反映してるんでしょう?

Mars89:基本的には、コロナ禍に入ったというのが大きいでしょうね。そのなかで自分個人というより、社会と向き合って絶望的な気持ちになった。とはいえ、生きていかなきゃいけないし。自分が生きてかなきゃいけないだけじゃなくて、みんなが生きていかなきゃいけないし。都市生活者に向けて、「けっこうヤバいけど生きていこう」という感じです。

コロナ禍になって、生きるってどういうことだろうとも考えたよね。

Mars89:そうですね。ただ生命があることが生きるということなのか、という。

では、アルバムのなかのアグレッシヴな感覚はどこからきてるの?

Mars89:この状態での破滅への願望とか、自滅への願望と、それと正反対の生きていくんだ、という気持ちのせめぎ合いがアグレッシヴな部分に反映されているのかもしれない。

内面の葛藤みたいな。

Mars89:そうですね。

曲順というのもこのアルバムでは大切なんでしょう?

Mars89:そうですね。一応ストーリーがあります。

最後2曲が、激しいカオスから、それとは違うところへ行こうとしてるような印象を受けましたね。

Mars89:そこは野田さんがレヴューに書いてくれた通り、カタストロフィーが訪れている最中ではあるけど、その先にある希望に向かって一歩踏み出したい、という気持ちがあります。

ドラムンベースぽいフレーズがあるけど、それもストレートに展開するのではなく、断片化して、コラージュ的に使ってるじゃない?

Mars89:今回どの曲でも、けっこういろいろなパーツを細切れにして断片的に使っているんですが、例えば、ドラムンベースのハードなパーティとかウェアハウスでのレイヴとかがYouTubeの画面の向こう側の世界になっている。自分が欲している世界と、自分のいる世界とのあいだに、ディスプレイというどうしようもない物体があって。で、求めているけどなかなか手に入らないというプレッシャーに押し潰されそうな感覚があるんです。距離感が縮まらない感じを表現したかったというのはある。

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肉体的にも精神的にも解放されること、都市生活のプレッシャーからの解放というか、そういう効果がいちばん魅力な気がしてます。

去年の年末号(『ele-king vol.28』)で、年間で一番良かった作品としてThe Bugの『Fire』を挙げてたと思うけど、『Visions』を作ってるときに影響を受けた音楽ってあります?

Mars89:もう、あらゆる音楽から影響を受けているんですけど、でも世代的には90s前半のドラムンベース、初期のメタルヘッズとか、あの辺ですね。『レイヴ・カルチャー』にも書いてありましたけど、郊外でのレイヴ・パーティーというユートピア的なものから、都市生活者の憂鬱に対する表現へと変わっていった時期の音楽にはすごく影響を受けました。あとは、オウテカが「反レイヴ法」(クリミナル・ジャスティス・ビル)を受けて出した曲(「Anti EP」)とか。

アルバム・タイトルを『Visions』にしたのはなんでなんですか?

Mars89:『Visions』ってそのまま視界という意味と、未来像や幻視といった意味があるんですけど、その自分の現実の視界と未来の幻視が重なった状態というか、(ウィリアム・)ギブスンの『ガーンズバック連続体』に近い感覚というか、その差異や、そこからくる渇望みたいなイメージですね。

曲名にはどんな意味があるんですか? 最後の "LA1937" とか、1937年のロスに何かあったんだろう?って。

Mars89:ある男が自分の想像する黄金時代として1937年のLAをヴァーチャルで作って、そのなかに住もうとする、という映画があって。そういうネガティヴなノスタルジーみたいなものをイメージしました。手に入らないものに対する渇望ですね。それは『13F』というB級っぽい映画ですが、ほかのどの曲名も、そういう好きな映画からのリファレンスがあります。

"Goliath"は?

Mars89:"Goliath"と"Auriga" と"Nebuchadnezzar"は、全部船の名前。"Auriga" は『エイリアン』シリーズで、"Nebuchadnezzar"は『マトリックス』、 "Goliath" は80年代にやってたUKの同名映画に出てくる海に沈んだ豪華客船の名前です。あと『天空の城ラピュタ』に出てくる空飛ぶ戦艦の名前もGoliathでしたね。

「Lucid Dream」を飯島(直樹)さんのところで買ってから5年も経つわけだけど、Mars89の音楽が日本でも理解されてきているという手応えはありますか?

Mars89:あんまり考えたことはないかな。でも、出演する場所は増えているし、見てくれる人も増えているし、ちょっとずつ認知が広がっているのかな、ということは感じています。

パンデミック以前には、シーンができつつあったのかな?

Mars89:どうなんだろう……。東京でのシーンというものがよくわかってないかも。内側にいるから、わからないんだと思うんですけど。ただ、ぼくらから下の世代はジャンルとしてのシーンはないような気がするし、すごく細分化されているけど、とくに孤立しているイメージはない、という感じです。フワッとした「東京のクラブ」みたいなものはありますが、それがシーンと呼べるものなのかはわからないですし、それはいまも同じかな。

パンデミックがあって、クラブ・カルチャーにとっては大きなダメージがあって、でもいま再開しつつあるじゃない。(DJなどを)やっていて(パンデミック以前に)戻りつつあると思う?

Mars89:そうですね。徐々に戻りつつあるんだろうな、という手応えはあります。パンデミック以降、クラブで遊ぶ子は若い子しかいなくなって、若い子は若い子だけでイベントやっていて。そうすると変なクラブのルールとかに接さずに、20歳になったからクラブに来て自分たちの独自の審美眼でパーティをやってて。それとコロナ以前に連綿と続いてきたものがいま繋がろうとしてる感じがありますね。

それは良い兆しだね。しかし、Mars89君のDJでみんな踊る? あんまり踊らせるタイプに思えないけど(笑)。

Mars89:踊ってるといいな、という(笑)。

実験的すぎるんじゃない(笑)?

Mars89:でもコロナ禍を経て、四つ打ちというものへの考え方が改まった部分もあって、前に比べると4×4のリズムを使う比率は少し増えました。

好きなDJとかいます?

Mars89:もちろんいますし、いろいろな人をつまみ食いして聴くんですけど。例えば、オランダのDJ マーセル(DJ Marcelle)とか。P.I.Lかけたり、ジャングルかけたり、いきなりハード・テクノかけたりとか一見めちゃくちゃなんですけど独特のノリがあって、面白いです。

面白い曲をセレクトする人が好きなんだ?

Mars89:そっちも好きですし、身近だとDJ NOBUさんのようにしっかりひとつのスタイルを突き詰めてフロアのためのDJをする人もいいなと思いますし、KODE 9のような新しい世界を見せてくれるような人も好きです。

クラブ・ミュージックとかクラブ・カルチャーは、なぜ良いと思いますか?

Mars89:ひと言で話すのは難しいな(笑)。肉体的にも精神的にも解放されること、都市生活のプレッシャーからの解放というか、そういう効果がいちばん魅力な気がしてます。それと同時に新しい考え方とか、目を開くチャンスに出会える場でもあると思います。

いまの日本の現状では、その可能性がものすごく少ないとはいえ、その可能性が存在することを示すだけで、意味があると思います。それこそマーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』での「他の可能性を考えられない状態」こそが絶望的なものだと思うし、他の可能性があることを示すだけでも未来は違ってくるのかな、と。

『Visions』は、いまの東京や日本を反映している作品でもある。で、ぼくは日本のことを考えると、暗いことしか思い浮かばないんだよ(笑)。Mars89が夢を人に語れるとしたらどんな夢がある?

Mars89:絶望だけ見せつけるのは、なんか無責任な気がしているんですね。いまの現状が絶望的なことはみんなわかりきっていて、じゃあどうするの、という。やっぱり可能性を追い求めたいという気持ちがあって。
 例えば、個人商店がどんどん潰されてショッピング・モール化していくこととか、大麻の使用罪が検討されていたりすること、同性婚も選択的夫婦別姓も認められないとかってことに、全部「仕方ない」で片付けることを良しとするような風潮があるような気がします。でも仕方なくはなくて、小さな個人商店が元気に自分たちのスタイルでやっていける可能性だってあるし、ドラッグが非犯罪化する可能性だってあるし、同性婚なども然り。いまの日本の現状では、その可能性がものすごく少ないとはいえ、その可能性が存在することを示すだけで、意味があると思います。それこそマーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』での「他の可能性を考えられない状態」こそが絶望的なものだと思うし、他の可能性があることを示すだけでも未来は違ってくるのかな、と。

Mars89が自分の作品を作ったりDJをやったりする上で、大切にしていることって何でしょう?

Mars89:DJは、フロアとのコミュニケーションが大事で、自分が持ってるものとフロアが持ってるエネルギーのぶつかり合いを大事にしていて、そのなかで自分が持っているものを出していくというものなんですけど、曲を作る方に関しては、もっとプライヴェートで、ごく個人的なものの延長としてリアルなものを描けたらいいな、と。あまり聴く人のことを考えてなくて、自分はこの社会のなかでこういう生活をしていて、こういうことを考えている、ということを抽象的なものとして伝えてみる、という感じですね。その両方に通じるものとしては、前へ向かうエネルギーがあって欲しいと思っています。

今回のアルバムでも、労働者階級に対する共感みたいなことを書いているけど、日本は階級社会ではないけど、明らかな格差社会で、ということだよね。そのメッセージはどういうところから出てきたの?

Mars89:格差があって、その拡大が進んでいくなかで、いわゆる新自由主義に支配されてしまうと、運が良かった金持ちとか、先祖が金持ちだったり権力を持っている人たちと、そうではない人たちにバツっと別れてしまう。そのときに自分や自分の周りの人って、いわゆる労働者階級で、経済的な勝ち組に入る人ってそうはいないだろうと思って。自分の目線と同じような高さの人に向けて、というのはあります。

日本の音楽で、その経済格差をいう作品って、意外と少ないんだよね。地球温暖化とか環境問題なんかはわりとテーマにする人がいるんだけど。

Mars89:基本的に生存権の問題で、全部繋がっていると思います。マイノリティやマージナライズドされた人たちは、経済的にも不当な扱いを受けやすいので経済格差を考える上でそこは無視できないと思いますし、いまの新自由主義社会をそのままにアイデンティティや環境の問題を考えることが可能とも思えません。例えばいまの社会で、企業に対する性的マイノリティ受容を促進する文脈で、ゲイのカップルは社会のなかで男性として働いている場合、カップルとしての総資産は男女のカップルや女性同士のカップルより多いから、ゲイ・フレンドリーの方が企業として儲かるよ、みたいな言説を目にしたことがあって。でも人権ってそういう経済的な利益の引き換えではないよね、と思うし。自民党の杉田水脈の「生産性」発言だって根は同じ。いまの社会って経済的な成功不成功というものがあらゆる価値観の中心にある感じがしてて。そういうのがあるから、今月プライド月間だったりするんですけど、いわゆるLGBTQフレンドリーというものが企業の広告のツールになったりとか、ピンク・ウォッシングやグリーン・ウォッシングがあったり。まだまだ利益優先というところが強いので、問題にしっかり向き合うためには、そのルールから脱するべきだと思っています。

それこそ黄色いベスト運動なんかは、環境対策によってガソリン税を上げられたことに怒った地方の労働者たちが起こしたデモだったわけで。

Mars89:例えば脱プラスチックしましょう、と言ったときに、レジ袋の1枚数円というのが、総資産が少ない人の方が絶対負担が大きいし、経済格差というものを正すことを前提としないと、良いものを長く使いましょう、という運動を貧困層はそもそもできないし。環境問題への取り組みとしても、格差を正すことを入れないと成功しないと思うので。それこそSDGsとかのなかには格差の解消ということも含まれているけど、そこはあまり省みられていない気がするし。
 ぼくなんかの周りでも、インボイス制度の話だったりとか、消費税が今後増えるかも、とか、消費税はそもそも要らなくない、という話をしたりしています。いまの日本は大企業優遇で、金利下げて円安になって、海外行くにしても高いし。円安が進むと、日本の(食料)自給率が低いから、いろいろなもののコストが上がって、収入増えてないのに、物価が上がって。言うならセルフ経済制裁状態なんじゃないかな、とかそういう話はします。

Mars89の周りでは、そういう社会や政治のことを話題にする人が多いんだね。だとしたら日本の音楽シーンもだいぶ変わったというか。

Mars89:似たような人が集まってくるんで(笑)。でもこの社会の問題に向き合って生きてると、考え方次第ではありますけど、基本的に負け続けてるような気持ちになりがちなわけじゃないですか。で、負けるのに慣れちゃって、負けを受け入れつつ、来たる絶望的な未来に対する贖罪というか、ある種言い訳的に意見表明をしている。というような精神状態に陥ってしまったり、諦めてしまいたくなることも少なくない気がするので、あんまりそうはしたくないし。明るい未来を諦めたくないんですよね。
 だから『Visions』のどの曲も、街に生きている人をイメージして作っているんです。普段クラブで会う人もそうだし、街だからこそ生まれる職業、例えばメッセンジャーとかフード・デリバリーとか、身近にやってる人もいるし、そういう街での生活を描きたかったんですね。
 それと、少し先の未来のサウンドトラックというイメージもありますね。それは、瓦礫だらけの東京と、ショッピング・モールだらけの東京と、両方のパラレル・ワールドを合わせたイメージで、なんとかそこで生き抜こうとしている人たちに向けてと言う感じですね。

小林:パンデミックがあってから、あの激しいThe Bugでさえアンビエント作品をたくさん作ったじゃないですか。そういう方向になりはしなかったんですか? 

Mars89:なぜか全くならなかったです(笑)。

むしろ逆にダブステップを作ったりして(笑)。

Mars89:それこそベリアルの「Antidawn」はすごく好きなんですけど、それに対していまの自分が抱えてるものは全然これじゃなくて、どちらかというとThe Bugの『Fire』のムードなんです。一回全部破壊し尽くす感じというか。だから、アンビエントを聴くという感じではないです。コロナ禍がはじまったときにみんな「ステイ・ホームしよう」と言っていても、「家にいても平気なやつはいいよな」と思ったし(笑)。例えばメンタル・ヘルスケアとかでも、みんなチルを求めるけど、そんな余裕なんかない。仕事のストレスを一時的に忘れて、明日からまた仕事頑張ろうとか、そういう傾向も資本主義のシステムのためのパーツとして人を形成していくための手法のひとつじゃないか、と思ったりしてて。そういう怒りとかもあって、アンビエントにはいかなかったですね。

Prettybwoy - ele-king

 2013年に〈Big Dada〉のコンピ『Grime 2.0』に参加、グライム/UKガラージの文脈から出発し、2017年には上海のレーベル〈SVBKVLT〉からEP「Genetics」を送り出している東京のプロデューサー、Prettybwoy が英ファクトの名物シリーズ「Fact Mix」に登場している。
 冒頭からびっくりするような展開で、『エヴァ』で耳にしたような声がするなと思ったら、90年代のアニメ『KEY THE METAL IDOL』がフィーチャーされている(主題歌も)。これがずっとつづくのかと思いきや、じょじょにノイズなどが侵入をはじめ、つぎつぎと尖ったダンス・ミュージックが繰り出されていく。
 なお Prettybwoy は9月17日に〈SVBKVLT〉からデビュー・アルバム『揺蕩う』をリリースすることになっている。そちらも楽しみ。

Junes K - ele-king

 OLIVE OIL と Popy Oil が主宰する〈OILWORKS〉から、福岡のビートメイカー Junes K の新作『DEPAYSEMANN』がリリースされる。「ビートグランプリ CLASH 2019」の優勝者である彼は、エレクトロニカの要素も取り入れた独特のサウンドが魅力だ。ちなみにタイトルの「デペイズマン」とは、「異なるもの同士、意外なもの同士を組み合わせる」というシュルレアリスムの用語「Dépaysement」と似ているが、関係あるのだろうか? いや、コラージュやサンプリングを駆使する彼のことだ、きっと関係あるにちがいない。発売は8月25日。

artist:JUNES K(ジュネス・ケー)
title:DEPAYSEMANN(デペイズマン)
label : OILWORKS Rec.
cat : OILRECCD028
price : 2,100円(税抜) 2,310円(税込)
release : 2021年08月25日
バーコード:4988044867680

[Track List]
1.Air
2.Vibes
3.Fog
4.Surra II
5.Babymann
6.Al Mind
7.Ruby
8.YOOO
9.Olhos
10.Overmind
11.Searching
12.Alice
13.BARRON
14.Primary
15.Art Of Conversation
16.A.I.P
17.Jardin
18.$pirit
19.Blu
20.New York
21.Lightning Bug
22.Morgan
23.Souls
24.Hold On
25.Unreal
26.Clouds
27.Ras
28.Sun

All Tracks Produced by JUNES K
Mastered by Arμ-2
Artwork by JUNES K
Designed by JUNES K

昨年リリースされた“SILENT RUNNING”も各方面から称賛を受け、そのビートの実力を高く評価を集めているJUNES Kが、新たに解き放つ作品“DEPAYSEMANN”をOILWORKS Rec.からリリース!

ビートグランプリCLASH 2019の優勝から、グラフィックデザイナーとしての才能も開花させアートフルな活躍を行うJUNES K。本作では、そのアートの手法でもあるコラージュや、サンプリングなどで異質な構築を繰り広げ、異質な音の輪郭や、ビートの疾走感なども感じさせ全曲インストゥルメンタルの全28曲を収録!さらにマスタリングはArμ-2が担当し、音とビート、さらにはアート的な融合も感じさせる仕上がりに!

■Junes K プロフィール
ビートメイカー/グラフィック・デザイナー。福岡県在住。OTAIRECORDが開催する"ビートメイカーのグランプリ"である「ビートグランプリCLASH2019」の優勝者。ビートメイカー達の中ではその制作スピードとクオリティ、類似しない彼独特の世界観が高く評価されている。ヒップホップをベースに、エレクトロニカ的な空気感も含んだその作風は、ともすると退屈に聞こえてしまうヒップホップのインストゥルメンタル作品においてカラフルなサウンドと展開でリスナーを自身の世界に引きずり込む。

interview with Squarepusher - ele-king

 ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインの美術学部に入学したとき、トム・ジェンキンソンは借りられる最高額の学生ローンを受け取り、その全額をはたいて中古の機材を買い揃えた。1400ポンド分の小切手は、中古のAkai S950サンプラー、2台のドラムマシン、ミキサー、DATレコーダーを買えるだけの額であり、これらの機材は、スクエアプッシャーとしての1996年のデビューアルバム『Feed Me Weird Things』に収められた音楽を作る上で不可欠な役割を果たした。当時のジェンキンソンは、レイヴ・ミュージックの文体を身につけながらそこに変化を加えてより斬新な可能性を追い求めようとするミュージシャンたちの流れに属していると見なされており、ルーク・ヴァイバート、μ-Ziq──そしてもちろんエイフェックス・ツインといった顔ぶれと交流を持っていた。ブレイクビーツのリズムを非常識な速度に高めたり、その性質をシリーパテ(粘性と弾性を兼ね備える合成ゴム粘土)のように多彩に変化させたりといったスタイルは、ほどなくしてドリルンベースと呼ばれるようになるジャンルの象徴となっていた。だが、彼の音楽を何より際立たせていたのはエレキベースの卓越した使い方で、奏者としての圧倒的な才能は、あのジャコ・パストリアスが比較対象になるのも納得できるものだった。

 1995年にノースロンドンで開かれた実験的電子音楽のイベントに登場したジェンキンソンは、幸運にもエイフェックス・ツインその人であるリチャード・D・ジェイムスの耳にとまり、その後押しによって『Feed Me Weird Things』が彼のレーベル〈Rephlex〉からリリースされた。ジェイムスは収録トラックを選曲し、アルバムに熱烈なライナーノーツを寄稿した(例えば「ミスター・ジェンキンソンが指揮をするとき、彼を除く世界中のあらゆるものがオーケストラピットにある」といった記述がある)。翌年スクエアプッシャーは〈Warp Records〉からの最初のアルバム『Hard Normal Daddy』をリリースし、ドラムのプラグラミングと、ジャズ・フュージョンの過激さと、ひねくれたユーモアが混ざり合っていたことで、先進的な評論家の中からは彼をジャングル・ミュージック界のフランク・ザッパと位置づける声も上がった。しかし続いて1998年にリリースされた『Music Is Rotted One Note』では、大胆な方向転換──以後何度もおこなわれる方向転換のはじまりでもあった──がなされ、シーケンサーがアナログ楽器に置き換えられるとともに、ミュジーク・コンクレートといったジャンルやエレクトリック期のマイルス・デイヴィスを起源とするサウンドが作られるようになった。

 その後に続くジェンキンスの多様な作品──2001年の『Go Plastic』のように〈Warp〉の歴史に刻まれる名作から、ベースのソロ・アルバム(『Solo Electric Bass 1』)、オルガン(『All Night Chroma』、ジェイムズ・マクヴィニーとの共作)またはアンドロイドを活用した作品(『Music for Robots』、Zマシーンズとの共作)にまでおよぶ──において、彼は一貫して独特の音の響きを保ち続けた。そして『Feed Me Weird Things』の時点で、すでにその音の響きは完成していた。本アルバムのリリース25周年を記念したリイシュー盤には、本人による新規のライナーノーツが付属するが、そこに記載されるまるで『Sound & Recording』などの専門書のようなマニアックな分析は、彼がたびたび言及する初歩的な技術のあり方とは対照的だ。『Feed Me Weird Things』のサウンドは、現在の〈Warp〉らしいスタイルのIDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)の神髄を表しているが、その起源が1980年代のインディー・シーンで培われたDIYの手法にあることも伝わってくる。

 昨年の『Be Up A Hello』でジェンキンソンは、キャリアの初期に使用していた機材をひさしぶりに持ち出して、ひねりを加えたアシッド・ハウスやレイヴ・サウンドを生み出し、アルバムはこれまで制作してきた中で最も面白味のある作品のひとつと評価された。Zoomでのインタヴューで『Feed Me Weird Things』のリイシューに触れることはほとんどなかったが、長時間に渡って、10代のころの話やベースとの関わり、また創作における制約こそがつねに自らの取り組み方を決定してきたことなどについて積極的に語ってくれた。

子供時代が再来したかのようだった。「大人の世界」が遠のいて、もはや自分のやっていることと世界の間に現実の関わりがあるという感覚がなくなってしまったんだ。僕は、かなり本気でこの状態を保ちたいと思っている。

昨年はあなたにとってどのような年でしたか?

TJ:たぶん、いろいろな意味で未知なる日々だった。何よりも最初は、そこにある恐怖がすべてだったけど、次第にある種の安堵感が混ざるようになった。1年中ツアーに出るだろうと思っていた状況から、程度の差はあれ、基本的に全部が撤回されるという状況に変わってしまったからね。ここでは正直に話すけど、もしこれで僕の思うようにやらせてもらえるとすれば、申し分のない状況だ。つまり、大人たちの世界は事実上機能を停止した。先を見据えたプロジェクトや何かが話題になることがなくなり、それは何が起ころうとしているのか誰にもわからなかったからだ。そんなわけで、創作活動に当てられる、願ってもない時間が早々に訪れたということだ。

それはいいですね!

TJ:そう、ある意味ではそうだった──だからといって、この1年間ずっと降りかかってきた恐怖を軽視しているわけでは決してない──ただ、どことなく子供時代が再来したかのようだった。ある日突然、僕はこの場所でひたすら自分に向き合うことになり、それでいわゆる「大人の世界」が遠のいて、もはや自分のやっていることと世界の間に現実の関わりがあるという感覚がなくなってしまったんだ。僕は、かなり本気でこの状態を保ちたいと思っている。平常時であれば、それこそ無難な距離感を保つために、もっと慎重に取り組んだだろうけど、パンデミックの場合、なるようにしかならなかったんだ。

ここ1年ほどの間に、自身が何か特定の方向性に引き寄せられていると感じることはありましたか? 現在取り組んでいることでも、あるいはこれから創作しようとしていることでも。

TJ:大まかに言えば、まだ『Be Up A Hello』の余韻が残っている。包み隠さず話すけど、これほどまでに大人の世界が遠ざかっている感覚が強くなって、自分のいままでの日常生活とか、考え方とか、対話とかがもはや通用しないとなるにしたがって、「好きなようにやってやろう!」という意識が戻ってきた。確かにいまのところ大きな仕事とか、大きなプロジェクトは何もない。それなら思い切り遊んでみようと思うだろう? そしてその考えは、すでに『Be Up A Hello』にもある程度は、取り入れられている。なぜなら、このアルバムそのものが、度重なる人生の厳しい出来事に影響を受けているからで、おかげである意味で再出発をして、最初の原則に立ち返ることができた。楽しいことをするっていうところにね。

過去には、心から楽しいと思えない仕事をしていた時期もあったということですか?

TJ:(笑)いい質問だね。いや、本当に大事なことだ。何ていうか、そうだな、実際問題、楽しさを期待するだなんて、笑われても仕方がないからね……つまり26年の「キャリア」と呼べる年月が僕にはあって、それどころか子供だったころの準備期間を考慮すればもっと長くなる。確かに、すごく昔、それこそキャリアがはじまる前は、楽しいという感情がすべてを突き動かしていた。だからこそ毎日学校から走って家に帰ったし、ギターを触るのが待ちきれなかった。面白いという気持ちだけだった。職業にするという気はなかったし──もっとうまくなりたいという向上心すらなかった。初めは、何かすごいことをしたいという考えさえ持っていなくて、ただ単に「この楽器が好きでしょうがないし、この楽器が鳴らす音が好きでしょうがない」というだけだった──すごく素朴な向き合い方だ。もちろんそこからさまざまなことが進歩しているし、そのぶんつねにいろいろと気を配って、できるだけついていくようにしていることもつけ加えておきたい。要するに、46才になった自分に、10才の少年みたいな心持ちを期待されても困るということかな。

(笑)そうですね……

TJ:だけど正直に言うと、できるだけ変わらないでいたいと思っている。自分にとってはそれがすべての根本だから。活力の源だ。言い方を変えれば、自分にルールを課して、楽器を弾いてもうまくいかないとき──そして楽しめていないとき──には、「いいか? いまは距離を置くべきなんだ」と考えるようにした。なぜなら、そうやってできあがったものを誰かが耳にしても、苦労の痕跡や憤りや退屈が伝わるばかりで、意味が変わってしまうから。ただときにはおかしなことが起こって、例えば取り組んでいるものがまるで気に入らなくて「どうしても最後までやらないといけないんだよな。気に入らないし、どうせ全部消去することになるんだろうけど、ともかく終わらせないと……」と考えていても、翌日聴いてみれば「あれ、思っていたより、ずっといいぞ」ってなることはある(笑)。それでもまあ、全体的には、僕は悩みながら取り組み続けるタイプではない。そういうやり方は自分に合わない。ただそれだけだ。
このことは、つねにあちこちのインタヴューで話している。まさに事実だからね。強い熱意が根っこにあって、あらゆるものがそこから派生している──そして何かに取り組むさいに無理を重ねて、身を粉にしてまでとことんやり抜くのは、かえってすべてを台なしにすると思う。駄目にするのはその日だけに限らず、もしかすると、何日も何週間も棒に振るかもしれない。たぶんプログラミングにもそういう面があって……実は昨日もいろいろとやっていたんだけど、結局放り出したんだ。義務感だけでやっている仕事に思えたから。いつかアシスタントのような人を置ければいいと考えている。仕事を押しつけるためではなくて、一緒に作ることで、もっと楽しめることがあるかもしれないと思うからね。でもそうなると、長年の習慣が変わってしまうだろう。まあやってみないとわからないけど。

とはいえ、何度か他の人たちと一緒に仕事をしていますね? バンド(ショバリーダー・ワン)で活動していたこともありましたし……

TJ:うん、そのとおりだ。

……そしてある時期(だいたい2008年の『Just A Souvenir』のころ)には、ボルト・スロワーのメンバーだったドラマーとともにステージに立っていました。

TJ:アレックス・トーマスだね。そうそう。いや、確かにああやってすばらしい時間を過ごしたけど、実際、技術的な面というか機械に関する面では、誰かに手伝ってもらったことはないよ。思うに、コラボレーションが実現するのは(つまり他のミュージシャンたちと演奏することは)僕にとっていちばん自然なことだ。何しろ10代のころを振り返れば、ずっとバンドに入って音楽活動をしていたわけだから。それが当時は何より大切なことだったし、自分の作品を作り続けてきたなかで、いまもまた活力を与えてくれている。

なるほど、そうですか。10代のころ楽器を演奏しているときに、ベースに引き寄せられたわけですよね。その理由は、バンドでベーシストが必要とされていたからでしょうか? それとも、楽器そのものがあなたを引きつけたのでしょうか?

TJ:最初に楽器があって、それからバンドで演奏するようになった。というより、楽器があったからこそバンドをはじめたんだ。じつは最初の楽器はベースではなかった。当時は、何であれギターに類する楽器を身につけたいなら、昔ながらのアコースティック・ギターからはじめるのが一番だというのが定説だったし。そして僕は11才だった。経験も知識もまるでなくて誰にも相談しようがなかった──それにお金もなかった。安物のエレキ・ギターでさえ縁遠いものだった。初めてのアコースティック・ギターを15ポンドで買って、もちろんそれは、まったくもって大した楽器ではなかったけど、それでも新しい世界への扉を開くのには役立ったね。
だけど僕はずっとベースだけでなく電子楽器の世界にも引き寄せられていた。何がそんなに魅力的だったかと言えば、音色の質とか、奥深さ、エネルギーといったものが、自分にはその楽器を体現しているように思えたんだ。僕は、ベースがどんなものかさえ知らなかった。確かに、耳を慣らしていなければ、あの楽器はちゃんと聴き分けられない。そこに興味が湧いた。例えば「この楽器は何をしているんだろう? どこの音域なんだろう? どんな可能性を秘めているのだろう?」といったように。そしてその答えが明らかになる瞬間が何度かあった。振り返ってみれば、例えばポール・サイモンのアルバム『Graceland』が挙げられる。あのアルバムは傑作で──あれを知らないなんて許されないと言ってもいいくらい、それこそ触れる機会はいくらでもあるはずだ──そのなかに、あの素晴らしいベーシスト(バキティ・クマロ)が弾いているシングル曲があるんだけど……

“Call Me Al” ですか?

TJ:そう、それだ。“You Can Call Me Al” だよ。このポップ・ソングのなかに、2小節だけ入っているベースのソロ・フレーズがある。それがもう「いまのは何だ!? めちゃくちゃ格好いいぞ!」っていう感じだった。パーカッションみたいにリズムを刻んで、それでいて美しいメロディーを奏でている。それに心を奪われた。あの音域ですごく面白いことをやっている。現在までの僕の音楽は、メロディー重視の曲を作る風潮に反していると思っている。メロディー重視の音は、クラシックでも、ポップでも、ジャズでもあらゆるジャンルで聞こえてくる──そこではトップの音が売り上げを左右して、低い音域はあくまで土台とされている。僕は低音域の作用に魅了されていて、多くの場合、自分の作品では上の音域が控え目になっている。どういうわけか、そのほうが性に合っている。でもとにかく……ベースは僕を惹きつけたんだ。
そういう出来事は他にもあった──例えば、ジミ・ヘンドリックスのモンタレー(1967年のモンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル)でのパフォーマンスだ。僕はあのステージのビデオテープを持っていて、本当に夢中になった。彼がギターに火を放つ場面があって、あの意味についてはそれこそ無限に解釈ができる。どことなく愉快なシーンだし、たぶん狙ってやっているところもあるんだろうけど、僕にとってはいまでも思い出すだけで背筋がぞくっとする。あれはロックの象徴で、それがああやって粉々にされて火を点けられた──そのときに鳴っていた音が魅惑的だった。いつまでも続く魅惑的な音が、楽器を酷使することで生まれていた。小遣いは足りていなかったし、ガソリンも持っていなかった──だから子供だった僕は、自分のギターに同じことはできなかったよ(笑)。
それはそれとして、ジミヘンがこれをやっている間、ノエル・レディングが演奏を引っ張って、ベースの音程を上げていき、そしていつの間にか甲高い音をバックで奏ではじめた。すごく刺激的だった。ここでもまた、別の意味で僕は引きつけられた。「そうか、ベースはこんなに激しくて力強い音も出せるのか」と思った。そういったできごとがあって、僕はすっかり納得していた。やがて次の機会が巡ってきた。ベースが70ポンドで売りに出されているのが地元の新聞に載っていて、しかもアンプまで揃っていたんだ。すぐに飛びついたよ。

僕の音楽は、メロディー重視の曲を作る風潮に反していると思っている。メロディー重視の音は、クラシックでも、ポップでも、ジャズでもあらゆるジャンルで聞こえてくる──そこではトップの音が売り上げを左右して、低い音域はあくまで土台とされている。

スクエアプッシャーとして活動しはじめた頃、ベースも使うべきか迷いましたか、それともそこは最初から自然なことだったんでしょうか?

TJ:まあ、そうだね。スクエアプッシャーとなったものは、どのみち子供の頃にやっていたことの延長線上にあったものだから、つまり、手元にあった機材や、借りられるものを手あたり次第使ってみたってことだ。『Feed Me Weird Things』の頃も、それ以降もそうだった。最近になってその頃のことを思い出した。インタヴュー等で、あの作品の技術面について語ることがあったんだ。実際、あの機材の3分の1は借り物だった。おかしいよな(笑)。大体こんな風に「あ、このギターアンプ借りられる? ドラムマシンも貸してくれる? ちょっとこいつを試してみたいんだ……」とね。終始そんな調子だった。ギターペダルも借りたんだ。全然自慢にならないけど、まだ返してない(笑)。『Be Up A Hello』でもまだ使っているよ。だから、ある程度は言いわけは立つかもね。悪いことをしているのに変わりはないけど。
 忘れられないのは、ビスケットの缶でスネアドラムを作ったことだ。画鋲を中に放り込んで、てっぺんに絶縁テープを張り巡らせてスキンを作った。ドラムセットの構成だってよくわかってなかったんだ、その頃は。「あの音だ。よく2拍目か4拍目に入るやつ。あのシャンシャンいう響き、〝シャラシャラ〟って鳴るあれ。あれは何? ドラムみたいだけど、でも……どうやってシャンシャン鳴るドラムを作るんだろう?」そういうわけで、「まあ、わかんないけど、画鋲をビスケットの缶に入れてみよう。それで上に何かを張ればいいや。そしたら叩けるだろ?」で、うまくいったんだ! それなりにね。最初の頃はともかく、恐ろしく原始的なものだった。予算ゼロだし、手元にあるのは安物のギターだけ。でも、そういうメンタリティーでいったんだ。
 いまとなってはわざわざこういうことを追求してみようっていう気はないけど、近頃のミュージシャン志望の子たちが置かれている状況と比べてみると面白いとは思う。正直、彼らのほうが恵まれている。ラップトップさえあれば、無限の音楽作成ツールにアクセスできるんだから。夢みたいな環境だ。ほんの少し前を振り返って見るだけで、40年も前のことでもないのに、まったく、恐ろしいほど違っているんだ。
 さて、もとの質問に戻るけど、ベースはなくてはならないものだった。あの頃、エレキ・ギターを持っていなかったから、電子機材で高音域を探求するという選択肢がなかった。でもまあ、「じゃあ、ベースのネックのいちばん上までいってみよう。それでギターみたいな音を出してみよう」ってやったんだ。で、もちろん、ギターの音にはいまいち似ていないけれど、別の味があった。それがなかなか面白かった。おかげでコードや和音、それから右手を使った色々なテクニックに首を突っ込むことになり、最終的には2009年にリリースした(『Solo Electric Bass 1』)みたいなソロのベースの作品になった。だからあれはそういう慈善バザー的な意識と取り組み方の集大成みたいなものなんだ。
 それから少しして、バンドで演奏する傍ら、友だちと一緒に地元でパーティーを開くようになった。近所のYMCAとかでね。地元のサッカークラブなんかも良かった。そういうところで何度もパーティーをやったものだ。ドライアイスを敷き詰めて、手元にあった当時の最新レイヴのレコードをかけた。そこへベースを持っていっては演奏に合わせてジャムって、違った味を出そうとしたんだ。デッキでブレイクビートをかけて、ミキシングをしているやつがいれば、それに合わせてジャムってみたり。スクエアプッシャーはそういう活動からそれほど飛躍したものじゃない。中核になっているのはそういったもので、それが礎になっている。

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楽器の演奏方法には一般的な思い込みが氾濫していて、「そうだ、偉大な先人はこうしていたんだ、だから君もうまくなりたいなら、彼らのやり方に習わなきゃ」っていうようなナンセンスだらけだ。

ミュージック・シーンに初めて登場したときのことを振り返って見ると、ダンス系の音楽をああいう風に生の機材でやろうとしていた人びとはあまりいなかったかと思います。ある意味、ただひとり、自分の道を歩んでいましたよね?

TJ:ああ……いい勉強になったよ。その後、かなり早い段階であの世界から身を引いたからね。僕の見たところ、少なくともイギリスの評論家の一部は、僕がジャズやフュージョン・ジャズの要素を取り出してダンス・ミュージックと融合させていると思い込み、「どういうつもりなんだ?」と言っていた。それでまあ……奇をてらっているだとか、コメディ路線だとか思われたんだろう。確かに僕の作品にそこはかとないおかしみがあるのは否定しない、含まれているものなら他にもいろいろあるけれど。でも、あの機材はパロディやおどけじゃなかった。そういう反応が生まれた原因の一部は、もちろん、みんながそういう見方をしていたわけじゃないけど、ご指摘にあった通りだと思う。あまり流行ってなかったからだね。
 でも、その目新しさが素晴らしい出会いにつながることもあった。例えば、タルヴィン・シンだ。彼は様々なスタイルや伝統音楽を用いている。彼もきっとタブラ演奏で同じようなことをやっていたんだと思う。しかも非凡な演奏者だったしね。彼とはたまたま同じギグに出演したときに知り合って、すぐに意気投合した。互いのアプローチに共通点があったからだ。当時のダンス・ミュージックと昨今の作品とのつながりを保ちつつも、生の楽器とそういった音楽との接点を見出し、互いに影響しあえる絶妙なツボを模索していたんだ。結局は、それこそが醍醐味だからね。そして、その具体的な成果がいまになって目に見えるようになったんじゃないかと思ってる。とくに最近のドラマーたちの多くにね。いまでは彼らはとても、とても明白に影響を受けていて……いや、自画自賛をするつもりはないよ。僕だけじゃない、もちろん。でも、わかるはずだ、彼らが受け継いでいるのを。例えば、僕やタルヴィンや他の人びとが探求してきたものをだ。そしていまでは逆方向へのフィードバックがはじまっている。素晴らしいことだと思う。
 そのフィードバックのプロセスは、ある意味、僕のなかでも起きていた。ほんの束の間だけど、10代前半の頃に戻れたんだ。ベースラインの濃厚なレイヴのレコードがしっくりくるアシッドの曲やなんかで。そういうレコードにはしょっちゅうあることだが、たぶん(プロデューサーが)従来的な楽器のイロハを学んでないことに関わりがあるんだろうな。レコードの音程がサイケデリックなんだ。何て言うのか、音階が完全にぶっ飛んでいる。そこから音階を作ろうとしたら、とても妙なものができあがるだろう。2オクターヴの音階だとか、リピートしないものだとかね。そういう曲を演奏しようとすると、そういったある種どうしても内面化してしまっている、いわゆる「原理原則」を手放すことになる。というのも、とても多くの音楽がそういう特定の作法に従っているからだ、音階だとか、そういったものにね。あまりに普遍的で、どうすることもできない……知っておかなければならないことではあるけど、そういったものもある種の制限を課してくるんだ。
 だからDJピエールの(フューチャー名義の)“Slam” や “Box Energy” を演奏して、理解を深めようとしたことがあるんだけど、「ものすごく変!」ってなる。けれども演奏しているうちに「こいつは……本当に未来的だ」とわかる。実に勉強になるんだ。演奏に別の角度から影響を与えてくれる。楽器の演奏方法には一般的な思い込みが氾濫していて、「そうだ、偉大な先人はこうしていたんだ、だから君もうまくなりたいなら、彼らのやり方に習わなきゃ」っていうようなナンセンスだらけだ。実際、視線をその向こうに据えて、サウンドだけに集中してみるといい。「偉大な先人」から目を背け、名演奏とはまるで関係ないレコードだけじゃなく、それ以外のもの全て、周りのノイズのようなものも含めてシャットアウトする。そうすると、少なくとも同じくらいか、むしろそれ以上のインスピレーションが得られるはずだ。

あなたのキャリアを振り返るのはじつに興味深い。アルバムとアルバムの間である種の綱引きがおこなわれているようなんです。きわめてライヴ要素を重視しているものがある一方で、もっとこう、箱の中で展開しているようなものもある。

TJ:ああ、実にその通りだ。

何であれ、手元にあるもので音楽を作る。自慢できることがあるとすればそこだ。つまり「僕はどんなものを手にしたって、音楽が作れる」ってこと。ある意味、パンク精神と言おうか、独立精神と言おうか。

楽器を用いずに、完全にコンピュータだけでやっているときでも、ベースはつねにあなたの人生の一部で、何があっても触れ続けているものだったんですか?

TJ:ああ……もちろん。練習そのものに注ぎ込む時間は、まちまちだけどね。そこは一定してない。芯からプロ意識を持っている人っていうのはそういうところに厳しく取り組むんだろうけど、僕は違う。弾きたいときに弾くんだ。でも結局のところ、限界みたいなものがあるんだ。そこを過ぎるとスタミナを失っていくポイントがね。でも、他にあるのは……僕が言っているのは原理原則の体系だとか、音階ってこと。僕の理解では、他の多くの人もそう思っているだろうけど、指がどこに行くのかを心得てればいいってもんじゃない。指が行先を心得ているのは全体像となるメンタルマップがあるからなんだ。演奏しているとき、指にそこに行けと命じているわけじゃない。頭の中にイメージがあって、そのイメージをなぞっている。ある種の構造化したネットワークのようなものの、異なった道筋を辿っているんだ。それはつねにある。ギターを手にしていようがいまいがね。

なるほど。

TJ:だから、しょっちゅう、電車を待ってるときとか、行かなければいけないところがあるけどやることがないとか、そういうときには大体頭のなかで演奏して楽しんでいる。基本的には同じことなんだ。楽器はないけれど、音はそこにある。僕が辿る構造化した道筋は同じだ。それはもちろん、コンピュータをベースにした作曲のときにもあると思う。だからこの構造化した道筋を通じて情報がろ過されていく。こう言ったらわかってもらえるかな。例えば、『Damogen Furies』のメロディーには、僕がギターを手に取れば演奏しそうな要素がある。

ああ、なるほど。

TJ:そこが面白いところでもあり、楽器の恐ろしいところでもある。テクノロジーを使うだけというような単純な話じゃない。テクノロジーに使われてしまうんだ。テクノロジーが構成の前例、構成のパターン、そして構成の傾向を固めてしまう。僕が使っているあらゆる機材もそうだ。シンセサイザー、キーボード、ドラムに対応する構造やネットワークがあり、他にも僕がとても慣れ親しんでいる機材は、それらに対応する脳内イメージを持っている。でもって、それらがまた、フィルターとしても働く。だから僕は絶えずそれに抗おうとしているんだ。必ずしもフィルターというわけでもないな。努力さえすれば、型を破ることができるのだから。だから僕は「原理原則」と言うんだ。必ずしも従わなきゃならないってわけではない。でも、そうしないように意識的に努力しないと、確立されたネットワークや道を辿るのが最も抵抗の少ない道になってしまう。そして、そうなってしまうと本当に、最終的には自分の使っているものが定めてしまうことになるんだ。

じゃあオーネット・コールマンみたいにヴァイオリンを弾きはじめるとか、そういうことで、自分の殻を完全に破ってみたくなったことはないんですか?

TJ:何をやったかは具体的には挙げられないけど、つい最近、そういうことがあったのは認めるよ。いや、でも、あのメンタリティーは尊敬に値する。時々、こういうことをやるのはとても大事なことだと思う。そうだとも。ヴァイオリンと言えば……もちろんギターとの共通点がある。だけど根本的な違いは、思うに、少なくとも僕にとってだけど、ヴァイオリン系の楽器を手にしたときに感じるのは、弦が完全5度に調律されているってことだね。一方、ギターの場合はそれが4度だ。だから、僕が言っていた同じ体系をそのまま当てはめることはできない。完全にずれて新しいパターンになっているから。だから、それに抗って、僕がヴァイオリンを手にしたときにやれることを実現するには、ギターのチューニングを変えることだ。ラディカルさに欠ける嫌いはあるけど、ある程度はやれるようになる。でも本当にラディカルなのは、管楽器を手に取ることだろうね、いままで一度もやったことないから。やってみたら、たまげるだろうな! ぜひ挑戦したいね。

そうでしたね、『Feed Me Weird Things』のライナーノーツで “The Swifty” でのベース演奏はサックス奏者の影響を受けたと言ってましたね。

TJ:うん、そうなんだ。実に。

でも、そこまでやったことはまだないと?

TJ:ないな。なぜって、これと戦うというのは、そうだな……怠惰と呼んでもいい。僕には手近なところにあるものでベストを尽くさずにはいられないっていう微妙に染みついた癖があるんだ。僕のメンタリティーというのは、良きにつけ悪しきにつけ、前にも言ったが、音楽的な自由が身の回りにほぼなかったという状況の産物なんだ。まあ、アコースティック・ギターとテーププレイヤーがあって、ペダルが何個かあって、後になってキーボードみたいなものがきた。まあ、それはいいんだ。でも機材はとても限られていた。あれこれ手に入れようとはしたけど、限界を受け入れなければならなかった。そしてそれがある意味、僕の姿勢を決定づけた。そりゃ、贅沢だってできるよ。楽器店に出向いて、何かすごいものを手に入れて、「おい、見てくれ、新しいオモチャだぞ!」って言うんだ。もちろん、そういうことをしてみることもある。4弦から6弦のベースに変えたのは大きな変化だった。「いいんじゃない? 手を出してみよう。贅沢してみようか?」ってね。性格的に、さっき言った背景の強い影響もあって、「金に飽かして音楽を作ろう」っていう(メンタリティー)はない。何であれ、手元にあるもので音楽を作る。自慢できることがあるとすればそこだ。つまり「僕はどんなものを手にしたって、音楽が作れる」ってこと。ある意味、パンク精神と言おうか、独立精神と言おうか。DIYするっていうのは「教会のオルガンも、24トラックのテープも、Neveのミキサーも、アウトボードも聖歌隊も要らない……」ってことだ。僕には不要なんだ。

リック・ウェイクマンとは違うんだと。

TJ:(笑)。よくわかってるじゃないか! まさにそう。いや、まあ、あの人はあの人だ。だけど僕にはそういう選択肢はまったくなかったし、異なった状況でベストを尽くさねばならなかった。そして次第に、そういうことが僕にとっていちばんいいメンタリティーを造り上げていったんだと思う。断言するけど、それでよかったんだ。なぜなら、外部的なものに頼りきっていると、膨大な予算だとか、大勢のキャストやスタッフだとかに頼るとね、そういうのに支配されるようになる。そして、そこに不安を覚えるんだ。自分の制作プロセスを左右されたくない。他人の気まぐれやら、彼らの考えるいいサウンドだとか、彼らの考える「支払ってもいい妥当な金額」とかにね。そういうくだらないことには一切悩まされたくない。とにかく没頭したいんだよ、わかるだろ? まあ、じつのところ、性格的に僕は浪費できないんだろうけど。
 困ってしまうのは、テクノロジー系の雑誌なんかと(インタヴューを)やるときだね。彼らにとってはそれが全てなんだ。完全に業界に縛られていて、「新しい機材=新しい音楽」という図式なんだ。必ずしもそういうわけじゃないだろうって。そんなことはない。陳腐なやり方を当てはめてしまったら、そこから生まれてくるのは、クソみたいに無意味で、味気なく、つまらない音楽だ。反対に、こういうやり方も……いや、リック・ウェイクマンの冗談はさておき、メシアンのような作曲家(のやり方)を見習える。実に幅広く、とてつもなく面白い、刺激にあふれたオルガンのための作品を彼は生み出した。オルガンは何世紀も前の楽器だけど、彼が手にすると突然に、前代未聞のサウンドを奏で出す。僕に言わせれば「新しい機材、新しい音楽」の間には抜け落ちているものがたくさんある。それはもう……そりゃそうだ。新しい機材は音色が違うのはわかる。多少はね。(眉をよせる)だけど、そんなことじゃ僕は興奮しない。そういうことに意欲をかき立てられはしないんだ。

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interview with Squarepusher

by James Hadfield

When he enrolled as a student of Fine Art at London’s Chelsea College of Art and Design, Tom Jenkinson took out the largest student loan he could get and blew the whole thing on second-hand gear. His £1,400 cheque was enough to buy a used Akai S950 sampler, two drum machines, a mixer and a DAT recorder, which played integral roles in the music collected on his 1996 debut album as Squarepusher, “Feed Me Weird Things.” At the time, Jenkinson seemed to be part of a wave of musicians who were taking the language of rave music and twisting it to weirder ends, putting him in the company of the likes of Luke Vibert, μ-Ziq — and, of course, Aphex Twin. The way he pushed breakbeats to insane speeds or turned them into silly putty was typical of what would soon be known as drill’n’bass, but his music was distinguished by its prominent use of electric bass, which he played with a virtuoso flair that made Jaco Pastorius comparisons inevitable.

Appearing at an experimental electronic night at a North London pub in 1995, Jenkinson had the good fortune to catch the ears of Aphex Twin himself, Richard D. James, who would go on to release “Feed Me Weird Things” on his Rephlex label. James chose the track selection and wrote the album’s ecstatic liner notes (sample line: “When Mr. Jenkinson is conducting, the rest of the world is in the pit”). The following year, Squarepusher released his first album on Warp Records, “Hard Normal Daddy,” whose blend of frenetic drum programming, jazz-fusion excess and twisted humour led some enterprising wags to dub him the Frank Zappa of jungle. But its 1998 follow-up, “Music Is Rotted One Note,” pulled a volte-face – the first of many – by swapping the sequencers for analogue instruments and a sound rooted in musique concrète and electric-era Miles Davis.

For all the variety of Jenkinson’s subsequent work – from landmark Warp releases such as 2001’s “Go Plastic,” to albums for solo bass (“Electric Solo Bass 1”), organ (“All Night Chroma,” with James McVinnie) or androids (“Music for Robots,” with Z-Robots) – he’s maintained a distinctive voice throughout. And on “Feed Me Weird Things,” that voice was already fully formed. The album’s 25th anniversary reissue comes with new liner notes by the man himself, offering geeky breakdowns of each track in a “Sound & Recording”-style tone that stands in contrast with the often rudimentary techniques he’s describing. “Feed Me Weird Things” may sound like quintessential Warp-style IDM now, but it was also rooted in a DIY approach that owes as much to the 1980s indie scene.

On last year’s “Be Up A Hello,” Jenkinson dusted off some of the equipment he’d used during the early days of his career, delivering a set of twisted acid ravers that was among the most enjoyable things he’s done. Speaking via Zoom, he barely mentions the “Feed Me Weird Things” reissue, but is happy to talk at length about his teenage years, his relationship with the bass, and how those formative constraints have continued to inform his approach.

How has the past year been for you?

TJ:It’s been, I suppose, novel in ways. One of the first things, for me, was just the terror of it all, which then became mixed with a sense of some sort of relief. I moved from a situation where it was looking like I would be on the road all year, to one where, more or less, everything was basically cancelled. And I’ve got to be honest with you: if I’m left to my own devices, that’s the perfect situation. I mean, the adult world just more-or-less ground to a halt. There were no conversations regarding further projects or anything, because nobody knew what was happening. It quite quickly gave way to a really lovely creative period.

Oh, nice!

TJ:Yeah, and it was, in a sense – and I don’t mean this in any way to trivialise the horror of what’s been happening over the last year – but it was kind of like a second childhood, you know? It was suddenly like, there I was, working away on my stuff, and the adult world, in inverted commas, just receded to such a distance where there was no longer a sense of it having any real relation to what I was doing. I’m pretty keen on preserving that state anyway. In normal times, it’s more of a deliberate attempt to kind of push it to a safe distance, but in the case of the pandemic, it did it of its own accord.

Have you found yourself gravitating in any particular direction over the past year or so, in terms of what you’re working with, or what you’re trying to create?

TJ:Just following on from “Be Up A Hello,” in a general sense. And I’ll be completely frank with you: I think it’s very much part-and-parcel with the sense of the adult world receding to such a distance, where it was just no longer really a feature of my day-to-day life or thinking or conversations, that I correspondingly just kind of went back into this [state of] “Ah, let’s just mess about!” You know, there’s no big thing to do here, there’s no big project. Let's just play around, you know? To an extent, that was already what was underpinning “Be Up A Hello,” because that itself was precipitated by a couple of life events that were quite severe, and it just led me to kind of have a restart, and just go back to first principles. Fun stuff.

Have there been times in the past where what you were doing really didn't feel fun?

TJ:(Laughs) That’s a good question. No, I admire that. Because, yeah, let’s face it: it would be ludicrous to expect that across... I mean, it’s 26 years of what you might call a “career,” and actually much longer than that if you count all of the lead-up when I was a kid. Certainly, very early on, before career days, fun was what drove it. That was what got me running home from school and wanting to pick a guitar up: it was the sense of enjoyment. It didn’t feel vocational – it didn’t feel aspirational, even. I didn’t start, even, with the idea of being any good, it was just like: “I love this thing, and I love the sounds it makes” – a very, very elemental approach to it. Of course, things developed from there, and I would hasten to add that it is always something I’ve got my eye on, to retain as much of that as I can. I mean, at 46, you can’t expect to have the mentality of a 10-year-old boy.

(Laughs) Sure...

TJ:But I’ll be honest: I will try and preserve as much of it as I can, because for me, that is the root of it all. It’s the lifeblood. Put it like this: I would have a rule where, if I’m playing an instrument and it’s just not working – I’m not enjoying it – it’s like, “You know what? I just have to walk away.” Because you end up hearing it: you hear the struggle, and you hear the resentment, or the boredom, and it translates. The peculiar thing is, once in a while, you'll be sitting there hating it, and you think: “I’ve just got to get through this. I hate it, I’m going to delete it, but I need to get to the end…" And then the next day, you listen to it and think: “Wow. That’s pretty good, actually.” (Laughs) But in general, yeah, I’m not one for sitting there suffering. It’s just not the basis of it, for me. It really isn’t.

I always say this in interviews, because it’s so true: the enthusiasm is the root of it, and everything stems from there – and I feel like sitting there, slogging away and just grinding yourself into the ground, is just killing that. And it doesn’t kill it just that day: it kills it, potentially, for days and weeks. Programming is the side, perhaps… I was actually doing something yesterday, and I just walked away, because it was like: this is a chore. One day, I hope I will have an assistant. Not to palm off, but I think some of these things would be perhaps more pleasurable done in collaboration. But that would be changing the habit of a lifetime. We’ll see.

But you have worked with people at some points, right? You had the band [Shobaleader One]...

TJ:Yes, absolutely.

...and you had the period [circa 2008’s “Just A Souvenir”] when you were playing with that drummer, the Bolt Thrower guy.

TJ:Alex Thomas. Yeah, yeah. No, and those have been great times, but I’ve never had a technical or an engineering collaborator, really. I guess, if a collaboration is to happen, [playing with other musicians is] what comes most naturally to me, because then I’m referring back to teenage years, when a lot of my musical activity was playing in bands. That was the principle thing I was doing in those days, so it’s just re-energising a strain of my work that was always kind of there anyway.

Sure, sure. So when you were playing as a teenager, the way that you gravitated towards bass: was that because they needed a bassist in the band, or was it really like the instrument itself was drawing you in?

TJ:The instrument came first, and then I got into playing with bands, but it was the instrument that started it. Actually, I didn’t start on bass. The received wisdom at the time was that any branch of the guitar family that you eventually want to pursue, you’re best starting with classical acoustic guitar. And, you know, I was 11: I didn’t really have the grounds or the knowledge to argue with anyone – and also not the money. Even a cheap electric guitar was a different kind of commitment. I got my first classical acoustic for 15 quid, and of course, it was not a great instrument in any way, but it served to open the door.

But I was always being pulled along by, not just bass, but the electric instrument world. That was what fascinated me, is the sort of timbre, the amplitude, and the drive that seemed to me synonymous with those instruments. I didn’t even know what bass was. And, certainly when your ear is not trained to listen to it, it’s not always an instrument you can really pick out, so that intrigued me. It’s like, “What does this thing do? What is its register, and what are its possibilities?” And there were moments where it was clear. Thinking back, like on Paul Simon’s album, “Graceland,” which was a massive album – it was actually illegal not to know it, somehow, it was just so ubiquitous – there was that single with this amazing, amazing bass player [Bakithi Kumalo]…

“Call Me Al,” right?

TJ:Yeah, exactly, “You Can Call Me Al.” So it’s got these two bars of, basically, bass shred in the middle of this pop song. It’s like: “What’s that!?! That sound is COOL!” It’s got this kind of percussion thing, but it’s also melodic. It just captivated me: that register, doing something interesting. Still, I think, to this day, my music is kind of flipping that top, melodically oriented approach that you’ll hear across classical, across pop, across jazz, whatever – where the top is kind of where the business happens, and the lower registers are the foundation. I’m fascinated by activity in the low registers, and quite a lot of the time, the upper registers are more placid, in my stuff. Somehow, it just suits my temperament. But anyway... so the bass is the thing that pulled me in.

There were other things – like, for example, the Hendrix performance at Monterey [1967 Monterey International Pop Festival]. I had a video tape of a bit of that, and it really entranced me. This moment where he sets the guitar on fire: it’s such a limitlessly interpretable thing. I mean, it’s kind of funny, I guess, and perhaps a gimmick, but for me, I still think back to it and it makes the hairs on my neck stand up. It’s the central symbol of rock, and here it was, being smashed to pieces and set on fire – and the fascinating thing being the sound it was making at the time. It’s an endlessly fascinating thing, of what an instrument does when you mistreat it. I didn’t have the finances – or the petrol – to do that to my guitars when I was a kid. (Laughs)

Anyway, whilst Hendrix is doing this, Noel Redding kind of takes the lead, and he turns up the tone control on his bass, and suddenly it’s really clanging away in the background. It’s really exciting. So again, that was another thing that pulled me in. I thought: “Oh, bass can sound really hard and aggressive as well.” So that was it: I was sold. And then the next opportunity came around, I saw one in the local paper for 70 pounds, complete with amplifier, so I jumped in.

When it came time for you to start working on Squarepusher stuff, was there ever any question in your mind about whether or not you should incorporate the bass into it, or was that just kind of like a natural thing for you from the start?

TJ:Well, yeah, because what became Squarepusher is just an outgrowth of what I was doing as a kid anyway – i.e. just laying my hands on whatever instrument I had, or what I could borrow. Even up to the days of “Feed Me Weird Things” and beyond. I’ve been reminded of this recently, because I’ve been, in some interviews, talking about the technical side of that record, and actually it’s like a third of the equipment on this record is borrowed. (Laughs) It’s funny. That’s basically how it was: “Oh, can I borrow your guitar amp? Can I borrow your drum machine? I just want to try this thing…" So that was the story all the way through. I’ve borrowed guitar pedals, and – not to my credit, but – I’ve still not given them back. (Laughs) And I’m still using them on “Be Up A Hello,” so there’s some justification, even if it’s fundamentally wrong.

I remember, I made a snare drum out of a biscuit tin, but filled it with drawing pins, and then I made a skin on the top of the tin from criss-cross insulation tape. I didn’t know what, really, the elements of a drum kit were, in those days. “There’s a sound – typically on the second and the fourth beat – that’s kind of got this fizz, it’s like ‘pssh, pssh.’ What’s that? It’s like a drum, but... how do you make a fizzy drum?” And so, I was like, “Well, I don’t know, put drawing pins in a biscuit tin, and then a thing on top, so you can hit it?” And it was OK! It sort of worked. It was just very, very primitive early on, when there was zero budget, and really not much other than a cheap guitar, but that’s just kind of the mentality.

I’ve got no specific interest in labouring this point in itself, but I do think it’s interesting if you compare that to the situation that an aspiring musician would be in now – which I think is better, frankly – where if you’ve just got a laptop, you’ve got access to basically an endless array of sound-making tools. It’s a fantastic situation to be in. And it’s only looking back to those years – it’s not even 40 years ago – and it was very, radically different.

But going back to your question: the bass was just one of the things that I had to have. In those days, I didn’t have an electric guitar, so I didn’t have that scope to explore the upper registers of an electric instrument, but I would kind of, “Well, let’s go right up the top of the neck of the bass, just to try and make it sound like a guitar” – and of course, it doesn’t quite sound like a guitar, but it does something else, which is quite interesting. That led me to explore chords, and polyphonic stuff, and different right-hand techniques, which eventually led me to do stuff like the solo bass record that was released in 2009 [“Solo Electric Bass 1”]. So it was just really an outgrowth of that sort of jumble sale attitude and aspect of how things were being done.

A little bit later, parallel to playing in bands, my friends and I would put on parties locally – you know, the local YMCA, or the local football club was a good place. We did a lot of parties down there. We’d just fill it with dry ice, and play whatever the latest rave records were that we had at the time. I started taking my bass along, just to jam along top, to bring some different aspects to it. Whoever was on the decks might be playing breakbeat records and mixing those up, and I’d just jam along the top. It was really not a big jump from that to Squarepusher. That’s kind of the elements of it, set right there.

Thinking back to when you first came on the scene, I’m not sure if there were really many people who were trying to do dance-rooted electronic music with live instrumentation in that way. You were really kind of out there on your own, weren't you?

TJ:Yeah... it was instructive, because I backed away from that world fairly quickly afterwards, but it seemed to me – at least among certain British critics – that [my approach of taking] elements that they perceived as coming from jazz and from fusion jazz, and mixing it with dance music, was kind of like, “What are you doing?” That’s kind of… probably either pretentious, or for comedy’s sake. And whilst I don’t deny that there is obtuse humour – amongst other things – in my work, fundamentally, that instrument wasn’t there just to kind of make a parody, or make fun of itself. I think that response – and it wasn’t, of course, the only response at all – was partly because of what you said: it wasn’t really happening.

But that novel aspect of it did lead, also, to some really great hook-ups. For example, I believe Talvin Singh – as much as he was drawing on different styles, different musical traditions – was perhaps doing something analogous with his tabla playing, and he was an extraordinary player. I got to meet him, just through randomly being at the same gig, but we immediately clicked because of that common approach. There were references to the dance music of the time, and of recent times, but also trying to find the the sweet spot of where a live instrument might connect with those things, and how one informs the other – because that’s, in the end, the beauty of it. And I think now we can see really tangible results of this, especially in a lot of modern drummers, where they now very, very clearly have taken away some of the... I’m not saying this to blow my own trumpet or anything – it’s not just me, of course – but you can see that they’ve taken something from the kinds of things that, for example, Talvin and myself, and other people, were exploring. And that has now kind of fed back in the reverse direction, which I think is a wonderful thing.

That feedback process was kind of happening internally as well for me. Going back to earlier teenage days briefly again: I would get a rave record, or something with a really fat bass line of some sort, like an acid track or something. Quite often, you’d find on those records – and I believe it might relate to the fact that those [producers] didn’t always have training on conventional instruments – that the note intervals are really psychedelic. It’s like a completely screwed-up scale. If you were to try to derive a scale from it, it would be quite a weird, like, two-octave scale, or maybe something that doesn't repeat. So trying to play those things would take your hand away from those “tramlines” that inevitably you kind of internalise, because so much music is in those particular modes, whatever it is, scales. They’re so prevalent, and you can't help [it]… you must know them, but they also produce their own sort of restrictions.

So trying to just play something like “Slam” by DJ Pierre [as Phuture], or “Box Energy” by DJ Pierre – I remember trying to work that out, and it’s like, “This is so fucking weird!” But in the end, when you’re playing, it’s like, “This is... it’s totally future.” And it’s really instructive, and it really can inform your playing in a very sort of lateral way. There’s so much received wisdom about how to play instruments, and so much fluff about, “Oh, it’s what the greats did, so if you want to be great, you've got to do what they did…" Actually, I think looking beyond that, and looking away from “greats," and looking just to sounds – not just from records that are nothing to do with that virtuosic tradition, but even beyond that entirely, to kind of environmental sounds – there’s as much, if not more, inspiration to be derived from that.

It’s been interesting looking back at your career, how there’s been this kind of push and pull between some albums which were very much focused on the live element, and then others which were much more kind of happening within the box.

TJ:Yeah, absolutely.

Even when you weren’t incorporating instrumentation, and doing stuff purely on computer, presumably the bass was still present in your life, just as something that you’d be playing anyway?

TJ:Yeah... of course, the amount of time devoted to just practice, it does vary. It varies for me. I’m sure someone who’s truly internalised professional attitudes probably has a rigorous approach to this stuff. I don’t: I just play when I wanna play. But in the end, there’s always kind of a bare minimum, beyond which you start to lose the stamina. But the other thing is... I’m speaking about the tramlines of structures and the scales and so on. I believe the way I relate to it – I’m sure many other people do as well – is that it’s not just that your fingers know where to go: they know where to go because there’s a mental map of the whole thing. So when you’re playing, you’re not telling your finger to go there, it’s just a picture in your mind, and you’re following the picture, following a different pathway around this kind of structural network. And that’s there, whether you’ve got the guitar in your hand or not.

Right.

TJ:So, quite often, if I’m in a situation – waiting for a train or whatever it is – where you’re basically obliged to be somewhere but there’s nothing you can really do, I will quite often entertain myself by playing things, but just playing in my head. It’s basically the same thing: it's just without the instrument, but the sounds are still there, and the structure that I’m navigating is identical. That, of course, I think will also be present working on computer-based stuff, so the information will be sort of filtered through this structure. You might be able to pick it up: there are elements, for example, on “Damogen Furies,” where the melodies are very much the kind of thing I would play if I just picked up a guitar.

Ah, okay.

TJ:This is what fascinates me, and sort of scares me about instruments. It’s not like as simple as you use the technology: the technology uses you. It sets up precedents, it sets up patterns, it sets up tendencies. Every instrument I use does do that, so there’s also parallel structures or networks that correspond to synthesisers, keyboards, drums – other instruments that I’ve got strong familiarity with, there are these analogous kind of cerebral representations of them. But they do act, also, as filters, which is why I’m always trying to fight against them. They’re not necessarily filtering: you can always think beyond them if you make enough effort. That’s why I’m talking about “tramlines.” It’s not that you have to follow them, but if you don’t make a specific effort not to, the path of least resistance is to follow in those established networks and paths, and that really, in the end, will be established by whatever you use.

So you haven’t been tempted to do an Ornette Coleman and start playing violin or something like that, just to completely pull yourself out of your routines?

TJ:I can’t actually name an activity I’ve done, certainly in very recent times, where that has happened, I admit. No, but I admire that mentality. I think it’s really essential, from time to time, to do this. Absolutely. Speaking of violin... Of course, there are similarities between that and a guitar, but the principle difference, I think – at least for me, when I pick up a violin family instrument – is that the strings are tuned in fifths, and on a guitar it’s tuned in fourths. So you can’t just apply those same structures I was talking about: it’s all shifted out of place into a new pattern. And so one of the ways that I try to interrupt that, and get to something like how it might be if I picked up a violin, is just to tune the guitar differently. It’s less radical, but it gets some of the way there. But I think a really radical thing would be for me to pick up, like, a wind instrument, because I’ve never done that. That would blow my mind, trying to do that! I’d love to.

Oh yeah, you mentioned in the liner notes for “Feed Me Weird Things” that when you made “The Swifty,” your bass playing was inspired by saxophonists.

TJ:Yeah, that’s right. Exactly.

But you’ve never gone there?

TJ:No, because fighting against this is a sort of… you might call it laziness. It’s this slightly ingrained tendency I have to make the best of what I have to hand in my immediate environment. My mentality, for better or for worse – as I said earlier – is born of this situation, where I had virtually no musical degrees of freedom around me. I would have, like, an acoustic guitar and a tape player, a couple of pedals – and then later, perhaps, a keyboard of some kind, whatever – but this very limited range of stuff, and I was trying to acquire things but had to accept the limits. And I think this has kind of set my attitude, in a sense. Look, I can indulge, go to a music shop, get something great and then [say], "Hey, look, I've got a new thing!” And of course, once in a while, that will happen: when I switched from 4-string to 6-string bass, it was a big step. “Why not? Let’s try this. Why not indulge?” Just temperamentally – and very strongly informed by that background – I don’t have that “making music with my wallet” [mentality]. I make music with whatever I have to hand. If I take any pride in any of it, I take pride in that. It’s like: “I can just pick that up, and I can make music.” Something of it is the spirit of punk, some of that independence of mine: the DIY thing, the thing of, like, “I don’t need a church organ, a 24-track tape, and a Neve mixer and a stack of outboard and a choir…" I don’t need that.

You're not Rick Wakeman.

TJ:(Laughs) You know where I’m going! Exactly. I mean, whatever: he did his thing. But for me, that option was never there, and I’ve had to make the best of a different situation, and over time, I believe this is kind of cultivating the mentality that I think is best. I will say that: I think it’s better. Because I think relying on all this external stuff – relying on massive budgets, relying on a huge cast of staff – it just puts you at their mercy, and there’s something about that which alarms me. I don’t want my process to be vulnerable to other people’s whims, to their ideas about what sounds good, what their idea is about the amount of money it’s worth spending on it. I don’t want to think about any of that crap: I just want to get on with it, you know? But I think the flip of that is that I’m just not temperamentally inclined to indulge.

I get into trouble, because when you’re doing [interviews with] tech magazines, it’s like their whole thing – they are completely entwined with that industry, and the paradigm that “new instrument = new music.” It’s like: not necessarily. I don’t believe so. You can apply the same tired old habits to it, and in the end it produces more fucking irrelevant, flat, inconsequential music. Conversely, you can go to... well, joking about Rick Wakeman aside, you can [do what] a composer like Messiaen did, in a very broad and absolutely fascinating, inspiring body of work that he made for the organ – which was a centuries-old instrument, but suddenly, under his control, making sounds that were, to my mind, unprecedented. For me, there’s so much slippage between “new instrument, new music” that it’s... Yeah, okay. I get that a new instrument sounds different – a bit. (Frowns) That doesn’t fire me up, you know. It’s not the thing that gets me going.

The Master Musicians of Joujouka - ele-king

 過去5年の間、もしくは、これまでに観たなかで最高のライヴのひとつが、2017年の音楽フェスティヴァルFRUE(フルー)でクロージングを飾ったザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカだった。このモロッコ人たちは二度のアンプリファイド(音響ありの)・パフォーマンスで、メイン・ステージの観客の心を揺さぶる能力を披露し、すでにその週末のスターとなっていた。

 そんな彼らの最終ステージは、会場を音楽祭のマーキー(大テント)に移しての深夜のアコースティック・セットだったが、PAなしで耳が聴こえなくなるぐらいの大音量を出すことのできるバンドには、そのような違いは、ほとんど意味を持たない。舞台のセッティングは、リフ山脈の麓にある彼らの村で毎年開催されているフェスティヴァルを再現したもので、舞台を覆うように敷かれた、すり切れたラグまでもが忠実に再現されていた。

 そのイベントを二回ほど体験していた自分としては、何が起こるか、大方の予想はしていたものの、彼らの音楽がFRUEの数百人の観客にもたらした効果には、やはり驚かされた。その喜びに耽る夜は、本物の、ハンズ・イン・ジ・エア(両手を空にあげる)なレイヴのようで、4時間近くに及ぶパフォーマンスで、グループが新たな高みへと昇華する度に観客は喜びの雄叫びをあげた。

 このような体験をレコードに収めるのは常に難儀なことであり、非常に優れたいくつかのリリースを含むマスターズのディスコグラフィでも、彼らのライヴ・パフォーマンスほどの恍惚感をもたらしたものはない。彼らの名を世に知らしめた1971年のアルバム『ブライアン・ジョーンズ・プレゼンツ・ザ・パイプス・オブ・パン・アット・ジャジューカ』では、サイケデリックな特性を際立たせるために、音楽に電子的な処理が施され、そのフィジカリティ(肉体的な衝動)が犠牲になってしまった。

 それ以来、グループのリリース(バシール・アッタール率いるライヴァルの一団であるThe Master Musicians of Jajoukaも含む)は、フィールド録音から、2000年にアッタールがその一団とタルヴィン・シンとで制作した、グループの名を冠したアルバム(これはスルーしてよい作品。信じてほしい)のような作り込み過ぎたワールドビート・フュージョンのようなものなど、多岐にわたっている。しかし、2016年にパリのポンピドゥー・センターで行われた「ビート・ジェネレーション展」でのコンサートを収録した『ライヴ・イン・パリ』ほど、好き勝手に、力強くやっている録音はないと自信を持っていえる。

 2017年の日本ツアーの際に限定盤として販売されたCDの、正式なLPレコードとデジタル音源のリリースは、1年以上にわたるCOVID-19煉獄の後では、より歓迎されるに違いない。これは、マスター・ミュージシャンズのアンプリファイド・モードであり、2017年のErgot Recordsからリリースされた『Into The Ahl Srif』のフィールド録音とは全く異なっており、私が記憶しているジャジューカのフェスティヴァルでのサウンドに近いものになっている。

 とくにカーマンジャ(ヴァイオリン)奏者のアハメッド・タルハは、アンプの使用により、驚くべき微分音が際立つという恩恵を受け、より力強い演奏となっている。彼は1枚目のB-SIDEで中心的な役割を果たしており、故・アブデスラム・ブークザールがリード・ヴォーカルを務めた“ブライアン・ジョーンズ・ジャジューカ・ヴェリー・ストーンド”などの定番曲で、喜びにあふれんばかりの演奏を披露。裏面にも同じような曲がいくつか登場するが、ここでは音楽は曲がりくねったような、コール&レスポンスのリラ(笛)とパーカッションがヒプノティックにブレンドされており、複雑なポリリズムが各曲の終わりに突然跳ねて、アッチェレランドで加速していく。

 しかし、最大の魅力は、アルバムの2枚目に収録された、トランス状態を誘発するような“ブゥジュルード”のフル・ヴァージョンだ。伝統的には、これはジャジューカ村のフェスティヴァルの最終夜に、火の灯された儀式のサウンドトラックとして演奏される組曲で、普段は寡黙なモハメド・エル・ハットミが、伝説の半人半獣(人間とヤギ)のブゥジュルードとして知られる生き物を体現する。

 武骨な毛皮の衣装を身に纏い、悪霊を追い出すために人々を激しく叩くハットミの姿は、秋田県男鹿半島のナマハゲを思い出すが、音楽は全くの別物で、感覚を奪われるようなダブル・リード楽器のライタ(あるいはガイタ)が、雷鳴のようなパーカッションを背景に、群がり合い、渦を巻くように襲ってくる。

 ライナー・ノーツのなかで、グループのマネージャー兼プロデューサーであるフランク・リンは、コンサートのこの部分は、音楽の原始的なオーセンティシティ(真正性)を保つために、ペアのステレオ・マイクロフォンを2つ使用したと洒落た言葉で説明しているが、これは、非常に激しくロックしているという意味だ。44分近くに及ぶ曲の中央部では、ライタが集結し、奇妙なフェイジングの効果を発揮して、音楽そのものが錯乱しているかのようだ。
 
 グループのライヴを体験できる機会が不足しているなか、このもっとも純粋な形のトランス・ミュージックは、自分自身を解き放ち、身をゆだねるべき音である。唯一、このLPヴァージョンの批判をするとしたら、半分聴いたところで、こいつをひっくり返さなくてはならないことだ。リンによると、ポンピドゥー・センターでのコンサートでは、ステージへの客の侵入で最高潮に達したというが、これはスーサイドが演奏して以来の出来事だったそうだ。この証拠に基づけば、それこそが、道理にかなった反応だったと思う。

(アラビア語読み協力:赤塚りえ子)

The Master Musicians of Joujouka
Live in Paris

Unlistenable Records
bandcamp

James Hadfield

One of the best shows I’ve seen in the past five years―maybe ever―was the closing set that the Master Musicians of Joujouka played at Festival de Frue in 2017. The Moroccans were the stars of the weekend, having already done a pair of amplified performances that demonstrated their ability to rock a main-stage crowd.
For their final appearance, they shifted to a marquee in the festival campsite for a late-night acoustic set―though such distinctions mean little to a band that’s capable of achieving deafening volumes without the need for a PA. The setting was a convincing recreation of the festival that the group hold each year at their village in the foothills of the Rif Mountains, right down to the threadbare rugs covering the stage.
Having been to that event a couple of times myself, I had a fairly good idea of what to expect, but the effect the music had on the assembled crowd of a few hundred people at Frue still took me by surprise. It was a night of joyous abandon: proper hands-in-the-air rave stuff, people howling with joy as the group kept ascending to new heights of intensity over a performance lasting nearly four hours.
Capturing that kind of experience on record is always going to be a challenge, and the Masters’ discography―while featuring some very fine releases―has never delivered anything quite as ecstatic as their live performances. On the 1971 album that first introduced them to a wider audience, “Brian Jones Presents the Pipes of Pan at Joujouka,” the music was subjected to electronic treatments that accentuated its psychedelic properties at the expense of its physicality.
Since then, the group’s releases―and those by rival outfit The Master Musicians of Jajouka led by Bachir Attar―have ranged from field recordings to over-produced worldbeat fusion efforts like the self-titled 2000 album that Attar’s troupe recorded with Talvin Singh (trust me: you can skip it). But I’m confident in saying that nothing has kicked out the jams quite as emphatically as “Live in Paris,” which captures a 2016 concert at the Centre Georges Pompidou, held as part of an exhibition dedicated to the Beat Generation.
Sold in a limited CD edition during the group’s 2017 Japan tour, the album has finally had a proper vinyl and digital release, and after over a year of COVID-19 purgatory it feels all the more welcome. This is the Master Musicians in amplified mode, and it’s very different from the field recordings heard on the 2017 Ergot Records release “Into The Ahl Srif,” which came closer to how I remember them sounding at the festival in Joujouka.
Kamanja (violin) player Ahmed Talha in particular benefits from amplification, letting his astonishing microtonal playing assert itself more forcefully. He takes a central role on the B side of the first disc, which features ebullient renditions of staples like “Brian Jones Zahjouka Very Stoned,” with lead vocals by the late Abdeslam Boukhzar. Some of the same pieces pop up on the flip side, though here the music is a hypnotic blend of sinuous, call-and-response lira flutes and percussion, with complex polyrhythms that leap into sudden accelerandos at the end of each piece.
However, the biggest draw is the album’s second disc, which contains a full version of the trance-inducing “Boujeloud.” Traditionally performed on the final night of the festival in Joujouka, this suite provides the soundtrack for a fire-lit ritual, in which the normally retiring Mohamed El Hatmi embodies the mythical half-man, half-goat creature known as the Boujeloud.
The spectacle of Hatmi, dressed in a ragged fur costume and vigorously thwacking people to drive out evil spirits, brings to mind the Namahage of Akita’s Oga Peninsula, but the music is something else altogether: a sense-scrambling assault of double-reeded ghaita that seem to swarm and swirl around each other, backed by thunderous percussion.
In the liner notes, the group’s manager and producer, Frank Rynne, explains that this part of the concert was recorded with two stereo pair microphones to “maintain the primordial authenticity” of the music, which is a fancy way of saying that it rocks very hard indeed. During the central stretch of the nearly 44-minute piece, the massed ghaita start creating weird phasing effects, like the music itself is becoming delirious.
Short of catching the group live, this is trance music in its purest form―sounds to lose yourself in, surrender to―and my only criticism of the vinyl edition is that you have to turn the damn thing over halfway through. The Pompidou concert culminated with a stage invasion, which Rynne says had only previously happened when Suicide played there. On this evidence, it was the only sensible response.

interview with Saito - ele-king

 千葉県船橋の齋藤一家といえば、近所でも評判のオモシロ家族で、TVや雑誌の取材も珍しくない。匿名性を重んじるテクノに限らず、一般人でさえも個人情報に神経質なこのご時世に、ありふれた住宅街の一軒家の庭に貼られたテントで寝起きをし、テントで食事をし、気が向けば釣りに興じ、毎日がキャンプファイヤーのような生活を送りながらエレクトロニック・ミュージックを作っている。それは自然に溶け込む音楽というよりも、ともすればクレイジーでやかましい音楽、住宅街には不釣り合いな変わった音響だったりする。しかもこの夫婦、コロナ禍においては世界に向けてライヴ配信までしている。そして何を隠そう、このオモシロ家族(本人たちの言葉によればエクスペリメンタル家族)の奥方こそ、galcid(ギャルシッド)を名乗るレナであり、ルアーフィッシングに夢中な夫が生まれながらのテクノ野郎、齋藤久師なのであった……。

 さて、そんな齋藤一家から生まれたアルバムのひとつが、つい先日発売となった。SAITO名義によるアルバム『Downfall』で、レーベルはフランクフルトの名門〈ミル・プラトー〉。ちょうどひと月ほど前には、〈ミル・プラトー〉の親レーベル〈フォース・インク〉から、パワフルなテクノをフィーチャーしたシングル「Bucket Brigade Device」をgalcid名義でリリースされたばかりでもある。ちなみに昨年末には、アンビエント作品集「galcid's ambient works」がカセットテープで〈Detroit Underground〉から出ている。フィジカルはすぐに売り切れてしまったが、配信ではまだ買えるし、口コミで評判が広がっているお陰で、いまもなお聴かれ続けている。
 で、最新作となるSAITO名義の『Downfall』だが、これは強いて言うならオウテカの系譜にある音で、SAITO夫妻の盟友リチャード・ディヴァインの諸作ともリンクしている。つまり不規則なマシンドラムがうねりをあげながら、自由についての感覚を模索する音楽だ。とはいえ、SAITOの音楽は実験的ではあるが、よりフレンドリーでもある。奇想天外な展開に喜びの声を上げているロケット弾のような音楽で、あらゆる方向に飛んでは旋回し、最後は無事着陸する。ドイツではすでに評判になっているようだが、SAITOは今後ふたりの主戦場のひとつになるかもしれないと思う。そしてもうひとつ特筆すべきは「galcid's ambient works」のほうで、グローバル・コミュニケーションをダブ・ミキシングしたかのよう音響──といえば良いのだろうか、これが何気に良いのだ。ドリーミーなメロディと美しい静寂は、おそらくはレナの大らかさに関連しているのだろう。
 そんなわけで、気が滅入る時代であってもじつに元気よく暮らしている齋藤家の話をどうぞどうぞ。ふたりは日々の生活をいかに面白く創造していけるのかという人類にとっての重大なテーマに取り組みつつ、アンダーグラウンドなテクノ作品を世界に向けて発信している。まずはその自由な生き方を読者とシェアしたいと思う。こんなでもいいんだと、ちょっと元気になれます。そう、日本を暮らしやすい国にする方法は、個性豊かな変人が増えること、齋藤家のような家族がもっと増えることであることは言うまでもない。

フィジカルにこだわるのは自分たちを守るためですね。若い人たちには音楽を買うって概念がないからです。そうすると、ぼくらは食っていけないじゃないですか。だから1年遅れてでも出すんですよ。

新作はコロナ禍ですごく微妙な時期にリリースされましたけど、順番でいうとgalcidの『galcid's ambient works』が最初ですよね?

レナ:そうです。それも本当は去年の9月に出ているはずだったんですけど、カセットテープの原料である磁石不足で、世界中のカセット製造工場がしばらくクローズしてしまったんです。

この作品は、ちょっと驚いたというか、すごく良いと思ったんですが、まわりの評判が良かったでしょう?

レナ:そうですね。カセットテープは一瞬にして完売しました。アメリカでも全て1週間で売れてしまって、日本ではなんと3時間で売り切れとなりましたね。一応バンドキャンプにもあがっているし、アップル・ミュージックにも入っているから聴けるんだけど、なぜかテープが欲しいって。フィジカルなものを求める人がけっこういるのかな。ヴァイナルもそうなんですけど、でもコロナで完全に工場がクローズしていて、めちゃくちゃ遅れています。通常、デジタル配信が先にリリースされるというのは順番としてありえないらしいけど、そうせざるをえなくて。

齋藤久師(以下、久師):〈Force Inc.〉のものと〈Mille Plateaux〉のものも、今年の1月には出るはずだったんですよ。

フィジカルにこだわるのはなぜですか?

久師:まずは自分たちを守るためですね。だから1年遅れてでも出すんですよ。なぜかというと、若い人たちには音楽を買うって概念がないからです。知的財産なのに。そうすると、ぼくらは食っていけないじゃないですか。さらにコロナになって、ライヴもないとなると、絶対にコピーのできないフィジカルにはこだわりたいですよね。

物体として売るものがあるかないかは大きいですよね。ちなみにコロナ前までは、ライヴに行くとき機材はどうしていたんですか?

久師:galcidの場合、レナはひとりで機材を持ってヨーロッパを周りますよ。

レナ:言ってもまぁ、40キロ程度なんで。

じゅうぶん重いですよ(笑)。

久師:ドイツとかだと道もまっすぐだけど、フランスとかボコボコだからね(笑)。

レナ:イギリスはいいんですよ、紳士の国なので(笑)。手伝ってくれるんです。でも、昔住んでいたのがニューヨークだったから、手伝うふりして盗まれるんじゃないかって疑ってしまって。罪悪感を(笑)。

久師:1年間で2回スマホを盗まれていたもんね。

レナ:そうそう。スペインで。

久師:その盗んだ人が電話を使いまくったんですよ。で、40万円の請求が来た。最悪ですよ。

その40万はどうしたんですか?

久師:払いましたよ(笑)。

レナ:一応まけてもらいましたけど。渡航する直前に格安プランに変えたんです。でも、そのシステムだと盗まれたら連絡できるところがなくて……。フリーダイヤルは海外からはかけられないし、久師に代わりにかけてもらったら、本人以外はダメですと。その間ずっと電話を使われてしまってたんです。帰国して携帯会社に事情説明したら、24万まで下げてもらえました。それでも高いですけど(笑)。

いろいろエピソードがあってすごいですね。〈Mille Plateaux〉のほうの作品は、(名物オーナーである)アヒム・ゼパンスキーさんからオファーがあったんですか?

レナ:そうです。「クレイジーなものを作ってくれないか」って。

久師:「好きなだけ好きなことをしろ」って。「できるだけ狂ったものを作ってほしい」って言われましたね。それと、〈Mille Plateaux〉の長年こだわりのしきたりがあって、名前を「galcid」以外のものにしてくれといわれましたね。OvalやALVA NOTOもそうですけど、じゃあボク達は何にしようって。それで名字の齋藤(SAITO)にしようって。「Mille Plateaux」と「saito」って韻も踏んでるし面白いかなって(笑)。

レナ:〈Force Inc.〉のほうは「メインフロアのプレミアム・タイムで流すようなものを作って欲しい」と言われました。今までそういった4つ打ちの「ザ・テクノ」みたいなオーダーは受けなかったんですけど、試してみることにしました。じつは〈Force Inc.〉のことを知らなかったんですよ、私。友だちに「〈Force Inc.〉ってところからメールがきたんだけど大丈夫かな?」って言ったくらいで(笑)。「え、有名なの! じゃあ受けとこう」と(笑)。〈Mille Plateaux〉は知っていたんですけど。

同じじゃないですか(笑)。もともと〈Force Inc.〉からはじまったんですよね。

レナ:そうみたいですね。で、「〈Mille Plateaux〉はうちの傘下だから」って〈Forc Inc〉のオーナーに言われて……。

久師:どちらかというと、僕たちの好きなサウンドの傾向は〈Mille Plateaux〉系なんです。ダンスフロア系ではなくて。

〈Force Inc.〉はハード・テクノだから。

久師:そうそう。だから作り方も変えましたね。両方とも即興で演奏したあとにエディットするんですけど、〈Force Inc.〉のほうは昔の機材を使って、クラシックスタイルでレコーディングしましたね。ジェフ・ミルズ・スタイルというか。〈Mille Plateaux〉のほうはユーロラック・モジュラーだけで作って、それをあとでこねくり回しました。

レナ:同じく『galcid's ambient works』も全部ヴィンテージ・シンセを使いました。

久師:そうですね。意図してできるだけ雑に作りました。

できるだけおかしなようにやれっていうのは言われたんですけど、ぼくらにとってはあまりおかしなことではなくて、いつもやりたかったけど我慢していたことなんです。だから仕掛けはすごく多いですね。

アンビエントをやったのは『galcid's ambient works』が初めてですよね。なぜやってみようと思われたんですか?

レナ:去年の夏に作りはじめたんですけど、猛暑だったから、ちょっと涼しげな音楽を作ってみたいっていうのがきっかけですね。

久師:でも、真冬に出ちゃったよね(笑)。『galcid's ambient works』ではシーケンサーさえ使ってないんです。TB-303でCV/GATEを出して、直接アナログシンセサイザーをテープエコーに繋いだりして、そういったノイズを含めたサウンドが味になったのかな、と思います。

レナ:なんか新しいような懐かしいような雰囲気もあって、ちょうど良かったのかな、と感じています。『galcid’s ambient works』は、いろいろ開眼させてくれるきっかけになりました。それまで私たちはメロディを入れないというか、無機質なものにしたくて、コード感を敢えてトラックに入れてきませんでした。それが『galcid's ambient works』から入ってきたんです。その後の作品はちょっとメロディが入っていたり、コード感を感じるものが入ってくるようになりましたね。

今回まさにそれをすごく感じました。

久師:まずビートの部分を全部作って、あとでメロディを入れる形ですね。ぼくらの基本である即興という手法は変わらないけど、メロディは即興だとなかなか難しいです。それこそフリー・ジャズみたいになっちゃうので、ちゃんとリフレインするようなもの、構成されたものはあとから冷静になって考えて二度書きしています。だから一回だけダビングしましたね(笑)。

レナ:リスニング作品にしたいっていう想いがあるので、前回のファースト・アルバム(『hertz』)もそうですが、今回はとくに、和声にこだわりました。私が聴いてきたもの、それこそ〈Mille Plateaux〉の全盛のときとかはメロディがあったし、そういうものを聴いて育ってきているのがどっかにあったんだろうね。いままではあまりにもシンプルすぎて、感情的にもいろいろと抑えていたものが『galcid’s ambient works』以降は出てきましたね。

久師:それまでなぜメロディを入れなかったのかというと、無機質にこだわっているのもありますけど、リスナーに想像の余地を与えたかったからなんですよね。ダンスフロアでは、自分の予定調和を崩してくれるところが楽しかったりするじゃないですか。ドラムしか入っていない部分がすごく気持ちよかったり。だから、そこに特化して作っていたんだよね。ところが、メロディを一度入れてみると、意外と評判が良くて、「あぁ、いいのかな」って(笑)。世界が少し広がりましたね。リスナーの幅も。

レナ:それがいまやっている活動にも繋がっていくんですよ。だから『galcid’s ambient works』が分岐点になった。

〈Force Inc.〉のほう(「Bucket Brigade Device」)はダンスフロアがないと機能しないサウンドですけど、〈Mille Plateaux〉の作品(『Downfall』)は、タイミングが良いのか悪いのか、家でも繰り返し聴ける音楽じゃないですか。

久師:やはり評判も〈Mille Plateaux〉のほうが断然良いですね。いまは現場で流せないから(笑)。みんな家で聴くしかないので。

レナ:(「Bucket Brigade Device」は)せっかくマイク・ヴァン・ダイクがいろいろなクラブで低音出して調整してリミックスしてくれたんですけど、いざ蓋を開けてみたら、場所がないっていう(笑)。

コロナでロックダウンされた頃に、ロラン・ガルニエにインタヴューしたら、いまいちばん聴きたくないのはハードなテクノだと(笑)。

一同:(爆笑)。

久師:じゃあ、〈Force Inc.〉のほうは出さないほうが良かったのかな(笑)。再来年ぐらいにしとけばよかった(笑)。

〈Mille Plateaux〉のアルバムはいまの時代にすごく合っている気がします。これはコンセプトがあったんですか?

久師:常にびっくりさせようっていう思いがあるんです。落とし穴的なもの。

アヒムさんからは好きなようにやれって言われたんですよね?

久師:できるだけおかしなようにやれっていうのは言われたんですけど、ぼくらにとってはあまりおかしなことではなくて、いつもやりたかったけど我慢していたことなんです。だから仕掛けはすごく多いですね。ハリウッド映画のような。3秒に1回は何かがある。ループしているところがほとんどないですね。

レナ:絶対に「作品」にするという意識はあった。描いたイラストレーションを額縁に入れると、その瞬間から落書きではなくて作品になるじゃないですか。そういうことをすごく大切にするというか。ライヴ・セッションをそのまま聴かせる方法もあるけど、今回はエディットとかミックスとかをしっかりやろうというのがあったんですよね。当たり前のことだけど、でもいまはなんでも簡単に出せちゃうから……。

重要ですよね。DIYでやるうえでもね。

レナ:音楽系のワークショップでよく「作品化するのに迷っているんですが、どうしたらいいんですか」って訊かれるんです。

久師:いま、そのような質問は本当に多いですね。でも実はすごく簡単なことなんです。僕らがやっていることは、60年代後半からのジャマイカン・ダブの連中がやっていたことと同じなんですよね。エイフェックス・ツインやクラフトワークもそうですけど、謎めいているようで、やっていることはすごくシンプル。僕らもそう。全然難しいことはやっていないんです。強いて言うなら、一番こだわっているのは、中学生のときに作ったシールドかな。

なぜシールドを作ったんですか?

久師:お金がなかったからです。それがいまだに20本あるんですよ。それを挿した瞬間に、音が中2の時の音になるんです。いわゆる「悪い音」ってやつですよ。伝導率が悪いからなんですけど、その効果が良すぎて絶対手放せないんです。音の良さと音楽の良さって別物だなっていうのはけっこう昔からわかっていて、あえて高級オーディオとかハイレゾなものは使ってないですね。

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三島(由紀夫)さんが「死ぬ死ぬ死ぬ……」ってずっと言ってるやつね。これは、面白いから録ろうってなりましたね。

エレクトロニック・ミュージックを聴くときに、いちばん気にするところはどこですか?

久師:どうやって笑えるかと、踊れるかっていうところですね。

笑えるか、踊れるか?

久師:そう。僕らのテーマはそこなんです。「笑える」っていうのは「びっくりする」という意味もあるんですけど……コミック・バンドじゃなくても、音で笑うというのはできるんですよ。「え、ここにこれが来るの!」って(笑)。例えばハンドクラップが予期せぬような全然違うところに入っていたりとか、「ちょっと待ってこの人おかしいよ」っていう笑い。

それは「笑い」というより「驚き」ですよね。

久師:そうですね。ぼくら、そういうのを聴くとニヤニヤしちゃうんですよ。

レナ:「発見」みたいな感じなのかな。

久師:意外性かな。

『Downfall』の最後の曲もそういう意図で作ったんですか?

久師:三島(由紀夫)さんが「死ぬ死ぬ死ぬ……」ってずっと言ってるやつね。これは、面白いから録ろうってなりましたね。

レナ:海外の人は言葉の意味がわからないじゃないですか。だからどういう反応を示すんだろうって。サプライズとして入れたんです。

なぜ『仮面の告白』にしたんですか?

レナ:「Mask」はコロナとも被りましたね(笑)。もともと私が三島さんの作品が好きだったのと、あと『仮面の告白』って三島さんの処女作だし、私たちもSAITOとしては初めてだったというのもあったり。それと、私のなかで『仮面の告白』って、坂本(龍一)さんのお父さんが編集者だったりして、いろいろとシンクロしちゃったんですよ。あと、三島さんの声は昔のインタヴューなんですが、音って記憶とか時代感とかを含んでいるじゃないですか。それを現代の音にあてたときの違和感もいいと思って。

いま音楽のほかにハマっているのが、7.83という周波数ですね。シューマン博士という人が発見したんですが、地球には電離層っていうのがあるんです。そこには周波数が流れている。それが7.83ヘルツ。人間の耳は20ヘルツまでしか聞こえないから、完全に聞こえません。でもセンシティヴな人は、気配を感じる人もいる。地球ではすべての物質がその7.83っていう周波数を基準に動いているんですが、それが現在7.835とか、ちょっとだけズレてきているんですよ。

音楽を作るときはふたりで一緒に作っている?

久師:galcidに関してはレナが演奏して、私がミックスプロダクションを行なっています。SAITOに関しては、演奏も二人で行い、ミックスは私が行いました。

レナ:久師はめちゃくちゃ作業が早いんですよ。普通5日間とかかけるのを2時間とかでやってしまうので。

久師:雑な方がいいんですよ。1テイク目がいちばんいい。失敗するときもあるんだけど、だいたい一発目がいいんです。

最近リリースのペースも早いですよね。

久師:最近2枚出ましたけど、実はそれよりもっと前に録音しているフル・アルバムがあるんですよ。他にも海外を中心に12インチシングルやコンピレーション作品も色々と出しています。galcidの2枚目のフル・アルバムに関しては、去年の3月に完成している作品が〈Detroit Underground〉から出るはずだったんですけど、ファーストと同じくジャケットをデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンに頼んだら、そのデザインだけで半年かかって(笑)。

レナ:さらに、一度でき上がったものに文句を言ってしまったんです。

久師:まさかのダメ出しをしたんですよ。最初に上がってきたのがめちゃくちゃチャイナ風で(笑)、これは絶対違う!と思って。

レナ:関係者一同みんな凍りついたけどね(笑)。

久師:イアンはデザイン界の巨匠だから、レーベルの人も「言えない」と。「じゃあ、僕たちが言う」って(笑)。

ぼくも1回会ったことがありますけど……よく言えましたねそれは(笑)。

久師:でも野田さんがもし自分のアルバムでそれがきたら、言うと思いますよ。

いやいや(笑)。やってもらえただけで嬉しいから。

久師:みんなそういう状況なんですよ。みんな凍りつくし、本人はヘソ曲げちゃうし(笑)。

レナ:でも、私にはいっさい文句を言わないかったですね。しれっとレーベルに請求額を上乗せしていたらしいですが(笑)。

久師:少数精鋭で手仕事でやっている職人さんたちだから、逆にレナの言ったことが響いたようで、「じゃあ、やったろう」ってなってすぐに作ってきましたよ。でも今度はプレス会社が大忙しになっちゃって。

レナ:向こうのプレスって、6月くらいで最後の受注を受けて、9月まで休みなんですよ。それでのびのびになって、さらにコロナになってしまった。

久師:でも最近〈Detroit Underground〉と話した結果、なんと今年の冬に出ることになったんです。

良かったじゃないですか。次のリリースが控えているのは楽しみです。

久師:でも、僕らとしてはフレッシュな方がいいじゃないですか。

たしかに。2年前の作品だと「いまだったらもっと良いものが作れるのに」って思いますよね。

久師:実は今、それを打開するべくやっていることがあるんです。昔はある天才作家に王様とかがパトロンとして曲を書かせていたわけじゃないですか。で、調べたらパトロンに直接作品を売っているシステムがあって。いまgalcidもPatreon(パトレオン https://www.patreon.com/galcid)というシステムを採用して、月に最低5ドル入れてくれれば聴き放題になるっていうサブスクをやっているんです。すごく健康的だと思うんですよね。その代わり、条件としてこちらは週に1曲あげる。

レナ:その条件は自分で縛っているんですが(笑)。

久師:毎週作ってあげているから、本当に新しいんです。

レナ:健康的だよね。聴く人は最新の音楽が聴ける喜びもあるし。

それは確かに新しいですね。

レナ:一応Patreonはクラウドファウンディング型ということになっているんですけど、サブスクという形にしていて、ダウンロードも可能なので、リスナーは好きな形で聴くことができます。

まさに広告に対しての狭告。

レナ:まさに。コメントもできるし、「今回は気に入ったから上乗せします」ということもできる。

久師:その点が投げ銭とは違いますね。

レナ:サブスクという形は私たちにとってありがたいですね。一回きりではないので、信頼関係が保てるんですよ。

それが確立されて、ベースになる経済活動みたいなものができたら大きいですよね。

久師:しかも、クライアントがいないから毎週『Downfall』みたいな過激で誰にもこびない曲を作ってアップしているんですよ。それ以上にフレッシュで新しいものを。ほぼ全曲にメロディが入っていますね。また、二度と同じことをしないというのが信条です。最近はFMシンセを多用します。それがまた新しいですね。
 FMシンセというとDX-7のイメージがあると思うんです。フュージョンとか、のど自慢とか。あれって、綺麗な音を作ろうとしてヤマハが作ったものですが、ぼくらが使っているFMシンセのモジュールは、触っちゃいけない操作子しか出ていないんです。つまり、音を壊していける。綺麗なエレクトロニック・ピアノとか、そういう音じゃなく、まともな音を出さないような装置なんです。

なるほど。すごく面白いです。それこそ303なんて、本来はベースラインとして作ったものが、あんなふうに間違った使い方のほうが面白いということになった。それと同じような話ですね。

久師:303と909と808とSHを作った菊本忠男さんとDOMMUNEで対談したんですが、そのとき303、909などのいわゆる難解シリーズはご自分で「失敗作だった」って言っていました。「でも菊本さん、これがどんな音が出るか知らないでしょ」って、DOMMUNEのサウンドシステムで鳴らしたらびっくりされて…。こんな音作った覚えはないって(笑)。当時、予算に限りがあったので、だったらしょぼい方向に合わすかということになった。そのしょぼい方向がTB-303の嘘のベースの音だったり808とか909のリアルでは無い電子的なサウンドになったんです。

レナ:逆に言うと、いまや本物だしクラシックだからね(笑)。

久師:世界中でいちばん鳴っている叩きモノだよね。そういう意味でもこれは素晴らしいんですよって言っても納得してくれませんでした。菊本さん自身は完璧に失敗したと思っているんです。そして彼は「久師さん、こんな爆音でTRシリーズを聴いたら耳を悪くするのでお気をつけください」って(笑)。

今回のコロナの状況を受けて、今後どういうふうに活動していこうっていうのはありますか?

久師:まず、この様な状況になって真っ先に揃えたのが映像配信機材です。嬉しいことに、4月にキャンセルになってしまった全ての場所からストリーミングでライヴの依頼がありました。なので、ヨーロッパのツアーはそうそうたるメンバーで自宅スタジオから配信できました。

レナ:ヨーロッパだけではなく、インドもありましたね! そちらも、ものすごくきちんとしている、といったら変ですが、メンバーもクオリティーも高かったです。そのように、オフラインでのイベントができなくなってしまった補填をするストリーミングをしつつ、去年末から行っている「音を鑑賞する」対話型のワークショップをやっています。ビジネスパーソンの方がけっこう来てくださるんですけど、そこで、私たちの作った音を流しているんです。

久師:「音楽」じゃないですよ。音です。「シューッ」とか「パッ」とか、抽象画を鑑賞するのと近くて、音を鑑賞するんです。そこにはメロディもありません。

レナ:対話型鑑賞は絵を使ってやる人は多いけど、2019年の時点で音でやっている人は誰もいなかったから、第一人者になりたいと思って。

それは場所を借りて?

レナ:今年の3月までは場所を借りてやっていたんですけど、いまはオンラインでやっています。ZOOMで。数十名の参加者から3~4名のグループにわかれて、聴いた音の印象を五感に変えて対話します。どんな色を感じるか、情景が見えるか、香りだったら? 感触とか、色々と個人で感じることを対話していくわけです。それぞれが、音から思い起こした自分の記憶やイマジネーションについて語ってくれます。絵だとなかなか言葉が出てこないけど、音だと言語化しやすいみたいですね。
音は記憶や映像と結び付きやすいようです。参加者は「こんな音聴いたことない」って人も多いですね。普段音楽を聴かないというか、聴いてもクラシック音楽とかロックくらいしか知らない人、そもそも歌詞がない音とかメロディがない音を知らない人が、いきなりエクスペリメンタルな音を聴かされて、「宇宙的なものを感じた」とか、「地下にいるような気分になった」とか。そういう違いも楽しめるコミュニケーションです。

久師:野田さんも小林さんも、レナも私も、同じ音を聴いても感じ方はそれぞれ違って、言葉も違うじゃないですか。その相手の多様性を認めるのが対話なんです。最初は「自分とは違うな」ってなるけど、何回かセッションを繰り返していくとその人の感性が開いてきて、相手との違いが楽しくなってくる。それがコミュニケーションになっていく。

レナ:音だから、正解も不正解もないじゃないですか。そうすると、「この人はこう感じるんだ」とか発見があるんです。明るく感じている人もいれば暗く感じている人もいる。たとえば、オルゴールの音を聴いて「懐かしい」って感じる人、「綺麗だな」って感じる人と、「怖い」って感じる人がいるんです。ホラー映画でオルゴールが鳴ると怖い場面とかありますよね。そういうのを過去に観たことがある人は、オルゴールの音を「怖い」と感じることもあります。そういうふうに、それぞれの感じ方が一個の音の中にある。
私は小さいころそうやって遊んでいたから、それをいろいろな人とやりたいと思ってはじめたら、意外にもビジネスパーソンの方々がおもしろがってくれました。「じゃあうちの企業でもコミュニケーションの場としてやらせて下さい」とか、中学校とか高校生とか、グレはじめる子供たちと一緒に先生がやるとか。そういう話がぽつぽつあって、新しい音との関わり方が開いた感じです。

やることがたくさんありますね。

久師:いま音楽のほかにハマっているのが、7.83という周波数ですね。シューマン博士という人が発見したんですが、地球には電離層っていうのがあるんです。そこには周波数が流れている。それが7.83ヘルツ。人間の耳は20ヘルツまでしか聞こえないから、完全に聞こえません。でもセンシティヴな人は、気配を感じる人もいる。地球ではすべての物質がその7.83っていう周波数を基準に動いているんですが、それが現在7.835とか、ちょっとだけズレてきているんですよ。

それは気候変動と関係しているんですか?

久師:かもしれない。すべてがちょっとずつズレていて、簡単にいえば整体に行って治さないといけない状態。

レナ:シューマン博士がそれを発見したのは20世紀初頭なんですが、でも仮説のまま博士は亡くなってしまった。それが、1967年くらいにアポロが飛んで、理論上正しかったことがわかったんです。じっさいに計測したら7.83だったと。20世紀の最大の発明は「振動」だと言われています。ワークショップのときもそのシューマン共振を入れたりしています。いまコロナで、「見えないもの」がキーワードになってますよね。音もそうだなって。

久師:実はヒトラーもその手法を使ってプロパガンダを行っていました。彼は人が不快に感じる周波数にこだわっていた。人間の可聴範域を超えた部分で不快な周波数を聴衆のいるところに流していたんです。それでヒトラーが壇上に出てきた瞬間に、その不快な周波数を切る、という演出をしていました。音は使い方によってはそういう悪用もできてしまうのが危険ですね。

レナ:「振動」はものすごくエネルギーを持っています。うまく使って、いま、脳科学の先生ともメンタルヘルスケアの部分でも役立てられる様に、さらなる音の研究を進めています。それをどんどんワークショップにフィードバックしているような感じです。

galcidの今後の方向性として、音そのものがあるんですね。

レナ:はい、そうですね。音と絵でコラボレーションしたこともありました。音をつけて抽象画を鑑賞すると、その絵が動き出すんです。薄く入れている色が急に際立って見えたり、とかなり面白かったです。無音で絵を5分間鑑賞するのは大変だけど、音が出ると動きが出るので、ゆっくり鑑賞できて、フィードバックももらえる。音の可能性は無限だと感じています。

久師:そういうワークショップをブライアン・イーノと教育機関などでおこなおうとしています。

それは大きな目標ですね。

久師:いや、すぐにできますよ。向こうから誘ってくると思う(笑)。

レナ:海外の人はそういう話に敏感で、すぐに興味を持ってくれますね。同じことをギターとかヴァイオリンとかピアノなどのアコースティック楽器でやろうとすると、すごく制限があるんです。音色や音階が決まっていて、音のイメージが強すぎるから。でもシンセって、ノイズからメロディまで出せるから、想像の範囲が広がって鑑賞しやすいんです。私は電子音楽は他のジャンルに比べて比較的新しいものなので、様々なことができると思っています。まさに色のパレットがあり、色自体を自分で作れますからね。これからも、電子楽器を使って可能性を追求していきつつ、作品を作り続けていきたいと思います。

interview with Phew - ele-king

 Phewがアーカイヴ・レーベルをあまり評価していないことは、驚くにはあたらない。関西のパンク・グループだったアーント・サリーの解散後、これまで日本で出されたなかで(ついでに言うなら、それ以外のどこもすべてひっくるめたなかで)もっとも際立ったソロ・デビュー・アルバムをリリースしてからの40年、彼女には、過去の栄光を利用するという選択肢もあったはずだ。が、そのかわりにPhewは、ここ数年間、キャリアのなかでいちばん強力な音楽を制作している。それも2010年代にエレクトロニック・ミュージシャンとして注目に値する再生を遂げたあと、続けざまにだ。

 2015年に『ニュー・ワールド』をリリースしたあと、Phewが作りあげてきたのは、完全に異彩を放つもので、ドローン・シンセサイザーやスケルタルなリズムや不気味なヴォーカル・シンセが押しよせるサウンドだった。好評だった2枚の海外リリース『Light Sleep』や『Voice Hardcore』に加えて、彼女は大規模な海外ツアーをおこない、パンクの同輩であるザ・レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとのデュオも試みている。

 Phewの最新のアルバム『Vertigo KO』〈Disciples〉には未発表音源と2017年から2019年にレコーディングされた新曲が収録されている。ライナー・ノーツでPhewが「無意識の音のスケッチ」と言い表しているこのアルバムは、私たちが生きている不安な時代において、力強く響き渡っているのだ。

実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

まず、このコロナ禍で、どのように毎日を過ごしていらっしゃいますか。

Phew:3月に全部のライヴの予定がキャンセルになってしまって、自分のペースが壊れてしまい、戸惑いもあったし、これからどうしようかと、まず思いました。非常事態宣言期間中はそのような感じでした。でも、そのペースにも慣れてきて。私はもともと家に居るのが好きなんですよ。本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり。だから、外に出られないというのは全然苦ではなくて、いまはそのペースにも慣れてきたところです。ただ、これまで通り、生活して音楽を作る日常を繰り返すということに、意識的になりました。寝て、起きて、買い物に行って、食べて、みたいなことって以前はすごく退屈だったけど、それを意識的に繰り返しています。ライヴはまだできない状態ではあるけど、できるような状況になれば、またライヴもはじめると思います。

このアルバムが発表されたときもっとも印象に残ったのは、隠されたメッセージの「なんてひどい世界、でも生き残ろう」という言葉でした。素晴らしい言葉だと感じました。

Phew:ふふふ(笑)。実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

最近作っている音楽、とくに5年前から作っている音楽はすごく独りぼっちで作られたイメージでした。世界から離れたところで作っているような。家に居て、家で音楽を作ることが変わってないけど、このコロナ禍が作る音楽に影響を受けているような感覚はありますか?

Phew:それは、後になってわかることだと思います。いまは本当に、日常を繰り返すこと。それを自分に決めています。むしろ、いま起こっていること、大変なことがあちこちで起こっていますけど、それにいまは反応できないですね。だけど、そこから敢えて目を背けているわけではなくて、見えているけど、敢えてネットとか時代の大きな流れに乗らない。そこに向かっていかない。時代へのアンチテーゼというか。でも、反時代って、言い換えれば、こんな現実はなかったらいいのにということですよね。いままであったこともなかったことにしたい、一方で、なかったことにはできないということを、私自身よく理解しているつもりです。いまの現実の状況は自分が集められる情報を見て、少なくとも理解しようという姿勢ではいます。その両方の感覚があるなかで、日常を繰り返して、そこで生まれてくるアイロニー、諧謔性というか、その感覚がいま、自分のなかで音楽を作るということに対するスタンスですね。

たしかに。ロンドンの〈Cafe OTO〉のTakuRokuというレーベルで、Phewさんの書いた説明と似ているところがありました。ご自身の音楽を通して、未来を描くというか。

Phew:別に音楽だけではなくて、「未来」というものはいま考えていることだから。「過去」もいま考えていることであるし。だから、決して「いま」は何もなくて、過去と未来しかないっていう言い方。「いま」っていうものはすごく空虚。だから、いま起こっていることをいま伝えることはできない。

そうですね。

Phew:だから、たいへんな状況ではありますけど、先のことって……考えても仕方ないとまでは言わないですけど、私は「未来に向かって」というような考え方はできないんですよ。せいぜい、1~2週間から2~3日という単位で具体的な予定を立てて、みたいなことくらいですね。

私、実は今日久ぶりに『ニュー・ワールド』を聴いたんです。最初に聴いたときはそのアルバムはのちの活動の入口のように感じましたが、久しぶりに聴くとむしろPhewさんが昔やっていたことに繋がっていると感じて。ある意味、『ニュー・ワールド』でいったん終止符がついたという風に感じました。いかがでしょうか?

Phew:どうなんだろう……。実は私、自分の昔の作品は聴かないんですよ。でもね、人の昔の曲を聴いていて、聴くたびに印象が変わったり、発見があるという経験はありますよね。とくに、世代的にもアンチ・ヒッピーで、私が夢中で音楽を聴きはじめてやりはじめた頃って、60年代の音楽は避けていたというか、なんてもったいないことしたんだろうと感じることはありますよね(笑)。

わかります(笑)。

Phew:ほんとに。実際に、グレイトフル・デッドも活動していたけど、耳を閉じて逃げていたというか(笑)。若いときに聴いて「これは、ヒッピーだ!」と決めつけることって間違っていましたね(笑)。でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

アンチ・ヒッピーというのはどこかで影響をうけて、そう感じるようになったんですか?

Phew:10代の頃にその光景を実際に目撃していたんですよ。60年代の戦いに負けてその後どうなったかも含めて。70年の半ばくらいのロック・ミュージックって、本当に何もなかったんです。私が中学生のとき、デヴィッド・ボウイを自分から聴きはじめたのは『アラジン・セイン』くらいからですけど、すごくギラギラでね、あとT・レックスも好きだったけど、これもぎらぎらで空っぽな感じ。日本だけかもしれないけど当時、人気があったバッド・カンパニーとかディープ・パープルとかも嫌だったんです。服装や、音楽も嫌だし、女の子向けのミーハー心をくすぐるような記事や雑誌も嫌でした。そういうものが中学生のときから好きではなかったんです。で、バッド・カンパニーのファースト・アルバムを姉が持っていて、中袋に同じレコード会社〈アイランド・レコード〉の他のアーティストのジャケット写真が載っていたんです。そこに、スパークスがあって、『キモノ・マイ・ハウス』の写真を見て、ジャケ買いしました。はじめは、すごく変な人たちがいるなという感覚だったんですが、彼らはデヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』とも違うし、成功してぎらぎらになったマーク・ボランとも雰囲気が違う。聴いてみて、即、大好きになりました。ハード・ロックのディープ・パープルとかが主流ではあったけど、片隅にあった音楽を自分で探して聴くようになったのは、その辺りからですね。でも、スパークスも〈東芝EMI〉から日本盤が出ていたんですよ。それで近くのレコード屋で買うことができたんです。そこから、次第にニューヨークのパンクにも繋がっていきましたし。こんな昔話しちゃった(笑)。

いや、全然いいですよ! 『Vertigo KO』のライナーのなかで、「無意識的に音楽を作る」という言葉をよくおっしゃっていますが、音楽を作るときは意識的のときと無意識的のときの違いはどのような点にあるのでしょうか?

Phew:例えば、人から依頼があって、頼まれて仕事として、「こういうものを作って下さい」という仕事は、すごく意識的に作ります。制約もたくさんありますし。自分のソロ・アルバムのときは自由に作れるので、無意識的というか何も決めずにまず音を出して、作業を進めていきます。でも、100%無意識的というのはあり得ないことでもあって。アルバムにするためには、曲を編集したりしますから。演奏自体は半ば無意識的で、出した音によって次の音が決まってくるというやり方で音楽を作ることが多いんですけど。でも、それをパッケージにするのは極めて意識的な作業です。

でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

今作の中でレインコーツのカヴァー(2曲目“The Void”)はわりと意識的に作っていたようにも感じました。

Phew:そうです。あれはラジオ局からの依頼があって、「1979年にリリースされた曲のなかから、カヴァーしていただけませんか」という制約がありました。そのときはちょうどアナとのアルバムができたばかりの頃で、レインコーツも好きだったので、なかでもとりわけ好きだった、“THE VOID”を選びました。それをカヴァーするときはいろいろと考えました。例えば、ポストパンクやニューウェイヴの文脈でレインコーツは語られていますが、ひとつの文脈やムーヴメントとして語られることに、うんざりしているんです。私も当事者のひとりではあるけど。そう語られること、その文脈からどのように逃げ出せるか、ということを考えてカヴァー曲を録音しました。

そのカヴァーはアンナさんも聴きましたか?

Phew:はい。もちろん、すぐに送りました。

反応はどうでした?

Phew:面白がってくれました。

アナさんの新しいアルバムをリリースして、もう1枚のアルバムも作っているという話を伺いましたが……。

Phew:アルバムというか、いま、進行中のロックダウン中に作った音楽をアップするというプロジェクトがあり、そこで新作を発表すると思います。

アルバムを制作して、それと並行して海外のツアーもおこなうなかで、アナさんとのコラボレーションはどのように進化していますか?

Phew:去年はアナとツアーもしましたが、どちらかというと合間に自分のソロ・アルバムをずっと作っていました。ツアーが多かったので録音する時間をあまり作れませんでした。で、今年になってから、アナとまたコラボレーションしましょうかという話になり、6月に〈Bandcamp〉で1曲だけアップしました(“ahhh”)。本来ならば、ふたりで6月にツアーする予定だったんです。でも中止になってしまって。いまのところ、前回同様に手紙を交換するような形で制作しています。ただ、1枚のアルバムにまとめられるかどうかはちょっとわからない。それがコロナ禍以降の変化かもしれないです。
 先ほどは「未来に目標を設定にしない」と言いましたけど、アルバムを作る目標は常にあって、去年まではそれに向けて曲を作っていました。でも、今年は物流もストップしてイギリスやアメリカから荷物が届くのにすごく時間がかかるし、日本からも船便しか送れなかったり。こういった具体的な状況が積み重なって、アルバムをリリースすることを考えるのが難しくなっています。

アルバムというと、Phewさんが日本でリリースしている作品と海外でリリースしている作品がすこし解離しているように感じています。日本では『ニュー・ワールド』をリリースされていましたが、海外ではそれはほとんど知られてなかった。『Light Sleep』は編集盤で、『Voice Hardcore』は海外でも発表されていましたが日本盤とは違うし、今作の『Vertigo KO』も編集盤的だと思いました。

Phew:今作の『Vertigo KO』は、〈Disciples〉というレーベルの方がアナとのライヴを観に来てくれて、手書きのメモをもらいました。私の最近の作品をよく聴いてくれていたみたいで、音源をリリースしたいということが書かれていました。で、その次にロンドンで実際に行ったときに、レーベルの方に会って、話が進んでいきました。そのレーベルのコンセプトは、新譜ではなく未発表音源を編集してリリースするというもので、最初は、ちょっと警戒しました。未発表音源のリリースってあまり良い印象がなかったんです。80年代のレアでもないですけど、そのようなものを集めて出すというビジネスをあまり良く思っていなかったんです。でも、〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。いままでだったら、80年代のファースト・アルバムや、『アーント・サリー』、坂本龍一さんがプロデュースした最初のシングル(「終曲(フィナーレ)/うらはら」)だったりのお話が多かったんですけど、〈Disciples〉は違ったので、これは新しいなと思って(笑)。
 それで、日本に帰ってから、未発表音源を送って、向こうが選曲してきたんですよ。その選曲が新鮮で、1枚のアルバムにするために、新しい曲を2曲足しました。だから、『Vertigo KO』はレーベルとの共同作業ですね。私は自分の昔の曲を聴かないんですけど、でも聴かざるをえない状況になって、自分の曲をリミックスしているような感覚でした。それはすごく面白い体験にもなったし、レーベルの方とのやり取りで出てきたアイディアもたくさんあったし、タイトルとかも含めてね。

この経験後、また同じようなプロセスで制作したいと思われましたか? 今回だけですか?

Phew:今回のプロセスは楽しかったし、また機会があれば是非やってみたいですが、ずっと録音しているので、次は、この1年で録音したものをまとめてアルバムとしてリリースしたいです。

それは、今作の最後に出る “Hearts and Flowers”みたいな感じになりますか?

Phew:その続きのような形で1枚のアルバムを作るだけの曲はできているんですよ。でも、さっきも言ったように、いまは1枚のアナログ盤やCDなりを作って販売するは難しいし、思案しているところです。でも、自主制作でもやるつもりですけどね。来年になりますけど。

〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。

『Voice Hardcore』は自主レーベルでリリースされていましたが、それは意図的でしたか?

Phew:どうせどこも出してくれないだろうと自分で決めてしまったのもあったかもしれない(笑)。レーベルを探そうともしなかったし。ちょうど、ヨーロッパ・ツアーに行く前になんとか形にしたいという想いがあって、自分ひとりでやるとその辺は早いじゃないですか。どこかからリリースすると、時間が最低でも2ヶ月、3ヶ月かかるでしょ。でも、自分やると1ヶ月くらい。でも、『Voice Hardcore』を出してくれるようなレーベル日本にあったのかな(笑)。

『Voice Hardcore』の評価は海外では良かったと思いますよ。

Phew:日本でライヴをするとしても1000~2000人とかのキャパではやらないじゃないですか。小さなスペースで、お客さんの顔が見える所で日本ではライヴをやっていますけど、海外でも一緒ですね。ただ、世界中に聴いてくれる人が散らばっていることがわかって、ホッとはしました。だから、一緒かなとは思いますね(笑)。例えば、ロンドンやニューヨークで『Voice Hardcore』を評判が高かったといっても1000人や2000人のお客さんの前で演奏するわけではないし。規模としては一緒だと思いますよ。ただ、ニューヨークとかは実験音楽や即興音楽をサポートする団体や機関の選択肢が日本よりも多いという違いはありますけどね。

日本でも80年代とかは、大きな会社が実験音楽や即興音楽の文化を支援していたという印象がありますが、もしその時代だったらPhewさんが世界と交わっていなかったかもしれませんよね。

Phew:80年代は日本でいろいろなものが観れたんですよ。音楽だけではなく、演劇やダンス、現代美術、世界中のものを観るチャンスがたくさんあったんですよね。とくに東京は。お金があったから人は来たけど、それをいまに繋げられていない、そこから何も残っていないと感じています。私はその時代に生きてきたわけだけど、まさに80年代は反時代というスタンスで活動していました。その時代を見てはいたけど、渦中にはいなかった。

この話と繋がるかわかりませんが、コロナ禍になって、ライヴハウスや映画館がすごく苦しんでいますよね。実際、Phewさんも4月から5月にその件でツイートされていました。この状況のなかでライヴハウスに何か応援できることはあると思いますか?

Phew:自分にできる範囲で、ドネーションしたりグッズを買ったり、そうするしかないですよね。うーん……。休業補償は手厚くしなければならないと思います。ただ、コロナ禍で無傷な業種はほとんどなくて、ほぼ全業種じゃないですか。だから、ほそぼそと自分のできることをするしかないですね。俯瞰して語れないし、渦中でこれからどうなるのか見えない。だからこそ、私は毎日の繰り返しってすごく貴重なことに思えています。GDPが27%下落というニュースを昨日読みましたが、EUやアメリカはもっとですよね。先のことは全くわからないし、悪いことしか考えられない(笑)。短いところで、日常を続けていくしかないですよ。その日常がちょっとずつ変わっていくこともあるかもしれませんけど。
 ライヴハウスに関しては……心苦しいし、辛いですよね。自分の音楽を発表する場所としてだけではなくて、人がフランクに集まれる場所がないのは、辛いですよね。私は何よりもそういったクラブやライヴハウスの雰囲気が好きだったんです。オールナイトのイベントで3時とか4時になったらみんな床で寝ているじゃないですか(笑)。あの無防備さというか、みんな野良猫みたいで(笑)。クラブ以外ではありえない。音楽好きな人が集える安全な場所が危機に瀕しているのは辛いし、なくしてはいけないと思います。

インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)

『Voice Hardcore』に入っていた4曲目の“ナイス・ウェザー”という曲で、天気について触れられていて、今作でも天気について触れられていましたよね。私はイギリス人でイギリスでも日常会話のなかで天気の話題はよく出てくるんです。日本では天気について触れるとき、どのようなメタファーがあるんですが?

Phew:もう、天気の話しかできないんじゃないかというのはあります。ふふふ(笑)。自由に発言できるのはごく限られた場所しかなくて、ちょっとしたことでも言葉尻だけ取られて、変な風に解釈されるし。天気だったら大丈夫だろうと(笑)。季節の移り変わりについて語ることは、誰も文句をつけられないでしょう。イギリスの場合だとわりと早い段階から多様な人たちが共存してきた国ですし、文化の違う人たちが一緒に住んでいて、一番安全な話題が天気だと解釈されているということはありませんか?

イギリスではすぐ政治の話をする人が多くて、その点で日本との違いがありますが、一番安全な話題として天気があることは共通していると思います。

Phew:政治の話とかは顔が見える人とはできますけど、公に向かって話したくはないと思います。

Phewさんは単刀直入な方だと思っていました。それはインタヴューだけでしたか。

Phew:インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)。それに、顔の見えない人に向かって発せられたメッセージは政治家であれ、アーティストであれ、その言葉は一切聞くつもりはないですね(笑)。聞かないです。

良いポリシーだと思います(笑)。では、ここで終わりにしましょうか。

Phew:はい。またどこかで直接お会いできたらと思います。ありがとうございます。

(8月19日、skypeにて)

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Interview/translation: James Hadfield

It comes as no surprise to discover that Phew doesn’t think much of archival labels. Four decades after she emerged with Osaka punk group Aunt Sally, then released one of the most striking solo debuts ever to come out of Japan (or anywhere else, for that matter), she could easily have chosen to cash in on past glories. Instead, she’s spent the past few years making some of the most potent music of her career, following her remarkable rebirth as a solo electronic musician in the 2010s. Since the release of “A New World” in 2015, Phew has created an utterly distinctive sound, defined by synthesizer drones, skeletal rhythms and eerie vocal swarms. In addition to two well-received international releases, “Light Sleep” and “Voice Hardcore,” she’s toured extensively overseas, including in a duo with fellow punk survivor Ana da Silva, of The Raincoats. Phew’s latest collection, “Vertigo KO” (Disciples), compiles unreleased material and a couple of new tracks, recorded between 2017 and 2019. In the liner notes, she describes it as an “unconscious sound sketch,” and it resonates powerfully with the uneasy times we’re living in.

JH:How have you been spending your time during during the pandemic?

PHEW:All my live dates were cancelled in March, which knocked me off my stride. While the state of emergency was in effect in Japan, there were times when I felt confused, and wasn’t sure what to do with myself. I’m already accustomed to living like this, though. I like being at home―reading books, listening to music, watching films―so not being able to go out hasn’t been so hard. But it’s made me really conscious of how I was spending my everyday life. All those daily routines that used to bore me, like sleeping, getting dressed, shopping and eating―I’m doing them more intentionally now. I’d like to start playing gigs again too, once that becomes possible, though we’re not quite there yet.

JH:When “Vertigo KO” was announced, I was really struck by what you described as the album’s hidden message: “What a terrible world we live in, but let’s survive.” It felt like a wonderful way of putting it.

PHEW:(Laughs) In fact, that doesn’t have anything to do with the coronavirus. For the past five years or so, I’ve seen for myself how disparities are widening―not just in Japan, but also in places I’ve visited on tour―and this left me feeling that it’s a really hard world to live in. I was already thinking “what a terrible world” before the coronavirus came along.

JH:I feel like your music―especially your recent work―evokes a strong sense of solitude, like it’s being created in isolation from the world. You were already making music at home before the pandemic, but are you aware of it influencing your work in other ways?

PHEW:I think I’ll realise that further down the line. I’m just taking one day at a time―that’s what I’ve decided to do. There are lots of awful things happening at the moment, but I can’t respond to them right away. That’s not to say that I’m averting my eyes from all of that: I know what’s going on in the world, I’m just not getting too caught up in the current moment. It’s like (I’m creating) an antithesis to the era. Then again, rejecting the present is like saying you wish reality was different, and I appreciate it’s impossible to change what’s already happened. So I take a position of trying to understand at least something about the current state of the world, based on information I can gather myself. I’m maintaining these two forms of awareness as I go about my daily life, and the irony and humour that comes from that is reflected in the music I make. (Laughs) Did you get all that?

JH:I think perhaps this ties in with what you said about your release for Cafe OTO’s TakuRoku label (“Can you keep it down, please?”)―about how you’re creating your own future through your music?

PHEW:That’s because I’m thinking about the future at the moment, not just in relation to music. I think about the past, too. There’s no “now”: just the past and the future. What we call “now” is really a void. That’s why I can’t convey now what’s happening now.

JH:Right…

PHEW:So even though things are bad… I don’t want to say you can’t help what happens, but I can’t think too much about the future. I’m only able to make definite plans a few weeks ahead, or even only a few days.

JH:I went back to “A New World” this morning, for the first time in a while. I’d thought of that album as a gateway to the music you’ve created since, but revisiting it now, I felt it had a stronger connection with your past. In some senses, it's like it was marking the end of something, rather than the beginning. Would you agree with that?

PHEW:I wonder about that… I don’t listen to my old releases, but I’ve had times when my impressions of other people’s music have changed, and I’ve discovered something new. I’m from the “anti hippy” generation, so when I first started getting obsessed about music, I particularly avoided stuff from the 1960s. I’ve come to realize that was a real waste. (Laughs)

JH:I know what you mean!

PHEW:Seriously! The Grateful Dead were active at the time, but I’d closed my ears to it. When I was young, I jumped to the conclusion that it was all hippy music, which was a mistake. But there are things I liked when I was younger that I like even more now. That’s definitely true of Kraftwerk. I hated hippies, but Can and Kraftwerk were different.

JH:Was that anti-hippy stance something you absorbed from others, or did you come upon it by yourself?

PHEW:I’d seen everything with my own eyes as a teenager: how the battles of the 1960s ended in defeat. Rock music during the first half of the 1970s didn’t do anything for me. David Bowie dazzled me when I first heard him at junior high; I think it was around “Aladdin Sane.” I got into T-Rex, which was also dazzling, but totally empty. Maybe this was just a Japan thing, but Bad Company and Deep Purple were really popular here at the time, and I hated them! I hated the clothes, the music, the way they were marketed to girls with these titillating articles in the music press. I haven’t liked that since I was at junior high. My older sister had a copy of Bad Company’s first album, on Island Records, and there was an insert introducing the label’s other artists. There was a photo of Sparks’ “Kimono My House,” and I bought it based on the album cover. My first impression was that they were real oddballs: they weren’t like Bowie, they had a different vibe from Bolan’s glittery thing. When I listened to them, it clicked immediately. The mainstream at the time was hard rock like Deep Purple, but I started searching out music in the corners. Sparks were released in Japan, too. I was able to find them at my local record shop, and then that tied in with the New York punk scene. Sorry, I’m just rambling on about the past!

JH:No, it’s fine! In the liner notes for “Vertigo KO,” you talk at a few points about making music unconsciously, or without thinking. Can you tell me a bit about that distinction?

PHEW:For instance, if someone asks me to make something, it will be a very conscious process. There are a lot of constraints, too. When I’m making a solo album, I can work freely, so it becomes more unconscious, making sounds without deciding anything in advance. But it’s impossible to make something completely without conscious input, because I’ll still be editing tracks in order to make an album. The performance itself is partly unconscious; a lot of times, I’ll let the sound dictate what comes next. But when I have to turn that into a finished package, obviously that becomes a conscious act of creation.

JH:I take it that the Raincoats cover on the album (“The Void”) is an example of a consciously created track?

PHEW:That’s right. It was a request from a radio show, which asked me to cover a song that was released in 1979. I’d just done the album with Ana, and I liked The Raincoats, so I picked one of their songs which I was particularly of fond of, “The Void.” I put a lot of thought into how I’d cover it. For instance, The Raincoats are talked about in terms of post-punk and new wave, but I find it so boring when things are always framed in the same way―and this has happened with me as well. So when I covered the song, I was looking for a way to liberate it from that particular context.

JH:Has Ana heard it?

PHEW:Yes, I sent it to her right away.

JH:What did she think?

PHEW:She appreciated it.

JH:You’ve already released one album with Ana, and I saw that you had another one in the works…

PHEW:I’m not sure you’d call it an album. We’re doing a project at the moment where we’re uploading tracks created during lockdown, and I think we’ll compile those into a release.

JH:How has the collaboration evolved in the course of working and touring together?

PHEW:I toured with Ana last year, but my main focus was working on my solo album. I didn’t have much time for recording, as I was touring so much. We started talking about doing another collaboration earlier this year, and we uploaded a track to Bandcamp in June (“ahhh”). We’d originally planned to go on tour in Europe during June, but that got cancelled. At the moment, we’re sending files back and forth to each other, like we’re exchanging letters. I can’t really say if it will lead to a standalone album. Maybe that’s one thing that’s changed since the start of the pandemic. I was talking earlier about not setting goals for the future, but until last year, it was normal for me to work towards making an album, and I’d create music with that in mind. But physical distribution has ground to a halt this year: it takes forever for deliveries to arrive from the UK and US, and you can only send things via surface mail from Japan. Given the facts of the situation, it feels hard to think about releasing an album right now.

JH:Speaking of albums: there are some variations between the releases you’ve put out in Japan and internationally. “A New World” came out here, but not many people overseas seem to have heard of it. “Light Sleep” was a compilation, the international edition of “Voice Hardcore” is different from the Japanese one, and “Vertigo KO” is also kind of a compilation…

PHEW:Right, right. “Vertigo KO” started when the guy from Disciples came to watch Ana and me play, and slipped me a hand-written note. He’d been listening a lot to my recent work, and said he wanted to release some of my recordings. The next time I went to London, we met up and talked about it. The label’s concept is to release collections of unreleased recordings, rather than new material, so I initially had some reservations. I didn’t have a good impression of archival releases. Even if it’s not rarities from the 1980s (laughs), I don’t think much of releasing that kind of stuff as a business. But Disciples weren’t talking about music from a long time ago: they were interested in the solo material I’d recorded over the past 4 or 5 years, which was unusual. Up until then, I’d had lots of people ask about my first album (“Phew”), Aunt Sally, or my debut single that Ryuichi Sakamoto produced (“Finale”), but Disciples were different―which was a change! When I got back to Japan, I sent them some unreleased recordings and they decided the track selection. The tracks they picked felt fresh, and since it was going to be an album, I threw in a couple of new songs. So it’s really a collaboration with the label. Like I said earlier, I don’t listen to my old music, but in this case it couldn’t be helped, and it turned out to be a really interesting experience: it was like remixing my past. A lot of ideas came out during my exchanges with the label, the album title included.

JH:So do you think you’d like to do the same sort of thing again, or was it a one-off?

PHEW:I enjoyed the process this time, and I’d happily do it again given the chance, but what I really want to do now is release an album of the new material I’ve recorded over the past year.

JH:Is that going to be in the vein of “Hearts and Flowers” (the closing track on “Vertigo KO,” which Phew has described as the genesis for her next album), or something different?

PHEW:I have an album’s worth of material that’s like a continuation of that. But like I was saying earlier, it’s hard to make and sell records and CDs at the moment, so I’m still weighing up my options. I’m planning to self-release something, but that won’t be until next year.

JH:Out of interest, was your decision to self-release “Voice Hardcore” in Japan made out of necessity or choice?

PHEW:I think I’d probably come to the conclusion that nobody was going to release it for me! I didn’t even try looking for a label. I wanted to put something together before I went on tour in Europe, and figured it would be quicker to release it myself. When you release something through a label, it’s going to take a minimum of two or three months, but I could cut that down to a month or so if I did it myself. I’m not sure there were any labels in Japan that would have released “Voice Hardcore.” (Laughs)

JH:I wonder about that. It seemed to get a really good response overseas.

PHEW:When I do shows in Japan, it’s not like I’m playing at 1,000 or 2,000 capacity venues, is it? I’m doing gigs at places that are small enough for me to see the audience’s faces, and it’s the same in other countries. It was a relief to realise that there were people who’d listen to my music scattered all over the world. So it’s not a question of Japan being better or worse: I think it’s the same everywhere! Even if “Voice Hardcore” got a good reception in London or New York, I’m not going to be performing in front of 1,000 or 2,000 people over there. I think the scale is the same. The main difference is that in places like New York, there are more funding options from groups and organizations that support experimental and improvised music than in Japan.

JH:I have the impression that there was a lot more corporate sponsorship available in the 1980s in Japan, but I guess you weren’t associating much with that world at the time?

PHEW:You could see all kinds of stuff in Japan in the 1980s. There were lots of opportunities to experience culture from around the world―not just music, but also theatre, dance and contemporary art, especially in Tokyo. During the Bubble era, there was the money to bring people over, but I don’t feel like it left any kind of legacy: there’s no connection with what’s happening now. I lived through that whole period, but during the 1980s I was living in opposition to the era. I could see what was going on, but I kept my distance.

JH:I’m not sure if this is related, but venues and cinemas have been really struggling during the coronavirus pandemic. You were posting about this on Twitter back in April and May, but do you think there’s more that should be done to support them?

PHEW:I’m not sure there’s much I can do personally, besides making donations and buying merchandise. I think there has to be more financial assistance, but there are hardly any industries that haven’t been affected by the pandemic―it’s basically hit everyone, hasn’t it? We all just have to do what we can to scrape by. It’s hard to take a broader view: we’re so caught up in the midst of this that we can’t see what will come next. That’s why I’m treasuring daily life so much. I saw yesterday that Japan’s GDP had dropped 27%, and it’s even worse in the EU and US. I have no idea what’s going to happen next… and all the possibilities I can think of are bad! (Laughs) For now, all I can do is carry on with my daily life, although that might gradually change over time. With live venues, my heart goes out to them―it’s really tough. They aren’t just places for showcasing your own music: it’s hard not having somewhere for people to gather informally. More than anything, I’ve always liked the atmosphere of clubs and live venues. When it’s an all-night event, by 3 or 4 in the morning, everyone’s sleeping on the floor, right? They’re so defenceless: everyone looks like stray cats! (Laughs) That wouldn’t happen anywhere else, except at a club. It’s painful seeing these safe spaces for music lovers in such a critical state, and we can’t let them disappear.

JH:Finally: this is a weird question, but my favourite track from “Voice Hardcore” is “Nice Weather,” which features pleasantries about the weather (“Nothing happened / The weather was nice”), and you return to the theme again on this album. I’m from the UK, and it’s a regular topic of conversation there too, but what do you think Japanese people are really talking about when they talk about the weather?

PHEW:It’s like we’re not able to talk about anything other than the weather! There are only limited opportunities for people to speak freely, and the smallest thing might be misunderstood or taken out of context. It’s safe to stick to the weather, or the changing seasons. (Laughs) Nobody’s going to take issue with that! With the UK, you’ve got quite a long history of people from different cultures living together, so perhaps the weather is the safest topic of conversation?

JH:I think there’s something to that. One difference with Japan is that people in the UK are more willing to talk about politics, but I’d agree that it’s safest to stick to the weather.

PHEW:I’m happy talking politics face to face, but I don’t want to make public pronouncements about it.

JH:I thought you were pretty direct about those things. Or is that just in interviews?

PHEW:With interviews, if I can at least see the person I’m talking to, then if they ask me about these things, I’ll give them a straight answer. But I don’t want to say anything to someone I can’t see. When people start addressing messages to an invisible audience, whether it’s politicians or artists, I tune them out. (Laughs) I won’t listen!

JH:I think that’s a good policy! Shall we wrap things up here?

PHEW:I hope we’re able to see each other in person next time! Thank you.

「Acid Mothers Temple vs COVID19」大作戦 - ele-king

 新型コロナウイルスの感染拡大により多くの国々でロックダウンが始まるなか、アシッド・マザーズ・テンプルは外出を制限されている人々のため、「Acid Mothers Temple vs COVID19」大作戦と銘打ち、コロナ狂騒の期間限定で過去にリリースした全作品をYouTubeにアップした。
 故ジェネシス・P・オリッジをはじめ世界中に熱狂的なファンを持ち、4月からの北米ツアー中止という苦渋の選択をしたばかりのAMTからの太っ腹な贈り物(その数およそ90タイトル!)とともに、この苦しい季節を乗り切ろう。

Acid Mothers Temple vs COVID19

4月9日から予定されていたAcid Mothers Templeの北米ツアーは、コロナウイルス拡散の渦中、最後の最後まで状況を静観し熟慮検討した結果、大変残念ながらキャンセル、延期と決定いたしました。
しかし今や全世界レベルでコロナウイルスが拡散し、各地で外出自粛、商業施設の休業閉鎖、イベントのキャンセルが相次ぐ中、Acid Mothers Templeから、外出自粛を強いられる皆様へ、ささやかな贈り物として、過去にリリースした全作品の音源を、このコロナ騒動の期間限定で、Youtubeへアップロードすることにしました。ライヴ活動を通し、我々の音楽を求める方々へ、直接届けられない現状だからこそ、この機会に我々が過去にリリースした膨大な作品群を、インターネットを通し、自由に聞いていただけるようにと思い立った次第です。この先もまだどうなるのか全く予想がつかない状況ですが、せめて我々の音楽が、今世界にあふれまくる不安を、少しでも払拭する手助けになることを祈って。


As the spread of the coronavirus continues to escalate, after careful observation and considered thought we have very reluctantly decided that we must cancel and postpone the Acid Mothers Temple North American tour that was scheduled to begin on April 9.

As the virus spreads across the globe, self-isolation and compulsory quarantine measures have been put in place in many countries, and concerts and other events are being cancelled as venues and businesses pull down the shutters. But as a small gift to everyone currently in isolation, for the duration of the pandemic we have decided to upload all of our previous releases to Youtube. In the current circumstances it is sadly impossible for us to bring our music to our fans live, but we hope you will get some solace and enjoyment from it on the internet instead. Who knows where the world goes from now, but for now we offer a prayer that our music, even in a small way, may help to counter the globally rising tide of anxiety.

Acid Mothers Temple Official YouTube Channel
https://www.youtube.com/channel/UCeRTV_iOE_loRiMciVwur-w/videos


R.I.P. Genesis P-Orridge - ele-king

野田努

 ジェネシス・P・オリッジが3月14日の朝に他界したと彼/彼女の親族が発表した。白血病による数年の闘病生活の末の死だった。

 いまから70年前の1950年、マンチェスターに生まれたジェネシスは、大学のためにハルに引っ越すと70年代初頭はコージー・ファニ・トゥッティらとともにパーフォーマンス・アート・グループ、COUMトランスミッションのメンバーとして活動し、1976年からはロンドンを拠点にコージー、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(2010年没)らとともに後のロックおよびエレクトロニック・ミュージックに強大な影響を与えるバンド、スロッビング・グリッスル=TGのメンバーとして音楽活動を開始する。

 TG解散後の1981年、ジェネシスはあらたにサイキックTVを結成、そして2019年の『The Evening Sun Turns Crimson』まで、同プロジェクトを通じて数え切れないほどの作品をリリースしている。(80年代末には、クラブ・カルチャー以外のところで派生したアシッド・ハウスのプロジェクトとしてはかなり先駆的な、Jack The Tabも手掛けている)

 コージーの自伝『アート・セックス・ミュージック』における悲痛な告白には、一時期は恋仲にありながら虐待を受けていたことが赤裸々に綴られており、横暴で自己中心的でもあったジェネシスは決して誉められた人格の持ち主ではなかったのだろうけれど、まあ、21世紀の現代からは遠い昔のTG時代のジェネシスにカリスマ性があったのも事実だった。コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』やウィリアム・バロウズをバンドに持ち込んだのはジェネシスだったろうし、コージーが主張するようにTGとはメンバー全員平等のバンドであり、誰かひとり抜けてもTGとしては成立しないわけだから、やはりジェネシス抜きのTGはあり得なかったのである。

 TGはたしかにロックを常識では計れない領域まで拡張し、エレクトロニック・ミュージックに毒を盛り込んだ張本人で、残された作品はいまでも新しいリスナーに参照されいているが、彼らのルーツは60年代にあり、ことにジェネシスはその時代のディープな申し子だった。彼/彼女にはブライアン・ジョーンズに捧げた曲があり、初期のサイキックTVにはサイケデリックなフォーク・ソングもある。彼/彼女の手掛ける電子音響による暗黒郷や全裸姿もさながら反転したジョン&ヨーコの『Two Virgins』だ。そして、アレスタ・クローリーの悪魔崇拝をはじめ猟奇殺人やナチスの引用、オカルトや神秘主義の実践やカルトや原始的なるものへの憧憬もまた、社会基準を相対化しようとした60年代的自由思想の裏返った過剰な回路でもあった。

 良くも悪くも常識という縛りのいっさいを払いのける生き方は、やがて自分を妻と同じ容姿にすることによる同一化へとジェネシスを駆り立て、じっさい性も容姿も変えてみせた。それもまた、TGやサイキックTVと同様に彼/彼女にとってのアート・プロジェクトだった。ジェネシスは妻が先立つ2007年まで彼女と服も化粧も共有していたというが、子供のPTAの会議には、ジェネシスは父親として銀色のミニスカートとブーツ姿で出席したそうだ。

 ぼくがジェネシスを見たのは一回キリで、1990年に彼/彼女が(たしかZ'EVなんかと)芝浦ゴールドに来たときだった。SMコスチュームで身をかためて、鞭に打たれながら這いつくばっている彼/彼女をフロアにできた人垣に混じって呆然と見ていたことをいまでも覚えている。ただ、そのときどんなサウンドが鳴っていたかはもう忘れてしまった。ただ、ジェネシスの姿だけがいまでも脳裏に焼き付いているのだ。

野田努

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三田格

 1979年当時、“We Hate You”というタイトルに何かを感じたのだけれど、うまく思い出せない。ルル・ピカソのアートワークに包まれて<ソルディド・センティメンタル>からリリースされたスロッビン・グリッスルのセカンド・シングルで、正確には“We Hate You (Little Girls)”と副題がついている。曲にはあまりインパクトはなく、歌詞は少女たちに向かって「憎い」と叫ぶだけ。前の年にジョン・ライドンがパブリック・イメージ・リミテッドのデビュー・アルバムで「僕たちは愛されたかっただけ」という歌詞を繰り返していたので、パンクスが共同体への回帰願望を表明しているようで、それはどうかなと思っていたこともあり、“We Hate You”にはそれとは正反対のメッセージ性を感じたということかもしれない。「Hate」という単語がポップ・ミュージックに使われた例は意外と少なくて、ハンク・ウイリアムズの“My Love For You (Has Turned To Hate)”(53)やアルバム・タイトルではレナード・コーエンの『Songs Of Love And Hate』(71)など、まったくないわけではないし、1988年にモリッシーが『Viva Hate』をリリースした時もけっこうなインパクトがあった(1995年にはプリンスがThe Artist (Formerly Known As Prince) ‎として“ I Hate U (The Hate Experience)”をリリース)。ちなみに単語検索をかけてみると、使用頻度では2000年代が最も多く、2005年をピークとして、そのあとは少しずつ減っている。

 いずれにしろ“We Hate You”はスロッビン・グリッスルのキャラクターを端的に印象づけたことは確か。社会に対して攻撃的で、パンクスが退潮した後もアティチュードは死に絶えていないと、そのことは日本にまで伝わってきた。スロッビン・グリッスルがあっという間に解散してもジェネシス・P・オーリッジはピーター・クリストファーソンと共にサイキックTVとして活動を持続させ、彼がその動きを失速させるつもりがないこともよくわかった。だから、当時はセカンド・アルバムとしてリリースされた『Dreams Less Sweet』(83)が僕にはよくわからなかった。イギリスではかなり評価の高い『Dreams Less Sweet』はとても美しい蘭の花にジェニタル・ピアス(性器ピアス)のイメージを重ね合わせたゾディアック・マインドワープとピーター・クリストファーソンによるアート・ワークがあまりにも素晴らしくて、しばらく壁に飾ったりもしていたのだけれど、肝心な音楽に関してはどこか散漫な印象が残るばかりで、良さがわかるまで何度でも聴く癖のある僕にしては早々に投げ出し、クリストファーソン脱退後のセッション・アルバム『Those Who Do Not』(84)ばかり聴いていた記憶がある。さらにいえば、クリストファーソンがジョン・バランスと結成したコイルである。螺旋階段をアナルに見立てるなど、実にユーモラスなゲイ表現とは対照的に強迫的なインダストリアル・サウンドを打ち出してきたコイルはあまりにカッコよく、“We Hate You”を継承しているのはむしろこっちだと思ったのである。

 事態が変化するのはサイキックTVが1984年に「Godstar」と1986年に「The Magickal Mystery D Tour E.P.」をリリースしてから。前者はブライアン・ジョーンズをテーマとし、後者にはビーチ・ボーイズ“Good Vibrations”のカヴァーが冒頭に収録されていた(7インチ2枚組のヴァージョンにはセルジュ・ゲーンスブール“Je T'aime”のカヴァーも)。1986年にNMEがサイケデリック・ムーヴメントの回顧記事を書いた時、それは跡形も残っていないものとして認識され、まったくもって過去の出来事でしかなかった。あれだけ迅速に音楽情報を伝えていたNMEもマンチェスターや北部の諸都市にレイヴ・カルチャーが浸透しつつあることは察知できず、初めてアシッド・ハウスが紙面に取り上げられたのは88年2月だった。明らかにジェネシス・P・オーリッジの方が動きは早かった。“Good Vibrations”のカヴァーを聴いて僕は初めてビーチ・ボーイズに興味が湧き、翌年に入ってジーザス&メリー・チェインが“Surfin' USA”をカヴァーしたことがダメ押しとなってビーチ・ボーイズのアルバムを一気に15枚も買ってしまった。そして、『Pet Sounds』(66)を聴けばどんなバカにもわかったことが僕にもわかった。『Dreams Less Sweet』はビーチ・ボーイズを意識したアルバムだったということが。ビーチ・ボーイズとまったく同じポップ・ミュージックと実験性の共存。サイケデリック・ミュージックはジーザス&メリー・チェインによって復活し、アシッド・ハウス・ムーヴメントへと拡大したというのがニュー・ウェイヴの定説かもしれないけれど、ポップ・ミュージックの文脈で誰よりも早くそれに取り組んだのは『Dreams Less Sweet』だったのである。

 インダストリアルを引きずりつつも、ノスタルジックなベースラインにタンバリンやオーボエ、チューバ、そして、まろやかなコーラス・ワークにヴァン・ダイク・パークスを思わせるメロディ・センスが『Dreams Less Sweet』の中核をなしている。アシッド・ハウス・ムーヴメントとともにようやくそのことを僕は理解した。ジェネシス・P・オーリッジの大言壮語はアシッド・ハウスを最初にやったのは自分だというもので、いくらなんでもそれは言い過ぎだったけれど、『Dreams Less Sweet』をつくっていたことでサイキックTVがインダストリアル・ミュージックからアシッド・ハウスに伸ばした導線が表面的なものではなかったことは実に納得がいく。それどころかジェネシス・P・オーリッジは本気でやっていたとしか思えない。『Jack The Tab』であれ『Tekno Acid Beat』(共に88)であれ、彼らがその当時、量産したハウス・レコードは初期衝動に満ちていて、いま聴いても実に楽しいし、後にはザ・グリッドとして国民的な人気を得るデイヴ・ボールとリチャード・ノリスが当時のメンバーを務めていたことも見過ごせない。あるいは匿名を使わなくなった『Towards Thee Infinite Beat』(90)では彼らなりにアシッド・ハウスを次のステージへ向かわせようと様々な試行錯誤に努めた痕跡も聴き取れる(結果的にクリス&コージーみたいなサウンドになっているけれど)。そう思って調べていくと『Dreams Less Sweet』には60年代の象徴がちりばめられていたことにも思い当たる。特異な録音方法はピンク・フロイドの踏襲、”Always Is Always”はチャールズ・マンゾン、"White Nights”は人民寺院で知られるジム・ジョーンズの言葉をベースとしていて、これはレニゲイド・サウンドウェイヴ”Murder Music”でオリジナル・スピーチがそのままサンプリングされている。とはいえ、それらはラヴ&ピースではなく、イギリスでは魔術師としても知られるジョン・バランスと結成したテンプル・オブ・サイキック・ユースの活動にも顕著なようにサイキックTVの表現はサマー・オブ・ラヴのダークサイドからの影響が濃厚で、“We Hate You”が単純に“We Love You”へとひっくり返らなかったことはアシッド・ハウス・ムーヴメントにおける彼らの位置を得意なものにした要因といえるだろう。なお、テンプル・オブ・サイキック・ユースの背景をなすケイオスマジックについては→https://ja.wikipedia.org/wiki/ケイオスマジック

 また、ジェネシス・P・オーリッジがポップ・ミュージックにおけるトリックスターとしてさらなる役者ぶりを示したのは自らがトランスジェンダーと化したこと(=The Pandrogeny Project)で新たな様相を呈することとなった。噂には聞いていたけれど、ブルース・ラ・ブルース監督『ラズベリー・ライヒ』(04)でその姿を初めて認めた時は僕もかなり驚かされた。その異様さはスロッビン・グリッスルの時よりインパクトがあったかもしれないし、旧左翼と新左翼の対立を描いたハンス・ウェインガートナー監督『ベルリン、僕らの革命』(04)をゲイ・ポルノの文脈で先取りしたような『ラズベリー・ライヒ』(04)はそれこそジェネシス・P・オーリッジはまだストリートに立っている証しのように思えた。最初は反逆者でも結局は規制のポストに収まってしまう人たちとは異なる迫力を感じたことは確かで、トランスジェンダーとして彼(女)はケンダル&カイリー・ジェンナーの父(母)であるケイトリン・ジェンナーのインタビューにも応じ、グランジ・ファッションの祖であるマーク・ジェイコブスのファッション・ショーにも出演している。ヴォーグの編集長アナ・ウィンターの側近ともいえるマーク・ジェイコブスのショーに出たということはニューヨークではかなりなセレブレティにのし上がっているということを意味する。ニューヨーク・タイムスはジェネシス・P・オーリッジをカルトと評し、アヴァンギャルドの宝と讃えていたことがあり、現在はマシーン・ドラムやゾラ・ジーザス、そして、ローレンス・イングリッシュやコールド・ケイヴなどなかなか広範囲の人たちから追悼の声が上がっている。

三田格

interview with Michael Gira(Swans) - ele-king


Swans
Leaving Meaning

[解説・歌詞対訳 / ボーナストラック1曲収録]
Mute/トラフィック

Experimental RockPost Punk

Amazon

 ニューヨークのノー・ウェイヴ勢がその崩壊型のアート虐殺行為を終えつつあったシーン末期、1982年にスワンズは出現した。1983年のデビュー作『Filth』のインダストリアルなリズムと非情に切りつけるギターから2016年の『The Glowing Man』でのすべてを超越する音響の大伽藍まで、彼らは進化を重ね、長きにわたるキャリアを切り開いてきたが、次々に変化するバンド・メンバーやコラボレーターたちの顔ぶれの中心に据わり、スワンズの発展段階のひとつひとつを組織してきたのがフロントマンのマイケル・ジラだ。

 実験的な作品『Soundtracks for the Blind』に続き、スワンズは1997年にいったん解散している。そこからジラはエンジェルズ・オブ・ライトでサイケデリックなフォーク調の音楽性を追求した後、新たなラインナップでスワンズを再編成しこの顔ぶれで2010年から2016年にかけて4作のアルバムを発表。じょじょに変化を続けるジラのサイケデリックからの影響を残しつつ、それらを音の極点のフレッシュな探求に融合させた作品群だった。このラインナップは2017年に解消されたものの、それはバンドそのものの終結、というか長期の活動休止を意味するものですらなかった。そうではなく、ジラは自らのアイディアの再配置を図るべく短い休みをとった上で、『Leaving Meaning』に取り組み始めた。クリス・エイブラムス、トニー・バック、ロイド・スワントンから成るオーストラリアの実験トリオ:ザ・ネックスから作曲家ベン・フロスト、トランスジェンダーの前衛的なキャバレー・パフォーマー:ベイビー・ディーに至る、幅広い音楽性を誇るコラボレーターたちが世界各国から結集した作品だ。

 マントラ調になることも多い執拗なリズムとグルーヴ、トーン群とサウンドスケープの豊かな重なり、ゴスペル的な合唱によるクレッシェンドとが、今にも崩れそうなメロディの感覚で強調された、霊的な音の交感の数々へと統合されている。このアルバムおよびその創作過程の理解をもう少し深めるべく、筆者はアメリカにいるジラとの電話取材をおこなった。取材時の彼はこれまでも何度かコラボレートしてきたノーマン・ウェストバーグを帯同しての短期ソロ・ツアーに乗り出す準備を進めているところだったが、それに続いて彼は2020年から始まる『Leaving Meaning』ツアー向けの新たなスワンズのライヴ・ショウ作りに着手するそうだ。(坂本麻里子訳)

わたしはドアーズを聴いて育ったんだ。大げさな音楽だったかもしれないけど、その当時はすごくいいと思ってた。いまでもその頃聴いてたレコードのことを思い出すよ。

アルバムを聴いたのですが、かなり手の込んだプロセスだったのではないでしょうか。参加したアーティストも30人以上います。

ジラ:6ヶ月やそこらかかったんじゃないかな、いや、8ヶ月だったかも。ようやく作り終えたのがたしか3ヶ月前。かなりの作業だった。

大部分をドイツで録られましたね。なぜドイツだったのでしょう?

ジラ:メインで参加してくれてるアーティストがベルリン在住だった。ラリー・ミュリンズ、クリストフ・ハン、ヨーヨー・ロームとまず元になるトラックを録って、その後サポート(と言えども、重要な役割の)ミュージシャンを呼んだわけだけど、彼らもベルリン在住だったからね。ベルリンには他にも何人か呼び寄せて、素晴らしきベン・フロストと作業するためにアイスランドに飛んだよ。ニューメキシコ州のアルバカーキにも行って、A Hawk and a Hacksawのヘザーとジェレミー、昔からの友人のソー・ハリスとも作業した。で、ブルックリンでダナ・シェクター、ノーマン・ウェストバーグ、クリス・プラフディカのパートを録って、またベルリンに戻ってオーヴァーダブとミックス作業をしたんだ。

以前とはかなり異なるプロセスだったのですか?

ジラ:うーん、2010年から2017年、18年くらいまでは固定のバンド・メンバーがいた、メンバー間の仲も良かったし、みんないいミュージシャンだった。スタジオに入って、ライヴ演奏してきたものや、わたしがアコースティック・ギターで書いた曲に肉付けしたものを録ったりした。いつも一緒にやっている人は決まっていて、外部から人を連れてきたりもしたけど、ベースになる部分はずっと同じだった。スタジオに入って、全てをレコーディングしたりもした。わたしが不在のこともよくあったけど、いまみたいに大世帯ではなかったんだ。その当時のバンドを解散してからは、曲に見合って、作り上げてくれる仲間を選ぶようにした。

アルバム、『My Father Will Guide Me up a Rope to the Sky』(2010)から『The Glowing Man』の流れでいくと、先に広がりを持つ曲作りをされたということでしょうか?

ジラ:まずわたしがアコースティック・ギターのみで録って、そのあとみんなでスタジオで作りこんでいった曲もあるよ。他の曲はライヴでやったものを使ったりもした。アコースティック・ギターから生まれたグルーヴをスタジオでみんなとプレイして、エレクトリック・ギターを乗せて、バンドとして曲を作りこんでいく感じ。そこから、ライヴ演奏して、わたしひとりじゃなくて、曲が展開するに従って、バンドとしてインプロしていく。こういった断片的なものを生でプレイして、積み重なって、どんどん構築される──30分の曲もあれば、50分の曲もある。ある曲を演奏しているうちに、新たな流れができて何かが生まれて、元にあった部分を切り捨てたりとかね。わたしたちの曲は常に進化系だから、その先の流れも見えてくる。なかなか面白いやり方だったと思う。

かなり前に作られた曲の断片を再度使い、新しいものに生まれ変わらせる、といったプロセスなようにも取れますね。例えば、『The Glowing Man』内の“The World Looks Red/The World Looks Black”は80年代にサーストン・ムーアのために書かれた歌詞が引用されています。

ジラ:音楽が完成することは決してないと思っている。今回のアルバムの曲にしても、新しいバンドと演奏すれば、また新たに進化していくものだろうし。むしろそうであってほしい。アルバムと全く同じように聴こえるのではつまらない、新しいかたちでで演奏できる術を見出したい。常に崖っぷちにぶら下がってる感覚が大切なんだ。まがりないものを作り出すにはいい刺激なんじゃないか。

そういった意味では、今回のアルバムを作る過程は以前とは逆のやり方だった、と?

ジラ:そうかもしれない。ただ、今回のアルバムの構成・作曲に関していうと、作りはじめはむき出しの状態。いままでに演奏したことがあるものじゃないから、構成、作曲、ミックス、プロダクションという流れだった。以前に存在していたものではなかったから、だから自分のよく知るやり方でベストなアルバムを作ったのみ。で、想像つくと思うけど、このでき上がったものを思い切りぶち壊すのが次のステップ(笑)。

ご自身のアコースティックのデモを事前にリリースし、今回のアルバム制作資金を調達しました。以前にもこのやり方をされたことがありますね。

ジラ:何度もね。曲が反復する部分があるんだけど、そこからその曲のごく初期のヴァージョンや、アウトラインが見えてくると思う。ただ、こういう曲をアルバムと比べると、相当変化を遂げている。あるものが常に進化段階だという事実は重要だ。

レコーティングされたものとライヴ音楽の関係性について。ライヴ体験は独特の身体的若しくは直感的な何かがあるように思えます。

ジラ:そうだね、特に前作から感じ取れたと思うけど(笑)。音量重視だったからね。それには訳があって、ただ単に音量をあげたかったのではなくて、そこまでの音量にしないとしっくりこなかったっていうのがあった。これからのライヴではもうそのやり方はしないけど。それなりの音量にはなるが、以前のように音量に圧倒される体験ではなくなるね。

それを聞いて、以前ブライアン・イーノが言ったことを思い出しました。何かが限界ギリギリになったときにこそ、クリエイティヴィティが生まれる、と。例えば、スピーカーを最大音量まであげたときに、ディストーションという新しい音の形が生まれるように。

ジラ:ああ、想定外のものが生まれるのをみるのは楽しい。わたしも最初に作ったものを捨てて、予想外の産物を使うことがよくある。そっちの方が熱がこもってる気がするから。

かなり冒険的なアプローチですよね。それはご自身が元々ミュージシャンとしての訓練を受けていないことに起因していると思いますか?

ジラ:そうだな、わたしがギター・プレイヤーと曲作りをしているとする。わたしが自分のギターでコードを弾いて、「もうちょっとオープンコードっぽく弾いてみて」と頼んで、弾いてもらう。で、「あー、ちょっと違うな。もっと高いコードでやってみようか。それかハモってみるか」って具合に。その曲にしっくりくるものを探すのみ。だいたいわたしが曲を書くときはアコースティック・ギターを使うんだけど、ギターに腹が触れてるもんだから腹で音を感じるんだよ。わたしが弾くコードにはオーヴァートーンや共鳴があって、曲を組み立てていく段階になると、むしろコード主体というよりもコードを取り囲むサウンドがメインになること多い。そうすると、「そうか、そこに女性ヴォーカルかホーンを入れたらこの共鳴部分を引き出すことができるのかもしれない」ってなるから、そうやって曲が作り上げられていく。

だから自分のよく知るやり方でベストなアルバムを作ったのみ。で、想像つくと思うけど、このでき上がったものを思い切りぶち壊すのが次のステップ(笑)。

ギターの共鳴を身体で感じるとおっしゃっていましたが、音楽の身体性について思い出しました。

ジラ:ああ、まあ、わたしはある意味、サウンドにのめり込んで消えてしまいたいっていう、こう、青臭い衝動に駆られるから、スケールはでかければでかいほどいいんだけど。ただ当然、長いこと生きていれば、でかいサウンドにしたいんだったらそれなりにサイズ感を合わせていかなきゃいけないことを学ぶわけで。青臭いっていったのは、若かりし頃に音楽に没頭して、そのなかに埋もれるとどこか新しい場所に辿り着けたことを思い出したから。だから、ステレオの音量をグッと上げるんだよ、しばしのあいだこの世から消えてしまいたいと思うから(笑)。

わたしの青春時代はいつもシューゲイザー・ミュージックでしたね。音の渦に飲み込まれますから、音楽的にはひどいものだったかもしれませんけど。

ジラ:申し訳ないけど、中身のない音楽だな(笑)!

その当時は自分自身の中身も空っぽだったんだと思います!

ジラ:わたしはドアーズを聴いて育ったんだ。大げさな音楽だったかもしれないけど、その当時はすごくいいと思ってた。いまでもその頃聴いてたレコードのことを思い出すよ。

そう考えると、最近のスワンズのサウンドはドアーズ特有のエコーを彷彿させるものがありますね。サウンドそのものというよりも、雰囲気ですけど。

ジラ:まあそうだな、ドアーズはわたしの一部になってるから。ジム・モリソンみたいに歌えたら、もう死んでもいいや、だってそれ以上の幸せなんてないだろ(笑)。

ノイズやノイズ・ロックのような音楽の極限を追求する音楽は多々ありますが、80年代、90年代のアーティストがもともとこの音楽的な限界を作り始めたように思います。どのようにしてご自分の限界に挑み続けられているのでしょうか。

ジラ:その当時、スワンズは“ノイズ”音楽だと言われてたみたいだが、そう思ったことは一度もない。“サウンド”──純粋なサウンド、と捉える方が個人的にはしっくりきた。“ノイズ”と言われてたことを気にすることもなかったが、常に自分のやり方で、自分にとって唯一無二の、本物の音を追求してきたつもりだ。

そういった意味でこのように音楽に限界を設けるのは、音楽的な違反を犯すということなのかもしれません。

ジラ:他人が何をしようと関係ないさ。ルールを破りたいのあれば、どうぞご勝手に(笑)! そうしたところで、結局またそのルールとやらに縛られることになるんじゃないかと思うけど。やりたいことは自ら見つけるべきだし、それが人を不快にさせるなら仕方ないこと。ただそうと決めても、またその事実に結局は囚われることになる。誰かが決めたルールのなかで音楽は作りたくはない。

今回のアルバムに話を戻します。『The Glowing Man』に比べると、歌詞重視なように思えます。

ジラ:かなり意図したものだ。特に過去の『The Seer』、『To Be Kind』、『The Glowing Man』の3作に関しても歌詞はそれなりに重要だったんだけど、若干陰に隠れていたのかもしれない。歌詞がゴテゴテしすぎたり、奇抜すぎたりすると、サウンド体験の妨げになりうると思ったから。今回はこのサウンドに見合うものを生み出すことに挑戦した。ある意味、ゴスペルみたいな感じだよね。何度も繰り返されるフレーズがあって、それが昂揚していくような。だから、物語調のものより、サウンドに意味をもたせてくれるようなアンセムとかスローガンみたいなフレーズを見つけようと思ったんだ。今回の新しいプロジェクトでは、もっと歌詞を書くと決めて、アコースティック・ギターを持って自分をなかば強制的に歌詞に集中させるところからはじまった。湧き出てくる言葉もあれば、どうしてもうまい具合に出てこないこともあったけど。

インプロを多用し、生で演奏し作り上げていくというスタイルから、より構造的なものにしていこうというプロセスの変化の一端だということですか?

ジラ:ああ、そうだね。歌詞は明らかに完成してるけど、そこからまた曲が進化していくっていうときもあったね。歌詞ができていないときでも、イメージしているものがあがってくるまで、適当なフレーズで歌ってたときもあった。で、そのイメージと他のイメージの相乗効果で曲ができたり。その場合、全ての曲はすでに完成していて、あとはその曲を演奏してる人たちと詰めていくだけだった。

このアルバムの制作過程で歌詞から何かテーマが生まれてきましたか?

ジラ:どうだろう。いつも自分自身の存在に惑わされ、驚かされてるからさ。自分の精神、一般的にいう精神というものがどういうものなのか、意識とはどういう仕組みなのか理解しようとしているんだけど、もしテーマがあるとしたらそれかな。君が若い頃にこういう経験があったかどうかわからないけど、わたしには間違いなくあった、とくにLSDをやったときにね。鏡のなかの自分の姿をある一定の時間眺めていると、自分が肉体から離れていくのが見えて、鏡のなかの人物は自己というものを失う、この現象。こういった心理状態は興味深いものだ。

歌詞やサウンドについて。“Amnesia”を例にとります、もしかしたらわたし自身の不安を投影しているだけかもしれませんが、世のなかが制御不能に陥っていくような印象を受けました。

ジラ:さあ、いまの世のなかについてどうこう言えるほどの立場にないからなんとも言えないけど、自分の頭のなかがどうなってるかはよくわかってるつもりだ(笑)。

まあ、わたしはある意味、サウンドにのめり込んで消えてしまいたいっていう、こう、青臭い衝動に駆られるから、スケールはでかければでかいほどいいんだけど。

先ほど、ゴスペル音楽についてお話されていましたが、今回のアルバムにもその要素が入っているように思えました。このような音楽は、宗教的な救済を彷彿させるのではないでしょうか。

ジラ:うーん、救済、ではないかな。救済っていうんだったら、まずは呪われていることが前提じゃないか。恍惚的な何かに解けこんでいくっていう考え方は、もちろん音楽の本質だけどね。それは常に追い求めている。曲ってシンプルなものだったり、短編的なものだったりするんだけど、サウンドのなかで我を見いだしたり、見失ったりってことを同時にやっているってことでもあるんじゃないか。

“Leaving Meaning”では最近話題のドイツの「Dark」というテレビ・ドラマのサントラを担当してるベン・フロストが参加していますね。映画ファンなんですか?

ジラ:映画オタクってわけでもないし、すごく詳しいわけじゃないけど、映画はよく観るよ。近代では一番わかりやすい芸術の形なんじゃないか。個々の持つ力をうまく引き出して、自分のヴィジョンを維持しつつ、そこから芸術作品を作り出すって、とてつもないことだと思うんだ。まとめていかなきゃいけない人たちからあれこれ言われたり、経済的な困難だとか、それを全て乗り越え、ものすごく手の込んだ何かを生み出すのはとてつもない労力だ。

いまお話にあった、手が込んで、包括的な芸術作品である映画のように、あなたが音楽的に成し遂げたいなにかはありますか? アルバムを聴いていると、単に個々の曲を寄せ集めただけではないような気がします。

ジラ:80年代後半か、もしかしたら80年代なかばくらいから、アルバムをサウンドトラックとしてとらえるようになった──エナジー、わたしたち独自のサウンドそして昂揚感が詰まったものとして。音を通じて、完全なる体験を作り出したかったんだ。自分が映画を撮ったり、脚本を書いたりなんて腕は全くないが、こういった体験に音を落とし込んでいくことだけはできる。

それは曲や音楽の欠片が他のものに移り変わっていく過程なのではないかとわたしも思います。

ジラ:以前のアルバムだと、音の継続性や遷移性は少し掘り下げてみるだけだったこともあったが、『Soundtracks for the Blind』(1996)あたりから、それを実際に採用してみたら面白いんじゃないかと思うようになった。だからその流れに乗って、曲を作ってみようってなったんだ。「お、面白いやり方が見つかった、遷移的で形のない瞬間を紡いでいこう」って思ったのを覚えてる。

最後になりますが、次のステップとして今回のアルバムをライヴで実現したいとおっしゃっていましたね。どのようにして実現されるか、若しくはどのようなセットアップにされるか決めているのですか?

ジラ:まだあまり公にするつもりはないんだけど、6人編成で、座っての演奏になる予定。延々と伸びた音の洪水がポイントになって、そこから曲が展開していくっていう変わった編成の予定だけど、どうなるかね! リハの期間は3週間あるから、なかなか面白いことになりそうだ。このツアーで新しいバンドと一緒に作り込もうと思っている曲はあるんだ。これからはじまるソロ・ツアーが終わったら、彼らとのツアーだけでプレイ予定の新曲が完成しているはず。いいサウンド体験にできればいいんだけど。

現在のセットアップにインプロを取り入れる予定は?

ジラ:ああ、そうだね、それもいいなとよく思ってる。それにはまずコード構成をちゃんとおさえて、それからどうやってそれをぶち壊すかを考えないとだな(笑)!

Emerging in 1982 into the disintegrating art-carnage of the New York no wave scene’s dying days, Swans have carved out an enduring career that has evolved from the industrial rhythms and harsh guitar slashes of their 1983 debut Filth through to the transcendent sonic cathedrals of 2016’s The Glowing Man, with frontman Michael Gira orchestrating each evolutionary step from the centre of an ever-shifting lineup of bandmates and collaborators.

Swans disbanded in 1997, following the experimental Soundtracks for the Blind, with Gira pursuing a psychedelic folk-tinged direction with Angels of Light before reforming Swans under a new lineup for a run of four albums between 2010 and 2016 that retained Gira’s evolving psychedelic influences and fused them to fresh explorations of sonic extremes. The dissolution of that lineup in 2017 didn’t herald the end of the band though, or even an extended hiatus. Instead, Gira took a short break to reconfigure his ideas and began work on Leaving Meaning, bringing together a worldwide cast of musically divcerse collaborators ranging from Chris, Tony Buck and Lloyd Swanton of Australian experimental trio The Necks through composer Ben Frost to transgender avant-cabaret performer Baby Dee.

The album synthesises insistent, often mantric rhythms and grooves, richly layered tones and soundscapes, and gospel-like choral crescendos into moments ecstatic sonic communion underscored with a frequently fragile melodic sensibility. To try to understand a bit more about the album and the process behind it, I spoke with Gira by phone from the United States, where he was preparing to embark on a short solo tour with occasional collaborator Norman Westberg before working on creating a new live Swans show to tour Leaving Meaning in 2020.

IM:
Listening to this album, it feels like it was quite an involved process, and looking at all the people you collaborated with, there’s more than thirty people on the album.

MG:
It took six months or something – maybe eight months – and I finished three months ago, maybe. It was quite involved.

IM:
You recorded a lot of it in Germany. Why did you take that decision?

MG:
Some of the main players lived in Berlin. Larry Mullins, Kristof Hahn and Yoyo Röhm were the people with whom I first recorded the basic tracks, and then other ancillary musicians, although ultimately of equal importance, also lived in Berlin. I flew some people into the studio in Berlin as well, and then I travelled to Iceland as well, to work with the wonderful Ben Frost. I also travelled to Alberqurque, New Mexico, and worked with Heather and Jeremy from A Hawk and a Hacksaw and my old friend Thor (Harris). And then I travelled to Brooklyn and recorded Dana Schechter, Norman Westberg and Chris Pravdica and a few other things, and then I went back to Berlin and did some more overdubs and mixed.

IM:
Is that a very different process from the way you’ve worked previously?

MG:
Well, from 2010 to 2017-18 I had a fixed band for a while – great friends, great musicians – and we had a thing, so we’d go into the studio and record the material we had worked on live perhaps, or things that I had written on acoustic guitar we fleshed out. I had a set group of people with whom I worked, and then I would bring in other people to add orchestrations, but I had a basic group. We would go into the studio and record everything – I’d travel around a bit, but there weren’t as many people involved. Since I decided to disband that group, I just chose the people, whomever they might be, that served the song and helped orchestrate the song.

IM:
So on that run of albums from My Father Will Guide Me up a Rope to the Sky through The Glowing Man, the songs were built up live to a greater extent?

MG:
There are songs on there that I wrote exclusively on acoustic guitar and then we orchestrated them in the studio. Other ones came through playing live. I would have maybe a groove on the acoustic guitar and then I would go and rehearse with those gentlemen and I’d play electric guitar and then as a group we’d build it up and develop the song. And then we’d play it live and we had a tendency to improvise as a group – not solo, but improvise as the music unfolded. These long pieces developed just through performing, some of them thirty minutes long, sometimes fifty minutes long – it would just grow and grow. And sometimes what would happen is we’d have a song we were playing and a new thing would happen, which would become a new song and we’d leave the old bit behind, so it was always evolving and we’d find a new path forward. It was an interesting way to work.

IM:
There also seemed to be this process where fragments of old songs from a long time ago would re-emerge and gain a new lease of life. For example, on The Glowing Man using lyrics you’re written back in the ’80s for Thurston Moore in the song The World Looks Red/The World Looks Black.

MG:
I don’t look at the music as ever being finished. Even the songs from this album, I’m going to perform some of them with a new group and I expect that they’ll change considerably. I want them to – I don’t want them to sound like the record: I want to find a new way to perform them. It’s always important to me to be dangling over the cliff and having failure nipping at your toes. It’s a good impetus to make something authentic happen.

IM:
So in that sense, was the process behind Leaving Meaning almost in some ways the reverse of the ways you’d been working previously?

MG:
Maybe so. However, the way that this was composed and orchestrated was naked at the beginning. There wasn’t a history of playing it, so it was composing, orchestrating, mixing and producing this thing in and of itself. It didn’t have a life previous to that, so I just made the best record I knew how to do. And now, of course, the next thing to do is to fuck things up as much as possible (laughs).

IM:
You helpeed fund this album with a collection of your acoustic demos as well, right? You’ve done similar things in the past too.

MG:
Many times, yes. There’s one iteration of the songs and you can see the skeletal, nascent version of the songs, but as you compare those to the album, they’re obviously transformed quite a bit. Things are always in process, I think that’s important.

IM:
In terms of the relationship between recorded and live music, there’s also something physical or visceral that is unique to the live experience.

MG:
Yeah, particularly with the last version of Swans you felt it (laughs). It was very volume-intensive. And for a reason: it wasn’t just to be loud, it was that it didn’t sound right unless it was loud. But I’m leaving that behind in the next performances. It’ll have some volume, but it won’t be the overwhelming experience that it was in the past.

IM:
That reminds me of something that I think Brian Eno once said, about how creativity often emerges when something is pushing against its limits, for example in the way that volume pushing against the maximum carrying capacity of the speakers creating new sounds in the form of distortion.

MG:
Yeah, I enjoy that. I enjoy when unexpected results occur, and oftentimes I will discard the original thing and go with these unexpected results because they seem to have more fire in them.

IM:
That seems like quite an exploratory approach, and do you think it has something to do with you not being a formally trained musician?

MG:
Well, say I’m working with a guitarist and I’ll have a chord on my guitar and I’ll say, “Why don’t you try this, more of an open chord?” and then they’ll try something and I’ll say, “Ahh, not quite. Maybe move up the neck or let’s do a harmony.” It’s just searching for what works with the song. Usually, if I’m playing a song with an acoustic guitar, which I do when I’m writing, I can feel it in my belly because the guitar’s resting against my belly and there’s these overtones and resonances that are in the chords I play, and often the orchestration is inspired by what I hear around the chord rather than the chord itself. So I might think, “Oh, maybe I can bring out that resonance if I added some horns or some female vocals,” so things start to grow in that way.

IM:
What you said about the resonances of the guitar against your body brings me back to the idea about the physicality of music.

MG:
Yeah, well, I have a kind of adolescent urge to disappear in the sound, so I usually want things bigger and bigger. Of course, I’ve learned over the years you actually have to make things small also in order for something to sound big. I say adolescent because I associate it with my younger days listening to music, and just to disappear in the music and it kind of takes me somewhere. That’s why you turn up your stereo really loud: because you just want to be erased for a while, you know? (Laughs)

IM:
That reminds me of when I was a kid and my teenage crybaby music was always shoegaze. Even when the music was horrible, I could just disappear into the sound.

MG:
Unfortunately, the music had no content! (Laughs)

IM:
Probably back then I had no content myself either!

MG:
I grew up listening to The Doors. Maybe melodrametic, but it was pretty fantastic. I still think about those records sometimes.

IM:
I can definitely feel some echo of The Doors in recent Swans, at least in the feeling if not exactly the sound.

MG:
Yeah, I mean it’s there in me, for sure. If I could sing like Jim Morrison, I’d immediately kill myself because I’d be so happy. (Laughs)

IM:
With a lot of music that explores sonic extremes, like noise or noise-rock, it sometimes feels as if those limits were already charted by artists in the 1980s and ’90s. How do you keep on being able to challeenge yourself?

MG:
Well, I realise the word was bandied about in regards to Swans back in the olden days, but I never agreed with the term “noise” as applied to us. “Sound” – pure sound would have been a better term for me. But I’ve always followed my own path, and what I think sounds real and not redundant or phony is what I pursue.

IM:
In that sense, maybe thinking of sonic limits in these terms is similar to the idea of transgression, which I know is an idea you don’t necessarily agree with.

MG:
Oh, I don’t care what people want to do. If they want to transgress, all power to them! (Laughs) It just seems like that puts you in the position of a captive in a way, nipping at the heels of your master. To me, one should just choose their own destiny and if that bothers people, fine, but if you make that the point, then you’re necessarily beholden to the people that you’re trying to bother.

IM:
To return to Leaving Meaning, it felt like a more lyrically dense album than, say, The Glowing Man.

MG:
That’s very intentional. The thing is, with the last three records in particulat – that would be The Seer, To Be Kind and The Glowing Man, the lyrics were important, but they took kind of a back seat because if the words were too baroque or ornate, it tends to distract from the experience of the sound. So my challenge was to create signifiers that worked with the sound. Sort of like gospel in a way – you know, you’ll have a phrase that keeps repeating and that ties in with the crescendo. So the challenge was to find words that were more like anthems or slogans rather than someone telling a story, and that would just add meaning to the sound. In this new project, I decided I wanted to write more, so I sat down with an acoustic guitar and forced myself to keep working on the words and they develpped. Sometimes the words flowed and others it was just hacking away with an icepick at a mkountain.

IM:
Is that then partly a function of the change in process from building up the songs live with a lot of improvisation to something more compositional?

MG:
Yeah. I mean, there are some instances in that period where I had clearly finished words and then the songs grew from that, but in other things I wouldn’t have words, and even live I’d be singing nonsensical phrases until an image appeared, and then gradually that image would inspire other images and then I’d have a song. But in this instance, the songs were all there, written, and it was a case of finding life in them with the people that interpreted them.

IM:
Did you notice any themes emerge from the lyrics through thr process of writing this record?

MG:
I don’t know. I’m perpetually befuddled, flummoxed and astonished just by the fact of my own existence, you know? Trying to figure out how my mind works or how a mind works, how consciousness works, and if there’s any theme, it’s that. I don’t know if you had this experience when you were young – I certainly did, particularly when I took LSD – but staring at your face in the mirror long enough, you become disembodied and this person in the mirror loses all sense of being you: it’s just this phenomenon. That kind of frame of mind interests me.

IM:
In the lyrics and music of some songs, for example Amnesia, and I may be projecting my nown anxieties here, but I got the impression of a world spiralling out of control.

MG:
I don’t have an authoritative enough perspective enough to make comments about the world in general, but as far as questioning the reality of my own mind, I’m pretty good at that. (Laughs)

IM:
You also brought up gospel music earlier, and that’s also a soun d and feeling that ceme through on this album. That’s a kind of music that traditionally has been concerned with the idea of salvation.

MG:
Well, I don’t know about salvation. Salvation would presuppose that you’re damned to begin with, but the idea of dissolving into something ecstatic of course is inherent in music, so I’m always looking for that. Sometimes the songs are simple and it’s just a little vignette, but sometimes it’s about simultaneously finding and losing yourself in the sound.

IM:
On Leaving Meaning you worked with Ben Frost, whose work on the soundtrack to the German TV drama Dark was very well received recently. Are you a big fan of cinema?

MG:
I’m not a cinephile – I’m not an expert or anything – but I definitely enjoy movies. I think of the last century, it’s the most comprehensive artform. I have tremendous admiration for an auteur director who can harness all these different forces, keep a vision and manage to forge a work of art out of it. You can imagine all the things tugging at you from every direction from all the people you have to pull together, all the financial travails you have to endure, and making this completely immersive out of it I think is just tremendous.

IM:
In creating these immersive, all-encompassing works of art, is there a parallel with what you try to achieve musically? Increasingly your albums seem to be aiming for something more than just a collection of discrete songs.

MG:
Since the late ‘80s or even mid-‘80s I started to look at albums in a way as soundtracks, replete with all the dynamics and signature sounds that might appear, the crescandos, and just trying to create a total experience through sound. I certainly don’t have it in me to direct a film – or write a film, for God’sb sake! – but I can forge sound into these experiences.

IM:
That’s about the way one song or piece of music transitions into another I guess, too.

MG:
There was a period in Swans, on the album Soundtracks for the Blind, where in previous albums I’d been exploring just that – these segues or transitions – and then I decided around Soundtracks for the Blind that the more interesting thing was the segues or transitions, so I sort of followed those to make the music rather than trying to have songs – or too many songs, anyway. So I thought, “Oh, there’s an interesting avenue to pursue: these transitional, amorphous moments.”

IM:
So lastly, as you mentioned, the next stage is to take this album live. Do you have a plan for how you’re going to do that or what sort of setup you’ll employ?

MG:
I guess I’m not supposed to talk about it yet, but it’ll be six people, and we’ll all be sitting down. The instrumentation is kind of odd, and I think the emphasis is going to be on extended waves of sound punctuated by moments where a song arises, so we’ll see what happens! We have three weeks of rehearsals to make a band, so it should be interesting. I have songs that we’ll work on and hopefully after I finish this solo tour I’m about to embark upon, I’m going to have a couple of new songs written just for the tour with these people in mind that will be playing live and hopefully we’ll make a great experience.

IM:
And will you still be trying to incorporate space for improvisation into the setup you’re buiolding?

MG:
Oh, yeah, that always interests me. First people have to learn the chord structires, and then we have to learn how to destroy them! (Laughs)

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